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メンバー情報

ID4603
名前鳴尾摂津守規一
コメント来年の定年退職を前に2013年9月より参加致す次第でござりますれば、本会の先輩の方々に負けぬよう精進切磋琢磨して100名城完訪を目指す所存ゆえ、良ろしゅうお頼み参らせしょうぞ。ちょっと言い回しがおかしいでしょうかね?
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
小田原城
2013年9月7日
3城目。箱根で同窓会があるので小田原に宿泊した際に訪問した。16:30丁度にいったのに入場券売り場のシャッターが降ろされており、天守には上がれなかったが、親切な守衛さんのお蔭でスタンプだけ押せた。
掛川城
2013年9月7日
スタンプコレクションを初めて初登城。初スタンプはさすがに緊張した。先は長いががんばるぞ。
駿府城
2013年9月7日
2城目。掛川城の直後に来たので縄張りの大きさに驚く。堀が美しい。
岡崎城
2013年9月9日
小田原から豊橋で名鉄に乗り換え訪問。堀と石垣が良く残されており、雰囲気があった。
名古屋城
2013年9月9日
以前名古屋に出張したときに登城したが、スタンプは今回が初めて。本丸御殿を公開していたが木の香りも新しく、もっと時間をかけて見たかった。
二条城
2013年9月20日
お墓参りの帰りに寄りました。
高取城
2013年11月2日
麓の壺阪山駅から歩いて登りましたが、やはり大変でした。ただバスで行っていたらスタンプのある夢創館には行けなかったので仕方ないかな。日本三大山城はダテではない。2時間かかりましたが、台風後の地崩れで歩きにくかったです。歩いていくなら登山靴は必需品。石垣は見事でした。手ぶらで行くだけで大変なのに築城時はどうやって石を持ち上がったのでしょう。私なら日当いくらもらってもいやです。
和歌山城
2013年11月22日
初登城。石垣は豊臣時代(野面積み)、浅野家時代(打ち込み積み)、徳川家時代と違っている様子がよく残っていた。外周を一周すると大きさが良くわかりました。くノ一ボランティアがいて写真を撮ったり説明をしてくれました。声を掛けてみましょう。
姫路城
2013年12月5日
平成の修理の見学施設「天空の白鷺」が来年の1月に終了するので、混雑を避けるため会社を代休を取って登城。ネットでの事前予約が満員で取れなかったので、9:15の開場と同時に入ったが、待ち時間無しですんなり入場。しかしながら10時前には団体などで混雑しだしたので早めの入場がお薦め。修復自体はほとんど終了していたので工事の現場は見れなかったが、やはり上層の屋根を間近で見れる生涯最後のチャンスなのでしっかり目に焼き付けた。西の丸の百?廊下なども見学して昼前に姫路城に隣接する「好古園」に二度目の来園、日本庭園を鑑賞した。平日の午前中ということで来園者も少なく、仕切られた庭園を独占する形で東屋に座り込み殿様の気分。景色のよいレストランで名物の穴子丼定食とビールで見事な紅葉を堪能した。
赤穂城
2013年12月5日
姫路城見学後、JR赤穂線で播州赤穂駅へ。3年ほど前に来たことがあったが、その後復元工事が進んでいた。11日後に赤穂義士祭りがあるとのことでイベントの準備が進んでいた。天守台の上に鉄パイプで櫓が組み立てられており、安易な鉄筋の天守再建かと危惧したが、イベントのイルミネーション櫓のようで安心した。西の丸の庭園も再建中とのことのようだったが完成は20年後とのこと。生きて再訪問できるでしょうか?
明石城
2013年12月5日
姫路城、赤穂城に続き本日3城目の登城。JR山陽本線明石駅からも櫓が良く見え、知っていたが訪問は初めて。日没前だったが好天で、西日に照らされた2つの櫓(現存)とそれを結ぶ土塀が美しかった。平城なのだが、堀が深く、石垣が高く、天守はないものの見どころは多い。公園になっているので散策気分で廻ると良い。
 
本日の3城登城で、お城めぐりは、一に天気、と、二に時間の余裕、とあらためて感じた。
山中城
2014年10月30日
伊東での同窓会に合わせて登城しました。このサイトでの書き込みを参考にして三島駅前で東海バス切符売り場で往復バス券を購入して乗車。天気が良かったので富士山も見ることができました。障子堀や曲輪跡の保存状況も良く、石垣や城郭の城址とは違った趣を堪能しました。広いのでスタンプのおいてある食堂で最初に全体図をもらうと良いとおもいます。
高松城
2014年12月17日
四国9城制覇の遠征初日の訪問となりましたが、折からの爆弾低気圧の影響で関西からたどり着くのがやっと。冷たいながらも晴天だったので見学ができました。

・この城は海水堀が特徴となっていて、海に直接船を出せた水手御門や浮き島となった天守跡など見どころは多いが、みなさん書き込みの鯛の餌やりで海水を実感できました。鯛は天然イケスに飼われているといった具合で、餌を持って餌やり場にくると待ち構えているという状況でした。
丸亀城
2014年12月18日
現存天守では一番小さいとのことですが、日本一高い(らしい)60メートルの石垣からさらに数段の曲輪の上に独り自立する姿は風格がありました。強風のため天守入口の引き戸は閉められており、現存天守の入口引き戸を手で開けるという他の現存天守ではできない貴重な経験をしました。
今治城
2014年12月18日
四国9城制覇の旅二日目2城目。縄張りは立派に残っていますが、再建された天守はいかにもコンクリート造りといった感じで、昭和30年代の天守閣再建ブーム時建設のものにありがちな風情です。6階の天守最上階までは階段を上がるので息切れしましたが、瀬戸内海を渡るしまなみ海道の景色は抜群でした。
湯築城
2014年12月18日
宿泊した道後温泉の宿から歩いていきました。公園化された城跡に遺構はほとんどありませんが、天守あとの展望台からは松山城の本丸が遠望できました。中世河野氏の居城であったころは周囲の山々にある出城と連携していたのでしょう。
松山城
2014年12月19日
宿所の道後温泉から朝一番で訪れました。今回の遠征では不覚にもデジカメの充電器を忘れバッテリー残量の関係から撮影枚数を絞らざるを得ませんでした。本来ならロープウエー乗り場で案内してくれたマドンナ姿のお嬢さんと写りたいところですが、城の見どころに集中しました。朝一番は天守の正面から朝日が当たり連結した天守群の威容をカメラに収めることができました。
大洲城
2014年12月19日
木造再建の天守は見ごたえ十分でした。特に、現存していた台所櫓と南隅櫓をL字型に連結しているのですが漆喰と材木が新旧しっくりと調和しており感心しました。百名城のスタンプをお願いするとシールももらえました。こうゆうのはうれしいです。古い城下町の散策も「おはなはん通り」や「臥龍山荘」など見どころがあり楽しめます。地方の城めぐりの楽しみです。

皆さん書き込みのネズミも天井に見つけました。
宇和島城
2014年12月19日
本日3城目でさすがに疲れてきましたが、宇和島城も現存天守なので気合を入れて見学しました。江戸も泰平時期の創建なので外見は装飾性重視のようです。内部は廃城後荒れていた時期もあったようです。櫓など他の建物を消失し独りで寂しそうな天守でした。
高知城
2014年12月20日
四国9城制覇の旅も4日目、走行距離も今日は500?の予定。昔の四国の大名も島津征伐や関ヶ原出陣に駆り出されたときには遠征だけでも大変だったのでは?何日もかけて行軍し、見ず知らずの敵と戦など気が進まなかったと思います。

現存する御殿や櫓を従えた天守は小ぶりながら見事でした。最上階の高欄は狭いのと強風のため怖くて一周できませんでした。

明治初期の廃城令により多くの城が破却されましたが、取り壊しをまぬがれた城は地元の人たちの熱心な保存運動があって助かったものがほとんどのようです。その意味では、その地の民から慕われた城や城主だったところが現存天守だと見ることができないでしょうか。
徳島城
2014年12月20日
四国9城制覇の旅4日目。本来なら徳島城は初日に訪問する予定でしたが、日本列島を覆った爆弾低気圧の雪のためあきらめていました。遠征最終日に当たり、高知から関西への帰り道なので寄るだけにしました。スタンプのある資料館の閉館が17:00のところ15分前に駐車場に滑り込み、管理人さんに事情を話したところスタンプを貸してもらいました。城山の写真を1枚だけ撮り帰路につきました。見学はあらためての機会に残すことにしました。
伊賀上野城
2015年6月11日
兵庫県を早朝に出発、8時過ぎに到着したあと、内堀の石垣を見学してから再建天守に登城。百名城のスタンプをお願いしたら責任者らしい人が百城制覇したとのことでした。高石垣は大阪城や丸亀城におとらず立派だったが、それぞれに趣を異なり、楽しめました。忍者屋敷はくノ一のパフォーマンスにびっくりしますよ。
松阪城
2015年6月11日
伊賀上野城に続いて登城。石垣が縄張りのままほぼ現存。建物などはないので入場料などはないが、訪れる人も少なくゆっくり散策。スタンプは皆さんお薦めの本居宣長記念館で押させてもらい、古事記に関する資料も見学。これも日本の歴史の勉強になりました。
長篠城
2015年6月11日
長篠城址史跡保存館でスタンプを押した後、隣接する本丸跡を見学。ほとんんど遺構は残っていないが、川の合流部分にあり、守りやすいのは理解できました。車で新城市設楽が原歴史資料館に行き、そこから古戦場の道を教えてもらいました。馬防柵は再現されていましたが、前面の平地(現在は田)は思ったより狭く、ぬかるんでいるので本当に武田軍が騎馬の集団突進をここで行ったのか、私も疑問に思えました。
岩村城
2015年6月12日
小雨の中、レインウエアで完全装備し、傘をささなくても山城に登れるように準備した。日本三大山城の一つ、奈良県高取城と比べると石垣の高さや量では劣るが、六段の石垣など、より急斜面に構築した防御のための工夫が随所に見られ、武田と織田の争奪戦となった実戦を経た城であることが理解できた。
犬山城
2015年6月12日
日本一古い現存天守(丸岡城という説もあるようですが)はさすがの貫録。木曽川を見下ろし、幾多のいくさの歴史を見てきた美しい城です。
岐阜城
2015年6月12日
犬山城に続いて登城。稲葉山は犬山よりずっと高く、ロープウエー利用を選択しました。コンクリート造りの天守でしたが眺望が抜群でした。信長の居館跡の発掘作業が進んでいましたが、斉藤氏時代のものも含め、石塀あとなどが保存されています。規模は小さいですが、翌日見学した安土城山麓部分と類似したものがあり、この時代の信長の意図したことが分かるような気がしました。防御もさることながら、来客を驚かそうと考えたのではないでしょうか。
小谷城
2015年6月13日
小谷戦国歴史資料館でスタンプを押したが、ここで痛恨のミス。彦根城のところに押してしまいました。いつかはやるのではないかと思っていたが、ここでやってしまったか。何日も城廻りを続けていると注意力がなくなるようです。道を教えてもらって番所跡まで車でいき、あとは歩いて本丸跡をめざしました。結局本丸を通り越して山王丸まで生きましたが、膝はがたがたになりました。この城や稲葉山城(岐阜城)などの山城を苦労して落とした木下藤吉郎は信長の高い評価を得るのも当然と思いました。
彦根城
2015年6月14日
以前訪問したことがあり今回はスタンプだけ。開門前に正門受付で押しましたが、スタンプが分解しそうで、方向や強度に注意が必要です。
安土城
2015年6月14日
とにかく石段がきつかった。ここ数日で岩村城、小谷城などの山城を登ったので足がもう上がらん。山上の本丸付近の石垣は見事でした。巨石を運び上げたのは天下人信長の権威によるものだったのでしょう。
観音寺城
2015年6月14日
観音正寺近くの駐車場から歩きましたが、山道を結構な距離でした。遺構は石垣や井戸跡などですが、直前に安土城に登ったので足がくたくたでした。百名城の選定にも酷なものがあります。
竹田城
2015年6月30日
山麓の「山城の里」に駐車して、シャトルバス5分、徒歩15分で城址へ。20年ほど前に来たときはすぐ近くまで車で行けた記憶があります。見学客の増えて山上は大賑わいでした。
鳥取城
2015年6月30日
雨のため山下の丸の見学だけで、天守跡への登城は断念しました。明日以降、備中松山城、月山富田城、鬼ノ城と中国山地の名だたる山城が続くので体力温存です。石垣は球状(資料をもとに近年再現したもののようです。)のものなど興味を引かれました。
松江城
2015年7月1日
数年前の山陰旅行でも訪れましたが、今回はスタンプ目的の再訪。保存状態の良い現存天守をあらためて鑑賞しました。今回は時間があったので堀川めぐりの舟に乗船。乗客は自分ひとりの貸切でした。内堀と外堀が水路でつながっており、構造が良くわかりました。
月山富田城
2015年7月1日
水曜日は資料館が定休日でしたが、諸先輩書き込みの通り、入口の机の中にきちんとスタンプが保管されていました。対向車もなく狭路を山中御殿近くの駐車場に車を停め、登山靴に履き替ええて月山山上の本丸跡へ。神社などがありましたが、結局他の人には一人も会わず、気味の悪いほどの静寂でした。休憩所に連歌を記載してくださいとノートが置いてあるのを発見。百名城訪問の諸先輩の名句(?)も散見されましたが、私も拙い一句を記載させてもらいました。
福山城
2015年7月2日
前回広島出張の帰りに寄ったときは再現天守資料館は休館日だったのでスタンプ押印と展示資料見学のため再訪しました。展示に名城としてのものは少ないが、百名城の中で新幹線の駅に近いというのはダントツの一位でしょう。プラットホームのすぐ横ですから。
備中松山城
2015年7月2日
前から楽しみにしていた日本3大山城の一つ、しかも現存天守を有する備中松山城に登城。山麓の駐車場までは狭路とのことでしたが、道の上と下に2名の誘導員を配置、対向車が来ないように無線で連絡を取り、交通整理をしてもらっていました。本当に助かります。天然の岩と石垣を組み合わせた要害は圧巻の一言。実戦の城という気がします。天守には落城というときは城主が最後の時を迎える小部屋というものもあり、平時の築城にはない迫力がありました。
岡山城
2015年7月2日
天守は外観再現ながら、戦前までは現有していたので精密に再現したようで変則的な構造や黒塗りの壁面など、個性的です。場内の展示は宇喜多、小早川、池田、松平などの説明がありましたが、初代の宇喜多直家、秀家びいきの印象でした。やはり地元出身というのもあるのでは。翌朝後楽園も散策しましたが、静寂の中、池越しに遠望する岡山城の姿は違った趣がありました。
鬼ノ城
2015年7月3日
車での訪問でしたが、事前に狭路が3?続くとの書き込みが多かったので、岡山城、備中高松城などと調整し、鬼ノ城を朝一番に訪問することにしました。実際走ってみると避難帯が随所に設けられており、月山富田城や観音寺城へのアプローチよりは楽の印象です。ビジターセンターで城の概要を説明したビデオを鑑賞しましたが、この城の歴史的意義が良く理解できました。

登山靴に履き替えて一周2.5?の外周路に挑戦、西門、南門周辺は遊歩道も良く整備されていましたが、東門、北門付近は完全な山歩きでした。その中で気づいたのは山のいたるところで湧水が川となっていることでした。7世紀になぜこのような広大な城敷地を必要としたかを疑問にしていましたが、水が常時確保できることで食糧さえ備蓄しておけば大人数の長期籠城が可能なためではないかとの仮説です。住民を含めた大人数で外敵(唐・高句麗の連合軍?)を引き留め、他からの応援を待つという戦略だったのでは? てなことを勝手に考えながら約2時間で踏破しました。もう歩けん。
津山城
2015年7月3日
ぐるりと回りを一周し、そのスケールに驚きました。再現された備中櫓は女性の生活を前提にした建物のようで総畳張りに癒されます。
篠山城
2015年7月19日
ゴルフの帰りに寄りました。以前来たときは大書院再建の寄付金集めの最中でしたが、平成12年に再建されたようで、破風板などが美しく再現されていました。戦国後期の特徴か、堀の巾が広く風情がありました。二の丸の発掘整備なども進んでいました。近くの大正ロマン館というところで篠山名物黒豆ソフトクリームを食べて帰りました。
一乗谷城
2015年9月2日
朝倉氏時代の街並みが再現されており興味深かったです。武家屋敷には四人用の雪隠まで再現されており感心しました。
丸岡城
2015年9月2日
小ぶりながらも戦国時代からの現存天守は古武士然としており、貫録十分です。私の好きなお城の一つです。
金沢城
2015年9月2日
到着が16:00になったため、受付でスタンプは押せたものの、残念ながら五十間長屋内は見学できず、パンフレットも入場者だけというこでもらえませんでした。現存の三十間長屋は見ごたえがありました。細部の装飾などはこれを参考に他の再建物をこしらえたのでしょう。
七尾城
2015年9月3日
城址の入口から登山靴に履き替えいざ曲輪一周へ。山城の特色で、他に見学者もおらず谷にでも落ちたらどうしようかと不安になりながら一周できました。程よい保存状態で、畠山氏時代の建造物などを想像しながらの散策でした。攻め落とした上杉謙信も感心したという、本丸跡からの富山湾の眺めは最高でした。
高岡城
2015年9月3日
完全に公園化されており、堀以外に城址の面影はありませんでした。前日に丸岡城、金沢城をみたあとなので残念でした。
春日山城
2015年9月3日
上杉謙信の本拠地として名高い春日山に登りました。戦国の一代英雄の過ごしたところということで緊張しながら本丸や家臣の屋敷跡などを回りましたが、結構アップダウンがあり、朝の七尾城登山の影響もありややバテ気味。登り口付近まで下りてきたころに、謙信も籠ったという毘沙門堂を訪問していないことに気づきましたが、もう引き返す気力は残っていませんでした。
松代城
2015年9月4日
真田が本拠にしていた上田から信之の時代に移封になり、川中島の合戦で有名な海津城跡に建設したといわれているようです。このあたりの話は池波庄太郎さんの小説をいくつか読んでいたので、興味深く見学しました。城址公園として整備されていますが、石垣は丁寧に積みなおされ、櫓門もしっかりしたものが再建されています。城めぐりファンとしてはうれしい限りです。
上田城
2015年9月4日
一次、二次の上田合戦で真田の名前を天下に知らしめた城です。家康はさぞ真田親子がいまいましかったでしょう。櫓内のパノラマでの説明は、諸隊の動きと画面が連動しておりわかりやすかったです。来年の大河ドラマの舞台ということで、旅行代理店の添乗者のグループとみられる人たちが多数でメモ片手に見学していました。事前視察というところでしょうか? 櫓内はそう広くないので混雑で大変かも?
小諸城
2015年9月4日
天守台などは残っているのですが、全体に公園化されており、城址としての魅力は今一つの印象です。
松本城
2015年9月4日
今回の北陸、信州、城廻り3日間の旅は曇り空が続きましたが、最後に晴天が訪れました。まぶしくたたずむ国宝松本城の雄姿をご覧ください。旧式安物デジカメ(10年ほど前、父親に「新しいデジカメ買ったので古いのお前にやるわ」と言われたもの)でも綺麗に撮れて満足です。記念すべき50城目を国宝松本城にできました。近場から回っていたので、これからが大変です。いつになるか分かりませんが、諸先輩に負けないよう全城制覇をめざし、がんばりたいと決意を新たにしました。
弘前城
2015年9月13日
東北北部4城の最初として訪問したところ、たまたま当日13:30から移動中の天守を25度回転させるとのこと。移動の線上に貴重な桜の木があり、これに接触しないよう回避のため回転させる必要があるとの説明でした。テレビ局の取材もあるなか、一回の回転で30センチほどの回転をみましたが肉眼では、そう言われれば動いた気がするなあ、程度の微妙な作業でした。現存天守を保存するための慎重な作業でしたが、いつ見れるかわからない貴重な体験でした。
根城
2015年9月14日
月曜日に訪問すると休館日でした。資料館でインターフォンで警備の人を呼び出し、入り口を開けてもらってスタンプを押しました。親切な対応で助かりました。本丸の再現建物も外からの撮影はOKとのことで入場はできましたが、なかなか本格的な造りで感心しました。本丸以外の曲輪は芝生できれいに整備されていましたが、当日はグランドゴルフ大会の会場となっており、熱戦がくり広げられていました。南部公も平和な光景に苦笑いしていることでしょう。
盛岡城
2015年9月14日
石垣が立派なのですが、石の一つ一つがとても大きく、迫力がありました。南部氏の築城時の経済力もさることながら、場内には巨石がごろごろしており、このへんが巨石の産地であったからかもしれません。
久保田城
2015年9月15日
再建の御隅櫓は本来二重だったものを、再建は展望台を乗せて三重四階としたのはいかがなものでしょうか? 展望台と割り切って登れば見晴は良好です。
千早城
2015年10月7日
天気が良いので近郊で残っていた千早城までハイキング。阪神電車ー南海電車ーバスを乗り継いで午前10時30分に食堂まつまさに到着、スタンプをゲットしました。名物の百名城制覇おかみさんは不在でしたが、やはり名物の椎茸蕎麦で早めの腹ごしらえ。千早城址まで20分ほど歩いていきましたが、神社以外は何も城跡らしいものはありません。他の人がおっしゃているよう百の選定根拠は何なのでしょう。史実(楠木正成と千早の合戦)だけで現地に足を運んだ人の意見を聞くような機会はあったのでしょうか。てなことを考えるのもそこそこに、金剛山山頂を目指して急な山道と階段を息切れ切れで登りました。約1時間で国見城址の展望台に到着。泉州、河内が一望できるので国見というだけあって、息をのむようなパノラマでした。帰りはロープウエーで下り、おしまい。ハイキングと割り切ったほうが良い城址訪問です。
高遠城
2016年6月20日
半年ぶりに百名城めぐりを再開。皆さんから展示内容の評価が高い高取町歴史博物館は月曜日のため残念ながろ休館、入口でスタンプだけ押しました。城跡は公園として整備されており、仁科盛信が城主の時、織田の甲州攻めのため落城した時代の遺跡は深い堀切以外見当たりませんでした。高台にある城址から伊那地方をながめ歴史に思いをはせました。近くにある旧藩校「進徳館」など見所は他にもあります。
武田氏館
2016年6月21日
前日宿泊の上諏訪温泉から諏訪大社上社本宮に参拝した後、甲府に移動して見学。主郭にある武田神社にお参りした後、西曲輪の発掘調査現場や北門跡、東曲輪復元を見てまわりました。このあたりは観光客もほとんど訪れませんが、ここが神社ではなく、武田武士団の軍事本拠地であったことが分かりました。特に北門は小規模ながら虎口の形態を示す石垣が残っており、城を持たないと言われた信玄ですが、防御の備えを固めたものと思います。

続けて武田神社宝物館と翌日恵林寺に移動して信玄公宝物殿を見学しましたが、共に信玄と家臣団の展示一色でした。その中で私の印象に残ったのは勝頼夫人が天正十年武田家滅亡の年に書いた願書で、敗色濃かった勝頼への武運祈願や、裏切った木曾氏などの恨みなど悲壮な気持ちの伝わる自筆でした。
甲府城
2016年6月21日
武田氏館見学の後、甲府駅前で旅行ガイドブックに載っていた「小作」でほうとうをいただきました。かぼちゃや芋がビッグサイズで残念ながら完食できませんでした。店員さんは「女性なら二人で一人前が適量」と言っていました。甲州軍強さの秘密か?

そこから歩いて、まず甲府駅の北側にある甲府市北口歴史公園にある山手御門を訪問。立派な再建建築です。館内展示の受付の方から親切な説明をしてもっらた後、甲府城の歴史説明ビデオを視聴。皆さん指摘の若き日の吉田羊さんがガイドとして登場していました。一緒に見ていた人は「この人、あの人と違う?」とおっしゃっていました。

受付の人から教えていただいた観光スポットを通るルートで駅南側に移動、舞鶴城公園にある稲荷櫓を見学しました。元々同じ城跡なのですが、真ん中に線路を通したため分断されたようです。天守台や主要曲輪跡などは残っているので、上手な開発をしたのではないかと思いました。交通の要所に構えられた城らしく、石垣は立派です。
鉢形城
2016年6月22日
甲府市から国道140号線をひたすら東上、長いトンネルをいくつも抜けて、埼玉県寄居市にある鉢形城に到着。武田信玄も攻めたとのことですがが、車で来るのも大変なのに、当時、兵糧を担ぎ、歩いてここまで来るのは一大事業だっただろうと実感しました。

まず鉢形城資料館でパノラマやビデオを見て事前勉強。後北条氏の歴史や領地戦略などがよく理解できました。車での回りかたを資料館で教えてもらい、ポイントを見学しながら一周しました。門や馬出しなどが復元されていましたが、よく整備されており、深い堀切で仕切られた広大な曲輪群であったことが分かります。北条康邦が5000の兵で守るこの城を、上杉景勝、前田利家、真田昌幸など20万の軍勢で囲み、ようやく開城させたのも分かります。
足利氏館
2016年6月22日
皆さんご指摘の通り、お寺でした。夕刻も迫り、閉館前の足利学校を急ぎ足で見学。時間があれば歴史ある街並みなど散策したのですが、時間切れ。本日は移動に時間がかかり、北関東は広いと実感しました。
金山城
2016年6月23日
9時前でまだガイダンス施設が開館していないので先に城址を見学。尾根伝いに細長く曲輪が続きますが、石垣や木橋などが丁寧に再現されており、飽きません。東国には珍しく石垣の城ですが、山上の池など当時の由良氏の力を示していると思います。

ほぼ上り切ったあたりの休憩施設内でスタンプを押しました。雨天で残念ながら物見やぐらからの景色は見渡せませんでしたが、満足のひと押しでした。スタンプ置き場への大変さでは備中松山城と双璧か?

ガイダンス施設はとても立派な建物で、金山城の説明展示もお金をかけていると思いました。入館無料が嬉しいです。地元はずいぶんと力を入れているようです。
箕輪城
2016年6月23日
まず箕郷支所に行き、受付でスタンプを押すとともに車での行き方を教えていただく。曲輪のすぐ近くに広い無料駐車場があったので楽でした。各曲輪はそれぞれが広大で、堀切も深く、それぞれが遊歩道となっており、一周すると実に広大な敷地であったことが分かります。上杉や武田に圧迫され、長野氏も強力な防御の本拠が必要だったのでしょう。

井伊氏時代らしい石垣も一部残っていますが、ほとんどは発掘調査後埋め戻されたようです。発掘時の写真などは支所でいただいたガイドマップに記載されていますが、午前中訪れた金山城では新たに持ち込んだ石なども使い、石垣を再現していました。史跡の保存としては意見の分かれるところかもしれません。かけられるお金の多さににもよるでしょうが、現状を保存しつつ、当時の構造イメージを持てるような復元が理想ではないでしょうか? いつになるか分かりませんが、100名城を制覇したらその当たりの考えもまとめてみたいと考えるようになりました。城めぐりもだんだんと大変になってきたぞ。
根室半島チャシ跡群
2016年10月12日
北海道3城めぐり、3泊4日の最初の訪問。前日千歳空港に到着、家内を札幌に残し、一人レンタカーを駆けて釧路入り。本日早くに根室駅前のインフォメーションセンターで押印と地図情報を入手しました。

先に納沙布岬で北方領土を望見した後、地図を頼りにオンネモトチャシを訪問。確かに一面の草原ですが、何とか堀切で間引きされたチャシ跡らしき台場に立ちました。厳しい自然に囲まれた最果ての百名城です。ここは砦として籠るには困難が多く、やはり何等かの祭儀の場であったとの意見に同感しました。

昼前に根室駅前に帰り、ニューモンブランで皆さんおすすめのエスカロップ890円を食べましたが、揚げたてのトンカツとデミグラソースがおいしかったです。
松前城
2016年10月13日
根室から600キロを走破し、前日洞爺湖温泉で家内に合流、本日もまた長距離をドライブして、まず江差町にある開陽丸青少年センターを訪問、再現された開陽丸の艦内展示を見学しました。

開陽丸は函館戦争時、徳川脱走軍の主力として蝦夷地に来航していましたが、1868年に暴風雨のため江差沖で座礁、沈没してしまいました。湾内から引き揚げた大砲などがこの艦内に展示されています。特に人形がリアルで、写真で見た榎本武揚や中島三郎助の顔がそっくりでした。

車で松前に移動し、松前城を見学しました。三層の天守は再現ですが、付帯する本丸御門は現存で、存在感があります。城をめぐって、松前藩軍、土方歳三ら榎本軍、新政府軍と取り合いがあったそうですが、戦国の城とは違った歴史を感じました。
五稜郭
2016年10月14日
北海道新幹線の開業効果か、函館市内のホテルは満員の盛況でした。五稜郭タワーも9時の開館と同時に行きましたが、修学旅行生など団体客で一杯でした。

タワーからは五稜郭の全景が見れ、そのスケールが実感できました。江戸幕府は幕末にもこれくらいのものを作る資金力があったようです。薩長との差は、大砲や鉄砲などの兵器と近代戦術なのでしょうか。

再建された函館奉行所は本格的な日本建築で、一流の木造や装飾がなさてれています。当時これほどまでのものであったかは分かりませんが、図面や古写真を参考に忠実に再現したとのこと。襖絵や壁の装飾など不明なところは無地のままにしたとのことで、文化財再現のこまやかさが感じられました。

北海道3城訪問でレンタカー走行1,800キロ。もうできん。
津和野城
2016年11月9日
山上への往復はリフト利用しました。小規模な山城ですが、各曲輪の石垣は残っており、特に人質曲輪の石垣の反りは美しく保たれていました。建物類は明治時代初期にすべて破却され、建材は町で再利用されたとのことですが、割れた瓦類が多数散乱しており、多くの櫓、土塀などが存在したことが推測されます。

天気も良く、三十間台から山間にたたずむ津和野の街並みも美しく見えました。

下山時もリフトを利用しましたが、最初に出るときに絶対に下を見てはいけません。正面のお山を眺めておきましょう。そうでないと長い5分間になります。
萩城
2016年11月10日
朝一番で訪問しようと思い、東萩駅前のホテルをチェックアウトしましたが、車の鍵が見当たらず大慌て。結局スーツケースにしまったズボンの中にありましたが、これからは予備キーを忘れず持参することにします。

さて、本城は天守などの建物は明治に取り壊されたものの、石垣や堀は残されており、指月公園として市民にも愛されているようです。特に本丸虎口の大きな横石、縦石の石垣や、水をたたえた内堀などはさすが毛利氏の本拠と思わせるものです。

城跡を散策した後、昨晩の小料理屋さんで女将さんに勧められた萩八景遊覧船に乗船しましたが、川沿いに武家屋敷などが見学でき、同行した家内も喜んでいました。「今日は天気が良いので海に出ましょう。」と女性の船頭さんが言っていましたが、屋形船のような小さな船で日本海に出ると結構波で揺れ、大丈夫かなと思いました。しかしながら。海沿いの土塀(再建)や石垣も見れ、城全体の様子がよくわかりました。
岩国城
2016年11月11日
ロープウエーで山上の城址へ。天守は昭和30年代の再興ですが、南蛮造りと呼ばれる独特の形状など、美しく飾られています。錦帯橋から見えるようにと本来あった場所から50メートルほど移動して、観光目的に建てられたようですが、本来天守のあった場所には、旧天守台の石垣が調査、再建されており、まあいいかなというところです。

山麓の居館跡は吉香公園として整備されており、錦帯橋と合わせて大勢の観光客でにぎわっていました。これから紅葉に季節には大変なことになるようです。
広島城
2016年11月11日
数年前出張で広島に来た時に天守内の展示は見たので、今回は再興された表門、太鼓門、平櫓などを中心に見学しました。特に平櫓はこれほど長い櫓を木造で再建したものは他に記憶にないので、堪能できました。

大天守は再興されましが、連結付属する小天守は石垣台のみが残っており、次に再興するなら、これかなと思いました。憎むべき原爆で吹き飛んでしまった、往時の姿を見てみたいものです。
郡山城
2016年11月12日
朝、安芸吉田市に到着したものの、霧が濃いく、しばし安芸吉田市歴史民俗資料館を見学し、霧が晴れるのを待ちました。展示内容は毛利元就関連のものが中心ですが、ジオラマや映像を多用し、大変見ごたえがありました。山間の一豪族から中国の覇者になるまで、ここを本拠にしていた毛利家の歴史がよく分かりました。

毛利家の宝物といったようなものは広島城への移転や、萩城への移封の際に持っていったのではないかと推測しますが、広い展示場は2時間いても飽きませんでした。

昼前になり霧も晴れてきたので、受付の親切な女性にルートを教わり、車で移動しました。最初に元就と毛利家の墓所を訪れましたが、社寺の建物は既になく、かえって宗教色が薄まった中、厳粛な雰囲気に包まれていました。

本丸を取り巻く各曲輪は尾根沿いにありましたが、毛利氏の中国地方での発展に伴い、規模を拡大していったようすが見て取れました。構造物は滅却され、石垣も散乱したのもがほとんどで、往年の物をイメージするのが大変な状態です。
福岡城
2017年3月28日
まだ桜は咲いていませんでしたが、城址内で桜まつりが始まっており、大変な人出でした。駐車場も最後の1台で辛うじて入庫、花見客をかき分けて、遺構群を見て回りました。最初に「むかし探訪館」でスタンプを押し、ボランティアの方から丁寧な説明を聞きました。館内のパノラマ模型はとても精巧でした。閉館前の鴻臚館で遺跡の見事な発掘現状展示を見学した後、現存の櫓を中心に回りました。多門櫓、祈念櫓など、石垣が高いので、下まで回って眺めると迫力がありました。さすが黒田氏の本城。
名護屋城
2017年3月29日
まず佐賀県立名護屋城歴史博物館に入り、知識を深めました。秀吉の朝鮮出兵に関する説明や遺物展示など充実の内容です。入館無料に感心しました。

先輩方お勧めの「バーチャル名護屋城」というタブレット端末機を受付で借りて(やはり無料)いざ見学開始。元あった建物をビジュアルで見せると共に、自分が今、城跡のどこにいるかが表示されるので、広い城跡を見て回るのに役立ちました。

石垣はかなり滅却されていますが、山里口は復元が進んでおり当時の様子がうかがえます。ここだけは道の駅に車を停めて歩いていきました。
平戸城
2017年3月29日
名護屋城からナビの言うままに山越えで到着。入場料510円を払い入場。他の人も書き込んでおられるが、お金を取るならもう少し、建物の保全と展示の充実を図って欲しいと言いたいです。午前中行った名護屋城博物館(こちらは無料)の展示を見た後なのでなお更でした。元々天守はありませんでしたが、昭和37年に模擬天守を建てたそうす。平戸瀬戸の海の景色は素晴らしかったので、展望台に行ったと思うことにしました。

近くにある「松浦史料博物館」は平戸藩主松浦氏の居宅であった建物をそのまま残し、松浦家関連の資料、宝物を展示していましたが、こちらの方が平戸の歴史の勉強になりました。
島原城
2017年3月30日
9:30に到着すると、早速お出迎え隊のお嬢さん達が踊りのパフォーマンスを披露してくれていました。和みますね。

破風の全く無い典型的な層塔型の天守を5階の展望階まで上がると、春霞の中にうっすらと雲仙普賢岳が見えました。

近くの武家屋敷街を散策しましたが、小川の流れる道の両側に90坪均一の中級・下級武士の家跡が並んでいます。その内のいくつかの家は公開されています。これまでも家老クラスの大きな武家屋敷跡は見学しましたが、中級クラスの役人の屋敷は見たことがなく、興味が湧きました。
佐賀城
2017年3月31日
三年前訪問してから二度目の来場。佐賀城本丸歴史館に再訪しましたが、館内は美しく保たれていました。掃き清められた畳と整然と配置された展示の数々が印象的でした。ボランティアの方も大勢詰めておられ、大事にされていることがうかがえました。

今回は天守台と堀まで足を延ばしました。雨の中、また風情がありした。
吉野ヶ里
2017年3月31日
雨の中の訪問。広範囲に渡り丁寧に建物と内部が再現されており、飽きることがありませんでした。主殿に鎮座された巫女さんの人形が卑弥呼さんに見えて仕方がありませんでした。今回北九州を廻って、大陸と近さを実感しました。その意味で耶馬台国九州説もありか、と思いました。その後、ヤマト政権は近畿に移動したのではないかと考えました。

それにしても、佐賀県内で名護屋城、佐賀城、吉野ヶ里と時代の異なる3城を巡りましたが、佐賀の人達がが史跡の保全と活用に大変力を入れていることが伺えました。
大野城
2017年4月1日
まず、大宰府政庁跡を見学し、9:00の開館と同時に大宰府展示館でスタンプを押印しました。百名城を廻っていることを伝えると、ボランティアの方が館内の大野城、水城関連の展示の説明をしてくださいました。当時の時代背景や位置関係などよく理解できました。城跡現地では再現建物など無いのでお勧めです。

見るべきポイントと道順を教えていただき、外国人観光客で混雑する太宰府天満宮参道を横目に一路大野城城跡へ。四王山山中の駐車場に車を停め、近くの大宰府口城門跡、土塁跡、建物礎石群を見学しました。1300年以上前の築城ですが、良く残っています。車を移動し、百間石垣を間近で見学しましたが、坂を下りるときは怖かったです。

四王山の山頂を中心に広範囲な城を土塁や石垣で守っていたことが分かりました。同時期の岡山県の鬼ノ城同様、当時の日本の政権がいかに先進国たる唐、新羅の反攻を恐れていたかが伺い知れるような史跡でした。
多賀城
2017年5月20日
前日に仙台空港から多賀城市入り、市内に宿泊。早朝から多賀城跡を散策しました。奈良時代に創建された地方行政府ならびに軍事拠点ですが、政庁跡は同時代の大宰府と似たような構造でした。

外周にある南門跡、東門跡(写真左)なども廻りましたが、説明板には写真なども多用され、保存状態は良好でした。佐貫地区には空堀の発掘現状をそのまま屋根で覆った見学施設(写真中)もあり見所は多いです。

現地見学後、多賀城市埋蔵文化財調査センター(写真右)に行き、スタンプ押印。係の方が案内していただけるというので、多賀城の歴史や発掘の展示を見ながら理解を深めました。
仙台城
2017年5月20日
まず、仙台市博物館に寄り、伊達家の宝物や資料などを見て、大手口から本丸まで歩いて上りました。本丸では仙台城見聞館でスタンプを押印、青葉城資料展示館でハイビジョン新CG映像による説明を見ました。皆さん書き込みの通り、画像は類似施設のものと比べ、より鮮明でした。出てきた登城を急ぐ「枝豆侍」が可愛かったです。(見た人だけ分かる)

政宗公像の近くでボランティアガイドの方による説明を随時受付されていたので、お願いしたところ、即座に女性の方が案内していただき、大書院跡や本丸北側の石垣などを廻りました。こちらは一人なのに恐縮です。大書院の再建計画などもあったようですが、震災復興が最優先の今、そうもいかないようです。長い視点で進めば良いなと、震災復興、史跡保存の両立を願いました。
 
二本松城
2017年5月21日
駐車場到着後、まず山頂の本丸を目指し、良く整備された坂道を登りましたが、結構急な坂で本丸到着時は息が切れました。天守台からは360度のパノラマで、安達太良山などの山並みや二本松市内が一望でした。

江戸時代の天守台石垣を復元整備している一方で、蒲生氏入封時代の野面積石垣も現存しており、修復部分と保存分をはっきりと明示しているのが良いと思いました。

立派に再建された二階櫓、箕輪門、多門櫓を見た後、二本松少年隊近くの駐車場に設置された観光案内所でスタンプ押印。

戊辰戦争の舞台となった城ですが、本丸が落とされるまで徹底抗戦したとは知りませんでした。関連の慰霊碑や墓などが多数ありました。
白河小峰城
2017年5月21日
木造再建のはしりとなった三重櫓は見事です。黒板壁と白漆喰が晴天の空に映えて、小ぶりながら、松本城や岡山城の天守に負けないくらい、渋くて端正な姿です。

地震による石垣崩落復旧作業の最中でしたが、ボランテイアガイドさんによると、ようやく7割程度回復したようで、本丸の公開も3年前に再開されたところだそうです。三重櫓内の柱なども丁寧に修復されていました。

日曜日の登城でしたが、週末は市の職員の方が熊本城の修復の応援に行かれているとのこと。ここでの経験と技術が他の被災地で生かされることを願ってやみませんでした。
会津若松城
2017年5月22日
8時30分の開場と同時に天守に入り、南走長屋と干飯櫓内部も併せて見学しました。展示は戊辰戦争時代のものが中心ですが、改装、更新が進められているようで充実していました。スタンプは売店で声掛けすると出てきます。

10時にボランティアガイドさんを予約していたところ、ベテランの男性ガイドさんが、本丸内を中心にぐるりと一周案内いただきました。事前にこちらの希望を伝えていたので、私の興味レベルに合わせポイントを説明してもらいました。山本八重が薩摩の大山巌を狙撃した場所の石垣も教えていただき(写真中の左の石垣当たりからお堀越しに撃った。)、数年前の大河ドラマ「八重の桜」のハイライトシーンを思い出し感激しました。

この後、会津武家屋敷、白虎隊の飯盛山、藩校日新館などを廻りました。昼食に武家屋敷施設の食堂で食べた会津づくしのお膳は品数が多すぎて食べきれませんでしたが、素朴な味はいい思い出になりました。

夕刻には更に裏磐梯の五色沼まで足をのばし、その内の二つの沼付近を散策。最後に次の宿営地である新潟まで120?車を走らせ、超多忙の1日を終えました。
新発田城
2017年5月23日
駐車場の前にいきなり再建の三重櫓がありましたが、自衛隊敷地内なので接近はできないとのことでした。珍しいT字屋根も色々な方向から見れればよかったのですが、残念。

本丸表門は現存で、内部も見学可能でしたが、重要文化財のためか照明設備がなく、内部もよく見えませんでした。公開されている敷地はコンパクトなものですが、現存と再建の建物がバランス良く配置されており、雰囲気のある城址公園でした。
 
山形城
2017年5月23日
登城に先立ち、ガイドブックに載っていた「佐藤屋」という蕎麦屋さんで「芋煮そば」で遅めの昼食腹ごしらえを済ませていざ登城。

先に最上義光歴史館という立派な展示館を訪問。ボランテイアガイドさんがおられたので案内をお願いしました。

事前勉強の後、重厚な造りの虎口の二の丸東大手門や本丸一ノ門石垣と橋などの再建物を見学。山形城ではこの後、本丸御殿跡の修復などを進める計画だそうですが、大きなお城だけに、一つ一つの造作は大変だろうと思います。

駅前の高層ビルの24階展望室から城跡全体を眺めましたが、その広大さを実感しました。
佐倉城
2017年10月1日
関東5城へ遠征。成田空港にLCCで到着後、京成本線で佐倉駅まで。駅のコインロッカーにスーツケースを預けようとしましたが、小さいサイズのロッカーだけで入らず、仕方なくタクシーで城址公園まで行き、先に国立歴史博物館で預かってもらいました。

博物館のレストランで古代米ハヤシライスを食べてから佐倉城跡探索。角馬出の空堀が整備されていましたが、構造がよく分かりました。他の城では門や櫓の再建は多いですが、このような遺構整備は城の特色が出ており良いと思いました。 

他に構築物はなく、公園を一周してから、博物館に戻り、見学しました。さすが国立、展示は見ごたえがあります。現物展示もさることながら、街並みなどのジオラマが精密、大掛かりで、顔を近づけるとその時代に降り立ったようでした。閉館まで2時間ほどいましたが、すべてを見ることはできませんでした。
川越城
2017年11月1日
朝一番に本丸御殿に到着、内部を見学しました。さすがに徳川家が江戸抑えの藩庁として建設しただけあって、唐風の玄関屋根や室内の装飾はとても豪華です。廊下が畳敷きのところも多く、幕府の威信が感じられました。

川越市内は関連の見所も多く、家光ゆかりの喜多院、富士見櫓跡、中之門堀跡、市立博物館などを見学し、蔵造り通りで家族向けのお菓子のお土産を買いこみ、次の目的地へ移動しました。
八王子城
2017年11月1日
最初に八王子城ガイダンス施設を見学しました。小規模ながら展示は要を得ており、北条氏の支城として武田の騎馬軍団に悩まされ、平山城の滝山城から八王子に山城を築いて移ったことなどをコンパクトに解説していました。スタンプもここで押印。

管理棟まで歩き、解説板をながめていると、ボランティアガイドの方が案内を申し出てこられたので、1時間半ほどお付き合いをお願いしました。かなり城郭について詳しい方のようで、堀切、虎口、土塁、石垣の造りについて、現場ごとに詳しい説明をしてもらいました。また、一見しては分かりませんが、御主殿跡には茶室や能舞台があった痕跡があるとのことで、戦国の山城になぜこのようなものを造ったかについて、北条氏照の人柄や戦略に、想像を踏まえて解説いただきました。

同時に他に2組ほどボランティアガイドの方が案内されていましたが、遺構の少ない城址では、理解の度合いが高まり、地元の方のお城愛に感謝しながら下山しました。
江戸城
2017年11月2日
東京駅から徒歩で和田倉休憩所に行き、スタンプ押印。管理されている方から、廻り方や皇居一般公開の手順について教えていただきました。大手門から東御苑に入り、見学開始。東京に7年ほど住んでいたので、内堀の外から眺めたことはありましたが、あらためてその広大さに驚きました。

聞いていた通り、12時ごろに桔梗門の所で皇居一般公開の入場整理券(午前、午後それぞれ300人づつ)を受け取り、13:00からの入場までコンビニおにぎりで昼食を済ませました。整理券は門前の道に看板を立てかけた前で宮内庁の腕章をつけた職員の人が、声を掛けられれば配っているようなので分かりにくかったです。

皇居内の見学は、職員1名による誘導で300名全員で廻りますが、90%以上が外国の人で、日本に居ながら外国に来たような気分になりました。しかしながら、富士見櫓や伏見櫓などの近くまで行けるため、このツアーに参加しないと撮影できないアングルで写真が取れました。
水戸城
2017年11月3日
水戸駅から徒歩10分ほどで水戸城本丸跡に到着。最初に水戸第一高校の校内にある薬医門(橋詰門)を見学しました。その後、二の丸跡にある城資料館で水戸城に関する資料を入手、展示で水戸城の歴史を学びました。有名な水戸光圀公にならび徳川斉昭公の藩主としての功績も地元では高く喧伝されていました。

三の丸跡にある弘道館は日本最大規模の藩校でしたが、現在はその一部が残り公開されています。ここでスタンプを押印してから内部を見学。さすがに徳川御三家の藩校だけあって立派な造りです。水戸城の天守(三階櫓)は簡単な造りだったようですが、学問には力を入れた藩風が忍ばれました。

郊外の偕楽園に移り、斉昭公が造営した好文亭を見学しましたが、庭園越しに千波湖や水戸市内を眺め、日本三大名園を堪能しました。
岸和田城
2018年4月19日
続100名城の第一城目は地元の岸和田城から。100名城の方は、ペットの老犬をどこも預かってくれず、夫婦での遠征はできなくなったので91城で中断です。

岸和田城は25年ぶりくらいぶりの訪問ですが、その時は人もおらず、くすんだ色の印象でしたが、平成に入って改装が行われきれいになっていました。昭和の復興天守にありがちなど派手な破風は迫力があります。来場者も数組来ており、最終藩主の岡部氏関連の展示を熱心に見学されていました。続100名城の認定を機会に他の城も来場者が増え、保存が進めば良いですね。

続100名城から従来の写真に加え、スケッチも描くようにしました。もっとじっくり見たいと思いからです。昨年末から絵の練習を始めたところなのでまだまだ未熟なのですが、恥ずかしながら添付します。これから登城を進めながら上達しますので初回はこの程度でご勘弁を。
芥川山城
2018年5月4日
連休の真ん中ということで、自宅から電車で行ける高槻市の芥川山城に登城することにしました。

まず阪急高槻市駅から徒歩10分ほどで市立しろあと歴史館に行きスタンプ押印。芥川山城の展示も続100名城選定を期に小規模ながら準備され、ボランティアガイドの方に説明いただきました。何より私有地にある城跡なので発掘や保存が自由にできず分からないことが多いらしいです。地権者も100名以上らしいので市が交渉するのもむつかしいとのこと。

バスで15分ほどで塚脇というバス停で降り、三好山を30分登山して山頂の主郭部跡に到着しました。市のHPから印刷した案内図が役立ちました。山頂には三好長慶を祀った小さな祠があるだけですが、見晴らしは素晴らしく北摂を一望できました。

大手石垣、堀切、竪堀切などかすかな遺構を見ながら下山しました。
黒井城
2018年6月13日
梅雨のはざま、兵庫県内の黒井城に登城。JR黒井駅から歩いて近くの春日住民センターで押印、立派な城案内パンフをいただきました。

登山口から行きは急な坂ルートを選択、帰りはゆるやか坂ルートで下山することにしました。結論から言うと、どちらも結構厳しいので、特に雨後は登山靴が安全です。

1時間弱をかけて本丸跡に到着、山頂は木々が伐採されており、360度の眺めが楽しめました。眼下に舞鶴自動車道と春日山和田山道路が春日ICで交差しているのが見て取れ、初代城主の赤松貞範が摂津、播磨、丹波、但馬を結ぶ交通の要衝を臨むこの山を選んだ理由が分かる気がしました。

本丸、二の丸、三の丸、東曲輪の一部に野面積の石垣が残っており気分が高まりました。東曲輪の石垣を丹波山地をバックに写生、山城の景色を堪能しました。
洲本城
2018年7月12日
淡路文化資料館でスタンプを押印し、受付の人に車での行き方を教えていただきました。本丸に一番近い馬屋展望台駐車場から徒歩数分で本丸へ。30年ほど前に来た時に「何これ?」と思った日本最古(昭和3年建造)の現存模擬天守?は最近瓦などが改修されたようで、綺麗になっていました。竜宮城風のたたずまいは残念ですが、可愛くもありました。

本丸から東の丸、西の登り石垣入口あたりを散策しました。残念なことに石垣の間から木が生えているままになっているので、保善まで手が回っていないようです。櫓台や曲輪を構成する石垣はしっかり残っており、山城なら金山城、岩村城、津和野城に引けを取らないのですが、この当たりが「続」たる理由でしょうか?
大和郡山城
2018年10月12日
台風21〜25号とそれに続く猛暑もひと段落したので、電車で行ける大和郡山城に初訪問することにしました。近鉄郡山から徒歩10分程度で再建された追手門に到着。

まず城内の柳沢文庫に行き、天守台石垣積み直しの記録ビデオを鑑賞。約20分かかりますが、発掘から完成までの経緯や、発掘した瓦から豊臣秀長築城時に天守が存在したことが分かったことなどが理解できました。堅苦しくさもなくなかなかの出来栄え。

本丸に入り天守台を一周すると先ほどのビデオで紹介されていたことが実際に見て確認できて良かったです。天守台の展望台からは若草山など、奈良盆地が一望できました。

本丸、二の丸の石垣修復や草取りに作業員の方が命綱一本でぶら下がり作業されていました。「穴太衆」と書かれた車が走っていましたが、ご苦労なことです。お蔭で美しい石垣を堪能できました。
八幡山城
2018年10月26日
八幡山ロープウェー乗り場から約10分ほどで山頂駅に到着。降り場のすぐ前には野面積の石垣が目に入り、迷わず夢中になりシャッターを切りましたが。これが後で命取り。

西の丸跡展望台からは琵琶湖が晴天のもと遠くまで見えました。本丸跡の外側を時計回りに廻りましたが、角ごとに野面石垣が算木積で組まれ、手入れはされていないものの良く原形を留めていました。さすが地元の穴太衆の仕事というところか。

最後に築城者である豊臣秀次の生母が息子の供養のため本丸跡に建てた瑞龍寺にお参り。ロープウェーで下に降りたところで、山上駅でスタンプを押していないことに気が付き、泣く泣く640円を払いもう一往復しました。皆さん、現地に着いたらまずスタンプを押しましょう。(自分だけか?)

山麓居館跡のある八幡山公園まで足を伸ばしましたが、結局秀次館跡は分からず、秀次の銅像を写真に収めて、八幡堀地区まで帰りました。近江牛の牛丼で腹ごしらえをしたあとで、八幡堀めぐりに乗船、堀から城下町の風情を楽しみました。
 
飯盛城
2018年11月6日
予定していた用事が無くなり、天気も良いので自宅から一番近い飯盛城へ。スタンプは大東市立歴史民俗資料館と四条畷市民歴史しり資料館の2か所にあるとのことですが、前者が火曜日定休日なので自動的に後者に行くことにしました。

城に関する展示はほとんどありませんでしたが、親切な職員の方からパンフレットをもらい、城址への車での行き方を教えてもらいました。山頂近くまで小さい車なら何とか行けるという話でしたが、野外活動センターを過ぎたあたりから完全な山道。対向車が来たらどうしようと思いながら、Uターンもできず、どうにか山頂曲輪横のNHK・FM電波塔のところまでいきました。ここまで来るとなると、百名城 + 続のこれまで行った鬼ノ城、月山冨田城をしのぐ難路でした。

ただし、山頂(314m)曲輪には歩いてすぐでした。展望台から素晴らしい大阪市内の景色を眺めた後、石垣や堀切の跡を資料館でいただいた地図を頼りに見て廻りましたが、戦国中期の古いものなので一部が残っているだけでした。絵になるのは楠正行公の像くらいで、帰路の心配をしながら早々に引き上げました。
福知山城
2018年11月14日
二度目の訪問ですが、本丸の周りに美術館や公園が景観にマッチした形で整備が進んでいます。天守は昭和50年代建設の外観再現天守ですが、板張りの外壁で建物に重厚さを加えています。

土台石垣は現存ですが、寺院からの転用石が多いのが特徴。明智築城時代のものらしいですが、かなり急いで強引に造った模様。地元では光秀は善政を引いたと現在は言われているようですがどうだったのでしょう。

天守の館内は郷土資料館になっており、お城に関する現物展示は少ないように感じました。最上階からは福知山盆地を一望でき、山陰道の要衝の抑えであったことが分かりました。

少し離れた伯耆丸(出丸)のあった高台の公園に行って主郭部分全体の写真を取りましたが、アングルが悪く、小天守も入った状態だと電波塔など余計なものが入ってしましました。最後に光秀を祀った御料神社へ行きましたが、光秀木像や家中軍法は公開していませんでした。
鎌刃城
2019年4月16日
五か月ぶりに城廻り再開。カーナビにスタンプ置き場の喫茶店の住所を入力すると、中山道沿いの店の前に到着。スタンプを押していると地元の方から声がかかり、駐車場の場所や登山ルートを教えていただきました。町家橋の手前にある駐車スペースに車を停めて、5分ほど歩き、名神高速道路をくぐる彦根44ガードから登山開始。43号ガード入り口にも駐車スペースはありますが、「農道の走行はご遠慮ください。」の標識がありました。

40分ほど尾根伝いに登ると北郭跡に到着。小さな虎口の石垣や礎石が発掘保存されていました。琵琶湖や湖北の街並みがきれいに見えました。尾根の平削地を数段登り、主郭に至ると、一回り大規模は虎口の跡が。主郭は土塁ではなく石垣で守られていたようで、中山道(当時は東山道)を見下ろす要衝の城であったことが伺えます。地元の保存会が編纂された資料を見ると、堀、六角、浅井、京極、織田などの大名のせめぎあいの接点となっていたようです。

帰りは、43ガードに至るやや急なルートから30分ほどかけて下山、宿場町番場の街並みを眺めながら駐車場に戻りました。
宇陀松山城
2019年5月8日
道の駅宇陀路大宇陀に車を停めて、徒歩でまちづくりセンター千軒舎に行きスタンプ押印。受付に申し出て立派な資料を頂戴しました。城址への行き方を教えていただき、コンクリート舗装の坂道を15分ほど歩くと外郭に到着です。

朝一人目の登城らしく、嫌な予感がしていましたが、やはり南西虎口の礎石のところで大きなシマヘビ殿がお出迎え。あのサイズは見たことがなく、ヌシの御城主様か?

本丸跡は平になっており、資料を参照すると、本格的な御殿があったようです。一段高くなったところが天守跡で、資料室で展示されていた鬼瓦からして、三重程度の天守(櫓)があったというのもうなずけました。

麓の松山の町に戻り、江戸時代からの立派な商家の並ぶ街並みを通って春日門跡、松山西口関門を見学しました。ひっそりとした風情でした。
多気北畠氏城館
2019年5月8日
宇陀松山城から国道369号線を東に走りましたが、奈良県からは三重県から入る皆さんの言われる酷道368号線とは違い、普通の山間道路といったところです。

三重県に入り、美杉という山間の村にある北畠神社に到着。南朝を支えた武将北畠氏の居館のあったところですが、今は神社と庭園以外は何もなく、他に訪れる人はいませんでした。社務所でスタンプを押し、300円を払って庭園に入りました。池の周りに苔むした石がならぶ風情は心落ち着くものでした。戦に明け暮れた戦国武将はひと時の心の安らぎを求めて庭園を造ったそうです。

詰城である霧山城へは急坂で、遺構も多くないようなので、パス。1日で二つの山城登山は体力的にチョときつい。
出石城・有子山城
2019年5月22日
家内と出石に日帰り旅行。昼前に本丸駐車場に到着したので、まず出石そばで腹ごしらえと思い、散策していた地元の人にどの店がおいしいか尋ねたところ、「どこも同じ。景色の良いところで食べれば。」との返事でした。出石のランドマークである辰鼓楼という時計櫓が堀ごしに見えるテラスの店で皿そば二人分15人前を注文。この辰鼓楼は、出石城の大手門のあった石垣の跡に明治になってから建てられたもののようです。

出石城はすぐ近くですが、六つの曲輪を構成する石垣がしっかりと残っています。隅櫓などの建物は昭和になって建設されたものでした。一番上段にある稲荷神社にお参りしてから、有子山城に至る登山口の入り口から上を見ましたが、かなり急でした。家内と一緒で当初から登山の予定はなく、出石の城下町を散策して帰宅しました。
玄蕃尾城
2019年6月11日
名神高速道路がリフレッシュ工事で渋滞していたので、京都東ICで降りて湖西道路経由で敦賀側から到着。山城麓の無人スタンプ置き場で押印して資料パンフレットもいただきました。20分ほど登山して、最初の虎口から主郭に到着しました。

土塁、空堀、土橋が原型を良く残しています。感心したのは、曲輪内の下草や灌木がすべて取り払われていたことです。地元の人たちの史跡を保存していこうという気持ちを感じました。おかげで土塁などの形がはっきり分かりました。

帰りは、賤ケ岳合戦の敗戦を知り、戦わずしてこの城を降りた柴田勝家の心境に思いをはせながら下山しました。
佐柿国吉城
2019年6月11日
玄蕃尾城から佐柿国吉城を目指し、国道27号を一路美浜へ。美浜町に入り、名物へしこうどんを食べた食堂のおばさんに城への行き方を教わりました。カーナビには城や資料館の登録がなかったので助かりました。

家老屋敷を復元した若狭国吉城歴史資料館は近代的な建物で、展示や紹介DVDも充実していました。この城に信長、家康、秀吉、光秀が入り、城主の粟屋勝久と朝倉勢と一戦を交えたとは知りませんでした。

午前中に玄蕃尾城に登頂していたので、山城には登らず山麓の居館跡を散策し、次の福井城へと移動しました。
福井城
2019年6月11日
まず、本丸内にある福井県庁受付でスタンプ押印。県庁や府警本部が本丸内に建てられたのは感心しませんが、御廊下橋や福の井などを復元するなど、史跡としての保存、活用をする努力が近年なされているようです。越前松平家68万石の本拠らしく、堀や天守台などは立派でした。

少し離れたところにある北ノ庄城址公園(柴田神社)にも足を伸ばしましたが、柴田勝家時代の石垣が現況展示されており、確かにこの場所に北ノ庄城があった様子。勝家、お市の方、三姉妹の像の写真を撮りながら、数奇な運命をたどった家族に思いをはせました。
越前大野城
2019年6月12日
越前大野城は信長家臣の金森長近の創建ですが、徳川譜代の土井氏が幕末の城主でした。昭和30年代築の天守は、多分に漏れず鉄筋コンクリート製ですが、小天守を従え山上に建つその姿は雲上の城としてアピールされています。

野面積みの石垣群は見ごたえがありました。城下には家臣の内山家の屋敷が公開されていましたが、離れや蔵の内部まで隅々まで見ることができ、興味深かったです。お時間のある方はどうぞ。
鳥越城
2019年6月12日
越前大野城から国道157号線を走り、石川県白山市まで移動。「一向一揆の里」という道の駅にある「白山市立鳥越一向一揆歴史館」でスタンプを押印した後、先輩諸氏お薦めのビデオを見て一向一揆の歴史を勉強しました。展示資料も閲覧するうちに、鈴木氏、柴田勝家、蓮如上人などがつながってきました。

資料館の方に城までの行き方を教わり、曲輪跡のすぐ近くに駐車しました。本丸には再現した門や櫓がありましたが、石垣に守られ、本格的な山城であったことがうかがえました。山野に満ちる柴田、佐久間の兵を見下ろし、一揆軍はどのような決意で最後の時に臨んだのでしょうか。
大分府内城
2019年10月21日
4月に18歳だった老愛犬が天寿を全う、世話がなくなったので、3年ぶりに妻と旅行。4泊5日の九州6城めぐりです。

前日ラグビーW杯のウェールズVSフランスの試合が大分市で開催されたので、その余韻の残る市内を横目に大分府中城に到着。まず目に飛び込むのはイルミネーション点灯用に天守台に組まれたパイプの櫓。城郭史跡ファンとしては如何なものかと話すと、妻は地元の人や旅行者は楽しいのではとの返事。色々な評価があるものだと思いました。

プレハブ製の資料施設内でスタンプ押印。詰めていらしたボランティアガイドの方などから説明を受けました。現存の二つの櫓の一つ宗門櫓は修復中でしたが、丁寧な説明パネルが掲示されており、興味深く見学しました。

廊下橋が再建されており、天守の再建計画などもあるようですが、問題は資金面とか。今後の整備に期待です。
岡城
2019年10月21日
大分府中城から車で1時間半かけて移動。多くの人から行って良かったと聞いていたので楽しみにしていた竹田市の岡城です。

さすが最近NHKの最強の城(第三弾)に選ばれただけのことはある石垣の山城です。近世に作られた部分が残っているようですが、見事な切込接、打込接です。山城だったので破壊を免れたのではないでしょうか? 妻は大手道の石塀の上にのっかる「かまぼこ石」と言われる半円形の石が他の城にない珍しいもので良いと言っていました。ムムッ、大分分かってきたな!

本丸〜三の丸の主郭部は平削されており、歩きやすく整備もされていました。もう荒城ではありません。大自然に囲まれ、見晴らしを堪能しました。

城下町で駐車場のお兄さんおすすめの食堂でとり天定食を食べましたが、揚げたての天ぷらがおいしかったです。
熊本城
2019年10月22日
今回の九州遠征は、この10月から始まった熊本城の特別公開第一弾に合わせて企画したものでした。特別公開と言っても西大手門から本丸に入り、天守までの一本道を往復するという限定的なものです。

朝9時に城彩苑にある観光ボランティアガイド「くまもとよかとこ案内人の会」の詰所受付に行き、案内をお願いしたところ快くお受けいただきました。二の丸から本丸へのいたる所で石垣が崩落し、その惨状は目を覆うばかりです。ガイドの方から地震の際のお話を伺いながら、少しづつ復興に向かう姿に感銘を受けました。

天守のそばまで行くと、まだ足場に囲まれながらも凛として建つ天守閣がありました。加藤清正公らしい質実剛健さです。まだ中に入ることはできませんが、多くの人が天守をバックに写真を撮っていました。

城彩苑に戻り、復興城主の制度へささやかながら寄付をさせてもらいました。まだまだ時間はかかるでしょうが、いつの日にか再建なった熊本城を再び訪れ、地元の人々と復興を喜び合いたいものだと妻と話しました。
 
人吉城
2019年10月22日
最初に西外曲輪の家老武家屋敷跡に建てられた「人吉城歴史館」という立派な資料館に行き、スタンプを押印するとともに人吉城の歴史を学びました。知りませんでしたが、城主の相良氏は鎌倉時代に地頭として当地に入り、南北朝、戦国時代を生き延び、明治維新まで続いたお家だそうです。とても機転の利くご当主様が続いたのでしょう。それにしても資料館の地下に家老屋敷の井戸があったのには驚きました。何よりの展示物です。

城跡は本丸、二の丸、三の丸を構成する曲輪の石垣が残っており、特に最上部にはね出しと呼ばれる忍び返しのような突出部がある石垣が特徴です。似たような構造は函館の五稜郭でも見た記憶があります。やはり幕末の構築らしいです。

平山城なので登っていくのですが、石段が当時のままで、すべりやすい上、間隔が広く歩くのに苦労しました。これも現存のだいご味か?二の丸からは球磨川や人吉の温泉街が綺麗に見えました。
飫肥城
2019年10月23日
まず飫肥城観光駐車場の案内所で「あゆみちゃんマップ」を購入。地図に町あるき・食べあるきのクーポン券がセットになったものですが、当日は即位礼正殿の儀の関係より各施設は入館無料なので、食べあるきだけのもので良いと案内所の人から言われ、800円也で購入。これで飫肥名物を5店で賞味できます。

飫肥城の方は大手門が再建されており、虎口から本丸までも整備されています。飫肥城歴史資料館でスタンプを押印し、展示を見学しました。伊東氏の時代を中心に薩摩の島津氏と抗争、従属を重ねてきた歴史を学びました。

城址の近くには旧藩校振徳堂、豫章館、小村記念館などが公開されており、短時間でまわれる見どころが多くあります。

そのあとは、おび天、厚焼きたまごなどを食べ歩きながら、地方の古い城下町の街並みを堪能しました。
 
鹿児島城
2019年10月24日
まずは鹿児島城本丸跡にある黎明館に行きスタンプ押印。とても立派な建物の鹿児島県歴史資料館ですが、今年の7月にリニューアルオープンしたとのことで、ジオラマなどが楽しいです。特別展では「戦国島津」の展示が行われていましたが、さすが名門島津家で、藩主の鎧兜など見どころ満載でした。

大手門にあたる御楼門は現在再建中ですが、工事を間近で見ることができる見学ルートが設けられています。完成すればさぞ立派な門になるでしょう。

その後は、維新ふるさと館を見学、城山展望台から雨雲と噴煙に煙る桜島を眺めて、旧藩主別邸の仙厳園に行きました。御殿の中にも入ることができ、和服姿美人のガイドツアー(20分)もあります。昨年の大河ドラマ「西郷どん」の撮影場所なども教えてもらいました。最初は入館料500円は高いと思いましたが、これなら許せるかなと・・・・。

鹿児島で4泊5日の九州城めぐりを終え、鹿児島空港から帰路に。残るは沖縄の3城です。来年には満願達成となるかな?
 
興国寺城
2019年11月29日
JR東海道線原駅で下車、駅に荷物を預けて徒歩で行く計画をしていましたが、コインロッカーが見当たらず、結局タクシーで城址まで行くことになりました。伊勢新九郎、後の北条早雲が城主となり、ここから領土を関東全域に拡大した旗揚げの城として有名だそうです。

本丸跡に建てられた穂見神社の横にある無人のスタンプ台で押印、沼津市教育委員会作成の資料を1部頂戴し、探索開始。北曲輪、本丸、二の丸、三の丸が尾根上に直線的に並ぶ構造なので、短時間で一回りできます。伝天守台の上に立つと駿河湾までが見渡せ東海道につながる根方街道が手に取るように目の前です。若き早雲はここからの景色を眺め何を思ったでしょうか?
石垣山城
2019年11月30日
小田原市内の名所を巡回する「うめまるバス」が週末の運行日だったので小田原駅前から乗車しました。バスには早速ボランティアガイドの方が乗り込み、車窓の説明開始です。石垣山城址に到着する頃にはしっかり事前勉強ができました。

城址入り口からは別のガイドさんにバトンタッチ、7名のグループで散策開始。随所に野面積みの石垣跡が残っており、本格的な曲輪構成だったことが分かりました。展望台からは小田原の市街や相模湾が見渡せましたが、小田原城から思っていたよりも近く、北条勢はさぞかし肝を冷やしたことでしょう。

城址は芝生公園になっており、大勢のハイカーや家族連れで賑わっていました。天気の良い週末に訪問すれば楽しめますが、帰りの道路渋滞は覚悟がいるかも。
諏訪原城
2019年12月1日
JR東海道線金谷駅で下車、荷物を預け(コインロッカーはJRの駅にはなく、隣接の大井川鉄道金谷駅にあるので注意)、地元の人に道を聞きながら、東海道の石畳を再現した坂を経由して、約30分ほどで諏訪原城址に到着。

続百名城に認定されたせいか、最近ビジターセンターが建設され、島田市も力を入れて集客しているようでした。朝10時というのにすでに数十人の城郭ファンらしき人達が散策していました。

武田勝頼と徳川家康が奪いあった戦略拠点ですが、武田流軍学の馬出しが特徴です。大きいものは徳川占領時代のものだそうですが、数十メートルに渡る深い堀は圧巻です。家康がいかに武田の反撃を恐れていたか分かる規模です。

帰りも同じルートで帰りましたが、例の石畳坂は下るときは滑りそうで時間がかかりました。一般道の方が安心かもしれません。
 
高天神城
2019年12月1日
諏訪山城を見学した後、原駅からJR東海道線で掛川駅まで移動。改札口近くのコインロッカーが一杯だったので駅構内の観光案内所で聞くと、500円で預かってくれるとのことで、助かりました。高天神城のスタンプもそこで押印、同城の資料をいただき、行き方を教わりました。

掛川駅前からバスで25分ほど、土方(ひじかた)というバス停で降りて、少し歩くと高天神城追手口の入り口に到着です。高さ132mの鶴翁山の山頂に本丸があるのですが、かなり急峻です。

ここも諏訪山城と同様、武田と徳川の攻防の接点となった城で、信玄が落とせなかった城を勝頼が落城させたものの、長篠の合戦のあと、徳川が奪還するという激戦の行われた地です。曲輪自体は小さなものでしたが、細い尾根道でつながっており、攻める方は大変だったでしょう。
浜松城
2019年12月1日
JR浜松駅からタクシーで移動、天守曲輪のすぐ近くまで行けます。天守台などの石垣は当時のもので、浜名湖北岸で産出した珪岩と言われるさまざまな色をした石を荒々しく野面に積んであります。

天守は昭和33年築の復興天守ですが、予算の関係で少し小ぶりに造ったそうです。天守内でスタンプを押印して顔を上げると、美人のボランティアガイドさんと目が合ったので迷わずガイドをお願いしました。お名前? おっ教えないーーーっと。

展示はやはり徳川家康のことが中心で、三方ヶ原の戦いの古戦場の位置などを含め、詳しく説明していただきました。家康が29〜36歳の壮年期を過ごし、出世城として有名だそうです。

天守の近くには近年木造で天守門が再建されています。中では建築時のビデオなどが見れるようになっており、興味深く拝見しました。
一宮城
2020年4月3日
車で徳島市内を抜けて15分ほどで、一宮城の麓にある大日寺の駐車場に到着。参拝をすませてから登山開始。道は整備されており、20分ほどで山頂の本丸に到着しました。

本丸を囲む高石垣がほぼ残っています。蜂須賀氏が阿波入封後に築かれたものらしいですが、小さいながらも美しい野面積みです。虎口の石段を登ると鮎喰川や徳島市内が遠望できました。
勝瑞城
2020年4月3日
三好氏の本拠である居館跡と城跡のセットですが、皆さん書き込みの通り、遺跡はほとんどありません。城跡は現況お寺の敷地ですが、水堀と土塁の跡でかろうじて城郭であったことが分かる程度です。

居館跡は広大な敷地で、一部が復元されていますが、発掘のあとほとんどが埋め戻されたようです。今後の開発に期待というところでしょうか。

休日にスタンプを置いもらっている武田石油さんに寄り、日ごろ大切に保管していただいていることに感謝を込めて、ガソリンを満タンにして帰りました。
津城
2020年6月7日
隣接する高山神社に車を停め、参拝したのちに社務所でスタンプに押印するとともに津城復元募金箱にささやかながら寄付をしました。高山神社は江戸期に城主だった藤堂高虎をお祀りしているそうです。

城址は公園となっていました。本丸、西の丸などの石垣は藤堂時代に修復されたようですが、直線的な角部や犬走りなど同じ藤堂さん築城の伊賀上野城や今治城などと似た雰囲気でした。

三重隅櫓は昭和の再建ですが、本来無かった破風を意匠するなど本来のものとは違った形になっているようです。
田丸城
2020年6月7日
玉城町役場の駐車場に車を停め、近くの村上龍平記念館でスタンプを押印しました。少しながら田丸城に関する展示もありました。立派な関連パンフレットが数種類置いてありました。事前に目を通しておくと参考になると思います。

城跡の半分は中学校の敷地になっています。織田信雄以降、改修を重ねた曲輪は、本丸、二の丸、北の丸を中心に虎口などの石垣がよく残っています。天守台は扇状の石段と穴蔵が特徴で、珍しいものです。移築の富士見門や復元の奥書院なども見学して、満足の登城となりました。
小牧山城
2020年9月27日
北駐車場に車を停めて、まず「れきしこまき」という最近できた小牧山の歴史資料館に行き、城や織田信長について映像を使った展示で勉強。近年の発掘で、石垣や多くの曲輪を備えた大規模な近代城郭のはしりであったことが理解できました。

大手口からまっすぐ伸びた大手道をしばらく登り、山頂にある小牧市歴史館へ。途中平削した曲輪や空堀の跡が数多く見られ、小牧長久手の合戦時に徳川家康が本陣を敷き、大軍を駐屯させていたことが分かりました。

歴史館の最上階から秀吉が拠点にした犬山城の方角をボタンティアガイドの人から教えてもらったけど、よく見えませんでした。でも家に帰ってデジカメ写真を拡大してみると確かに天守が写っていました。当時の人の視力ではどうだったのでしょう。
大垣城
2020年9月27日
大垣インターから大垣市内中心部まで20分ほど走り、丸の内市営駐車場というところに車を停めました。日曜日で大勢の家族ずれでにぎわう本丸公園を抜けて昭和の復興天守へ。残念ながら旧国宝の天守は空襲で焼失しましたが、外見は復元したとのこと。

行った時は石田三成展を開催しており、関ケ原合戦の前後における西軍の拠点大垣城を中心とした両軍の動きがパネルで詳しく説明されていました。

最上階展望台からは、関ケ原を囲む山々が望見され、美濃平野の西に位置するこの城の重要性が体感できました。
引田城
2020年12月24日
川沿いの第二駐車場に車を駐車しましたが、広いグランドのような駐車場には自分の車1台だけでした。引田の古い町並みを歩いてスタンプ置き場の讃州井筒屋敷に行ったところ、水曜日は定休日。地図が掲示してあったので、もう一つのスタンプ置き場である公民館まで行きました。行き道や城跡の見どころを説明した資料が置いてあったのでいただきました。

引田港側登山口より少し登ると、引田港や引田の街並みが綺麗に見えました。地図を見ながら、本丸、化粧池、東の丸、二の丸と廻りましたが、一部の石垣が残る程度で遺構はほとんどありませんでした。見どころであるはずの北二の丸の石垣は崩落防止のブルーシートで覆われたままで残念でした。

引田の町の店はほとんどが休みだったので、名勝である津田の松原まで足を伸ばし、道の駅でさぬきうどんを食べました。
新宮城
2021年4月2日
熊野川沿いにある平山城。各曲輪を構成する石垣が立派に残っていますが、市民公園とするために一部コンクリートで積みなおしている箇所があったのが残念でした。

この城跡の特色は熊野川河口に面している水の手曲輪と呼ばれる場所が復元保存されていることです。新宮藩は江戸時代の水野氏の時代にここから紀州炭を全国に船で出荷して、財政を立てていたとのことです。松ノ丸から歩道が整備されているので歩いて降りられます。とても珍しいものだと思いました。
赤木城
2021年4月3日
大変山深いところにありました。

新宮市から国道169線を北上していったのですが、ボロナビが新しいトンネルを識別せず、山中の狭路を戻るはめになりました。難儀の末、ようやくスタンプ置き場の紀伊鉱山博物館にたどりつき、スタッフの方から赤木城への行き方を詳しく教わりました。

豊臣時代に藤堂高虎が一揆制圧のため築城したとのことで、築城名人の縄張りらしくコンパクトながらも虎口と曲輪が複雑に入り組んでいます。下の里から見える位置に石垣が高く積まれているとの説明があり、防衛より威圧に重点を置いたようです。

高虎も私同様、こんなところまで何度も遠征はかなわんと思ったのではないでしょうか?
備中高松城
2021年7月27日
秀吉の水攻めで有名な備中高松城ですが、現在は歴史公園として整備されています。

訪問したときはちょうど梅雨明けの蓮の花のシーズンでした。ここの池の蓮は近年植えたものでははなく、旧本丸と二の丸の間に蓮池という地名が残されていたことから、400年の時を超えて自生してきたのもののようです。この地で開城ののち自刃した城主の清水宗治公を忍んで、地元では宗治蓮と呼んで親しんでいるそうです。

お昼は備中高松駅近くにある「うどん おおもり」で名物の肉うどんを食べました。うまい、早い、安い、ボリュームたっぷり、でした。
米子城
2021年7月28日
山陰歴史館でスタンプ押印後、そこで教えてもらった三の丸駐車場に車をとめて大手口から登城開始。15分ほどで天守台に到達しますが、途中は高石垣が続き飽きませんでした。

天守台からは360度のパノラマで、日本海、中海、米子市内、大山が見渡せました。天気が良くて幸運でした。

五重の天守があったそうで、何段もの高石垣の上にそびえる姿は海上から見ると荘厳だったでしょう。
若桜鬼ケ城
2021年9月24日
まず、JR若桜駅の前にある観光案内所でスタンプを押して、係の人から地図をもらい行き方を教わりました。そうこうしているうちに昼時になったのでレトロ感あふれる観光駅舎にあるカフェで名物のハンバーガー(500円)で腹ごしらえ。

車で馬場と呼ばれる曲輪の手前まで10分ほど登りました。二の丸、本丸、三の丸と廻りましたが、江戸時代に破城されたようで、崩れた石垣で曲輪は石庭のようになっていました。

唯一原型をとどめる六角石垣まで登山道を下りましたが、足元が滑り怖かったです。年齢と共に山城は厳しくなるなあ。
苗木城
2021年11月5日
苗木遠山歴史資料館に駐車、スタンプを押してから歩いて苗木城へ。

山城人気一位とのことで、巨石の上に組んだ石垣や天守展望台の木組みは迫力満点でした。木曽川の清流や色付き始めた近くの山々も美しかったです。馬洗岩や大矢倉などの見どころも多く、朝から大勢の観光客でにぎわっていました。
美濃金山城
2021年11月5日
可児市観光交流館でスタンプを押印して、城への行き方を教えていただきました。隣接する可児市戦国山城ミュージアムも見学して、この城が森蘭丸で有名な森氏の居城であったことなどの知識を入れました。

蘭丸ふるさとの森公園で蘭丸産湯の井戸を見て、登山開始。出丸、三の丸、南腰曲輪と急な坂が続き息が切れました。本丸には枡形虎口などの遺構がありましたが、かなり破城が進んでいる印象でした。
郡上八幡城
2021年11月6日
ギシギシ、ギシギシ。

昭和8年建造の模擬天守ですが、木造なので歩くと床の軋む音が歴史を感じさせます。

外見はとても美しく、高い千鳥破風などどこかで見たことがあるなあ、と思っていたらやはり大垣城天守(当時は現存)を参考に四層五階で再建したとのことでした。(本来は三重)郡上八幡の町はとても風情のある城下町です。
首里城
2021年12月7日
ゆいレール首里駅より徒歩15分ほどで守礼門近くの首里杜館というビジターセンターで押印。復興募金箱に些少ながら寄付しました。

16時からちょうどガイドツアーがあるというので参加。琉球の衣装に身をつつんだ女性の案内で守礼門から広福門、首里森御嶽、泰神門、正殿遺構、東のアザナを廻りながら、首里城の歴史について説明を受けました。

2019年の火災の生々しい話も伺いながら、復興展示など今しか見れない光景を心にとどめて復興後の再訪を期しました。
勝連城
2021年12月8日
最近できたばかりの歴史文化施設あまわりパークは残念ながら作業のため休館日でした。

勝連城跡入り口受付でスタンプを押印して資料パンフレットをいただいて登城開始。城跡はやや小ぶりですが、坂が急なので重なり合った石垣を下から見上げると迫力がありました。

最上部の一の郭に登ると午前中に行った中城城のガイドさんから説明された位置関係が良く分かりました。
中城城
2021年12月9日
入場券売り場のところでボランティアガイドの方より声をかけていただき、お願いすることにしました。カートで一番高いところにある南の郭まで連れていってもらい、正門から見事な石垣の続く城跡を案内してもらいました。

門のところでは14世紀に作られた鉄砲狭間との説明に耳を疑いましたが、中国から伝来した火矢(ヒヤー)と呼ばれる火器を使っていたということでした。

それぞれの郭はとても大きく、石灰石を高く積んだ城壁で守られています。郭の中の建物を海からの強風から防ぐためでもあったようです。美しい曲線を描く城壁の上に立つと、太平洋が青く見渡せ、絶景でした。
今帰仁城
2021年12月9日
グスク交流センターでスタンプを押すと、隣にボランティアガイドデスクがあり、ベテランの男性ガイドさんが待機されていたのでここでも案内をお願いしました。

外郭の長く曲線を描く城壁が立派なのですが、朝は逆光になり残念。中城城と同じ位の広さで200から300人くらいで守っていたようです。沖縄の城が大きくて美しいのは、防衛や権威の象徴としての目的だけではなく、城が宗教的な祈りの場であったからとの説明に納得しました。

本土の城郭の知識だけでは分からないことも多く、ガイドをお願いして良かったと思いました。

いよいよ、あと1城。
 
座喜味城
2021年12月10日
住宅街を抜ける進入路は分かりにくいですが、一番高いところにお城はあるので上へ、上へと登るといいと思います。

ユンタンミュージアムという立派な展示施設でスタンプ押印して、座喜味城の歴史を勉強。

城跡は国指定史跡公園として十分整備されており、美しく積み直した石垣や張りつめられた芝生が印象的でした。太平洋戦争中は日本軍の高射砲陣地やその後は米軍のレーダー基地となっていたようですが、今は静かに14世紀に護佐丸による築城からの歴史の証人としてこの地にたたずんでいました。
大阪城
2022年1月16日
最後に残しておいた地元の大阪城で100名城登城達成! 8年と3カ月かかりました。

北は北海道から南は沖縄まで、22回の遠征で、日本各地の風土、歴史、人々、食べ物に接することができました。これまでお世話になった地元の人々、このサイトの管理者さん、および書き込みの先輩のかたがたにお礼申し上げます。

続100名城も近隣から始めていますが、体力的に達成は難しいでしょう。スケッチを楽しみながらぼちぼち続けることにします。
古宮城
2022年4月7日
名神高速豊川ICから国道301号線を通りスタンプ置き場の作手歴史民俗資料館に到着。受付で古宮城跡案内図をいただきました。現地は山林で、この案内図には主郭部や各曲輪と横堀の位置が明示されているのでとても役立ちました。

武田信玄が馬場信春に命じて築城させた平山城で、徳川方との接点にあったようです。見どころは何重にも重なる横堀で、土塁の上を歩くことができます。

近くにある徳川方の亀山城にも寄りましたが、こちらの方は歩道や案内板などの整備が進んでいました。セットで訪れると楽しいかも。
吉田城
2022年4月7日
豊橋市の中心部にある吉田城は、酒井忠次や池田輝政が城主になり、その後徳川氏歴代の大名が続いて明治まで東海道の抑えとして続きました。

昭和29年に再建された鉄櫓内が資料館となっていました。豊川の対岸から眺めた風景が絵になります。
河後森城
2022年4月11日
JR松森駅の案内所でパンフレットをもらい、城への行き方を教えてもらいました。車で10分ほどで登城口の駐車場に到着。他の登城者はいないようでしたが、城跡保全のため地元工務店の人が作業をされていました。

山頂の本郭に西二から十曲輪、東二から四曲輪がU字形の尾根沿いに連なっています。西十曲輪に復元された掘立柱建物に置いてあるスタンプを押印した後、段状に並んだ曲輪を本郭に向かって順に登っていきました。最上部の本郭には城主の居館が床面で表示されており、小学生の作った説明板をほほえましく読みました。

駅に戻ったあと、駅舎内にある本格的な温浴施設(利用料520円)に入り、露天風呂から本郭をいただく峰を見上げるという他ではできない経験をしました。
三原城
2022年6月8日
新幹線駅と城跡が一体となっていると聞いていましたが、ここまでかぶさっているとは思いませんでした。つまり、本丸の上にホームがあるということでした。

小早川隆景が天正10年に整備を進めたとののことで、織田との決戦に備えて城下を強化したのでしょう。今は市街化が進み、本丸堀の周囲を回っても15分程度でした。

三原市歴史民俗資料館まで歩いていって、昭和の香りのする手作り資料展示で小早川家と三原の歴史を勉強しました。
新高山城
2022年6月8日
三原城から車で30分ほどで移動。本郷生涯学習センターという立派な施設でスタンプ押印して資料をいただきました。小早川隆景が三原城に移る前の居城だそうです。

城山は麓から見上げるととてつもなく急峻な岩山でしたが、途中で無理なら引き返すことにして登山開始。道は結構整備されていて30分ほどで中の丸到着。あとは尾根沿いに曲輪が並んでおり、15分くらいかけて本丸まで探索しました。

本丸には石仏が何体も建てられており、独特の雰囲気でした。下山後、高山と新高山のトンネル間を走り抜ける山陽新幹線を見てビックリ。三原城といい、小早川隆景は「ワシの城に何をしてくれるんじゃけー。」と思っているのでは?
能島城
2022年6月9日
村上海賊ミュージアムでスタンプを押して展示を見学した後、当日は能島上陸ツアーの催行日ではなかったので、潮流体験コースに乗船することにしました。

船は能島のすぐ近くまで接近、潮流に乗ったところでエンジンを切るなど大迫力の体験でした。この複雑な潮の流れと海底に無数にある岩礁を熟知していないと島に近づくことは不可能だと思いました。あらためて村上水軍の知恵と操船技術に感心。

2名からで出航なので天気の良い日ならお試しされればどうでしょう。
増山城
2022年10月20日
富山駅からレンタカーで砺波市埋蔵文化財センターをまず訪問、スタンプを押印、展示資料を拝見した上で、受付の方に城跡への道順を教えていただきました。

増山城は南北朝時代の桃山氏から、上杉、織田、佐々、前田、中川氏のものになり、江戸時代に廃城となった山城です。増山陣屋に車を置いて登山開始。1時間くらいかけて二の丸などの主要曲輪を見て廻りました。堀切と曲輪の跡くらいしか残っていませんでしたが、歩行路はよく整備されており歩きやすかったです。

昼になったので近くの増山城蔵蕃そばという古民家を改装した蕎麦屋さんでざる天ぷら定食を食べましたが、ボリューム満点で夜になってもお腹が空きませんでした。
富山城
2022年10月20日
富山城址公園内で郷土博物館となっていました。昭和20年代の天守再建ブームのはしりとなった復興天守ですが、黒塗りの瓦と白壁が美しくて絵になります。

内部の展示は最近になって富山城の歴史展示中心に改装されたらしく、加賀前田家の分家の10万石の居城として越中の中心となった歴史が詳しく説明されていました。
品川台場
2022年11月7日
第三台場だけが公園として公開されていますが、幕末のペリー来航におびえた幕府が大急ぎで建設した砲台跡の一つです。

東京湾の入り口に一列に並ぶその様は外国船には脅威に映ったかもしれませんが、一度も使われなかったそうです。

レインボーブリッジや湾岸沿いのビル群はきれいに見えましたが、遺跡はあまり残っておらず、砲台のモニュメントがわずかにその歴史を伝える都民憩いの公園といったところでした。
小机城
2022年11月8日
JR横浜線小机駅で降りて、近くの地域センターでスタンプ押印と資料を入手。そこから住宅街を10分ほど歩くと小机城址市民の森に到着。小高い山が竹林に覆われていました。

中に入っていくと、空堀と土塁に守られた曲輪の跡が続いている典型的な中世の山城でした。長尾景春の乱や北条氏の関東支配の舞台となったところのようです。今は散策路が整備され、歩きやすかったです。
滝山城
2022年11月8日
小机城からJR横浜線で移動、八王子駅からはバスに乗り換えて20分ほどで「滝山城址下」というバス停で下車しました。そこからすぐに城址公園の入り口でした。

小机城と同じ関東の平山城ですが、小田原北条氏の主要支城というだけあってさすがに広いです。ここも公園になっているので歩きややすく、中之丸の建物でスタンプを押した後は、木橋(再現)などを見学しながら、主要部部分を散策して周りました。

最後の城主であった北条氏照は、ここで武田の騎馬隊にさんざん蹂躙されたので山城の八王子城に移ったとの説明が八王子城のガイダンスにあったのを思い出しました。
岡豊城
2023年4月12日
まず高知県立歴史民俗資料館という岡豊城の曲輪沿いの山にあるとても立派な施設でスタンプの押印と展示を見学。長曾我部元親、盛親、二代の間の盛衰を学びました。

資料館の入り口にあるイケメンぶりが半端ない元親の像の後ろが城跡の入り口になっています。曲輪は小さなものでしたが、詰(本丸)からの展望は良かったです。ここにいたころの元親は自分の代に四国をほぼ制圧し、死後、息子の盛親が関ケ原、大坂の陣の負け戦で滅亡することなど考えもしなかったでしょう。
高島城
2023年6月14日
こじんまりとした本丸内は公園になっています。周りはぐるりと水堀と石垣に囲まれ、隅櫓風に天守が再建されています。絵になるお城です。
龍岡城
2023年6月15日
高島城から霧のビーナスライン山越え。のどかな山里の町の中にありました。

五稜郭であいの館でスタンプ押印して、手造り資料で城のことを学びました。龍岡城五稜郭はすぐ隣です。函館のものよりは小ぶりで一部未完成のところもありましたが、堀の石垣はしっかりと積まれており形状がよく分かります。

今年の3月までは小学校が本丸内にありましたが、併合により廃校になったとのこと。唯一現存のお台所を中心に散策しました。
新府城
2023年6月15日
天候急変により小雨の中、傘を差しながら平山城を登るという最悪のコンディションとなりました。

山頂の本丸にある武田八幡宮にまで一直線に登る石段があったので、意を決して登ることにしました。何度も休憩しながらも息が切れました。

武田勝頼が急いで作った城の割には、本格的な縄張りで、二?三の丸や、丸馬出しなどがあるようですが、雨の中、帰りの石段を考えると本丸だけしか見る体力は残っていませんでした。
要害山城
2023年6月15日
甲府駅近くの藤村記念館でスタンプを押印して、親切な館員さんに要害山への行き方を教えていただきました。武田氏館の詰め城ということでそのすぐ裏にでもあるのかなあ、と勝手に思い込んでいましたが、車で結構走りました。

到着時は雨で、濃い霧が立ち込めていたので本丸までの登城は諦め、登山口にある説明版を眺めたり、写真を撮って引き上げました。
浜田城
2023年10月5日
城のある亀山麓の資料館は残念ながら展示替えのため休館。気を取り直して中腹にある浜田護国神社に向かい登山開始しました。社務所でスタンプ押印しました。

そこから各曲輪を目指して石段を登っていきましたが、石垣がしっかり積まれた升形虎口などもあり、見ごたえがありました。本丸に近づくと、波が岩をたたく音が聞こえてきました。岸壁の白波と晴天の青、山の緑が美しく調和した景色を一望でき、バスを乗り継いで来た甲斐がありました。
大内氏館・高嶺城
2023年10月6日
大路ロビーという案内施設でスタンプを押し、近隣の見どころなどを教えていただきました。

大内氏館こと龍福寺はお寺そのもので、大内氏時代の建物はありませんでしたが、四方を囲む土塁や、西門、池楽庭園がきれいに再現されていました。瑠璃光寺や十朋亭維新館などもレンタル自転車で廻りましたが、幕末の長州藩志士の活動拠点は萩ではなくて、このあたりであったことが理解できました。
菅谷館
2023年11月14日
JR高崎線熊谷駅からレンタカーを借りて出発。ナビの住所検索に嵐山町を「あらしやまちょう」で検索したが出てこず困りましたが、「らんざんちょう」であることが分かり、地方によって色々な呼び方があることを実感しました。

埼玉県立嵐山史跡の博物館でスタンプを押し、ドアを開けるとすぐ菅谷館の二ノ郭に出れました。鎌倉殿の13人で有名になった畠山重忠の居館として伝えられているところですが、公園として整備されており、訪れている人も多かったです。土塁などを見学しながらそれぞれの廓を回りました。
杉山城
2023年11月14日
ここは戦国時代に山内上杉氏家臣の杉山氏の築城とのことですが、民間所有地を公開し、ボランティアの人たちが整備されているようで、切岸や虎口の土塁がきれいに残っており感心しました。

以前、NHKの番組で山城の教科書と紹介されていましたが、正にその通りで、小規模ながら完璧な防御の縄張りと思いました。
忍城
2023年11月15日
忍城に隣接する行田市郷土博物館でスタンプを押して館内展示を見学。忍城と言えば、映画のぼうの城で有名な秀吉小田原攻めの時の囲城戦が有名ですが、江戸時代も譜代大名の城下町として栄えたようです。

庭園として整備された三重櫓の周りを散策しましたが、池に菊の生花を浮かべて飾るイベントをやっており、若い女性らが写真を撮っておられました。やはり伝統のある城下町はやることに品があるなあ、と感心しました。

その足で行田市内にあるさきたま古墳を見学、攻城戦の時に石田三成が陣を構えたといわれる古墳の上から忍城付近をながめ、当時を忍びました。
唐沢山城
2023年11月15日
唐沢山城は古くから存在していたようですが、佐野氏が長く治め、北条氏、上杉氏などにたびたび攻められるも守り抜いたという山城です。

本丸は今は神社となっていますが、関東にはめずらしい高石垣が残っているのが特徴でした。
沼田城
2023年11月15日
上州真田三城めぐり。以前ブラタモリで沼田市街は河岸段丘の上にあると放送されていましたが、結構な段差がありました。

沼田城は現在は公園となっており、遺跡に大きなものはありませんでしたが、鐘楼が再建されており、いまでも時を告げているとのことでした。
名胡桃城
2023年11月16日
城跡は小さいながらも梯式に曲輪が連なる典型的は戦国の山城でした。真田の縄張りらしく、丸馬出など武田軍学の特徴が随所に見れました。

ボランティアの方々などによる手入れも行き届いており、堀切を渡る木橋の再現などもうれしかったです。小説やドラマの舞台になった城址に立てて感慨深いものがありました。