ID | 9307 |
名前 | せつころころ |
コメント | 石垣を見ると、テンションが上がり、お城に向かって駆け上っていきたくなります。なぜだろう? |
登城マップ |
備中松山城 2017年1月3日 | 2城目。 憧れの天空の城。大河ドラマ「真田丸」のオープニングを飾る石垣、櫓の狭間! テーマ曲を口ずさみながら、テンションを揚げて上る。 巨大な自然の岩を利用して、その上に石垣を積む。見上げるような高い石垣を下から望むと圧巻としか言いようがない。これはもう、お城巡りに、はまっていくなー。 現存天守は、二層二階と小ぶりだが、中に囲炉裏があった。 昭和の天守の修復時には、地元の高校生たちも総出で、石や建材を運ぶなど、力を出してやり遂げたということを特集のテレビ番組で見て感動した。 |
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岡山城 2017年1月3日 | 1城目。 帰省先なので、後楽園には、何度も来たが、岡山城は初めて。 入場口近くの売店で100名城スタンプ帳に出会う。 「最近、日本100名城を制覇しました。」と、いう友達がいたので、(これが、スタンプ帳かー。)と、あまり深く考えずに、かるーい気持ちでスタンプ帳を買う。 今(2018年10月)ではすっかり、はまってしまいー。うーん、こんなことになろうとはー。 |
鬼ノ城 2017年1月4日 | 3城目。 備中松山城の後、国民宿舎に泊まり、翌朝、車で向かう。 どんどん山道が狭くなり、車一台がやっと通れるくらいのところも。たどり着いた鬼上山ビジターセンターでスタンプを押し、駐車場に停めてそこから登山。普通に山道を歩いていると。突然視界が開け、向こうの峰に現れる韓国風の美しい門がー。 白村江の戦いに絡む歴史や、桃太郎の鬼退治伝説がある鬼の城。 |
姫路城 2017年1月9日 | 4城目。 さすが国宝姫路城!圧巻!大きさ、美しさ、完全無敵さにかけて類なし。 城を出てメインストリートで食べたあなごどんぶりの蒸しあなごがふわっふわで、美味。 |
安土城 2017年2月4日 | 5城目。 天主台跡からの琵琶湖を見下ろす眺めは最高!さすが天下を取る人はインスタ映えするいいとこに城造ってるな。 |
観音寺城 2017年2月4日 | 6城目。 安土城の後、向かう。車の?検索のナビゲーションでは見つけられず。民家の家しかないような細い山道の先に発見。うーん、むつかしかった。山の中に遺跡があるが、迷いそうなので、おそれをなして立て看板の説明書きだけ見て帰る。 スタンプは、安土城と同じで、安土駅の横にある、城郭資料館です。 |
竹田城 2017年3月19日 | 7城目。 「夢千代日記」で有名な湯村温泉(写真3)の帰りに立ち寄る。竹田駅でバスを待っている人と話すと、関東から来ていて41城目ということ。「41も!すごいですね!」と感心する。 人気の城だけあり、バスも満員。バスを降りて徒歩で石垣を目指す(写真2)私の大好きな高倉健さんの映画「あなたへ」で、「天空の音楽祭」が行われていたところでもあるので、ぜひ行きたかったところ。 近くに宿を取り、雲海に浮かぶ竹田城跡を見るために、早朝5時にお向かいの山、立雲峡に向かう。6時を過ぎると駐車場がいっぱいになると聞いたため。やはり、5時台では、一番上の駐車場に停められた。 その日は全体がもやっとした霧に包まれながらかすかに見える城だった。(写真1)撮った写真では見えにくいが、肉眼では確かに見えた「天空の城」だった。肉眼ってすごい力! |
二条城 2017年4月1日 | 8城目。 地元、京都では唯一百名城入り。国宝に指定されている二の丸御殿は豪華絢爛。家康の権力を示す政治的意図を表す間取りにも注目。普段は午後4時までしか入れないので、時間に要注意。 |
岡城 2017年5月3日 | 9城目。 竹田駅の近くの城下町を歩く。車で少し行ったところにある岡城で、入場料を払うと、巻物になった説明書きをもらえる。他にはない、ユニークなパンフレット。 ガイドさんに中世からの岡城の歴史や石垣の特徴などを教わりながら、歩く。上に行くと、満開の花をつけた藤棚。横には、滝廉太郎の銅像が。岡城は、「荒城の月」のモデルの城だった。 いろいろ教えてもらったが、一番印象に残ったのは、ガイドさんの娘さんが「しいたけこ」という芸名で吉本興業で芸人さんをされているというエピソード。大分だけにしいたけ。 応援します。「しいたけこ」さん。 |
熊本城 2017年5月6日 | 10城目。 高千穂で前泊し、朝早く出車で出発して熊本城へ。 清正公(せいしょこさま)が建てた有名なお城。地域の人の誇りとするかっこいいバランスの取れた大きなお城。 地震でたくさんの石垣や建物が痛々しい姿ではあったが、お城もお城の前の城彩苑の食べ物街やお土産物屋さんも活気づいている。熊本城がんばれー! 熊本国際観光コンベンション協会の作っているパンフレット「いざ!出陣じゃー」は、、すぐれもの。地震前と後、そして2年後の今という比較でお城の主だったところを写真と解説つきで紹介している。よくわかる! 石垣が崩れたことで、石垣の内部構造がよくわかった、とガイドさん。復興に向けて元気! |
掛川城 2017年7月15日 | 11城目。 平成6年に天守が復元された。幕末期に再建された二の丸御殿は当時のままで中に入ってみた方がよい。夏でも涼しい。お正月の将棋の王将戦はこの中で行われるとのこと。 |
駿府城 2017年7月16日 | 12城目。 暑い日だったので、駿府公園の木陰で休憩しながら、できるだけ日差しを避けて歩く。平成8年に復元された二の丸東御門の中を見る。券売所にあるスタンプはインクが薄いのでしっかり目に押す方がよかったなぁ。お城近くの青葉横丁のおでんがおいしかった。 |
上田城 2017年8月13日 | 13城目。 真田丸で有名になった真田の上田城。櫓門は明治時代に4円で転売されたとか。中にある真田神社には受験祈願の絵馬がたくさん奉納されていた。難攻不落の城ということで、「落ちない」らしい。 真田氏コスプレで6文銭の羽織と兜をつけた猫ちゃんが暑いのにがんばっていた。 |
小諸城 2017年8月13日 | 14城目。 上田城攻めのために、徳川秀忠が兵を集めた城。「小諸なる」ー島崎藤村の記念館がある。 ひっそりと落ち着いた城内に草笛の音がするので行ってみると、草笛の会の方がお城に訪れた人に草笛を教えてくれるワークショップをされていた。 早速、参加して習ってはみたがうまく音は出なかったが優しく教えてもらってよい思い出になりました。感謝。 |
松代城 2017年8月14日 | 15城目。 武田信玄、海津城が前身。真田信之が大阪夏の陣後、移封されその後、真田家が10代の間当主となる。 松代城の近くには、第二次世界大戦終戦前夜に軍の司令部を地下に移すために作られた松代大本営跡がある。終戦間際に軍の司令部や天皇をここに移すという計画で作られていた。 巨大な施設が入る地下豪は、中に入って見学できる。ここにも寄ってみるとよいと思います。 |
松本城 2017年8月14日 | 16城目。 整っている。どこからみても美しい城ですねぇ。 パソコンの待ち受け画像にしています。 天守閣に上がるまでの100分の待ち時間の間、一緒に待っていたバルセロナからの観光客の夫妻と話す夫の横でほとんどわからない会話の一部に反応しながら過ごす。 5重6層の構造や松本城の魅力など、外国の人から、私達が教わる。 外国でも日本の城のコアなファンがいるんですね。 二の丸の堀を復元することを地元の人たちが頑張っておられます。 松本城から、バスで20分くらいの上高地の「ホテル秀峰」のお風呂は、今までに行った中で最高の温泉でした。広くてきれいで露天風呂のつくりも眺めもよし。日帰り入浴可。 |
岐阜城 2017年9月9日 | 19城目。 名古屋城→犬山城→岐阜城と一日で3城目。金華山のロープウェイ乗り場の近くにある織田信長の居館跡の発掘工事がされていた。夕方から登城し、岐阜城の上からは、素晴らしい夜景がー。少し降りたところの展望レストランで夕食を食べながらの夜景も堪能できた。 ここは、夜景スポットになっているらしい。 |
犬山城 2017年9月9日 | 18城目。 大好きなお城です。 名古屋城の後、名鉄で犬山へ。雰囲気の良い城下町の街並みにほどよくファストフードや喫茶店、お土産物やさんブティックなどが並ぶ。若いひとたちが多く来ていた。 お城は、小ぶりだが、さすが!現存最古の天守閣をもつ城ー国宝としての威厳を持っている。天守内は急な階段を上って、一番上の高蘭(ベランダみたいなところ)を歩くのは、ぜひ体験を。手すりが低く、雨水がはけるように廊下が傾いているのでスリル満点です。(私は、景色を楽しむ余裕なし) 平成29年7月の落雷で鯱の一部が壊れた。 人気のお城で、たくさんの人が入っているが、一気にたくさん上っても建物がだいじょうぶかなとちょっと心配。入場制限が将来かかるかもしれないな、という感想をもちました。 |
名古屋城 2017年9月9日 | 17城目。 戦前は国宝第一号だった名古屋城。第二次大戦時、軍需工場が多かったために標的になり、街がひどい空襲にあい焼けてしまったという。図面や資料は正確なものが残されてそれをもとに復元された御殿も立派です。 天下普請だったことが石垣の印などでわかり、中でも加藤清正の普請した巨大な石が組み込まれた石垣は迫力大です。さすが名古屋城。 |
明石城 2017年10月9日 | 20城目。 帰省していた娘が九州に帰る途中に家族で立ち寄った。 お城は駅のすぐ前にあり、現存の巽櫓が解放中で中を見学した。大阪夏の陣後の「一国一城令」の後、4年で作られた付近の城の材料を集めて作った統合の城。一国一城令により、安土桃山時代に3000あった城は約170になったといわれる。 魚の棚歩きや明石焼きもついでに楽しむ。 |
徳島城 2018年1月3日 | 23城目。 阿波の青石の石垣がきれい。 |
高松城 2018年1月3日 | 22城目。 海水を引き込んだ海堀に鯛が泳ぐ。天守閣復元のための署名に協力して帰る。 |
丸亀城 2018年1月3日 | 21城目。 現存12天守のうち、最小の天守。小さな山の小さな天守だけど、360°眺めは抜群! 下からの石垣がどんどん上まで続くさまも美しい。スタンプは天守の中。 「お城まつり」で、大手門をくぐった広場で吉本興業の芸人さんのイベントが見られた。 ゆるキャラの骨付き鶏に会い、お昼は、骨付き鶏のお店へー。若鶏が美味。 |
彦根城 2018年1月6日 | 24城目。 現存天守の破風が美しい。攻守の工夫いっぱいの造り。石垣を駆け上る!いえい! ひこにゃん謎の動き・・・。 |
篠山城 2018年2月4日 | 25城目。 日帰りで篠山城跡へ。西の大名が請け負った普請の城。御殿がきれいになった。江戸後期に老中を務めた青山氏が城主。行ったときは篠山市。今は住民投票で「丹波篠山市」となったらしい。丹波篠山ブランドで町づくりにがんばっている。城下町も雰囲気良くされていた。 雪が残っていて寒い日だったが、帰りに、日帰り温泉「まけきらいの湯」に立ち寄ってぽっかぽか。 |
大洲城 2018年2月10日 | 26城目。 資料と写真に基づき、近年復元された。19mという高さから、復元の許可をとるのが大変だったそう。立派な吹き抜けがあり。みぞれが降る霧の中、幻想的だが、チョー寒かった。大洲生まれの松本零士の原画が天守内に飾られていた。 堀は自然の肱川を利用。後日、肱川の洪水により、大きな被害が報道され、心痛みました。大洲のみなさんがんばってください。 |
宇和島城 2018年2月11日 | 27城目。 大洲城の後、宇和島に入り、一泊して朝から登城。天守は小さめだが、重厚で趣きあり。 天守に登るまでの石垣も、様々な時代のものが見られた。一部、石垣の修復工事あり。 また、山道では存在感のある大きな楠に見とれる。天守閣の前の広場からは、宇和島港が見渡せ、眺め抜群! 手書きパネルのお城の説明がわかりやすい! 夕食は、ホテルの人のおすすめ「穂積亭」へ。鯛めしも他のお料理もとってもおいしくて満足。お店のすぐ横には「穂積橋」という名の橋がある。我が国最初の法学博士「穂積陳重(しげのぶ)」の偉業にちなみ、ここに銅像を建てたいと地域の人が望んだが、本人は「像よりも、ひとが踏み、渡れる、役に立つ橋にしてほしい。」ということで作られたということを、お店のおかみさんから教えてもらった。いい話。 宇和島も水害に遭っていたが、お店の無事を祈ります。 |
高知城 2018年2月12日 | 28城目。 山内一豊の城。築城することになってから、一豊はその進行具合を頻繁に眺めに来たという。わかるわかる。新築の家を建てる庶民も気持ちは同じ。大手門と天守が写真に一緒に収まるのは、高知城だけと教えてもらい、さっそくパチリ!大手門の猪の目の飾りもかわいい。御殿と天守が引っ付いていて天守台がなくじかに天守が建てられている構造も珍しいお城。 雨の多いこの地方に作られた石垣は、水抜きの樋(とい)があちこちにあり、もろくならないような工夫がされている。 近くの「ひろめ市場」は、屋台がたくさんあり、にぎやか。カツオのたたきを目の前であぶってもらっていただく。最高。 |
高取城 2018年3月3日 | 29城目。 比高日本一の山城。車で行けるところまで行き、3台ほど停められる場所に停めて、山に登り始める。山頂の城跡からの眺めは抜群。ハイキングを兼ねてお弁当を持って登っておられる方も多かった。 ちょうど、3月3日だったので、高取町のひな祭りのマルシェがあったり、城下町の家のひな人形が飾られていたりでにぎわっていた。ゆるキャラの遷都君も来ていた。スタンプは観光案内所「夢創館」で。町の人はみな親切にしてくださった。暖かい城下町です。 水平社の創立の日でもあるので、帰りに記念館に立ち寄る。 |
大阪城 2018年3月25日 | 30城目。 ガイドの方が大阪人という感じで、おしゃべりが楽しかった。家康の作った天守台に、復興されたのは、秀吉時代の復興天守。やっぱり、大阪の人は秀吉の方がなじみがあるらしい。 昭和の復興事業は大林組によるもの。そういえば熊本城も大林組やったなぁ。埋められた秀吉時代の石垣が見えるところは開いていなかった。 鏡石が群を抜いて巨大。 |
岡崎城 2018年3月31日 | 31城目。 家康誕生の城。産湯の井戸があった。 桜祭りをねらって行ったので、乙川沿いの桜が満開!夜桜見物や夜の屋台も大賑わいで楽しめました。桜とお城ってホントにフィットしますね。 近くにある八丁味噌の工場見学も楽しく、色は濃いけど塩分は少ないことを知りました。以来八丁味噌のファンです。 |
長篠城 2018年4月1日 | 32城目。 岡崎城の次の日、長篠城へ。長篠の戦いの舞台。桜吹雪に包まれた静かな城址の中でしばしかつての戦いに思いをはせる。 豊橋公園、吉田城を回って帰路に就く。 |
鹿児島城 2018年5月3日 | 33城目。 幾多の政府軍の砲弾の跡が石垣に残る。 西南戦争の最終地。城山で西郷死す。城山から桜島を望む。「せごどん」の初回の子供時代にみんなで登っていた山。 写真は大河ドラマ「西郷どん」でよく出てきた仙巌園。 |
人吉城 2018年5月5日 | 34城目。 700年に渡って相良氏によって治められた城。武家屋敷で井戸のある地下室が発見された。行水施設か? 二の丸、三の丸からの景色は開放的で絶景!杉木立のなかは、一面緑でさわやかだったなぁ。 近くの人吉駅で偶然出会ったSL「貴婦人」も思い出になりました。 次は、宮崎に入り、へ明日、飫肥城へ。 |
飫肥城 2018年5月6日 | 35城目。 午後からの飛行機に間に合うように、宮崎市内のホテルを朝、5時に出発。日南海岸の景色や鵜戸神宮(6時半から拝観可)を見て、かんぽの宿で朝食を食べ、9時ちょうどに飫肥城へ。 静寂ななかにひっそりと佇むお寺のような空間だった。 本丸の跡には小学校が建っていた。 「松尾丸」という建物には、位の高い武家屋敷の室内の造りや家具などがあり、それぞれ楽しいクイズなどによる説明書きがわかりやすい。小学校が隣にあるので、歴史の学習にも利用されているのだろうか?興味の持てる展示内容に感心した。ぜひ、立ち寄ってください。 |
鳥取城 2018年7月14日 | 36城目。 秀吉の容赦ない兵糧攻めでもなかなか落ちなかったという城。他では見たことのない丸石垣(石垣の一部がきれいな球状になっている。)が見られる。 すぐ横にある、豪奢な明治建築の仁風閣は、映画「るろうに剣心」のロケ地になったところ。建築も庭も見ごたえあり。ちっちゃなお土産コーナーで、「お城すごろく」なるものをゲット!幸せな気分。 |
松江城 2018年7月15日 | 37城目。 朝に鳥取を出て、昼前松江城に着く。大手門のまえにおられたボランティアガイドさんが、博識でおもしろいエピソードを交えて一緒に歩いてくださる。 2015年に国宝指定の決め手となった祈祷札の見つかったいきさつについてー 市が500万円の懸賞金を付けて、建立の決め手となる祈祷札を探していたところ、城の近くの倉庫で、市の職員さんが見つけてしまい、懸賞金をあげることができず、その分、今復元をしようとしている大手門の当時の資料の懸賞金になっているそうです。「もし、お家の蔵からでみつかったら、松江市に連絡してください。」と言われました。(笑) |
月山富田城 2018年7月15日 | 38城目。 外国人が好きな美術館ナンバー1の足立美術館から、5分ほど奥にある。 難攻不落の名城として、名をはせる。土砂崩れなどで通行止め多し。 スタンプは、隣の歴史資料館内。 |
松前城 2018年8月10日 | 39城目。 かつて北廻り船の航路が栄えた松前。今はひっそりとしているが、街並みが大切に保存されています。お城の一部に伏見城の建材が使われていたことも初めて知りました。 盆踊りのやぐらがたち、にぎやかに夏祭りが催されていました。 さんきゅうさんのラーメンがおいしかったです。 |
五稜郭 2018年8月11日 | 40城目。 着陸態勢の飛行機から運よく星形が見えました。!ほんまに星形やったんや! 土塁は見晴らしがよく、芝生にはカモメが歩いていました。(真夏の昼間でも快適に出歩ける北海道はいいなー。) 五稜郭タワーでは、上からの五稜郭を眺めるのは必須です。幕末のややこしい(失礼!?)勢力関係もわかりやすい展示で学べるよう工夫されています。1階のボランティアガイドさんに教えてもらい、タワー2階にある食事処で食べたイカの活け造りが最高でした。 |
根室半島チャシ跡群 2018年8月14日 | 41城目。 夫と友達夫婦の4人で行きました。入口が分かりにくく通り過ぎて引き返しました。 鈴木食堂でのサンマ丼と花咲ガニの味噌汁の味はうわさ通り。 海を眺めて、日本最東端にいる!という感覚に浸れました。 |
津和野城 2018年9月22日 | 42城目。 街歩きガイドさんと一緒に登城。リフトを降りて歩くと出丸があるが、工事中で入れず。 途中、「未使用石垣石材」の看板あり。非常に険しい山を台車でもって上がり運ぶ途中でゴロンと地面に落としてしまった石は「縁起が悪い」ということで、石垣として使われなかったのだそう。せっかくそこまでもって上がってもらったのにねー。石垣になれなかった苔むしたさみし気な石たちももぜひ見てあげてください。 本丸山頂からの景色は絶景!津和野の街や周りの山々にうっとりします。急峻な山を下るときのリフトもスリリングで楽しいかったです。 絵本好きな方は安野光雅さんの美術館へ。SL好きな方は、津和野駅へ。私たちの行った日は、神社で夜神楽の奉納があり、岩見神楽も見られました。(500円)調べると、道の駅などでも無料で上演される日があります。迫力満点でおすすめです。 小さいけれどしっとりとした城下町のたたずまい。こげ茶色の控えめな看板のローソンなどー街並み保存が丁寧にされている津和野の街。とても気に入りました。 |
萩城 2018年9月23日 | 43城目。 萩八景遊覧船で海側からの城を見る。石垣はお城のある指月山(しづきさん)を削って出てきた石を使ったと船頭さんから教わる。 城跡に入ると、天守台が思いのほか山の低いところにあるのにびっくり。その代わりにというか、山頂に詰丸という場所を作り、いざという時はそこに籠城できるよう、水なども引いてあったとか。詰丸への登山口も見どころの一つ。 萩博物館のガイドさんの話によると、「萩城下町が世界遺産になったのは、萩城を壊したからなんです。新政府の推進者であった長州藩は、率先して廃城することで、本気で新しい世の中をつくろうとする気概を見せたということが一つの評価につながったといわれます。」なるほど。城跡は歴史を語るー。 |
大分府内城 2018年10月6日 | 44城目。 台風25号の影響で強風の中訪ねると、ガビーン!写真のような立ち入り禁止の張り紙がー。京都から来たのにすぐ目の前の大手門にあるスタンプを押さずに帰るわけにはいかない。 少し躊躇しましたが、よく見ると柵には人ひとりやっと入れるほどの隙間がありました。百名城巡りの人への優しさか? 管理がよくないと不評のスタンプは、赤いスタンプ台が置かれたおかげできれいに押せました。 本丸の中には入れず残念でしたが、周りをぐるっと歩いて観察。内堀と2つの櫓がしっかりと残っていて存在感を示していました。今は、イルミネーション用の鉄骨天守になっていますね。昔の天守は櫓や門を通ってしか、直接上には登れない仕組みは姫路城と同じ。本丸の天守丸の面積も姫路城と匹敵するなど、なかなか立派はお城だったようです。 それにしても、鉄骨天守でライトアップするという斬新さは全国的でもここだけでしょう。天守の上には、二匹のリアル鯱が取り付けてあったのも面白いです。 駅前のスパ「天空の湯」21階の露天風呂からの海・山・街・空は最高の解放感が味わえました。おすすめです。 |
和歌山城 2018年10月28日 | 45城目。 お昼に井出商店で和歌山ラーメンを食べ、30分ほど歩いて、お城の南の岡口門より登城。 天守は昭和33年にコンクリートで復興され、今年60周年。イベントや特別展示があり、復興当時の様子のリアルな映像が圧巻です。天守閣と歴史資料館来館で、クリアファイルがもらえたのが、ラッキー!!(歴史資料館受付にて、ただし、数に限りがあるようです)うれしい特典があるので、今年いくのがおすすめです。 スタンプの状態は良好。城内に無料のミニ動物園もあります。 お城は、御三家の居城らしく、整っていてきれいな庭があります。御橋廊下はたくさんある段差を土踏まずに合わせながら行くとなかなか、足裏によい刺激です。 車いすによる登城を助ける若いボランティア忍者さんも活躍していました。 |
千早城 2018年11月4日 | 46城目。 同好会の皆さんの情報をもとに、まつまささんを目指す。まず、スタンプを押して、名物しいたけうどんをいただく。しいたけの天ぷらがおうどんとあっててほっこりと温まります。(食事・お土産などで500円以上だと、駐車料金が1時間無料。2000円以上だと2時間分無料になります。) 金剛山登山口から登っていくと、石碑と「千早城跡」というちっちゃな矢印プレートがあるので、登山道からそれてその道を歩く。途中なぎ倒された大木なども気にせず行くと広場がー。でも周りには何もなく、先はうっそうとした下り道に続く。 引き返そうかと迷っていると、優しい登山家のお兄さんが地図を調べて、先に行き、道の下の方から「ありましたよー!」と叫んでくれた。喜んで下って行くと探していた「千早神社」と本丸跡の看板(木のプレートでなんと固定されていない。)を発見。写真に収める。 帰りは、神社の下り階段をひたすら下るが、この階段の長かったこと。(ピロ助さん、健脚ですねー!) 中高年は、やはり、登山道から登り、階段を下って戻るコースがよさそうです。 |
広島城 2019年1月3日 | 広島駅北口からの巡回バス「メイプル―プ」(200円)で7分でお城の前に到着。聚楽第、大阪城に刺激を受けた毛利輝元が建てた平城。太田川河口の三角州に建てるため、千本杭という当時の河川工事の最先端の技術や職人の苦労があったことをミュージアムの解説で知る。石垣の石は瀬戸内海から運んだ。貝の殻がまだ残っている所も見られる。 原爆投下地から980m。それまで現存していた天守閣や城内の建造物が壊滅するということは築城当時の人々の予想をはるかに超えた悲劇。天守閣から見える原爆ドームに平和への誓いを新たにする。城内の樹木も、一瞬でほとんど枯れた中、生き残った「クロガネモチ」は、今も大きく枝を伸ばし、可憐な赤い実をつけていた。 お昼は、お好み焼きのテーマパーク「駅前ひろば」の広島焼やカキの鉄板焼きがおすすめです。47城目。 |
岩国城 2019年1月4日 | 48城目。ロープウエイ駅から尾根つたいに300mのところに昭和37年に建てられた復興の城。天守からのパノラマは錦川・錦帯橋・町並みを手前に、後方には瀬戸内海の島々が広がる絶景。数ある天守パノラマの中で、私の中では、今までで最高! 関ケ原の戦いの後、3万石で転封された吉川広家が選んだのは、山城。戦国の闘いが続くとみての選択だった。しかし、1608年築城から7年目の一国一城令により、破却させられる。新築をたった7年で!さぞかし、悔しかっただろうなぁ。錦川の天然の堀はいいけれど、政治の中心地、山側の土地は狭く、時代とともに川の向こう側に町の開発は進む。当然、行き来が不便になり、広嘉(ひろよし)時代、必要性に迫られ、念願の橋(錦帯橋)が誕生する。錦帯橋は当時の城主が予想できなかった城下町の発展が生み出した産物ともいえる。アーチ型になった理由やその後の錦帯橋の歴史は、吉香公園内の「岩国古徴館」(無料)内の解説が大変わかりやすいのでおすすめです。 |
伊賀上野城 2019年3月3日 | 「日本1・2」を誇る高石垣が有名な伊賀上野城。1,2ってどっちなんだろう?ついにわからなかった。石垣の端まで行き、ぞわぞわしながらも下の堀を覗くともっとぞわぞわ感が増した。こんなスリルが味わえるのは、ここならでは、です。、昭和10年に復興の城として作られた城の中は、木造で、いい具合に柱や手すりが黒光りしていて味がありました。木材などもかなりの良いものが使われたのでしょう。3月3日で、城の中に、豪華なお雛様が飾れていたのも格式高い感じでよい味が出ていました。城の中の柱や壁の「忍者」を見つけるのも面白かったです。コスプレのかわいい忍者さんも出没していました。さすが伊賀の里。 |
松阪城 2019年3月3日 | 50城目。スタンプのある歴史民俗資料館(有形文化財)を訪れたら、なんと!「100城制覇と50城目到達の人は、連絡ください。」とのこと。さっそく喜んで受付に行くと、教育委員会作成の地域教材のパンフレット(有料で売っているもの)をいただくことができました。ラッキー!!おかげで城主の蒲生氏郷さんのことがよくわかりました。織田、豊臣から信頼の厚かった武将で、信長の「楽市楽座」を習った「十楽」ということを取り入れた城下町作りで、豪商たちが生まれる場となったこともわかりました。三井家の発祥地でもあるようです。近くに「松阪商人の館」というところがあり、当時のまま昔の和紙問屋である小津氏の豪邸が保存されているので、足をのばして立ち寄られても良いかと思います。(200円)夜は、やっぱり松阪肉。一升びんの宮町店は、なんとお肉の乗っているお皿が回っている「回転焼肉」。珍しいし、少量を選んで食べられるのでお勧めです。 |
津城 2019年3月3日 | 続、1城目。当て込んだわけではないのに、1城目に藤堂高虎が城主の城跡に巡り合うとはー。城巡りに運命を感じる。 |
高遠城 2019年4月5日 | 51城目。 高遠城名物の桜には一足早く、つぼみの木々でした。桜守の地元のガイドさんに城跡と桜について教えてもらいながら歩きました。今年は雪が少なく、桜にとってはよい状態ではないとのこと。冬に降る雪は、水分を蓄えるためにとても重要だそうです。「自然の気候、降雪がそのまま繰り返されることが桜をきれいに咲かせる」という言葉に感銘を受けました。石垣や空堀が少し残っている城跡ですが、桜満開の日には近寄れないほどの人出になります。駐車場は、朝一がねらい目ということでした。 |
岩村城 2019年4月6日 | 52城目。 続日本百名城142番の苗木城に行った後、岩村城へ。歴史資料館でスタンプを押した後、城下町探索。資料館の受付の方がとてもやさしくて、城下町でのお昼ご飯のお店まで説明しておしえてくださった。城下町はNHKの「半分青い」のロケ地「ふくろう商店街」。佐藤健さん達がうどんを食べに来ていた「かんから亭」でうどんとかんから餅をいただく。素朴な味でとってもおいしかった。テレビで見た町の風景を歩くのもテンションが上がる。 日本一高い山城、岩村城跡へは、地元の人に教えてもらって、一番上までラクして車で上がる。中世からの城でおつやという信頼厚い女城主が治めていた。有名な6段壁は、想像よりもコンパクトだったが、どの角度から見ても美しかった。石垣の崩れを防ぐための石垣だったとか。 |
苗木城 2019年4月6日 | 続、2城目。 ガイドさんのSさんと回る。花崗岩の巨岩に懸(かけ)造りで建物が作られていた当時の足場の再建されたものがある。絶景日本一と言われる通り、眺めは圧巻! |
美濃金山城 2019年4月7日 | 続、3城目。山一面の桜満開!桜祭りでにぎわっていた。 織田による東美濃支配の拠点となった城。森氏の居城。森忠政はこの後津山城に入る。 スタンプのある戦国山城ミュージアムでは、「イクササイズ」という、甲冑を着て山城跡を歩くアトラクション他、楽しく山城に親しめる企画が考えられていた。 |
大垣城 2019年4月7日 | 続、4城目。 関ケ原から一番近い城。石垣のほとんどは、美濃金山城から持ってきた石灰岩という。 明智光秀は、ここから戦の様子を見ていた。関ケ原で西軍はここで籠城し敗れた。 春休みで親子連れでにぎわう平和な公園の風景が見られ、ほっとする。 |
赤穂城 2019年4月29日 | 53城目。赤穂浪士で有名な赤穂。 やはり、47士像が参道に並ぶ大石神社の方が有名で、たくさんの人が神社の方に来ていました。大石の屋敷跡の庭や城跡はとてもきれいに整備されて広々としてすがすがしい気持ちになれました。今に残る赤穂城は、1661年に完成しているので、天守閣は作っていませんが天守台は大きくて、登ってみるとそこからは、のどかな田園風景が広がるのが見えます。昔から、藩の財政を支えてきたであろう塩田の広がる風景を想像しました。石垣が一部途切れて切断されているような部分があり、外側の大きな石とその奥の栗石と土塁部分という内部構造が見え、自由に触ったりできたので、わくわくしました。 |
福山城 2019年4月29日 | 54城目。赤穂城→備中高松城の後、、今日の最後は福山城。車は、隣の美術館のパーキングに停めて天守閣に入った時に証明をもらうと、1時間は無料で停められます。 江戸時代になってからの1622年に新たにできた城というので、珍しいなぁと思い、どうしてかとガイドさんに尋ねると、徳川譜代の水野勝成が、家康に信頼されていたこと。当時はまだ、秀吉の影響力ためのある戦国大名を恐れて、西の抑えのためということだった。この辺りは、なるほど毛利の影響が大きい地域だしー。 第二次世界大戦で、街がほとんど焼かれた福山が、戦後復興し、昭和41年にできた復興天守閣や整備された城跡が町のシンボルとなっている。そのことを福山市観光DVD(若い人むけに、楽しく工夫して作ってあります。築城年の覚え方はヒーローピースピースだそうです。)をみて、知りました。鞆の浦やバラ園も素敵なところなので、時間に余裕のある方はどうぞ。 |
備中高松城 2019年4月29日 | 続、5城目。赤穂城の後、車で向かう。秀吉の水攻めと「中国大返し」の現場となった城。遺構はなく、そう大きくもない公園となっているが、資料館に立ち寄ったら、(もちろんスタンプがあるので)展示物見学やお話を聞くことをお勧めします。係りの女性がとても簡潔にこの城の存在の歴史的意義を話してくださいます。黒田官兵衛の策という水攻めの地理的ポイントの「蛙ケ鼻」には一部堤の後が残っています。少し離れているけれど行ってみると、水攻めのイメージが深まり、当時に思いをはせることができました。 |
郡山城 2019年4月30日 | 55城目。毛利元就の居城。スタンプのある歴史民俗博物館は休館日で、門の前に置いてあるスタンプを押したメモをいただいた。やっぱり、足を運んだ証拠に直接スタンプ帳に押したかったなー。 新高山城からの道は、2018年7月の水害で、大きな被害を受けたところで、復旧して通れるようにはなったものの、まだ手付かずの老人福祉施設の建物や土石流で流されてきた大木や巨岩が今にも落ちてきそうな厳しい姿が心に残りました。当時の被害の大きさが、一目瞭然でわかりました。被害に遭われながら、復旧作業にがんばってこられた皆さんの苦労はいかほどだったでしょう。 郡山城には、着くのが遅くなったため、毛利のお墓と「三矢の訓」の碑のみ見て、宿へ向かいました。 |
三原城 2019年4月30日 | 続、6城目。 中国地方城巡りの2日目。福山から出発して、45分で到着。みなさんの感想と同じですが、やっぱりここの見どころ?は、本丸跡を容赦なく突っ切る新幹線。ホームの中から天主台へ続く階段の写真と天主台の脇をゴーとうなる新幹線通過の瞬間をビデオに収めて、当時の開発の勢いに(うーーん・・・)と、複雑な思い。ここは、隆景の最後の城。石垣や建物に新高山城を壊したものが再利用されていたという。戦いの名手、小早川隆景が考えた地形を生かした「浮き城」、現在残っていたら、素晴らしい観光名所になっていただろうなぁ。 みはら歴史館でもらった資料とおまけにもらった「マンホールカード」。それ以来、夫はマンホールを見つけると写真に撮るようになった。 |
新高山城 2019年4月30日 | 続、7城目。 1552年に小早川隆景(毛利元就の三男)が作った山城。小早川家に養子に入った時は、向かいにある高山城にいたが、こちらの方が、城に向いていると、1年後に城替え。 雨なら登城をやめようと思っていたが、曇りだったので登ることに。同好会情報で、「登山と思った方がよい」ということで、中高年夫婦としては、気合をいれて、登り口の杖を借りていきました。人がいなくて、鳥の声が迎えてくれる新緑に包まれたよい山。途中に、三原城建設時に運ばれた石垣に使う石の残りがゴロゴロしていて、歴史を感じさせてくれます。30分ほどの登山の後、詰丸跡から見る景色は圧巻で、ご褒美の音声アナウンスを聞きながら、三原名物タコのおにぎりを食べました。最高ですね! 見ると、ここでも、高山城と新高山城をぶち抜いて新幹線の線路がー。恐るべし新幹線! 石垣、天守閣といったフォトジェニックな美しさから城にひかれて始めた城巡りですが、山城も魅力があるなーと、興味が広がりつつあります。うーーん城は深い。 |
津山城 2019年5月1日 | 56城目。これで、中国地方の100名城、制覇!!やったー!! プチ達成感。 お城近くの駐車場はあまり大きくない。「待ち」のある時は観光センター前に停めた方がよいかも。 森忠政(森兄弟の9男、末っ子)が、関ケ原の後、作った城。廃城令により、建物はなくなったが、2017年に8億円をかけて、備中櫓が復元されている。写真3枚目は、備中櫓の瓦。アゲハ蝶の紋は池田氏。森の娘が池田氏に嫁入りしたので、その二人を迎えるために建てられた櫓だからだそうです。ガイドさんに着目ポイントを教えてもらいながら、見ると、忠政が13年もかけて、攻守を考えて工夫を凝らして作った跡が確かめられた。時間に余裕のある時は、ガイドさんと一緒に回ります。今までに知ったことと新たな知識が結びついて、「あー、なるほど!そうだったのか!」と、疑問のひもがほどけてとける感動と同時に、帰ってから考えると、また新たな疑問が生まれます。その好奇心が次への城巡りの旅のエネルギーにもなるものだなぁと実感。城巡り楽し! |
出石城・有子山城 2019年5月2日 | 続8城目。 中国地方100名城制覇の旅の津山城跡から京都への帰りに、訪れた出石城。何度か来ているが、今回、初めて登城。実は、「そば」は知っているが、お城の存在は以前は気にしていなかったです。予想通りのGWの大賑わいで、広い駐車場に入るのにも30分ほど待ちました。 城跡として残っているのは、石垣で、二つの櫓は昭和に復興再建されていて中にも入れません。石垣は、初期の野面の素朴さがよい感じです。有子山城は、山名氏が作りますが、秀吉によって滅ぼされます。観光客はたくさん登山口までは登っていますが、ここから先は、城マニアの聖地「これ、どこ行くの?」という感じで、誰一人、登ろうとしません。私達も、旅の最終日で、根性がなくて、登山はあきらめ観光センターで、スタンプを押した後、ソフトクリームを食べて帰路につきました。残念ながら、スタンプインクがよくなくて、綺麗に押せません。良いものに変えてもらえると嬉しいのですがー。「皿そば」もちろん食べました。 |
小谷城 2019年6月8日 | 57城目。山の中腹に「小谷城址」という看板があるので迷わずたどり着けた。大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」になった浅井家の居城。駐車場から山王丸まで往復約1時間。資料館でスタンプを押した後、ガイドセンターから番所まで、車で登る。(車は4,5台停められる。)下から歩くとかなりきつい登りだそう。車を置いてから約20分、「熊、カモシカに注意」の表示にビビりながら登る。きれいな連郭式の縄張りが整った山城で、馬洗い池、刀洗い池などの場所に今も水が溜まっている。良かったところは、?桜馬場跡からの見晴らし。向かいの虎御前(おんまえ)山には、織田軍が対峙していた。お互い、どんな様子で敵陣を見ていたのかと想像をめぐらすことができた。?途中の崩れた石垣。秀吉が攻め込み、ガタガタに崩していったそうで、登りづらいスリリングな登山道となっている。回り込んだところの大石垣は秀吉が見落としたのできれいに残っているそう。ガイドセンターのSさんの話では、400年経って、木々が生い茂る山になっているが、当時は刈り込んであり、絵図のような様子だったとのこと。山城のイメージがだんだんもてるようになってきてうれしい。 |
八幡山城 2019年6月8日 | 続、9城目。八幡山ロープウエイで山頂駅に着いたところにスタンプがあります。そこから1周歩いて30分の城跡散策。秀吉の甥の秀次の居城。秀吉の子鶴丸の死去により、後継ぎにと託されたのが秀次だが、その後、秀頼の誕生により、その地位が変わり、秀吉とも仲が悪くなったとか。 面白かったのは、戦国初期の城らしく大小の石を武骨に積み上げた野面積みの石垣が各所に見られること。素晴らしいところは、西の丸跡からの絶景。眼下に広がる景色は息をのむほど美しい!この季節は、稲の緑と麦の茶色の自然のコントラストがかわいらしい。「恋人の聖地」「LOVE」などのオブジェがあって、城跡だけど今ではいろんな役割をもってるんやなぁと感心。 |
鎌刃城 2019年6月8日 | 続10城目。スタンプ置き場のカフェギャラリー原右衛門までは行けたが、その後の車での道を探したが見当たらず、(地図にある「42ガード」は、鉄の網の門が閉まっていた。いけるのかなぁ?)小谷城登城の後で、時間も遅くなってきたので、カンパをおいてスタンプのみ。ここが、中山道の宿場だったとは初めて知った。4月に馬籠に行ったがその延長にあったのかー。旅したところがいろいろ繋がると面白い。地元の方の作ってられるパンフは、とてもきれいで読みやすかった。行けなくて残念ですが、鎌刃城のことがわかりやすく書かれていて親切だと思いました。 |
玄蕃尾城 2019年6月9日 | 続、11城目。ランガーさん他、多くの方の情報が助けとなりました。ナビに乗っていない場所はこのサイトが本当に頼りです。余呉湖方面から、「トンネルを抜けたらすぐ右、すぐ右」と言いながら暗くて狭くて長い恐怖の柳瀬トンネルを走ります。予想していたので、標識を見落とすことなく、一路、山道へ。1.5?ほど行ったところの左手にあるスペースを駐車場かと迷いましたが、違います。まだ、行けます。大丈夫です。とにかく突き当りまで行ったところが、駐車スペースです。スタンプ置き場と簡易トイレがあり、そこから登山道が始まります。 20分ほどは、かなり勾配がきつく息が上がりますが、頑張ると、上にはすばらしい光景を見ることができます。わかりやすい縄張り。美しい幾筋もの堀と土塁のフォルム。櫓の礎石もはっきりと見えます。柴田勝家が戦わずして去った城なので、そのままの形が遺ったのだそうです。保存状態の良さに感激しました。子ども達が、「いくさごっこ」をするとしたら、一日夢中になること請け合いのすばらしい場所です。 |
佐柿国吉城 2019年6月9日 | 続、12城目。ナビ通り、表示もわかりやすいところでした。歴史資料館でスタンプを押して、DVDで学習して、綺麗な庭を見ながらお茶をいただいて一服。なごみます。かなりの時間になってしまったので、登城に1時間かかるという山には登らず、帰路につきました。今回は1泊2日、湖北と福井の5城巡りの旅。全部山城だったので、よく運動しました。そのうち2城は、登れなかったけど、まぁ、よくがんばったかな。山城跡は、ひっそりとしているので、そこで登っている人に出会うと同志のような親近感から、つい声をかけてしまいます。百名城巡りの方がほとんどなので、励まし合えるのもうれしい瞬間です。 |
一乗谷城 2019年9月14日 | 58城目。北陸城巡りの初めに行く。立体復元された戦国の城下町「復元街並」がわかりやすく見ごたえがあった。武家屋敷や町人や商人の家に、昔の衣装を着た町民に扮する人たちの演出もあり、楽しく見て廻ることができた。その当時の朝倉将棋特有の「酔象」という字の将棋の駒造り体験などもさせてもらえて、お土産にいただけた。山の一乗谷城跡には時間の都合で行かなかった。街並みの土台の焦げた石垣には、当時の織田信長による焼き討ちの激しさが思い浮かぶ。石垣は語る。 |
丸岡城 2019年9月14日 | 59城目。現存12天守の一つ丸岡城天守。最古の天守の説が犬山城と分かれているところ。屋根瓦が全部石瓦というのが珍しい。昭和23年福井大地震で倒壊。その後30年に復元修復。犬山城と同じような、急な勾配の階段の上りは、登山用のロープのようなものを手にもって。テンションがあがるぅ!お向かいにある「一筆啓上、日本一短い手紙の館」は、「一筆啓上火の用心,お仙なかすな馬肥やせ」と陣中から本田作左衛門が書いた名文の手紙をモチーフに誕生。文化を発信地として手紙コンクールが行われている。私が気に入ったものは写真の手紙。時間があればぜひ立ち寄り言葉に命を吹き込む手紙文化を今一度見つめなおせるように思う。 |
福井城 2019年9月14日 | 続13城目。まず、鳥越一向一揆歴史館に行き、ビデオ上映までの30分間で、車で山の上の城跡を見る。有名な加賀一向一揆の拠点であった鳥越城。中世に100年に渡り、何度も戦いながらも立ち上がり、「百姓の持ちたる国」を築いたこの地域。蓮如の影響を受け、「南無阿弥陀仏」と唱え、結束を固めていった宗教的武装集団もついには信長勢に攻められ、壊滅していく。手取川の河原ではりつけにされた300人の血で、残雪が朱色に染まったと伝わる徹底した残党狩りまでするほど、その集団の勢いを信長勢は恐れたのだろう。 宿に向かう県道で、一人の若い女性をみかける。さっき、山城で出会った百名城仲間だった。(旅は道連れー)と、「良かったら車に乗っていきますか?」と声掛けして、目指す駅まで送って行った。東京で働いている中国の女性は日本語がとてもお上手。日本の歴史にも詳しく、日本の戦国時代が好きで、一人で公共交通機関で城巡りをしているという。すごいなー! |
鳥越城 2019年9月14日 | 続14城目。加賀一向一揆の拠点となった鳥越城。まず、鳥越一向一揆歴史館へ行き、ビデオ上映までの30分間で、車で山の上の鳥越城を目指し、急ぎ足で、城跡を回る。蓮如の唱える「南無阿弥陀仏」で団結し、100年に渡って「百姓の持ちたる国」を築いた加賀一向宗。その団結力に信長勢も手を焼いた。ビデオをみて、帰りの途についていると、先ほど城跡を一人歩いていた女性を見つけた。声をかけて、目指す駅まで一緒に車に乗ってもらった。中国の若い女性で日本語も上手。日本の歴史にも詳しい。職場には同じ趣味の人がいないので、一人百名城をめぐっているという。すごいなー!お互い、がんばろう!! |
金沢城 2019年9月15日 | 60城目。大河ドラマ「利家と松」のはやっていた時に登城し詳しくガイドしてもらった名城。でっかい!今回は、スタンプのみで、雰囲気の良い金沢の街歩きを楽しむ。 |
高岡城 2019年9月15日 | 61城目。加賀2代藩主の前田利長の城。キリシタン大名で築城の名手の高山右近による縄張りと言われている。広大な面積と大きな水濠が特徴。また、一国一城令により、廃城となるが城跡は守られ、ほぼ当時のままの縄張りが残されている所がすごい。明治の初めの払い下げの波にも負けず、熱心な市民たちによる保存運動のおかげで今もなお、古城公園として市民の憩いの場になっている。「明丸」にある動物園には、お話しするインコや美しいフラミンゴが子どもたちに人気だった。レアなポケモンもゲットできるらしく、博物館前には、スマホに見入る人たちもたくさんいて、目的は様々だけど、城跡の公園があってよかったー |
七尾城 2019年9月15日 | 62城目。謙信が欲しくてたまらなかった巨大山城。攻め落とせたことに感激し、読んだ詩が今も詩吟として歌われる。ガイドさんと一緒に、よく残っている石垣や堀切の跡を約1時間、説明をしてもらいながら、トレッキング。七尾城は単に立てこもりの砦ではなく、日常的な生活や政治活動をしていた拠点城郭であった。攻め落とされたのは、生活の道を封鎖され、汚物などの処理がままならず、疫病がはやったことも大きいらしい。そして、地元の有力者による裏切りも絡むという、戦国時代ならではの策略やどろどろした駆け引きもあるという。おもしろい!山の上から、七尾湾を見下ろす景色が抜群の絶景!!信玄の気持ちわかる!ここから車で約20分の和倉温泉「総湯」は日帰り温泉。大人440円で、広くてゆったりできるのでおすすめ。ごはんは居酒屋「福ちゃん」。能登の魚を知り尽くしたマスターのこだわりのお刺身や姿揚げがたまらないです。 |
大野城 2019年11月3日 | 64城め。はじめに資料館に車で乗り付けました。ナビに沿って走ると対向車との行き違いが難しいほどの細い道でした。説明を聞いて赤橋から山道を車で登りました。展望台から見渡すと、水城から玄海灘方向が広々と見渡せました。各地から防人として徴用された人々が、白村江の戦いで、百済とこれを支援した大和朝廷が敗れ、それを契機に新羅から攻め入られることを食い止める要塞で働かされ戦わされようとしていたのだなと思いを馳せました。現代、米国軍を集団的自衛権に立つ自衛隊が遠い国で支援する約束の軍事同盟ですが、手痛い仕打ち−動員される日本国民も命を危険に晒すようなことが起こらないことを(集団的自衛権に立つ軍事同盟の破棄を望むことを)景色を見ながら思い返しました。(恐縮です。このメモは夫が書きました。) |
福岡城 2019年11月3日 | 63城目。11月3・4日の1泊2日で、福岡、佐賀の4城を回るやや強硬ツアーを計画。しょっぱなは、福岡城。博多近くの公園でやってたタイのフードフェアで腹ごしらえした後、お城へ向かう。黒田官兵衛の息子、長政が築城した城。朝鮮出兵の時に長政が朝鮮で見た堅固な普州城を模範として築城。12代、270年に渡り黒田の居城となる。多門櫓、天守台跡を見る。観光ガイドブックには載らないが、歴史的には、城跡にある「鴻臚館」は必見!平安時代の外交施設として、歴史的に大きな役割を果たした。ここから太宰府政庁まで、当時の土木建築技術を駆使して、10?の広い直線道路を作ったのは、朝鮮や中国からの情報をいち早く太宰府政庁に伝えるためという。遺跡の発掘の跡や展示物もわかりやすく工夫してある。 |
吉野ヶ里 2019年11月4日 | 65城目。21年位前に大学入試の仕事関係で業者さんのツアーに乗って一度訪問したことがありました。物見櫓が記憶に鮮明です。元々その物見台が高すぎないかと懸念がありました。ガイドさんに尋ねると、広さは発掘から分かるけれど、高さは後世の想像です(と思います。が私は単なるガイドであって専門家ではないので詳しくないけど)とのことでした。また確かめたいと思いますが、やはりあの高さは、発掘調査者の贔屓目だったのでは、との思いを新たにしました。(物事を斜めから見すぎ?)エヘヘ。(恐縮です。このメモは配偶者がいたしました) |
佐賀城 2019年11月4日 | 66城目。城の前に鍋島氏の大きな銅像が目印のようにある城。大きな鯱の門は二重二階の櫓門。屋根に乗っている青銅の鯱は約20トンと聞いて驚く。佐賀の乱(明治7年、江藤新平ら不平氏族による明治政府への反乱)の際に政府軍の攻撃に遭い、撃たれた弾痕も見つけた。復元された本丸御殿がすごく立派で、工夫が凝らした展示もすばらしかった。この日は佐賀の気球フェスティバルが帰りに見られるかな?と楽しみにしていたが、強風のため中止に。残念! |
山中城 2020年2月8日 | 67城目。これで、近畿に続き東海地方制覇。戦国末期の石垣を用いないスタイルの最後の山城と言われる。土塁や障子の格子模様のような障子堀り、畝堀が資料に基づいて再現されている。土塁のフォルムも大変美しく、景色として癒される。とはいえ、戦いのことを想像すると、この堀でどれだけの人が命を落としたのだろうとも思うが。天気が良ければ富士山の絶景も見えるがこの日は雲がかかっていた。山の地形を活かした堀の作り方や水の引き方など、あれこれ工夫して作ったのだろうな―と思いを馳せながら結構な距離を歩く。秀吉の攻撃に備えてせん崎出丸も作ったが、兵器や兵力の格段の差で一日(半日)で落とされてしまった城。トレッキングに丁度良いこともあってか、犬を連れての見学者が多いのも、城では珍しくて面白かった。 |
小田原城 2020年2月9日 | 68城目。御殿場のホテルから箱根観光の後、小田原城へ。途中、渋滞のため予定滞在時間が押し、帰りの新幹線の時間までの1時間ちょっとでの見学。短い時間にも関わらず、ガイドさんが一緒に回ってくださりありがたかった。初代北條早雲は鎌倉時代の北条とは関係なく、元は伊勢という名。力はあるが名前が知られていないため、威厳のある「北条」の名をもらい、家紋も北条氏のものをやや変えてアレンジ(ほぼパクリ?)したという。惣構えと言われる土塁による堅固な守りで、幾多の攻撃を籠城戦で耐え忍んだため難攻不落の城といわれた。秀吉のカムフラージュ攻撃(小田原城を見下ろす石垣山にあっという間に巨大に見える城を作る)や周りを取り囲む敵の前に開城を余儀なくされる。その後は、徳川家光を迎える場所として近世城郭として作られた。廃城令による払い下げや関東大震災により、江戸時代当時の遺構として唯一残るのは崩れた石垣。いいものを見せてもらった。 |
福知山城 2020年2月23日 | 大河ドラマで盛り上がる福知山城。日曜日は、無料のガイドツアーありということで、地元のガイドさんとお城へ。道すがら、福知山の小ネタを教えてもらえるのも楽しい。(人口の移り変わりや、駅舎のデザインは福知山音頭の傘をもじっているなど)お城で面白かったのは、転用石がいっぱいの石垣。織田系の石垣の特徴らしいが、今まで見てきた中で一番たくさん使われていて、ここにもここにも!とわかりやすい。お城の前のゆらのガーデンは、オープンしたての平成24年、翌年の25年と2年連続の台風で由良川支流の氾濫での浸水被害を受け、半数のお店がやむなく撤退。それでもまた、新規募集により新しいお店が開店。ボランティアさんによる公園の庭整備など、福知山の方の熱い思いを聞かせてもらった。がんばれ福知山!ゆらのガーデンさんもにも、次回は寄ってみたい。 |
黒井城 2020年2月23日 | 福知山城から車で30分で、春日住民センターへ。黒井城は丹波の赤鬼と言われた猛将、赤井直正の城。明智の丹波攻めでもなかなか落ちなかった難攻不落の城と言われている。落城後に、明智から城をもらった斎藤利三の娘、福は後の春日局。あ、そうかー。ここは春日住民センター。「春日」は生まれ故郷の地名からそうよばれたのかー。明智の丹波攻めを見て、この地方に戦国大名がひしめいていて、多くの城があったことを初めて知った。お城って面白い。続、続100名城に載るんだろうか? |
今帰仁城 2020年3月21日 | 69城目。沖縄の城巡りツアーの最初の城。グスク交流センターでスタンプを押した後、ガイドさん(無料)について巡る。グスク時代の北山の中心的な城で、くねくねした美しい形状の石垣にまず魅せられた。鎌倉、室町時代のものなのにそのままの形が残っているのが貴重!北部にあったから、大戦の被害を受けにくかったんだろうか?万里の長城に影響を受けている石垣だが、これだけのものを作る財力は、運天港という恵まれた港をもっていたから。中継貿易で財力を得た北山の中心の城は、中山に攻められ滅ばされる。ガイドさんの説明がとても分かりやすく、沖縄の城の特徴ー御嶽(うたぎ)があり、神が宿るところとされていたこと、中国の影響を受けて城郭が作られていることなど、本州の城とまた違ったグスクの魅力を体感できた。すばらしいガイドさんのおかげです。登り口近くにあるおじいさんが一人でやってられるサトウキビジュースのおいしかったこと!おすすめです。 |
中城城 2020年3月22日 | 70城目。 300ほどある沖縄のグスクの中で最も遺構がよく残っている所。石灰岩の切り石によるアーチ型の門が芸術的でぐっとくる。スマホの待ち受けの写真にして楽しんでいる。 |
首里城 2020年3月22日 | 71城目。 琉球王国の迎賓館として作られた城。一部が2000年に世界遺産に登録される。2019年10月31日未明に火災が起こり、正殿、北殿、南殿など6棟が焼失!第二次大戦でひどく傷ついた沖縄の復興のシンボルとしても愛されてきた首里城の火災は沖縄の人だけでなく城巡りファンとしても大ショックな出来事だった。地元で子どものころ、遠足などでこの公園によく来たという「那覇まちまーい」のガイドさんに、創建当時の石垣の場所を教えてもらえた。レストセンター内の展示コーナーは琉球王国の歴史がよくわかるようにされていた。 |