ID | 7087 |
名前 | kenshin43 |
コメント | 時間をかけても名城100を完全制覇します! お城めぐりをしながら日本全国巡回の旅として楽しむことに決めました。 ただ悔やまれるのは行ったことあるお城も結構あるのです。スタンプラリーのこともっと早く知っていればね。。。 |
登城マップ |
山形城 2016年4月23日 | 日本100名城 No.10 山形城に登城! 別名: 霞城、霞ケ城 城郭構造:輪郭式平城 山形城の正面である東大手門は立派で、高く堅固な石垣と 南北両側に多門櫓を持つ独特な形式の桝形門でした。 あと最上義光の騎乗像が印象的でした。 |
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二本松城 2015年4月30日 | 第7回、日本100名城No.11、二本松城へ登城! 別名:霞ヶ城、白籏城 標高345mの白旗ヶ峰に築かれた城郭からなる自然の要害地形を利用して作られた。 室町幕府より奥州探題に任せられた畠山高国が最初に居を構え地名を二本松とし、畠山氏7代当主畠山満泰が応永21年(1414)に築城 正面に門が無く曲がって入る桝形門になっており、箕輪門という二階櫓、櫓門で構成 戊辰戦争でふるさとを守る為に若い命を散らした二本松少年隊の群像が印象的でした。 |
会津若松城 2016年3月21日 | 日本100名城 NO.12 鶴ヶ城に登城! 過去に4度鶴ヶ城見学にきていていますが、いつ見ても天守閣と、きりっと聳え立つお城は美しいです。 会津といえば戊辰戦争ですが、戊辰戦争に至るまでの幕末の動乱を毎回来るたびに学んでいます。 会津戦争では一か月にも及ぶ籠城、戦争後の猛攻に耐えきった写真を見ればさすがに名城中の名城といえるでしょう。 |
白河小峰城 2015年4月30日 | 第8回、日本100名城No.13白河小峰城に登城 南北朝時代の14世紀中頃に結城親朝が小峰ヶ岡という丘陵に築城 江戸時代、初代藩主丹羽長重が城郭の大改築に着手、1632年に完成させた。 その後藩主は21人で中には寛政の改革で有名な松平定信も。 梯郭式平山城で御三階櫓、複合式層塔型3重3階の櫓 東日本大震災の影響で修復中でした。天守閣の三重櫓は小さく感じましたがとても綺麗なお城です。 |
足利氏館 2015年10月12日 | 第11回、日本名城100No.15、足利氏館に上陸! 足利市の真言宗大日派の本山鑁阿寺にあった足利氏の宅跡 1196年に足利義兼が鑁阿寺を建立 四方に門を設け、寺の境内には土塁と堀がめぐっており、鎌倉時代前後の武士の館の面影が残っている お城というよりお寺でした。 |
箕輪城 2015年10月13日 | 第13回、日本名城100 No.16、箕輪城に登城! 城郭構造:梯郭式平山城 城内部の御前曲輪、本丸、二の丸、三の丸などの各郭は深堀で囲まれている。 1512年に長野業尚によって築城された。1566年に武田信玄の攻撃で落城、長野氏滅亡 その後、武田氏家臣⇒織田信長家臣⇒北条氏⇒徳川四天王の井伊氏と城主が推移 榛名白川や春名沼の自然の地形を巧みに利用してる城でした! |
金山城 2015年10月13日 | 第12回、日本名城100No.17、金山城に登城! 別名:新田金山城、太田金山城 城郭構造:連郭式山城 室町時代1469年に新田一族の岩松家純が築城 1584年には北条氏に主は変わったが1590年には豊臣秀吉の小田原征伐で落城 金山山頂の実城を中心に四方に延びる尾根上を造成、曲輪としてこれを堀切・土塁で固く守った戦国時代の山城です。 特筆は山城なのに石垣や石敷が多用されていたのには驚いた! |
鉢形城 2015年10月12日 | 第10回、日本名城100No.18、鉢形城へ登城! 城郭構造:連郭式平山城 城の中心部が荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれ、天然の要害をなしています。 1476年関東管領であった山内上杉氏の家臣、長尾景春が築城 1590年の豊臣秀吉の小田原攻めには後北条氏の重要な支城として激しい攻防戦を展開した。 ほんとすごい自然の溪谷に囲まれた地形を利用した平山城で戦国時代を代表する名城といえるだろう。 |
川越城 2015年10月12日 | 第9回、日本名城100No.19、川越城に登城! 別名:初雁城、雲隠城 城郭構造:平山城 室町時代、足利氏の勢力に対抗する扇谷上杉氏の本拠地として上杉持朝は家辛の太田道真に築城させた。 江戸時代は幕府の要職に就いた藩主が多く、江戸時代中期までは老中に居城であった。 |
松代城 2015年4月3日 | 第4回、日本100名城No.26松代城に登城! 別名.:海津城 城郭構造:輪郭式平城 1560年に武田信玄が川中島の戦略拠点として築城、1622年には上田から真田信之が入城し以後明治維新まで真田氏の居城となった。 今は地形が変わっているが当時は千曲川の流れを外堀とする天然要塞化した城 櫓門は太鼓門、北不明門、東不明門 いずれも奥の櫓門と手前の高麗門で内桝形を形成 千曲川の天然の堀とした平城とはいえ堅固な城で、太鼓門の大きな岩を使った石垣が印象的でした。城周囲にはお寺や神社、真田邸などその他色々と見ごたえありました。 |
上田城 2015年4月3日 | 第5回、日本100名城No.27上田城に登城! 別名:尼ヶ淵城、真田城 城郭構造:梯郭式平城 安土桃山時代の真田氏の居城、1583年(天正11年)に真田昌幸が築城 関ケ原の戦い後は昌幸、信繁の西軍が負けた為、上田城は徳川軍に徹底的に破却され堀も埋められた。 江戸時代には真田氏が松代に転封された後は仙石氏が入城 仙石忠政により破却された上田城を再建した。 上田城東虎口には真田石と呼ばれた大きな石があります。戦国時代に築城した城の門にある石垣に大きな岩をひとつ用いるのが流行っていたには力や権力を現したと考えられている。 来年の大河ドラマの影響でにぎわっていました。やっぱり上田城イコール真田氏のイメージは強いですね。 |
小諸城 2015年4月3日 | 第6回、日本100名城No.28、小諸城に登城! 別名:酔月城、穴城(城下町よりも低い位置に城を築いた珍しい穴城) 城郭構造:平山城 1554年(天文23年)武田信玄が築城(軍師山本勘助の縄張りし築城した) 安土桃山時代に仙石秀久が小諸城主となる 江戸時代1622年に2代仙石忠政が上田に転封となるまで居城した。 小諸城址懐古園として整備、公開されていました。小諸駅前にあり意外なところに位置していました。 |
松本城 2015年11月3日 | 第15回、日本名城100 No.29松本城に登城! 城郭構造:梯郭式+輪郭式平城 天守構造:複合連結式層塔型5重6階 戦国時代の永正年間(1504-1520)に信濃守護家の小笠原氏が深志城を築城したのが始まりで、その後甲斐の武田信玄が小笠原長時を追い、この地を占領し信濃支配の拠点とした。武田氏滅亡後、徳川家康配下となった小笠原貞慶が松本城を築城した。 1590年、豊臣秀吉は小田原征伐後に徳川家の関東移封が行われ小笠原家も下総古河へ移った。元々は家康の重臣で後に秀吉の配下の一員となった石川数正を入城させた。 石川数正は城郭の整備と城下町の拡充に着手し、2代石川康長の時に天守を完成させた。 現存する5重6階の天守の中で日本最古の国宝の城は黒漆塗りで見事に美しかったです。 鉄砲狭間、矢狭間、石落としが多い城でした。 外から見ると5階に見えるが3階と4階の間に非常時に武士が集まる秘密の部屋があった! |
高遠城 2015年11月3日 | 第14回、日本名城100 No.30、高遠城に登城! 城郭構造:平山城 諏訪一門の高遠頼継が居城としていたが、1545年に武田信玄が高遠城を攻略し、その後伊那攻略の拠点として家臣の山本勘助らに命じ大改修を行った。 各曲輪が段階的に配置された縄張りとなっていて曲輪の間は深い空堀になっている。 深まる秋に本丸周囲のもみじが綺麗でした。 |
新発田城 2014年11月1日 | 第3回、日本100名城No.31新発田城へ登城! 別名:あやめ城 初代新発田藩主溝口秀勝が1598年築城、3代宣直侯のときに完成 城郭構造:平城 天守構造:三階櫓複合式層塔型3重3階 政治経済の中心として交通の便利さを考え、平地に作った平城です。 切り込みはぎと呼ばれる石垣が隙間なくきちんと積まれる美観を重視した技法で造られた。 あとは忠臣蔵で有名な赤穂浪士の堀部安兵衛が生まれた新発田の地 新潟って名城と呼ばれる城が少ない中、新発田城がこれだけ残っているのが貴重で新潟重要文化財と言えます。 |
春日山城 2014年10月19日 | 第1回 日本100名城N0.32春日山城に登城! 別名:蜂ヶ峰城 城郭構造:連郭式山城 南北朝時代に越後国守護である上杉氏が越後府中の館の城として築城 1507年(永正4年)に長尾為景が春日山城主となり、後に越後守護代となる。 上杉謙信は1530年為景の末子として生まれる 1548年、兄長尾晴景から家督を相続し春日山城へ入城し、19歳で越後守護代となった。 1561年関東官領職の上杉憲政からその職と上杉姓を譲られる。 戦の旗印は『毘』と『龍』 越後の龍と言われ、真言密教の北方を守護する軍神『毘沙門天』を篤く信仰し春日山城に毘沙門堂を造り毎日ここに籠ったといわれる。 武田信玄との4回に及ぶ川中島の戦いはあまりに有名です。 京への上洛を前に49歳で生涯を閉じた。 謙信無き後は養子2人の御館の乱となり跡目争いで景勝が景虎に勝って城主となる。 春日山城はうわさどおりの複雑な自然ぼ地形を利用した山城で難攻不落な天下の名城といわれるのもうなづけます! |
高岡城 2014年10月19日 | 第二回、日本100名城No.33高岡城へ登城! 城郭構造:梯郭式平城 1609年、加賀前田家2代前田利長の隠居城として築城 高岡城の特徴は築城当初からほぼ完全に残る広大な水堀です。堀と土塁という城の命というべき遺構がほぼ完全に残っていて、近世の軍事状況や築城技術を知るうえで貴重であると国史跡に指定された。 天守閣や門、櫓は残っていませんでしたが当時は立派なお城だったと思われます。現在高崎公園となりましたがとても紅葉が綺麗でした。 |
岩村城 2016年5月2日 | 日本100名城No.38 岩村城へ登城! 別名:霧ヶ城 城郭構造:梯郭式山城 さすがに日本三大山城といわれるだけあり、小高い山頂に大規模に築かれてあった。 特に本丸周辺の石垣は遺跡をイメージさせる壮大な造りでした。 |
岐阜城 2016年5月3日 | 日本100名城No.39 岐阜城へ登城! 別名:稲葉山城 城郭構造:山城 天守構造:独立式望楼型3重4階 築城主:二階堂行政 築城年:1201年 主な改修者:織田信長 主な城主:斎藤氏、織田氏 斎藤道三が居城の頃は稲葉山城と呼ばれていたが織田信長が攻め落とした後、稲葉山は金華山、城は岐阜城と改名しました。 山頂に築かれていた為、攻めるのが難しく、難攻不落の城と呼ばれていたのはよくわかりました。 信長は天下布武の朱印を用いるようになり、本格的に天下統一を目指すようになった。 美濃を制するものは天下を制する 金華山を下から眺め、天守から城下町、長良川を眺望すればこれがよくわかります。 |
犬山城 2016年5月2日 | 日本100名城No.43 犬山城へ登城! 別名:白帝城 立地:平山城 天守構造:望楼型・三層四階地下二階・複合式天守 築城年:天文6年(1537) 築城者:織田信康(織田信長の叔父) 指定文化財:国宝(天守) 主な城主:織田氏・池田氏・石川氏・成瀬氏 現存する日本最古の木造天守で、さすが国宝と思わせるオーラがありました。 天守最上階からは美しい木曽川がよく見え、絶景でした。 |
名古屋城 2016年5月4日 | 日本100名城No.44 名古屋城へ登城! 別名:金鯱城、金城 城郭構造:梯郭式平城 天守構造:連結式層塔型5層5階地下1階 築城主:徳川家康 築城年:慶長14年(1609) 主な城主:徳川氏 国重要文化財(櫓3棟、門3棟) 再建物:復元天守 関ケ原合戦で勝利し江戸幕府を開いた徳川家康が大阪城の豊臣秀頼との武力衝突に備え、最終防衛拠点として天下普請として築城させた城 徳川御三家のひとつである尾張徳川家の居城として明治維新まで続いた。 今までで一番大きく、美しいお城でした。 印象的だったのは金のシャチホコ、清正石、重要文化財の清州城天守を移したと伝えられる西北隅櫓 |
岡崎城 2016年5月4日 | 日本100名城No.45 岡崎城へ登城! 曲輪構成:梯郭式 縄張形態:平山城 天守形式:複合連結式望楼型 天守の階数:3重5階 築城主:西郷稠頼・頼嗣(三河国守護仁木氏の守護代) 築城開始年、完了年:1455年(康正元年)頃 改修者:松平清康(家康祖父) 家康は岡崎城内で誕生し、6歳で織田信秀(信長の父)、8歳で今川義元の人質となったが桶狭間の戦いで義元戦死したことを契機に自立(この時19歳) 以来、岡崎城を拠点に(浜松城に移るまで11年間在城)天下統一という偉業への基礎を固めた。 桜の名所だそうですがその季節から少し外れた時期に行きました。 綺麗なお城で近くで見ると案外小さく感じましたが、立派な天守閣でした。 |
長篠城 2016年5月4日 | 日本100名城No.46 長篠城へ登城! 城郭構造:梯郭式平山城 長篠城は武田軍VS織田・徳川軍の激戦で知られる長篠の戦いの前哨戦の舞台として有名な城です。武田・徳川の領地の境目で交戦は度々あった。 1575年、徳川領だった長篠城を武田勝頼が大群を率いて包囲したことで長篠の戦いは始まった。守る徳川家臣の城主、奥平貞昌は岡崎城の徳川家康に援軍を要請することにし、雑兵の鳥居強右衛門伝説が始まる。 鳥居強右衛門の活躍で織田・徳川軍が到着し戦いは設楽原に移った。そこで武田軍は多くの重臣を失う大敗北を喫して勝頼は何とか脱出するも武田家滅亡のきっかけとなった。 城は豊川と大野川の合流部する場所に突き出した断崖絶壁の上にあり、二つの川と断崖絶壁に守られた天然の要塞化している |