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メンバー情報

ID805
名前シュヴァイツァー伍長
コメント小さい頃から城郭が大好きで、これまでにも
「江戸(嘉永)時代 大名紋章城郭図」(発行・望月アート企画室)に載っている城郭を中心に、北は函館の五稜郭から南は九州の小倉城まで100ヶ所以上の城跡を巡ってきました。
今回の日本100名城スタンプラリーに参加するにあたり、100名城の中で以前訪問した事のある城を数えてみたところ、なんと46箇所もありました。それらの城を再び訪れるのもまた楽しみの一つであります。
自動車での旅がメインになると思いますが、交通手段には特にこだわらずに電車・船・飛行機など様々な乗り物を利用し、旅のバリエーションを増やしていきたいです。
流されず囚われず、自分のペースでゆっくりまわっていこうと思います。

ちなみに、HNは戦争映画『Cross of Iron(邦題:戦争のはらわた)』の主人公、シュタイナー伍長(ジェームズ・コバーン)にあやかって付けたものです。

Twitter ID:@Schweitzer5chou
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
弘前城
2011年9月24日
60城目
八戸から新幹線と奥羽本線を乗り継いで弘前へ。
この日は弘前城築城400年祭ということで、普段は入場料が必要な区域が無料で、さらに期間限定で東内門と辰巳櫓の内部が公開されていました。東内門には仮設の階段が設けられていましたが、かなり急でした。
下乗橋の近くでは流鏑馬の国際大会が開かれており、日本だけでなく海外から参加した選手もいました。
城内のあちこちを見て回っていたら内部公開の終了時刻(午後3時半)を過ぎてしまい辰巳櫓には入れませんでした。
しかし、戸締りをしていた係の人が特別に建物の寸法などが詳細に書かれた資料をくれました。
弘前市内には明治時代に建てられたモダンな洋風建築が幾つも残っており(3枚目の写真は旧弘前市立図書館)、城の中でも外でも歴史を楽しめます。
帰りは新青森から時速300キロ運転に戻ったばかりの新幹線「はやぶさ」に乗りました。
これで東北地方の百名城は全て攻略。
根城
2011年9月24日
59城目
前日の夜に夜行バスに乗って八戸へ向かう。
中心街から30分ほど歩いて八戸市博物館へ。開館時刻は9時でしたが10分程早めに入ることができました。
受付でスタンプを押して館内を見学後、根城の広場へ。
ここの領主である南部氏は甲斐源氏の流れを組む一族で、氏祖・光行が鎌倉時代のはじめにこの地に領地を与えられて現在の山梨県南巨摩郡南部町から移り住んだのが始まりだそうです。
現在史跡として整備されているのは国道104号線より北側だけですが、当時は国道の南側にも曲輪が存在していました(と言うか根城のあった土地を国道が貫通している)。
盛岡城
2011年9月2日
57城目
台風のため天候が思わしくない中、東北自動車道を北上。午前中に白石城に寄ってから盛岡入り。
城跡公園の地下駐車場に車を置いて、歴史文化館でスタンプ入手。
大手の馬出しから神社横の瓦御門跡を通り、苔むした石垣を堪能しながら本丸へ向かう。二の丸と本丸の間に架かっている橋はペンキを塗り直したばかりでした(三枚目の写真)。
盛岡を出て高速に乗って秋田へ行き、秋田市内のホテルで一泊。
多賀城
2010年5月4日
42城目
スタンプ設置場所が変更されていました。埋蔵文化財調査センターの展示室は改装のため9月13日まで休館。隣の体験館「史遊館」でスタンプ捺印。
城跡には、以前訪れた秋田城(久保田城ではない方)と同様に門や建物の基礎部分だけが復元表示されており、築地塀のあった場所には土塁のように土が盛られていました。建物は何もありませんが意外にまったりと散策することができました。
仙台城
2010年5月4日
41城目
仙台市内に入ると、近くの動物公園や遊園地に向かう車の長い列が。嫌な予感を抱きつつ駐車場に向かうと、やっぱり凄い列が。30分くらい並んで車を停めて入城したものの、あまりに人が多く、売店や食事処もいっぱいだった為、見聞館でスタンプを押してすぐに撤収。見聞館は、確かに高速のサービスエリアにあるような大き目のトイレに見えました(笑)。
久保田城
2011年9月3日
58城目
前日とはうって変わって快晴。
5年前に訪れた時には観覧時間を過ぎていたために御隅櫓に入れなかったので、今回はリベンジも兼ねて早朝に登城。
唯一の現存建物である御物頭御番所は靴を脱いで中に入れます。
御隅櫓は周囲を高い木々に覆われているため、同じアングルの写真ばかり。そこで裏手に回って広角で無理やりカメラに収めようとした結果がこれだよ(2枚目の写真)!!!足場に余裕が無いうえに入口がある側と外観がほぼ同じ。さらに北側なのでもろ逆光。
内部は普通の資料館でしたが、秋田の特産品である秋田杉についてのパネルには江戸初期の家老である渋江政光が残した
「国の宝は山なり しかれども きりつくすときは用に立たず 尽きざる以前に備えを立つべし 山の衰えはすなわち国の衰えなり」
という言葉が書かれており、この時代から既に森林保護の考えがあったのかと感心しました。
佐竹史料館の受付でスタンプを借りて押す。状態は良好。史料館前の広場ではジャズのイベントが開催されていました。
備考:御隅櫓最上階に設置されている双眼鏡はNikon製の30倍双眼観光望遠鏡
山形城
2010年5月4日
40城目
早起きして先に山形市内にある長谷堂城跡を目指す。長谷堂に入った途端、道路脇の電柱には1本おきに「長谷堂城跡」の看板がありました。城の入口には最近作られたばかりと思しき駐車場に案内板。これも大河ドラマ効果か。山頂広場にあるあずまやで、コンビニで買った弁当を食べる。天下の名将、直江兼続率いる上杉軍の猛者たちを以てしても落とせなかった城で、彼等が陣取ったとされる場所を見下ろしながら食べる朝食は格別でした。
スタンプ設置所である霞城公園内の郷土館に入ると桜吹雪がお出迎え。館内に置いてあった冊子によると、最上氏時代の山形城は最上氏改易後に城主となった鳥居氏によって破却され、その上に現在見られる城を築いたそうです。豊臣氏滅亡後の大阪城も同じように改築されたので、領民たちに領主の交代をアピールする狙いがあったのかも。また、この城は城主が交代する度に石高が減ってゆき、幕末の水野氏に至ってはわずか五万石になってしまいました。わずか五万石でこの城を維持するのは無理だったのではないでしょうか。
城を出てから南東にわずかに残された三の丸土塁跡を見学。
二本松城
2010年5月3日
39城目
歴史資料館でスタンプを押して内部を見学してから霞ヶ城公園へ移動。目立つ看板が無いのでナビの通りに進んでも本当に正しいのか判断に迷います。一度通り過ぎてしまい、狭い坂道のためUターンするのが大変でした。
箕輪門下の駐車場から山上の本丸跡まで徒歩で移動。会津若松城とはうってかわってこちらは静かなものです。それでも天守台のあたりには10人ほどいましたが。
会津若松城
2010年5月3日
38城目
西出丸駐車場に車を停めて入城。GW中なだけにまだ9時前にもかかわらず、車も人も多かったです。
ちょうど桜が満開(既に少し葉桜でしたが)で綺麗でした。やはりお城には桜が似合います。
瓦を葺き替えるために天守の周囲には足場が組まれていたのが残念といえば残念。現状では、平成13年に再建された南側の走り長屋と干飯櫓のみが赤瓦の屋根なので、次は是非全て赤瓦になった天守を見たいものです。スタンプの置いてある売店は人がいっぱいで身動きが取れない状態でした。今回から捺印用に買った小型のゴムマットを導入。わずかにかすれましたが状態は良好。
城内の稲荷神社の前にあった案内板によると、この城の原型を作った芦名直盛は雪原に付けられた狐の足跡を参考にして縄張を決めたという言い伝えがあるそうです。『神仏が動物の姿を借りて縄張を指示した』という伝承は各地の城にありますが、この若松城にもあったとは知りませんでした。
城内の散策後、隣の県立博物館で企画展「千少庵と蒲生氏郷」を見て、土産物屋で昼食に喜多方ラーメンを食べてから次の二本松城へ移動。
白河小峰城
2010年4月3日
37城目
東北自動車道の白河中央スマートICから10分ほどで白河駅北側の駐車場まで行けます。
小峰ヶ岡という小山の上に築かれたのでこの名が付いたそうですが、近くにあった中世の白川城と区別するためなのかも。
城の西側と北側、水堀が残っている辺りはベースとなった丘の上に石垣が築かれており、江戸城などで見られる、土塁の上に石垣を築く「鉢巻石垣」に近い形状になっていました。
白河集古苑でスタンプを借りて捺印、受付の人が、スタンプがかすれていないか随分心配していました(実際少し失敗したけど)。話を聞くと、スタンプラリー参加者の中にはスタンプの状態にこだわり、インクが薄かったり、逆に濃かったりすると文句を言う人もいるそうです。
三重櫓は古い絵図面を元に忠実に復元したそうですが、急な階段まで忠実に再現しなくても良かったような気がします。
水戸城
2009年3月20日
13城目
常磐道水戸ICから国道50号線で水戸へ向かい、弘道館正門のすぐ横の駐車場に車を停めて窓口でスタンプを押す。
庭の梅の花は殆ど散ってしまっていましたが、まだ満開の種類もありました。
城跡らしい遺構といえば、高校の敷地内に移築された薬医門と、三の丸庁舎の西側にある土塁・空堀くらいでしょうか。
ひととおり見終わってから日本三名園の一つ、偕楽園へ。
足利氏館
2009年3月21日
14城目
現在は鑁阿寺という寺になっており、「城」のイメージこそありませんが、周囲をぐるりと囲む水掘と土塁が中世の「館」としての面影を伝えています。
本堂でスタンプを捺印。私の前に押していた人は奈良から来たそうで、既に40城ほど廻っているとのこと。
本堂の屋根の大棟には菊花紋章を中央に、左に五七の桐の紋、右に二引両紋(ともに足利家の家紋)があしらわれています。
参拝の後、足利学校を見学。藤の季節が一番の見ごろらしいです。
箕輪城
2008年10月26日
6城目
三の丸下、大手虎韜(ことう)門口の駐車場に車を止める。
やたらのぼりが多いと思ったら、この日はちょうど箕輪城まつり当日とのこと。
結構大きな平山城ですが、周囲の駐車場には車がぎっしり。
三の丸から登っていく途中にある、苔むした石垣がいい感じ。
二の丸駐車場の片隅に緑色に塗られた小さな箱が置いてあり、以前はそこがスタンプ設置場所だったそうですが、盗難にあったらしい・・・(怒)。
帰りに箕郷支所に寄って押すつもりでしたが、たまたま駐車場にいた市の職員さん(?)がスタンプを持っており、借りて押している人がいたので便乗して捺印。
本丸跡ではステージのセッティングが進んでおり、フリマなども開催されていて賑やかでした。普段はもっとずっと静かなんだろうなぁ(苦笑)。
そんな賑わいを余所に、御前曲輪・丸馬出・稲荷曲輪などを歩き回りました。
駐車場への帰り道で武者行列に遭遇。
午後は鉢形城に寄る予定でしたが、時間が無かったので断念。
金山城
2009年4月18日
16城目
金山城のある群馬県太田市はスバルの聖地。
というわけで、我が愛車スバル・インプレッサの里帰りを兼ねて登城。
城内はかなり整備が進んでおり好印象。特に大手虎口の階段状に組み上げられた石垣は近世の城郭に見られる高石垣とはまた違う迫力がありました。
ここに攻めてきた敵兵は、手前で左に折れ曲った道から正面の狭い通路を抜けるまでの間に正面の防波堤状の石垣や両脇の曲輪に配置された守備兵からの弓矢・鉄砲による射撃に晒されたことでしょう。
南曲輪の休憩所でスタンプを押したのですが、管理状態が悪いのか青インクが本体から漏れており、かなり汚れていました。
休憩所の近くには、富士重工の前身である中島飛行機の創立者である中島知久平氏の胸像が、市街地を見下ろすように立っていました。南曲輪からの見晴らしは大変良く、スバルの工場もよく見えます。付近には竹林があり、これが当時もあったとすれば籠城時に弓矢の不足に悩まされることは無かったのでしょう。
実城(本丸)裏の細い道を通って北方にある出城「坂中城」跡にも行ってみました。こちらには何もありませんでした。
鉢形城
2009年4月4日
15城目
池袋から東武東上線で寄居駅へ。
駅に着いたのはお昼過ぎでしたが「途中でコンビニか飲食店にでも寄ればいいや」
と思って鉢形城公園に向かったのが大間違い。
駅前から正喜橋を渡り、鉢形城歴史館に至るまでの道にそれらのお店は一軒も見つかりませんでした(公園の入口手前にそば屋があったのですが休業中でした)。こんな事なら駅前のLIFEで何か食べてくれば良かった・・・。
来週の日曜日には「寄居北條まつり」が開催されるそうで、荒川の河原では模擬戦に使われるとおぼしき木製の大砲や柵、旗指物などの準備が行われていました。
川越城
2008年9月15日
4城目
近く本丸御殿の改装工事が始まるということで登城。
東武東上線の川越駅から小江戸巡回バスを利用。
本丸御殿の南にある富士見櫓跡には既に建物はなく、回りも樹木がうっそうと茂っているため見晴らしはあまり良くありませんでした。双眼鏡を持ってきていたので木々の間から周辺の建物を確認することはできましたが。
本丸御殿の真ん前が観光バスの駐車場になっているのを知ってちょっとビックリ。開発され過ぎだろ周辺。
入口で係員さんからスタンプを借りて捺印。内部の庭園は風情があって良かったです。
すぐ近くの川越市立博物館、市役所前の太田道灌像、名所・時の鐘を廻り帰路に着きました。
佐倉城
2008年9月14日
3城目
城内にある「国立歴史民俗博物館」は小・中学校の頃に何度か来たのですが、今回の目的は佐倉城本体。
京成佐倉駅から徒歩約20分で到着。
正面の田町門から歴博のある椎木曲輪までは「愛宕坂」と呼ばれる結構長い(しかもカーブになっているのでどこまで登ればいいのか分かりづらく、精神的にもキツい)坂を上らなければなりません。なので、体力に自信の無い人は城の東南にある自由広場から攻めるのが良いでしょう(スタンプの置いてある佐倉城址公園センターもそこにあります)。
歴博の近くに復元されている馬出しの空堀はデカい!深い!しかし、これでも当時のものよりは浅くしてあるとのこと。
当時の建物は何も残っていませんが、周囲の土塁や水掘を見るだけでも十分価値はあると思います。
江戸城
2008年1月12日
昔から何度も来たことがあるのですが、やはり最初は地元の城を・・・ということでスタンプラリーのスタート地点に選んだのは此処。
生憎の雨でしたが、東京駅から大手門まで歩いて入城。東御苑を抜けて北の丸公園へ。
武道館横の休憩所で捺印。
八王子城
2008年7月27日
2城目
のぼりに描かれていた「うじてるくん」がいい味出してましたw
管理棟前にてスタンプ捺印。広大な山城で、山上まで行くには時間が足りなかったので今回は断念、下の居住地区を廻ることに。
復元整備された古道や曳橋はなかなか立派でした。が、近くの木に「マムシに注意」の貼り紙が・・・(汗)
曳橋を渡った先の石垣は新しく積まれたものでしたが、築城当時の石垣が一部残っていました。
小田原城
2008年10月11日
5城目
JR東海道本線に乗って小田原駅へ。生憎の雨でしたが、めげずに登城。
今回のスタンプラリーでは初めての、天守(復興)のある城です。
天守一階の受付でスタンプを押したのですが、そんなに力を入れたわけでもないのにインクがやたらと濃かった・・・。
最上階の展望台に設置されていた双眼鏡はNikonの30X80でした(そんなの確認するのは俺くらい?)
城の西側には一夜城で知られる石垣山が。実は4年ほど前に石垣山城に登ったことがあるのですが、そこからは小田原城が丸見えでした。
馬出門と桝形の復元工事が行われていたので、完成後にまた来たいです。
武田氏館
2009年12月18日
32城目
早朝に新宿駅から路線バスに乗って甲府駅前へ。山本勘助ゆかりの地へ向かう車内で食べる朝食は勿論コッペパンw
以前車で来た時に駐車場を探すのに苦労した思い出があるので、このサイトで知った情報をもとに電動レンタサイクルを借りました。情報を提供して下さった「かわうそ」さん、ありがとうございます。
電動アシスト自転車に乗るのは初めて(そういや路線バスも初めて)だったのですが、武田神社までは結構な上り坂だったため、これのメリットを最大限に体感する事が出来ました。
神社に入る前にまず一周。少し西へ行ったところに勘助の屋敷跡があると知り自転車でひとっ走り。屋敷跡は小さな公園になっていました。
宝物殿でスタンプ捺印。展示されている物の中には国の重要文化財である太刀『吉岡一文字』や『風林火山』の軍旗などがあり見ごたえ十分。第四次川中島合戦の錦絵、上杉家の武将に何故か「直江兼続」の名が(第四次川中島合戦は1561年、兼続の生年は1560年)。
神社の敷地内のため立入禁止の場所が多く、武田氏滅亡後の徳川又は豊臣統治時代に築かれたという天守台は行けませんでした。
甲府城
2009年12月18日
33城目
武田神社から信玄・信虎の墓所、甲斐善光寺と巡り、レンタサイクルを返却してからまずは山手御門へ。櫓門の内部はちょっとした資料展示室になっており無料で見学できます。
お昼になったので南口にある「小作」というお店でカレーほうとう(1400円)を食べました。とても美味しかったです。
東側の高石垣は野面積みで、角の石も殆んど整形されていません。それでも高さは約17メートル。
スタンプは恩賜林記念館と稲荷櫓の2か所に置いてあります。
稲荷櫓内部のパネルを見て、武田氏の時代に何故ここに城が築かれなかったのか知ることが出来ました。昔は一条小山という独立丘陵で、鎌倉時代に建てられた稲荷神社があった為だったそうです(現在は移転済み)。
これで関東・甲信越の百名城はコンプリート。
松代城
2009年6月27日
22城目
長野自動車道長野ICを下りておよそ5分、北駐車場に行ったのですが・・・ほぼ満車でした。
何とかスペースを見つけて車を停め、北不明門から入城。
戌亥隅櫓台の近くに、鉢植えの花が大量に置いてあったのを見て「何じゃこりゃ」と思いながら階段を登り、上から見てみると・・・その花は真田の旗印・六文銭の形に並べてありました。残念ながら円形にはなっていませんでしたが、心憎い演出でした。
太鼓門の内側にも同じように花が並べられており、こちらは扇型になっていました。櫓門から見られるかな、と思ったのですが、こちらは立入禁止。
管理棟に置きっぱになっているスタンプを捺印し(状態は良好)、松本城へ向かいました。
城内の案内板によると、近くに川中島古戦場跡や山本勘助の墓があるそうですが、コッペパンを買い忘れていたこともあり今回はパス。
上田城
2009年10月17日
27城目
このスタンプラリーで初めて、登城順と城の番号が一致しました。
朝8時半の開館に合わせて行ったのですが、既に二の丸の駐車場は半分くらい埋まっていました(城を出た頃にはほぼ満車)。
東虎口櫓門の右側にある『真田石』、持参したメジャーで大きさを測ってみると、縦2.2m、横3mでした。
この門の両側を守る二つの櫓は、明治時代に民間に払い下げられて遊郭として使われていたそうです。南櫓の2階に当時の写真があったのですが・・・2つの櫓を無理やり連結していた?
この城では唯一、往時の姿のまま残った建物である西櫓の脇にある階段を下りて『尼ヶ淵』に行ってみると、平らに見える城が実はかなり高い崖の上に建てられていたことがわかります。
小諸城
2009年10月17日
28城目
城下町よりも低い位置に築かれたため“穴城”とも呼ばれているこの城ですが、上信越道小諸I.Cから市街地までの道も長い下り坂になっていました。
城内の駐車場より安いという情報を得ていたので、しなの鉄道の線路の向こう側にある大手門近くの駐車場を利用。
大手門は2階建ての櫓門ですが、2階の櫓が両側の石垣に乗っていない珍しい形式で、観光ボランティアの方の説明によると、この形式の門で現存するのは東日本ではここと弘前城追手門だけだそうです。
本丸の懐古神社に参拝した後天守台へ。ここは山本勘助が縄張をした城ということで、天守台の上でコッペパンをいただく事にw
ここは平城であるにも関わらず水堀が一つも無く、全て空堀という点でも全国的に珍しい城です。
懐古園入口近くのそば屋で昼食のかけそばを食べてから城を後にしました。
松本城
2009年6月27日
23城目
さすが全国に4つしかない国宝天守。休日ということもあって中は結構込んでいました。
現存天守が残っている12城の中では唯一の平城。
この城最大の特徴である、大小4つの建物から成る天守群ですが、最初からこのような形だったわけではありません。天正18年(1590)にこの地に封ぜられた石川数正の息子・康長が文禄2年(1593)に建てた最初の天守が今の乾小天守と言われています。その後小笠原秀政が慶長20年(1615)に五重の大天守を、さらに寛永10〜15年(1633〜38)頃に松平直正が辰巳附櫓と月見櫓を増築して現在見られる姿になったそうです。
高遠城
2009年11月15日
30城目
紅葉のシーズンもそろそろおしまい、というわけで登城。
中央道伊那ICから約20分で伊那市立高遠町歴史博物館に到着。
スタンプを押したついでに館内を見学したのですが・・・展示内容は、400円の入館料に対して数・質ともに物足りないものでした。
博物館からもっとも近い南ゲートから入城。ここは桜の名所として有名ですが、紅葉もなかなか。これで前日雨が降っていなければ・・・。
城内をひととおり散策してから、現在は無料駐車場になっている『勘助曲輪』でお弁当(あんパン)。
これで長野県内の5城全て制覇。
新発田城
2009年11月7日
29城目
前日夜のうちに出発して、夜中に日本海東北自動車道の豊栄サービスエリアで車内泊。
ここは「サービスエリア」なのに設備はトイレと自販機のみという珍しい場所です。
朝のうちに駐車場へ到着。開門は9時からなのでその間に駐屯地を一周。周囲には「新発田城を愛す会」によって設置された看板がいくつかありました。
三階櫓は最上部の屋根が独特の形をしており、見る角度によって様々な表情を見せてくれます。
駐屯地の警備で柵の内側を歩いていた自衛官の方に伺った話によると、天気の良い日には隊員が内部に入り、換気のために窓を開けたりするそうです。登城記録を読むと三階櫓に入れないことに不満の方も多いようですが、管理はきっちり行き届いているようなのでご安心を。ちなみに櫓の内部には何も無いとのこと。
見学後北陸道を西進して上越市へ向かい、市内のショッピングモールで新潟のご当地グルメとして知られている『イタリアン焼そば』を食べてから、去年春日山城へ行った時に時間切れで入れなかった高田城へ。

※史跡の公開日は4月1日から11月30日までの毎日。時間は9時から17時まで(ただし11月は16時半まで)
春日山城
2008年11月29日
7城目
2009年NHK大河ドラマ『天地人』の舞台ということで、混雑する前に行くことに。
まずは上杉謙信のお墓のある林泉寺へ参拝。次に春日山城跡ものがたり館でスタンプを押して展示とビデオを見てから史跡広場を一周。
晴れていたこともあり、本丸からの眺めは最高。上越の市街地はもとより直江津港や高田城、上越ジャンクションなどもよく見えました。
しかし、この城の大きさはハンパじゃありません。散策に時間をかけ過ぎて、次に行く予定だった高田城に着いたときには閉館時間を過ぎていましたorz
高岡城
2009年9月21日
26城目
午前8時45分頃に鍛冶丸跡に建つ市立博物館に到着。開館時刻は9時となっていましたが普通に入館できました。受付でスタンプを捺印。館内に展示されていた、前田利長が家臣に宛てて書いた築城工事に関する書状(写し)からは、普請の進捗状況に対する利長の心境をうかがい知ることができます。
そんな高岡城も元和の一国一城令により築城からわずか六年で廃城となってしまいます。しかし、領主の加賀前田家は何だかんだ理由をつけて城の完全な破却を拒み、城地はほぼそのままの形で残されました。
城内の見学後、利長ゆかりの地である国宝の瑞龍寺と前田利長墓所へ。
七尾城
2010年11月20日
44城目
前回の岩村城から半年ものブランクを経て百名城巡り再開。
一晩かけて高速をひた走り、朝7時頃に七尾城史料館に到着。このサイトにあった情報の通り、入口横のポストの中にワイヤーの付いたスタンプが。
台が無いのでどこで押そうか迷いましたが、ポストの真下の傘立てを一時除けて、スタンプ帳を床に置いて捺印。ワイヤーの長さはギリギリでした。正直、こんな管理で大丈夫か?
本丸下の駐車場に車を停めて城内を散策。1時間ほどかけて一周しました。晴れていたこともあって本丸からの眺めは素晴らしく、七尾の市街地や七尾南湾、その向こうの能登島まで良く見えました。城内の道は整備されているのですが、二の丸から三の丸、安寧寺跡へ下りる階段はけっこう急で、しかもこの時期は落ち葉が大量に敷きつめられているので滑らないように細心の注意が必要です。
その後、坂を上がって展望台へ。ここの展望台、よく見ると七尾にちなんで七角形をしています。本丸は南西の方角に見ることができます(2階の床に方角が書いてある)。
続いて、麓にある前田利家ゆかりの小丸山城跡へ。
金沢城
2010年11月20日
45城目
七尾市から国道159号線を南下して、前田利家と越中の佐々成政が激戦を繰り広げた末森城跡に立ち寄ってから金沢市へ。
現在は石川門や橋爪門が工事中、玉泉院丸跡では発掘調査が行われるなど復元整備が進んでいます。海鼠壁が特徴的な二階建ての多聞櫓や唐破風を施した菱櫓などの建造物が加賀百万石の居城に相応しい威容を漂わせていました。ですが、内部に入ってみると、これらはただ美しいだけでは無く、実戦を想定した造りになっていることがよく解ります。唐破風付きの出窓には石落としが設けられ、堀を越えて石垣に取り付いた敵兵を排除できる仕組みになっています。また、鶴の丸土塀には隠し狭間があり、有事の際には外側の板瓦を外して鉄砲を撃ちかけることができるようにもなっています。城とは単なる大名の住居や政庁ではなく、純然たる軍事施設であることを再確認。
これで北陸の百名城は全制覇。
丸岡城
2009年9月19日
24城目
ここのスタンプは他の城に置いてあるようなブラザー社のインク補充型ではなく普通のゴム印でした。何か理由があるのでしょうか。
天守は古風な外観ながら、各所に石落としや狭間を設けた実戦的な造りになっています。
階段は、今までに訪れたどの天守のものよりも急な角度が付けられていました。ここを鎧を着けて刀を差した状態で登るのは難儀だったことでしょう。
最近TVのニュースなどでも取り上げられていますが、ここの壁や柱にも心無い落書きの跡がいくつか…。このスタンプラリーに参加している人の中にはそんな不心得者はいないと信じたいです。9月ということもあり、城の周囲のあちこちにヒガンバナが咲いていました。
見学後、車で芦原温泉へ。
一乗谷城
2009年9月20日
25城目
先に同じ福井市内にある福井城跡に行き、一乗谷朝倉氏遺跡資料館(この日は無料でした)で発掘調査の結果見つかった様々な遺物を見学し、下城戸の土塁と巨石を見てから一乗谷城へ登りました。
八幡神社からの山道を使ったのですが、道が殆んど整備されておらず、やっとの思いで辿り着いた城跡もわずかに土塁や堀切の跡が残るのみで、一時間以上もかけて登ったにも関わらず感動は薄かったです。「千畳敷」の南西にある「宿直」という曲輪から下が見えたのですが、地図と照らし合わせてみると上城戸や一乗小学校の辺りしか見えず、復元町並などは木々に遮られて見えなかったのでがっかり。
スタンプは復元町並の両方の入口に置いてあり、私は北側で押しました。状態は良好。
岩村城
2010年5月22日
43城目
車で古い街並みが残る城下町を通り抜け、岩村歴史資料館へ。
石畳で覆われた登城道の途中に、戦時のみ門を設けたという初門跡がありますが、そこのすぐ上は道が左に折れ曲がっており、門を築くには良い場所だったようです。
大手門を抜けて二の丸・本丸へ続く道は両側を石垣に囲まれており、群馬の金山城を思い出しました。ここの一部の石垣には反りが付けられており、最上部は垂直を通り越して外側に張り出しています。資料館に享保3年(1718)の地震で崩れた石垣の修復を幕府に申請した時に作成した絵図が残っていたのでその時積み直したものと思われます。菱櫓のあった石垣を過ぎて本丸の6段の石垣が見えるとようやく辿り着いた、とテンション上がってきました。資料館で本丸まで何分くらいかかるか聞いたところ25分ほどと言われましたが、あちこちで写真を撮りまくっていたら結局40分かかりましたw
本丸と二の丸を結ぶ埋門では、野面積み・打込ハギ・切込ハギの3種の石垣を一度に見ることができます。
下山後、次の目的地である苗木城へ。こちらも山上に元々あった巨大な石と石垣との組み合わせに圧倒されました。
岐阜城
2010年3月6日
36城目
犬山遊園駅から名鉄各務原線に乗って岐阜駅へ。そこからバスに乗って岐阜公園に向かう。
城に着く頃には雨は上がっていたのですが、金華山の頂上付近には雨雲がかかっていました。金華山頂上までは徒歩でも行けるのですが、雨上がりの山道を40分〜1時間もかけて登るほど酔狂ではないので素直にロープウェイを使うことに。
山頂まで上がったのは良いのですが、案の定眼下に広がるのは乳白色の雲ばかり。天守から少し離れたところにある岐阜城資料館にてスタンプを出してもらい捺印。現在の天守よりも先に明治時代に観光用の天守が建てられていたとは知りませんでした。
名古屋城、犬山城に続いての1日3連チャンというのは流石に疲れた・・・。
山中城
2009年1月11日
10城目
少し遅い時間だったのでスタンプ設置場所である売店が開いているかどうか心配でしたが無事に捺印することができました。
道が少しぬかるんでいて歩きにくかったけれど、なんとか後北条氏の城郭に多く作られた「障子堀」を見ることができました。
複雑な構造の二の丸虎口や架橋を見学した後、駐車場が閉まる前に急いで戻りました。
駿府城
2009年1月11日
9城目
ここも以前来たことがあるのでスタンプのみ。
二の丸東御門などが復元されており、有料で内部に入ることもできます。
掛川城
2009年1月11日
8城目
2009年の登城初めは静岡県内の名城への登城四連。
最初に行ったのは浜松城。100名城には登録されていませんが徳川家康が長年本拠地としていた城なので行ってみて損はないと思います。
掛川城には一昨年来たことがあるのでスタンプのみ。
日本初の本格木造復元天守は一見の価値あり。
犬山城
2010年3月6日
35城目
名鉄名古屋駅から犬山遊園駅へ。木曽川沿いの道を歩いて城へ向かう。
城内にある、この城の元オーナーだった成瀬氏の元自宅の門構えが前回(2001年)に来た時と変わっていました。
本丸の休憩所に大きな壁掛けテレビが設置してあり、城郭及び城下町を3DCGで再現したものを公開していました。タッチパネル式で、画面を指でなぞるとそれに合わせてCGもぐりぐりと動きます。通常のビデオでは動いているのをただ見ているだけですが、自分の思いのままに動かせるというのは新鮮で面白かったです。
天守の最上階では、係員が来場者に、内壁に荷物を立て掛けない、高欄(手すり)に寄りかからない、などの細かい注意をしていました。国宝だし古い建物だから維持には神経を使うのは分かりますが・・・。

耳より(?)情報:駅などに置いてある「春の犬山キャンペーン」のガイドマップを城内の券売所で見せると、入場登閣料が100円引きになります(5月31日まで)。
名古屋城
2010年3月6日
34城目
前日の夜に東京駅八重洲口発の夜行バスに乗って名古屋入り。そこから市内を走るバスに乗り換えて市役所へ。
この日は朝からあいにくの雨でしたが、とりあえず城郭の周囲を一周。北側の水堀は幅100メートルもある巨大なもの。二の丸南側の石垣に開けられた排水口からは大量の雨水が堀へ流れていました。
9時の開城時間になったので東門改札で係の人にスタンプを出してもらい捺印。前に来たことがあるので城内には入らず、次の犬山城へ向かいました。次に来るのは本丸御殿完成後?
岡崎城
2009年1月24日
12城目
長篠城跡の次は岡崎城へ。その途中で新城市の野田城跡へ寄り道。
天守の1階でスタンプをお借りして捺印。強く押しすぎたのかにじんでしまった。
最上階に備え付けられている双眼鏡は興和製の20X80でした(だから何だ)。
二の丸の家康館ではCGの大久保彦左衛門が出迎えてくれました。母方の祖母の実家の菩提寺がこの人の墓があることで知られる立行寺(東京都港区白金)なので妙な親近感を持ちました。
電話ボックスの屋根が天守を模した形なのがイカス。
長篠城
2009年1月24日
11城目
長篠城址・史跡保存館でスタンプを押してから内部をまったりと見学。
かなり小さな城ですが、1575年(天正3)の長篠の戦いではわずか500の兵で武田軍1万5000の猛攻に耐え抜き、設楽原での織田・徳川連合軍の勝利に貢献した紛れもない「名城」です。
ここのサイトで得た情報の通りに牛淵橋まで行き、そこから城を見下ろすと・・・まさに断崖絶壁。こりゃ容易には落とせないわ。高所恐怖症の方は絶対に下を見ないように。
古戦場近くの設楽原歴史資料館では古今東西の様々な鉄砲を見ることができます。
再現された馬防柵に行ってみたら、雪が降ってきました。
伊賀上野城
2011年6月18日
53城目
今年は藤堂高虎による築城からちょうど400年目に当たるため、あいにくの雨にもかかわらず城内は賑やかでした。本丸の東側、筒井氏時代には天守が置かれていたという場所では現在も発掘調査が進められており、遺構の保護の為に土が盛ってある場所もありました。
お城会館では藤堂高虎の残した書状などが公開されており、そこのパネルによると、慶長17年(1612)に暴風雨で倒壊した天守は、島原城天守のように壁面の破風が無い五重五階の層搭型だったらしいです。
天守の玄関口にいた係のおじさんが試し捺しの紙を用意してくれました。おかげで綺麗に捺すことができました。これで関東・甲信越に続いて東海・北陸も完全登城。
非常にどうでも良いことですが、天守最上階には興和製の20×80の双眼鏡が一基だけ置かれていました。
松阪城
2011年6月18日
52城目
今年の2月に国史跡の指定を受けたらしいです。
表門跡から入ると早速高石垣がお出迎え。城郭ファンならテンションが上がるところですが、表門を破って侵入した敵兵の士気は確実に低下したでしょうw
雨が降ったせいで石段が滑りやすくなっていました。私も足を滑らせてしまい、左足にすり傷が。荷物の中の水とファーストエイドキットでとりあえず応急処置。
石垣の技術が進歩する過渡期に築城されたため、基本は野面積みですが、一部の石垣の隅は加工した石を互い違いに積んだ算木積みになっていました。
歴史民俗資料館の受付でスタンプを貰って捺印。ゴム印でした。
小谷城
2011年12月24日
66城目
大河ドラマも博覧会も終わったので、これでゆっくりと城跡を散策できると思って来たのですが、この日は北から寒気が流れ込んできたため雪が降っており、着いた時には数センチ積もっていました。
以前登ったことがあるし、流石にこんな状況で山に入るのは自殺行為と判断して資料館を見学した後で長浜城へ行くことにしました。
スタンプを押す時、寒さで手がかじかんで上手くいきませんでした。しかも再トライの時に寒さで脳の働きも鈍っていたのか上下反対に押してしまい、わけがわからない事に。
大河ドラマ効果か以前よりも建物が立派になっていた資料館で浅井家三代の肖像画を見たのですが、二代目の久政の画像から抱いたイメージは無能というより頑固者でした。
三枚目の写真は織田軍が小谷城包囲の際に砦を築いた虎御前山ですが、小谷城本丸からは1.5キロほどしか離れていません。
彦根城
2010年12月17日
46城目
米原駅で新幹線から在来線に乗り換えて彦根駅へ。米原駅のホームで食べた「近江牛大入飯」(1,000円)は、肉が柔らかくてとても美味しかったです。
駅から徒歩で入城。券売所でスタンプを押して、まずは表御殿の外観を復元して建てられた彦根城博物館を見学。ちょうど『井伊家歴代の刀剣』という企画展示が行われていたのでじっくりと見ていたら思いのほか時間が経ってしまいました。
普通は表門から天秤櫓、太鼓門櫓を経て本丸へ向かいますが、生来のへそ曲がりである私は表門の反対側にある大手門に行き、そこから米蔵跡の梅林、山崎曲輪をぐるりと回って西の丸三重櫓を見てから本丸へ入りました。
大手門に行ってみると、枡形門に加えて橋を渡って門に近づこうとする敵を左側から攻撃できる構造になっており、対豊臣方への備えとして重要な場所だった事がうかがえます。
また、西の丸三重櫓の壁は出曲輪に面した側が防弾のために厚くなっており、天守と違って外観は地味ですが、実戦を意識した造りになっている事が分かります。
天守からは琵琶湖がよく見えました。
安土城
2012年2月11日
69城目
朝、名神高速の八日市インターを下りた頃には雪が降っていましたが城の前に着いたころには止んでいました。
二の丸跡とされる場所にある信長廟前にある屋根付きのスタンプ台で捺印。状態は良かったのですが、内側には大量の試し捺しの跡が。そんな所に捺す輩も悪いのですが、せめて試し捺し用の紙を置いて欲しいです。信長廟を後にして天主跡へ向かおうとするとまた雪が。
山上にある城の中心部を見た印象は「天下人の城にしては意外と規模が小さい」でした。
美濃を攻めるために小牧山城を築いて清州から移り、わずか4年後には岐阜城に移転したように必要とあらば短期間でも本拠地を変えた信長のことですから、ここもまた畿内統治のための一時的な拠点でしかなかったのかも知れません。
総見寺跡の三重塔と二王門も良かったです。
観音寺城
2012年2月11日
70城目
参道の途中にある駐車場まで上れる林道は冬季閉鎖中。仕方がないので石寺楽市会館に車を止める。楽市会館が冬季閉館中なのでスタンプ設置所が近くの石寺楽座会館に変更されています。スタンプの状態はやや薄め。
麓から観音正寺までの山道をひたすら歩き、約40分かけて到着。中間地点に小さなあずまやがあるのでそこで一息つくことができます。
寺の休憩所にもスタンプが置いてあり、状態はこちらの方が良好でした。
寺の入り口から本堂へ向かう道の左側にある脇道から本丸へ行けます。城内はあまり整備されておらず案内板も最低限のものしかありませんが、道に迷うほどではありませんでした。
本丸から寺に戻る途中の丁字路を右に曲がり、家臣の屋敷があったとされる曲輪へ。スタンプの絵柄にもなっている伝平井氏屋敷跡入口の石垣はなかなか見応えがありました。
近くを東海道新幹線の線路が通っているため、散策中に時おり新幹線の走行音が聞こえました。
二条城
2010年12月17日
47城目
城の周囲に植えてある灌木のせいで外側の写真が撮りづらかった。
工事のため二の丸御殿の周囲には足場が組まれ始めていました。
世界遺産なだけに外国人の観光客も多かったです。
大阪城
2010年12月17日
48城目
昔来た時と比べて外観・内装ともにキレイになっており、展示も液晶ディスプレイや模型を使った見ごたえのあるものでした。正直、展示には期待していなかったので驚きでした。
中国人や韓国人の観光客がとても多かったです。伊丹空港へアプローチする航空機が何機も上空を通過していきました。城内を散策中に日が暮れたので、環状線の大阪城公園駅から電車に乗って今日の宿のある明石へ。
千早城
2012年2月25日
72城目
【如月】のこの日に【千早】城で100名城の【72】番目のスタンプを捺す。今まで登城した順番を表示していたのは、ひとえにこの解る人にしか解らない【くっ】折した愛情表現のためwww
堺市内のホテルで一泊し、堺東駅前でレンタカーを借りて、まずは楠木正成ゆかりの寺である観心寺へ向かう。ここは日本で唯一北斗七星を祀っている珍しい寺です。
「まつまさ」の駐車場に車を置いて店内でスタンプを捺したら、店員さんが縄張図を渡してくれました。「まつまさ」のすぐ近くに登山道の入り口があります。登っていくと右側に千早城跡へ続く側道があるのでそちらへ。
雨が降っていたにもかかわらず金剛山への登山客は多かったですが、千早城に向かったのは自分だけでした。
二の丸跡にある千早神社にお参りした後、裏手に回って本丸跡に行こうとしましたが、立入禁止になっていました。空堀などの跡が残っているらしいのですが、山全体が樹木で覆われているうえに雨で視界が悪く見つけられませんでした(3枚目の写真は恐らく帯曲輪の跡)。
下山して水場で足を洗ってから「まつまさ」で食べた椎茸ごはんは美味しかったです。
篠山城
2009年12月5日
31城目
7時羽田発のB777-200に乗って伊丹空港へ。着陸する直前、窓の下に大阪城が見えました。
快適な空の旅を楽しんでからレンタカーを借りて中国池田ICから中国自動車道に入ると、雨が降っていたこともあり西宮まで渋滞。しかしそこを抜けて舞鶴若狭自動車道に入ってしばらくすると天候が回復してきました。
先に福知山まで行って福知山城を見てから丹南篠山口ICまで引き返し、市内へ。この日は商店街でイベントが行われており、交通規制が敷かれていました。
先に東と南に残る馬出へ。ここは当時の土塁がほぼそのまま残っています。
大手口、特に三の丸から二の丸への守りは非常に厳重で、高石垣に囲まれた中を何度も曲がらなければ前へ進めません。高石垣の下の犬走は防禦の為ではなく工事を急がせた結果残ってしまったものらしいです。そこにはモミジやサクラの木がたくさん植えられていました(冬なので全て落葉していましたが)。
南側の内堀を掘り直す工事が行われていたため、天守台石垣の下には行けませんでした。残念。
築城400年祭は既に終わっていましたが、それでも節目の年に来れたのは良かったと思います。
明石城
2010年12月18日
49城目
ホテルから5分も歩かないうちに明石公園に到着。
スタンプは正面入口から入ってすぐ右にあるサービスセンターの受付にありますが、まだ開いていなかったので先に城内を見て回る。
正面から見て左側、坤櫓のある方の石段を上り、稲荷曲輪を経由して本丸へ。坤櫓の真下まで行くと、そこに大きな天守台が見えます。規模は熊本城の天守台に匹敵するらしいですが、天守が建てられることはありませんでした。もしもここに天守が建てられていたならば、どんな形になっていたのだろうと妄想してみるのも面白いかも。
9時ごろになってサービスセンターに行き、スタンプを借りて捺印。
JR明石駅のホームからは2つの櫓がよく見えますが、いかんせん電線がじゃま。
姫路城
2010年12月18日
50城目
100名城スタンプラリーの折り返し地点には、やはりそれにふさわしい城を・・・と選んだのがここ世界遺産姫路城。・・・はい、ただの偶然ですw
JR山陽本線および山陽新幹線の車窓からもよく見えることで知られる大天守ですが、工事のために素屋根ですっかり覆われてしまっていました。知っていたとはいえ、あの白亜の天守がしばらく拝めないのは残念です。
徒歩で大手前通りを北上して大手門より登城。以前2度ほど来たことがありますが、家族で行ったために時間がなかったせいか、それとも幼い頃だった為か、西の丸へ行った記憶が無い。ので、今回は天守方面へ向かう前に西の丸へ。こちらも工事中ですが、渡櫓と化粧櫓の中へ入ることはできます。そこではちょうど来年の大河ドラマの主人公・お江の娘である千姫の企画展示が行われていました。現在、入城料が普段より100円安い400円になっていますが、その分はしっかり募金しておきました。
これで国宝四城は全て攻略。ですが、来年3月26日から大修理の見学が可能になり、その際に今まで非公開だった櫓の内部が特別公開されるそうです。また行かねば。
赤穂城
2010年12月18日
51城目
播州赤穂駅近くの貸自転車屋さんで自転車を借りる。義士祭が終わったばかりなので、市内のあちこちに義士祭や映画『最後の忠臣蔵』のポスターが貼ってありました。
米蔵跡に建つ、米蔵を模した外観の市立歴史博物館の駐輪場に自転車を停めて、先にこちらを見学することに。受付の近くにスタンプ(ゴム印)が置いてあったのでここで捺印。が、朱肉の状態が悪くて本来赤いインクが紫色に。
その後、清水門から入って城内を散策。本丸入口の櫓門をくぐってすぐ左側にもスタンプがあり、こちらは綺麗な赤色でした。
しかし、屋内にあるスタンプより櫓門下に置きっぱなしの方が良い状態って、どういうことなの・・・
上から見ると不等辺五角形に近い形状の本丸に「横矢」を重視して「折れ」を多用した縄張は、一国一城令により新規の築城が極めて難しい状況にあって、机上の論理を具現化しようと試みた軍学者たちの執念が感じられます。
本丸を出て駐輪場に戻り、再び自転車で塩屋門から外堀の跡をぐるりと回って大手門へ。その途中、大石神社の裏手の方に一ヶ所斜めに突き出た石垣がありました(3枚目の写真)。ここにも横矢を掛けるための工夫が。
高取城
2012年2月25日
73城目
夢創舘にて車で行ける本丸裏手までの道を教えてもらい、縄張図(10円)を購入。近くの公園の入り口にある移築門を見てから登城。
雨のために地面はぬかるみ、霧がかかっていて目の前の石垣がかすむ程の視界。城跡の散策には最悪のコンディションの中、縄張図を頼りに城内を一周。
石垣の高さは圧巻。これまでに見たどの山城のものよりも高く積まれていました。
二の門の外にある「猿石」までの道は幅1メートルも無いほどの荒れた山道でした。
これで日本三大山城は全制覇。
和歌山城
2012年2月24日
71城目
スターフライヤーのエアバスA320-200を初めて利用。関西国際空港から南海電鉄で和歌山市駅まで行き、徒歩で登城。
西の丸から平成18年に復元された御橋廊下を渡って二の丸へ入り、裏坂登り口を使って本丸まで上りました。本丸御殿跡は現在給水場になっており、一般の人は入れなくなっています。
この城の石垣には緑泥片岩という青みがかった細長い石が多く使われていますが、天守曲輪北側にはそれに混じって明らかに石垣として使う以外の目的で加工された石がいくつも見られます。
これらの石は築城の際に石不足を補うためにそこいらの寺院などから石仏や石塔などを徴発したものだそうです。
天守内部では展示ケースの入れ替え工事が行われており、一部立ち入り禁止になっていました。
岡口門を抜けて城の東側に残る広大な水堀を見て、ここは徳川御三家の城なんだなという実感が湧きました。
松江城
2011年10月29日
62城目
月山富田城を後にして、国道9号を西進して小泉八雲ゆかりの地、松江へ。
ちょうど開府400年祭のイベントのひとつ「松江武者行列」が行われていたために大手前駐車場が使えませんでした。なので少し遠いけれど市役所の駐車場(無料)を使うことにしました。
復元された二の丸の三つの櫓をひととおり見てから本丸入口で天守の入場券を購入。通常は550円ですが、JAFの会員証を提示すれば2割引きの440円になります。
入場券売り場から天守の方を向くと、そこには黒塗りの重厚な姿が。ところどころ色褪せた下見板張りもかえって歴戦の武将が身にまとう鎧のようで、写真で見るよりも凄みのある姿に圧倒されました。
天守に上った時点で午後4時を過ぎていたので急いで城を出て小泉八雲記念館へ。記念館はぎりぎり間に合いましたが、旧居、武家屋敷、歴史館はタイムオーバー・・・orz
帰りは夜行バス「スサノオ号」を利用。翌日の7時少し前に東京駅の日本橋口に着きました。
月山富田城
2011年10月29日
61城目
羽田からボーイング767-300で出雲縁結び空港へ向かい、レンタカーを借りて月山の麓にある道の駅「広瀬富田城」を目指す。途中で松江藩の支藩・広瀬藩の陣屋跡に寄り道。資料館でスタンプを押して中を見学してから受付で地図をもらう。係の人が言うには、山頂へ行くのなら太鼓壇公園脇の舗装された道を上って行くのが良いとのこと。その通りに山腹の山中御殿から山頂を目指したのですが、途中の七曲がりは敷石が濡れて滑りやすくなっていました。今回は伸縮式のストックを持参したのですが、おかげで松阪城の時のように転倒せずに済みました。山上の二の丸からの眺めはとても良かったです。
山中御殿まで戻ってそこから千畳平へ行くつもりでしたが道を間違えて城安寺の方へ下りてしまいました。しかし、太鼓壇にある山中鹿介の銅像を見なければここに来た意味が無い、と思いスタート地点に戻ってから再登城。太鼓壇よりさらに奥の花ノ壇まで行ってから山を下り、道の駅の食堂「藍」(あい)で大山地鶏の親子丼を食べました。
津山城
2011年11月26日
65城目
城跡がある鶴山公園は「かくざんこうえん」と読みます。道理でカーナビで「つるやまこうえん」「つやまこうえん」で検索しても出てこなかったわけだ。
一二三段に積まれた石垣はまるで人工の山のよう。
高く緩やかなカーブを描く石垣に幾重にも折れ曲った通路は熊本城を彷彿とさせます。
往時はこの石垣の上に70を超える城門や櫓・多門櫓が配置されていましたが、現在あるのは再建された備中櫓のみ。この櫓は一階部分が東西に長い逆L字型になっている珍しい形をしています。さらに珍しいことに内部は全て畳敷きで、縁側まで付いています。櫓に上がるには靴を脱ぐのですが、今回履いてきたのはくるぶしまで覆うタイプの登山用シューズ。なので脱ぎ履きが少々面倒でした(苦笑)。
受付でスタンプを押してから備中櫓再建のDVDを見る。
天守台の石垣にハート型の石があるというので探してみると本当にありました。しかも結構大きなハートでした。
備中松山城
2011年11月26日
64城目
岡山自動車道の賀陽インターを降りて国道484号線で高梁市街へ向かう。
山道を下っていき、視界が開けたところで山のほうを見ると城の建物が見えました。日本一高い場所にある現存天守である事は知っていましたが、実際に見上げてみるとあれほどの高所によくもまあ建てたものだと感心しました。
シャトルバスの発着場がある城見橋公園で市内の各施設への入館料が100円引きになる通行手形を買ってからバスに乗って登城。
本丸入口の券売所でスタンプを借りて捺印。今回「復元イラストと古絵図で見る日本の名城」(碧水社)の備中松山城のページをコピーした紙を持っていったのですが、それを見た券売所のおじさんに「良い資料持ってんねぇ、どこの本?」と聞かれました。荷物の軽量化のためとはいえ、本ごと持ってきた方が良かったか。
現在見られる城の形を築いた水谷氏は元禄7年(1694)に無嗣改易。翌年に安藤氏が入城するまでの間は赤穂浅野家の家老、大石内蔵助が城代を務めたそうです。元禄赤穂事件が無かったならば彼の名前は地元赤穂とここでしか世に出ることは無かったのかも。
鬼ノ城
2011年11月26日
63城目
就航したばかりの最新鋭旅客機、ボーイング787に乗って岡山に向かう。空港でレンタカーを借り、40分ほどで鬼城山ビジターセンターの駐車場に到着。途中の砂川公園辺りからの道は狭く、対向車に道を譲ったり譲られたりしながら注意して上りました。
ビジターセンターの入り口でスタンプを押して、内部の展示を見る。パネルだけでなく、門の復元模型や全体のジオラマなどがあり分かりやすかったです。
復元された西門は意外と大きかったのでびっくり。標高400メートルの鬼城山山頂からは瀬戸内海の向こうの四国まで見渡せます。白村江の戦いに敗れた当時の大和朝廷がここに城を築いたのは、恐らく瀬戸内海を航行する船を監視し、山陽道を東進してきた敵を迎撃する為だったのでしょう。
西門・角楼から城の北部の道を通って中心部に位置する礎石建物群を見てから東門跡に抜ける半周コースでしたが、南側の道には多くの登山客が居り、道が狭いので反対側から来た人たちとすれ違う際に片側交互通行になるため渋滞が発生し、西門に戻るまで1時間ほどかかりました。
岡山城
2012年1月14日
68城目
福山駅から山陽本線に乗って約1時間で岡山駅に到着。さらに路面電車で「城下」停留所まで行き、そこから徒歩で登城。西の丸跡の、以前は小学校だった場所の片隅にある西手櫓は、一階と二階の床面積が同じという珍しい櫓です。
本丸南東部の石垣には「はらみ」(石が外へ丸く張り出してしまう現象)が発生しており、崩壊の可能性があるためか工事を行っていました。
本丸の石垣は三段になっており、大きな御殿を建てるだけのスペースが確保できなかったために本丸御殿は政務の場である「表書院」と城主の住まいである「本段御殿」に分かれていました。これは豊臣時代の大坂城本丸によく似た構造で、秀吉の愛弟子だった宇喜多秀家はこの城を大改修するにあたって秀吉の大坂城を大いに参考にしたと思われます。
天守の最上階は望楼型のため狭く、破風があるため視界はあまり良くありませんでした。
本丸北東にある六十一雁木上門の屋根瓦には、岡山らしく桃がw
これで岡山県内の百名城は全制覇。
福山城
2012年1月14日
67城目
羽田発のマクドネル・ダグラスMD-90に乗って広島空港へ。離陸して10分ほど経ったあたり(高度は7300mほど)で左の窓から下のほうを見るとすぐ近くに富士山が。客室乗務員さんの話によると、航路の関係で富士山がここまで間近で見られるのは広島便ならではだそうです。
空港からはリムジンバスに乗り換えて福山駅へ。駅の北口を出てすぐに石垣が見えました。
数少ない現存建物である伏見櫓は三重なうえに東西に長いため、他の櫓よりもひときわ大きく見えました。この伏見櫓に筋鉄御門、再建された月見櫓は、他の櫓と異なり外側の柱の形が見えるように漆喰を薄く塗った「真壁造」という古風な意匠が施されています。
天守内部の展示がイマイチだったのはともかく、最上階で本丸から道路一本へだてたすぐ隣に、天守よりも高いマンションがあるのを見た時はさすがに眉をひそめました。
近くの県立歴史博物館で企画展「ひろしまの城と戦」というのが開催されているのを知ったので行ってみる事に。天守入口で共通入館割引券を貰っていたので、通常700円のところ2割引きの560円で入館できました。
郡山城
2012年11月24日
75城目
広島県内の100名城全制覇&4分の3達成。
広島城を出て広島駅新幹線口近くのレンタカー店まで徒歩で移動。いざ出発という時になって雨が降り出してきました。国道54号線を北上して安芸高田市へ。安芸高田市歴史民俗博物館の受付でスタンプ捺印。応対してくれた職員さんはとても気さくな方でした。ロビーではNHKの『歴史秘話ヒストリア』の毛利元就が主役だった回を収録したDVDを上映していました。
雨が降ったり止んだりの天気なので登城は断念し、館内をじっくり見学。写真は7年前の夏に登城した時のものです。
広島城
2012年11月24日
74城目
100名城への登城は約9か月ぶり。朝、夜行バスで広島入りして電車で呉の「てつのくじら館」に行ってから広島まで引き返す。7年前にも来たことがあるので今回はスタンプラリーの為の再登城。本丸西側の堀がやけに広いと思っていたら最大幅は53間(約100メートル)もあるとのこと。現在建っている復元天守は独立式ですが、築城当時は東と南に小天守を持つ連結式だったそうです。
徳島城
2009年6月7日
20城目
まず周囲の独特な色合いの石垣を見てから徳島城博物館へ。
受付のお姉さんは、ここのサイトで噂になっていた無愛想な人ではなく、快くスタンプを貸し出してくれました。
館内の模型を見ると、現在は線路になっている堀の上にあった塀には横矢を掛けるために三角形に突き出た部分がいくつかあり、それの支柱の下の石垣には、一つだけ飛び出した「舌石」と呼ばれる石があります。現物を見るだけならば鷺の門、下乗橋近くの跨線橋から見ることができますが、近づいて見たいのならば跨線橋すぐ横から奥に入り込む必要があります。
山上の各曲輪が一列に並んでいる縄張は彦根城を連想させました。
海に近いこともあり、近くを流れる助任川からは潮の香りがしました。
ひととおり見学を終えた後、徳島ラーメンのお店で昼食。
高松城
2015年5月3日
76城目
諸般の事情で2年以上サボっていた100名城巡りですが(100名城以外の城へは行ってた)ようやく再開。折角のGWということもあり車で四国まで行くことにしました。
瀬戸大橋を通って四国へ上陸。東門前の駐車場は無料でした。門をくぐってすぐのチケット売り場でスタンプを借りて捺印。シャチハタではなくインクを付けて捺すタイプでした。大正時代に藩主の住居跡に松平家の別邸として建てられた披雲閣は貸し切りになっていました。
国の重要文化財に指定されている2つの櫓を見てから本丸へ行き、石垣が積み直されて平成25年に公開された天守台に登ると、水門や港が見えました。かつてここにあった3重5階(地上4階地下1階)の天守からの見晴らしはさぞ素晴らしかったと思います。再建の計画があるそうなので、できれば実現して欲しいものです。
約1時間半かけて回り、次の目的地、高知城へ。
丸亀城
2009年6月7日
21城目
百名城では初めての、古天守の現存する城郭への登城。
見上げると首が痛くなるくらいに高く積まれた石垣は立派。
天守一階の受付でスタンプとマットを貸してもらい捺印。しかし、スタンプ帳の下にパンフレットなどを置いたのに気付かずに押してしまったため真ん中が写らず、二度押しするハメに。真ん中以外が二重になってしまいました。結構スタンプって失敗するんだね、仕方ないね。
最上階からは瀬戸大橋がよく見えました。係りの人の説明によると、ここの石垣は沖に見える島から切り出して運んできたそうです。
大手一の門が無料公開中だったので中を見せてもらいました。
資料館は閉館中だったので、古い木製の全体模型を見ることはできませんでしたorz
この後高松城へも行く予定でしたが時間オーバー・・・嗚呼
今治城
2015年5月5日
82城目
鉄御門前の駐車場は満車だったため、少し離れた休日限定の駐車レーンを利用。
この日はまだ5月だというのに汗ばむほどの陽気でした。
少し前にEテレの番組でここが高虎の城の代表作として紹介されたせいかここも人が多かったです。
平成19(2007)年に再建された鉄御門の石垣の中に“勘兵衛石”というひときわ大きな石(縦2,4m×横4,6m)があったのですが、城内に保存されていたものを本来の位置に戻したのだそうです。
天守内部は鉄筋コンクリート造りの模擬天守のセオリーとして郷土資料館になっているのですが、その意外なまでの充実ぶり、特に具足が何十領も展示してあったのには驚きました。
櫓めぐりスタンプラリーに参加してポストカードを無事ゲット。ここの見学時間は約2時間。周囲をぐるりと回ったりすればさらに増えていたハズ。
これで四国の100名城はコンプリート。
湯築城
2015年5月4日
80城目
ホテル近くの大街道駅から市電に乗って城跡すぐ手前の道後公園駅へ。
資料館でスタンプを借りて、ボランティアガイドの人と少しお喋り。これもお城めぐりの楽しみのひとつ。
南側にある土塁展示室は、土塁の中に入って断面を見ることができる珍しい展示でした。丘の上の展望台に登って西側を見ると同じ市内にある松山城の建物群が見えました。
山頂部の土地はいささか狭いように感じました。加藤嘉明が正木城(松前町)から移った際に松山城を新規に建てたのは、やはりここでは手狭だったからでしょうか(実際1時間程で回れた)。
一通り見学し終えた後、ふたたび市電に乗って大街道に戻り、『坂の上の雲ミュージアム』へ。
展示は原作小説がメインで、個人的に期待していたNHKのスペシャルドラマに関する展示はほとんどありませんでした。
松山城
2015年5月5日
81城目
ホテル最上階の食堂で城山を見上げながらの朝食は格別でした。
ホテルから歩いて登城。希少な登り石垣を見るために二ノ丸の東側、県庁裏登城動を上る。しかし、木々の間からわずかにしか見えませんでした。
城山南側の大手口からいくつかの門をくぐって本丸へ。本壇(天守曲輪)入口には9時の開門前にもかかわらず既に人だかりができていました。きっぷの販売開始前でしたが窓口は開いていたので係の人からスタンプを借りて捺印。
本丸北側にある野原櫓は現存する唯一の望楼型の二重櫓だそうです。
天守内部に江戸時代の大工が落書きをした板が展示されていたのですが、その侍の似顔絵がやたら上手かったです。天守最上階に据え付けられていた双眼鏡は小林製作所という会社の15×80でした(最もどうでもいい)。
これで城郭マニアの目標の一つ、現存12天守全制覇。混雑していたこともあり、見学に掛かった時間は今回最長の2時間40分。
大洲城
2015年5月4日
79城目
現存する4つの櫓のうち本丸の外にある苧綿櫓と三の丸南隅櫓を見学(南隅櫓は内部が一般公開されている)してから本丸へ。平成16(2004)年に復元された天守の内部はまだ真新しくピカピカでした。高欄櫓はその名の通り2階に廻縁と高欄が設けられているのですが、彦根城や伊予松山城の天守に見られるタイプの外に出られない飾りでした。城域は本丸周辺しか残っていませんが、離れた場所に櫓があったこともあり、見学時間は約1時間半でした。
天守の再建工事は技術的にも法律的(天守の高さが建築基準法で定められた木造建築物の高さを超えていたが、例外として認められた)にも大変だったらしいです。
天守入り口の売店に、火縄銃の形をしたゴム鉄砲が3万円で売られていました。誰が買うんだ?
宇和島城
2015年5月4日
78城目
城山の北東にある桑折長屋門前の有料駐車場に車を停め、城の周りを時計回りに半周して南側の搦手口より登城。藤堂高虎が城主だった頃はこちらが大手だったそうです。
丁度「お城まつり」というイベントが開催されていた為、長門丸には特設のステージや屋台などが設けられていました。天守が開く9時前に本丸に付いたのですが既に多くの観光客がおり、8時50分頃には天守に入ることができました。城内にやたら大きいハチがいたのには参りました。
他の現存天守と違って狭間が全くなく、立派な玄関が設けられていました。大坂の陣から半世紀経った寛文6(1666)年に建てられたこともあり、太平の世を象徴するような姿でした。
藤兵衛丸に移築された倉庫が城山資料館(無料)になっていたので見学。地元出身の偉人や小説などに書かれた宇和島について紹介していました。石段を降りて下山、駐車場のある長屋門に戻りました。所要時間は約1時間半。
高知城
2015年5月3日
77城目
高速で高松から高知へ向かう途中に雨が降り出す。
GW、しかも日曜日ということもあってなかなか車を止める場所が見つかりませんでした。
三ノ丸の高石垣は平成になってから積み直されたもので、修理前の石垣には孕みや石の割れが発生していたそうです。
本丸御殿入口でスタンプを借りて捺印。これで現存12天守の10番目登閣。そして現存する4つの御殿(他は二条城・掛川城・川越城)は全制覇。天守の周囲をぐるりと回ってここにしか現存しない忍び返しと土塀の物見窓を堪能してから次の目的地、宇和島へ。
見学に要した時間は約2時間。やはり建物が多く残っている城は見応えがありますね。
吉野ヶ里
2009年5月11日
18城目
歴史公園東口で編み笠の無料貸出しをしていました。当日は日差しが強かったので助かりました。
電気自動車に乗って公園北端の北墳丘墓へ。そのさらに北では発掘調査の途中とのこと。
この遺跡の主な施設を近世城郭と照らし合わせてみると
北墳丘墓=山里曲輪
北内郭=本丸
主祭殿=天守または本丸御殿
南内郭=二の丸・三の丸
倉と市・南のムラ=城下町
といったところでしょうか。それらが北から南へ連郭式に配置されており、さらに北に行くほど土地が高くなっていることなどから当時すでに計画的な都市開発が行われていたことが分かります。
特に北内郭の防禦は厳重で、出入口がクランク状に折れ曲っている「虎口」に、そこに近づこうとする敵に対して横矢(側面射撃)を掛けるための突出部が設けられ、さらに物見櫓を建てて立体的な攻撃を可能にしています。ここに日本の城郭の特徴ある縄張のルーツを見ることができた気がします。
所要時間は約2時間。この後公園事務所内のレストランで食事をして佐賀城へ。

※ここのマスコットキャラの「ひみか」ちゃんは男の子です(髪型が「みずら」なので)。
佐賀城
2009年5月11日
19城目
平成16年(2004)に木造で復元された本丸御殿(一部)が佐賀城本丸歴史館として一般公開されています。ボランティアの人がとても熱心に説明してくれました。
かつて五層の天守が建っていたという天守台の入口は、本丸御殿側ではなく鯱の門の外、古い絵図にある本丸入口の土橋を渡ってすぐの所にあります。
本丸御殿を囲む土塁の向こうには幅約70メートルの巨大な水堀が残っています。
熊本城
2009年5月10日
17城目
阿蘇くまもと空港からレンタカーで熊本市内へ。
途中の水前寺公園に寄ってから城内の三の丸駐車場に車を停めて頬当御門から登城。
復元整備募金の特典である城主パスポートを使ったので入場料は無料でした。スタンプもここで捺印。
大小天守や復元された本丸御殿、重文に指定されている宇土櫓などの建造物も良かったのですが、ここの見どころはなんといっても清正流(せいしょうりゅう)とも呼ばれる高石垣でしょう。
特に下段の竹の丸から中段の飯田丸へ向かう通路は、右を向いても左を向いても石垣だらけ。往時はこの上に櫓門や五階櫓などの建物や塀があったのでさらに凄味があったことでしょう。

到着したのが昼過ぎだったのですが、城内に食事が出る店が一軒も無いのには参った。本丸御殿横の長局で売っていた抹茶に付いてきた菓子で何とかしのぎましたが、これは盲点。
建物の復元も良いですが、観光地である以上そういった施設も必要なのでは?いち城主として提言いたします(笑)。
今帰仁城
2011年8月8日
56城目
魚を見に行ったのか人を見に行ったのか分からない程混雑していた美ら海水族館を離れ、そこから僅か7キロほどしか離れていない今帰仁城跡へ向かう。
世界遺産に登録されている事もあり、美ら海水族館ほどではありませんでしたがそれなりに人は来ていました。
交流センターの券売所でチケットを買い、スタンプを出してもらうと、ゴム印でした。他の2城はブラザー社のインク補充型だったのに、何故。
正門である平郎門の両脇には狭間が2つずつ設けられていました。平郎門から大庭(うーみや)へ続く道はほぼ一本道で、石が敷き詰められていて登りやすかったです。
この日は天気も良かったので日差しが強く、暑かったです。帰りに交流センターの売店で買ったアイスクリームがあっと言う間に溶けて大変なことに・・・w
中城城
2011年8月7日
54城目
実は沖縄に行ったのは初めて。当然沖縄のグスク訪問も初めてなのでテンションMAX。
事務所の窓口で受付の人にスタンプを出してもらって捺印し、いざ登城。
本土ではまず見ることのない独特のカーブを描いた石垣にアーチ形の城門。通路には石が敷き詰められており、石垣の隅部最上段には装飾のために外側に反らす加工を施された石。
何もかもが初めてで新鮮でした。
本丸に当たる「一の廓」では正殿の発掘調査が行われていました。展望のために設けられた足場からの眺めは素晴らしかったです。
もう一つ本土の城と大きく異なる点は、山上に築かれた城とはいえ、堀が全く無い・・・。強固な石垣があれば十分と考えられていたのでしょうか。
首里城
2011年8月7日
55城目
首里杜館でスタンプを押してから、沖縄のシンボルであり2000円札にも描かれていた守礼門から登城。市街地から近いためか、夕暮れ時にもかかわらず多くの観光客がいました。
奉神門から先、「御庭」(うなー)を囲む正殿などの建物群は有料。
再建された正殿は、琉球王朝の王城に相応しい立派なものでした。
正殿より東側の「御内原」(おうちばら)と呼ばれた場所は工事中でした。この辺りは国王の家族とそれに仕える女性たちだけの空間、江戸城でいうところの「大奥」だったそうです。