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メンバー情報

ID6298
名前つちなり
コメント~100名城めぐりの軌跡~
2013.5.22  【初登城】(1)広島城
2014.4.8    【城めぐりスタート】 (4)松江城
2014.9.21  【スタンプラリースタート】(12)岡山城
2014.10.13【国宝5天守制覇】(17)彦根城
2015.3.21  【中国エリア制覇】(30)津山城
2015.8.11   【四国エリア制覇】(40)大洲城
2015.9.21  【折り返し】(50)篠山城
2015.12.20【現存4御殿制覇】(54)川越城
2016.5.2    【日本三大山城制覇】(62)高取城
2016.5.3    【近畿エリア制覇】(65)小谷城
2016.6.20  【東海エリア制覇】(67)長篠城
2016.10.30 【北陸エリア制覇】(77)高岡城
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
広島城
2013年5月22日
100分の1
初め天守閣を見た時は、その大きさにびっくり!
後で調べてみれば、同じ位の大きさの天守閣は珍しくなかったのですが、
小さい頃から丸亀城を見て育った私にとってはとても魅力的に映りました。
一見層塔型に見える天守閣ですが、よく見ると望楼型でした。。。笑
戦後に外観復元された天守閣だけでなく、二の丸の櫓なども美しく復元されています。
【亀居城】2018年5月13日
広島から山口県に入る少し手前の大竹市にある城郭。広島城を与えられた福島正則が支城として築いたが、失脚により完成からまもなく廃城に。比較的小規模ながら天守台の石垣がきれいな形で残されている。
竹田城
2013年11月3日
100分の2
まだこの時は城巡りに目覚めてなく、大阪まで行く機会があったので興味本位で行ってみました。
行くなら早朝でしょうってノリでナビを頼りに深夜高速を使って向かいました。
進めば進むほど明かりがなくなり、山の麓に着いた頃にはもう真っ暗でした笑
係りの方に誘導され駐車場へ。車中で仮眠をとり午前4時から登城開始。
駐車場がいっぱいになる位、観光客の方はたくさんいましたが、かなり早く登城できました。
天守台に腰かけ、夜明けを待つ。あいにく雲海は見れなかったが、
2時間以上待った甲斐のある爽快な景色を拝めました!
これからもっと山城が注目されるようになってもらいたいですね!!
福山城
2014年4月4日
100分の3
よくよく福山城の歴史を確認すると「福山」という地名自体、福島正則の改易後、水野勝成になってからだったことに最近になって気づく。
なので福山城の築城主は水野勝成になるわけ。今更ながら納得。
その築城が大坂の陣後の太平の世になってから。五層の層塔型天守の典型的な近世城郭で、この福山城がおそらく最後の築城と思われる。ラストサムライが西郷さんならラストキャッスルは福山城になろうか・・・
天守は残念ながら戦災で消滅して今は鉄コン再建。なにやってくれとるんじゃいアメリカ!!しかし伏見櫓と筋鉄御門が現存。しかも京都の伏見城から移築したとのこと。移築と簡単に言うが、どうやって?まじで京都からどうやって運んだの?って疑問が絶えない。まぁそれは置いといて駅前で規模もそれほど大きくなく、それでいて景観はいいので誰でもゆっくり楽しめると思います。
松江城
2014年4月8日
100分の4
松江城は堀川めぐりや櫓石垣、城下町などたくさんの見所がありますが、
ハイライトはやはり漆黒の現存天守閣でしょう! 率直に格好イイですね!!
江戸時代初期、月山富田城から移った外様大名の堀尾吉晴が隠居城として建てたと言われます。
しかし隠居城にしては不自然なほど、戦に備えた造りをしています。
外様大名ゆえに隙あれば、徳川打倒を狙っていたのかも・・・
何にしろ威厳と迫力を兼ね備えた貴重な現存天守閣であることは間違いありませんね!!
丸亀城
2014年4月20日
100分の5
香川県で生まれ育った私にとって丸亀城はとても身近なものでした。
それが日本に12基のみしかない現存天守閣の1つであること、そしてその石垣の高さは日本一であることを知り、見方が変わり興味がドンドンと湧いてきました。
なぜここまで高い石垣を作る必要があったのか?
それはわかりませんが驚くほど精度の高い石垣に圧倒されるばかりです。
学生時代参加していたボランティア活動を通じて、京極さんと言う元丸亀城主の末裔の方と偶然にもお会いできたことは今でも忘れられない思い出になっています。
松山城
2014年5月6日
100分の6
松山城はとにかく見所満載でした!現存天守閣はもちろんですがそれ以外にも石垣、門、櫓と数多くの遺構があります。丘陵型の山頂に築かれた広大な本丸の城郭は、爽快な気分にさせてくれます!
江戸時代初期一国一城令に基づき、築城の際は3つの候補地を提出し家康に許可を得なければいけなかったようです。それで家康は第二希望を選ぶ傾向があったようで、当時の藩主は現在の松山城がある勝山をあえて2番目に書いたというエピソードがあります。どこか受験対策のようで今と通じる面白い話ですね。これからも何度も訪れたい名城です!!
備中松山城
2014年5月18日
100分の7
「現存天守閣を有する唯一の山城」
とにかく素晴らしい山城でした。魅力は登山のように登城の過程が楽しめること。そして自然と融合しているところ。とくに大手門付近の高石垣と自然岩盤のコラボレーション!圧倒的迫力と神々しいオーラがありました。この頃から石垣と山城にハマりはじめましたね。
城にあまり興味なくても山好きな人、自然が好きな人にもオススメの雰囲気溢れる名城です!
また必ず行きたいですね。
【2016年5月4日再登城】
両親を連れて3度目の登城。何度来ても楽しめます。前日に普段閉まっている二重櫓が、特別に中に入れるとの情報を聞いて期待してたのですが、公開は昨日のみとの事で少し残念。
しかし今回が初めての両親は、スゴイね!と満足そうだったので一安心しました。
姫路城
2014年6月20日
100分の8
失礼ながら日本全国の城郭に番付をつけたとしたら、恐らくこの姫路城が東の横綱でしょう。国宝天守閣にして世界遺産。今回はまだ大改修中で、天守閣付近は立入禁止でした。。。
2015年3月のグランドオープンを待って必ず再登城します!ということで、今回は下見として1時間ほどの滞在で終わらせました。新しい天守閣について、少し白すぎるのではと言う声もあるようですが、個人的にはとても美しくお気に入りです。
【2015年12月6日再登城】
検定準一級に打ちのめされたあと(笑)念願の天守内へ。
とにかく素晴らしいの一言に尽きる。特に屋根瓦の白漆喰。まさに職人技って感じ!近くからみるほど、その精密さと美しさにため息。。。城好きでない人も是非一度は見て欲しい世界遺産です!
宇和島城
2014年8月12日
100分の9
瀬戸内海に面した港町のイメージが強い愛媛県の宇和島市。
愛媛は私の故郷香川とお隣の県ですが、ほとんど行ったことがなく宇和島も今回の登城が初めてでした。宇和島城は平山の上に現存の天守閣がぽつんと1つ少し寂しそうに建っています。天守閣以外の遺構は石垣ぐらいで櫓はなかったです。しかし逆にそれが天守閣の存在感を際立たせているようでした。
高知城
2014年8月12日
100分の10
南国土佐のシンボル高知城は、関ヶ原の合戦後山内一豊が入封して以来約260年山内家一門が土佐藩主として君臨しました。天守閣と本丸御殿が現存する城としては全国で唯一です。城郭は複雑な形をしており、登る場所を変えるだけで様々な楽しみ方があります。また坂本龍馬の生誕地など、城下町にもたくさんの見所があります。お城とセットでの観光をお勧めします!
萩城
2014年9月14日
100分の11
小学生の頃に漫画「おーい竜馬!」を読んでから、坂本龍馬以上に高杉晋作の大ファンになった私。その頃から萩にはいつか行ってみたいと思っていましたが、今回その夢が叶いました!
萩城は今は煌びやかな天守閣があるわけではなく天守台と石垣が残るのみです。少し地味な印象がありますが、高杉晋作や木戸孝允の生家のある城下町はとても質素な佇まいで、萩城の静かな雰囲気とうまくシンクロしているように感じます。この地から明治維新の原動力となった多くの志士が輩出された事を思うと、より感慨深いものがありますね。
岡山城
2014年9月21日
100分の12
まるでスターウォーズのダースベイダーのような迫力ある漆黒の天守。
遺構というよりはミュージアムの色が強い外観復元の天守閣が、ズッシリと鎮座しております。
とにかく漆黒で塗り固められたその外観は、典型的な豊臣方の城ですね。
川を挟んで隣接する後楽園もオススメです。他にも天守閣と庭園がセットになっている城は結構あるので、両方行くとより楽しめると思います。
【下津井城】2016年3月21日
岡山城の支城として宇喜多秀家時に築城。しかし一国一城令によりわずか40年ほどで廃城。
岡山側の瀬戸内海の海岸にあるため景観は抜群!公園化してますが土塁、石垣が一部残っています。
犬山城
2014年10月11日
100分の13
「国宝重文天下府城二泊三日弾丸旅・一日目」
三連休をフルに使い、計5基を巡る強行かつ贅沢旅行を実施しました!
まず初めは国宝犬山城。広島から名古屋駅で在来線に乗り換え(名古屋城を素通り(笑))犬山駅へ。
駅から徒歩で程なく麓につき、そのまま登城。
現存の木造天守閣なので、それだけで趣はあるのですが、威厳を感じさせつつもレトロな雰囲気を残している辺りがさすが国宝って感じでした!!
眼下を流れる木曽川から見上げてみる天守閣も迫力があり、オススメです。
【2016年12月11日再登城】
職場が愛知になったので休みに再び登城。前回は行かなかった城下町から歩きました。非常に趣のある街並みでした。天守内にあった江戸時代のお城の石高番付表は面白かったです^ ^
江戸城
2014年10月12日
100分の14
「国宝重文天下府城二泊三日弾丸旅・二日目」
昨日宿泊した五反田のカプセルホテルを早朝に出発して、丸の内の江戸城へ向かいました。
約7年ほど前まで日本橋で働いていたので、このエリアは身近でしたが、皇居を江戸城として意識したこともあまりなかったので、新鮮な気持ちでめぐりました。
早朝だったためまだ開門していなかったので、内堀をぐるっと1周。マラソンの定番コースですね。内堀の1周は約16キロメートル、城郭面積は約23万平方メートルと、全て断トツで日本一を誇ります。徳川幕府の権力の象徴であったことを、肌で感じる巨大さでした!
強大な石垣や大手門、巽櫓などの遺構はどれも見応え十分で、特に本丸御殿と大奥跡は今は広大な芝生広場になっていますが、そのスケールの大きさに圧倒されます。また再建された天守台から今は無き天守閣を想像させられます。もし存在していれば大阪城をも凌ぐ超巨大天守閣になっていたとの事です。個人的には再建してもらいたいですが。。。妄想で我慢します(笑)
松本城
2014年10月12日
100分の15
「国宝重文天下府城二泊三日弾丸旅・二日目」
江戸城巡りを終え、東京駅から長野新幹線に乗り向かうは、姫路城、犬山城に続き3基目の国宝松本城。14時過ぎ松本駅に着。駅から徒歩で約10分。平城のため城郭入っていきなり天守閣が目の前に現れます!まさに「圧巻」という言葉がピッタリの大迫力の天守閣でした!ちょうどお城祭りをやっていてたくさんの人で賑やかでした。驚いたのは天守閣内部に入ってから。3階から上が大行列で最上階まで30分以上かかるとの事で、仕方なく断念。さすが国宝、人気が半端じゃない!外人さんも多かったですね。徐々に日が暮れてきたので、夜のライトアップを観ようと夜まで長居しました。待った甲斐あって神秘的な美しさを味わえました!
丸岡城
2014年10月13日
100分の16
「国宝重文天下府城二泊三日弾丸旅・最終日」
前日夜、松本城を後にし長野駅から大学時代の友人の車に乗せてもらい一晩かけ富山駅へ。
早朝、富山駅から始発で丸岡駅へ。丸岡城の最寄り駅は福井駅ですが、あえて一つ前の丸岡駅で下車。お城までの道程を楽しみました。
丸岡城の天守閣は現存する最古の天守閣と言われています。戦時の軍事要塞と言うよりは、奥ゆかしい雰囲気で武将が帰る家のような印象でした。現存天守閣12基の中では比較的知名度は低いかもしれませんが、古くから日本人の持つ「和」の心を感じさせるイイお城でした。
彦根城
2014年10月13日
100分の17
「国宝重文天下府城二泊三日弾丸旅・最終日」
今回の旅もいよいよ最後の城になりました。徳川四天王の一角、井伊家の居城で国宝の彦根城。
この日は台風が接近していて、JRが運休するとのことでかなり急いでの登城になりました。
井伊直政の像がある彦根駅から小走りでお城へ。殆どの人が逆の駅に向かっていましたが、そんな事は気にせず(笑)ここまで来て行かないわけにはいきません!
彦根城は国宝の天守閣以外にも櫓などが極めて良い保存状態で残っています。本当は玄宮園も行きたかったのですが時間切れで断念。。。今度はもっと余裕を持ってゆっくり巡りたいものです。必ずまた行きます!!
【長浜城】2016年10月27日
秀吉が初めて城主になった城。天守風の資料館の展望台から一望できる琵琶湖の眺めは最高でした。ただ遺構のようなものがまったく見当たらない…
掛川城
2014年11月16日
100分の18
私の名前と同じバンド(分かる人は分かる)のライブを目的で東海道新幹線で東京に向かう途中で下車し登城。天守閣は再建ではあるが木造のため風情がありました。希少価値のある現存の二の丸御殿は外から見るよりも中はかなり広かったですね。何かたくさん人がいるなと思ったら、まさかの結婚式をしていました。この御殿で挙式とはなんと豪勢な。。。個人的に初の木造再建天守閣でしたが、思ったより素晴らしいものでした。山内一豊を通して高知城とご縁がある話も歴史を感じられていいですね!
駿府城
2014年11月16日
100分の19
東海道新幹線で掛川駅から一駅の静岡駅で下車。そして駿府城へ登城しました。
駿府城と言えばやはり大御所となった徳川家康の隠居城の印象が強いですね。
実際に隠居してからも実権は握っていたので、江戸幕府への影響力も絶大でした。
今の駿府城の復元された巽櫓と二の丸御門は大御所の権力を象徴するかのように重厚な構えをしています。家康が居城していた頃建てられた天守閣は今は存在しないが、往時は江戸城や大阪城をも凌ぐ七層の超巨大天守閣があったという一説があります。今や伝説になっていますが、やはり気になりますね(笑)
小田原城
2014年11月17日
100分の20
大学時代小田急線を使っていたので、終点の小田原駅は懐かしかったですね。
北条早雲から続きし北条家5代の栄華、総構えにして難攻不落の小田原城。
天守閣は三重にしては巨大で、鉄筋コンクリートで再建されたものです。前の日にお祭りか催し物があったようで、その撤収作業を行っていました。なのであまり歴史の趣は感じられなかったのですが、枡形や御門は精巧に再現されていて見応えがありました。
湯築城
2014年12月29日
100分の21
松山城から目と鼻の先、道後公園に位置する湯築城。特に歴史的建築物があるわけではなく、何も知らなければ「お城」であることに気づかないのではと思いました。資料館で職員の方が丁寧かつ熱を込めて解説してくれたため関心が持てました。城主の河野氏は鎌倉時代初期から戦国時代に城を明け渡すまで繁栄していたそうです。その城郭は近世城郭の原型になったとの事。100名城は様々な要素から選定されていますが、湯築城は歴史的価値の極めて高いお城ですね。城巡りをしていると、その土地土地での解説員の方々のお話が聞けるのも楽しみの一つになっています。
今治城
2014年12月29日
100分の22
今年の城納めです。登城前は模擬天守閣なので期待値は低めでしたが、海水をひいた内堀に囲まれた城郭と高さのある天守閣のバランスがよく、ビジュアル重視の見応えがありました。この今治城は藤堂高虎の設計によって建てられた城の一つです。他の城と比較してみると面白いと思います。日が沈みかかってからライトアップされた姿は、内堀の水が綺麗に反射されとても美しくなります。こちらも一見の価値有りです。
高松城
2015年1月2日
100分の23
2015年最初の登城は地元香川の高松城です。
小さい頃に玉藻公園として何度か行ったような気がしますが、お城としては初めてという事でフレッシュな気持ちで臨みました。全国でも数少ない本格的な水城としての価値が大きく、特に水門が現存しているのは他に類を見ないものです。近年、天守台が再建され優雅な姿を見せています。一地元人としては、是非天守閣を再建してほしいと願うばかりですね。
鬼ノ城
2015年1月4日
100分の24
古代の城に初チャレンジ!鬼ノ城は7世紀頃に作られたと考えられています。ただまだ解明出来ていない事がたくさんあります。その謎を解き明かしていく事が古代史を勉強する醍醐味なんですよね!山中を進んでいくうちに雨がパラパラ・・・途中少ししんどかったですが、一周周り終えました。山頂からの見晴らしは素晴らしかったです。再現された部分もありますが、ほぼ自然の中の登城でした。これから遠くない未来新たな発見があることを期待したいと思います!
岩国城
2015年1月12日
100分の25
区切りの4分の1到達。完全制覇はまだ遥か彼方ですが、まず中国地方制覇を目指します!岩国城までは下道を車で1時間と程よい距離。着いてまず駐車場が河川敷の砂利の上という事でちょっと水かさが増したら大丈夫なのかと少し心配に。錦帯橋も初めてでしたが綺麗な造形美でした。山頂の天守閣までのロープウェイは運休中。やっていても徒歩で上がるつもりだったので歩いて登城。地味な発見が再建天守閣の奥に現存の天守台があった事。要は錦帯橋とコラボさせるため下から見える位置に天守閣を作ったと。個人的には「それはいらんでしょ」って感じです(笑)あと麓の吉川家代々の墓地は岩国「藩」の歴史が感じられてよかったです。藩主代々の墓が揃っているケースは案外少ないのではないかと。
月山富田城
2015年2月12日
100分の26
昨年4月の松江城から始まった城巡りですが、今年2月は中国地方の3つの山城を巡りました。
そして今回第一弾として月山富田城に登城。大河ドラマで緒方拳さんが演じた尼子経久が印象的で、興味が湧いたのがきっかけでした。山城の中では比較的標高は低く、山中鹿之介の像、花の壇、山中御殿、(途中の石垣が美しい)本丸曲輪と見所を順に見ていきました。中でも山中御殿は月山富田城の心臓と呼ばれるほど重要な場所だったようです。にわか雨で足元がぬかるみ大変でしたが、それでも十分に楽しめました!富田城登城後、スタンプ目的で2度目の松江城へ。
【2017年5月25日】再登城
前回から2年以上経っての登城。かなり変わっていたので驚き!一番や七曲がりですね。
初めかなり違和感があったが、よく考えれば今の方が往時に近いはず。そう考えればすばらしい物である。まだ三の丸の石垣からの眺めはかなり雄大。尼子氏の権力の絶大ささえ感じてしまうほど。また月山富田城が好きになりましたね!
郡山城
2015年2月15日
100分の27
3日前の月山富田城に続き、今回は吉田郡山城です。「三本の矢」でも有名な毛利元就の居城ですが、遺構は殆ど残っておらず登山に近い感覚でした。麓には元就をはじめ毛利家一族の墓があります。原生林の中で苔に覆われた姿からは約500年もの悠久の時間を感じる事ができます。また民俗博物館の職員の方が気さくに話をしてくださり、より楽しめました。登城の際は事前に大河ドラマを観て興味が湧いた状態にしておくことをお勧めします!
【吉川元春館/万徳寺/小倉山城】2018年5月27日
毛利元就の次男吉川元春が隠居城して築いた館と、その息子が築いた菩提寺。そして小倉山城は元春が吉川家の養子となり日山城に入るまで吉川氏代々の居城となっていた城。小規模の山城で本丸から三の丸まで郭が整備されている。
津和野城
2015年2月25日
100分の28
今月、月山富田城、吉田郡山城ときて3つ目の山城です。津和野城に関しては事前の知識がほぼありませんでした。正直100名城で日帰りできる距離だったから行ってみたという程度でした。。。
しかし、山頂の石垣は素晴らしい!石垣好きな人には特にオススメです。山頂まで登ったご褒美のような、そんな感動すら味わえます。個人的には登城した山城の中では安土城に次ぐ2位かなぁ〜
でも頂上に立った時の爽快感は城下町の景観も含めて一番かも知れません。。。とにかく石垣好きな私にはたまらない名城です。
それにしては知名度が低いような…もっと有名になってもらいたい山陰の天空の城です。
【2016年12月29日再登城】
2度目の登城。予想以上の豪雪。しかし雪化粧の城はやはり美しい。
やはり、僕はこの城が大好きです。
鳥取城
2015年3月21日
100分の29
鳥取城は予備知識がほぼない中での登城となりました。綺麗に整備されている(最中の)石垣、仁風閣、久松山山頂からの景色が、とても素晴らしいものでした。久松山は今まで登った山城と違い、山道が螺旋階段のように小刻みに曲がっているせいか、勾配が激しく頂上までたどり着いた時にはヘトヘト。。同じく登っている人も皆息切れしながら登っていました。中国の人もいたかな。ただ山頂からの眺めは疲れを忘れるほどの爽快さでした!
津山城
2015年3月21日
100分の30
中国地方制覇!鳥取城から地元の香川へ帰省する途中で登城。再建された木造の備中櫓の印象が強かったのですが、高石垣がかなりよい形状でそびえていて見応え十分の迫力でした。そして備中櫓内のビデオを観ると津山城が如何に巨大な城郭を誇っていたかが分かります。特に天守閣は全国でもトップクラスの高さだったようです。是非とも再建してもらいたいものです。また千本以上の桜の木が城内に所狭しと植えられています。花見シーズンには桜の名所としてかなり盛り上がるのだろうと思います。これから登城を予定されている方には桜満開時をオススメします!かなり混んでいるとは思いますが(笑)
大野城
2015年4月29日
100分の31
初九州進出!古代の山城いや朝鮮式山城ということでよく知らないまま登城(笑)と言うよりは完全に登山ですね。暑かったので予想外に汗だくになりました。森林に覆われて自然を感じられる所は2月に行った中国地方の山城と同じですが、とにかく広く、百間石垣まで行き断念。ゆっくり全て巡るなら一日かかりますね。石垣については千何百年前の遺構に思いを馳せるより、それの維持保存に尽力されている人たちの思いに感謝ですね!
福岡城
2015年4月29日
100分の32
去年の大河ドラマの繋がりで興味のあった福岡城。向かう最中事故をおこす大失態を起こしテンションが低かったせいか、あまりいい驚きはなかったですねぇぇ。。。ただ天守台が大きい!今までみた中では一番かも。それで天守閣は存在していたかどうか今も定かではないとの事で。あったとしたなら超巨大天守閣になりますね!なんか駿府城に似てます。黒田親子と家康のミステリーですね!予定が大幅に遅くなり、スタンプとパンフなどの資料はゲットできなかったので近いうちに再チャレンジしたいところです。
【2017年6月19日再登城】
久々の福岡。前回見れていない部分が多かったので、まずは堀に沿って城周りを一周。
多門櫓や石垣など新しい発見が多く、とても楽しかった。確かに九州最大級の規模であり、今もそれを感じられるだけの遺構が残っている。
徳島城
2015年5月18日
100分の33
香川への帰省でとった公休を使い登城。初めの印象はとにかく公園でしたが、丘の上の本丸跡や現存の石垣が、確かな城郭を感じさせました。管理人の方によると本丸跡には元々護国神社があったそうです。定休日で庭園と博物館は行けませんでしたが、貝塚があったり鷲の門、迫力ある石垣など見どころはたくさんありました!!
赤穂城
2015年6月7日
100分の34
播州赤穂駅から直線に徒歩10分。立派な二重櫓が現れます。大手門から枡形、整然と並べられた石垣。遺構の再建、維持保存に尽力された地元の人たちの思いを感じざるを得ません。天守台はあるが天守閣は初めから建てられなかったようです。幕府への遠慮か資金不足が理由と考えられています。
「赤穂」と聞くとやはり忠臣蔵を連想しますが、その石像が立ち並ぶ大石神社も賑わっていました。本丸以下二の丸三の丸もまだ整備途中といった感じだったので「これからもっと整備が進むといいですね」と係りの方に言うと「金がかかるからもういいよ」とまさかの返答に思わず笑ってしまいました。
大阪城
2015年6月8日
100分の35
天下人の城。天守閣は豊臣、徳川と来て今は復興天守ですが、そのスケールは期待通りでした。期間限定で秀吉が乗っていたとされる船を模した御座船に折角なので乗りました。金色を基調に豪華絢爛な装飾が施され、言わずとも秀吉のものと分かる船でした。
日本3名城だからか平日にも関わらず多くの観光客で賑わっていました。とにかく中国人の方が多かったです。
天守閣は博物館ですが、内堀外堀の石垣は徳川期のものがほぼ残っていて、江戸城に引けを取らない迫力でした。
明石城
2015年6月8日
100分の36
午前中に登城した大阪城から電車で1時間弱。雨が心配でしたが、幸いなんとかなりました。
明石城の売りと言えば、対のように並ぶ二つの三重櫓。明石駅からすぐに見えて分かりやすかったです。どちらの櫓にも唐破風と千鳥破風があり、まるでペアルックを着た双子のようでした。あと、パンフに載っている写真の屋根の色が実物に比べかなり白いことに気づきました。これは姫路城と同じく、初期は白かったが時間が経つにつれて徐々に劣化し色も変わったのだろうと思います。あと石垣の精度もよく、強固かつ美しい城壁を形成しています。
岐阜城
2015年7月19日
100分の37
「稲葉山城がオススメ」と以前同僚に言われてから、調べて初めて岐阜城の事であると知りました。予定では20日の早朝から登城するつもりでしたが、夜の展望台が始まったとの事で早速夜景を楽しみました。
そして明けて20日早朝改めて登城。4つある登山道のうち一番過酷な「馬の背道」を迷わずチョイス。これが地獄の始まりでした…まさかの崖。炎天下で体力がどんどん奪われ、やっとの思いで頂上に辿り着いた時にはまともに立てませんでした。間違いなく今までの山城の中で一番過酷でしたね…でもそこからの眺めは絶景です!!昼夜ともに。
遺構はあまりなく、ビアガーデンなど少し観光用に傾き過ぎって感じましたが、麓の信長居館跡の発掘調査に期待したいですね!
安土城
2015年7月20日
100分の38
近世城郭の聖地。信長の夢のあと。
あらゆる神仏を否定し、自ら「天主」つまり「神」になろうとした信長。安土城天主閣はまさにその象徴だったようです。その聖域に向かって真っ直ぐに伸びる大手道は、他には類を見ない神々しささえ感じさせるものでした。
信長の館で映像(VR)を観賞。天皇を招き入れるための御殿が二の丸に作られていて、自らは全てを見降ろす天主の最上階に居住していたようです。従来の概念を根本から破壊するような信長の創造力を感じます。
今も尚全貌解明に至っていない伝説の名城。必ずまた訪れたいです。
【2016年10月26日再登城】
やはり何度行っても、凄まじい程の浪漫を感じます。大手道の麓の受付が正面に移っていました。往時の形を残しながら維持保存の活動も今後も頑張ってもらいたいと思います。
和歌山城
2015年7月21日
100分の39
前から行きたかった和歌山城。前日の安土城から電車で移動。近くのホテルに前泊しての登城となりました。外観復元ながらも連立式の貴重な天守閣。優美な構えですが同じ形式をとる姫路城や松山城と比べるとやや迫力に欠ける印象。しかし和歌山城の魅力は天守閣だけではありませんでした。特に石垣は「野面積み」「打込み接ぎ」「切込み接ぎ」が共存していて見応え十分です。その他にも庭園や城門が往時を彷彿させていて、いい風情を感じます。
また、石垣などに利用される独特の青い石は、藩内の海岸や近くから採取されていて、海を挟んで隣の四国徳島城にもよく似た石が存在していました。何か繋がりがあったのかも知れません。
徳川御三家の一角「紀州徳川家」の格式の高さと威厳を感じさせる名城でした。
大洲城
2015年8月11日
100分の40
木造の天守閣が再建された城郭は予想以上に迫力と趣があり、見応え十分でした。
天守閣と櫓が繋がっている「連結式」で、再建の天守閣の新しい木と現存の櫓の古い木のコラボレーションも楽しめます。
木造での再建を実現できた要因として、比較的多くの史料が残っていた事もありますが、それ以上に地元の人々の熱意がなければ、実現できていなかっただろうと思います。
天守閣だけではなく全体的に綺麗に整備されているので、登りやすかったです。
これで中国に続き四国も全登城達成!この勢いで次は九州へ!どんどん行きます!笑
【2017年1月2日再登城】
夜のライトアップを狙って登城。思惑通り綺麗にライトアップされた天守を拝めた。
2度目になるが、夜は初めてなので昼と違った天守を観れて満足できた。
天守再建を目指している高松城にとっては、再建されたこの天守はまさに模範のような城。是非頑張ってもらいたいと新ためて思った。
大分府内城
2015年8月12日
100分の41
朝から生憎の雨でしたが、大手門に着いた頃には小ぶりになっていたので気にせず歩けました。
本丸二の丸など主要な曲輪は、今は駐車場になっていました。
しかし内堀の石垣は綺麗に整えられ復元された4つの櫓もそれぞれ大きく、往時を偲ばせるのに十分な景観でした。天守台から見える内堀や櫓は、普段みれない角度から見下ろせるのでオススメです。
岡城
2015年8月12日
100分の42
「荒城の月」の印象だけで、どんな山城なのか?知らない事が多い分ワクワクしながら車で向かいました。山のかなり上の方に駐車場があり、そこまで車、そこから徒歩で頂いた地図絵巻を参考に本丸に向かいました。とにかくかなりの高さに築かれた石垣の迫力と、その上から見渡せる大自然の大パノラマには言葉にならない程に感動させられました。
まだまだ改修、発掘も途中のようで、良い状態を保ち未来へつなげて欲しいと思います。
今まで登った山城の中では特に津和野城の石垣が印象に残っていますが、岡城も同じくらいのインパクトがありました。もっと知名度が上がってほしいものです。
熊本城
2015年8月13日
100分の43
今回お盆連休をフルに使ったお城旅の目玉、熊本城であります!まだ日も登らぬ午前4時に別府を発ち一般道をひたすら走ること3時間半。丁度開門に合わせて入場できました。現存の宇土櫓の内部は奥ゆかしく風情がありました。天守閣、小天守も予想以上の迫力で見応えがありました。
城巡りを本格的に始めた頃は現存天守閣のみが価値基準でしたが、色々な城を知るに連れ、視野が広がっていきました。熊本城天守閣は鉄筋コンクリートの復元ですが、宇土櫓や長塀、堀や石垣など見所満載で全体的にかなり価値の高い城になっているように感じます。今も尚、改修復元の作業が進められていて「また来ないといけないじゃん!」って思わされる魅力溢れる城ですね(笑)
島原城
2015年8月14日
100分の44
島原城は知れば知るほど独特の歴史を持つ、珍しい城である事が分かりました。
全く破風を持たない5重の層塔型の天守。キリシタン弾圧という惨い歴史。外様大名が武家諸法度の発令後に天守閣を築いたこと。あとは天守の麓、本丸が駐車場だったこと…(笑)島原城の天守の写真にはあまり足元が写っていないのは、そういう事なのかなと…勝手な解釈ですが(苦笑)
これから登城する方には是非堀を回ってみる事をお薦めします。高く積まれた石垣の造形美と蓮の葉でおおわれた広い堀が見所です。歩道のない一般道ですが交通量は少ないので大丈夫です。
平戸城
2015年8月14日
100分の45
島原城から車で長崎県を縦断。途中「佐世保バーガー」を食べるつもりでしたが、なんと待ち時間が1時間半もかかるとの事で断念。平戸城には16時前に着きました。遺構はあまり残っていませんが、模擬天守に吹く海風がとても気持ちよかったです!松浦氏と聞くと水軍?という印象でしたが、繋がりはあるようですね。天守最上階から見た平戸市は、水軍の時代から日本の海外交易の玄関口として栄えた時代を「今」に伝える風情ある街並みでした。
名護屋城
2015年8月15日
100分の46
浪花の事も夢のまた夢
早朝平戸を発ち名護屋城目指し一路唐津へ。かなり破却されているため、あまり遺構はないのですが、発掘調査が進んで登城用に整備されていたので助かりました。山頂の本丸、天守台跡から港町を眼下に一望できます。往時の天守閣はバーチャル映像でみる事ができます。城郭を囲むように朝鮮出兵に備え大名が陣屋を構えていたようで、配置図を見ると徳川、黒田、上杉、島津、毛利…と正に戦国オールジャパン状態ですね(笑)城址を発ち佐賀城に向かっていると反対車線に車の大行列ができていました。どれだけ名護屋城を目指しているかは分かりませんが、とにかく早く行って正解でした。
佐賀城
2015年8月15日
100分の47
佐賀城は高石垣の天守台や現存の鯱の門など見所もありますが、復元された本丸御殿が何と言っても一押しです!復元の精度も高いですが、プロジェクションマッピングやゲーム、スタンプラリーなど大人から子供まで楽しめる工夫が細部に施されていて、満足できました!
また木造建築物独特の木の香りが、心を和ませてくれます。
予定では今日はここまでで明日吉野ヶ里に行くつもりでしたが、思ったより早く進んだので予定を前倒しして、吉野ヶ里に向かいました。それで結果的に佐賀県の3城を今日1日でまわる事になりました。
吉野ヶ里
2015年8月15日
100分の48
最初は明日登城する予定でしたが、早く進んだので前倒しして今日行くことにしました。
駐車場の入り口で係員の方が開口一発「スタンプのみですか?」と。スタンプのみ目的の人も多いようで。個人の自由だし其々のご都合があると思いますが、折角なので出来るだけ城を味わってもらいたいですねぇ。100名城を主催している方々や各地元の方々にとっても本意ではないでしょうし…
それはさておき、
吉野ヶ里は100名城の中で一番古い時代の城です。吉野ヶ里以外の99城の情報は政治史が殆どですが吉野ヶ里は人々の暮らしがメインのように感じます。ですので子どもでも修学旅行や野外活動のように、自然を肌で感じながら吉野ヶ里の歴史を学べるようになっていると思います。
また施設はしっかりとしていて、じっくり歩ける環境が整っています。今回は時間の都合で少しかけ足になりましたが、今度来た時にはもっとゆっくり見ていきたいと思います。
二条城
2015年9月21日
100分の49
二条城については、子供の頃に行ったような気がしますが記憶が定かではないので、今回が初登城のようなものになりました。
近世城郭における「城」とは軍事要塞としての位置づけが殆どですが、二条城の場合は儀式や行事が主でした。家康の征夷大将軍拝賀の儀と慶喜の大政奉還の舞台になったことで、徳川幕府の誕生と終焉を見届けた城として有名です。
他にも家康が豊臣秀頼に謁見させ主従逆転させた場所であり、三代家光は後水尾天皇の行幸を賜った場所でもあります。どちらも将軍の権威を世に知らしめる催事だったようです。
そんな数々の歴史が変わる瞬間を見てきた二条城は、期待以上に趣きと歴史の重みを感じさせる貴重な遺構でした。是非実際に肌で感じてもらいたいです!
余談ですが小さな発見が一つ。外観は菊の御門で内部は三葉葵の家紋のままでした。これはこれでアリですね。
篠山城
2015年9月21日
100分の50
折り返し!とは言ってもこれからは遠方ばかりなので、今まで以上にお金と時間との戦いになりそうです(笑)
篠山城の大書院は、外観が二条城の二の丸御殿にそっくり。数時間前に行ってきたばかりなので尚更そう感じるのかも知れません。大きさは篠山城のほうが一回りほど小さいかな。しかし復元ですが木造なので、いい雰囲気でした。また天下普請で建てられたことや天守台のみ残っている点もよく似ています。
篠山城と聞くと大書院を連想する人が多いかも知れませんが、個人的には石垣がオススメです。家康にプレッシャーをかけられ半年という驚異的な速さで築いたせいか、野面積みですがかなり丈夫に作られています。さすが高虎。
伊賀上野城
2015年10月11日
100分の51
折り返し一発目は、三重の伊賀上野城!自分自身たぶん初の三重県。
伊賀上野駅から地図を頼りに向かったのですが、所々に忍者と松尾芭蕉にまつわる絵や看板が...
ここが松尾芭蕉にゆかりが深い場所であると初めて知りました(笑)
城はまず石垣は期待通り高虎の代名詞、直線の勾配の美。自然と融合してお見事の一言。
天守は、模擬なのか復興なのか微妙ですが、木造で今年で築80年とは大したものです。思っていたより大きく綺麗な天守でした。その前の天守は五重の層塔型だったようですが、流石に難しかったのだろうと思います。
天守の係りの方が僕が「次、名古屋城に行く」と言うと「それならバスがいいよ」と、時間まで調べてくれました。そのご厚意にあまえてバスで名古屋へ向かいました。
名古屋城
2015年10月11日
100分の52
今だにアンチ鉄コン思考が強いせいか、あまり期待していなかった名古屋城。
(地元の方や気を悪くした方すみません!)
駅から徒歩で向かいましたが、まず驚いたのが車の量、人の多さ。確かに連休だし元々有名だから仕方ないかと納得。入場してゆっくり天守のほうへ。やっぱ実物は迫力がありました。圧倒されながらも、もしこの天守が戦災にあわずに現存していたら、ものすごい価値になっていただろうと妄想してしまいました。歴史に“たられば”はご法度ですね(笑)
ただ現存している櫓や門は天守のスケールに相応した迫力があり、これだけでもみる価値ありですね。あと入場16時30分、17時には早々としまってしまうのでお気をつけを。
岩村城
2015年10月12日
100分の53
昨日、伊賀上野城、名古屋城ときて今日、実はこの旅のメインの岩村城です。
城巡りをはじめて山城にハマった私にとって、日本最高峰の城郭である岩村城登城は念願でした。
標高こそ717メートルと日本一ですが、比高は200メートル弱とあまり高くなく、頂上の本丸曲輪のすぐ下にある出丸が駐車場になっていました。何とも複雑な気分。。。
本丸に残る石垣群は、決して広くないものの自然の地形に合わせて作ったせいか、複雑に構成されています。少しみる角度を変えただけで全く違う印象になり、写真の撮り甲斐がありました。
城址のある岩村町は、お城だけでなく城下町や日本一の景観と言われる農村地帯など古き良き日本の風景を今に残しています。ゆっくり歩いて観光するにはぴったりのスポットです。
川越城
2015年12月20日
100分の54
午前中、新百合ケ丘にてスターウォーズEP7を鑑賞。そのまま電車で川越へ。
今回の登城で現存御殿4城全て制覇。川越城の本丸御殿は質素ながら正面の大きな唐門は立派。
時間帯が夕方だった事や、逆光だった事、元々黒っぽい色だった事もあり、写真が満足のいくように撮れなかったのが少し残念。
敷地内の庭も綺麗に手入れされていましたが、豪華絢爛ではなく、どこか日本の和の心を思い出させてくれる奥ゆかしさがありました。
八王子城
2015年12月21日
100分の55
iPhoneのナビを頼りに向かいましたが、これが大失敗!後でガイドしてもらったおじさんに聞いても「?」って感じ(笑)どうやら遠回りで過酷なルートで来てしまったようで・・・文明の力に頼りすぎてはいけませんね!
ガイドの方から色々な事が学べ、新しい知識や見方が身についてので今後に活かせそうです。
それで肝心の八王子城ですが、要は後北条氏の本城である小田原城の支城だったわけです。秀吉による天下統一の最終局面。前田、上杉軍の攻撃を受け落城。この敗北が後北条氏の滅亡を決定的にしてしまいます。
関東最大級とも言われる山城なので、遺構は多いです。高い土塀や地形に合わせ様々な所に巡らされた堀切。安土城を模したとされる幅8mにも及ぶ大手道とその石垣。見所は尽きません。
帰り高尾駅に向かう途中、大正昭和の天皇皇后両陛下の眠る武蔵陵墓地へ行こうと思いましたが16時ちょうど時間切れでアウト(笑)またの機会に。
飫肥城
2016年2月11日
100分の56
やっと今年の初登城。飫肥城は現存の遺構こそほとんどないものの、大手門など思っていたよりも大きく見応えがありました。
また自然とうまく調和して風情があるのも飫肥城の特徴かなと思います。特にこの時期に開花している桜が見れるとは全く思ってなかったし、本丸跡に整然と立ち並ぶ杉の木のスケールにも驚かされました。
あとは、事前予約が必要ですがボランティアガイドをやっていたり、無料人力車や観光案内の人たちがとても気さくに接してくれました。地元が一体となって城下町も含めて盛り上げていこうという活気がありました。
グルメですが、個人的には幟に惹かれて入った食事処蔵の厚焼卵がオススメです。味もさる事ながら見た目に注目です。羊羹並みに上品に仕上がっています!
人吉城
2016年2月12日
100分の57
宮崎で巨人のキャンプ観戦した後、車で人吉へ。
全体的にオーソドックスな中世の平山城という印象でした。
川沿いの水門や長塀は美しく再建されています。曲輪の配置も分かりやすく、
ひな壇のように下から三の丸、二の丸、本丸と続いています。
丁度一年前に登城した月山富田城を思い出したのですが、曲輪の配置が似ているような気がします。気のせいかも知れませんが(笑)本丸からは城主が眺めたであろう街並みが一望出来ます。
山中城
2016年3月5日
100分の58
前日夜行バスで広島をたち、横浜から電車で三島駅へ。そこから路線バスに乗り、やっとこさ山中城へ到着。既に朝の11時をまわっていました。
「城」という字は「土で成る」と書きますが山中城は正にその典型のような城でした。とは言っても中世の城は、土で作られたものが殆どですが、山中城の場合、有名な障子堀を始め多くの遺構が、管理されて美しい景観を残しています。北条氏が豊臣側大名の侵攻に備え築いた壮大な城郭は儚くも半日余りで落城します…
この辺りの史実は、今年の大河ドラマ真田丸で描かれるかも知れません。今から楽しみですね。
金山城
2016年3月6日
100分の59
築城の名手太田道灌をもってして「天下の名城」とまで言わしめた新田金山城。さらに山城ときたら、もぅまだ誰も登っていないような早い時間に登城するのが鉄則です!(笑)
まだ夜が明けきらぬ時間に太田駅辺りから歩いて登る。朝霧が濃く前方を遮ります。うーん狙い通り雰囲気抜群!そのうちホラ貝が聞こえてきそうです(笑)山頂にそびえる本丸の曲輪群は強固な石垣群が復元されています。
偶然遭遇した地元の方に話を聞くと、滅多に霧は出ないし今年は今日が初めてとの事で、かなり運が良かったようです。また100名城の事を話すと「えっ金山城が選ばれてるの?」と驚いていました。またスタンプのある休憩所が閉まっていて係りの方が来るのを待つというハプニングがありましたが、そこで待つ間話に花が咲き、これでまた地元の人達との楽しい思い出が一つ増えました。お城は今も発掘調査中で、特に大手道はかなりの規模のようです。「天下の名城」の名は間違いないようですね。
足利氏館
2016年3月6日
100分の60
漢字が読めなかった鑁阿寺。K1選手と覚えておこう(笑)
早朝に登城した金山城で予定より時間を食ってしまった事もあり、1時間弱の短い滞在になりました。
立派なお寺と言ってしまえばそれまでですが、周りを囲む堀の形は消えることなく美しく残しています。
本堂で購入したパンフレットを見て、
足利氏が本当に源氏の血統であることを知りました。源氏の敵は平氏で、平氏の敵は源氏とどの家も各々に都合のいいように源氏の名を語っていたのかと思っていました。
しかし家康のように系譜を書き換える者もいるぐらいなので、真実は定かではないですが。
千早城
2016年5月1日
100分の61
近畿制覇+三重5城の旅!
一発目は楠木正成の千早城。後醍醐天皇への忠義を貫き、鎌倉幕府軍さらには足利尊氏と戦い、壮絶に落命する。まさに武士の鑑のような武将だったのかなと思います。
千早城跡は近鉄富田林駅からバスで約30分。連休という事もあってか100人以上の観光客、と言うか大半が登山客でした。登城道ならぬ登山道はキレイに石段で整えられていますが、とにかく急。。。登りも降りも。またまたいい運動になりましたね(笑)
高取城
2016年5月2日
100分の62
近畿制覇の旅2日目。高取城が数ある山城の中から三大山城に選ばれた理由が、今回登城してよく分かった気がします。
まずはとにかく山頂の城郭まで登山道がやたら長いこと。3キロ弱ですが、それに山道の険しさが加わり、やっとの思いで山頂に着いた頃にはバテバテ。時間的には1時間30分か2時間を見てもらえればいいと思います。僕は2時間かかりました。。。しかし頂上の石垣のスケールが桁違い!思わずオォォ!っと声が出てしまうほど。本当にどうしてこんな高所にこんなに巨大な城を築けたのか、不思議になるほど。これほどまでのスケールで遺構が現存している山城は他にはないのでは。
百聞は一見に如かず。
大変な道程ですが、たどり着いた頂きにはド迫力の石垣群が山頂で出迎えてくれます。なので頑張って登りましょう!(笑)
松阪城
2016年5月2日
100分の63
近畿制覇+三重の旅。2日目、高取城に続いての登城です。
午前中の高取城で予想以上に体力を消耗したため、かなりヘロヘロ状態でした。。。
そういう意味で松阪城が平城(平山城?)でよかった(笑)
で、松阪城はズバリ石垣城でした。とにかく何から何まで石垣。城壁は20メートル以上あり、それなりの迫力はあったが、 いまいちパンチに欠ける印象。その名の通り憩いの公園でした。
築城主の蒲生氏郷が生涯で築いた城は、この松阪城と福島の会津若松城の2城のみのようです。にも関わらず名築城家に数えられているそうです。それって隠れた実力者って事??
そこは謎ですが、会津若松城をめぐる際に思い出してみたいと思います。自分でもいつになる事やらって感じですが(笑)
観音寺城
2016年5月3日
100分の64
ゼッタイに登らなければならない城が、そこにはある。
近畿制覇+三重の旅。3日目。
100名城巡りをしている人なら99%観音寺城は安土城とセットで行くと思いますが、そうはならず。。。前回は去年7月に安土城に行ったのですが時間切れで観音寺城は行けずじまい(笑)今回はそのリベンジです。
あと読みはカンオンではなくカンノンが正解。特に香川県の方お気をつけを。
観音正寺から登城。石段が延々と続く感じで、結構疲れます。
お寺で参拝を済ませ、いよいよ観音寺城趾へ。かなり険し目の山道が続きます。おもに本丸跡と平井丸を散策。石垣がいちいちデカイ。一つの石がデカイ。中世山城で最大級と言われるスケールの大きさが石垣からも伝わります。
特に平井丸は必見!巨大な石垣に居館であったであろう曲輪には竹と杉の木が立派にそびえています。
この観音寺城は安土城ができる約100年も前から存在したようで、安土城建設の際、信長が参考にしたとの話も自然と頷けます。
スタンプのみでスルーされがちですが、勿体ない!是非登城してほしい大城郭です。
小谷城
2016年5月3日
100分の65
近畿制覇+三重の旅、最終日。
これで近畿も制覇!っと大声で叫びたい所でしたが、色々と時間の誤算が重なり、小谷城の登城はできず、資料館での見学のみで終了。。。何とも言えない不完全燃焼感が満載状態。
ガイドさんが言っていた戦の命運を分けた堀切を見てみたい!!
そんなこんなで、また必ず来たい名城小谷城でした。
【2016年10月27日再登城】
半年でリベンジ達成!登城口から登り、初めの遺構である番所跡までがやや長い。
ただそれ以降は様々な役割の曲輪が次々に現れる。特に本丸下の大広間跡と山頂にある山王丸の大石垣が印象に残った。小谷城に石垣造りがあった事自体以外だが、すぐ近くの佐々木六角氏の観音寺城には巨大な石が使われていた事を考えると、十分に有り得ただろうと納得。
岡崎城
2016年6月19日
100分の66
名古屋で準一級の検定を受け、そのまま電車移動で登城。天気は小雨だった。
岡崎城の見所はズバリ空堀、水堀でござる。あまりそのイメージがなかったので、実際見てみて初めての知った感じ。地元の人たちの維持保存活動は大前提だが、よくきれいな形で残っていた。天守は復興天守に分類されるようだが、資料館の古写真を見る分にはほぼそのまま復元されているような。。。まぁいぃか(笑)どっか違うのだろう。
長篠城
2016年6月20日
100分の67
気がつけば残り3分の1。野球なら6回が終ったぐらいか。またまだ先は長いように思える。
今年の大河の真田丸の最初は武田家の滅亡からだったから、この長篠の戦いが終ってすぐぐらいだろう。信玄没後の武田氏の急速な衰退ぶりをみると逆に信玄の偉大さを感じてしまう。と言うが自分自身、武田信玄のことはよく分かってなくて大河ドラマの風林火山をDVDで一気に観た程度だ。躑躅ヶ崎館にも春日山城にもまだ行っていないのでこれから勉強しようと思う。
長篠城址はとにかくローカル。搦め手門跡と刻まれた碑には膝下程にわずかに盛られた石が…おそらく日本最小の城跡ではなかろうか;^_^A
武田勝頼の本陣跡など遺跡にはほとんど行っていないので、今度は是非行こうと思う。
これで東海エリアも制覇!
高遠城
2016年8月11日
100分の68
松本城以来久々の信州長野県。名古屋駅から乗り換え13時半ぐらいに伊那市駅着。ローカル感全開の駅。乗車券は全部駅員さんがチェック。僕が乗り越しで広島から名古屋までの乗車券見せると、さすがの駅員さんも驚いていました。そりゃそうだ。こんな人滅多にいないよな(笑)
駅からはバスのつもりだったが、今日は山の日で祭日なのに平日だと思い込んでいて、バスだと2時間近く待たなければいけない。渋々途中までタクシー、そこから歩いて城址公園を目指しました。
それで予想以上に距離があって(8~9kmぐらいか)大変なうえに、足の裏に大きなマメができて更に過酷な道程に。。。やっとの思いでつき、城探索開始。
高遠城は桜の名所の印象が強く、あまり戦のイメージはなかったのですが、深く大きな空堀がかつて起こった戦国の戦の爪痕を確かに残しています。また平面状に各曲輪が分かりやすく配置されているので、特に城ビギナーの方にはいい教材になると思います。
甲府城
2016年8月12日
100分の69
人生初の甲斐の国。ご存知、武田信玄でございます。とは言っても甲府城は武田氏滅亡後の築城のため信玄公との繋がりはありません。
前泊したゲストハウスを早朝に出て登城。城下町から見える石垣は迫力がありました。地元の丸亀城の景観と少し重なります。石垣勝負なら丸亀城も負けていません(笑)
主な建築物は再建された鉄門と稲荷櫓。どちらも美しさと威圧感を兼ね備えていて見応えがありました。あとは稲荷櫓の前に「甲斐府中城」と書かれた横幕が。甲府の由来でしょうか。初めて知りました。
駅が近いこともあってか城内が通勤路になっている人も多く、地元によく根付いた城であるとも感じました。
武田氏館
2016年8月12日
100分の70
早朝の甲府城から少し時間をタイムスリップして武田3代の居館躑躅ヶ崎館へ。
甲府駅から真っ直ぐな道を進むと鳥居に行き当たります。これだけで既に格好いい(笑)
大河ドラマ風林火山のオープニングテーマを聴きながら気分を盛り上げて武田神社を参拝。これがさらに格好いい(笑)
一通り参拝して普通ならこれで終わりですが城好きは違う;^_^A神社とはいえ戦国大名の居館。縄張りを一周しなければ登城した事にはなりません!ってなノリで堀を一周。大手門跡や他の曲輪などまだ発掘調査中ですが神社ではない城の姿を観れました。これは予想以上の収穫でしたね。興味のある方は是非周ってみてほしいですね^ - ^
武田3代と言ってもやはり信玄公の存在感が際立ちます。帰りに信玄公の墓地に立ち寄りました。予想より充実した登城になりました。
鉢形城
2016年8月13日
100分の71
前泊した熊谷のホテルで朝寝坊をしたため、1時間弱しか時間が取れず、不完全燃焼状態。小谷城と同じく、必ずまたリベンジしたい城になってしまった;^_^A
鉢形城は八王子城や山中城などと同じく後北条氏系列の城で、土塁や堀が所狭しと張り巡らされている。基本的に石垣は存在しない為、典型的な中世の戦う城といった印象。その堀や土塁がしっかりと残されているので見応えは十分。だから尚更もう一度来て今度はじっくりと探索したい;^_^A
また荒川を背後に天然の堀にして防御システムを築いている辺りは、後北条氏の強かさが感じられ面白い。しかし、まだまだこの城の魅力はこんなものではないはず!必ずリベンジだ^ - ^
【2017年12月3日再登城】
スケールの大きい堀と土塁。整備された曲輪。見所満載の中世の城でした。
荒川を背後に後ろ堅固な構えは今も後北条氏の威厳を感じさせてくれます。
佐倉城
2016年8月13日
100分の72
闘魂込めて〜♪♪
巨人軍もお城も永久に不滅です!!(笑)

佐倉城はとてもとても優しさを感じる城址でした。土井利勝やその後の有能な老中たちが城主を務めた城。空堀や土塁、出丸が残されていますがいづれも緑に覆われて、戦の匂いはテンデしません。むしろ感じるのは気品とか幕府の中枢を担った城主たちの気高さでしょうか。
もともと天守はあったようですが、天守跡の看板がなければ、まず気づかないだろうというぐらい質素なものでした。そんな中でも一番見応えがあったのは出丸に施された空堀。美的センスを感ます。城郭内にある歴史博物館は時間がなかった為今回は見送り。また機会があれば行ってみたいところです。
根室半島チャシ跡群
2016年9月19日
100分の73
♪最果ての地 その先に 苛まれて 何を見る? 凝視すれば 何を見る?
al.ni.coのカナリアが頭をまう…
話は飛ぶが「シンゴジラはゴジラ映画にしてゴジラ映画に非ず」と言われているが、個人的にはよく分かる。今までとは違う所だらけで、何が違うか分からなくなるぐらい違う。
いずれにしろ名作なのは間違いないのだが…
そんな意味で今回の根室半島チャシ跡群も「100名城にして100名城に非ず」である。
まぁ地理的なものとか雰囲気だったり、そもそもアイヌ民族なので文化風習が違うから、違って当然なのだが、それでも異彩を放っていた。行ってみれば確かに草むらだが、そこには間違いなく歴史があった。あとはイマジンすれば良いだけ。。。
昨日空路で広島から新千歳。そこから南千歳、帯広、釧路、根室まで電車、バスを乗継ぎ約10時間。高校の修学旅行以来の北海道。その広大さを肌で感じた。
また、納沙布岬で北方領土の問題について改めて勉強。もっと事実を教育の場で教えていかなければいけない。自分も含め、よく知らない人が多い。このままでは駄目だっと痛感。
一乗谷城
2016年10月28日
100分の74
前泊したゲストハウスから福井駅まで送迎してもらい、駅から路線バスで朝倉氏の遺跡へ。
発掘調査で復原された朝倉氏の庭園。しっかりと復原された戦国時代からの街並み。どれも素晴らしかった。信長によって一度は全て消失したが、その後新たに整備される事なく現代に至っているため、ほぼそのままの形で発掘されたとの事。静かな雰囲気の中で歴史を体感できる有意義な時間を過ごせました。
金沢城
2016年10月29日
100分の75
初石川!初金沢!
今回の北信越の名城めぐり9日旅で、一番楽しみにしていたかもしれない金沢城。
その期待を超える名城でした。現存の石川門、三十間長屋に再建の菱櫓、五十間長屋。
どれも写真で観るよりはるかに大きく迫力がありました。天守こそ焼失して存在しませんが、
どれの建築物も天守級のスケールで見応え十分でした。また内部に入れた事も、興奮しました。
他には石垣は必見です。意外でしたが強固な高石垣が内堀や所々に点在しています。
また兼六園も風情があって良かったですね。
今でも加賀百万石の名に恥じない美と品格を感じさせられる名城でした。
七尾城
2016年10月30日
100分の76
事前知識がなかったため、ざっくり確認。
まず畠山氏の築城で上杉、織田、前田と城主が変わっていった。
山頂部に多くの曲輪が配置されていて、小谷城と少し似ていた。
早朝に少し頑張って七尾駅から徒歩で麓の資料館にたどり着く。係りの方が丁寧に説明してくれたので、より興味が湧いた。
一番の見所は山頂の本丸から見下ろす能登の絶景。そして三段に構成された石垣。見事に美しく積まれていた。山麓から山頂まで約1時間。比較的登りやすい山城であった。
高岡城
2016年10月30日
100分の77
七尾駅から高岡駅へ移動。
何やら高岡城は城というより公園という噂は聞いていたが、確かに公園だった。
だった水堀は広大で観る価値はあったと思う。
戦の匂いはほぼ皆無で、騎馬像の前田利長公の顔もとても優しげに見えたのは気のせいか(^^;;
水堀に池の噴水と滝、全体的に水の恵みを感じる城址公園でした。
これで北陸制覇!!
春日山城
2016年10月31日
100分の78
毘沙門天に帰依した戦国最強の武将上杉謙信
謙信の後継の座を射止めた上杉景勝
景勝への忠義を貫いた天才軍師直江兼続
春日山城は上杉氏の浪漫が溢れる山城でした。
謙信公の像がある春日山神社付近から眺めると山頂の曲輪群が剥き出しになっているのがよく分かる。これは比較的珍しいが往時はこうであったのだろう。戦国期の山城としては登りやすいと思った。
松代城
2016年11月1日
100分の79
信州松代。今年の大河真田丸と繋がりがあることは分かっていたが、予想以上に真田推しが凄かった。長野駅からローカルバスで移動。駅など街のあらゆる所で六文銭。お城周辺も真田邸など興味深く楽しめるスポットがあった。
肝心の松代城。
城自体は決して大きくなく、特別際立った遺構がある訳ではないのだが、土塁の芝がちゃんと狩られてあったり本丸を囲む水堀や木々も手入れが行き届いていて、気持ちよく見て歩くことができた。またこの日は天気も良く静かで、まさにお城廻り日和だった。
帰り川中島の古戦場にも立ち寄った。着いた途端いきなり風が強くなり寒くなった。
まさしく戦さ場にきたような雰囲気だった。
神社にて謙信が信玄の不意をつき騎馬で襲いかかる瞬間の像を発見!ベストショットをゲット!
上田城
2016年11月2日
100分の80
言わずもがな今年の大河の舞台。やはり駅から真田丸推し推し状態。
宿から早朝8時くらいに登城。城郭以前に紅葉がとにかく綺麗だった。
もともと真田昌幸による築城だが今の櫓門など城郭を築いたのは、その後に入場した仙石氏によるもの。神社のある本丸もいいが、一押し見所としてはお勧めしたいのは天然要害の尼ヶ淵。
岩盤と石垣が入り組んでいて、当時あったであろう千曲川の上に君臨していたわけ。迫力十分!
折角なので大河ドラマ館もお邪魔し大満足で、次の小諸に向かった。
早朝には疎らだった人並みも昼前には観光客でごった返していた。
小諸城
2016年11月2日
100分の81
午前中の上田城から移動しての登城。一週間かけたお城旅もこの小諸城でいよいよ最後になる。
駅からほど近く地下道を抜けると、普通階段を上がる所が、すぐに三の門がお出迎え。
なるほど早速「穴城」を体感。ちなみに大手門、三の丸とその他の城郭を線路が分断している形になっている。
景観は紅葉のおかげもあり抜群。天守台などの石垣も苔が蒸して雰囲気があった。
お隣の上田城とは強い繋がりがあり、真田と徳川が激突した際、真田が上田城、徳川が小諸城にそれぞれ陣取ったとのこと。
現存の大手門、三の門は当然だが、他にも石垣など見所が満載。是非行ってみていただきたい名城でした。
鹿児島城
2017年1月4日
100分の82
正月休みを使い2017年初登城。
去年2月飫肥城、人吉城を巡った際本当は鹿児島城も行くつもりだったが予定の問題で断念。やっとこさ沖縄以外の九州制覇!
皆さんの投稿の通り、城っぽいものはあまりなかったが、場内の資料館はかなり詳しく鹿児島の歴史が学べ、よかったと思う。西郷どんをはじめ大久保利通、天璋院篤姫、島津斉彬、小松帯刀、東郷平八郎などなど鹿児島には幕末明治の偉人が多い。
今回は工事中だったが城門も復元されるようで、こちらも楽しみ。また訪れたいものです。
白河小峰城
2017年3月4日
100分の83
いよいよ初の東北進出!
白河小峰城は駅から近く、土曜だったが人も少なく気持ちよく時間を過ごせた。
戦に備えて作られたが、結局戦火を交えなかった城が意外と多い中、白河小峰城はその全く逆。
古くは南北朝の時代から戦国、幕末の戊辰戦争。そして極め付けは東北大震災。
現在も石垣の修復工事が進められていた。幾多の苦境にも決して屈しない城と人々の力強さなようなものを感じた。
また復元された三重御櫓はとても立派で、天守と考えても問題なし。やはり木造は素晴らしい!
会津若松城
2017年3月4日
100分の84
地元では鶴ヶ城として親しまれている会津若松城。天守は鉄筋コンクリートながら立派な構え。
層塔型の典型で島原城天守にも近い印象。今の天守は江戸初期、加藤嘉明とその子の代に築いた天守を模したもの。実はそれ以前に蒲生氏郷により七層の漆黒の天守が建てられていたとの事。初めて知ってびっくり!蒲生氏郷といえば石垣が立派な三重の松阪城も築城している。確かに会津若松城の石垣も立派な規模で作られている。こちらも必見!あと日が沈んでからの天守のライトアップもとても綺麗で素晴らしかったですね。
二本松城
2017年3月5日
100分の85
前泊した宿の方の親切で、城址まで送迎してもらった。
二本松城は山頂にしっかりとした切り込みはぎの石垣があり、中世の山城の面影を残していた。
そして山麓には復元された箕輪門など近世城郭を形成している。
つまりは一つの城で時代の異なる二つの城郭が共存しているわけ。このような城は案外レアなのでは。
どちらも趣があり、見応えがあった。
震災後は人が少なくなったと宿の方は言っていたが、地元の方々には未来を信じて今後も頑張ってほしいと思った。
仙台城
2017年3月5日
100分の86
初めての杜の都仙台。まず、思っていたより都会だった事に驚いた。
電車で仙台に向かう時、東北には全く縁も所縁もないと思っていたが実はあった事に気づいた。
仙台は亡き祖父が大学時代を過ごした地だった。気づけば祖父が亡くなってもう16年になる。僕自身が祖父と過ごした時間と同じくらいになった。祖父が仙台にいたのは戦後すぐで、かなり昔の事なので見た景色は自分が見たそれと異なるだろうが、70年ほど前に祖父が過ごした地に今自分が立っている事に感慨深いものを感じた。
話を戻し、仙台城。言わずもがな独眼竜政宗の城で今も人気抜群。天守のような建築物は特にないが本丸の石垣はかなりの迫力で、本丸御殿跡は仙台の街を一望できるよい見晴らしだった。
伊達政宗がもし今の栄えた仙台の街を見たら、どう思うだろうか?
多賀城
2017年3月6日
100分の87
古代に国の政庁が置かれ、今は名前が地名になっている城といえば、多賀城と福岡の大野城。
東の多賀城、西の大野城ってとこだろうか…大野城は朝鮮式だけど笑
多賀城は綺麗に整備されていてとても巡りやすかった。また山城のような標高が高くかつそれほど広大なわけではなかったので、思っていたよりも楽な登城となった。特に政庁跡には大手道のようなまっすぐで幅広の道を登っていく。建築物はないが、主殿などの位置ははっきりと分かるように整備されていた。
これから暖かくなるとより景観がよくなりそうだった。
水戸城
2017年3月6日
100分の88
水戸黄門、御三家、水戸納豆、水戸泉…などで知られる水戸のお城、水戸城。
と言うよりは、ほぼ弘道館でした。
烈公と呼ばれた九代藩主徳川斉昭。最後の将軍徳川慶喜の父として、また大老井伊直弼の政敵として一般的に知られている人物。
僕自身、今回初めて水戸城に来て弘道館の存在と斉昭が作った事を知った。内部を見学できたが、綺麗に整えられていて見応えがあった。外の庭園の梅、桜もまだ蕾から咲きかけたぐらいだが、美しく咲いていた。
登城前はセットで偕楽園も行って三大庭園を制覇するつもりだったが、弘道館から偕楽園までが思いの外遠く、断念。なので今回初めて「日本三大庭園のある城制覇」として、三大庭園の制覇は持ち越しとすることに…その代わりではないが、和歌山城、名古屋城と来て、徳川御三家制覇!としよう。
箕輪城
2017年8月13日
100分の89
真夏の登城で、城に着くまでで汗だく。確か一年前の今頃も、武田氏館に行ったが同じような状況だったことを思い出した。そういえば去年はお昼を食べたラーメン屋さんのラジオから地元香川の尽誠学園が甲子園の一回戦で負けたのを聞いたが、今年は代表の三本松高校が勝って二回戦に進んだとのこと。些細だが嬉しく少しだけテンションが上がった笑
箕輪城は堀切がかなりの規模で残されていた。まぁ発掘調査から維持保存に励まれている人々のお陰です。多謝。
堀が立派ということは同時に曲輪も立派に見えるはず。案の定どの曲輪も整備されていて、観やすかった。特に馬出しは形がかなりはっきりとしていて、分かりやすかったしかなり迫力も伝わってきた。山中城や鉢形城と同じく戦国の戦の舞台となった城。江戸時代を迎えるより前に廃城となったが、その戦国の痕跡を確かに現代に伝える貴重な遺構でした。
新発田城
2017年8月14日
100分の90
事前に自衛隊の駐屯地と聞いていたので、はじめは何も知らずに自衛隊の敷地の周りをひたすら歩いた。城らしいものと言えば遠目に見える三階櫓ぐらいだったので、もしかしてアレだけなのかと、焦ったが、辰巳櫓や大手門がある城址公園が見えてホッとした。水堀に重厚感のある石垣と櫓門があり、ちゃんとお城感があって一安心。現存の櫓に木造復元の建造物。近世の城跡は、もうこれだけで十分。
広い自衛隊の敷地の中に、決して広くはない一角に城址公園が設けられている。現代の施設と歴史的保存物の共存には様々な形があるが、新発田城のこのスタイルは個人的にはアリだと思う。質素な雰囲気の中に趣を感じさせる城跡でした。
山形城
2017年8月15日
100分の91
駅から歩いて登城。霞城公園が本丸だと勘違いしていたので、公園内に空堀があったので不思議に思った。よくよく案内板を読めば、公園内が二の丸で、その中の内堀に囲まれた中心が本丸だった。一の字櫓門や、東の大手門などが資料をもとに美しく復元されていた。それ以外にも空堀や公園を囲む水堀、躍動感満点の最上義光公の騎馬像など見所満載で自分好みの城址だった。
久保田城
2017年8月15日
100分の92
初秋田県。んだ、という独特の訛りに心が和ませられる笑
天守も石垣もない城。という城の紹介。確かにない。公園の色が濃い印象。
御膳櫓内の資料館で歴史を学ぶと、源氏の流れをくむ佐竹氏が江戸時代に入り秋田藩主に任ぜられたとのこと。天守も石垣もないのは徳川家への配慮のようだ。もみじの木がたくさん生い茂っていたので紅葉の時期には賑やかになりそうだ。
秋田駅に着いた時の強烈な西日による尋常ならざる暑さは、ひと通り回り終えて帰る頃には嘘のように消え去り、なんとも心地よい風が吹いていた。
盛岡城
2017年8月16日
100分の93
始発で秋田駅から盛岡駅に向かい、9時には着く予定が、乗り換えの大曲駅を乗り過ごしてしまい、大幅なタイムロス。。。
そのせいで盛岡城には1時間余りしか滞在できずじまい。不幸中の幸いだろうか、盛岡城が一通り回るのにそれほど時間を要しない城であったこと。印象はとにかく石垣の城。もっというと切り込み接ぎの典型的な近世城郭。一部打ち込み接ぎがあったがほぼ切り込み接ぎ。隙間がないため、さすがに登れません。また石垣の下にそれほどスペースがないため、自然と目の前の高石垣を見上げるようになり、これが迫力に拍車をかけている。往時は三階櫓があったそうだが、今はなし。それ以外の遺構や見所はというと何ともですが、石垣好きの人には十分に楽しめる城ですねぇ。
根城
2017年8月16日
100分の94
今回の旅のラスト。そして初の青森で、これで47都道府県を制覇。100名城は94であと6!沖縄と北海道プラス弘前。弘前城は今回行けたのですが、現存天守なのでラストにとっておこうと。
根城は中世の平山城ですが、しっかりの整備されていて、とても巡りやすい城でした。またまた関係者に頭が下がります。福井の一乗谷城の城下町と同様に、限られた資料から当時の暮らしを再現しています。室町時代にも関わらず、茅葺き屋根の蔵が活用されていたようです。しっかりと建物の中まで再現されているので、特に本丸の主殿は是非観てもらいたいです。
天候は、真夏にも関わらず、霧雨が続き、ずっと冷やっとした感じでした。昨日までの日照りが嘘のよう。確か一乗谷に行った時も同じような天候だった。偶然だろうが、この方が個人的には雰囲気があって好きですねぇ。
さぁ、これであと6城。長い旅も終着点が少し見えてきました。
米子城
2018年5月1日
【米子城】2016年7月17日
島根との県境にある鳥取の米子城。なぜ100名城から漏れたのか不思議になるほど素晴らしい城郭でした。とにかく石垣が秀悦なこと。山麓の枡形、内膳丸、そして天守台。自然を残しつつも整備されていたので十分満喫できました。山麓から見て山頂の石垣が剥き出して見えるのは米子城と竹田城と津和野城ぐらいだろうか。いずれも素晴らしい。
福井城
2018年5月2日
【福井城(北ノ庄城)】2016年10月28日
現在の福井城には県庁と警察本部がズデンと本丸にあるが、移転する事が決まっているとの事。
この地を福井と改名し、福井城の築城に着手した結城秀康の像が力強く建っています。
また前身の北ノ庄城の城主だった柴田勝家はお市と浅井三姉妹と一緒に柴田神社に祀られています。こちらも見ごたえがありました。是非福井城とセットで見てもらいたいところです。
そしてどちらにも往時は立派な天守があったようで、とにかく惜しい!!
富山城
2018年5月3日
【富山城】2016年10月31日
早朝に登城。こちらも城址公園になっている。
遺構らしいものは特になく天守風の博物館が立っていた。
公園内の砂利は元は江戸時代の石垣らしい。
高田城
2018年5月4日
【高田城】2016年10月31日登城
徳川家康が六男の松平忠輝に与えた城。忠輝といえば家康の実子でありながら、行い宜しからず最後まで徳川の姓を名乗れず、高田城もすぐに手放すことになる人物。
今の高田城は小さな三階櫓が建てられている。
内堀はよく残っていて、広大な水堀を形成している。
白石城
2018年5月5日
【白石城】2017年3月5日
伊達政宗の名参謀片倉小十郎景綱の居城。木造再建された天守が美しい。城郭自体はコンパクトだが、やはり天守の存在感が際立っていたように思う。100名城の城と同じぐらいお勧めできるいい城でした。
大和郡山城
2018年5月6日
【大和郡山城】2016年11月20日
豊臣秀長によって改修され江戸時代に柳沢吉保に引き継がれた近世城郭。再建された櫓に追手門。門は小諸城の大手門に似ています。石垣も立派で篠山城の石垣によく似ていました。
臼杵城
2018年5月7日
【臼杵城】2017年1月3日登城
九州の戦国大名大友宗麟の居城として築かれた臼杵城。この地は元々周りを海に囲まれた島で、海が天然の防御になり、島をそのまま城郭化したと思われる。周りを埋め立てた現在もその面影は十分に残っていて、島の岩の上に建築しているので、独特の形態をしている。
遺構は現存の櫓に空堀も本丸と二の丸の間に一部綺麗に残されているがあり、他に門も木造再建されていてよい風情が感じられる。
延岡城
2018年5月8日
【延岡城】2017年1月3日登城
ほとんど事前に何も調べずに登城。「千人殺し」と呼ばれる巨大な石垣が見所だが、危くそれを見逃して帰るところだった。その石垣以外は普通の城址公園なので、見つけて良かったと後になってホッとした。とにかく石垣のスケールに圧倒される。これがあれば飫肥城に負けなかったのではと思うが…
小倉城
2018年5月9日
【小倉城】2017年6月19日登城
細川忠興によって築城された平城。石垣がきれいに残っていた。天守は模擬なので興味が沸かず。。。
引田城
2018年5月10日
【引田城】2017年9月17日
日本一小さい香川県の東の端。海岸に石垣が残る山城。
江戸時代は讃岐国の中心に高松城。西の要が丸亀城。そして東の要がこの引田城だったようだ。それにしても知名度が低すぎる。。。
香川県でみると屋島城などを抑えめでたく続100名城に選ばれたので今後に期待。
石垣山城
2018年5月11日
【石垣山一夜城】2017年12月4日登城
秀吉が80日で築き北条氏を屈服させたとする石垣山一夜城。早川駅から登っていったのですが、直線の急勾配でヘトヘト。城跡は名前の如く、往時の迫力のある石垣が残っていました。特に呼び寄せた淀君が居たとさせる井戸曲輪跡の石垣は必見です。
飯盛城
2018年5月12日
飯盛城】2018年1月27日登城
楠木正成の息子楠木正行が、足利尊氏の重臣高師直の軍と戦い戦死した山城。
四条畷駅から四條畷神社を経て登山道をひたすら登る。普段から鍛えていないのでかなりきつかった。しかも城跡らしきものが出てきたのは頂上を越してから。ほんとにやっとの思いだった。遺構は石垣と土橋。本丸には正行の銅像がたっている。
山城の特権、そこからの大阪の眺めは素晴らしかった。
岸和田城
2018年5月13日
【岸和田城】2018年1月28日登城
往時は日本屈指の規模を誇る海城で江戸時代通じて岡部氏城主を務めた城。今は内堀だけ原形を止めていて、ややこぢんまりした印象。天守は復興か模擬か、どちらにしろテッコンで残念。
能島城
2018年5月14日
【能島城】2018年3月30日登城
しまなみ海道のサイクリングに挑戦した途中に登城。とは言っても今回は村上海賊の本格的な海城。島です。クルージングで近くまでいった。潮流を楽しめた。現在も発掘調査中でまだまだ遺品などがでてきているらしい。
首里城
2018年6月29日
100分の95
会社の連休を使い空路で沖縄へ。10年以上前の学生時代に来て以来だったが、首里城はほとんど来たことがなかったので新鮮だった。
本土の城で言う切り込み接ぎの強固な石垣と、正殿の豪華な構えが三国を統一した尚氏の威厳を感じさせた。
戦前まで現存していた城郭は、戦争で全てを失うが平成に入り発掘調査などから史実に基づいた復元作業が今も尚進んでいる。あと数ヶ月で全ての復元が完了するようだ。
また、正殿内には畳の純日本式の空間もあり、日本の文化の影響をしっかりと受けていたこともよく分かった。
天候は台風が迫っていたこともあり、スコールとカンカン照りの繰り返しだった。
中城城
2018年6月30日
100分の96
昨日宿泊した那覇でレンタカーを借り沖縄の城めぐりを開始。台風の影響で天気が不安定だったので100名城の中城城と今帰仁城を優先した。
中城城に着いたときが最も雨が激しい状態で、修学旅行で来ていた中学生も大変そうだった。
風はずっと強かったが雨は来たときがピークで段々と緩くなっていたので助かった。
江戸末期来日したペリーが絶賛した築城技術の高さを今も変わらず感じさせてくれるスケールの大きな城だった。
今回は生憎だったが、もっと晴れていれば太平洋を一望する絶景をみれたと思う。
今帰仁城
2018年6月30日
100分の97
中城城から北に2時間。台風の影響が気になっていたが、なんとか雨は降らずに済んだ。
今帰仁城は首里城や中城城に比べると遙かに観光地化されていて、売店、案内所、レストランなど、旅行客が楽しめる施設となっていた。
また縄張り内の敷地面積は、中城城を大きく上回る大城郭だった。
三山の分裂時代、北山の要塞だった今帰仁城は中山との戦いに敗れて開城。
その後詳しい記録はなく、戦が起きたかどうかは分からないが、その規模は今も十分に伝わっている。10メートル近くの石垣の列が波を打つように並んでいるが、ガイドの方によると「龍」を表しているとのこと。本土の城はとにかく実戦式の造りをしているが、この今帰仁城を含め、琉球の城は戦の要素と神話や儀式の要素が入り交じっているのように感じた。
座喜味城
2018年6月30日
座喜味城の構造は中城城のそれとよく似ていて郭を順に縦に並べた感じ。全体の規模が中城城より一回り小さい印象だった。しかし整った形で整然と並ぶ石垣が印象的な風格ある名城でした。
勝連城
2018年6月30日
勝連城は世界遺産に登録されている「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」の中で最も古い時代に築かれた城。山頂の本丸から二の郭、三の郭と山腹に並ぶ姿は実に雄大だった。また本丸からは太平洋を一望できる絶景を楽しむことができる。
大内氏館・高嶺城
2018年8月12日
毛利元就が中国地方を制覇する以前、山口と広島福岡の一部まで広大な地域を治めていた大内氏。大内氏館跡のある龍福禅寺は、大内氏の滅亡を招いた大内義隆の菩提寺として元就の長男毛利隆元が建立した。方形の縄張りに一部の土塁、庭園が復元されている。お寺の境内にある小さな資料館で大内氏の歴史が学べる。
中津城
2018年8月13日
予定では中津駅から徒歩で向かうつもりがあまりの猛暑にタクシーに変更。
黒田如水が自身の居城として建てたとされる中津城。日本三大水城の一角だけあって水堀と石垣がしっかりと整備されていた。天守はテッコン模擬。近くに福沢諭吉の旧宅があるとの事だったがこちらも猛暑に負けて今回は断念。
五稜郭
2018年10月29日
100分の98
一般的な日本の城と違い、堀の内側が低くなっている。銃弾などの攻撃に備えたもののようだが、当時の最新の技術はそれを完全に凌駕したものだった。この辺りからも当時の幕府が後手後手にまわってしまっていたことが伺える。
五稜郭の中心にたつ箱館奉行所は木造で再建されている。
独特の尖った縄張りに、水堀、土塁、空堀がならぶ場所もあり、楽しみながら散策ができた。
五稜郭を設計した武田斐三郎、旧幕軍として徹底抗戦した榎本武揚。この偉人は覚えておきたい。
松前城
2018年10月30日
100分の99
松前城最寄の木古内駅から路線バスで約1時間半。バスを降りたのは18時半くらいだったが、すでに日は落ち、あまり明かりがないためか既に深夜のような雰囲気。さらに道路のすぐ横からは日本海の荒々しい波が打ち寄せていた。
このどう見ても厳しい雰囲気がむしろ私をわくわく楽しみにさせてくれる。
松前城の歴史は一般的には幕末が知られるが、地元の方によれば、実は室町以前から海上交易が盛んで、日本各地様々な場所と縁があるらしい。私自身今でこそ広島在住だがもとは四国の香川県で生まれ育った。今回、色々と話を聞かせていただいた方の奥様の家庭は、曽祖母より以前は讃岐(今の香川県)で暮らし、明治維新後この松前に移り住んだらしい。繋がりってあるものですね。城好き同士で語り合える。これも百名城巡りの醍醐味の一つ。さぁ、次が100個目です。
弘前城
2018年10月31日
100分の100
現存十二天守の一つ、弘前城。ここで100名城完全登城になると同時に現存天守も全て巡ることになる。本などでみる弘前城はまず縄張りが広い。航空写真などで観ると分かりやすいのだが、今残る城郭でここまで広い縄張りをはっきり残す城郭はそうない。正直航空写真でみると天守がどこなのか分からなくなるほど。さらに付け加えると形が長方形。京都の二条城を意識したとの説もあるらしい。
天守は現在石垣の工事で移動中だが趣ある雰囲気は健在。他にも櫓に門。廃城令や空襲を乗り越えてきた価値ある文化財が数多く残されている。天守だけではないたくさんの魅力が詰まっていて、最後の城に選んで間違いなかったと感じた。天守が元の場所に戻るまであと二年、石垣も全て修理完了するまでにあと五年。またその頃に訪れたいものです。
三原城
2018年11月10日
先日、日本100名城を達成して、暫くは城巡りはお休みかと思っていたのですが、いざ城の近くを通ったりすると行きたくなります。
立派な天主台が残る三原城。天守ではなく天主。これは私のミスではなく、三原城の歴史的資料には天主と記されていたそうです。信長の領域に足を踏み入れてしまったのか…小早川隆景、なかなか肝の座った人物だったのか…?
しかしこの小早川隆景、実際はかなり有能な人物で父元就の言葉を死後も忠実に守り毛利家の存続に大きく貢献しています。これについては私自身知らなかった事なのでよい勉強になった。小早川隆景はただ毛利元就の三男として成長したわけでなく、敵味方問わず一目置かれる偉人だったようです。
浜田城
2019年4月30日
平成最後の日。足を運んだのは島根県の浜田城。
このお城は護国神社と一体になっている。このような城は珍しくない。広島城も本丸内に護国神社がある。護国神社は国の為に亡くなった方を祀っているが、浜田城は幕末期に旧幕府方として長州からの攻撃を受けて滅びているので、そこで亡くなった方々も合祀されている。
城郭は標高100メートル弱の亀山山頂に本丸があり、門などの石垣や石段がしっかりとケアされて残っている。
一番の見所は麓から見上げる石段と高石垣だろうか。この日は曇りで少しひんやりした天気で自然の木々と石垣が独特の雰囲気を醸し出していた。
また綺麗に整備され山頂に向かって真っ直ぐに伸びる石段は、少しスケールは異なるが安土城の大手道を連想させるものだった。
あと本丸からは海が一望できるので絶景ポイントとしてもおススメです。
郡上八幡城
2019年8月13日
お盆の連休を使って大学時代の友人と城巡りを敢行。郡上八幡城は以前から行ってみたかった期待の山城。
城下町はかなりの観光客で賑わっていた。夜通し踊り続けることで有名な郡上踊りが今日から始まるらしい。
山頂にそびえる天守は4層4階で、模擬天守ながらも木造作りで築80年を超える立派なものである。注目はその内部構造。1、2階部分が吹き抜けになっているのだ。これは極めて珍しい作りで今日観られる天守では恐らく唯一のものと思われる。
  郡上八幡はお城だけでなく麓に広がる城下町や、長良川鉄道からみえる農村風景など楽しめる要素がたくさんある。また朝方雲海ができると天空の城の一つとしても注目を浴びている。色々な楽しみ方のある城、城下町なので幅広い趣味嗜好、年代の方々にオススメしたい。
苗木城
2019年8月14日
大きな天然の岩をフルに活用した城は、崖の上に立つ砦で独特の雰囲気に覆われていた。
江戸時代に入り、一国一城令が出されその多くが姿を消す中、苗木城は岩村城の支城でありながら江戸時代を通じて存在し続けた。
普通であれば山城の役目は戦国時代に終り、江戸時代に入っても存続した城は廃城か、残ってもその機能をほぼ麓に移したのだが、苗木城は江戸時代のいつ頃までかは定かではないが、そのまま山頂の本丸で政治を行なっていたと思われる。その証拠に天然の巨石ばかりが目を惹く城ではあるが、よく見ると打ち込みハギや切込みハギなど明らかに近世に入ってからの石垣もしっかりと使われていた。
海賊の城があるように、もし山賊の城があるなら、苗木城はまさに山賊の城といった荒々しい雰囲気だ。一般的に知名度のあるお城とは一線を介した孤高の名城苗木城。またまた今度はもっと時間をかけてみたい城でした。
備中高松城
2019年10月5日
備中高松城を語るうえで、清水宗治の存在は欠かせない。

西暦1582年。時は戦国。
のちの天下人・羽柴秀吉は西国の大大名毛利氏を討つべく中国地方に侵攻。備中高松城の城主清水宗治と対峙した。
 備中高松城は周囲を沼地に囲まれていて、非常に攻めづらい。そこで秀吉の軍師黒田官兵衛は「水攻め」を決断する。足守川を決壊させる一方で、3?以上に及ぶ堤防を築いた。そして降雨により、瞬く間にお城は湖に浮かぶ孤島となってしまった。
 結局この戦は宗治の切腹をもって決着。毛利氏は織田の軍門に降り、秀吉は「本能寺の変」で討たれた主君信長の敵を討つため、即座にこの地をたった。

 宗治は秀吉から、寝返りなど命を保証する話を持ちかけられていたが、これをすべて固辞。毛利氏への忠義を尽くすため、そして領民の命を守るために自らの命を散らした。
 私はここに日本人が古くから育んできた「武士道」の精神を感じる。    
 備中高松城には天守はなく、石垣もない。しかしそこには日本人の魂が静かに眠っている。
八幡山城
2019年10月27日
八幡山の山頂のある本丸には元々天守があったが、現在は秀次の母・日秀尼が建立させたとされる瑞龍寺が移築されている。そしてその下には、堅固な石垣が現存している。苔むして木々が生い茂った姿が約400年もの歴史を感じさせる。
山頂部からは安土城や観音寺城を遠景に臨むことができる。山麓には日牟禮(ひむれ)八幡宮が建つ。そしてもっともオススメしたいのが八幡堀だ。
再建された範囲は、決して広くないが京都を連想させる素晴らしい景観と風情がある。城が存在した期間はわずかに10年であったが、その間にこのような素晴らしい文化を築いた秀次の功績は非常に大きかったのではないかと思う。