ID | 1444 |
名前 | 姫ちゃん |
コメント | 65歳でリタイアーの際、昔を想い出し、40年ぶりのオートバイのリターン・ライダーとなった。それから6年、国内の主要道路を約16万km走った。現在の愛車はBМWのR1200Cモントーク。ネットでたまたま当会の存在を知ったので、今後は『日本百名城塗りつぶしbyオートバイ』を目指したい。 昭和13年生 寅年男 |
登城マップ |
宇和島城 2010年2月2日 | 百名城塗りつぶしの第1城目は、たまたま宇和島城。この城の天守のウリは、のちに伊達家により修築はされたものの、400余年前の藤堂高虎創建の魂が踏襲され、また災害にあうこともなく、現在に至っているとのこと。コンクリートのハコモノでないのが、うれしかった。 |
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湯築城 2010年2月3日 | 足を踏み入れた瞬間「これが百名城 ???」と、目を疑った。でも、しばらく探索した後、資料館(無料)に入り、ビデオを見たり、出土品をながめたり、この城のいわれを聞いたりするうちに、湯築城の歴史上の価値が十分にうかがえた。資料館が有料なら、ガッカリして帰るところだった。 |
大洲城 2010年2月9日 | 平成16年に天守が木造再建され、同時に天守に連結している各櫓の外壁も改修されたので、その眺めは壮観であった。でも大洲城の最大の見ものは、復元天守内部の城郭建築(木組み)の迫力だろう。再建(にせもの?)もここまで精緻に行われると、十分に値打ちものである。 |
飫肥城 2010年3月17日 | 城内探索の極みは、旧本丸跡周辺の飫肥杉の木立であった。森閑とした樹齢数百年という大木の林立の中で、ゆっくり幾多の歴史の変遷を感じた。城内および歴史資料館等の通行手形は大人600円。揚げだちの『おび天』がすごくおいしかった。 |
中城城 2010年3月20日 | 上ものは何もない石積みだけの城跡であるが、その石積みは「野面積み」「豆腐積み」「亀甲乱れ積み」などと説明があった。いずれも『古琉球時代』を今に残す風情であった。 |
首里城 2010年3月21日 | 規模の大きさと華やかさは見ごたえ十分であるが、どちらかというと見学コースではなく、見物コースである。日曜日とあって観光客は多かったが、8割方台湾・韓国の人と察せられた。デジカメのシャッター押しを頼む時、手振りでも話が通じた。 |
今帰仁城 2010年3月22日 | 高く長く積まれた石垣とそこからの空と海の眺望は、この城の繁栄・衰退の歴史をいやがうえにも感じさせた。歴史文化センターの展示資料も必見である。 |
鹿児島城 2010年3月25日 | 歴史資料館「黎明館」は、月曜日と25日が休館日。ちょうどその日は25日だったが、台湾観光団がバス5台で来るとかで臨時に開館していた。ラッキー!!! 史跡は石垣と石橋だけだった。 |
人吉城 2010年3月25日 | あいにくの雨模様だったので、城址の丘を遠望し、歴史資料館「相良清兵衛屋敷」の展示品をゆっくり観覧した。『館内撮影禁止』。「そんなにもったいぶらなくても・・・」と思った。 |
岡城 2010年3月26日 | 観覧料300円で巻物状のパンフレットがもらえる。それを紐解きながら、また「荒城の月」のメロディーを聴きながら探索した。遠くに九重連峰を眺める石垣の上に立つと、しばし武士(もののふ)の世界(?)に浸った。 |
今治城 2010年4月6日 | 天守閣や櫓などすべて鉄筋コンクリートの再建であるが、春爛漫に囲まれた今治城は勇壮だった。築城の名手、藤堂高虎銅像が目立った。観覧料は65才以上は、400円の2割引。 |
丸亀城 2010年4月8日 | 満開の桜をふんだんに配した高石垣を眺めながら、標高66mの亀山を登りつめると、三重三層の天守があった。小さいながら現存木造の天守閣である。殿様が遠望したであろう「瀬戸の海」を自分も見入った。 |
高松城 2010年4月13日 | 城跡というより「高松市立玉藻公園」である。現在『天守台石垣解体修理工事』が進んでいたが、これが完成し、さらにその上に天守閣が再建されると、恰好がつくかもしれない。入園料は65歳以上は無料。 |
徳島城 2010年4月29日 | 城跡というより、表御殿庭園と博物館の資料が見ものであった。特に博物館の『屏風絵を読む』は、他に類を見ないような圧巻である。 |
高知城 2010年4月30日 | 山内一豊とその妻、さらに板垣退助の銅像が迎えて(?)くれた。現存・再建など見どころ十分である。昼食は、ニンニクとわさびを添えた『かつを塩タタキ』が美味しかった。 |