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メンバー情報

ID1108
名前KITAO
コメント2009年5月末からスタートしました。
八王子城を15分で駆け上がったダメージが1週間抜けませんでした。
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
盛岡城
2011年9月10日
石積みが見事。
郭内が迷路になっているので男子高校生が鬼ごっこをしておりました。
ちゃぐちゃぐ馬っこを今度は見に来たいと思いました。
多賀城
2011年9月7日
石碑には靺鞨までの距離についての記載があるとの事。
靺鞨は渤海を指すとの事なので、渤海使は東北経由で来ていたと言う事でしょうか?
仙台城
2011年9月11日
戦国大名から幕末まで残ったためか仙台は他の城とは異なりオリジナリティを感じました。
又、武将おもてなし隊やすずめ踊り等のエンターテイメントも非常にユニークで楽しめました。
仙台市内を見守る伊達政宗像、絵になります。
二本松城
2009年8月19日
駐車場から見える天主、枡形門、石垣が一番格好がよく、そこからの写真撮影がお勧めです。又、二本松なので二本松を撮影するのもお勧めです。

しかし、天主が倉庫になっており、中に二本松少年隊のショー用の張子の虎等が入っており、ちょっと残念感が有ります。

城郭は小さいのかと思いきや、非常に縄張りは広範囲になされており、畠山氏が奥州支配の為に作った城との事で、まあ小さい訳が無いですね。
本丸石垣は綺麗に復元されており非常に見晴らしが良い状態になっております。
本丸まで行くとちょっとした良い運動になります。夏場は着替えを持って行った方が良いかもしれません。

高校生の部活のグループが、城内の公園までランニングをして、その後そこの遊具で遊んでいたのが印象的でした。
会津若松城
2009年8月19日
今は大河の影響で、上杉家特集が中心ですが、白虎隊士の資料を目にすると涙が止まりません。
白虎隊士の悲劇の前には、芦名氏の会津支配も、伊達政宗の勇戦も、蒲生氏の築城の労も、上杉家の四面楚歌状態で猛攻に耐えた事も、霞んでしまいます。

又、松平容保の写真が見れた事も良かったです。

スタンプは売店に有りますが、おばちゃんがレジの後ろで保管しているので、自力で見つける事は出来ません。声を掛けた方が良いと思います。
白河小峰城
2009年8月19日
市のシンボルといった感じの城で、城内が公園となっており、非常に長閑な感じでした。
市内に立派な城郭が有ると、子供の人格形成に影響を与えそうだな等と思ったりしました。

天気は良かったのですが、富士見櫓跡からは富士は見えず、夏だったので雪見櫓跡から雪は見えませんでした。

近くに白河の関が有ったので立ち寄りました。現在は神社になっておりましたので、お参りをしました。
土俵が有ったので四股を踏んで見ました。
水戸城
2009年7月11日
スタンプが枠からずれてしまい、ブルーな気分でのスタートとなってしまいました。
弘道館見学が殆どとなりました。
徳川慶喜が蟄居していた部屋の畳の縁が葵模様だった事に感動。しかしそれは最近観光様に張り替えたとの事。

大手橋の下が道路になっていてその先が升形になっており、堀をそのまま道にしてしまったのだろうと思われます。

その先に水戸黄門生誕碑が有るとの案内が有ったので行ってみると、幼稚園の中に碑が立っておりました。男性一人でカメラ携帯で行く場合は要注意です。
足利氏館
2009年6月7日
足利は関東の小京都を自称しておりますが、雰囲気は非常にあり、足利学校とセットでとても詫びた感じが良かったです。

境内にスタンプが有りますが、朝早く行くと出ていない事が有るので、お札販売場でおばちゃんに声を掛けると出してもらえます。ガイドブックに記載の売店には今は置いていないとの事です。

又、佐野アウトレットが近くに有るので、買い物とセットで訪れるのも有りだと思います。
箕輪城
2009年6月7日
落城を経験した城の為か、何か物悲しさを感じさせる城址でした。
城館跡が長野氏最期の場所との事なので、合掌致しました。

郭跡がきれいな形で残っております。それ程大規模な縄張りという感じがせず、この位の規模で武田軍を数度撃退出来たのは、大将の采配が良かったからか?等と考えながら30分程散策しました。

ガイドブックに載っているスタンプ設置箇所には今は無く、現在の設置箇所の案内(高崎市役所箕輪出張所/車で5分位の所)と、スタンプが押してある紙片が置いてあり「此方を台紙に貼り、代用願います」の案内が有りました。
スタンプラリアーの気持ちが判っていないと憤慨しながら設置箇所に向かいましたが、設置箇所の管理人のおじさんの対応が非常に良かったです。
金山城
2009年6月7日
最初は金山城の存在を知りませんでしたが、物見櫓に上って見える関東平野の景色には素直に感動しました。下野と上野の境に居城を構え、大勢力の攻城にも耐えた力強さを感じさせる城址でした。1時間程、物見櫓でボーっとしてましたが、全然飽きませんでした。

本丸跡近くの石垣および、その先にある日の池が綺麗に復元されており、此方も篭城中にむさい武士が、輪になって雨乞いをしているイメージが湧き、何かユーモラスでした。

関東甲信は全て廻りましたが、一番好きな城址です。
鉢形城
2009年6月7日
城郭地形が綺麗に残った城址でした。
荒川を堀とした地形を利用した城との事なのですが、複雑な作りの為か本丸に辿りつけず、本丸跡地に後で気付きました。ご近所なので又行こうと思います。
資料館は模型や映像等に力が入っており、お金が掛かっているという印象でした。
川越城
2009年6月7日
この日5箇所目で、最終予定箇所でした。
途中で渋滞に会い、5時ぎりぎりになったので、駐車場から疾走しました。
ところが現在改修中との事でずっこけました。しかしスタンプはぎりぎり間に合いました。

改修工事は平成23年まで掛かるとの事です。

城址内に三芳野神社があり、童謡『とおりゃんせ』のモチーフになったとの事です。年に一度民衆が城内の三芳野神社の参拝を許されていたとの事で、参拝後退出を門兵に急かされたので「帰りはこわい」だそうです。 『とおりゃんせ』には怖いイメージが有ったので、とりあえず払拭できました。
佐倉城
2009年5月30日
まずは我が家から自転車で15分程の超ご近所の佐倉城址からスタート。

地元では桜の名所として有名です。
見所は本丸跡の南側土手に立つと、開発された印旛沼の水田が一面に広がっております。
最近堀田公の銅像が出来ましたが、小さくてキュートです。
歴博入口より水堀をずっと迂回すると、南側に高い土塀が有るが名前は『城南堤』。堤防だったのか?
あと、池の方へ下って行くと地元では有名な『階段』が有ります。初めて見る方にはショッキングかもしれません。

ちなみに、佐倉城址から成田方面へ車で10分程の所に本佐倉城址があり、こちらが千葉氏が亥鼻城(千葉城)より拠点を移し、豊臣の小田原征伐までの約100年間居城としております。
拠点移動の理由は鎌倉公方が古河に拠点を移した際に、有力家臣であった千葉氏が水運で古河と連絡が取れるよう印旛沼湖畔に居を移した為とのことです。
こちらも比較的綺麗に遺構が復元されており国指定史跡となっております。時間に余裕のある方は此方にもお立ち寄りを・・。
江戸城
2009年6月14日
やはり押印は楠公像そばの休憩所で押すべきと思います。
しかし、やはり、江戸城はでかい。
石垣の一つ一つがでかい。
きっと人間もでかい人が多かったのでは無いかと思うくらいそれぞれがでかい。
八王子城
2009年6月19日
次の予定が押しており、40分程しか時間が無かったのですが、スタンプだけ押して帰るのは不本意なので駆け上がりました。
想像以上に急坂で、流石に7合目で休憩を入れようとした所、ちょうど7合目で休憩をしていたおばあちゃんグループから「若い人は元気だね〜」という声が聞こえて来た為、期待に応える為、最後まで駆け上がりました。
本丸へ到着。所要時間15分。死ぬかと思いました。
包囲軍が15倍とは言え、この城を一日で落城させるって、余程の精兵だったものと思いました。

ガイドの方が言っていた、本丸から八王子市内を眺めた時、ちょっとした城主の気分が味わえますよと言われたのが印象的でした。
小田原城
2009年10月23日
何と、小田原の象のウメ子さんが9月にお亡くなりになっておりました。
以前訪問時に「ぞうさ〜ん」と声を掛けると寄って来てくれ、日本で一番愛嬌の有る、愛されていた象だったと思います。合掌。
城跡自体は本丸跡と付近のお堀位しか残っておりませんが、天守から見る眺めは小田原での町の見事さが一望出来ます。
資料館の物語の説明スライドが非常に凝っておりました。
街中を見に行かなかったけど、最盛期の土塀等が見れるのかな?等と思いながら小田原を後にしました。
武田氏館
2009年7月19日
ここにはもう何回来たか分からないほど訪問しております。
能楽殿も、武田菱の酒樽も、武田菱の手水も、大樹も、甲府市内の景色も、観光写真撮影用の甲冑も、全て気に入っております。

武田の色は赤ですが、武田神社は白のイメージです。

いつも残念なのが、武田祭りの時の信玄を筆頭に二十四将役が役所のお偉いさんで、いつも老武者をイメージしてしまいます。 公募すれば良いのにといつも思います。
甲府城
2009年7月19日
以前、甲府で生活をしていた際には工事中でしたが、見事な石垣城が復元されておりました。

甲府盆地の中の平城、何か奇妙な感じが致します。

ガイドのおじさんの話が面白く、1時間も立ち話で盛り上がりました。
石垣の説明、板垣退助の攻城戦記は聞き応えが非常にあり、結果最終予定の松本城には行けませんでしたが、それでも価値の有る話が聞けた事は非常に良かったです。
松代城
2010年7月3日
本日北信3城目です。
川中島合戦の武田方の前線基地ですが、私以外にも想像以上に新潟よりで有ると感じる人は多いのでは無いかと思いました。

ほくほく線というのが城郭そばを通っており、大手門の先に踏み切りが有り、城好きで鉄男だったら垂涎なシチュエーションかなと思いました。

資料館で系図を見ていたら、最後の藩主が真田の血筋では無い養子だったので、少しショックでした。
上田城
2010年7月3日
前日の出張帰りからそのまま北信へ直行。
高速料金節約で0時近くまでSAでワールドカップ見ておりました。

北信1城目。
学生の頃から何度か来ているので真新しさは無いものの、2度の徳川の猛攻を凌いだエピソードは何度来ても胸を熱くします。
松本城の様に交通の要衝に有り、且つ攻撃する気力すら沸かせない構えというのが王道の様にも思いますが、やはり猛攻に耐えたというエピソードが有る方が妄想を掻き立てます。
あと、信州はどこでもそばが美味しいですね。
小諸城
2010年7月3日
本日北信2城目。
千曲川を掘とした上野への前線基地と言うに相応しい感じです。
島崎藤村、千曲川旅情の歌、破戒がここで繋がりました。
松本城
2010年7月3日
本日最終登城。ぎりぎり間に合いました。
松本城は駅に近く、車で行くと渋滞が凄い。
深い堀、城郭の形状等、日本を代表する城郭です。
城内の火縄銃に関する説明が非常に丁寧で、銃砲火気の使用を想定した城郭なのかなと思いました。
高遠城
2009年7月19日
現在スタンプは近くの郷土資料館の入口に設置されており、24時間押す事が可能なので、最後に回るのがお勧めです。

又、山梨から行く人は、諏訪で下りて下道を行くのがお勧めです。諏訪→高遠の20kmの間に信号が2つくらいしかなく、高速で伊那まで回るより断然早く到着出来ます。

此方の城跡は桜の名所でも有るとの事で、仁科一族の霊を慰めているのだろうと思いました。
木曽氏が織田勢力に寝返り、織田の大軍に囲まれた仁科五郎の悲しみと、武田家の捨石となる決意が伝わって来る気が致しました。

石垣は無く、土作りの中世城の風が有ります。

北側駐車場には山本勘助の顔出し写真パネルが有るので、必ず撮影しましょう。
岩村城
2010年2月20日
スタンプは資料館にありますが、資料館から徒歩登城すると少し大変かも。
迂回して出丸駐車場から行くと本丸まで近いです。
資料館の中の笑顔の狛犬が一番印象的でした。
城郭は石垣がきれいに残っておりました。一方で相対的に標高が高いので、凄く高いという印象は余りもてませんでした。
近くに農村風景日本一という場所があり立ち寄りました。
岐阜城
2010年2月20日
岐阜駅前でレンタカーを借りてスタート。
城郭が見えてテンションが上がってきました。
ロープウエイで山頂に行きました。壮観です。
数組の老夫婦が遊歩道で登頂しておりました。すごい。

現在織田信長の居館発掘を行なっているとの事でしたが、見つけられませんでした。
山中城
2009年7月17日
あまり期待をしていなかったのですが、本日訪問城の中で一番印象深い城でした。

ここまで畝堀を再現した、諸々皆様の努力に率直に感動致しました。

遺構はほぼ完璧と思われる程再現されており、畝堀の複雑さがやはり見所です。
ここば攻城困難だと思いきや、数日で落城しているとの事。圧倒的物量差が有ったとは言え、当時の兵の胆力は凄まじかったものと想像致しました。

又、一番槍の兵はお調子者で無いと出来ないだろうななどとも思いました。

スタンプは付近売店に設置。一見いつも閉まっている風なので要注意です。
駿府城
2009年7月17日
豪雨の中強行軍で見て参りました。
戦国末期に出来た平城ですというオーラが漂っておりました。この様な遺構が残っている市内に住みたいと思いました。
資料館も充実しており、ものづくり静岡のルーツは江戸初期に遡るのだと感心致しました。

先日の大地震で石垣が崩れたと聞きまして、崩れる前に見れた事を深甚に思いました。早い復興を願うばかりです。
掛川城
2009年5月23日
立派な城でした。遺構もきれいに残っておりました。
案内の皆様も親切でした。
しかし、何か影の薄い城でした。
関が原のターニングポイントになったとはいえ、激戦が行なわれなかったからでしょうか?

レンタカーを借り近くの高天神城に行ってきましたが、此方は天然の要害を利用した山城で、石段も凄く、汗だくで駆け上がりました。武田勝頼がこの城を猛攻で落としたとの事ですが、城を落とす時の采配ってどの様に行なうのだろうかなどと想像してしまいました。
犬山城
2010年2月20日
小牧長久手戦で豊臣方の居城となったとの事です。城郭脇が川になっているので、平時は水運も活用していたのかなと思いました。昔の築城名人の中には、川とか山とかを見ると咄嗟に縄張りをイメージしてしまう人なんかが沢山いたんだろうと思いました。
スタンプの場所は城門上にある管理人室に有りました。聞かないと分からないかもしれません。
名古屋城
2010年2月21日
現在、名古屋城開城400周年イベントで、イケメンが愛知出身の武将に扮装してショーをやってます。甲冑も信長役は南蛮胴を着用する等、結構凝っておりました。
最後の写真撮影会で、女性が前田利家にサインを求めており、ちゃんと『前田利家』とサインしておりました。

城前に加藤清正の銅像が有りました。。。
普通は藩祖義直で有るべきでは?と思いました。 
岡崎城
2010年2月21日
何故か本多平八像が?
又、資料館内でも本多平八の伝記漫画が売っておりました。本多平八の殿の話も、私のツボです。

又、資料館が充実しており、蜻蛉切りのレプリカ、ホログラフの大久保彦左衛門が説明する三河物語等、いままでの資料館の中では一番面白かったかもしれません。
外の柱時計が、鳩時計ならぬ能時計になっており、時間になると家康公が能を舞ってくれます。
長篠城
2010年2月21日
鳥居強右衛門の話は何度見ても泣ける。旗印はちょっとだが・・
一応自然の地形を利用しているが、砦程度でした。これで武田の猛攻を凌いだのは凄いなと思いました。
近くに設楽が原資料館もあります。

この後は関が原まで戻って野宿だ。
福岡城
2009年9月21日
九州10城目。
福岡市内の渋滞が凄く、昼も取らずに東進。
スタンプ設置場所が見つけ辛く、30分位探しました。
コウロ館は、16:30までなので注意です。
石垣が非常にきれいに残っておりました。(野面積みの様な、そうでないような・)
渋滞のストレスを解消するべく、何となく全力疾走してみました。
大野城
2009年9月22日
九州最終城です。
雨が凄かったので、車窓にて周回ドライブ。古城の石垣は確認出来ました。
大宰府資料館でスタンプ押印。確か閉館が16:00なので注意です。

その後太宰府天満宮に立ち寄ると、神楽をやっておりました。此方では盛んな様でして、見入りました。

九州一週、1300km走行しましたが、関東とはやはり習俗などに差を感じ、非常興味深かったです。
名護屋城
2009年9月21日
九州9城目。
現在発掘調査中の本丸跡からは壱岐が見えましたが、対馬は悪天候の為見えませんでした。
しかし、諸侯の在陣跡がはっきりと断定出来ているのが凄い。

資料館は非常に立派で有りましたが、一方で何か恣意的な感じが有りましたが、亀甲船のモデルが有り、昔の海戦が接舷後の接近戦で有った事が伺え、其方は非常に興味深く思いました。
吉野ヶ里
2009年9月22日
九州12城目。
吉野ヶ里は、本当に小さい子供を連れて来たい場所です。
工芸館で、勾玉を作りました。思い入れ一入です。今度は鏡を作りたいと思います。
又、教科書で紹介される鏡について、ずっと抱いていた疑問が判明。模様部位の裏側の平面をこれでもかと磨く事で、本当に顔が見えるようになっておりました。

ここは又来たいと思います。
佐賀城
2009年9月22日
九州11城目。
この後行く吉野ヶ里も含めて、佐賀最高です。
城館は最近復元されたらしく、畳もきれいで、館員の皆様も非常に親切でした。
いち早く近代化に着手した為に激動の明治を乗り越えた先人の努力が伝わって来る資料館です。
展示品は模型が多く、近代工業の先鞭をつけたのは佐賀という認識を持つに至りました。
平戸城
2009年9月21日
九州8城目。
松浦党は倭寇ではありませんが、最近倭寇に興味が沸いていたので、ある意味一番楽しみな城でした。
天主より見える島々、見事でした。30分位ボーっとしておりました。
しかし、これだけ山が多かったら、本当に交通手段は船がメインだったのだろうなーと思いました。
しかし倭寇って、欧米のバイキング/パイレーツに負けない位の威勢を張っていたのに、余り物語りにはなっていませんね。
米国人の友人に倭寇の話(と、日本刀の関係)について話をしたらノリノリでした。
島原城
2009年9月20日
九州7城目。
熊本港より九港?フェリーに乗って島原城へ。移動時間1.5時間。早い!
城はキリシタン弾圧を受けながらも棄教をしなかった方々を賛美する資料が展示。
グロいので子供にはあまり見せたくありません。

教科書に載っている千々石ミゲルが、ローマ教皇より騎士の称号を与えられたのに、最後は棄教、行方知れずになったというのが非常に興味深かったです。

城は天主は見事に残っているものの(復元?)、城郭は小作りでした。
熊本城
2009年9月20日
九州6城目。
すごすぎます。圧倒的存在感。見るだけで戦意が殺がれる長城壁。複雑な石垣で作られた迷路。兵卒の気持ちで登城して8回死にました。
剽悍薩摩軍が、近代兵器装備しても落とせなかったというのが凄い。
加藤清正凄すぎます。谷干城も凄すぎます。
人吉城
2009年9月19日
九州4城目。
石垣、遺構、見事でした。
球磨川も美しく、二の丸跡から見える町の眺めは見事でした。
お堀で、中学生が釣りをしていたのがユーモラスでした。
資料館も小さいながら纏まっており、非常に見所が多かったです。
相良家家老の地下室、何のために作ったのか?怪しすぎます。
大分府内城
2009年9月18日
九州上陸第一城め。
中が公会堂になっておりました。
石垣は残っておりました。
関東では見慣れない鳥がお堀の魚を狙っておりました。
岡城
2009年9月18日
九州2城目です。
高石垣は見事でした。よくぞ積んだと言う感じです。
受付から本丸までは比較的近いものの、全容を見ようとすると1時間以上はかかります。
(確か)二の丸跡からの眺めは見事でした。荒城の月が流れておりました。
又、非常に迷いやすくなっており、何度も行き止まりに突き当たりました。
飫肥城
2009年9月19日
九州3城目。
資料館では伊東氏の治績に関してかなり見事に書かれており、見せる内容になっておりました。伊東氏といえば島津氏に蹂躙されたイメージと、耳川合戦後大友家での風当たりが強かったイメージしかなかったので、非常に参考になりました。
本丸跡は杉が植林されており、キツツキがおりました。
城下町では卵焼きを食べましたが、まるでプリンのようでした。

再び来たい場所です。
鹿児島城
2009年9月19日
九州5城目。
遺構は、お堀と鶴丸城跡の碑のみで寂しい感じでした。元々城らしくなかったとも聞いたことがありましたが、予想通りでした。
薩英戦争で、イギリスが島津家の城と間違えて近くの立派な寺院を砲撃したというのも頷けます。又、遺構はしょっぱいものの帰って薩摩隼人の剽悍さが伝わってくるという意味では却って見所溢れると言えなくは無いとも思います。
資料館は非常に立派でした。奄美を北限とする仮面祭りの風習について興味が沸いたので現在本を読んでます。
桜島はやはり威風堂々としており、大物が育つにはでかい山が必要か?と考えました。
中城城
2012年1月20日
美しい石積み。美しい海岸線。
石垣に登り大声で叫びました。
首里城
2012年1月20日
中国風な城郭が特徴的な首里城。漆塗りが美しい。
清の冊封体制化に有った日本の地域。唯一と行って良い国内異文化経験でした。
満州文字で書かれた印綬には感動しました。

又、食事も非常に美味しく、ソーキそばは是非食べるべきです。