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メンバー情報

ID2442
名前城スタンパー
コメント大阪在住。
子どもの頃からの歴史好きで近場の史跡、名所巡りから戦国武将が活躍する城を巡ることになりました。そして100名城のことを知り2009年からスタンプラリーに挑戦しています。
現在58名城を巡りました。
目的の城に実際に行くこととともに計画することを楽しみにしています。
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
姫路城
2009年2月10日
100名城スタンプ第1号。さすがに世界遺産、残存建築物の多くは群を抜いています。見ごたえがありました。城好きとして感激しました。
高取城
2009年4月8日
行くたびに整備が進んでいます。草木が取り除かれ素人目にも石垣の見事さがわかります。城下もお祭りで賑わっていました。街おこしの熱意が伝わってきます。城跡は何年も前から知っていたけど「夢創館」は分かりづらかった。
津山城
2009年11月24日
石垣が整然と城山を巡っている姿は壮観でした。高石垣を見るたびに当時の技術力の高さに感心します。創建時にはこの石垣上にびっしりと櫓が立ち並び、その中に天守がそびえ立っていたのでしょうね。備中櫓が復元されたことで想像の手がかりになりました。
備中松山城
2009年11月24日
駐車場から登りだして石垣に取り付いてからもどれほど石段を登ったでしょうか。見物を終えて降りてこられる方に励まされて登り切りました。そして頭上に櫓が見えてきたときには感動的でした。建物群は小規模ですがかえって天守と調和していました。天守も簡素な造りですが風格がありました。
鬼ノ城
2009年11月24日
迷い迷ってたどり着いたビジターセンターは休日。暗がりの中スタンプを押し、雨の中楼門周辺を探訪しました。
赤穂城
2009年11月25日
天守台に天守が立てられたとしたらこの規模になると鉄パイプが組み立てられていました。かなり高いように感じました。その他周辺では補修や復元工事も行われていました。整備に向けて赤穂市の熱意が感じました。
岡山城
2009年11月25日
訪問した日は天守閣は改装中で最上階には登れませんでした。川を渡って後楽園を散策、後楽園から見る天守は絵になります。
大阪城
2010年5月14日
豊太閤の夢の跡。そしてその上に徳川幕府の威信を知らしめるための壮大な石垣と堀。この一つ一つが人間の手で築き上げられたことに感動します。
和歌山城
2010年5月25日
久しぶりの訪問になりました。今回天守郭だけでなく公園化されている城域を一周してみました。以前は見落としていた大石垣や庭園も見てきました。残された領域だけでも御三家にふさわしい規模であることを実感しました。
千早城
2010年6月7日
近世城郭からすると山城の原型のようにも思えます。現在の形状は楠木正成時代のものではないらしいがここに鎌倉軍を引き付け、時代を変革するきっかけとなったことは事実でしょう。この狭い谷や尾根にどれぐらいの人間があふれたのか歴史のロマンをかき立てられます。
岐阜城
2010年6月13日
山頂の天守閣は今では嘘ぽいけれど記念碑的建物ですよね。見上げると歴史ロマンが浮かびます。
犬山城
2010年6月13日
木曽川から見上げた天守はさほど大きくは見えないけれど正面に立つと意外と大きい。望楼型天守は国宝の天守に恥じない風格がありました。国宝天守に比べて城域が改変されすぎているように思えたがどうなのでしょうか。
味噌うどんは値段の割にいまいちだった。
名古屋城
2010年6月13日
三大名城の名に恥じない大きさがありました。天守閣の大きさは存続していれば他の追従を許さない規模だったのでしょうね。戦災にあう前に登った方は今もおられるでしょうね。本丸御殿の復元が待たれます。
明石城
2010年7月10日
明石城も石垣が見事です。城域の広さ、江戸期の中程度でしょうか。海側(正面?)の防御機能は堀、高石垣で堅固ですが反対側には明らかな防御物が見当たらなかったように思えたが、はたして真実はいかに。
二条城
2010年7月24日
江戸期の御殿建築がほぼ完全な形で残された国宝建築群。立派です。ただその一言。
松阪城
2010年7月30日
城域はあまり広くなくまとまっていますが総石垣の郭には手抜きをしない完璧さが感じられました。
篠山城
2010年8月3日
篠山城も石垣が立派です。天下普請による物だからでしょうね。近年大書院が再建されこの規模の城郭にはこれぐらいの御殿が存在したのだと想像する基準になりました。
伊賀上野城
2010年8月18日
申し訳ないですが何度目かの訪問だったので今回は天守閣内部の閲覧は遠慮させてもらい、スタンプのみいただきました。
松代城
2010年9月25日
当日は駐車場がイベント会場になっていて止められず、駐車場を探している間に事務所が閉館してしまい、資料などが全く頂けなくて残念。スタンプは事務所の外に置かれていたので寂しくい押せていただきました。
土塁や門、堀が復元されていたが俯瞰できる施設があれば縄張りが把握できたのに。天守台では物足りなく感じました。
松本城
2010年9月25日
連休の初日とあって天守閣は長蛇の列。40年前に行ったときは訪れる人もまばらだったのとは大違い。天気が良くて天守閣からは取り巻く山々が鮮やかでした。でも松本城は雪をいただいたアルプスを背にして立つ天守閣がにあいます。
高遠城
2010年9月25日
織田信忠の軍勢に攻められて凄惨な戦いの場になったとのこと。三峰川からや城跡からは断崖上に位置しているように見えたけど、一周してみると後方が弱点だったことがわかりました。
岩村城
2010年9月25日
近世三大山城の一つ。規模、石垣も立派でした。石段で蛇が、。気を付けてください。
武田氏館
2010年9月26日
信州、山梨と関東の城を訪ねる旅2日目、カメラのバッテリーが切れて脳裏に焼き付けることになりました。
甲府城
2010年9月26日
徳川お声掛かりの城だけあって石垣が立派でした。天守台で来歴、各方角を案内してくださったボランテァさん、管理事務所のお父さん励ましの言葉ありがとうございました。
上田城
2010年9月26日
40年前、列車から見えた上田城は古色蒼然として古城の雰囲気がありました。今は整備されて訪ねやすくなっていました。南櫓で説明してくださったスタッフの方ありがとう。真田三代記が大河ドラマになるように運動続けてください。
小諸城
2010年9月26日
小諸城のシンボルは三の門と千曲川。私の年齢だと詩の一篇の方が山本勘介よりも古城と結びつきが強いようです。
小田原城
2010年9月27日
天守閣のスタッフの方と話していると「日本城郭協会」発行のスタンプ帳をくだしいました。もう付録のスタンプ帳にはいくつも埋まっているので残念ながら歴史好きの友人に譲りました。
天守閣に登り一夜城の方向を見ました。目と鼻の近さに秀吉の天守閣が現れた時には当時の北条の城将たちの気持ちはどんなだったでしょうか。郷土のお殿様はよく生き残ってくれました。私のご先祖様も陣笠をかぶって参戦していたのでしょうか。
ところで城訪問者用の駐車所がないのは残念。
山中城
2010年9月27日
激戦を終えて廃城になった場所ですね。あの堀の中で、あの折れの角で死闘が繰り広げられたことを思うと整備された障子掘りも空恐ろしい場所に思えました。
スタンプ設置場所は当日お休みでスタンプの押された紙片が置かれていました。ちょっと寂しかった。
岡崎城
2010年9月27日
門や櫓が復元され城域の整備が進められていました。
長篠城
2010年9月27日
日本の戦史に必ず取り上げられる戦いのきっかけとなった攻城戦の舞台。期待が大きすぎたために現在の姿には拍子抜けがしました。しかし戦国武将が覇権を競った舞台として記念の場所には違いありません。ここでなければならなかった必然を尊重しなくてはなりません。
駿府城
2010年10月14日
徳川将軍家所縁の城はどこも石垣が立派です。
掛川城
2010年10月14日
規模は大きくないけれど城跡と二の丸御殿、太鼓櫓などの江戸時代の建築物が残され、天守が再建されたことは地域の方々の城への愛着が並々でないことが伺えます。しかし、街は少し静かでしたね。がんばってください。
小谷城
2010年10月15日
大河の舞台になる城祉なのでその前に駆け込みで訪問しました。3度目の訪問です。麓の歴史資料館前広場がイベント会場として賑わうのでしょうね。すでに何台もの車が止まっていました。
彦根城
2010年10月15日
今回、大手門橋から入城してみました。登城口によって印象が変わりますね。石段がきつく感じました。
安土城
2010年10月15日
何年ぶりかの訪問、大手口に関所が出来ていたのにびっくり。入場料が欲しいわけではないけれどちょっとがっかり。歴史上の重要性を思うと公的な歴史公園に出来なかったのかと少し残念に思いました。広大な城域を保存していくにはそれなりの費用がかかるのでしょうね。
観音寺城
2010年10月15日
前回訪問時は迷って登城できなかったのが今回ナビのおかげで駐車場に行きつけました。城域は雑草が伸びて遺構が判然としません。向かいの安土城の整備状況からすると、逆に城好き、歴史好きからすると古城らしくていいかな、と感じました。
竹田城
2010年10月19日
山上にほぼ完全な形で残された石垣群にはただただ感動的です。雲海に浮かぶ姿を見てみたいものです。
徳島城
2010年11月9日
「鷲の門」と博物館周辺を見物し、城山に登ろうとして途中でリタイア、麓を巡って終了。
高松城
2010年11月9日
駅の向かいが城跡、今までで一番迷わなくてたどり着けました。天守台は組み直し中、月見櫓などを巡ったあとも城外からもう一度見物。城外も整備されているけれど月見櫓を写真に撮る最適のロケーションの前に東屋が…。
丸亀城
2010年11月9日
丸亀城の売りは江戸期の残存天守と高石垣。堀端から見上げる天守は青空に映えて最高のロケーションでした。天守からは本四架橋なども見えていました。
水戸城
2011年2月12日
大雪の降った翌日、城跡一帯は全面雪景色。古城の趣が一層増しました。
佐倉城
2011年2月12日
国立歴史民族館が城跡の中心かと思い込みタクシーで真っ先に尋ねたけれど、本丸跡や城の見どころはその横の広い城祉公園でした。広い公園をスタンプを求めて案内板を見たり、行き交う人に聞いて訪ねあてたのがプレハブの公園管理センターでした。
公園スタッフの方は私のためにストーブを付けてくださり、気さくに質問に答えてくださったのでいっぱい迷って損した気になっていたけれど救われた気になりました。そして路線バスのバス停を教えていただき歩くうちに城の正面がまさにこの場所であったことを知ることになりました。
城跡は堀や土塁が復元整備され遺構がよく保たれていましたが古写真にあるような城門が一棟でも残されていたら城の規模がもっとよくわかっただろうと思いました。
江戸城
2011年2月12日
さすがに将軍様の城、規模が違いました。大阪城、名古屋城をはじめ西日本の壮大な石垣と深い堀を見てきましたが江戸城はおおきい。見学コースの本丸へ至る広さと石垣の完成度は見事です。どれほどの労力が費やされたのでしょうか。
それにしても大手門前の前に林立するビルは景観をだいなしにしているように思います。
大野城
2011年3月19日
九州の城第1号訪問地。スタンプは「県民の森管理事務所」でゲット。スタッフの方に大案内板の前で大野城の来歴、見どころの説明をしていただき百間石垣や礎石群を見物。手入れも行き届いていました。尾根に立つと戦国の城にも活用され立地がうなずけました。
鳥取城
2011年4月13日
間違って消去してしまったので、改めて登録。さて何を書いたやら…。当日は桜が満開で花見客や城山に登る中高生や市民の多くのハイカー、城好きさんがいっぱい居たことが印象に残っています。市民に愛される場所になっていました。
丸岡城
2011年5月5日
バスから降りると目の前に古色な天守が迎えてくれました。天守が現在まで守られたのは周辺の開発からみると奇跡ですね。多くの見学者が訪れていました。気が付くと後ろにスタンプが開くのを待つ人がいました。失礼。
一乗谷城
2011年5月5日
今は石垣の区画だけが残されているだけですが往事はさぞや立派な屋敷群が続いていたのでしょうね。朝倉館はさぞや立派だったのでしょうね。
今は史跡公園として整備され新緑と豊富な水量に癒される空間でした。連休中のことなので多くの人が訪れていました。公園として土地を提供してくださった地域の皆さんに感謝。
福岡城
2011年5月29日
九州の名城の旅第1日目、1番目。季節外れの台風の影響で大雨。おまけに福岡城の駐車場は満杯。探し当てた駐車場から広い場内を横切って鴻矑館展示場へ。館内を見学するには住所、氏名の記入が必要。
名護屋城
2011年5月29日
九州の名城1日目その2。雨は降り続き名護屋城では最悪。天守台からは何も見えません。30年前の訪問時の記憶をたどりつつ見物を終えて次の目的地へ出発。
平戸城
2011年5月29日
九州の名城を巡る旅第1日目その3。神社の駐車場に駐車。無断です。雨も上がり天守閣を目指す。受付でスタンプをゲット。天守閣の展示物はよくある城の来歴に甲冑。各櫓の見物は外見のみ見物し第1日目の名城探訪を終えることとする。
佐賀城
2011年5月30日
九州の名城を巡る旅第2日その1。本丸歴史館をスタッフの方に案内していただきめぐる。大広間の端に伺候できたのはごく一握りの侍のみ。今は自由に見物できるありがたい時代です。見学を終えたところでいくばくかの感謝の気持ちを入れ御殿を出て天守台の見物。鯱の門の銃弾の跡がリアルです。佐賀の乱の首謀者の処刑の場となったと聞き身震い、鯱の門を後にして次の目的地へ。
吉野ヶ里
2011年5月30日
九州の名城を巡る旅第2日その2。台風一過、晴天の元復元物見台が右の郭にもこちらの郭にもにょきにょき建っていました。広い遺跡の内南内郭、北内郭を見物。レストハウスは満員、昼食時はこころして利用を。
大分府内城
2011年5月30日
九州の名城を巡る旅第2日その3。場内の市役所来庁者用駐車場に駐車。城跡見学者は無料でした。スタンプは文化会館の階段に設置されていました。
本丸部分が全て駐車場とはちょっと寂しいですね。
岡城
2011年5月30日
九州の名城を巡る旅第2日その3、府内城から一路岡城へ。大分市内から郊外へ、そして農山村からいつしか山道に入り、人家はあるが国道とはあまりにも狭い。峠を過ぎたあたりからようやく対向に支障のない道路になる。カーナビを信じて走らせた結果、岡城にはぎりぎり観覧料徴収所が閉まるまえに到着。巻物に似せた案内紙と通行手形、スタンプをゲットして高石垣をゆっくり見物、滝廉太郎にも挨拶して写真を撮っていると、犬が現れてちょっと臭いを嗅いで行ってしまいました。ここでも地元の方?が整備に働いてくださっていました。
熊本城
2011年5月31日
九州の名城を巡る旅第3日その1、豊後竹田市からやまなみハイウエー、阿蘇外輪山を下って熊本市へ。車を須戸口門近くの駐車場に止めてから登城。櫓群や石垣を見て本丸へ。御殿を見物してテレビで紹介されていた高石垣と天守の絶妙の場所を写真に収める。高石垣に建築群。明治の戦闘にも耐え抜いた名城にふさわしい作りを堪能しました。
島原城
2011年5月31日
九州の名城を巡る旅第3日その3。熊本から有明海を高速フェリーで渡って島原へ。島原城は堀に高石垣、そして5重天守。江戸期の定番の城のたたずまい。この城造りが歴史上の反乱を招いた要因になった。城内はすべてアスファルトで敷き詰められていて見物はしやすいけど情緒が感じられない。武家屋敷は下級武士の屋敷とか。名水を飲み損ねてしまった。
時間に余裕があったので原城祉へ行く。雲仙普賢岳の災害地を抜けて約40分、畑地に変貌した城跡に至る。1万数1千人がきゅう首された土地とは悲しい場所である。
人吉城
2011年6月1日
九州の名城を巡る旅第4日、10番目。人吉城は球磨川沿いの建築群が有名だがそれほど広い城域と、高石垣を持つ城とは思っていなかったので石垣で区切られた郭群にびっくり。御見それしました。本丸へ登り郭を見回っている間に時間が過ぎてしまい歴史館に入る時間が無くなってしまい断りを言って玄関先でスタンプだけ頂きました。親切にも新旧の地図と歴史館のパンフを頂きました。ありがとうございました。
鹿児島城
2011年6月1日
九州の名城を巡る旅第4日11番目。黎明館でスタンプをゲットし、外に出て石垣をチェック。銃弾の跡を確認する。堀端を少し歩いて古写真の当時の建物を想像する。
飫肥城
2011年6月1日
九州の名城を巡る旅第4日12番目、最終の訪問地。カーナビに誘導してもらったら小学校に行ってしまいました。Uターンして観光駐車場へ。大手門前を下校する子どもたちを写真に収めて城内へ。旧本丸まで登り杉の大木が古城の雰囲気を演出してくれています。これで九州を制覇。少しほっとした気持ちです。
今治城
2011年6月21日
梅雨の中休み、今日しかないと思い電車を乗り継いて行ってきました。バスを降りると鉄御門とその奥に天守が青空を背にして迎えてくれました。案内にあるように広い堀の水は海水のようで潮の匂いがします。平城は見学しやすい。まず天守に行き観覧券を購入し、スタンプを借りて試し押しをし、スタンプ帳に慎重に押します。
展示物では天守内の江戸期の甲冑の多さに感心しました。彦根城では歴代藩主の甲冑が多数展示されていたけど家臣の甲冑をこれほど多数保有している資料館は初めてです。今治も戦災にあって城下町はすべて燃えてしまい、堀内以外の遺構は残っていないそうですが残念とのスタッフの方のお話でしたがなかなかのものです。復元された多門櫓、木の香りがまだ残っていました。市民の方々の熱い思いを感じながら探訪を終えるのとにしました。
福山城
2011年6月21日
今治からしまなみ海道を高速バスで渡って福山城へ。福山城も2度目の訪問ですが城域や建物に変化はないように思いましたが、松が枯れ死寸前のように見えましたことと、建築物の漆喰が煤けているように感じました。倒れて残存建築を傷つけないか心配になりました。天守には登頂したが短時間で済ませてスタッフの方に申し訳なく思いました。断りを言えばよかったですね。見物を終えて新幹線ホームから伏見櫓をもう一度写真に収めました。いつしかスタンプ帳を埋めるのが訪問の目的のようになってしまっていることを反省しています。
八王子城
2011年7月1日
前日の雨のおかげで森の中はしっとりとして暑さは少ししのげました。が、案内にあるように管理棟前から本丸跡までは老いの足ではわき目も振らず40分強しっかり掛かりました。春風亭昇太さんも言っています。山城は雪のない冬に登るべし。実感。本丸跡では汗が噴き出してそう快感や達成感などなし。下るときも滑るのを恐れてよそ見はできません。何をしに登ったのやら。管理棟に竹の杖が置かれているということを忘れていた。この道は築城当時の道ではないそうな。
曳橋、御主殿跡を見物して谷川に手を浸したい欲望を抑えて別れる。
川越城
2011年7月1日
川越は人気スポットのようです。駅案内所も老若男女、家族連れで列が出来ていました。レトロな循環バスで本丸御殿へ。ここは中学生でいっぱい。まだマナーがいい。あいさつ交わすのも心地よい。スタンプと見学で20分弱。またレトロのバスで川越駅へ。
印象、堀と土塁、御殿玄関以外の建物が失われて城跡であることが全くしない。引き換え町人は地は賑わっていました。江戸幕府本社が倒産したら支社も跡形なしとは寂しい。
鉢形城
2011年7月1日
川越から電車を乗り継いで鉢形城へ。バスの時間が合わないので駅から歩くことにする。地図は有るけど不案内なので通り掛かったご婦人に案内を請うと同じ方向に行くのでと途中まで同行してくださいました。3月に来る予定にしていたが列車ダイヤが震災の影響から脱するのと、自身の予定から今になったと伝えたら、夫人も陸前高田の出身で親戚が多く被災でしたとのこと。お見舞いを言い、案内の礼を言って分かれる。正嬉橋を渡ると城跡の石碑、公園化された小道を歩く。途中から車道に出て歴史館への道標を見て近道を行く。歴史館でスタンプをゲット。常設は「えっ…」と思う。城跡全てが博物館と思えば入館料も高くはないか。
バスの時間を気にしたら復元四脚門を見逃してしまった。時間を気にすると往々にしてこういうことになる。また歩いて駅に向かう。
金沢城
2011年7月21日
65城目。金沢城は十数年ぶりです。その時は城内はまだ大学の敷地だったか、移転したばかりの頃。金沢の名所は1番は兼六園、その向かいにある石川門を背にして写真を撮っても城内に入ることははばかれる雰囲気がありました。今はきれいに整備されたり建物が復元されるなどすっかり様変わりしていました。本丸跡の高石垣など全然気づきませんでしたが加賀100万石の居城にふさわしい姿になってきました。堀の復元に石垣の補修に積み直し、庭園の復元などまだまだ復元作業が続くそうです。期待したいと思います。
高岡城
2011年7月21日
66番目。うっそうとした木々に豊かな水量の堀。建築物は何も残されていないけれど郭がよく残されて古城の雰囲気がいいですね。スタンプも良好でした。記念に売店で高岡名産の梵鐘をかたどった風鈴を購入しました。
七尾城
2011年7月21日
67城目。麓の資料館でスタンプを押し、車で登場。駐車場から調度丸への道はチップが敷き詰められて柔らかくて大変歩きやすい。管理者に感謝。切通しを過ぎると正面に写真等でよく見る石垣。(この石垣は畠山氏時代のものではないような。)
山城に来るたびに思うのですがなぜこの山なのか、水の確保の関係なのでしょうね。本丸跡から七尾湾を眺め、写真に収める。車の力を借りましたが七尾城に登ることが出来て感激です。駐車場の案内板の所に「資料をどうぞ」と書かれていたけれど品切れでした。残念。
松江城
2011年8月1日
68城目。30年ぶり2度目の登城。武骨な天守が変わらず出迎えてくれました。何人もの方が保全に携わっていました。地元の歴史に誇りを持っておられるのですね。出会うスタッフさん全てが気持ちよく挨拶を返してくださいました。
月山富田城
2011年8月1日
69城目。松江城探訪後向かう。松江から山陰道を使って40分、川沿いに資料館と道の駅がありました。さっそく資料館でスタンプを押して内部を見学後館員さんに道とスズメバチに注意とアドバイスを受けて登城。蜂は出なかったけど蛇が出ました。
鹿之助さんに挨拶して棒きれを拾って石垣や手すりを叩いて音を立てながら登ること25分、二の丸到着。堅固に石垣が巡っていました。本丸にも行きました。
石段を滑らないように気を付けながら下山。すぐ近くの温泉で山を見上げながら汗を流しました。温泉の夫人によると昭和になって七曲の石の道を付けたとのこと。全然痛んでいません。しっかりした作りでした。
今年は月山で山城3城目、ちょっと山城の魅力がわかってきた様な気がする。
郡山城
2011年8月11日
70城目。
広島バスセンターから吉田小学校前へ。約1時間30分余りバスの旅。退屈はしませんでした。小学校裏手から登城。森に入った直後セミのションベン玉に打たれてあえなく討ち死に、御先祖が尼子氏と同じ近江なので敵意を感じたのでしょうか。登城メモにはセミのションベンのことは書いていなかったぞ。以後謙虚な気持ちで探訪させていただくことにしました。展望台で竹杖をお借りしました杖は駐車場で返却しました。これは助かりました。旧本丸はパスして本丸段まで30分余り、案内表示が各所にあって迷うことは有りませんでした。本丸では駐車場から登ってこられた方に伺うと1時間ぐらいかかったとのこと、私が登ってきた道の方が時間短縮になるかも知れません。登山道入口や博物館では夏休みの学習の小学生が何組も来ていました。こうして郷土の歴史を学ぶことが史跡の保存や郷土愛、博物館の有効利用になっているのでしょう。挨拶も交わしあってすがすがしい気持ちになりました。城跡と博物館を合わせて1時間半余りの滞在時間でした。
広島城
2011年8月11日
71城目。今回の広島訪問は40年ぶり、城は初めてです。平和台球場は「兵どもが夢のあと」状態でした。安芸高田市吉田とのバスの往復時間の不都合から広島城見学は1時間弱、城の探訪だけになってしまいました。それにしても真昼の城見物は郡山城に登った時以上に暑い。バスセンターから広島城は2、300メーターの距離。ただし、二の丸前の道路は地下道で渡ることをお忘れなく。
復元された二の丸は雰囲気があります。本丸に入っても立木の背が高くてまだ天守閣は見えません。天守閣の全体の姿を見るには二の丸を出て右に行き、堀沿いに少し歩いたところがベストポジションだそうです。時間があれば堀沿いに歩いてください。堀沿いからにょっきりと建つ天守は大きくはないけれど雰囲気があります。江戸時代は庶民はここまでこれたのでしょうか。聞きそびれました。次回訪問の機会があれば聞いてみたいと思います。1時間弱訪問終了です。
金山城
2011年9月11日
東武伊勢崎線太田駅着、タクシーで展望台モータープールへ。本城域へ案内標識を見ながら向かう。早朝であることと雨が降り出して写真も映らない。もっと残念なことは休憩所が閉まっていてスタンプが見えているのにゲットできないこと、諦めて下山を決意。途中で早朝登山をされている方に休憩所のことを訪ねたのをきっかけに金山城、太田荘、中島飛行機、スバル自動車と近現代まで太田市のことを説明していただきました。そして大光院の裏の堀切を案内していただきました。金山城の石垣は立派過ぎるように感じましが、地元に誇りを持っておられるように感じました。大公院ではイベントが開催されていました。ありがとうございました。
ちなみに足利氏館訪問後もう一度登城してスタンプをゲットしました。スタンプは金山城の山の字がかけていましたがそれほど悪い状態ではありませんでした。
足利氏館
2011年9月11日
金山城の太田駅から足利へ電車で向かう。太田からは3駅先、目と鼻の距離でした。金山城でお会いした方の話では南北朝の騒乱は新田、足利の親戚同士の戦いだったとの説明が実感しました。館は周壕のある寺に変貌し守られたのですね。
本堂はまだ開いてなかったけれどたまたまお寺の方が通りかかられて出していただきました。そして少し100名城のこと等お話して辞しました。
足利学校は早朝で開館していなかったので玄関だけ見てまた金山城に向かう。
箕輪城
2011年9月11日
北関東本日3城目、金山城から向かう。箕郷支所でスタンプをゲットし、案内紙や道順を教えていただきました。搦め手口入口駐車場に止めて城跡へ。旗と案内板、そして花の迎えで城跡へ。高低差が余りないので楽に探訪出来ます。曲輪を隔てる深い堀切に説明がないと谷としか思えない程です。井伊氏時代の大手口から三の丸に至る城道の石垣が城跡らしい構造物のようです。数人の見学者がおられ、説明を受けていたところに誘っていただきありがとうございました。
湯築城
2011年9月28日
75城目。四国の城を訪ねる旅第1城目。今回2回目の登城、前回は100名城選定前で子規記念館を訪れた際にたまたま見つけて探訪ししています。今回は資料館に行きスタンプとパンフレットを頂き、館員の方の解説を聞いて散策しました。
 4時半に到着したので駐車場は資料館前の有料を利用しましたが、道後温泉に宿泊される方は宿に止めてから訪問されるのが節約になります。植栽が伸びたためか見通しが利かなくなっているように感じました。
松山城
2011年9月29日
76城目。四国の旅2日目、今回2度目の登城。前日ロープウエー前駐車場到着時、駐車場の係員さんに天守の閉館時間が迫っていると教えられ登城を断念し、朝に出直してきました。入城は9:00〜17:00になっていますが閣内入場は16:30までだそうです。
本日8時30分の始発に乗車、9時天守郭探訪。前回は化粧直し中で足場が組まれていたりして全体が見れなかったけれど今回は色鮮やかで堪能することが出来ました。
大洲城
2011年9月29日
77城目。四国の旅3城目。松山城から高速道路で移動。大洲城も2回目。今回は肱川越しの天守の写真が撮りたくて橋手前で河川敷に降りようと試みたが降り口が分からずに路上駐車して撮影。観光マップに書き添えてくれていたらうれしいな。
市民会館前に駐車し登城。天守はまだ木の香りが残っています。小学生がのどかに写生をしていました。本丸と天守の周辺の民家や建物が移動してより公園らしくなりました。
宇和島城
2011年9月29日
78城目。四国の旅4城目。大洲から高速道路を利用1時間弱。2度目の登城。桑折氏長屋門前駐車場利用。長門丸に至るアスファルトの道を利用して登るとやがて石垣が見えてきます。所どこに高石垣が巡っていてさすがに藤堂高虎縄張り、築城を偲ぶことが出来ました。最高所の天守は小ぶりながら層塔型で均整が取れ装飾性に富んでいます。国道から見上げる天守は木々に映えていました。
高知城
2011年9月29日
79城目。四国の旅5城目。宇和島城から移動。約2時間半。一般国道は苅田やコスモス、彼岸花等見ながら登りもあるけれど長い下りもあり秋を楽しめる道でした。
高知城も2度目の登城。石垣の修復も済み、豪壮な石組を見ることが出来ました。24万石となると城域も石垣も立派です。
高知城登城で四国の城を回り終えることが出来ました。
岩国城
2011年9月30日
80城目。四国中国の城を巡る旅3日目、高知から高速道路を乗り継いで移動。本四架橋を渡るときに強い雨にあったけれど山陽道に入ると雨も止み、ドライブ日和になりました。岩国には1時過ぎに到着。ロープウェーが月末のメンテナンスで2時が終便。天守閣も2時で閉館なので館内を見学する時間もなくてスタンプを出していただき失礼しました。いずれまた再訪したいと思います。
ロープウェーで下って錦帯橋を渡って河川敷から錦帯橋と山頂の天守閣の写真をいっぱい写しました。
津和野城
2011年10月1日
81城目。四国中国の旅7城目。岩国7:30発、高速道路と一般道利用で津和野リフト茶屋10:00着。スタンプをゲットしてクマよけの鈴を借りてからリフトで登城。9号線から見える石垣は竹田城を彷彿とさせました。リフトから本丸郭へは15分弱。中高年には見栄を張らずに杖を借りることをお勧めしす。本城域は特に荒れているうえに前日の雨で濡れていたので大いに役立ちました。文化遺産という制約もあるのでしょうが、もう少し道を整備することはできないのでしょうか。荒城の雰囲気満点ですがせっかくリフト付いていいるのですからお願いします。
萩城
2011年10月1日
82城目。四国中国の旅最後の城。津和野城から移動。一般道を約1時間強。大変走りよい道でした。津和野と萩を結ぶ観光道路の役割も担っているようですが時折観光バスと出会う程度で、ほとんど繋がることは有りません。旧厚狭毛利家長屋前の市営有料駐車場を利用。その横の毛利家資料館前駐車場は無料。
萩市内は観光客で賑わっていましたが萩城祉は閑散としていました。指月城の観光マップもなくて整備もできているように思えませんが有料です。天守跡や潮入門跡など見物して土産物店で昼食を食べ帰路につきました。
萩城跡をゲットしたことで西日本の名城は沖縄を残すのみになりました。
春日山城
2011年10月27日
83城目。夜行バスで新潟入り。天気良好、朝の冷え込みもなし。JR直江津駅から路線バスで麓に取り付き、徒歩で春日山城を目指す。約30分で謙信像下に到着。神社脇から千貫門跡、二の丸を経て天守、本丸、毘沙門堂と頂上部の主要郭を約1時間かけて見て神社へ降りる。神社周辺では来訪者も増えてきました。土産物店も客を迎える準備も整いだしています。甲冑姿のカッコいい若武者も現れて観光地の雰囲気も出てきました。
次の「ものがたり館」を目指して山を下りました。約25分で到着。スタンプを出してもらい、ビデオを見て館員のおばさんに礼を言い出ました。バスで高田か直江津に出たかったですがいずれも合わないのでまた徒歩で春日山駅を目指しました。振り返ると春日山が青空に映えていました。100名城の戦国の山城で現在の市街地にもっとも近い位置にあるのではないでしょうか。春日山駅からも謙信像の位置が特定できるような山が見えていました。
新発田城
2011年10月27日
84城目。新潟県2城目、春日山城よりJRで移動。上越市から新発田市へはいくつかルートが有るようですが来た電車に乗り継いために特急列車、上越新幹線を使うことになりました。
新潟県は広い。雪を頂いた高山に長い海岸線、平坦な田畑と豊かなところでした。それで春日山から乗り継ぎ時間を含めて3時間半、徒歩時間を含めて新発田城到着は3時前になっていました。斜めの太陽に照らされて白亜の三階櫓は青空に眩く映えていました。辰巳櫓、表門、旧二の丸櫓は見学はできましたが、三階櫓には近づけなくて残念でした。本丸域の自衛隊の隊員は今震災では福島県に派遣されて救護活動をされたとかご苦労様でした。
新発田駅に戻る途中、城周辺を歩いていて来た循環バスに乗ったら30分ばかり市内を回って駅に到着。今回はいっぱい電車に乗って歩いて人に会って、そして温泉に入って満足の新潟の城廻りになりました。
山形城
2011年11月29日
85城目。みちのく城巡り1城目。夜行バスで山形入りすると、山形は深い霧に包まれていました。山形城は別名「霞城」ですがまさにこのような情景から名づけられたのでしょうか。駅から徒歩10分で二の丸東大手門到着。おりしも通勤通学時間帯のため枡形門から自転車や徒歩で次々と通っていきます。市街地中心の城だけに生活に活用されているほうが活気が有っていいですね。
霧の中を一文字門、展望台をウロウロしていると警備員さんが、郷土館は9時開館だが8時半には館員さんが出勤していますよ、と教えてくれました。名城スタンプ目当ての訪問者だと気づかれてしまいました。教えに従って濠沿いの散策路を巡り、南門の枡形を出て濠沿いに少し歩いて郷土館に行くと館員さんが開館準備をしているところで、手を止めてスタンプを出してくださいました。その後どこから来られた、何城目と問われて答えると実は私もと、情報交換やコレクションも見せていただき話が弾んで、園庭の植栽の雪つりも館員の方がされたとか。見せていただいている間に玄関へ、礼を言い失礼しました。?
。次の仙台に向かいました。
仙台城
2011年11月29日
86城目。みちのく2城目。山形より1時間余りのバス移動で仙台入り。仙台は2度目の訪問。駅から路線バスで直接本丸跡に向かう。駅案内所で尋ねると直近のバスを手際よく用紙に書いて紹介してくれます。用紙に書いてくれるので何度も聞き返す必要がない。忘れても大丈夫。仙台駅、城跡南間は25分とのことだが乗った路線バスは東北大学の学部ごとに停車したので体感的にはもっとかかったように感じた。震災の影響で遠回りになっているのかも。バス停から本丸跡はすぐそこ。
本丸跡は展望台そのままで仙台市内が見渡せます。甲冑姿の正宗公の騎馬像が建つのみで城跡を思わせるものは何もありません。本丸御殿復元の話が出ているそうです。仙台城発掘の成果を紹介する見聞館でスタンプ押印。修復された高石垣や下山の道を尋ねたら屋外に出て案内してくださいました。
仙台市街は賑わっているしバス通りに震災の傷跡は見られない、震災の影響は少なかったのですかと問うと、7カ月が過ぎたが回復していないところもまだまだ多くあるとのこと。まだまだ傷は癒えないところもあるでしょう。頑張ってください。
多賀城
2011年11月29日
87城目。仙台駅よりJR東北本線で国府多賀城駅へ移動。同好会の書き込みの通り駅案内所でスタンプを借りて押印。政庁跡への道順をイラストマップと口頭で丁寧に教えていただきました。駅前には国府遺跡あり、教えられたとおりにたどっていくと遺跡らしい芝が張られたところや発掘を待つような空き地が方々に見えます。案内表示に従って歩くと小丘を超えたところに多賀城碑を覆う建屋があります。政庁跡は奈良の平城宮や大宰府都府楼跡の縮小版のようです。
西行法師も松尾芭蕉も訪れたでしょうか。大伴家持の終焉の地を訪れることができて感激がわいてきます。
遺跡のすぐ近くに畳がうずたかく積まれた場所がありました。津波で濡れた物でしょうか。道も所々波打っています。一日も早い復興、復旧が叶いますように。
会津若松城
2011年11月30日
88城目。みちのく城巡り二日目。前日に仙台から高速バスを利用して会津若松入り。高速道路は段差ができているのか衝撃がしばしばありました。ホテルからタクシーを使って朝一で登城。観光の人はまだいません。天守閣が開くまで本丸郭を一周。天守入口には鎧姿の男性がチケットの確認をされていました。天守に登り街並みと飯盛山など周囲の山々を眺めました。残念ながら低い雲が垂れ込めて宝の山会津磐梯山は見られず。あきらめて降りる。出口近くの売店でスタンプ押印。
ここも雪に備えて植栽の雪つりに励んでおられました。本丸を出て濠端をぶらり散策。カモがたくさん浮かんでいます。濠は幅広で、石垣は高く立派でした。虎口の打込み接ぎは江戸期でしょうが天守の石垣はそりも浅く一時代古い蒲生氏時代のものでしょうか明らかに違っていました。濠端から少し離れるともう天守閣は見えなくなり少しさみしいですね。高速バス停横の中学には避難町の役場が入っていました。めげずに頑張ってください。
二本松城
2011年11月30日
89城目。会津若松から高速バスで郡山駅に出てJRで二本松に向かう。二本松駅案内所で城までの道順の案内を受け地図をいただく。霞ケ城公園へは徒歩で20分ぐらいとのことでしたが今にも雨が降りそうな空模様なのでタクシーを利用。歴史資料館にもスタンプはあるとのことでしたが出発前に案内所でスタンプ出してもらい押印。
タクシーの運転手さんに地理の案内を受けながら本丸下まで行ってもらう。本丸跡は立ち入り禁止の表示と縄張りがされていたので写真だけを撮り下山。下山口も禁止の縄が張られていたが自己責任でまたいで下りました。本丸下の古い石垣が異様な膨らみができていました。下って御殿跡、庭園跡を探訪して復元された箕輪門で往時の城を思い描きいよいよ雨が落ちだしてきたので城跡を後にしました。駅までの交通機関はないとのことなので小走りに坂を上り、坂を下りました。坂の登り口には滑り止めの砂袋が置かれていました。これから訪問される方、降雪時にはご注意を。資料館に寄ると月末の整理で閉館していました。案内所で押印しておいてよかった。そのことを案内所の方に伝え次の訪問地白河にJRで向かう。
白河小峰城
2011年11月30日
90城目。今回のみちのく城巡り最後の城になりました。JRで二本松より移動。小峰城は白河駅の目の前に有ると言うよりも城内を鉄道が走っていると言った方が正しいでしょう。最悪案内所が閉まるまでに到着できればスタンプはゲットできるとの思惑で今回の最後にしました。予定より早く到着できたので余裕で城見物、押印できました。書き込みの通り本丸への登城口の他数か所で大崩れしています。見たところ何れも巨石が乗っていただろう切込み接ぎの石垣のように見えました。少し時代の古そうな石垣は無事だったように見えました。崩れたところ崩れていないところの違いはどこにあるのか調査検証されるだろうとの集古苑の館員さんは話されていました。三階櫓は無事で何よりでした。
白河はラーメン店が多いと聞いていたので楽しみにしていましたが水曜日は休んでいる店が多いので水曜日に訪問される方は事前に目的の店に確認しておいた方がいいでしょう。親切なガソリンスタンドのご婦人がインターネットと電話で探してくださり食べることができました。ありがとうございました。
首里城
2012年1月30日
91城目。前日沖縄入りして那覇市内に宿泊。先達の経験談に従い8:30に駐車場に入庫。すでに何台もの「わ」ナンバーの車が並んでいました。スタンプはビジターロビーでゲット。状態は良好でしたが数回ためし押しをしていざ本番になって滑りが出てしまいました。スタンプ帳裏表紙艶あり厚紙にはご注意を。これも先達の書き込みがありました。さらにセンターは次々と来客があるので落ち着きません。スタンプは他に系図館、北殿にもあるそうなので込み合っているときはそちらで押印した方がいいかも。私も北殿でもう一度別の紙に押印しましたが、こちらも状態は良好でした。
首里城はさすがに王城の城だけに規模も造りも精緻で立派でした。ただ現在見る建物を含め石垣も先の戦争と、大学時代にすべて破壊された後に近年発掘復元されたものです。沖縄の人たちの努力の賜物ですね。
順路に従って約1時間探城して離れました。
今帰仁城
2012年1月31日
92城目。沖縄城めぐり2城目。前日本島中部に宿泊し、桜の名所、美ら海水族館見学後登城。あいにくの雨降りになりました。今帰仁城は美ら海と桜の名所、海の道と人気スポットに含まれているので観光客も多く訪れていました。桜はまだ3部咲きと言った所でしょうか。
スタンプは発券所にありました。スタンプ式でインクも薄目でした。城跡は今も発掘と復元が行われていました。「機械は入れられないので…」と、作業員さんが一袋ずつ砂利を運んでおられました。ご苦労様です。また、礼拝所でお祭りをされている方もおられました。城内あちこちに礼拝所がありました。今も祈りの場なのですね。城跡は広くないので資料館を含め1時間弱で充分です。
中城城
2012年1月31日
93城目。沖縄3城目。今帰仁城より古宇利島へと続く海の道のドライブをし、名護市を抜けて自動車道を利用て中城城へ向かいました。今回借りたレンタカーは年式が最新ではないので新道や橋が登録されていなくて、“あれ…”と迷うことが何回かありました。けっこう道路工事もあちこちでやっていましたね。
中城城跡の立地は丘の尾根を城壁が巡る独特のつくりなっています。本州の城では連郭式の縄張りです。城域は広く石垣も首里城に匹敵するほどの堅固さでした。ここにも拝所が幾つかありました。城跡ではウェデング姿で記念撮影されていました。
次に勝連城跡に行きました。こちらは下から見上げると西洋式シャトーのようでした。
これで沖縄の城廻は終了です。本州同様に沖縄にも多くの城があってそれだけ中央集権政権が誕生するまでに多くの戦いがあったということですね。鉄砲が戦の主流になる前の本州の戦国時代の山城は多くが土の城なので形状が失われてしまったけれど城壁を石で構築したために保存されたのですね。また訪れてみたいと思います。
久保田城
2012年3月21日
94城目。北東北第1日一城目。飛行機で秋田入り。リムジンバスで市内入り。秋田駅を過ぎて木内で降車。千秋公園は目の前です。まず佐竹資料館に行きスタンプゲット。展示品を見た後城跡探訪。雪だまりがあちこちに残っています。流れのない池には氷が張っています。御番所、表門を見て本丸を経て御隅櫓へ。昨日は開いていたそうだが今日は開いていませんでした。本丸の土塁を巡って大手門に降りる道を教えていただき長坂門口の石段を下りて大手門跡に出て駅に向かう。
この城は江戸時代初期の城にありがちな高石垣がなくて威圧感はないけれど、結構広くて存在感は十分にありました。
盛岡城
2012年3月21日
95城目。北東北2城目、秋田よりJRで移動。盛岡駅案内所で地図とバス乗場を教えていただきでんでんむし号で城跡へ。城跡公園下車、目の前に高石垣が巡っていました。城跡には啄木の歌碑があり、少年の頃の憧れの地でもあります。盛岡城跡の象徴と言えば渡雲橋。城跡を巡ったのち「プラザおでって」に行きスタンプゲット。印は薄い。
おでってから城跡を眺めると立木ばかりで石垣は見えません。往時のイメージを思い描けないまま次の訪問地、八戸に向かいました。
根城
2012年3月22日
96城目。北東北3県城めぐり2日目。前日盛岡から移動、八戸泊。路線バスで根城大橋で下車交差点を曲がるとそこには整備された大堀切りがあり、復元建屋の屋根が見えます。自然と気が急いて早足になります。柵沿いに歩くと芝の広場が見渡せます。先に復元された主殿など中心部を探訪しました。
スタンプは本丸入口の券売所にありました。スランプの状態は良好です。順路に従って探訪。主殿にも上がり、等身大で復元されている儀式の様子などを見る。先達の感想にもあるように今まで戦国、織豊、江戸時代の城を巡ってきた目には中世の領主の館の感じが強いようです。しかし、南北朝から近世まで乗り切った南部氏と家臣団の団結力が感じられました。
博物館を出てバスを待つ間、空から雨が降り出しました。八戸駅と元八戸を結ぶルートは他にもあるようなので、待ち時間があるときは少し歩いて別ルートのバス停を探した方が得策でしょう。
弘前城
2012年3月22日
97城目。本州最北の城下町に到達。新青森駅から弘前までの景色は雪が原でしたが弘前市内は除雪が進んで移動に支障なし。到着後すぐに観光案内所を訪ねて城へのルート図と時間を確認し、循環バスで市役所前下車。追手門から除雪されたルートに沿って天守を目指しました。杉の大橋を渡って南内門から二の丸に入ると天守が見えます。巨大ではないけれど現存天守はやはり迫力がある。感激です。
3月中は主城域はまだ無料、ただし天守の資料館も閉館中。天守前の案内にはスタンプは「緑の相談所」にあるとのこと。いいアングルを求めて本丸を一周して北の郭を経て緑の相談所に向かいスタンプゲット。スタンプの状態は良好。
弘前城は日本有数の桜の名所に相応しく桜木が多い。今日も手入れがされていました。機会があれば桜の季節に訪れてみたいと思います。
五稜郭
2012年5月14日
98城目。前日に函館に入りしてレンタカーで登城。まず五稜郭タワーに登り均整の取れた外観を楽しむ。次にタワー受付でスタンプをゲット。スタンプ状態良好。すでに多くの観光客に修学旅行の人たちが集まっていました。空は晴れ渡り、名残りの桜に青葉若葉でロケーションは最高。五稜郭は城というより近世の要塞といった感じですが、郭内に入ると木造の復元された奉行所など土塁、石垣は日本的です。堡塁などにも上って北国の城砦を感応しました。
松前城
2012年5月14日
99城目。函館から車で約2時間強。松前町城下の観光バス駐車場は満杯状態。八重桜など色々な地方から集められた桜が見ごろを迎え多くのツアー客を集めていました。天守入口のゲートで入場券を購入、そこで松前城のスタンプをゲット。順路に従って天守内を探訪、展示物で貴重な目玉展示物はなんだったのかな。
天守を出て大手門を見物。見物人はわずか。本丸御門は創建時の建物で時代を感じさせる緊張感がある。城の郭群は海岸からの攻撃、眺めを意識したためか天守、御門が望め見栄えは立派で堂々としています。砲台も7基備えられていたとのことで万全だったようだが実戦を重ねてきた旧幕府軍に背後に回られ戦意も失せて落城したそうだ。実戦では役立たずだったが公園として、桜の名所として貴重な財産を後世に残してくれてのは救いですね。道の駅でもう一度城を眺めて松前を後にしました。
根室半島チャシ跡群
2012年5月16日
100城目。名城?1の地で満願を果たすことができました。釧路から2時間半で根室市歴史と自然の資料館着。さっそく受付で訪問の趣旨を伝えてスタンプを出していただく。館員さんに根室半島シャチ群の地図と注意分岐を教えていただき納沙布岬を目指す。細かい雨に強風、霧の中を30分弱で到着、何も見えません。
納沙布岬から5分かからずでヲンネモトチャシ着。小さな集落の一軒のお家に入る道の黒いコンテナにヲンネモトチャシと黄色い看板が出ていました。雨もちょっと小降りになり、見通しも少し良くなったので車から降りて岬の先まで行ってみました。小道にはシカの糞が点々とあり、足元に注意が必要。シカやキタキツネもあちこちでに出没。チャシ群より北の動物に会えたことに感激したりして。また雨風霧が強くなってきたので他のチャシは今回はスルー。
100名城の地をすべて訪問することができました。09年姫路城をスタートして足かけ4年で達成することができました。訪問に際してはこのサイトが後押しをしてくれました。ありがとうございました。城めぐりは今後も続けていきます。