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メンバー情報

ID8034
名前悠樹
コメント2013年から百名城巡りを始めました。歴史に関心ある悠樹です。一生をかける超長期プランでマイペースに見ていきたいと思ってます。

年度別登城数
2013年 3城
2014年 8城
2015年 3城
2016年 16城
2017年 7城
2018年 16城
2019年 37城
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
会津若松城
2013年4月6日
百名城巡り一城目。当時大河ドラマ舞台だっただけあり賑わってました。
春日山城
2013年8月16日
二城目。糸魚川の蓮華温泉へ友人と行った際に春日山城にも寄りました。いかにもな山城という雰囲気でした。

2020.6.6再訪
上杉謙信が本拠を構えたことで有名な山城。春日山城は謙信の父為景の代から長尾家(上杉家)が城主となり、景勝の代まで戦国山城として発展を遂げた。
今回は二度目の登城。前回は春日山神社から登城しましたが、今回は大手口から向かうことにした。それなりに長い階段を登りましたが、早朝に登城を開始したので涼しく、そこまで体力を消耗せずに済んだ。この時期は毛虫が多いようで、草むらに入っての探索は止めといた。本丸付近に到着すると眺望良く、高田平野や日本海を見渡すことが出来た。
また、6月にも関わらず、草刈りをして頂いているようで、春日山城の雛壇状の曲輪がよく見て取れた。春日山城の管理の方々、感謝します。本丸から少し下ったところに、上杉謙信が出陣前に祈りを捧げた毘沙門天尊像を安置した御堂があり、お参りさせて頂きました。
山形城
2013年9月15日
三城目。山形の友人と行きました。当時本丸復元中で、いつかまた行ってみたいです。少し離れますが上山城にも行きました。
二本松城
2014年8月13日
四城目。お盆休みを利用して一気に東北の城を回ろうと思い、まず二本松城へ行きました。坂がきつく、防御が高い城でした。
仙台城
2014年8月13日
五城目。実物はないですがCG再現された天守を見ることができました。
多賀城
2014年8月14日
六城目。ロマンを感じる城でした。
盛岡城
2014年8月14日
七城目。
根城
2014年8月15日
八城目。再現された建物のセットが当時を偲ばせ感動しました。案内してくれた地元のおじさんもいい人でした。
弘前城
2014年8月15日
九城目。この時は夏に行ってしまいましたが、いつか桜の時期にも行ってみたいです。
久保田城
2014年8月16日
十城目。東北の城をこの時一気に見て回りましたが、久保田城が最後になりました。入る際に迷った記憶。
鉢形城
2014年10月25日
十一城目。秩父旅行の道中友人と三人で行きました。広い城で全て見ることができなかったのでまた行きたいです。

2020.9.5再訪
1476年に長尾景春に築かれた城郭。城主は上杉氏を経て1558年に北条氏邦が務め、上野国進出の拠点として用いられた。
鉢形城は荒川と深沢川に挟まれた河岸段丘上に築かれている。特に荒川側は川幅が広く断崖絶壁で攻められる気がしない。鉢形城は東北南側を川に囲まれた要害であるが、西側は陸続きの構造となる。しかし、西側には連郭式に曲輪が築かれており、堀を幾重にも巡らせ強固な造りとなっている。現に豊臣秀吉による北条攻めでは、上杉・前田・真田連合軍(3〜5万とされる)相手に3500の兵で1か月余りも耐えきったという。凄い城ですね。
見所の一つとして復元石積土塁がある。石積土塁には裏込め石が使用されておらず、いわゆる「石垣」とは異なる技術らしい。土塁を高く積み上げ、有事には城兵がすぐに駆け上がれるように階段状になっているのが特徴。また、城内の堀や土塁はとてもよく整備されており、城郭の姿がよく見て取れる。当時の姿が想像出来て楽しいです。
一乗谷城
2015年5月3日
十二城目。かつての朝倉氏の繁栄を思うとロマン溢れる城でした。
松江城
2015年5月4日
十三城目。友人と出雲大社と共に松江城へ行きました。
月山富田城
2015年5月4日
十四城目。時間が無くて本丸行けなかったのが口惜しい。登山。
金山城
2016年1月29日
十五城目。会社に遅い正月休みを貰い城巡り旅へ。山城。
彦根城
2016年1月31日
十六城目。城もよかったですが、ひこにゃんもよかったです!
姫路城
2016年2月1日
十七城目。休日はとても混むそうですが、この時平日だったのでゆっくり見れました。さすが白かったです。
和歌山城
2016年2月2日
十八城目。この日映画の撮影やってました。
松阪城
2016年2月4日
十九城目
岡崎城
2016年2月5日
二十城目。私は三英傑では家康好きで、この時念願叶って行くことができました。家康館もよかったです。近くの松平八代の墓がある大樹寺も行きました。大樹寺からの岡崎城は必見です!
小諸城
2016年2月6日
二十一城目。
高岡城
2016年6月13日
二十二城目。
七尾城
2016年6月14日
二十三城目。
新発田城
2016年6月22日
二十四城目。この時引っ越すことになり、最後に両親と地元の城を見に行きました。自衛隊基地だけあって日本軍関係の展示が多かったです。
山中城
2016年8月27日
二十五城目。引っ越し後、まずこの城へ来てみました。他では見られない障子堀が印象的でした。
甲府城
2016年9月18日
二十六城目。
武田氏館
2016年9月18日
二十七城目。友人三人と見に行きました。武田神社では武田家関連のものが多く見られます。近くのほったらかし温泉もよかったです。

2019.6.22再訪
武田神社前に新しく信玄ミュージアムという施設が出来ていました。武田信玄直筆の書状や、発掘調査で出土した軍馬の骨格が展示されていました。
小田原城
2016年9月22日
二十八城目。改修したばかりでキレイでした。
松本城
2016年10月22日
二十九城目。友人四人で行きました。現存天守だけあって当時を偲ばせる迫力ある城でした。
江戸城
2016年12月31日
三十城目。年末で本丸の中には入れませんでした。スタンプは押せました。
また行くことにしよう。

2019.11.3再訪
品川台場を見た後、有楽町駅で降りて江戸城へ移動。やはり江戸城は堀が広く迫力があります。桜田門から江戸城内に入りました。切込接の石垣が早速ありましたが、流石洗練されていて魅入りました。その後は伏見櫓と楠木正成公の銅像を見物。銅像を見て、最近行った千早城を思い出してました。そしてその後、いよいよ本丸(皇居東御苑)を見学!…と思ったら今回も閉園…。入園は15時30分までとのことです。またリベンジすることにします。
箕輪城
2017年3月4日
三十一城目。攻めづらそうな城でした。
掛川城
2017年4月1日
三十二城目
白河小峰城
2017年4月15日
三十三城目。友人が白河へ引っ越した事を機会に行って来ました。現時点で一部修築中だったのが残念ですが、桜も咲いててきれいな城でした。
水戸城
2017年7月23日
三十四城目。
名古屋城
2017年9月16日
三十五城目。
岩国城
2017年11月3日
三十六城目。
福山城
2017年11月4日
三十七城目。
岐阜城
2018年4月28日
三十八城目。
高島城
2018年5月1日
三十九城目。続百名城一城目。
杉山城
2018年5月4日
四十城目。続百名城二城目。良い山城でした。スタンプは役所の中ですが休日でも入れます。
川越城
2018年5月4日
四十一城目。百名城三十九城目。GWのため周辺が混んでて、車で行くのが大変でした。
足利氏館
2018年6月3日
四十二城目。百名城四十城目。近くの足利学校跡にも行ってみました。
吉田城
2018年6月17日
四十三城目。続百名城三城目。敷地内は公園になっています。スタンプ設置箇所の鉄櫓は15時で閉まってしまうのですが、ぎりぎり間に合いました。ガイドの方の話が面白かったです。
興国寺城
2018年7月22日
四十四城目。続百名城四城目。車で入ると道が少し狭い。スタンプは城内の神社の隣に無人で置いてある。城北にある空堀が凄い。
鎌刃城
2018年8月11日
四十五城目。続百名城五城目。山城で結構歩きます。場所によっては足場が悪く、斜面に落ちそうでした。野生の鹿がいた。
安土城
2018年8月11日
四十六城目。百名城四十一城目。階段を結構登る必要があり足に応えます。安土城天守信長の館という施設でVR安土城が見れます。
観音寺城
2018年8月11日
四十七城目。百名城四十二城目。安土城城郭資料館という施設に安土城と観音寺城2つのスタンプが置いてあります。車で観音寺城へ行く場合は、近くの観音正寺に駐車してそこから徒歩10分強くらいです。
八幡山城
2018年8月11日
四十八城目。続百名城六城目。
小谷城
2018年8月12日
四十九城目。百名城四十三城目。小谷城戦国歴史資料館で勉強。今回は資料館のみで登城せず。いつかまた来たい。
大垣城
2018年8月12日
五十城目。続百名城七城目。天守閣内は関ヶ原関係の展示が多かったです。
上田城
2018年9月22日
五十一城目。百名城四十四城目。学生以来8年ぶりに登城。真田丸放送時に来たかった・・・。今でも大河仕様の甲冑とかが近くの観光会館で少し展示されてます。
駿府城
2018年10月7日
五十二城目。百名城四十五城目。妻と友人夫婦の4人で行きました。天守台の発掘調査を行っているそうで、その現場を見ることができます。城内の2つの櫓ではそれぞれ資料展示してて見応えありました。特に巽櫓は規模が大きくて良かった。駿府城の後、久能山東照宮も行きましたがこちらも良かったです。
忍城
2018年12月22日
五十三城目。続百名城八城目。
長篠城
2019年2月10日
五十四城目。百名城四十六城目。宇連川と豊川を利用した天然の要害。川の対岸から長篠城を眺めてみましたが、城は崖の上にありここから攻めるのはかなり難しそう。唯一地続きとなる城の北側には空堀や土塁等の遺構が残る。さすが500の兵で武田軍15000を防いだ城だと思いました。設楽原の方にも行って再現された馬防柵も見てきました。
古宮城
2019年2月10日
五十五城目。続百名城九城目。山全体に築かれた戦国の城。現在も当時の地形がよく残っていました。中は何重にも横堀や土塁が造られており、容易には侵入出来ない。スタンプは作手歴史民俗資料館で押印。城の場所は分かりにくいかもですが、資料館の人が親切に教えてくれました。近くにある亀山城にも行ってみました。
石垣山城
2019年2月20日
五十六城目。続百名城十城目。登城は3回目ですがスタンプは今回ゲット。妻と行ってみました。本丸からは史実通り小田原城を見ることが出来ます。石垣山城内の井戸曲輪には、野面積の石垣がほとんど当時のまま残っているとのことで見事でした。
佐倉城
2019年3月2日
五十七城目。百名城四十七城目。馬出空堀等の遺構がきれいに残っていました。また、隣接してる国立歴史民俗博物館は見応えがかなりあり、1日で回ることが出来なかった。また来たいと思います。
津城
2019年3月16日
五十八城目。続百名城十一城目。藤堂高虎公ゆかりの城。出張ついでに足を延ばして訪れました。現在は公園になってますが、周囲を取り囲む石垣は健在。藤堂高虎公の像もありました。スタンプは近くの高山神社で押印。
田丸城
2019年3月16日
五十九城目。続百名城十二城目。石垣が数多く残っていて見応えありました。天守台からの眺めも良かったです。スタンプは村山龍平記念館で押印。城内には中学校が建てられています。部活の光景も見ながらほのぼの城見物してました。
滝山城
2019年3月30日
六十城目。続百名城十三城目。近くに多摩川が流れており、滝山城はその渡河地点を抑えるために建てられたそうです。滝山城本丸と中の丸からは多摩川を眺めることが出来ました。城南側から敵を迎える場合は、二の丸が重要防御地点となるらしく、二の丸には何れの虎口にも馬出が造られています。道も狭く、二の丸への侵入は難しそうでした。城北側は山の傾斜が大きく出丸も設けられており、こちらも侵入は難しそう。良い山城でした。スタンプは八王子市加住市民センターで押印。
今治城
2019年5月1日
六十一城目。百名城四十八城目。藤堂高虎が築上した城で、日本三大水城の一つ。水堀が広く防御の高さが伺えました。また、今治城は初めて枡形虎口を取り入れた城とのことで、多聞櫓ではその解説を聞くことが出来ました。天守閣も立派でした。
松山城
2019年5月1日
六十二城目。百名城四十九城目。平山城ですが山頂までロープウェイかリフトで登ることが出来ます。GWなので結構混んでおりました。現存十二天守の一つで、天守には趣がありました。石垣は高さ14m以上の箇所もあるらしく、迫力が凄かったです。
湯築城
2019年5月1日
六十三城目。百名城では記念すべき五十城目。河野氏が築いた平山城。湯築城記念館では河野氏と湯築城についての映像を見て歴史背景を知ることが出来ます。歴史的遺構が多く残されており、発掘調査が続けられているらしいです。記念館や武家屋敷で発掘物やその調査内容を見ることが出来ます。山頂の展望台からは松山城を眺めることが出来ました。
河後森城
2019年5月2日
六十四城目。続百名城十四城目。山城ですが1時間くらいで回ることが出来ました。本郭、古城、新城それぞれ見ましたが良い眺めでした。近くの松丸駅で地図を貰うことが出来ます。
松丸駅併設のぽっぽ温泉もリーズナブルで良かったです。
宇和島城
2019年5月2日
六十五城目。百名城五十一城目。松山城に続いて現存天守閣。天守と石垣からは歴史を感じられました。宇和島城からは宇和島港を眺めることが出来、当時港を重視していたことが伺えました。
近くの伊達博物館では伊達家について紹介されており、伊達政宗公から息子の宇和島藩主秀宗公への書状を見ることが出来ました。伊達政宗公は息子思いだったようです。
大洲城
2019年5月2日
六十六城目。百名城五十二目。天守閣は再現ですが、当時の資料に基づいて忠実に再現されてるとのことで見応えありました。大洲城には4つの櫓もありますがこちらは現存らしく、国の重要文化財に指定されています。櫓も見てみましたが良かったです。南隅櫓だけ城外(当時の三の丸)にあります。
勝瑞城
2019年5月2日
六十七城目。続百名城十五城目。愛媛からの帰宅途中に立ち寄り登城。まだ調査中とのことで、これからに期待です。
洲本城
2019年5月3日
六十八城目。続百名城十六城目。山上に築かれており、城からの眺めが良かったです。西の丸にある残念石が気になります。天守付近に蜂が結構いたので注意。
芥川山城
2019年5月3日
六十九城目。続百名城十七城目。芥川山城はかつて三好長慶が居城としていました。スタンプはしろあと歴史館で押印。妙に混んでると思ったら、今日から明日までジャズのイベントが開催されているようです。時間の都合で芥川山城の方には行けなかったのでいずれリベンジしたい。
要害山城
2019年6月22日
七十城目。続百名城十八城目。要害山城跡までは山道を登ります。草木が伸びて山道を阻んでいるので注意。山上の要害山城には「門跡」「主郭部」等簡単な表示板が設置されてますが地図が欲しいです。と思ってたらスタンプ設置場所の藤村記念館で貰えました。先に来るべきでしたね。要害山城主郭部には「武田信玄公誕生之地」の石碑があり感動しました。
諏訪原城
2019年7月28日
七十一城目。続百名城十九城目。かつて武田家家臣馬場信春が高天神城攻略のため築いた城郭。城内には諏訪大明神を祭った諏訪神社があり、諏訪原城の由来となっているそうです。城内には馬出が随所に見られ、特に二の曲輪の馬出は規模が大きく迫力があります。諏訪原城は馬出がある城郭の代表と言っても良いのではと思いました。今年3月に出来たばかりのビジターセンターは新しくてきれいでした。来年には諏訪原城のジオラマが設置されるそうです。城内には自動販売機は設置されていないので、この季節は飲み物を持っていった方が良さそうです。
篠山城
2019年8月11日
七十二城目。百名城五十三城目。徳川家康が豊臣秀頼の大坂城包囲と西日本の大名を夫役によって疲弊させるために築いた城郭。虎口には馬出や枡形が設けられ、石垣は高く積まれており篠山城の防御力の高さが伺える。築城の縄張り奉行があの藤堂高虎とのことで納得。城内の大書院は資料に基づいて設計・復元されたらしく、見ていて厳かな雰囲気を感じました。
黒井城
2019年8月11日
七十三城目。続百名城二十城目。明智光秀の丹波攻めの際は「丹波の赤鬼」赤井直正が城主として戦い、明智軍を一度退けた山城。保月城とも呼ばれる。山頂まで登城しましたが、山道は狭く急で、この城を攻め登るのはかなり厳しいと思いました。山頂からの眺望はとても素晴らしく、山頂に残された石垣も見られて満足です。登城の際は汗だくだくで、水分を用意していって本当に良かった。来年の大河ドラマでの赤井直正の活躍に期待。
福知山城
2019年8月12日
七十四城目。続百名城二十一城目。明智光秀が丹波平定後に、丹波を支配するため築いた城郭。明治政府の廃城令によって一度失われてしまったが、昭和に福知山市のシンボルとして天守閣含め再建された。天守閣内部は博物館になっており、展示物の中には本能寺の変〜山崎合戦の流れを絵で表したものがあって面白かった。天守閣外観は、続百名城スタンプ帳の表紙を飾るだけあり見事でした。城の一部が現在工事中で入ることが出来ず、これは残念でした。来年の大河ドラマの舞台になるので整備しているのかな。来年に向けて市のあちこちで明智光秀をプッシュしてました。
出石城・有子山城
2019年8月12日
七十五城目。続百名城二十二城目。山頂に築かれた戦国の城郭有子山城と、その政治機能を山の麓に移して築城された近世城郭出石城。有子山城の方は暑さと体力的に断念。前日の黒井城攻めの疲れが残っていた。出石城城の建物は明治期に取り壊されてしまったが、石垣や堀は残っており、模擬櫓も建てられている。城を見ながら当時の姿を想像して歩いた。城と周囲は結構賑わっていた。お盆という事で来る人も多いのか駐車場もすぐ埋まっていた。周辺には出石蕎麦の店が並んでおり、食べてみたらおいしかった。出石蕎麦の始まりは、信州上田から出石に国替になった仙石家が蕎麦職人を連れてきたからだそうです。
若桜鬼ケ城
2019年8月12日
七十六城目。続百名城二十三城目。矢部氏が築き、その後尼子氏や毛利氏、織田氏といった勢力が攻防を繰り返した山城。城として機能していた当時から播磨・但馬へ続く街道が通っており、交通の重要な拠点だったとのこと。各方面から敵が来た場合、城内からその動きを眺めることが出来そうでした。若桜鬼ヶ城は一時近世城郭として石垣の整備が進められましたが、その後一国一城令が出され廃城となり、石垣は破壊されました。城内には現在でも石垣が崩された状態を見ることが出来ます。破壊された石垣というのもこれはこれでノスタルジックで良かった。スタンプは麓の観光案内所で押しましたが、城の二の丸にもありました。
鳥取城
2019年8月13日
七十七城目。百名城五十四城目。羽柴秀吉の中国攻めの一つ、「鳥取城渇え殺し」が行われた城郭。吉川経家に「日本にかくれなき名山」と評された鳥取城は、秀吉に力攻めでなく兵糧攻めを決断させた。鳥取城開城後、時代が変わり宮部氏、池田氏によって近世城郭へと改修された。特に池田光政の時代には、32万石大名の本城として大改修が行われた。そのため鳥取城には壮大な石垣が多く建てられており、登城しながら興奮していました。全国唯一の球型石垣「天球丸・巻石垣」も見ることが出来、鳥取まで来た甲斐がありました。球型だと防御に向かない気がするのですが、平和な時代(1807年築)だったということでしょうか。時間と体力と暑さの都合で山頂の本丸に行けなかったのが心残り。
スタンプ設置箇所の仁風閣は明治時代に池田仲博建てた洋風建築でこちらも見応えありました。仁風閣は映画るろうに剣心のロケ地にもなったそうです。
小机城
2019年8月31日
七十八城目。続百名城二十四城目。長尾景春の乱の舞台の一つとなった城。小机城はそれぞれ独立した本丸と二の丸と表記された郭で構成され(実際どちらに本丸機能があったか分かっておらず、それぞれ西郭、東郭ともいう)、2つの郭はつなぎの郭を介して土橋で繋がっている。つなぎの曲輪は小机城で最も高い位置となり、城全体の監視や西郭と東郭への援護を行っていたそう。つなぎの郭に登ると、西郭や東郭へ続く道を側面から臨むことができ、ここから弓を射掛けられそうだと思いました。西郭と東郭、つなぎの郭は全体を空堀で囲み防御を高めています。小机城は構造が独特で面白い城と思いました。
今回は妻と二人で行きました。入口が分かりにくかったのでもっと案内板が欲しいです。城内は木で覆われてて涼しかったですが、蚊が多いので注意。
岩村城
2019年9月15日
七十九城目。百名城五十五城目。岩村城は1185年に築城された山城だが、その後近世城郭として改修され、城内には山の中なのに石畳や石垣が続いている。岩村城の見所である六段壁は、山の急な斜面に石垣を築く技術とのことで必見です。あと、城のあちこちでに再現CGビューアスポットがあり、スマホでQRコードを読み込むことで当時の姿を見ることが出来ます。これは歴史ロマンを感じます。
登城後、城下町にも行ってみました。昔ながらの日本住宅を見ることが出来、こちらも見応えありました。最後にワンカップの日本酒「女城主」を買い、信長の叔母「おつやの方」に思いをはせながら帰りました。
八王子城
2019年9月20日
八十城目。百名城五十六城目。北条氏照が元々拠点としていた滝山城から、更に防御性を求めて築いた山城八王子城。訪れて最初にガイダンス施設にて予習。八王子城と滝山城を比較した立体模型が展示されそれぞれ特徴が説明されていたのですが、八王子城がはより防御に優れた地形であることが分かりました。その後管理棟を通りすぎ、古道を進んで居館地区へ。御主殿曲輪の虎口は石垣や石畳が復元されているらしく立派でした。御主殿後を見学し、その後一度管理棟へ戻って今度は本丸がある要害地区へ向けて登山開始。今度は金子曲輪を経由して行きました。こちらは完全に山道で、他の方も言われてますが登山装備の方が良いです。本丸近くに視界が開けた場所があるのですが、都心方面まで眺められてとても眺めが良かった。関東平野からの敵軍の動きが見やすそうです。その後本丸まで行き、下山。登山開始から1時間強くらいで戻れました。満足しましたが、心残りは管理棟のガイドの方が既に出ていて不在だったこと。ガイドの方が一緒じゃないと見学出来ないエリアがあるので、もっと早い時間に行けば良かったなー。
大和郡山城
2019年10月19日
八十一城目。続百名城二十五城目。筒井順慶が築城し、その後豊臣秀長が大和支配の本拠地として入城した。秀長以降、大和郡山城は近世城郭に整備された。城内には規模の大きい堀や石垣が残されており、二の丸と本丸をそれぞれ一周しましたがとても見応えがありました。石垣は当時石材が乏しくなったとのことで転用石が多く使われている。天守台には石垣として用いられているお地蔵さまも確認出来る。天守台には当時天守が建てられていたそうで、どんな天守だったのか気にります。スタンプ設置場所の柳沢文庫では現在大和郡山城の発掘調査結果が展示されていて勉強になりました。あと、追手向櫓と追手門を眺める景色は雰囲気ありました。
岸和田城
2019年10月19日
八十二城目。続百名城二十六城目。楠木正成の一族の和田氏が築いたという伝承が残る城郭(実際は不明)。その後城主は移り変わり、1640年に岡部氏が入場した。岡部氏は元々駿河国の武将で、戦国時代には今川氏の家臣でした。岡部家13代目藩主長職は版籍奉還後、県知事や外務次官、貴族院議員、東京府知事、司法大臣を務めた凄い人らしい。岸和田城天守閣内は博物館になっており、岡部氏についても詳しく展示されていた。天守閣は文献によると当時5層だったらしいが、1827年に落雷で焼失。現在は3層の復興天守となります。しかし、個人的に水堀外から眺めた現天守は立派でしっくりしていた。二の丸に「二の丸多聞」と書かれた建物があり、櫓と思ったらトイレで笑った。
飯盛城
2019年10月19日
八十三城目。続百名城二十七城目。1560年に畿内支配に成功した三好長慶が居城として築いた山城。。今回は時間が無く実際に登城せず。スタンプは大東市立歴史民俗資料館で押印。2019年の調査によって飯盛城からは大量の石垣が発見されたとのこと。このことから、当時において石垣を本格的に導入した先進的な城郭だったことが伺える。なんと織田信長最初の石垣の城、小牧山城(1563年築)よりも早いらしい。資料館には飯盛城の模型が展示されており、各曲輪の配置がよく分かりました。いつかリベンジしてちゃんと登城します。
千早城
2019年10月20日
八十四城目。百名城五十七城目。1332年、楠木正成が鎌倉幕府軍に対して籠城した山城。幕府軍十一万人に対し、楠木軍は八百人だったが、千早城の防御性能と奇策によって勝利したと言われる。スタンプは金剛山麓まつまさで押印。車をそこに停めたまま山道を30分程歩き、千早城に到着した。千早城の周りは急な斜面に囲まれており、まさに要害でした。本丸には現在千早神社が建てられており、神社では楠木正成が落城させず守り抜いたことに因んだ御守りが売られており、購入しました。千早城から下山後、結構汗をかいたのでまつまさ隣の山の豆腐で豆乳アイスクリームを食べたがおいしかった。
高取城
2019年10月20日
八十五城目。百名城五十八城目。1332年に越智氏が築いた山城。その後1585年に豊臣秀長の重臣本田利久が入城し、大和郡山城の詰城として整備された。高取城周辺では「日本最強の城高取城」の旗が立っていた。最初に夢創舘へ行き、スタンプを押印。夢創舘ではCG再現された高取城が映し出されていた。夢創舘の方に高取城への行き方を相談したら親切に教えてくれた。私は車で壷阪寺を通り過ぎ、そのままずっと奥へ行って壷阪口門跡の入口付近の道に縦列駐車した。最初に本丸の方へ向かい、残された石垣から高取城の規模の大きさが伺えました。特に天守台含む本丸石垣が高く立派でした。かつて本丸には、この山の上に連立式天守が建てられていたそうです。これほど最強の城とは・・・。本丸を見た後は坂を下り、二ノ門方面へ。途中分岐して国見櫓へ行きました。国見櫓からは大和国を見渡すことが出来、眺めが良かったです。二ノ門近くには水堀と猿石があります。猿石は飛鳥時代に造られたものだそうで、この石が今までどんな光景を見てきたのか考えたら感慨深かったです。
宇陀松山城
2019年10月20日
八十六城目。続百名城二十八城目。秋山氏によって築かれ、その後1585年に豊臣秀長配下の多賀秀種が入城。畿内と東国の前線の城として整備された。この当時、大和国は大和郡山城を本拠とし、高取城と宇陀松山城を加えた3城で支配する構造となっていたそうです。
スタンプは千軒舎で押印。車で行きましたが千軒舎の駐車場が狭かったので近くの道の駅「宇陀路大宇陀」に駐車しました。宇陀松山城へは千軒舎脇の道から15分程度歩き、到着。最初に南西虎口部の連続桝形が迎えてくれました。本丸は開けており、当時本丸御殿が建てられていたそうです。さらに一段上がると天守廓があり、当時は天守が存在したと考えられているそうです。本丸からの眺めは良く、大峰山脈まで見渡すことが出来ました。また、本丸は当時総石垣だったそうで、現在もその名残が少し残っています。二の丸の方へも行きたかったですが、現在は通行止めでした。また、城下には城の大手門にあたる松山西口関門が現存で残っています。
多気北畠氏城館
2019年10月21日
八十七城目。続百名城二十九城目。宇陀松山城から伊勢本街道を通り多気北畠氏館跡へ。南北朝時代から戦国時代において、この城は伊勢国司北畠氏の本拠地として用いられた。平成9年の発掘調査では多気北畠氏館跡に石垣が見つかっており、中世城郭で使用された石垣としては全国最古(15世紀前半)と書かれていた。北畠神社に参拝し、その後北畠氏館跡庭園に向かった。この庭園は管領細川高国の作と言われており、現在にまで景観を保ったまま残っている貴重なもので国指定名勝とされています。庭園はとてもきれいでした。もうすぐ紅葉の時期になりますが、その頃はもっときれいなのでしょう。山上の霧山城への登山は雨が降りそうだったので止め、帰路につきました。
小牧山城
2019年10月21日
八十八城目。続百名城三十城目。帰路の途中で登城。1563年、織田信長が美濃攻略のため小牧山に築いた城郭。山頂の主郭部には当時先進的に石垣が築かれていた。その後の石垣を持つ近世城郭のルーツになったと言われている。現在は主郭部には石垣が一部残っており、当時の面影が感じられた。主郭部には現在模擬天守が建てられています。天守展望室からは濃尾平野を四方見渡すことが出来ました。信長が選んだ場所なだけあります。天守内では秀吉VS家康の小牧長久手の戦いについても詳しく紹介されていました。小牧山麓には「れきしるこまき」という新しい情報館が建てられていた。現在企画展示として「信長のお城絵展」をしており、信長の勝幡〜安土の歴代の城がそれぞれ特徴が分かるように描かれており面白かった。
品川台場
2019年11月3日
八十九城目。続百名城三十一城目。江戸末期、幕府が外国船から江戸湾を防衛するために築造した海上砲台。当初は11基の砲台築造が計画されたが、最終的には6基のみ完成した。現在史跡としては第三台場と第六台場が残っており、その内一般公開されているのは第三台場のみとなる。第三台場には復元ですが砲台が設置されていました。砲台に立ち、江戸湾に入り込む外国船を仮想して楽しみました。
城と関係ないですが、台場を見た後ユニコーンガンダムを見に行きました。
新府城
2019年11月24日
九十城目。続百名城三十二城目。武田勝頼が織田軍の侵攻を迎え撃つために、新たな本拠地として築いた城郭。しかし、織田軍の侵攻は勝頼の想定より早かったため、新府城は築城途中で破棄されてしまい未完成のままとなってしまう。その後の勝頼の運命は知っての通り。だが新府城は丸馬出や三日月堀等の武田流防御施設を備えており、城の東西には塩川と釜無川が流れ、天然の水堀として機能している。そして新府城が築かれている七里岩は八ヶ岳から南北に20km以上続く高さ40〜150mの巨大な岩盤帯となっており、勝頼はこの七里岩全体を長大な防御ラインにする構想を持っていたといわれる。もし新府城が構想通り完成していれば、織田軍の苦戦は必至となり歴史は別なものになっていたかもしれません。
新府城に残る遺構も良かったですが、七里岩のスケールの大きさに驚いた。
大多喜城
2020年1月18日
九十一城目。続百名城三十三城目。室町時代に武田氏、正木氏が治め、その後本多忠勝が十万石の大名として入り、近世城郭に改修させた城郭。城内には復興(一説では模擬)だが天守が建てられている。天守内は博物館になっていて、当時の武具や書状、城下町の模型等が展示されていて、入城料200円としては見応えありました。二の丸には当時御殿の裏門として使用されていた薬医門や、大井戸が残されている。ただ、現在二の丸は高校の敷地になっていて、見に入るのに躊躇しました(入りましたが…)。
近くの老舗和菓子屋で「最中十万石」という最中を購入。おいしかった。
大多喜城を見た後本佐倉城へ向かう予定でしたが、この日は寒く雪まで降ってきたので中止にした。いずれリベンジする。
唐沢山城
2020年3月7日
九十二城目。続百名城三十四城目。927年に藤原秀郷が築き、その後佐野氏が1602年に廃城とするまで治めた城郭。戦国時代においては、上杉謙信の度重なる攻城を撃退したとされる堅城。レストハウスで縄張図を貰うことが出来、これを見ながら登城しました。唐沢山の地形を上手く工夫した防御設備が随所に見られ、楽しめました。唐沢山城には関東の城郭としては珍しく石垣が築かれており、西国の技術が導入されていることから当時の佐野氏と豊臣政権の友好関係が伺えるそうです。特に本丸周囲の高石垣や本丸虎口に残る鏡石が立派で、当時の姿が偲ばれました。そして現在本丸には藤原秀郷を祀る唐澤山神社が建てられていました。あと石垣としては、北西部の土矢蔵と呼ばれるエリアにも築かれており、本丸よりも古いものとのことで、造られた経緯が気になります。あと、噂通り城内には猫がたくさんいました。
津山城
2020年3月14日
九十三城目。百名城五十九城目。1603年に森忠政が美作国を治める本城として築いた城郭。津山城は鶴山の上に築かれた平山城。城を側面から見に行くと、天然の絶壁の上に石垣が建てられており、その防御性に感心しました。そして入城後、まず三の丸への入口である表門を見ました。ここは石垣を利用した巨大な桝形構造になっており、その壮大さに感動しました。そして本丸に向けて巨大な石垣が何段も築かれている様を見て更に感動しました。津山城にはかつて4重5階地下1階の天守や77棟の櫓が建てられていた(明治の廃城令で破壊)とのことで、石垣群から当時の姿を想像して眺めてました。現存してないのが本当に残念。しかし、本丸には備中櫓が復元されており、津山城のシンボルとしてとても目を引く存在となっております。備中櫓内では、コンピューターグラフィックで再現した往時の津山城をDVDで解説してくれており、とても勉強になりました。スタンプも備中櫓内で押印。津山城は、地形や石垣の構造を見るに、とても実戦向きで防御の堅い城だと思いました。流石鬼武蔵の家系です。
玄蕃尾城
2020年3月20日
九十四城目。続百名城三十五城目。1583年に勃発した賤ヶ岳合戦において、柴田勝家が本陣を置いた陣城。玄蕃尾城は、近江から越前に繋がる北国街道を見渡せる位置に築城されている。玄蕃尾城は尾根上に複数の曲輪を構成しており、曲輪間は細い土橋を介さないと連絡出来ない。また、各曲輪は空堀に囲まれ、曲輪の縁には土塁が形成されている。特に本丸の土塁は高く、立派な虎口だったのだろうと伺える。また、城内に侵入してきた敵に対し、複数曲輪から連携して多面攻撃を行える工夫も見られた。
噂通り、陣城とは思えないほどの防御機能を持った城郭でした。何より縄張りが現在でもはっきり分かるほど整備されているのが素晴らしい。賤ヶ岳合戦において、秀吉は北国街道に防衛ラインを築き、勝家の近江侵攻を遮断したと聞くが、勝家はどのような気持ちで秀吉軍を眺めていたのだろうか。
車で米原方面から行くには、柳ケ瀬の長く狭いトンネルを抜けてすぐ右に曲がり、ひたすら林道を真っ直ぐ進むと駐車場があります。駐車場は少し狭いです。その後20分程登山すると玄蕃尾城です。
佐柿国吉城
2020年3月20日
九十五城目。続百名城三十六城目。若狭守護武田氏の家臣、栗屋勝久が1556年以前に築いたといわれる城郭。国吉城は当時、難攻不落と言われた城郭で、その堅牢さは数で圧倒的に勝る朝倉軍の攻撃に10年耐えた実績が語る。城郭は、平時に使用される麓の居館と、戦時に使用される山頂部の詰の城で構成される。そして、詰の城は二の丸、本丸、連郭式の曲輪群で構成されている。
さすが難攻不落と呼ばれるだけあって、詰めの城は高低差が激しく、登るのに苦労しました。一部の曲輪同士の移動で、ロープを手放せない場所もありました。城内からの眺望は良く、日本海や敦賀半島、美浜方面を見渡すことが出来ました。また、他にも国吉城には石垣を探す楽しみもあり、建築時代によって4種に分類される石垣が、居館跡や詰めの城で見られます。
城に行く前に若狭国義城歴史資料館に寄り、色々予習することが出来ました。なんとコロナ対策で一人一枚マスクが貰えました。
越前大野城
2020年3月21日
九十六城目。続百名城三十七城目。1575年に織田信長から大野の地を与えられた金森長近によって、亀山を利用して築かれた平山城。金森家はその後飛騨国を与えられて転封し、大野城はその後城主が移り代わって最終的に土井家が幕末まで治める。城内には当時から使用されていた野面積みの石垣や、推定復元された天守が建てられている。やはり天守のある城はいいです。残雪がある雄大な山脈を背景に眺める天守台石垣と天守は魅力的でした。
天守は3月21日現在冬季休館中。この時期スタンプは本来武家屋敷旧田村家に設置されていますが、旧田村家は現在コロナで臨時休館中。現在スタンプは、大野市観光協会に設置されています。皆さんの言う通り、スタンプのインクが薄くなっていたので、インクを補充するようにお願いしておきました。
大野城と言えば雲海ですが、今回は見れなかったのでまた来たい。
郡上八幡城
2020年3月21日
九十七城目。続百名城三十八城目。1566年に郡上を統一した遠藤慶隆が築いた城郭。
その後秀吉の時代に稲葉貞通が入り、近世城郭として改修を行った。石垣は一部修復を加えているが、当時の姿を現在も留めているとのこと。そして天守は当時の物ではなく、大垣城を参考に1933年に再建されたものだが、木造再建としては日本最古となる。
城内は、現存天守とはまた違う味のある雰囲気でした。城に来るまで知らなかったのですが、山内一豊の妻千代は、慶隆の妹という説もあるんですね。城内の展示物を見てたら功名が辻を見たくなってきました。あと、越前大野城を築城した金森家の家系の頼錦が、その後郡上八幡城城主となり、1754年の宝暦騒動を経て改易になったと知りショック。城内には3箇所撮影スポットがあり、そこから撮る天守はどれも良い感じでした。
高田城
2020年6月6日
九十八城目。続百名城三十九城目。
1614年に徳川家康六男松平忠輝の居城として築かれた城郭。高田城は天下普請によって築かれた平城で、城の規模は19万坪の広さにも関わらず、その建築期間はたった4ヵ月という。建築期間を急いだためか、近世城郭としては珍しく石垣を用いずに土造りの城となっている(近場に石の採掘所が無いことも理由らしい)。城内に残る土塁は高田城の見どころの一つとなっている。高田城の本丸には三重櫓が建てられている。平成5年に再建されたものだが、水堀に囲まれ、土塁上に君臨する三重櫓は高田城のシンボルとして立派なものである。
松平忠輝が勘当された後、高田城の城主は移り巡ることになる。最終的に徳川譜代の榊原家が治め、明治維新を迎えたという(地元なのに今回知った)。
スタンプは上越市立歴史博物館で押印。
龍岡城
2020年6月6日
九十九城目。続百名城四十城目。
江戸時代末期に建築された西洋式近代城郭。築城したのは三河奥殿藩藩主大給松平乗謨。大給松平家は元々三河に本拠として領地を持っていたが、江戸時代を通じて加増を受け、最終的に信州佐久群に本拠を超える領地を持つことになった。その後、幕末の動乱期に幕府は参勤交代政策を緩和したことで、乗謨は在国期間が増えることから、より領地の広い佐久へ本拠を移すことを幕府に願い出て、受理された。乗謨は洋学に強く関心を持っており、新たな本拠となる龍岡城の設計には西洋式築城術を取り入れた。
ついに来ました五稜郭。登城の際は、まず五稜郭であいの館に向かい、スタンプ押印と龍岡城について勉強をしました。五稜郭展望台への行き方もであいの館で知ることが出来ました。その後五稜郭を一周し、展望台へ。展望台からは龍岡城の姿をよくよく眺めることが出来ました。展望台へは車で向かいました。道が結構狭いので注意した方が良いです。
岡山城
2020年6月19日
百城目。百名城六十城目。
かつて石山と呼ばれてたこの地に宇喜多直家が入城し、その後息子の秀家が岡山城として拡張整備を行い、発展を遂げた近世城郭。宇喜多秀家が関ケ原の合戦で敗れた後、岡山城は小早川秀秋が入城し、「二十日堀」の整備等更に発展を遂げた。その後は池田家が代々城主を務め、明治維新を迎えた。明治以降も天守は現存のまま残され国宝に指定されたが、太平洋戦争時の岡山大空襲によって焼失。現在は外観復元された天守が建設されている。
半分制覇の節目の城、岡山城です。話には聞いていましたが場所によって様々な石垣積みがなされていて面白かった。岡山城内に残る月見櫓は、現存櫓では珍しい二重二階地下付きらしいです(内側から見ると三重櫓)。外観復元された黒塗りの天守は立派で格好良く、色んな角度から楽しみました。天守内は博物館になってます。岡山出身である磯田道史さんの岡山城解説映像も見ることが出来ました(全部見て30分くらい)。最後に後楽園に行き、ぼーっと庭園を眺めておりました。とても満足。