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メンバー情報

ID5634
名前秋@100名城達成
コメント2014年7月25日から始めました。

100名城集めるのを楽しみにしています。

2121年4月11日に達成しました。

お世話になりました。
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
犬山城
2014年7月25日
城下町や、天守閣の急な階段、天守閣から見る木曽川など、風情があり、歴史を体感させていただきました。

ちなみに、スタンプの設置場所は表門の二階の事務所になります。

2022年4月6日再訪。美濃金山城から向かう。桜の咲く天守閣は素敵であった。また、今回は電車ではなく車での移動のため広い範囲を行動できた。そのおかげで体力気力時間を気にせず、岐阜県側から木曽川越しの犬山城も簡単に見れた。美しい。

写真は2022年4月6日のものになります。
名古屋城
2014年7月26日
犬山城に行った翌日に訪れる。やはり、天守閣が見どころでした。また、僕が行ったときは本丸が再建されている途中でしたので、いつか本丸が再建されましたら、名古屋城は天守閣のイメージが本丸のイメージになってしまうかもしれませんね。再建される日を楽しみにしています。
佐倉城
2014年7月27日
土の城佐倉城。7月25日に犬山城、7月26日に名古屋城と見てきまして、実家に帰りまして、その翌日の27日に、そういえば近所に佐倉城址があったので、見に行きました。山の中にあり、とても広いので、改めて見てみると、知らないところが多かったです。灯台下暗しでした。
江戸城
2014年8月19日
18日の夕方と19日の昼で皇居を堪能。皇居の人は警察も含め親切な人が多い。

なぜ2日行ったかというと、楠公レストハウスに着いたのが17時15分で閉まっていたため、また翌日に来たということです。去年は楠公レストハウスに毎月行っていました。しかし、そこにスタンプの設置場所があるとは知らなかったです。二度目の灯台下暗しでした。
水戸城
2014年8月29日
この日は午後3時から東京で仕事があるため、51号を通り、朝の5時から水戸観光を始める。そうしたら、今日から学校が始まるらしく、生徒たちの登校時間とぶつかる。さらに、僕を見た二中の先生がわざわざ展示室を開けてくれた。そして、別の先生が校門のところで写真を撮ってくれました(登校時間の生徒は立ち止まり待っていてくれました)。親切すぎて驚きました。弘道館の受付の人も親切で、百日紅の写真を撮っていなかったら戻って撮ってきても良いですよ、と述べてくれました。で、戻って撮りました(多分、花が咲いていたからお勧めしたのかもしれません)。

とにかく、皆さん、とても親切にしてくれました。その後、11時に、天狗納豆をお土産に買って、仕事に向かいました。納豆の評判が良かったことは書くまでもないですね(笑)
二条城
2014年9月11日
二の丸御殿の中は、家康と秀頼の謁見の間があり、また、慶喜が大政奉還の行った部屋があり、徳川幕府の栄枯盛衰を表す場でもあり、歴史を体感する建物でした。
山中城
2014年9月15日
山中城の畝堀や障子堀を見るのをすごく楽しみにしていましたので、本日、早起きをして友人たちと一緒に行きました(というか車で連れていきました(笑)。たくさん歩きました。景色が非常に良い城跡でした。

まさに山城です。
駿府城
2014年9月15日
友人たちと、山中城を訪れた後に、友人の提案で駿河城公園に行くことになり、向かった。

この選択は非常に良く、時間的にも駿河城公園を充分に楽しめました。

なお、山城(山中城)から平城(駿府城)へ行ったため、平山城を飛ばしてタイムスリップした気分になりました。
白河小峰城
2014年10月4日
震災による修復工事のため、城廻(しろまわり)を歩きました。阿武隈川沿道は風情がありました。

ところで、一番驚いたのは、白河駅観光案内所で見かけた小峰シロという萌えキャラについて、詳しく知ろうと思い、二ノ丸茶屋(お土産屋さん)の店員さんにたずねたら、設定が深すぎたことです。小峰シロ、なかなか面白いです。
会津若松城
2014年10月4日
白河小峰城から4号線や磐越自動車道を通って向かう。赤瓦の天守閣や南走長屋や表門(鉄門←くろがねもん)が美しかった。


案内の人に武者走りの場所を聞いたら、それが目の前で、恥ずかしかった(笑)真正面から見ると階段がわかりづらい。親切に、(武者走りを背にして)写真を撮りましょうか?と聞かれ、せっかくなので写真を撮ってもらいました。一人旅なので、撮ってくれるのはとてもありがたいことです。その優しさに感謝しまし
た。
二本松城
2014年10月5日
先日の4日から、ちょうちん祭りがあるそうである。初日は夜がメイン、二日目は午前がメイン、三日目は後祭り。ちょうど二日目の午前に二本松城を見たので、何も知らなかったため、街中に屋台が多いのが不思議でした。

三の丸では菊人形の準備をされていました。菊人形の時期には、箕輪門の下のところに、というか二本松少年隊の像の前に(というか二本松城の入り口のところ)、臨時の観光案内所がありまして、受付の人が言うには、そこのスタンプの方が新品だそうで、二本松駅のスタンプよりも綺麗でした(実際に比べてみました)。

肝心のお城についてなのですが、本丸まで距離があるため、車で上りました。観光案内所の方が車で向かうときのアドバイスをしてくれました。おかげで、パンフレットに載せているメインのところは全て見ました。

さらに観光案内所の方に、二本松少年隊像の前で写真撮ってくださいとお願いして撮っもらいました。

観光案内所の方に頼りきりでした。
仙台城
2014年10月5日
二本松城から向かう。高速道路を運転中、途中で温麺(ウーメン)が食べたくなり、国見インターで降り、4号線で国見峠を越えて、白石インター近くで温麺を食べる。その後、白石インターから仙台城まで向かう。

いろいろ見る。青葉城資料展示館の受付の人が言うには、仙台城(青葉城)は城が残ってないため、CG映像の『謹製 仙台城』が上映中であった。これは、とても面白い内容でした。画も綺麗で、たくさんの情報が頭にスーっと入ってきました。仙台城(青葉城)を訪れた際には是非観ましょう。700円の価値はありました(駐車場使えば600円)。

そしてナレーターが若本さんであることを推していた。
多賀城
2014年10月6日
10月6日の12時半、台風18号がもろに襲来してる状態で多賀城を訪れました。傘が2つ壊れました。誰も歩いていませんでした。
http://matome.naver.jp/m/odai/2141257425679304001

最初は多賀城跡管理事務所に車を止め、少し辺りを見てから南門跡の駐車場に車を移動しました。多賀城碑を見て、政庁跡の前の坂道を上り、政庁跡を見て、強風のため急いで南門跡の駐車場に止めてある車まで向かいました。そこで一つ目の傘が壊れました。

国府多賀城駅の観光案内所も閉まっていて、そこにおいてある自由にもらえるパンフレットをもらっていきました。また、駅の隣の東北歴史博物館も月曜日は休館のため、せっかくなのでぐるっと回って建物の入口だけでも見ようとしたら、また傘が壊れてしまいました。そんな状態で東北歴史博物館の建物の入口まで行き、もはや傘も使えない中の台風の強風と雨が全身に痛みを与えるので、急ぎ足で車に向かいました。

奈良時代と平安時代の遺跡を体感しながらのんびりと歩くつもりでいたら、こんなことになってしまいました。
山形城
2014年10月6日
多賀城から山形自動車道を通って向かいました。山形城(霞城)の東大手門櫓が一般公開されていました。

月曜だったので、東大手門櫓しかスタンプ押せるところがなくて、しかも16時までのようですので、スタンプは17時までという先入観に注意したほうが良いですね。

霞城公園は凄く綺麗で整っています。心が豊かになります。

ただ、済生館は年末年始以外にも月曜日が休館日という情報や、本丸の見学の閉鎖時間はいつの時期から変わるのか、ということを、ホームページに書いてくださると、これから霞城公園でスタンプを押す方々にとって便利かもしれませんね。


http://www.kankou.yamagata.yamagata.jp/db/cgi-bin/search/search.cgi?panel=detail&d01=879
盛岡城
2014年10月7日
盛岡城は石垣以外にも見所が多いため、時間に余裕があったほうが良いですね。ちなみに、スタンプは、もりおか歴史文化館とおでっての2つです。2つのスタンプをおでっての受付に見せましたら、おでっての受付さんは、もりおか歴史文化館の方が良いかもしれません、と述べていました(笑)

ちなみに、もりおか歴史文化館のおかげで、チャグチャグ馬コとさんさ踊りの由来がわかりました。

もりおか歴史文化館も是非。
根城
2014年10月7日
盛岡城から急いで向かう。八戸市博物館を見学した後に、城跡を歩いて本丸に向かう。本丸跡では警備員のおじさんが親切にいろいろと根城のことを教えてくれました。ガイドさんしてもらいました。今でも感謝してます。また、茅葺きのお城も珍しいので、いつもとは違った感じで楽しめました。
松前城
2014年10月8日
根城から松前城へ向かいました。青森から、津軽海峡フェリーで車と一緒に函館に向かいました。海上国道280号を渡り、函館から228号を通って松前城へ行きました。

松前城は250種の8000本の桜があるそうです。また、桜前線本道上陸標準木の桜も入り口にありました。もはや桜といえば松前城という感じですね。
五稜郭
2014年10月8日
松前城から228号を通って、4時に五稜郭タワーに到着。五稜郭タワーと函館奉行所前向かいの「いたくら柳野」のスタンプを比べると、「いたくら柳野」のほうが良いように感じた。

箱館奉行所で案内係の方に写真を撮ってもらったのですが、掛け声が「イカホシー」でした。イカ干し→イカす星、成る程。

箱館奉行所を見学して、五稜郭を廻って、五稜郭タワーに上って五稜郭を見る頃には、素敵な夜景が見えました(……つまり五稜郭の星が見えなかったということです)。その後、タワーの手相占いの受付の方から、タワーの下にあるラッキーピエロと函館山の夜景のことを聞いて、それぞれ行きました。函館山から見る夜景はミシュラン★★★です。五稜郭の星は見えなかったけど、ミシュラン★★★は見ることができました。
弘前城
2014年10月9日
五稜郭から弘前城へ。

おそらく、多くの方と同じ感じなのですが、10月から石垣の工事に入るので、早めに見ておこうと思いました。

天守閣から見る岩木山は見ごたえありました。本丸からも見てたら、山形から来られたおばさんたちが、僕のことを学生だと思い、せっかくなので、岩木山をバックに僕の写真を撮ってあげると言ってくれました。ありがたくおねがいしました。なんか嬉しいですね。僕もお礼に、おばさんたち3人の写真を、岩木山をバックにして撮りました。こういう気づかいの精神は大切ですね。これも、弘前城から見える岩木山が素敵だからだと思います。

ちなみに、追手門のところの観光案内所で500円で自転車を借りれました。なかなか便利でした。自転車に乗って城内を走る気分は爽快です。
久保田城
2014年10月10日
9日に弘前城から出発して向かったのだが、久保田城に到着したのが16時50分だったのでスタンプは押せずに、公園を散策して近くの健康ランドに宿泊。こんなことなら、もっと弘前市のねぷた村にいればよかった(笑)

翌10日に再訪問。

佐竹資料館や公園内を一通り見て、昨日上れなかった御隅櫓を上る。一人で展望室にいられたのは至福の時間。

ちなみに、御隅櫓のスタンプの評判が悪いことは有名なので、それを佐竹資料館の方に伝えた。御隅櫓のスタンプを見てもらったら、今まで誰もそのことを言わなかったそうで、貴重な意見として、参考資料の御隅櫓のスタンプ跡を受け取ってもらいました。スタンプ、なんとかしてくれるそうです。やっぱり御隅櫓のほうで押したいもんね(僕は佐竹資料館にしましたが。)

写真は、上が佐竹資料館、下が御隅櫓のスタンプ跡です。

ここの書き込みや他のサイトなどを参考にしたおかげで、御隅櫓のスタンプを押さなかったので、感謝しています。
武田氏館
2014年10月23日
21城目。

前日の夜に、高速道路で向かい、第二回おふろ甲子園で優勝した健康ランドに宿泊し、翌日に甲斐善光寺で鳴き竜の下で手を叩いて、暗闇で鍵をさわって、そのあとに武田神社に向かう。

スタンプは巫女さんからいただきました(せっかくなので)。ただ、後で宝物殿のほうで試し押しをしたらそっちのほうが綺麗でした。また、巫女さんにお願いをして男みくじを引き、そのあとに宝物殿の前で、獅子舞がおみくじをくわえて出すくじ引きがあったので、それも面白そうなので二回もおみくじを引いてしまった、と、しょうもないことをしました。因みに、信玄の間者は巫女さんが多かったそうです。でもそれは全然アピールしないんだな…、と、しょうもないことを思っていました。

その後、武田氏館跡を探索。帰り際に武田神社前の「かぶとや」で、信玄アイスをいただきました。おすすめです。

それから甲府城に向かいました。
甲府城
2014年10月23日
22城目。

武田神社から向かいました。

県庁の地下に駐車しました。県庁の地下一階の甲府城石垣展示室には、甲府城の石垣の凄さの集大成がありました。

甲府城は見所がたくさんありました。途中、ボランティアの人がやって来て、詳しく説明してくれました。

その後、稲荷櫓を堪能したのち、天守台から雲がかった山々を眺める。美しい。因みに南東側。

途中、鉄門のところで、職員さんらしき方が鉄門の地面から出てる岩を説明してくれました。というのも、甲府城は岩山の上に作られたそうで、それを表しているそうです。

……、県庁の石垣展示室の入室無料からはじめり、甲府城の入場(城)料も無料、稲荷櫓の入館料も無料、85億円かけて復元した甲府城、ボランティアや職員らしき方々がやって来ては説明してくれる、すごいな甲府城は。

その後、甲府駅前店の小作でほうとううどんを食べて高速道路で帰りました。

やっぱり、人とふれ合いながら学ぶのは良いものですね。
川越城
2014年10月28日
23城目。

本丸御殿を見て博物館を見て城下町を見る。

城下町の趣が非常に良く、気持ち良く歩きました。

博物館では、ボタンを押して、画面で太田道灌の生涯が見れました。なかなかの穴場です。
鉢形城
2014年10月29日
24城目。

午前中しか時間が無かったため、早足でまわりました。2時間ちょっとでしたね。広大な敷地で、自然公園にいる感じでした。

歴史館では、城の歴史や構造などが詳しく説明されています。

荒川と深沢川の間の丘の上にある城で、立地が非常に面白い。荒川の崖、深沢川の渓谷、まさに地の利の城であろう。

山中城と近いものを感じた。
大阪城
2014年11月20日
25城目。

大坂城へは2回目の登城でした。切込みの石垣と水堀が綺麗でした。今年は2014年で大坂冬の陣400年目でしたので、盛り上がりを見せていました。ということは、来年の2015年は大坂夏の陣400年目ですので、さらなる盛り上がりがあることを密かに期待してます。
姫路城
2014年11月21日
26城目。

姫路城は中学生以来の登城です。天守閣は修理工事のため、3月27日から公開されます。白亜の城でした。

あと、大河ドラマの影響で、黒田官兵衛生誕の地として、官兵衛押しが強かったです。

また、姫路城の好古園では、紅葉会がやっており、ライトアップが綺麗でした。姫路城のチケットを買うときは好古園とセットで買うのが良いと思います。
足利氏館
2014年12月3日
27城目。

12時くらいに着きました。鑁阿寺の近くには、観光客向けの駐車場があり、ボランティアの人が言うには、2時間くらいは無料だそうです。駐車場の場所は、太平記館(足利市観光協会)の前です。

足利氏館は、水堀と土塁で囲まれた「方形館」ではあるのですが、やはり、お寺がメインでした。なぜなら、そこにある、とちぎ名木百選の記され方が、「鑁阿寺の大いちょう」となっていたからである。

ちなみに、足利学校も目の前にあるのですが、こちらの方が見どころがあります。入口入って右のところに、足利学校の歴史についての内容のムービーが14分間、繰り返し上映されています。

ですので、関連施設の足利学校を訪れないと、お寺巡りになってしまうかもしれませんね。
金山城
2014年12月3日
28城目。

足利氏館から向かいました。さほど距離はないです。
史跡金山城跡ガイダンス施設で、金山城の歴史のシアターを見せてもらい、そのあとに登城しました。車で向かったのですが、途中に歩いて山登りをする人を何人か見かけました。

南曲輪の休憩施設でスタンプを押したのち、そこからの景色に酔いしれました。富士山が見えたので満足しました。
千早城
2014年12月24日
29城目。

「まつまさ」でスタンプを押して、しいたけうどんを食べる。ここのお茶の一杯目はしいたけの味がする。

そして裏参道から千早城跡(千早神社)に向かう。登り道がきついです。そして登山の方々とすれ違うのですが、あの方々はすれ違うと挨拶をするのですね。マナーの勉強になります。

千早城本丸跡には千早神社があるのみでした。ただ、千早神社から表参道を下ろうとしたら、景色が良かったです。そしてそのまま、石段の道を下りました。疲れました。そして、「まつまさ」の下の駐車場に戻ろうとしたら、反対方向の千早川マス釣り場に行ってしまった。つかれたのでここでコーヒーをもらう。ここのおばさんから、「まつまさ」への道を聞きました。表参道の登り口に下りて出たら、反対方向に歩いていたようでした。金剛山の名物はニジマスのようです。見所がありました。


そしてそのまま高取城へ向かいました。千早城は足が疲れましたので、覚悟が必要ですね。
高取城
2014年12月24日
30城目。

千早城から一時間ほどで「夢創館」に到着。この時点で2時半。そして、噂通りの丁寧な「夢創館」のおばさんからいろいろと伺う。

高取城は日本三大山城で、普通は山登りは朝早く出発するが、この時期は道が凍ったりするため、車の場合は昼に過ぎに来たことは非常によく、また、夏は緑が多く、石垣が見づらいからとても良い時期であると。そのポジティブシンキングには親近感が湧いてきます。あと、山は暗くなりやすいから4時までに戻るほうが良いと聞く。そして、天守台と大手門の場所を聞き、その下の辺りまで車で行けると聞く。時間があれば国見櫓跡の景色を観れたら良いことを聞く。時間的に猿石までは難しいけれど、それだけ見れれば充分と言われ、道に気を付けて向かうことにし、「夢創館」を後にした。この時点で2時45分。



そして4時10分に「夢創館」に戻る。無事に猿石まで行けましたと報告しに。
安土城
2014年12月25日
31城目。


先日は山城の千早城と高取城に登城したため、山城の安土城も大変でした。大手道を登る前に、登るための木の杖が置いてあり、使わせてもらいました。そして、秀吉邸跡や利家邸跡や家康邸跡や蘭丸邸跡を見ると、信長がいかにそれらを信頼していたことがわかって面白い。

そしてなんとかたどり着いた信長公廟のスタンプ置き場がえらいことになっていた。

そのあとに、信長の館に向かう。ここの建物の中はフラッシュと無断公開が禁止されています。で、ここのスタッフさんから観音寺城へ向かう近道をおしえてくれて、心が暖まりました。北須田の交差点を右に曲がって行けば、観音正寺の参道まで行けることを聞き、希望がわきました(ちなみに500円とられます)。さすがに4回連続で山城は厳しく思ったので。

そのあと、文芸の里レストランで信長うどんをいただき、観音寺城へ向かいました。
観音寺城
2014年12月25日
32城目。


安土城から向かいました。観音正寺林道を500円払って、観音正寺参道入口に車を停めて参道を歩きました。ところで、千早城や高取城や安土城と連続で来ましたが、一人で山城を歩くのはさみしいですね。

そして観音正寺でスタンプを押す。どちらかというと、城廻よりも巡礼という気分になります。そしてそのあとに、お寺の本堂の裏から登って本城跡へ向かいました。険しい道でした。

4つ連続での山城廻りは体力を使いましたが、楽しかったです。清々しかったです。

そして3日後に和歌山城にいきました。和歌山城は12月は28日まで公開のようで、ギリギリでした(笑)
和歌山城
2014年12月28日
33城目。


登城日が12月28日でして、12月29日〜12月31日が休みのようでして、ぎりぎりの登城でした。

天守閣の天井には紀州てまりが飾られていました。

和歌山城は虎が伏せている姿に見えるそうです。ゆえに虎伏城という別名があるそうですね。

水面に映る御橋廊下と虎伏城のコラボが美しかったです。
松阪城
2015年2月5日
34城目。

先日の2月4日の立春に(伊勢神宮で)初詣をして、そこから近かった松坂城へ向かいました。

スタンプは松坂市立歴史民俗資料館で押しました。資料館で知ったのですが、松坂城の別名は蒲生城というそうです。

石垣が見事でした。

また、御城番屋敷の中も入らせていただきました。
伊賀上野城
2015年2月5日
35城目。


松坂城から伊賀上野城に向かいました。まず、忍者博物館の忍者屋敷で、忍者さんから忍者についておしえてもらいました。いろいろ忍者について知ることができました。展示物もたくさんあって満足でした。

忍者と石垣は必見。

時間があれば、俳聖殿と中にある松尾芭蕉の像も見てみましょう(暗いのでライトが必要、もしくはカメラのフラッシュで撮影)。

そのあと、伊賀上野城へ向かい、いろいろと敷地を見てたら途中で雨が降ってきました。雨に降られながら、高い石垣を見下ろしました。凄く高いので気を付けてください。
一乗谷城
2015年3月27日
36城目。

福井駅からレンタカーで向かいました。一乗谷朝倉氏遺跡と呼ばれているそうです。屋敷の復元が見事で、室町の音を感じさせてもらいました。

また、 3キロほど離れたところには一乗滝があり、そこで佐々木小次郎は「燕返し」を会得したそうです。こちらの滝もおすすめです。滝からの風が涼しかったです。
丸岡城
2015年3月28日
37城目。


現存天守を見てきました。また、石垣は野面積みでした。天守閣の階段は急です、犬山城を彷彿させましたが、丸岡城の天守閣は、紐がぶら下がっていて、それを握りながら上るのが良いそうですね。天守閣からの景色は良いものでした。


丸岡城へは、福井駅から丸岡インターまでバスで行き、そこから歩いて丸岡城に向かい、帰りは丸岡インター発13時22分の小松空港行きのバスに乗って行きました。帰りのバスに乗るときに、時間がギリギリでしたので、途中から走りました(笑)
彦根城
2015年7月10日
38城目。

彦にゃんを見て、玄宮園の鳳翔台(茶室)から彦根城を見て、御好屋形船から彦根城を見て、とても満足しました。

お土産(主に彦にゃん関係)をたくさん買いました。
箕輪城
2016年4月20日
39城目。

箕郷支所でスタンプを押して、箕輪城を探索する。迷ってしまわないためにも地図は必須ですね。

城跡をめぐっていると、皆さん丁寧に挨拶をしてくださりました。

また、それでわかったのですが、ここの地元の人たちは、武田でも北条でも徳川でもなく、最初に築城した長野氏を尊敬していることがわかりました。なかなか興味深い。

ここは、大堀切が見所ですが、本当に堀が多かったです。
小諸城
2016年4月20日
40城目。

箕輪城から向かいました。小諸城は仙石秀久を推していましたね。小諸城の懐古園の桜の満開シーズンは過ぎてしまいましたが、「小諸八重紅枝垂」を楽しむことができました。


また、ここの動物園にはライオンがいて、15時半にその辺りにいましたら、もぐもぐタイムが始まり(時間帯は日によって変わるかもしれません)、♀ライオンのナナちゃんのもぐもぐタイムを見ることができました。……どう見ても、もぐもぐではなくバキバキですが。

すごく可愛かったです。それで、写真撮りまくってたら、充電が切れて、懐古園入口にあるお土産屋さんで充電させてもらいました。ありがとうございました!
松代城
2016年4月21日
41城目。

先日の小諸城から松代城へ向かいました。

真田邸を見学し、その後、松代城を見る。

弟の幸村が目立ちますが、父と弟の助命を嘆願した真田信之も素敵な人物であったと考えます。そんなことを考えさせてくれる街並みでした。
上田城
2016年4月21日
42城目。


松代城から向かったのですが、松代の様子から予想はしていたのですが、思った通り真田丸を推していましたね。

それゆえ、上田城より信州上田真田丸大河ドラマ館にいた時間の方が長かったかもしれません。真田は凄い人気ですね。
松本城
2016年4月22日
43城目。

松本城は中学のときの修学旅行で行ったのだが、あらためて来てみると、外人さんが多いことに驚く。さすが国宝、さすが現存天守閣。天守閣の最上階の天井にある「二十六夜神」は見逃さないように注意してください。
高遠城
2016年4月22日
44城目。

松本城から向かいました。

スタンプは高遠城から少し離れた歴史博物館で押しました。また、『日本100名城に行こう』に載っている本丸空堀の写真の位置がわからなかったので、博物館の方にたずねてみると、桜雲橋が見えます、と聞き、その辺りだとわかりました(場所は桜雲橋と問屋門を前にして、右に進んだところにありました)。とても親切な職員さんでした。絵島囲み屋敷は博物館の入館券で見れます。

これで、箕輪城、小諸城、松代城、上田城、松本城、高遠城制覇の三日間をしめさせていただきました。満足です。

3番目の写真は2018年4月10日に再訪したときのものです。高遠桜を楽しみました。
新発田城
2016年4月27日
45城目。

月岡温泉から向かいました。

三階櫓の鯱も珍しかったが、一番驚いたのが、忠臣蔵の堀部(中山)安兵衛が江戸に出てきた原因になった辰巳櫓があったことです。忠臣蔵では、安兵衛の父親が辰巳櫓の焼失の責任をとらされ浪人となり、安兵衛は江戸に出る。辰巳櫓の焼失から忠臣蔵に繋がっていくとは、なんとも数奇な運命ですね。運命とは恐ろしい。

本丸表門をくぐったスタンプ置場の隣のところにも2つ鯱が置いてありますが、その鯱たちは、阿吽の口をしていて、吽は口を閉じてるから背筋がのび、阿よりも5センチ高い110センチで110キロの重さである豆知識を、表門のところにいたスタッフさんから教えていただきました。
春日山城
2016年4月28日
46城目。

新発田城の翌日に向かいました。ものがたり館でシアターを見た後に、春日山城へ向かいました。春日山神社の横に車を止め、お土産屋さんに、春日神社と春日山神社があるのですね、と聞いたら、春日神社が千年くらい歴史があり、それで春日山と名付け、それで春日山神社が明治にできた、とうかがいました。これは面白い順番ですね。

春日神社→春日山城→春日山神社

春日山城跡から見る景色は絶景でした。春日山城は大きな山城ですので、いい運動になります。

城のタイプが違うので比較はできないのですが、政治・経済のため交通の良い場所に創られた平城の新発田城の後に向かいましたので、軍事的防御の目的のために創られた壮大な天然の要塞の山城の春日山城を見ると、同じ「城」という響きでも、受ける印象が180度違いますね。これを体感するのも城廻の醍醐味ですね。

三枚目の写真は2023年4月7日に再訪した際の毘沙門堂です。
小田原城
2016年5月10日
47城目。

天守閣の大改修が終わり、ゴールデンウィークを避けて登城しました。約9年ぶりに来ました。

天守閣の中は展示品やドラマが流されていたり、などで、とても楽しめました。また、天守閣から眺める景色は絶景ですね。

余談ですが、天守閣に置かれている摩利支天は正面からは見ることが不可能になっていました。なかなか興味深い仕組みです。
掛川城
2016年5月19日
48城目。

早朝に東京から出発して11時くらいに到着。


大学院生の頃に学会のついでに(むしろこっちが本命)来たことがありましたので、今回は再訪という形になります。掛川城は緑のイメージが強いところです。また、とても綺麗な天守閣が記憶にまだ新しく、白のイメージも強いです。街中も城下町をイメージした作りになっていました。落ち着いた気持ちで楽しめますね。

大手門のところにある駐車場に車を停めたのですが、車で来なければ大手門の存在に気づかなかったです。

二ノ丸御殿にチケットを落として、そのまま天守閣へ向かい、チケットを探していましたら、受付の方が、二ノ丸御殿に一枚チケットが落ちていたと電話がありました、と言ってくださり、そのまま天守閣に登らせてもらいました。見事な城内のフットワークに驚かされました。そして二ノ丸御殿にチケットを取りに向かいました。

山内一豊繋がりで高知城へも近い内に行ってみたくなる。高知城も現存御殿がある。現存天守閣もある。一豊は出世だけでなく、遺構を残したことも功績にさせたいですね。
岡崎城
2016年5月19日
49城目。

掛川城から向かいました。岡崎城へ来て、まずは三河武士のやかた家康館に入りました。関ヶ原の戦いのジオラマを見たら、本当にわかりやい説明で面白かったです。ただ、ここは写真撮影が禁止されていまして、中の様子を伝えられないのが残念。

天守閣の中も写真撮影禁止でした。

一回りしたところで、長篠城へ向かいました。

2022年4月5日再訪。長篠城を再訪した後に向かいました。岡崎城は桜まつりをされていて、ライトアップされた天守閣や家康館は20時まで入れました(最収入場19時半)。桜まつりはとても多くの方がいました。
長篠城
2016年5月19日
記念すべき50城目。

岡崎城から向かいました。到着したのが16時50分ころであったため、スタンプは近くのコンビニで押しました。コンビニとも連携しているところに百名城のコミュニティに驚きを感じる。

車で向かったのだが、鳥居強右衛門の磔の看板で、すぐに場所がわかる。この人がいなかったら、また歴史は変わっていたであろう。

帰り際の職員さんに、長篠城址・史跡保存館の中の様子を聞いてみると、長篠の合戦の資料などがあるそうである。

一通り辺りを見回して、そのあとに帰りました。帰り際、浜名湖の弁天島まで行き、そこから岩村城に向かおうと思い、北へ向かったのですが、初めて通る夜の山道、後ろから煽る危険な車、そんなわけで再び高速に乗り、名古屋で泊まり、翌日に岐阜城へ向かいました。城めぐりでの青森の夜の道のときも同じ目にあいました。

2022年4月5日再訪。火曜日のため史跡保存館は閉まっていた。桜がきれいであった。2022年4月7日再訪。ようやく史跡保存館に入れた。本丸のたんぽぽがきれいであった。それから、鳥居強右衛門の磔の地を訪れた。飯田線の電車がすぐ近くを通っていた。
岐阜城
2016年5月20日
51城目。

先日の、掛川城、岡崎城、長篠城へ続いて登城しました。

金華山をロープウェイで登りました。景色が綺麗。夜はもっと綺麗なのでしょう。

ロープウェイを降りると、小学生たちが遠足で山の上に来ていたようで、登ってきた人のなかに学校の先生がいたようで、子供達は「先生ロープウェイ使ったーズルしたー」と、可愛らしい感じに見えるのではあるが、小学生の視点からしてみれば、罵詈雑言のシュプレヒコールであったのだろう。

天守閣を見て、資料館を見た。

金華山は岐阜城だけでなく、金華山リス村もあるので入ってみた。リスに餌を直にあげるので、とても可愛らしかったですが、リスの視点からしてみれば、餌を得るために必死であったのだろう。そして僕もお腹が空いたので、信長どて丼を食べた。

ロープウェイで下って、信長公居館跡を見て、岐阜駅前の金の信長像を見た。

この城に関して言えば、色々なことがあり、多くの感性を研(みが)かれる場所であったと言っても過言ではないだろう。


そして岩村城へ向かいました。
岩村城
2016年5月20日
52城目。

岐阜城から向かいました。

車で行きましたので、山頂あたりの出丸に停めたのですが、山道の車道は対向車が来たら危ないので、慎重に向かいました。

本丸跡や六段壁を見て、下まで下り、岩村歴史資料館・民俗資料館でスタンプを押しました。もちろん中も見る。そこから再び山を登りました。

陽射しが降り注ぎ、汗だくで登りました。しかし、改めて思えば、ここは日本三大山城の1つであり、高取城とは違い、道は石畳で整理されてはいるが、その石畳が脚に響いて、わりとダメージになりました。

六段壁を再度見て、あれって七段あるよな?と思ったことはふせておきます。

山城といえば絶景。絶景といえば山城。ここ岩村城は、見ごたえもあり、百名城制覇の厳しさや奥深さ、やりごたえの実感、1つ終えたことへの達成感など、さまざまなことを教えてくれる城でした。

2日間で、掛川城、岡崎城、長篠城、岐阜城、岩村城を制覇し、帰路につきました。ハードな2日間でしたが、記憶にしかと焼き付けました。
八王子城
2016年5月26日
53城目。

関東・甲信越制覇最後の八王子城。高速道路で向かい、ガイダンス施設のところに駐車をし、スタンプを押して、八王子城の歴史を見て、登山しました。思っていたよりも道は険しかった。しかし景色は素晴らしかった。

途中に、小宮曲輪への近道のため、ロープを掴んで登る箇所があります。僕は登って近道をしましたが、あとから聞いた話によると、そこの箇所で落ちた人がいて、ヘリコプターで救助されたようです。注意を怠ってはいけませんね。普通にロープがあるので、これをつたって登るもんだと思ってしまいました。

その後、本丸跡や八王子神社を見てから下り、途中にロープがあった箇所も見て確認し、そのまま下り、そして御守殿跡へ向かいました。野鳥の写真を撮りに来ている人たちがたくさんいました。曳橋を渡ったところにある御守殿跡の石垣にはマムシが多かったです。マムシは美濃だけで十分です。

帰ったときは疲労困憊でした。
松江城
2016年5月30日
54城目。

サンライズ出雲で向かいました。せっかくなので、出雲大社を見てから松江城に向かいました。ちなみに、電車の数が少ないので、乗り過ごすと時間の大きなロスという旅行者にとっての大ダメージをくらってしまうため、出発予定の時刻表はメモしておいたほうがいいです。くらいました。

松江しんじ湖温泉駅で自転車を借りました。返すときは松江駅近くでも可能なので、とても便利です。松江城は天守閣がカッコいいと聞いていたので、とても楽しみにしていました。そうしましたら、期待以上のものがありました。天守閣もカッコ良かったのですが、天守閣の中の木造がとても力強い重厚さがありました。

「日本の道100選」に選ばれている塩見縄手も良かったです。小泉八雲記念館が5月31日まで再整備工事をしていたこと以外は(笑)7月16日からリニューアルオープンされるそうです。

2015年5月15日にめでたく国宝に認定されてから1年が過ぎました。おめでとうございます。

その後、玉造温泉へ向かいました。
月山富田城
2016年5月31日
55城目。

玉造温泉から電車で松江駅まで向かい、八重垣神社へ行き、その後、安来駅に向かい、そこから無料シャトルバスで足立美術館へ向かい、そこからタクシーで月山富田城まで向かいました。

タクシーの運転手さんが良い方で、月山富田城を一番良く見れる位置を探していたようで、天守閣の形をした建物と山城の城跡を重ねて見れるところまで案内してもらった。素晴らしい景色と、それを見つけた見事な運転手さん。僕が一番最初にそれを教えた客であったようである。安来駅に戻る際に市立病院前で一時間ほどバスを待つのも時間がもったいなかったので、結局安来駅までお願いした。赤い屋根の民家が多いことに気がつき、運転手さんから石州瓦についてもおしえてもらった。とても楽しかった。旅先でこういう出会いもあるものですね。

ちなみに、花の壇より上は工事中でした。また、安来市立歴史資料館は火曜日が休みになったようで、火曜日であったため入れなかった。残念。

その後、鳥取駅へ向かい、レンタカーを借りて宿をとり、明日の予定を考えました。
竹田城
2016年6月1日
56城目。

鳥取に泊まっていたのですが、よく考えてみると、竹田城もいけそうだと思い、鳥取から借りていたレンタカーで竹田城まで行きました。

ハードスケジュールになるので、竹田城の駐車場まで行き、時間短縮を考えて、さらにそこからタクシーでなら上に行ける道があり、ギリギリまで登ってもらいました。

そして日本のマチュピチュを見て、帰るときもタクシーがギリギリまで来れるところへ来てもらうために、先ほどのタクシーに電話をして、一方通行のためグルッと山を回って駐車場まで向かってもらい、そこで、朝来市名物の元気丼を食べて、鳥取砂丘へ向かいました。元気が出ました。
鳥取城
2016年6月1日
57城目。

旅行最終日(の予定でいた)。竹田城から鳥取砂丘へ向かいました。砂丘を歩いてラクダと一緒に写真を撮って(有料だけど優良)、観光リフトに乗って駐車場へ戻り、急いで鳥取城へ。
仁風閣を見学し、鳥取城の天球丸まで急いだ。仁風閣の受付の方が、僕の雰囲気を見て察したのか、仁風閣の裏に、天球丸まで向かう近道があることを教えてくれました。ありがたいことです。天球丸は上からのみ見ました(時間的な都合で…)。
竹田城、鳥取砂丘、鳥取城を楽しみました。
その日の夜に、明日の仕事が休みになったと、連絡が来る。
翌日、米子空港から羽田空港に帰るルートにし、一日が余ったので、水木しげるロードに行ってみたら、ねこ娘が歩いていて、走って追いかけて、すいません、一緒に写真を撮ってください、と。ねこ娘はOKサインをしてくれて、少しだけ一緒に歩いた。緊張した。でも嬉しかった。土産屋さんに頼んで、ねこ娘と一緒に写真を撮ってもらい、ねこ娘が肘を上げて両手で握手してくれました。感動。一生忘れられない思い出。お別れをして、立ち去ってゆくねこ娘の後ろ姿、気がついたらそれを見送っていた童心に還った自分がいた。
徳島城
2016年11月29日
58城目。


自動車で回りたかったので、東京の有明から東九フェリーに車を乗せて船で徳島へ来ました。

徳島中央公園の駐車場で車を駐車し(310円)、さっそく徳島市立徳島城博物館(300円)でスタンプを押しました。館内は写真撮影が禁止されていたため、庭園のみ撮りました。本丸を目指して階段を登り、そして下っている途中で、東二の丸跡に天守閣跡があり、天守閣は本丸ではなく東二の丸にあったのだと驚きました。本丸より下の位置にあったことにも驚きました。

また、鷲の門を入ったところにある、草月会徳島県支部の、竹のトンネル制作「・・・そして未来へ Hanaのバトン」を潜ったときは童心に還りました。

ちなみに、下乗橋近くの舌石の場所は陸橋の階段を登っている途中で右下を見るとありました。なかなか見つからなかったので、判りづらいので、食堂のおばさん方に聞きました。

ひとまずは、四国一城目を制覇。
丸亀城
2016年11月30日
59城目。

丸亀城の石垣は見事です。野面接と打込接と切込接の全てを堪能しました。もともと、搦手門の方が大手門でしたようでしたが、攻められてくることがないことが想定され、反対の海側に大手門を建てたそうです。ゆえに、初期の生駒氏の時代の野面接の石垣は搦手門の側にあるそうです。また、丸亀城の石垣の八割は、その後に入城した山崎氏の時代のに築かれたそうです。天守閣の周りが京極氏の時代に築かれたそうです。ちなみに、これらは全て、天守閣へ登る坂道の麓のお土産屋さん(丸亀城は石垣が全種類あることと大手一の門に入れることとおすすめのルートなど)と、天守閣の受付の方(搦手門は大手門であったことと搦手口の石垣は風情があることなど)から聞きました。

日本一小さい現存天守から見える瀬戸大橋が綺麗です。そして、丸亀の名物は骨付鳥のようでした。

補足ですが、資料館は来年の3月15日まで改造工事のようです。仕方ない。
鬼ノ城
2016年11月30日
60城目。

丸亀城から瀬戸大橋を渡り、鬼ノ城へ向かいました。ビジターセンターへ到着し、展示物や鬼ノ城についての映像を観ていました。鬼ノ城を一周するコースにしようと思い、先に進みました。景色に見とれながら進みました。今日は17時10分〜17時20分には急激に暗くなりだしました。

山城のため、戻る時間を逆算して計画をしたほうが良さそうです。
津山城
2016年12月1日
61城目。


朝イチで津山城へ到着。見事な石垣の残る城を一回り。スタンプの設置場所は、城の入口の受付ではなく備中櫓の中です。

天守台の石垣にはハート形の石があります。西側の天守台の石垣です。

また、城の裏口からは入れません。裏口は、一人ずつ出られる回転出口でして、出ることはできますが、入ることはできません。

その後、ホルモンうどんを食べてから、備中松山城へ向かいました。
備中松山城
2016年12月1日
62城目。

津山から車で一時間少々で、ふいご峠まで到着しました。

ふいご峠からは、狭い山道と防災道路の道に分かれており、僕は防災道路を選びました。しかし、足は痛くなりました。備中松山城を訪れたあとの帰りは狭い山道にしました。ただ、今思えば、登るときは狭い山道の方がいいです。城主による登城心得が書かれた立て札を見ながらの登城は、見も心も引き締まります。

また、自然の岩と人工の石垣の組み合わせは芸術です。

天守で面白いことを発見しました。天守の中から二重櫓を見れる四角い穴があり、そこから二重櫓を見ると、それのみを強調した一コマがとても絵になり、驚かされます。言葉通り、絵になりました。


その後、福山城へ。
福山城
2016年12月1日
63城目。


備中松山城から向かいました。車で約二時間。本日、三城目。

四時に到着し、復元天守の中へ。天守の中は博物館になっていました。写真撮影は禁止されていたため、天守から見える景色のみ撮りました。


筋鉄御門から出て坂道を降りて進んだところにある城の地図看板を見る限り、本来の福山城は、今の面積よりも大きかったことがわかります。地図看板の前に福山駅があるのですが、駅も福山城の敷地内であったことがわかります。城から見る駅の向こう側には大手御門があったようです。


翌日の10時半まで、帰りの東京行きの船に乗るため、東九フェリー徳島新ターミナルにいなければならないため、なるべくそこの近くで泊まろうと思って車を出しましたら、異色の商店街が目に入り、観光と食事をする。大黒町というそうです。

その後、瀬戸大橋を渡り、高松の健康ランドで一泊しました。
高松城
2016年12月2日
64城目。

先日、瀬戸大橋を渡り、高松の健康ランドに宿泊。

高松城は、日の出から日の入りまで開いている、非常に融通がきく城です。

ゆえに、七時過ぎた頃に入りました。

海城のため、堀は海水であり、魚たちに餌をやることもできます。海城は美しかった。

八時半に高松城を出ました。東京へ戻るため、十時半にオーシャン東九フェリー徳島新ターミナルにいなければならず、それを考えたら、高松城はとても融通がきく。有り難い。

今回は時間がなく、直島と栗林公園は訪れられなかったが、次回は訪れようと思います。
郡山城
2017年4月20日
65城目。


東九フェリーで有明から徳島へ向かい、高松の栗林公園を楽しんだ後に、今治へ向かいました。今治に到着後、せっかく車なので、郡山城へ向かおうと思い、急きょ今治・尾道を繋ぐしまなみ海道を通って郡山城へ向かいました。夜の2時前に着いた広島の健康ランドで一泊したのち、体を休めて郡山城へ。歴史資料館でスタンプを押しました。ちなみに、郡山城の山道は大変でした。スニーカーで良かったです。清神社から歴史資料館の駐車場へ向かうときに、少年自然の家の中にある「三矢の訓跡碑」へ行こうとしたらフェンスでふさがれていて、立ち往生。途中で立ち寄ったお好み焼き屋さんの方々が親切に入り方をおしえてくれました。フェンスは開けてもいいそうです。ありがたいです。ですので、石碑への向かい方は少年自然の家の中にあるフェンスを開いて入ります。もちろん、開けたら閉めましょう。それから、広島城へ向かいました。
広島城
2017年4月20日
66城目。

郡山城から向かいました。広島は小6のときに家族旅行で行ったのですが、そのときの印象が、「アメリカ人が多いなぁ」と。外国人=アメリカ人と思ってた時期がありましたが、改めて考えると、やっぱりアメリカ人が多い印象で正しかったのかもしれない。それは、友好の証し。現存していた天守閣は先の大戦により崩壊。しかし、今では、見事に復活を成し遂げて、多くの外国人が天守の中で広島の歴史に触れていた。

また、鯉城というだけあり、既に城内の広島護国神社には鯉のぼりが掲げられていました。
今治城
2017年4月21日
67城目。

二日続けて泊まった広島の健康ランドから、しまなみ海道を渡り、今治城へ。今治は、タオルとバリィさんが有名な街。

築城の名手、藤堂高虎によって造られた海城、今治城。大きな水堀は海水が使用されている。海水に浮かぶ、日本三大水城とも言われている。

今治城と、今治の街を堪能した後、湯築城へ向かう。
湯築城
2017年4月21日
68城目。

今治城から一時間ちょっとで湯築城に到着。すぐ近くには道後温泉。今日は、この辺りで泊まる。到着した時間はお昼13時11分。愛媛県は百名城が五つもあるため、スタンプが一気に増える。湯築城資料館のボランティアスタッフらしき方から、河野氏の解説を細かくおしえてもらう。とてもありがたい。

武家屋敷は室町時代のつくりだった。ですので、一乗谷城と似ていた。

さらに、湯築城のすぐ近くに、松山城がある。ですので、湯築城から松山城が見えます。一日で、今治城、湯築城、松山城と、一気に三つも城巡りができた。
松山城
2017年4月21日
69城目。

湯築城から二キロほど直線上に離れたところに位置する、現存天守の松山城。壮大なため、ロープウェイに乗りました。天守群から力強さを感じた。
帰りもロープウェイに乗りました。壮大なため。

夕日も相俟(あいま)ってか、城山公園から見える天守が美しかった。

それから、道後温泉に向かいました。
大洲城
2017年4月22日
70城目。

大洲城は、約十年前の平成十六年に再建された。ものの見事に、再建された。内部の構造も、しっかりとしていた。感動を覚えた。また、白さが際立ち、美しかった。

自然豊かで、とても環境が良い。

それから、一時間かけて宇和島城に向かいました。
宇和島城
2017年4月22日
71城目。

大洲城から、一時間もかからず、車で到着。
山道が意外と大変。
現存天守から景色を眺める。築城の名手、藤堂高虎のセンスを改めて体感。
高知城
2017年5月2日
72城目。

飛行機で向かいました。城を訪れる前日に、ライトアップをしている様子を伺いました。
現存天守現存本丸御殿の高知城は、貴重である。
これで、四国の百名城は制覇。飛行機で帰りました。
津和野城
2018年4月30日
73城目。

津和野駅から自転車をレンタルして進む。ご飯を食べてから、太鼓谷稲¨成¨神社の鳥居を潜りながら山を登る。神社に着いてから、御朱印をもらい、リフトに乗って、津和野城へ。途中、道が板の足場になってます。そして山道は険しい。汗をかきながら、なんとか一番高い三十間台へ。そこから見る景色は、心が奪われました。そこから見る三の丸も見事。そして山を下り、リフトで下る。到着して立ち上がったら、リフトに頭をぶつけた。背の高い人は気をつけましょう。そして、リフトの屋根の部分が赤みがかってたのは、周りの石州瓦の家々を意識したのだろうか?

自転車を返して、SLに乗って、新山口へ向かい、そこから、こだまで岩国へ向かいました。
岩国城
2018年5月1日
74城目。

前日に、錦帯橋近くの宿に泊まる。錦帯橋と岩国城のライトアップは22時まで。

暗くなった錦帯橋を浴衣姿で歩く。風が涼しい。

翌朝、ロープウェイで山を登る。岩国城まで歩く。もともとあった岩国城の天守台が残っていた。今の天守は、錦帯橋と一緒に見れるために移動したという。

ロープウェイで山を降りて、バスで新岩国駅へ(最初わ間違えて、岩国駅にバスで向かいました。新岩国駅と岩国駅は距離があるので、間違えないでください。間違えた人間より)。

それから、新山口駅でレンタカーを借りて、秋芳洞へ向かい、カルスト台地のの帰水(かえりみず)を見て(地獄台へは時間がなくて行けませんでした)、萩城へ。
萩城
2018年5月1日
75城目。

石垣くらいしかなかった。あと、観光客に優しくない街だと思った。萩城の受付に"地図入りの"パンフレットはなく、潮入門跡の場所を受付の人に聞いたら、北の総門の場所をおしえられた。どうしても判らなくて再度、受付に聞きに行ったら、「真っ直ぐ進むと長屋があるから、そこで誰かに聞いて」と言われました。仕事丸投げ感が凄まじかった。仕方なく、スマホのナビで「潮入門」と検索したら、普通に、城内の海から入る水堀の、海水の入り口にありました。石垣の裏に隠れていたようでした。
福岡城
2018年5月2日
76城目。

博多駅からバスで向かいました。途中、ラーメンのためにキャナルシティ博多で、一度下車しました。

雨が振りだしたので、折り畳み傘をコンビニで購入。福岡城の前に護国神社があったので、御朱印もらってお参り。そして、雨の中の城歩きは汗が出る。スタンプを押す鴻臚館は、見所あり。多賀城を思い出す。千年以上昔の人たちの生活や根拠を知るのは面白い。職員さんからパンフレットと地図をもらった。伝潮見櫓の場所をおしえてもらう。親切だ。某○ぎ城とは大違い。城地図を見て気がついたが、重要文化財の多聞櫓を撮り忘れていたので、戻った。戻る前に、福岡城むかし探訪館へ。こちらも親切。重要文化財の多聞櫓を撮ったあとに、雨でびしょびしょの地図。新しく地図をもらいに、福岡城むかし探訪館に。そこで判ったのが、多聞櫓を撮り忘れる人が多いそうな。天守台で引き返す人が多いそうです。あと、個人的には、多聞櫓は二つあって、片方が再建されたものです。判りやすく言うと、奥の方の櫓が重要文化財です。それから、大濠公園の橋を渡って戻って、大濠公園駅から吉野ヶ里へ向かいました。吉野ヶ里で一泊。
吉野ヶ里
2018年5月3日
77城目。

吉野ヶ里の温泉のホテルから、バスで向かいました。3キロの距離なので、すぐに到着。

ゴールデンウィークのため、入場料は無料。

西口は4月28日〜30日と、5月3日〜6日が無料。
東口は5月3、4日が無料。東口から入りました。

さっそく歩く。古代に思いを馳せながら。

やがて、北墳丘墓へ。職員さんと少し話す。古代人はみんな立派な墓だったんですね、と言った。職員さんは、今は、忙しいから、あと、場所もありませんから、そうなると(埋葬に力を注ぐと)、世の中回らないですからね、と。

生死観、死生観は、古代の方が優れていたのかもしれない。

市の広場で「弥生の丘マルシェ」(5月3〜6日)というイベントが開かれていた。家族連れがメイン。キャンプのテントもあった。出店や、神埼そうめんまつり(5月3〜5日)やコンサートなど。賑わっていた。

いなほのみちを歩いて、神埼駅に向かう。次の目的地は佐賀城。
佐賀城
2018年5月3日
78城目。

入城が無料なので、少し募金しました。吉野ヶ里公園や佐賀城、そして本日(5月4日)行った名護屋城の博物館(無料)や名護屋城跡(大学生以上は清掃協力金100円)といい、佐賀の城は気前が良い。

本丸御殿はゴールデンウィークなだけあって、家族向けのイベントがたくさんあった。

佐賀城には、3つのハートがあるようなので、探す。特に、ハートの石は触ると幸せになれるそうである。探した。探しまくったら、結局、鯱の門の側に全部あった。自力で見つけないといけないそうなので、鯱の門の側としか書けないのは、ご了承下さい。

その後に、東京の京成立石の「呑んべ横丁」で知り合った佐賀のおじさんに電話をした。ゴールデンウィークに佐賀に来るなら電話しなよと言われたので、本当に佐賀に行き電話しました。本当に来るとは思わなかったと言われ、さかなや道場佐賀南口店でご馳走になりました。

素敵な一期一会でした。一期二会?
名護屋城
2018年5月4日
79城目。

佐賀駅から唐津駅に向かい、12時35分の名護屋浜行きのバスに乗る。下車は名護屋城博物館入口。ただ、あらかじめ、バスセンターの方に、バスの事情を聞いた方がいいかもしれません。後述します。

博物館は、無料にも関わらず、見所満載。各大名の本陣の位置から、人間関係や序列が見れて面白い。

名護屋城跡は、受付の方々が親切ですので、進み方のアドバイスをもらうといいですね。石垣や景色が良い。

一通り見て回り、受付の方に、呼子の、いか活きづくりを食べたいと言ったら、ゴールデンウィーク中はやめたほうがいいという。バスの時刻表の写真の呼子に引いてある赤線は、ゴールデンウィーク中は止まらないそうだ。バスが止まると、呼子の食べ物目的で人がたくさんになり、大混雑してしまうから。だから、止まらないそうだ。ただ、歩いていって、30分以上待って食べましたけどね。イカの活きづくり食べたかったし。

で、述べます。小加倉経由の帰りのバス。土日祝日は運休。だから、赤い日は、17時42分が名護屋城から唐津駅への最終なので、……気を付けろ!
平戸城
2018年5月5日
80城目。

唐津からレンタカーで平戸城へ。平戸大橋が赤くて大きい。平戸城を一通り見回る。現存のたぬき櫓は貴重。あと、平戸城の歴史が深い。あと、景色が良い。

あと、亀岡神社で御朱印をもらった。巫女さんが初々しくて感じ良かった。探してる地蔵坂櫓の場所を聞いたら、わからなくて、謝られた。なんだか申し訳なかった。地蔵坂櫓は探したら、普通に判りました。

その後、ザビエル教会とオランダ商館へ。

それから、雲仙小地獄温泉に浸かり、疲労がふっとんで元気になって、18時半過ぎてたのをいいことに、近場の、人目がない雲仙地獄を駆け回った。子供のように走った。

それから、島原までレンタカーを走らせた。今夜は島原で宿泊。
島原城
2018年5月6日
81城目。

前日に、島原一番街というアーケード商店街の近くに泊まる。夜遅くまで飲める。逆に朝は寂しい。賑わいの天秤は朝よりも夜に傾いていた。

朝、せっかくなので、アーケード商店街に並ぶ曹洞宗の江東寺のねはん像を見に行く。商店街の並びにお寺があるという、凄まじい光景だった。

住職さんが、お茶を飲んでいきなよ、飴を持っていきなよ、と言ってくれて、心優しかった。

島原城は、天守閣も白亜の美しさを醸し出しているのだが、有形文化財の御馬見所もお忘れなく。ドアを開けて中に入ってみたら、外の光しか中に入らなかった。

先日、隠れキリシタンが処刑された雲仙地獄へ行ってからの登城であったため、島原城にある雲仙の処刑の資料を見ていると、彼らの哀哭が聴こえてきた。

島原城七万石武将隊の気遣いが素敵だった。

島原城でそうめんとかんざらしを食べて、レンタカーでフェリー乗り場近くのトヨ○レンタカーへ向かった。
熊本城
2018年5月6日
82城目。

南島原駅にたくさんとまっている「幸せの黄色い列車」を見て、島原のト○タレンタカーに車を返す。そこは、フェリーまで送ってくれるサービスをしてくれた。ありがたい。

島原から熊本までのフェリー、熊本フェリーと九商フェリーがあるのですが、先に熊本フェリーが出発するのでそっちに乗りました。次は九商フェリーにも乗りたい。

熊本港からバスで熊本駅へ。熊本城行きのバスを待ってたら、熊本城周遊バスの「しろめぐりん」というのが現れて、それに乗る。20分おきにやってくるそうです。

で、熊本城を見回った。それで一番感じたことは、工事中の天守閣のほうがかっこいいこと。感動。あと、工事のため、水堀が空堀になってた。貴重な光景。「しろめぐりん」で熊本駅に戻る。それから、明日から改装する健康ランドに泊まる(運が良かった)。
人吉城
2018年5月7日
83城目。

熊本駅でレンタカーを借りて、人吉城歴史館へ。大雨でした。

人吉城歴史館で、相良清兵衛屋敷跡の謎の地下室に、職員さんに案内してもらう。階段はわりと段差があるので注意。

地下室は、隠れキリシタンの洗礼のためにつくられた、というのが、僕の想像。いろいろ、説があります。

はね出しの石垣の横を大雨のなか歩く。そして、水の手門跡へ。よく見るために、石垣に上ったのだが、風も強く、傘も壊れかけて、まともにシャッターを押せなかった。手を伸ばしながら撮りました。

本丸へは、地面が全て水たまりでしたので(職員さんからもすすめられなかった)、危険だと感じ、水の手門跡で引き返しました。

それから、レンタカーで鹿児島に向かいました。
鹿児島城
2018年5月8日
84城目。

大雨でしたね。

黎明館はとても良かったです。

城自体の見どころは、薩英戦争時に浴びた砲弾痕の残る石垣くらいでしょうか。それが凄まじかったけど。

天文館通りで、かき氷食べてから、飫肥城へ向かいました。

ちなみに、天文館のキャバクラはとてもコスパが良かったです。

キャバ嬢曰く、鹿児島の人は酒好きなだけであって、決して酒に強いわけではないとかなんとか。
飫肥城
2018年5月8日
85城目。

16時過ぎに、大手門観光センターに到着。最初に話した観光協会の女性が親切で、運が良かった。

共通券をすすめられたが、それは買わずに、いけるだけ行こうと思った。小村寿太郎の記念館も勧められたが、全て16時半で閉まるため間に合う自信がない。

16時10分。大手門へ。そこから飫肥杉の力強さを見ながら、飫肥城歴史資料館へ。

16時20分。松尾の丸へ。それから、本丸見て、北門見て、しあわせ杉見た。

16時45分。豫章館で、偶然、最初に会った観光協会の人と会う。片付けの最中。話していたら、不可抗力で、豫章館の庭園を歩いていた。受付に人が戻っていたので200円渡す。

16時55分。小村記念館へ。受付の人に「5分で見て回るので、入れてください!」と言ったら、17時15分までやってたので入れた(共通券買ってたら200円得してた)。記念館を出たら、最初に会った観光協会の人と再会。おすすめしてくれたところ、全部見れましたと報告。喜んでくれた。また来てください、と言われた。いいところだ。

その後、おび天を食べた。うまかった。
岡城
2018年5月9日
86城目。

夜中の10時前に、502号線を走って竹田入り。途中で、道から、『荒城の月』が流れる。ラジオと別の音が聴こえる恐怖。完全にホラーであった。宿の方から聞くと、道の溝が、曲が流れるように作られているそうである。そして、その日知り合った宿の方々と、城下町に飲みに行った。すさまじく面白い展開でした。

翌日、宿の職員さんが勤めている、竹田キリシタン研究所・資料(館?)へ。そこで、館長らしき人から、岡城は、ザビエル城の構造と似ていると伺う。気になっていたことがある。人吉城の地下室(僕の想像では、隠れキリシタンの洗礼の場所)について訊ねた。キリシタンと関係の深い岡城の、キリシタンの女性が人吉城に嫁いでいるので、僕の想像の可能性は高いとのこと。

岡城へ。石垣が脅威的であった。そして、国道502号から、『荒城の月』が、度々流れて来た。

ちなみに、『荒城の月』の作曲者の滝廉太郎は、岡城を思って作曲した。そして、作詞者の土井晩翠は青葉城(仙台城)を思って作詞した。あの歌は、互いの故郷が綯交じりあっての創作であったことを知った。
大分府内城
2018年5月9日
87城目。

岡城からレンタカーで向かう途中、臼杵磨崖仏へ立ち寄り、14時半頃に大分府内城へ到着。駐車場の隣に、パイプで天守の骨格を再現した建物があった。建物は、大分城址公園仮想天守イルミネーションのようである。きっとすごく綺麗なのだろう。

城内を一周する。現存の人質櫓を見てから、天守台に登る。それから、スタンプの置かれている場所と、現存の宗門櫓を探す。見当たらないので、城の隣の市役所の観光課へ足を進める。観光課で、スタンプの場所と、宗門櫓の場所を聞く。スタンプの場所は、大手門の中に無造作に設置されていた。宗門櫓は、どこにあるか判らないそうである。ちなみに、宗門櫓は、人質櫓と大手門の間。修理中でした。工事の人に伺うと、2月4日まで工事とのこと。仕方ない。

それから、別府で、海地獄と血の池地獄を見て、関アジを食べた。それから、大宰府の宿へと向かいました。ここでも、宿の方やお客さんと、大宰府天満宮の近くで飲みました。
大野城
2018年5月10日
88城目。

大宰府から、いろいろ観光して、15時前に福岡県立天王寺県民の森管理事務所に到着。途中、水城の水城館へも立ち寄りました。

管理事務所の人から、百間石垣や尾花地区土塁や建物礎石群の場所などを聞く。百間石垣だけ、管理事務所から別方向なので、レンタカー走らせて、先に百間石垣を見る。それから、レンタカーで坂道を上って、素敵な景色を眺めて、土塁を見る。

土塁の横は崖。景色は最高。

九州一周の旅は楽しかった。大野城を最後に持ってきて、正解だった。
金沢城
2018年7月23日
89城目。

 静岡の友人宅に泊めてもらい、そこから、小谷城へ向かう予定でしたが、運転中に予定を変えて、金沢の健康ランドに泊まり、金沢城へと向かいました。

 玉泉院丸の整った庭園に感動を覚えながら、玉泉庵でスタンプを押す。中には、ボランティアの方々がいて、押したスタンプの数を聞かれ、答えたら驚かれました(もう、ベテランの域に達していたのか……)。

 その後、金沢城を見て、隣の兼六園を見ました。半袖のため、陽射しの強い暑さが両腕を痛くする。再び金沢城を見て思ったのが、個人的な感想ですが、鶴の丸休憩館でガラス越しに映える城郭が一番美しかった。
高岡城
2018年7月23日
90城目。

 金沢城から向かう。高岡市立博物館に車を止め、館内に入ろうとしたのだが、月曜日は休みのようであり、利長公が案内をしてくれる『高岡ものがたり』が見れなかった。
 しばらく、のどかな城内を歩いていると、射水神社(いみずじんじゃ)があり、御朱印をもらう。初々しい若いご丁寧な巫女さんでした。巫女さんが初々しいのはテンプレ? ただ、書はとても、ますらおぶりであった。ギャップがいい。
 本丸を見て、広大な水堀を見て、三の丸民部の井戸を見て、SLを見て、とやま花の名所は夏だったためサクラは見れず、高岡古城公園動物園も本日休園で見れず、メインの、百名城の本の土橋の石垣の写真の位置は辛うじて、根性で、粘って、やっと発見できた。そこへ向かうには、柵があるのですが、その柵の隙間を通って下ります。判りずらいです。その後高岡大仏を見て、七尾城へ向かいました。
七尾城
2018年7月23日
91城目。

 高岡城から向かいました。ここは、本丸駐車場まで車で登れるので、七尾城址までは、短い時間でいけます。

 本丸跡で、上杉謙信の愛でた七尾湾を眺望しました。

 本丸駐車場から展望台までの距離もそんなに遠くないので、車をそのままにして、展望台に向かいました。展望台の建物には、七つ尾が記されていた柱がありました。

菊尾、亀尾、松尾、虎尾、竹尾、梅尾、龍尾。

 その後、七尾駅前の、のとの回転寿司で夢のあるすしを食べて、七尾市の健康ランドで宿泊しました。
小谷城
2018年7月24日
92城目。

 七尾市の健康ランドから運転で那谷寺へ寄り、その後、源平合戦の首洗池を見て、向かいました。
 ここも、運の悪いことに、小谷城戦国歴史資料館は休館日でした。ちなみに、火曜日でした。そこの麓から、本丸を目指しました。車で途中まで登れるそうなのだが、小動物たちのことも考えて、最初から歩いて登る。
 しかし、急な登り道。拳ほどの石が散らばり、道もままならない。めちゃくちゃキツい。汗かいた。途中にある看板を見ると、どうやらこの城はクマが出るようだ。たしか、クマって、くまモンみたいなやつだと記憶している。クマのプー太郎みたいなやつだと記憶している。だとすると、クマってかわいいよね。小動物たちのことを考えて歩いて登ったが、クマとは出会えなかった。
篠山城
2018年7月25日
93城目。

 神戸のハーバーランドの健康ランドから向かいました。

 四角い城の城郭や、大書院の構造、そして、城の隣の小学校のお洒落さから、品の良さがさが漂う。

 ここは、大坂城を攻めるにあたって築城されたことを忘れてしまうほどに、高貴な感情を抱かせられる。しかし、豪い石垣がその痕跡を彷彿させる。

 複雑な気持ちにさせられる城でした。

 篠山のお盆はデカンショ祭りで賑わうようで、デカンショ祭と書かれた提灯が掲げられていた。
赤穂城
2018年7月25日
94城目。

 篠山城から向かう。たまたま訪れた日の七月二十五日に、城内の大石神社で年に一度の書道パフォーマンスと天神祭りが行われ、せっかくなので見学することにした。ぼんぼりには、児童たちが筆書きした和紙が貼られていた。幼稚園〜高校生や神職らが共同で書道パフォーマンスをする。そのあと、天神祭りで、神職さんが祝詞を読む。その後、湯立神楽が行われ、せっかくなので前の席で見た。お湯かけられた。なんでも、湯をかけられると、無病息災、家内安全のようである。
赤穂で一番印象に残ったのは、海城の赤穂城でも四十七士でもなく、大石神社の祭りだった。
 ちなみに、四十七士の堀部安兵衛の像は新発田城にもあります。流石に新発田城のほうが気合入っていた。
明石城
2018年7月26日
95城目。

 明石市で一泊した後、満月堂の豊助饅頭と、藤江屋文大のめで鯛もなかを、お土産で頼まれて立ち寄り、明石城へと向かう。

 巽櫓と坤櫓を見る。明石城の櫓は、陸の敵だけでなく、海賊への監視も行っていたようである。

 また、隅櫓は、明石駅のホームから見るのがいい。わざわざ入場券買ってホームまで行く価値はある。

 その後、淡路島で生しらす丼を食べて、淡路島の伊弉諾神宮を訪れて、徳島の港のビジネス旅館で一泊し、東九フェリーで東京へ戻りました。
根室半島チャシ跡群
2018年8月22日
96城目。

せっかくなので、フェリーのさんふらわあに大洗から乗って、バイクで苫小牧から時計回りに北海道一周してきました。四日間の弾丸旅行です。大自然をこの上ない幸せな気持ちで味わいました。

ヲンネモトチャシは、当時のアイヌの人たちの生活についての、想像力を駆り立てられる場所でした。

ちなみに、北海道は夜はガソリンスタンドが閉まるので、燃料には注意が必要です。
首里城
2020年8月1日
97城目。

2006年の正月に家族旅行で一度訪れてからの再訪です。その当時は正殿もありました。

大人になった今回は一人で行きました。

さらに大人になってるはずの次回は自分の持った家族で行きたい!

2007年の6月2日からスタンプラリーが開始されたそうですね。そのため、再訪しました。

最初に言っておかないといけませんが、スタンプは、系図座・用物座よりも首里杜館がおすすめです。系図座・用物座のスタンプは少し剥げてます。

当時は正殿も焼失してなく、普通に楽しみました。また再建できることを願っています。

東のアザナから眺める景色は、正殿があった頃とは違う景観が見えます。それはそれで良いですね。

ところで、一度系図座・用物座にスタンプを押しに戻ったのですが、再び通った有料区域の入り口で「(コロナの影響で)明日から入場できませんね」とスタッフに言っているお客さんがいた。

嫌な予感がした。

ちなみに、沖縄でオリオンビールを買ったのですが、「首里城再建支援缶」と書かれており、「1缶につき3円が首里城の再建支援に活用されます。」と書かれていた。
中城城
2020年8月1日
98城目。

レンタカーで首里城から30分ほどで到着。15時45分ごろでした。

首里城で嫌な予感がしたので、念のため中城城の駐車場から今帰仁村グスク交流センターへ電話したら、やはりそこも沖縄県緊急事態宣言のため8月2日から閉鎖。ただ、開城は19時までのため、中城城を急いで見て回った。
中城城には、三種類の石積みがある。南の廓の野面積み、一の廓の城壁の布積み、三の廓の相方積み。
また、正殿のあった一の廓の城壁(布積み)の美しさ、石垣の上から眺める中城湾のきれいな景色(写真は南の廓から一の廓に入って右にいったところにある木の柵のある石垣の上から)、二の廓の石垣(布積み)や三の廓の石垣(相方積み)の曲線も美しい。裏門の精巧なアーチは絵になります。

30分ほど見回った後に急いで今帰仁城へ向かいました。このとき4時15分。

翌日の2日に護佐丸のお墓も訪れる。お墓は城外にあるため閉鎖されていても訪れます。中城城から200メートルほど東です。座喜味城(ユンタンザミュージアム開放。スタンプ〇。登城〇。)と勝連城(コロナのため休憩所閉鎖。スタンプ×。登城〇。)の間に訪れました。
今帰仁城
2020年8月1日
99城目。

中城城から一時間以上かけて17時半に到着。なんとか間に合いました。
余裕ができたので、のんびりと回りました。
御内原(うーちばる)から眺める大隅(うーしみ)の景色は絶景でした。
御内原(うーちばる)の端っこにある、『ここオススメ』の看板の場所から右方向を眺める。志慶真門の城壁がよく見えた。オススメされるわけですね。
また、主廓から見下ろす志慶真門廓の城壁は、空から万里の長城を見ているような、とても爽快な眺めでした。
主廓から志慶真門廓に降りるときは、まるでこれからジェットコースターに乗るかのような気分にさせられました。
志慶真門廓から眺める主廓の城壁は、台風によって崩れていて、網が張られていました。心なしか、少し傷がある城壁の方が、かっこよく思えてしまいます。
大隅の石垣は屏風状となっていて美しい。
石垣に見とれてばかりの沖縄の城廻でした。
岡山城
2021年4月11日
記念すべき100城目。

写真1は、百名城制覇まで乗り続けた車(4/10)。
写真2は、宿から、ライトアップされた西から観る岡山城(4/10)。
写真3は、宿から、最終登城の日の西から観る岡山城(4/11)。

22年ぶりの岡山城は夫婦で訪れました(去年の9月に結婚しました)。前泊の宿は、妻が岡山城を窓から見られるところをとってくれました(ホテルエクセ〇岡山)。

僕の1番好きな城の岡山城。1999年1月2日以来の登城になります。当時は家族旅行で訪れたのですが、僕は思春期で、天守閣を見るまでは「んだよ、城なんか興味ねーよ!」と思っていました。嫌々歩いて、中段から不明門(あかずのもん)をくぐり階段を上り本段に足を踏み入れたところで左を向いたら、全身に凄まじい電撃が貫いていきました。めちゃくちゃカッコいい天守閣。それを観たときの瞬間の映像は、今でも脳裏に焼き付いています。あのとき「興味無いなんて思ってごめんね」と思い続けた城は僕を城好きにさせてくれた。遅くなったけど、僕に百名城を制覇させた岡山城は、大切な人と一緒に百名城の最後に訪れたかった。それが叶いました。ありがとう。
白石城
2021年7月21日
101城目。

百名城を達成してから少し経ち、夫婦で乳頭温泉へ向かう途中に訪れました。
白石城のお土産屋さんで続百名城の本が売っていた。僕が百名城制覇したのを妻は知っていたので、妻は続百名城を始めてみようと思って買ったようでした。僕は百名城の大変さを知っていたのでおすすめはしませんでしたが、少し考えて、何かの縁だと思って続百名城を夫婦で制覇しようと思い、僕も続を始めることにしました。百名城の再評価と続百名城の新機軸の長い旅が始まる。

僕は白石城のスタンプ自体は旅行帰りの23日に、白石城に立ち寄って押しました。21日の、白石城のあとにうーめんを食べてから乳頭温泉に向う間に仙台市青葉の丸善で続百名城の本を買ったので。始めることを悩んでいました。
脇本城
2021年7月22日
102城目。

乳頭温泉から水の青い田沢湖(鳥が水中で魚より優雅に大きく速く泳いで水中から飛び立って行った)、鏡石、御座石垣神社、なまはげ立像、鵜ノ崎海岸、ゴジラ岩と見て回ったあとに、脇本城へ。

脇本城の歴史が面白かった。信長と贈り物をし合っていたようです。安東愛季(ちかすえ)がタカ10羽信長に。信長が刀を愛季に。愛季がラッコの皮を10枚信長に。どうやら秋田にはラッコがいるようだ。

険しい城ではないので、犬の散歩コースになっていた。

帰る途中に秋田城の看板を見つけ、秋田城も訪れた。古代水洗トイレがあった。歴史資料館が閉館したので秋田城のスタンプは押せなかった。

多賀城市に泊まり、23日はまず東北歴史博物館を訪れ、その後に多賀城史遊館で勾玉を作り、多賀城跡を訪れ、うーめんを食べて、21日に押さなかったスタンプを押しに白石城へ向かった。しかし白石城を訪れた日付は21日にした。

そして東京まで車で帰りました。
本佐倉城
2021年10月31日
103城目。

夫婦で佐倉城を訪れてから本佐倉城を訪れました。車で15分の距離です。

最近道が整備されたのか、案内所までの道が綺麗だった。案内所には案内をしてくれるおじさんたちが親切に本佐倉城のことをおしえてくれる。

少し山登りしますが、青森の根城と同じ系統の城のようである。

山頂からは京成電車が見えます。周りになにもないので、走る音がよく響きます。
笠間城
2022年2月2日
104城目。

妻と訪れました。かさま歴史交流館井筒屋がつるし雛を飾っていて、ひな祭り仕様になっていた。

親切なおばちゃんがカメラの充電をさせてくれた。せっかくなので抹茶をいただく(後で気がついたのだが、閉店時間はとっくに過ぎていたようだった)。面白いのが、抹茶の器を自分で選べるという仕様。

笠間城本丸に向かう途中の道にある大黒石の隙間部分に石を3つ同時に投げて全て入る。正式には3回連続で投げて一つでも入れば願いが叶うようである。

頂上まで訪れたかったのだが、震災の影響で頂上の神社が崩れてしまうかもしれないそうなので立入禁止になっていた。

笠間稲荷神社を訪れて、水戸で常陸牛食べて、妻の仕事に付き添う形でひたちなかで一泊しました。
土浦城
2022年2月3日
105城目。

今日(節分の日)、ひたちなかで停車していると仕事帰りの妻と偶然合流。

せっかくなので土浦城へ向かおうということになり、水戸でうどんを食べてから土浦城へ向かう。

土浦市立博物館で展示物を見て楽しんだが、面白いことを知った。土浦藩藩主は途中で久留里城の城主の土屋忠直の次男数直が入封したようで、久留里城の土屋家は3代ですぐに廃絶になったが土浦の土屋家は明治維新まで続いたそうです。

それから東櫓の中を見学して現存する櫓門(太鼓櫓)を見て帰りました。櫓門の前では鳩の夫婦がいちゃついていた。

途中で土浦のわくわく広場で恵方巻を買って、長い運転で家に帰ってから北北西を向いて食べました。豆も年の数ほど食べました。

良い節分になりました。
小机城
2022年2月5日
106城目。

閑静な住宅街の中にある平山城でした。

竹やぶがきれいに整備されていました。

太田道灌が集落の松の下で「小机はまず手習いの初めにて、いろはにほへとちりぢりとなる」と詠んで味方を鼓舞して、反乱を起こした長尾景春側の矢野兵庫助のいた小机城を攻めたようです。

普段、城は守る側視点で訪れますが、この城は攻める側の視点で見るのも面白いと思います。
石垣山城
2022年2月8日
107城目。

家から車で一人で向かいました。石垣山城はその名の通り山城であり、そこから見る景色は海と山に囲まれた小田原の街であった。

もともと北条氏の小田原攻めのために秀吉が築いた城なので、小田原が一望出来る。まるまる見渡せる。

肝心の石垣は、二本松城本丸下の石垣と同じ穴太(あのう)積みのようです。

二本松で思い出しましたが、西曲輪跡の二本の木がきれいでした。
興国寺城
2022年3月3日
108城目。

車で向かいました。3月2日に山中城再訪の後に三嶋大社、沼津の海鮮丼、びゅうおを訪れる。それから、熱海の水葉亭で宿泊し、明くる日の昼に沼津の興国寺城を訪れた。

つまり、沼津を連日訪れたことになる。

興国寺城は縄張りが連郭式のため、三の丸や二の丸や本丸を繋げて見渡せるので、だだっ広い。そして伝天守台に向かう坂道はわりと急である。伝天守台の石垣や伝天守台裏の大堀切などが見どころだというのが所感である。ただ、残念なのが、北の丸が立入禁止になっていたことである。

また、城内には穂見神社という小さな神社があり、そこには根古屋の「力石」という、村人たちの力比べに使われた重たい石が置かれていた。その石なのだが、不思議なことにまるで人の顔のような形をしていたため、思わず写真に撮ってしまった。世の中には変わった石があるものだ。

その後に駿府城公園を再訪し、静岡インター近くのさわやかなレストランでお肉を食べてから帰宅しました。
滝山城
2022年3月10日
109城目。

春先なのにセミの鳴き声が聴こえてきそうなお店で八王子ラーメンを食べた後に向かいました。

グーグルナビで案内されたのは、滝山城の裏山。それどころか近くの民家に入らせようとすらしてきました。

ですので、ナビには「滝山城」ではなく「滝山観光駐車場」と入力したほうが良いですね。

駐車場には地図が置いてあり、とても便利でした。最初は急な坂道を上りますが、それ以降は比較的緩やかな道です。

中の丸の国民宿舎の滝山荘の建物でスタンプを押せます。また、そこでは、滝山城のことを描いた漫画を無料で配布していた。
要害山城
2022年3月14日
110城目。

前日に甲府城を再訪。ボランティアの方々から線刻画の石垣の場所を教えてもらう。どこにあるのかわからずにボランティアの方に聞いたら、そのボランティアの方が場所を知っているボランティアの人にわざわざ聞いてくれたようである。有り難い。

登城日には甲斐善光寺と武田神社を再訪。その後、要害山城の登城口から主郭まで登る。12時50分〜13時半。久しぶりに汗をたくさんかきました。他にも登られている方々がいましたが、山登りの格好をしていました。普段着でも登れますが、登りやすい格好のほうがいいですね。

また、主郭に近づくと、曲輪がたくさん出てきます。まるでラスボスの前のボス戦のように、いくつも曲輪が出てきます。たくさんあるので、だんだん嫌になります(笑)……が、その分石垣はたくさんありますので、見どころではあります。

『武田信玄公誕生之地 東郷平八郎書』と刻まれた主郭の石碑がラスボスのように思えました。

それから、藤村記念館の黒いポストから続百名城のスタンプの用紙を取りました。記念館はコロナのため休館中のようです。

3月23日から再開したようです。
忍城
2022年3月30日
111城目。

加須うどんを食べてから向かいました。郷土博物館は過去2回とも月曜日に訪れたため、3度目の正直でやっと入れました。
郷土博物館を見学すると、忍城はとても巨大な城であったことがわかる。今ではほとんどが住宅地です。また、足袋の歴史が面白かった。横綱たちの足袋は行田市で作られていたそうで、横綱たちの足のサイズがわかって面白かった。

近くの公園前には、忍城三の丸跡と刻まれた石碑が立っていた。せっかくなのでそこで妻とシーソーで遊んだ。良い思い出になりました。

それから、さきたま古墳公園で桜を楽しみました。
浜松城
2022年4月5日
112城目。

前日に掛川城を再訪。御殿のイチョウ型の石垣を見逃す。今度訪れる予定の掛川市の高天神城の際に、改めて見てみようと思った(石垣自体はタダで見られる)。

浜松市に泊まったので当日さっそく訪れる。桜が似合う城である。城内に入ると、「三方ヶ原の戦い」の動画があり、たいへんわかりやすく解説されています。また、どういうわけか、時期によって「味方ヶ原」とも書かれていた。今は「三方原」と呼ばれているので、いろんな経緯があって名前が変わっていったのだろうか。

のんびり一時間半ほど滞在して吉田城へ向かいました。

また、前日の4日の夜にライトアップを見逃したので、愛知や岐阜から浜松に戻ってきた6日の夜に見ました。
吉田城
2022年4月5日
113城目。

吉田城の縄張りは、豊川と朝倉川が合流するところを背にしているため、また、本丸前にある吉田城の看板の当時の地図から、当時の全ての水堀に川の水を直接流して使っていた、本丸の三方を二の丸が取り囲む「梯郭式」のようである。本丸の背に谷や川があると「梯郭式」縄張りが適している。

鉄櫓の中は城下町、宿場町であったことから、それぞれの時期によって街の様々な職業の人数が変化していった記録や、東海道の浮世絵や当時の城のジオラマなどが展示されていた。

桜が咲いていて、城を背にした川が美しい。

正門は崩れる可能性があるため通行止めのようです。

吉田城は、今川、武田、徳川が攻防を繰り返し、池田輝政が入城して大拡張していたのだが途中で姫路城へ移封されたため、未完成のまま明治(または現代)に至った。

面白いことに、グーグルマップで吉田城鉄櫓をピンチアウトすると「1500年代の未完の城跡」と書かれています。

一通り見終わった後に前芝の灯明台へ向かいました。前芝灯明台の光は5海里(9.3キロ)先まで届いたそうである。

それから、長篠城へ再訪しました。
美濃金山城
2022年4月6日
114城目。

前日に岡崎城桜まつりを楽しんだ後に岡崎に泊まり、そこから向かいました。

美濃金山城も桜まつりをされていました。
『蘭丸ふる里の森 桜まつり』。
とてもネームセンスがありますね。
桜がたくさん咲いていました。

一通り城を見た後に、可児市戦国戦国ミュージアムへスタンプを押しに向かいました。

そこで、どうしても見つけられなかった「山麓部の曲輪を巡る石垣」がどこにあるのか聞いて、近くの米蔵跡へ向かいました。見事な石垣でした。また、令和3年2月に米蔵跡に植えられた枝垂れ桜も綺麗でした。関係ないのですが、車が千葉ナンバーだったから珍しがられました。

それから、桜の咲く犬山城へ再訪しました。
古宮城
2022年4月7日
115城目。

今回の旅行の最後の城。古宮城は、前日の犬山城から浜松城のライトアップ、浜松に泊まって、当日に3度目の正直で長篠城の史跡保存館にやっと入ってから向かう。

古宮城の縄張りは、グーグルで調べれば判るのですが、本丸が2つあります。また、全然整備されてないため、どこを進んでいいのかわからなかった。

ただ、曲輪の案内の立札は作手中の1年生が作成したようで、そこが救いでした。

スタンプは、作手歴史民俗資料館とコンビニのY(ヤマザキ)ショップで押せますが、資料館は毎日インクを補充しているそうで、そちらをオススメします。

また、資料館の方から近くの道の駅「つくで手作り村」に隣接する亀山城のことも伺い、こちらも訪れました。こちらは整っていた。その後、無事に帰路へと就きました。

古宮城は武田氏で亀山城は奥平氏。両氏はやがて長篠で戦います。

全然関係ないですが、三河「亀」山城を去った長篠城の奥平信昌は家康の長女「亀」姫と元「亀」4年に結婚して、四男は伊勢「亀」山城に行きました。


写真1、古宮城の大けやき。
写真2、亀山城主郭にある由来記。
高島城
2022年4月12日
116城目。

10日に小諸の懐古園の夜桜を見て、11日に小諸城、上田城、松代城を再訪して、諏訪湖沿いのしんゆという宿に泊まってから向かいました。

天守閣の中では諏訪氏の説明もありましたが、諏訪大社の御柱祭の映像も流れていました。今年は、昨年の善光寺の御開帳が1年延期になりましたので、御開帳と御柱祭が重なる珍しい年となりました。

もともと高島城は、諏訪湖の浮城として建てられたそうなのですが、埋め立てにより周りは住宅地となりました。それでも桜が天守閣と水堀と綺麗に合っていて美しいです。

それから、せっかくですので諏訪大社の秋宮、春宮、前宮、本宮を廻りました。それぞれの宮で御柱祭の年バージョンの御朱印をいただきました。

それから高遠城の桜を楽しんで信州健康ランドへ宿泊して、松本城を再訪しました。
龍岡城
2022年4月13日
117城目。

松代城を再訪してから向かいました。

龍岡城は五稜郭の形をしているのですが、それよりも、その五稜郭の中に小学校があったことに驚いた。御台所櫓は明らかに校庭にあるため、見学するときに不審者と思われないか不安だったが、他にも城廻の人はいたため、校庭に人がいるのは珍しくないのだなと感じた。関係ないのですが、ちょうど下校の時間でした。

龍岡城五稜郭をよく見るための展望台への道のりは、狭い砂利道を通るため、大きな車はあまりオススメできないので、気をつけてください。ですが、絶対にオススメです。

それから、一度家へ帰りました。
新府城
2022年4月15日
118城目。

一昨日に一度長野から東京に帰宅して、昨日再び長野へ出発。

前日に長野の善光寺の御開帳見学と戒壇廻りをして『御印文頂戴』をもらい、夕方法要を見学してからABホテル塩尻に宿泊して当日に登城。

韮崎市民俗資料館でスタンプを押した後に新府城の長い階段を登り新府藤武神社を参拝。

武田勝頼が築城した未完のお城のようで、たしかに石垣はありませんが、2022年3月9日の山梨日日新聞に『新府城本丸は完成? 石築地出土』というタイトルの記事が載っていました。3月10日には『新府城本丸は完成か 韮崎 主殿囲む石築地出土』というタイトルで同紙に載っていました。本丸は完成してたかもしれませんね。

城内は桜が散っていました。長野は桜が満開でしたが、山梨は早いようです。4月23日には関東甲信越でいち早く甲府で真夏日を迎えたようなので納得しました。

それから山梨の甲斐善光寺で御開帳を見学した後に、余った時間で先月の要害山城登城のときにもした戒壇廻りをして、夕方法要も見学してから帰りました。
品川台場
2022年4月26日
119城目。

スタンプの置いてあるマリンハウス近くの浜辺で高校生たちが楽しそうに青春していた。

第三台場を歩いた後に、レインボープロムナードから第六台場を眺める。遊歩道を歩いていたら途中から雨が強くなり引き返す。

マリンハウスの三階はデックスという商業施設と橋で繋がっていて、そこにも立ち寄る。

また、後日5月13日に川越城を再訪したのだが、改めてよく見てみると、そこにある武士の人形たちが見ているものは品川台場の地図だった。川越藩が第一台場を受け持っていたそうである。いろいろな繋がりがある。
高田城
2023年4月7日
120城目。

2023年の高田城の夜桜のライトアップは21時まで(3月29日から4月12日)。

4月6日の夜に高田城へ。旅館の人が言うにはライトアップは22時までやっていると。高田駅で19時に友人と待ち合わせして何軒も飲み歩く。こちらに住んでいる友人の提案で、観桜会はすごく混むから21時ころに向かうことにする。21時半頃に三重櫓へ向かったが、ライトアップは終わっていた。夜桜は綺麗だった。その後も飲み歩いて、立ち寄ったバーの人から「毎年22時までだけれど、今年は21時までなのよ」と聞く。2023年の高田城のライトアップは21時まで。「旅館の人は嘘は言っていなかった。最新情報がアップロードされてないだけだ」と友人が言った。そのとおりである。誰も悪くない。それから12時半まで何次会もやった。

翌日、春日山城を再訪した後に高田城へ。駐車場から城まで割と離れていた。一通り回った後に三重櫓でビデオを見る。三階から、休憩所にいた家族の写真を撮る。近くにある池の桜の絨毯が美しかった。

結局、その日の夜にライトアップを見に再び高田城を一人で訪れた。今度はちゃんと見れました。
鮫ケ尾城
2023年4月8日
121城目。

斐太神社の横の駐車場から案内所へ歩いていると、アスレチックがたくさんある。雨が降り出してきたので、案内所で鮫ヶ尾城についてのDVDを見せてもらう。少し小雨になったところで、本丸へ向かう。大きな池へ向かう下りの階段が急であった。家族を残して一人で向かうことになる。少し歩いて、池を見ていると家族がやってきた。タイミングよく雨がやんだ。これから東登山道へと進むのだが、とても滑りやすそうなため注意しながら歩いた。案内所に置いてある登山用のステッキを借りて正解だった。本丸までいくつもの堀切を通った。徐々に本丸へ近づくと、たくさんのカタクリの花がきれいに咲いていた。本丸へ着いたときはとても気持ち良かった。風が強かった。それから、上杉景虎が自害したとされる井戸跡へと向かう。そこへの下り道は滑りやすそうだったので、僕一人で下った。それから北登山道で家族と案内所へと戻る。途中、上信越自動車道のトンネルの下を通った。案内所でカタクリの饅頭を買った。おいしかった。
唐沢山城
2023年4月30日
122城目。

家族で向かった。僕は加須市で仕事があり、その間は家族は散歩をして、仕事が終わってから加須うどんを食べて唐沢山城跡へ向かった。

唐沢山城跡は猫が多かった。あと、郭に看板を立ててほしい。途中で何郭なのかわからなくなった。本丸から二重の堀切まで、いくつも郭があったのだが、おおよその予想はついたのだが、不安になった。
杉山城
2023年5月2日
123城目。

家族と向かう。中学校の門を入っていきました。途中の坂道、野球ボールが落ちてたので野球部の生徒にフェンス越しに伝えると、丁寧に挨拶をされて走ってボールを拾いに来ました。坂道を登って校庭を見ると、たくさんの野球ボールが地面を支配していた。

緑がとても多い城跡でした。搦手口に向かう途中にフクロウの姿をした木がありました。搦手口の先を進んで坂道を降りると普通の道に出ました。こごで歩いたのに何もなくて残念でした。井戸跡は井戸郭ではなく、井戸郭の隣りにありました。景色が良かったので、家族は先に戻り、僕だけ残りました。城跡の入口まで帰ると、タイミングバッチリに、妻が車で城跡駐車場から学校を越えて城跡の入口まで迎えに来てくれました。最高の妻だ。
菅谷館
2023年5月10日
124城目。

熊谷に家族で一泊して、翌日に仕事へ向かった妻の帰りを息子と待ち、熊谷のニットーモールで妻と合流してから菅谷館へ向かう。

城跡自体はそこまで大きくないのですが、わずかな高さですが、高台に登らなければ見られない緑に隠れた畠山重忠の像はぜひとも肉眼でご覧ください。迫力あります。

博物館も面白かったですので、そちらもおすすめです。
引田城
2023年7月4日
125城目。

東九フェリーしまんとに新車を載せ家族で徳島へ。少し徳島城を歩いてから高速で引田城へ。目的地は高松だが、ガソリンを入れに引田で降りたので引田城へ。
引田城の登山口1の駐車場に駐車して登る。岩山で、登山道は険しく狭い。途中で港を一望。そこで外国の方が景色を眺めながら座っていて、僕が写真を撮っていたら外国の方が「(家族)3人で撮りますか?」と言われ、お願いした。日本語が流暢な方で、少し話し、僕らは先に登る。本丸近くまで登ったが、道が悪く、妻と息子は途中で戻る。本丸まで登ると、先程の外国の方が来られ、二人で景色を見ながらいろいろと話し、登山口2まで歩く。カナダにはナイアガラの滝はあるが、大陸のため海や島や山の景色がなく、ワーキングホリデーで日本へ来られた模様。また、歴史を専攻していて、日本人に英会話の先生をしている。いろいろ納得。その方はわざわざ、登山口1の駐車場まで僕に同行してくれたので、近くの海まで車で送る。素敵な一期一会でした。引田城は岩山なので、その方のイワ○・ロックハー○という名前は忘れないだろう。スタンプは公民館が休みなので市役所で職員さんに頼んで押しました
備中高松城
2023年7月5日
126城目。

花樹海に泊まり、香川の高松城を再訪し、上原屋本店でうどんを食べてから向かいました。

備中高松城はそこまで広くはないですが、清水宗治公自刃の地や最上稲荷の秀吉本陣までを含めると観光の範囲は広くなる。

資料館は、最近新しくなったそうです。隣にある蔵が以前の資料館のようでした。職員さんに、清水宗治は切腹しなくても良かったんじゃないですかね? と言ったら、職員さんもそう思っているそうでした。歴史のタイミングというのは、本当に微妙なところで変わる。自刃する二日前に信長が亡くなったことを知っていたら、光秀からの密書が毛利に届いていたら、また違っただろう。

また、職員さんが言うには、新しい資料館から鬼ノ城が見えるそうなのですが、今日は雨で見えませんでした。
勝瑞城
2023年7月7日
127城目。

七夕でした。

7月5日の備中高松城から岩国国際ホテルに向かい一泊し、6日に岩国城を再訪。それから、7月上旬から海水浴ができるしまなみ海道の伯方島の伯方ビーチで遊ぶ。息子にとって初の海水浴。伊豫水軍でご飯を食べて今治国際ホテルで一泊。7日は今治城、丸亀城と再訪し、丸亀うちわミュージアムへ。時間の都合で万象園(日本庭園)は行けなかった。その後、運転しながら勝瑞城と一宮城のどちらへ向かおうか考えてたら、妻の提案で勝瑞城になった。なぜなら、調べてくれた妻が言うには、一宮城は山城なので、今から登ったら日が暮れてしまうとのこと。正解でした。

スタンプのある勝瑞城館跡の展示室は17時までのようで、過ぎていたので、武田石油でスタンプを押す。
勝瑞城館跡は大きな広場で、子どもたちが遊んでいた。交差点を挟んだ斜め向かいにある勝瑞城跡は、濠と土塁が残っていて、お寺と三好家の墓があった。こちらのほうが城跡感がある。

鳴門の鯛丸海月に泊まる。
一宮城
2023年7月8日
128城目。

ただ今、オーシャン東九フェリーりつりんで帰宅中。あとで書きます。

結構な急坂道でした。
向羽黒山城
2023年8月23日
129城目。

妻の運転で東京から4時間以上かけて家族三人で向かいました。山と田んぼが多くなってきたときに福島に来たんだと痛感。向羽黒山城は羽黒山の向かいにある。だから、向羽黒山というのだろうか。また、景色は山城なだけあり綺麗でした。山城はだいたい景色が良い。あとは、写真にある一曲輪の岩が気になった。

それから、近くの木造聖徳太子立像と虚空菩薩を参拝して、(猛烈な台風が来たら崩れてしまいそうな)左下り観音堂を参拝して、会津若松城を再訪しました。ソースカツ丼が美味しかった。また、8月23日は白虎隊の日でもあります。
三春城
2023年8月24日
130城目。

安東愛季が関係していた。

後で書きますすいません。
秋田城
2023年8月31日
131城目。

2021年7月22日以来の再訪という形で登城。前回は歴史資料館が閉まっていたためスタンプは押せなかったが、今回は寧ろ押せなくて良かったと思える秋田を堪能した旅だった。29日に妻の出張の仕事に便乗し、前回はまだこの世に生を受けていなかった新たな命と三人でこまちで東京から秋田へ向かい、リッチモンドホテルに泊まる。その晩は一人で秋田長屋酒場で天の戸を呑む。翌日の昼は仕事帰りの妻と合流し駅前無限堂で稲庭うどん。それから久保田城再訪。夜に秋田駅の秋田比内地鶏やで鍋や親子丼やラーメンを。すでに満足。同じホテルに連泊。31日に秋田駅からバスで秋田城へ。いよいよ秋田城である。ただ、暑かった。歴史資料館で念願のスタンプを押し、VR体験のタブレットを借りる。途中、息子の靴をバスの中に忘れてしまったことに気が付く。残念。2年ぶりの古代水洗トイレ。仮想現実世界の当時の人から自分の服装が不思議がられたり、渤海人が現れたりと、古代人とのやりとりを楽しめた。バスで駅まで帰ったら息子の靴が届けられていた。良かった。感謝。秋田駅の秋田港で寿司を食べ、顔を妻に押し当てて眠る息子を見ながらこまちで帰る。
岸和田城
2024年1月9日
132城目。

親戚への挨拶のため大阪に向かいました。

それから、高速で岸和田城まで向かいました。

本丸で天守閣に登って八陣の庭を見てから、多門櫓?隅櫓で「蛸地蔵伝説」の上映を見ました。

また、二の丸の観光交流センターや公園に立ち寄って宿へ向かいました。

翌日は千早城と高取城を再訪しました。足が痛む。

千早城のしいたけうどんがmont-bellになっていました。
それから、河内ワイン館と、キトラ古墳壁画体験館四神の館を訪れました。
高取城の猿石は変わっていませんでした。飛鳥時代から。
宇陀松山城
2024年1月11日
133城目。

宇陀市に泊まったのですぐに宇陀松山城へ。

春日神社からの登山道と「まちかどラボ」からの道路がありますが、春日神社からの道のほうが百名城感があります。

春日神社から天守閣跡まで登って同じ道を戻りましたが、宇陀松山城はそこまで大変ではありません。この先に控えている多気北畠氏館の霧山城の本丸までの登山道を考えると。ただ、妻は子供を抱きながら見事に登ったので、大変だったはずである。感謝。

それから、趣のある城下町や「まちかどラボ」や「千軒舎」を見て、道の駅でお土産屋を買い、昼ご飯を食べた後に、次の城へ向かいました。

スタンプは、全部で三箇所あります。「まちかどラボ」「千軒舎」「道の駅宇陀路大宇陀」です。「まちかどラボ」か「千軒舎」がいいです。僕は「まちかどラボ」で押しました。
多気北畠氏城館
2024年1月11日
134城目。

とにかく大変だった。翌日になってもももが痛む。

神社の鳥居をくぐり、北畠氏の庭園へ。妻と子供と北畠氏館跡庭園を回っていたのですが、そこから僕は霧山城本丸まで登りました。急な階段道が何度も来るので、何度次で最後であってほしいかと願ったか。往復3、(点)4キロなのですが、往復に一時間強かかりました。すごく疲れましたが、達成感はありました。目的地へ着いた頃に妻から心配のラインが来た。無事に辿り着いた報告の本丸の写真を送ったのだが、送れてなかった。下りは楽でした。

それから、田丸城へ向かいました。
田丸城
2024年1月11日
135城目。

多気北畠氏館跡から向かいました。

松本龍平記念館でスタンプを押したあとに、本丸近くまで車でいけます。北の丸、本丸、二の丸と、すぐに回りました。石垣が立派でした。

天守台に天守閣が再建されている最中のようでした。
子供と一緒に天守台で、本丸から妻が写真を撮ってくれました。
また、ライトアップもやっていました。

続百名城の割には比較的楽でした。

一つだけ言わせてもらえば、崖のところに柵を作ってほしいと思いました。危ないので。
高天神城
2024年1月13日
136城目。

先日、鳥羽グランドホテルに泊まり、鳥羽水族館とミキモト真珠島を見てから伊勢湾フェリーで渥美半島まで航り、掛川グランドホテルに泊まってから高天神城跡へ向かいました。

階段が整備されてて助かりました。本丸近くでは、木の根を階段にしてました。自然のチカラを使ってますね。

徳川軍は整備されていないときに攻めたのですね。大変だったと思いました。

スタンプを押しに大東北公民館へ向かうと、たまたま今日と明日で大東北公民館まつりがやっていて、お絵かきの体験コーナーで妻と子供が楽しんだり、僕は身体能力検査のコーナーで握力を平均値超えるまで測ったりと、とても良い思い出になりました。

それから、諏訪原城へ向かいました。
諏訪原城
2024年1月13日
137城目。

感想から言いますと、とても楽な城巡りでした。

ニコちゃんマークの大堀切と、本曲輪から見渡す街の情景が印象に残りました。そして、こんなに良い城や領土を持っていた勝頼の衰退がとても不憫でした。

昔、東海道五十三次を歩いた際に、金谷の石畳が記憶に残っていて、それが諏訪原城に近かったことに、歴史の流れは繋がっていると実感しました。
名胡桃城
2024年6月13日
138城目。

あとで
沼田城
2024年6月13日
139城目。

あとで
岩櫃城
2024年6月14日
140城目。

あとで