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メンバー情報

ID6436
名前nabe
コメント【百名城制覇初日H27/3/8】
東京港区在住です。仕事であちこち行くついでに回ろうかなと考えてはじめたばかりです。
既に20城位は行っていたものの、このスタンプラリーがない時代なので、再度トライです。
私の知人が既に100城制覇しているのをネットで知り、その方に偶然お会いした時に聞いたら6年かかったとのこと。
気が遠くなりそうですが、土日しか使えないので、制覇は何時のことやら?

【24城登城後感想:H27/6/22】
  歴史の点と線の縦軸と横軸が繋がって行く楽しみを感じています。 その為にも一城に3時間くらいかけないととは思うものの時間が無い。

【78城目登城後感想 H28/7/18】
 三連休があれば殆ど、城巡り。土日休日しか使わない割には夢中になって全国制覇中。 女房も58城。飛行機に乗れない人間がついに、20年ぶりくらいにやむなく帰りの移動が無理で飛行機に。私は前日飛行機で移動して現地集合。 
しかし山城攻略には若くないとダメですね。
【続日本百名城ラリー開始にあたって】
百名城は平成29年5月7日に完遂。 6、7年かけて登城しようと始めてものの、スッカリハマってしまい、2年2ヶ月で完了。妻も巻き込んで、4ヶ月後に完遂。
  この同好会のウェブのお陰です。
  年も重ねて、老年者年中組ですが、今のところ夫婦共に足腰は大丈夫なので、続編は、じっくりと取り組みたいと思います。
  
このサイトを運営する管理人さんに大変感謝いてますが、メンバー同士が、ネット上です交流できる場があったら最高です。
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
江戸城
2015年3月8日
今日よりスタンプラリーにトライ
まず地元の皇居、江戸城。
何百回、いや何千回この前を通ったのだろう?
水戸城
2015年3月14日
今日27/3/14は、東京上野LINE開通の日。北陸新幹線の開通日でもありますが、先日蕎麦を食べがてら松代城に行ったばかりなので、東京上野LINEに乗ってみようと、朝起きて急に思い立ち、女房誘って始発品川駅から飛び乗りました。
ということで水戸城に登城。梅の季節でもある為帰りには偕楽園に立寄りました。

掛った交通費等
水戸城  平成27(2015)年3/14
泉岳寺〜品川133 常磐線特急常陸 品川〜水戸 15280 上野東京LINE 本日デビュー タクシー 品川〜自宅1270
弘道館入場料 200
川越城
2015年3月15日
自宅より車にて登城。2/100
佐倉城
2015年4月5日
写真撮影が大好きな孫と、我が女房を連れてお花見がてら佐倉城へ。堀があるだけの公園になってました。ここは城より国立歴史博物館の方が有名らしい。行って初めて知ったんですが、とにかく広い。1日でも回りきれない位の歴史資料館。古代から現代まで確か6つの館に
別れてます。結局三つ見て時間切れ。
郡山城
2015年4月11日
5城目なるも初めての記録。昨日ここに登録したものの登城記録の仕方が分からず、四苦八苦。
広島での研修を途中で切上、広島バスセンター8番口よりバス移動。
10:45発、12:18着の予定が15分遅延。一時間50分もかかってしまう。
滞在時間二時間で、帰りはタクシ−向原から芸備線で広島駅へ。15:48着。
登城の感想は皆さんに譲ります。  とにかく毛利元就が神奈川の出で、125万石から36万石?に減俸され萩に追いやられて、そのDNAが倒幕のエネルギーに結び付いたと考えると面白い。
広島城
2015年4月11日
郡山城のあとここに寄る。この順番で正解。
毛利元就の孫、輝元の築城なんですね。
6/100
高遠城
2015年5月3日
車にて北軽井沢から、移動。かなり遠いです。東京からは車だと無理でしょうね。
登城記録は、下記URL ↓
http://ameblo.jp/tokaikko-oyaji/entry-12022269669.html
松本城
2015年5月3日
高遠城より自家用車移動。長野自動車道にて伊那北より松本インターへ。
現存する五重天守の中では日本最古の国宝だそうです。それも連結式複合天守、ですって。
中に入るのに一時間半。
一部分、段差が50?位の階段もあり、兎に角狭いんですよ。登る人と降りる人が重なってとにかく動きが遅い。

登城日 平成27年5月3日  8/100
おそらく3回目の登城。今回は駐車場の方から行った為、横や後姿のお城は初めてでした。
とにかく、美しく、男性的な城ですね。
国宝だけに、その姿の美しさや、当時のまま残されている内部の様子は、天下一品。
でも、上田城や松代城のような、城主の名前に話題性がなく、このお城から派生する歴史的興味がイマイチ湧いてこないのは、私だけだろうか?
松代城
2015年5月4日
9城目 登城記録は下記URL ↓
http://ameblo.jp/tokaikko-oyaji/entry-12022685123.html
上田城
2015年5月4日
10城目  登城記録は下記URL
http://ameblo.jp/tokaikko-oyaji/entry-12022685875.html
鉢形城
2015年5月9日
11城/100城 初登城   ドライブがてら車にて登城。
外曲輪でやっていた、第3回北条流鏑馬の日に遭遇。儀式の最初から最後まで見ちゃいました。団扇が返る緊張の瞬間、11人の男女が流鏑馬で三の矢迄を射る。相当練習しているんでしょうが、3本共に射れたのは、確か男性の大将一人だったような。
北条家の北関東支配の拠点で、北条氏康の四男氏邦が整備。
流鏑馬見学に2時間近く割いてしまって、史跡公園内の見学に時間がさけなくて残念。
小諸城
2015年5月10日
12城/100城    10数年振3回目の登城。 連休の休みに登城し損ねたので、再トライ。
島崎藤村記念館初入場。何度見てもここの石垣はいいですね。
藤村の師、木村熊二(小諸義塾 塾長)が、我が町近くの教会の牧師で、東京に戻った時に我が町付近に住んでいたとは知りませんでした。

武田信玄に攻略されたのち、この城の縄張り(設計)は山本勘助。武田氏滅亡後は、織田、北条、徳川の争奪が繰り返され、小田原攻めの軍功で、仙谷秀久が大改修と城下町の整備。
最後の170年間、10代に亘って牧野家支配。
箕輪城
2015年5月10日
13城/100城   初登城  自家用車にて小諸城から移動。休日なのに殆ど人っけなし。搦め手口に立派な駐車場が昨年完成したばかり。  城跡の公園も、まだまだ整備中で数年後に来た方が良さそう。

スタンプのある箕郷支所の場所が分かりにくいです(写真添付)。 支所の正面の右側奥に休日受付の入口がありました。お城に関するパンフレットはここでしか入手できません。日本百名城に対する県の取組方がまだまだという感じです。
静かな佇まいで散歩するにはとてもよいところです。

お城を南北に二分している大堀切が見所だそうです。 片方の城が攻め落とされても、もう片方で戦う為だとの説明書きがありました。
金山城
2015年5月10日
14城目/100城  初登城   本日3城目。  小諸城→箕輪城→金山城。全て自動車道移動。
山の上の駐車場から、徒歩10分以上かかったでしょうか、急いでいたので息も絶え絶えという感じで登りました。
物見台からの両サイドの眺めが素晴らしいです。関東平野全体を見下ろしているような感じ。

上杉謙信→武田勝頼、そして小田原北条氏に降伏。その後秀吉の小田原攻めの後、前田利家らに金山城を接収されて廃城。徳川時代は献上松茸の産地として直轄地。

事前の情報入手が足りず、太田市立史跡金山城ガイダンス施設の場所が城付近にあると思い込み、
4時半入館締切に間に合わせるべく、慌てて登っていったものの、そこには無く、結局時間切れでここに行けなかったのが残念。
八王子城
2015年5月31日
15城目、自宅より車で移動。住所でナビ設定したら、関係ない場所についてしまう。
百名城に登録されていなかったら絶対に来なかったかもしれないお城。でも5代続いた小田原北条氏の中でも重要な位置を占め、長く続いた戦国時代の終了のキッカケの一つであった事を考えると、興味深さが湧いてきました。

北条氏照(北条氏康の次男)によって築城された山城です。
虎口に至る石段がとにかく段差が高くて登るのに大変でした。
ここを降りたところに曳橋が復元された筈で、パンフレットにも載っているんですが、現在は壊れていて何もありません。なのでこの虎口を降りていっても又登る事になるので要注意。

昨年の11/4登城の風呂屋の⚪︎⚪︎?さんの登城記録の写真によると曳橋の写真があるのに我々が行った時は無かった。いつ壊れたんでしょうかね。 半年の差で見れなかったのは残念。
小田原城
2015年5月31日
16城目、この城は3回目の登城。八王子城の見学が11:30頃終わったので、急遽小田原攻めを思いつく。圏央道が最近開通したのは知っていたので、直ぐ着くだろうと思ったものの、私のナビはまだ出来たばかりの圏央道が無い。とりあえず高尾山インターで入って、小田原厚木道路経由で小田原城へ。三度目の登城なるも、天守閣内の展示資料ばかりでなく、歴史見聞館もじっくり見てきました。
根室半島チャシ跡群
2015年6月6日
【17城目】いやー遠かったです。日本百名城に登録されて無かったら絶対来なかった場所でしょうね。
隣接の納沙布岬があまりにも有名なんで、一般観光客もまず立ち寄らない施設でしょう。ヲンネモトチャシ跡と、ノツカマフチャシ跡の2カ所を見ました。
でもなぜここが百名城に選ばれたのか? 一生懸命に考えました。
チャシはアイヌ語で砦、そして祭祀を執り行う場所。和人とアイヌ人の戦いの象徴の施設です。クナシリ・メナシの戦いなんて初めて知りました。和人71人がアイヌ人に殺され、アイヌ民族も37人が和人によって処刑されたとする碑も残されてます。
他の百名城の観光地としての華やかさに比べると、地元民にも見向かれていない、これらの寂しげな施設が際立っています。
根室中標津空港をレンタカー9時5分出発。根室の資料館着10:40。資料館出発11:20
納沙布岬到着11:50。
ノツカマフチャシ出発14:10。   ここから一路釧路空港へ。17:00空港着。走行距離291キロ
18:30ANAで新千歳空港、20:00列車で函館、到着は23:01
松前城
2015年6月7日
【19城目】函館朝市で、海鮮の朝食をとり五稜郭から11時頃レンタカーで松前へ移動。約100キロ。道は空いていて、平均時速70位で走れるものの、時々信号があったり、眠くなって仮眠したり、北海道最南端の岬で写真撮ったりで、松前城到着は13:30頃。
城内の資料は余りたいしたことないものの、アイヌとの関わりの展示は参考になりました。
昨年までは北前船の展示をやっていたとのことでそれが見れなくて残念。
当初蝦夷の地で一番栄えていた松前藩、北前船のお陰で、ニシンと昆布が取れなくなって寂れて行った話を聞いていたので、北前船の事をもっと知りたかったのに残念。
北前船がなぜだんだん横に太っていったかは、私のビジネスブログでご覧ください。
この後紹介しましょう。
何れにしても松前藩がも少し蝦夷の地を完全掌握していたら、その後の展開も違っていたかも。
そして、ありえない、タラレバ話かもしれませんが、北方領土も今のような事になっていなかったかも?  この点はアイヌ人がもっとしっかりしていれば、と置き換えておいいかもしれません。
この辺りはいつか私の見解を別に機会に示せればと考えます。
五稜郭
2015年6月7日
【18城目】五稜郭は昨年のカシオペアの旅で寄った時を含めて3回目の登城。今回はタワーに初めて登り、2時間程かけてじっくり資料を読みこなす。徳川脱走隊と松前藩との熾烈な戦いや、徳川幕府最後のあがきのような光景をじっくり体感できました。
   でも榎本武揚が新政府でも重用されたのも、その有用な人材を見捨てなかったこと。
天候判断の甘さで徳川側の開陽丸は沈んでしまったけれど、判断を誤らず、沈まなかったら、又違う展開もあり得たのかなと思うと興味は尽きません。
さてこれから松前城へおうふく200キロのドライブ。今日の最終便で羽田に帰らないと明日の仕事が大変。
掛川城
2015年6月13日
【20城目】前日急に思いたち、女房誘って静岡県の城を攻める事に決定。内助の功千代で有名な山内一豊の城だったんですね。東京品川を出て登城時刻は11:05。駅から歩いて7分くらい。
山内一豊は元々秀吉側であったものの、徳川側に。 そして関ヶ原の戦の功で、豊臣家静岡県掛川支店長から、徳川家四国土佐支店長に栄転。年俸も5倍の20万石に昇級。  一豊の妻千代の功績も大ですね。 資料室でこの内助の功の千代のビデオを女講談師がやってましたので、我が女房にもじっくり見てもらいました。途中退席してしまいましたが、、、、、。
下城時刻12:20  そのまま新幹線で隣の駅の静岡駅の駿府城へ移動。
駿府城
2015年6月13日
【21城目】さすが家康の隠居後の、そして若き日の今川家人質時代(今風に言うと小中高校時代)の城だけあってスケールは大きい。
人質時代の勉強部屋(4畳半程)も復元されてました。
掛川城から駿府城へと来ましたが、新幹線掛川駅も静岡駅も生まれて初めて下車。
遅いお昼は清水港まで行って食べました。
今帰仁城
2015年6月20日
【22城目】出張先から朝10時半泊港北岸到着。沖縄は何十回と来ているので、走行距離等事前調査も何もしないで出発。途中立ち寄りもあった為、着いたのは14時半。やはり事前調査は必要。
内地のお城とは比較しずらいものの、予想以上に大きな城砦でした。
  次の中城城跡に果たして間に合うか?
中城城
2015年6月20日
【23城目】今帰仁城から古宇利島に立ち寄り、観光客はめったに行かない、島の最高位の展望台、アマジャフバルの農村公園で360度のパノラマ写真撮影。途中二見情話の歌碑で作曲の所以を知り納得。
二見情話のメロディラインも経験して、辺野古のキャンプシュワブの基地移転反対闘争を横目に、中城城跡へ走る。
途中物凄い豪雨に合う。 城の閉鎖二十分前に入り見学。帰りは直ぐ近くにある城主、護佐丸の墓も見学。車に戻るあたりから凄い雨になる。

帰路の豪雨はバケツをひっくり返したような感じ。 落雷で信号が消え、大変な事に。
首里城
2015年6月21日
【24城目】さすが世界遺産首里城、琉球王国の偉大さを再確認しました。3回目の登城
アイヌの砦、チャシ跡群を見たあとなので、余計に感じます。いずれ和人に飲み込まれていたかもしれないものの、アイヌ王国が巨大であったなら、今の北方領土も違った展開があったかも。
仕事のついでではあったものの、これで北海道と沖縄を制覇。あとはじっくり内地の城を攻めます。
大阪城
2015年7月20日
【25城目】休日にも拘らず、大阪出張で仕事。何十回も大阪に来てるにも拘らず、大阪城は行った事無し。という事で、朝早く東京を出て10時前には大阪城登城。
兎に角広い。じっくり2時間。そして外は物凄い暑さ。カキ氷🍧2杯食べてもいいくらいでしたが一杯で止めました。
そして来場者の9割は中国人。日本語はまず聞かれません。
たまーに日本語を聞くと、あっ、そうだここは日本だ‼︎となります。
この城は秀吉が造ったものの上に、更に土を盛ってより高い天守閣を作っていたんですね。
明石城
2015年7月20日
【26城目】大阪での仕事が終わって、ナビタイムで調べたら、スタンプを押してくれる事務所が終る5:00の10分前に到着できる事が判明。スタンプを押して見学を始めたら、ボランティアの人が案内しましょうとの事で、30分以上説明役を買ってくれました。東京港区に本社があって、定年で戻ってきたとの事。
先輩登城者の書込みで魚棚商店街に立寄り明石焼きの初体験。たこ焼きを、スープにつけて食べるんですね。
物語性に欠ける城のせいか、お城に関する説明は殆ど無し。通常は歴史博物館のような資料館が何処にもあるのにここは何も無し。せっかく百名城に選ばれたのだから、城好き観光客も増加してるはずなので、もっと真剣な対応が望まれますね。ここはお城という観光資源より、公園であり運動施設のある場所との市の位置ずけののようです。
写真説明  宮本武蔵作の武蔵庭園、明石焼き、櫓
新発田城
2015年7月25日
【27城目】金曜日に急に思い立ち夕方から女房を誘い、東京から越後湯沢で前泊。朝一で新潟経由、新発田城に向かう。AM9:00着 堀部安兵衛生誕の地とは知りませんでした。新発田藩の下屋敷であった清水園は見応えのある庭園です。駿府城内にあった日本庭園より立派かも?
AM10:30に次の訪問地春日山城に向かう。
春日山城
2015年7月25日
【28城目】長岡駅近くの小嶋屋で、へぎ蕎麦と鰻セットを食し、春日山駅15:30着。タクシーで、ものがたり館まで行ってスタンプ。そこでビデオ等資料見てから、春日山城跡へタクシー移動。神社前のお茶屋から登山開始。所要時間1時間。呼んでいたタクシーが早めに来ていたため、17:27発直江津駅行きに飛乗り、長岡へ。今日はここの宿泊。19時前に到着。昨日の宿泊宿も当日午後よやく、今日の宿泊宿も当日午後予約。行き当たりバッタリの旅も良いもんです。
白河小峰城
2015年8月13日
【29城目】朝9時半到着。城の中にある集古苑では、大定信展をやってました。白河小峰城は、寛政の改革を行った松平定信の城だったんですね。
吉宗の孫であり、地方政治でも見事な采配を振るった松平定信は30歳という若さで老中になります。 本来は、将軍となれる立場でありながら、田沼意次により、その権利を剥奪されてしまった松平定信。
駅の観光案内所にあるスタンプはかすれています。 白河の関に行きたかったけれど時間がなく断念。代わりに日本最古の公園と言われる、南湖公園に食事だけしに行きました。
足利氏館
2015年8月15日
【30城目】塗り潰し同好会のメンバー諸氏の書込みで、この館に対する先入意識はinputされていた為、予想通りの印象。つまりなんでここが百名城? 栃木だったら宇都宮城にして欲しかった。
足利氏居宅の鑁阿寺は、弘法太子の真言宗のお寺としての位置付けの方が分かり易いかも。
江戸末期から 明治維新の時代に、西欧の近代文明に遅れをとりながらも、列強の支配下にならず、現在に至っているその原点は、足利学校の教育システムが脈々として、その後の世代に引き継がれていたからではないかとの思いを強くしました。
ここに来たら足利学校を見ないと意味ありません。
  この日は、夏休み終わる日で、軽井沢から帰路、混雑を予想される碓氷軽井沢インターを避けて、二度上げ峠経由高崎から帰ろうとしていた最中に突然思いついて、足利まで来てしまいました。
甲府城
2015年9月5日
【31城目】子供の頃以来の、超久し振りの登城。すっかり整備されていて、びっくり。
昭和30年代は、明治天皇の謝恩碑しかなかった荒地というイメージでしたが、平成に入ってからの復元工事ですっかり綺麗になりました。黒門(くろがねもん)の復元完了が平成25年。
稲荷櫓復元が平成16年。
スタンプは管理事務所のものより稲荷櫓のスタンプの方が陰影良好。
甲府駅南口も北口も様変わり。祖父母や従兄弟達がいた昭和30年代の甲府のイメージしかなかった私には懐しさ一杯の訪問でした。
武田氏館
2015年9月5日
【32城目】関東甲信越これにて完全制覇。山梨は父方の実家なるも、武田神社の訪問は記憶外。
近いし、仕事で近く迄来るので何時でも行かれるとの思いで、今頃になってしまう。
信玄の時代は躑躅ヶ崎館。私の父親の生地、石和から館を移したとは初めて知りました。
武田神社は大正八年から。
和歌山城
2015年9月12日
【33城目】昨日の大阪での研修会を終え、朝9時半に新大阪駅にて東京から来た妻と合流。10:34和歌山着。バスにてお城へ。
野面積み、打ち込み接ぎ、切込み接ぎの全ての石垣が見られるのがいいですね。
御橋廊下を渡った先にある鳶魚閣(えんぎょかく)や西の丸庭園が素晴らしいですね。
今日は奈良の春日奥山月日亭に泊まって、明日は高取城をレンタカー借りて攻めます。
高取城
2015年9月13日
【34城目】近鉄奈良駅前から朝9時10分レンタカーにて高取城を目指す。高取町観光案内所「夢創館」到着10:40
スタンプラリー参加者と思しき他の二組と共に、ビデオ視聴。当時の城のCGでの再現と実際の登城コースの比較画面は、登城前に見る事は必須。
登城は、壺阪口門より。七つ井戸の手前の入り口です。車は7、8台は路上に駐車できますが、この日は2台のみ。下からの登山客に大勢会いました。海抜583mは美濃岩村城の721mに劣るものの、麓からの高低差446mは、備中松山城の290mを遥かに凌ぐ日本一です。高低差がありすぎて生活には不便な為、平和な時代には殆ど麓の住んでいたとの事。元城主等の家も現存し、生活もしています。
登山はそこそこでしたが、この塗り潰しクラブの皆さんの書込みで覚悟していたせいか、春日山城程度に感じました。
帰りは歌舞伎の壺阪霊験記で有名な壺阪寺の涅槃像で写真を撮り、土佐街道の中心にあるnoconocoにて遅い昼食。 その後キトラ古墳、高松塚古墳、天武天皇持統天皇夫妻の墓を見て奈良市内へ。
二条城
2015年9月21日
【35城目】
竹田城
2015年9月22日
【36城目】京都から城崎温泉に行って前泊して、翌朝レンタカーで登城。
山城の郷まで車で行き、そこから天空バス。下の駐車場しか空いてなく、山城の郷まで90数段の階段。竹田城での登りはここが一番きつかったかも?
上のバス停留所からは歩行者専用道でアスファルト。最後の部分は階段状の道を歩きます。
全面シート状の覆いの上を歩いていくので、自然道を歩きている気分になれませんでした。
山城といえば、八王子城、高取城、春日山城、金山城のような、如何にも山城といった、土の上を歩きたいですね。
城跡からの景色は抜群ですが、上述の山城に比べてやや趣が違いました。
篠山城
2015年9月22日
竹田城からレンタカー移動で篠山城へ、しのやま城だとばかり思い込んでいたものの、ささやま城だと判明。
西日本の諸大名を押さえる役割を持った篠山城は天下普請として西日本15ヶ国の諸大名を動員して築城。

第9代から、廃藩となる14代迄の藩主は青山氏。その先祖が家康の江戸入封の際の関東総奉行であった、青山忠成。私の住む町にも関係するので忘れないうちにメモる。
江戸青山宿(東京港区青山通)を家康から受領したのも忠成。青山通りのルーツに出会って感激。
篠山城三代目城主の後の藤井松平信之の時に、私にもちょこっと関係ある、下総国古河九万石に移封。これも折角調べたのでメモ。
姫路城
2015年9月23日
【38城目】3度目(若くは4度目)の登城。
有馬温泉に孫達家族と前泊し、朝9時にレンタカーにて出発。
臨時駐車場にようやく駐車。登城に待ち時間一時間。
白鷺城というより、白すぎ城。
帰りの新幹線ほ時間を気にしながら12:40下城開始。
13:49姫路発品川駅行きに飛び乗る。6人での移動の為、見学時間の制約あり。
徳島城
2015年10月11日
【39城目】四国の城攻めは、いつのことやらと思っていたところ「殿様は明治をどう生きたか」と言う本を読んでいて蜂須賀家の14代の茂韶の屋敷と、側室の別宅が我が街にある事が分かり、興味が湧いたので急遽徳島城に行く事とする。
秀吉の頃から14代に亘り全て蜂須賀家と言うのが凄い。大体お国替えであちこち行くのに江戸時代一貫して徳山城だそうだ。
外様ながら親幕的で幕府の陸軍総裁にまでなっている。
明治維新後も、文部大臣になり、大名出身で大臣になったのは茂韶だけらしい。
明治の時代英国留学後、再婚するも相手も再婚で、結婚してもいいけど「二夫にまみえず」との事で側室同伴で輿入れしたとのこと。
フランス大使になった時も3人で赴任したとのこと。
お城はお庭が素晴らしい。
高松城
2015年10月11日
【40城目】徳山城の後、高速バスで移動。二度目の登城。
丸亀城
2015年10月12日
【41城目】遠くから見る丸亀城は最高です。周りに高い建物もなく、余計なものが何も入らないのがいいです。野面積み、打込接ぎ、切込み接ぎの石垣も見事。
浅井三姉妹の次女が京極家に嫁いだんですね。
ーーーー上記記載誤りあり、31/3/3訂正  丸亀城とは無縁の様です。
四国の京極ではありませんでした。
以下、京極家については、ウィキペディアより引用しようとしたら文字制限500文字以下に制約され、削除。
ーーーー

NHK大河ドラマ、お江の時に出てましたね。
姉さんは秀吉の側室・淀、妹は徳川秀忠の正室・お江。
関ヶ原で、東軍につくか西軍につくか悩んだのもわかりますよ。
でも徳川方についてよかったのかな?
山中城
2015年11月1日
【42城目】早朝東京を出て葉山の音羽の森ホテルにて朝食。その後箱根方面から車にて登城。三島から登城の方が圧倒的に多いようですが、関東人にとっては山中城は箱根の先の感覚です。
石を使わない城との事。歴史的な価値はあるんでしょうが、やはり豊臣方に10数倍の軍勢とはいえ半日で落城してしまったのも、ある意味納得。障子堀は今では草に覆われているものの当時は関東ローム層の土で、一度落ちたら滑ってしまい、そこから這い上がる事が出来ない作りとの事。
つまりアリ地獄的効果を備えた堀だったようです。
天気は良かったのに富士山が見えず残念。
スタンプは店の中はシャチハタで、陰影がやや薄いです。
店の外に吊るしてあるスタンプは、陰影濃いものの、水分が多すぎるので、反対側に陰影が転写しそうです。  結局店の外に吊るしてあったスタンプを押しました。
金沢城
2015年11月7日
【43城目】事務所旅行で登城。金沢は何度も来ていたものの昔は金沢大学があった為外から眺めていただけ。
前田家が何故100万石もの大藩を維持できていたのか、何となく分かった気がします。
七尾城
2015年11月8日
【44城目】事務所旅行2日目に登城。前田利家の最初の城です。その前は畠山氏。
東京港区にある畠山美術館が七尾城の畠山氏の末裔とはビックリ。麓にある七尾城址資料館でスタンプ押しますが、ここでのビデオは必見です。資料館の受付の親父さんが丁寧に説明してくれます。あいにくの曇り空でしたが、下界な景色は最高
千早城
2015年11月15日
【45城目】仲間との懇親旅行で高野山の宿坊に泊まった後、延泊して240年の歴史ある吉野山の竹林院に宿泊。その翌朝五条駅から千早城を目指す。
イヤーきつかったです。行きは裏ルートの急な上り坂と階段。帰りは、表ルートの急な階段下り。
行きも帰りも「まつまさ」にて昼食と、帰りは百名城完遂のまつまさのオーナーとのお喋り。
途中で百名城42城目の「まなみずき」さんとしばしの交流。
まつまさのオーナーおばさんのご主人は、大阪府で一つしかない村の村長さんだったんですね。
詳しくは私のブログをご覧下さい。
44城目から写真の登録をしようとすると「写真のフォーマットの種類が不明です」のようなメッセージがでてしまい、残念ながら写真の登録ができなくなりました。
安土城
2015年12月5日
【46城目】土曜日にも関わらず15時から役員会。
ということで朝一で東京を出て、11時には安土駅到着。
突然思い立ってきてしまった為、全く何の予備知識なし。すぐ隣に観音寺寺がある事もここへ来て知った始末。
タクシー移動せざるをえないのかと覚悟してたらタクシーもない。
レンタサイクルして山の麓に到着。
イヤー革靴で登るような所ではありませんでした。
あちこちの面白そうな施設も駅前の一箇所のみ。
今回妻が来てないので必ずもう一度来たい場所でした。
観音寺城
2015年12月5日
【47城目】安土城のすぐそばにあるとは、ここに来るまで知りませんでした
備中松山城
2016年1月9日
【48城目】岡山駅からレンタカー移動。休日故途中の駐車場から最終便のシャトルバス移動。
旧な階段を徒歩20分。結構息が上がってしまいました。一時、忠臣蔵で有名な大内蔵之介がこの城を預かっていたとはここにきて初めて知りました。
夜は久しぶりに元の仕事仲間夫妻と我が夫婦で会食。

京都大徳寺の孤蓬庵や二条城の二の丸庭園を造った小堀遠州が、備中松山藩の基礎を作ったそうです。両方とも見ているので、余計に親しみを感じます。
その後の池田、水谷氏に跡継ぎがなく三代で取り潰しとなってしまったそうです。
その城受取に幕府が選んだのが、浅野内匠頭、そしてその先鋒として松山城入りしたのが、大石内蔵助。
しかしその数年後には、松の廊下刃傷事件で、赤穂藩浅野家は、取り潰しの運命とな り、
今度は内蔵助が赤穂城を幕府に引渡す責任者となる運命に。
赤穂浪士の忠臣蔵で有名な泉岳寺の側に住んでいるせいか、備中松山城が急に身近に感じてしまいました。
岡山城
2016年1月10日
【49城目】城へ入るといきなりお土産物屋。昨日行った備中松山城が現存天守で、昔のままの雰囲気だったため、つい比較をしてしまう。
城主は、宇喜多、小早川、池田家と代わっていきますが、西軍から東軍に寝返った小早川家は二代2年しか続かなかったとは意外。
宇喜多秀家が関ヶ原で敗れたあと、八丈島に流されて85歳まで生き延びたのも初めて知りました。
湯築城
2016年1月10日
【50城目】昨年の3月から日本百名城を攻め始めて、10ヶ月でやっと折り返し点。
岡山からの松山入りが15時半だったので、松山城は明日に延ばし、すぐ近くの湯築城へ。
松山には何度も来ているものの、この城の存在は松山に今日来て初めて知りました。
河野氏一族が250年も統治していたとは全く知りませんでした。
政治家河野一郎氏もこの一族の関係とは、資料館のおじさんが言ってました。
松山城
2016年1月11日
【51城目】レンタカー借りて、松山城、今治城、平山郁夫美術館、福山城と回る。
今治城
2016年1月11日
【52城目】藤堂高虎の像と天守が一緒になった写真がかっこ良く撮れます。
福山城
2016年1月11日
【53城目】駅の真ん前。休館なるも、管理事務所に現場工事人がスタンプの事を申しつかっており、押して貰えました。
小谷城
2016年2月13日
【54城目】朝6時34分の新幹線で品川より移動。9時45分には資料館到着。
小谷城は、おたに城でなくおだに城って読むんですね。河毛駅から戦国歴史資料館迄コミュニティバス移動。
ここのボランティアガイドさんがとにかく、親切にそして分かりやすい説明をしてくれます。
最初はいなかったのに受付の人がわざわざ連絡してくれたらしく、東京からお客さんが来たとかでわざわざ駆けつけてくれました。
資料館にタクシー呼んで番所迄移動、待たしている間に登山をしました。
まあ緩やかな坂なので、他の山城よりは楽でした。
http://s.ameblo.jp/tokaikko-oyaji/entry-12128533035.html
彦根城
2016年2月14日
【55城目】小谷城の後、長浜によりお昼は、毛利志満で近江牛。明治天皇来訪時の迎賓館である慶雲館の盆梅展に立寄る。
その後、彦根駅へ移動。彦根城まで徒歩で登城。 時間の関係でお城しか見れなかったので、翌朝 彦根城博物館をじっくり見学。
それにしても城の階段の角度が凄かった。62度もあるとの事。松本城は61度とか、守衛のおじさんが言ってました。
お城からキャッスルロード経由で帰った時の運転手の話が面白かった。地元の会社の80歳くらいの社長は、学生時代早稲田の野球部に入ったそうだけど、監督にお前の出身はどこだ?と言われたので、彦根です。と答えたところ、監督は茨城の水戸。 安政の大獄が原因で水戸浪士に彦根出身の井伊大老が暗殺された事件のおかげで、いっこうにレギュラーになれず、一年で野球部を辞めたとの事。
岡崎城
2016年2月14日
【56城目】彦根から名古屋まで新幹線移動。名鉄で東岡崎まで移動。徳川家康の生まれた城ですね。家康館の展示が面白かったです。関ヶ原の戦いの様子が分かりやすかったです。
鹿児島城
2016年3月20日
【57城目】またまた急に思い立ち、飛行機に乗る3時間前に鹿児島行き航空券を予約。
連休中でホテル予約も結構きつかったものの、素泊りのホテルをようやくゲット。
夜、うどん屋のカウンターで、明日以降の行き先と、宿の情報を入手。
翌日は1日かけて、鹿児島城近辺の観光施設巡り。
鶴丸城(鹿児島城)の本丸跡にある黎明館にて3時間ほど、ジックリ見学。島津斉彬、久光をじっくり復習し、西郷、大久保、五代友厚生誕の地、そして森有礼成育の地も見学。
仙嶽園は2度ほど行っているので、異人館を見学。維新ふるさと館には30分しか見られず残念。
飫肥城
2016年3月21日
【58城目】街並みがすごく印象的。  詳細は後日
福岡城
2016年4月9日
【59城目】福岡での研修会兼会合の翌日、朝一で登城。鴻臚館にて、ボランティアのおじさんの説明で、空海、最澄がここから唐に渡ったことを知り、当時の遣唐使に乗って唐入りする事の大変さを、再認識。
黒田長政も昨年のNHK大河ドラマで、その活躍ぶりを再認識したものの、ブームが終わってしまったような印象。
大野城
2016年4月9日
【60城目】登城開始13ヶ月目で60%達成。九州はなかなか来るチャンスが来ないのですが、昨日の出張で実現。ナビタイムで調べたら、都府楼前駅から4キロで、歩くとの指示だった為、駅からタクシー移動して登城しようとし、二日市駅から、わざわざ1つ戻ってタクシーに乗ったら、タクシーは、何と又二日市駅から太宰府方面に向かうではないか!
都府楼駅から大野城までの4キロの道は、登山道で、車は行かれないとのこと。
ということで、無駄なタクシー代を支払いことに。
でも、都府楼駅〜太宰府〜大野城跡〜太宰府で5000円弱で済みました。
泊りは、武雄温泉まで移動。明日の佐賀城攻めに備えます。
なぜか写真が一枚しかアップできません。
佐賀城
2016年4月10日
【61城目】九州北部城攻め2日目。武雄温泉竹林亭で宿泊し、翌朝佐賀城へ。
バスにて佐賀城前まで150円。何とスタンプを押す場所間違えていたことを吉野ケ里遺跡に行って気がつく。これって無効にはなりませんよね?
明治以降の近代化に果たした役割の多大さは再認識したものの、薩摩長州土佐に比して影が薄いのは、意思決定の遅さ故か?  大隈重信もじれったい思いをしたんっでしょう。
西郷隆盛も、倒幕の際、肥前の様子を探ったものの、見限った感じです。
吉野ヶ里
2016年4月10日
【62城目】大野城を見たあと、ここに来ると、やはり日本は九州から発展して行ったんだとの思いが強くなりました。
久保田城
2016年4月29日
【63城目】
弘前城
2016年4月30日
【64城目】白神山地、十二湖巡りをしたあと五能線を南下し弘前到着。
お堀周りの桜は殆ど葉桜状態なるも、城内の枝垂れ桜は満開。
その素晴らしさに感激でした。
本丸の曳家のDVDは、大変に興味深く見ました。
根城
2016年5月1日
【65城目】昨日の弘前城の日は青森泊、今日は予定を変更してレンタカー移動で、奥入瀬渓流経由八戸の根城へ。青森駅前発9時、八甲田山雪中行軍遭難の碑、蔦温泉、酸ヶ湯温泉、谷地温泉辺りはまだまだ雪が残っていて、一面の雪景色。峠を越えて奥入瀬渓流の方に入った途端、萌黄色のブナ林の春めいた景色に一変。
久しぶりの奥入瀬渓流に感激し、八戸へ。
根城到着は13時。
南部氏はもともと甲斐から来たのも初めて知りました。
盛岡城
2016年5月1日
【66城目】当初の予定になかったものの、青森の観光場所が少なかったせいで、急遽、八戸から盛岡からまで40数分で新幹線移動。もともと八戸発18:56発の東京行き新幹線予約だったので、盛岡市内をもじっくり見学。
盛岡城の石垣は、野面積み、打込接ぎ、切込接ぎの全てが揃っていて見応えありました。
時間がタップリあったので歴史博物館で時間をかけて見学。
でもみな忘れてしまいそう。
1つだけ覚えているのは、港区に南部坂が赤坂と麻布に2つあるんですが、それぞれ南部藩の下屋敷があったようです。南部氏も幾つかの派があるみたいですが、忘れました。
丸岡城
2016年6月4日
【67城目】小松空港からレンタカー
名古屋城
2016年6月10日
【68城目】
岐阜城
2016年6月10日
【70城目】
犬山城
2016年6月10日
【69城目】現存12城のうちの、これで11城制覇。あとは宇和島城のみ。国宝指定の6城も全部制覇。(但し島根松江城は国宝指定前に2度訪問するも、スタンプは未了)
入口の階段は53度とのこと。丸岡城の67度にはかないませんが、いきなり急階段を登りことに。
平成16年までは、成瀬家の個人所有だったとは驚き。
別名、白帝城は荻生徂徠が李白の詩から命名したとか。  荻生徂徠のお墓がわが家のそばにある為、急に親近感を覚えました。
伊賀上野城
2016年6月11日
【71城目】前日の犬山城、岐阜城登場で名鉄犬山ホテルに宿を取る。名鉄犬山遊園駅9:34-名古屋で近鉄に乗換伊勢中川へ11:11着、隣のホームから伊賀神戸駅に乗換て、伊賀鉄道で上野市駅へ。
14:26発伊賀神戸駅15:12〜賢島16:41   翌日の松阪城登城に備え、先週伊勢サミットで使われた、伊勢ホテルへ向かう。
藤堂高虎の城だったとは、意外。松尾芭蕉が生まれたところなんですね。この木造の城は昭和10年に、地元の資産家が地域おこしの為に復元したそうな。高虎の時は途中、台風で天守閣が倒壊してしまい、その後復元されることがないまま昭和の時代を迎えたとのこと。
松阪城
2016年6月12日
【72城目】前日の伊賀上野城の後、サミット会場の志摩観光ホテル宿泊。オバマ安倍等世界首脳陣の座ったテーブルにて記念撮影。松阪に来たら松阪肉と思い、有名店和田金に予約しようとしたら、3時半でないと予約取れず。松阪城登城したら、いきなり本居宣長記念館。実に面白い資料が一杯。彼がこんなにも偉大な国学者との認識はここに来なかったらわからなかったでしょうね。本居宣長の生涯という本を求めて今読んでます。30年以上かけて古事記の内容を翻訳したとは、信じられない!
御城番屋敷のある生垣道は、雰囲気があって、最高。三井家(三越)発祥の地のライオン像を見て、和田金へ。  値段が高過ぎる割には、味は?   神戸牛や近江牛の方が美味しかったです。
この街の印象、本居宣長を愛する気持ちは伝わるものの、お城のPRが物足りない。
赤穂城
2016年7月16日
【73城目】近畿地方これにて制覇。新幹線にて品川より姫路経由播州赤穂へ。赤穂浪士の話は地元故、遂に来ましたこの城へ!という感じ。相生に戻り岡山へ。ここでレンタカー借りて、鬼ノ城へと向かう。
鬼ノ城
2016年7月16日
【74城目】ここは車でないと無理ですね。大野城と同じ頃の古代の城。ここの方の説明がわかりやすかったです。白村江の戦いに敗れて、それに備える為に作った城との事。登りの坂がきつかったです。
津山城
2016年7月17日
【74城目】前日鬼ノ城からレンタカーにて美作、湯郷温泉、棋譜の里宿泊。翌朝朝一で津山城へ。
森蘭丸の弟のお城。とにかく本丸まで行くのに石段がクネクネ大変でした。
鳥取城
2016年7月17日
【75城目】津山城からひたすら車で走って鳥取城へ。鳥取道はとにかくトンネルが多い。
徳川慶喜の腹違いの弟が幕末の殿様。
大正天皇が来られた時の仁??がメインであとは何もなし。展示資料の撮影が禁止されているので
何も覚えていません。
普通は資料をとにかくスマホの写真に収めて後からじっくり読んで理解するのにここはそれができなくて、記憶に殆ど残りませんでした。
松江城
2016年7月18日
【77城目】スタンプラリー始めてからは最初の登城なるも、今回で3回目の登城。
国宝になって一周年になりました。廃城で取壊し寸前に地元の豪農が買取ってくれて良かったですね。
出雲庵にて蕎麦を食べてきました。
写真が相変わらず添付できません。フォーマットが不明です。と、出てきてしまいます。アイフォーンけらの投稿ですが、以前は出来たのにどうしてでしょうか?
月山富田城
2016年7月19日
【78城目】松江城より車で1時間。道中、田舎道でどんな所かとの期待と不安。
上に上がれない為、見るべきところも少なく、帰りの飛行機の時間が気になり、今までで最短の滞在時間でした。
高岡城
2016年9月3日
【79城目】
一乗谷城
2016年9月4日
【80城目】
二本松城
2016年9月17日
【81城目】郡山での業界の研究大会の翌日、レンタカーにて福島山形宮城の城巡り
会津若松城
2016年9月17日
【82城目】大学生の頃、初登城、今回は3回目の登城。
山形城
2016年9月18日
【83城目】秋保温泉まで郡山からレンタカー移動。ホテル瑞鳳 桜離宮泊。翌朝山形城までレンタカー移動。再度仙台へ向かう。
多賀城
2016年9月18日
【84城目】山形城より多賀城へ。スタンプ設置場所の多賀市埋蔵文化財調査センターの人達は、かなり暇そうでした。こうゆうところで働いてみたいです。
仙台城
2016年9月18日
【85城目】スタンプ設置場所の見聞館の駐車場入口を見過ごしてしまい、城の周りを、30分程車で余分な時間を浪費。館の〆切時間ぎりぎりだった為、バス停に車と妻を置いて、私だけスタンプ帳持参で徒歩にて、見聞館まで行き、やっと押印。駐車場の入り方を教わり再度車にてやっと伊達政宗公の銅像のある広場に辿り着けました。
これにて東北、北海道を制覇。残るは15城。
岩村城
2016年10月9日
【86城目】いゃ〜、上の駐車場の往復で狭〜い道の中4台とすれ違い。ギリギリで通りました。上の駐車場には20台ほど止まってましたね。すれ違い不可能の場所を通過するときはフォーンを鳴らして車の存在を知らしめた方が良いかも。
でも車で行ってしまうと、日本一高い所に築かれた山城のイメージが湧きません。
長篠城
2016年10月9日
【87城目】岩村城から自家用車で一般道移動。  田舎の道はのどかでいいもんです。高速道路だと味わえないドライブの良さがあります。
長篠の戦いの時の貴重な資料や、エピソードに触れられます。鳥居強右衛門なんて知りませんでした。彼のお陰で仲間が助かったものの、帰りに武田軍に捕まり磔にされた話が、地元では有名らしいです。
鳥居家の子孫は、最後埼玉県の忍城に仕えて終わったとの案内が音声でされていました。
長篠城を夕方5時半に出て、東京の自宅に着いたのが、9時40分。帰りは走りに走りまくって、この日は400キロ以上走破
大分府内城
2016年12月3日
【88城目】前日までのななつ星の旅を終えてから、博多から大分へ移動。
百名城にしては、案内板も乏しく、拍子抜け。
大友宗麟についての知識やら、キリスト教との関わりに少しだけ認識を深めた程度で城を後にしました。
岡城
2016年12月3日
【89城目】大分駅でレンタカー手配し、岡城へ移動。
滝廉太郎の荒城の月の城とは知りませんでした。
期待していた以上に素晴らしいお城でした。
高知城
2017年1月2日
【90城目】掛川城から栄転した山内一豊の城。高知って女性参政権を最初に勝ち取った場所なんですね。
後藤象二郎と板垣退助の生家が160mしか離れていなかった、というのは現地を訪れて初めて理解。
3枚目の写真の碑には、国宝高知城と書かれていますが、それは昔の話。
今は重要文化財。しかし地元では国宝への復活が悲願のようでした。
松江城は、国宝に復帰しましたからね〜〜。
特筆すべき情報→ コインロッカー百円は荷物を出す時に戻って来ました。大した情報では無かったですが、妙に感激。
宇和島城
2017年1月4日
【91城目】近道をしようと急階段を上って行きましたが、かなりきつかったです。
ここも藤堂高虎の城だったんですね。
四万十市中村の四万十の郷からレンタカー移動。
大洲城
2017年1月4日
【92城目】これにて現存天守12城完全制覇。そして四国の百名城も四回の訪問でやっと征服出来ました。
復興に掛けた地元の熱意が伝わって来ます。城内の展示物がおもしろい。
私に日本語で話しかけてきた外人さんが、この城が一番良かったです、との意味が分かったような気がしました。
平戸城
2017年2月17日
【93城目】九州の最北端、西欧文化初導入の窓口、松浦党史八百年の史都である平戸城を訪問。
平戸って島だったんですね。平戸大橋が有名だったのを思い出しました。
前日まで五島列島にいたので長崎からレンタカー移動。
なかなか趣のある街並みでした。このあと名護屋城に移動。
名護屋城
2017年2月17日
【94城目】秀吉の朝鮮出兵の拠点となる城跡。日本各地から集めた大名の陣跡が沢山あります。
天下統一後の秀吉の強大さをしみじみと感じさせられる城跡です。
島原城
2017年2月18日
【95城目】2度目の登城、ハウステンボスのホテルで落ち合った佐賀に居住のいとこの車で、島原城そして雲仙観光ホテルまで送ってもらう。島原の乱の原城にも行きたくなりました。
熊本城
2017年2月19日
【96城城目】島原港からフェリーで熊本港までわたりバスで熊本港へ。
三度目位の登城なるもじっくり見たのは初めて。災害後というものの物凄い人出でした。
岩国城
2017年3月18日
【97城目】妻が広島城、郡山城に未登城であった為、その訪問後翌日錦帯橋経由登城。毛利三兄弟の1人吉川氏の城だったんですね。  関ヶ原の合戦でも三兄弟のうちの小早川が最後に寝返り、吉川氏も西軍と言いながら、実質東軍。  毛利の三本の矢も孫の代まではつづかなっかったという事ですね。
人吉城
2017年5月5日
【98城目】人吉城がこんなに魅力的な城だとは想定外。
相良家が鎌倉時代から七百年近くも、同じ居城でいられた理由が現地に来てやっとわかりました。
それにしても訪問しにくい城でした。
翌日は、かわせみやませみ号にて、99城目に近づくべく、山口の湯田温泉へ。
萩城
2017年5月6日
【99城目】45年前に結婚10周年で訪問して以来の萩。
松下村塾も様変わり。当時は昔の塾の建物しかなかったのに今は、周りにいろいろな建物が建っており、ボランティアの方もたくさん。世界遺産になったこともNMC営業してるのかな。
今年の3月に出来たばかりの、萩・明倫学舎
も立派な展示がたくさんありました。萩を訪問するにはまる2日間位の時間的ゆとりをもっていかないとダメです。
津和野城
2017年5月7日
【100/100】ついにやりました。百名城完全制覇。5、6年かかると思い始めたものの、月に必ず一、二回は土日利用するようになり、二年と2ヶ月にて達成。
前日は萩城の跡、安倍首相とプーチン氏が会談した大谷山荘泊。
翌朝角島大橋まで足を伸ばし、またもどって津和野へ。
津和野の街は有名で観光客はあまり城の方に目を向けないなか、街としての力の入れようがいまいちでした。
これからは妻があと11城残っているので、それに付き合うつもりです。
品川台場
2018年4月8日
【101/200】本日の私が訪問した時点の登城者78人目。続百名城スタンプラリー初日の4月6日は平日にも拘らず150人以上だったちのこと。びっくりです。  お台場の砲台の事を説明したパンフが何もないのが寂しい。  佐賀藩の最新技術や韮山の反射炉の江川太郎左衛門のお陰なんですよね。
そして江戸時代桜の名所だった御殿山の土で出来た台場です。
要害山城
2018年5月3日
【102/200】スタンプ設置場所の藤村記念館は、島崎藤村とは関係なく、ふじむら記念館と読むそうな。要害山城後の場所はわかりにくく、碑の立っているところの横の細い山道を登って行きます。
藤村記念館の受付案内の女性は、お喋り好きで親切に色々と教えてくれます。
次は新府城行くんですか?と問われ、親切にその城のことも教えていただきました。
急にお客が増えたらしく、嬉しそうでした。
新府城
2018年5月3日
【103/200】手摺の無い急階段250段はきつかったです。武田勝頼が築城したものの、自ら燃やしてしまったという
スタンプを押してくれる民族資料館は無料ですが、続日本百名城に選ばれてから急にお客さんが増えたらしく、かなり古びた資料館です。これからお客さん急増するでしょうからもう少し、新府城関連の資料を充実していただきたいです。
名胡桃城
2018年5月4日
【100+5/100】真田家がこの城を奪い返したかった訳が現場に行く時よくわかります。
沼田城とこの城は利根川を挟んだ河岸段丘で阻まれており、地形的に分断されており、
真田からすればここは「俺のもの」という気持ちがわかりました。
築城主は沼田氏なるも、真田家の思い入れはわかります。
秀吉の小田原攻めのきっかけとなり、天下統一の始まりを作ったという点で興味のある城跡です。
沼田城
2018年5月4日
【100+4/100】つつじの花が満開でした。とにかく凄い量と、散った花びらで一面地面が真っ赤になっていました。
岩櫃城
2018年5月4日
【100+6/100】ナビでこの城を探すのは困難です。145号線に岩櫃城跡入口の看板はあるものの、これを見落とすと、大変です。スタンプ設置場所の平沢登山口観光案内所も、電話番号で検索してもナビでは探せませんでした。
杉山城
2018年5月6日
【100+7/100】人口1万八千人弱の嵐山町の役場としては超豪華な役場施設。休日でも玄関内にスタンプラリー者のためのスタンプ台がありました。
そして来場者の居住県と年齢をして記載するアンケート用紙は、なかなか良いアイデアでした。
百名城登城時には一件もなかったのに、続百名城では、名胡桃城に続いて二城目でした。
城跡は一見、単なる山の中の散歩みたいですが、説明板を読んでいくうちに、これはすごい事なんだと気付かされます。
   戦国時代後期の城とは違った興味が湧いてきます。
とにかくナビでは探しにくい城です。玉ノ岡中学で検索すれば、この裏手が入口です。
菅谷館
2018年5月6日
【100+8/100】スタンプ設置場所の埼玉県立嵐山史跡の博物館が予想以上に立派で充実しておりビックリでした。鎌倉時代初期の畠山重忠の居館。執権北条氏に謀反の嫌疑をかけられ滅亡。15世紀後半、山内上杉氏が再興。
忍城
2018年5月6日
【100+9/100】3度目の登城、私の生まれたところ。昔はこの城は復元されてませんでした。の某の城の小説と映画で急に有名になりました。
小机城
2018年5月20日
【110/200】鎌倉山にて用を足したあと、車にて小机城登城。駅のすぐそばにスタンプラリーの押印場所がありました。
静かな公園の中を散策している感じで良かったです。
志苔館
2018年6月2日
【111/200】函館での仕事のあと湯の川温泉に泊まり、
翌日登城。レンタカーを返却借りていたので、近くまで行くも駐車場なし。でも道端に止めておけます。
殆ど人も車もいません。
草取りしていた暇を持て余し気味のお婆さんと話ししてました。
続百名城に選定された事は函館市にとっては、殆ど興味ないような現場の雰囲気でした。
パンフレッ持て余し何もありません。地元の人もまったく知らないようです。
函館の、人口が多いかなり減っているとの昨日の市長の話がありましたが、町おこしを本気でやっている気配が感じられませんでした。
上ノ国勝山館
2018年6月2日
【112/200】志苔館にがっかりして、レンタカー移動。
でもここはアイヌと和人の、境界さんと言われた天の川があるんですね。
江刺の歴史的、地理的意義を感じました。
開陽丸が座礁した場所だったんですね。
幕府軍の船であった開陽丸が台風にあってここで挫傷してなかったら、戊辰戦争の結末も変わっていたかもしれません。
九戸城
2018年6月3日
【114/200】浪岡城より移動,二戸駅より二戸市埋蔵文化センターまでタクシー。
そこで予備知識を得てから、徒歩15分で九戸城へ。
浪岡城の、あとだったので、その後歴史的意義やら施設そのものの見応えで印象に残りました。
秀吉の天下統一というと小田原攻めが印象的で、せめてその後の奥州仕置(宇都宮仕置)くらいで終わってしまいますが、最後の抵抗がこの九戸城だったとは知りませんでした。
やはり現場に行かなきゃだめですね。
浪岡城
2018年6月3日
【113/200】青森よりバス移動。列車もバスも本数が少ないので要注意。
中世の館にてスタンプ押印。 そのあと徒歩15分で現地へ。
何も無い原っぱでした。物語性も薄く印象に残らなかった登城でした。
鳥越城
2018年6月16日
【115/200】
福井城
2018年6月16日
【116/200】鳥越城から越前大野城に行っら、熊が出て城まで行けませんとの事。スタンプも、山の上の博物館にあるため結局押せませんでした。その後福井城を攻略。
越前大野城の為にまたお金を掛けてスタンプだけ押しに来なければなりません。
増山城
2018年6月17日
【118/200】ガイドブック記載の砺波市埋蔵文化財センターの電話番号でナビの検索をすると、砺波市役所につれていかれます。
検索するなら「庄東小学校」です。
そして現地の増山城へ行くには、和田川ダム管理事務所(0763-37-0286)か、増山陣屋で検索した下さい。
文化財センターは休みでしたが、入り口のところにスタルプ画置いてあります。
富山城
2018年6月17日
【117/200】城址公園が広々として気持ちがいいです。
本佐倉城
2018年7月15日
【119/200】車で行ったら、薄暗い所に、本佐倉城趾入口の、薄汚れた標識。そこの急坂を登ると畑のような草っ原があり、家が一軒。その他の標識が何もなく、仕方なく引き返す。
帰りがけの広々とした道路傍にももう少しましな標識がありましたが、炎天下での歩きた後で更に進む気力があり失せてそのまま帰りました。
公民館は日曜日で既に閉じていると思いつつも、史料だけでも入手したくて、ナビです目指すもわかりませんでした。スタンプは大佐倉液ですゲットしたものの、資料があり何もなく残念。
せっかく続日本百名城には選定されたんですから、日本国中から訪問する人の事も考えていただけるといいなんて思ってしまいました
大多喜城
2018年7月15日
【120/200】鎌倉へ行くつもりが余りにも混んでいたので、途中からアクアラインに乗って千葉方面の城攻めに変更。ところがこちらも大渋滞。
お大多喜城は、2度目なるものの、スタンプは初めて。工事中で資料館のなかに入れなかったのが残念
大垣城
2018年7月19日
【121/200】早めの夏休みを取り、6:57のぞみにて品川発、名古屋乗換にて大垣駅へ。
関ヶ原合戦のビデオや資料が興味深かったです。しかしビデオも相当古く画質も悪いので、そろそろリニューアルされたらいかが?    関ヶ原合戦の紹介は、それぞれの城で様々な視点で解説されてますが、それぞれの地域色が出ていて面白いです。ビジュアル的に一番面白かったのは 、確か駿府城の人形が動くものが良かったです。
帰り道には表通りにあった、皆さんご紹介の餅惣の水まんじゅう氷を食しました。猛暑だった事もあり、美味しかったです。
駅のコインロッカーが見つからないとのコメントありましたが、改札のすぐそばにあります。私も観光案内所では聞くまでわからなかったです。数が少ないので
ここがいっぱいの場合は、近くのレンタサイクル店にあるそうです。
鎌刃城
2018年7月19日
【122/200】米原駅よりタクシー移動。猛暑の炎天下(京都は39.8度の過去最高)であったため、スタンプのみとする。
中仙道の旧街道の街並みの中にスタンプを押す、カフェ•源右衛門があります。公民館のちょっと先です。
八幡山城
2018年7月20日
村雲御所瑞龍寺門跡
❤の絵馬に秀次もびっくり、。
玄蕃尾城
2018年7月21日
【123/200】前泊の近江八幡駅より米原経由余呉まで電車移動。猛暑の炎天下故に、玄蕃尾城登城口までタクシー移動。スタンプは余呉駅にて。
徒歩で往復50分かかりました。最初の5分はそこそこの坂道、途中から急坂になり、最後の5、6分はなだらかな山道です。
途中、山内一豊が柴田勝家方に弓又は槍?で打たれて顎がくり抜かれたとする場所もありました。一豊は木之本の出身で一豊の奥さんが馬を買ったのもこの馬市場だそうです。
地元の運転手さんが一生懸命説明してくれました。
この城跡は福井県と滋賀県の県境で両県にてまたがっているものの、この山の整備してはす全て福井県だと滋賀のタクシー会社のドライバーが言ってました。

ここでよく話題になっている柳が瀬トンネルは、むかしの鉄道の単線の後だそうです。
城よりもこのトンネルの方が有名なようです。
明治の開設当時は日本一長いトンネル。
今は、日本一赤信号の長い(? 赤信号6分30秒、青は30秒)トンネル
このトンネルの歴史をウェブで調べると、興味深い事実が次々と出てきます。明治時代における敦賀の重要性も知りました。
勝瑞城
2018年9月15日
【125 /200】徳島駅より電車にて勝瑞駅まで移動。徒歩にて十分程度。土曜日につきスタンプは武田石油店にて押印。発掘調査真っ盛りという感じなるも、パンフレットも何ももらえず残念。
三好氏の菩提寺が隣にありました。
一宮城
2018年9月15日
【126/200】とにかく不便なところです。
バス便があるものの1時間に一本。車かタクシー利用ですね。
タクシーだと片道二千円。
岡豊城
2018年9月16日
高知よりバスにて登城。ナビの案内で岡豊山バス停降りてしまい
又ナビタイムの案内で、隣の霊園に連れていかれてしまい散々な目に。
次のバス停まで歩きやっと到着。高知県歴史民族資料館は立派な施設でした。
長宗我部家の盛衰がよく分かりました。
関ヶ原での西軍につかざるを得なかった経緯が史実どおりの説明が省かれてました。
河後森城
2018年9月17日
前日宇和島泊、翌日列車便の時間が合わないので、ナビタイムの案内でバス便利用に決定。ところがバスが来ない。バス停の案内を見たら土曜日曜は運休との事。仕方なくタクシー利用、4500は痛かった。
城の登山口から本丸迄行き、帰りは時間がありすぎたので松丸駅迄徒歩。
7月の豪雨による災害の復旧が数日前に終わったのだとか?
駅の線路まで水が来たとの事。
高島城
2018年9月23日
【129/200】今年の正月、一族郎党で訪問。
その後、続百名城入りしてしまったので、再度スタンプを押しに訪問。
龍岡城
2018年9月23日
【130/200】諏訪の高島城の後に、車にて登城。
上から見ないと五稜郭の全貌がわかりません。
上から望める展望台があるらしいけど、その説明が見当たりません。
帰りがけにそれらしき案内板見つけましたが時間がなくいけませんでした。
地元の熱意がある感じられない対応です。
他の族百名城では、結構力を入れている具合がわかりますが、ここはイマイチです。
滝山城
2018年10月6日
【131/200】2度目の登城。北条氏康は多摩地方制覇のため三男の氏照を
養子にまでして地元へ送り込んだんですね。
中の丸は確かに責めずらい地形になってました。
武田軍が千畳敷迄攻めてきて、何とか撃退したものの、この城では駄目だととの事で、八王子城に移っていったようです。
中の丸にあるスタンプ設置場所の奥の方から見る多摩川方面の眺めはなかなかです。
滝山城の地形的特徴がよくわかりますね。
帰りは、東京都で唯一の道の駅である   八王子滝山によって地元産の野菜を買って帰りました。里芋の美味しかった事!
スマホ持ってる人はARは使ってみるべきですね。自分の目の前の景色とバーチャルな画面が合体して、分かりやすい説明になってます。
武田軍から攻められる様子等、面白く出来てます。
できれば最初に第6章まである説明漫画をじっくり読んでから登城する事をお勧めします。
石垣山城
2018年11月3日
【132/200】2度目の登城。1度目は駐車場ガラガラだったけど、続日本100名城入りしたせいか、駐車場は満車で入れない状態。展望台から小田原城も確認できました。
秀吉の日本全国制覇の最終的拠点であったことを思うと感慨深いものあります。
勝連城
2018年12月7日
【133/200】2度目の登城
座喜味城
2018年12月8日
【134/200】2度目の登城 昨年は歴史博物館が無かった。
そして続日本百名城選定の前。
今年の6月に出来たらしい。
笠間城
2019年1月12日
【135/200】車にて自宅から登城。井筒屋です先に情報入手すべきでした。  案内板等がなく.時間もなかったので途中まで行って断念。
土浦城
2019年1月12日
【136/200】笠間城から車移動
高天神城
2019年2月9日
【続37/100+100/100】ナビで場所設定の方に注意。ガイドブックに掲載されている電話番号は関連施設の大東図書館のもの。
スタンプのあるのは、大東北公民館です。
電話番号でナビ設定するなら、0537-74-2200です。
図書館の方が、皆さん間違えて沢山こちらの方に来られます。と言ってました。
武田信玄と家康の攻防戦が、かなり激しかった事は聞いてはいましたが、武田家はこんな海の近くまで支配していたんですね。難航不落の城というか意味がよーく分かりました。
馬場平へ行くと海が見えます。そこへ行く途中の堀切なんぞは難航不落ぶりが体感できます。
かな井戸から西の丸(現高天神社)までの急階段なんぞは攻める気力がなくなります。
浜松城
2019年2月9日
【続38/100+100/100】数年前の正月以来2度目の訪問
今回はビデオもじっくり見ましたので、出世城の意味がよくわかりました。
水野忠邦は、唐津城から家臣の諫言を押し切って文化14年(1817年)9月、実封25万3,000石の唐津から実封15万3,000石の浜松藩への転封を自ら願い出て実現させたとのこと。
その他この藩出身者が多く、徳川幕府の重鎮になっていったとのこと。
諏訪原城
2019年2月10日
【続39/100+100/100】山梨県が親の出生地で馴染みの深い武田信玄。海のない地域から遠州は羨望の地だったんだろうなという事がよーくわかり城跡でした。
スマホのgoogle mapナビでも探せないし、関連施設もないし、当然電話番号での場所検索も不能。でもレンタカーのナビにあったのでやっとたどり着けました。
兎に角広いですね。馬出しの跡の堀は深いし、何箇所もあるし、敵からの防備の仕方はなかなかの物。高天神城程の難攻不落さにはややかけるものの、武田勝頼の信念が感じられました。でも1582年武田氏滅亡の後1890年には廃城になったとのこと
興国寺城
2019年2月10日
【続39/100+100/100】復元整備工事も2020年からだというし、現地はナビでも探せない。説明板も雨ざらしで字が掠れている。
北條早雲発祥の地らしく、早雲の碑はあるものの、とにかくパッとしませんでした。地元の行政府はもっと続日本百名城としての威厳と名誉を感じ取らねばならないでしょう。
地域活性化の為にも又新たなる脚光を浴びつつある遺跡としてPRを惜しまないで欲しいです。
それが日本全国から押し寄せている城ファンの期待に応える事になるでしょう。
諏訪原城は遅まきながら、案内所をも建設中で、やっと力を入れつつあるとの思いが訪れる人に感じさせているようです。
脇本城
2019年4月27日
【141/200】10連休の初日、東京より朝6時の新幹線で秋田入り。レンタカーを借りて脇本城迄。
秋田城
2019年4月27日
【142/200】脇本城からレンタカー移動。律令国家が出来上がった頃の柵とかで、蝦夷との戦いが興味深かったです。
鶴ヶ岡城
2019年4月28日
【100+続43】秋田城からレンタカー移動。時間が経ちすぎて記憶があまりなくなってきました。
村上城
2019年4月28日
【100+続44】14:21到着
高田城
2019年4月29日
【100+続45】13:22到着
鮫ケ尾城
2019年4月29日
【100+続46】この日は景虎の440回目の法要の日だったそうです。
15:17到着
妙高はねうまラインに高田から移動。北新井下車、予約していたタクシーにて登城。
佐土原城
2019年5月17日
【100+続47】宮崎空港よりレンタカー移動。
志布志城
2019年5月17日
【100+続48】佐渡原城に行く前に、三年連続日本一の垂れ幕につられて、宮崎牛のステーキを食べることになり時間が足りなくなる。スタンプ設置場所として続百名城の本に登録されている電話番号にカーナビ設定して行ったら、ここではスタンプはありません、と言われて20分時間が余計にかかる。それで志布志城のスタンプは5時までで遅刻確実となる。
電話をかけて東京からスタンプ押しに来たのでなんとかしてくれませんかと頼み込み待ってたもらう。申し訳ないので、この後の会合用のお土産の一部を、その方にあげてしまいました。
お城は台風の影響で中に入れません。
知覧城
2019年5月18日
【100+続49】知覧は3度目。今までは城跡を意識してませんでしたが、武家屋敷跡があるんですから当然に城があった筈、と再確認。
この後指宿の白水館に宿泊。知り合いの社長の薩摩藩の話は大変に興味深かったです。
浜田城
2019年6月8日
【100/100+続50/100】前日の松江での会議の後、レンタカー移動。
スタンプ押す神社には、パンフレットも何もなく、係の人も続百名城に対する認識がイマイチ。
折角、続百名城に選ばれたのに、地元の力の入れ方が全く感じられず残念。
浜田駅の観光案内所にいったら何かパンフでもあると思い立ち寄る。
そしたら開城400年のイベントで力が入ってあるのを感じましたが、城の現場の神社の方がもう少し、百名城巡りの観光客に対するおもてなしがあれば良いのにと感じてしまいました。
辛口の感想ですみません。教育委員会の方是非考え直してください。
この日の宿を予約してなかったので、地元の旅館等を探しまくったものの全部ダメ。
昼食で立ち寄ったホテル松尾の従業員の方がとても親切で、色々探してくれてやっと出雲駅前の新設ホテルを探してくれました。本当にありがたかったです。
米子城
2019年6月10日
【100/100+続51/100】昨日の浜田城のあと、石見銀山に立ち寄りその日はそれにて終了、
翌日出雲駅前のホテルから出雲観光歴史博物館でスタンプし、説明を受ける。
いろいろ教えて貰いながら登城。
唐沢山城
2019年7月27日
【100+52】城目、これにて関東甲信越は完全制覇。この城は上杉、北條、武田の狭間にあって佐野氏は大変だったようです。
下の山道入口から神社山頂まで4キロ。車は蔵屋敷レストハウスに駐車、社務所迄結構歩きます。
そこでスタンプを押して、本殿まで階段。
唐沢山城跡の国の指定面積は194万ヘクタールで関東最大規模との事。
あちこちにある風鈴の音に癒されました。
吉田城
2019年11月16日
【100+53】クラブツーリズムの続日本百名城巡りのツアーに参加
始めに作手民族資料館に行って、城の概要を見てから行った方が、、理解が進みます。
我々はナビゲーター北野氏の説明で、武田信玄の土木工事の凄さを感じる事が出がしたが、何の説明もないと、単なる山歩きです終わってしまいます。
古宮城
2019年11月16日
【100+54】
小牧山城
2019年11月16日
【100+55】ツアーのバス移動本日3城目。
今年5月にできたとかの歴史館の展示がなかなか面白かった。
大手道の鬼階段は261だとか。
小牧長久手の戦いって、なかなかややこしい。もう少し勉強しないと。
苗木城
2019年11月17日
景色と岩が素晴らしい
郡上八幡城
2019年11月17日
昭和8年に再建築された日本最古の模擬天守。山内一豊の妻千代の生まれがこの郡上八幡の説があるとは知らなかった。近江の説が一般的?
天守からの眺めはなかなかなもの。
美濃金山城
2019年11月17日
【100+  】森蘭丸のふるさと、本能寺の変で信長と共に討死した森蘭丸。
下から上がっていく道がなかなか良い。
津城
2019年12月7日
【100+続60】お堀と石垣が素晴らしい
信長の弟さん、信包(のぶかね)が治めていた。
先月に続いて2度目のクラブツーリズムでのツアーに参加。
バスの中でのお城の事前説明、そして現場での解説。
一人で行った場合似た比べて、隅々迄念入りに見れるのでツアー参加もいいですね。
ただ歴史博物館等の視察はせいぜい20分。
これが残念。
今回は東京駅前発車(途中駅参加含む)で21人。
皆さん、凄い城好きで、百名城終えている人何かなりいる。
宇陀松山城
2019年12月7日
【100+続61】豊臣秀長の配下が治める。
眺めは最高
岸和田城
2019年12月8日
藤井寺で巨大な修羅が二基出た。
奈良時代のもの  巨石移動が可能となった
だんじりで有名 
朝ドラカーネーションの舞台 コシノ三姉妹
最初は秀吉の家臣
小出氏の時に天守ができた 三層の天守
徳川の時代 松平 松井松平が入った
1640年寛永17年岡部宣勝が入城、十三代続き明治
昭和29年模擬天守で復興 外観復元でもない
子天守も復元
八陣の庭 諸葛孔明にならい昭和の時代に作庭
国指定名勝 国指定の遺跡にはなってない
大和郡山城
2019年12月8日
大和郡山城 12/8  8:40着
【100+続62】 信長が大和を治めるようになった。
 検知 全て破却 郡山城を大和中心部とするため
筒井じゅんけいを城主 その後秀長
柳沢吉保がその後入る
柳沢文庫
見所は天守台 秀長が力を入れた
鏡石
しのぎ積
飯盛城
2019年12月8日
【100+続64】自分達だけでの登城だとまずスルーしてしまうような場所まで行きました。
かなり急な崖道を降りたり、急な階段を登ったりで、ハイキング気分というより山歩き気分。
解説が無ければ見逃してしまう堀切や元虎口も興味を持てました。
新宮城
2019年12月29日
【165/200】記載漏れにて2020/10/16追加 年末の続百名城巡りで登城
田丸城
2019年12月30日
【100+続65】いや〜、よかったです。何が?って。
三重県の田丸城のスタンプ設置場所の村山龍平記念館は年末で閉鎖。
でも入口迄行ったら添付写真のような貼り紙が!
道路挟んだ玉城町役場の宿直室に行ったらなんと、続百名城のスタンプが!
TVを見ながら休んでいたお兄さん有難う。
直前に訪れた赤木城のある役場(熊野市紀和総合支所)とは全然違う対応した。でもスタンプ設置場所は隣の紀和鉱山記念館だからしょうがないか?
正月休みしか休めない人も日本全国からやってくるので、玉城町役場のような対応をしていただけると非常に嬉しいですね。
でも、イルミネーション見て、何故か笑ってしまいました。
多気北畠氏城館
2019年12月31日
【100+67】
水城
2020年10月10日
【166/200】コロナ騒ぎで10カ月ぶりの城巡り再開,
基肄城
2020年10月10日
【168/200】スタンプの置いてある基山町役場が立派なのにまず驚く。
三ノ丸の駐車上の先にも車でずっと行かれたのでどんどん進んでいったものの、道が狭くて不安になり逆戻り。草スキー場の所に車を止めて見学。基山山頂まで行くと景色が良さそうでしたが、かなりの急斜面の為辞めました。
久留米城
2020年10月10日
【169/200】競馬の有馬記念(注)で有名な有馬氏の城。
そして私の地元、東京港区三田。
三田国際ビル、三田高校、赤羽小学校、簡保事務センター、済生会中央病院、国際福祉大学三田病院が建っている場所が、江戸時代には久留米藩有馬家の上屋敷でした。
 22000坪の薩摩藩上屋敷よりも広く、久留米藩上屋敷は2万5千坪。
「湯も水も火の見も有馬の名が高し」とうたわれ、有馬家に関係する有馬温泉、水天宮、火の見櫓が有名であると江戸っ子は詠んでいます。
 「湯」は有馬温泉を指しますが、有馬家は、もともとは摂津国有馬郡の出身であり、有馬温泉が有名です。「水」は水天宮を指し、「火」は火の見櫓を指します。
(注)
有馬 頼寧(ありま よりやす)は、日本の政治家。農政研究者。農林大臣。日本中央競馬会第2代理事長。プロ野球球団オーナー。旧筑後国久留米藩主・有馬家の第15代当主。
母は岩倉具視五女恒子(後に寛子と改名)頼寧の出生から程なく、母は実家に帰されて離縁された(後に森有礼の後妻となる)Wikipediaより
角牟礼城
2020年10月11日
【170/200】久留米城から前日宝泉寺温泉迄足を延ばし宿泊。宝泉寺というお寺はキリシタン大名だった大友宗麟により潰されたとの事。
 翌朝、車で20分の所にある、日本一高い吊橋 九重“夢”大吊橋に立ち寄り、角牟礼城登城。ここの玖珠町立わらべの館(久留島武彦記念館)のおじさんが丁寧に説明してくれました
北里柴三郎の母親の実家で、柴三郎もここで勉強していた時期もあるという。
清水御門の横にある、日本一大きいと地元で言っている常夜灯も見ておいたほうがいいかも。三ノ丸までは車で行けます。
中津城
2020年10月11日
【     /200】角牟礼城経由耶馬渓より中津城へ。
こんなに立派とは思わなかったです。歴史的にも面白い場所。
福沢記念館にも寄りました。、
小倉城
2020年10月11日
【   /200】小倉って初めて降りましたが大都会ですね。
城も立派。
佐柿国吉城
2021年9月20日
【100+続73】とにかく最後まで階段の連続。
夫婦2人の合計年齢150歳。まあよく登りきったもんだ。
私より後からついてきた方は62歳。途中で登城を諦めようとしたと言ってました。
越前大野城
2021年9月21日
【100+続 74】一昨年やってきた時は、熊が出没したとかで、登城禁止。
仕方なく再度のチャレンジ。
昨日の佐柿国吉城に比べたら、なだらかな坂道なので楽に登城できました。
これで北陸•東海は全城制覇。間違い!赤木城には行ったけど、12月30日だったので、休館でスタンプ押せず。
黒井城
2021年10月9日
【100+続     】いやーキツかったです。最初から最後まで階段。
明智光秀がやっと二度目日本攻め落としたとのこと。
黒井駅のそばの宿に宿泊。 9時頃登城開始、1時間程かけて天守跡へ。
下の歴史資料館ではスタンプ押しただけで汽車の時間がなくなり慌ただしく、宿の方に駅まで送ってもらいました。
福知山城
2021年10月9日
【100+続 176   】黒井城から列車にて福知山駅へ移動。
レンタカーを借りて福知山城へ。
  この城は街の中にあるので、楽に登城。
明智光秀一色の城でした。
出石城・有子山城
2021年10月10日
【100+続 177  】レンタカーにて福知山城から金崎温泉へ移動。
コロナの緊急事態宣言ガイド解かれた為か、夜の温泉街は賑やかでした。
出石城は、蕎麦の方が有名で、お城に関する情報は貧弱でした。
続百名城巡りで来る観光客も増えでいるはずなので歴史資料館的なものをもっと充実させるべきと感じました。
向羽黒山城
2021年10月15日
【100+続     】
三春城
2021年10月16日
向羽黒山城から三春城に車にて向かうも、民族資料館の閉館時間に間に合わなさそうなので、数分遅れるのでスタンプしまわないでと電話連絡。
やっと着いたと思い最後の急坂を登ろうとしたら車がストップ。
どうしてもエンジンがかからない。
何と!ガス欠。 館長さんが出てきてくれて、最寄りのスタンドからガソリン調達。
という事で、資料館も見れず、城にも登らずじまい。
お礼状を添えて、後日お城関係のパンフレットのみやっと入手。
金田城
2021年11月5日
【100+続80】ガイドさんを頼んで登城。往復4時間。イヤー疲れました。最後の100メートル位は物凄い急坂で立ったままでは歩けないくらい。
その坂は帰りもきつかった。
明治時代に作った軍用道路は道幅はあるもののゴロタ石ばかりで、靴の底の厚いものでないと上りずらいです。
福江城
2021年11月7日
【100+続81】2度目の訪問。1度目は三、四年前小学校のクラス会、但しこの時はまだ続百名城がなかったため、再度スタンプ押すだけのために訪問。もっとも妻は初めての訪問。
観光タクシーにて島のあちこちを観光
芥川山城
2022年4月8日
【100+81城目】東京品川発7:10 高槻にてレンタカーにて移動
摂津峡入口に駐車1000円、ナビの設定目標がなく、散々迷った挙句摂津峡へ。
時間がなくなり途中で折返し、淡路島洲本城へ向かう
洲本城
2022年4月8日
【100+続82城目】高槻 芥川山城よりレンタカー移動。
石垣も見事、景色も良かった。 この日は淡路島で一番古い宿屋 やぶ萬 に宿泊。南あわじ 福良  
江戸時代から潮待ちの港として栄えたそうな。
さくらますの養殖に成功したとかでそれも美味しかったです。
引田城
2022年4月9日
【100+続83城目】天正15(1587)年生駒氏の高松丸亀城と共に領国支配の拠点。
讃州井筒屋敷にてスタンプゲット。時間の関係で本丸迄で、北二の丸には行かれなかった。登山用杖を持参した方がよいトラッキングコースです。
能島城
2022年4月10日
【100+続84城目】事前の調べでは能島上陸の予約は数件であった為、出航中止かと覚悟していたもの、新居浜からのレンタカー移動中に電話にて確認したところ出航ありとのことで、慌てて車でむかう,
乗船者17人。とにかく天気も良く桜も散りかけていたものの、桜吹雪の絨毯。景色最高!
この見事な桜も地質維持の為数年先には伐採してしまうとのこと。
早めに行かないと桜も見れなくなります。
三原城
2022年4月11日
【100+続85城目】前日愛媛県の能島からしまなみ街道で尾道入り。
この城の大部分は新幹線の為に無くなっており、駅直結で城に入れるのはこの城だけかも。
新高山城
2022年4月11日
【100+続86城目】時間の関係でスタンプを押したあと、入口の駐車場迄行って登城は断念。
せっかく続100名城に選ばれたのだから、地元ももう少し観光客向けに力を入れたらいいのに!と思わせる雰囲気でした。
調査不足で歴史資料館的なものがどこにあるのか不明でした。
備中高松城
2022年6月8日
【100+続87】水攻めの様子がよく分かりました。わ
若桜鬼ケ城
2022年6月9日
【100+続88】
白石城
2022年9月23日
【100+続90】
伊達家の家来片倉家が明治まで続いた白石城。
大阪夏の陣で真田幸村と戦った、「伊達の先陣」と言われた鬼の小十郎こと、片倉小十郎重長は、幸村と戦う前夜、幸村の娘を預けられて保護。その阿梅姫はその後小十郎の後室になったとか!
智勇兼備と幸村に見込まれて自分の娘を敵の小十郎に託すあたりが、凄いといおうか、信じられない行動。
由井正雪の弟子となった、宮城野・信夫姉妹の敵討話の白石噺の40分の映画は面白かった。
涙が出てきました。
米沢城
2022年9月24日
【100+続91】会津藩120万石から秀吉によって米沢30万石になってしまった上杉謙勝。
そして9代目上杉鷹山の財政改革。とても興味のある米沢城を二日間にわたって見学。
大内氏館・高嶺城
2022年10月8日
【100+続92城目】大内氏館は現在はお寺になっている為、当時の面影は少ない。
面白いのは、十朋亭、菜香亭、五重塔、雪舟庭を是非回ってほしい。
高峯城(こうのみねじょう)はタクシーでNHKの鉄塔の所まで行ってやめました。
明治維新前後を画策した長州藩の面々や七卿落ちの三条実美等の話が面白い所です。
まぁじっくり一日かけないとダメです。
それと錦の御旗の製作現場の説明も面白いですね。
唐津城
2022年10月9日
【100+続93城目】山口湯田温泉から新幹線で福岡へ。
その後バスにて唐津へ。
高橋是清が18歳の時英語の先生として1年間いたとは知らなかった。日本語を使わない授業だったとの事。
原城
2022年10月9日
【100+続93城目】前日の唐津城から、レンタカーにて長距離走。
有馬氏のキリスト教への傾斜していく理由が何となくわかりつつ、
西欧視察団のその後も興味深いものあり。
鞠智城
2022年10月10日
【100+続95城目】唐と百済連合軍から守るための支援基地が鞠智城。
大和と新羅は1300年前は強固な友好関係、
今なら日米安保条約的な性格上、百済から責められていた新羅に援軍を出さざるを得なくなった我が大和国の中大兄皇子は白村江の戦いで、唐百済連合軍に大敗。
  唐から攻められるのではないかと、太宰府を守るために、金田城(R3.11.5登城)、大野城(H28.4.9登城)、基肄城、水城(共にR2.10.10登城)を造ったんですね。
  そしてこの鞠智城はこれらの城の食糧、武器、兵士の補給支援施設。
先人の防人達が如何にして大和国を外敵から守ろうとしていたかの苦労話が、万葉集に残された防人やその家族の人達の思いを綴った和歌から感じ取られます。

休館日でスタンプ押せないかとヒヤヒヤしたが、八代城の方にその顛末は記載した。
赤木城は   やはり休館日でスタンプが押せなかった為、200城目に行かざるを得なくなっている。
鞠智城や八代城のような対応が望まれる。
そうそう三重県の田丸城も休日だったけれど、宿直の守衛さんが対応してくれて助かりました。
八代城
2022年10月10日
【100+続96城目】
鞠智城の観光センターが休館日でスタンプ押せないかと思ったら、パンフと押印済みの紙が何枚もあり、休館日対応があり助かった。
ということで時間が余ったので、70キロ程のところにある八代城を目指すも、やはり休館日なので市役所に問い合わせしたら、守衛さんのところにスタンプがあるとの事なので、訪問することとした。
城跡の現場とパンフレットだけではよくわかりませんでした。
延岡城
2023年1月4日
【100+続97城目】前日、熊本より羽田より熊本空港経由、高千穂峡にて1日古事記のの世界を体感。イヤー日本の神話は面白い。
天の岩戸のしめ縄見学、撮影禁止なので写真   無し
   天照大神を神々が連れ出した際「もう岩戸に  入らないように」と岩戸にしめ縄をしたんだそうな。しめ縄に込められた深い意味を初めて知る。

天照大神を神々が連れ出す際の夜神楽も見た。
「御神体の舞」→  今の世の中なら映倫カットものですなぁ!
「ウズメの舞」→ 妖艶な舞で天照大神の気を惹かせた。要するに今流ならヌードショー

さて延岡城は、翌日高千穂峡からレンタカー移動。 千人殺しの、石垣が印象に残る。
日本一の弘法大師の像のある今山大師も見る価値あり。
佐伯城
2023年1月4日
【100+続98】延岡城から鉄道にて佐伯城へ。
佐伯藩は毛利高政が初代藩主、明治まで続く。秀吉や備中高松城の、水攻めの際、毛利方に人質に入ったとの説あり。
元々森という性であったものが毛利輝元のすすめで、、毛利性になったとか。
臼杵城
2023年1月5日
【100+続99】佐伯城から佐伯に移動し一泊 春光園。河豚料理の有名な佐伯市。大友宗麟築城 昔は臼杵湾に浮かぶ島だったそうな。
武家屋敷の方から臨む石垣が最高です。臼杵に来たら、国宝の臼杵石仏は、必見. 小手川酒造や野上弥生子記念館、武家屋敷もいいです。
さぁ、、あと一つで200名城完全登城だ.最も最後の赤木城は、かなり前の年末に行ったものの、、スタンプの、場所が閉まっていて、、残念ながらスタンプをおせなかったので、わざわざもう一度行かなければならない。
多くのスタンプ台は、、休日の日は、守衛室で押してもらえたりか、外に置いてあったり、近くの別のガソリンスタンドや、コンビニに委託してあったり、それ相応の対応をしてくれているのに、、赤城城は残念.日本全国から、休日しか利用して登城できないものもたくさんいるはずなので、是非そのような対応をお願いしたい。
大野城に行った時も熊が出て、山の上に上がらなく、、仕方なく又大変なコストをかけて再度訪問しました。
赤木城
2023年2月3日
【200/200】続日本百名城も本日完全制覇。
赤木城は三年前に訪問したものの、年末の休日の為、スタンプが見えているにも関わらず鍵が掛かっており中に入れず断念。
本日は東京から名古屋前泊で再訪問。
泊まりは、近くの入鹿温泉静流荘。なんと熊野市駅まで出迎えあり。
トロッコ電車に乗っての湯の口温泉も、露天風呂が3つもあって最高の温泉でした。