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メンバー情報

ID3990
名前けん
コメントすべての城に登城するという目的が達成できるのかどうか、その目的を達するのがいつになるのか、何やら心許ない気もします。ただ、その土地の雰囲気や折々の季節感、美味しい食べ物なども楽しみながら、自分のペースで、ゆるゆると塗りつぶしていければと思っています。
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
松代城
2013年2月17日
池波正太郎「真田太平記」が終盤に差し掛かった頃に登城。折しも雪解けの頃で、城の中もぬかるむ場所があちこちに。

前身の海津城は、川中島の戦いで武田側の要となった場所。平城ながら、三方を山に囲まれ前方には千曲川を有する城郭としての高い守備能力は、現地を訪れてみると一目瞭然。善光寺平からさらに戸隠方面まで一望できる景観は、信州の城であることを実感させてくれる。

周辺には、真田宝物館をはじめ、松代藩や佐久間象山ゆかりの旧跡が点在。駐車場も用意されているので車で移動しながらの観光も可。異色なのは松代象山地下壕、併せて必見。
上田城
2013年2月21日
この一年の間、仕事で上田に行く機会が多かったのだが、いわゆる「登城」は2月になってからのこと。

映画「サマーウォーズ」でも馴染みの東虎口櫓門を抜けると真田神社。神社に向かって左手は千曲川による急峻な段丘構造で、そこから今では遊歩道となっている堀が巡らされている。それにしても上田には六文銭や真田氏にちなんだものがいっぱいで、真田三代への愛着を感じさせる素敵な街。この街を訪れるならば、真田太平記館、その作者である池波正太郎が愛した蕎麦屋「刀屋」、さらには「真田太平記」によく登場する別所温泉にも併せて立ち寄りたい。写真は残暑厳しい8月下旬に撮影したもの。
小諸城
2013年2月28日
上田での仕事が終わったのちに急行、草笛本店前に駐車して登城。

さっそく500円を払って入園。時刻は夕暮れ、終日暖かな一日であったため、城内あちこちでぬかるむ状況。一方で、いたるところに雪が残り、懐古神社の噴水も凍結。それでも傾く夕日に、藤村が詩にした古城の風情を感じることができた。懐古神社に参拝、三の門を経て、しなの鉄道小諸駅脇の自由通路を抜け大手門も確認。
松本城
2013年3月6日
訪問者来訪に合わせて、国宝に登城。

いつも外から眺めているばかりの城も、小天守や月見櫓が一体となっているからか、中に入ってみると意外に広いとの印象。春らしい陽気の中、近くは開智学校、遠くは北アルプスの山々が美しく見える。平城として、外敵に対する備えが特に気になる造りではあるが、北アルプスを背景にした姿の美しさは秀逸。写真は敢えて小天守、月見櫓も見える構図で掲載。
武田氏館
2013年3月14日
JR甲府駅を降りて武田通りを直進、山梨大学を抜けると武田氏館跡に建つ武田神社。道すがら、現在の地図に古地図を重ね、武田二十四将の居館の位置を示したものを楽しむことができる。天守など典型的な城郭構造を持たない館とはいいつつも、要害山を背に甲府の街を望む場所に堀を配した立地。

スタンプのある宝物殿では、武田氏にまつわる書状や甲冑、刀剣、武田二十四将図などを見ることができるが、登城時には「孫子の軍旗」も展示。大正期に追贈された官位記なども興味深い。とはいえ、宝物館前の「キティちゃん」は興醒め。

大手門を抜け復元された土塁石塁を見て、水琴窟の奏でる音色に時を忘れ、武田三代の夢に思いを馳せる登城となった。
甲府城
2013年3月14日
武田氏館を後にして、途中でほうとうを食べて登城。

中央線の車窓からはこの城の一部をいつも見ていながら、正直なところ、甲府と言えば武田信玄公の居城・躑躅が崎館しか頭になかった。今回、登城して初めて、この城の歴史的・戦略的意義の大きさを知る。すなわち、信玄公の築いた遺産を継承しつつ、豊臣にとっては徳川を牽制し、徳川にとっては江戸の防衛線の一つであるということ。

訪れてみると、城郭の規模の大きさにも目を見張る。
城郭建築が保存されている舞鶴城公園はもとより、そもそもJR甲府駅は城内の一角を占め、山梨県庁などにも及ぶ本格的なもの。曇天のため、天守台跡から富士山を望むことは叶わなかったが、満開の紅梅・白梅、早咲きのコヒガンザクラを楽しむことができた。丁寧に解説をいただいた「甲府城御案内仕隊」の方に、この場をお借りして感謝。
高遠城
2013年3月21日
諸般の事情で、桜の時期より早いこの時期に登城。

「真田太平記」の書き出しは、まさに春の高遠城から始まるが、この城に登るのは、やはり桜の時期がよい。城内はタカトオコヒガンザクラで満ちていて、桜雲橋などは桜の時期、本当に絵になるだろう。とはいえ、織田信忠が仁科五郎盛信を攻めた戦の激しさに思いを馳せることができるのは、桜花のない時期だからこそとも。城跡から望む中央アルプス、南アルプスの山なみは、本当に素晴らしい。
大阪城
2013年3月26日
甲子園での選抜観戦に合わせて登城。
桜花は既に満開の時期を過ぎていたが、春らしい登城となった。

これまで見てきた城との比較において、そのスケールの違いに驚嘆。一代でこの城を造り上げるまでに至った豊臣秀吉公の業績の凄まじさを感じたし、この城を落とさねば自らの天下はないとして大坂の陣に勝負を賭けた徳川家康公の決意にも凄みを感じた。

スタンプを押してもらうためには、有料の天守閣への入場が必要だが、展示室に陳列されている展示品を見るだけでも十分に価値あり。また、石垣の壮大さ、石垣を構成する巨石にも驚く。
小田原城
2013年5月12日
息子が所属するサッカーチームの大会終了後、息子とともに登城。

丘陵地に築城された難攻不落の城のイメージがピッタリ、城下町を含めかなり広範に及ぶ総構えも壮観。すぐ近くに敷設されている東海道からも、旅人たちはその威容を仰ぎ見ることができたことだろう。

1枚目の写真は本丸の正門・常盤木門。常盤木とは常緑樹を意味し、門の傍の松になぞらえて命名されたのだとか。2枚目は本丸から仰ぎ見た天守閣、3枚目は小田原駅前の北条早雲公の像。
駿府城
2014年10月9日
出張にて浜松から静岡、昼食をとりながらの移動にならざるを得なかったため、新幹線を利用。逆に、静岡で少し時間に余裕ができたため、1時間に満たない空き時間を利用して駿府城に登城。

東御門から駿府城公園内へ、巽櫓を観覧、本丸跡、天守台跡を経て清水御門へ抜けて、再度周辺を散策という順路。オーソドックスな輪郭式の縄張、白と薄い灰色を基調とした塀や石垣は、いかにも質実剛健。将軍というより武将としての家康公の精神世界を体現したものとも言えるのではないだろうか。写真は東御門、本丸跡碑と家康公、発掘・復元された内堀。

かつての東海道府中宿の賑わいそのままの静岡市内、県や市の中枢を担う機能が今もこの城の周辺にあることを思えば、今日においても、この城の果たす役割・影響の大きさを感じざるを得ない。
熊本城
2014年11月1日
同窓会のため帰郷、母を誘って熊本城及び人吉城登城の旅へ。

これまで幾たびも登城してきた馴染みの城、中学時代には写生大会の舞台でもあったが、改めて眺めてみると自分の中のイメージはこの城が原点。

写真はそれぞれ、備前掘から見た飯田丸、大天守と小天守(この写真のみ2013年1月14日撮影)、同窓会に向かう途中に見上げた不開門付近・夜景。
人吉城
2014年11月1日
熊本城登城から鹿児島本線、肥薩線と乗り継ぎ、人吉の地へ。駅から歩くこと十数分で人吉城登城。

球磨川とその支流・胸川に挟まれ、後背を山とした縄張りは見事としか言いようがない。平安・鎌倉期から相良氏の安定した治世の下で、独自の発展を遂げてきた街の歴史をそのまま表現した雅さえ感じさせる城。堀ではなく川に囲まれる城の魅力も秀逸。

写真は、胸川に面する多門櫓・長塀と大手橋、はね出し工法を用いた「武者返し」、球磨川に架かる水の手橋から見た水ノ手門跡。写真を見ても、人吉城は川があっての城だと再認識。
山中城
2014年12月29日
旧東海道を歩く旅、箱根湯本から三島宿に向かう途中での登城。

登城前は正直あまり期待していなかったのだが、登城してみてこの城が百名城に挙げられたことが理解できた気がした。戦乱の世が天下統一に向けて動き始めた時間の流れの中で、そこに至るまでの築城技術が芸術的に完成された場と言えるだろう。結果として、北条氏の完成度の高い築城技術は、小田原攻めという時代の流れを止めることはできなかったが、往時の思いと技を後世に伝えることができたと言えるだろう。

写真は、旧東海道間の宿・山中宿に面した諏訪・駒形神社、西の丸跡から見た障子掘、西の丸物見台から望む富士山と愛鷹山。
八王子城
2015年3月28日
高尾駅を通過することしばしば、そのうちに登城しようと思いつつも果たせなかった八王子城についに登城。本格的な春が近付きつつある3月下旬の晴れの午後、他方で腰痛明けで若干の不安も。

高尾駅からガイダンス施設近くまでバス利用、施設で入手した地図を片手に、まずは古道経由で居住地区からアプローチを試みるも、残念ながら曳橋は工事中。「御主殿の滝」を経由して居住地区の遺構を堪能。

軽登山の様相を見せた要害地区、服装も心の準備も十分でなく息も上がったが、春の陽射しと花の香に誘われて本丸跡まで到達。築く側、攻める側のいずれの苦労にも想いを巡らせつつ春の山城を堪能。次は梅の季節に再訪し、詰城にも足を伸ばしたい。写真は、工事中の曳橋、当時の石組みも残る虎口と本丸跡。
箕輪城
2015年4月4日
前回登城した八王子城に、春の山城の魅力を感じていたところ、急に空いた時間ができたので新幹線・バスと乗り継いで登城。前回の八王子城途上の時と異なり、花散らし雨がそぼ降る、少し肌寒い午後。

旧箕郷町役場にてスタンプをいただいて、かつての城下を散策して、桜花で彩られた観音様口から登城開始。まもなく目の当たりにした大堀切は、とても人の手によるものと思えない壮大さ。土塁や野面積みの石垣も往時を偲ばせるエネルギーが宿るよう。既に梅花の頃は過ぎていたけれど、桜や椿、コブシの花も素敵な場所。旧箕郷町の田町、伝馬町という地名は、井伊直政公による移転に伴い、今も高崎市の中心街にその名を残す。栄枯盛衰はあるが、時間を越えたつながりのようなものを感じる。

写真は、椿花を添えた蓑輪城本丸跡の石碑、雨に濡れる桜花に彩られた御前曲輪、虎韜門から登ってきて振り返った大堀切、ここも梅の季節に再訪したい城。
足利氏館
2015年4月18日
通勤中に読んだ吉川英治「私本太平記」に触発され、春らしい一日、金山城跡と併せて登城。

山門と堀を見た瞬間、太平記の時代にタイムスリップしてしまった感覚。鎌倉時代の禅宗様建築の本堂は、2013(平成25)年8月に国宝指定。いわゆる天守や石垣のある城、土塁や堀切から構成される山城とは違う、以前登城した城で言えば武田氏館(躑躅ヶ崎館)のイメージに近い。桜の時期を過ぎ、緑萌える時期の登城となったが、鐘楼近くの桜や、多宝塔脇のイチョウが映える季節がお勧めなのかも。

足利駅から館に向かう途中に立ち寄った足利学校でも、市内散策後、金山城跡への移動の道すがら渡った渡良瀬橋でも感じたのは、ゆるやかで落ち着いた時の流れ。

写真は、それぞれ鑁阿寺の山門、クスノキと枝垂桜に両脇を固められて建つ本堂、参道に建つ足利尊氏公像とハナミズキ。
金山城
2015年4月18日
足利氏館(鑁阿寺)に続いて登城。足利市駅から東武伊勢崎線利用で太田駅に到着するも、史跡金山城跡ガイダンス施設の閉館時間が迫っていたことと時間と体力節約のため、太田駅前からタクシーを利用。

西矢倉台方面から登城、馬場の脇を抜け月ノ池、大手虎口を経由して南曲輪に達すると太田市街を一望。日ノ池を左に見ながら御台所曲輪をさらに進むと実城(本丸)跡、そこには新田義貞公を祀る新田氏ゆかりの新田神社が鎮座。実城北側の神社裏手に残る石垣に往時を偲び、その後、物見台まで戻って再び太田の街を遠望。

山城であることを改めて感じながら金山を降りていくと、駅前には新田義貞公の像。今回登城できなかった反町館をはじめ新田荘遺跡には、改めて訪問の機会を持ちたい。

写真は、大手虎口と実城鎮座の新田神社、日ノ池越しに望む南曲輪。
鉢形城
2015年4月25日
春の山城の魅力に見せられて、最寄り駅・寄居駅から徒歩で登城。

駅からハナミズキの咲く街中を散策、荒川に架かる正喜橋を渡ると、そこは鉢形城曲輪跡。折りしも「寄居北條まつり」の紅白の幟がはためく。土塁沿いに上っていくと新緑の中に薄紅のツツジの咲く本丸址、さらに進むと樹齢150年を超えるというエドヒガンの巨木(町天然記念物)。荒川とともに、この城の天然の堀の役割を果たす深沢川を超え、再び土塁に沿って歩くと歴史館入口へと到達。

泉水坂、八高線踏切を超えて大手の位置に鎮座する諏訪神社に参拝、大手虎口の門を抜け改めて荒川を見下ろす眺めを堪能。三の曲輪、二の曲輪を経て搦手橋、長久院跡を巡った後、県指定の名勝・玉淀から改めて鉢形城の眺めを満喫。降り注ぐ春の陽射し、木々の新緑、鳥のさえずりにしばし時を忘れる。

写真は、本丸址近くの武者小路実篤が揮毫した田山花袋の漢詩碑、大手虎口の四脚門、玉淀の眺め。
掛川城
2015年4月28日
旧東海道島田宿から掛川宿への旅のゴールとして登城。久々に天守を備えた城郭。

街道沿いに建つ大手門から、逆川沿いに歩いて一路天守を目指す。安政の大地震により天守閣など大半が損壊した後、一帯は公園として利用されてきたそうだが、本丸広場には春の花が香る。空に泳ぐ鯉幟を仰ぎ見ながら天守最上階に上ると、そこからは掛川の街を一望。天守を後にして、二の丸に建つ掛川城御殿(国指定重要文化財)を巡り、そのまま掛川駅から新幹線で帰路に就く。

写真は、境川沿いに建つ大手門、御殿正面付近から見た天守、天守から望む掛川の街。
川越城
2015年4月29日
家族の予定が合ったため、小江戸・川越の観光を兼ね、初めて家族揃って登城。

東武東上線川越市駅下車、大正浪漫夢通り、蔵造りの町並みを経由して、川越城中ノ門堀跡、本丸御殿、富士見櫓跡の順路。二の丸跡に川越市立博物館・美術館が、三の丸跡に埼玉県立川越高等学校が建つなど、かつての曲輪を伺い知ることができないことに加え、象徴たる天守を持たず、また山城のような自然を利用する術も持たない平城は、正直なところ少し寂しい。とはいえ、江戸時代の本丸御殿の遺構を今日に留める貴重な城郭遺跡であり、家族で楽しく観覧。帰路には三芳野神社、喜多院、熊野神社にも参拝。

写真は、西大手門側から本丸方向への敵の進入を阻むため中ノ門堀跡、埼玉県指定有形文化財の本丸御殿、その南側に位置する富士見櫓跡であることを示す石碑。
白河小峰城
2015年5月3日
GWの家族旅行を兼ねて福島県の三つの百名城に登城。連休ならではの渋滞を抜けて、初日にまず訪れたのは白河小峰城。

2011年3月11日に発生した東日本大震災により、数箇所の石垣・曲輪が崩壊、または積み重ねがゆるむ被害が出ており、今年4月19日まで入城を見合わせる事態が続いていた。桜御門跡など現在も入城が制限されている場所も残っているほか、現在も修復が継続中。二の丸から清水門跡を経由して本丸へ、三重櫓は多くの人が並んでいたため登ることができなかったが、素晴らしい天気の中、復興に向けた多大な努力に敬意を表する登城となった。

写真は、堅固な石垣の城・小峰城に相応しい二の丸からの眺め、前御門と三重櫓、今もなお続く石垣の修復作業。
二本松城
2015年5月3日
白河小峰城から東北道をさらに北上して、二本松城に登城。別名霞ヶ城とも。

城の前には、戊辰戦争に出陣した12歳から17歳の少年兵部隊「二本松少年隊」の顕彰碑。同じ年頃の子供を持つ親としていきなり心を揺さぶられる。箕輪門から入って三の丸、洗心亭、搦手門を経由して本丸で二本松の町並や安達太良山を展望。平山城で家族で登城するにはハイキング気分、春の花が咲き、緑萌える時期に訪れることができて気分転換もなった。

写真は、霞ヶ城の威容を象徴する箕輪門、前身は城内に建立された茶亭のうちの一棟「墨絵の御茶屋」とされる洗心邸、穴太積みによる本丸下南面大石垣と本丸石垣。
会津若松城
2015年5月4日
GWの家族旅行、二日目の登城は若松城、別名鶴ヶ城。

生憎の曇天の中、連休ということもあって登城者多数。妻の墓参を兼ねての登城であり時間的な制約もあったため、城内を時間をかけて散策することはできなかったが、天守への登城のほか、鶴ヶ城稲荷神社にも参拝。曇天ながらおよそ半世紀ぶりに葺き替えられたという赤瓦が映えていたのが印象的。墓参からさらに飯盛山へと向かったが、二本松城とともに、戊辰戦争の悲哀を感じる百名城めぐりとなった。

写真は、鶴ケ城会館付近から撮影した北出丸の石垣と堀、天守から見た走長屋、鉄門そして干飯櫓、本丸から仰ぎ見た天守。
岡崎城
2015年7月11日
旧東海道徒歩旅の一環で登城。岡崎二十七曲に苦戦しながら、龍城橋先から二の丸へ。既に16時半近くであったため「三河武士のやかた家康館」には立ち寄らず、二の丸に設置された幾つかの家康公の像を確認した後に天守を目指した。

天守では岡崎の街を一望、その後、龍城神社に参拝、御朱印をいただく。時間の制約もあって坂谷曲輪から「東照公産湯の井戸」へ、再度二の丸を抜けて大手門というルートで散策。

写真は、徳川家康公生誕の城だが、敢えて「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と詠われた本多平八郎忠勝の像、本丸から見た岡崎城天守と龍城神社、岡崎公園の象徴にもなっている大手門。
佐倉城
2015年7月12日
旧東海道で岡崎城に登城した翌日、息子とともに車で佐倉城址公園へ。戦国時代の城郭とは異なる土塁と空堀を中心とした構成。ある意味で、幕閣の中心をなした譜代大名の居城らしさを感じることができる遺構。ことの是非はともかく、陸軍の兵営とするため往時の建物を破壊し、形あるものとして残っているのが土塁や堀中心というのは少し残念。とはいえ、その土塁や空堀はこの城の特徴を今に強烈に主張しているわけではあるが。

息子とともに、城址公園を散策後、城址公園内にある国立歴史民族博物館(歴博)の展示を見て、成田山新勝寺へと向かった。歴博でのランチでは古代米のハヤシライスやカレーライスを食べた。

写真は、江戸末期、幕府にあって日米修好通商条約の調印に奔走した佐倉藩主・堀田正睦の像、歴博と二の丸との間にある馬出し空濠、出丸の土塁から見た水堀。
長篠城
2015年7月19日
旧東海道を歩く旅の途中といえば、いささか寄り道が過ぎるけれど、豊橋から飯田線で長篠城駅下車で一路長篠城址へ。本丸を散策、長篠城址史跡保存館を見学の後、馬場信房及び鳥居強右衛門の墓所を経て宇蓮川と寒狭川の合流点に架かる牛淵橋という順路。

その後、思い切って設楽原まで足を延ばして、山県昌景、原昌胤、甘利信康といった武将の墓所を経て設楽原歴史資料館。復元された馬防柵を見て、再度設楽原の激戦地を散策。今回の旅で、長篠・設楽原の戦いのイメージが自分の中でかなり具体性を帯びた気がする。この二つの場所は、ぜひ一緒に見るべきだろう。設楽原歴史資料館では、史跡案内図(500円)を購入。

写真は、長篠城本丸跡に建つ長篠城址の碑、牛淵橋から見た長篠城、武田勝頼公の本陣が置かれた近くにある設楽原歴史資料館屋上から見た馬防柵(復元)。
岐阜城
2015年8月2日
息子とともに早朝名古屋から岐阜入り、七曲りルートで登城。家族向けとの触れ込みであったが軽い登山の趣き。それでも、朝方で本格的な暑さが到来する前の時間帯であったこと、木陰の中を登っていくことができること、すれ違う方々と気持ちよく朝の挨拶を交わしながらの登山であったことから、気持ちよく天守のある場所にたどり着くことができた。

天守からの眺望はとにかく素晴らしい。織田信長公が「天下布武」を唱え天下を望んだ気持ちも理解できるような気がした。欲を言えば、犬山城などまで見通すことができれば最高だったが、次の機会に譲ることにしたい。なお、下山時にはロープウェイを利用。

写真は、信長公が天下統一へと踏み出したことを示す天下第一の門、登城途中でその姿を見せた復元天守、谷に面した部分に配置された石垣。
犬山城
2015年8月2日
息子とともに岐阜城から転戦、猛暑の中を名鉄・犬山遊園駅で下車して徒歩で天守を目指す。犬山神社や三光稲荷、針綱神社に参拝の後、黒門跡、本丸門を経由して本丸へ。天守内部では階段の傾斜が急で、大人でも上り下りには苦労するほど。天守最上階からの眺めは格別だが、高所恐怖症の僕にとっては爽快感とともに恐怖感も。

それにしても、木曽川を挟んで望む天守の雄姿は、天守を持つ百名城数々あれど犬山城に並ぶものなしではなかろうか。後堅固の城とは良くぞ言ったものだと思う。

写真は本丸から見た天守、天守最上階の下に位置する破風の間、ライン大橋から見た天守の雄姿。
名古屋城
2015年8月2日
息子との城めぐり、この日の締め括りは三名城に数えられる名古屋城。
この日は既に岐阜城、犬山城に登城しているので二人とも疲労感漂う中での登城であったが、時間も限られており、地下鉄市役所駅を下車して、まずは東門から急ぎ本丸天守を目指す。表二之門の手前に本丸石垣を手掛けたという加藤清正公の石曳きの像を見て、この「名城」も清正公が関わった城であることを知る。

復元中の本丸御殿を左に見ながら天守に登り、名古屋の街を一望。その後、清正石を見て、西之丸、深井丸と進み、閉門時間を告げられると正門から出て反時計回りに外堀を歩いて、夕日に照らされた名古屋城を堪能。

写真は。それぞれ西の丸側から見た天守と西南(未申)隅櫓、二の丸にあった「清正公石曳きの像」、夕日に照らされる天守。
佐賀城
2015年8月13日
博多駅から特急ハウステンボスで佐賀駅へ、その後バスに乗り換えて、佐賀城跡に到着。かつて龍造寺氏の居城で、その後鍋島氏のものとなった佐賀城、堀は西側を除いて逆コの字型で現存。今に残る北堀に架かる「くすのさかえ橋」を渡ると、かつての城内には県庁をはじめ学校、体育館、図書館、美術館、マスメディアなどが集積。栄城本丸の入り口となる鯱の門から入ると、すぐに本丸御殿を模して建造された佐賀城本丸歴史館。

本丸御殿の遺構を保存しながら、その一部を復元した本丸歴史館は、夏休み期間中ということもあって、プロジェクションマッピングやクイズラリーなどが開催されており、一緒に出かけた子供たちも佐賀城でのひと時を満喫。機会があれば、次回はゆっくりと周辺を散策する時間を確保したい。

写真は、佐賀市営バス佐賀城跡線佐賀城跡バス停を降りてすぐ撮影した鯱の門、夏休みで多くの子供たちが訪れていた佐賀城本丸歴史館、公民館から再移築された御座間・堪忍所(佐賀市指定重要文化財;1838(天保9)年に第十代藩主・鍋島直正公により建設)。
吉野ヶ里
2015年8月13日
佐賀駅から長崎本線を二駅、高床倉庫をイメージした駅舎と卑弥呼像が出迎えてくれる神埼駅から徒歩で吉野ヶ里歴史公園へ。公園にたどり着いた最初の印象は、とにかく広いということ。

中世から近世にかけての建造物を見ることが多い百名城めぐりにあって、弥生時代の遺跡への「登城」は稀なので、復元された建造物、特に北内郭や南内郭の主祭殿や高床住居、物見櫓などには終始圧倒されっ放し。また南内郭近くの展示室にあった甕棺などの展示物も、古代浪漫を大いに掻き立ててくれるものであった。子供たちは「弥生くらし館」で「親魏倭王」の金印や銅鐸のレプリカ作りに挑戦、大満足の様子。帰路は、「天の浮橋」、歴史公園センターを抜けて夕焼けの中を吉野ヶ里公園駅まで徒歩で。

写真は、吉野ヶ里の政を司る最重要施設である北内郭・主祭殿、夕日に照らされた南内郭・物見櫓、その物見櫓から見た吉野ヶ里歴史公園と佐賀の街。
名護屋城
2015年8月14日
夏休みを利用しての九州の百名城めぐり、今回の旅で最も楽しみだったのが名護屋城。言わずと知れた太閤秀吉の「唐入り」の前線基地で、一時期ではあるが日本の政治・軍事の中心となった場所。今回は家族旅行を兼ねて車での登城。

予想していたことではあるが、まず驚くのはそのスケールの壮大さ。前線に諸将や兵を送り出すだけならば、ここまでの規模と機能を備えたものでなくてもとも思うが、これが往時の太閤の権勢か。大手口から東出丸、三の丸、本丸を経由して天守臺跡へ。この天守臺跡からの眺めがまた格別。往時には五層の天守がそびえたとのことだが、さらに素晴らしい眺望だったに違いない。崩れた石垣を見ながら、馬場跡から二の丸、弾正丸、搦手口を経て名護屋城博物館。昼食時には呼子港付近でイカを堪能、期待に違わぬ大いに満足の一日。

写真は、大手口から見た東出丸跡、天守臺跡からの眺望、築城時と崩壊後の石垣の状態が一望できる馬場跡。
福岡城
2015年8月15日
夏休みの福岡滞在の機会を利用して、息子とともに朝の福岡城に登城。この日は戦後70周年記念の日。

敢えて大濠公園から三の丸、名島門を経て、左手に旧母里太兵衛邸長屋門を見ながら二の丸へ。そのまま埋門跡を抜け、大天守台跡に登り現代の福岡の街を眺める。改めて古地図を見ると、大濠公園は博多湾につながる文字どおり「大きな堀」。大天守台跡からは遠くには福岡タワーやヤフオクドームなども確認。

鉄御門跡から本丸跡、裏御門跡、再度本丸を抜けて祈念櫓を見ながら表御門跡、二の丸跡、扇坂御門跡と来て鴻臚館展示館でスタンプ、鴻臚館の遺跡も見学。清々しい朝の空気の中を、少し汗ばみながら心地よいウォーキングとなった。上之橋御門跡から出て、しばらく地下鉄赤坂駅に歩いていくと、福岡城跡堀石垣を見ることができる地下通路を発見、案内の方の懇切丁寧な解説を聞きながら、改めて黒田如水・長政父子の築いた福岡城の壮大さを実感。

写真は、本丸北東隅に鬼門封じのために設けられた祈念櫓(福岡県指定文化財)、大天守台からの眺望、地下通路下の福岡城跡堀石垣の実物展示。
金沢城
2015年9月7日
金沢への出張を機に登城、残念ながら雨。
北陸新幹線の開通で金沢の街には観光客、それも外国人の方が多数。兼六園下までバス利用、紺屋坂を上って石川門から城内へ。ちなみに、石川門の名の由来は、門が石川郡の方向を向いていたことに因むのだそうで、同じく石川郡に由来する県名に同じ。

入口休憩所でスタンプを押印、河北門、菱櫓、五十間長屋を観ながら散策、橋爪門から二の丸へ。重要文化財に指定された三十間長屋から戌亥櫓跡、本丸跡、同じく重文指定の鶴丸倉庫を足早に巡って帰路に。

この城は「石垣の博物館」と言われているそうだが、見どころのひとつはやはり石垣。「金沢城 石垣巡り」というチラシが用意されているので、また機会があれば散策してみたい。もちろん隣接する日本三名園のひとつ、兼六園とともに。

写真は、お堀通りから見上げた石川門と兼六園下交差点付近にある「前田利家公之像」、2015年11月4日再訪時の菱櫓。
伊賀上野城
2015年9月22日
旧東海道の徒歩旅で亀山宿まで歩いた後、伊賀市に宿泊し翌日早朝に息子とともに登城。

夜明け前に蛇谷堀(蛇池)から上野公園に入り、台所門、城代役所跡を経由して天守、高石垣という行程。朝日の中の上野城は格別だったけれど、特に藤堂高虎の高石垣には、堀からの度肝を抜かれるほどの高さもさながら、直線的な鋭さ、他を寄せ付けぬ威圧感を感じることができて、城巡りの醍醐味を満喫。芭蕉生誕三百年を記念して建てられた俳聖殿や、三重県立上野高校の図書館横に現存する唯一の建造物である武具蔵を散策して一旦宿泊先に戻って朝食。

再び、芭蕉生誕の地を経由して今度は天守最上階に登り、伊賀の街を一望。この地が豊かな自然に囲まれた土地であることを実感。

写真は、この城の代名詞とも言うべき高石垣、衆議院議員であった川崎克氏が私財を投じて建設した模擬天守、天守最上階の天井に掲示されている著名人の書画。尾崎行雄、若槻禮次郎、近衛文麿といった政治家から、横山大観、佐佐木信綱、徳富蘇峰といった文化人に及ぶ書画が何気なく展示されているのも、天守を作った川崎氏の影響力によるものか。
松阪城
2015年9月22日
旧東海道の徒歩旅を関宿まで進め、その後のスケジュールを再検討した結果、急遽、息子とともに登城。

市役所側の表門から入って、歴史民族資料館でスタンプを確保。その後、助左衛門御門跡、鐘ノ櫓跡、藤身櫓跡を抜けてきたい丸、本丸を経て天守跡へ。金ノ間櫓跡から再び本丸下段、中御門跡、二の丸を経由して本居宣長舊宅・鈴屋が保存されている隠居丸を散策。裏門跡を経て本居宣長ノ宮に参拝、御城番屋敷を散策、公開住居を見学。

それにしても、伊賀上野城を見た後で松坂城の石垣を見て物足りなさを感じてしまうのは、僕たちだけではないだろう。安土城築城に参加した蒲生氏郷が穴太衆をして築かしめた石垣は繊細だが、大胆さを兼ね備えた才能の開花は、やはり会津若松城か。

写真は、隠居丸に移設された鈴屋に至る鈴屋遺跡保存会正門、彼岸花に彩られた裏門の石垣、槇垣が印象的な御城番屋敷。
水戸城
2016年3月5日
3月初旬、水戸城を訪れるならばこの時期と思い定めていたが、生憎の曇り空。春間近にもかかわらず少し肌寒さを感じながら、梅の花の淡い彩りと香りを楽しむことができた登城となった。
「義公生誕の地」から、JR水郡線に沿った道を使って本丸へ。二の丸から大手門跡を抜けて弘道館を散策、旧茨城県庁前から水戸駅、さらには梅の花の香る偕楽園へ、という行程。

写真は、茨城県立水戸第一高等学校に移築された水戸城唯一の建築遺構である薬医門、9代藩主・徳川斉昭によって開かれた水戸藩の藩校・弘道館、その弘道館の付属施設で「弘道館記」を刻んだ石碑を納めた覆堂・八卦堂と梅花。
二条城
2016年3月27日
旧東海道徒歩旅の最終日、三條大橋到達直後に家族で登城。
地下鉄東西線二条城前駅から出ると、正面には東南隅櫓。改修工事中の東大手門、絢爛豪華な唐門を抜けて国宝・二の丸御殿を拝観。さらに、二の丸庭園から本丸櫓門、本丸庭園を見ながら天主台へと向かい、天主台から京都の街を臨む。鴬張りの床や大政奉還の場面が描かれた大広間一の間など、子供たちも京の都に建つ城を満喫していた様子。

写真は、二条城の東南隅櫓、国宝・二の丸御殿、そして天主台からの眺め。
多賀城
2016年3月31日
息子とともに、新幹線で奥州の誇りを二つの城に訪ねる日帰り旅。
まず登城したのは、鎮守府兼陸奥国府として古代から中世にかけて奥州経営の一大拠点であった多賀城。国府多賀城駅から館前遺跡、多賀城碑を見ながら、外郭南門方向から緩やかに坂を上って政庁跡へ。古代からの遺構に直接触れることができるわけではないが、多賀城碑には歳月の重みを感じた。また、少し離れてはいたが、多賀城廃寺跡などにも立ち寄ることができた。

写真は、外郭南門跡付近に建つ多賀城碑の覆堂、政庁跡に展示されている模型、塔跡付近から眺めた多賀城廃寺跡。
仙台城
2016年3月31日
多賀城跡から一旦仙台駅に戻って牛タンで腹ごしらえ、そしていざ仙台城へ。
仙台城への登城には「るーぷる仙台」を利用、本丸北口脇から本丸に登り、伊達政宗騎馬像とご対面。宮城縣護国神社を含む仙台城本丸を散策の後、中門を経由して大手門脇櫓。さらに、仙台市博物館内の遺構を確認して、息子とともに徒歩で瑞鳳殿を目指し、何とか閉館までに参拝することができた。

写真は、本丸跡に建立された伊達政宗公騎馬像、大手門脇櫓と現存する仙台城唯一の建造物遺構である大手門北側土塀、そして夕焼けに照らされた瑞鳳殿。
高岡城
2016年8月21日
夜行バスを利用して高岡に入り、さっそく登城。

往時の主要な建造物こそないけれど、人工物である濠や土塁、石垣が、周囲の緑と共存しているさまは、かつてこの街そのものが前田利長によって開かれ、その政治の中心であった城跡が今でも高岡の人々の生活にかかわってきていることとは無縁ではないだろう。城が築かれた場所も戦略的に庄川と小矢部川をうまく利用することができる地の利があり、城の西側にあったという小矢部川の支流・千保川の氾濫原を活かした縄張り。徳川の世になったとはいえ、戦国の世を知る武将ならではの城造りの妙を感じた。今は桜の名所のひとつとして数えられるこの地、次は桜花の時期に再訪したい。

射水神社に参拝後、古城公園を出て高岡大仏、瑞龍寺(拝観時間前につき山門のみ)、八丁道経由で前田利長墓所と歩いて、次の目的地・七尾へ。

写真は、内濠に浮かぶ朝日橋、本丸広場北側の前田利長騎馬像、本丸と二の丸とをつなぐ土橋西側に残る築城当時の乱積みの石垣。
七尾城
2016年8月21日
バスで高岡から七尾に転戦、駅周辺で能登の海の幸を握った鮨に舌鼓を打ち、「まりん号」待ち時間を利用して、七尾城攻城の前哨戦として前田利家が能登の地に築いた小丸山城(現・小丸山公園)を散策。

降車ボタンを押しながら、「まりん号」が城史資料館前バス停を通過してしまい、一区間分余計に歩くという災難に見舞われながら城史資料館でスタンプを確保。そのまま徒歩で本丸を目指した。8月下旬とはいえ、水分を持たずに本丸を目指した愚は、今から考えると「無謀」の一言に尽きるが、徒歩で本丸を目指したことは、この城がいかに難攻不落であったかを身をもって知るには十分過ぎるほど。本丸までの道すがら時折見える能登の海の美しさと、急に現れた桜の馬場の石垣の力強さには圧倒された。

本丸近くの駐車場では、ボランティアガイドの方から、小さな本丸登城の認定証をいただいたが、とてもよい記念となった。

写真は、それぞれ小丸山城本丸跡に建立された「史蹟 前田利家小丸山城址」と刻まれた石碑、突如現れ、圧倒的な威圧感を示す桜馬場石垣、そして本丸の眺望。
高松城
2016年9月25日
ここにきてやっと中国・四国地方の百名城の攻略を開始。まずは、我が国屈指の水城・高松城攻め。

学校が休暇の息子を相棒に、いつかは乗りたいと思っていた「サンライズ瀬戸」を利用して高松入り。さっそく讃岐うどんを朝食に、現在、玉藻公園となっている高松城跡へ。 生駒親正が築城を始め、冲方丁「光圀伝」にも登場する徳川光圀の兄・松平頼重が整備を進めた城には、物語の影響もあってか、何やら折り目の正しさを感じた。海水が引き込まれた堀には鯛が泳ぎ、潮が引いた後の石垣のいたるところに貝が付着。他方で、よく手入れが行き届いた披雲閣の庭園ではゆっくりとした時の流れを感じることができる、この城の個性を十分に堪能。

写真は、天守台から見た内堀と鞘橋、月見櫓、そして瀬戸大橋通りを走る琴電と艮櫓。
丸亀城
2016年9月25日
高松城から転戦、JR予讃線で丸亀駅下車、徒歩で現存天守を攻める。
丸亀駅到着時には曇天、天守を仰ぎ見ながら本丸にたどり着く頃には雨が降り出した。天守までの道は比較的急な坂道で、雨だと滑りがち。

現存三重天守の中で最も小規模とのことだったが、展示も充実していたし、外は雨だということもあって、息子とともに比較的ゆったりと時間を過ごした。天守から戻って見返り坂を下り、内部が公開されていた大手一の門を見学し、御殿表門、かぶと岩を経由して搦手に廻り込み、再び搦手口から三の丸を巡ったが、「石の城」が誇る石垣を十分に堪能することができた。

写真は、それぞれ丸亀市民広場から見上げた丸亀城の雄姿、二の丸搦手付近から見上げた天守、搦手口付近の石垣と讃岐富士(飯野山)の競演。
津山城
2016年9月26日
岡山駅近くでレンタカーを借りて、息子とともに一路津山へ。桜の頃でも、紅葉の頃でもなく「晴れの国・岡山」で予想外の雨の登城となったが、ささやかに咲く彼岸花がお出迎え。現存する石垣から、壮大な櫓群に囲まれた城郭建築を偲ぶことはできたが、櫓跡を巡りながら、この城で構想された櫓がすべて復元できたら、どれほど凄いことかとも。B級グルメの雄「津山ホルモンうどん」も堪能することができて満足。

写真はそれぞれ、二の丸から見上げた備中櫓、天守台から見た備中櫓、彼岸花に彩られた雨の中の本丸東の石垣。
備中松山城
2016年9月26日
日本三大山城の一角を占め、今年はNHK大河ドラマ「真田丸」のオープニングにも登場した備中松山城攻め、今回の息子との旅で楽しみにしていた城。津山城から転戦し、レンタカーを返さなければならない時間的な制約のために高梁市街からの登城を諦め、城見橋公園駐車場に車を止めてシャトルバスで鞴峠まで上る一般的な登城プラン。時間の制約から大松山城に足を伸ばすことはできなかったが、切り立つ岩の上に築かれた石垣や土塀は十分に堪能。展望台にも立ち寄って、雲海の中に浮かぶ城の眺めにも思いを馳せた。

写真はそれぞれ、大手門付近から見上げた石垣と土塀、二の丸からの本丸の眺め、展望台からの天守と二重櫓の雄姿。
鬼ノ城
2016年9月27日
白村江の戦いに惨敗を喫した大和朝廷が、唐・新羅連合軍の侵攻に備えて築いたとされる鬼ノ城に登城。城壁見学路を歩いて、その壮大さに大和朝廷の強烈な危機感を感じることができたが、古代にどのようにしてこれだけの建造物を築くことができたのか、この場所と「桃太郎」の逸話とはどう関係しているのか、謎が謎を呼ぶ登城行となった。

写真はそれぞれ、展望台から撮影した西門と高石垣、振り返って撮影した東門付近の展望所(撮影がうまくいかなかった「屏風折れの石垣」の代わりとして掲載)、角楼から見た西門。
岡山城
2016年9月27日
鬼ノ城から帰還した後、中学の修学旅行以来となる後楽園を含め岡山城界隈を探訪。夜にはライトアップされた天守まで出かけたが人の気配がまったくなく、県庁所在地の真ん中に所在する城ながら、ちょっとした恐さも感じたが、「晴れの国」にやっと戻ってきた陽の光の中に渋く輝く姿は、宇喜多、小早川、池田といった歴代城主のセンスが競演する名城であることを改めて物語っていた。

写真は、威風堂々たる不明門、本丸本段から見上げた天守、後楽園から遠望した天守。
根城
2017年1月28日
弘前の恩人を訪問するために冬の青森へ。せっかくの機会なので、青森県内にある日本百名城を攻略することに。まずは東北新幹線を八戸で途中下車、バスを利用して冬の根城に登城。

主な見学路では除雪されており、地元のかたがたの「おもてなし」の心を感じつつも、時々足を滑らせながら根城南部氏の居城跡である「史跡 根城の広場」を散策。本丸も主殿を手始めに時計とは逆方向に回りながら復元された建物を巡った。奥州における南朝側の拠点となった城跡は雪深かったものの、奥州から南朝の理想実現を目指す熱い思いを感じた登城行となった。八戸駅までの帰路では、行き先の違うバスに乗ってしまって、雪道を走って何とか予定していた新幹線に乗ることができたのも、今となってはよき思い出。

写真は、国道104号線沿い「史跡根城址」と刻まれた石碑と本丸遠景、主殿広間に再現された正月11日の儀式、八戸市博物館前の南部師行公騎馬像。
弘前城
2017年1月29日
青森市に住んでいた頃に何度も訪れた弘前城、今回は友人と二人、改めて冬の弘前城の良さを発見する登城行。折りしも石垣修復のため、現存天守が元の場所から曳屋されており、かつてない本丸を見ることができるのを楽しみに。そしてこの城が記念すべき五十城目。

前日の根城もそうだったが、冬の津軽の雪深さの中の登城行には思いのほか苦労。それでも東門から入って三の丸、二の丸、四の丸、北門で一旦城外に出て石場家住宅や仲町伝統的建造物保存地区を巡り、一陽橋から再び城内に入って春陽橋、北の郭と歩いて、本丸にて曳屋された天守と対面。下馬橋から再び二の丸、杉の大橋を経由して追手門という順路で、弘前城を十分に満喫。

写真は、本丸中央付近に曳屋された弘前城天守、現在の下馬橋から本丸の眺め、東門正面・弘前文化センター前にある藩祖・津軽為信公像。
岩村城
2017年8月12日
夏休みで子供たちが不在の間、妻とともに日帰り登城行。
雲の多い、時折雨のパラつく生憎の天気だったが、雨に濡れた石垣の魅力とともにこの城にはお似合いだったかもしれない。

あまりにも丹精に整備されていて、正直なところ軽登山くらいの負荷しか感じていなかったが、幾重にも重なる本丸虎口の石垣には衝撃を覚えるほど。山城の醍醐味や石垣のある種の芸術性を感じた登城行となった。

城下町となる岩村も素敵なまちで、時代を超えてタイムスリップしたような、心地よい錯覚に陥る。山城を満喫し、城下の風情を楽しめたのは、良き夏の思い出。

写真はそれぞれ、一の門付近の斜面の石垣、岩村城の「顔」とも言うべき本丸虎口の石垣、そして復元された藩主邸の太鼓櫓。
高知城
2018年3月26日
出張で訪れた高知にて、現存12天守のひとつを攻める。
この城は言わずと知れた山内一豊(「やまうちかつとよ」と読むことをこの登城行で知る。)の築いた近世城郭。高知市内の中心部に位置していて、今も市民には馴染みの場所であるようだ。いつも思うことだが、近世の城郭は軍事拠点としてだけでなく、政治や経済の拠点でもあるわけだけど、いい場所を見つけてくるものだ。

ふらりとまち歩きをしてみると、150年ほど前に武市半平太や坂本龍馬などが、この城を見上げながら酒を飲み、国事を語っていたのかと思うと、本当に不思議な気がする。夜には市内で鰹のたたきも堪能。

写真は、城内にあった板垣退助像と天守のコラボレーション、高知県立高知城歴史博物館の展望ルームから見た天守と桜花、本丸御殿と天守。
石垣山城
2018年5月1日
思い立って石垣山城に登城、続百名城スタンプラリーとしては初登城。
眼前の戦に備えるための築城というカテゴリーとしては、秀吉好みの他を圧倒する規模感、壮大さという点で肥前名護屋城にも共通するものを感じる。一方で、「兵どもが夢のあと」の風情も共通項。確かにこの地にこれだけの城が忽然と現れれば、小田原城内は騒然となったであろうことは想像に難くない。

地質学的には、北米プレートとフィリピン海プレートのプレート境界に位置する小田原城を、箱根火山の東に位置する石垣山城で攻めるという構図だそうで、これまた興味深い視点。

写真は崩落過程を留めた本丸石垣、この場所の石垣の崩れ方さえも確かに肥前名護屋城を髣髴とさせる。
大多喜城
2018年5月4日
続日本百名城を巡る登城行、第二城目は千葉県夷隅郡大多喜町に残る大多喜城跡。往路は品川発の高速バスを利用。だけど連休の渋滞で東京アクアライン「海ほたる」まで何度も立ち往生、これには本当に困った。

大多喜の町には古い家並みや商家、寺院が残っていて、癒しの空間。大多喜城そのものは模擬天守(写真)だが、現存する二の丸御殿薬医門やコンパクトながらもしっかりした土塁は立派、さすが本多忠勝が手がけた城だ。大多喜藩最後の藩主・松平正質は、かつて理化学研究所を率いた理事長・大河内正敏氏の父君、県立中央博物館大多喜城分館となっている天守内に大河内氏の写真も飾られていた。

町をぶらりと歩いて、いすみ鉄道で大原駅へ。その後、外房線、京葉線と乗り継いで帰宅。時間はかかったけれど、いすみ鉄道→外房線の旅はこれまた長閑で、癒される時を過ごすことができた。
滝山城
2018年5月5日
この城は北條氏照が八王子城に移るまでの本拠地であり、武田信玄の猛攻にも耐えて必要以上の侵攻を許さなかった「中世城郭の傑作」なのだとか。確かに、完成された北條系築城技術を随所に散りばめ、お腹いっぱいに満喫できる壮大な山城だ。

移動は八王子駅からバスを利用、登城口はバス停すぐそばにあるが、この地域に張り巡らされた城郭をシリーズで訪ねるなら車は必須であるように思う。

写真は中の丸と本丸を繋ぐ「引橋」、続百名城のスタンプとしても図案化されている。
小机城
2018年5月19日
「篠原城・小机城お城めぐり」というイベントへの参加を機に、小机城に登城。
これまで立ち入ったことがない空堀を歩いたり、第三京浜で分断された曲輪を歩いたりと、地元のガイドの方にご案内いただいたために、多くの発見に満ちた充実した登城行。

自然地形を生かしながら土塁と空堀の戦略的な配置によって、攻めがたい城を築くのが北條流。これまで見てきた八王子城や山中城、滝山城などとも比較しながら、丹念に見て歩くことができた。それにしても土塁を残した竹林は幻想的、今回は大人数での集団行動のために良い写真を得ることはできなかったけれど、再びチャレンジしたい。
明石城
2018年9月24日
郷里への電車旅、途中下車して明石城へ登城。
まずはランチ代わりに、明石・魚の棚商店街「たこ磯」の玉子焼(明石焼き)を堪能。築城からちょうど400年、明石公園の中にあって二基の三重櫓と二つの櫓をつなぐ土塀が印象的。ちょうど公開されていた坤櫓の内部も見学。折りしもガーデニング関係のイベントが開催されていて、二の丸に当たる明石公園内ではジャズの演奏が響いていた。

写真は内部を見学させていただいた坤櫓、土塀と巽櫓、明石駅のホームからの眺望。
赤穂城
2018年9月24日
明石城から転戦して、赤穂城へ。
播州赤穂駅に降り立ち、しばらく県道32号を進んで花岳寺経由で赤穂城の堀に取り付く。立派な大手門を抜けて大石邸の長屋門を右に見て大石神社に参拝、三の丸から庭園を整備中の二の丸、さらには本丸へと進むと、それまで何とか耐えていた雲の間から雨粒が落ちてきた。それでも天守台に登ってみると、気分は爽快。これが山鹿素行の縄張りによる城なのかと感激も新たに。

その後、二の丸を傘を差しながら散策、残念ながら赤穂市立歴史博物館を訪ねることはできなかったが、それでも限られた時間の中で、徒歩で城内や赤穂の街を闊歩できて満足。

写真は、大手門と三の丸大手隅櫓、本丸門、播州赤穂駅前の大石内蔵助像。
福山城
2018年9月24日
赤穂城登城後、播州赤穂駅、相生駅経由で福山入り、北口を出るとそこには福山城。

それもそのはず、福山駅は山陽鉄道の駅として、1891(明治24)年に福山城の三の丸南側を東西に横断するように建てられ、現在のコンコースが二の丸正門である鉄御門及びその外枡形のあった場所に当たるのだとか。天守を除けば熊本城の宇土櫓と並び、現存する最古の櫓のひとつで国指定重要文化財の伏見櫓、同じく国指定重要文化財の筋鉄御門を経て、本丸にてその日のうちにスタンプを確保。夜は福山駅近くの「尾道ラーメン 一丁」にて。

翌朝朝食前に再び福山城周辺を散策。かつての三の丸に当たる県立歴史博物館、ふくやま美術館が立ち並ぶ一角から二の丸、本丸を探索。二の丸北にある福寿会館、その北に位置する三蔵稲荷神社、旧阿部神社を合祀した備後護国神社と転戦。街中に残る往時の城の面影を探してみたかったがタイムアップ。

写真は、雨の夕暮れにライトアップされた天守、翌朝二の丸で出会った老中 阿部正弘像、福山駅のホームから見た福山城。
新府城
2019年4月29日
平成最後の城巡りは、甲斐武田家の栄枯盛衰を見てきた続百名城二城。最初に訪れたのは、甲斐武田家の終焉を今に伝える新府城。

絶大な兵力を誇りながらも天下を手中に収めることができなかった武田家の無念を示すかのような曇天の下、韮崎駅前にある市民交流センター ニコリで電動アシスト付自転車をレンタル、そこから七里岩に急激に登ってしまえば、あとはアップダウンを繰り返しながら新府城に至る。そうそう、途中スタンプを確保するために、韮崎市民俗資料館に立ち寄ることを忘れずに。

たどり着いた新府城跡、確かに要害の地であり、戦に備えるには納得できる場所。壮大な造りでもあるけれど、躑躅ヶ崎館に感じられる名門武田氏の武家としての余裕やら矜持やらは既に感じられない。

写真は、県道17号から新府藤武神社への参道を兼ねた本丸跡への最短コース。三日月堀も候補だったけど、やはりこちらの方が新府城らしいかな新府城らしいかな。
要害山城
2019年4月29日
甲斐武田氏の栄枯盛衰を訪ねる登城行、新府城に続いて攻めたのは要害山城。武田晴信が誕生したとされる城だ。躑躅ヶ崎館や新府城と比較すると、一時代前の山城という印象だけど、躑躅ヶ崎館の詰城として同時代に存在。それぞれの役割を担う城を使い分けていたという点はとても合理的。

甲府駅前の藤村記念館(旧睦沢学校校舎)でスタンプを確保、本数も少なくバスの時間が合わなかったため、タクシーを利用して登山口へ。概ね40分ほどで山頂に当たる主郭部に到達。さらに進んで、門跡や竪堀跡を見たあとで下山。これを攻めるのは厳しいだろうなぁと痛感した。

写真は、主郭部にあった東郷平八郎書による「武田信玄公誕生之地」の碑。1521(大永元)年、今川氏親の家臣・福島正成の進軍の際、武田信虎の正室・大井夫人は懐妊中で、躑躅ヶ崎館から詰の城である要害山城(あるいは麓の積翠寺との説もあり)に避難。この地で武田信玄を生んだとされることから建てられたものだそうだ。
土浦城
2019年5月5日
こどもの日の城攻めは常総の二城。
最初に登城したのは土浦城。土浦駅下車、「自転車の街」を徒歩にて、搦手門跡経由で亀城公園を目指す。

旧前川口門から旧二の丸に入ると、鯉幟が泳ぐ堀と土塁、そして櫓門が出迎えてくれる。東櫓は土浦市立博物館の付属展示館となっていてスタンプ確保後に観覧、そのまま趣のある土塀に沿って霞門、西櫓を経て土浦市博物館。かつての大手門跡であったことを示す案内板のある土浦小学校から等覺寺を経て、東光寺境内に残る土浦城南門の土塁、県道24号大町交差点の信号機脇で「市指定史跡 南門の跡」と刻まれた石碑を確認して、水戸街道土浦宿の面影を残す中城通りを散策。帰路立ち寄った霞ヶ浦では初夏の雰囲気を満喫。

写真は土浦城本丸太鼓門、関東地方で唯一現存する櫓紋なのだとか。桜花の時期はさらに映えるに違いないけれど、新緑の中の勇壮な門もまたよい。
本佐倉城
2019年5月5日
土浦城登城後、電車を乗り継ぎ乗り継ぎして訪れたのは千葉氏の居城・本佐倉城。こちらは平山城。

京成大佐倉駅を起点に内郭群の相当部分を散策し、ガイドの方から勧められた向根古屋(外郭)の遺構を経て、JR酒々井駅に至るややハードなコース取り。上杉謙信に対抗するために連携関係にあった北条氏の影響なのか、土塁や空堀を駆使した縄張り、中でもセッテイ近くの深い空堀や前述の枡形虎口・馬出の遺構は圧巻。

写真は東山のビューポイントから大佐倉駅方向の眺望。駅そのものは見えないけれど、左に伸びるセッテイ山など、本佐倉城の北側のつくりが一望できる構図。目の前に広がる水田はかつて印旛沼とそれに連なる湿地帯だったことも良く分かる。
八代城
2019年7月12日
一国二城が許された肥後に八代城を訪ねた。
行きは熊本空港からバスで熊本駅へ。その後、九州新幹線・新八代駅を経由して、最後の一区間は鹿児島本線を使って八代駅に到着。市内を循環するバスで最寄の停留所まで。ただ、空港からも直行バスがあったようで、そちらを使えばよかったかも。

高麗門・欄干橋から本丸跡へ進み、途中八代宮参拝を挟んで、東側の宝形櫓から反時計回りに櫓跡を巡りつつ大天守・小天守跡へ。本丸北東の三階櫓跡で折り返して、廊下橋門跡からかつての二の丸北側にあたる松井神社に参拝、八代市立博物館未来の森ミュージアムにてスタンプを確保して、八代城主三代松井直之が、母の崇芳院尼のために建立した茶庭・松濱軒を散策。一国一城の原則を超えて、島津対策を重視した幕府の意図を、二番目の城の壮大さに感じた登城行となった。

写真は、県道42号と250号が交差する松江城町交差点から撮影した大天守跡。
菅谷館
2019年8月10日
大学の試験の終了を機に、北武蔵の三つの城に登城、まず訪れたのは鎌倉時代の居館を拡張した菅谷館。武蔵嵐山駅から徒歩にて登城。縄張りの中に設けられた埼玉県立嵐山史跡の博物館で情報を得た後、広大な土地に土塁と堀を巡らせた城跡を満喫。

写真は、二ノ郭の順路右の小高い土塁の上に建っていた畠山重忠の像。
右に見える銘板に刻まれた碑文は「冠題百字碑文」と呼ばれるものだそうで、本郷に住む在野の儒学者・漢学者小柳通義の撰文、各行の最初の一文字を連ねると「畠山重忠公正路を踏んで讒に遭う」の題をなしているとのこと。
杉山城
2019年8月10日
菅谷館を辞して再び武蔵嵐山駅に戻り、この日二城目となる杉山城を目指す。

徒歩による攻城戦は、武蔵嵐山駅からスタンプのある嵐山町役場までが一苦労。さらに、炎天下の登城行は町役場から大手口まででかなりの体力を消耗。それでも、室町時代の典型的な山城であるこの城は、地形をうまく利用して設けられていて、歩いていて本当におもしろい城。外郭、南二の郭、馬出郭、南二・三の郭を経由して、本郭を右に見ながら虎口脇を抜け、一旦搦手口まで下ってみる。その後、再度北二・三の郭を抜けて本郭へ。その間、保存状態のよい見事な竪堀なども堪能。

ただ、その後は軽い熱中症となって、ふらふらしながらタクシーを呼んで、東武東上線 小川町駅まで。冷房がギンギンに効いた車の中で何とか元気を取り戻すことができた。

写真は、本郭の石碑と祠、そして案内板。その奥には本郭北側の土塁も。
忍城
2019年8月10日
小川町駅からは東武東上線を利用、さらに寄居駅で秩父鉄道に乗り換え、行田市駅に向かう。目的はこの日三城目の攻城となる忍城、豊臣秀吉による小田原攻めに伴う水攻めで一躍名を上げた「浮き城」だ。

行田市駅からも徒歩で登城、行田市役所交差点、忍の時鐘楼跡を経由して御三階櫓へ。時間もいい時間だったし、まずは行田市郷土博物館でスタンプを確保、そのまま御三階櫓に上って市内を展望。

その後、本丸土塁を堪能し、忍城十五門のうちのいくつか(成田御門(現・行田市立中央小学校)、太鼓門(同忍中学校)など)を訪ね、忍城址と県道128号を挟んで鎮座する忍諏訪神社と忍東照宮に参拝。この日の登城行が無事に進んだことを感謝。残念ながら、今回は總願寺に移築された北谷門や石田堤、水城の名残を今に留める水城公園を訪れることができなかったが、機会を見て再訪したい。

写真は御三階櫓と高麗門、あずま橋の夕景。
鹿児島城
2019年9月11日
出張の機会を利用して、鹿児島城に登城。といっても、城跡を歩くというより、西南戦争の戦跡巡りのような感じの軽めの登城行。

鹿児島中央駅からバスを利用、城山入口交差点で石垣に刻まれた西南戦争の弾痕跡や私学校跡地(現 鹿児島医療センター)に残る正門を確認、「敬天愛人」と刻まれた石碑、西郷隆盛終焉の地を辿って城山公園展望台へ。市内、そして桜島を一望できるこの場所から城跡を確認。

城山を降りて、北御門跡から本格的な城歩き。鹿児島県 歴史資料センター 黎明館でスタンプを確保して、現在復元工事中の御楼門跡へ。さらに二之丸跡に建つ県立図書館を抜け、西郷隆盛そして小松帯刀像銅像、照国神社で参拝して帰路に。限られた時間ということもあって、尚古集成館や多賀山公園 (東福寺城跡)への訪問は今後の課題。

写真は、鹿児島城の後背にある城山からの眺望、北御門跡付近の石垣、そして照国神社に建つ島津久光公像。
諏訪原城
2019年9月23日
2015年の旧東海道徒歩旅の途中で初登城、今回はそれ以来のスタンプを確保するための登城行。

とはいえ、素通りはもってのほか、東海道を再び歩き、完成された武田流築城術を確認したくなるのが人情。今回もJR金谷駅から旧東海道石畳を上って登城。駅から歩くこと20分、そこにはビジターセンターが設けられたり、真新しい案内板が設置されたりと続百名城に指定された効果が歴然。ビジターセンターでスタンプを確保した後、改めて順路に沿って馬出しや曲輪を堪能。

写真は二の曲輪中馬出し、この城の魅力は何といっても馬出しにあると思う。本曲輪から見る旧東海道金谷宿の眺めも格別。
吉田城
2019年9月23日
諏訪原城に続いて、こちらも旧東海道徒歩旅でのリベンジシリーズ。前回は、息子とともに、旧東海道からちょっと寄り道という感じで立ち寄ったが、今回は豊橋駅から路面電車 豊橋鉄道東田本線を利用して豊橋公園前駅下車、豊橋公園を抜けて城内を散策。

前回の登城行で、大日本帝国陸軍歩兵第18連隊が置かれた痕跡などを含めて公園内を探索していたのだけど、北御多門跡から豊川に下りてみたり、広重の浮世絵のように吉田大橋から鉄櫓を撮影してみたりと、前回とは違う楽しみ方で吉田城を満喫。

写真は吉田大橋から見た鉄櫓、青空だったらもう少し素敵な写真になったかな。
浜松城
2019年9月23日
この日の最後の目的地は、やはり旧東海道徒歩旅の際に登城済みの浜松城。最初の登城は、かつての同僚に連れてきてもらった機会。

JR浜松駅を出発して、徒歩で城を目指す。途中、本多忠勝の屋敷跡とされる遠江分器稲荷神社に参拝。一気に天守に取り付きスタンプを確保、その後、天守からの眺望を楽しみ、前回の登城で見逃していた天守内の井戸を確認。荒々しく雄雄しい石垣をじっくりと眺め、これまた前回訪れることができなかったこの城の前身とも言うべき曳間城跡を攻城。旧東海道の曲がり角でもあった連尺交差点の大手門跡を経由して、餃子を手土産に凱旋。東海道に面する三河、遠江の三城を巡る旅を締めくくった。

写真は、家康公鎧掛松付近から撮影した浜松城天守と本丸石垣。野面積みの石垣の自己主張が際立つ。
和歌山城
2019年11月8日
かつての同僚たちとの再会を兼ねた、近畿遠征の最初のターゲットは和歌山城。
和歌山駅到着後、駅から伸びる一本道を辿って徒歩で城を目指す。大手門から入って一旦岡口門まで抜けて、表坂から本丸へ。この平坦な土地柄で、こんなにも城に向いた土地があるのかと思えるような立地条件で、ちょうど高知城を訪れた時と同じ印象。本丸御殿跡から天守の眺めを楽しんだ後、いよいよ天守。紀州徳川家が治めた和歌山を一望後、追廻門、紅葉渓庭園、二の丸庭園を巡って再び大手門経由で駅へと向かう。

いつもながらの慌しい登城行で、徳川吉宗公之像や紀州徳川家御廟を訪れることはできなかったが、また次の登城機会に。

写真はこの城との最初の出会いとなった一の橋と大手門、本丸御殿跡から見た天守、紅葉渓庭園と御橋廊下。
岸和田城
2019年11月8日
和歌山城から岸和田城へ転戦、阪和線、関西空港線、南海本線と乗り継いで、蛸地蔵駅下車、徒歩にて登城。

府立岸和田高校の生徒と思しき若者たちが写真撮影している脇を抜けて、岸和田五風荘の庭園を散策したのち、堀に映る美しい城の写真を何枚か撮影。予め覚悟していたことだけど、大手櫓門は閉じられ、門前には「臨時休場」の看板。「八陣の庭」を堪能することは叶わず。二の丸公園を散策後、だんじり会館を訪れてスタンプを確保、そのまま堀に沿って歩を進め岸城神社へ。

本丸攻めが成就しなかったために、城を十分に堪能できなかったのは残念だけど、地元に愛される、端正な城の姿はとても好感を持てるものだった。だんじりの季節にでも、再訪できることを強く望む。

写真は五風荘前あたりから撮影した天守の雄姿。
福知山城
2019年11月9日
大河ドラマが始まる前の予習という意味合いでは決してなく、あくまで百名城&続百名城攻略の一環としての丹波攻め。幸い前日の飲み会の影響もなく早起きできて、まずは福知山城へ。三宮駅から阪急神戸線、阪急今津線で宝塚駅、JRに乗り換えて福知山線利用。福知山駅到着後は徒歩で登城。

福知山線の車窓からは霧に煙った景色が続いたが、もしかしたら「天空の城」を目指していたら絶好の天候だったのかもしれない。そんなことを考えながら駅に到着、東へ続く平坦な道を進むと、市役所あたりから端正な天守が霧の向こうに見え始めた。昇龍橋を経て本丸へと登城、野面積みの石垣のところどころに残る転用石を見つけながら、天守周辺を散策。天守内でスタンプを確保してそのまま天守内の資料館を見学、さらに御霊神社へと足を伸ばした。

写真は本丸から見上げた天守、転用石らしき石も見える。
篠山城
2019年11月9日
飲み会先行の無計画な登城行となったため、福知山城から笹山城に転戦。福知山線を再度戻って、篠山口駅下車、その後バスにて二階町通りに到着。最寄のバス停から歩いて登城。

「築城の名手」として名を馳せた藤堂高虎が縄張りを担当したという城は、さすがに安定感のある城だ。本丸は緩やかに高くなった丘陵にあり、お手本のような輪郭式。大書院の壮大さにまずは驚かされたけれど、さらに気になったのは今に残る馬出し、そして天守が築かれることがなかった天守台の石垣。

城下町をゆっくりと散策したかったけれど、このあと黒井城攻めを控え、時間的制約から望み叶わず、他日を期すことに。笹山口に戻るバスが来るまでのわずかな時間にお土産の栗と黒豆を購入。

写真は、東馬出の堀、三の丸から見た大書院、城の東南に位置する天守の石垣。案内板によれば、築城時、「堅固すぎる」との理由で幕府の指示により天守の建築を中止したのだとか。
黒井城
2019年11月9日
無計画な丹波登城行、何とか目指す三つの城を攻める目処が立つ。とはいえ、最後の城は「丹波の赤鬼」こと赤井直正の黒井城、最後の城が明智光秀を悩ませた難攻不落の山城というプレッシャーを感じながらの登城。

一応覚悟はしていたものの、現実問題として黒井駅にコインロッカーがないことを知って、まずはお土産を抱えながらの山城登城に腹を括った。時間も限られていたので、早々に春日住民センターでスタンプを確保。パンフレットも入手していざ登城開始。

折りしも黒井城まつりが開催されているさなか、春日局の出生地とされる興禅寺を訪れる。登城口では、ここまで来ればと迷わず「急坂コース」を選択、息を切らしながら本丸を目指す。本丸まであと200mというところで知り合った、ともに攻城に苦労した一期一会の同士に本丸にて写真を撮ってもらったが、この登城行のよい記念となった。

写真は本丸で撮影した石垣と城下の町並み。登城の達成感と本丸からの眺めの素晴らしさ、そして城仲間の一期一会の情けの厚さは、とても写真では伝わらないな。
広島城
2019年11月23日
娘と新幹線で広島に途中下車、原爆ドーム、平和記念資料館に圧倒され、広島風お好み焼きに満足した後に登城。

堀に美しく映る太鼓櫓、多聞櫓を見ながら城南通りを進み、御門橋を渡ると二の丸。さらに本丸へと進む。広島大本営跡を横目に、さらに進むと天守が現れる。豊臣秀吉の聚楽第を参考にしたとも言われる復興天守(外観は復元)は、確かに端正な造り。その天守が戦争、それも原爆によって失われてしまったことは本当に残念。

天守内にあるミュージアムショップでスタンプを確保して城を辞したが、天守最上階から見た広島の街に広がる真っ青な空がとても印象的だった。

写真は、城南通りから撮影した二の丸太鼓櫓と多聞櫓、真っ青な空にそびえる五重五階の天守、二の丸へ通じる御門橋と御門櫓。
高島城
2020年6月27日
COVID-19によって城巡りを控えざるを得なかったが、久々の登城行。向かったのは17年9月に諏訪湖一周ウォーキング時に家族で訪れた高島城、スタンプの獲得とその時未体験の天守からの眺望を楽しむことが主な目的。

上諏訪駅から徒歩で城を目指す。甲州道中からも少し離れた場所に位置するこの城は、往時、諏訪湖に突き出た縄張りを有していて「諏訪の浮き城」との異名を持つが、埋立てによって今はその面影を留めてはいない。それでも町家の陰から天守が見えると、改めて城を訪ねる旅ができる幸せを感じることができた。

勝手口に当たる土戸門跡から本丸に入り、しばし散策。本丸御殿跡にはまだアジサイの花も残っていた。資料館を兼ねる復興天守は、コロナ禍の影響で入場人数の制限や入館前の手指消毒などの措置が取られていたが、無事入館。最上階からの諏訪の眺望を楽しんだ。

ここで湖の舟に乗ることができたという御川渡御門を出て、冠木橋付近から天守の写真を撮影。さらに南之丸跡、二之丸跡、三之丸跡を経て再び上諏訪駅へ。写真はその時のもの。駅構内の足湯で疲れを癒した。
赤木城
2020年8月7日
南紀・伊勢六城と伊勢神宮参拝の旅、最初の目的地は「築城の名手」藤堂高虎が手掛けたとされる赤木城。特急南紀で新宮入り、駅前で借りたレンタカーを利用して城を目指す。平山城とはいえ、東郭のすぐ下に数台が駐車可能なスペースがあり、到着後すぐに登城開始。

最近、竹田城にも似た雰囲気を持つ城として知名度が上がっているそうだけど、平成に入って整備が進められているからなのか、はたまたコロナ禍の影響なのか、多くの観光客が訪れるというわけでもなく、ゆっくりと遺構を巡ることができた。特に、自然石を荒々しくも緻密に積んだ石垣は見応えあり。虎口から主郭へ進むときの期待感も、この城ならではのワクワク感。

写真は主郭から見下ろした東郭、確かに天空の城を思わせる。新宮までの帰路に立ち寄った丸山千枚田も圧巻。
新宮城
2020年8月7日
赤木城からレンタカーで新宮まで戻って登城。
元々はに熊野三山を支配した熊野別当の別邸があった場所なのだそうだが、実際に熊野川の畔の丹鶴山に立つと、この土地を治める者が居を構えたくなる場所であることが心情的に理解できる。それともうひとつ、浅野氏・水野氏と支配者は変わっても、この地に大きな影響を及ぼしているのは今日に至るまで熊野信仰なんだという強い印象を受けた。

遺構で印象深かったのは、水ノ手。熊野川に面した船着場があったのだそうだが、江戸期に特産品である備長炭を江戸に送って財源を得る拠点となっていたのだとか。軍事上の戦略拠点が、産業の拠点となっていることは興味深いところ。特急南紀から見えた、沈む夕日が城跡と熊野川を照らす光景は忘れられない。

写真は、鐘ノ丸から撮影した本丸の石垣と熊野川、出丸の石垣も少し写っているかな。登城後に世界遺産に追加登録された阿須賀神社に参拝、隣接する新宮市歴史民俗資料館でスタンプを確保、同じく世界遺産の熊野速玉大社にも参拝。時間の関係で神倉神社まで足を延ばすことは叶わなかったが、再度熊野詣の機会があれば次こそは訪れてみたい。
宇陀松山城
2020年8月8日
前泊した松阪でレンタカーを借りて、多気北畠氏城館とともに登城。道の駅 ‎宇陀路大宇陀に駐車して周辺地図を入手、松山地区まちづくりセンターでスタンプを確保、係の方から倒木の影響で春日神社からの登城はできない旨の情報を得て、同センター近くから車も通行可能な整備された道路を徒歩で登城。

整備された道を過ぎると、山城らしい自然の地形を利用した虎口や荒々しく積まれた石垣が姿を現し始めるが、それとともに蚊も数多く出現。蚊を払いながら少し上ると、広がりをもった平坦な本丸と一段高い天守郭が現れる。本丸ではとてもいい風が吹いていて、周辺の山々の眺めとともにとても心地がよい。夏草に覆われて、周辺の郭を巡るのはかなり大変。

城下に当たる松山地区は、重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、歴史的な町並みを巡るのも楽しみのひとつ。猛暑の中ではあったけれど、森野舊薬園や数多くの古民家を巡ると心癒されるし、「奈良一奈良漬いせ弥」にてお土産を購入。登城後、道の駅で食べた「宇陀牛肉うどん」も美味。

写真はかつて宇陀松山城の大手に当たる春日門、現在は春日神社が鎮座。
多気北畠氏城館
2020年8月8日
宇陀松山城からレンタカーで転戦。予め美杉ふるさと資料館にて、霧山城までの地図をいただいてから北畠神社に参拝、社務所でスタンプと御朱印を確保。北畠神社は社殿を彩る朱が眩しく、周辺の緑とのコントラストが秀逸。北畠顕家像や心安らぐ庭園も見どころ。

とはいえ、この登城行での最終目的地は霧山城跡。意を決して上り始めるが、詰城跡までは難なく達するものの、山城・宇陀松山城での疲労も影響してか、杉が生い茂る山中を歩けど歩けどなかなか本丸は見えてこない。こういう場所だからこそ、到達したときの達成感もひとしおで、「霧山城跡」の石碑が見えた時には家族にLINEで喜びを伝えたくて連絡。

写真は城跡に建つ「霧山城址」の石碑。
田丸城
2020年8月9日
コロナ禍渦中の南紀・伊勢登城行も最終日、松阪を出発して伊勢神宮に参拝、そこから田丸城へ向かう。何とも温かみのある田丸駅の駅舎から徒歩で城跡へ。まずは大手門橋から城内に進み、当地出身で、朝日新聞社社主を務めた村山龍平の記念館でスタンプとパンフレットを確保。

二の丸には玉城町立玉城中学校が建つ。遺構が数多く残る、歴史を感じさせる場所に学び舎がある生徒たちは本当に幸せだと思う。富士見門、蓮池から天守跡へと進むが、途中では土塁や荒々しく積まれた野面積みの石垣を堪能。また、本丸跡からは周囲の眺望がすばらしい。二の丸の石垣からは、中学校のグラウンドで行われている野球の試合を観戦しておられる保護者の方々がおられるなど、今も地域に根差した重要な場所として機能していることが分かったし、城跡と地域がうまく共存している印象。

写真は本丸虎口の石垣、さまざまな石垣が折り重なって天守まで続くさまは続百名城にしておくには惜しいと思える力強さがある。
津城
2020年8月9日
南紀・伊勢六城登城の旅の最後に訪れたのは津城。築城の名手とされた藤堂高虎によるもので期待もしたのだけれど、県庁所在地の中心部にある城跡で、遺構があまり残っていないことに加え、城跡を活かした街づくりが行われている印象もなく、少し残念。

津新町からお城西公園経由、土橋から西之丸へ侵入し、藩校有造館の講堂の正門・入徳門、西鉄門虎口を抜けて本丸跡へ。本丸を囲む石垣はさすがに堅固。藤堂高虎の騎馬像や「高山公遺訓」を見ながら、さらに東へと進み丑寅三重櫓を仰ぐ。北堀を眺めたのち、そのまま時計回りに進んで、高虎による改修前の石垣や埋門などを楽しみながら、高山神社でスタンプを確保。

写真は、市役所側から北堀に浮かぶ戌亥櫓跡を撮影したもの。高虎による改修により堅固さを増した津城の名残が感じられる一枚。
新発田城
2020年8月12日
23時40分、東京駅梶橋駐車場バスターミナル出発の深夜バスを利用して新発田入り。6時半前の到着とあって、開門時間となる9時まで諏訪神社や清水園、足軽屋敷、寺町などを散策しながら徒歩で城跡近くまで。それでも時間を持て余すため、新発田城本丸や二の丸の相当部分を占有する陸上自衛隊新発田駐屯地の周囲を歩いて、城の規模感を体感。

辰巳櫓、表門、二の丸隅櫓が居並ぶ様は壮観だし、三匹の鯱を屋根に乗せた本丸三階櫓もこの城ならでは。とはいえ、良きにつけ悪しきにつけ、この城の一番の特徴は近代的な自衛隊の装備と城の遺構が混然一体となっていること。誰かが書いておられるような戦国自衛隊感満載な雰囲気だと思う。当初雨の予報だったのだけれど、何とか降られずに次の目的地である村上に向かうことができたことには感謝したい。

写真はそれぞれ、辰巳櫓、表門、二の丸隅櫓の揃い踏み、本丸三階櫓の雄姿、その本丸三階櫓と陸上自衛隊による戦国自衛隊感満載の一枚。
村上城
2020年8月12日
新発田城から転戦。
JR村上駅に到着後、駅前の観光案内所で市内地図を入手、駅前からはまちなか循環バス」を利用して「村上小学校前バス停」で下車。バスを降りた小学校では、小学校の敷地の隅には「村上城追手門跡」の案内板を発見。村上市郷土資料館(おしゃぎり会館)でスタンプとパンフレットを確保、折しも開催されていた六斎市(村上朝市)を楽しみながら登城口へ。

朝から降っていた雨も上がったようで、登城道は濡れていたが、雨が上がってくれたのは何よりだった。それでも、四ツ門跡から中世散策コースで本丸を目指してみると、ところどころに泥濘があって少し歩きづらい場所もあった。

埋門から直線的な本丸石垣が見えた時には、ある種の感動を覚えた。その感動、本丸から日本海が見えた時には最高潮に。曇天ではあったが、自然に包まれた村上の町の豊かさが感じられたからだ。

写真は、三面川が注ぐ日本海と緑濃き自然に囲まれた村上の町を、かつて本丸にあったとされる秋葉神社の鳥居とともに撮影したもの。お土産は、駅前の観光案内所で求めた村上茶の新茶。
鶴ヶ岡城
2020年8月12日
羽越五城の旅、三城目は鶴ヶ岡城。新発田城、村上城から転戦。
さすがに深夜バス利用、さらにひとつ平山城を挟むと、体力的にもつらくなってくるが、三城目は平城。駅前から県道349号に出て、そのまま道なりに歩くと30分足らずで二の丸堀に取り付く。本丸・二の丸跡周辺は鶴岡公園として整備されているが、輪郭式の構造、堀や土塁を残しつつも、本丸跡には荘内神社、稲荷神社や大宝館(郷土人物資料館)、藤沢周平記念館が設けられ、城跡としては少し寂しい。

荘内神社の社務所でスタンプと御朱印を確保して宝物殿を見学、今回は時間の関係で致道博物館(旧三の丸跡)や藩校「致道館」を見学することはできなかったが、次回訪れることがあれば見学してみたい。驚いたのは帰りに見つけた西郷隆盛の顕彰碑、戊辰戦争での寛大な戦後処理が縁なのだそうだ。その帰り道、ついに土砂降りにあって途中からタクシーを利用して鶴岡駅に戻った。ここまで持ってくれたのが嘘のようだったが、この日の登城行はその影響なく、予定どおり終了。

写真は、内堀を挟んで中ノ橋跡から見た大寶館。同館は大正天皇の即位を記念して創建、即位の日に開館した物産陳列場。
山形城
2020年8月13日
前日の雨の鶴岡から一転、素晴らしい好天の下、山形城を攻める。まずは山形駅近くに建つ24階の高層ビル、霞城セントラルの展望ルームから山形城跡、現在、霞城公園と呼ばれている市民の憩いの場を俯瞰。

観光案内所で周辺の地図を手に入れた後、駅を越えて東へ進み、三の丸土塁跡。11か所あったとされる三の丸の出入口のいくつかを地図で確認しながら辿りつつ、山形メディアタワー近くにあった鍄門から二の丸北門を経由して霞城公園へ。最上義光が築城した山形城がとにかく壮大な城であったことを、この散策で体感。県庁所在地にありながら、ここまで遺構を保存し、市民と共生している城は素晴らしいと思う。

この城の顔ともいうべき本丸一文字門、最上義光騎馬像、東大手門、一旦二の丸の外に出て最上義光歴史館を見学後、山形市郷土館(旧済生館本館)でスタンプを確保。南大手門跡から霞城公園を後にしてこの旅の最後の訪問地、米沢へと向かうことに。

写真は、霞城セントラル展望ルームからの眺望、東大手門近くに建つ最上義光騎馬像、そして復原された本丸一文字門。
米沢城
2020年8月13日
羽越五城を訪ねる今回の旅の最後の目的地は、米沢城。
米沢駅からまずバスで上杉家廟所へ。明治に至るまで米沢城内に安置されていたという上杉謙信の遺骸のほか、初代景勝から12代斉定までの藩主を祀る場所。猛暑ではあったけれど、静かな杉木立の中で一息つきながら、上杉歴代の治世に思いを馳せる。

廟所からは徒歩で米沢城へ。本丸に鎮座するのは藩祖謙信を祀る上杉神社、境内には西から内堀を渡って入ったが、あちこちにさまざまな銅像や石碑が建つ。中には七尾城攻略戦後に献身が詠んだ九月十三夜は、七尾城登城が懐かしく思い出された。また、上杉鷹山の「為せば成る…」は自分に元気をくれているようでもあった。そうそう、伊達政宗生誕の地碑もあったなぁ。

山形大学工学部を訪問して以来訪れた上杉記念館も懐かしく、松岬神社に建つ草木塔や帝人の共同設立者である秦逸三の胸像にも、刺激をもらった気がする。上杉城史苑で家族への土産を購入し、米沢をあとにして一連の登城行を終えた。

写真は、往時上杉謙信の遺骸が祀られていたという御堂跡を舞鶴橋から撮影したもの。神社の鳥居前にあった「懸かり乱れの龍」の幟旗も見える。
脇本城
2020年9月19日
北東北をめぐる登城行、最初に訪れたのは秋田。初めての新幹線での秋田入り、駅でレンタカーを借りて向かったのは脇本城。レンタカーという選択肢は、一日で秋田の百名城・続百名城を堪能するのに不可欠と考えたから。

心配を他所に見事な晴天の下、右に風力発電施設を見ながら渋滞もなく快適なドライブ。国道101号のトンネル手前の駐車場に車を止めて、いよいよ登城開始。まずは菅原神社に参拝、無人の案内所で地図が載ったパンフレットを手に入れた。案内所近くでは、既に登城を終えた方、同じくこれから登城する方にそれぞれお声がけいただいてリモートでは味わえない、城旅の素晴らしさを再認識。天下道を経由、南端の曲輪からいくつかの曲輪をめぐり、大土塁、主郭部、いったん戻って北西部の曲輪と見て回った。

前日の雨の影響もあって、ある曲輪で水たまりができていたり、空堀が滑りやすかったりはしたけれど、期待していたとおりのこの城特有の壮大さを体感。写真は、生鼻崎の南端の曲輪から内館を一望して撮影。
秋田城
2020年9月19日
脇本城からの転戦、レンタカーでのんびり1時間足らずで秋田城跡へ。秋田城跡歴史資料館に駐車して、まずは同館でスタンプを確保した後に城跡散策前の予習。井戸跡の井筒や「天平の木簡」、斬新なデザインの小札甲と冑などを見て、道路を隔てた城跡へ。

正殿跡、政庁東門や築地塀を見ながら東大路を進んで外郭東門へ。さらにブラタモリでも紹介された古代の水洗トイレ跡を含む鵜ノ木地区の建物跡群を巡って、再び政庁跡へ。この間、ぽつぽつと降り出した雨が次第に強くなって、駐車場に辿り着くころには土砂降りに。これもまた佳き思い出。

この城を代表する写真一枚を選ぶにあたって、政庁東門や外郭東門などもいいなとは思ったけれど、やはりこの城を特徴づける復元施設として古代の水洗トイレ跡の全景を選択。
久保田城
2020年9月19日
秋田の百名城・続百名城を一気に攻める旅、最後に訪れたのは久保田城。いわずと知れた久保田藩佐竹氏の居城、現在は千秋公園として整備。

脇本城、秋田城の登城に利用したレンタカーを秋田駅で返却、徒歩で黒門跡から二ノ丸に入り、佐竹史料館でスタンプを確保。歴代藩主の鎧や佐竹氏本陣の旗「旌旗」などを見て、長坂門跡、表門(復元)を経由して本丸へ。御隅櫓の閉館時間(16時半)に何とか間に合って最上階から夕刻を迎える秋田の街を一望。曇天ではあったものの遠くに脇本城を抱く男鹿半島や古代秋田城があった高清水公園あたりがよく見えて、一日の登城行を振り返り。本丸跡に鎮座する八幡秋田神社への参拝を経て、長岡安平による庭園としての千秋公園も楽しみながら、土塁を堪能できる帯曲輪門跡や胡月池を経て、中土橋門跡から公園の外へ。「支那そば 伊藤」に立ち寄ることができなかったのは残念だったが、のんびりと散策できて心身ともにリフレッシュ、夕食には「秋田比内地鶏や」にて「究極親子丼」(1,580円)で幸せな気分に。

写真は、この城の顔ともいえる表門と御隅櫓、そして本丸の中心に建つ12代藩主・佐竹義堯の像。
浪岡城
2020年9月20日
秋田から奥羽本線で弘前まで来て一泊、早朝に弘前城を散策した後で、浪岡駅に移動し徒歩で登城。少し時間をずらせば駅に隣接する「青森市浪岡交流センター あぴねす」で自転車を借りることができたようだけど、徒歩。後々、時間が押して駅まで走って戻る原因がここにあった。ただ、徒歩もよいもので、自転車だったら城に直行したであろうところ、浪岡八幡宮に立ち寄ったり、浪岡川のほとりを散策したり。

浪岡城跡案内所に着いてみると休館、後に訪れた「青森市中世の館」も休館とついてなかったところもあるけれど、逆に広大な城域を歩くことで、いろんな想像力をかき立てられる気がした。順路に従って、猿楽館、東館、北館、西館、内館と進んだが、北館や西館の周囲に見られた中土塁は面白い構造だと感じた。曲輪の間をつなぐ木橋も風情が感じられて好印象。写真は北館に広がる板塀と杭、往時には武家屋敷があったのだとか。
九戸城
2020年9月20日
浪岡城から走って駅に戻り、予定の電車・新幹線に乗って二戸駅下車。北東北の登城行、次のターゲットは九戸政実の城、九戸城。「いわて銀河鉄道」二戸駅の改札で自転車を借りて、往時の三ノ丸に建つ九戸城ガイドハウスへ。ここでスタンプ押印、マップやパンフを入手できただけでなく、周辺のランチ事情なども丁寧に教えていただいた。

城の周囲は発掘調査や整備工事が進められていたけど、堀跡をたどって二ノ丸搦手門、本丸追手門を経由して本丸に到達。端正に整えられた本丸南側の堀に施された、北東北最古とされる野面積みの石垣や、本丸虎口跡も確認。これが九戸城落城後に整備され、「福岡城」と名を改めた後のもので、往時の九戸城のものでないのは少し残念。九戸時代の遺構については、今後の調査の進展を期待したい。発掘調査中の二ノ丸大手門から、「日本の城跡で見られる堀跡としては最大級の立派なもの」と説明のあった堀跡を進んで、ガイドハウスに帰還。

写真は本丸南の堀の石垣の上から二ノ丸を眺望したもの、左には本丸虎口跡の土塁も見える。
盛岡城
2020年9月20日
一泊二日での北東北の城巡り、最後に訪れたのは三戸南部氏の居城・盛岡城。盛岡駅から市内を循環する「でんでんむし号(左回り)」を利用して盛岡城跡公園バス停にて下車。

まず歴代南部諸公を祀る櫻山神社に参拝、御朱印を受領後、瓦門から登城開始。二ノ丸の高石垣、啄木歌碑、渡雲橋を経て本丸。上ってきてまず驚くのは、そう広い本丸ではないけれど、現在もなお発掘調査が進められていること。そして、戦時中の金属供出に遭った南部中尉騎馬像の台座のみが残されていること。金属供出のこともさながら、騎馬像の説明文には「朝敵となった旧藩の汚名をそそぎ…」と綴られていて、如何に戊辰戦争が奥州の人々の心に深い傷を残したのか改めて感じさせられた。

鶴ヶ池沿いの宮澤賢治詩碑を見て、「もりおか歴史文化館」で押印。時鐘、帯曲輪、中津川に架かる毘沙門橋、彦御蔵、吹上坂と転戦して、一泊二日とはいえ北東北を制覇した充実感に浸りながら城をあとにした。帰りにはぴょんぴょん舎で「盛岡冷麺」(850円)を堪能。

写真は、櫻山神社境内の烏帽子岩、本丸と二ノ丸を結ぶ渡雲橋、本丸に建つ南部中尉騎馬像台座。