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メンバー情報

ID3436
名前アラアラカシコ
コメント30年来の城郭ファン。今年(2012)から遂にスタンプラリーに参戦。妻と二人で目指せ百城制覇!
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
五稜郭
2012年9月8日
 すぐ近くの五稜郭タワーから全景が見下ろせます。入場料が840円もしますが、城内に入ってしまうと星形の形状はほとんど実感できませんので、登るしかありません。ただ、ここの展望室からでも、なかなか全景を写真に収めるのは難しく、端が切れてしまうか、窓枠が写ったりしてしまいます。城内は想像していたよりも狭く、一周してもそれほど時間を要しません。
 なお、五稜郭から東北へ3?行ったところに四陵郭があります。タクシーで五稜郭付近から1500円前後の距離です。こちらは建物は何もありませんが、土塁がよく保存・整備されており、また、規模が小さいことから全景を見渡すこともでき、五稜郭よりも雰囲気がありました。写真はあえてその四陵郭を。
多賀城
2016年3月25日
44城目。
遺跡としては面白いが、古代の官衙・政庁跡を「100名城」というのは如何なものか。選者の見識が問われよう。
仙台城
2016年3月25日
43城目。
過去三度訪れているが、伊達政宗像しか印象にない。そこで今回は、仙台市博物館が2015年に刊行したばかりの『仙台城ポケットガイド』を参考に、いつもの大手門ルートではなく、沢門〜清水門〜巽門という巽門ルートを歩いた。本丸では目にしない野面積みの石垣をいくつか見られたのは良かった。
山形城
2017年4月22日
65城目。天童の人間将棋開催に合わせて登城。
 本丸と二の丸跡地が霞城公園として整備されており、山形駅より徒歩10分弱で南門に着く。県庁所在地にありがちな、公園化された近世平城跡と思いきや、土塁で覆われた「土の城」。その土塁の四方に堅固な枡形を成す石垣の門がはめ込まれている。二の丸東大手門と本丸一文字門が再建されているが、この手の城にありきたりな復元物で、感興をそそられない。むしろ、見所は土塁で、二の丸土塁は保存状態が良く、その上を周回できる。
 公園自体はあまり大きくないので城の規模を実感できないが、公園から南東へ徒歩で20分行った先、山形駅東方の街中に三の丸土塁が残っている。ここまで来ると、最上義光が普請した当城がいかに壮大であったかがわかる。
 なお、天童人間将棋の会場である舞鶴山公園は、最上義光によって攻め落とされた天童城の跡地。典型的な戦国山城で、段曲輪や切岸が良好に残る。最近整備されたようで、遺構も見やすい。
二本松城
2016年3月24日
42城目。
城南面の箕輪門は再建に問題があるそうだが、高石垣と巨大枡形は威圧的でなかなかの迫力。
しかしそれよりも注目すべきは5億円を費やして再建した本丸天守台!
巨額を投じて天守台(だけ)を再建とは、新しいパターンではないか。
ただし、天守台までの道のりは思いの外、遠い上に険しく、実は平山城だったと知る。

スタンプは駅の観光案内所と歴史資料館の2箇所にあり。良好。
資料館ではリーフレットが手に入るので立ち寄った方が良い。
会津若松城
2016年3月23日
41城目。
巨大な枡形、武者走りの石垣、現在の天守から大きくはみ出た蒲生時代の巨大な天守台石垣。
……再建天守内の展示は別として、意外に見所少ない?
しかし、白虎隊で名高い飯盛山が強烈!
ここでムッソリーニに出くわすとは。
白河小峰城
2016年3月23日
40城目。
東日本大震災で崩落した石垣を、一個一個、元に戻すという気の遠くなるような工事のさなか。一日も早い復興をお祈りします。
水戸城
2017年2月21日
59城目。
偕楽園の梅祭りに合わせて登城。唯一の現存建造物である薬医門以外の見所は以下の三つ。
(1)三の丸と二の丸、そして二の丸と本丸を分ける巨大堀切。自然地形を利用しているとはいえ、ここまで断崖絶壁のような堀切は他では見られない。前者は道路に、後者はJRの線路に利用されている。(2)大手門(二の丸表門)と橋詰門(本丸表門)に残る枡形の土塁跡。特に後者は水戸第一高校の校門になっており、毎日枡形虎口を通って登校するのはどんな気分だろうか?(3)茨城県三の丸庁舎の西に残る巨大な空堀。徳川権力にかかると土の城もここまで壮大になるのかと感心させられる。
以上、見る価値はそれなりにあるが、遺構は全て断片的で、弘道館や偕楽園とセットでの参観がお薦め。
足利氏館
2016年5月5日
46城目。
確かに四方を堀と土塁で取り囲んでいるが……。
これは「寺」であって「城」ではないでしょう。
これまで巡った城の中で、最も「城」が感じられない遺構。
調べてみれば、栃木には「百名城」の名に値するような城は全く無く、
国宝寺院との「抱き合わせ販売」はやむを得ざる所か。
「一県最低一名城」の原則には少々無理があるとしか言いようがない。
スタンプはインク状態が悪い上に敷台もないので大変捺しにくい。
箕輪城
2017年2月24日
60城目。
戦国の土の城から近世の石の城へと変貌する途上で廃棄された城。そのため、双方の特色を楽しむことができる。見所は、(1)二の丸の南に位置する郭馬出(くるわうまだし)。近年の整備と門の復元で遺構が大変見やすくなった。これ一つで難攻不落の要塞。(2)城を南北に分断する大堀切と、本丸を巡る巨大空堀。どちらも人の手で掘ったとは到底思えない幅と深さを誇る。堀底を散策すれば、その圧倒的迫力を体感できる。(3)随所に残る石垣。関東では珍しい、草創期の野面積みを見ることができる。
その規模と保存状況の良さから、滝山城(八王子市。続百名城選出)と並ぶ「土の名城」と言えよう。
金山城
2016年5月5日
47城目。
戦国の山城とはこういうものか!ということが実感できる城。
広域にわたって発掘された石垣・遺構が再現されており、
要所要所には詳細な説明を記した案内板が立てられ(……詳細すぎてもはや何を説明しているのか分からないきらいはあるが(笑))、戦国山城の構造をじっくり学ぶことができた。
麓のガイダンス施設・当城ともに無料というのも驚きの特典。
太田市のHPにこれも詳細に過ぎる程、当城のあらましを説明したガイドブックがPDFで公開されているので、これで予習し、なおかつこれを携えて歩けば、当城の難攻不落ぶりを体感できよう。ボランティアガイドの方々の「ほとばしる城愛」にも好感がもてた。

なお、スタンプは城を登り切った先の休憩場にある。麓のガイダンス施設ではなく、敢えて山上に置いたのは、「ここまできて見て欲しい」という地元の「城愛」の表れであろうが、如何せん、「落書き捺し」多発のため、スタンプ状態が悪くなっている。やはり、麓のガイダンス施設にて適正に管理すべきである。
鉢形城
2016年4月30日
45城目。
まさに天然の要害。残存建築物はなく、復元建築物も門くらいしかないが、広大な敷地と保存状態の良い土塁から北条時代の堅城ぶりを窺うことができる。城のガイドブックは詳細ながら200円と良心的で、特別展の無料パンフも力が入っている(…文法上の間違いが多く読みにくいのが玉に瑕)。惜しむらくはスタンプ状態が劣悪。要改善。
川越城
2016年1月9日
35城目。
佐倉城
2016年2月6日
36城目。
近世城郭でありながら、石垣のない土の城。
土塁跡と空堀しかないので、ゆるやかな土手と谷ばかりが城址公園を覆っている。
土の天守台というものは初めて見た。
唯一の再現物が土塁の馬出という渋さ。
これはこれで実に一見の価値有り。
江戸城
2014年9月20日
江戸城登城
八王子城
2017年2月27日
61城目。
当城は、主に館があった山麓の「居館区」と山城部分の「要害区」とに分かれる。参観に際しては、要害区まで行くか否か、また、要害区に行くとしてどこまで攻めるか(本丸のある山頂までか、さらにひと山先の詰城までか)の選択を迫られる。今回は初登城なので、要害区は本丸までとした。
 登山口から本丸まで、写真を撮りながらで45分。ストックを使ったこともあるが、砂利道が少々滑りやすいほかは特に鬱蒼とした所もなく、大変登りやすい山道。ただ、縄張りを読み取るのは簡単ではなく、登ってすぐに現れる「段曲輪」(写真左)や、金子曲輪と柵門台の間、右手断崖に見える石垣(かなり崩落)程度しか見所はなかった。山頂には本丸(写真中央)・松木曲輪・小宮曲輪の三つの曲輪があるが、いずれも拍子抜けするほど狭く、一体何人で籠城することを想定していたのか、不思議に感じた。
 居館区では階段状の石垣(写真右)が鉢形城とも共通し、やはり北条氏は高石垣を築けなかったのかと印象に残った。総じて構造を読み解くのが難しい城で、こんな玄人向けの城をよく百名城に選んだものだと思った。詰城まで行けば、また印象も違うかも知れない。
小田原城
2012年8月20日
出張の途上に立ち寄る。
天守に加えて近年いくつかの門も再建され、江戸時代末期の姿への再建が進められています(北条時代ではありません!)。
天守は典型的なコンクリート再建ですが、周囲の諸門によってなかなかの風情が醸し出されています。
スタンプは天守入場後の改札カウンターにあり(入場が必要?)。状態良し。
武田氏館
2017年1月4日
58城目
現在は武田神社となっているが、しっかりと「城」であった。神社(もとの主郭)の東は大手門東史跡公園として、武田氏滅亡後に築かれた曲輪跡が復元・整備されている。また、西側には勝頼時代に増築された曲輪が存在する。現在整備工事中(?)で、奥に入ることはできなかったが、そこをめぐる土塁は特に高く、虎口も内枡形を形成している。信玄亡き後の軍事的緊張を物語っているかのようであった。
当城の詰城に当たる要害山城にもいずれ登城してみたい。
スタンプは拝殿の東にある宝物館で(入場の必要なし)。
甲府城
2017年1月4日
57城目。
JR甲府駅のすぐ南、街のまっただ中に「舞鶴城公園」として整備されている。現存建築物はなく、石垣も多く改変を受けている。しかし、城の南側から見上げる雛壇状の石垣は巨大で迫力があり、幕府権力を誇示するかのようである。
北側には稲荷櫓が木造復元されており、内部が展示スペースとなっている。当城の復元模型が見られるほか、リーフレットとパンフも置かれており、訪れる価値はある。ただし、ここのシャチハタスタンプは状態が大変悪く、インクも薄いので、南側公園管理事務所内のゴム印を利用した方がよい。
上田城
2012年4月18日
「信州三名城めぐり」のツアーにて。山桜が満開で、城門・隅櫓で大変良い写真が撮れました。本丸堀の周囲にも桜並木がありましたがまだ三分咲き。
スタンプは二の丸橋を渡って右手にある博物館の受付。入館の必要はありません。
小諸城
2012年4月18日
「信州三名城めぐり」のツアーで登城。記念すべき1城目。桜の開花前で残念。
スタンプは徴古館の建物内にある懐古園事務所にあり。シャチハタでインクがやや出過ぎ。
松本城
2012年4月18日
「信州三名城めぐり」のツアーにて。三度目の登城。天気が良く、天守が青空に映えて美しかった。
 スタンプは天守入り口の正面に位置する売店内に置いてありました。
丸岡城
2015年10月30日
丸岡城登城。
一乗谷城
2015年10月31日
30城目。
始めに県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館に立ち寄ったところ、国史跡指定45周年の特別展が開催されており、一乗谷の街並みを「洛中洛外図屏風」風に再現したCGを公開していた。大変面白い企画で、狭い谷間の地に築かれた朝倉氏の栄華とその儚さに思いを馳せた。特別展図録『朝倉氏がえがいた夢 一乗谷 戦国城下町の栄華』はその再現図があり必見。
なお、「一乗谷城」とは、正しくは朝倉氏館の背後にそびえる山の頂に在る詰め城のこと。いずれ登城したい。
山中城
2012年8月18日
土砂降りの中、登城。
お目当ての畝堀・障子堀は芝生の緑に覆われ、迫力あるとともに美しくすらあります。
堀跡でここまで感動したのは初めてです。西ノ丸物見台・西櫓跡・西木戸・休憩所付近等からはっきりと観察できます。
ただ、帰り道、溜池での分岐点で道をまちがえ、二の丸に行くつもりが、遠く北の丸へ
出る羽目に。やや標識が見にくいかも。
三の丸跡の宗閑寺には、豊臣・北条双方の武将の墓があります。
スタンプは「山中城案内所・売店」の店先および店内双方にあり。ややインク薄し。
ここには城内の案内図もあり、必携。
駿府城
2012年8月16日
本丸・二の丸跡地が「駿府公園」として公園化されています。公園自体は入場無料。公園東南に位置する東御門と巽櫓が木造復元され、資料展示がされています。こちらの入場には200円かかります。
全体的に「え、これだけ?」と言うぐらい何もありません。城の格から言えば百名城たるは当然ですが、見所から言うと……。わざわざ行くのがためらわれるほどです。
スタンプは東御門を抜けた先にある券売所窓口に。
掛川城
2015年12月29日
33城目。
「我が国最初の本格木造復元天守」を謳うが、二の丸御殿の展示および掛川市教育委員会編『掛川城のすべて』(1996年)の記述を見る限り、その再現根拠はきわめて薄弱というほかない。「木造復興天守」(外見想像)と言うべきであろう。
二の丸御殿は一見の価値有り。
犬山城
2016年1月1日
34城目。
名古屋城
2016年2月16日
39城目。
正門スタンプの状態きわめて良好。
これまでで最も美しい印影。
本丸御殿完成期待。
岡崎城
2012年8月14日
30年ぶりの登城。いつの間にか隅櫓・塀の一部・大手門が再現されていました。
天守は外見の復元も内部の展示も昔から今ひとつ。
ただ、家康館の展示はずいぶんと進化。とくに「決戦!関ヶ原」の展示は力が入ってます。
スタンプは天守入口の受付。スタンプはシャチハタ式ではありませんが、きれいに捺せます。
長篠城
2013年1月14日
13城目。
長篠合戦の歴史的意義をふまえても、近くの古戦場と抱き合わせたとしても、100名城として疑問。選者に選考基準を問い質したい。
伊賀上野城
2016年2月14日
37城目。
高石垣は確かに見事だが、その一番の見所が大変見にくい状態。ただ、ただ、残念と言うほかない。
松阪城
2016年2月14日
38城目。
石垣の残存状況がすばらしい。
本丸(上段下段)・二の丸・隠居丸・希代丸の4つの曲輪の石垣が残る。
しかも野面積み。
御城番屋敷も一見の価値有り。
無料で見られる城の中ではナンバー1かと。
下手な再建物など造らずとも、十分魅せられるという好例。
松阪市民の高い見識に敬意を表したい。
彦根城
2015年6月7日
彦根城登城
安土城
2016年7月31日
48城目
近世城郭の祖とも言うべき城で、登城も感慨深いものがある。
城跡はよく整備されており、大手道の登りが少々キツイ他は別段大変なところはない。ただ、夏場は草木が茂っているので、やや見学に難あり。天守台から臨む琵琶湖、旧総見寺跡から見る西湖は絶景。
復元整備が進められているが、推測に依るところも所々あるようで、『発掘調査20年の記録 安土 信長の城と城下町』(サンライズ出版2009年)に詳述されている。

ところで3件もある周辺施設は統合できないものか?
駅前の安土城郭資料館は天守復元模型(問題の多い内藤案に基づく)はあるが、見るべき物はほとんどなく、情報センターとしても今イチで何のためにあるのか疑問。
信長の館は天守の五・六層を実物復元(これも内藤案)。ただショートムービー「絢爛安土城」は意外に見応え有り。
県立安土城考古博物館は時間が足りなく行けず。

スタンプは駅前の安土城郭資料館で。良好なれど入場料200円必要。
城内にトイレ・自販機・屋根のある休憩施設は一切ないので注意。
観音寺城
2016年11月6日
54城目。
城内全域が石垣化された見所満載の戦国山城跡。「がっかり百名城」だなんてとんでもない!
著名な平井丸虎口だけでなく、北尾根の一帯をめぐればそれが実感できる。大規模な石垣が残る大土塁西端や楢崎丸をはじめ、布施丸や三国丸など随所に石垣を見ることができる。また、大土塁や堀切・切岸・土橋など、山城ならではの遺構もそろう。さらに、池田丸の南、追手道を行った先には見事な大石垣がそびえ、迫力満点。近世城郭だけでなく戦国山城にも関心があり、かつ石垣に美を感じられる人には、これ以上魅力的な城はない。
ただし、全域をめぐるにはトレッキングポール等、ハイキングの装備が不可欠。また、城内に案内図は一切無いので詳細な縄張図も必要(滋賀県文化財保護課のHPがpdfでブックレットを配布中)。林道通過料や観音正寺あるいは桑実寺の拝観料など、お金も少々かかる。しかし、この城の魅力はそれらの労力・費用を超えて余りある。
城内見学に必要な体力を温存するために、行きはタクシーで川並駐車場へ(石段を登る必要なし)、帰りに観音正寺か桑実寺の石段で下山がお薦め。
この名城を見ずして百名城に行ったと言うなかれ!
二条城
2014年5月30日
14城目。
国宝の二の丸御殿が有名だが、その奥に位置する本丸まで行くと、整然とした切り込みハギから成る天守台が見られる。
大阪城
2015年10月5日
28城目。
復興天守もさることながら(コンクリ天守よりもむしろ)、外濠を一巡りすることをお勧めする。徳川権力をこれでもかと誇示する高石垣に圧倒される。特に、石垣がつづら折り状に連なる西南側と、特異な形状をした乾櫓(いぬいやぐら)が載る西北側は必見。
この石垣を前にした西国大名は恐れをなしたことだろう。

スタンプは天守に入城しないと捺せません。また、ゴム印で真ん中が欠けやすく注意。
なぜか緑インクの城は捺しにくいのが多い。
天守ではガイドブック『大阪城 櫓・蔵』がお薦め。マニアック。
篠山城
2018年12月17日
70城目。
 本丸の四方を取り巻く高石垣と大手門の巨大枡形は圧倒的威容を誇り、「さすが藤堂高虎、さすが天下普請!」と言ったところ。ただ、訪問時は三の丸の整備工事が行われており、南側石垣にはいっさい近づくことができず、埋め門から外へ出ることも不可であった。また、高石垣下の「犬走り」もこの城の特色の一つで、かつてはここも散策できたようだが、現在は不可であった。やや消化不良な登城となった。
 東方と南方に残る馬出も必見。
明石城
2015年10月5日
明石城登城。
姫路城
2015年5月17日
16城目。
食事はイーグレひめじ4階のキヤッスル ミレがお薦め。
姫路城が一望できる。

城は大変な混雑だがスタンプは良好。
赤穂城
2017年12月17日
67城目。
天守が建てられなかった天守台は一見の価値有り。しかし、見所はそれぐらいしかない。あまりに現代の造作物が多すぎ、興ざめである。史跡の保存・整備は大事だが、復元が行き過ぎると子供だましな印象しか残さない。また、過去に無料配布したパンフレットを抱き合わせにして有料で頒布しているのも如何なものか。
当城が百名城たる所以はひとえに「義士」の知名度によるものであって、城自体の魅力によるものではあるまい。当城より百名城に相応しい城はいくらでもある。
鳥取城
2016年9月5日
50城目。
再訪の今回狙うは山上の丸の登城。最短距離の中坂コースを選択。二の丸の奥、稲荷神社から始まる急坂を30分ほどで一気に駆け上がる。登山道は急峻でかつ曲がりくねり、足場も不安定な石段。慣れた地元の方は軽々登っていくが、初めての人間には相当キツイ。
しかし、その苦労に見合うだけの価値はあり。崩れかけた天守台に登れば鳥取砂丘も望める絶景が広がる。降りは来た道を避け、ゆるやかな山道が続く東坂コース(長田神社道)をとる。雰囲気は完全に登山。下山後、「クマ出没!」の看板を見て青くなる。山上の丸への登城はくれぐれも入念な準備を。次回はぜひ、秀吉の陣城跡「太閤ヶ平」に挑戦したい。

スタンプは月曜で仁風閣休館のため、市役所一階総合課で。ゴム印だが良好。
また、鳥取市が制作したパンフ『「日本にかくれなき名山」に築かれた城 鳥取城』は登城前に必読。駅内観光案内をはじめ各所で配布。むちゃくちゃ力が入っており、無料のレベルを超える。また、同じく無料配布のパンフ『因幡の山城〜攻防戦の跡をめぐる〜』も是非入手すべき。
松江城
2016年9月7日
52城目。
国宝となった天守のほか、北の門から出た腰曲輪の東にある枡形、天守西南に位置する西の門の枡形にも注目。ともに石垣の残存状態良好。また、腰曲輪から西へ出て松江歴史館に至る途上にも、枡形を備えた脇虎口の門がある。
国宝指定の根拠となった2枚の祈祷札を見ようと歴史館へ行ったがレプリカ展示であった。
資料には国宝指定を記念した『国宝松江城 美しき天守』(山陰中央新報社2015年)、また祈祷札については『祝・国宝指定 松江城天守再発見』(松江歴史館2015年)がある。
スタンプは天守内受付にあるので入城料(個人560円)が必要。状態微妙。緑色のスタンプは何故か難が多い。
月山富田城
2016年9月6日
51城目。
現在山頂部工事のため、山麓平坦部の山中御殿入り口までしか入れない。しかし、切岸・堀切・腰曲輪など、土の戦国山城たる名残はよく窺える。
工事によって山頂部に至るまでの樹木がすっかり伐採され、七曲がり道(本当に急峻!)や山頂の三の丸二段石垣などが丸見え状態になっていた。このあと工事は平坦部へと移るらしいので、まだ時間がかかりそうだが、完了後にぜひ再訪し山頂部へ行ってみたい。……との期待を抱かせた。
スタンプは麓の道の駅「広瀬・富田城」に併設される安来市立歴史資料館で。火曜休館であったが、入口前のデスク引き出しに入っていた。良好。
なお、道の駅は休業日でもないのに営業していなかった。城跡工事中休業なのか?どこにも市の告知なく問題。
津山城
2016年9月4日
49城目
「石垣の博物館」「枡形の鬼」。
建物こそ平成に木造再建された備中櫓しかないが、石垣の保存状態が大変良く城の全貌を窺うことができる。石垣は野良積み・打ち込みハギ・切り込みハギの3工法が見られる上に、とにかく高い!ここまでの高石垣がこれほどの規模で残っている城はあまり類例がないように思われる(熊本くらいか)。しかも、要所には必ず枡形が施され、三の丸から本丸まで四箇所の枡形を経なければたどり着けない。
 この巨城が天下普請などではなく18万石の一地方藩によって築城されたというから、驚くほかない。これまで見た城の中でも印象度は抜群。下手な再現物など全く不要です。どうぞこのままで。
スタンプは本丸備中櫓内にて(そのため入城料300円必要)。非シャチハタのスタンプで映り悪し(このタイプは他に川越・犬山でも使われているが、いずれもかすれて映りが悪い。なんとかならないか)。
なお、同櫓で入手できる『学芸員が作った津山城の本』はきわめて詳細。
備中松山城
2012年7月16日
中国地方城巡り第1弾「岡山・広島編?」。岡山城から移動。すごい山奥。
備中高梁駅を出て右手にある観光案内所で登城口となる鞴峠(ふいごとうげ)まで行くタクシーを手配。
鞴峠からの大手門跡までの登城道はかなりハード。入口にあるレンタルの杖は必須。
スタンプは本丸入口の券売所にあり。状態は良好。
岡山城
2012年7月16日
中国地方城巡り第1弾「岡山・広島編?」。猛暑の中、登城。復元天守はあまりに綺麗すぎて、プラモデルのよう。現存建築の月見櫓を集中的に観察し、天守には登らず撤収。
ただ、城と後楽園とを結ぶ月見橋から見た天守はなかなか。写真も映えます。
スタンプは天守入り口の受付にあり。天守に入らなくても捺せます。
福山城
2012年7月17日
中国地方城巡り第1弾「岡山・広島編?」。倉敷から移動。JR福山駅のすぐ前。
ところが、天守は博物館と同じで月曜休館。入口は固く閉ざされていた……。
しかし、たまたま作業されていた管理事務所の方と遭遇。事務所にてスタンプ捺させて頂きました! 感謝感謝です。スタンプは良好で美しい。
広島城
2012年7月17日
中国地方城巡り第1弾「岡山・広島編?」。鉄筋コンクリートの復元天守の中では比較的良心的な再建ではないかと。ただ、天守内は空調がなく、暑くて仕方がありません。1階売店で売られている図録『広島城壊滅-原爆被害の実態-』は写真が生々しく、資料として貴重。
スタンプは天守1階売店。シャチハタ式ですが、ちょっとインクが出すぎで滲みやすい。
徳島城
2016年10月15日
53城目。
本丸と二の丸がある山上部と、表御殿が置かれていた山麓部に分かれている。山上部はちょっとした山城で、結構な数の石段を登る。山麓部は石垣もあまり高くないが、山上部は高石垣で覆われ、戦闘を想定した堅固な造りになっている。石垣は緑色片石という地元特産の石を用いており、それを野面積みにしている山上部は独特な雰囲気がある。思いの外、見所があった。
なお、当城からバスで西南へ30分行った所に、蜂須賀氏が徳島城を築く前に居城とした一宮城がある(写真3枚目)。こちらは典型的な戦国山城で見応えも十分。当城とセットの登城をお薦めしたい(ただし、結構な山登りとなる)。
高松城
2015年8月5日
高松城登城。
丸亀城
2015年8月4日
丸亀城登城。
湯築城
2015年8月3日
湯築城登城。
松山城
2015年8月4日
22城目。
連立式天守は壮大だが、実は現存するのは天守のみ。それに連結する小天守や櫓は全て戦災消失で昭和43年の再建。ただ、それと気付かせないほど良くできた木造再建ではある。石垣の反りが見事な太鼓櫓も再建。再建建築が意外に多い。この点は城内売店で入手できる小冊子『松山城』(西窪企画編、2007年)に詳しい。
大洲城
2015年8月3日
大洲城登城。
宇和島城
2015年8月3日
宇和島城登城。
高知城
2015年8月2日
高知城登城。
福岡城
2015年12月27日
32城目。
かなりの石垣群が保存され見応え十分。特に天守台の巨大さに驚かされる(写真に入りきらない)。地元では天守復元の運動があるようだが、天守の実在には疑義があり、具体像も明らかではない。根拠なき模擬天守の粗造だけはやめてもらいたい。
建築物としては多聞櫓をはじめ、数基の櫓がある。スタンプの図柄もその多聞櫓。
大野城
2015年12月27日
31城目。
西鉄太宰府駅よりタクシーで登城。百間石垣を見たあと、近くに駐車場がある太宰府口城門跡へ移動し、尾花礎石群・増長天礎石群の建物跡を見学、原口城門へと向かう尾花地区土塁を少し散策。百間石垣は近年大雨で崩れ修築したとのことだが、想像以上に大規模。7世紀の段階でここまでの石垣が積めるとは、大和朝廷も侮れない。
城全体を周回するには十分な時間とストック等が必要か。土塁散策路は急坂多し。
なお、見学・周遊には九州歴史資料館編『太宰府史跡ガイドブック2 特別史跡大野城跡』(2015年)が大変便利。
島原城
2015年9月9日
島原城登城。
熊本城
2015年9月8日
熊本城登城
人吉城
2017年9月6日
66城目。
 JALの「どこかへマイル」で熊本が当たったため、八代城(熊本藩支城。続百名城選出)と併せて登城。
 当城の特徴は、時代を越えた様々な特色を見られる点にある。本丸〜三の丸は中世山城としての名残を留め、枡形をもつ二の丸中御門や御城下門の石垣は近世城郭への変貌を示している。一方、球磨川沿いの長塀や水の手門は、当城が水上交通の要地に建つ「川の城」でもあったことを物語る。他にも幕末に西洋式技法を取り入れた「はね出し石垣」(武者返しをもつ石垣)や、人吉城歴史館地下に保存される地下室遺構など、見所は少なくない。2万2千石の居城とは思えない立派さである。
 ただ、城内に遮蔽物がほとんどなく、また草の茂りもすごいので、夏場は登城に向かないかも。
大分府内城
2016年12月28日
55城目
大分駅前から徒歩で10分程、かつての本丸・東丸・西丸の範囲が城址公園となっている。一重の宗門櫓と二重の人質櫓のみが現存し、四基の隅櫓や大手門、廊下橋が復元されている。
 県庁所在地の街中の城にしてはよく保存されているが、城内が駐車場として使われていたり、パンフがコピーだったり、資料展示のスペースが皆無だったりと、見せようとする工夫・熱意が感じられない。
 大分=豊後と言えば、まず大友宗麟の名が浮かぶが、そもそも当城は宗麟と何の縁もない。これだったら、当城よりも臼杵城の方が宗麟との関係も深く、島城としての面白さも見え、かつ城下町の風情も残っており、はるかに百名城として相応しいように思う。どうも百名城は県庁所在地の城を優遇する傾向があるように見える。
岡城
2016年12月28日
56城目
とにかく城内全体を覆う石垣の量に圧倒される。有名な三の丸の高石垣や大手口もさることながら、家老屋敷や御殿が建ち並んでいた西の丸が凄い。あまりの石垣づくしに、都市遺跡か沖縄のグスクでも巡っているかのような錯覚にとらわれた。東端の下原門や北端の近戸門も迫力があり、それだけで一つの要塞のようである。
 これまでに見た城では松阪城と津山城の石垣が素晴らしかったが、当城はそれをはるかに上回り、今まで見た城は何であったのかと思うほどの衝撃を受けた。兵庫の竹田城は未訪問だが、当城を超えることなどあるのだろうか。
 当城の石垣には「車軸積み」をはじめ、他の城では見られないような多種多様な積み方が見られる。それについては、入口受付で販売されている『岡城の楽しみ方 石垣の魅力』(岡の里事業実行委員会編、200円)に網羅されており、登城前に読むべきであった。 
当城の全貌をつかむには、半日以上の時間が必要である。
飫肥城
2018年9月10日
69城目
 近世城郭の中に中世の山城を取り込んでいる面白い城。かつての山城跡である旧本丸に上がれば、南の松尾丸との間、および東の曲輪との間にかなり大きな堀切を確認できる。
 しかし、近世部分は今ひとつ見どころに乏しい。復興大手門(史料に基づかない想像復元)や松尾丸の模擬御殿(そもそも御殿が存在しない場所に全くの推測で建てた)など、興を削ぐ現代造作物が多い。個人的には延岡城の方がはるかに百名城に相応しいと思うが、城下町の風情を加味しての評価であろうか。
鹿児島城
2018年1月28日
68城目。
 大手門枡形石垣に残る西南戦争の砲弾跡は生々しいが、城の規模としては「これが薩摩藩77万石の居城?」と拍子抜けするほど小ぶり。ブラタモリでは城山を詰城としていたためとその理由を紹介していたが、城山もほとんど軍事機能を持っていなかったことが明らかとなっている。恐らくは薩摩藩独自の「外城制」に基づき、ここで防衛戦を行うことを想定していなかったためであろう。
 城自体にはあまり見どころがないが、必見なのは城内博物館「黎明館」に展示される志布志城(続100名城)のジオラマ模型。驚くほどの精巧さで、1時間見ていても飽きない。山城の特徴が凝縮されている。
今帰仁城
2017年3月18日
64城目。「公共交通機関だけで行く世界遺産グスク巡り」
名護バスターミナルより66番バス。猛スピードで30分ほどで「今帰仁城跡」に到着。しかし、そこからまたもや坂道となり、15分ほどの山登り。グスクは基本的にみな山城なので、徒歩で行くと必ず坂が待ち構えている。
当城の見所は何と言っても大きくうねる城壁。うねる城壁はここまでに首里・中城・勝連・座喜味でさんざん見てきたが、当城はそれらの上をいき、もはや、うねり過ぎのレベルである。しかし意味なくうねっているわけではなく、それは他県の城で言う所の「横矢」を成しており、中国の城壁に見られる防御施設「馬面」(大きく凸状に飛び出した城壁)により類似している。城内に「御嶽」(うたき)と呼ばれる祭祀場を多く有するのも沖縄グスクの特徴である。
入場料400円、歴史文化センターも観覧できる。また、入場券売り場およびセンターで入手できるガイドブックは500円ながら情報豊富でお薦め。
中城城
2017年3月16日
63城目。「公共交通機関だけで行く世界遺産グスク巡り」
30番バスの「久場」から少し戻った先、久場公民館脇の道より登城。傾斜はそれほどでもないがだらだら続く坂道でかなりきつい。20分程で当城の築城者・護佐丸の墓にたどり着く(ここも石段!)。そこからは平坦となり5分ほどで到着。入城料は400円。入口は搦め手に位置しており、正門まではまた距離があるが、カートが運行している。
城は西に向かって凹形を成す三の郭・二の郭・一の郭の各曲輪が一二三段に建ち並び、遠目に見るといかにも重厚堅固で戦艦のよう。ところが、石灰岩から成る石垣は間近で見ると穴が多く、軽くて軟らかい感じを受け、正反対の印象。北の郭にある井戸も必見。石垣山城(神奈川)の井戸郭を彷彿とさせる神秘的な雰囲気に満ちている。
当城を見学後、護佐丸のライバル・阿麻和利の居城であった勝連城も見学。徒歩でやはり25分ほど降り、52番バスの「仲順」より30分ほどで「勝連城跡」に着いた。中城とは対照的な見せる造りでこちらも素晴らしい。
首里城
2017年3月15日
62城目。「公共交通機関だけで行く世界遺産グスク巡り」
那覇空港からゆいレール(モノレール)で終点首里まで30分弱、そこから徒歩5分ほどで首里城公園の西の入口に着く。ここから守礼門まで、城壁を鑑賞しながら散策できる。ほとんどの建造物が戦後の再建であるが、雰囲気は北京の故宮とよく似ており、城というよりは王宮である。
その一方で、城としては、東から中枢へと至る歓会門〜広福門のルートに3連続の枡形虎口を見ることができ、また、うねるように曲がりくねる城壁も見応えがある。ただ、その印象は中城や今帰仁の城壁を目の当たりにした際の衝撃に吹き飛んでしまうことになる。
なお、正殿の観覧は有料で入館料は820円、ゆいレール一日券を購入すれば団体料金で入場可。
杉山城
2019年1月24日
続百5城目。再訪。
 東武東上線武蔵嵐山駅より徒歩で30分弱。スタンプのある嵐山町役場を経由すると40分程。
「土の芸術品」「中世城郭の教科書」「縄張りの見本市」など、本城を賛美する謳い文句は様々だが、「明日死ぬなら、今日杉山城に行け!」と言いたい。本城に行けば、誰もがその技巧に感嘆し、土の城の魅力に目覚めるはずである。何処に立っても必ず守り手の射程に入ってしまう横矢掛かりの巧みさ、何重にもうねる横堀の凄さ。…しかし、本城の謎は、最高の技巧を極めながら、どの部分をとっても規模が小さいこと。実戦用ではなく、城郭見本か何かだったのではないかと素人は考えてしまう。
 とにかく、本城の素晴らしさは文章や写真では伝わらない。一見に如かず!!
菅谷館
2019年1月24日
続百4城目。再訪。
 東武東上線武蔵嵐山駅より徒歩10分少々の距離にある土の城。かつては碌に根拠もないまま鎌倉時代の畠山重忠の居館とされ、そのため未だに「城」ではなく「館(たて)」と呼ばれている。しかし現在は研究が進み、15世紀後半、関東管領山内上杉氏によって今見る姿になったとされる(後北条氏の支城だとする説もある)。
 本郭・二の郭・三の郭・西の郭・南の郭とほぼ城全体が丸ごと残っており、大変な広さである(こんな巨大な館があるか!)。各郭の土塁・空堀も巨大で、特に本郭の北側土塁中央に位置する「出枡形土塁」(要するに横矢)が一番の見所。土の城は縄張りを堪能できるのが魅力。
 城内にある「武蔵嵐山史跡の博物館」は埼玉県比企郡一帯(当城や杉山城を筆頭に土の城だらけ)の城の博物館となっており、「土の城ファン」は必見。駅の逆側に位置する杉山城とセットの参観がお薦め。
興国寺城
2019年1月4日
続百3城目。
 当城が韮山城を差し置いて続百に選出されるとは意外だった。かつては北条早雲(今では伊勢宗瑞)最初の居城として名を馳せたが、それは伝承にすぎず、現在では韮山城だとされており、当城の起源は不詳となっている。また、韮山は曲輪全体に加え支城群や北条攻めの際の陣城跡まで残っており、「山城百名城」にも選出されている。それに対して当城は本丸を東西北にとりまく土塁が残る程度である。
 ところが、実際に足を運んでみて驚いたのなんの、本丸北側土塁がとんでもない巨大さ!高さは10mを超えるであろうか。その土塁が北側でそのまま堀切を形成しており、その堀底もまたもの凄い深さである。ここまでどでかい土塁・堀切は全国でも稀ではないか。見所は本当にこの本丸土塁くらいしかないが、必見である。
 しかしそうであっても、伊豆の国市の力の入れようを考えると、韮山城の選外は気の毒だ。
諏訪原城
2019年1月30日
続百7城目。
 昔から山城マニアの間では有名な城で、遂に念願の登城となった。JR金谷駅から徒歩20分弱だが、途中にある「旧東海道石畳」を再現したという金谷坂が、結構な傾斜な上にボコボコ道で歩きにくく、注意が必要。運動靴でないと大変。
 当城の見所は何と言っても南北に双頭の鷲の如く連なる巨大な丸馬出し。これ単体でも難攻不落感が強く漂う上に、南側はさらに三つの小型丸馬出しを従え、北側でも別の丸馬出しと連結して断崖絶壁に接続しており、突破するために一体どれだけの犠牲を要したのか、想像もつかない。加えて、本曲輪をめぐる内堀の南側、カンカン井戸から水の手曲輪に至る一帯も必見(足下が悪い上に下り坂となるので要注意!)。天然崖を利用して奈落の堀底を形成しており、見上げればあまりの深さに恐ろしくなる程である。やはり実戦を経験した城跡は近世城郭とは一味違う緊張感に満ちており、何時間居ても飽きることはない。
 なお、3月にビジターセンターが開館したとのこと。ぜひ再訪したい。
高天神城
2019年2月20日
続百9城目
 戦国末期、徳川勢と武田勢が5年にわたって争奪を繰り広げた戦国随一の激戦地。実戦歴において当城の右に出るものはないだろう。
 掛川駅より「しずてつジャストライン」バスに乗り20分、「土方」で下車(8:00〜14:00間は毎時2、3本)。そこから徒歩10分少々で追手門に到着。
 当城の特色は「一城別郭」と称されるように、二つの峰を跨ぐ城の構造が東西でまるで違うこと。東峰は断崖絶壁に囲まれるためか、目立った技巧はなく、居住区域との説もある。これに対し、傾斜の緩い西面をもつ西峰は臨戦態勢全開のつくり。中でも南北に長く延びる堂の尾曲輪は西面に長い横堀を擁し、二つの堀切で断ち切られている。特に南側の堀切は鋭くえぐられ、敵兵の進攻を厳しく遮っている。実際、ここで激戦が展開されており、討ち死にした徳川方武将二人の墓がある。また、馬場平から伸びる撤退路「甚五郎抜け道」も必見。左右絶壁のやせ尾根が延々と続く隘路で、武田方武将がここから脱出し勝頼に落城を知らせたという。
 当城は比高差がそれほどなく、城域も広くないので、山城にしては比較的見学しやすい。
小牧山城
2019年1月29日
続百6城目。
 かつては県下でも「変な天守風の建物がある山」くらいにしか思われていなかった二級の城跡だった。ところが近年の小牧市による精力的な発掘調査により、安土城のプロトタイプであったことが判明。「信長の城」として再発見され、俄然注目を集めている。
 山麓から真っ直ぐ伸びた後にジグザグに折れる大手道は確かに安土城に酷似し、山頂からは三段構成の石垣が発掘された。多くは保存のため埋め戻されてしまったが、今でも一部の巨石を見ることができる。模擬天守風博物館に登れば、岐阜城のある金華山だけでなくはるか伊吹山まで見通せる。「ここに登ったら天下取りたくなりますよ」というボランティアガイドの方の説明ももっともである。
 しかし当城の面白さは、「信長の城」であるだけでなく、小牧長久手合戦時に家康の陣城にもなったことだ。その際の改修の跡も多く残り(たとえば山麓をぐるっと取り囲む土塁)、異なる二つの時代相を窺うことができる。4月には新たに史跡情報館もオープンするとのことで、正直、この城にこんなに税金をかけて小牧市は大丈夫かと心配にもなるが、城ファンとしては今後の展開が大いに楽しみである。
飯盛城
2019年2月18日
続百8城目。
 信長に先駆けた「天下人」三好長慶第二の拠点。JR学研都市線の四条畷駅か野崎駅から登城することになるが、「登山コースガイドマップ」によれば、前者はハイキング難易度4で小一時間ひたすら階段を登るのに対し、後者は難易度2であったので、後者を選択(ただし、野崎駅にコインロッカーはない)。スタンプのある「歴史とスポーツふれあいセンター」を経て野崎観音の参道石段より本格登山開始。しかし、これがとんでもなく大変で、南丸虎口まで1時間超、急傾斜の坂や七曲がりの階段など、登山靴とストックを装備していても相当なきつさであった。
 見所は(1)高櫓と千畳敷を繋ぐ土橋。ゆるやかにS字を描く美しい土の造作。(2)本郭から御体塚郭の東方に点在する石垣群。本城が総石垣の「君主山頂居住型」山城であったことを示唆する(信長よりも早い)。(3)御体塚郭北側の堀切。山城としての巨大さを物語る。とにかく上り下りが大変な城で、正直再訪はためらわれる。
 なお、パンフレットは表紙が三好長慶で「三好長慶天下を望む 天上の戦国大城郭」のコピーもカッコよく、是非入手されたい。
 
大和郡山城
2018年12月15日
続百2城目。
 本丸とそれを囲む二の丸の三方(北・東西)の曲輪が城跡公園として整備されている。見どころは天守台と本丸の石垣。荒々しい野面積みの隅石、巨石を用いた勇壮な算木積み、非常に完成された優美な算木積みなど、異なる時代に積まれた石垣が組み合わされている。また、他の城に比べ石が細かく、墓石や逆さ地蔵等の転用石も多く見られるのが特徴的である。その他、二の丸石垣や、散策できる堀底など、地味だが見所は充実している。
 パンフレットは城内になく、大和郡山駅改札口に「郡山城跡案内絵図」が置かれているので、取り忘れないように(柳沢文庫に有料200円のガイドブック有り)。ちなみにスタンプの絵柄も天守台と本丸石垣で、地味だがすごく細かい出来。
延岡城
2018年9月11日
続百1城目。
 見どころは何と言っても「千人殺し」の異名を取る本丸石垣。19mにもおよぶ高石垣の威容は北大手門を抜けると真っ先に目に飛び込んでくる。
 本丸・二の丸・三の丸が城山公園として整備され、各曲輪とも石垣の残存状況が大変良い。「千人殺し」以外にも、北大手門東の石垣や、公園外周西側に位置する二の丸西隅石垣など、見応えある石垣が多く残る。これらは市が発行した「延岡城 石垣マップ」に詳しく紹介されており必携。石垣マニアにはたまらない名城である。