ID | 599 |
名前 | 木村岳人 |
コメント | 文化財巡りを趣味にしておりまして、 この度ついに100名城巡りにも手を出してしまいました。 個人サイト:閑古鳥旅行社 http://kankodori.net/ |
登城マップ |
鳥取城 2008年8月10日 | 1城目 100名城塗りつぶしスタート。石垣と本丸からの眺め、および明治40年に建てられた重文の洋館、仁風閣が見所。 |
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松江城 2008年8月13日 | 2城目 現存12天守の一つである天守が見事。なぜ国宝ではなく重文なのかが分からない。一時は荒廃して倒壊寸前であったらしいので、その際かなりの補修が加えられたため、重文止まりなのだろうか。 |
江戸城 2008年8月16日 | 3城目 何より堀と石垣が見事。重文の桜田門、田安門、清水門をはじめ建造物も多く見られる。 本丸、二の丸、三の丸はもちろん、北の丸まで足を伸ばしたい。 |
小諸城 2008年8月30日 | 4城目 懐古園という名が付いているが、中は普通に小諸城跡。天守台を含む石垣、空堀など城跡探索が楽しめる。重文の三之門、大手門は懐古園有料区間外にあり。 |
上田城 2008年8月31日 | 5城目 西櫓、北櫓、南櫓の3棟の櫓が現存(ただし北櫓と南櫓は一度移築されたらしい)。東虎口櫓門が復原されており、北櫓と南櫓が繋がっている。高い石垣や櫓が並ぶ、南側(駐車場側)からの眺めが特に良い。 |
松代城 2008年8月31日 | 6城目 城跡の一部、本丸付近のエリアが史跡として整備されている。門なども復原されているが、やや小ぢんまりとした印象。できれば三日月堀、外堀も復原していただきたいが…… それはそうと、長野電鉄屋代線がとても素敵。 |
八王子城 2008年9月2日 | 7城目 御主殿跡は石垣、虎口、引き橋が再建されている。 そこまでの道中、苔で滑りやすいので注意。 本丸のある要害地区までの登山道は旧道と新道があるが、 新道はより整備されており、金子丸も見れるので旧道を使うメリットは少ない。 |
川越城 2008年9月6日 | 8城目 はっきり残る遺構は本丸御殿と富士見櫓跡のみ。後は城の廓をなんとなく確認できる土塁と堀。川越重伝建(蔵作り商家の町並み)と合わせて回るべし。 しかし、本丸御殿が現存するのはレアなのに、国の文化財指定を受けていないのはなぜなのか。現存するのが一部であるためか、現在まで転用を重ねたため人の手が加わっているためか。 |
小田原城 2008年9月6日 | 9城目。 石垣、堀が現存。天守はRC造の博物館。石垣は震災によって積みなおされているとのこと。銅門に続き馬出門など建造物の再建が続いている。 |
佐倉城 2008年9月7日 | 11城目 土塁と堀の城。出丸が素敵。現存建造物はなし。展示されている明治時代の写真を見ていると、廃城令が本当に悔やまれる。姥ヶ池の側に軍の飛び降り訓練(何だその訓練は)に使われていたという謎の階段あり。 |
水戸城 2008年9月7日 | 10城目 本丸に薬医門、三の丸に弘道館、それぞれの曲輪の間に空堀、あと土塁がぼちぼち現存。 敷地のほとんどが役所や学校で占められており、特に本丸と二の丸の散策が十分にできないのが残念。 |
弘前城 2008年10月20日 | 12城目。 城跡の北にある武家町、仲町重伝建を本命に、弘前城跡にはついでに寄ったという感じであったが、城跡も十二分に楽しめた。 天守は現存12天守の一つではあるが、天守というより三重櫓。しかし、ここは天守単体ではなく、他の櫓や門も多く現存していること、それに三重の堀や木々など総合的な景観を評価すべきでしょう。 |
五稜郭 2008年10月21日 | 13城目。 奉行所復元中につき中心部および裏側は工事現場。スタンプはプレハブの事務所内(係員が不在でも出入りは自由)。日本初の稜堡式城郭はやはりタワーから見るべし。 |
松前城 2008年10月21日 | 14城目。 函館からひたすらバスに揺られること3時間。バスと列車の都合上、許された松前滞在時間はたった45分。結局、松前城跡と寺町をざっと見て回っただけで終わった。ここへ行くには十分なプランを練ること。 見所は亀甲積みの石垣と本丸御門。それと寺町。天守はRC造の博物館。戦後の火災は残念極まりない。 |
山形城 2008年11月1日 | 15城目。 平城によくある運動公園化された城跡。三の丸まで含めると相当な規模の縄張となる(史跡として残されているのは二の丸まで+三の丸土塁がごく一部)。基本土塁だが、門には石垣が用いられている。石垣に見られるくさびの跡が素敵。 国史跡に指定され、二の丸東大手門、本丸と復元も進んでいる。ただ、本丸御殿は外観を示す史料が無く、現状では再建は不可能。発見されることを願う。重要文化財の旧済生館本館も移築されており、スタンプもここに。 |
久保田城 2008年11月2日 | 16城目。 本来二階建てであったはずの櫓に望楼を乗っけて天守風に再建しまった残念な城跡。現存の番所、再建の本丸表門は良い感じ。土の城だが、ごくごく一部、重要な箇所にのみ土台に石垣が使われていたようだ。 本丸の八幡秋田神社は2005年に焼失して再建中。原因はなんと放火だとのこと。酷い。 |
箕輪城 2008年11月8日 | 17城目。 南から見ると高い山のように見えるが、東から見ると意外とそうでもない。個人的には南からの登城が良いと思う。少々入口が分かりにくいが。 豪快に掘られた大堀切が見事。二の丸から郭馬出しを経て木俣に至る辺りが素敵。空堀の下を本丸に沿って歩くと、周囲の曲輪との位置関係がよく分かる。 |
山中城 2008年11月9日 | 18城目。 やはりここは障子堀に畝堀、これに尽きるだろう。堀の角度や高さも凄い。想像以上に広く、見学のしごたえがある。一面芝生敷きで手入れも行き届いている。ただ、国道一号線を走る車の音がちょっと気になった。こればかりはどうしようもないが。 時間に余裕があったら、箱根旧街道を少し歩いてみるのも良いかもしれない。 |
甲府城 2008年11月15日 | 19城目。 野面積みの石垣は荒々しさがあって素敵。南側の鍛治曲輪から見るとより石垣の迫力が感じられる。稲荷櫓、山手門(線路をまたいで反対側)などが復元されている。線刻画はもっと分かり易く展示してくれるとありがたい。一つぐらいしか分からなかった。 |
武田氏館 2008年11月15日 | 20城目。 ここはすなわち武田神社であるが、堀に土塁、いくつかの石垣と、ところどころに昔の遺構を目にすることができる。堀は沢を利用しており、流れてきた水が堀の南側にためられる仕組み。 東曲輪には井戸が二つ残っている。姫の井戸の水を口にしてみたが、少々腹がゆるくなった。東曲輪は社域のため立入禁止の箇所もあり、天守跡付近には近づけない。逆に西曲輪は裏手まで回って見られる。武田神社の東には大手門跡が整備されているので、こちらも見ておくべし。 なお、朝一で甲府城に行き、9時にスタンプ押してすぐこちらに向かったのだが、既に七五三の親子連れ客で溢れかえっていた。バスの時間が合わなかったので歩いていったせいもあるが。駅から思った以上に距離があった上、行きは上り坂であるので結構大変。 |
高遠城 2008年11月22日 | 21城目。 川沿いの断崖にある平山城。大手門跡から入り、三の丸跡、二の丸跡、本丸跡、その他曲輪と見学。木々の葉はすっかり落ちていて、南アルプスには雪も見られた。 掘に降りられるのはスケールを感じられていいですな。現在、南曲輪と本丸の間に土橋があるが、本来ここに土橋はなかったのこと。巨大な木造の高遠閣が目を引くが、内部は入れなかった。開放していないのか。たまたま入れない日だったのか。 高遠駅バスターミナル近くで高遠ソバを食べたが、食べ方がいまいち分からずちょっと困った。 |
足利氏館 2008年11月23日 | 22城目。 朝8時、足利市駅に到着。渡良瀬川を渡って鑁阿寺へ。出店がテントを張る前に撮影を行い、境内を見学。大銀杏の黄葉、重文三件を含む寺院の建造物は見ごたえがあり。 武田神社と比べて、よく整備されているという印象。掘の石垣がコンクリで固められていたりと、整備されすぎな感もありましたが。 足利学校はちょうど釈奠(せきてん)の日だったこともあり、入場無料でした。まぁ、当然ながら人も多いですが。 |
金山城 2008年11月23日 | 23城目。 太田駅から徒歩で。山道は車道を使わず、登山道を歩いて登った。しかし、道が良く分からず実城の鳥居の下に出た。駅から実城まで、1時間強ぐらいだったか。 関東の城には珍しく石垣がふんだんに使われている広大な山城。複雑に積まれた石垣は非常に迫力がある。二つの丸い溜池もユニーク。これらを見に行くだけでも1時間歩く価値はあると思う。 帰りは大光院を経由するハイキングコースで駅に戻った。しかし、疲れた。あまりに疲れて、この後行こうと思っていた境島村の養蚕農家群の見学をパスしてそのまま帰った。 |
鉢形城 2008年11月24日 | 24城目。 寄居駅から歩いて15分程度。荒川の対岸から見る鉢形城は、まさに断崖絶壁。意外に広く、じっくり見ていくと見た目以上に時間がかかる。 複雑に巡らされている堀に、段状の曲輪が印象的。三の丸が一番高く、二の丸、本丸と行くごとに低くなる縄張りは面白いな、と思った。角が取れた丸い川原石を使った石垣も印象的。紅葉の深沢川も良し。 |
千早城 2008年11月29日 | 25城目。 鳥居をくぐって急な階段を上り、たどり着いたのが四の丸。尾根伝いに通る千早神社の参道を進んで三の丸。階段上って二の丸。拝殿でお参りしてはい終了。各曲輪は残っているので、かろうじて城っぽくはある。四の丸から三の丸へ続く尾根道の雰囲気が良いね。しかし、やはり本丸に入れないというのは残念だ。後ろ髪を引かれつつ退散。 帰ろうとした時に四の丸の売店が開店準備を始めていた。店の前に「百名城スタンプあります」と書かれていたので聞いてみたら愛想良くスタンプを出してくれた。状態は最良。まつまさに行く手間が省けて良かった。土日は開いているらしい。 帰りは観心寺に寄って国宝の金堂を拝観。この寺は楠木氏の菩提寺なので、時間があればぜひ。 |
大阪城 2009年1月2日 | 26城目。 大阪に引越してから一発目の登城はもちろん大坂城。年始めだからだろう、記念品(入浴剤)を配っており、また足湯や甘酒(といいつつアルコール分はナシ)のサービスが行われていた。 天守は鉄筋コンクリート復興のさきがけ。昭和9年の建造ということもあり、国の登録有形文化財。鉄筋コンクリートとはいえ、今では大阪を代表する文化財。ただ、最上部分以外が白塗りなのはどうか。豊臣期天守を倣うなら、きちんと黒塗り下板張りにしてほしかった。 相変わらずの巨石をふんだんに用いた石垣にはうなるばかり。 |
和歌山城 2009年1月3日 | 27城目。 行きは和歌山駅からバスを使ったが、徒歩でもさほど時間はかからなかった。 ここはやはり「石垣が楽しい」という言葉に尽きる。大手からしばらくは打ち込み接。枡形で切り込み接が現れ、城山では横に平べったい石を使った野良積みを見ることができる。楽しい。 西の丸庭園にかかる御橋廊下は開放が1月4日からで渡れなかった。 |
高取城 2009年2月22日 | 28城目。 壺阪山駅から城下町を抜け、七曲を通って登城。城下町は想像以上に町並みが残っていて驚いた。夢創館の人に町並み保存について聞いてみたら、保存すると建替え以上に費用がかかる。重伝建指定は建替えができなくなるので住民に迷惑がかかる、とのこと。もったいない。 枡形をこえるたびに石垣が目前に迫るようになり、特に大手門から先はすごいの一言。こんな山の頂上にこれだけの石垣を築いた努力はすさまじい。山城なのに、縄張りは広大で回るのも一苦労。石垣はもちろん、現存する井戸もいくつかあり、探してみると面白い。夢創館で10円で買える縄張り図は必須。 二の門前の猿石は明日香村の吉備姫王墓にある猿石に似てる。たぶん、あちらから運ばれてきたのだろう。一人で寂しそうだ。帰りは壺坂寺へ下りて16:30のバスで帰った(ほとんど本数無いので注意)。五百羅漢は非常に雰囲気があって良かったが、必要以上に整備された壺坂寺には少々げんなり(重文二件で600円という拝観料も高い)。 |
姫路城 2009年3月1日 | 29城目。 姫路城は朝一に行くのが良い。なぜなら、混むから。ただ、姫路城の写真スポットは西側から写すところが多く、午前中は逆光になって写真がとり辛い。夏の閉館間際ぐらいがベストなのだろうか。 相変わらず建物の現存具合がダントツ。ぐるぐると渦を描くように上がっていく縄張りも良い。欲を言えば、御殿など明治時代に棄却された建物を再建し、城としての完成度をより高めてくれると嬉しいが。古写真とか残ってないかな。 今年の冬から平成の工事が始まるということで、当分白亜の大天守ともおさらば。竣工は2014年か。あと、スタンプの場所が事務所みたいなところで分かり辛い。 |
赤穂城 2009年3月1日 | 30城目。 そういえば、海城を訪れるのははじめてだ。土塁と石垣のコンビネーションがバランス良い。堀も水辺が近く、海城という感じはする。ただ、現在は海が後退して陸内部にあるので海の側だったころのイメージはつかみにくいかな。 結構広いが整備中で立ち入り禁止の部分が多く、移動できる範囲はわりと限られている感じ。大手門をくぐったあたり、連続する曲がり角が面白い。あと、ここを訪れる人々は城よりも大石神社が目当てっぽい。 二の丸と本丸の庭園が名勝に指定されている。二の丸庭園は整備中、本丸庭園は御殿の南側にあるが、御殿の建物が無いため開放的すぎて庭園がしまらない。やはりこういう御殿庭園は、範囲が限定されてこその美なのだろう。 |
明石城 2009年3月1日 | 31城目。 駅の側……といより駅前。姫路城に比べ人は少ないだろうと油断していたが、ところがどっこい。完全に公園化していて三の丸や庭園は子供たちでごったがえしていた。運動公園の中に城がある感じ。 坤櫓が公開されていて中に入れたがおじさんが説明してくれることはなかった。タイミングが悪かったのだろうか。あと、説明板などがほぼ皆無なのは残念。 かなりの石段を登って本丸に行ったはずなのに、東の丸から北へ抜ける時はほとんど高低差が無く面食らった。そこで初めて段丘の崖を利用した城であることを知った。複雑な地形の城だ。 |
篠山城 2009年3月7日 | 32城目。 想像以上に高くそびえる石垣。立派に再建された大書院。三の丸も鋭意整備中。なかなか良い感じに城跡整備が行われている。縄張りもシンプルかつ堅固な上、美しさも感じられる。藤堂高虎の城は初めてだったが、他の藤堂高虎の城も見てみたいと思った。 しかしここは城もさることながら、城下町が凄い。武家屋敷と商家群が良好に残っており、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。城下の商家町や武家町が重伝建に指定されているところは多くあれど、武家町と商家町が同時に重伝建指定されているのは篠山と萩だけだ(しかし萩は同一の重伝建ではなく武家町と商家町で別々の重伝建扱い)。 町並みのクオリティも高く、しかも重伝建に指定されている部分以外にも古い建物が多い(バスの通っているメインの通りも例外ではない)、貫禄を感じた。良い町だと思う。 あ、そういえば、一つだけ悪いところがあった。スタンプの状態。 |
大野城 2009年3月21日 | 33城目。 大宰府、大野城跡、水城跡の3つ特別史跡を一日で巡った。 まず大宰府政庁の展示館で大野城の地図をいただいて、徒歩で大野城を目指す。一時間少しで増長天礎石群に到着。そこからは坂本口門跡、水城口門跡、毘沙門天を経由して百間石垣へ。アップダウンが激しく相当疲れた。水は最低1リットル必要。 百間石垣からは小石垣を見学して主城原礎石群まで行き、他の残りの礎石群も回りつつ焼米ヶ原に出た。焼米ヶ原は土塁の雰囲気や眺めが良い。近くにある大宰府口城門跡も素敵すぎる。大野城は石垣群や礎石群を巡って初めて価値が分かる城だと思うが、どうしても時間が無い場合はこの焼米ヶ原(含大宰府口城門)と百間石垣を見ることをお勧めしたい。どちらも車で回れるので。 その後大宰府駅へ下山。城巡りだけで4時間。登山を含めたら6時間弱歩いたことになる。その後はくたくたの体にムチを打ち水城跡へ。まっすぐ伸びる巨大な土塁も一見の価値あり。 |
竹田城 2009年3月29日 | 34城目。 出石に行った帰りに登城。大阪から18切符日帰りで出石の町並みと竹田城を回るのはさすがに少々無理があったらしく、かなり時間に追われる訪問となってしまい、十分な見学時間を取ることができなかった。 竹田駅からの山登りは、大野城とか高取城とかに比べれば全然楽勝。駅から30分ほどで入口に到着した。線路をくぐる水路の道を通るのが楽しい。麓からすでに屋敷の石垣がずらりと並んでおりテンションが高まる。城跡もまぁ、期待通り。ただ、ここは写真が難しい。ものすごく開けているため、全景を撮ろうとするとどうしても人が写り込んでしまう。待つにも時間が無く、後ろ髪を引かれる中撤退。また行く機会があったら、今度は立雲峡から望みたいと思う。 スタンプはインクがつい最近補充されたようで、すごく濃い。軽く押すぐらいがちょうど良い感じ。要試し押し。 |
二条城 2009年4月19日 | 35城目。 JR線で太秦の広隆寺、花園の法金剛院を見にいったついでに二条で下車。去年登城したばかりでまた入場料を払うのは癪だったが、スタンプが城内にあるのだからしょうがない。スタンプの場所もちょっと分かりにくかった。 せっかく入場したのだから、精一杯楽しませてもらうことにした。しかし休日の午後ということもあってこれでもかというくらいに人が多い。しかし写真を撮る目的ではなかったので気楽なものだ。小堀遠州の庭園はいつきても見事。ただ、午後だと逆光になるので写真を撮るなら午前中がベストだろう。 二の丸御殿は書院造の最高傑作ということもあり、建物配置も外観も内観も見事という他ない。屏風がどんどん複製に置き換えられているのは残念だが、保護の観点上仕方がないのだろう。ただ、人が多すぎてウグイス張りのウグイスが、まるで悲鳴をあげているように聞こえる。また、戸が締め切られソテツの間からソテツを拝めないのも残念だ。 |
安土城 2009年5月3日 | 36城目。 去年登城していたので、スタンプ押してさらっと終わるつもりだったが、?見寺が特別拝観をやったのでつい入ってしまった。通常料金+500円は高いが、まぁ茶室で抹茶、ほうじ茶、ヨモギもちをいただけたので、その料金と考えれば妥当か。特別拝観の内容は襖絵数点と、ちと微妙。 大手道のきれいに整えられた石垣、石段はさすが。三重塔と楼門付近は雰囲気も良く、写真栄えがする。 |
観音寺城 2009年5月3日 | 37城目。 ふもとに自転車を止め、桑実寺経由で登城。なかなかの山道でけっこうしんどかった。辛さ的には京都の醍醐寺〜上醍醐ぐらいだろうか。竹田城よりは辛いが、高取城ほどではないぐらい。 本丸跡に到着するも、人気はほとんど無し。安土城はかなり人いたのに。歩ける範囲で郭を回ってみたが、いたるところに石積みがあり(供養塔?)、やや恐ろしげな雰囲気だった。各郭は崩れかかった石垣で覆われており、井戸や埋門も残っていて遺跡の趣き。 城跡に人は少なかったが、観音正寺には結構人がいた。寺まで来たなら城跡も見ていけばいいのに。 |
小谷城 2009年5月10日 | 38城目。 竹生島に行ったついでに長浜から河毛に寄って、レンタサイクルで小谷城まで行った。城跡は小谷山山頂の大嶽と、そこから南へ走る二本の尾根、それと尾根の間に通る清水谷から成るが、本丸跡を含め郭の大部分があるのはそのうち東側の尾根。清水谷は平常時の居館があったようだ。地形を利用した素晴らしい城だと思う。 清水谷の資料館に寄った後、徒歩で本丸を目指す。山道は結構きついが、水が張られた水田の向こうに見える琵琶湖、竹生島など、景色は素晴らしい。出丸跡に寄って数十分、金吾丸跡にたどり着き、そのまま番所跡から本丸跡まで乗り込んだ。 石垣は本丸周辺に部分的に現存しているが、崩れているものも多い。段状に築かれた縄張りは、尾根沿いという地形の特性がよく現れている。できれば大嶽まで行きたいと思っていたが、諸々の事情(主に、疲れたとか疲れたとか疲れたとか)により山王丸までで終了。 |
津山城 2009年5月31日 | 39城目。大阪駅から高速バスで津山駅へ。 想像よりはるかに良い城だった。石垣は高く、大手の道幅も広いので非常に迫力がある。階段を上っている最中、両側に迫る高石垣に圧倒された。建物が残っていたら、日本を代表するクラスの城だったに違いない。搦手から上ると、石垣が何重にも重なっているように見え、迫力ある大手と違ってまた別の魅力がある。本丸を囲うように配置されている櫓台も素敵。気に入った。 津山には城下町の町並みもなかなか良好に残っている。津山城から宮川を超えたあたり、城東地区は岡山県町並保存地区として町並みの整備が行われている。ただ、重伝建ではないので建て替えの規制はなく、いつかはなくなってしまう恐れがある(申請すれば重伝建に選定されると思うが、住民が重伝建による規制を嫌っている模様。高取城城下町と同じだ……)。 |
彦根城 2009年6月7日 | 40城目。 彦根駅からレンタサイクルで湖東三山である金剛輪寺と西明寺、それと多賀大社を回ったので、ついでに彦根城にも寄る。彦根城自体は去年にも登城していたので(それに寺社巡りに時間がかかってしまったので)ざっと流した程度。 南東部のカーブした堀と石垣が、いつ見ても女性的で美しい。天秤櫓とそれにかかる橋の立体的な構造が格好良い。ぐにゃぐにゃ曲がった木材を見事に組み上げた天守はまさに芸術。天守裏手から黒門に下りる道の雰囲気が素敵。登り石垣も見逃せない。 姫路城のような、完璧に美しくまとまった優等生ではないけれど、元気良く活動的な雰囲気の城だと思う。ひこにゃんにもようやく会えた(ひこにゃん小さい!)。ただ、スタンプが久々にゴム印だったので(佐倉城以来か)面食らった。 |
一乗谷城 2009年6月28日 | 41城目。朝一のサンダーバードで大阪から福井へ。美北線で一乗谷駅にまで行き、遊歩道を歩いて一乗谷朝倉氏遺跡中枢へと向かう。 下城戸の土塁と巨石石垣に興奮しつつ、平面復元地区に到着。おびただしい数の井戸跡に圧倒された。さらにその先の復元町並みはなかなか良くできており、一乗谷遺跡を理解しやすくしていると思う。上城戸や御所・安養寺跡にも足を伸ばしてみたが、こちらはほぼ未整備。 唐門だけ残る館跡は、なんとも哀愁漂う感じで良いのだが、遺構をアスファルトで固めるタイプの遺跡整備はあまり好かない。特別名勝の4庭園も全部見たが、その中では諏訪館跡庭園が一番だと思った。何か、体が揺さぶられる思いがした。 城山への道は、パンフレットには3ルートが記されているが、英林塚から上る道は立入禁止。下城戸から上るコースが一番良いとのことだが、八幡神社からのコースでも上れそうだったのでこちらを使った。しかしこれが大変な悪路。これまで上った山城の中で一番辛い山道だった。途中、でかい獣の足跡(熊?)にもビビる。宿直からの景色は福井平野を見るには良いが、角度的に一乗谷を見下ろすことはできず、ちょっと残念。 |
丸岡城 2009年6月28日 | 42城目。 一乗谷朝倉氏遺跡に時間を使いすぎ、福井に到着したのは4時過ぎ。急いでバスに乗って本丸岡を目指したが、丸岡城についたのは4時50分。営業時間は5時までだったが、天守入場可能な時間は4時45分までだったらしく、チケット売り場は既に閉まっていた。ヘコんだ。 しょうがないので外観だけ見て、城をぐるっと回って売店でスタンプを押したが、現存する城の規模は小さく、この城は天守がすべてと言っても過言ではないだろう。それだけに、天守に入れなかったのが残念極まりない。 しかし、バスから降りた直後、タクシーの運転手さんに丸岡城までの道を聞いたのだが、この人が非常に親切だった。それだけが救い。 |
伊賀上野城 2009年7月5日 | 43城目。大阪から大和路線+関西本線で伊賀上野に行こうとしたが、奈良駅で奈良線に乗ってしまい、京都方面に出てしまった。戻っても電車が無いのでそのまま京都へ行き、滋賀県の草津から草津線で柘植に出て、伊賀上野に戻るという小冒険。約一時間遅れで上野市駅に到着。 藤堂高虎の城は篠山城に次ぎ2城目。篠山城も石垣が印象深かったが、ここもまた石垣があまりに特徴的な城。藤堂高虎といえば石垣、という印象が私の中にできつつある。高石垣が有名と聞いていたので、最初それを見たときはまぁこんなものかと思ったが、次に行った松阪城の石垣を見て、ダントツな上野城の石垣の高さに改めて気づかされた。 城の後は藩校の崇廣堂を見学し(なかなか見ごたえがあるのに、私以外に人は全くいなかった)、それから町並みをぐるりと巡った。上野の町は、なんていうか、全体的なクオリティは結構高いのだけど、部分部分に高層建築が建っていたり、歴史ある町並みにそぐわない建物が建設中だったりと、昔ながらの町並みを守っていこうという感じではない。町並みも維持していけば、城、忍者に加え、付加価値も高まるだろうに。 |
松阪城 2009年7月5日 | 44城目。伊賀上野から伊賀神戸に出て、近鉄で一気に松阪へ。小雨がぱらつく中での見学となった。 歴史民俗資料館でスタンプをお借りしたら、縄張り図をいただいた。角の取れた石を使った、野面積みの石垣が楽しい。建物などを想像しながら歩くと良いと思う。実は去年の1月に一度訪れてたのだが、その時は木に葉がなく視界が良かった。今の季節は葉が茂っていて周囲を見渡し辛い。冬がオススメ。 あと、城内にある本居宣長旧宅もできれば見学したほうが良い。これを見たら、旧宅が移築される前にあった、魚町の旧宅跡にも行こう。松阪城の旧宅も、魚町の旧宅跡も、どちらも特別史跡。魚町やその隣の本町は、松阪商人たちの旧家が多く、見学のしごたえがある。 |
名古屋城 2009年7月26日 | 45城目。関西本線で久宝寺から名古屋へ(前回は間違えて奈良で奈良線に乗ってしまったが、今回は無事に乗り換えできた。小学生か!)。 前に一度来たことあるが、その時見逃していた二の丸庭園などを見学しつつ、他は流し見。本丸では御殿再建の工事が始まっていて、わくわくした。消失前のものをそのまま再建するということだが、基礎は礎石ではなくコンクリートなのか。今の建築基準法とか消防法では、礎石の建造物を新規に建てることはできないのだろう。 本丸御殿工事のためなのか、御深井丸にもでかいプレハブの建物が建てられており、戌亥隅櫓のあたりは以前にもましてひっそり。訪れる人は少ないようだ。 |
岐阜城 2009年7月26日 | 46城目。 遠くで雷が轟く中、雨が降り出したら大変と、片道20分という短さに心惹かれ、水ノ手ではなく馬ノ背登山道からいざ登城。しかしこれは馬ノ背ではなくラクダノ背だ。しかも100コブラクダぐらいの。大変しんどかった。 登山道が終わったその場には、ちょうど良くベンチが二つ。そこで汗をだらだら流しながらお茶を飲む私の前を、涼しい顔して通り過ぎていくロープウェイ組の人々。思わず、どうだ俺は歩いて登って来たんだぞと自慢したくなるが、だから何だと言われるのがオチ。 岐阜城は大変有名な城、しかも一般的に開発の手が入りにくい山城なのに、なぜ国の史跡に指定されていないのだろうと思っていたが、登ってみてあら納得。山上は展望台やら売店やらなんやらで、旧態が結構破壊されている気がした。それが原因だろう。 真っ先にスタンプをもらいに行ったが、その資料館で「スタンプだけなんですか?」と非難っぽく言われた。最初は天守に入る気だったものの、それで嫌になったのと、どしゃぶりの雨が降ってきたのでそのままロープウェイで退散。帰りのバス停は、行きに降りた場所ではなく歴史博物館前なので注意。 |
岡山城 2009年8月1日 | 47城目。 雷轟き雨吹きすさぶ中、徒歩にて駅から後楽園へ。土曜日にもかかわらず人の少ない庭園を散策して(後楽園内から見る天守は良いものの、園内にはライトアップのため配線が巡らされ、芝生内には機材が散乱していた。少々残念)、その後、岡山城へ。 史跡として残る岡山城自体の規模はそれほど大きく無く、見学もさほど時間はかからない。見所は川と堀に囲まれたその立地と、石垣、それと現存櫓。RC復元の門と天守はお好みで。 |
鬼ノ城 2009年8月1日 | 48城目。素直に総社駅からタクシーを使えばよかったものの、何を血迷ったか吉備線の服部駅から徒歩で鬼ノ城を目指すことに。 しかし後楽園、岡山城、吉備津神社を回った疲れが出たのか、途中から足が思うように上がらなくなり、本当に倒れるんじゃないかと言うくらいフラフラになってしまった。30近くなって、体力が急激に落ちてきたことを実感する。 |
備中松山城 2009年8月2日 | 49城目。 岡山駅から朝一の伯備線で備中高梁へ。まだ観光客が一人もいない町並みを見学しながらのんびり歩き、7時半くらいに登山口へ到着。登山口は石垣積みの虎口となっており、気分が盛り上がる。 休憩するたび蚊に悩まされつつ、大石内蔵助の腰掛け石を横目に見ながら進み、8時半くらいに中太鼓の丸跡に到着。さらに10分ぐらい進むと、ようやく大手門に到着した。しかしここの石垣は凄い。切り立つ岩盤の上に築かれた石垣は迫力満点。雛壇状に組まれた石垣もまた雄大で、まさに名城の風格。 二の丸から見る天守は、平櫓や背後の二重櫓とうまく同化し、天守自体の小ささを感じさせないように見せてくれる。なかなかうまいなと思った。後曲輪(天守の裏手)から見る天守も良いので忘れずに。 帰りはシャトルバスを使おうと思ったが、ふいご峠にバスの姿は無く、バス停とか時刻表とかも見当たらなかったため、そのまま徒歩で下山した。駅に戻った後、11時ちょい前のバスで吹屋に行き、ベンガラの町並みを堪能。吹屋は山奥でアクセスも悪いけど、なかなか良い感じでした。 |
掛川城 2009年8月24日 | 50城目。駿府城が月曜休館だったので、掛川城もそうなんじゃないかと恐る恐るの登城だったが、こちらはどうやらやっており、難を逃れることができた。 こぢんまりとした、決して大きくない規模の城ではあるが、天守、御殿(重文)、櫓等、よくまとまっていてなかなか好み。三日月堀、ソロバン堀もアクセントになっている。知識無しで行った為、立派な御殿が残っているのにはびっくりした。木造再建天守も良い感じ。天守郭への、細い階段から天守を見上げるその雰囲気が特に良い。 少し離れたところにある、大手門も見ておくべし。大手門前の端は、掛川城遠景のベストポイントだと思う。 |
長篠城 2009年8月24日 | 51城目。掛川城から、東海道本線、飯田線を乗り継ぎ長篠城駅へ。徒歩で長篠城本丸に到着。 しかしこの城は凄いところにあるものだ。川が合流する付け根、切り立つ崖に囲まれたその場所は、やはり天然の要害という言葉がふさわしい、篭城戦に適した城だと思う。そりゃ武田勝頼も落とせない。 二の丸から本丸に入った右手には、不忍の滝がある。二の丸脇の線路を渡れば野牛郭に出ることができ、さらに進めば鳥居強右衛門が川に入った河原へも降りられる。再び二の丸に戻り、鳥居強右衛門が城に向かって叫んだ場所を探してみたが、これはちょっと分からなかった。 西の橋を渡ってぐるりと迂回し鳥居駅へ。電車が来るまでまだ15分くらいあったので、城の対岸に位置する例の橋へと急いで向かい、そこから城を写真に納めて駅に戻った。ギリギリだった。 |
岡崎城 2009年8月24日 | 52城目。 家康の城ということでさぞ多くの人出で賑わっているのだろうと思いきや、意外や意外、観光客はあまりおらず、地元のじいさんやランニングする高校生がほとんどだった。JRの駅から遠い為だろうか。 天守は昭和の天守復興ブームの時に建てられたもので、当然のごとくRC。外観は立派だが、やはり……という感じはある。想像していたほど城山の高さはなく、登城は楽だ。南と西を川に囲まれたその立地は良いね。 あと、例のやんちゃ貴族。風営法では学校や病院の近辺に作ることができないそうだが、ぜひともそれに文化財および城郭も加えていただきたいところ。 |
徳島城 2009年8月29日 | 53城目。吉野川沿いの町並み、および祖谷への旅行ついでに登城。高速バスなら、大阪から徳島へは結構近い。 徳島城は徳島駅のすぐ裏にあるが、そこへ行くには回り込む必要がある。私は西側の踏切を渡ったが、後で駅東側の歩道橋を渡った方が近いことに気が付いた。 徳島城の石垣は、青みがかった緑色片岩を使っており、独特の表情を見せる。そういえば、徳島の山奥、祖谷の渓谷にごろごろ転がる岩は、皆緑色片岩だった。和歌山城の石垣、和歌山の古墳の石室にもこの石が使われていた。和歌山、徳島は地学的に繋がっているのだろう。 庭園もまた緑色片岩がふんだんに使われていて目を引く。が、どうしても背後にマンションが視界に入るのが残念。 |
吉野ヶ里 2009年9月20日 | 54城目。 朝一番に乗り込んだものの、連休中ともあって親子連れやらカップルやらでそこそこ人は入っていた。建物が推定復元されたいくつかの集落跡と、発掘時の状態がそのまま公開されている北墳丘墓が見所。 吉野ヶ里を実際訪れてみると、様々な発見がある。各集落(各郭)の周囲に堀を巡らして土塁を築き、その上に柵を設ける城郭の基本構造はできてるし、北内郭の入口なんてまんま虎口だし。主要郭の隅には櫓まで設けちゃって。弥生時代に既にこんなに高度な防衛の技術があったとは。 吉野ヶ里の集落は、祖先の墳墓を祀ったところから形成されたという話にも、目からうろこが落ちた。その墳丘墓も古墳時代の古墳とほぼ変わらず、やはり歴史というのは連続しているものだなぁと感じた。 |
佐賀城 2009年9月20日 | 55城目。佐賀駅から徒歩で。 大部分が官庁街や学校と化している、地方によくあるタイプの城跡。かつては堀が何重にも巡っていたというが、現在は多くが埋め立てられ、外堀が残るだけ(それも東側は埋め立てられてる)。しかし、辺りを巡る水路などに、当時の面影が見える気がする。 重文の鯱の門、それと本丸御殿の一部である御座の間が現存。本丸御殿のほかの部分もしっかり再建されているので、城跡として残る範囲は狭いものの、なかなか良い感じ。本丸御殿の従業員の方も、対応が気持ち良かったし。 |
福岡城 2009年9月22日 | 56城目。地下鉄の大濠公園駅から徒歩で。 まず、一面蓮だらけの堀が印象的。西側は巨大な堀(というか池?)を持つ大濠公園で、あまりに広大すぎて後世の拡張を疑ったが、入り江を堰き止めて作った堀という話を聞き、なるほど納得。 下の橋大手門、潮見櫓、祈念櫓など、見るべき建物は多い。中でも多聞櫓とそれに続く二の丸南隅櫓は江戸時代からのもので重文だが、周囲は少々寂しい雰囲気。他にも、立派な天守台や鴻臚館の遺構など、一つ一つ丁寧に見ていったらかなり時間がかかった。 |
名護屋城 2009年10月11日 | 57城目。唐津の特別名勝、虹の松原を見学した後、バスにて呼子へ移動。朝市通りで電動アシストのレンタサイクルを借り、名護屋城へ向かった。 豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に作られた城。意図的に壊された石垣がなんとも痛々しい。天守跡から望むことができる波戸岬と玄界灘は壮観だ。できれば二の丸や遊撃丸なども見たほうが良いと思う。台所丸近くには太閤井戸があるが、近所のおじさんがこの井戸の水を汲んでいた。いまだ良質の水が出ているようだ。 城の周囲には、全国そうそうたるメンツの大名陣屋が点在する。当時はさぞ凄まじい軍事拠点としての光景が見られたことだろう。見学できるものは意外と少ない。堀秀治陣跡、豊臣秀保陣跡、九鬼嘉隆陣跡は整備されていた。他にも、徳川家康陣跡、加藤嘉明陣跡などが整備されているようだが、時間の関係で見に行けなかった。 電動自転車は最初は良かったが、途中で電池が切れてただの重い自転車と化した。呼子で電動自転車を借りる場合は、二時間ぐらいをメドに引き返すこと。陣屋巡りをする際は、バッテリをセーブしておかないと後で泣くハメに。名護屋城跡だけを見るなら凄く便利かと。 |
高松城 2009年10月24日 | 58城目。栗林公園を見学した後に登城。 濠に海水を引き込んだ海城。北の丸の月見櫓、水手御門、渡櫓と東の丸の艮櫓(現在は桜の馬場にある)が現存でいずれも重要文化財。特に月見櫓が立派。 また、この城はやたらと庭園が多かった印象。西門入って左手すぐに庭園だし、三の丸などその大部分が庭園。まぁ、散策する分にはこの方が楽しいけれど。 天守台は修理中とは聞いていたが、かなり派手に解体されておりびっくりした。これを元に戻すのは相当な苦労に違いない。聞けば、天守台修理完了の暁には、天守の復元も計画されているのだとか。あくまで史実に基いた慎重な復元をお願いしたい。 |
丸亀城 2009年10月24日 | 59城目。 前に一度丸亀に来たことあるが(塩飽諸島の本島へのフェリーが出ているので)、その時は時間が無くて大手門を見て終わってしまった。改めて見上げてみると、石垣の高さとボリュームが凄い。その上にちょこんと鎮座している天守がなんともかわいらしい。多聞櫓と隅櫓があって、バランスが取れるのだろう。 天守はもちろん、大手一の門(櫓門)と大手二の門(高麗門)、それと御殿表門と番所長屋、土塀が現存。天守は小さくこぢんまりとしているが、まぁこの石垣の高さならば、そんなに高い天守は必要ないかもしれない。 丸亀城の後は、本堂が国宝の本山寺を訪ね、それから観音寺駅へと行き、大阪行きの高速バスで帰宅した。マイナーな路線なのかガラガラだった。 |
広島城 2009年10月31日 | 60城目。 紅葉の三段峡を見て帰ってきた後に登城。時間は既に4時半を回っていたのでダメもとで行ってみたら(城の天守って、だいたい4時半とかに入場終わってしまうものと思っていたので)なんとまだ開いていた。5時半まで大丈夫だったっぽい。 天守は原爆で潰されてしまい、今のものは当然ながら戦後の復興。たがしかし、外観は板張りでなかなか頑張っている気がした。内部は良くあるRCの天守だが。 現存するのは本丸と二の丸、あと三の丸のごく一部だけでこぢんまりとした感じだが、堀の中に独立した二の丸が印象的。馬出が大きくなったようなものだろうか。本丸には広島大本営の遺構も残っており、それも興味深かった。 |
七尾城 2009年11月23日 | 61城目。前日は七尾に宿泊し、朝一番でタクシーに乗り七尾城へ。 やはり段々に積み重なった石垣が素晴らしい。特に桜馬場を支える五段重ね石垣は、微妙にカーブしていてそれが良い味を出している。この石垣は、寺屋敷跡から石段を登っていって見てくるその辺りが最も美しい。 他の郭との連続性も素晴らしく、上り下りがあって単調にならず、散策するのが楽しい。なかなか堅固そうな城で、上杉謙信は時間がかかったとはいえ、よくこの城を落とせたなと感心した。 駐車場に置いてあるパンフレットの順番に回ると効率が良いかと。一周のんびり回って一時間。帰りは登山道を歩いて麓の資料館へ。こちらは45分ぐらい。 |
高岡城 2009年11月23日 | 62城目。高岡駅から徒歩10分ぐらい。 以前にも行った事があったので軽く流すつもりだったが、今は紅葉が真っ盛りで結構見入ってしまった。城跡としては、縄張りがしっかり残っているのと、それと土橋など一部に石垣を見る事もできます。 この城は、城跡だけを見るのではなく、周辺の散策と共に行うのがベストだと思う。高岡大仏に、蔵造の町並みの山町筋、鋳物職人が集まっていた金屋町、そして瑞龍寺と前田家墓所。高岡の見所は多くあります。 |
金沢城 2009年11月23日 | 63城目。金沢駅からバスにて兼六園下へ。石川門から登城。 兼六園、金沢城には以前に来た事があり、それに人が物凄く多かったので、今回は兼六園はパスして金沢城だけ。相変わらず屋根の鉛瓦、腰のなまこ瓦が美しい。河北門の復元も着々と進行しており、わくわくする。将来が楽しみな城の一つ。 石垣の多様さも金沢城の見どころ。いつの間にか、前には無かった石垣の説明板が要所要所に付けられており、石垣の違いがとても分かりやすい。三十間長屋、鶴丸倉庫などの現存建造物も必見。 帰りは大手門から出て、尾崎神社、尾山神社を参拝した後、バスで金沢駅まで戻った。 |
郡山城 2009年11月28日 | 64城目。広島バスセンターから吉田行きのバスにて安芸高田市役所前へ。そこから徒歩で登城。 まだ紅葉が残っていて、山全体が赤や黄色に彩られ目を楽しませてくれました。使った道は、登りは墓所側から、下りは旧本城側から。想像よりこじんまりとした山で、墓所側からなら傾斜も緩く、登山もそれほどきつくはありませんでした。 山頂の本丸から放射状に伸びた郭がなんとも見事。それぞれが段状に成形されており、また所によっては堀切が見られたり、石垣の石が散乱していたりと、往時の姿が偲ばれます。案内板が多いのも親切ですね。 しかし見た目より郭が結構多いので、丁寧に見て周るとそれなりに時間がかかります。登城に2時間ぐらいを見繕っていたのですが、それでも最後辺りはカツカツになり、旧本丸あたりはバスの時間を気にしながら大急ぎで周りました。 |
岩国城 2009年11月28日 | 65城目。岩国駅からバスで錦帯橋まで。そこから上りはロープウェイ、下りは徒歩で下山した。 実は岩国に来るのは今年二度目(前回はスタンプ帳を忘れるという痛恨のミス!)。なので今回はスタンプの押印のみ。 天守の位置を変えて復興してしまったりと城自体はアレですが、錦帯橋やその周辺の見所は豊富です。重文の吉香神社や旧目加田家住宅のある吉香公園や吉川家墓所とか、あと錦帯橋渡る手前一帯の町並みも、昔の地割や建物が残っていて地味に良い感じです。 |
今帰仁城 2010年1月1日 | 66城目。朝一のバスで那覇から名護へ、名護から今帰仁城跡入口バス停へ。そこから徒歩。 新春の午前ということもあってか、地元の子どもたちが民族衣装を着て、太鼓を叩いて踊っていた。特に観光客向けというわけでもなさそうなので(人の少ない午前中、一時間ほどであっさり終了。終わったらすぐ撤収していた)、元旦の儀式か何かなのだろうか。 城跡は、巨大な石が露出していたり、深くえぐられた谷を利用していたりと迫力がある。白い琉球石灰岩の石垣に、森の緑、青い海と空のコントラストが美しい。帰りはバスの時間とハブに脅えつつ、ハンタ道を下った。 |
首里城 2010年1月1日 | 67城目。識名園を見学してから首里城公園へ。 正月で新春の宴が開催されており、さすがの人の多さに少々辟易。しかし午後5時を過ぎると、人もだいぶ少なくなって見学がしやすくなった。夕日を浴びた正殿も素晴らしいので、首里城は夕方がオススメ。 思っていたより城内を自由に歩く事ができず、しょうがないので石垣の周囲をぐるっと周ってみた。石垣が湾曲して連なっていたり、石垣の先端部分がちょこんと突き出していたりと、琉球の独自性が良く見られる。 周囲も、園比屋武御嶽石門や玉陵、円覚寺や弁財天堂、金城町石畳道など見るべきものはたくさん。 |
中城城 2010年1月2日 | 68城目。朝一で那覇バスターミナルから27系統で西原バス停へ行き勝連城を見学。その後西原バス停から52系統で喜捨場バス停に行き、そこから徒歩30分ぐらいで到着。 個人的に勝連城があまりに素晴らしく、その後であったためちょっと印象がぼやけてしまった。しかし深く切り込まれた井戸や、段状に連なる石垣、数多くの拝所、そして廃墟など、惹かれる点は少なくはなかったと思う。 中城城の周囲にある重要文化財の中村家や、護佐丸の墓(こちらはちょっと分かりにくいところにある)も押さえておきたい。帰りは中城小学校バス停に下り、30系統で那覇に帰った。 |
犬山城 2010年2月6日 | 69城目。大阪から新幹線で名古屋まで、名古屋から名鉄で犬山へ。名古屋に到着した時は雪がどかどか降っており、地面にも積もっていたので心配したが、犬山に着いた頃にはなぜか青空に変わり驚いた。 城下町を散策しつつ、8時45分くらいに犬山城へ到着。開場の15分くらい前だったが、既に一組の客がチケットを受け取り、中へ入ってくところだったのでそれに続く。 いわずもなが、国宝天守四城のうちの一つ。二層の入母屋に望楼がちょこんと乗った、見事なまでの典型的な望楼型天守。付櫓がアクセントになっている。やっぱり現存天守は内部の拝観が楽しい。階段の勾配は、他の現存天守に比べれば、緩やかな方かな。 金網とか無粋なものも張られず、欄干に出られる貴重な天守。天守からの木曽川の眺めは最高。木曽川からの眺めもまた最高。特にこの日は風に雪が舞い散り、素晴らしく綺麗だった。 天守以外、城の遺構はそれほど多く無いが、周囲には結構見所があるので楽しめる。国宝茶室の如庵は拝観料が1000円とちょっと高いが、旧正伝院書院と共に見ておく価値はある。城下町の街並みも近年整えられてきている。 |
岩村城 2010年2月6日 | 70城目。明知鉄道で恵那駅から岩村駅へ。 町並みを散策していたら時間がかかってしまい、スタンプのある資料館に着いた時、既にシャッターが閉まっていた(閉館時間は4時。携帯の時計を見たら3時58分だったのに)。しょうがないので、岩村振興事務所に電話連絡し、そこでスタンプを押させてもらう事に。 その後岩村城に登ろうとしたのだが、登城口を間違えて変な山道に入ってしまい、危うく遭難しかけた。「岩村城登城口」石碑の右が正解。左は間違いなので絶対に行ってはダメ。左の先(猪捕獲の罠があるところ)には「鹿の道を経て岩村城へ900m」とありますが、その看板に従ってはダメ。本当に危険です。 先のトラップにより山の中を暫くさ迷い、時間と体力を散々消耗してしまったが、その後なんとか正規の登城口に戻り、日が傾く中、再度岩村城を目指す。20分ほどで本丸に着くくらいのイージーな山城だが、突然足がつってしまい、登るのがしんどかった。 城自体は石垣が素晴らしく、特に菱形石垣を越えた後に見えてくる六段壁には思わず声を上げてしまった。本丸の虎口辺りから見える山々も、夕日を浴びて雪が輝き素晴らしかった。 |
福山城 2010年3月7日 | 71城目。 駅から出たその目の前に石垣がそびえていて驚く。縄張りはシンプルで、見て周る時間はそれほどにかからない。 伏見櫓と筋鉄御門が現存建造物で、重要文化財。鐘楼も一応は現存のようだが、後世の改造が多いようだ。伏見櫓は最初見たとき天守かと思ったほどに立派。福山城はこの一角が一番雰囲気良い。天守は戦災で失われ、昭和の天守復興ブームで再建された、よくある鉄筋コンクリートのタイプ。 しかし、駅から近すぎるきらいがある。っていうか、どう考えても駅の位置が不適当。伏見櫓南付近の石垣の形が今と昔で違うように見受けられるが、まさか、駅建設の際に削られたのか?史跡指定の際に問題にならなかったのか?駅前開発で埋蔵遺構も次々と破壊されているようだし、いろいろ思うところはある。 |
大洲城 2010年3月20日 | 72城目。朝一で内子の町並みを見てから登城。 宇和島行きの汽車に乗り継ぐ為の45分を活用すべく、タクシーで大洲城へ。タクシーを待たせたまま、天守をざっくり見学して駅に戻った(待たせた時間も料金に含まれて、料金は2000円強ぐらい)。 天守は明治に棄却されたが、天守雛形と古写真が残っており、かつての姿を完全に復元できた類稀なる例。史料が豊富に残っていたのも幸いだったが、何より建築基準法(個人的には伝統建築規制法だと思っている)を跳ね除け、天守の完全復元を果たした市民の方々の努力に惜しみない賞賛と拍手を。 天守は渡櫓で現存の台所櫓と高欄櫓を接続されており、非常に立派な構え。他にも、近くの学校に三の丸南隅櫓が、肱川の堤防に苧綿櫓が現存している。鉄道から川越しに眺めるのも良し。 |
宇和島城 2010年3月20日 | 73城目。 水ヶ浦の段畑を見学した後、夕方、天守が閉まる少し前に登城。入口が若干分かり辛く、城山の周囲をぐるぐる回ってしまった。 かつては海城だったらしいが、埋め立てで海も後退し濠も埋められてしまっている。縄張りだけ見たら、ちょっと物足りない感じ。夕日の中、現存の天守が本丸にたたずんでいるのが印象的だった。 ちょうど桜が咲き始めており、夕方でも人が多い。天守は4時までらしいが、ちょっとくらいなら過ぎても入れるようだ(4時半くらいまで?)。 |
松山城 2010年3月21日 | 74城目。松山駅より徒歩で。 想像よりずっと広大で、壮大な城郭だった。特に山頂に残る、連立式天守を始めとした数多くの現存建造物が素晴らしい。一部は戦災で焼失してしまったので復元だが、図面に基づいた正確な復元だし、文句は無し。 重要文化財21棟は、姫路城に次ぐ規模。櫓や壁などに囲まれた中を進んでいくので、わくわく感がある。建物の築年が若干新しいことだけが難点だが、それを差し引いても余りあるくらいの、素晴らしい城だと思う。 他にも、本丸の40m以上の深さのある井戸や、インドの階段井戸を思わせる二の丸の大井戸など、琴線に触れるものが多い。ロープウェイは使わず、足で登ることをオススメしたい。 |
湯築城 2010年3月27日 | 75城目。朝一で道後温泉と石手寺を見学した後に登城。 これまで中世の城と言えば、山城か館跡のようなものばかりだと思っていたが、ここは中世でも平山城。珍しい。模型を見た時、前方後円墳に作られた城なのかな、と思ったが、資料館の係の方に聞くと、どうやら古墳ではないとの事。 城跡は思ったよりちゃんと整備されており、まぁ、史跡公園のような感じだった。桜のシーズンということもあり、あちらこちらにブルーシートが敷かれ、それが若干風情を壊しているのが残念だったが。 南東部分に見られる庭園跡の石組とか、城内に展示してある石造湯釜とか、興味深いものも多かった。 |
今治城 2010年3月27日 | 76城目。今治駅から徒歩で(意外に結構距離があった)。 瀬戸内の要衝に藤堂高虎が築いた海城。藤堂高虎の縄張りはシンプルながら、石垣も高いし、堀も広いし、枡形や馬出など、堅固な印象を強く受ける。犬走りの存在も面白い。 海側もさほど埋め立ては進んでおらず、海城としての雰囲気も良い。近年、史実に基き再建された、鉄御門や櫓もグッド。 天守については……。そもそも天守が存在していたのかという問題はともかく、塔層型であったのに、望楼型の方が見栄えが良いからって、望楼型っぽくしてしまったのはいかがなものかと思う。でも、展示物はなかなか充実していた。 |
月山富田城 2010年3月28日 | 77城目。高速バスを使って大阪から日帰りで。 列車とバスをスムーズに乗り継ぎ、安来市立病院へ。そこから道の駅まで歩き、隣接した資料館でスタンプを押して、その裏手から登城開始。 中世山城と聞き、登山がメインなのかと思いきや、意外にも麓から郭が連続しており序盤から城の雰囲気が楽しめた。山中御殿から三の丸までは登山だが、それほど距離が無いので時間もかからない。ただし、石畳が滑りやすく急なので、雨の時とかは注意が必要。 山中御殿付近は広々とした作りで、開放感がある。麓も山頂も良好に遺構が残っており、範囲も広く、なるほど名城だな、と思った。少し離れたところに建っている偽城がなければもっと良かったのに。 |
駿府城 2010年4月4日 | 78城目。 夏に来たときは月曜日でチケット売り場が閉まっており、今回改めてリベンジ。……が、この日は静岡市を挙げて大きなイベントが開催されており、駅前から城内にかけても人、人、人。あまりに人が多くて少々気分が悪くなった。 都市部の城なのでしょうがないのかもしれないが、遺構の現存状態が少々残念な感じ。内堀とか、天守台とか、ちゃんと残っていれば面白かっただろうに。土塁とかも、結構痛んでいる。ただ、くねくね曲がる水路にはかなり興奮した。 |
津和野城 2010年10月9日 | 79城目。半年ぶりの城巡り。 曇り時々雨というような、あいにくの天気の中、観光客でごった返した町並みを冷やかしつつ、城跡へ。現存する馬場先櫓、物見櫓を眺めながら、ケーブルカーまで歩く。 天気が天気なので、ほとんど人はいなかった……と思いきや、三十間台跡には三脚を構えた人々がずらずらと。どうやらお目当ては山口線を走るSLらしい。せっかくなので、私もそれを待ってみる。すると、SLの出発間際に空が晴れ、天道さんが姿を現した。その中を、煤煙噴き、汽笛を鳴らしながら走るSLの偉容。赤い石州瓦の家々と棚田が織り成す光景も素晴らしい。いやぁ、良いもの見せていただいた。 肝心の城跡は、尾根沿いに造営された石垣の郭が連なる、典型的な山城。東門跡辺りから見上げる左右の光景が迫力あって素晴らしい。でも、城の規模の割には見学できる場所はそれほど広くはなかった。せっかくの山城なのに、歩いて登れないのもちょっと残念。 |
萩城 2010年10月10日 | 80城目。 前日に津和野から萩へバスで移動。萩で一泊し、早朝から町並み巡り。観光客は城下町(城東)の一角に集中しているけれど、重伝建の城内地区や平安古地区はそれほど人が多くない。特に、平安古地区の旧田中邸はのんびりできてお勧め。同じく重伝建の浜崎地区(御船蔵のある港町)も、違う雰囲気があって寄る価値あり。 町並みを一通り巡り、テンションが上がってきたところで萩城本丸へ突入。極楽橋なめで眺める天守台の辺りがよろしいかと。橋の手前は鯉にエサやる親子で騒々しいけれど。天守台からの眺めもこれまた良し。特に幾重にも複雑に折れ曲がった内堀とか。とりあえず、指月山をバックに入れれば絵になってしまうから困る。 指月山の詰丸跡にも登ってみた。案内板には20分とあったが、それほど時間はかからなかった。詰丸跡にも、しっかり虎口や石垣が残っていて驚かされた。大岩の袂をくりぬいた貯水池がユニーク。 |
高知城 2010年10月23日 | 81城目。高知駅から徒歩で。 現存天守がフィーチャーされがちだけど、私はまず、大手門先の石垣群に圧倒された。下から見上げても良し、上から見下ろしても良し。なかなかに雰囲気のある城だと思う。雨樋も興味深いし、二の丸から詰門の二階を渡って本丸に行くと、気分が非常に盛り上がる。 本丸の現存建造物も素晴らしい。天守から望むと、御殿の屋根瓦が幾重にも重なって、また本丸も周囲を櫓や土塀が取り囲んでるのがはっきり分かり、昔はどの城もこうだったんだろうなぁ、と感慨に浸ることができる。 ただ、大手門前にいまだでかでかと国宝の碑を掲げているのはどうかと思う。昭和25年以前の国宝(いわゆる旧国宝)は、現在でいう重要文化財。旧国宝が重要文化財という名称に改められて(旧国宝->重要文化財は降格などでは決して無い)、その上で学術的に価値が高いものがあらためて現在の国宝に指定されたわけで。高知城に現国宝の価値が無いとは言わないが、旧国宝と現国宝を混同させるような表記は好ましくないのでやめていただきたいと思う。 |
松本城 2011年4月6日 | 82城目。 前日松本入りし、一泊して朝に天守を拝観した為、夕方と午前中両方の写真を撮る事ができた。宿泊した松本城近くのビジネスホテルでは、通常600円の松本城チケットが半額の300円で購入できたので、松本に泊まる方はそのようなサービスのあるホテルに泊まると良いかと。 天守拝観は午前中がベスト。人が少ないし、本丸からの写真が逆光にならないので。連結複合式の現存天守は、いつ見ても迫力あって良いですね。天守だけなら、姫路城をしのぐのではないかと思います。雪をかぶった北アルプスを遠景に望めるのも素晴らしい。建造物の再建等、城整備のがんばりが見られます。 |
白河小峰城 2011年8月29日 | 83城目。白河駅から徒歩で。 至る所で石垣が崩れ、本丸には立ち入れなかった。まざまざと見せつけられた震災の爪痕。 |
会津若松城 2011年8月29日 | 85城目。会津若松駅から徒歩で。 東側の濠と石垣が印象的だったように思う。 |
根室半島チャシ跡群 2012年9月24日 | 86城目。 バイクで根室半島北岸沿いを行き、案内が目に付いたチャシをいくつか見学。最後にヲンネモトチャシを見てから納沙布岬へ。南岸沿いに根室に戻った感じ。 |
二本松城 2014年8月29日 | 84城目。少し距離があったけど、二本松駅から徒歩で。 山の中に巡らされた郭を歩き回った記憶。 |
大分府内城 2014年9月21日 | 87城目。九州一周バイク旅行の最中に立ち寄り。 城内の施設は取り壊されて整備中。 築城の際に人柱となった「お宮」の弁財天に驚いた。 戦国時代末期まで人柱の風習があったんだなぁ。 |
岡城 2014年9月21日 | 88城目。九州一周バイク旅行の最中に立ち寄り。 絶壁の岩山に築かれた壮大な山城。圧倒的なスケールの高石垣。尾根沿いに広がる広大な郭。想像以上にワイルドな城だった。城下町も、武家町や町人地などなかなか風情が残っていて散策のしがいがある。切支丹の洞窟礼拝堂も興味深かった。 |
熊本城 2014年9月23日 | 89城目。九州一周バイク旅行の最中に立ち寄り。 なにはともあれ現存建造物の宇土櫓。櫓にしてはあまりに立派。普通の城の天守レベルだよね。他にも現存建造物が多く、後世の増築により二重になった石垣など見どころ多し。どこを切っても絵になる。再建に熱心で、失われた建物も逐次建てていくようなので、10年後が楽しみ。 |
飫肥城 2014年9月28日 | 90城目。九州一周バイク旅行の最中に立ち寄り。 本丸は小学校になっており、運動会が行われていた。 こぢんまりとした城ではあるが、城下の武家町が良好に残っていて見応えあり。 石垣が連なり、重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。 国道222号線沿いは道路拡張で町並みは破壊されていますが、 立派なお宅が二軒残されており、見学が可能です。 |
鹿児島城 2014年9月29日 | 91城目。九州一周バイク旅行の最中に立ち寄り。 横一列に郭が並んでいる面白い城。現在は図書館だったり、黎明館だったり。 城下町に対してオープンな雰囲気がありますが、防御力は低そう。 西郷隆盛が私学校を置いた郭(現在は病院)の石垣に残る、西南戦争の弾痕が生々しい。 まさに一斉射撃。どんだけの銃弾が飛び交ったのやら。 |
人吉城 2014年10月7日 | 92城目。九州一周バイク旅行の最中に立ち寄り。 球磨川に面した平山城。本丸からの眺め良し。 重臣の館跡からは階段井戸のような遺構が出ており、なかなか興味深い。 周囲には国宝の青井阿蘇神社を始め、重文の老神神社、岩屋熊野座神社、十島菅原神社など、古いモノが数多く残っています。 |
島原城 2014年10月9日 | 93城目。九州一周バイク旅行の最中に立ち寄り。 失礼ながら、もっとこぢんまりとした城を予想していたのだけど、 想像以上に立派な普請で驚いた。幕末の御馬見書が現存。 天守からは、江戸時代に崩落し津波を引き起こしたという眉山の崩落跡がはっきり見える。 でも、入館料はちょっと高いね。 |
春日山城 2015年5月17日 | 大手門から本丸まで歩いて登るのが楽しい。 三の丸の礎石、本丸の大井戸など見どころも多い。 |
新発田城 2015年5月21日 | 自衛隊の駐屯地になっているので、見られる範囲は極めて限定的。 城内にズラリと並ぶ自衛隊の施設は、なかなか非現実的な感じではある。 |
根城 2015年10月8日 | 本丸は有料だが、建物が復元されているので城の様子が想像しやすい。 竪穴式の鍛冶場など、興味深いモノも多かった。 |
盛岡城 2015年10月9日 | 巨大な岩を組み込んだ石垣に目を見張った。 東側の石垣に孕みがあるが、どうやらこれから修復するようだ。 |
仙台城 2015年10月15日 | 石垣や大手門など見どころはあるが、 いかんせん本丸の商業施設が商売っ気強すぎて少し引いた。 |
多賀城 2015年10月15日 | 古代の軍事拠点であり行政施設。広大な範囲に遺跡が点在している。 政庁跡、石碑、廃寺跡などを見て回るのが楽しい。 |
平戸城 2018年5月11日 | 100城目。 城の周囲に武家町がなく、その代わり外国の商館跡があったりと、貿易で発展したということが良く分かる、コンパクトかつ独特な雰囲気の城下町。 城跡のみならず、町をぶらぶら散策するのも楽しい。 10年かけてようやく全部周ることができた。 これで終わり。続百名城はいいや。 |
古宮城 2019年3月8日 | 千田嘉博先生のイチオシということで前から気になっていた城。 18切符期間になったので行ってみた。 ちょっとした丘に築かれたコンパクトな平山城だけど、 遺構がほぼ完璧に残っていて評判に違わぬ凄さ。 特に城を東西に分かつ大堀切は迫力満点で、 主郭から見下ろした時には思わず声が出た。 西郭の多重に設けられた堀切も美しい。 非常に濃厚なひと時を味わうことができました。 まだ城全体が私有地なので(今後は公有化と発掘調査が進められる?) 案内標識等を設けることができないとのことで、城内に標識等はない。 歴史民俗資料館で縄張り図を入手してからの訪問を強くオススメします。 知識があるとずっと楽しくなる城なので。 ……そしてこの城をきっかけに、 ついに続百名城にまで手を出すことになってしまった。 まぁ、のんびりやろう。というワケで101城目。 |
津城 2019年3月12日 | 102城目。 一身田の専修寺を拝観して(巨大な国宝仏堂が迫力満点で、 寺内町の雰囲気も良くてオススメ)から津市中心部へ移動。 津駅からは割と離れていて結構歩いた。 城跡としては本丸のみが「お城公園」として整備されている。 藤堂高虎が整備しただけあって石垣が立派。 丑寅櫓へと上がる階段から石垣の上に出ることもできるけれど、 かなりの高さがあるので怖くて縁には立てなかった。 本丸の周囲は市街地に開発されていて城の全容を掴むのは難しい。 もっと往時の姿が分かるような展示等があれば良かったと思う。 |
岩櫃城 2019年4月2日 | 103城目。 群馬原町駅から番匠坂を歩いて岩櫃城へ。途中からは未舗装路の山道となり、古道らしい風情が満点で非常に良かった。ここは徒歩での登城を強くオススメします。 冬季閉鎖からオープンしたばかりの平沢観光案内所でスタンプを頂き、岩櫃城の要害地区へ。広々とした中城から竪堀を上り、二の丸を経て本丸へ。主郭から伸びる竪堀がダイナミックで素晴らしい。山頂側の虎口を確認してから下山した。 本当は西の木戸を経由して郷原駅へ抜けようと思っていたのだけれど、次の列車を逃すとその次までかなり間が空いてしまうことが判明。しょうがないので予定を変更して群馬原町駅へと戻った。 |
名胡桃城 2019年4月2日 | 104城目。 後閑駅から徒歩で。道が分からず駅前をうろうろした後に名胡桃城への案内を発見(結構小さいので見落としやすい)。風が強く(これが上州のからっ風か!)、特に国道17号線の橋の上では物凄く強烈でしんどかった。 左右を断崖絶壁に囲まれた山城で、コンパクトな規模ながら各郭の遺構が良好に残っている。しっかり整備されていて見学しやすいが、先端の物見郭への道は草を刈っただけのほぼ未整備でちょっと怖かった。旗と石碑が立っていなかったら、行けるとすら思わなかったと思う。 |
沼田城 2019年4月2日 | 105城目。 利根川が築いた広大な河岸段丘の縁に位置する、断崖絶壁の上にたたずむ丘城。江戸時代中期に沼田真田家が改易となったことで廃城となり、以降は本格的な復興がなされることなく明治維新を迎えたこともあって、現在に残る遺構は少なめ。 それでも、西櫓台などに石垣が残っていたり、重要文化財の古民家が移築されていたりと、見所はそれなりにある。あと、沼田城へ上る滝坂の階段に設けられている木造アーケードがシブい。 |
笠間城 2019年4月5日 | 106城目。 本殿が重要文化財の笠間稲荷神社に参拝してから井筒屋へ。 縄張図を頂き、下屋敷跡(佐白山麓公園)から登城。 山城なのにも関わらず明治維新まで現役だったので山頂に天守櫓跡がある。 東日本の山城にしては珍しく石垣が築かれているが、 東日本大震災で崩れたままになっており痛々しい。 天守櫓跡には神社が鎮座しており、 その本殿を囲む壁は天守の屋根瓦を積んだものだとのこと。 縄張図には天守櫓の東側に「石倉」とあり、 なんだろうと行ってみたら巨石が露出する採石場だった。 なるほど城内で石材を賄っていたのかと大いに納得。 大手門跡から大黒石を経て坂尾の食い違い虎口へ。 思っていたより土塁がちゃんと残っており、 かつての城の入口の様相を偲ぶことができた。 その後、真浄寺に移築されている八幡櫓を拝観。 非常に見どころが多く、散策のしごたえがある城だった。 |
土浦城 2019年4月5日 | 107城目。 本丸と二の丸が公園として整備されている。 桜祭りの真っ最中だったので、春休み中の子供たちで賑わっていた。 霞橋には屋台が並んでいてちょっと残念だったけど、それもまた風情か。 本丸の櫓門は現存、東櫓と西櫓は木造による再建。 スタンプが置いてある東櫓は有料(105円)だけど、 市立博物館と併せるとお得感がある。 |
石垣山城 2019年4月15日 | 108城目。 一夜城への道は、かなり急な農道なのにも関わらず自動車が多い。さすが秀吉の城なだけあって、こんなにも見に行く人が多いんだ! ……と思ったら、一夜城に隣接するカフェの客がほとんどだった。ズコー 秀吉による天下統一の総仕上げとして築かれた城なだけに、一時的な前線基地にしては物凄く立派。後北条氏を威圧するに十分すぎる効果を発揮したことだろう。総石垣の縄張は目を見張るが、小田原征伐が終ると共に役目を終えたので崩れている部分も多い。色んな意味で名護屋城に似てる。 中でも井戸曲輪は圧巻の一言。谷を巨大な石垣で塞いで井戸にしてしまうとか、天下統一を間近にした秀吉の、やりたい放題な気運が感じられて素晴らしい。 |
品川台場 2019年4月19日 | 109城目。 上野の東博で新指定国宝・重要文化財展を見た後に訪問。田町駅からレインボーブリッジを歩き、海上の第六台場跡を眺めながら第三台場跡へ。 10年以上前に訪れた時は人っ子一人いなかったけど、現在は地元の方々の憩いの場として定着しているのか、犬を連れた人や子供を連れたお母さんで賑わっていた。 幕末に築かれた砲台跡ということもあって、石積みは整然としていて非常に綺麗。土塁や内側の遺構も良く残ってる。 現在は第三・第六台場しか現存していないけれど、他の台場もそろっていた当時は壮観だったことだろう。 |
小机城 2019年4月20日 | 110城目。 細い住宅街の路地を進んで小机城跡へ。途中にある「小机城のあるまちを愛する会」の幟が立ってる民家の庭先では縄張図やパンフレットを配布しており、有難く頂戴した。城山は全体が竹林によって覆われており、なかなか良い雰囲気。ちょうどタケノコ掘り大会が開催されていた。 城跡は主に「西郭(本丸とされている曲輪)」と「東郭(二の丸とされている曲輪)」、およびそれらの間にある「つなぎ曲輪」から成り、それらの周囲を取り囲む空堀が大迫力。土塁や櫓台なども結構残っていて、かつての城の様子がどんな感じだったのかなんとなく想像することができる。大手登城道は遊歩道の柵から外れたところにあるが、柵を乗り越えていたタケノコ掘りの人に乗じて散策。 西郭のさらに西側には富士仙元(浅間)という富士塚っぽい小山が聳える曲輪があるが、第三京浜道路で分断されてしまってるので一度山を下りて登り直さなければならない。全体的に遺構が良好に残ってるだけに、これだけは本当に惜しい。山を切り崩すのではなくトンネルにすることはできなかったのだろうか。 |
滝山城 2019年4月21日 | 111城目。 多摩川沿いにある丘陵に築かれた中世山城。土橋や引橋で結んだ各郭を空堀と土塁が取り囲み、角馬出で守りを固めるなど、北条式の特色が色濃く見られる。とにかく規模が大きく、昨日訪れた小机城がミニチュアのよう。いや、小机城で北条氏による築城技術のエッセンスをあらかじめ予習できたのでむしろ良い順番だった。 大手口から三の丸、千畳敷、大馬出、二の丸、中の丸、本丸、搦手口、山の神曲輪、小宮曲輪と、城跡を一回り。丘陵の全体に曲輪が巡らされており、谷戸を利用した池の跡も見られ、山まるごと城といった感じで素晴らしい。散策できるルートが限られているのが残念(私有地等の関係?)。 なお、現状、中の丸のスタンプはこれ以上ないくらいに最悪の状態なので、絶対に使わないように。建物の欄干にべたべたスタンプが押されているのを見るに、子供たちがイタズラで押しまくったっぽい。駐車場の少し北にある加住地区センターにもスタンプがあるので、そちらを利用すべし。 |
座喜味城 2019年5月19日 | 112城目。 2010年ぶりの再訪。アクセスは那覇BTから読谷線バスで。座喜味城に一番近い読谷診療所前バス停で下りようとしたのだけど、車内では5000円札の両替ができず、結局終点の読谷BTまで行くことに。20分ほど歩いて座喜味城に到着。 朝一なので人は少なめ。相変わらず石垣の曲線美が素晴らしい。とてもコンパクトなグスクながら、石積みの手法や要石のあるアーチ門など、押さえておくべきポイントは多い。そのコンパクトさを活かしてか、結婚式などのプライベートイベントも開催しているようだけど(城門の前に告知が出ていた)、何も知らずにたまたまその日に訪れた人は残念だろうな。 スタンプを貰いがてら、去年オープンしたばかりのユンタンザミュージアム(とても立派でグスクよりも巨大なのでは?)にも入ってみた。読谷の歴史や文化財等に関してかなり掘り下げられているのだけど、果たして座喜味城にそれだけ時間を使える人はどれだけいるのだろうか。半分ぐらいの規模で、拝観料も半分くらいにした方が、立ち寄る人が増えるのではないだろうか。……って、余計なお世話か。 |
勝連城 2019年5月19日 | 113城目。 2010年ぶりの再訪。読谷BTから中部線バスに乗り、コザで与勝線に乗り換えて西原バス停で下車し、5分ほど歩いて到着。 日曜日の昼間ということもあり、かなりの人出で賑わっていた。正面からの眺めが勝連城の顔だと思うのだけど、人が多いと写真がなかなか難しい。南側からのアングルならば人が入らず、壮大な石垣も堪能できるのでオススメ。以前に訪れた時は木の階段が整備されておらず、不安定で滑りやすい石段を怖がりながら上り下りした思い出。 帰りは近くにある安慶名城に立ち寄った。険しい岩山を巧みに利用したグスクで、岩のトンネルを利用した門や、二重に取り巻く石垣など、自然と一体化した感じがホント素晴らしい。訪れる人がほとんどいないのがもったいない! |
大多喜城 2019年8月21日 | 114城目。 18切符で外房線の大原駅まで行き、いすみ鉄道に乗り換え。大多喜まで片道530円、往復1060円なのに、1日フリー乗車券は1000円。フツーに安くなってビックリ。 徳川四天王のひとり本田忠勝が築いた大多喜城。二の丸は高校になってるとのことで、部外者が立ち入って良いものかとビクビクしつつも入ったら、高校生が挨拶してくれた。観光客に慣れているのだろう。校舎入口の手前にある薬医門は立派だし、大井戸は見たことないサイズでビックリした。 本丸は破壊されてる部分も多そうだけど、掘や土塁が部分的に残っている。天守はよくある模擬だけど、中の博物館はなかなか見ごたえがあった。一部を除き写真撮影可なのもうれしい。天守4階からの眺めは窓開けられない&格子が邪魔してほとんど見えなかったけれど。 城下町は町並み整備事業による昔風の外観のものが多い。全部が昔ながらの建物というわけではないけれど、古い商家もぽつぽつ残っていて重文や有形文化財になってる。個人的に一番驚いたのは大多喜町役場。今井謙次による1959年のモダニズム。凄い。 |
本佐倉城 2019年8月21日 | 115城目。 酒々井駅から徒歩で。夕方近くなっていたのでまずは中央公民館でスタンプを貰う。途中で酒々井の名の由来となった酒の井戸を見て(古い板碑が残ってた)から登城。 水田に浮かぶ丘陵を丸ごと使った千葉氏の中世城郭。東山馬場にある駐車場には案内板があり、詳しい解説付きの地図も置いてある。これがあるのとないのとでは満足度が段違いだと思うので要入手(酒々井駅から来た人はまず見落とさないと思うけど、大佐倉駅から来た人は見落としてしまう可能性あるのかも)。 地図のコース通り、東山虎口から城山、奥ノ山、妙見社、水ノ手、セッテイ空堀、セッテイ虎口、南奥虎口と一通り周って一時間強。案内板が多く、訪問のタイミングが良かったのかコース上の草も刈り取られていて、散策がとても楽しかった。……が、物凄い数のクモの巣に引っかかった。夏はあらかじめ棒切れとか拾っておくと良いかも。 |
三春城 2019年8月24日 | 116城目。 三春駅から30分歩いて中心市街地に辿り着く。歴史民俗資料館でパンフレットとスタンプを貰い、ついでに展示物も軽く見る。サービスの麦茶がありがたい。 三春小学校の入口には藩校所の表門であった明徳門がある。その右手からも登城可能だが、とりあえず城坂から上がる。二の丸は公園になっているけど、土塁のような高まりがあり、また虎口も残っている。周囲の曲輪も、想像していたより状態が良い。本丸にも表門の礎石、蒲生氏時代の石垣が残っている。 搦手門跡から時計回りに三の丸を目指す。目的はパンフレットにある戦国時代の石垣だが、これがなかなか見つからない。縄張図とにらめっこしつつ、なんとかそれらしい場所に辿り着いてもなお見つからない。諦めかけたその時、1mぐらいの高さの石垣を発見! 生い茂る草に覆われており、こりゃ見つけられないワケだ。 いちおう行き方を記しておくと、パンフの縄張図に書かれた(1)の少し北側にある木製の階段を上がり切り、左手に進んでいくと不自然に設置されたピクニックベンチが見えるので、その曲輪の後ろにあります。 |
忍城 2019年9月2日 | 117城目。 JR行田駅から無料のレンタサイクルを借りて忍城跡へ。本丸だけがかろうじて博物館の敷地として残っている感じ。現存する土塁は結構高くて迫力がある。 月曜だったので「ぶらっとぎょうだ」でスタンプを貰い、ついでに足袋蔵マップやさきたま古墳群などのパンフレットを貰った。せっかくなので、自転車を置いて行田の町並みを散策。江戸時代中期から足袋で栄えた町ということで、足袋を蓄えた蔵やノコギリ屋根の縫製工場が残っていて、なかなか見ごたえがある。 その後はさきたま古墳群を見学。忍城を望む丸墓山古墳の頂上は、石田三成が忍城を攻める際に本陣を置いた場所とのこと。さらに足を伸ばし、石田三成が忍城を水攻めにすべく築いた石田堤も見学。鴻巣市側は「石田堤史跡公園」として整備されているけど、新忍川(昭和8年に築かれた堀切橋が架かっている)を挟んだ行田市側にも残っている。北側の端には駐車場もアリ。 |
大垣城 2019年9月5日 | 118城目。 商店街を歩いていて、ふと横を見たら城があった。そんな感じで、町の中に埋もれてしまっている。かつては美濃と近江の境を守る要害として壮大な縄張りの城であったが、現在は本丸とその周囲が公園として残っている。 名古屋城と同様、戦前まで天守が残っていたものの太平洋戦争の空爆によって焼失。今に見られる天守は外観を再現したもので、内部は撮影可能。同じチケットで入れる郷土館は大垣城のミニチュアモデルのみ撮影可能。これで200円なら、まぁ、悪くないんじゃないかな。 |
吉田城 2019年9月5日 | 119城目。 豊橋駅から徒歩で。まずは豊川大橋から鉄櫓を眺め、それから豊川の河川敷から本丸に登る。想像していたより状態が良く、石垣のみならず土塁や堀も残っていて縄張を把握することもできた。名古屋城の石材の残りで整備されたとのことで、石垣の刻印を眺めたりしながらうろうろ。 本丸の写真を撮っているうちに、目の前で鉄櫓が閉門(15時で締めちゃうのはちょっと早すぎやしないかい?)。しょうがないのでスタンプは市庁舎東館13階で貰った。ここからの眺めも良し。 |
浜松城 2019年9月7日 | 120城目。 浜松駅から徒歩で。本丸の天守曲輪を中心に鉢巻の石垣が残っている。町中の城なので遺構は少なめだけど、浜松のシンボルとして親しまれているようで土曜日ということもあり、特に模擬天守内は数多くの人出でごった返していた。富士見櫓跡から天守&天守門を眺めるのがオススメ。 浜松城公園をザックリ見学した後、浜松城の前身である引馬城跡も見に行った。現在は東照宮が鎮座しており、こちらもまたそこそこの人が参拝していた。 |
諏訪原城 2019年9月7日 | 121城目。 JR金谷駅から石畳の旧東海道を歩いて登城。数年前に訪れた時よりも整備されており、ガイダンス施設もできていた。今年の3月にオープンしたとのことで、汗だくだったのでクーラーがありがたい。諏訪原城と呼ばれていたのは武田氏の時期だけで、徳川氏の時期は牧野城と呼ばれていたことを知る。 二の丸を取り囲む、武田式の丸馬出が圧巻。三日月堀の深さも相まってかなりの迫力。東海道の要衝を押さえる城なだけあって、壮大な城だったことがうかがえる。前回訪れた時は見てなかったカンカン井戸も見ることがでた。 |
興国寺城 2019年9月7日 | 122城目。 JR原駅から徒歩で。……が、思っていたよりも距離があって疲れた。片道30分ほど。東海道の宿場町であった原宿を歩き(往時の風情はほとんど残っていない)、興国寺城通りを真っ直ぐ歩いて城跡へ。 本丸、二の丸、三の丸が段状に連なっており、中でも本丸は巨大な土塁によってコの字状に囲まれておりユニーク。穂見神社の背後の一番高い場所は天守台だそうで、石垣が残っている。背後の北曲輪との間には深い堀も築かれており大迫力。 史跡としての整備が進められているようで、かつて三の丸にあった住居は撤去されている。草刈りもされていて散策がしやすかったが、時おり新幹線が通過する音が鳴り響くので最初はびっくりした。東側の土塁の裏手を歩いていたら、大きな蜂がいたので引き返す。スタンプの陰影は薄目。 |
上ノ国勝山館 2019年9月18日 | 123城目。北海道&東北カブ旅行にて登城。 勝山館自体は以前の北海道旅行の時に見学しているので、同じく神ノ国町にある花沢館跡および洲崎館跡(砂館神社)も見学。花沢館跡は道南12館のひとつで、コシャマインの戦いでも落ちなかった城。洲崎館跡はコシャマインの戦いで戦果を挙げた武田信廣が築いた城。いずれも土塁や掘が残っており、「上之国館跡」として勝山館と共に国の史跡に指定されている。 勝山館には麓の駐車場にバイクを停めて山道を登って行った。登城口には重要文化財の上國寺本堂と旧笹浪家住宅があるので要チェック。特に旧笹浪家住宅は勝山館ガイダンス施設との共通券があるので(100円お得)、両方見学するつもりなら最初に見学しておくと良い(ガイダンス施設では共通券のことを教えてくれず、下山後に行った旧笹浪家住宅でその存在を知った)。 洲崎館跡の後に武田信廣が築いた勝山館は、登山道から山林が開けて現れる二重掘がとても壮大。搦手の堀も深くて迫力大。説明板も多くて散策が楽しく、そして夷王山中腹の開けた尾根という立地上、なにより眺めがすこぶる良い。良い城です。 |
志苔館 2019年9月19日 | 124城目。北海道&東北カブ旅行にて登城。 中世に蝦夷地に渡った和人が築いた道南12館のひとつで、アイヌが蜂起したコシャマインの戦いにて落城。全滅した模様。 堀と土塁を方形に巡らせ、大手の西側にはさらに掘と土塁を設けて守りを固めていた。実にシンプルな縄張り&コンパクトな規模で、多勢に無勢で攻められて陥落したんだろうなぁという印象。しかしながら城跡から見る函館&海の眺めは素晴らしく、ここに館を築きたくなった気持ちは分かる。 |
浪岡城 2019年9月20日 | 125城目。北海道&東北カブ旅行にて登城。 北畠氏が築いた中世の平城で、主要な曲輪を二重の堀で囲っており細長い曲輪が繋いでいるのが特徴的。以前にも来たことがあるので、スタンプを貰うだけで軽く流そうかと思ったのだけど、結局見学コースを一周してしまった。 近くの国道7号線沿いには平安時代の館跡「高屋敷館遺跡」があり、最近になって土塁の内側に環濠と柵を巡らした屋敷の様子が復元されたようで、史跡公園として公開が始まっている(正式なオープンは21日だったようだけど、前日でも見学できた)。 |
九戸城 2019年9月22日 | 126城目。北海道&東北カブ旅行にて登城。 南部氏の有力者であった九戸氏の城であり、「九戸政実の乱」の舞台。それまで南部氏と対等な立場であった九戸氏だったが、南部氏が豊臣臣下に組み込まれることで南部信直の家臣という立場になってしまう。それを拒絶して挙兵した政実を気骨というべきか、天下人を敵に回す無謀者というべきか。 九戸城は二つの川に挟まれた天然の要害。豊臣家臣オールスターズでも落とすことはできず、最後は偽の調停という謀略によって政実は斬首。老若男女問わず城内にいたすべての人間がなで斬りにされたとか。 その後、九戸城は蒲生氏によって改修されており、本丸と二の丸は近世の遺構。その周囲を取り囲む曲輪は中世の遺構とのこと。 |
脇本城 2019年9月24日 | 127城目。北海道&東北カブ旅行にて登城。 男鹿半島南部の岬を丸ごと利用した中世山城。カブが悲鳴を上げるくらいの急坂を上り、プレハブのガイダンス施設までたどり着く。パンレットを頂き、曲輪のある山頂へ。 岬の先端は実に絵になる。北側に巡らされた土塁や、岬を断ち切る堀切も良い感じ。内館の大土塁もかなりの迫力。そして眺めのすばらしさ。東側の脇本地区には、路地が整然と巡らされた城下町が広がっているのだとか。城下町日没が迫る時間の都合上、馬乗り場には行けず。 |
秋田城 2019年9月24日 | 128城目。北海道&東北カブ旅行にて登城。 大和朝廷が築いた古代城柵のひとつ。最北の城柵とのことで、日本海側における蝦夷対策の前線基地かつ渤海との交易拠点だったのでしょう。かつては広大な敷地に築地塀が巡らされていたようだが、現在は政庁跡と東門へ続く伸びる大路、東門の外郭にある鵜ノ木地区(寺跡と推定されている)が史跡公園として整備されている。 圧巻は水洗式トイレ。斜面に木樋が通されていて、用を足したら桶に汲んだ水を流すと排泄物が湿地帯に落ちるという仕組み。湿地からは尻を拭いた籌木など様々な遺物が出たようだ。 スタンプは秋田城歴史資料館で。入場料を支払わないと押せないが、時間が4時間際ということもあり、展示物は見ずにまずは史跡へ。さらに受付の方に水洗トイレが4時に閉まってしまうと聞き、ダッシュで東の端まで駆けつける。ちょうど団体の案内をしていた係員さんが施錠して戻ってくるところだった。声を掛けて頂き、まだ4時前ということで開けて見せて頂いた。散策した後は資料館へ戻り再入場。5時近くまで開けているとのことで、ユニークな人面墨書土器をはじめ展示物も見ることができた。 |
鶴ヶ岡城 2019年9月25日 | 129城目。北海道&東北カブ旅行にて登城。 最上氏が築き、酒井氏が改修した輪郭式の平城。現在は荘内神社が鎮座する本丸と、二の丸が公園として残っている。水堀や土塁も残っているが、東側や南側は市街地に飲まれている。 三の丸跡の西側には国指定の名勝である酒井氏庭園があり、重要文化財の旧鶴岡警察署や旧西田川郡役所、旧渋谷家住宅が移築されており、致道博物館として公開されている。拝観料は800円とやや高めだが、それだけの価値がある施設。 三の丸の南東には藩校の旧致道館が残っているのだけど、まさかまさかの水曜日が定休日で見ることができなかった。残念。 |
村上城 2019年9月25日 | 130城目。北海道&東北カブ旅行にて登城。 本庄氏が築いた中世山城を、村上氏が近世城郭に改築。さらに掘氏によって大改修されたとのこと。登城口の近くにある東北電力のセンターでスタンプとパンフレットを頂く。 七曲の大手道を上り10分足らずで四ツ門へ。石垣で築かれた三の丸、二の丸、本丸を見て周る。天守台からは村上の町が一望のもと。本丸の入口には大きな鏡石があって必見だが、木に隠れていて最初は気付かず戻って確認した。 中世の遺構を見学できる散策路を歩き、山腹に雛段状に築かれた曲輪を確認する。馬冷やし場と呼ばれる千貫井戸も見ることができた。 |
米沢城 2019年9月26日 | 131城目。北海道&東北カブ旅行にて登城。 戦国時代に伊達氏の本拠地となり、移封してきた上杉氏により築かれた輪郭式平城。本丸を二の丸、三の丸が取り囲んでいたが、現在は本丸が上杉神社として残るのみ。城の様子といい、現状といい、鶴ヶ岡城と似た印象。二の丸跡にある、明治時代に築かれた上杉伯爵邸と庭園とか、少し距離はあるが上杉家廟所などと併せて周るのが良いだろう。 ここは以前にも来たことがある&上杉神社の参拝者が多すぎてあまりゆっくりできない感じなので、スタンプだけもらって退散。 |
白石城 2019年9月26日 | 132城目。北海道&東北カブ旅行にて登城。 豊臣秀吉の奥州仕置後に蒲生氏が築いた平山城。関ヶ原の戦い後は仙台藩の支城として片倉景綱が城主となった。現在も本丸と二の丸を中心に曲輪が残る。 大櫓(と称していたそうだがどう見ても天守)は文政6年(1823年)に再建された時の資料が残っており、発掘調査などと併せてできるだけ忠実に復元されたもの。再建に必要な木材は日本各地から調達したそうで、現在の日本でこれだけの巨木を集めるのは大変な労力だったろうと思う。 北側には武家町が残っており、水路と相まってなかなか雰囲気がある。延命寺に移築されている厩口門と、当信寺に移築されている東口門も見学した。 |
向羽黒山城 2019年9月27日 | 133城目。北海道&東北カブ旅行にて登城。 蘆名氏が築いた山城。最初は間違えて美里町本郷インフォメーションセンターを訪れたが、スタンプが置いてある資料室の場所を丁寧に教えて頂いた。資料室入口横の机でスタンプとパンフレットを頂く。 山頂近くまでカブで行き、駐車場を拠点に一の丸、二の丸、三の丸を見て周った。まずはじめに一の丸の登り口にある急傾斜の竪堀に驚愕。山上の虎口や曲輪、尾根の堀切など見どころが多い。 ただ、あまりに広大な山城なので、曲輪や通路がいくつもあって迷路のように入り組んでいる。道案内も少なく、目的の場所までたどり着くのが大変。結局、大手口や水の手曲輪の場所が分からずじまいだったけど、深入りしすぎると遭難しそうなので引き返した。最後に車道沿いの駐車場からげんべ沼(思っていたより水が少なかった)を見て下山。 |
高島城 2019年10月9日 | 134城目。 かつては諏訪湖畔に築かれており湖に城が映る様子から浮城と呼ばれていた。現在は本丸のみが住宅街の中に残っている。本丸内に庭園、神社、公園がみっちり詰まっており、市民の憩いの場という印象。以前にも来たことあるが、天守に上ったのは初めて。 天守台は復興時に積み直したそうだが、再利用できる石材は極力使用しているとのこと。天守台から北側に続く石垣は豊臣時代のものが残っている。隅櫓・門・天守が並ぶ北側が写真映えするが、北側なだけに太陽の加減で写真がムズカシイ。 |
杉山城 2019年10月13日 | 135城目。秋のカブ旅行にて。 ちょっとした丘の上に虎口を持つ曲輪が数多く巡らされている。まるで迷路のように複雑な縄張りで、主郭に辿り着くまでにぐるぐる回ってしまった。築城者にみごと翻弄された気分。台風の直後ということもあってか、井戸跡にある巨石には水がたっぷり溜まっていた。 大型台風の翌日でも嵐山町役所は開いてくれていてありがたし(菅谷館の博物館は臨時休館。まぁ、そうだよな)。 |
鮫ケ尾城 2019年10月16日 | 136城目。秋のカブ旅行にて。 御舘の乱にて上杉景虎が立てこもり、自刃した地。駐車場を掃除していた気さくなおばちゃんの案内を受け、ため池に下りて東登城道から登城。途中にある斐太遺跡も見学できておトク。耕作に適した平地から害敵に追いやられたのか、山の中腹にある弥生時代の集落遺跡で鮫ケ尾城とは別に国指定史跡。 登山道を登って行くとほどなくして堀切が現れ、山城然としてくる。眺めの良い主郭以外にも米蔵のあった曲輪などを見ることができる。焼けた米があるとのことだが、私は発見できなかった。後でおばちゃんから聞いた話だと、表土を少し除けてから探すと見つかるらしい。時間に余裕があったので大手口まで下りてまた上り、そして北登城道で下山。 管理棟ではおばちゃんから色々ご馳走になった。ただ、話に夢中になるあまり、スタンプを横向きに押してしまうという重大ミスをやらかしてしまう(100名城の時にもこんなミスは犯さなかったのに)。いくらおばちゃんが話しかけてくれていても、スタンプを押す際には集中しないと。 |
高田城 2019年10月16日 | 137城目。秋のカブ旅行にて。 徳川家康の六男であり家康に嫌われて育った松平忠輝の居城として築かれた近世平城。不遇故に屈折したようで奇行が目立ち、そして兄であり第二代将軍である徳川秀忠といざこざがあり蟄居となる。 ここは以前にも来たことがあるが、天守に入ったのは初めて。縄張も含めてザックリ見て周る。本丸は大部分が学校の敷地になっており、立ち入られるのは一部のみ。西側に残る濠がとても広大で夕日が映える。 |
富山城 2019年10月17日 | 138城目。秋のカブ旅行にて。 この城には駐輪場がない! そしてこれ見よがしに「二輪も駐車できます」と書かれた地下駐車場。要するにバイクはここに停めろってことなのだろうが、原付にも関わらず自動車と同じ駐車料金を取られたのは初めて。あまり納得できるものではない。 見どころは鏡石が立派な鉄門の枡形虎口と、千歳御門、あと模擬天守もいちおう昭和29年(1954年)の建造とそこそこ古い建物で国登録の有形文化財。ただ、天守内部の展示は400円の価格に見合ってない感じ。みなさんの報告を見ると、9月までは210円だったの?! 特別展とやらをやってるから一時的にこの料金? オマケに展望台は全面に金網が張られており眺望は最悪。 スタンプは無料区間にありますので、チケットは買わずそのまま二階に上がることを強くオススメします。とにかく、いろいろもやもや感の残るお城でした。 |
増山城 2019年10月18日 | 139城目。秋のカブ旅行にて。 まず埋蔵文化財センターに行き、スタンプとパンフレットを頂き展示物を拝見する。係の方にはとても丁寧に対応して頂き、ここオリジナルのお城カードまで頂いた(増山城のみならず富山城と高岡城のものまで!)。なんとも心温まるものがあり、冷たい印象だった富山城とはいろいろ対照的。 肝心のお城も非常に立派。山を丸ごと利用した巨大な中世山城で、一の丸から始まり二の丸(主郭)、三の丸と続き、当初は行くつもりなかった出城の亀山城まで歩き(そこまで行ってみたいと思わせるものがこの城にはあった)、車道を辿って駐車場に戻ってきた。大満足。 |
鳥越城 2019年10月20日 | 140城目。秋のカブ旅行にて。 織田信長と対決した加賀一向一揆の軍事拠点。一揆というと庶民の反乱というイメージがあるが、ここはどこに出しても恥ずかしくない立派な山城。つまり、軍事のプロである武将が城を築き、一揆を率いていたことが良く分かる(本願寺から派遣された雑賀一族の武将のようだ)。軍事拠点なのに本丸虎口の石垣には見栄えを重視する鏡石を用いており、他者にナメられたくないという感じも庶民っぽくない。 山の上まで車道が通っているので登城は楽。下りた後は一向一揆資料館でスタンプを頂き、展示物を拝見する。シアターの動画も見た方が良いが、上映時間が決まっているので注意。その背後にある二曲(ふとげ)城(鳥越城の附けたりとして国指定史跡)にも上ってみた。こちらは往復30分くらい。 |
福井城 2019年10月21日 | 141城目。秋のカブ旅行にて。 柴田勝家の居城であった北ノ庄城跡に、徳川家康の次男結城秀康の居城として築かれた輪郭式の平城。現在は本丸のみが残る。福井県庁や福井県警本部が置かれているとのことであまり期待してはいなかったのだが、石垣が壮大かつ再建された御廊下橋や山里口御門など意外と見どころが多くて楽しめた。 本丸北西端の天守台には「福の井」があり、お茶を振舞っていた。この井戸の名前が福井城の由来であり、そして福井県名のルーツであるとのこと。天守台の一部は昭和23年(1948年)の福井地震によって崩れており、その生々しさから被害を実感できる。 城の北側にある歴史博物館には外堀や舎人門も再現されており、またその東隣には往時の大名庭園である養浩館庭園が残っており国の名勝に指定されている。せっかくなので見ておこうと思ったが、物凄い数の団体さんがぞろぞろ入っていくのに萎えて諦めた。 |
越前大野城 2019年10月21日 | 142城目。秋のカブ旅行にて。 織田信長の家臣であった金森長近が築いた平山城。信長の安土城と同じく当時から山頂に天守を構えていたとのこと。入り組んだ武者登りなど、石垣がなかなかにカッコ良い。天守からの眺めも素晴らしかった。 まさにお城っぽいお城。町のシンボルとして人々に親しまれているようで訪れる人は多かった。他のスタンプ台に押す人がいるらしく、スタンプは縁が汚れている。あと12時ちょうどに天守下のスピーカーから物凄い音のサイレンが響き渡るので、近くにいる場合には注意。 |
佐柿国吉城 2019年10月22日 | 143城目。秋のカブ旅行にて。 粟屋勝久が築き、のちに織田信長による朝倉討伐の拠点になった中世山城。山の麓に城主の居館を置き、戦時にこもる為の詰めの丸を山頂に築くという、典型的な山城の光景をそのままに残している。 江戸時代には一国一城令で廃城となったものの陣屋が置かれており、その石垣の上に建つ資料館は古民家を移築したもので国登録の有形文化財。即位礼正殿の儀の日だったので入場無料。 山頂まではかなり急な九十九折の山道を行く。その分、山頂からの眺めは素晴らしい。山麓、山頂ともに随所に石垣が用いられており、石材には石仏も使っていたとのことで、堀切に並べられていた。 |
玄蕃尾城 2019年10月22日 | 144城目。秋のカブ旅行にて。 秀吉と対立した柴田勝家が国境に築き、賤ケ岳の戦いでその本陣が置かれた山城。敗れた勝家は北ノ庄城へ逃れ、そして自刃。秀吉の天下が始まった。非常に限定された時期にのみ使用され、中世城郭から近世城郭への過渡期の様子が残ることから城郭史上とても重要な城とのこと。 県道140号線、旧北陸本線のトンネルを車道に流用した柳ヶ瀬隧道(物凄く長く、暗く、怖い)の福井県側から始まる林道をひたすら進み、その突き当りから山頂までさらに歩く。急傾斜の山道を上り詰めると尾根道となり、そこからは傾斜が緩やかで楽になった。 土塁や堀がとてもよく残っており、本丸の前後に残る馬出から眺める光景はとても雰囲気ある。本丸の櫓台では地元の人らしきおじいさんが陣取って昼ご飯を食べており、櫓台の全景写真を撮ることができなかったのが残念。 林道突き当りのスタンプは状態が悪いので(インクが非常に薄い)、余呉駅で押す方がオススメ。駅舎に入るなり愛想の良いおばちゃんが出してくれた。 |
鎌刃城 2019年10月22日 | 145城目。秋のカブ旅行にて。 北近江と南近江、そして美濃との境、旧中山道の番場宿沿いにある中世山城。その立地からして重要な城であったことが分かる。町並みの一角にあるスタンプはいつでも押せるが、インクが一部薄く状態はイマイチ。100円の寄付金を入れてパンフレットを頂く。 山道に設置されている熊除けの鐘を鳴らしながら急傾斜を登る。虎口のようになっている尾根を越え、すわ城についたかと思いきや、さらに尾根伝いをひたすら登る。この日は三箇所目の山城ということもありバテつつも登る。 尾根に沿って南北に連なる曲輪はなかなかのもの。尾根を断ち切る堀切や、斜面の崩落を防ぐ石垣、石積の虎口など見るべきものも多い。特に、より高い山へと続く南側の堀切は物凄く深くて迫力あった。 |
郡上八幡城 2019年10月23日 | 146城目。秋のカブ旅行にて。 盆地の山に天守が聳え、麓に居館跡や城下町が広がる。町並みの中心部は重要伝統的建造物群保存地区にも選定されており、町並み散策もオススメ。水路を流れる水の音が聞こえてくる、コンパクトながらも良い町です。 天守は模擬ではあるものの、昭和8年(1933年)に木造で建てられたもので、既に文化財的な価値を有している。開館は9時とのことであったが、8時50分には既に開いていた。係の人は8時30分ぐらいには来ているとのことで、ちょっと早めでも入れてくれるようだ。 |
美濃金山城 2019年10月23日 | 147城目。秋のカブ旅行にて。 本能寺の変で信長と共に散った森蘭丸で有名な森氏の居城。登城口の駐車場にカブを停めて歩いたが、蘭丸広場やそのさらに上の出城にも駐車できるようだ。 廃城となった際に破却されたようで、石垣が結構痛々しい感じ。発掘作業や石垣の修理作業が行われており、その作業を横目で見ながら虎口や本丸の礎石などを見る。途中の二の丸ではカモシカが草を食んでいて驚いた。城山に住み着いているのだろうか。 |
苗木城 2019年10月23日 | 148城目。秋のカブ旅行にて。 何気に訪れるのを楽しみにしていた城。急峻な岩山を石垣で固めて土地を造成し、螺旋状に建物を配していた。平場があまりに狭いので、天守を始めとした建物の多くは斜面や岩に張り出した懸造で築かれていたという、あまりに特異すぎる城。中でも天守は二つの巨石の上に跨って築かれていたとのことで、梁組が展望台として再現されている。 木曽川に架かる国道257号線の橋の上からならさぞ良い写真が撮れそうだなと思ったものの、苗木城側に歩道がなく、かつ車の通りも多いのでそこからの撮影は諦めた。 城山の東側へと降りる「四十八曲り道」にも石垣が用いられており、また沢には巨石が橋として架けられていたりして古道の雰囲気がある。苗木城は最近有名になったのか観光地のように人が多いが、この登城路を歩く人はいなかった。 |
菅谷館 2019年10月27日 | 149城目。秋のカブ旅行にて立ち寄ったものの、台風の翌日だったため博物館が臨時休館。スタンプを貰うために再訪。 畠山重忠の居館があった場所と伝わっており、その後に山内上杉氏が拠点としていた。現存の遺構は後北条氏の特徴が見られるとのこと。壮大な堀や土塁がよく残っている。台風翌日は空堀が水堀になっていた。博物館も比企郡の文化財情報がまとまっており、100円にしては興味深いものが多かった。 せっかくなので、比企城館跡群として菅谷館と共に史跡に指定されている小倉城(関東の中世山城にしては珍しく石垣が築かれている)と松山城(吉見百穴の隣、山全体に曲輪が残っている)にも寄ってみた。 |
岸和田城 2019年12月11日 | 150城目。 大坂と和歌山を結ぶ紀州街道の要衝に位置する輪郭式平城。本丸と二の丸の一部が現存している。ここの売りは何と言っても本丸の「八陣の庭」。昭和を代表する作庭家・重森三玲の代表作であり国指定名勝。 直線でかたどった前衛的な基壇を築き、大将の石組を中心に八つの石組を配した枯山水庭園。横からのみならず復興天守から見下ろすことを強く意識した作りであり、これを見るためだけでも天守に上る価値がある。午前中は天守の陰になってしまうので注意。 |
福知山城 2019年12月12日 | 151城目。 信長の命により丹波攻めを成功させた明智光秀が築いた城。小高い丘に築かれた連郭式平山城で、本丸のみが現存している。来年は大河ドラマの影響で激混みになると思うので、その前になんとか訪問。 天守台の石垣は光秀が築いたものが現存している。野面積みの中に成形された石材が数多く見られるが、それは宝篋印塔などの仏塔。かつてこの場所には在地豪族の館や菩提寺があり、それを破壊して石垣に組み込むことで、見せつける意図があったのではないかとのこと。 ガイドブックの表紙にある写真の撮影ポイントは福知山河川国道事務所の屋上だろうか。同じ写真を撮るのは不可能なのか。スタンプは天守の受付で押したが、陰影はやや薄目。 |
黒井城 2019年12月12日 | 152城目。 丹波の雄・赤井直正が居城としていた中世山城で、明智光秀の丹波攻めにより落城。その後、居館には斎藤利三が入って統治をしていたとのことで、徳川三代将軍家光の乳母・お福(春日局)が生まれた場所でもある。 上り口からして急な階段でひるんだが、えっちらほっちら山道を登りなんとか登頂。山頂には石積みで築かれた曲輪が連なっている。何より眺めがすこぶる良く、360度の大パノラマに興奮した。……のも束の間、やがて空が鼠色の雲に覆われパラパラと雨が降り出したので退散。 |
芥川山城 2019年12月13日 | 153城目。 畿内を統一して中央政権を掌握した戦国最初の天下人・三好長慶が居城としていた中世山城。大坂と京都の中間地点という要衝に位置しており、畿内を統治するにふさわしい城だったことがうかがえる。 三好山の尾根に沿って曲輪が連なっており、竪土塁や堀切&土橋、大手石垣などが現存している。眺めも素晴らしく、登って良かったと思わせてくれる城だった。帰りは北側へ下り、摂津峡経由で戻った。まだ紅葉が残っており、色鮮やかなグラデーションを見ることができて満足。 その後、高槻市駅の観光案内所(少しわかりにくい場所にあった)でスタンプを貰い(陰影良好)、枚方市駅行きのバスに飛び乗った。 |
飯盛城 2019年12月13日 | 154城目。 三好長慶が晩年に居城としていた中世山城。尾根沿いに連なる曲輪からは数多くの石垣が発掘されており、織田信長よりも前に石の城を築いていた。信長と同様に商業を重視していたとのことで、さすがは戦国最初の天下人なだけありますな。 四条畷神社から上ったが、芥川山城やその周辺の文化財巡りで既に歩き疲れていたこともあり、途中からの急な上りでかなりへばった。しかし尾根まで上り詰めてしまえば後はサクサク。大阪平野を一望できる眺めは本当に素晴らしい。帰りは七曲を通って野崎観音まで下り、大東市歴史民俗資料館でスタンプを押した。 |
洲本城 2019年12月14日 | 155城目。 大阪駅から高速バスで洲本バスターミナルへ。淡路文化史料館でスタンプを貰い、せっかくなので展示も見た。……が、思いのほか展示物が多く、思いのほか時間を費やした。 史料館で頂いた地図を片手に登城。賤ケ岳七本槍のひとり脇坂安治が築いた城で、山頂には評判通りの素晴らしい石垣が連なっている。天守はなんちゃってな感じだけど、昭和初期に築かれたとのことで、これはこれで洲本のシンボルとして文化財的な価値を有しているのではないかと。残念石からの眺めが天守&石垣のベストスポットですな。 下山後は、土日祝日限定で無料公開している旧益習館庭園を見に行った。武家屋敷の跡に残る回遊式池泉庭園で、目を見張るような巨石を文字通り山のように使っておりビックリした。こんな迫力ある庭園は見たことがない。必見です。 |
唐沢山城 2019年12月28日 | 156城目。 18切符を利用して小山経由で。本殿が重要文化財の村檜(むらひ)神社にも行きたかったので佐野駅前の駐輪場でレンタサイクルを借りる。自転車は唐澤山の麓に停め、登山道を歩いて登城。 明治時代に神社が置かれたことで参拝客が多く、観光地といった雰囲気。とはいえ、食い違い虎口に始まり、大炊の井、南城館の石垣、本丸の石垣と見どころが多い。特に二の丸から本丸への虎口は左右に巨大な鏡石が据えられており圧巻。南城館や天狗岩からの眺めも素晴らしい。 城の各所に人懐っこい猫がおり癒される。地域猫としてボランティアさんが管理しているようだ。スタンプは内臓のインクが切れており、緑色のインク台が置いてあるがこれも切れてる。スタンプを何度も何度も何度も何度もスタンプ台に押し当て、かろうじて陰影が見えるくらいのスタンプしか押せない。こっちも管理して頂けるとありがたい。 |
新府城 2020年1月9日 | 157城目。18切符を使って鉄道で。 織田徳川連合軍に追い詰められた武田勝頼が起死回生の為に築いた平山城。武田氏滅亡後は徳川家康が上杉・北条と戦うため改築して再利用した。 本丸の神社に一直線に上る参道が設けられているが、お城を堪能するにはその左の道を行き、大手と三の丸を経由して本丸に向かうのが良い。大手には堂々たる桝形があり、その前方には武田氏の築城技術である丸馬出や三日月堀が良く残っていて必見。広大な本丸からは八ヶ岳を望むことができる。 帰りは二の丸から搦手へ下りた。途中にはすり鉢状の巨大な井戸があり大迫力。搦手の桝形には門の礎石も残っており見逃せない。 スタンプがある韮崎市民俗資料館は新府駅と韮崎駅の中間点にあり徒歩だとアクセスし辛い。木曜は午前中が休館とのことなので、要害山城に上った後の夕方に向かったのだが、それからの徒歩往復4kmは少し疲れた。 |
要害山城 2020年1月9日 | 158城目。18切符を使って鉄道で。 武田氏の山城。麓にある「武田氏館(躑躅ヶ崎館、現武田神社)」が平時の居館であったのに対し、こちらは戦時に篭る為の詰めの城。 甲府駅前の藤村記念館(明治初頭に建てられた擬洋風建築の旧睦沢学校校舎で重要文化財)でスタンプを頂き、11時30分発の積翠寺行きバスでアクセス。武田信玄が産湯に浸かったとされる積翠寺にお参りし、それから登城路へ。本格的な登山でなかなか堪える。帰りは北山野道を歩いて武田神社まで下った。 山の斜面を縦に掘った竪堀、尾根を断ち切った堀切など、中世山城の特徴が良く残っている。なにより桝形を備える虎口がいくつも連続するのが特徴的。門を越えても越えてもなかなか主郭に辿り着かない。主郭背後の堀切や竪堀もなかなかの迫力なので、見逃さないように。 パンフレットにある井戸「諏訪水」の位置が分かり辛く、見つけるのに少し苦労した。不動曲輪から一段上がった左手の曲輪、笹薮をかき分けながら進んだ先にあった。冬なのだまだマシだったけど、夏は草に覆われてもっと分り辛くなりそう。草刈りとかされるのかな? |
小牧山城 2020年1月10日 | 159城目。関東から18切符を使って日帰りで。 織田信長が最初に築いた城で、安土城と同じく大手道が真っ直ぐ直線的に築かれているのが特徴的。主郭の周囲や大手道沿いには石垣も使われている。城内に家臣を住まわせ、町人を集めて城下町を作るなど、近世城郭の嚆矢と言えるだろう。後に勃発した秀吉と家康の最初にして最後の戦い「小牧・長久手の戦い」において、家康が改修して拠点とした。 何はともあれ、まずは「れきしるこまき」で「小牧散歩」のVTRを見るべし。信長編、家康編の各20分で、押さえておくべき点をしっかり把握することができる。テレビの横に置いてある散歩地図も貰おう。 見逃せないのは主郭の西側にある石垣。天守入口の手前には銅像が立っているが、その台座となっている巨大な切り石もまた信長時代の石垣の一部である。おそらく威信を示すための鏡石だろう。 現在、小牧山城では史跡公園としての整備事業が進んでいる。模擬天守も3月末まで工事が行われているようで、外観が幕に覆われている&4階の展望台には上がることができない。 |
三原城 2020年8月3日 | 160城目。中断していた城巡りを再開。関東から18切符で一日かけて三原へ。 山を背にし、海に面して築かれた海城。限られた土地に曲輪を巡らしており、山陽道も城内を通っていた。故に廃城後は本丸を中心に新たな町が形成され、そこに駅が置かれたのも必然といえば必然なのだけど、古いモノ好きの視点で見るとやはり少し残念。 三原駅の北隣に残る天守台の石垣は思っていたよりも高くて上から見下ろすと迫力がある。堀の幅もかなりあってとても立派。現在は町の中に埋没している中門跡と船入櫓跡も巡ってみたが、それぞれ結構な距離があって、かつての本丸がどれだけ巨大だったか体感できた。 |
新高山城 2020年8月3日 | 161城目。18切符を使って本郷駅から徒歩で。 小早川氏が代々拠点としていた高山城の対岸に小早川隆景が築いた中世山城。沼田川を挟んで二つの山城が聳え立つ光景は他に類を見ないだろう。谷沿いを行く大手道はなかなか険しい。距離的にはそれほどでもないが、真夏日の熱さもあってしんどかった。 より古い曲輪だとされる「鐘の段」に寄りつつ、庭園の跡が見られる匡真寺跡を経て本丸へ。三原城の築城で石材が持ち去られたとのことだが、それでも巨石がゴロゴロしていてなかなかの迫力。詰の丸からの光景も素晴らしかった。今もなお水を湛えた井戸が数多く残る「釣井の段」は必見。 下山後は高山城にも登ってみた。しかし新高山城ほど道は良くなく、各曲輪も下草が伸びている。南側を見渡せるイワオ丸までは行くことができたものの、北側への道が不明瞭で本丸までたどり着くことはできなかった。いちおう草刈りが行われた形跡はあるものの、伸び盛りの夏草によって阻まれ藪漕ぎが必要な感じ。冬に行くべきでした。 |
備中高松城 2020年8月5日 | 162城目。18切符を使って備中高松駅から徒歩で。 織田信長による中国攻めにおいて、羽柴秀吉が水攻めを行ったことで有名な平城。だだっぴろい水田(かつては湿地帯のど真ん中にあり、なるほど籠城するに適した城だったのだろう。水攻めの際、この一帯が湖と化した光景は凄まじいものだったに違いない。そのさなかに本能寺の変の報が入り、秀吉はすぐさま高松城主清水宗治の切腹を条件とする講和を締結。中国大返しを敢行して明智光秀を討った。まさに歴史の大舞台である。 現在は三の丸と本丸が公園化されており、その間の二の丸は私有地として人が住んでおられる模様。周囲には蓮池が広がっており、暑い中でも地元の子供たちは元気に走り回るなど、実にのんびりとして空気が漂っていた。 城跡を散策した後は、備中高松城の附けたりとして史跡に含まれている「蛙ヶ鼻堰堤」へ。堤防の基壇からは五輪塔や骨などが出たとのことだが、墓地とかをひっくり返して土を取ったのだろうか。まさになりふり構わない、大急ぎの突貫工事で築いたということが分かる感じである。 |
引田城 2020年9月28日 | 164城目。カブ遍路の途中に立ち寄り。 登城口でパンフレットを貰い、本丸→化粧池→灯台→東の丸→大手門→北曲輪のルートで一周。U字型の尾根を利用した中世山城だけど、江戸初期の一国一城令まで使われていたので近世の石垣が残る。 本丸からは引田の町と瀬戸内海が一望でき、陸と海を制する東讃の重要拠点であったことが良く分かる。大手門辺りの雰囲気もなかなか。引田城で最も古いという本丸の石垣も良かったけど、やはり圧巻は北二の丸の下方に残る高石垣。これは必見。 下山した後は、醤油が香る引田の町並みを散策。ショッキングピンクのベンガラ壁に圧倒されながら、井筒屋敷にてスタンプ押印&室内と庭を満喫させて頂いた。 |
勝瑞城 2020年9月28日 | 163城目。カブ遍路の途中に立ち寄り。 阿波を治めていた細川氏・三好氏の拠点であった中世平城。城跡は見性寺の境内になっており、土塁が堀が良く残っている。その南西部には城館跡が広がっており、発掘の成果をもとにした整備が進みつつあるようで、様々な色の石を並べた庭園などを見ることができる。……が、まだまだ発掘中という印象は否めない。 しかしその居館跡の広大さや、発掘された数多くの遺物からは、この地が阿波における政治・文化の中心地として栄えていたことが偲ばれ、ロマンを感じざるを得ない。ちなみに城跡、居館跡と共に史跡に指定されている正貴寺跡にも行ってみたが、こちらは正真正銘の原っぱで案内板一つありませんでした。 |
一宮城 2020年9月29日 | 165城目。カブ遍路の途中に立ち寄り。 鮎喰川の沿岸に聳える丘陵上に築かれた中世山城。麓には阿波国一ノ宮が鎮座しており、本殿は江戸時代前期のもので重要文化財。境内に隣接して四国八十八箇所第13番札所の大日寺が存在する(なので車の方は大日寺の駐車場に停めさせて貰うのが良いです)。ちなみに明治の神仏分離令までは一宮神社こそが遍路の札所であった。 登城口でスタンプ押印&パンフレットを頂き、才蔵丸、明神丸を経て本丸へ。基本的には土の城だけど(堀切や竪堀など中世山城の特徴が随所に見られる)、江戸初期の一国一城令まで拠点として使用されていたことから本丸周りは石垣で固められており迫力満点。本丸からは小倉丸、椎丸、水ノ手丸、蔭滝を経て一宮神社に下りて行った。登城口から約1時間、なかなか満足のいく散策ができました。 |
岡豊城 2020年10月3日 | 166城目。カブ遍路の途中に立ち寄り。 土佐の雄、長宗我部元親の居城であった中世山城。元親はこの城を拠点に四国を統一した。現在休館中の歴史民俗資料館まで上がり、守衛さんからスタンプを借りる。虎口から四ノ段、三ノ段へと上って行くと、立派な石塁と礎石が現れ思わず目を見張った。 詰の丸からの景色を眺めつつ、二ノ段の堀切と井戸を見て伝厩曲輪跡へ。一通り周り終えたところで「土佐の七雄スタンプラリー」なるイベントが開催されていることを知り、再び最初からチェックポイントを巡ることなった。景品として御城印を貰ったものの、私はあまり興味ないんだよなぁ、御城印。まぁ、タダだからいいか。 |
河後森城 2020年10月6日 | 167城目。カブ遍路の途中に立ち寄り。 伊予と土佐の国境という要衝に位置する中世山城。案内板のパンフレットボックスは残念ながら空でした。風呂ヶ谷から井戸を見つつ、西第十曲輪に上がり馬屋でスタンプ押印。曲輪を囲むように土塁が残っていてなかなかに良い雰囲気。尾根に沿って雛壇状に築かれた曲輪を辿りつつ本郭へ。 江戸時代初期の一国一城令まで拠点として使われていたこともあり、本郭の虎口には石垣も目にすることができる。本郭から古城への道はあまり整備されておらず、ちょっとした藪漕ぎになった。古城は堀切が非常に立派で、城門としての風格ありありとが感じられた。新城は……ツツジの時期ならキレイなんだろうな。 |
能島城 2020年10月10日 | 168城目。カブ遍路の途中に立ち寄り。 潮流の激しい海峡に浮かぶ能島城&鯛崎島を丸ごと使った村上水軍(海賊)の拠点。長らく休止していた上陸ツアーが再開したので、四国に渡る前に予約しておいた。しまなみ海道の原付道を走って大島に渡り、まずはカレイ山展望公園から能島城の遠景を楽しむ。村上海賊ミュージアムでスタンプ押印&展示物を見ているとツアーの時間になった。 能島の桟橋付近は平場になっており(元は砂浜だったところを石積みで造成した)、ここには居館があったとのこと。能島には湧水がないので、対岸の沢から水を汲んでいたそうだ。本丸を中心に二の丸、三の丸が取り囲むシンプルな縄張りながら、潮流が渦巻く地の利を活かした船乗りならではの実にユニークな海城である。 島を囲む岩礁には船を繋いでいた杭や建物の柱を立てていたピットが数多く穿たれているが、ツアーではピットまで下りないので注意。私は城跡から桟橋へ戻るタイミングで南側の岩礁に下り、いくつかのピットと大穴だけ確認させて頂いた。 |
田丸城 2021年4月1日 | 169城目。緊急事態宣言明けに18切符で1泊2日の三重旅行。 南北朝時代に築かれた砦を元とし、織田信雄によって近世城郭に改築された平山城。主要部は石垣で固められているものの、本丸・二ノ丸・北ノ丸の間を断ち切って土橋で接続する構造や、曲輪を取り囲む土塁や横堀など中世城郭の名残も見せる。特に北ノ丸の北側に巡らされている土塁は非常に高く、横堀と併せてかなりの迫力。 石垣は直線的で無骨な印象ながら、本丸周りは様々な色合いや質感を見せる石材が使われており意外と華やか。ちょうど桜のシーズン真っ盛りということもあって城山全体が淡いピンク色に彩られており、特に本丸から西側を望むと桜がまるで霞のように広がっていて素晴らしかった。 |
龍岡城 2021年4月9日 | 170城目。緊急事態宣言明けに18切符で関東から日帰り。 ここは以前にも来たことがあり、ただ再訪するだけでは味気ないので桜のシーズンを狙って登城。今年は桜が早かったこともあり、18切符の期間内に満開になってくれた。 幕末に築かれた西洋式城郭ということもあり、星形の稜堡を形成する石垣は切込み接ぎの布積みで刎ね出しも備えている。土塁の上に連なる桜も評判通りの美しさで、城内に位置する田口小学校の生徒たちが記念写真を撮っていた。来年に閉校するとのことで、その後は史跡公園としての整備が進むのだろう。 今回は龍岡城を一望できる中世山城の田口城にも登ってみた。蕃松院からの登山道は現在がけ崩れで封鎖されており、その東側にある登城路から急な山道を20分程歩いて到達。八ヶ岳をバックに、ピンク色に縁どられた五稜郭はなんとも良い眺めであった。 |
若桜鬼ケ城 2021年8月30日 | 171城目。18切符旅行中に若桜鉄道(短い路線ながら車両がめっちゃオシャレで各駅舎も歴史ある風情で気に入った)で立ち寄り。 城下町にルーツを持つ町並みは重要伝統的建造物群保存地区に選定されたばかり。到着したのは平日8時半と町並み散策には少し早めの時間なので先に鬼ヶ城を目指す。広々とした八幡広場から急坂を上り、電気柵を開けて登山道に入る。30分ほどで三の丸に到着。 各曲輪は石垣で固められており、三の丸入口などに桝形虎口が設けられており堅固な印象。しかし一国一城令で破却されており、石垣も崩されていて遺跡然とした雰囲気。三の丸からは若桜の町並み、天守台からは丹波と播磨への街道の分岐点を見下ろせる。 下りは六角石垣を見ながら体育館へ。町並みをたっぷり散策してから鳥取に戻った。 |
米子城 2021年9月1日 | 172城目。18切符旅行中に米子駅から徒歩で。 中海沿いの山の上に本丸が、その麓に二の丸(テニスコート)、三の丸(野球場)が連なる平山城。近年、三の丸や二の丸桝形で発掘調査が行われており、桝形の地下に眠っていた石垣が露出展示されていたりして興味深い。 主要部が堅固な石垣で固められており、山上の本丸にはかつて大小二基の天守が聳えていた。朝鮮出兵帰りの武将がよく用いていた登り石垣も確認されている。 ちょうどよい高さで、ちょっとしたピクニック気分で一周できた。スタンプは本丸にはなく(心無い人により破壊されたらしい)、山陰歴史館の入口で押印(終日可)。 |
中津城 2021年10月1日 | 173城目。秋のカブ旅行で立ち寄り。 黒田官兵衛が築き、細田忠興が完成させた海城。瀬戸内海に直結する中津川沿いに立地しており、官兵衛は船によるリレーで畿内の情報を3日で手に入れていたという。 現在は本丸の石垣や堀が残り、神社や模擬天守が建っている。石垣はより古い官兵衛時代の石材の方が整っているが、それは飛鳥時代の白村江の戦い後に築かれた古代山城の石材を転用しているからとのこと。いちいち石を切り出すよりも、既にある整形済の石材を利用すれば良い。まさに軍師らしい合理性を見た。 少し離れているが、旧武家町の一角には福澤諭吉の旧居が現存する。諭吉が思想を育んだ場所であり、また中津城下に残る武家屋敷の恒例ということもあって、国の史跡に指定されている。中津城との共通券もあるので、併せて訪れると良いかもしれない。 |
角牟礼城 2021年10月1日 | 174城目。秋のカブ旅行で立ち寄り。 国境の防衛拠点に築かれた中世山城で、織豊時代の石垣が残っている。山頂の本丸を中心に各曲輪が連なり、大手門の内部には水が湧くなど、堅固な城であったことが実感できる。本丸北側の石垣はかなり崩壊が進んでおり、まさに遺跡然とした雰囲気。 江戸時代には来島村上氏(間もなく久留島氏に改称)が移封され森藩が成立。一万石ちょっとの小藩だったことから城は築けられず、角牟礼城の麓に陣屋を置いていた。……が、その陣屋は平山城といっても過言ではないくらいの構えを見せており(いちおうは神社の造営という建前で、栖鳳楼は天守に見立てて築いたようだ)、庭園もそこらの藩のものよりずっと立派で大規模。「藩主御殿庭園」「栖鳳桜庭園」「清水御門前庭」の3箇所が『旧久留島氏庭園』として国の名勝に指定されており、非常に見ごたえがある。 |
臼杵城 2021年10月5日 | 175城目。秋のカブ旅行で立ち寄り。 特別史跡&国宝の臼杵摩崖仏(何気に6時から開いているの凄い)を見てから登城。現在は陸地に囲まれているが、かつて海に浮かぶ岩山であった。大友宗麟が築いた城を起源とし、豊臣時代に近世城郭化され、江戸時代には稲葉氏が入り完成させたという。 まさに岩山を登るといった感じの鐙坂がとても雰囲気ある。本丸と二の丸を隔てる堀も深くて印象的。大きな井戸がある搦手口は当時は海に面しており、いざという時は船で出られるようになっていたそうだ。 現在は神社や野球場がある市民公園といった感じになっており、地元の方々が散歩やウォーキングなどを楽しんでいた。 |
佐伯城 2021年10月5日 | 176城目。秋のカブ旅行で立ち寄り。 関ヶ原の功績で佐伯を与えられた毛利高政が築いた近世山城で、小高い山の上に本丸と二の丸、その麓に三の丸が位置している。三の丸には天保3(1832)年に再建された非常に立派な櫓門が残っており目を見張る。 三の丸から山上への登城路は3ルートあるが、上りは藩政時代から利用されていた「登城路の道」、下りは「独歩碑の道」を利用した。思いのほか急な山道で大変だったが、15分程で山の上に到着。 要所を石垣の虎口で固めており、中でも本丸へと続く廊下橋周りの雰囲気が良い。本丸の石垣も立派。建物が存在した頃はさぞや壮観な城であったことだろう。 |
延岡城 2021年10月5日 | 177城目。秋のカブ旅行で立ち寄り。 江戸時代初頭に高橋氏が築き、有馬氏によって完成された近世の平山城。現在、法面の工事中で一部の路地が立ち入り禁止になっていた。 ここは何より「千人殺しの石垣」が圧巻。なんでも一番下の石を抜き取ると全部の石垣が崩れて敵軍を圧殺するとか何とかで、伝承はともかく下から見上げる石垣の迫力は凄いものがある。三の丸には庭園の遺構があったり、天守跡には現在も定時で撞かれている鐘が存在したりもする。 |
佐土原城 2021年10月6日 | 178城目。秋のカブ旅行で立ち寄り。 到着して御殿を見た瞬間、「あぁここか!」と声を上げた。以前の九州旅行の際、西都原古墳群の後に立ち寄っていたのであった。前回は時間がなくてスルーせざるを得なかったのだが、今回も平日だったので御殿は閉まっており、どうにも歯車が合わない。 とりあえず城跡を見に行く。大手道はシラス台地を削った堀切の中を進む構造で非常に圧迫感がある。敵が攻め込んできても、左右から一網打尽にできたことだろう。大手道の先は台風の被害によって崩れており、引き返して中の道から本丸を目指す。 全体的に手入れされておらず、草が生え放題。特に本丸は腰の高さぐらいある草が生い茂っており、先人の踏み跡を辿りつつ、なんとか天守台跡まで到着できた。……が、遺構はまったく見えず、標識と解説板を確認するのみ。さらに下山後は、ズボンにくっついた無数のひっつき虫との格闘に難儀した。 |
志布志城 2021年10月7日 | 179城目。秋のカブ旅行で立ち寄り。 南九州特有の、シラス台地の先端部を掘り切って築かれた山城で、「内城」「松尾城」「高城」「新城」の4つの台地部から構成されており、そのうち「内城」と「松尾城」を見学することができる(「高城」と「新城」は学校になっているので不可)。 火山噴出物が堆積したシラス台地は雨に侵食されやすく、直角に近い方が安定するとのこと。なので曲輪を取り囲む横堀はまさに壁といった傾斜であり、物凄い迫力と圧迫感。スタンプ置き場である埋蔵文化センターでは詳しい解説を見ることができ、城の構造や成り立ちについてより詳しく知ることができた。 また島津氏は領土内の各所に「麓」と呼ばれる城と武家町を組み合わせた防衛ネットワークを構築しており、志布志もまたそのひとつ。各台地を隔てる谷間には武家屋敷が配されており、そのうち天水氏などの武家屋敷には格式の感じられる庭園が残っており、国の名勝に指定されている。 |
知覧城 2021年10月8日 | 180城目。秋のカブ旅行で立ち寄り。 シラス台地の縁に築かれた南九州特有の山城であるが、ここは浸食谷を横堀とするなど規模が大きく、また一国一城令前に廃城になったことで中世の状態を良く保っている。南九州型城郭の代表格だと言えるだろう。シラス台地は浸食に弱くて崩れやすく、現在進行形でその崩壊の様を目にすることができる。 知覧もまた島津氏の外城制度における麓のひとつであり、その武家町は重要伝統的建造物群保存地区に選定されていて全国的にも有名だ。各屋敷に見られる庭園群は個性的なものばかりであり、国の名勝に指定されている。 ……が、それらは以前に見たので今回はスルー。知覧の西隣に位置する加世田麓の武家町もまた重伝建になっているので、これを見に行った。 |
八代城 2021年10月9日 | 181城目。秋のカブ旅行で立ち寄り。 八代には中世山城の「古麓城」、織豊時代に球磨川の中洲に築かれた「麦島城」、江戸時代前期に麦島城が地震により崩壊したことから対岸に築かれた近世平城の「八代城」が残っており、三箇所まとめて国の史跡に指定されている。 そのうち「八代城」は本丸の石垣と堀が残っており、現在は神社の境内になっている。北西部の天守台や、東側の桝形虎口あたりの石垣が見事(が、現在は欄干橋が工事中)。北西側には元禄元(1688)年に築かれた浜御茶屋庭園「松浜軒」も残る。 この後は7年ぶりに熊本城を見に行った。天守の公開が再開したとはいえ、全体的に見ると修理が完了したのはごくごく一部。ほとんどの石垣がいまだに傷んだままであり、完全復興までの道のりはとても長いものだと実感させられた。 |
鞠智城 2021年10月10日 | 182城目。秋のカブ旅行で立ち寄り。 飛鳥時代に白村江の戦いにおいて唐・新羅連合軍に敗北した後、日本に攻め込んでくることを危惧した大和朝廷が対馬から大宰府・瀬戸内海にかけて整備した古代山城のひとつ。鞠智城は最南端に位置する古代山城であり、大宰府からもかなり離れているが、前線への補給基地として築かれたとのこと。 丘陵の上には象徴的な八角鼓楼をはじめ、掘立建造物や礎石建造物など各時代ごとの建物跡が発見されており、その周囲を土塁によって取り囲み、要所に門を設けて防衛していた。 以前にも来たことがあるので軽く見るだけのつもりだったが、つい西側土塁から3箇所の城門まで一周してしまった。最も門らしい構えを見せる深迫門跡は、現在調査中なのかビニールシートで覆われていた。 |
原城 2021年10月10日 | 183城目。秋のカブ旅行で立ち寄り。7年前に来た時は本丸前に駐車できたが、現在は国道沿いか大手口前が駐車場になっており、本丸まで歩く必要がある。 島原天草の乱で最後に一揆軍が立て籠った悲劇の舞台として知られ、世界遺産『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』の構成資産にもなっている。一揆軍とはいえ庶民のみならず小西氏・有馬氏などの遺臣・浪人といった戦いのプロも多く関わっており、総攻撃には幕府に不満を抱える残党の一掃という目的もあったのだろう。 本丸のみ石垣で近世城郭化されているが、戦後に二度と再利用できないよう徹底した破壊を受けており、当時は現存の遺構よりずっと立派な城だったことがうかがえる。二の丸と三の丸には畑が広がっており、整備されている本丸とのコントラストが面白い。 なお、島原半島では西岸の小浜にある「くま屋」の「とり弁当」を強くオススメします。ジューシーな唐揚げの下に、ふわふわの炒り卵と紫蘇昆布、鰹節が敷き詰められており、卵の甘味と昆布&鰹節の旨味が唐揚げを引き立てていて絶品です。 |
久留米城 2021年10月11日 | 184城目。秋のカブ旅行で立ち寄り。 昔から重要な場所として城が置かれていた筑後川沿いに、江戸時代に福知山から移ってきた有馬氏が築いた近世城郭。現在は本丸のみが残っており、全域が有馬氏を祀る篠山神社の境内になっている。 石垣が非常に高くて立派。正面虎口の枡形や櫓台も確認でき、サクっと見て周ることができる。本丸の周囲には社叢が茂っており、眺望があまり良くないのが残念。 |
小倉城 2021年10月11日 | 185城目。秋のカブ旅行で立ち寄り。 関門海峡の要所として毛利氏が城を築き、関ヶ原の功績で移ってきた細川忠興が完成させた近世城郭。本丸を中心にその周囲の曲輪が残り、堀と石垣が連なっている。 天守は最上部をせり出す唐造であり、本来は塔層型で忠興好みのスッキリした外観だったようだが、復興天守は巨大な破風が付け加えられており、史実とはデザインが異なっている。内部の展示は今風のものが多く、工夫してるなぁといった印象。 北の丸には八坂神社が鎮座しており、堀に沿って城郭建築風の建築が建ち並び、なかなかに面白い風景となっている。 |
八幡山城 2022年1月6日 | 186城目。18切符で近江八幡へ。 駅から徒歩で大手道まで行くが私有地で立入禁止らしく迂回して八幡公園から秀次の居館跡へ。想像以上に立派な石積が残っていて驚いた。桝形に砂防ダム的な構造物が築かれているのがちょっと残念。 八幡公園から雪が少し残る登山道をえっちらほっちら歩いて山頂へ。思っていたより急で年末年始に足を痛めた身には結構大変な道のりだった。冬にも関わらず汗だく。 山頂の曲輪もまた石積で固められており、まさに織豊期の山城という趣き。本丸は瑞龍寺になっているが、桝形に山門が築かれているので期せずして城郭らしい雰囲気を醸している。北の丸、西の丸をぐるっと周った。琵琶湖や西の湖の景色が素晴らしい。麓から石積が見えていた出丸への道は通行禁止となっており行けないようだ。 足が痛かったので下りはロープウェーを使う。出発直前にまだスタンプを押してないことを思い出し、慌てて飛び出しスタンプを押させてもらった。 |
大和郡山城 2022年4月5日 | 187城目。18切符で大阪に到着した翌日、法隆寺など斑鳩の里を散策してから登城。 桜のシーズンということもあって人が多い。とりあえず天守台に登って辺りを見渡す。堀を隔てた西側の曲輪では重機が砂煙を上げていた。城跡公園として整備中なのだろうか。 真新しい橋を渡り、柳澤文庫でスタンプを押印。ついでに展示物も見学するが、どちらかというとメインは天守台修理のビデオであった。大和国は良い石材が採れないため寺院などからかき集めた石造物を転用して石垣を築いているとのこと。特に天守台の逆さ地蔵は印象的。 旧奈良県立図書館の立派なたたずまいを眺め、追手門から出て駅に戻る。現状でもかなり整備されている感じであるが、将来的にはさらに外側にも拡張されそうで今後が楽しみだ。 |
宇陀松山城 2022年4月6日 | 188城目。18切符で桜井まで行き、近鉄に乗り換えて榛原へ。大宇陀行きのバスで終点下車。又兵衛桜が見頃なためバス停にはお年寄りが行列を成しており、臨時のバスが出ていた。 重要伝統的建造物群保存地区に選定されている旧城下町の町並みは3度目、史跡に指定されている山城跡には2度目の訪問。町づくりセンターでスタンプを押し、その敷地内から続く舗装路で登城。織豊期に築かれた石積を持つ山城であるが、江戸時代初頭に破却されたため現存する石積は部分的。当初はもっと高く堅固に積まれていたことだろう。 春日神社に続くルートで下山。春日神社の参道入口には城門の石積が残っており、また大手道筋の城下町入口には江戸時代前期に築かれた松山西口関門が現存している(城跡とは別件として国指定史跡)。 以前に訪れた時よりも古民家の活用が進んだのか飲食店が増え、町並みや城跡を訪れる人もかなり増えた印象。桜のシーズンの影響なのかもしれないが。 |
高天神城 2022年5月18日 | 189城目。春のカブ旅行で登城。GoogleMapに追手門跡とあったからそちらから上ったが、案内標識は搦手へと誘導しているようだ。まぁ、そちらの方が駐車場も圧倒的に広いし。でもやっぱり大手から登りたいのが心情。 今川が築き、徳川と武田が奪い合った要衝の山城。二つのピークに主要な曲輪を置き、さらに各尾根沿いに曲輪を配して守りを固めている。いずれの曲輪も斜面は崖のように急だが、西側は比較的なだらかであり武田は西側から攻めたとのこと。武田が占領した後は弱点の西側に横堀を築き、尾根を大規模に掘り切って防衛力を高めている。 二つのピークを繋ぐ井戸曲輪には文字通り立派な井戸があり、その少し下には掘り込んだ地層の間から水が染み出す三日月井戸があって興味を引かれるが、こちらは飲用ではないらしい。 スタンプは登城後に大東北公民館にて。徳川家康が高天神城を奪還する際に築き、江戸時代は横須賀藩の政庁となった横須賀城にも足を運ぶ。丸みを帯びた川原石で築かれた石垣が実にユニーク。 |
新宮城 2022年5月19日 | 190城目。春のカブ旅行にて登城。15年前に熊野三山巡りをした時にも立ち寄ったのだが、速玉大社のついでにちょこっと見ただけだった。改めて登ってみると、記憶よりもずっと立派な城で驚いた。 江戸時代初頭に紀州藩の支城として築かれた地域統治の拠点。大手門跡は住宅地に埋もれているが、南西側から大手道に続く門があるのでそちらから。特徴的なのは熊野川に面した「水の手曲輪」。船着き場や倉庫があったとのことだが、必要以上の米や木炭を置いており、どうやら商売品を保管していたようである。江戸時代の所領経営の実態を示すものとして貴重。石垣も記憶より素晴らしく、想像以上に散策が楽しめた。 スタンプは東へ少し離れた蓬莱山の南麓にある歴史民俗資料館で。速玉大社の摂社であり、阿須賀王子跡として世界遺産に含まれる阿須賀神社の境内にある。史料館には蓬莱山から出土した懸仏(重要文化財)などが展示されており実に興味深かった。 |
赤木城 2022年5月20日 | 191城目。春のカブ旅行にて登城。本にはスタンプ設置場所は鉱山史料館とあったので9時にうかがったのだが、それは道の駅改修時に臨時で引き受けていたもので、もう何年も前に道の駅に戻されたということを丁寧に教えて頂いた。スタンプは売店の奥にあり道の駅が開く10時まで待つ必要があったので、先に丸山千枚田を見にいく。想像していたより横に広がりを見せる、実に見事な棚田であった。赤木城まで行くなら丸山千枚田も強くオススメします。 スタンプを押印し、道の駅で買っためはり寿司を口に放り込んでから赤木城へ。豊臣秀吉の時代、北山の一揆を鎮圧する拠点として藤堂高虎が築いた城。山頂から三方に伸びる尾根に段状に曲輪を連ねるのは中世山城的だが、複雑に折り曲げた桝形虎口や横矢掛りの張り出しなど近世城郭の特徴が見られる。まさに中世城郭から近世城郭への過渡期の城というべき様相。 主郭から西の曲輪に回り、平時の住居があった南の曲輪へ下り、車道を歩いて駐車場へと戻る。コンパクトな城ながらよく整備されており、案内板やパンフレットも充実していて分かりやすかった。 |
浜田城 2022年9月7日 | 192城目。夏の18切符旅行で登城。鉄道の都合で滞在できるのは2時間ジャスト。平山城だし余裕だろうとタカをくくっていたのだが、浜田城資料館が思っていた以上に見ごたえがあって時間がかかってしまった(動画はYoutubeでも見ることができるとのことだったので、そちらで)。建物も上質な近代和風建築でそのうち文化財になるだろう。 関ヶ原の戦いにおいて萩に押し込めた毛利氏を監視すべく築かれた近世城郭。護国神社から本丸に向かう登城路がなかなかに良い雰囲気。移築された藩庁門は石垣とスケール感が違い、浮いている感じがしないこともないけれど。 急な石段を上り詰めたところに構えられている桝形虎口も見事。そしてなにより本丸から見る外ノ浦の景色。L字に深く切れ込んでおり、天然の良港であることが良く分かる。帰りは中ノ門から住宅街の小路をたどって駅へ。割と時間ギリギリだった。 |
大内氏館・高嶺城 2022年9月8日 | 193城目。夏の18切符旅行で登城。朝早くの到着なので交通手段に迷ったが、シェアサイクルを利用した(要スマホアプリ)。実証事業だからか料金は15分30円と格安で観光にも便利。ただ、電動アシストのない3段ギアのママチャリなので坂道は不向き。 私はまず高嶺城に向かったが、上り坂に音を上げ木戸公園に自転車を置いて歩いた。高嶺城まで行くなら観光案内所で借りられる電動バイクの方が良いだろう。高嶺城は大内氏最後の当主大内義長が築いた中世山城で、のちに毛利氏が支城とした。主郭は石垣で固められており、特に北側が見事。毛利氏時代のものだろう。 下山後は大路ロビーでスタンプを押印。大内氏館は龍福寺(本堂が重要文化財)の境内になっており、池泉庭園と枯山水が復元されている。築山跡は八坂神社(本殿が重要文化財)の境内で、土塁が一部現存。南東側は史跡公園として整備されている。 最後は瑠璃光寺の五重塔を見て帰った。海外貿易で財を成し、多大なる勢力を誇った大内氏。その本拠である山口には荒れた京から貴族や文化人が避難していたこともあり、雅な大内文化が偲ばれるというものである。 |
多気北畠氏城館 2022年12月27日 | 194城目。冬の18切符旅行で登城。名松線(スタフ閉塞式の路線に乗るのは初めてで、スタフの交換を見ることができてテンション上がった)で伊勢奥津駅まで行き、観光案内所で無料の電動アシスト付き自転車を借りる。反射ベストとヘルメットを身に着けてGO。トンネル内での車が怖かった。 北畠氏の館跡である北畠神社に参拝し、300円を納めて国指定名勝の庭園を拝観する。米字池ともいわれる複雑な形状の池泉が広がり、配石や築山も見事。無骨ながらも洗練された印象を受けた。失礼ながらこのような山里にこれほどの池泉回遊式庭園があるとは思ってなかったので非常に驚かされた。往時における北畠氏の力、中央との繋がりが偲ばれる。 麓の館跡と共に国の史跡に指定されている霧山城跡にも登ってみた。山頂は南郭群と北郭群に分かれており主郭は北郭群にあるが、北郭群へと続く道には「この先危険」「城跡はここまで」みたいな表記があり、北郭群に行かせたくないという意思が感じられた。鉄道の時間が迫っていたこともあり、南郭群だけ見て下山した。 |
出石城・有子山城 2022年12月28日 | 195城目。冬の18切符旅行で登城。豊岡駅からバスで出石へ。出石には十数年前に重伝建の町並みを見に訪れた。今回は有子山城が主目的。 まずは江戸時代の出石城を軽く散策。雛壇状に築かれた石垣はとても立派だが、出石藩の石高は5万前後ということもあって、城下町も含めてコンパクトにまとまっている。最上段の神社で無事を祈願してから登山道へ。 傾斜がキツい尾根道をひたすら登る。途中の堀切&土橋で休憩を挟みつつ、なんとか登り切ることができた。伝侍屋敷に設置されているベンチがありがたし。 有子山城は此隅山城と共に「山名氏城跡」として国の史跡に指定されているが、山頂部に残る石垣は織豊期のものだろう。苦労しただけあって主郭からの眺めは素晴らしく、豊岡まで見渡すことができて達成感があった。 広々とした曲輪に塀の基礎と思われる石積が見られる千畳敷、主郭と千畳敷を断ち切る大堀切、数多くの矢穴が残る石切場、七段の石垣を持つ井戸曲輪など、見どころも豊富で散策が楽しかった。 下山後は今回も町並みを散策するつもりだったのだが、かなり疲れたのでほとんど見ることなく豊岡駅行きのバスに乗り込んだ。 |