ID | 6894 |
名前 | Tanikazu |
コメント | 兵庫県在住の日本の歴史と城郭めぐりを趣味にしている中年男性です。日本百名城を踏破しようと一念発起し、2013年1月に江戸城を皮切りにスタートしました。百名城達成までに何年かかるかわかりませんが、ゆっくりと楽しんでやって行きいます。各地の銘酒・名産品も楽しみです。 |
登城マップ |
江戸城 2013年1月29日 | 最初の1登城目です。これからゆっくりと百名城達成に向けて楽しんで行きます。スタンプは、北の丸休憩所で押しました。入口の詰め所の警察官の方に場所を聞いたところ、よく聞かれるようで百名城ですねと言われました。 |
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赤穂城 2013年2月13日 | 2登城目です。早朝の散歩の時に登城しました。入口のお土産店の方に道を尋ねたところ、親切にいろいろと話をしてくれました。通学途上の自転車に乗った高校生の集団に出会いました。大石神社と歴史博物館もお勧めです。スタンプは開園前でしたので門の入口に置かれていて自由に押せました。 |
五稜郭 2013年2月13日 | 31城目の登城。2回目の登城となる。箱館戦争でも有名なところであるが、星形の城は珍しい。死角をなくす構造ということであるが、幕末の当時の状況下での築城でヨーロッパからの移入が感じられる。 |
松江城 2013年7月2日 | 3登城目です。雨の松江城でした。宍道湖のほとりに位置し、外国人の観光客も多かった。県庁前のバス停で降り、五重六階の望楼型の天守は現存する天守の内の1つで入口の案内の方といろいろと話をしましたが、国宝のなることを強く念願しておりました。 |
和歌山城 2013年7月20日 | 4登城目です。30年前に和歌山市内に住んでいたこともあり、非常に懐かしさを感じました。何回も登城していたのですが、入口でスタンプを押して見学をしました。天守閣以外に多くの破風があり、見所も多い。 |
大阪城 2013年8月4日 | 5番目の登城です。暑い夏の登城でした。大阪城は外国人の多さにびっくり、来年は冬の陣から400年を迎えるので大変賑わったいました。観光化されて少々、城の面白みに欠ける感じでした。 |
二条城 2013年8月11日 | 6番目の登城です。暑い夏の日に登城しました。新島旧邸や文化博物館で新島八重の展示を見た後、二条城に行って参りました。外国人が多く、入口の受付の方は中国人で流暢な日本語でスタンプの場所を教えてくれました。 |
明石城 2013年8月12日 | 第7番目の登城です。駐車場を探すに苦労しました。結局、協会の駐車場が一番近い。明石城は城址で櫓が2つ現存する。非常に暑かったので入口の食堂でカキ氷を食べました。スタンプは公園サービスセンター受付で女性の方から百名城で良く来れますとのこと。 |
姫路城 2013年8月12日 | 第8番目の登城です。現在、修復中で修理中の中の見学が出来ました。30分待ちで最上階の8Fまで登れました。漆喰は見もので外国人含めて観光客が非常に多かった。帰りに姫路名物「おでん」と「かつめし」を食べて帰りました。竹田城に行く予定にしていましたが、時間的に断念し、次回に延期。 |
福岡城 2013年9月27日 | 第9番目の登城です。来年、大河ドラマで黒田官兵衛が放映されることもあり、福岡城むかし探訪館では官B兵衛を盛んにPRしていた。城跡ではあるが、52万石にしては、少々、小さく見えた。鴻矑館跡展示場と探訪館、天守台まで登った。天気も良く、天守台からの眺めは格別だった。 |
名護屋城 2013年9月27日 | 10番目の登城です。福岡城の後、電車で名護屋城跡まで向かいましたが、唐津駅まで1時間以上かかったうえ、駅から名護屋城博物館入口までバスで40分かかりました。非常に遠く感じられました。百名城巡りは、車です。博物館は開場20周年記念企画展として「秀吉の宇宙」が催されていました。黄金の茶の湯の部屋が京都市より取り寄せて展示されていました。名護屋城は朝鮮半島、中国大陸に向けての出兵のための軍事拠点であったが、陣跡も含めて壮大な史跡でした。秀吉の思いを感じつつ、次は佐賀城に向けて唐津駅に戻りました。 |
佐賀城 2013年9月28日 | 11番目の登城です。前日、佐賀駅前のホテルで宿泊し、早朝、佐賀城に向かいました。歩いて40分ほどかかりましたが、途中、いろいろな旧跡も楽しみながら歩きました。佐賀城本丸歴史館は9時30分開場のため、時間に少し、余裕があったので周囲を散策しました。開場とともにボランティアガイドの方にガイドをお願いして2時間ほど丁寧に説明を受けました。丁重にお礼を申し上げ、記念写真を撮った後、吉野ヶ里遺跡に向かいました。 |
吉野ヶ里 2013年9月28日 | 12番目の登城です。スタンプ置き場が吉野ヶ里歴史公園東口にあり、JR神埼駅で下車したため、歩いて行くには、遠すぎました。タクシーを待って10分程度かかって辿り着きました。佐賀駅から行くと次の駅のJR吉野ヶ里公園で降りた方が徒歩で15分程度で行けるのでこちらの方が良いと思います。公園内は、環濠集落ということもあり、広大で、弥生時代の見学や邪馬台国の所在有無としては面白いと思うが、城巡りの身には、差ほど、面白味に欠けました。次は、電車で大野城に向かいます。 |
大野城 2013年9月28日 | 13番目の登城です。JR大野駅から循環バス「まどか号」でスタンプ設置場所である「大野城市総合体育館」まで向かいました。総合公園入口で下車、徒歩で5分程で行けます。大野城跡は、山全体のため、城跡巡りは、最低でも1時間かかるとのこと。時間的余裕がなく、已む無く断念し、バスの時間調整の為、体育館で休憩しました。再度、循環バスで大野城駅まで行き、帰路に着きました。次回は、ゆっくりと時間をつくり、城跡を見学したい。 |
観音寺城 2013年10月5日 | 14番目の登城です。余呉湖健康マラソン大会に参加する前日に立ち寄りました。スタンプの置き場は、観音正寺にあり、雨の影響で通常ルートは遮断され、迂回道路から登城しました。 近くの駐車場まで結構、狭い道を車で走りました。対向車がなかったので良かったのですが、あった場合、場所によっては、しんどい所もありましたのでご注意を。観音寺城は佐々木六角氏の居城でこの山城で戦に明け暮れ、戦勝後、この場所で宴を催したと思うと何故か感慨深いものがありました。次は、安土城に向かいます。 |
安土城 2013年10月5日 | 15番目の登城です。信長の館でスタンプを押印しました。天守5階の黄金の間は、信長の理想郷をイメージしたようですが、人工的過ぎて差ほど面白味がなかったです。先を急いだ為、安土城は登らず、考古博物館から安土城を眺めた。次回は、情勢まで登ることとしたい。 |
彦根城 2013年10月5日 | 16番目の登城です。現存する12天守の1つで天守も立派であるが、天秤櫓に興味を持ちました。櫓の中が見学出来て佐和山が見えます。日本の城郭でこの形式は彦根城だけとのこと。観光化しすぎて興ざめの部分はあったが、世界遺産目指して頑張って欲しい。余り時間がなかったので彦根城はこれくらいにして小谷城に向かいました。 |
小谷城 2013年10月5日 | 17番目の登城です。小谷城戦国歴史資料館で受付の女性からいろいろと説明を受けました。信長との攻防戦が行われた山城で城郭のつくりと町づくりは当時の武将の中でも先見の明があり、卓越した人物だったと思う。信長に反した武将の中でも荒木村重とはまた違った形の武将だと感じた。翌日、小谷城ふるさと祭り(28回目)があり、余呉湖健康マラソン大会の帰りにまた立ち寄りました。 |
篠山城 2013年10月12日 | 18番目の登城です。篠山祭りの最中に訪問。町全体が祭りで賑わっており、黒豆と焼栗、鹿の肉等を賞味しました。美味しかったです。天守台は当時、二の丸にあったこともあり、天守台が非常に小さく、場所も意識しなければ分からない。家康が大阪城攻略のため、急場に築城したこともあり、攻防というよりも置石的要素の強い城です。 |
竹田城 2013年10月12日 | 19番目の登城です。兵庫県を制覇しました。2年前に訪れた時より映画のロケ地になったり、天空の城で有名になったりして観光スポットとなり、観光客が激増していました。当時は、城めぐりの隠れた存在でしたが、多くの来場者で有料となり、一部の城石も崩れていました。残念です。竹田駅周辺で秋祭りが行われていてラッキーな場面に遭遇しました。竹田城のカレンダーは直ぐ完売するとのことで購入し、四季の竹田城が楽しめます。 |
大分府内城 2013年10月14日 | 20番目の登城です。10月の3連休の最終日に登城しましたが、大分駅から府内城まで歩いて15分程度ですが、道に迷い、30分以上かかりました。当日は、催し物が開催されており、多くに人で賑わっていました。スタンプ置き場がわからず、文化会館1階が閉まっていたため、あっちに行ったり、こっちに行ったりでスタンプ置き場を探すに苦労しました。やっとの思いでスタンプを押印し、廊下橋へは時間の余裕がなく、見送りし、次の登城先の岡城に向かうため、タクシーで大分駅に向かいました。 |
岡城 2013年10月14日 | 21番目の登城です。岡城は大分駅から電車で1時間20分程かかりました。各駅停車のディーゼルでゆっくりと行きましたので途中の田園風景はのどかで久しぶりにゆっくりとした時間を過ごしました。岡城の通行料は300円でしたが、絵巻と登城手形(岡城跡観覧券)は貴重です。また、豊後竹田駅からタクシーで行きましたが、運転手さんがそのタクシー会社の観光課長をしており、壁画や石のピアノ等の説明やこの地方の出身者である瀧廉太郎関連を紹介してくれました。岡城とはまた違った面で面白かった。兵庫県の竹田城とダブった。 |
高松城 2013年10月26日 | 22番目の登城です。台風27号が過ぎ去った翌日に訪問。台風一過で気温も下がり、少々、肌寒く、JR四国の予讃線の高松駅では暖房が入っていました。昨日、電車で高松に行き、ホテルに宿泊しました。高松城は日本三大海城のひとつで天守閣が残っていました。スタンプ置き場は10/25から東西の入口ではなく、事務所に変更となりました。事務所は8時30分からでないと空かないため、駅で時間調整をしました。当初、6時から西入口で押印できるものと思ってスケジュールを組んでいました。ご注意を。 |
丸亀城 2013年10月26日 | 23番目の登城です。電車で高松から丸亀に行き、丸亀で下車しました。丸亀城まで10分程度歩くと到着しました。この城は京極家と関わりがあり、小谷城の浅井家のお初とルーツがあると城の下のお土産店の店主(?)から聞くと何故か感無量となるものがありました。初めて点が線となった瞬間でした。但し、城までの坂は結構きつい。眺望は抜群です。 |
岡山城 2013年10月26日 | 24番目の登城です。岡山駅から路面電車に乗り、城下駅で下車。歩いて10分程度で岡山城に着く。路面電車は情緒があって良い。岡山城は2回目の訪問で30年前に行った時より何故か新鮮味があった。烏城と言われるくらい黒っぽい城で岡山市内が一望できる。小学生が写生会をやっていた。福山城に向かって岡山城を後にしました。 |
福山城 2013年10月26日 | 25番目の登城です。JR在来線で岡山から福山まで行った。福山駅北口から目の前で歩いて5分程度。この時期、城内で菊花展を開催されていました。拝観料の800円は高すぎる。もっと安くして欲しい。入館して各階の展示物と眺望を楽しんだ。帰りにお土産として日本の名城双六を買って大阪まで新幹線で帰りました。 |
千早城 2013年11月2日 | 27番目の登城です。近畿圏を制覇しました。スタンプ置き場は金剛山麓「まつまさ」にあり、閉店ギリギリだったため、登城は次回に見送り。店の奥さんと百名城の情報交換し、75を登城したとのこと。今度、ゆうくりと訪問し、話を聞きたい。 |
高取城 2013年11月2日 | 26番目の登城です。奈良の正倉院展の帰りに寄りました。スタンプ置き場の「夢創館」では奈良産業大学が天守閣をCGで作成したものを見せてくれました。それを見るとかなりの壮大な城だったようです。スタンプも時間外に来る訪問者のために外に置かれていました。高取城跡へは近くまで車で行けましたが、途中まで(壺阪寺)道幅が広かったのですが、それ以降は、かなりの狭くなり、注意が必要。日本三大山城のひとつで本丸までの道のりは厳しかったが、立派な山城でした。 |
佐倉城 2013年11月24日 | 28番目の登城。佐倉城跡は以前、佐倉市に住んでいた事もあり、よく知っている。民俗博物館もよく行った。江戸の背後を固める目的で歴代譜代大名が赴任したところ。その中でも堀田氏の活躍が印象に残る。馬出の空堀や土塁が多く残る。 |
飫肥城 2013年12月21日 | 30番目の登城。伊東家5万1千石の飫肥城。飫肥歴史資料館でスタンプを押し、松尾の丸、豫章館、小村(寿太郎)記念館にも寄った。豫章館では、ブログ用の記念写真とコメント書いて係りの女性に渡した。その後、「食べあるき引換券付マップ」で城下町周辺尾の店で食べ歩きをした。百名城の中で好きな城のひとつ。帰りに飫肥杉でつくった箸をお土産に購入した。 |
鹿児島城 2013年12月21日 | 29城目の登城。鹿児島県民の方は鹿児島城とは言わず、鶴丸城の呼称で案内された。鹿児島城は天守閣がない館造りである。黎明館の歴史資料センター内を見学した。鹿児島城は、大きな城だったように思いましたが、熊本城の1/7、福岡城の1/2ということなので差ほど大きくない。天文館の過去の繁栄振りが展示されていたが、当時の状況がわかって面白かった。 |
首里城 2014年1月18日 | 32城目の登城。沖縄の城は。中国の影響を受けているせいか、城というより砦に近い印象。1月と言うのに外気温が20度近くあり、桜も咲き始めている。空港からレンターカーを借りて沖縄3城巡り。首里城はボランティアの女性にいろいろとお話を受け、面白かった。首里城正殿の唐破風妻飾は見ごたえがある。 |
中城城 2014年1月19日 | 33城目の登城。古琉球時代のグスクが現代まで良く残っている事に感銘した。沖縄石灰岩の切石をいろいろな形で積み上げており、沖縄ならでの要塞である。中城城始め、関連遺産群として世界遺産に2000年に登録されている。 |
今帰仁城 2014年1月19日 | 34城目の登城。中城城同様、世界遺産に登録されている。この漢字をなきじんじょうとはなかなか読めない。沖縄は独特の漢字の当てはめになっている。沖縄のグスクは、イメージとして総構えのような構造となっており、その中で儀式や生活が完結していたようだ。本州の城とは、また、違って興味深い。 |
熊本城 2014年1月30日 | 35城目の登城。外国人の観光客が非常に多かった。特に加藤清正公が朝鮮との関係が深かったこともあり、韓国の方が多く見受けられた。熊本城は、これで3回目の登城。武者返しや宇土櫓、本丸御殿、その他の櫓とも見応えがある。周辺では、水前寺公園も良い。 |
名古屋城 2014年2月26日 | 36番目の登城。最近出来た本丸御殿と本丸を見学した。名古屋城内は、京都と同じように碁盤の目となっている。本丸御殿はH21年5月に着工し、H30年には全体が感性する予定。 |
小田原城 2014年2月28日 | 40番目の登城。JR小田原駅から徒歩で向かう。15分ほど歩いて南入口から本丸へ行く。途中、小田原城歴史見聞館を見学する。小田原城は、秀吉の小田原攻めに備えるため、築造された城下町を含めると9kmにおよぶ総構えの城。 |
駿府城 2014年3月7日 | 37番目の登城。JR静岡駅から歩いて行き、駿府城公園内の東御門巽櫓と紅葉山庭園を見学しました。徳川家康が12年間、人質として生活していた場所で晩年、再び、戻って来て「大御所」とした場所です。庭園が綺麗に整備されており、気持が良い空間でした。 |
山中城 2014年3月8日 | 39番目の登城。静岡県3城(駿府城、掛川城、山中城)を1泊2日でレンターカーを借りて回りました。東名自動車を掛川城から行きました。途中、富士山が綺麗に見えました。こんなに近くで富士山を見たのでは久しぶりです。雨の中でしたが、約2時間かけて戦国山城探訪コースを回りました。私は山中城は百名城の中でもベスト5に入る城だと思っています。北条氏の歴史的背景はもとより、その構造にあります。障子掘は、攻防両面で機能を果たすものと思います。山城としては、非常に珍しいものを見学しました。 |
掛川城 2014年3月8日 | 38番目の登城。静岡駅でレンタカーを借りて掛川城に行きました。1時間ぐらいかかりました。掛川城は山内一豊も関わった城で歴代11大名家が居城を構えたところです。 |
長篠城 2014年3月16日 | 43番目の登城。自家用車で東海6城を巡った。長篠城址跡保存館とその周辺の本丸跡、内堀、厩跡等を見学した。織田・徳川連合軍と武田軍との激戦の場。奥平貞昌軍500が30倍の勝頼に対峙し、よくぞ猛攻に耐えたものだ。近くの設楽原歴史資料館に行く余裕がなかった。次回、来た時に行って見たい。 |
伊賀上野城 2014年3月16日 | 41番目の登城。伊賀上野城は3回目の登城となる。築城の名手・藤堂高虎が縄張りをしたところ。藤堂高虎は伊賀上野城以外にも宇和島、今治、大洲、江戸、大坂、二条他で築城に携わった人。上野城の豪壮な高石垣は見もの。 |
松阪城 2014年3月16日 | 42番目の登城。東海6城巡りのひとつ。蒲生氏郷が築城。石垣は野面積みで古墳の石棺や印塔等他の石の部材も使用されている。松坂は吉祥の「松」と大坂の「坂」を併せて名付けたとのこと。登城後は歴史民俗資料館と洋食屋牛銀に立ち寄った。 |
岐阜城 2014年3月17日 | 46番目の登城。自家用車で東海6城(伊賀上野城、松坂城、長篠城、岡崎城、犬山城、岐阜城)を1泊2日で廻った。 岐阜城は2回目の登城。金華山の頂上までロープウェイで昇る。岐阜城と犬山城は至近距離。眼下の長良川が一望できる。まさに自然に囲まれた鉄壁の要塞。信長の野望が伺える。 名和昆虫博物館のギフチョウも有名。 |
犬山城 2014年3月17日 | 45番目の登城。眼下に木曽川が一望出来る。木曽川は交通の要衝となったところ。天守は現存する日本最古の様式である。3英傑(信長、秀吉、家康)がこの城を奪い合った。 |
岡崎城 2014年3月17日 | 44番目の登城。徳川家康の生誕の城で徳川幕府時代は譜代の大名にこの城を守らせた。 北陸6名城(伊賀上野城、松阪城、長篠城、駿府城、掛川城、山中城)のうちのひとつ。 |
八王子城 2014年5月10日 | 48番目の登城。JR中央線の高尾駅からバスで最寄のバス停「霊園前」で下車、それから徒歩で向かった。本丸までは行けず、管理棟内を見学した。秀吉の小田原攻めの一環として八王子城も前田利家、上杉景勝の連合軍に攻められる。八王子城は急峻な山に建てられた山城。築城するのにも攻めるのにも大変な城だったと眼前の山を見て感じた次第。 |
広島城 2014年5月25日 | 49城目の登城。広島城は、毛利輝元が築城した平城であるが、そのルーツは郡山城(広島県安芸高田市)だと知る。毛利家は関ヶ原合戦以降、萩城に移封されたが、江戸時代を強かに生き続け、その結果、明治維新を迎える。歴史の流れをつくづく感じる。福島正則の破却石垣の話は面白かった。 |
郡山城 2014年5月25日 | 50番目の登城。毛利家のルーツの城。JR広島駅からバスで最寄のバス停まで1時間以上かけて行く。バス停から安芸高田市立歴史民族博物館まで土地勘がないため、地元の高校生に聞く。丁寧に教えてくれた。見知らぬ旅のひとつの楽しみ。博物館を1時間ほど見学して城跡に登りたかったが、時間切れで行けなかった。次回、ゆっくりと時間をとって行きたい。帰りは最寄の駅までバスで行き、その後はJR電車で広島駅まで帰った。列車は、カープ戦があるため、多くのカープファンと乗り合わせになり、その圧力にどきもが抜けた感じ。特にカープ女子の熱狂的なオーラは凄いものを感じた。ファンは有難いです。博物館で「吉田(吉田町の史跡と文化財)」の冊子を購入した。吉田の歴史を早分かりが出来て面白かった。 |
岩国城 2014年5月26日 | 51城目の登城。錦帯橋の方が有名な地域であるが、岩国城からの錦帯橋含めた周囲の眺めは一見である。吉川広家が富田城から3万石の岩国城に移封された城。新岩国駅からバスで行く。岩国は日本州「獺祭」の酒造地。 |
鳥取城 2014年6月24日 | 第53番目の登城。月山富田城から鳥取城まで電車で向かった。城の入口付近におられるボランティアの人にガイドをお願いした。九松山をガイドの方と一緒に登り、1時間ほど説明をお聞きした。鳥取城は土と石垣で性格が異なる二種類の遺跡で構成されている。羽柴秀吉が吉川経家(不遇の人)の籠と対陣した際に本陣とした太閤ゲ平がある。神風閣があり、映画「るろうの剣心」の撮影場所でもある。 |
月山富田城 2014年6月24日 | 54番目の登城。電車で安来駅に行き、そこから広域生活バスで安来市立歴史資料館に向かった。生活用に使用するバスで確か白ナンバーであった。乗車する人も比較的少なく、運転手さんから降りる場所を丁寧に教えてくれた。資料館でスタンプを押印後、月山富田城まで歪曲の道を歩いた。途中、山中鹿介幸盛の供養塔や堀尾吉晴の墓等を見ながら城跡を目指して進んだ富田川を挟んで向こう側に中島一騎討や三日月公園等がある。次は、鳥取城目指してまたバスと電車に乗り継いで向かった。 |
岩村城 2014年8月14日 | 第54番目の登城。8月の夏季休暇を利用して東海地区の百名城を訪問。岩村城は日本三大山城のひとつ。(岩村城、大和高取城、備中松山城)岩村歴史資料館で押印した後、城跡に向かう。加藤景廉の築城とされるが、標高721mのこのような場所によくぞ築城したものだと感じ入った。 |
高遠城 2014年8月14日 | 第55番目の登城。8月の夏季休暇を利用して訪問。この城は保科正之との関係強いところで高遠町歴史博物館の入口付近では大河ドラマの撮影場所としての要請の幟が掲げられていた。保科正之は高遠の地が育てた歴史上の巨人で会津若松城、山形城の城主も藩主や大名となった名君だ。公園にある城は別物(個人の所有物)とのこと。高遠藩史を購入した。 |
武田氏館 2014年8月15日 | 57番目の登城。山梨・長野7城を自家用車で巡り、登城した。曲輪と土塁、堀で構成されているが、。主郭は武田神社となっている。館の南側は、現在、民家であるが、当時は、武家屋敷となっていた。足利氏館同様、権勢張った時代の武将の館が偲ばれる。 |
甲府城 2014年8月15日 | 56番目の登城。徳川時代は、徳川家直系が城主を務めた程、重要な拠点となる城。舞鶴城公園内の本丸、曲輪、櫓、堀、日本庭園等を散策した。平山城形式で上から見ると鶴が羽ばたく姿に似ていることから舞鶴城と名付けられたとのこと。 |
松代城 2014年8月15日 | 60番目の登城。閉門後のため、中に入れず、外からの見学のみとなった。武田信玄の築城だが、真田家の方が名が通っている。周辺の真田宝物館、真田邸、旧樋口家住宅を見学した。 |
上田城 2014年8月15日 | 59番目の登城。2回目の登城となる。眼下に千曲川が見える。真田昌幸の築城で再建された櫓門や真田石は見もの。7基の櫓のうち3基が現存する。博物館も見学した。 |
小諸城 2014年8月15日 | 61番目の登城。2回目の登城である。この城の特徴は城下町より低い穴城で浅間山の火山灰でできているため、水を使用せず、崩れやすい断崖が堅固な要塞となっている。 |
松本城 2014年8月16日 | 61城目の登城。3回目の登城で初スタンプです。夏休みを利用して信州近辺の百名城を訪問。訪問者の数の多さにびっくり。ボランティアガイドの方と立ち話をして松本城の歴史を聞いた。天守は五重六層の平城で現存する12城のひとつ。乾小天守を渡櫓で連結し、辰巳附櫓と月見櫓を複合した連結複合式で独立天守が多い近世城郭の中では珍しいとのこと。 |
仙台城 2014年9月7日 | 62番目の登城。仙台城はこれおで3回目となる。眼下見える広瀬川は過去にヒットしたこともあり、広大な川だ。大手門跡から自然豊かな散策路を通って本丸に向かった。 |
津山城 2014年9月14日 | 63城目の登城。森蘭丸の弟、忠政の築城で13年かかったとのこと。吉井川と宮川の合流点を見下ろす小高い山(鶴山)に建てられた。天守閣や付属建築は、取り壊されて今はありませんが、その城跡を見ると往年の面影が感じられます。桜の季節にもう一度行って見たい。 |
鬼ノ城 2014年9月14日 | 65番目の登城。鬼ノ城は古代山城と言われたところであるが、一般に言われる城とは程遠いものがある。古代山城は、朝鮮式山城と神籠石山城に別れるが、鬼ノ城は神籠石山城と言われているとのこと。築城目的や時期が不明で謎に包まれた城のようです。 |
備中松山城 2014年9月14日 | 64番目の登城。岡山の3城(津山城、備中松山城、鬼ノ城)を日帰りで巡った。既存12天守のひとつ。標高430mの臥牛山頂上付近に天守がある。天守からの高梁川が一望できる。歴代藩主が16代かわっている。山城はやはり見応えがある。竹田城ともども天空の城と呼ばれている。 |
津和野城 2014年10月20日 | 66番目の登城。雨の津和野城を訪問。リフトで城址まで行った。途中、さだまさしの「案山子」のメロディーが聞こえてきた。歌の歌詞にある「城跡から見下ろせば・・・」はここから見える町並みのことらしい。フォーク世代としては感無量の思いで聴いていた。津和野城の築城は1282年に元寇警備のため、吉見頼行公によるものとのこと。標高367mの急な山頂に良くぞ築城したものだと感心した。 |
萩城 2014年10月20日 | 67番目の登城。津和野城から萩城に向かった。雨も止み、城巡りをするのには良いコンディションとなる。来年、大河ドラマで放映される「花燃ゆ」ため、いたるところにピンクの幟があった。この城は、毛利氏が関ヶ原の合戦で敗れ、移封されたところ。藩府を山口に移転するまで260年間、政治の中心であったところ。高杉晋作や久坂玄瑞、木戸孝允等山口には傑出した人物が輩出する土地がらか。萩博物館での著名人のパンフレットをたくさん貰った。城下町探索も風情があって良い。 |
平戸城 2014年10月25日 | 68番目の登城。平戸城は2回目の訪問。伊万里からレンタカーを借りて来たが、海岸線が綺麗だった。平戸城は松浦藩30代である松浦 棟の築城で山鹿流の縄張りによる日本唯一の平山城である。現在の平戸城は昭和37年に再建されたもの。次の登城地の島原城に向かう途中、私が生まれた江迎町を車窓から眺めながら脳裏に残し、車を進めた。 |
島原城 2014年10月25日 | 69番目の登城。平戸城から車で来たが、結構、遠い。入館時間ぎりぎりで到着した。島原城は、原城同様、「島原の乱」のゆかりの地。司馬遼太郎の「街道をゆく」の17巻で読んだ箇所。ゆっくりと見学できなかったのと原城跡も行けなかったのが禍根を残す。次回、ゆっくりとこの2城と天草に行って見たい。 |
人吉城 2015年2月13日 | 70番目の登城です。博多駅前のバスターミナルから高速バスで2時間以上かけて訪問しました。高速バスのバス停から雨の中、タクシーで人吉城歴史館まで行きました。相良氏の居城ということでしたが、ほとんど知識がなかった。城跡は球磨川に隣接しており、徒歩で城跡周辺を見学した。城跡とは関係ないが、球磨川と言えば球磨焼酎で創業明治36年の繊月酒造を訪問し、工場見学をした後、「繊月」をお土産に購入した。永国寺もお勧め。 |
徳島城 2015年4月18日 | 71番目の登城です。学生時代の同窓と定年旅行に訪問。淡路から鳴門に入り、徳島城に行った。徳島中央公園のパーキングで停め、徳島城博物館を見学、阿波・淡路の25万7戦国の領主、蜂須賀家の城で徳島城表御殿庭園を散策した。庭園内の自然石の橋や切石橋は見もの。吉野川や眉山をここから眺めた。 |
今治城 2015年4月18日 | 72番目の登城です。学生時代の仲間と定年旅行で訪問。藤堂高虎の築城で近世城郭の発祥の城。ボランティアガイドの女性が丁寧に城内を説明してくれました。感謝です。ありがとうございました。日本三大海城で(今治城、高松城、中津城)、国宝級の城だと思うのですが、難しい点があるようです。ボランティアガイドの方とお孫さんとの共作パンフレットはかわいいイラスト付で面白い。記念に保存しておきます。 |
湯築城 2015年4月19日 | 72番目の登城です。前日に引き続き、学生時代の仲間と定年旅行で訪問。前日、愉快リゾートに宿泊し、道後公園内の湯築城資料館でスタンプを押印後、武家屋敷、土塁展示室等の遺構をを見学した。中世の城郭で近世時代の石垣や天守がなく、地形を利用した平山城で小早川隆景に湯築城を明け渡すまで実に400年の永きに亘る、河野氏の居城。武家屋敷でボランティアの女性が丁寧に説明してくれました。 |
松山城 2015年4月19日 | 74番目の登城です。前日に引き続き、学生時代の仲間と定年旅行で訪問。城下の無料駐車場に停めてそこから歩いて行った。加藤嘉明が関ヶ原の合戦の論功褒章で築城、15万石の親藩大名の城。現存12天守の城。松山城で現存天守12城の通行手形のスタンプ帳が発行されていた。(無料) |
一乗谷城 2015年5月5日 | 75番目の登城。5月の連休を利用して北陸の城を訪問。一乗谷城は朝倉氏の城であるが、浅井家と比べて遺跡はあるものの一時代の栄華を極めた武将としては、少々、規模が小さいように思う。遺跡資料館に寄り、スタンプを押印し、町並立体復元地区、領主の館群を見学後、近くの蕎麦屋「利休庵」で昼食とった。 |
丸岡城 2015年5月5日 | 76番目の登城。5月の連休を利用して訪問。「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」で有名な城。2回目の登城。柴田勝豊の築城で現存12天守で最も古い建築。屋根が全部石瓦で葺かれているのが全国的にも稀な特徴とのこと。昭和23年福井地震で倒壊、昭和30年に修復再建された。 |
川越城 2015年5月10日 | 47番目の登城。東京からJRを使って川越駅まで行き、そこからバスで向かった。3回目の登城。小江戸と言われるくらい、町並みが整備されている。石高17万石もあったくらいだからかなり重要な拠点だったと伺える。鉄道も要衝地点である。本丸御殿と博物館、市内観光で時の鐘、喜多院等を見学した。 |
水戸城 2015年6月13日 | 77番目の登城。2回目の登城です。弘道館・水戸城跡周辺を見学しました。久保田城に移封された佐竹氏が近代城郭として改修した。水戸は徳川家よりも佐竹氏の面影が強く感じられる。各曲輪が空堀となっているのも特徴。 |
二本松城 2015年8月21日 | 86登城目です。台風の影響で前日まで寒かったのですが、今日は、暑いくらい。半袖がちょうど良い。二本松市歴史資料館でスタンプを押してから本丸に行ったのですが、場所おがわからず、三ノ丸下段のみ見学した。次回、本丸を見学したい。 |
会津若松城 2015年8月21日 | 82登城目です。さすが、会津若松城で威容も威風堂々としてすばらしい城です。観光客も多い。スタンプは、天守閣内の出口前にある売店に置かれていました。会津藩という本を買って還りました。 |
白河小峰城 2015年8月21日 | 81登城目です。福島空港からレンターカーを借りて行きました。一般道で50分ぐらいところにあり、雨の登城でした。石垣は、震災で落石し、現在、修復中でしたが、三重櫓は見学出来ました。 |
多賀城 2015年8月22日 | 85登城目です。雨の多賀城でした。多賀城市埋蔵文化財調査センター展示室の女性が親切でいろいろと教えてくれました。現地にも行きましたが、場所がわかり難く、時間を要しました。現地は、行って見学した方が良いです。今度は、晴れた日に行ってみたい。 |
山形城 2015年8月22日 | 84登城目です。雨の山形城でした。見所が多く、かなりの時間が必要です。最上義光歴史館の開園前に2時間かけて回りました。歴史館は無料で受付の女性が親切でした。この地で57万石の居城を構築した最上義光の貢献は大きいものがあった。今度は桜の季節に行って見たい。 |
金沢城 2015年9月4日 | 第86城目の登城です。快晴でボランティアガイドの方に1時間ほど説明を受けて金沢城を堪能しました。先日、ブラタモリで紹介があったので実際の金沢城を見て興味をを持った。特に石垣や漆喰の壁は面白いものがあった。 |
高岡城 2015年9月5日 | 第88番目の登城です。夕方、閉演前にぎりぎりに訪問。高岡市立博物館でスタンプを貰い、展示を一通り見学した後、高岡古城公園と高岡大仏、瑞龍寺を訪問。瑞龍寺は国宝です。時間あれば見学して見ては如何。 |
七尾城 2015年9月5日 | 第87番目の登城です。七尾城史資料館で説明を受けた後、七尾城跡まで車で行きました。晴れていたので眺めが非常に良かった。七尾市街、七尾湾、遠くに能登半島の西端も見れます。能登畠山の居城で後に上杉謙信、前田利家も入場したとは知らなかった。 |
春日山城 2015年9月6日 | 第89目の登城です。朝一番に春日山城跡ものがたり館でビデオ説明と室内展示を見てから春日山城へ向かいました。途中の謙信公銅像まで車で行き、そこから本丸まで歩いていきました。往復1時間弱かかりました。本丸からの眺めは最高です。 |
高知城 2015年9月21日 | 90城目の登城です。シルバーウィークを利用して四国の残り3城を訪問。高知城は、これで3回目。スタンプを貰える時間帯に来れなくて今回が初スタンプ。連休期間中ということもあり、非常に混雑していました。長宗我部元親より山内家の貢献度が圧倒的に多いことから資料、展示品が山内一豊始め山内家のものが多数。大河ドラマ「功名が辻」で有名となったこともあり、ドラマの衣裳や撮影状況も展示されていた。現存天守12城のひとつ。高知での宿泊ホテルは「Hotel Ko's Style」で食事は「藤のや」でしたが、いずれもおすすめ。 |
宇和島城 2015年9月21日 | 91城目の登城です。シルバーウィークを利用して四国の城を訪問。宇和島城は2回目。宇和島伊達400年祭をやっていた。桑折長屋門の近くのパーキングで停め、城山郷土館経由で天守に向かった。前日のこんぴらさん詣でから連続で登り、下りのをしているため、相当、足にきている。ふくらはぎがパンパンに張っている。藤堂高虎の築城でるが、藤堂高虎は伊賀上野城、今治城他、主要の城を築城している築城の名手。ここからの宇和島城下はまた格別で遠く仙台からこの温暖な宇和島にきた伊達家の一族もきっと満喫したことだろうと要らぬ心遣いをした。また、南宇和郡にある紫電改展示館も隠れた観光スポットとしてお勧め。宇和島城は現存12城のひとつ。四国には現存する天守が多い。(松山城、宇和島城、丸亀城、高知城) もう少し、宇和島城を見たかったが、時間がなかったので次の大洲城に足早に向かった。次回は、もう少し、ゆっくと回りたい。 |
大洲城 2015年9月21日 | 92城目の登城です。閉館15分前に登城したため、城内の見学ができなかった。代わりにスタッフの方にパンフレットと城内の説明をお聞きした。失礼ながら6万石の大洲城が百名城に選ばれた理由が不明だったので率直にお聞きすると木造の4層の天守が選定の理由だとのこと。成るほどと思った。木造の天守は岐阜城があるが、国宝との違いはあるものの天守(復元)以外に台所櫓、高欄櫓(いずれも重文)があり、外から拝見した。中を見学したかったのが禍根を残す。次回、訪問時に是非、見たい。いつも百名城はこのパターンで未消化の状態。この時、同好の氏がおられ、自転車で百名城巡りを実施しているとのこと。恐れ入りました。いろいろな百名城の攻め方があるものと感銘した次第です。これで四国9城を全城制覇しました。今夜、松山でゆっくりと宿泊し、明日は、松山で坂の上ミュージアム、道後温泉本館等を観光後、帰路に向かいます。新居浜の別子銅山記念館も訪問します。 |
足利氏館 2015年10月10日 | 93城目の登城です。東京からJRの「休日おでかけパス」で電車に乗って足利氏館に行きました。JR足利駅に下りて駅員の方にお聞きしても知らないとの返事。住所から取り敢えず、足利学校に行って確認したところ鑁阿寺(ばんなじ)とのこと。境内案内板を見ると鎌倉時代や室町時代の建物が残っており、足利氏宅跡として国の史跡に指定されているもの。足利学校も見学し、急ぎ、次の目的地である小田原城に向かって東急「足利市駅」に急ぎ、歩いた。 |
盛岡城 2016年3月19日 | 94城目の登城です。3月の3連休を利用して東北4城(盛岡城、根城、弘前城、久保田城)を回りました。 生憎の雨でしたが、盛岡城の石垣を立派でした。南部氏は甲斐がルーツであること、三戸南部と根城南部にわかれたこと、盛岡南部は三戸南部の流れを汲んでいることがわかりました。八戸の根城に向けて車で進みます。 |
根城 2016年3月20日 | 95城目の登城。東北4城(盛岡城、根城、弘前城、久保田城)を回る中のひとつ。レンターカーを借りて仙台から回ったが、東北は広い。3日間で踏破予定だが、かなりハード。八戸藩は幕府の命により、盛岡藩から分かれて誕生した藩。八戸市博物館から広場を通り、本丸跡を見学した。3月とは言え、かなりの寒さの中、鼻水を垂らしながら見学した。家紋の割菱紋に加え、向鶴紋もあり、向鶴紋のルーツを読むとなかなか面白い。 |
弘前城 2016年3月20日 | 96番目の登城。減額した時は、天守の改修ため、独特な手法で場所を移動していた。(移動する方法はTVで見ましたが、神業でした) 資料館も3月末まで閉館でした。兎に角、寒かったが、公園内を回り、天守が戻る桜の季節にもう一度、行って見たい。 |
久保田城 2016年3月21日 | 97城目の登城。東北4城(盛岡城、根城、弘前城、久保田城)を3日かけてレンターカーを借りて回った。まだ雪が残り、降雪もあった。関西人としては、東北はまだ春は遠いと感じた。久保田城は、佐竹家が移封されたところと知ると感慨深いものを感じた。佐竹資料館から久保田城御隅櫓に行き、千秋公園を見学した。仙台空港に向かいために帰路を急いだ。佐竹資料館では職員の女性の方に場内の説明等でお世話になりました。 |
新発田城 2016年4月24日 | 98番目の登城です。北海道を除く唯一残った城。伊丹空港から空路、新潟空港へ行き、そこからJRで新発田駅まで行った。駅前の案内所で場所を確認後、徒歩で新発田城に向かった。赤穂浪士の堀部安兵衛がこの土地の出身であることを聞いて兵庫県人としては感銘を受けた。江戸時代に外様大名でありながら移封がなかったことは注目すべきこと。帰りに清水園と市島酒造を見学して王絞を買い、帰路の友とした。 |
箕輪城 2016年7月18日 | 80番目の登城。関西からは地理的にもなかなか行きにくいところ。榛名山から派生した自然を活用した平山城で鍛冶曲輪の石垣は残っており、いろいろと見所がある。場所的に各武将が拠点拡大として争ったところで重要な場所だったことが伺える。 |
金山城 2016年7月18日 | 79番目の登城。箕輪城ともども関西からはなかなか行きにくいところ。金山山頂に築城された山城で石垣から石敷きの通路まで城全体が石垣作りとなっているのが特徴。祭祀的場所であったとされる日ノ池も興味深い。 |
鉢形城 2016年7月18日 | 78番目の登城。この城も関西からはなかなか行きにくいところ。秀吉の小田原攻めの一環として秀吉から攻められた城。荒川と深沢川の間の崖の上に築城された正に自然の要塞。各地区の城を巡って見ると如何に自然を有効利用して築城したかわかる。 |
松前城 2019年7月7日 | 99城目の登城です。 夏季休暇を取り、北海道旅行もかねて行きました。 17時閉館で16時半までの入場でしたが、何とか、間に合いました。 風が強く、気温も低く、高台のため、海風が強かったです。 外国船に備えて築城したため、海側には防御されているが、背後が手薄となっている構造がが良くわかる。 |
根室半島チャシ跡群 2019年7月11日 | 100城目の登城です。 ついにやりました。H25年1月25日の江戸城をスタートに6年半かかりましたが、楽しい城巡りの旅でした。 ありがとうございました。感謝、感謝です。 |