ID | 7387 |
名前 | 小金の河童 |
コメント | 40年前に通っていた高校の通学路が城址の中を通っており、それがきっかけで城に興味を持ちました。 定年を迎えてから100名城巡りを始めました。 実はすでに40城を巡っております。 日本城郭検定1級を取得しております。 よろしくお願いします。 |
登城マップ |
丸岡城 2013年4月7日 | ![]() 天候不順で福井駅前マラソンは中止。 予定変更して登城する。 まったく人景はなかった。 |
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五稜郭 2013年9月29日 | 午前中、函館ハーフマラソンを走る。 函館タワーから見る縄張りの美しさに感動。 ![]() ![]() |
江戸城 2013年10月27日 | 大手門から登城する。 三の門跡、中の門跡、中雀門跡を辿り本丸に入る。 中の門の切込接の隙間のない巨大な石組みには圧倒された。 見上げる石垣上に櫓門が現存していたらさぞ威圧感があったろう。 雑誌に掲載されていた古写真を見ながら、しばし石垣に乗る櫓門を思い描いた。 古写真と現状を比較すると、石組みの形が一致しているので補修されてないようだ。 400百年の時代を経ても綺麗で隙間のない緻密な石組、当時の職人の技術力には関心させられる。 中雀門手前に存在した巨大な高麗門の痕跡を探した。 礎石はアスファルトの下に埋もれているのか、両側の石垣に筋が残ってないか探したが見つけることが出来なかった。 ![]() ![]() ![]() |
小田原城 2014年3月7日 | 銅門を潜ると二の丸、そこには見通しのよい広い空間が広がる。 かつては御殿があったと思われる。 再建天守は三重だが、五重天守に匹敵する感じで巨大だ。 天守内の展示はイマイチだが、天守雛形を見たことが唯一の収穫だ。 この雛形を元に再建したことが理解できた。 ![]() ![]() ![]() |
盛岡城 2014年5月6日 | ![]() 花巻から移動し登城する。 石垣が見事。 |
川越城 2014年5月18日 | 本丸御殿、車寄の巨大な唐破風が河越藩、松平家の格式を表している。 御殿内部は多く部屋に分かれ、仕切る杉戸には松、竹が描かれている。 周囲は宅地化が進んでおり、遺構は少ない。 三芳野神社参道を出て右に折れ、道なりに200mぐらい行くと富士見櫓跡がある。 富士見櫓跡には高い盛土が残っており、周辺は雑木林となっている。 ここだけは開発から取り残されているので貴重だ。 現状のまま保存してほしいものだ。 ![]() ![]() ![]() |
松本城 2014年8月8日 | ![]() 天守は混雑のため入場制限をしており約15分待った。 日除けテントの下で長椅子に座り時間待ちする。 気温が高かったので助かった。 戦闘色が強い黒い天守は優美という感じはしないが、月見櫓が色を添えている。 |
犬山城 2014年9月11日 | 名古屋より名鉄犬山線に乗り、犬山遊園で下車。 駅より徒歩で登城する。 正面から見ると天守というよりも寺院という雰囲気がする建造物である。 帰りはライン大橋を渡り、対岸より木曽川越しに眺めながら歩き、ツインブリッジを渡り犬山遊園に戻る。日没直前の夕日に映る天守閣は美しい。 ![]() ![]() ![]() |
名古屋城 2014年9月11日 | 名城線「市役所」駅より徒歩で登城する。 復興天守は頑張ってかつての天守に似せているのだろうが、木造建築には見えない。 木造による復元をしてほしい。 復元された本丸御殿を見る。 金箔下地の襖絵が豪華で目がくらむようだ。 権威の象徴ということだろうが、それにしても眩しすぎる。 ![]() ![]() ![]() |
会津若松城 2014年10月5日 | 午前、会津若市松鶴ヶ城ハーフマラソン大会に出場する。 会場からマラソン送迎バスで移動する。 戊辰戦争の激戦地。 大河ドラマを思い出しながら巡る。 ![]() ![]() |
備中松山城 2014年10月25日 | クラブツーリズムの山城ツアーに参加 マイクロバスに乗り換えて「ふいご峠」パーキングまで移動する。 大手門跡から見る二の丸方面、岩盤とその上に積まれた石垣は神秘的で妖気が漂っている感じがする。 ひっそりと山上に鎮座している天守は小振りであるが重厚感がある。 ![]() ![]() ![]() |
竹田城 2014年10月26日 | ツアー2日目、昨日登城した備中松山城から移動。 マイクロバスに乗り換え、まずは藤和峡より遠望する。 雲の上に浮かぶ幻想的な竹田城の姿に感動した。 竹田城に移動、中腹の駐車場から十分ほど坂道を歩く。 登山道は整備されており歩きやすかった。 ![]() ![]() ![]() |
新発田城 2014年11月8日 | 城域の多くが自衛隊基地に変わっている。 二の丸城址公園隣に自衛隊「白壁兵舎資料館」が建っている。 この資料館二階から御三階櫓を別角度から見ることができる。 内堀の石垣は隙間なく積み上げられた切込接で築かれ美しい。 ![]() ![]() ![]() |
今治城 2014年12月5日 | ![]() 復元された櫓は、下層に風破がなく異様な感じがする。 飾り気がない戦闘本位の合理的城という感じがする。 |
湯築城 2014年12月6日 | ![]() マラソン会場から移動、登城する。 中世の城の雰囲気が感じられてよかった。 |
大洲城 2014年12月7日 | ![]() 肱川対岸河川敷より望む復元天守閣は朝日を浴びて美しかった。 各層、屋根の庇は短く、反り返りも少なく地味な感じがする。 |
宇和島城 2014年12月7日 | 大洲より移動する。 バスの乗り私立病院前で下車。 上がり立ち門より登城する。長門丸への登り道は草木が茂り薄暗かった。 本丸にはぽつんと天守が残っているだけで、寂しい感じがする。 石落し、狭間はなく、正面には車寄せ風入口があり、殿様の御殿と言う感じがする。 ![]() ![]() ![]() |
松山城 2014年12月8日 | 二の丸御殿を見学してから徒歩で山頂に登った。 急な坂の連続だったが、登山道が整備されているので苦にならなかった。 天守曲輪の櫓群が天守を引き立たせていて、実に美しい。 搦め手、乾櫓付近は、訪れるひともなく寂しい 乾門を出て本丸下の石垣添いを歩き、隠門続櫓下に抜ける。 よくも山頂にこんな高石垣を築いたと感心した。 ![]() ![]() ![]() |
飫肥城 2015年2月10日 | 駅からタクシーにのり大手門手前で下車。 旧本丸は鬱蒼と茂る杉林となっている。 吹き抜ける風の音しか聞こえない空間で一時を過ごす。 帰りは武家屋敷通りをぶらぶらと歩いて駅へ。 ![]() ![]() ![]() |
福山城 2015年3月7日 | 新幹線ホームから見える城。 復元天守閣は各層の逓減率が小さく、すらっとしてスマートである。 伏見櫓は古風な感じがして、しかも優美である。 ![]() ![]() |
岡山城 2015年3月8日 | ![]() マラソン会場から急ぎ移動し、登城する。 後楽園から見る復元天守閣は堂々として美しい。 |
八王子城 2015年5月2日 | 今回は登山の服装で登城しました。 ボランティアガイドさんに案内をお願いし、御主殿から殿の道を登り本丸に向かった。 薄暗く覆い茂った林の中、つづら折りの急斜面を登るが、とたんに息が上がり汗だくになる。また崩れた石垣が散乱しているガラバが所々あり、危険な浮石があり登りにくい。 中腹の慰霊碑が建っている山王台で小休止をとる。 碑文は難しくて解読できないが、どうやら落城の時の戦士者を供養しているようだ。 山頂部は本丸とその周囲はいくつかの曲輪に分かれており広々としており、大城郭なのがわかる。 お弁当を食べて休息を取った後、ガイドさんと別れて、馬冷えの堀切、詰めの城に向かう。 アップダウンの連続、かすかに踏み固めた道筋をたどりながら、まだかまだかと不安を感じながら黙々と歩く。詰めの城で逆方向から登ってきた人に出会った時にはほっとした。 こんな疲れた城巡りは初めてです。 ![]() ![]() ![]() |
足利氏館 2015年5月5日 | 四方は土塁で囲まれ、その外側に水堀を巡らしている。 内部はばんな寺の境内。 かつては足利氏の館が建っていた所、このような大寺院に変身した経緯が理解できない。 ![]() ![]() |
大阪城 2015年5月29日 | 広々とした堀、そびえ立つ石垣、その上にはかつて櫓が見えていたのだろう。 戊辰戦争で失った櫓が惜しまれる。 ![]() ![]() ![]() |
小諸城 2015年6月27日 | 上田城から移動 三の門を潜り登城、城内を散策する。 本丸馬場から見る眺めがいい。 ほぼ垂直にそびえる崖で、崖下から見ると断崖絶壁の様相に圧倒される。 ![]() ![]() ![]() |
上田城 2015年6月27日 | 尼ヶ淵側から見る西櫓と北櫓、いまにも崩れ落ちそうな崖縁に建っている。 江戸時代の遺構で、真田時代の遺構は残ってないようだが、南側は切り立った崖は難攻不落の堅城という感じだ。 ![]() ![]() ![]() |
甲府城 2015年7月4日 | 巨大な天守台、石垣の傾斜は緩く石のサイズが整ってなく、築城年代の古さを感じる。 綺麗に整備されて公園となっているので城マニアでなくとも訪れたくなるだろう。 ![]() ![]() |
武田氏館 2015年7月4日 | タクシーで、甲府城から移動する まず、武田神社にお参りをして西曲輪に向かう。 戦国大名、信玄のイメージからしてあまりに小さい城域。 踏みしめられた一筋の道筋に添って行くが、土塁、堀の近くは藪で覆われて近づけない。 綺麗に整備されてないので痕跡を求めて探検したくなる。 ![]() ![]() ![]() |
掛川城 2015年7月11日 | 駿府より移動。 まず再建された大手門を潜り本丸に向かった。 復興天守は廻り縁と高欄が付いており、評判どおり高知城天守三層目と似ている。 御殿内は質素な造りで、圧倒させられるような襖絵はなく寂しい感じがする。 ![]() ![]() ![]() |
駿府城 2015年7月11日 | 輪郭式の縄張り。 県庁舎から中堀に添って1周して、東御門より登城する。 中に入ると広々とした公園となっており、かつては巨大天守、内濠、櫓が見え、所狭し御殿が建っていたことだろう。 城址であることを忘れてしまう空間である。 ![]() ![]() ![]() |
水戸城 2015年7月11日 | 水戸駅から二の丸と三の丸分ける道(空掘跡)を通り徒歩で大手門へ。 大手橋を渡り大手門跡から二の丸へ入る。 彰考館跡に建つ二の丸展示館でスタンプを押し資料を頂いた後本丸に向かう。 連郭式のシンプルな作りの縄張りだが、曲輪を仕切る空堀は深く壮大な広さをもっており、橋から下を覗くと目がくらみそうな恐怖を感じる。 水戸一高の敷地に残る薬医門は他の城郭建築には見られない重厚感があり素晴らしい。 にぎやかに大勢のテニス部員が汗ふきふき門の陰で休息を取っていたが、カメラを向けると空けてくれた。 佐竹氏時代の面影を残している感じがする名城、土の城は素晴らしい。 ![]() ![]() ![]() |
佐倉城 2015年7月18日 | 京成佐倉駅前の観光協会で散策マップなどの資料を集める。 大手門跡には石碑が建っており、案内板には古写真入りで説明書してある。 スタンプはそのさき自由広場、城址公園センターで押す。 三の門跡あたりはなだらかな起伏が見え、空堀は削られ、平坦にされたように見える。 本丸に通じる一ノ門跡手前の土橋の両脇には深い空堀があり、堅固な感じがする。 城内は陸軍基地となった時期があり、遺構が少なく破壊された部分が多いようだ。 建物跡の礎石は取り除かれており、兵舎の土台に使われたとの事。 これが楼門、櫓など建物の復元の障害となっているらしい。とても残念だ。 本丸下の帯曲輪は、両側が鬱蒼と茂った木で覆われた一筋の道のように続いており城外が見通せない。 城外、本丸北西側の水田から見ると、岡全体が雑木林で覆われており、本丸、出丸は完全に雑木林で隠されている。このまま開発されることなく、廃城後の自然が今後のそのまま保存されることが望まれる。 ![]() ![]() ![]() |
姫路城 2015年10月2日 | 修学旅行以来、45年ぶりの登城となった。 天守閣が白すぎて眩しいかった。 これほどの大城郭を維持管理するのは今も昔も同じで大変だと思う。 権威の象徴として、城は藩の領民に大変な重税課していたのではないか。 ![]() ![]() ![]() |
久保田城 2015年10月17日 | 駅から徒歩15分ぐらい。 出御書院が建っていた場所へ向かう。 土塁端にこんもりもりあがった段差があり、そこに石列が点在しているが、これが天守代用櫓の土台の跡なのか。 土塁に沿って歩き、御隅櫓跡に建てられた資料館を見学する。 往時の遺構は御者頭御番書だけで、石垣は少なく土の城としては、水戸城と並び代表格。 再建された本丸表門は雰囲気としてはマッチしているが、御隅櫓跡に建てられた資料館は雰囲気を壊している。 ![]() ![]() |
弘前城 2015年10月18日 | ![]() マラソン会場から移動、登城する。 天守台改修工事で、天守閣は本丸の中心に移動していた。 |
和歌山城 2015年11月29日 | ![]() マラソン会場から移動し、登城する。 西の丸庭園は紅葉が進んでおり綺麗だった。 |
鬼ノ城 2016年2月28日 | ![]() 版築土塁の土台として、水はけを良くするためか実によく考えて据えられている。 東面の高石垣から見る北東方向の山裾がすばらしい。 所々白く浮き上がったように見える石の上に仙人が今にも現れそうな感じがする。 午前中に総社吉備路マラソンを走った影響もあり、1周するのはきつかった。 総社駅からビジターセンターまでタクシーを利用した。 迎えのタクシー料金は、追加料金を取られることなく行きと同じ料金だった。 |
丸亀城 2016年2月29日 | ![]() あいにくの雨で空が暗かった。 天守閣2階、床すれすれの所の壁が大きく凹んでいる。 これは外からは見えない隠し大砲狭間らしい。 大砲の先端を据えるには位置が低すぎるような気がする。 大砲はどのように固定したのか、その当時の大砲は台車に乗せられてなっかのか、疑問である。 帯曲輪、戌亥櫓から見る石垣に並びは素晴らしい。 下城して駅に戻る途中、アケーイド通り入口(ドンキホーテ向い)で讃岐うどんを食べる。 “ぶっかけうどん全部”が実にうまかった。 |
高松城 2016年2月29日 | ![]() 丸亀城から移動。 4年前の登城のときは内堀には水がなく堀底が見えていたが、整備されてきれいになっていた。月見櫓は改修を始めるのか2層部分まで足場が組まれており残念だった。 |
津山城 2016年3月1日 | 雪の降るなかの登城。 雪化粧の備中櫓は美しい。 石垣は素晴らしいが、全体を見るには付近のビルの上からながめるしかないようだ。 ![]() ![]() |
鉢形城 2016年4月11日 | 寄居駅から徒歩で登城しました。 駅前で昼食の食糧を仕入たかったがお店がなかった。 5分ぐらい歩いた所に鯛焼き屋があったので1匹購入しました。 荒川を渡る橋の手前のセブンイレブンでおにぎりを購入する。 橋を渡った右側、笹曲輪の休息所で昼食を取りました。 荒川と深沢川に挟まれた城域は急峻な崖で仕切られており非常に堅固だ。 城域は広くて一通り見て廻るのに2時間ぐらいかかりました。手元の歩数計は1万5千歩を越えていました。 城内は良く整備されており、標識、案内板の多く設置しており解かりやすかった。 本曲輪付近は木を伐採して見通し良くしたのでしょうか、切株が多いのでよそ見していると躓きます。 これだけ広い城域を少ない城兵で1月余りの攻防戦を闘い抜いたということは、たしかに名城と言えるでしょう。 ![]() ![]() ![]() |
金山城 2016年4月16日 | 大田駅からガイダンス施設までタクシーを使った。 学芸員の方々に親切丁寧の説明して頂き感謝しております。 ガイダンス施設の裏手にはハイキング道が通っており、細い急坂を登ると駐車場がある西城にでる。そこから20分ぐらい石畳みの通路などを歩くと大手虎口に着く。 ハイキングのイベントがあったようでリュックを背負った年配の人が多くにぎやかだった。 補修があったとはいえ戦国時代に積まれたとは思えない隙間の少ない整然とした石垣はとても美しい。表面が滑らかなのは、柱状節理で規則的な割れ方をする特徴がある金山石を使っているかららしい。 破城後長い年月埋れ、忘れ去られた荒廃した城跡をよくここまで蘇らせたと感心します。 今も発掘調査が行われているようなので、また来てみたいと思っております。 疲れましたがとても楽しめた一日でした。 ![]() ![]() ![]() |
山中城 2016年4月30日 | 三島駅9時45分発山中行きに乗車、10時15分ごろ山中城跡に到着した。 西櫓を取り巻く障子堀、岱崎出丸の畝堀に感動した。 綺麗に整備されており、うす緑みどりの芝生とツツジの鮮やかな赤が綺麗だった。 ここで多くの人が戦いで命を落としたとは思えない、平和な公園という感じでした。 たぶん築城した当時は周囲の木々は伐採されて、見晴らしがよかったであろう。 また芝生もツツジも植栽されてなく、茶色の地面がむき出しで、歩きにくかったろう。 ![]() ![]() ![]() |
箕輪城 2016年5月2日 | 高崎駅9時55分発、伊香保温泉行きバスに乗車して四ツ谷で下車する。 箕郷支所は休館であったが、裏手に廻り、窓口でパンフレットと地図を頂きました。 地図に従って箕郷支所から20分ぐらい歩き、法峯寺手前を左に曲がり200mぐらい行くと大手尾根口の標識がある。そこから登城をするが城址は林の中に埋もれていて見通せない。 事前に予習した予備知識では得られなかった、個々の曲輪の形状、高低差などが実感できてよかった。 将来、多くの木を伐採して公園のように整備する計画があるようだが、今の雰囲気を多く残してほしいものだ。裸山にしてほしくないと考えているのは私一人だけではないと思う。 今はブルーシートに覆われていて見えないが、郭馬出西虎口門の復元工事が進んでいる。 秋ごろには完成するらしいので再度登城してみたい。 ![]() ![]() ![]() |
白河小峰城 2016年7月16日 | 震災によって崩落した石垣の修復工事が行われていた。 崩落前の石組の紋様と同様に修復されていて驚いた。 ![]() ![]() ![]() |
二本松城 2016年7月16日 | 小峰城から移動。ここも戊辰戦争の激戦地。 箕輪門から徒歩で本丸に登った。本丸から周囲を見ると、かなりの高低差を感じる。 案内板、石碑など多く設置してあり、城内は良く整備してある。 案内板のいくつかは、戊辰戦争の悲惨な記述があり、暗い気持ちになる。 ![]() ![]() ![]() |
金沢城 2016年10月2日 | 1日では廻りきれない大城郭。 縄張り、積み方が異なる石垣、再建された門、櫓など見どころが多い。 雪が積もったように白く輝いて見える鉛瓦、五十間長屋の姿は眩し過ぎる。 城内は食事を取る場所がない。 石川門を出て、向いの兼六園沿いの料亭で昼食を取った。 ![]() ![]() ![]() |
山形城 2016年11月5日 | 二の丸東大手門は改修中で足場で覆われていた。![]() ![]() ![]() |
鹿児島城 2016年12月4日 | 発掘調査報告会が行われていた。 西南戦争の激しい戦いの痕跡がなまなましかった。 ![]() ![]() ![]() |