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メンバー情報

ID4831
名前えむさか
コメントいつか100城制覇できたらいいな〜

と思って始めましたが、200城に増えました。

楽しんで回ります。
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
川越城
2013年12月11日
記念すべき1城目

自宅最寄の川越城跡は昔から良く知っていたが入ったことがなかった。

天守もなく、どの地方にもありがちの跡地が役所や学校になってしまっている往時が想像しにくい城址と思っていたからだ。

ところが、東日本唯一の本丸御殿遺構は予想外だった。

現存部分はわずかだがそれでも多くの間(部屋)があり、移築された家老詰所と合わせるとなかなかのもの。

ちなみに御殿入場料は100円。
スタンプはここで押印したけど、駐車場管理室?でも押せる看板もあった。

徒歩5分ほどのところに、富士見櫓跡がある。
鉢形城
2013年12月22日
2城目

川越城に続き、地元埼玉の城趾。

北関東の要所として、豊臣秀吉による小田原城攻めの際には北回りの前田利家や上杉景勝との攻防戦も行われた歴史的な舞台である鉢形城。

現在は「鉢形城公園」としてきれいに整備されているが、予想外に広大な敷地に復元された多数の土塁や堀は、ここの攻略がたやすくなかったことが容易に想像できる。

また隣接する「鉢形城歴史館」には当時のジオラマが展示されていて、こちらも併せて見学すると現在の公園が正確に復元されていることが良くわかる。

歴史館の入館料は200円、スタンプはこの窓口脇に置かれているが入場券を購入しなくても押印可。

窓口の方は気さくな方で、3月中旬にはひと足はやく園内のエドヒガン桜が満開になり、その時はライトアップしてきれいだと教えてくれた。

せっかく近くにいるのだから、その時は是非また来よう!
金山城
2014年1月4日
3城目

地元埼玉を終えて、おとなりの群馬県へ。

金山城は、北の上杉・西の武田そして南の北条から幾度となく侵攻を受けたが、ついに一度も落城することのなかった堅牢な城。

復元整備された城跡は山城ながら石垣や石畳を多用し、戦の際に敵の足止めのため通路を簡素な桟道(通行は不可です)にするなど見どころ満載だ。

入場料は不要だが、スタンプは城内の無人?休憩所にあるため管理状態は疑問。試し押しをお勧めします。

また、金山登り口近くの「金山城跡ガイダンス施設」も併せて見学お勧めですが、車の場合入口案内が特に無いので注意が必要です。
箕輪城
2014年1月18日
4城目

群馬県ふたつめの箕輪城へ。

榛名山にもほど近いこの山城も北関東の宿命か、上杉,武田,北条の侵攻に幾度もさらされた城。この城址の見どころはなんといっても堀だ。

決して狭くもない本丸や二の丸をぐるっと囲う空堀や、いざというとき城域を南北に分断する大堀切など、遊歩道として整備された堀底から見上げる左右の崖が手掘りの結果だと考えると更に感動。

また石垣も多数残っていて、見どころ満載の城址だ。

入場料は不要ですが、スタンプはちょっと離れた「箕郷支所」にあります。

色味がちょっと地味なので強く押したらやや滲んでしまった。試し押しお勧めです。
甲府城
2014年2月1日
5城目

おとなり山梨県の甲府城へ。

甲府市の中心街にあるこの城址、市街化の波にのまれて城域をJRに分断される等ちょっと残念な状況だが、残された部分は櫓や各門の復元が進み往時の姿を取り戻しつつある。

それに何と言ってもこの城址の見どころは東日本最大級の石垣だ。

巨大な天守台やぐるりと城域を囲む高石垣には圧倒され、また改修前後が見れる「二重の石垣」や現場で割った「兄弟石」は見ていて楽しくなる。

舞鶴城公園として開放されていて入場無料、甲府市民が羨ましい。

スタンプは公園管理事務所と稲荷櫓の二か所に設置されていて、私が押印した管理事務所は印影良好です。
武田氏館
2014年2月1日
6城目

甲府城に続けて武田氏館へ。

ここはその名の通り武田氏が代々居城としていた城址で、滅亡後甲府城が築城されると廃城となってしまった。

現在は「武田神社」になっている城域南側の様子とうって変わって、城域北側には空堀や土塁,虎口等が残っていて往時を想像させられる。

東側には当時の大手口があり、発掘調査も進められている。

スタンプは神社本殿横の宝物殿受付にあり、見学に300円の入場料を支払ったけど、おそらく押印だけでもOKです。

管理状態も良く、印影は極めて良好です。
足利氏館
2014年3月21日
7城目

栃木県足利市の足利氏館へ。

足利氏といえば足利尊氏が真っ先に思い浮かぶが、この館は遡ること数代前の足利義兼が築いたもので鎌倉時代典型の方形遺構がきれいに残っている。

ただ、現在は一門の氏寺として鑁阿寺(ばんなじ)となっていて、周囲を囲う土塁と堀以外は往時を想像させるものがないのが残念。

スタンプは本堂のお守り売り場にあり、さすがに観光客が記念に押していくこともないのだろう印影は良好です。

入場は無料で、駐車場も境内・近隣の観光駐車場いずれも無料です。
駿府城
2014年5月3日
8城目

静岡県静岡市の駿府城へ。

ここは徳川家康が幼少期に今川家の人質として育ち、そして将軍職を2代目秀忠へ譲った後は大御所として権勢をふるった城。

現在も二の丸堀と三の丸堀のかなりの部分が残っており、往時の強大な城の姿を想像させられる。

スタンプは再建された二の丸東御門・巽櫓の券売所にあり、印影は良好だが軒先での押印だったので風があり気を使った。

駿府城公園として整備された城域へは無料で入れるが、再建された東御門・巽櫓は200円、坤櫓は100円の入場料要です。また駐車場も三の丸地下に大きな駐車場が整備されてます(時間毎の有料ですが)。
掛川城
2014年5月4日
9城目

静岡県掛川市の掛川城へ。

この城は、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉より山内一豊が拝領された後、現在の形に整備が進められたもの。

天守閣は「安政の東海大地震」で倒壊してしまい、以降再建されずにいたが平成になって木造で復元されたもの。現存天守でこそないが「東海の名城」ともうたわれた美しい城が蘇っている。

また、二の丸にある掛川城御殿も現存する城郭御殿として貴重なもので、見どころ満載の城址だ。

スタンプは城郭御殿入口にあり、印影は悪くないがシャチハタの枠部分にインクが付着していた。試し押しをお勧めします。

入場料は天守と御殿セットで410円、駐車場もすぐそばに大きな駐車場(有料)があります。
長篠城
2014年5月4日
10城目

愛知県新城市の長篠城へ。

現在の城跡に本丸跡や土塁,空堀は残っているが規模は小さく、歴史的な価値で百名城に選ばれている印象は否めない。

それ以上に長篠と言われて真っ先に思い浮かぶのは武田滅亡のきっかけとなった「長篠の戦い」。

ただ、この主戦場となり織田・徳川連合軍が初めて戦に大量の鉄砲を導入した設楽原は城から数?離れたところで、こちらの「設楽原歴史資料館」には多数の火縄銃や近隣に再現した馬防柵があり見どころは多かった。

スタンプは城跡の「長篠城址史跡保存館」受付にあり、印影は極めて良好。ひと月ほど前に新しくしたと窓口の方が言ってました。

入場料は両館セットで400円(押印だけも可能だと思います)、駐車場も料金不要です。
岩村城
2014年5月4日
11城目

岐阜県恵那市の岩村城へ。

この城は日本三大山城のひとつに数えられ、本丸が標高717mと日本一高いところにある。

また石垣も美しい城跡で、本丸の六重垣はどの紹介文にも掲載される定番撮影ポイント。

本丸下の出丸まで車で上がることが可能ですが(私が行った時は手前で封鎖されてました)、機会があれば城域に残る多くの遺構を見ながら歩いて登って見たい城跡です。

スタンプは麓の岩村歴史資料館窓口にあり、押印だけも可です。
高遠城
2014年5月5日
12城目

長野県伊那市の高遠城へ。

高遠城址公園として整備されたこの城跡は、「タカトウコヒガンザクラ」が有名な桜の名所で、春にはその独特なピンクの花で公園の山全体が桃色に染まる。

しかし見上げる桜だけではなく、武田信玄の時代に現在の形に改修された城域は、曲輪に造られた土塁や堀のかなりの部分が残っていて往時を想像させられる。

スタンプは隣接する伊那市立高遠町歴史博物館にあり、陰影も比較的良好です。(押印のみも可)

城址公園は入場無料だが、花見の時期は有料。人混みがひどく城跡として見るなら時期を外した方が良いと思います。
首里城
2014年12月4日
13城目

沖縄県那覇市の首里城へ。

言わずと知れた「琉球王国の城(グスク)及び関連遺産群」として平成12年に世界文化遺産に登録された史跡のひとつ。

15世紀初旬尚氏が沖縄全土を統一以降、明治政府に開城するまでの約450年間の永きにわたって琉球王国の政治・外交・祭事の中心だった場所。

中心部の正殿などの建築物は、太平洋戦争で消失してしまい再建されたものだが、朱色の柱や壁は当時の琉球が中国の影響も大きく受けていたことがわかる。

また曲線が多い城壁や先端が尖った隅頭石も本土の城にない独特なもので美しい。

正殿他主要建築物は有料だが、スタンプは首里杜館にあり印影は良好です。また押印のみも可。(他の場所は未確認です)

あいにくの雨でしたが、押印の際窓口の方がカウンターを拭いてくれて丁寧な対応が気持ちよかったです。

またレンタカー利用の方も多いと思いますが、公園地下駐車場は2時間320円です。

写真の城壁部は雨上がりの翌日のものです。
中城城
2014年12月4日
14城目

沖縄県中頭郡中城村の中城城へ。

「琉球王国の城(グスク)及び関連遺産群」として平成12年に世界文化遺産に登録された史跡のひとつ。

数多くある沖縄の城(グスク)の中でも最も遺構がよく残っている城跡。

東側は切り立った崖となった天然の要害で、沖縄独特の曲線を多様した城壁で形作られた六つの廓が連なる山城は、その美しさと築城技術の高さをペリーも賞賛したとのこと。

スタンプは管理事務所窓口(兼入場券売り場:400円)にあり印影は良好です。
今帰仁城
2014年12月5日
15城目

沖縄県国頭群今帰仁村の今帰仁城へ。

「琉球王国の城(グスク)及び関連遺産群」として平成12年に世界文化遺産に登録された史跡のひとつ。

琉球統一前の三山時代、当時の北山王が北部の支配の拠点としていた城で、首里城に次ぐ規模をもち難攻不落と言われた城だ。

琉球王尚氏の調略で開城することとなったが、その後も北部監守の居城として使用され続け薩摩侵攻による落城後も精神的な拠り所として人々が参拝に訪れた。

百曲がりの城壁とうたわれる曲がりくねった石垣は、万里の長城をイメージさせられる。

スタンプは「今帰仁村グスク交流センター」の入場券売り場にありますが、印がシャチハタではなくまた印影が若干曲がっていますので試印をお勧めします。

入場料は、併設の今帰仁村歴史文化センターとセットで400円。
佐倉城
2014年12月27日
16城目

千葉県佐倉市の佐倉城へ。

駅のある東側から入ると判らなかったが、城域の西側は急峻な崖になっていてその先は田園地帯。当時は印旛沼からの湿地帯が広がる天然の要害だったのだろうな。

現在は「佐倉城址公園」として整備されていているけど、二の丸,三の丸もはっきり判るほど空堀がしっかり残っていて(整備された堀は浅くなってますが)石垣は一切無いがまさに城という印象。

桜も有名な公園のようで、園内には50種1100本があり春には3〜4月の2か月近く楽しめるとのこと。時間の都合で武家屋敷も見られなかったので、春には是非もう一度来たいです。

スタンプは園内の城址公園センターにありますが、ゴム印で若干かすれた感じでした。試印をお勧めします。
江戸城
2014年12月27日
17城目

東京都千代田区の江戸城へ。

言うまでもない徳川260年の居城。皇居の大きさからその規模はわかったつもりでいたが、実際に行ってみるそのスケールに圧倒された。

なかでも石垣は巨大で、人力の土木工事でこれを運び積んだのかと想うと言葉にならない。

14時過ぎに入園でしたが「100名城ガイドブック」に記載されたスタンプ設置所がわからず、本丸広場の休憩所で尋ねたところ「大手門入口傍の「大手休憩所」で15時半まで係員が出してくれる」とのこと。

慌てて天守台だけの見学で戻り事なきをえましたが、年末等の特殊な状況だったからなのかな?ただ、印影はシャチハタで良好です。

大手門の修復作業が終わったら、つぎはゆっくり時間をかけて見に来たいと思います。
小田原城
2014年12月30日
18城目

神奈川県小田原市の小田原城へ。

関東地方には珍しい総石垣造りのこの城址は、銅門や馬出門の復元整備も進んでまさに「お城」という印象。

また公園内にある「小田原城歴史見聞館」は、子供でも小田原城の歴史を楽しめるものになっていて、史跡見学だけでなく家族で楽しめる場所となっています。

スタンプは天守閣入口カウンターで出してもらえ、シャチハタの印影は良好です。
山中城
2014年12月30日
19城目

静岡県三島市の山中城へ。

小田原から西側の守りの要として、北条氏により箱根の山麓に築かれたこの山城は、何と言ってもその独特の空堀が特徴。

障子堀や畝堀は、実際に見ると勾配や深さは大きく深く、確かにこれにはまったら出られないなと納得させられるものでした。

また、建築物が一切無い地味な山城ですが、急峻な堀や土塁の保護に芝を植え山道も階段を整備するなど、三島市の史跡保護の姿勢も好印象。

ただスタンプは、ヒモで吊った輪切りのペットボトルをケースにスタンプとスタンプ台が入れてあるという雑な状態で、テーブルもなくベンチを台にして押印でした(設置場所の売店が開いてる時は違う?)。スタンプ台のインクも乾き気味でした。
水戸城
2015年2月1日
20城目

茨城県水戸市の水戸城へ。

言わずと知れた徳川御三家のひとつ水戸徳川家の居城。

各地の城跡が官公庁や学校になっていることは多いが、この水戸城もご多分にもれずでかつての藩校「弘道館」以外は全てこれらの施設になっている。

本丸跡には唯一の現存建築物である薬医門が移築されているのだが、高校の敷地内になっていて見学に入るのにも躊躇してしまう状況(学校関係者と史跡見学者以外立ち入り禁止との立て看板がありました)。さらに堀跡には道路や鉄道が通っていてある意味徹底している。

スタンプは弘道館入場券売り場で出してもらえます。シャチハタで印影も良好です。
松本城
2015年4月22日
21城目

長野県松本市の松本城へ。

ここは城好きのきっかけとなった場所で何度も訪問していましたが、スタンプラリー後初の訪問。

本丸にある五重の天守閣は、小天守や朱色の月見櫓が不規則に連なる独特の形状と白塗りと黒板壁のコントラストが美しい。

また二の丸やそれらを取り囲む堀や石垣もほぼ往時のまま残されていて、さらには太鼓門や黒門の復元も進みまさに『お城』。

天気も良く、遠く北アルプスの雪の峰々もくっきり見え最高の登城となりました。

スタンプは本丸内の管理事務所に設置されており、シャチハタで印影は良好。ただし本丸は入場券を購入しないと入れませんので注意。
松代城
2015年4月22日
22城目

長野県長野市の松代城へ。

武田信玄が築き川中島の合戦の拠点としたこの城趾。ただ本丸以外の遺構はほとんど失われていたのか、土塁や門等の復元整備は進んでいるが域内なのに舗装していたりと作り物感が否めない。

また2016年大河ドラマが「真田丸」ということもあり、真田氏ゆかりのこの城趾も盛り上がっているかと思ったのだが、特に前面に出している様子もありませんでした。

スタンプは隣接の真田邸入場券売場に移動していますが、押印だけでも可能です。シャチハタで印影は良好ですが、押印用に用意されたテーブルのデスクマットに段差があって一部欠けてしまいショック。
上田城
2015年7月18日
23城目

長野県上田市の上田城へ。

上田城は、関ヶ原へ向かう徳川秀忠軍を足留めさせ、結果天下分け目の合戦に間に合ないという大失態の原因となった城。その為、徳川の世になってから徹底的に破壊されてしまい現在の姿は後のもの(しかも再建も未完)で当時を想像させるものは皆無。

しかし千曲川(尼ケ淵)側の石垣の姿はなんとも言えぬ雰囲気、また東虎口の左右対称の南北櫓も美しい。

春の「千本桜祭り」の名の通り、城内は桜の大木が多く、今の時期は葉がうっそうと繁って櫓や堀が見えにくい程。次はぜひ桜の時期に来てみたい。

スタンプは東虎口の櫓門拝観受付にあります。シャチハタではありませんが、印影は良好です。
小諸城
2015年7月18日
24城目

長野県小諸市の小諸城へ。

城郭が城下町より低いところにあり(大手門の係員さんは城上町と冗談交じりに話されてました)、穴城の別称もある小諸城。なぜあえて低いところへ?との疑問も城内を巡ると納得。各曲輪の間は深い谷が巡っていて、城域の西端側は千曲川に面し断崖絶壁とまさに天然の要塞。

そして小諸城は苔むした石垣も特徴。特に黒門橋を渡った本丸正面は一面鮮やかなグリーンが壮観でした。

ただスタンプは要注意!先に訪問された方がコメントしていた通り、シャチハタをスタンプ台で使った様で印影に枠線が二重に入ってしまいます。(ティッシュで拭いてみたけどあまりきれいにはなりませんでした)
高知城
2015年11月22日
25城目

高知県高知市の高知城へ。

大河ドラマ「功名が辻」の主人公、山内一豊が関ヶ原の功績から所領された土佐で自らが築城した高知城。ここは天守をはじめ御殿・各門と数多くの遺構が現存の物で、また本丸の建築物が全て残る日本唯一の城とのことで見所満載。

曇りがちだった天気も晴れてきて登城するにつれ暑いくらいに、本丸では名物の「アイスクリン」も経験して大満足!

スタンプは御殿入口にあり、シャチハタで印影も良好です。
今治城
2015年11月22日
26城目

愛媛県今治市の今治城へ。

ここは城造りの名手といわれる藤堂高虎が築城した城で、海水を引き込んだ堀は海から直接船が入って来ることもできたようで、海上交通の要所である今治らしい海を最大限利用した造りとなっていた。

櫓や門を複雑に配置して迷路のように造る城が当たり前の時代に、この城は方形に形づくられた本丸,二の丸を並べて配置し軍事的要所としてより行政の中心としての機能を優先した先見的なものだったらしい。ただ現存の建築物はいっさい残っておらず、天守に至っては存在していたかも不明とのこと。

登城時は「今治城櫓めぐりスタンプラリー」をやっていて、記念絵葉書をゲットしました。

スタンプは天守閣入口の入場券売り場にあり印影は良好です。
徳島城
2015年11月23日
27城目

徳島県徳島市の徳島城へ。

市内中心部城山に築かれたこの城は、この山から採れた緑色石を使った石垣が多く残っていて、現存建築物こそないが往時の姿を想像させられる城趾。本丸や二の丸を囲う石垣の保存状態も良く、正直掘の石垣がメインかと思っていたのだが見事に裏切られました。

ただ、あいにくの雨で緑色の石垣の色は実感できなかったのがちょっと残念。

スタンプは城内の徳島城博物館受付けにあり印影は良好です。
高松城
2015年11月23日
28城目

香川県高松市の高松城へ。

元々海に張り出し縄張りにも海水を引き込んだ堀を巡らせていた高松城。現在はすっかり都市化の波に呑まれて城域は僅か、海側も埋め立てられ道路とフェリー乗り場になってしまっています。また堤の一部を県民ホールの連絡通路がまたいでいたりと残念な光景も...。ただし残った遺構は良く整備されてます。

修復の終わった天守台は天守こそ残っていませんが、想像以上の規模でした。

スタンプはガイドブックには東西入口とありますが、城内「披雲閣」横の売店でも押印できました。ただ若干かすれていたのが残念。
丸亀城
2015年11月24日
29城目

香川県丸亀市の丸亀城へ。

この城趾はとにかく高石垣が圧巻。本丸・二の丸・三の丸はほぼ全周高い石垣に守られ、麓から天守までの石垣の高さは日本一とのこと。その形状も下から上へと勾配が急峻となる「扇の勾配」が美しい。

そして本丸からの景色は360度遮るものがなく見通しは抜群。天守は日本一小さな現存天守だが、そもそも見張り所としての機能は必要ないのだろうなと思いました。

スタンプは山頂の天守閣入口にありますが、スタンプ台が乾き気味なのか印影はかすれてしまいました。
八王子城
2016年5月3日
30城目

東京都八王子市の八王子城へ。
ようやく地元関東制覇!

山城と呼ばれるこの城趾は本丸跡等がある要害地区の見学には軽登山の準備が必要な様で、今回は城山川沿いの居館地区のみ見学しました。

古道,虎口,御主殿跡はきれいに整備され、往時をイメージしやすくなっています。ただ復元された曳橋は木造を模してはいるが鉄骨造で工事が終わるのを待っての訪問でしたがちょっとガッカリです。

スタンプはガイダンス施設と管理棟に置かれていますが、印影はガイダンス施設の方が良好です。
岡崎城
2016年11月3日
31城目

愛知県岡崎市の岡崎城へ。

ここは「神君家康公」生誕の地であり、天下統一への全ての始まりの城。

徳川ゆかりの城ということも一因なのか明治の廃藩置県後建築物は全て取り壊されてしまい、鉄筋コンクリート製の復元天守と一部の堀が遺構として残されているのみだが、最近の発掘調査で城域は国内でも有数の規模だったことがわかってきたとのこと。

また公園内には「三河武士のやかた家康館」のという施設があり、関ヶ原の戦いの刻々と変化する戦況を分かりやすく再現したジオラマや、火縄銃や槍の重さを体感できるコーナーなどがあって親子で楽しめる。

せっかくの岡崎なので、園内の食事処で「味噌煮込みうどん」をいただきました。
名古屋城
2016年11月4日
32城目

愛知県名古屋市の名古屋城へ。

日本三大名城のひとつであるこの城は、関ヶ原後徳川の時代になってもなお強大な力を持つ大阪の豊臣をけん制する目的で築かれたもの。しかし幾重もの水掘や空堀は幅広く深く、各櫓や天守は巨大で方形に配置され権威の象徴でありながらもここが戦場となる場合も想定していたのだろう。

残念ながら戦災で天守や本丸御殿が焼け落ちてしまったが、徳川時代には許されなかった資料化が明治以降になされており、本丸御殿の再建がすすみ一部公開も始まっている。金箔をふんだんに使った襖絵や白木の柱や梁はいかに時の権力が強大であったかを実感させられる。

最近は天守の老朽化や耐震性問題もあり、市長が木造での復元に言及しておりぜひ実現してほしい。
岐阜城
2016年11月5日
33城目

岐阜県岐阜市の岐阜城へ。

ここは一時期織田信長の居城だった城で、天下統一への足がかりとした所。また歴史でも習う「楽市楽座」を信長が進めたのも岐阜城のある金華山(かつては稲葉山と呼ばれていた)の麓だ。

ロープウェイを使って金華山を登り、尾根伝いに10分程歩くと岐阜城天守閣。

鉄筋コンクリートで復元された天守で当時の姿とも違ったものとの事だが、何と言ってもここは眺めが最高。360°遮るものがないここからの景色はここまで登城した天守閣の中では随一だ。

また麓には「岐阜市歴史博物館」があり、古墳時代から現代までの資料を展示あるいはタッチパネルを使って解説をしたり、また信長の時代の楽市の町の様子を再現したセットなど子供も楽しめる。
犬山城
2016年11月5日
34城目

愛知県犬山市の犬山城へ。

残っている城域部分が少ない城址だが、現存天守はやはり雰囲気が違う。狭く急な階段やきしむ床は往時を想像させられます。

天守最上階の回廊部分も現代人には若干低い?と感じさせる欄干で、鉄柵等の防護策は施していないので事故など起こらないでこのままの姿でいてほしいと願うばかり。写真撮影時は気を付けてください。

今回4度目の登城でスタンプが目的の訪問でしたが、犬山市の観光キャンペーン中もあってか以前と比べ城下町は人出が多く盛り上がっていました。もう少し時間に余裕をもってくればよかった。
大洲城
2016年12月21日
35城目

愛媛県大洲市の大洲城へ。

ここは木造復元された天守とL字型に連結する現存櫓が美しい城址。石垣も綺麗に整備されており、とにかく地元の人たちが愛着を持って手を掛けている印象。

天守復元の際も費用の多くは住民の寄付で賄われているとのことで、城内に使用されている全ての木材が誰からのものか判る様だ。

スタンプは天守入口の券売所横で、シャチハタで印影も良好。係の方も丁寧で帰りも立って見送っていただきました。
宇和島城
2016年12月21日
36城目

愛媛県宇和島市の宇和島城へ。

時間の都合で、長屋門から城山へのルートでかけ足の見学となってしまったが、うっそうとした森の中の苔むした石段と石垣群は雰囲気抜群。そして突然視界が開けると眼前に海。海岸線は遠くなってしまっているが、かつては海城だったことがよくわかる。リアス式海岸も美しい。

天守は現存12基のひとつだが、天守と上り立ち門以外の建築物は全て失われていることは残念。現在保存整備作業中の様で、天守の一面に足場がかかっていました。

スタンプは天守入場券売り場横で、スタンプ式で若干かすれた印影。試し押しをお勧めします。
湯築城
2016年12月23日
37城目

愛媛県松山市の湯築城へ。

ここは中世の城址で石垣や天守・櫓は元々無かったとのことですが、二重の堀や土塁は綺麗に整備されています。特に土塁展示室は土塁の断面が観察できて、造営の進捗が良く理解る興味深いものです。各地に土塁の城址はありますがこの様な展示は初めてで一見の価値があります。

スタンプは湯築城資料館内にシャチハタが置かれています。試し押しでは印影クッキリだったがなぜかスタンプ帳では若干かすれてしまいショック。
松山城
2016年12月23日
38城目

愛媛県松山市の松山城へ。

ここは現存12基のひとつ。巨大な石垣から数々の櫓や天守が往時のまま残り、一歩足を踏み入れると現実を忘れる雰囲気に浸れる。そして麓の二之丸史跡まで含めると広大で見応えのある城址だ。

しかし今回は天候があやしく、以前に訪問していたこともあり、スタンプ目的の登城となってしまいました。

スタンプは天守入り口の係員詰所で出してもらいましたが、小窓越しに中の台を使っての押印で勝手が悪かった。これは荒天だったからなのかな?ただ係の方は「この辺は段があるよ」などアドバイスいただきありがたかったです。
白河小峰城
2017年4月30日
39城目

福島県 白河市の白河小峰城へ。

この城跡は本丸全体がぐるりと梯子式の高石垣で囲まれ、三重櫓とそれに連なる前御門の姿はコンパクトながら威容を感じます。

明治維新時の戦乱で建築物は一度焼失してしまっており現存櫓でこそ無いが、鉄筋の外観復元と比べるとやはり木造復元は段違い。足を踏み入れた瞬間の非日常感がいい。

震災により石垣のかなりの部分が崩壊し当時は本丸にも入れなかったとのことですが、正面部分はほぼ修復が終わり残りも平成29年度中には完了の目処とのこと。櫓同様石垣も以前からデータ化がされており、崩落後の石垣の再使用の可否や使われていた箇所の特定が可能だったとの係りの方お話でした。熱心に説明下さる係りの方の姿に本当に市民に大切にされてきた城趾なんだと感じました。

スタンプは城趾公園内の集古苑入口にて、押印のみも可能です。
二本松城
2017年4月30日
40城目

福島県二本松市の二本松城へ。

ICからナビの案内通りに進むと、城域に入ったことに気づかぬまま最深部の本丸天守台の足元駐車場に到着。さすが山頂部の天守台だけあって見晴らしは抜群。

時間があれば徒歩で郭内に点在する遺構や史跡を見学したいところだが、そのまま麓へ降り箕輪門を見学し会津若松へ移動。

スタンプは駐車場入口の仮設観光案内所で押印可能です。
会津若松城
2017年5月1日
41城目

福島県会津若松市の会津若松城へ。

ここは20年以上前に一度来たことがありましたが、その頃は「城=天守閣」と思っていて堀や石垣を見ないままだったため、今回はそれらに時間を掛けじっくりと見て来ました。

本丸はもとより二の丸,北出丸,西出丸とぐるりと堀,土塁,石垣が現存しており、一歩足を踏み入れると往事の雰囲気にどっぷりと浸れます。

時期は過ぎていましたが、場内にはたくさんの桜が植えられていて、次は花の時期にもう一度訪問したいと思います。

スタンプは天守閣内出口にある土産物店内、レジカウンター横に置かれていています。スペース的にちょっと窮屈で、平日午前だったから試印もしましたが混雑してる時はどうだろう?との印象を持ちました。
郡山城
2018年1月6日
42城目

初の中国地方攻め、観光旅行兼ねての広島3城と山口1城、まずは3本の矢の毛利元就が生涯を過ごし代々の毛利氏の拠点となった広島県安芸高田市の郡山城へ。

ここは巨大な山城で麓からの登城はちょっとした登山。山頂を中心に郭が270以上あったとされ、山中のいたるところに切り開かれた平地が残っている。ただしどこも成長した杉の木に視界を遮られてしまっていて、本来の見晴しはほとんど無くなっているのがちょっと残念。

せっかくなので登頂ルートからは支線のような旧本丸へも行ったが、積もった枯葉で本丸直下は道が判りにくく要注意です。

スタンプは麓の安芸高田市歴史民俗博物館受付にて、係の方に親切に対応していただきました。
広島城
2018年1月6日
43城目

中国攻め2城目は広島県広島市の広島城へ。

毛利氏が築城を始め江戸以降に整備が進められたこの平城、方形に整然と縄張りがされ近世以降も天守含め櫓等も現存していたのが原爆で全て焼失。しかし鉄筋コンクリートながら木材で外装された天守閣、二の丸を囲む御門橋・表御門・櫓は木造復元されており往時の姿を取り戻してきている。

スタンプは天守閣内のミュージアムショップで声をかけると出してもらえます。
岩国城
2018年1月7日
44城目

山口県岩国市の岩国城へ。

この城址は一国一城で破却されていたものの復元天守なのだが、その際に錦帯橋からの景色を考え本来の場所からずらしたとのこと。それはありなの?が正直な感想、やはり錦帯橋あっての百名城なのかな?

ただし3層から4層,5層から6層と上階が下階より大きい「南蛮造」は珍しく、また北の丸から二の丸にかけて直下に当時の荒々しい石積が残っていて下へ降りて見ることができる。

スタンプは天守閣内の受付で出してもらえます。シャチハタ式ですが印影がかすれ気味でしたので、試印で力加減を確認してからがいいと思います。
福山城
2018年1月9日
45城目

初の中国攻め最後は広島県福山市の福山城へ。

ここは各地の城跡同様かつての縄張りの大部分は埋め立て整備され新幹線までもがすぐ横を通っていますが本丸・二の丸を囲む石垣はしっかり保存されている。

現存建築物は伏見櫓と筋鉄御門のみですが、戦災で失われた天守閣を含め各所に櫓が復元されており、一歩足を踏み入れると非日常を満喫できる。あいにくの休館日で天守閣は入れなかったのですが、平日でもあり登城客はまばらでゆっくり散策おもいきり雰囲気にひたってきました。

休館日のスタンプだったので天守閣横の事務所で押印、人の気配がなく心配で電話したところ中に警備員がいらして中へ入れていただき福山城博物館パンフと福山城全景復元図もいただけました。
菅谷館
2018年4月8日
続 1城目(46/200城目)

続100名城のスタートは地元埼玉から、比企郡嵐山町の菅谷館へ。

この城址は源平の時代に功績をあげた畠山氏が居を構え、戦国時代に現在のかたちに整備されたとされる平山城。土塁や堀は想像以上に深く高く完全な姿で残っており、また郭内の樹木も伐採されて往時の姿が良くわかるように手入れがされています。

続100名城は山城が多いとのことで最近山城歩きの本を読んでいることもあり、攻める側・守る側を想像しながらの見学で楽しめました。

スタンプは城域内に隣接する「嵐山史跡の博物館」の受付にあります。スタンプのデザインが変わったでしょうか?郭と土塁が繊細に再現されていますが、使い込んでいくうちに潰れてしまわないか心配です。
杉山城
2018年4月22日
続 2城目(47/200城目)

地元埼玉で、比企郡嵐山町の杉山城へ。

この城址は戦国期の短い期間だけ使用された戦闘に特化した城とのことで、各郭は徹底して空堀に囲まれ行き来は狭い土橋か木橋のみの「山城のお手本」とも言われる城。

城址の保存状態が良く今でも一旦堀に下りないと隣の郭へ行けない部分が多数残っており、足元はきちんとしたものでの登城をお勧めします。東面の樹木は全て伐採され本郭から東・南の郭は全て見通せ、反対に下から見上げると連なる郭が圧巻で攻める立場だと戦意喪失しそう。

近隣の中学校に駐車できるようですが朝早くの訪問で同じ目的らしき人もおらず、また生徒が部活で登校してくる中を駐車場所を探してうろつくのもためらわれたため、登城口横の積善寺に許可を得て停めさせていただきました。ありがとうございました。
鮫ケ尾城
2018年4月28日
続 3城目(48/200城目)

今日からGWを利用しての遠征、スタートは新潟県妙高市の鮫ヶ尾城。

まずは「斐太歴史の里総合案内所」でスタンプ押印。100名城を廻って初めて記名を求められたけど、まあ入山届の意味合いもあるのかな?

本丸へは案内所横からの北登城道が近いようですが、高速道路工事の影響で閉鎖中のため東登城道へまわりこんでの登城となりました。比較的道は整備されていますが、大規模な堀切を越えるのにロープ場となっている所もあるなかなかの登り、この後の城巡りがちょっと心配になりました。

本丸からは北に頚城平野が見渡せ、振り返ると雪の残る北アルプスの山々と最高の眺望。幸先の良い遠征スタートとなりました。
高田城
2018年4月28日
続 4城目(49/200城目)

GWを利用しての遠征、2城目は新潟県上越市の高田城へ。

江戸期に入ってから築城されたこの城趾は、もともと天守閣が無く三重櫓も平成以降に復元されたもの。しかし水堀越しの新緑の土塁と櫓はなんとも画になるものでした。

ここは何と言っても桜。次は時期を合わせてと思いつつ今日最後の春日山城へ。
春日山城
2018年4月28日
46城目(50/200城目)

GWを利用しての遠征、初日最後は新潟県上越市の春日山城。

まずは「春日山城跡ものがたり館」でスタンプ後春日山城へ、春日山神社参拝から登城スタート。

千貫門・直江屋敷と連なる廓を登っていくと本丸へはすぐ。山道は本当に良く整備されていて全山階段で巡れるのでは?と思える程。整備され過ぎで山城の本来の姿、守りやすさや攻めづらさが判りにくくなってしまっているのが少し残念でした。
増山城
2018年4月29日
続 5城目(51/200城目)

GWを利用しての遠征、2日目は富山県砺波市の増山城から。

和田川ダム横の冠木門から登城を開始するとすぐに一ノ丸・ニノ丸へ到達。あいにく太い杉の木に遮られて見通しが悪いため全体像が判りにくいのですが、城内を巡ると全ての廓が高い切岸や深い空堀で区切られているのが判ります。ほぼ垂直に切り立った所もあり、もしかして山を覆う杉が風化を防いているのかな。山を縦走して「伝神保夫人入水井戸」の方へ下りましたが、亀山城は断念しました。

スタンプは登山口にある「増山陣屋」に押印済シールが置かれていたのですが、念のため「埋蔵文化センター」へも行ってみましたが生憎の休館日でやっぱりシールが。スタンプ帳に押せなかった初めての城となりました。
七尾城
2018年4月29日
47城目(52/200城目)

GWを利用しての遠征、2日目の締めは石川県七尾市の七尾城へ。

まずは麓の「七尾城史資料館」でスタンプ押印と復元CGを見て城跡直下の本丸駐車場へ。登城はここからスタートしましたが本丸までは10分程、山頂まで要する時間は今までで最短かな?

本丸からの眺望は絶景!周囲の山々が高度を下げ市街地となり七尾湾へ続いてゆく様は、よくぞここに本丸を配置してくれましたという気分でした。

駐車場が本丸に近い分、二の丸・三の丸は深い堀切で区切られた廓をひたすら下って行くことになります。見学を終え出発地点に戻るために登っていくのはきつかった。
富山城
2018年4月30日
続 6城目(53/200城目)

GWを利用しての遠征、3日目は富山県富山市の富山城から。

前日からの市内泊だったので、スタンプ設置場所である天守内の「富山市郷土博物館」開館までに城内を散策。この天守は産業博覧会の記念建築物として建てられた模擬天守ですが、水堀に白壁の天守閣はやっぱり絵になりますね。博物館は富山城の築城から今日までの変遷に絞ったコンパクトな展示になっていて良かったです。

隣接する市役所展望台からの俯瞰で見たかったのですが、祝日振替によりオープンが10時からだったのでやむなく次の高岡城へ移動しました。
高岡城
2018年4月30日
48城目(54/200城目)

GWを利用しての遠征、本日2城目は富山県高岡市の高岡城へ。

この城址は何をおいても水濠。各廓は土橋でつながってこそいるが全て水堀に囲まれていて、その面積は実に城址公園の3分の1に及ぶとのこと。

市役所臨時駐車場に車を置いて見学でしたが、スタンプ設置の市立博物館は公園の対角の位置。しかもスタンプ帳を車に置き忘れ2往復する羽目に。疲れた〜。
鳥越城
2018年4月30日
続 7城目(55/200城目)

GWを利用しての遠征、本日3城目は石川県白山市の鳥越城へ。

麓の「一向一揆歴史館」でスタンプ後、車で山頂部本丸直下の駐車場へ。見学できる範囲は本丸と隣接する二の丸・三の丸と狭い範囲ながら、柵列や桝形門・櫓門が建てられていて山城とはこういうものなんだと当時がイメージし易く工夫されています。

一向一揆歴史館に城内マップはあったのでしょうか?駐車場横設置の「鳥越城跡案内図」を撮影しての散策は正解でした。
金沢城
2018年4月30日
49城目(56/200城目)

GWを利用しての遠征、本日最後は石川県金沢市の金沢城へ。当初は翌日予定にしていましたが、鳥越城から宿へ向かう途中「兼六園」への道路標識を見て急遽立ち寄りました。

ここは一度来たことがあったのでスタンプ目的でしたが、小一時間程城内散策。以前にはなかった「河北門」が復元されていました。復元計画はまだ続いているようで、次来る時が楽しみです。
丸岡城
2018年5月1日
50城目(57/200城目)

GWを利用しての遠征、4日目は福井県坂井市の丸岡城から。

現在残るのは天守のみですが、ここは現存天守で最古のもの。 また屋根が石瓦葺きの珍しいものです。内部の階段も急で(67度とのガイダンスが流れていました)、戦国期の城郭であることを実感できます。
越前大野城
2018年5月1日
続 8城目(58/200城目)

GWを利用しての遠征、本日2城目は福井県大野市の越前大野城へ。

標高250mの亀山山頂を削って本丸としたこの城は天然の要塞。野面積みの石垣が各所に残り復元ではあるが大天守・子天守も建つ見事なものです。なぜ「続100」なの?と思いますが、福井県は現存天守の「丸岡城」や歴史上の舞台である「一乗谷」があるためかと勝手に納得しました。

山上から見える水田の畝のピンクの芝桜がきれいでした。
一乗谷城
2018年5月1日
51城目(59/200城目)

GWを利用しての遠征、本日3城目は福井県福井市の一乗谷城。

「城」なので本当なら山城へ行ければいいのですが、400m近く登らなければならず初めから断念しました。続100名城で山城の面白さに目覚めてきたところですが、現状身も心も準備不足です。

復元武家屋敷と朝倉氏館跡を見学して次の福井城へ移動しました。
福井城
2018年5月1日
続 9城目(60/200城目)

GWを利用しての遠征、本日最後は福井県福井市の福井城。

今残るのは本丸を囲む高石垣と水堀のみ、内部は県庁舎や県警本部の高いビルに変わってしまっていて、どの角度で写真を撮っても天守閣の様に写り込んでしまう。高石垣が立派なだけに少し残念。しかし藩主が渡るための御廊下橋や平成30年3月に復元整備が終わった「山里口御門」は一見の価値ありです。

古図面に現在の建物や街並みを重ねた「今昔マップ」をスタンプ設置場所の県庁受付でいただきました。お金を取れるのでは?という出来栄えで折らずに持って帰ります。
佐柿国吉城
2018年5月2日
続 10城目(61/200城目)

GWを利用しての遠征、5日目は福井県三方郡美浜町の佐柿国吉城から。

スタンプ設置場所の「若狭国吉城歴史資料館」横から階段の整備されたつづら折を登りつめると本丸下の堀切へ。本丸から南側は開かれていて眺望は抜群ですが、北側にある若狭湾が木々の隙間からしか見えないことは残念。

堀切から反対側の連郭式曲輪群は広い郭が階段状に連続していることが良く判ります。また登城途中の二ノ丸も虎口がはっきり残っていて、見所満載でした。

登り途中に害獣柵があって「熊出没注意」との掲示がありますが、資料館の方は20年居て見たことないとのことでした。
玄蕃尾城
2018年5月2日
続 11城目(62/200城目)

GWを利用しての遠征、本日2城目は福井県・滋賀県県境の玄蕃尾城へ。

「余呉湖観光館」でスタンプ後移動。事前に調べておいたので柳ヶ瀬トンネル直後の林道入口も迷わず行けました。

尾根筋まではさほどかからず縄張りへ。郭毎に虎口がはっきり判る形で残っていて、また郭間をつなぐ土橋と空堀も深く、当時の姿そのままに保存されているようです。

城巡りではじめて散策中に誰とも出会わない登城、天気も下り坂で薄暗い山中でちょっと恐怖を覚えました。下山すると同時に細かい雨が降り出し運が良かったです。
小谷城
2018年5月2日
52城目(63/200城目)

GWを利用しての遠征、本日最後は滋賀県長浜市の小谷城へ。

玄蕃尾城から下山し柳ケ瀬トンネルを抜け滋賀に入ると本降りの雨。城跡は断念して「小谷城戦国歴史資料館」でスタンプのみで終了しました。

資料館では城の縄張りガイドビデオが興味深かったのですが、来館客がなかなか動かないのでこれも断念しました。みんな荒天で時間に余裕ができたんだろうな。
鎌刃城
2018年5月3日
続 12城目(64/200城目)

GWを利用しての遠征、6日目は滋賀県米原市の鎌刃城からスタート、と考えていましたがここはハードルが高い。

スタンプ設置場所は事前の調査で見落しなく行けたのですが、中山道側からは車で行けるのでしょうか? 高速道路下のトンネルに設置の害獣柵を自分で開けて行くよう現地に案内がありましたがタイヤ跡はわずか。常には車が上がってなさそうで恐怖を感じました。

麓から歩くと片道2〜3kmとのこと、雨上がりの山道でもあり登城は諦めました。
八幡山城
2018年5月3日
続 13城目(65/200城目)

GWを利用しての遠征、本日の2城目は滋賀県近江八幡市の八幡山城。

八幡山ロープウェイで山頂駅まで行ってスタンプ。本丸部は社になっているので展望は一段下の西の丸や二の丸からになりますが、遮る山がないので見通しが良いです。

そばに安土山(安土城跡)が見えるのですが、隣にある繖山(観音寺城)より低いとは知りませんでした。
安土城
2018年5月3日
53城目(66/200城目)

GWを利用しての遠征、本日3城目は滋賀県近江八幡市の安土城へ。

スタンプラリーを知らなかった頃一度登城していたため感動は薄かったのですが、それでも大手道の石段はやっぱり圧巻です。

余談ですがトイレは途中のコンビニ等で済ませてからがいいです。城跡内はありませんし、入山口横のガイダンス施設は有料です。
観音寺城
2018年5月3日
54城目(67/200城目)

GWを利用しての遠征、本日最後は滋賀県近江八幡市の観音寺城へ。

観音正寺境内からスタートするとすぐに伝本丸に出られるのですが、出発が山頂部なので各郭は基本下山しながらの散策となります。ルート上は石垣の痕跡があちこちに見れますが、廃城以降放置されたままで崩れたところが多いです。また足元も整備が不十分なのでスニーカーの様な靴では要注意な箇所があります。

スタンプは来る前に「安土城資料館」で安土城印と合わせて押印済みでしたが、そこで7〜8冊 まとめて押印している方がいました。全部自分のものなのかな?
彦根城
2018年5月4日
55城目(68/200城目)

GWを利用しての遠征、最後は滋賀県彦根市の彦根城です。

開国記念館でスタンプ(開館時間前でしたが押印させていただけました)後、開園と同時に表門から入場。連休中で混雑は予想できたのでまずは天守閣へ向かいましたが、それでも閣内は既に行列で進む状況。しかし景色は遮るものがなく前日の曇天から一転の快晴で最高の眺望でした。

遠征旅行の締めは、玄宮園より茶室越しの天守閣を1枚。2度目の訪問でしたが庭園から仰ぐ天守閣はベストビューポイントです。
忍城
2018年6月2日
続 14城目(69/200城目)

埼玉県行田市の忍城へ。

浮き城と称され、周囲の湿地をうまく利用した縄張りで豊臣方の進行に最後まで耐え抜いた忍城ですが、残念ながら往時を想像させられるものはわずかな本丸土塁のみ。復元した三階櫓も本来の位置とは異なっており、このあたりが大きな歴史上の舞台でありながら「続100」の理由なのでしょうか。

その後、登城済みのみなさんと同じく「さきたま古墳群」へ移動し丸墓山古墳へ登りました。やや霞んでいましたがかろうじて三階櫓が見えました。
龍岡城
2018年6月30日
続 15城目(70/200城目)

長野県佐久市の龍岡城へ。

堀は一周してはおらず未完成のまま廃城となった城址です。堀幅も狭く投石でも対岸から簡単に届いてしまう程。守りを考えたものでは無いようですね。

見学後先人の方々にならい五稜郭展望台(田口城跡)へ、標高差は150m程ですが30℃を超える気温の中の登山はキツく休憩しながらの登頂。しかし見下ろす五稜郭は本当に綺麗な星型で苦労が報われました。

展望台の辺りは私有地になっているようで城域の一部に椎茸栽培場やパターゴルフ跡があったりですが、決して荒らされいる訳ではなく間伐がされて段々の郭がわかりやすく思いのほか見応えがありました。
志苔館
2018年7月15日
続 16城目 (71/200城目)

北海道函館市の志苔館へ。

海側は天然の断崖、他の三方も深い堀がきれいに残っていて、また破棄された城址に多い立木に視界を遮られることも一切無い往時の姿がそのままで残っています。

予備知識では「方形の廓が土塁で囲まれ、スタンプは東屋で駐車場も側に無い未整備の城趾」でしたが、見ると聞くでは大違いの見応えでした。駐車場も100m程の公園に20台は置けます。
松前城
2018年7月16日
56城目 (72/200城目)

北海道松前郡松前町の松前城へ。

北海道唯一の日本式城郭の城趾。戦災もまぬがれた天守(三重櫓)があったのだが、戦後近くの役場火災の飛び火で焼失とのこと本当に残念。

スタンプ押印後資料館(櫓)に登りましたが天気は今ひとつ、海岸そばの海が見える程度でした。ここは桜の城で早咲きから遅咲きまでひと月に渡って桜が楽しめるとのこと、その時期にもう一度来たいな。
上ノ国勝山館
2018年7月16日
続 17城目 (73/200城目)

北海道檜山郡上ノ国町の上ノ国勝山館へ。

中央に幅広の直線の通りが設けられ整然と屋敷群が立ち並ぶ…。訪問前はなぜ100名城なの?との印象でしたが、夷王山からの稜線を深い堀で分断した後方の搦手や前方の薬研堀を見ると、やはり戦を意識した城址なのだと納得。

目の前の天の川がアイヌと和人との境界線だったそうですが、勝山館にはアイヌの多数の墳墓も確認されてます。ガイダンス施設での「敵対していた両者だが墳墓は共生関係の証しでもある」との解説ビデオが興味深かったです。
五稜郭
2018年7月17日
57城目 (74/200城目)

北海道函館市の五稜郭へ。

生憎の小雨混じりの天気で、タワーもチケット売り場で「景色良くないですがいいですか?」と確認される状況。昇ってもかろうじて半月堡が見えているだけでしたが、徐々に霧が晴れかろうじて全体が見える程度までは回復しました。

つい先日もうひとつの五稜郭「龍岡城」へ行きましたが、規模の差は圧倒的ですね。
村上城
2018年9月15日
続18城目 (75/200城目)

新潟県村上市の村上城へ。

麓からは判りませんでしたが、「七曲」の名のつづら折りの遊歩道を15分程登ると尾根づたいに石垣群が広がっています。各門から出櫓台,本丸と連なる石垣の規模は想像以上でした。

雨混じりの中の訪問でしたが登城時には上がり、本丸からは日本海も見通せました。
新発田城
2018年9月15日
58城目 (76/200城目)

新潟県新発田市の新発田城へ。

訪問時は某TV番組ではありませんが、外来生物調査イベント準備で堀の水が抜かれていたため景観が今ひとつでした。三階櫓から旧二の丸隅櫓そして表門・辰巳櫓へと連なっていく水堀と石垣がこの城趾のビューポイントと思いますが少し残念。

スタンプは表門をくぐったところに設置のテーブルに置かれています。櫓内ではないため門を吹き抜ける風で帳面があおられました。押印時は要注意です。
向羽黒山城
2018年9月16日
続19城目 (77/200城目)

福島県大沼郡会津美里町の向羽黒山城跡へ。

訪問時はちょうど麓の美里町が秋季祭礼中。通行止でスタンプ設置の整備資料室へ直接行けず、山の反対側になる「うつろ坂」側から入山しました。

山中の道路はきれいに整備されていますが、車を置いて一歩道を外れると多くの遺構が残っています。史跡整備も無数の曲輪に堀,土塁が良く判るようなされていました。一曲輪・二曲輪のみ(それも一部分)だけしか散策できませんでしたが、もう少し時間に余裕を持って行けばよかったです。

駐車場にはスピン跡、夜中の喧騒が想像できましたが熊出没中とのことでギャップが…
三春城
2018年9月17日
続20城目 (78/200城目)

福島県田村郡三春町の三春城へ。

歴史民族資料館で押印後登城。駐車場から本丸はすぐで階段も整備されていますが、登城する人はほとんどいないようで下草がひどかったです。しかし三春城跡パンフの地図を参考に散策すると曲輪や堀跡は判るので、保存状態は良いのでしょう。草の枯れた春秋が訪問には良い時期でしょうか。

本丸の東屋にパンフとスタンプが設置されていますが、前日が雨だったのでパンフはビショビショ。散策中破れない様気を使いましたがスタンプは大丈夫なのでしょうか。
苗木城
2018年10月7日
続21城目 (79/200城目)

岐阜県中津川市の苗木城へ。

この城跡の異様さはなんといっても本丸周りの巨岩とそこへ組み合わされた石垣。清水の舞台の様な天守閣跡懸造り展望台も当時の柱穴を使用して復元したもので、写真等で見ていたが生で見ると圧巻です。登城時は雨上がり後の早朝で景色も360度見渡すこともでき最高でした。

スタンプは登城口そばの苗木城遠山資料館にあり入館料なしでも押印させてもらえますが、展示してある苗木城模型を見るとより往時の姿がイメージできます。
美濃金山城
2018年10月7日
続22城目 (80/200城目)

岐阜県可児市の美濃金山城へ。

可児市観光交流館で押印後、窓口の方に案内図をいただき一気に出丸駐車場まで。ここからわずかな登りで本丸へ行けます。

信長・秀吉時代の森氏の城跡で破却時のままの姿が残っている...とのことですが判りずらいかな。枡形虎口や本丸虎口も階段か?という程度の石垣しか見えないのですが、発掘調査は行われているようで変に掘り返して往時を復元させることなく埋め戻しているのも史跡保存のかたちかと思いました。
郡上八幡城
2018年10月7日
続23城目 (81/200城目)

岐阜県郡上市の郡上八幡城へ。

以前岐阜の100名城巡りの際訪問済みだったので2度目の登城。苗木,美濃金山後でスタンプだけはと終了間際の短時間訪問でしたが、やっぱり天守内に響くきしみ音は木造ならではですね。初登城時、鉄筋コンクリートの岐阜城が選ばれ木造復元のこちらが100名城選外にもやもやしたことを思い出しました。

スタンプは入場料払って天守閣内にあります。何度も試印したのですが中央部が白ヌケしました。スタンプ帳に印面が触れないのでは?
大垣城
2018年10月8日
続24城目 (82/200城目)

岐阜県大垣市の大垣城へ。

関ヶ原の決戦前に西軍の拠点となり石田三成らも入城した城。残念ながら天守閣は戦災で焼失してしまい鉄筋コンクリートでの復元天守。また掘も戦後の開発で埋められてしまい往時の姿は想像しにくくなってしまっています。早々に見学を終え関ヶ原へ行きました。
高島城
2018年10月9日
続25城目 (83/200城目)

長野県諏訪市の高島城へ。

もともと諏訪湖に突き出て周囲を湿地帯に囲まれ、「浮城」の別名もある日本三大湖城のひとつでしたが、御多分にもれず今は開発が進み水堀の一部と本丸だけが残っている状態。
スタンプは入館料を払って天守閣内部にあります。
白石城
2018年10月21日
続26城目 (84/200城目)

宮城県白石市の白石城へ。

徳川の時代一国一城令により破却される城が多かったなか、仙台藩の支城でありながら城主である片倉景綱の功績により幕府から正式に認められ以降明治の廃城令まで続いた城址。

戦後の復元で国内最大級とのことで、確かな資料が多かったためでしょう木造復元がなされていて往時の雰囲気を感じられます。登城時は早朝だったこともあり人影もまばらで大櫓(幕府への気遣いで天守とは言わなかった)を独り占め、城主の気分が味わえました。
岩櫃城
2018年11月3日
続27城目 (85/200城目)

群馬県の続100名城3城は互いに近いので一気攻め。ひとつめは岩櫃城へ。

山城というと山頂部に本丸があり郭群が山麓に連なっていることが多いと思いますが、岩櫃城は背後に岩櫃山を背負った4合目に本丸があります。真田昌幸が新府城を追われた武田勝頼を招こうとしていた城であり、ある程度の規模を想像していましたが意外と小ぶり。ただ本丸直下の竪堀の規模は圧倒されます。

平沢登山口から登城しましたが、周囲は岩櫃山への登山客が多くしっかり装備しているのに対し軽装の自分。なんとなく居心地が悪かったです。

観光案内所でのスタンプ時に記念ボールペンをいただきました。また群馬続100の3城制覇でクリアファイルがいただけます。
名胡桃城
2018年11月3日
続28城目 (86/200城目)

群馬県続100名城一気攻め、2城目はみなかみ町の名胡桃城へ。

利根川岸に張り出した山裾を利用して築城されたこの城址は周囲が急峻な断崖絶壁、しかも各郭間も深い堀で区切られ木橋が架けられているのみ。甲斐と北条の隣接地でまさに前線基地ともいえる城と納得しました。

今は国道17号線から直接郭に入れるよう整備されており、また廃城後手つかずだったため遺構の保存状態がよかったとのことで往時が良くわかる整備がされています。

ここではスタンプ時「名胡桃城クリアファイル」がいただけました。3城制覇でクリアファイルと聞いていたのでここも?と思いましたが赤地に名胡桃城と白字で書かれたカッコイイ物でした。
沼田城
2018年11月3日
続29城目 (87/200城目)

群馬県続100名城一気攻め、最後は沼田城へ。

ここはかつて関東以北で唯一の五層天守もあったとのことですが、本丸は公園・他の郭もグランドやテニスコートと往時をイメージできるものは皆無。唯一西櫓跡に真田時代のものとされる石垣が残されていますが、天守跡もここだろうという盛土部分があるだけで天守台の名残の石垣もありません。

岩櫃城・名胡桃城も選ばれているので真田丸効果での続100選出?とも考えましたが、群馬で3城も選ばれているのでそんな理由ではないでしょうね。

訪問時は城址公園内のほぼ100%の人がスマホ見ながらうろうろ。年配の方も多かったのでポケモンとは違うかな?

ここで群馬続100の3城制覇、記念の「上州真田三名城」クリアファイルをいただきました。
河後森城
2018年11月22日
続30城目 (88/200城目)

愛媛県北宇和郡松野町の河後森城へ。

城址到着時はあいにくの雨。雨中の登城でスタンプ押印のみで撤退も仕方ないかと考えながら設置場所の西第十曲輪の馬屋へ。

しかしそこから見える段々に連なる第九・第八・第七曲輪を見ると先を見たい気持ちが抑えられず、結局ビニール傘片手に尾根筋にU字型に配置された曲輪群から古城・新城へと一周まわってしまいました。足元だけはソールがしっかりした靴を履いていて正解でした。

途中深い緑の中、イロハモミジの群生がオレンジと赤に染まっていて本当にきれいでした。
岡豊城
2018年11月22日
続31城目(89/200城目)

高知県南国市の岡豊城へ。

山城ですが城域は整備されていて中腹にある歴史民俗資料館駐車場へ車を置けば詰,二〜四ノ段の主郭部分はすぐ。

高い土塁やかつての建物跡が見た目にも解りやすく復元整備されて往時がイメージしやすくなっています。また本丸部の詰には期間限定の櫓が建てられていてより城址らしくなっています。

ただこの復元櫓建設のためか、詰までひときわ白い砂利道が竣設されていて周囲から浮いていることは残念でした。
滝山城
2018年12月19日
続32城目(90/200城目)

東京都八王子市の滝山城へ。

先人にならい八王子市加住市民センターで押印後滝山観光駐車場へ車を置いて登城開始。

都内でも有数の桜の名所とのことで城址公園として整備されていますが、深い堀,虎口などの遺構は築城時そのまま?と思えるほど綺麗に残っています。

オフシーズンで人出もほとんどなく全域時間をかけて散策、AR滝山城跡も全て見てきました。
小机城
2018年12月23日
続33城目(91/200城目)

神奈川県横浜市の小机城へ。

小机地区センターで押印後登城。麓からはどこにでもある小山程度にしか見えませんでしたが城域に入ると様子は一変、深い空堀が全域に巡らされ各郭間を土橋が繋いでいる状態がはっきり分かる見ごたえのある城址です。

成長の早い竹林に覆われてしまっているにも関わらず、遺構がこれだけ判別できるように整備する関係者のご苦労に頭が下がります。
本佐倉城
2018年12月29日
続34城目(92/200城目)

千葉県印旛郡酒々井町の本佐倉城へ。

城址北側の「東山虎口」から城域へ入りましたがこの虎口にいきなり驚き。せまくカーブした通路は4〜5mはあろうかという高さの土塁に挟まれていてこれが本来の虎口の姿か?これは突破できないと実感。

また本丸部である「城山」を城域の台地部と完全に分断する「大堀切」や高低差15m以上の「セッテイ空堀」等むき出しの戦国の平山城がそのまま残っていてコンパクトだが見ごたえがあります。

当日はJR酒々井駅側の押印スポットである中央公民館が休館日だったため、京成大佐倉駅で押印しましたが印影は全く問題ありませんでした。また「散策マップ」を持っていくとより理解が進むと思います。
唐沢山城
2018年12月30日
続35城目(93/200城目)

栃木県佐野市の唐沢山城へ。

以前100名城で足利訪問の際足を伸ばして登城したことがありましたが、その時は山城の面白さを知らず「結構な高所によくこれだけの石垣の城を築いたな」が感想でした。しかし今回以前見なかった本丸から奥側の杉曲輪・北城周囲も巡りはっきり残る竪堀に驚きました。

もともと急峻な斜面に風化が進んだ現在でもはっきり判る深くえぐられた様子に、万一踏み外したらどこまで落ちるだろうという恐怖を感じるほどでした。

スタンプは先人方々同様、枠にインクが付いてしまっています。一般参拝客も多い場所柄ちょっと雑に扱われることもあるかな。
大多喜城
2019年1月5日
続36城目(94/200城目)

千葉県夷隅郡大多喜町の大多喜城へ。

この城址、残念ながら遺構は本丸の土塁と元二の丸にあった大井戸くらいでしょうか。模擬天守はそもそも存在自体が不明確で二の丸は高校になってしまっています。正直なぜ100名城?という印象。
ただ城下町には蔵造りの町並みや鉄道館があり、それら含め街全体を楽しめるところです。

スタンプは本丸の模擬天守内で良好、休館日があるので事前確認要です。
笠間城
2019年1月13日
続37城目(95/200城目)

茨城県笠間市の笠間城へ。

先に「かさま歴史交流館 井筒屋」でスタンプ押印。係の方から現在倒木で城跡最寄の千人溜まで車は行けないとのことで案内された井筒屋裏の公営稲荷駐車場より登城スタート、整備されたハイキングコースを15分程で本丸・天守櫓跡へ到着します。

遺構は本丸部に高土塁、天守櫓跡に石垣や石段が残っています。東日本大震災で崩れ立入禁止部分もありますが、むき出しの巨岩群と成形された石垣の対比が面白かったです。

下山後、真浄寺へ移築されている八幡台櫓を見学し小田城へ移動しました。
品川台場
2019年1月19日
続38城目(96/200城目)

東京都港区の品川台場へ。

ペリー来航以降江戸前の海の守りに建造された人工島のひとつ。続100名城選出は第三台場で、当時は船で渡っていたが現在は公園として整備され徒歩で渡れます。

島内のスペースは思いのほか広大で土塁で目隠しされた砲弾倉庫や玉置場、兵舎跡などが残っています。また外郭の石垣は武者返しが設置されていて想像以上に戦の城でした。
二条城
2019年3月21日
59城目 (97/200城目)

京都府京都市の二条城へ。

修学旅行依頼ン十年ぶりの訪問でしたが当時は御殿を見ただけで大きな屋敷という印象しかありませんでしたが、今回天守台をはじめ石垣でぐるりと囲われた姿を見ると改めて城なんだと実感しました

残念ながら現在本丸御殿は大規模な修繕作業中で入場できませんが、江戸期の現存建物二ノ丸御殿には人形をつかっての大政奉還風景も再現されていて教科書で見た図そのもの。まさに瞬間に立ち会っているようでした。

スタンプは退場前の東大手門横休憩所で押印しましたが、珍しい丸型シャチハタなので試印で天地確認をお勧めします。握手の印影と実際の向きが回転してしまっている恐れががあり、実際私も向き合わせに苦労しました。さらによくある裏紙等の用紙もありませんので事前準備をお勧めします。
米沢城
2019年4月27日
続39城目(98/200城目)

GW利用の東北遠征、スタートは山形県米沢市の米沢城。

ここは関ヶ原で敗れ移封された上杉家が明治維新まで代々居城とした城址。現存建築物等は無く本丸も大部分が上杉神社となっていますが、四方をぐるりと囲む土塁と水堀は往時のまま残っています。

二の丸の米沢市上杉博物館では期間限定で「上杉洛中洛外図屏風」が展示されており、原本を見ることができたのは貴重な経験でした。

スタンプは本丸内の観光案内所受付にあります。そばのテーブルを使わせてもらえたので座ってゆっくり押印できました。
鶴ヶ岡城
2019年4月28日
続40城目(99/200城目)

GW利用の東北遠征、2城目は山形県鶴岡市の鶴ヶ岡城へ。

輪郭式縄張の平城で遺構は本丸および二の丸の土塁とそれを囲う水堀。水掘りは幅広く土塁は見上げる程の部分も残っており往時の雰囲気を残しています。本丸は荘内神社となっていて米沢城と雰囲気が似ています。

神社横には藤沢周平記念館があります。時代小説好きとしては見学したかったのですが、時間の都合で城址見学のみで次へ移動しました。
山形城
2019年4月28日
60城目(100/200城目)

GW利用の東北遠征、3城目は山形県山形市の山形城へ。

二の丸より内側が霞城公園として市民の憩の場となっている城址ですが、かつての三の丸まで含めた城域は全国5位の広さだったとのこと。これは現存する二の丸を囲う高い土塁や水堀を見ても容易に想像できます。

現在二の丸東大手門や埋め立てられていた本丸大手橋などの復元工事も進んでいて往時の姿を取り戻しつつあり、先が楽しみです。

大手門櫓内でスタンプを押印したのですが、到着が閉門ギリギリで内部の見学は出来ませんでした残念。
脇本城
2019年4月30日
続41城目(101/200城目)

GW利用の東北遠征、4城目は秋田県男鹿市の脇本城へ。

麓の海岸沿いを走る国道からは様子がわかりませんが、ほんのわずか登るだけで景色は一変。見渡すかぎりの曲輪と空堀の連続でその規模に圧倒されました。

小雨混じりだったということもあり案内所のスタンプ押印後ためらったのですが思い切って登城して正解でした。この山城は必見だと思います。

案内所に置かれた城跡ガイドもフルカラーで作られていて綺麗に持って帰りました。
秋田城
2019年4月30日
続42城目(102/200城目)

GW利用の東北遠征、5城目は秋田県秋田市の秋田城へ。

ここは奈良から平安時代にかけて当時の律令国家が各地に配置した「城柵」と呼ばれる行政・軍事の拠点のひとつで最北のものです。戦国時代の堀や土塁・石垣といった城跡とは趣が違いますが、前日大仙市にある城柵のひとつ「払田柵」を見学していたこともあり比較ができて面白かったです。

併設の秋田城跡歴史資料館も城址の理解が進むよう工夫された展示がされていて、一見の価値があると思います。こちらでスタンプ可ですが有料施設見学が条件になるのでご承知おきください。
久保田城
2019年4月30日
61城目(103/200城目)

GW利用の東北遠征、6城目は秋田県秋田市の久保田城へ。

ここは関ヶ原以降に整備された平山城ですが石垣はほとんどなく土の城です。現在千秋公園として市民に解放されていますが土塁の保存状態は良く往時の姿が残っています。

城内の佐竹資料館でスタンプ押印しましたが、ここは明治まで絶えなかった歴代藩主の資料が多く展示されています。
弘前城
2019年5月2日
62城目(104/200城目)

GW利用の東北遠征、7城目は青森県弘前市の弘前城へ。

弘前桜祭りは一度来たかったのですが訪問時は既に盛を過ぎており残念。かろうじて本丸周りのしだれ桜が満開と言う程度でした。

ご存知石垣の修復のため曳家で現存天守を移動していますが、その際建物を守るため建物内に鉄骨を配していてかえって貴重なものが見れました。
浪岡城
2019年5月2日
続43城目(105/200城目)

GW利用の東北遠征、8城目は青森県青森市の浪岡城へ。

南側を流れる浪岡川のかつては中洲だったのでは?という城址で、各廓間の堀には葦が生えていて水堀ではなく川が流れていたのではという印象です。さらにこの堀には土塁が築かれていて、その土塁上を通路にしていた様です。

スタンプは併設の案内所でも押印可です。
九戸城
2019年5月3日
続44城目(106/200城目)

GW利用の東北遠征、9城目は岩手県二戸市の九戸城へ。

ここは豊臣秀吉全国統一の仕上げ奥州仕置の最後の地で、元来中世紀の九戸城があった場所に豊臣以降の近世城である福岡城が築かれ2時代に渡る城跡が共に見れる貴重な城址です。土塁と堀の中世平山城の本丸部分に近世の野面積み石垣が残っています。

三の丸にあるガイドハウスのガイドの方が熱く語っていて地元の城址を本当に大切の想っているなと感じました。
根城
2019年5月4日
63城目(107/200城目)

GW利用の東北遠征、10城目は青森県八戸市の根城へ。

ここは南北朝時代の奥州での南朝方の中心地。本丸には主殿・工房・馬屋などが復元されていて当時の様子がイメージしやすくなっています。

また本丸をぐるりと囲う堀も保存状態が良く残されていて、堀底から見上げるとその深さがより実感できます。

スタンプは同敷地内の八戸市博物館受付にあり、入場なしで押印できます。
多賀城
2019年5月6日
64城目(108/200城目)

GW利用の東北遠征、ラスト11城目は宮城県多賀城市の多賀城へ。

今回の東北遠征で秋田城・払田柵等を見学していたので「城柵」についての予備知識がありましたが、この多賀城もそれらのひとつで律令時代の軍事・行政の一大拠点だった場所です。城址には政庁跡とそこから延びる南大路への階段が整備されています。大路は今も復元整備が継続中で、政庁からは延々と伸びる大路跡が見通せてその規模に驚かされました。

スタンプは政庁下駐車場隣接の管理事務所で24時間可能です。シャチハタなのでスタンプ帳に置いて位置決め,押印と思ったのですが、なぜか置いただけで紙面に触れたようで2重になってしまいました。ショック!
仙台城
2019年7月13日
65城目(109/200城目)

宮城県仙台市の仙台城へ。

現存する遺構は本丸北壁の高石垣と登城途中の門跡石垣。また本丸まで道路が整備されている上その本丸が駐車場、と往時の雰囲気は皆無の状況ですがロケーションは抜群です。さすが「仙人の住む高台」に納得。

青葉城資料展示館での仙臺城CG映像は今は無き豪華絢爛な御殿が良かったです。
盛岡城
2019年7月14日
66城目(110/200城目)

岩手県盛岡市の盛岡城へ。

この城址はなんといっても城域をぐるりと囲う総石垣。三ノ丸や二ノ丸への登城路の桝には整形された巨大な石も使われていて圧倒されました。

「もりおか歴史文化館」でスタンプ押印しましたが、2階でやっていた期間限定の企画展「れきぶん謎解きチャレンジ第1弾」でお宝(缶バッチ)をゲットしました。展示物をよく観察しないと正解が判らず大人ながら夢中になりました。
岡城
2019年8月10日
67城目(111/200城目)

大分県竹田市の岡城へ。

兵庫県の竹田城跡は天空の城と呼ばれるが、この岡城も標高300m超の山頂部を高石垣で囲った廓が幾重にも連なるまさに天空の城。よくぞこんな高所にこれだけのという規模で驚かされました。

山城ではありますが広大な城址内にはトイレも整備されており、時間を気にせず満喫してこれます。スタンプは城址入場券売り場で出してもらえ、また登城券とあわせてもらえた巻物風岡城址マップがいいです。
佐伯城
2019年8月11日
続45城目(112/200城目)

大分県佐伯市の佐伯城へ。

前日岡城で石垣の山城を満喫しましたが、この佐伯城も比高100mほどの八幡山山頂部の縄張りを石垣でぐるりと囲った城址。二の丸虎口から廊下橋・本丸石垣と変化に富んだ遺構が次々と現れ小ぶりですが見どころ満載でした。

スタンプは麓の歴史資料館受付横で無料押印できるのですが館内展示も見学、佐伯城模型が良くできていてたった今見てきた城址跡を思い出しながら情報補完してきました。
臼杵城
2019年8月11日
続46城目(113/200城目)

大分県臼杵市の臼杵城へ。

整然と整備された市街地の中心部に一見不自然なほど急峻な崖の小高い丘がありますがこれが城址。今は周囲が埋め立てられてしまっていますが当時完全に海上にはなれた島を利用した城でした。

各郭の周囲には現存石垣が多く残っておりまた本丸と二の丸を分断する空堀も整備されていて往時がイメージしやすくなっています。また岩石を掘削し切り通した登城路「鐙坂(あぶみざか)」も珍しいと思います。
角牟礼城
2019年8月11日
続47城目(114/200城目)

大分県玖珠郡玖珠町の角牟礼城へ。

城址のある角埋山麓にある「わらべの館」でスタンプ押印。係りの方に山頂そばの三の丸駐車場を案内してもらいに車を置いて登城スタート。

実は駐車した三の丸が最も遺構の石垣がきれいに残っていましたが、大手門や二の丸も天然石を組み上げる大規模な穴太積みが見られます。
大分府内城
2019年8月12日
68城目(115/200城目)

大分県大分市の大分府内城へ。

現存建築物は宗門櫓(訪問時は保存修理中でした)と人質櫓のみですが堀石垣や天守台などは良好な状態で残されており、また廊下橋や隅櫓・大手門も復元が進み城址公園として市民の憩いの場となっています。現在公園内では仮設足場で天守閣を模した夜間イルミネーションが点灯されています。

スタンプは大手門櫓下と公園内設置の「府内城絵巻コンテナハウス」で可能です。訪問時は朝一でコンテナは入れず常設の櫓下で押印しましたが、設置環境か?にじんだ様になってしまいちょっと残念。
伊賀上野城
2019年11月2日
69城目(116/200城目)

三重県伊賀市の伊賀上野城へ。

天守閣は往時を復元したものではなく模擬天守ですが、木造でしかも私財でのものです。やはり天守台には天守が建っているのがいいですね。

高石垣が知られた城址ですが、上からは落下防止で手前に柵があり(越えて行けますが抵抗感があります)際まで近寄れず、また下からは堀外の藪の切れ目から覗く形になってしまい今ひとつでした。
新府城
2019年11月16日
続48城目(117/200城目)

山梨県韮崎市の新府城へ。

ここは武田勝頼が長年の政庁だった躑躅ヶ崎から韮崎の七里岩台地に新府築城した武田氏最後の城。

城域は広大で本丸をはじめ虎口や土塁が判別しやすく整備が進んでいますが、樹木が視界を遮って展望が開けている部分は限られています。

スタンプ押印は城址から2?程の韮崎市民族資料館になります。韮崎の由来は韮の生産地ということではなく、台地の形状を韮の葉に見立てたからと係りの方がおっしゃってました。
要害山城
2019年11月16日
続49城目(118/200城目)

山梨県甲府市の要害山城へ

ここは武田氏居城躑躅ヶ崎の詰城。関ヶ原以降は手付かずで荒れ放題、道路側から山頂部主郭までは登城路を外れると高い笹薮で見通しが悪く、曲輪や竪堀も表示板が設置されていても判らない程です。
しかし山頂部主郭まで登り詰めた後尾根伝いに少し進むと、麓まであろうかという幾重にも連なる深い竪堀がはっきり判ります。

スタンプは甲府市駅北口にある藤村記念館で。土曜日で付近のパーキングは満車、駅反対側に置いたので登城済みの甲府城も再訪してきました。
土浦城
2019年11月30日
続50城目(119/200城目)

茨城県土浦市の土浦城へ。

市街化が進み本丸と二の丸の一部のみが亀城公園として残る城址ですが、水堀と土塁が現存して廓を囲っているため往時の雰囲気が感じられます。本丸櫓門は関東唯一の現存大手門です。

スタンプ押印の東櫓と隣接の市立博物館は共通券で105円、博物館駐車料金も込みなのでマイカー利用の方はおススメです。
諏訪原城
2019年12月27日
続51城目(120/200城目)

静岡県島田市の諏訪原城へ。

ここは武田築城術の特徴「丸馬出」が知られる城址ですが、その中でも最大規模「二の曲輪中馬出」の巨大さは圧倒的。写真では見ていましたが実物のスケールは思っていた以上でした。

更にその内側に横たわる外堀・内堀も広く深く、攻め込む立場の困難さが実感できました。
高天神城
2019年12月27日
続52城目(121/200城目)

静岡県掛川市の高天神城へ。

搦手側の駐車場から整備された階段登城道をいっきに100mほど登ると馬の背に、城域はここから東西の尾根に広がっています。

この城址は北,東,南側は急な崖で天然の要塞、西側からの攻めに備えた横堀や尾根を分断する大堀切がはっきり判ります。
浜松城
2019年12月28日
続53城目(122/200城目)

静岡県浜松市の浜松城へ。

猛々しい野面積の石垣が保存状態よく残っています。しかも整備時期が異なっていると思われる乱積・布積が並存していたり、成形不十分な算木積が天守台に用いられたりと石垣の進化過程?が楽しめます。
興国寺城
2019年12月29日
続54城目(123/200城目)

静岡県沼津市の興国寺城へ。

北条早雲が今川氏から与えられ戦国大名への足がかりとした城址。
遺構は土塁と空堀ですが伝天守台と北曲輪の間の大空堀の深さは圧倒されました。

スタンプは本丸内 穂見神社横の案内板に併設、スタンプ台には雨よけも無いので訪問時可能なら天気を選んだ方がいいです。
古宮城
2020年2月9日
続55城目(124/200城目)

愛知県新城市の古宮城へ。

この城址は武田信玄が三河進出の拠点として築城したと伝わるもの。外からは一見杉に覆われた小山だが一歩足を踏み入れるとその小山全域に巡らされた堀と土塁がはっきりと残っています。

築城当時は周囲が湿地で地続きは西側のみ、そこで城域は南北を大堀切で分断し東側には居住域とした比較的平坦な曲輪が、西側は守りに特化し横堀が幾重にも設けられていて特にこの多重横堀の高さと複雑さには圧倒されました。
吉田城
2020年2月9日
続56城目(125/200城目)

愛知県豊橋市の吉田城へ。

遺構がはっきり判るのは本丸を囲う石垣とその角にある鉄櫓(模擬復元)だけです。
他は豊橋公園として整備されかつての廓や堀は跡もわからないのがちょっと残念でした。
小牧山城
2020年3月21日
続57城目(126/200城目)

愛知県小牧市の小牧山城へ。

ここは信長が美濃攻略の足がかりにし、その後家康・秀吉直接対決時には家康の本陣となった城址。

江戸時代になると徳川家直轄地として入山禁止になったこともあり、城域内の史跡保存状態は良く現在も発掘調査が続いており出土した石垣の裏込石が山頂付近のあちこちに積まれていました。

訪問時は工事及びコロナの影響で各展示施設全て休館中なのが残念でしたが、ただしスタンプは「れきしるこまき」で押印のみ可能です。
津城
2020年9月18日
続58城目(127/200城目)

コロナ禍で半年ぶりの遠征旅行、一つ目は三重県津市の津城へ。

ここは関ヶ原後入封した築城の名手藤堂高虎が大改修し、以降幕末まで藤堂氏が城代として存続し続けた城址。現存史跡は本丸と西の丸の外郭石垣とその外側の水堀のみですが、復元建築物として本丸東側石垣に丑寅櫓が復元されています。

スタンプは隣接の高山神社社務所でカウンターに設置されており自由に押印できます。また車は市役所駐車場を無料利用可です。
松阪城
2020年9月18日
70城目(128/200城目)

半年ぶりの遠征、2城目は三重県松阪市の松坂城へ。

ここは四五百森の丘陵を利用して築城された総石垣の平山城で本丸に連なるきたい丸,隠居丸,二ノ丸と広大な城域がぐるりと高石垣で囲われた城址です。
一国一城令以降荒廃が進んでいた様ですが、現在は復元整備が進み多聞跡,櫓跡伝いに各郭をぐるりと巡ることもでき往事の姿も容易に想像できます。

スタンプは大手道横の歴史民俗資料館で押印しましたが、有料入館でコーナー最後に設置されています。駐車場は城址隣接の松阪市駐車場に無料駐車可で、係の方が親切で簡単に周辺案内をしていただいた上に観光マップも出してもらいました。
新宮城
2020年9月19日
続59城目(129/200城目)

半年ぶりの遠征、3城目は和歌山県新宮市の新宮城へ。

ここは熊野灘に注ぐ熊野川河口域の丘陵地「丹鶴山」に総石垣造りで築城された城址。現存する城域の石垣は整備が進み、また「水の手」と呼ばれる港跡もありコンパクトですが見所が多いです。

現地で会った方が「鐘ノ丸部に旅館が建っていた時代があった」と話されていました。外からの景観はさておき城に泊まるという体験はしてみたいものですね。

駐車場は城址入り口に数台置けるスペースがあります。またスタンプは500メートル程離れた新宮市立歴史民俗資料館内にありますが入館料が必要です。
赤木城
2020年9月19日
続60城目(130/200城目)

半年ぶりの遠征、4城目は三重県熊野市の赤木城へ。

ここは豊臣の時代、厳しい支配に対して起こった大規模な一揆に対する鎮圧拠点として築城されたとされる城址。江戸時代以降は廃城とされた様で改修の痕跡がなく、過渡期の中世山城をそのまま目にすることができます。

方形の主郭部は周囲を野面積みの石垣で囲ったものとなっていますが、連なる北郭,西郭,東郭は勾配の険しい石垣を設けている面がある一方、傾斜が緩く石垣自体が無い面もあり、これは麓の谷筋の集落からの見栄を意識したためとされています。

これら色々な顔を見せてくれる縄張りに加え山頂部からの谷の棚田も美しく、今回の遠征旅行での長距離移動疲れも一気に吹き飛びました。

スタンプは国道311号沿いの道の駅「熊野・板屋九郎兵衛の里」に設置されてますが印影が消えそうなほど薄かった点はショックでした。
田丸城
2020年9月19日
続61城目(131/200城目)

半年ぶりの遠征、5城目は三重県度合郡玉城町の田丸城へ。

北畠氏の居城だったものを織田信雄が改修、以降江戸時代は紀州藩家老が代々城主とし老朽化した石垣等も数度の修復を行い明治まで続いてきた城址。

現在三の丸跡地は中学校になっていますが、本丸,北の丸,二の丸は往時の縄張りが今でもそのまま、村山龍平記念館のスタンプ設置場所に置かれていた田丸城パンプ内の寳歴年間之図を見ながら散策を楽しみました。

駐車場は大手門脇の役場駐車場と5台程ですが本丸直下にもスペースがあります。
多気北畠氏城館
2020年9月20日
続62城目(132/200城目)

半年ぶりの遠征旅行、最後6城目は三重県津市の多気北畠氏城館へ。

多気北畠氏が代々本拠としていた城址で平時の居館と戦時の山城からなっていますが、訪問時は雨模様だったこともあり館跡のみ見学してきました。

もっとも館跡は現在北畠神社となっていて日本最古の石垣も発見されたとのことですが、調査後埋め戻されて見ることはできず境内に城址を感じられる所はありませんでした。

しかし館跡庭園は国の名勝史跡に選定される美しいもので訪問時は他人はなくその景色を独占堪能してきました。
石垣山城
2021年4月21日
続63城目(133/200城目)

神奈川県小田原市の石垣山城へ。

太閤の一夜城で知られる城址。
当時の関東には無い総石垣造りでしかも小田原を見下ろす笹懸山麓での造営、これを成す秀吉の人身掌握・財力は北条を圧倒したことが現地に立つと容易に想像できます。

城域各所に石垣の遺構が残っていますが、中でも井戸曲輪の石垣は当時のまま、枡を何重にも重ねた様な他では見ない井戸で一見の価値ありです。
和歌山城
2022年3月21日
71城目(134/200城目)

和歌山県和歌山市の和歌山城へ。

さすが紀州徳川の居城、そのスケールに圧倒されました。

石垣も豊臣期の野面積みから徳川期の切り込み接ぎと時代ごとの石積みの変化がここだけで見ることができます。