ID | 9036 |
名前 | そむそむ |
コメント | 福井出身京都在住です。 2011年4月に100名城スタンプラリーをコンプリートしました。続100名城は山城も多くあり、1回ではすべての遺構を見切れないものも少なくないですが、できるだけ多くの遺構を見るように心がけたいと思います。100名城を回っていたころと比べると生活環境も変わり、お金と時間もいっそう必要となりそうですが、楽しみながら頑張ります。 |
登城マップ |
福井城 2018年4月8日 | 続4城目、曇り。 結城秀康が天下普請で築いた輪郭式の平城。縄張りは駿府城のように分かりやすい輪郭式ではなく、堀が四重五重に複雑に張り巡らされていました。現在は本丸が残るだけですが、東は現在の荒川、西は片町、南は足羽川、北は養浩館北側の水路までがかつての城域で、北側にはさらに加賀口御門という馬出門がありました。 この城の見どころの一つは、足羽山で採石された青色の笏谷石を用いた石文化だと思います。この石は石垣だけでなく、復元された山里口御門や丸岡城天守でも石瓦として用いられ独特の趣を醸し出しています。また、柴田勝家が笏谷石を信長に献上し、安土城天主入口の石段でこの石が使われていることが現在でも確認できます。 この城の遺構は本丸の外にも点在しており、まず本丸御殿の一部が足羽山麓の瑞源寺に移築され、また、北端の外堀跡や加賀口御門周辺の堀跡が残り、北外堀にあった舎人門や土塁も復元されています。その他、中央公園では西二の丸と西三の丸の石垣の遺構を活用した整備がなされており、柴田神社では百間堀の石垣を見られます。 訪城日は日曜でしたが、福井県庁の守衛室でスタンプを押印しました(良好)。 |
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座喜味城 2018年5月1日 | 続9城目、晴れ。9年ぶり2回目の訪城。 琉球国王の玉冠や衣装を展示している国宝展(@那覇市歴史博物館)に合わせて特典航空券で沖縄に行きました。 15世紀初期に護佐丸により築かれた連郭式の山城です。2つの郭だけの中規模のグスクですが、幾何学的な曲線を描く石垣が見事です。このグスクは、石灰岩の岩盤ではなく地盤の弱い赤土の上に築かれており、石垣をアーチ状に曲がりくねらせたり城壁の幅を太くすることで石積を強固にしているようです。また、このようなアーチ構造は、防御力を高めることにも寄与しているのではないでしょうか。できれば城壁の上を歩いて、これらのことを確認してみたいのですが、現在では、一の郭の一部の城壁しか上がることができません。その他、沖縄では初めて作られたとされるアーチ門も見どころかと思います。沖縄では、日本の本土より1世紀以上も前に高度な石垣技術が発達していたことに改めて驚かされました。 スタンプは読谷町立歴史民俗資料館(休館中)の入り口で押印しましたが、状態は良好でした。 |
富山城 2018年9月23日 | 続25城目、曇り。金沢出張を利用して3年ぶり3回目の訪城。 梯郭式のコンパクトな平城。神保氏が中世に築城したとされ、安土桃山時代に佐々成正が改修し、江戸時代は富山藩の居城となりました。縄張りですが、本丸北側に流れる旧神通川(現松川)を天然の堀とし、本丸東側に東出丸と千歳御殿(幕末以降)を、西側に西ノ丸を、南側に二ノ丸を各々出丸のように配置し、上記の曲輪を三ノ丸が凹状に囲んでいました。本丸の三方に出丸を置くのは聚楽第に似ていると思います。現在、本丸、西ノ丸、一部の二ノ丸が残っており、三ノ丸の南側の堀跡は総曲輪通りとなっています。 現存する千歳御門が本丸東側に移築され、門の南北に石垣がありますが、本丸には本来石垣は鉄御門と搦手門にしかありませんでした。鉄御門の枡形で用いられている6つの鏡石は必見だと思います。天守も元々は存在しませんでしたが、昭和時代に建てられた模擬天守は国の登録有形文化財となり、周囲の景観に溶け込んでいます。未訪問ですが、外堀として、西側に助作川が、東側にいたち川が、南側に四ツ谷川が城下町を防御していたようです。 なお、スタンプは若干薄かったです。 |