ID | 8034 |
名前 | 悠樹 |
コメント | 2013年から百名城巡りを始めました。歴史に関心ある悠樹です。一生をかける超長期プランでマイペースに見ていきたいと思ってます。 年度別登城数 2013年 3城 2014年 8城 2015年 3城 2016年 16城 2017年 7城 2018年 16城 2019年 37城 2020年 12城 |
登城マップ |
会津若松城 2013年4月6日 | 百名城巡り一城目。当時大河ドラマ舞台だっただけあり賑わってました。 |
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春日山城 2013年8月16日 | 二城目。糸魚川の蓮華温泉へ友人と行った際に春日山城にも寄りました。いかにもな山城という雰囲気でした。 2020.6.6再訪 上杉謙信が本拠を構えたことで有名な山城。春日山城は謙信の父為景の代から長尾家(上杉家)が城主となり、景勝の代まで戦国山城として発展を遂げた。 今回は二度目の登城。前回は春日山神社から登城しましたが、今回は大手口から向かうことにした。それなりに長い階段を登りましたが、早朝に登城を開始したので涼しく、そこまで体力を消耗せずに済んだ。この時期は毛虫が多いようで、草むらに入っての探索は止めといた。本丸付近に到着すると眺望良く、高田平野や日本海を見渡すことが出来た。 また、6月にも関わらず、草刈りをして頂いているようで、春日山城の雛壇状の曲輪がよく見て取れた。春日山城の管理の方々、感謝します。本丸から少し下ったところに、上杉謙信が出陣前に祈りを捧げた毘沙門天尊像を安置した御堂があり、お参りさせて頂きました。 ![]() ![]() ![]() |
山形城 2013年9月15日 | 三城目。山形の友人と行きました。当時本丸復元中で、いつかまた行ってみたいです。少し離れますが上山城にも行きました。 |
二本松城 2014年8月13日 | 四城目。お盆休みを利用して一気に東北の城を回ろうと思い、まず二本松城へ行きました。坂がきつく、防御が高い城でした。 |
仙台城 2014年8月13日 | 五城目。実物はないですがCG再現された天守を見ることができました。 |
多賀城 2014年8月14日 | 六城目。ロマンを感じる城でした。 |
盛岡城 2014年8月14日 | 七城目。 |
根城 2014年8月15日 | 八城目。再現された建物のセットが当時を偲ばせ感動しました。案内してくれた地元のおじさんもいい人でした。 |
弘前城 2014年8月15日 | 九城目。この時は夏に行ってしまいましたが、いつか桜の時期にも行ってみたいです。 |
久保田城 2014年8月16日 | 十城目。東北の城をこの時一気に見て回りましたが、久保田城が最後になりました。入る際に迷った記憶。 |
鉢形城 2014年10月25日 | 十一城目。秩父旅行の道中友人と三人で行きました。広い城で全て見ることができなかったのでまた行きたいです。 2020.9.5再訪 1476年に長尾景春に築かれた城郭。城主は上杉氏を経て1558年に北条氏邦が務め、上野国進出の拠点として用いられた。 鉢形城は荒川と深沢川に挟まれた河岸段丘上に築かれている。特に荒川側は川幅が広く断崖絶壁で攻められる気がしない。鉢形城は東北南側を川に囲まれた要害であるが、西側は陸続きの構造となる。しかし、西側には連郭式に曲輪が築かれており、堀を幾重にも巡らせ強固な造りとなっている。現に豊臣秀吉による北条攻めでは、上杉・前田・真田連合軍(3〜5万とされる)相手に3500の兵で1か月余りも耐えきったという。凄い城ですね。 見所の一つとして復元石積土塁がある。石積土塁には裏込め石が使用されておらず、いわゆる「石垣」とは異なる技術らしい。土塁を高く積み上げ、有事には城兵がすぐに駆け上がれるように階段状になっているのが特徴。また、城内の堀や土塁はとてもよく整備されており、城郭の姿がよく見て取れる。当時の姿が想像出来て楽しいです。 ![]() ![]() ![]() |
一乗谷城 2015年5月3日 | 十二城目。かつての朝倉氏の繁栄を思うとロマン溢れる城でした。 |
松江城 2015年5月4日 | 十三城目。友人と出雲大社と共に松江城へ行きました。![]() ![]() |
月山富田城 2015年5月4日 | 十四城目。時間が無くて本丸行けなかったのが口惜しい。登山。 |
金山城 2016年1月29日 | 十五城目。会社に遅い正月休みを貰い城巡り旅へ。山城。![]() ![]() ![]() |
彦根城 2016年1月31日 | 十六城目。城もよかったですが、ひこにゃんもよかったです!![]() ![]() ![]() |
姫路城 2016年2月1日 | 十七城目。休日はとても混むそうですが、この時平日だったのでゆっくり見れました。さすが白かったです。![]() ![]() ![]() |
和歌山城 2016年2月2日 | 十八城目。この日映画の撮影やってました。![]() ![]() ![]() |
松阪城 2016年2月4日 | 十九城目![]() ![]() |
岡崎城 2016年2月5日 | 二十城目。私は三英傑では家康好きで、この時念願叶って行くことができました。家康館もよかったです。近くの松平八代の墓がある大樹寺も行きました。大樹寺からの岡崎城は必見です!![]() ![]() ![]() |
小諸城 2016年2月6日 | 二十一城目。![]() ![]() |
高岡城 2016年6月13日 | 二十二城目。 |
七尾城 2016年6月14日 | 二十三城目。 |
新発田城 2016年6月22日 | 二十四城目。この時引っ越すことになり、最後に両親と地元の城を見に行きました。自衛隊基地だけあって日本軍関係の展示が多かったです。 |
山中城 2016年8月27日 | 二十五城目。引っ越し後、まずこの城へ来てみました。他では見られない障子堀が印象的でした。![]() ![]() ![]() |
甲府城 2016年9月18日 | 二十六城目。 |
武田氏館 2016年9月18日 | 二十七城目。友人三人と見に行きました。武田神社では武田家関連のものが多く見られます。近くのほったらかし温泉もよかったです。 2019.6.22再訪 武田神社前に新しく信玄ミュージアムという施設が出来ていました。武田信玄直筆の書状や、発掘調査で出土した軍馬の骨格が展示されていました。 ![]() ![]() |
小田原城 2016年9月22日 | ![]() |
松本城 2016年10月22日 | 二十九城目。友人四人で行きました。現存天守だけあって当時を偲ばせる迫力ある城でした。![]() ![]() ![]() |
江戸城 2016年12月31日 | 三十城目。年末で本丸の中には入れませんでした。スタンプは押せました。 また行くことにしよう。 2019.11.3再訪 品川台場を見た後、有楽町駅で降りて江戸城へ移動。やはり江戸城は堀が広く迫力があります。桜田門から江戸城内に入りました。切込接の石垣が早速ありましたが、流石洗練されていて魅入りました。その後は伏見櫓と楠木正成公の銅像を見物。銅像を見て、最近行った千早城を思い出してました。そしてその後、いよいよ本丸(皇居東御苑)を見学!…と思ったら今回も閉園…。入園は15時30分までとのことです。またリベンジすることにします。 ![]() ![]() ![]() |
箕輪城 2017年3月4日 | 三十一城目。攻めづらそうな城でした。 |
掛川城 2017年4月1日 | 三十二城目![]() ![]() ![]() |
白河小峰城 2017年4月15日 | 三十三城目。友人が白河へ引っ越した事を機会に行って来ました。現時点で一部修築中だったのが残念ですが、桜も咲いててきれいな城でした。![]() ![]() ![]() |
水戸城 2017年7月23日 | 三十四城目。![]() ![]() |
名古屋城 2017年9月16日 | 三十五城目。 |
岩国城 2017年11月3日 | 三十六城目。![]() ![]() ![]() |
福山城 2017年11月4日 | 三十七城目。![]() ![]() ![]() |
岐阜城 2018年4月28日 | 三十八城目。![]() ![]() ![]() |
高島城 2018年5月1日 | ![]() |
杉山城 2018年5月4日 | ![]() |
川越城 2018年5月4日 | 四十一城目。百名城三十九城目。GWのため周辺が混んでて、車で行くのが大変でした。![]() ![]() ![]() |
足利氏館 2018年6月3日 | 四十二城目。百名城四十城目。近くの足利学校跡にも行ってみました。 |
吉田城 2018年6月17日 | 四十三城目。続百名城三城目。敷地内は公園になっています。スタンプ設置箇所の鉄櫓は15時で閉まってしまうのですが、ぎりぎり間に合いました。ガイドの方の話が面白かったです。 |
興国寺城 2018年7月22日 | ![]() |
鎌刃城 2018年8月11日 | ![]() |
安土城 2018年8月11日 | 四十六城目。百名城四十一城目。階段を結構登る必要があり足に応えます。安土城天守信長の館という施設でVR安土城が見れます。![]() ![]() ![]() |
観音寺城 2018年8月11日 | 四十七城目。百名城四十二城目。安土城城郭資料館という施設に安土城と観音寺城2つのスタンプが置いてあります。車で観音寺城へ行く場合は、近くの観音正寺に駐車してそこから徒歩10分強くらいです。![]() ![]() ![]() |
八幡山城 2018年8月11日 | ![]() |
小谷城 2018年8月12日 | ![]() |
大垣城 2018年8月12日 | ![]() |
上田城 2018年9月22日 | 五十一城目。百名城四十四城目。学生以来8年ぶりに登城。真田丸放送時に来たかった・・・。今でも大河仕様の甲冑とかが近くの観光会館で少し展示されてます。![]() ![]() ![]() |
駿府城 2018年10月7日 | 五十二城目。百名城四十五城目。妻と友人夫婦の4人で行きました。天守台の発掘調査を行っているそうで、その現場を見ることができます。城内の2つの櫓ではそれぞれ資料展示してて見応えありました。特に巽櫓は規模が大きくて良かった。駿府城の後、久能山東照宮も行きましたがこちらも良かったです。![]() ![]() ![]() |
忍城 2018年12月22日 | ![]() |
長篠城 2019年2月10日 | 五十四城目。百名城四十六城目。宇連川と豊川を利用した天然の要害。川の対岸から長篠城を眺めてみましたが、城は崖の上にありここから攻めるのはかなり難しそう。唯一地続きとなる城の北側には空堀や土塁等の遺構が残る。さすが500の兵で武田軍15000を防いだ城だと思いました。設楽原の方にも行って再現された馬防柵も見てきました。![]() ![]() ![]() |
古宮城 2019年2月10日 | ![]() |
石垣山城 2019年2月20日 | ![]() |
佐倉城 2019年3月2日 | 五十七城目。百名城四十七城目。馬出空堀等の遺構がきれいに残っていました。また、隣接してる国立歴史民俗博物館は見応えがかなりあり、1日で回ることが出来なかった。また来たいと思います。![]() ![]() |
津城 2019年3月16日 | ![]() |
田丸城 2019年3月16日 | ![]() |
滝山城 2019年3月30日 | ![]() |
今治城 2019年5月1日 | 六十一城目。百名城四十八城目。藤堂高虎が築上した城で、日本三大水城の一つ。水堀が広く防御の高さが伺えました。また、今治城は初めて枡形虎口を取り入れた城とのことで、多聞櫓ではその解説を聞くことが出来ました。天守閣も立派でした。![]() ![]() ![]() |
松山城 2019年5月1日 | 六十二城目。百名城四十九城目。平山城ですが山頂までロープウェイかリフトで登ることが出来ます。GWなので結構混んでおりました。現存十二天守の一つで、天守には趣がありました。石垣は高さ14m以上の箇所もあるらしく、迫力が凄かったです。![]() ![]() ![]() |
湯築城 2019年5月1日 | 六十三城目。百名城では記念すべき五十城目。河野氏が築いた平山城。湯築城記念館では河野氏と湯築城についての映像を見て歴史背景を知ることが出来ます。歴史的遺構が多く残されており、発掘調査が続けられているらしいです。記念館や武家屋敷で発掘物やその調査内容を見ることが出来ます。山頂の展望台からは松山城を眺めることが出来ました。![]() ![]() ![]() |
河後森城 2019年5月2日 | ![]() 松丸駅併設のぽっぽ温泉もリーズナブルで良かったです。 |
宇和島城 2019年5月2日 | 六十五城目。百名城五十一城目。松山城に続いて現存天守閣。天守と石垣からは歴史を感じられました。宇和島城からは宇和島港を眺めることが出来、当時港を重視していたことが伺えました。 近くの伊達博物館では伊達家について紹介されており、伊達政宗公から息子の宇和島藩主秀宗公への書状を見ることが出来ました。伊達政宗公は息子思いだったようです。 ![]() ![]() ![]() |
大洲城 2019年5月2日 | 六十六城目。百名城五十二目。天守閣は再現ですが、当時の資料に基づいて忠実に再現されてるとのことで見応えありました。大洲城には4つの櫓もありますがこちらは現存らしく、国の重要文化財に指定されています。櫓も見てみましたが良かったです。南隅櫓だけ城外(当時の三の丸)にあります。![]() ![]() ![]() |
勝瑞城 2019年5月2日 | ![]() |
洲本城 2019年5月3日 | ![]() |
芥川山城 2019年5月3日 | ![]() |
要害山城 2019年6月22日 | ![]() |
諏訪原城 2019年7月28日 | ![]() |
篠山城 2019年8月11日 | 七十二城目。百名城五十三城目。徳川家康が豊臣秀頼の大坂城包囲と西日本の大名を夫役によって疲弊させるために築いた城郭。虎口には馬出や枡形が設けられ、石垣は高く積まれており篠山城の防御力の高さが伺える。築城の縄張り奉行があの藤堂高虎とのことで納得。城内の大書院は資料に基づいて設計・復元されたらしく、見ていて厳かな雰囲気を感じました。![]() ![]() ![]() |
黒井城 2019年8月11日 | ![]() |
福知山城 2019年8月12日 | ![]() |
出石城・有子山城 2019年8月12日 | ![]() |
若桜鬼ケ城 2019年8月12日 | ![]() |
鳥取城 2019年8月13日 | 七十七城目。百名城五十四城目。羽柴秀吉の中国攻めの一つ、「鳥取城渇え殺し」が行われた城郭。吉川経家に「日本にかくれなき名山」と評された鳥取城は、秀吉に力攻めでなく兵糧攻めを決断させた。鳥取城開城後、時代が変わり宮部氏、池田氏によって近世城郭へと改修された。特に池田光政の時代には、32万石大名の本城として大改修が行われた。そのため鳥取城には壮大な石垣が多く建てられており、登城しながら興奮していました。全国唯一の球型石垣「天球丸・巻石垣」も見ることが出来、鳥取まで来た甲斐がありました。球型だと防御に向かない気がするのですが、平和な時代(1807年築)だったということでしょうか。時間と体力と暑さの都合で山頂の本丸に行けなかったのが心残り。 スタンプ設置箇所の仁風閣は明治時代に池田仲博建てた洋風建築でこちらも見応えありました。仁風閣は映画るろうに剣心のロケ地にもなったそうです。 ![]() ![]() ![]() |
小机城 2019年8月31日 | ![]() 今回は妻と二人で行きました。入口が分かりにくかったのでもっと案内板が欲しいです。城内は木で覆われてて涼しかったですが、蚊が多いので注意。 |
岩村城 2019年9月15日 | 七十九城目。百名城五十五城目。岩村城は1185年に築城された山城だが、その後近世城郭として改修され、城内には山の中なのに石畳や石垣が続いている。岩村城の見所である六段壁は、山の急な斜面に石垣を築く技術とのことで必見です。あと、城のあちこちでに再現CGビューアスポットがあり、スマホでQRコードを読み込むことで当時の姿を見ることが出来ます。これは歴史ロマンを感じます。 登城後、城下町にも行ってみました。昔ながらの日本住宅を見ることが出来、こちらも見応えありました。最後にワンカップの日本酒「女城主」を買い、信長の叔母「おつやの方」に思いをはせながら帰りました。 ![]() ![]() ![]() |
八王子城 2019年9月20日 | 八十城目。百名城五十六城目。北条氏照が元々拠点としていた滝山城から、更に防御性を求めて築いた山城八王子城。訪れて最初にガイダンス施設にて予習。八王子城と滝山城を比較した立体模型が展示されそれぞれ特徴が説明されていたのですが、八王子城がはより防御に優れた地形であることが分かりました。その後管理棟を通りすぎ、古道を進んで居館地区へ。御主殿曲輪の虎口は石垣や石畳が復元されているらしく立派でした。御主殿後を見学し、その後一度管理棟へ戻って今度は本丸がある要害地区へ向けて登山開始。今度は金子曲輪を経由して行きました。こちらは完全に山道で、他の方も言われてますが登山装備の方が良いです。本丸近くに視界が開けた場所があるのですが、都心方面まで眺められてとても眺めが良かった。関東平野からの敵軍の動きが見やすそうです。その後本丸まで行き、下山。登山開始から1時間強くらいで戻れました。満足しましたが、心残りは管理棟のガイドの方が既に出ていて不在だったこと。ガイドの方が一緒じゃないと見学出来ないエリアがあるので、もっと早い時間に行けば良かったなー。![]() ![]() ![]() |
大和郡山城 2019年10月19日 | ![]() |
岸和田城 2019年10月19日 | ![]() |
飯盛城 2019年10月19日 | ![]() |
千早城 2019年10月20日 | 八十四城目。百名城五十七城目。1332年、楠木正成が鎌倉幕府軍に対して籠城した山城。幕府軍十一万人に対し、楠木軍は八百人だったが、千早城の防御性能と奇策によって勝利したと言われる。スタンプは金剛山麓まつまさで押印。車をそこに停めたまま山道を30分程歩き、千早城に到着した。千早城の周りは急な斜面に囲まれており、まさに要害でした。本丸には現在千早神社が建てられており、神社では楠木正成が落城させず守り抜いたことに因んだ御守りが売られており、購入しました。千早城から下山後、結構汗をかいたのでまつまさ隣の山の豆腐で豆乳アイスクリームを食べたがおいしかった。![]() ![]() ![]() |
高取城 2019年10月20日 | 八十五城目。百名城五十八城目。1332年に越智氏が築いた山城。その後1585年に豊臣秀長の重臣本田利久が入城し、大和郡山城の詰城として整備された。高取城周辺では「日本最強の城高取城」の旗が立っていた。最初に夢創舘へ行き、スタンプを押印。夢創舘ではCG再現された高取城が映し出されていた。夢創舘の方に高取城への行き方を相談したら親切に教えてくれた。私は車で壷阪寺を通り過ぎ、そのままずっと奥へ行って壷阪口門跡の入口付近の道に縦列駐車した。最初に本丸の方へ向かい、残された石垣から高取城の規模の大きさが伺えました。特に天守台含む本丸石垣が高く立派でした。かつて本丸には、この山の上に連立式天守が建てられていたそうです。これほど最強の城とは・・・。本丸を見た後は坂を下り、二ノ門方面へ。途中分岐して国見櫓へ行きました。国見櫓からは大和国を見渡すことが出来、眺めが良かったです。二ノ門近くには水堀と猿石があります。猿石は飛鳥時代に造られたものだそうで、この石が今までどんな光景を見てきたのか考えたら感慨深かったです。![]() ![]() ![]() |
宇陀松山城 2019年10月20日 | ![]() スタンプは千軒舎で押印。車で行きましたが千軒舎の駐車場が狭かったので近くの道の駅「宇陀路大宇陀」に駐車しました。宇陀松山城へは千軒舎脇の道から15分程度歩き、到着。最初に南西虎口部の連続桝形が迎えてくれました。本丸は開けており、当時本丸御殿が建てられていたそうです。さらに一段上がると天守廓があり、当時は天守が存在したと考えられているそうです。本丸からの眺めは良く、大峰山脈まで見渡すことが出来ました。また、本丸は当時総石垣だったそうで、現在もその名残が少し残っています。二の丸の方へも行きたかったですが、現在は通行止めでした。また、城下には城の大手門にあたる松山西口関門が現存で残っています。 |
多気北畠氏城館 2019年10月21日 | ![]() |
小牧山城 2019年10月21日 | ![]() |
品川台場 2019年11月3日 | ![]() 城と関係ないですが、台場を見た後ユニコーンガンダムを見に行きました。 |
新府城 2019年11月24日 | ![]() 新府城に残る遺構も良かったですが、七里岩のスケールの大きさに驚いた。 |
大多喜城 2020年1月18日 | ![]() 近くの老舗和菓子屋で「最中十万石」という最中を購入。おいしかった。 大多喜城を見た後本佐倉城へ向かう予定でしたが、この日は寒く雪まで降ってきたので中止にした。いずれリベンジする。 |
唐沢山城 2020年3月7日 | ![]() |
津山城 2020年3月14日 | 九十三城目。百名城五十九城目。1603年に森忠政が美作国を治める本城として築いた城郭。津山城は鶴山の上に築かれた平山城。城を側面から見に行くと、天然の絶壁の上に石垣が建てられており、その防御性に感心しました。そして入城後、まず三の丸への入口である表門を見ました。ここは石垣を利用した巨大な桝形構造になっており、その壮大さに感動しました。そして本丸に向けて巨大な石垣が何段も築かれている様を見て更に感動しました。津山城にはかつて4重5階地下1階の天守や77棟の櫓が建てられていた(明治の廃城令で破壊)とのことで、石垣群から当時の姿を想像して眺めてました。現存してないのが本当に残念。しかし、本丸には備中櫓が復元されており、津山城のシンボルとしてとても目を引く存在となっております。備中櫓内では、コンピューターグラフィックで再現した往時の津山城をDVDで解説してくれており、とても勉強になりました。スタンプも備中櫓内で押印。津山城は、地形や石垣の構造を見るに、とても実戦向きで防御の堅い城だと思いました。流石鬼武蔵の家系です。![]() ![]() ![]() |
玄蕃尾城 2020年3月20日 | ![]() 噂通り、陣城とは思えないほどの防御機能を持った城郭でした。何より縄張りが現在でもはっきり分かるほど整備されているのが素晴らしい。賤ヶ岳合戦において、秀吉は北国街道に防衛ラインを築き、勝家の近江侵攻を遮断したと聞くが、勝家はどのような気持ちで秀吉軍を眺めていたのだろうか。 車で米原方面から行くには、柳ケ瀬の長く狭いトンネルを抜けてすぐ右に曲がり、ひたすら林道を真っ直ぐ進むと駐車場があります。駐車場は少し狭いです。その後20分程登山すると玄蕃尾城です。 |
佐柿国吉城 2020年3月20日 | ![]() さすが難攻不落と呼ばれるだけあって、詰めの城は高低差が激しく、登るのに苦労しました。一部の曲輪同士の移動で、ロープを手放せない場所もありました。城内からの眺望は良く、日本海や敦賀半島、美浜方面を見渡すことが出来ました。また、他にも国吉城には石垣を探す楽しみもあり、建築時代によって4種に分類される石垣が、居館跡や詰めの城で見られます。 城に行く前に若狭国義城歴史資料館に寄り、色々予習することが出来ました。なんとコロナ対策で一人一枚マスクが貰えました。 |
越前大野城 2020年3月21日 | ![]() 天守は3月21日現在冬季休館中。この時期スタンプは本来武家屋敷旧田村家に設置されていますが、旧田村家は現在コロナで臨時休館中。現在スタンプは、大野市観光協会に設置されています。皆さんの言う通り、スタンプのインクが薄くなっていたので、インクを補充するようにお願いしておきました。 大野城と言えば雲海ですが、今回は見れなかったのでまた来たい。 |
郡上八幡城 2020年3月21日 | ![]() その後秀吉の時代に稲葉貞通が入り、近世城郭として改修を行った。石垣は一部修復を加えているが、当時の姿を現在も留めているとのこと。そして天守は当時の物ではなく、大垣城を参考に1933年に再建されたものだが、木造再建としては日本最古となる。 城内は、現存天守とはまた違う味のある雰囲気でした。城に来るまで知らなかったのですが、山内一豊の妻千代は、慶隆の妹という説もあるんですね。城内の展示物を見てたら功名が辻を見たくなってきました。あと、越前大野城を築城した金森家の家系の頼錦が、その後郡上八幡城城主となり、1754年の宝暦騒動を経て改易になったと知りショック。城内には3箇所撮影スポットがあり、そこから撮る天守はどれも良い感じでした。 |
高田城 2020年6月6日 | ![]() 1614年に徳川家康六男松平忠輝の居城として築かれた城郭。高田城は天下普請によって築かれた平城で、城の規模は19万坪の広さにも関わらず、その建築期間はたった4ヵ月という。建築期間を急いだためか、近世城郭としては珍しく石垣を用いずに土造りの城となっている(近場に石の採掘所が無いことも理由らしい)。城内に残る土塁は高田城の見どころの一つとなっている。高田城の本丸には三重櫓が建てられている。平成5年に再建されたものだが、水堀に囲まれ、土塁上に君臨する三重櫓は高田城のシンボルとして立派なものである。 松平忠輝が勘当された後、高田城の城主は移り巡ることになる。最終的に徳川譜代の榊原家が治め、明治維新を迎えたという(地元なのに今回知った)。 スタンプは上越市立歴史博物館で押印。 |
龍岡城 2020年6月6日 | ![]() 江戸時代末期に建築された西洋式近代城郭。築城したのは三河奥殿藩藩主大給松平乗謨。大給松平家は元々三河に本拠として領地を持っていたが、江戸時代を通じて加増を受け、最終的に信州佐久群に本拠を超える領地を持つことになった。その後、幕末の動乱期に幕府は参勤交代政策を緩和したことで、乗謨は在国期間が増えることから、より領地の広い佐久へ本拠を移すことを幕府に願い出て、受理された。乗謨は洋学に強く関心を持っており、新たな本拠となる龍岡城の設計には西洋式築城術を取り入れた。 ついに来ました五稜郭。登城の際は、まず五稜郭であいの館に向かい、スタンプ押印と龍岡城について勉強をしました。五稜郭展望台への行き方もであいの館で知ることが出来ました。その後五稜郭を一周し、展望台へ。展望台からは龍岡城の姿をよくよく眺めることが出来ました。展望台へは車で向かいました。道が結構狭いので注意した方が良いです。 |
岡山城 2020年6月19日 | 百城目。百名城六十城目。 かつて石山と呼ばれてたこの地に宇喜多直家が入城し、その後息子の秀家が岡山城として拡張整備を行い、発展を遂げた近世城郭。宇喜多秀家が関ケ原の合戦で敗れた後、岡山城は小早川秀秋が入城し、「二十日堀」の整備等更に発展を遂げた。その後は池田家が代々城主を務め、明治維新を迎えた。明治以降も天守は現存のまま残され国宝に指定されたが、太平洋戦争時の岡山大空襲によって焼失。現在は外観復元された天守が建設されている。 半分制覇の節目の城、岡山城です。話には聞いていましたが場所によって様々な石垣積みがなされていて面白かった。岡山城内に残る月見櫓は、現存櫓では珍しい二重二階地下付きらしいです(内側から見ると三重櫓)。外観復元された黒塗りの天守は立派で格好良く、色んな角度から楽しみました。天守内は博物館になってます。岡山出身である磯田道史さんの岡山城解説映像も見ることが出来ました(全部見て30分くらい)。最後に後楽園に行き、ぼーっと庭園を眺めておりました。とても満足。 ![]() ![]() ![]() |
岩櫃城 2020年11月1日 | ![]() 築城年不明。戦国期までは斎藤氏が岩櫃城を治めていた。1563年に武田信玄が上野国へ侵攻する際、家臣真田幸隆に命じて岩櫃城を攻撃した。岩櫃城は後に「武田三名城」と呼ばれるほどの堅い山城で、幸隆相手に健闘したと言われる。幸隆の計略により落城し、その後は真田氏の拠点となる。1615年に一国一城令により廃城となり、岩櫃城の歴史の幕を閉じた。城内随所に残る竪堀が見所である。 今回は友人と四人で登城した。平沢登山口観光案内所で頂いた詳細な縄張り図を見ながら、竪堀を見て楽しんだ。潜龍院跡にも行きたかったが、時間の関係で行けなかったのでまた来たい。 余談だが、東吾妻町役場の外観が城でした。 |
三原城 2020年12月31日 | ![]() 小早川隆景が沼田川河口域の島々を繋ぎ、築いた海城。1567年に小早川水軍の砦として築かれ、その後隆景が新高山城から本拠を移した1582年頃、隆景晩年の隠居地となった1596年頃、更に福島氏の時代を経て改修され近世城郭となった。その後浅野氏の城となり明治を迎える。1894年に城内を貫通してJR三原駅が開業し、その際城郭の大部分が取り壊されたが、現在も大規模な石垣や水堀等が残っている。 年末年始は通常時と異なりスタンプは三原市役所夜間窓口にあるとのこと。最初に市役所へ行き、スタンプと地図「三原城下町を歩く」を入手。地図を参考に、本丸中門跡→舟入町櫓跡→天守台→隆景広場→刎跡と巡る。 街中を歩いていると、石垣があちこちにある。当時の三原城の規模の大きさが伺える。天守台からはかつての西国街道や城下町、詰め城桜山城に思いを馳せ楽しんだ。城の東、和久原川の流れが水刎で直角に曲げられていて、当時の技術力に感心する。そして噂通り、本当に駅と城が一体化していて、石垣の中にJRの入口があって驚いた。 |