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メンバー情報

ID304
名前でこのかみ
コメント100名城制覇には、2008年3月末から2011年4月下旬まで約3年かかりました。生涯忘れられない思い出であり、スタンプ帳は、自分が死んだときに棺に入れてもらおうと思います。今後はこれほど頻繁な城めぐりは到底無理ですが、当面は関西およびその周辺の未登城の城を中心に日帰りでチビチビと訪城を継続する予定です。それから、登城メモのアップが22城も滞っていますので、少しずつ公開していきたいと思います(^^;)
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
春日山城
2008年3月29日
再スタート1城目。天気は雨。
新潟の城マニアと初登場です。この日に春日山城を訪れるまで公式ガイドブック付録のスタンプ帳で10城ほど巡ってましたが、この城で非売品のスタンプ帳を頂くことができ、再スタートです。スタンプ帳を入手するには、「100名城を必ず訪問する!」との固い決意をものがたり館の受付の方に示す必要があります。スタンプの状態は非常に良好でした。
訪れた日はあいにくの雨でしたが、いずれ晴れた日に再訪したいです。林泉寺の宝物館が予想以上に素晴らしかったですね。
高岡城
2008年3月30日
2城目。天気は雨。
学生時代に訪れて以来の久々の訪問です。スタンプは若干薄かったですが、良好でした。前日に春日山城からスタンプラリーを再び始めたためか、上杉謙信が越中を攻略したような気分になりました(笑)。国宝の瑞龍寺も行きましたが、整然としていて良かったです。
二条城
2008年4月8日
3城目。曇り。
自宅から歩いて5分くらいのところにあり、平日に仕事の合間をぬってスタンプ目的で訪れました。スタンプの状態は良好で、事務所の方に「お疲れ様です」と声をかけられました。ちょうど桜が見頃の時期を迎えており、しだれ桜が特に見事でした。
丸岡城
2008年4月20日
4城目。快晴。
笏谷石による石瓦が蒼古としていて良かったです。スタンプの状態はまずまずですが、管理状態は良くありません。帰りに福井城と福井市郷土歴史博物館へ行きました。何気なく訪れた博物館では名品展を開催中で、柴田勝家の肖像画、徳川家康、秀忠、伊達政宗の書状、松平春嶽所蔵の徳川慶喜や大久保利通ら明治元勲の古写真などが展示されており、思わず見入ってしまいました。
安土城
2008年4月22日
5城目。天気は快晴。
安土駅からレンタサイクルで登城しました。天気が良くて快適でした。大手道の受付で押印しましたが、スタンプの状態は良好です。この城を訪れるのは3回目ですが、来るたびにいろいろ妄想を掻き立てられます。今回は初めて信長の館と安土考古博物館にも行き、その他にセミナリヨ址にも立ち寄りました。いつか搦手口からも登ることができればいいですね。
根城
2008年4月30日
6城目。曇り。
ここは祝日の翌日も本丸と博物館が休館なのですね(スタンプは押せました)。悩んだ末、何回も来ることができる場所ではないため予定を変更して翌日も訪れました。4月30日は本丸以外の郭(岡前館と沢里館も含む)を見学した後、櫛引八幡宮に行って国宝の鎧などを見て、さらに八戸城跡にも行きました。5月1日は本丸と博物館に行きましたが、本丸の館は学術調査などを経て復原されたもので1日待って良かったと思いました。本丸のV字堀も印象に残りました。なお、博物館で押印したスタンプの状態は良好ですが、少し滲みました。
弘前城
2008年5月1日
7城目。薄曇り。
以前から訪れたかった城で、念願が叶いました。桜はソメイヨシノは散りましたが、本丸のしだれ桜は何とかまだ見ることができます。城内にこれだけ桜の木があると、桜にさほど興味がなくても満開の頃にまた来てみたいと思いますね。
それにしても、三重の堀で囲まれた城域がほぼ完全に残っているだけあって、規模が予想以上に大きく、まるで大藩の城に来たようです。現存している門や櫓は、建物自体は質素ですが流石に重文だけあって雰囲気があります。門の1層目がいずれも高いのが印象に残りました。5月2日は午前中に城内の博物館を訪れた後に午後から市内の史跡を巡りました。壮観だったのは、出城とも言うべき禅林街(「長勝寺構え」)です。長勝寺の本堂などが修復工事中で津軽藩主の霊廟を見れなかったのが残念でした。それから、重文の東照宮が荒廃していたのが気がかりですね。
売店で津軽藩の歴史を描いた漫画を買ったので、帰りの電車の中で読もうと思います。なお、スタンプの状態は良好でした。
一乗谷城
2008年5月4日
8城目。快晴。
2年ぶり4回目の登城です。
まず、山城ですが、他の方もおっしゃるように現在登山ルートは下城戸あたりから登る1ルートのみです。ただし、昨年の地元紙の報道によれば、今年から山城のあたりを整備するとのことで、登城時にボランティアの方にも確認しました。ですから、今回は山城は見送り、整備後を待ちたいと思います。
山城はともかく、復原町並や朝倉館以外でも見どころが多いですね。下城戸の巨石群は見ごたえがありますし、遊歩道が整備された寺院跡や商屋跡なども想像をいろいろ掻き立てます。他にも、上城戸から数百メートル先にある足利義昭の御所跡も興味深いです。
スタンプの状態は良好でした。復原町並南口で押印しましたが、スペースがなく他の場所で押したいからスタンプを貸してほしいと申し入れたら、快く貸してくれました。
金沢城
2008年5月5日
9城目。曇り。
何度も訪れたことがありますが、華のある城ですね。今回はスタンプ目的で来たのですが、石川門と三十間長屋を特別公開しており初めて中を見ることができました。この城の見所の一つは石垣ですね。様々な積み方の石垣を見ることができるのですが、いもり坂付近には庭園の借景用に作られた短冊型の石垣があります。2010年春に河北門が復元されるとのことで、2年後に再訪したいと思います。
スタンプは石川門案内所に置いてあるものは薄くなっていますので、二の丸案内所で押したほうが良いのではないでしょうか。状態は良好ですが、私は軽率なミスをして失敗しました↓
七尾城
2008年5月5日
10城目。曇りのち雨。
旧大手道から当時の様子などを想像しながら登城しました。本丸などで見られる数段に積み上げた石垣が見事で、山城の特徴が良く分かる城ではないでしょうか。三の丸と二の丸の間の堀切も良かったです。曇っていましたが、本丸から七尾湾の眺望もそれなりに楽しめました。下山しようとしたら雨が本格的に降ってきて、下りは少し怖かったです。
スタンプの状態は非常に良好で、資料館や懐古園の方にはいろいろとお世話になりました。
小谷城
2008年5月6日
11城目。快晴。
河毛駅からレンタサイクルで訪れ(500円)、3時間ほどかけて小谷山を登りました。
追手道→番所跡→本丸跡→京極丸跡→山王丸→六坊跡→大嶽城跡→福寿丸跡→山崎丸跡のルートで登城しましたが、標高差約400メートルの小谷山は結構しんどかったです。特に六坊跡から朝倉の援軍が守っていた大嶽砦跡(ここが山頂)へ至る山道がハードでした。道を間違えて資料館の館長おススメの月所丸跡に行けなかったのが心残りです。数段にわたって築かれた石垣や土塁が各所で残っていましたし、大堀切も見事でした。小谷山と虎御前山の間を走る国道365号線を帰りに通った際に、浅井・朝倉軍と織田軍が対峙する様子を思わず想像してしまいました。
スタンプの状態は非常に良好で、資料館の方にはいろいろお世話になりました。
佐倉城
2008年5月13日
12城目。天気は雨。
東京出張の際に訪れました。復元された角馬出や土塁が見事でした。事情は全く分かっておりませんが、櫓や門の古写真や天守の詳細な図面が残っているようなので将来的に復元を検討してはどうかと思いました。時間がないため、歴史民俗博物館は最初から断念しました。
スタンプはゴム印タイプで状態はまずまずです。
川越城
2008年5月17日
13城目。晴れのちにわか雨。
東京出張の際に登城しました。本丸御殿が見所ですが、現存する建物は風格がありますね。御殿は今年の10月21日から2010年度まで修復工事に入るとのことですので、秋までに訪れた方が良いと思います。御殿以外にも富士見櫓跡、大手門跡、東明寺(川越夜戦の石碑あり)、蔵の町並などを訪れました。また、翌日の午前中には重文の喜多院や東照宮に行きました。
スタンプの状態は良好です。
江戸城
2008年5月20日
14城目。曇り。
東京出張の際に1時間ほど立ち寄りました。今回は外苑を散策して正門、二重橋、坂下門、桔梗門、巽櫓、大手門などを見るにとどめました。修学旅行生や外国人観光客が多かったです。この城は今後も訪れる機会があるはずなので、焦ることなく少しずつ見て回りたいと思います。
スタンプは楠公休憩所で押しましたが、状態は大変良好でした。
松阪城
2008年5月25日
15城目。曇り。
築城者・蒲生氏郷の意気込みが伝わってくるような城でした。城域は広いとは感じませんでしたが、高石垣が立派で、石垣の上を歩いて櫓跡を回りました。二の丸の石垣から見た御城番屋敷、御城番屋敷から見た石垣がとても印象に残りましたね。街中にも城下町の面影を残す武家屋敷や商屋などが現存しており、予定以上に長く滞在してしまいました。
スタンプは歴史民俗資料館で押しましたが、状態は良好でした(ただし、強く押すと少し滲みます)。本居宣長記念館にあるものは酷いです。
帰りに津城に行きましたが、内堀の犬走りなどが改修に手を施した藤堂高虎の城らしくて良かったです。藤堂高虎など歴代津藩主と久居藩主の墓がある寒松院にも立ち寄りました。
名古屋城
2008年5月27日
16城目。晴れ。
十数年ぶり2度目の登城です。3層の西北隅櫓を公開中と聞き、時間を作って訪れました。清州城の古材を転用したとも言われ、ある意味で名古屋城を象徴するような建物ですね。その他に、地面の低い部分は幅の広い水堀、高い部分は空堀であるのも印象に残りました。城内では本丸御殿復元のPRが盛んに行われており、歌まで作って流していたのにはビックリしました(私も100円ですが寄付しました)。これからの復元作業が楽しみです。
スタンプは東門で押しましたが、状態は良好でした。
観音寺城
2008年6月1日
17城目。晴れ。
JR安土駅前でレンタサイクルを利用。佐々木六角氏の末裔を名乗るご主人から観音寺城の詳細な縄張り図を頂きました。今回は、観音正寺の参道から登り、六角氏の御屋形跡(天満宮)→観音正寺→本丸→平井丸→池田丸→三の丸→桑実寺を回りました。この城で特徴的なのは、石垣もさることながら、家臣の名前の付いた郭が多くあることで、平井丸や池田丸の規模の大きさを見ると相当な力を持っていったことが窺われます。現在は整備状況が必ずしも十分ではありませんが、今後整備を進めていく計画もあるそうです。いずれは追手道から登城して他の郭跡も見てみたいです。桑実寺には足利義晴が逗留してこともありますが、寺のお坊さんによれば仮幕府は下から山門に向かって右あたりにあった正覚院に置かれていたそうです(寺には石碑や説明板はありません)。
スタンプは観音正寺で押印しましたが、状態は良好でした。
伊賀上野城
2008年6月3日
18城目。曇り。
この城は津城を居城とした藤堂藩の支城であり、登城した際に規模もさほど大きくないと感じました。しかしながら、天守閣西側に圧倒的な威圧感を誇る高石垣を見ていると、この城が筒井時代は豊臣の出城であり逆に大坂の陣では徳川の根城であったと言われ、地政学的に重要な位置を占めていたことを感じ取ることができます。それにしても、今回は青々と茂った木が邪魔で高石垣をじっくり見ることができず、冬に再訪することを誓いました。時間の関係で断念した忍者や松尾芭蕉の施設も次回訪れようと思います。帰りに亀山城にも行き、三重県で唯一現存する城郭建築である多聞櫓や整備された二の丸跡などを見ました。
スタンプは天守閣券売所で押印しましたが、状態は良好でした(インクたっぷりなので強く押さないほうが良いと思います)。
高取城
2008年6月7日
19城目。曇り。
神戸の城マニアと初登城です。近世の日本三大山城に相応しい日本有数の山城だと思いました。スタンプのある夢創館で復元CGなどのビデオを見てイメージを掴み、標高差446メートルの吉野山系を登山しました。ルートは、土佐街道→黒門跡→二ノ門跡→国見櫓跡→大手門跡→本丸跡→壺阪門跡→壺阪寺→土佐街道です。本丸に近づくにつれて次々と立派な高石垣が現れる様が素晴らしく、到達点である本丸天守台の高石垣は想像以上の迫力で圧巻でした。ビデオでも見たとおり、直線型の石垣が織豊期の特徴をよく示しており、二ノ門近くの水堀も非常に珍しかったです。この城は晩秋か冬に再訪して石垣をさらに堪能したいですね。今後さらなる整備を強く望みます。
なお、スタンプの状態は良好でした。
千早城
2008年6月8日
20城目。曇り。
楠木氏の詰城であり、南北朝の争乱期の山城らしく標高660メートルもある金剛山中腹に築かれました。スタンプのある「まつまさ」奥の登山ルートから裏参道を登って行きましたが、あまりしんどくはなかったです。本丸跡は千早神社で立ち入り禁止の神域となっており、三の丸あたりの堀切跡や二の丸などの竪掘は想像をふくらませて何となく分かった程度でした。正直なところ物足りなさも感じたので、麓近くの本城・上赤坂城とにわか作りの出城・下赤坂城にも行きました。上赤坂城は曲輪跡の遺構などが残っていて千早城よりも良かったです。楠木正成生誕の地とされる場所に建つ資料館ではビデオも見ることができます。
なお、スタンプの状態は良好でした。まつまさのご飯は美味しかったですし、今度は金剛山の登山で行きたいですね。
大阪城
2008年6月10日
21城目。晴れ。
30年前に人生で初めて訪れた城であり(たぶん)、今回は17年ぶりの登城です。鉄筋コンクリートの天守に象徴される観光地と化した俗っぽい城のイメージがありますが、天下の名城を侮ってはいけません。久しぶりに来て、本丸・二の丸の屈曲した高石垣群に圧倒されてしまいました。高石垣は特に本丸東側と二の丸南側が迫力があり、高さは伊賀上野城を凌いで日本一だそうです。気になって帰宅後に確認してみたら、徳川大坂城の普請を指図したのはやはり藤堂高虎だったのですね。その他、今回初めて見たのは、山里丸にある秀頼・淀殿自刃の地の石碑と城外北西部のドーンセンターに復元された豊臣大坂城三の丸の石垣です。今後も来る機会はあるので、次回は城周辺にある遺構などを見てみたいですね。
天守1階の案内所にあるスタンプの状態は良好でした。受付の女性はおそらく日本語が堪能な中国人で、時代の変化を感じました(観光客の多くは外国人と修学旅行生でした)。
松本城
2008年6月14日
22城目。晴れ。
2年ぶり2回目の登城です。前回は雨でしたが、今回は天気が良く快適でした。この城の見どころはやはり連立複合式と呼ばれる国宝の天守群に尽きるのではないでしょうか。2つの天守と2つの櫓は造られた時期も異なりますが、全体に調和がとれていて美しいです。ずっと見ていても飽きることはありません。石垣が低いのは地盤が弱いことを考慮したからだそうですね。それから、今回の訪城では、現在は市街地となっている三の丸の区域も散策し、東側に一部残る惣堀、大手門や4つの馬出門などの石碑を見て回って輪郭式の縄張りの規模などをイメージしました。
なお、スタンプの状態はまずまず良好でした。ただし、乾小天守の2層目あたりで欠けてしまう箇所がありますし、印影の周辺下で赤や青のインクがつくことがあります。
岩村城
2008年6月15日
23城目。曇り。
江戸時代に諸藩の城の中で最も高い標高約700メートルあたりで営まれた山城ですが(近世の三大山城の一つ)、藩主館の置かれた麓からの比高は150メートルほどで登山はさほどきつくはありませんでした。もっとも、大手門付近や本丸の高石垣を見たり手の込んだ縄張りとなっている城跡を歩いていると、堅固な山城であることは十分に感じ取ることができます。本丸の埋門跡あたりの石垣を散策していると石垣で囲まれた迷路を歩いているかのような錯覚に一瞬襲われました。また、本丸東側には堀切などの中世の山城の遺構も見ることができます。この城は別名を霧ヶ城と呼ぶらしく、今度は霧が出る季節に来てみたいですね。再建事業にも期待したいです。
スタンプの状態はまずまずでした。両端が若干薄くなったりして濃淡のムラが少しあります。
和歌山城
2008年6月17日
24城目。晴れ。
大阪出張を利用して訪城しました。皆さんおっしゃるように、時期によって積み方が異なる石垣が見所の一つかと思います。特に、本丸などで多く見られる和泉砂石や「紀州の青石」を用いた野面積みは独特の雰囲気を醸し出していました。徳川頼宣による拡張では、高石垣を用いたり規模が大きかったりして幕府から疑念を抱かれたそうですね(三の丸なども含めた城郭模型は和歌山市立歴史博物館で見ることができます)。高石垣は堀が存在しない西南部に築かれ現存しています。それから、二の丸と西の丸をつなぎ、藩主のみが渡ることのできた御橋廊下も珍しかったです。屋根付きの橋は福井城と大分府内城の他にもあったのですね。
スタンプはゴム印タイプで状態はまずまずでした。綺麗に押印したいのであれば、緑のスタンプ台を持参した方が良いと思います。
岐阜城
2008年7月1日
25城目。快晴。
3年ぶり2回目の登城。前回は上りでロープウェイを利用しましたが、今回は、上りは七曲り登山道(大手道)、下りは瞑想の小径を利用して登山しました。高取城や小谷城よりは楽だろうと少し舐めてましたが、予想以上にしんどかったです。金崋山は標高329メートルで目茶苦茶高いわけではありませんが、城が急峻な断崖の上に築かれたことが見所の一つかと山登りして実感しました。麓では信長館の発掘作業が行われていましたが、今後の作業の成果に期待です。城周辺では市立歴史博物館や斎藤道三ゆかりの常在寺も再訪しましたが、寺所蔵の斎藤道三や義龍の肖像画(重文)は常時公開できる状態ではないようです。帰りには、加納城にも立ち寄りましたが、鷺山城は時間がなくて断念しました。
スタンプはインクたっぷりですが、状態良好です。
福山城
2008年7月5日
26城目。曇り(大雨の後で非常に蒸し暑く汗だくになりました)。
昨年に続き出張を利用しての登城です。福島正則が改易になった後に西国外様大名に睨みをきかせる要衝の地に築かれた城で、まず石垣が立派でした。また、築城当時取り壊されていた伏見城の建物を多く移築しており、新式の層塔型天守と移築された伏見櫓のような旧式の望楼型の建物が混在しているのが見所の一つかと思います。現在この城では福山駅南側の外堀の石垣遺構の発掘が注目されていますが、今後の整備の動向を見守りたいと思います。周辺には鞆の浦や国宝の明王院などもありますし、いずれ観光でゆっくり見てまわりたいですね。今回も慌ただしい訪問で、午後は出張先の広島市内で仕事をしました。
なお、スタンプの状態は良好でした。少し強く押したほうが良いと思います。
広島城
2008年7月6日
27城目。晴れ(暑かったです)。
4年ぶり2回目の登城で、前日の福山城に続き出張を利用しました。二の丸が他の城よりも小さく馬出の機能を持っているのが見所の一つかと思いますが、天守閣内の資料館の説明では、築城時に聚楽第の縄張りが参考にされたためとか。また、本丸北東部には福島正則が幕府の命で壊したとされる石垣があります。他の方もおっしゃるように城内にはこの石垣の説明板などがありませんが、スタンプのある天守閣2階売店近くに置いてある「史跡広島城跡マップ」の緑のちらしに位置が示されています。この城は現在では本丸と二の丸しか残っていませんが、天守閣に連結していた小天守を是非復元して欲しいです。城を見た後は近くにある浅野氏の庭園・縮景園に行き、その後は広島市民球場で広島−ヤクルト戦を見ました。
なお、スタンプの状態は非常に良かったです。
姫路城
2008年7月8日
28城目。晴れ時々曇り。
24年ぶり3回目の登城です。26年前に初めて訪れた際に姫路駅に降り立ち大手前通の正面に聳え立つ天守閣を見た時の感動は今でも忘れられません。平日だし外国人だらけかと思いましたが、日本人も多かったです。さて、久々に来てみて、迷路のような複雑な縄張りや絵になる天守群の景観も素晴らしいですが、大天守各階の木造の重厚で広々とした空間はまさに国宝・世界遺産に相応しいと感じました。また、今回の訪城で驚いたのは市内にも遺構が多く残っていることで、現在の城域を囲むように中濠やその石垣・土塁が良好に保存されていました。門跡には復元図が描かれた説明板が設置され、可能なら復元して欲しいと思ったほどです。好古園や歴史博物館には今回行けなかったですし、11月の連休の特別公開か来年から始まる「見せる修復」・平成の大修理の際にも是非再訪したいですね。
スタンプはインクの量もほどよく非常に良好でした。管理事務所の椅子に座ってゆっくり何度も試し押しをしながら押印できました。
高松城
2008年7月12日
29城目。快晴。
日本三大水城の一つと言われており、瀬戸内海からの船の出入りを監視する重文・月見櫓(着見櫓)を是非とも海から見ようと思い、神戸からフェリーで行きました(時間は少しかかりましたが瀬戸内の島々を眺めながらの船旅は楽しかったです)。もっとも、櫓はビル群に埋もれ、フェリーも城から離れた所に着岸したため、必ずしも思惑通りとはいきませんでいた。それはともかくとして、現在の城域はさほど大きくはありませんが、水城としての面影は、城内の潮の香りや内堀の鯛、水手御門の船着場などから感じ取ることができます(鯛のエサやりもやってみました(^^))。それから、二の丸と本丸を結ぶ鞘橋が屋根付きで、このような橋が大分府内、福井、和歌山以外にもあったことを知りました。また、艮櫓の石落しが写真で見るよりも意外に大きくて印象に残りました。この城は南蛮天守が復元されてから是非再訪したいですね。翌日には栗林公園に行きましたが、偕楽園・兼六園・後楽園に引けを取らない名園だと思いました。
西入口で押したスタンプはインクが少し多めでしたが良好でした。青色の印影が水城にマッチしています。
丸亀城
2008年7月13日
30城目。快晴。
4段重ねの累計約60メートル(日本一とか)の高石垣が見事です。特に2段目から4段目が素晴らしく、要塞や軍艦を思わせます。しかも、扇の勾配と呼ばれる石垣の曲線美などもあって、迫力があるだけでなく美しささえ感じました。とりわけ、西側の高石垣群が見応えありますね。現存の天守閣は小さいですが、内側には外側のような装飾がなく、弘前城の天守と似通っています。残念だったのは、重文の天守内部3階の柱などに観光客により多くの文字が切り刻まれていたこと。逆に素晴らしかったのは、最上階から見える瀬戸内海の風景と心地よい風でした(真夏日だったので非常に気持ち良かったです)。
スタンプは厳重に管理がなされており、インク若干多めですが良好でした(絵になる城なのにデザインはイマイチかも)。皆さんもおっしゃるように、受付のおじさんは我々の押印マナーが悪いとグチをこぼしていましたが、上述の最上階の柱の惨状を見ると嘆く気持ちも分かるように思いました。通常は受付の方が自らスタンプを押すようですが、おじさんの目の前で押印する場合は自分で押すことができます。捺印マットも貸していただき、親切でした。
掛川城
2008年7月23日
31城目。快晴。
東京出張の帰りに立ち寄りました。小ぶりな城ですが、現地の観光体制が整っており、雰囲気が良かったです。この城が東海道の要衝に位置していたことは、豊臣時代の山内氏、徳川時代の譜代大名といった当時の支配者の息のかかった大名がこの地を治めていたことからも分かります。見どころはやはり現存する掛川城御殿ですね。開放感があって部屋の畳の上を歩けるのが良かったです。三の丸から移築された太鼓櫓も風格があります。また、市内にも大手門が復元され周囲の建物も景観に配慮した外観になっておりました(もっとも、大手門は実際は現在の場所から50mほど北側にあったとのこと)。
なお、スタンプの状態は良好でしたが、印影の外側上部にインクがつくことがあります。
久保田城
2008年7月26日
32城目。晴れ(酷暑の京都から逃げるようにして来ました。それなりに暑いですが涼しいです)。
小高い山の上に築かれた、東国の城らしく石垣ない土塁の城です。築城者の佐竹義宣が北関東に居城を構えていたことも影響しているのかもしれませんが、行ったことのある城の中では佐倉城や水戸城を何となく思い出しました。現在の城内で現存しているのは表門近くの番所で、御隅櫓と表門が復元されています。鉄筋コンクリートの御隅櫓は復興と言ってもよく、周りの木が邪魔で外観がよく見えず、正直残念でした。その他の門などは簡単な説明のある標識が立っており便利です。ところで、この城で最も惹きつけられたのは、佐竹資料館で展示されていた佐竹義宣など歴代藩主所用の具足ですね。これだけまとまった展示は記憶にありません。
なお、スタンプの状態は良好でした。少し強く押したのか、御隅櫓3層目の高欄のあたりが滲んでしまいました。
盛岡城
2008年7月26日
33城目。晴れ。
北上川と中津川の中州のような場所に築かれた南部藩の居城。城内西側や南側あたりなどの高石垣群が立派で、散策していて松阪城を思い出しました。この城は現地で採れる花崗岩の白石が独特の景観を生み出しており、特に本丸あたりの直線型の石垣が印象に残りました。その他、三角形型の榊山稲荷曲輪や石垣の崩壊を防ぐはばき石垣も珍しかったです。石川啄木が学校を抜け出してこの城によく来ていたことは有名ですが、城内で見る高校生などのカップルが何となく城とマッチしていると感じました(^^;)。ところで、他の方もおっしゃるように、この城は説明板が非常に少なく、スタンプのあるプラザおでってで入手できる盛岡城跡公園ガイドマップは必須だと思います。今後の整備を望みますし、城内に建設が予定されている歴史文化施設にも期待します。
なお、スタンプの状態は良好でした。
五稜郭
2008年7月27日
34城目。晴れ時々曇り。
4年ぶり2回目の登城。前回は、五稜郭や市内中心部にある箱館戦争関連の場所をじっくり見て回りました。今回はスタンプ目的でしたが、市立函館歴史博物館でたまたま榎本武揚展を開催していて、海律全書や榎本関連の外交文書などを興味深く見ることができました(^^)。
この城は箱館開港にあたり異国船を想定して北方警備のために幕府自ら築いたもので、5つの稜堡と半月堡1つを持つ洋式城郭です。他方で、石垣が用いられていたり南北の出入り口に目隠しの石塁が積まれていて、和洋折衷的な面もあります。個人的にはこのあたりが面白いです。箱館奉行所が復元されたら再訪したいですね。翌日には四稜郭にも行きました。
なお、スタンプの状態は非常に良好でした。管理事務所だけでなく兵糧庫でも押印できます。

追記 2010年3月14日に五稜郭のモデルとされるフランス・リール市の城塞を訪れました。五稜郭の約2倍の規模で、現地でも五角形の稜堡式城塞の代表例とされています。現在でも二重の稜堡と5つの半月堡が残っており、五稜郭築城にあたって参考にされたのも分かるような気がしました(写真も参照)。
松前城
2008年7月28日
35城目。曇り時々雨。
4年ぶり2回目の登城。最北の松前藩により幕末に築かれた最後の日本式城郭であり、本丸御門の切込ハギの石垣や3層の層塔型天守(再建)に和式城郭の最終到達点を見るような気がします。また、異国船警備を目的としていたため複数の砲台跡があるのも興味深いです。さて、松前城は17世紀に建てられた福山館が基になっていますが、函館や木古内からバスや車でアクセスする場合、率直なところなぜこのような人里離れた遠隔の地に本拠を構えたのか疑問に思います。実際、幕末に築城する際にも箱館に築くことも有力に主張されたとのこと。少し調べてみたところ、以下のような理由などが考えられるようです。?米がとれず交易が生命線であった松前藩にとって松前港は津軽半島から最短の港であった?本土から日本海を渡ってくる北前船の最初の寄港地である?アイヌの襲撃から身を守るため。いずれにせよ、小ぶりな城ですが、いろいろと興味が尽きない城で今後の整備にも期待したいです。
なお、スタンプの状態は良好でした。
彦根城
2008年8月5日
36城目。快晴。
17,8年ぶり3回目の登城。様々な破風で飾られた華やかな国宝天守とひこにゃん人気に象徴される近世の華麗な城というイメージを漠然と抱いていましたが、久々の訪城で認識を改めないといけません。要衝の地に譜代大名により築かれただけあって、多様な様式が混在した防御を強く意識した城ですね。まず、平山城だからなのか中世の山城のような大きな堀切や竪掘があります。他方で、5つの竪掘には登石垣という石塁が築かれており(全部は確認しませんでした)、これは朝鮮出兵で築城された朝鮮倭城の影響とかで、洲本城や松山城でも見ることができるそうです。さらに、大手門〜表門〜黒門あたりにかけての腰巻き石垣や鉢巻石垣も東国の城に来たかのようです。冬になって草木が枯れたら再訪して登石垣をさらにじっくり見てみたいですね。
スタンプはゴム印タイプですが、聞いていた通りスタンプ台が開けっ放しで、インクが薄かったです(これはちょっとダメではないかと)。緑のスタンプ台を持参して何とか綺麗に押すことができました。
松代城
2008年8月12日
39城目。晴れ。
3年ぶり2回目の登城。前回は復元されたばかりの櫓や門の建築物、真田氏や佐久間象山関連の場所を訪れたので、今回は城をさっと見学したあとに松代駅でレンタサイクルを借りて、川中島の古戦場めぐりをしました。まずは、野面積の本丸櫓台石垣から妻女山を見たあとに妻女山に行き、展望台から松代城(海津城)と八幡原を眺めました。そのあとに、雨宮の渡し〜典厩寺〜胴合橋〜山本勘助の墓〜八幡原史跡公園などに行きました。炎天下の中での古戦場めぐりでしたので、松代に戻ってから見学した松代大本営地下壕は中がひんやりとしていて滅茶苦茶気持ち良かったです(不謹慎ですね^^;)。
なお、スタンプの状態は良好でした(押印は若干失敗)。
上田城
2008年8月12日
40城目。晴れ。3年ぶり2回目の登城。
真田昌幸が徳川軍の攻撃を2度も撃退したことで有名な城。もっとも、今日の上田城は江戸時代に仙石氏により改修されたもので、本丸南側の尼ヶ淵も川から平地になったりして、真田時代を偲べるものは堀から出土した瓦の破片くらいでしょうか。仙石時代の上田城は梯郭式の縄張りで、土塁も多用されています。城全体の規模はさほどでもありませんが、二の丸北側の百間堀(現陸上競技場や野球場のあたり)は相当な大きさであったと思われます。他にも、本丸の北櫓と南櫓が明治以降に移築され遊郭として使われていたり、二の丸の堀には昭和まで鉄道が敷かれていたり、この城は時代とともに数奇な運命をたどったのだなと感じました。
スタンプは上田市立博物館で押しましたが、小型タイプでインクたっぷりでした(2011年5月現在、上田市観光会館には通常の大型タイプのスタンプあり)。
2011年5月7日に真田の郷メインで再訪しました。午前中に上田城を見学し、午後から信綱寺、真田氏歴史館、真田氏館跡、真田氏本城跡、長谷寺をめぐりました。
小諸城
2008年8月13日
41城目。晴れのちにわか雨。
千曲川の河岸段丘上に築かれ、市街地となっている城下町よりも低い場所に位置する穴城です。東西に食い込んだ谷や断崖を巧みに利用した縄張りが見どころで、史料的な裏付けはないものの縄張りを行ったとも伝えられる山本勘助の匂いを感じました。また、仙石氏時代に築かれた苔むした野面積の石垣や「懐古園」の扁額が掲げられた重文の三の門が古風で何とも言えない情緒がありますね。さらに、線路を挟んで向かい側には修復工事を終えた重文の大手門が現存しており、これも必見だと思いました(残念ながら中には入れず)。その他、小諸市内の光岳寺に移築された足柄門も見てきました。この城は、規模は大きくはないですが、雰囲気も良く見どころも多くて強く印象に残りました。
この日は小諸駅から電車で40分、龍岡城駅から徒歩30分弱の洋式城郭・龍岡城にも行きました。規模は函館の五稜郭の半分くらいですが、星形の石垣や一部の堀が良好に残っていて、とても良かったです。周囲の山に展望台を作るなどの計画もあるようなので楽しみですね。
なお、スタンプの状態は良好でした。
犬山城
2008年8月19日
42城目。曇りのち雨。
神戸の城マニアと青春18切符を使って登城しました。松本城と同じように見どころは絵になる国宝天守に尽きるように感じました。まず、禅寺のような花頭窓のある古風な望楼型の天守は想像よりも大きかったですが、さすがに風格があります。それから、やはり天守最上階から見る日本ライン・木曽川、逆に木曽川対岸から見る日本の白帝城・国宝天守の光景が本当に素晴らしかったです。その他、現在の城域の入り口付近に建っていた松の丸未櫓は古写真や絵図面が残っているようなので復元してはどうかと思いました。この日は近くにある国宝の茶室如庵にも行き、夜には岐阜城も再訪して濃尾平野の夜景を見ました。
なお、スタンプはおそらく小型の2008年型?だと思いますが、状態良好でした。水墨画のようなデザインで個人的にはお気に入りです。
新発田城
2008年8月27日
43城目。晴れ。
今年の3月に引き続き3回目の登城。現在の城域は本丸内の大部分が自衛隊の敷地となっていることもあって広くはありません。もっとも、重文の表門と旧二の丸隅櫓(移築)や3つの鯱を上げた三階櫓(再建)などがあって見どころのある城だと思います。雪国の城郭で見られるものですが、瓦を用いた海鼠壁も良いです。個人的には、湿地などを利用した独特の瓢箪型の縄張りが興味深いですね。本丸を二の丸が囲み、その南側に三の丸があって、輪郭式+連郭式のような構えになっています。市内には三の丸にあった大手門や二の丸の門・櫓の説明板があり、ありし日の姿を想像することもできます。それから、ボランティアの方によれば、今後は二の丸土橋門を復元したり資料館を建設する計画があり、是非とも期待したいですね。
なお、スタンプの状態は良好ですが、インクが裏面にかなり滲みました。
会津若松城
2008年8月27日
44城目。晴れ。
新発田城で新潟の城マニアと落ち合い、15年ぶり2回目の登城。
前回の訪城の記憶はあまりないのですが、層塔型のコンクリート天守の内部は「こんなに綺麗だったっけ?」という感じで驚きました。それから、天守・走長屋に連なって、南走長屋と干飯櫓が復元されていたんですね。さて、今回の再訪で最も印象に残ったのは、本丸東側の高石垣でした。写真で見る以上の迫力がありました。また、縄張り図を見てみたら、本丸の三方に馬出しの機能を持った北出丸、西出丸そして東に二の丸が連結され、何となく広島城を思い出しました。気になって帰宅後に調べてみたら、広島城と同じように、蒲生氏による改修の際に聚楽第が参考にされたようです。城を見学した後に飯盛山に登ったのですが、白虎隊の墓は香煙が絶えませんね。山から見る鶴ヶ城も感慨深かったです。阿弥陀時に移築された御三階櫓などは今回時間の関係で見ることができませんでしたし、いずれ再訪したい城です。
なお、スタンプの状態はインクが多めでしたが良好でした。
山形城
2008年8月29日
47城目。晴れ時々曇り(雨を覚悟していましたが降らなくて良かったです)。
8年ぶり2回目の登城。この城は縄張りが輪郭式ですが、広い三の丸と復元された立派な二の丸東大手門が印象的です。三の丸は現在市街地ですが、遺構がいくつか点在しており、30日に十日町口や稲荷口の土塁などの遺構を見てきました。現在の城域となっている二の丸と本丸は櫓門には石垣が使われていますが、その他は土塁でした。また、本丸の復元作業にも期待したいです(一文字門の写真など決め手となる資料が見つかるといいですね)。
この城を訪れる前に米沢城や上杉家廟所などに行きましたが、上杉氏のお宝や直江兼続の具足などを見ることができて満足です。長谷堂城も訪れたかったのですが、今回は時間などの都合で断念しました。
スタンプは山形市郷土館で押印しましたが、非常に状態良好でした。最上義光歴史館にあるものはインクが薄くて中央に×印のような空白ができます。ただし、この資料館は映像や展示品を興味深く見ることができました。
仙台城
2008年8月30日
48城目。曇りのち雨。
午前中に山寺を訪問したあと山形から仙台に入り、午後から念願の初登城です。関ヶ原の合戦後、時代が泰平の世へと向かおうとした時期にあえて!?山城(築城時は本丸・西の丸から成る山城)を築いた政宗の野心を感じてみたいと思いながら訪れました。この日は、大手門跡から本丸北壁石垣を経て西の丸外縁を回り、本丸埋門跡から本丸に入りました。本丸に入るまでは、車がひっきりなしに通る道沿いで傘を片手に写真を撮るのが大変でした(^^;)。生憎の天候でしたが、本丸の懸造跡から見た仙台市街の眺望はなかなかのものでしたね。広大な本丸の見学後は麓の三の丸へ下り、三の丸下の道から広瀬川に平行して南に向かって歩き(このあたりはタクシーの運転手の休憩所と化していた)、麓から本丸に向かって青葉山の断崖を見上げてみました。
夕方になって雨が強くなり、旅の疲れも感じたので、今回の見学は本丸・三の丸までとしました。二の丸や仙台市立博物館や瑞鳳殿などに行けず消化不良気味なので、いずれ必ず再訪します。資料館は見聞館のみでしたが、マニア向けの展示ですね。牛タンもまた食べたいです。なお、スタンプは良好でした。
多賀城
2008年8月31日
49城目。曇り時々雨。
行政と軍事機能を併せ持つ古代の城柵。奈良時代から南北朝時代まで東北における政治軍事の拠点となりました。海にも近く、仙台平野も望める丘に築かれ、訪れてみて納得。城の構造は政庁と外郭からなり、政庁から南北を貫く大路が通っており、平城京や平安京と類似しているのが分かります。外郭は約1?四方で、広さは想像以上でした。復原されていませんが、築地塀が土塁や石垣ように防御の役割を果たすのが特徴的です。いずれ東北にある他の城柵も見てみたいですね。
外郭南門の近くに日本三古碑の多賀城碑がありますが、「靺鞨国界去三千里」と刻まれているのが興味深かったです。東北地方にとって奈良時代に最も身近な外国は渤海国だったのでしょうか。それにしても、この石碑は何となく高句麗の広開土王碑を思い起こさせます。この後に松島に行き、日本三景を制覇しました。国宝の瑞巌寺が良かったです。
なお、スタンプは良好でした。
根室半島チャシ跡群
2008年9月3日
節目の50城目。曇り(1日中霧が出ていて視界が悪かったです)。
ANAカードでマイルを貯めてゲットした特典航空券を使って行きました。根室や納沙布岬は2回目ですが、チャシを訪れるのは初めてです。今回は納沙布岬周辺にあるポンネイチャシとヲンネモトチャシに行きました。他の方もおっしゃるように、夏場は草が生えていて、特にヲンネモトチャシは草が胸の高さくらいまであって掻き分けながら標柱にたどりつくのも大変でした(このチャシでは道路沿いにあるものも含めて異なる標柱を3本確認)。また、標柱を目指す途中に濠跡のようなものも感じ取ることができました。今回初めてチャシ跡を訪れてみて、その主な役割というのは、岬や丘の先端にチャシを設けることで海や川の向こうから攻めてくる敵を見張る監視台ではないかと実感しました。
スタンプは、根室市歴史と自然の資料館にあるものは大型、根室駅前のインフォメーションセンターは小型でいずれも状態良好でした。非売品のスタンプ帳には大型、ガイドブック付録には小型のスタンプを押しました。資料館ではヲンネモトチャシの地図を貰えますし、チャシについていろいろ話を聞くこともできました。
赤穂城
2008年9月7日
52城目。晴れ。2008年3月に引き続き4回目の登城。
子供のころ1982年に初めて来たときは確か大手門周辺くらいしか見るべき所はなかったはずなのですが、2006年末に久方ぶりに訪れると石垣の整備や本丸表門の復元がなされ、引き続き二の丸などで規模の大きな発掘復元作業が進められていて驚きました。相当な経費がかかっているかと思いますが、赤穂市は赤穂城・赤穂浪士と心中するつもりなのでしょうか(^^;)。この城は、山鹿流の屈曲の多い石垣が特徴で、当時は海に面する水城だったようです。本丸・二の丸・三の丸いずれもかなり広く、五万石の城とはとても思えない規模を誇っていると思います。全体的に石垣の高さが低いのも印象に残りました。冬に近くの坂越港へ牡蠣をよく食べに行くので、その際に立ち寄って今後も復元状況をチェックしたいです。
スタンプは赤穂市立歴史博物館で押しましたが、ゴム印で状態はまずまずでした。この博物館の展示は個人的になかなか興味深かったです。
駿府城
2008年9月8日
53城目。晴れ。
昨秋に引き続き3回目の登城。東京出張の途中に訪城しました。
城自体は昨年もじっくり見学しましたし、時間も限られていたので、今回はみなさんもおススメの静岡県警本部ビル21階の展望ロビーに行き、その後に臨済寺を訪れました。駿府城は本丸の堀も一部復元され、展望ロビーからは三重の輪郭式の縄張りを確認することができました。臨済寺は、今川氏の軍師でもあった雪斎が住持となり、家康が人質時代に修行を積んだ場所です。普段は本堂などの内部見学はできず、境内を散策するだけでしたが、禅寺らしい整然とした雰囲気が良かったです。いつか特別公開の際に再訪したいですね。
スタンプは東御門・巽櫓が月曜定休日だったため、静岡市役所の公園整備課で押印しました(事前にチェックしていなかったため、焦りました^^;)。状態は若干薄めでしたがまずまず良好でした。昨年入館した東御門・巽櫓の中の資料館は、駿府城天守の模型や復元された家康の修行部屋などがあってなかなか楽しかったです。二の丸坤櫓の復元も今後楽しみですね。それから、今回はパスしましたが、昨年行った極彩色の久能山東照宮も素晴らしかったです。
長篠城
2008年10月5日
54城目。曇り時々小雨。
長篠城と設楽原古戦場を訪れましたが、想像以上に雰囲気があって良かったです。長篠城は豊川と宇連川が合流する河岸段丘上に築かれ、まさに天然の要害と呼ぶのに相応しいと感じました。長篠の戦いでは、武田軍に周りの鳶が巣山などだけでなく弾正郭や瓢郭を奪われましたが、訪城してみてよく落城しなかったなと改めて思いました。長篠城といえば鳥居強右衛門が有名ですが、私にとっては、昔見た大河ドラマ「徳川家康」で強右衛門を演じた上條恒彦さんの印象が強烈ですね。見学中に上條さんの演技が何度も思い返されました。設楽原は思ったよりは狭かったですが、馬防柵も一部復原され、あちらこちらに武将の石碑などがあってゾクゾクしました。いずれ高遠城に行く際に再訪して陣地巡りなどをしてみたいです。
なお、スタンプの状態は良好でした。押印した長篠城址史跡保存館は小規模な割には出版物も多く、かなり研究熱心ですね。
徳島城
2008年10月7日
55城目。曇り。
助任川と寺島川(現JR線)に挟まれた丘陵地に築かれた連郭式の平山城。見所は、特産の結晶片岩を用いた独特の石垣文化かと思います。青石が基本ですが、麓の大手門などでは赤石も確認できました。石の積み方も興味深く、山上では横長の石や巨石を荒々しく積み、それらを縦にしたり斜めにして積んでいる箇所もありました。それに対して麓の大手門の石垣などは隙間のない打ち込み接ぎにより積まれています。また、青石は表御殿庭園でも使われていて、見事でした。なお、スタンプはまずまずの状態でした。
2012年4月24日に再訪。この城のもう一つの見所である舌石を見ることができました。これは旧寺島川沿いの石垣上にかつてあった屏風折れ塀を支えていた石です。これは全国でも徳島城だけと言われていますし、もう少し見やすいように整備できないのでしょうか。その他、内町小学校の西側に残っている西の丸の石垣を確認できて嬉しかったです。
この日は午後に一宮城も訪れました。徳島県最大級の山城ですが、本丸の石垣が見事で、山上からの眺望が素晴らしかったです。鮎喰川を挟んで対峙する長宗我部軍と豊臣軍を妄想してしまいました。
甲府城
2008年10月13日
56城目。快晴。
東京出張の帰りに行きました。東国の要衝の地に築かれた平山城で、三段重ねの石垣や野面積み、反りが見事だと思いました。現在の城域はさほど広くないと感じましたが、JRの線路を挟んで山手御門が昨年復元されたり、二の堀や三の堀が一部市街地に残っています。稲荷櫓で見た映像で築城工事の安全祈願のために石垣に魚や鳥などの絵を彫ったとあったので(線刻画)、石垣を注意して見てみると・・・本丸の石垣は落書きが非常に多く、石垣でのこれほどの落書きは初めて見ました(^^;)。甲府市の整備に対する姿勢は好感が持てただけに、正直言って残念でした。
なお、スタンプの状態は良好でした。
武田氏館
2008年10月13日
57城目。快晴。
念願の初登城です。四方を土塁と堀に囲まれた中世の居館跡で、方形の主郭(現在は武田神社)と西郭の跡が残っています。かつての大手門は東側にあり、大手門前では発掘調査が行われていました。調査で見つかった三日月堀は武田氏らしい遺構ですね。周囲の堀の北側は空堀でしたが、なかなかのものだと思いました。また、主郭の北西部に武田氏滅亡後に築かれたとされる天守台石垣があるのですが、立ち入り禁止でじっくりと見ることはできませんでした。館跡の周辺に目を転じますと、JR甲府駅北口から武田神社までの区域は武田時代の中世城下町であり、有名な家臣の館跡を示す説明板があちこちに設置されています。詰城である要害山城にも行きたかったのですが、出張帰りの革靴だったので断念しました(^^;)。今回は、館跡以外では円光院や長禅寺、信玄の墓を訪れましたが、積翠寺、東光寺それから甲斐善光寺、塩山の恵林寺や韮崎の新府城など行きたいところはまだまだあります。いずれ高遠城に行く際に是非とも再訪したいです。
なお、スタンプの状態は良好でした。
備中松山城
2008年10月25日
58城目。薄曇り。
念願の初登城。神戸の城マニアと岡山市でレンタカーを借り、備中高松城と水攻め時に作られた蛙が鼻築堤を訪門してから高梁市内に入りました。小堀遠州による作庭で有名な頼久禅寺で駐車し、寺を見学した後に徒歩で標高478メートルの臥牛山を登山しました。見どころの一つは、現存天守では最小だが最も高所にある二層の天守だと思います。写真でよく見る南側は唐破風と出窓が付いてますが、西側は千鳥破風で下屋が付いて三層に見え、異なる顔を見せてくれます。11年前に復元された復元された五の平櫓と六の平櫓も本丸の景観に溶け込んでいました。また、三の丸大手門付近の重層的な高石垣群も素晴らしく、岩盤上の石垣は壮観でした。この日は小松山に築かれた近世の城だけでなく、中世の天神の丸や大松山城のあたりにも行き、石垣や土塁や大池は見かけましたが、正直なところ全体像をよくイメージできませんでした。この日の登城で、高取城・岩村城・備中松山城の近世の日本三大山城を麓から踏破したことになり、とても満足です(^^)。
なお、スタンプは2008年型の小型でしたが、非常に良好でした。
鬼ノ城
2008年10月25日
59城目。晴れ。
備中松山城に続けて訪れましたが、日没間近だったので西門周辺のみを見学して撤収。スタンプはゴム印で良好でした。
2012年3月25日に2度目の訪城となりました。歴史書に記載のない神籠石系の古代山城には九州系と瀬戸内系があるようですが、後者は鬼ノ城のように城壁が山頂部を鉢巻状に取り囲むのが特徴とか。このような場所に鬼ノ城を築いた理由が現代の感覚では理解できなかったのですが、現地を訪れて納得でした。この城からは、古代山陽道が通っていた総社平野を一望に見渡せるだけでなく遠くは四国山脈まで望むことができ、敵を監視するには好都合ですね。この日は、角楼〜西門〜南門〜東門〜屏風折れ石垣〜北門〜礎石建物跡群の順で約1時間半かけて見て回りましたが、3つの門や石垣が南側にあり、山陽道や瀬戸内海を意識していたことが感じ取れました。それにしても、城の規模や石垣など、古代に標高約400メートルの山頂部にこのような築城がなされたことに正直驚きです。何らかの明確な目的のもとで築かれたのは間違いないと実感しました。南門が復元も今後楽しみです。
高知城
2008年11月3日
62城目。曇り。
念願の初登城。天守東側が修復工事で一部幕で覆われており、追手門と天守を同時に眺められる光景を十分に堪能できずに少し残念でした。
この城は鏡川と江の口川を外堀とする平山城ですが、規模はさほど大きくはないと思いました。もっとも、天守や本丸御殿など重文の現存建築物も多く、野面積みの石垣や望楼型天守など様式も古風で、重厚感のある雰囲気を存分に感じ取りました。野面積みを多用しているのは土佐の国が多雨地域であるため排水機能を高めることも考慮されているようです。その他、本丸と二の丸の間の堀切に詰門が置かれ2階が通路になっていることや三の丸西側の高石垣なども印象に残りました。各門も防御を強く意識しているように感じます。
高知の歴史を語るうえで長宗我部氏は不可欠であり、翌日には岡豊城や浦戸城などにも行きました。高知県立歴史民俗資料館の常設展示も興味深かったです。
なお、スタンプは2008年型の小型でしたが、状態良好でした。
月山富田城
2008年11月16日
64城目。曇り時々雨。
念願の初登城です。難攻不落の堅城で名高い山城で、堅固ぶりを現地で体感してみようと思いながら、御子守口から月山を登山しました(幸いマムシやスズメ蜂は見かけませんでした^^;)。この城は北西を流れる飯梨川などを天然の堀とし、菅谷などいくつかの谷が山に深く食い込み両側から挟撃可能です。さらに、山中御殿などのある丘陵部から本丸などのある山頂部にかけて急峻な断崖がそびえ立っており、このことは二の丸で周辺の光景を見たときに感じ取ることができました。月山富田城の戦いで大内の大軍を撃退し、後に毛利元就も力ずくでは落とせず兵糧攻めにせざるをえなかったのも理解できるように思いました。この日は少し朝寝坊をしてしまい、訪れる予定だった新宮党館跡や米子城は行くことができず、次回の課題とします。この日の登城で、春日山・七尾・小谷・観音寺・月山富田の中世の五大山城を麓から踏破し、満足感で一杯です(^^)。
なお、スタンプの状態は良好でした。少し強く押した方がいいと思います。
金山城
2008年11月22日
66城目。晴れ。
標高235メートルの金山に新田一族により築かれた中世の山城ですが、東国の中世の山城には珍しく石垣で築かれているのが見どころかと思います。岩盤を削ってできた堀切も良かったです。ではなぜ土塁ではなく石垣なのかと思うわけですが、金山では金山石と呼ばれる凝灰岩が産出されたのが理由なのでしょうか。その他に、月ノ池、日ノ池も珍しく、生活用水としてだけでなく宗教的な儀式としても用いられたようです。この日は、大光院→金龍時(新田義貞の供養塔あり)→西城→西矢倉台→馬場曲輪→三の丸→二の丸→南曲輪→本丸(実城)→北城(坂中城)→大手口中仕切門→大手口のルートで見学しました。天候にも恵まれ、南曲輪から見た関東平野の眺望が素晴らしかったです。
なお、スタンプは南曲輪の休憩所に無人で置かれていましたが、まずまずの状態でした。インクを補充したばかりなのか色が濃かったですが、若干色ムラがありました。
足利氏館
2008年11月22日
65城目。晴れ。
鎌倉時代の武士の居館の代表例で、四方を土塁と堀で囲った方形であることが特徴です。
足利将軍の花の御所を経由して、武田氏館や朝倉氏館など後世の武士の居館へと展開していく連続性を感じます。
この館は、鎌倉幕府の有力御家人として北条政子の妹をめとり源頼朝に仕えた足利義兼により建てられたことが有力視されています。敷地内は、現在重文の建築物もある鑁阿寺(足利氏の氏寺)となっており、これも義兼が建立した持仏堂が基になっております。この寺から御朱印集めも始めました(^^)。この寺は真言宗ですが、重文の経堂では禅宗の寺院で多く用いられる華頭窓が取り入れられていました。この日は、近くにある足利学校も訪れました。このあと金山城へ向かうべく東武伊勢崎線で足利市駅から太田駅へ移動しましたが、所要時間はわずか9分。太田市は新田氏の本拠地ですが、足利氏と新田氏が同族関係であることを実感しました。
なお、スタンプの状態は良好でした。
箕輪城
2008年11月23日
68城目。晴れ。
丘陵上に築かれた平山城で、以下のルートで2時間ほど見て回りました。大手屋根口→木俣→郭馬出→二の丸→本丸→御前曲輪→丸馬出→新曲輪→稲荷曲輪→搦手口→本丸空堀→三の丸→鍛冶曲輪→虎韜門→白川口埋門→大手門。
多くの方がご指摘のように、この城は空堀や大堀切が非常に見事で、幅も深さも圧巻でした。箕郷支所で頂いたパンフによれば、実際はさらに堀が深かったとか。また、御前曲輪、三の丸、鍛冶曲輪などでは井伊氏時代に築かれたとされる石垣も見ることができ、石垣は榛名白川近くの白川口埋門跡でも発見しました。苔むした河原石を用いた野面積みが趣がありましたね。個人的にはあまり馴染みのない城でしたが、関東でも有数の名城であることは感じ取ることができました。夕方に二の丸から見た赤城山も美しく、印象に残りました。翌日には、井伊直政が箕輪城から移った高崎城にも行き、土塁や現存する乾櫓や東門を見てきました。
なお、スタンプは小型タイプでしたが、良好でした。
萩城
2008年11月30日
69城目。晴れ。
萩は中高の修学旅行で2回訪れましたが、まともな登城は初めてです。今回もレンタサイクルで回りましたが、懐かしさで一杯でした。さて、この城の麓の縄張りを見れば、基本は梯郭式の平城なのでしょうか。ただ、指月山の山頂に詰の丸を持つ平山城または山城でもあれば、他方で二の丸東側が日本海に面している水城でもあって、非常にユニークだと思いました。見所の一つは南蛮作りの天守閣が建っていた天守台ですが、扇の勾配の反りはなかなかのものです(受付によれば天守閣の復元は財政的に難しいとか)。また、詰の丸では本丸や二の丸の石垣、虎口が良好に残っていますし、海岸線に沿って巡らされた二の丸石垣を菊ヶ浜から見ることができます。それから、堀内とも呼ばれる三の丸は重臣の屋敷などがあり観光地区ですが、北の総門が復元され外堀の復元も進行中でした。今回の訪城では石垣や武家屋敷の石塀で鉛色の石の使用が目につきましたが、これは笠山で採れる玄武岩で、現在では採掘禁止だとか。萩は見所が多くて歴史ファンにはたまりませんね。
スタンプ良好ですが、少し強く押印した方が良いです。
竹田城
2008年12月7日
70城目。12月2日に念願の初登城を行い、7日に再び新潟の城マニアと訪れました。2日は雲ひとつない快晴で雲海が少し発生し、幻想的な雰囲気をそれとなく味わうことができました(7日も快晴でしたが雲海は見られず)。
この城は、高取城や岡城のように、大規模な石垣群が山上に完存していますが、その壮大な威容を麓や遠方から眺めることができるのがポイントでしょうか。この日は、JR竹田駅裏から山頂の本丸めがけて古城山を登山しましたが、居館があった麓付近や途中の斜面でも石垣が残っています。個人的には、山上の野面積みの石垣が複雑な屈曲を描いているのが印象的です。山頂以外でも北側斜面に登り石垣や何かの曲輪の石垣を見ることができ(ただし道は整備されていない)、隣接する山に築かれた観音寺城の遺構も残っています。立雲峡や藤和峠から見る竹田城も素晴らしかったです。
スタンプは竹田駅構内のわだやま観光案内所で押印しましたが、状態良好でした。ついつい竹田城グッズ(カレンダーと文鎮)も買ってしまいました(^^;)
岡崎城
2008年12月13日
72城目。晴れ。前年末に引き続き2回目の登城。
この城は堀が深いのが見どころの一つですし、往時は日本でも有数の規模を誇った城のようです(次回の訪城では城域の広大さを感じてみたいです)。でも何と言っても、最大の見どころはこの城が家康生誕の城であり、江戸時代には聖地として扱われてきたことではないでしょうか。そうなるとどうしても聖的な雰囲気を求めてしまうのですが、本来なかった場所に大手門が再建されたりして俗っぽさが目につき正直に言って残念でした。もっとも、市内には徳川氏の菩提寺である大樹寺や滝山東照宮など聖地としての雰囲気を感じさせてくれる建物が残っています。大樹寺の山門から天守閣が見えるように設計されています。今回は17日に松平氏発祥の地である松平郷にも行き、松平東照宮、高月院、松平城を見学しました。
スタンプは良好でしたが、ここのインクは裏面にかなり滲みました。
鹿児島城
2009年1月18日
74城目。曇りのち雨。
7年ぶり2回目の登城。関ヶ原の戦いの後、築かれた島津氏の居城です。麓の鶴丸城と背後の城山の上山城から成ります。鶴丸城の規模は大きくはなく、本丸と二の丸で構成され、本丸の石垣は低く、堀幅も狭いです。近世の城というより中世の武士の館のようです。城山もとくに遺構はありません。大藩島津氏の居城としてはあまりに小ぶりですが、攻められる心配はなかったのでしょうか。現地の解説版によれば、「城をもって守りと成さず、人をもって城と成す」という薩摩流の思想も影響しているようです。さらに、藩内全域に設けられた外城制という独自の軍事ネットワークも忘れてはなりません。
この城の見どころですが、まず城内の黎明館の展示がなかなか充実していました。また、隣接する私学校の石垣には西南戦争の弾根跡が、城山には西郷隆盛の利用した洞窟が残っています。前回訪れた磯御殿も尚古集成館が興味深かったです。今回の訪城では、島津氏が鹿児島城に移る前の居城であった内城跡(現大竜小学校)、東福寺城跡、照国神社などにも行きました。
スタンプの状態は良好でした。
中城城
2009年1月25日
75城目。快晴。
ANAの特典航空券を利用し、前年に引き続き2回目の登城。
規模の大きさ、保存状態の良さ、さまざまな石垣などから、沖縄のグスクの代表例ではないかと思います。一の郭からの眺望も抜群ですし、アーチ式門も美しいです。ペリーが絶賛したのも十分にうなずけます。この城は14世紀頃に築城され、15世紀中頃に第一尚氏の有力家臣・護佐丸により拡張されたと考えられています。構成は6つの郭から成りますが、石垣の積み方を見ることで、拡張の変遷をたどることができると思います。すなわち、正門のある表側(例の廃墟ホテルのある方面)の南の郭(野面積み・布積み)→一の郭・二の郭・西の郭(布積み)→護佐丸により増築された三の郭・北の郭(相方積み)へと広がっていったのではないでしょうか。
その他、少しわかりにくかったですが、近くには護佐丸の墓もありました。このあと、重文・中村氏住宅に立ち寄り、護佐丸と敵対した阿麻和利の居城・勝連城にも行きました。
スタンプは小型で、状態良好でした。
今帰仁城
2009年1月26日
76城目。晴れ。
沖縄旅行2日目、前年に引き続き2回目の登城です。ちょうどカンヒザクラが開花し、多くの観光客で賑わっていました。
今回は、今帰仁城跡入口のバス停からハンタ道と呼ばれる往時の登城道を利用しました。この城は13世紀頃の築城と言われる北山王の居城ですが、本土の城と比較すれば、これほど古い時期からこれほど広い規模で石垣の城を築いたことに驚きです。防御性はかなり高いと感じましたが、中山の尚巴志に攻められた際に裏切り者が出て落城したそうですね。この城の特徴は、石垣で用いられている石が小さく、積み方も粗いことでしょうか。それにしても、他の人も指摘されていますが、エメラルドグリーンの海、木々の緑、うねるような曲線を描く石灰岩の白い石垣のコントラストが実に美しかったです
この日は帰りに座気味城にも行きました。思ったより規模が小さかったです。
スタンプはゴム印でまずまずの状態でした(色は沖縄の海を意識したのでしょうか)。ここのインクは裏にもかなり滲みました。
首里城
2009年1月27日
77城目。快晴。
沖縄旅行3日目、前年に引き続き3回目の登城。海外交易で栄えた琉球王国の居城です。構造は内郭とそれを取り囲む外郭からなりますが、防御施設というよりは宮殿や王城の佇まいですね。琉球王国は独立国家でありながら、中国と朝貢関係を結び華夷秩序に組み込まれていました。朱色の楼門建築や正殿を見れば、中国の影響を大きく受けているのが感じ取れます。プチ紫禁城といったところでしょうか。識名園でも中国の影響を感じました。他方で、琉球石灰岩を使った高い城壁はグスク特有のもので、独特の曲線美はここでも素晴らしく、相方積みの石垣も見事です。訪城時は、正殿裏の私生活区域を復元中で、工事が終われば再訪したいです。また、那覇市歴史博物館や沖縄県立博物館の展示もとても興味深かったです。いつか琉球国王の王冠(国宝)を見てみたいなぁ。翌日には斎場御嶽にも行き、沖縄の世界遺産群を制覇しました(^^)。
スタンプは北殿で押しましたが、状態良好でした。
大分府内城
2009年3月18日
79城目。晴れ。
梯郭式の平城で、北東部分は本来海に面していました。三の丸は市街地化しています。北東部分には堀と海を分ける帯曲輪が設けられていたのが珍しいです。帯曲輪跡に沿って見る屈曲した石垣群はなかなかの景観だと思いました。みなさんの間では城内にある大分文化会館が不評ですが、私も景観を乱していると思います。この建物を撤去して、埋め立てられた内堀などを復元すれば、100名城に相応しくなると感じます(その後、文化会館が2013年に閉館と聞きました。今後の整備に期待します)。宗門櫓と人質櫓が現存していますが、前者は注意しないと木に隠れて見落としそうです。その他、復元された廊下橋(和歌山城や福井城にもあり)や犬走りも見どころかと思います。
この日は、大友氏館跡、臼杵城それから佐伯城にも行きました。大友氏館跡は今後整備していくようです。大分には、規模はあまり大きくありませんが、味のある城が多いと思います。
スタンプは若干薄めでしたが、まずまず良好でした。
佐賀城
2009年3月22日
81城目。雨。
本丸の北東に二の丸(駐車場のあたり)、西側に三の丸(博物館のあたり)、そのさらに西側に西の丸(中学校のあたり)を配置する平城です。城域の北側には重臣の屋敷があり(県庁のあたり)、城域と屋敷群を幅の広い堀が囲んでいます。外堀は東側を除いて残っており、中には幅が100メートル前後の堀を現在でも確認でき、必見だと思いました。また、現在市街地となっているかつての城内を水路が複雑にめぐっており、往時の縄張り図を見ると、水路は重臣の広大な屋敷などの堀として使われたようです。
現存する鯱の門は予想以上に重厚感があり、復元された本丸御殿の一部もなかなか立派ですね。市内を歩いてみて、外堀を渡って場内に入る城門の跡や二の丸など郭跡、龍造寺時代の村中城跡の説明版が見当たらなかったのが残念でした。この日は大隈重信の生家や江藤新平の生家跡にも行き、翌日は龍造寺家と鍋島家の菩提寺である高伝寺や築地の反射炉跡を見学しました。
なお、スタンプはインクたっぷりで少し滲みました。
2012年4月8日に再訪し、埋められていた東堀が復元中でした。また、蓮池城にも行きました。
島原城
2009年3月29日
84城目。曇り。
熊本港からフェリーに乗船して初登城しました。
内郭の本丸・二の丸の高石垣や5層の層塔型天守など4万石の譜代大名の居城には思えない立派な城でした。そして、このような過分な築城による領民への過酷な負担が島原の乱の要因となったと言われています。外郭についても大手門などの標柱や一部の石垣が市内にあります。武家屋敷跡の景観も全国で有数ではないでしょうか。この日の午後は一揆軍が立てこもった原城にも行きましたが、多くの花見客でにぎわい、有明海の眺望も素晴らしかったです。もっとも、かつてここで凄惨な殺戮が行われたのかと思うと複雑な気分になりました。島原半島にはキリスト教関連の史跡が多く、かつての「キリシタン王国」の面影が伝わってきました。
なお、スタンプの状態はインクが若干薄かったですが、まずまず良好でした。
岩国城
2009年4月7日
86城目。晴れ。
中学の修学旅行以来久方ぶりに訪れた錦帯橋が懐かしかったです。桜が満開で、平日にもかかわらず麓は観光客で賑わっていました。
この城は、麓の土居地区と山上の横山城から成ります。メインの横山城は、江戸時代に築城された城としては珍しく天守閣のある山城です。現在の天守閣は錦帯橋との景観を考慮し、本来とは異なる場所に復興されています。天守閣は日本で最初のいわゆる南蛮造りだったようで、復興天守も三重目と四重面が張り出しています。横山城は一国一城令で破却され荒廃したそうですが、1996年に旧天守台が復元されています。もっとも、山上には、とりわけ北西側で他の曲輪の壊された石垣の石があちこちで転がっていました。その他、近世の山城としては、空堀や竪堀が珍しいと思いました。横山城の規模や保存に向けた姿勢などを考えると、百名城に選ばれた理由が正直分かりません。麓の御土居や錦帯橋も考慮されたのでしょうか。
なお、スタンプは小型タイプで良好でしたが、インクたっぷりでした。
郡山城
2009年5月2日
92城目。晴れ。
ご存じ広島城に移るまでの毛利氏の居城で、念願の初登城です。広島市内からバスで向かい国道54号線を走りながら外を眺めていたら、毛利家重臣の居城であった桂城や鈴尾城の案内板が目に入ってきて気分が高揚しました。下車後にまず歴史民俗資料館を見学し、麓近くの毛利元就などの墓を経由して登山しました。山の中には曲輪の跡地に説明版が設置されていて比較的整備されていると感じましたが、それ以外でもあちこちに削平地が残っていてさすがは全山要塞化された山城だと思いました。また、三の丸や二の丸周辺では崩れた石垣をあちこちで見ることができ、特に二の丸の虎口と三の丸の竪石垣が印象的でした。本丸から尾崎丸を経由して郡山公園に向けて下山する途中に旧本城跡にも行きました。麓の城下町は京の都のように碁盤状に整備されましたが、部分的に屈曲させた道が現在も残っていて興味深いです。ここはいずれ再訪して猿掛城や重臣の居城跡もぜひ見てみたいですね。
なお、スタンプの状態は良好でした。
八王子城
2009年5月26日
93城目。晴れ。
これまで何となく心理的な距離が遠かった城です。北条氏の支城の一つですが、関東を代表する石垣を用いた山城だと思いました。まず、麓の居館地区でボランティアの方の説明を受けながら御主殿跡などを見学しました。安土城を参考にしているようですね。そのあと、山王台に抜ける細い山道を登り、四段の石垣を見ながら要害地区を目指しました。要害地区では本丸、小宮曲輪、松木曲輪を見ましたが、虎口跡が発掘されないのは未完成だったからでしょうか。次に、天守閣があったとされる詰城跡に向かいましたが、この最大の見所は何と言っても大規模な堀切です。
帰り際に北条氏照の墓に行きましたが、その途中に八王子城址歴史資料館に立ち寄りました。これは、北条氏家臣の末裔の方が民間の住宅を利用して個人で運営している資料館ですが、氏照が滝山城にいた頃に着用していた鎧などを展示していてなかなか興味深かったです。
なお、スタンプはゴム印で状態はまずまずでした。
山中城
2009年6月13日
95城目。晴れ。
箱根山中(標高約580メートル)に築かれた北条氏の西の支城。旧箱根街道・国道1号線が城域の中を通っており、ここが過去も現在も交通の要衝であることが分かります。御馬場曲輪→岱崎出丸→すりばち曲輪→三の丸(宗閑寺)→西の丸→西櫓→北の丸→本丸→天守台→兵糧庫のルートで見学しました。
この城は、多くの障子堀や畝堀が見事なまでに整備されており、北条流の築城技術の特徴が非常に分かりやすく把握できると思いました。防備の重点が置かれた西側(西の丸・西櫓)は障子堀と畝堀の併用、他の曲輪にはあちこちに畝堀が多用され、石垣なしの土塁と空堀だけでここまで魅せることができるのかと感心しました。緑の芝と相まって美しいとすら感じました。この城に北条流築城術の粋が集められたのは秀吉との対決を想定したからでしょうが、天下統一を目指す圧倒的多数の豊臣軍の攻撃を受け半日で落城・・・時代は変わろうとしていたのかもしれません。
この時期は空気が霞んでいて、富士山が見えなかったのが残念でした。このあと韮山の反射炉も見に行きました。なお、スタンプは良好でした。
平戸城
2009年8月20日
96城目。晴れ。
新潟の城マニアとレンタカーで訪れました。実は訪城まで知らなかったのですが、平戸市街は平戸島にあって、有料の橋を渡らないと行けないのですね(^^;)。
この城は、平戸港や海を見渡せる丘に築かれた梯郭式平山城で、江戸時代中期に平山城では唯一の山鹿流の縄張りで再建されたそうです。城域は公園になっていましたが、あちこちに石垣が残っていました。狸櫓や北虎口門は現存ですが、天守は模擬天守で本来は二重の沖見櫓が建っていました。もっとも、小ぶりな城ながらも市内から見た天守などの景観が実に美しかったです。
平戸は近世に海外交易で栄えた港町で、城から港を眺めながら港から海を見ながらかつての繁栄に思いを馳せるのもよいかもしれません。港周辺にもオランダやイギリスの商館跡やザビエルの記念像などがあります。交易による古の隆盛を感じ取るのも、この城の見どころではないでしょうか。その他に、松浦藩主の御館跡である松浦史料博物館にも行きました。
なお、スタンプは良好でした。
名護屋城
2009年8月21日
97城目。晴れ。
新潟の城マニアと朝方に唐津城を見学し、そのあと念願の初登城を行いました。酷暑で頭がクラクラしました。
ご存じのように秀吉による朝鮮出兵ため日本における拠点として築かれ、華夷秩序に挑んだ秀吉の野望を象徴する城です。縄張りは、本丸を中心に郭が渦巻き状に配置された三段の渦郭式。石垣があちこちで崩れていましたが、再利用できなくするために江戸時代初期に破却されたからのようです。天守台から玄界灘を眺めたときは、見晴らしの良いこの場所に天守閣を築きたくなるわなと納得しました。登城まで知りませんでしたが、築城後に本丸が拡張されていたのですね。秀吉の居館のあった山里丸の折れを多用した虎口も印象に残りました。城に加えて、木下秀俊、徳川家康、堀秀治、それから豊臣秀保の陣屋跡も回りました。いずれ韓国に点在する倭城にも行きたいです。イカの活け作り定食も美味でした。
スタンプは薄めでしたが、まずまず良好でした。
津和野城
2010年11月20日
98城目。快晴。
広島出張を利用し、2年ぶり2回目の訪城。1年3ヶ月ぶりの城めぐりです。
前回はリフト乗り場近くにある登山口から歩いて登り、南門から鷲原八幡宮へ抜けましたが、今回は皆さんの情報通り熊が出たらしく登山禁止でリフトを利用しました。見学も出丸と本丸付近に限られていました。この城は、竹田城などと比べると規模は小さいかもしれませんが、石垣を用いた近世を代表する山城の一つだと改めて感じました。人質櫓の高石垣もなかなかです。津和野は石見の赤瓦の町並みが美しいですね。津和野城でも櫓の瓦にこの赤瓦を使っていたのでしょう。南門跡付近に赤褐色の瓦の破片が多く落ちていました。黒塗りの下見板と赤瓦を使った櫓群は往時独特の景観を誇ったでしょうね。その他、坂崎直盛の墓がある永明寺や亀井氏の墓地、津和野城の復元模型がある津和野町郷土館にも行き、SLやまぐち号で新山口へ移動しました。
なお、スタンプはインクを入れ替えたばかりなのか、濃いめで少しムラもありました。
篠山城
2011年4月21日
99城目。快晴。
城めぐりは5ヶ月ぶり、篠山城を訪れるは2年半ぶり4回目です。
関ヶ原の合戦後、家康が藤堂高虎に命じて天下普請で築かれた城ですが、豊臣恩顧の西国大名と大坂城の豊臣氏を分断することが築城の主な目的だったようです。城の規模は大きくありませんが、実戦を想定してコンパクトに築かれたことがよく分かる城だと思います。二の丸と本丸の高石垣、二の丸北側の二重枡形、三の丸の幅の広い堀、三つの馬出(大手馬出も一部の土塁が残っています)等々。野面積みの石垣が多いのも急ごしらえであることを感じさせます。二の丸高石垣越しに見える大書院の大きな破風も壮観ですね。残念だったのは、今回も八上城に行けなかったこと。4回も篠山に来ながらいったい何をやっているのでしょうか(^^;)
スタンプはゴム印でしたが、設置場所に備え付けのインクが若干薄いため、黒インク持参をおすすめします。これで近畿制覇、100名城コンプリートまで残り1城となりました。
高遠城
2011年4月24日
100城目。快晴。
新潟の城マニアと週末を利用して飯田城、高遠城、上原城、高島城をめぐりました。狙ったわけではないのですが、有名なコヒガンザクラが見ごろの時期に高遠城を訪れ、桜吹雪の中で100名城を制覇しました。とても幸せです(^^)。
この城は、藤沢川と三峰川に挟まれて形成された河岸段丘の突端に築かれた変則的な梯郭式(環郭式とも言えるか)の平山城です。南信州は河岸段丘が多く、前日訪れた飯田城もこの地形を利用したものでした。この日は、法幢院曲輪→南曲輪→本丸→二の丸→三の丸(大手門)→勘助曲輪→笹曲輪→空堀→搦手門の順序で見学しました。空堀がとても見事で、箕輪城を思い起こさせました。桜の季節は、花見客が多くて城見学には適さないかもしれませんが、城内の見学はほぼできたと思います。山間の小さな城ですが、歴史との深い関わりや美しい自然が非常に印象的でした。再訪の機会があれば、城下町西側の町並みやこの城の遠景を見てみたいです。
スタンプは薄めですが、強く押せばまずまず良好でした。