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メンバー情報

ID1261
名前赤いRVR@松本
コメント小学校の頃、地元にある山城に興味を持ち、そして、同じ地元の松本城を知りたいと思い、市内の山城を調べました。
全国の城も見てみたいと、浦和レッズ・松本山雅参戦の際には登城しています。
残念ながらスタンプはやっていないのですが、百名城にとどまらず、城巡りをしています。
基本は山城なので。

この他に行ったことのある城は、金山城、金沢城(兼六園観光だった)、一乗谷(城下部分のみ)、彦根城、松江城(96年8月22日)ですので、63城ですかね。
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
弘前城
2015年11月5日
石垣研修で登城。現在改修中の石垣も見ました。天守は現在仮天守台にありますが、岩木山をバックにみられるのは、この期間限定です!天守ももちろんいいのですが、いくつか残っている城門にも注目です。また、櫓もいくつか残っており、水面に写る様子も素晴らしいです。
根城
2015年11月8日
弘前からの帰りに登城、八戸城と合わせてみてきました。沢里館にもいい空堀があります。こちらは、来る人も少なさそうですが。報恩会館根城バス停で降りると、目の前です。そこから歩いて本丸方面に行くのもいいですよ。
盛岡城
2015年11月8日
弘前からの帰りに登城、東北の総石垣の城は見ごたえ十分です。矢穴のある石が多い石垣です。丸く入ったものもあり、面白い!
多賀城
2009年10月29日
● 登城日は2000年4月22日
● 城とはいっても、中・近世の城とは異なり、政庁ということで、広い敷地で、周囲に 築地塀が残っていた。
● 三古碑の一つ多賀城碑がある。保護のため覆屋の中ではあるが、ぜひ押さえたい。
● スタンプは、以前なので、押していない。
● 東北歴史資料館もある。
再登城は2013年11月10日、整備も進んでいました。石敷広場などもいいですね。
仙台城
2009年9月21日
● 初登城は2000年4月23日、次は2000年8月31日
● 仙台市街を見渡すことができる絶景の地にあると思った。やはり、伊達政宗公像は人 が多い。城郭遺構はほとんど残存していなくて、残念。周囲の石垣に、往時の面影を見 ることができる。石垣も、一部修復している。
● 本丸にある青葉城資料館には、出土遺物の展示のほか、CGによる仙台城の映像を流し ているので、城の全貌を知るには、見ておいて損はないと思う。
● スタンプは、やっていない。本丸まで自動車で行くこともできるが、麓の博物館から 歩いて登るのもいいかも。そこで牛タン焼き定食を食べれば、満足できます。
久保田城
2009年10月31日
朝早かったので御隅櫓には入っていない。表門。裏門というのがそのままでいい。石垣がなく(一部裏門など裾石垣はあるが)、土でできた、まさに「城」である。表門は平成になってから復元されたが、礎石も残されている。二の丸は洋風庭園という感じか。南側の堀は幅が広い。中に佐竹史料館があるが、これまた時間外なので入館できなかった。近世城郭は久保田城だが、古代政庁としての秋田城もあり、こちらも外郭門や水洗厠などが復元されており、見所が多い。なお、スタンプは押していない。
山形城
2016年10月30日
20161030日の天童でのモンテディオ対山雅参戦時に登城、朝早かったので本丸には入れなかったが、周囲の石垣などは見事だった。南大手門近くにコインパークがあったので、そこに車を停めた。
会津若松城
2011年11月6日
2011年11月6日、08:20〜10:20
ハイカラさんで城北口下車。同乗車。

風評被害で観光客が少ないかと思ったが、そこそこ来ていたようで安心。
天守は赤瓦に葺き替えられて、幕末の天守が蘇ったということでしょうか。
とにかく広い、2時間歩いたが、本丸(天守含む)と北出丸、西出丸の一部を見学できた
だけでした。
それでも、天寧寺土塁は見る事ができた。
「ハイカラさん」、「赤べぇ」を利用するのが一番いいかと思います。
スタンプラリーはやっていないので、場所を確認していません。
飯盛山からは、雨天のため天守はよく見えませんでした。
白河小峰城
2015年11月8日
弘前からの帰りに登城、時間少なく、1545時〜1600時、それでも天守、門を見て、石垣も堪能。まだ修復中の部分が多いです。案内板にあった外堀土塁は確認できず。帰りの電車を待っている間にライトアップが見えました。
足利氏館
2010年5月9日
足利学校と併せて見学した。本堂は修復中のため見られず残念。四囲の水堀の水が澄んでいたのに驚かされた。郭内は現在ばん阿寺境内となっているが、周囲だけ見ても十分見ごたえはある。北西にある両崖山には足利城があるが、そこまでは登城できなかった。西に隣接して、江戸期の陣屋があったとされ、遺構はとどめていないが、「陣屋の水」と書かれた飲食店があった。
箕輪城
2009年2月7日
説明会に参加。関東北部の名城。現在搦め手はもとは大手と考えられている。御前郭には井戸も残存。本丸周囲に一部石垣もある。発掘調査により、本丸排水溝は墓石を使っていたことがわかった。全体としてよく整備されている。ウォーキングコースとしても、地元に愛されている城だ。スタンプはどこにあるかな。
金山城
2010年5月9日
以前登城したときとは全く印象が変わっていて驚いた。食い違い虎口や、よく整備された通路に驚かされる。石垣はあんなに残っていたのだろうか、という感じはする。ただ、整備によるいやらしさは感じないので、良いのではないか。ものすごい速さで見て歩いたが、1時間はかかった。しかも遺構全部を確認できたわけではないところに、すごさがある。車で真下まで来られるのにも関わらず、だ。
今回はその後、足利氏の本拠足利市へ向かった。
鉢形城
2009年10月29日
● 登城日は2004年4月11日
●  荒川右岸の段丘上にある、後北條氏の持ち城。段丘上を流れる小河川などを利用した 複雑な縄張りの城で、主郭のほか数多くの遺構が残存する。豊臣秀吉の北條攻めの一環 として、豊臣軍の猛攻撃を耐えたが、衆寡敵わず落城し、城主北條氏照は自害し、落城 した。現在、毎年4月行われる「北條まつり」でこの戦いが再現される。この時期はマ ムシも出るので注意。
川越城
2011年1月9日
学生時代浦和市にいたので、近くにあった川越城や岩附城はよくいきました。本丸御殿も一度入ったことがあります。写真は、2003年11月4日撮影の城下町情景です。なお、城下にある喜多院には、巨大な板碑(鎌倉時代から室町時代に多く建立された、供養や追善供養・月待ちなどのための主に長瀞周辺で切り出された青石=緑泥片岩で造られた石碑)が建っていて、目を見張ります。なお、このレプリカが大宮公園の埼玉県立博物館にありますので、中世の武蔵を考えるよい資料ですので、こちらもお勧めです。
久しぶりにこの日登城。本丸御殿の復元も終わりつつあるようであった。御殿前の三芳野神社もなかなかいい雰囲気。その周囲にある土塁は残存遺構か。また、中ノ門堀も復元されており、ここもお勧めだ。
佐倉城
2016年11月27日
● 登城日は2000年10月28日だ。
● 本佐倉城も登城して、中でパンクした。
今日再登城しました。朝早く0620時から0830時まで見ましたが、土坡と水堀、まさに土の城の集大成です。佐倉駅から歩いて、南の出丸から二の丸に登り、空堀を確認。その後本丸に行き土塁、天守跡、銅櫓跡を見た。また城内には佐倉連隊兵営があり、その遺構も残っています。朝早いので歴博を見ることができず、田町門から堀際を通って京成佐倉で電車に乗って上野に向かいました。スタンプは佐倉城址センターにあるようです。
江戸城
2010年4月24日
天守台に行ったのは、昭和54年、竹橋で降りて広い本丸を歩いたのを覚えている。初めて切り込みハギの石垣を見て感動した。
実は江戸城が平山城だというと違和感がある人が多いと聞くが、外堀の中を総武中央線が走っているといえばわかるだろうか。
この日久しぶりに登城。大手門から三の丸、二の丸を見学し、本丸へ。御殿跡を通るのもいいが、土塁の上を通り、富士見多門を見ながら行くのもよい。それにしても、本丸の中にいたのはほとんど外国人だったのには驚いた。北桔橋門から一旦出て、平川堀沿いに石垣を眺め、再び平川門から入城したが、なかなかいいルートである。日比谷堀は広い。二重橋も外国人だらけだ。
八王子城
2009年8月5日
北条氏照により1576年に築城された堅固な山城。山頂部に本丸などがあり、その周囲には数多くの郭が配置されている。山頂部からは東京の都心部・横浜方面まで広く眺望がよい。北条氏の主要な城のひとつ。周囲の尾根尾根にも兵力を配置することができる堅城。平時は御主殿で生活していた。安土城をモデルに築城された城で、山城部分こそ中世山城の継投であるが、御主殿にはその要素が多く組み込まれている。石垣をふんだんに使用している。登城路も奥を広げて、下からは同じ幅に見えるような視覚効果も取り入れている。復元されている曳橋は戦国時代の工法を再現したというが、少し立派すぎる。御主殿は非常に広く、発掘調査では茶器・中国産陶磁器など多くの出土遺物がある。ベネチア産レースガラスによる花器もあり、織田氏との交流も考えられている。1590年6月23日、豊臣秀吉の小田原攻めに伴い、堅城の名を惜しいままに落城した。多くの婦女子も命を落としたとされ、凌辱を恐れた女子らは御主殿の滝に身を投げたとも言われ、その流れは三日三晩血で染まったとも伝えられる。支城として浄福寺城(八王子市史跡)や、小田野城(八王子城跡追加指定)がある。
小田原城
2009年9月27日
● 北条氏の小田原城は、想像すらできない近世城郭だ。
● 天守には登っていないが、周囲には白い城壁が巡らされ、徳川系の城というイメージ が強い。動物園まであって驚いた。
● スタンプはしていない。
武田氏館
2009年10月29日
● 登城日(写真を撮った)のは、2007年3月25日だ。
● 学生時代、武田氏を卒論のテーマとして以来、何度も来ている。
● よく、正門だと思われがちな武田神社の鳥居は、大正以降のもの。本来の大手門は、 そこから右に折れた所にある土橋。少し前から、整備を行っていて、大手門周辺での発 掘調査も行われた。その成果によって、石積みが復元されてきた。
甲府城
2008年1月1日
中には入ったことはないのですが、甲府に行くと横を通ります。
写真は中央線の中からのものです。
松代城
2010年6月19日
何度登城したかわからないが、2007年8月24日に初めて文武学校を見学した。
近年は城下町の発掘調査も行われ、江戸時代の街並みが明らかになりつつある。また、松代大本営象山壕は、城下町の裏手にある。こうした歴史もあることを忘れてはいけない。ちなみに、『硫黄島からの手紙』でも知られる栗林中将は松代城下のはずれ、皆神山ふもとの出身である。
久しぶりの登城、ずいぶん整備が進み驚いた。土の城との印象が強いが、主要な箇所には石垣が用いられていることが良くわかる。
今年度いっぱいで、屋代線も廃止になってしまうので、駅越しに見れる期間はあと少しです。
上田城
2008年10月26日
一番最近だとこの日だが、研究対象となっているため、何度登城したかわからない。堀の中に上田電鉄廃線敷きがある。
小諸城
2008年3月4日
衛生協議会視察研修で立ち寄るが、何度も来たことはある。懐古園としてあまりに有名。本丸石垣は、一部孕み出しもあるがよく残存。懐古園額は徳川16代家達による。千曲川段丘を利用した名城だ。ボランティアガイドが説明してくれる。
松本城
2010年4月10日
● 松本城は、かつて勤務していたので、毎日登城していました。
● 言わずと知れた国宝天守のある城。旧称は深志城と呼ばれた小笠原氏支配下島立氏の 館があったとされている。小笠原氏滅亡後、武田氏により大規模に改修を受けたと考え られるが、武田氏時代の遺構は全く不明。発掘調査などの成果で、堀跡・土塁跡が見つ かっているが、まだ判明していない。1582年武田氏が滅亡した後、一時織田氏家臣 木曾氏の城となるが、本能寺の変後の混乱に乗じて小笠原貞慶が奪還し、松本城と改  名。以後、石川氏による天守造営(1593〜1594)が行われるなど、近世城郭へと変化を 遂げた。城下町も整備されていき、本町・中町・東町の親町3町を中心として、現在の 松本発展の基礎となった。城跡は史跡、天守群が国宝指定。近年、総堀から木杭列が見 つかり、中世〜近世城郭の防備について重要な資料となっている。黒門・太鼓門も復元 された。太鼓門発掘調査をしたが、礎石はアスファルト下に残存していた。二の門脇に ある穴は水路跡で、かつて水が流れていた証拠に、タニシの殻があった。
高遠城
2010年1月16日
何度も登城している城。城を見たいなら絶対桜の時期に行ってはだめです。昔江島屋敷を見たことあります。
2010年1月16日、久しぶりに登城。やはり冬のほうが遺構がよく見えて美しい。
周囲には、織田方の陣城として、一夜の城というのも残されていますので、お時間があればそちらもどうぞ。
新発田城
2015年10月17日
新潟対松本の参戦時に登場。表門が現存し、中は見学可能。復元三階櫓は入れないが、外観だけでも見ごたえがあります。
春日山城
2009年6月20日
天地人博を兼ねて登城したが、以前にも登城したことはある。本丸からは上越地方が一望できる。本丸直下に井戸がある。中段に直江兼続屋敷がある。ふもとに埋蔵文化財センターがあり、出土遺物を展示している。直江津市内には、御館、福島城など、見所も多い。
高岡城
2011年11月23日
水堀が見事な城跡
明治期に民間に払い下げられたが、市民の有志によって残されたという。
堀を巡る遊覧船で、下から見上げてもいいかも。
スタンプは博物館にあるらしいが、押してはいない。
ところどころで埋蔵文化財の発掘調査が行われているので、注意。
金沢城
2011年11月23日
兼六園のほうが多く取り上げられるが、実はこちらもすごい城跡。
さすがは加賀百万石の城だけあって規模も雄大。
復元された河北門にも入ることが可能。
天守などはないが、残されている門などだけでも見ごたえは十分。
帝国陸軍の連隊が置かれていた時期に、一部遺構が壊され、レンガトンネルなども
あるが、今ではそれすらも近代遺跡ともいえようか。
丸岡城
2015年9月19日
登城日は忘れました。たしか、戦国自衛隊の撮影があった少し後だったはず。その当時、ここでの撮影許可が大変だったと、映画パンフレットに書いてあった。
福井地震で倒壊しなければ国宝だったと聞いた。
再登城は20150919 越前・加賀旅行で登城。改めて石瓦や急な階段など、見どころの多い城だということがわかった。
一乗谷城
2020年7月23日
復元エリアだけでなく館跡や庭園など、見どころがたくさんありますし、背後の山城もよさそう、雨で登れなかったけど。
岩村城
2009年10月29日
● 登城日は、1997年5月10日だ。
● 名古屋戦参戦途中で登城した。本丸で、有料の説明テープが流れるというので聞いて みた。石垣は見事の一言だ。
● 再登城は20170724日、大阪からの帰りに、雨上がりに登ってみた。
岐阜城
2009年11月14日
登城日は忘れましたが、当時持っていた地図に「名鉄岐阜市内線」が金崋橋まで書かれていたのに、行ってみたらなくてがっかりした記憶があります。私の部屋には、その時買った「信長・道三時代の岐阜城」ポスターが貼ってあります。
再登城は20180506日、岐阜対松本参戦前に登城。ロープウェイから山雅サポがたくさん出てきてびっくりしました。麓の信長居館も発掘調査による整備が進みつつあります。
山中城
2010年5月22日
清水から箱根に行く途中に立ち寄りました。時間がなかったので、駐車場で説明板を見ただけでした。3週間後リベンジ予定です。
なお、スタンプですが、駐車場に「この中にスタンプを押した紙があります」と書かれたティッシュボックスがありましたが、中にはなぜか紙コップが入っていただけでした。要注意です。
再登城しました。平塚戦後だったので、到着したのが17:20時でした。まず岱崎出丸を見学物見台のような構築物がありましたが、危険なので立ち入り禁止でした。ここの障子堀は見事。西の丸の障子堀が修復工事中の今、よい状態で見られるのはここだけだと思います。西の丸のものは、いのししが荒らして壊れたのを修復しているとかで、周囲にも近づくことはできません。物見台から見下ろすと、修復中であるのがよく分かります。また、きれいになったら見に来たいと思います。一時間ほど駆け足で見ましたが、それでも見られたのは全体の6割くらいでしょうか。時間に余裕を持って見学したほうがいいと思います。とにかく広いですね。
駿府城
2009年11月14日
登城は、1985年の駿府博だった。当時は全国でいろいろな博覧会が行われ、駿府博もそのひとつだった。
JR東海館に入った。
掛川城
2007年6月30日
エコパ参戦時に登城。天守は独立している復元天守。二の丸にある御殿から見上げる天守は絶景。木造復元されたと聞いて、一度行ってみたかった城だ。
天守から見下ろす町並みは、どことなく高知市街を見ているような感じがしたが、やはり山内一豊の造り上げた城下だからだろうか。
犬山城
2015年7月25日
登城は1991年。何度かしているが、この時は松本城を含めた国宝四城の関係で出張した。犬山橋を走る名鉄特急の警笛が、なんともいえなかったが、それも今は昔の物語です。
2015年7月25日、24年ぶりに登城。城ももちろんいいが、城下町もいいですね。
名古屋城
2008年9月28日
● 天守他、米軍の空襲により焼失してしまい、すごく残念。残っていたら、間違いなく 世界遺産であろう。
● 周囲には織田氏関連の史跡も多い。
岡崎城
2014年3月17日
安祥市の博物館に資料を貸し、その展示を見るついで(?)に三河の城攻めを行いました。その一つとして登城。復興天守てすが、周囲の空堀など、見どころは十分。あわせて三河武士の館も見学しました。スタンプは押していません。
長篠城
2013年2月16日
登城は1991年6月9日。伊那市駅〜(飯田線)〜豊橋〜(東海道線)〜名古屋〜(中央西線)〜塩尻〜(篠ノ井線)〜松本という旅行をした。途中長篠駅で途中下車し、登城。帰り長篠駅への道がわからなくなり、歩いていた女子高生に道を聞いた。その時に、「ここを行くとカーブミラーがあるじゃんね」と言われ、「じゃんね」の用法が地方によって異なることを知った。なかなか、方言は面白い。
2013年2月16日再登城。伊豆出張の帰り、なぜか飯田線経由で立ち寄り。中心部だけでなく、周囲にも遺構表示があります。こまめに観察するといいかも。
伊賀上野城
2009年11月15日
登城は1992年3月上旬。広島出張の帰途に立ち寄りました。近鉄伊賀線から関西本線というルートで。鍵屋の辻なども回りました。
再登城は20170723日、大阪遠征の帰りに登城。天守が木造だとその時初めて知った。
松阪城
2017年7月22日
20170722日早朝に登城。御城番屋敷からの眺めがよかった
彦根城
2019年7月14日
三十数年ぶりに登城。早朝だったので天守には入れなかったが、周囲の水堀や重文指定の門などを堪能。それでも1時間以上はかかるから広い城です。
安土城
2009年11月16日
何度も登城しているが、記録があるのは1997年3月18日、長居に向かう途中だ。信長の館なども見学。セビリア万博で展示された安土城模型があった。秀吉居館跡も見学。
その後、吹田で釘を踏んで、そのまま藤井寺まで走り、そこで空気が抜けた…。
二条城
2008年4月26日
西京極参戦時に登城、中学時修学旅行以来登城。天守はないが二の丸御殿がある。御殿は多くの人が訪れているだろう。初めて本丸に入ったが、石垣内側にある雁木はすばらしい。天守台からの眺めもよい。
大阪城
2008年11月2日
初登城は2005年10月2日だ。その後何度か登城。このときは、重文の櫓内を見学することができた。天守はコンクリートなので仕方ないが、こうした建物が残っているのに驚いた。
千早城
2010年10月30日
館跡(楠木正成生誕伝承地)・下赤坂城・上赤坂城に続いて登城。台風の影響はあまりなかったものの、階段などは濡れていて、たまに滑ることもあったが、552段の石段は結構厳しかった。四の丸はかなり広いので居住空間かな。三の丸を経て二の丸にある千早神社に参拝、裏手に本丸があり、聖域であると気づかずに山道を登った。途中は道もなく切岸を直登。その直前に撮った写真に靄のようなものが写りこんだ。顔のようにも見えたため、これは失礼なことをしたと思い、何度も謝った上で主郭を見せて頂きたいと頭を下げた上で改めて登坂。櫓台とされている石垣はもちろん後世のものであろうが、何らかの宗教的施設であるような気がした。それ以外は中世の遺構が残されていると言える。降りてみて、そこが聖域であることを知り、改めて謝罪をした。スタンプはどこにあるのかはわからなかった。
明石城
2020年2月22日
とんでもなく広いです。駐車場はいくつかあります。二つの櫓は、文化財保護上雨天時は入れません。
姫路城
2015年6月1日
登城は1992年3月上旬。広島出張帰途に立ち寄った。終了時間近かったため、見学時間は40分ほどしかなく、駆け足で見たため、忙しかった。その後翌日伊賀上野城を見学した。
2015年6月1日に再登城。本当に真っ白ですね。
西の丸百間廊下の外壁には、戦時中の防空法で黒く塗る代わりに擬装網をかけるためにつけられたフックが残っています。本当に、焼けなくてよかった!
赤穂城
2016年6月13日
登城は2001年7月20日、広島に行く途上で立ち寄りました。大石内蔵助屋敷跡などを見学しました。数年前、赤穂市教委の人と話をし、だいぶ整備も進んだとか。また行ってみたいと思います。
再登城したのは2016年6月13日。岡山からの帰途に登城しました。かなり整備が進んでいて驚きました。車は大石神社に停めました。弧を描く石垣に驚かされました。
高取城
2009年11月15日
登城は2000年12月です。日は忘れました(調べればわかるのだけれど)。奈良に長期出張していたとある土曜日、どうしてもここは来たかったので、風邪ひいていたけれど、麓まで車で行き、登城しました。こんな山の中に、高石垣がそびえている姿はすごかった。帰りに熱があがってしまい、だるかったことを覚えている。
和歌山城
2017年7月22日
岡口門北側の雁木が美しかった。
備中松山城
2016年6月12日
岡山での松本戦参戦時に、その前に登城しました。真田丸のオープニングにも使われているせいか、人も多いです。朝早く登り、奥の大松山城や番所、天神の丸なども見どころがあります。土橋という名の木橋を渡ると中世の世界。天守だけでなく、是非そちらもどうぞ。看板もいたるところにあり、迷う必要はありません。 
鬼ノ城
2016年6月12日
岡山参戦時、備中松山城とともに登城。かなり整備が進んでいて、古代の城はこんなものかな、とも思いますが、少し整備し過ぎかな、とも思えました。イメージ先行という気が…。それでも眺望は素晴らしい。また礎石建物址もあるので、そちらも見ていただきたい。ビジターセンターの展示も良いです。
岡山城
2009年11月9日
登城日は2004年6月20日、桃太郎参戦時に登城した。本来ならば山陽道の烏城なのであるが、太平洋戦争で米軍空襲により焼失した。礎石が天守前にある。現在のものは復元されたもので、内部は博物館となり、岡山城の歴史を展示している。庭園後楽園はあまりにも有名。
福山城
2010年1月1日
登城日は2001年7月22日、広島参戦後に立ち寄った。天守には入っていない。同じ敷地内にある広島県立博物館で草戸千軒遺跡の展示を見た。
すぐ近くにあるこの遺跡は、中世を考える上でとてもよい遺跡です。福山は、中世は鞆の浦が栄えていて、こちらもお勧めです。
20121127日夕刻登城、よって天守には入っていないが、石垣も美しい。いくつか残存櫓があるようだ。
広島城
2009年11月15日
登城は1992年3月上旬。広島城への出張だった。中の展示方法について話を聞いた。広島城は、日清だったか日露だったかの大本営が置かれ、その跡も残存している。たしか礎石があったかな。天守も、原爆により倒壊したというのだが。米軍によって、いくつ日本の城が消滅したことか…。
岩国城
2007年9月15日
天守は未登閣。錦帯橋のみだ。初めては2001年7月21日深夜。第一次広島遠征でビッグアーチ勝利の後。せめてライトアップでもしていないかな、と考えたが、暗かった。たもとにエンジンをかけたまま車を停めて渡り始めたが、下から突然花火が上がり、アジア系外国人の声が聞こえ、あわてて引き返した。今度こそ、と思った2007年9月15日、今度は朝早かったため、またも錦帯橋のみだったが、今度は渡ることができた。今度は、三度目の正直で登城したい。錦帯橋を下から見るのもまた面白い。
萩城
2015年5月31日
花燃ゆに誘われて登城。もちろん要害も。天守台はじめ石垣は立派です。スタンプは押していません。場所もわかりません。
外堀も整備されています。また、城外ですが女台場も見どころです。
徳島城
2019年7月15日
南口から330段上って本丸、西に下った二の丸の石垣が面白い。
高松城
2019年7月15日
城内は玉藻公園として整備されています。石垣や、タイが泳ぐ水堀も面白い。また、すぐ横を琴電が走っているのもいいですね。
丸亀城
2019年7月15日
見返り坂をひたすら登ると石垣が出迎えてくれます。
今治城
2009年7月19日
厳密には未登城。大分からの帰りに、明るければ立ち寄りたかったが、遅くなってしまい、ライトアップを堀端から見ただけに留まった。機会があれば、登城したい城である。
湯築城
2007年10月7日
初登城は2003年9月21日。伊予鉄市内線道後温泉前にある。現在は公園となっている。発掘調査によって、外郭には復元建物、水路などがある。ほぼ外周の堀は残存する。展示施設もあり、ボランティアガイドが説明してくれる。発掘調査で、何次かの火災があったことがわかっている。その後このときに内郭に登った。祭りが賑やかだった。
松山城
2007年10月7日
初登城は2003年9月20日、しかしその時は天守に入ることはできなかった。路面電車から見上げる城は美しい。麓からはロープウェーで登山することができる。ただし、そこからもかなり歩くので、空腹時にはつらい。1600年代の築城だけあって、石垣は洗練されている。天守は三重で扁平な感じを持つ理由は、もともとはもう少し高層になる予定だったということ話だ。管理事務所は、戦争被害を受けたという話だ。
大洲城
2009年7月19日
厳密にいうと、時間外で天守には入っていないので、登城とはいえないか。天守は木造であり、地元人はそれに誇りを持っているようだ。駐車場は、少し離れた場所に無料駐車場がある。発掘調査により、現在天守以前に、一回り大きな建造物があったとされる。
宇和島城
2009年11月9日
登城したnoは2006年8月27日だ。ただし天守には時間外だったため入っていない。宇和島市街にそびえる独立丘陵上にある城。急な石段を上がるまさに登城だ。結構疲れる。登城したとき、本丸前にて発掘調査をしているようだったが、それ以降どうなったかは知らない。夕方だったため宇和海が見えて美しかった。
高知城
2009年11月9日
登城は2004年6月19日だ。山内一豊の城として知られる。天守に接して本丸御殿が残存する。近くには市内に浦戸城、南国市に岡豊城と、長曾我部氏に関連する城跡も多い。土電もあり、鉄ちゃんにもたまらない町だ。
福岡城
2015年5月30日
第2次鳥栖遠征に伴い登城。天守台はじめ石垣は見事。多門櫓も残る。
スタンプは押していません。場所もわかりません。
大野城
2009年10月29日
● 登城日は2006年8月30日だ。
● はじめて見た古代朝鮮式山城だった。大宰府を中心とした北部九州の要衝だ。城とい っても、山域全体を土塁で囲まれ、要所要所に倉庫群とみられる礎石建物跡がある。
● 百間石垣は圧巻。古代技術の高さを感じさせる。
● スタンプはしていない。
● 周辺には、大宰府・水城・天拝山など、古代の緊張関係を感じさせる史跡が多い。
名護屋城
2009年10月29日
● 登城日は2006年8月29日だ。平日だったため、発掘調査中だった。調査担当の人と話をした。本丸には、かつて復興天守を建てる予定だったらしいが、結局中止になったという。もっとも、そのあと名護屋城屏風が発見されたという。遠く隠岐が見えた。時間があれば、博物館だけでなく、各大名の陣城をめぐれれば、さらに喜びは倍増するだろう。
吉野ヶ里
2009年10月29日
● 登城日は、2006年8月29日だ。大雨雷警報発令されていて、途中で見られなくなるかもしれませんという案内もあったが、そうそう来ることはないため、見学強行。城というつもりで見学したわけではないが、弥生時代の環濠を見たかった。実際に発掘調査をしたことはあるが、規模の違いを実感。復元も、まあこんなもんでしょう。いいのでは。資料館には、出土遺物が豊富で、よいです。
佐賀城
2012年11月24日
天守台上で発掘調査を行っている。武器などが収められていたようで、出土遺物に武具が多く見られる。本丸御殿は無料施設だが、展示資料はよく、有料だとしても遜色ない。駐車場は、県立博物館に可能。スタンプはしていないので探していないが、本丸御殿にありそうだ。
島原城
2012年11月26日
時間がなく、一周しただけだった。復興なのだろうが、建築物がたくさんあるのは、見ごたえがある。この城の南方南島原市には、前身の日野江城・原城がある。
熊本城
2009年11月10日
登城したのは2006年8月27日。言わずと知れた、最後の攻城戦が行われた城。登城したときは、本丸御殿の工事中だった。築城400年で造るとはすごい。真夏のため暑かったが、宇土櫓は涼しかった。天守内部は博物館になっていた。感想は、黒と白のコントラストのせいか、松本城に似た感じ、というか、月見櫓のない松本城という感じだった。城の周囲に路面電車が走っているのがいい感じ。
大分府内城
2009年7月19日
第三次大分遠征で登城。城に入ったのは初めてだった。市街地にあるためか、周りは高いビルで取り囲まれている。天守台から見ても、見えるのはビルばかりだった。石垣と水堀が美しい。市内には大友氏の居館府内館があり、大友氏学習館で出土遺物展示をしている。府内館近くには、上原館跡があるが、土塁の一部が残存するのみである。
岡城
2009年7月18日
大分は三回目だが今年初めて登城した。石垣に驚かされた。ちょうど期間限定で中川覚左衛門屋敷跡の平面復元されていて、見ることができた。麓の暑さも、本丸まで上がると嘘のようだ。対岸の国道を走ると、「荒城の月」のメロディーが流れる。私がいった少し後に、崩落事故があったが、現在はどうなっているだろうか。
鹿児島城
2009年7月17日
第三次大分遠征の延長戦として登城。篤姫の舞台を見てみたかった。イメージとすれば巨大な居館という感じ。ただし威厳がある。城跡にある黎明館には、島津氏関連の展示も豊富で見所も多い。背後の城山は、上山城という島津氏以前の城跡であるが、公園整備に伴い、山城があったという感じはほとんどない。名を残すのみといったところか。城山から見る桜島は絶景だというが、登城時は山頂が雲と噴煙で見えなかった。今和泉島津家も立ち寄った。
首里城
2009年11月16日
登城は1994年5月。復元主殿の、ガラス張りの下に、米軍によって破壊された当時の遺構を見ることができ、すごく悲しい気持ちになった。近くには第二次大戦戦跡がいくつもある。海軍司令部壕もあった。この時の旅行で泊ったホテル脇に三重城(みえぐすく)があり、そこも朝早く歩いて見学した。
浪岡城
2018年4月6日
● 登城日は20151107日、弘前出張の後に登城。浪岡駅から歩くと遠かった。平面復元された建物跡がいいですね。見学後電車に間に合うために30分弱で歩いて行った。
● 中世の館には、浪岡城の資料が展示してあるので、合わせて見学することをお勧めします。
秋田城
2018年4月6日
復元された門や、便所遺構もある。
菅谷館
2018年6月9日
何度も行っているが、土塁と空堀がすごい。スタンプは資料館にあるようです。
新府城
2018年6月2日
何度登城したかわからないくらい行っている城。生まれて初めて一人で県外へパイクで行ったのが1983年に夏だった。選定されてから、今月登城してみた。搦手から登ったが、整備がかなり進んでいる。スタンプの位置は知りません。
鳥越城
2020年7月24日
城域まで車で行かれます。麓の一向一揆資料館と合わせてどうぞ。また二曲(ふたげ)城や殿様屋敷などの見どころもあります。
美濃金山城
2018年5月6日
駐車場は出丸にあるが、早朝は通行止め、大堀切近くに数台のスペースがある。
諏訪原城
2018年8月20日
壮大な空堀に囲まれた城です。駐車場にはトイレもあります。スタンプの場所は不明。
津城
2019年7月17日
中学校が中にあります。天守台だけでなく、石垣が見事。
田丸城
2019年7月15日
天守台ほか、石垣がすごい。
洲本城
2020年2月24日
本丸直下まで車で行くことができますが、台数に限りがあります。本丸東面の石垣がお勧め!
新宮城
2018年7月22日
本丸からの眺望がよかった。