松本城 2007年9月12日 | 何度目か、分からないほど訪れている。 精悍な黒塗りと月見櫓の開放性の趣きとの対比、それらが北アルプスの白銀とのコントラストに映えるさまが、すこぶる付きで心を揺さぶるよう。 キングギドラの飛ぶ強風で、壊されてしまったリアルな松本城を思いだす。 映画での欄干は、鮮やかな朱色には染まってなかったようにおもう。 ところで、はたして石川数正は、ほんとうに家康を裏切ったといえるのであろうか!? |
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首里城 2008年4月30日 | 沖縄県内で最大の木造建築物、琉球王朝の王城。 琉球ならではの石垣利用(琉球石灰岩を主とした石積み)の石造拱門などが特徴的。 櫓の中央に掲げられた「瑞泉」と記された扁額が、琉球独特の雰囲気を醸しだしている。 |
五稜郭 2009年11月3日 | ペリー来航後の激動の明治維新、諸外国の脅威に対する北方警備のために築造された。 独特の形状美を目の当たりにするためには、是非とも五稜郭タワーから望みたい。 新選組副長・土方歳三が、戊辰戦争・箱館戦争の防衛戦で駆け抜けた。 『明日に向かって撃て』(映画)のラストシーンを想起させるような『燃えよ剣』(司馬遼太郎)の最後のクライマックスの舞台!でもある。 ※個人的嗜好:函館においては『箱館高田屋嘉兵衛資料館』も興味深い。 なぜなら、『菜の花の沖』(司馬遼太郎著)が、とても好きだから。 |
大阪城 2010年10月8日 | 本願寺法主の顕如が石山本願寺に篭って戦った「石山本願寺跡」でもあり、一向宗と信長との戦いは石山合戦といわれ、10年にも及んだ。 ほんとうの秀吉の大阪城跡は、地中に埋もれているらしい。 さて、登城は何度目になるだろう。 |
名古屋城 2011年8月20日 | 「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ 尾張名古屋は城でもつ」(伊勢音頭)とまでいわれるほど存在感に聳える名古屋城。 梯郭式平城、清正石あり。 織田信長が生まれた城との説もある。 大天守の上に付けられた金の鯱は、先の大戦の名古屋大空襲により焼失するも復元。 別名は「金鯱城」! 場内は展示物で工夫が凝らされている。 コンクリート造から木造化への動きもあるようだ。 |
彦根城 2011年8月20日 | 山すそを断崖化した平山城で「西国の抑え」として急造されたといわれ、大津城の天守が移された。 天秤櫓を配置し、西の丸と出郭の間に空堀を設けている。 天守は国宝で、壁の中は防弾のため、栗石をつめる工夫が凝らされている。 唐破風には井伊家の紋にちなんだ井桁の橘をあしらった金飾りが施されていて煌びやか。 |
犬山城 2011年8月20日 | けっこう、歴史の表舞台に登場する城。 でもたしか、城は傷んでいない(落城するような事態は招いていない)。 現存天守12城のひとつで、アールがかった?独特の存在感アリ。 小牧山城のあとに、訪問。 唯一、比較的最近までは個人所有であったというからスゴイ(その心意気とメンテナンスのための手間暇費用がスゴイであろう)。 |
安土城 2011年8月20日 | 城跡の鬱蒼とした木々のなかで、ヒグラシの音に心を奪われる。 そこはかとなく無常感のただよう遺構には、ヒグラシの音がよく似合う。 そんな素晴らしい環境の下で、総見寺本堂の茶室にて、お茶をいただいて和みました。 |
武田氏館 2012年3月25日 | 神社に参るような館。 人は城、人は生け垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり。 このような発想の根っこを持ち得ない文化が、西洋文化ではないでしょうか。 民を愛で自然を慈しみ、まちを興し城下町をつくり上げてゆく。 西洋には、城を中心に城下町を興すという発想は無いようですから。 |
甲府城 2012年3月25日 | 秀吉の命により築城。甲府駅近く。 |
伊賀上野城 2012年7月21日 | 篠山と同様に、大阪城の抑えと記憶している。 築城の名手…高虎の急峻で高い石垣が、とても素晴らしい。 高さ約30メートルという高石垣は、日本一だという。 真上から真下を見ようとすると、足が竦む。 今治も良かったし、宇和島も悪くない。 とても空いていた伊賀流忍者博物館も、ゆっくりと観られてよかった。 「水蜘蛛」を、体験したり… ( 一一) |
川越城 2012年7月28日 | 桶狭間の戦いや厳島合戦と並び、「日本三大奇襲戦」の一つといわれる「河越夜戦」の舞台であり、太田道灌の堅城。 両上杉氏を没落させ、後北条氏の関東支配の契機となった。 本丸御殿の玄関部等の一部が現存している。 遺構がとても少ないのが、残念。 城下町は、たびたび訪れている。 道は混みがちだし、駅からは遠い。 |
上田城 2012年8月5日 | 引き継いできた歴史・文化を、とても地域が大切にしているということを、肌で感じる(コマーシャリズムもあるでしょうが…)。 これはやはり、真田家の徳川家に対する敵愾心の残り火が、今や気風から風土にまで昇華されたのだということでしょうか。 上田城、おそるべし。 |
会津若松城 2012年8月6日 | もっとも悲劇性の著しい舞台としての城。 会津藩最後の藩主、悲運の松平容保の城。 戊辰戦争の会津戦争後の「朽ちた会津若松城の写真」の強烈なイメージからは想像できないくらいに美しい、と、いつも感じる。 幕末の会津には、想像を絶する物語が多い。 飯盛山の白虎隊の霊を背に、遥か城下を望んでみた。 |
掛川城 2013年3月17日 | 日本で初めての「木造による城郭再建」として有名。 天守に付櫓が設けられている。 秀吉が家康を関東へ移し、家康の旧領地に秀吉配下の大名を配置、当城には山内一豊を置いた。 川の土手沿いの芽吹いてきた桜並木のつぼみ越しに、天守を望んでみると、調和していて美しかった。 土産に掛川茶を購入。 山内一豊繋がりか、高知城とひじょうに似た構成となっている。 『功名が辻』では、両城とも舞台となっている傑作であり、ぜひともおススメする。 |
岐阜城 2013年3月23日 | 多士済々の歴史の舞台の地。 |
岡崎城 2013年3月23日 | 家康ゆかりの城。 天守閣前に遺訓碑「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し」。 天守の外壁は白壁と黒の下見板張り。 自戒の像である「しかみ像」あり。 三方ヶ原で武田の大軍に脱糞大敗したという件の所以の!? |
駿府城 2013年3月23日 | きれいに整備されています。 |
姫路城 2013年7月13日 | 改修中。 |
福山城 2013年7月13日 | 駅近。展示物多し。 ワタシは、個人的に懸造りの建築が大好きなので、ここの御湯殿がお気に入り。 (立石寺の五大堂の懸造りが一番すき) 神社仏閣のなかでは、立石寺が一番の好みです。 おススメ。 立石寺HP:http://www.rissyakuji.jp/ |
赤穂城 2013年7月14日 | 山鹿素行の甲州流軍学が用いられた方形や単純な縄張りではない特殊性がみられる縄張り。 石垣遺構が、各所に遺る。 ついでに、赤穂浪士を祭る大石神社を参拝。 赤穂の塩を購入し、鎮魂祈念。 |
今治城 2013年7月14日 | 築城といえば、藤堂高虎。 四国の城には、何れもエレベーターが在りません。 夏場は、けっこう汗を流します。 |
湯築城 2013年7月14日 | ホテルにクルマを停め、坊ちゃん列車にて道後温泉駅へ。 駅前のからくり時計と道後温泉立ち寄ってから湯築城公園へ。 松山城を遠望できる。 |
松山城 2013年7月15日 | 昔、坊ちゃんの街。 今は、坂の上の雲の街。 朝一に「坂の上ミュージアム」を訪問したのち、登城。 リフトにて、本丸の約132mの標高を目指す。 葵の紋が付されている唯一の現存十二天守。 大天守と小天守、隅櫓を渡櫓で連結し、姫路城と同様の代表的な連立式天守・平山城を成している。 |
高松城 2013年7月15日 | 艮櫓の横を、琴平電鉄(ことでん)が通る。 北方を海、三方に濠を巡らし、海水を水門から引き入れた日本三大水城の一つ。 月見櫓もあり、なんと瀬戸内海を一望することができる好立地に在る(見張り用櫓?)。 整備された域内の、とても大きく立派な蘇鉄は、城に似合う(すきな植物のひとつ)。 |
弘前城 2013年9月21日 | 明らかに南方の城とは異なっている。 天守は、元は隅櫓のため小ぶりだが、石垣や桜をとおしてみると美しく立派に見えてしまう。 天守の一方の面の石垣には、はらみがみられるようで心配だ。 他の城で、石垣の間から樹木の苗木が育ち始めているのをみると、哀しくなってくる。 登城ののち、わさお(犬)で有名な「海の駅わんど」と「鰺ヶ沢相撲館」を経由し、世界自然遺産白神山地の十二湖、青池など巡って南下、東北を満喫した。 「海の駅わんど」: http://www.aptinet.jp/Detail_display_00000561.html |
多賀城 2013年9月22日 | 松島より移動。 松島から多賀城という広範囲に、東日本大震災の津波の被害がみられ、被災者の仮設住宅が、多賀城域内にも数多く見られた。 |
仙台城 2013年9月22日 | 青葉城。 |
盛岡城 2013年9月23日 | 平山城、遺構が少ない。 |
二本松城 2013年9月24日 | みごとな松の木々の枝ぶりも見逃せない梯郭式の平山城。 天守台近くまで、車で行ける。 兼六園の根あがり松や、足立美術館の松に負けない形状美と存在感をみることができる。 悲壮さにおいて白虎隊以上ともいわれる二本松少年隊。 「二本松少年隊顕彰碑」の像の刃先に、赤とんぼがとまっていた。 そこはかとなくもの悲しい。 |
白河小峰城 2013年9月24日 | 東日本震災の罹災にて、石垣を大きく損傷してしまい痛々しい。 改修中。 瀟洒な駅舎のカフェには、何故か成田エクスプレスE253系の本物の払い下げ座席が置かれていたため、ここでコーヒーをいただいて一服した(煙草は吸いませんが…)。 |
鉢形城 2013年10月7日 | 荒川の急崖と深沢川に挟まれた天然の要害。 秀吉による小田原攻めでは、後北条氏の支城として前田利家・上杉景勝等の北国軍の攻撃にさらされ、攻防戦の後に、北条氏邦が城兵の助命を条件に開城した。 駐車場が整備されていないよう? 一度目は、駐車場所に難儀した。 再登城の夏では、近くの鉢形城歴史館に駐車し、ゆったりと回遊できた。 で、寄居駅まで散策。 例によって、シャッター商店街のような在り様で、往年の高度成長時代を偲ばせる痕跡があちこちに… 荒川に架かる橋のスグ横の「小松庵 鉢形茶屋」にて、ふつうに旨い十割そばをいただいた。 ※チョッと離れた嵐山の、かつてのかつて日本農士学校跡に在る「安岡正篤記念館」も、個人的におススメする。偉大な賢人(思想家・指南役・人材育成者)として、今もなおその影響力は強いといえる。 |
竹田城 2013年10月12日 | ものすごいクルマと来訪者にビックリ。 これほど人気がアルとは、知らなんだ。 麓には駐車場を求めるクルマがあふれ、…人、人、人。 羽柴秀長に攻められ、その居城ともなった。 天空城とも、日本のマチュ・ピチュ(ペルーの古代遺跡)ともいわれているが、これほどの人気とは。 何だかんだいっても、城郭ファンは未だマイナーなため、日本百名城とはいえ大抵の場合、人気が疎らであることが多いのだ。 今まで攻城したなかで、間違いなく一番の人気度合い。 |
鳥取城 2013年10月12日 | 鳥取砂丘から、鳥取城へ。 孕み出しが生じたため、巻石垣にて一部修復中。 秀吉の舞台となった、鳥取の飢え殺し。 播磨三木城攻略戦での兵糧攻めを超える凄惨さであったという。 人影まばらで、一組の制服姿・高校生カップルのデート場と化していた。 平和。 |
松江城 2013年10月12日 | 湖城。 平成27年9月20日再登城。 夜間の19:30迄は、無料でライトアップの天守を目前に堪能可能。 |
篠山城 2013年10月12日 | 復元された大書院は、まだ真新しく見える(2000年)。 家康の天下普請(藤堂高虎が縄張り)・平山城で、城東と南の馬出遺構が残っている。 城下で篠山祭りのさなかで賑わっていた。 |
二条城 2013年10月14日 | 江戸幕府の始まりと終わりの舞台。 徳川にはじまり、徳川で終わり。 二の丸御殿大広間において、かつて慶喜が大政奉還を発表した。 二の丸御殿(国宝)は、国内で唯一現存する武家書院造の建築物。 唐門や車寄せ、大広間は、現存。 |
小谷城 2014年4月26日 | 山城。秀吉は、小谷よりも長浜を選んだ。 現在の価値観に照らせば、水運などの要衝であることや、城下商業・経済や政治・行政を考えれば、当然なのだが。 干上がった沢のような道なき道?を、ひたすら登った。 山道の整備は、あまり良くない。 要所要所も、もっときれいに整備しても良いのでは。 |
一乗谷城 2014年4月26日 | 周囲を山に囲まれ、北に足羽川が流れる天然の要害。 |
丸岡城 2014年4月26日 | 柴田勝豊、平山城。 現存する天守として、日本最古を誇る。 二重三層の天守は、犬山や高知と同様に入母屋造りに回縁の望楼を乗せている。 たしか芸能界・歌舞伎界きっての城好きの今は亡き・坂東三津五郎が好んだ城であったようにおもう。 古武士のような風格と例えていて、共感した記憶がある。 古武士のようなどっしりとした気高い威圧感。 |
金沢城 2014年4月27日 | 梯郭式の平山城で、なまこ壁と鉛瓦が特徴的。 現存する石川門・三十間長屋とともに、菱櫓や五十間長屋などが復元されている。 隣の兼六園の『根上松』(高さ約15mの黒松)の迫力も楽しみにしていた。 奇観といわれるこの松は、13代藩主・前田斉泰が土を盛り上げて若松を植え、成長後に土を除いてていくという方法を用いて、どんどんと根をあらわにしたもの。 だいぶ以前から、自宅のガジュマルなどで試してきているが、到底、この迫力には敵わない。 |
七尾城 2014年4月27日 | 人少なく、中世の山城跡をゆっくりまわれた。 崖地形などを上手く利用した天然の要害のようであった。 遺構の石垣が残り、七つの尾根筋を用いた多数の曲輪で構成されている大規模な城跡。 畠山が築城後、上杉謙信により落城させられ、さらにその後、前田利家が信長から能登一国を与えられた。 翌朝、輪島の朝市(日本三大朝市:飛騨高山、輪島、勝浦)へ。 |
足利氏館 2014年7月13日 | 近くの足利学校と街並みと併せ、地域ぐるみで歴史・文化と風土を大切に育んでいる心意気が感じられ、街並みが隅々まできれいに整っている。 日本初の学校、足利学校にて「入学証」を貰った。 典型的な方形の館内では、土産に梅干しを購入(好みの味だった)。 |
金山城 2014年7月27日 | 石垣が見事。 石垣の土塁や堀、曲輪、池、路も石敷きがある。 「月ノ池」や「日ノ池」は、水源として見事なつくり。 金山城のような戦国時代の石垣は、関東でも八王子城以外はあまりないという。 山頂の本丸跡には、新田神社(新田義貞を祀る)もある。 近くの建築家・隈研吾の設計による「太田市立史跡金山城ガイダンス施設」だけを見に訪れる建築ファンも多いらしい。 |
八王子城 2014年7月27日 | 戦国時代末期に築かれた最大規模の本格的山城。 …のため?藪のような道が多く蚊の類も大量に発生してきて、しかも少しばかり道に迷い、女性にとっては精神的苦痛が大きいかもしれない(登城時点)。 ぜひ適切な道しるべと、通路の枝葉の相応な剪定が欲しい。 支城・八王子城落城と石垣山一夜城の出現のため、北条方は戦意喪失に至り降伏したというが、…ここの落城は凄惨であったようだ。 血の河に化したという、御主殿の滝の霊に対し黙祷。 |
高岡城 2014年8月15日 | 城は、築城の名手高山右近の縄張り。 キリシタンとしての立像がみられる。 加賀藩2代藩主・前田利長の創建した瑞龍寺(富山県唯一の国宝)の石廟にも立ち寄る。 苔むした前田利長と前田利家、織田信長・同室正覚院、織田信忠の5名を祀る石廟が在る。 |
春日山城 2014年8月15日 | 空堀と土塁で総構を成す謙信の天然の要塞。 ハイキングコースのようなロケーションが続く。 本丸址からの見晴らしが良い。 悪天候の午前中につき、人影まばら。 地勢や毘沙門天が安置されていた毘沙門堂などの雰囲気などから、往時におもいを寄せてみる。 |
箕輪城 2014年8月16日 | 中世・戦国時代の平山城。 最後には井伊直政が城を高崎に移し、箕輪城は廃城となった。 現在の城跡は、ほとんどが井伊直政時代のものらしい。 夕刻、雨天につき、貸切状態。 バイオマストイレ、初体験。 |
小諸城 2014年8月16日 | 雨天。 城を描かせたら、第一等だとおもう小山敬三記念館にも立ち寄り。 もっと城を描いて欲しかった。 城の絵葉書などを購入。 小諸寅さん記念館前に、黄金に輝く等身大寅さん像が在った。 |
松代城 2014年8月16日 | 千曲川河畔に佇む。 |
観音寺城 2014年8月30日 | 文化財としての保護の意思と情熱が微塵も無い。 通路の歩行さえ困難で、荒れ果てている様子。 同行者の帽子に蚊が山のように30〜40匹とまってしまっているのをみて、怖気立った。 観音寺がきれいで、手入れされているのと対照的。 訪問するに最悪の環境、最悪の保護環境。 駐車場代を取られるが、他城のような文化財保護の情熱やサービスが皆無で淋しい。 ダントツで最悪の名城環境に確定!! |
長篠城 2014年8月30日 | 鳥居強右衛門の磔の看板を折れると、長篠城の本丸方面。 近くの飯田線の鳥居駅として、その名も残っている。 その男気は、名を遺した。 本丸スグ横を、飯田線が通る。 保存館は、店じまいが早いので注意。 15:30には閉館?? |
岩村城 2014年8月30日 | 日本一高い標高ながら、狭い車道と駐車場がなんとかあり、体力の消耗を防ぐことができた。 |
小田原城 2014年8月31日 | 城下で、催し物開催にて賑やか。 4度目?の登城 |
山中城 2014年8月31日 | 芝を生やして畝を保存するというのは、棚田をみるように美しい。とても良いアイディアだ。 出会いがしらに1m程度のヤマカガシ(蛇)に遭遇して、少し驚いた。 登城の際には、毒蛇に注意しましょう!? ※ヤマカガシ:マムシよりも強力な毒を持っている。 |
島原城 2014年9月12日 | みごとな層塔型。 少し足を伸ばして原城まで訪れたい。 原城は、思いのほか遺構が残っていた。 数多くの命が散ったことをおもうと、海原を背景にする墓標と十字架が、ものかなしい。 そのすぐ向こう側は、バンザイクリフのような断崖であるため、なおいっそう無念・無常観を際立たせるようだ。 |
人吉城 2014年9月13日 | 鎌倉〜明治維新まで、相良氏の平山城。 登城時は、本丸等には誰もおらずに貸切状態。 大きなサイズの石垣と、そびえる杉が、意思の強さを醸し出すよう。 石垣の頂部には、写真・資料で見るよりかなり立派な武者返しのための平らな石が飛び出していた。他で見られない特有の意匠ではないか。 その向かい側には、球磨川の水運のための水ノ手門跡があり、水門のようだ。 「人吉城歴史館」は、期待外れ。 さらに南下して、次の鹿児島城へ南下する。 |
飫肥城 2014年9月13日 | 南方の石垣づくり。 苔むした石垣が、なおよい。 明治の外交官・小村寿太郎記念館も近くにあり、驚いた。 飫肥天(飫肥の郷土料理で焼き蒲鉾のようなもの)を、おやつに食してみた。 それなりに、ウマい。 |
鹿児島城 2014年9月13日 | 城山、鶴丸城。 |
大分府内城 2014年9月14日 | 梯郭式平城。 現存する「宗門櫓」と「人質櫓」は、県指定文化財となっている。 「廊下橋」を渡り、獣道のような道筋を天守台に登った。 公園の隅の陰に、大友宗麟の銅像あり。 |
岡城 2014年9月14日 | 梯郭式山城。 石垣では、特徴的な車軸築石積みや石垣上に置いてあるかまぼこ石をみることができる。 断崖の高石垣・三の丸石垣は、側面から観ても大迫力。見下ろせば足が竦む。 入城券に巻物付きは、費用対効果高いサービス。仄聞するに、福祉作業所の子どもたちの手作りで、品質にバラツキがあるものらしい。 帰途、お土産屋さんから冷たいお茶をもてなしてもらい、喉を潤おわせ、竹細工土産を購入しました。 |
福岡城 2014年9月14日 | 石垣や白壁は、夕日に映える。 |
大野城 2014年9月14日 | 太宰府を守衛する位置で、近い。 |
平戸城 2014年9月15日 | 平戸藩主松浦の居城。 対岸に、艦砲に備えるためのオランダ塀を、みることができる。 長崎・出島に商館が移されるまで、栄えた港であった。 平戸焼きの気に入った茶碗を、自分への土産に購入。 平戸城:http://www.hira-shin.jp/hirado-castle/ |
名護屋城 2014年9月15日 | 広大。 天守位置より、日本海と朝鮮を望む。 もっと遺構が残っていたならと、残念。 大陸侵攻をを企てた壮大な軍事拠点のスケールと、その構想への実行力には、ほんとうに驚かされる。 |
吉野ヶ里 2014年9月16日 | 青森県の巨大縄文遺跡・三内丸山につづき、吉野ヶ里の弥生遺跡を観てまわると、古代へのロマンを掻き立てられる。 柵の環濠で囲まれたなか、銅矛などの金属武器製造も行われていたということに、感嘆するばかりである。 環濠に降りてみると、なるほど意外に効果が発揮されるほどの深さと角度であることに合点がいく。 声を掛けて来てくれた親切な明大出身の無料ガイドさんに、1時間のリクエストをしてガイドを受けてみたが、たいへん良かった。 正面口横・レストランにて、、古代米入りの昼食を摂った。 |
佐賀城 2014年9月16日 | 佐賀城本丸歴史館の入館料金は、事後の自己査定による寄進方式。 |
熊本城 2014年9月16日 | 板張りの油臭のつよい、でんでん(市電)に揺られて訪問・登城。 熊本地震の夜、熊本城を遠望した定点カメラの映像には、何かに煙る熊本城が朧月のように映し出されていた。 私は、スグに火が回ることなど考えられないため、瓦が無残に崩落し、土けむりで野地板まで剥き出しになり、清正公の石垣が崩落してしまったものだと忽ち悟ってしまい、とても哀しかった。 明治維新の戦闘舞台にも耐えて生き永らえた熊本城、是非とも蘇らんと祈念する。 |
水戸城 2014年9月23日 | 弘道館などで幕末の資料をみるも、天狗党と諸生党との抗争に関する資料は乏しく、期待に背かれてしまい残念。 されど水戸藩には、徳川斉昭や藤田東湖、偕楽園などの見どころが数多あり、じっくり堪能できた。 天狗党参考お勧め図書:山田風太郎『魔群の通過』には、凄まじい魔群の状況が描かれている。お薦め。 藤田東湖筆「誠者天之道也、誠之者人之道也」(藤田彪:中庸・第十一章)の書を土産に購入。 ※訳:誠は天の道(=自然の摂理)なり。これを誠にするは人の道なり。 |
佐倉城 2014年10月18日 | 平山城・連郭式、土井利勝の築城。 石垣は使用されていないが、馬出や天守台跡が残っている。 城域に在る国立歴史民俗博物館は、そうとう見応えがあり、想定外に時間を費やしてしまった。ここだけで、少なくとも半日は時間を割きたい。 少し足を伸ばして、成田山新勝寺まで。 御朱印をいただいた。 |
江戸城 2014年11月3日 | 大手門脇の堀にて、オオハクチョウのお出迎え。 |
千早城 2014年11月22日 | 後醍醐天皇の倒幕に呼応した楠木正成の城。 四方を絶壁に囲まれ要塞堅固を誇ったといわれる連郭式。 鎌倉幕府軍の大軍に対し、千人程度で守った、と、いわれている。 蹴上高のある階段数が多く、休みなく登城すると、心臓がバクバクと激しい動機を打つ。 要塞堅固なのだから、攻城苦労は避けられまい。 本丸は、モミジの紅葉が映えていた。 周辺の来訪者は、ほとんどが金剛山のハイカー。 (東京でいう「高尾山」にあたるという) |
和歌山城 2014年11月22日 | 連立式天守・渡櫓と御橋廊下、加えて紅葉が、堀の水面(みなも)に映り込んで美しい。 |
高取城 2014年11月22日 | 司馬遼太郎「侍はこわい」の「庄兵衛稲荷」に登場する滑稽な気侭人(きままじん)を想起しながら、滑る坂道を登った。 (幕末。高取藩に味方した軍使が、城への上り坂に(滑るバナナの皮に代えて?)竹の皮を敷き詰めて、天誅組を防ごうとしたという話) |
松阪城 2014年11月23日 | 石垣の保存状態が良かった(他城では、遺構保存の熱意に欠けるところも多いが…)。 御城番屋敷などのほかに、全国でも珍しいという氏子の居ない「本居宣長ノ宮」をも訪問した。 【参考】「本居宣長ノ宮」:http://motoorinorinaga.org/ |
高遠城 2014年11月25日 | 雨冷えする高遠城の登城は、熱い中国人のカップルばかり(団体バス)。 |
高知城 2015年4月9日 | 幕末に絡む役者の多い高知城。 小雨で訪問者は僅か。 |
徳島城 2015年4月9日 | 駅近に、葉桜と石垣遺構、博物館を訪ねる。 |
大洲城 2015年4月10日 | 雨に煙る大洲城 |
宇和島城 2015年4月10日 | 冷えて雨に降られる南方の城訪問は、すこし残念なもの。 |
丸亀城 2015年4月10日 | 夜の桜花とのライトアップが美しい。 |
備中松山城 2015年4月11日 | 現存12天守、最後の踏破!! |
鬼ノ城 2015年4月11日 | 朝鮮城郭の雰囲気たっぷり。 3km程度車道は狭く、対向車とのすれ違いに難儀!? |
岡山城 2015年4月11日 | 城見茶屋の手延べうどんと牛丼旨し。 |
明石城 2015年4月11日 | 巽櫓と坤櫓、天守台が西国の抑えとした往時の面影を偲ばせる。 |
根城 2015年5月2日 | 八食センターにて、磯焼きグルメを堪能したのちに、登城。 築城は、南部師行。 遠野に国替えまでの約300年間の居城であったという。 綺麗な公園として整備。 |
山形城 2015年5月3日 | 全国有数の規模(国内5番目・東北1番)を持つ輪郭式の平城。 最上氏の祖・斯波兼頼が羽州探題として築城、関ケ原後の最上氏は57万石大大名となるも、明治維新を迎えた城主水野氏は5万石に過ぎなかった。 早春に、仙山線脇の国道を走ると、残雪と桜と若葉が眩いかぎり。 たぶん、仙山線の車窓からの景色は最高であろうとおもう。 この仙山線の立石寺駅に向かう途上の残雪のなかの景色が、どこよりも一番美しい日本の風景に観えた。 ロケーションとしての清流、鉄道、山並み… そのなかでの春の精気、木々の若葉、木漏れ日に眩く輝く残雪、生命力にあふれる桜の花々と蕾、若草、…せせらぎと小鳥のさえずりのBGM。 残雪と桜とを同時に堪能できることだけでも稀であろう。 山寺を訪れるなら、ぜったいに春に限る。 立石寺などの参拝にて、心身を清め、足腰を酷使したのちに登城。 個人的に、建造物の『懸造』りが大好き。 五大堂、すばらしい! 山寺 立石寺:http://www.rissyakuji.jp/ お勧め図書:司馬遼太郎『街道をゆく 10 羽州街道、佐渡のみち 』 (朝日文庫) |
久保田城 2015年5月3日 | 比内鶏親子丼を食し、好天に恵まれて登城。 |
新発田城 2015年5月4日 | 切込はぎの平城。 海鼠壁が瀟洒で気品漂う。 天守閣の代わりを果たす三階櫓は、3匹の鯱を配するという唯一の特徴を持つ。 戊辰戦争で奥羽越列藩同盟を裏切ったため、長岡藩らから批判されている。 (参考お勧め図書:司馬遼太郎『峠』) 隣地の自衛隊新発田駐屯地を見学すると、何故かダースベイダーに歓迎された。 一緒に記念撮影後、隣接する新発田城に登城。 |
広島城 2015年9月18日 | 雨上がりの好天に恵まれた再訪となり、天守では瀬戸内の絶景が広がっていた。 |
岩国城 2015年9月18日 | 名橋・錦帯橋を渡ってみると、起伏の織り成す風景の変化の豊かさに、改めて気付かされた。 |
萩城 2015年9月19日 | 夏日に映える毛利36万石天守台と天然の要塞・指月山。 御座船や軍船を格納した御船倉は、天守からは車で5分程度かかるかも。 萩城だけでしか見られない希少価値のある遺構(住宅街のなか)。 萩城天守台を経て、松陰神社へ。松陰神社は、神社のなかでもひじょうに賑やかなところだった。 ※「旧萩藩御船倉」: http://www.hagishi.com/search/detail.php?d=100038 |
津和野城 2015年9月20日 | 城域に太皷谷稲成神社があり、城攻めより大賑わい。 http://taikodani.jp/ 参拝し、御朱印をいただく。 |
郡山城 2015年9月20日 | 複数の尾根が集合する独特の縄張りは、基地心をくすぐるよう!? |
津山城 2015年9月21日 | 石垣に、特定の植物を群生させているのを初めて観た。 上部水平面のみならず、垂直壁面にも赤色の彼岸花が。 |
月山富田城 2015年9月21日 | 麓の民族資料館を訪問ののち、さらに少し上の駐車場まで移動後に攻城。 「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」… 両手を合わせた山中鹿介幸盛の銅像が、静かに山のなかに屹立していた。 |
今帰仁城 2016年4月23日 | 世界遺産今帰仁城跡なれど、土曜の午前中には、人影まばら。 グスクならではの石門と曲線を多用した石垣が特徴的。 この曲線美は、斎場御嶽に象徴されるような女系的家族主義の女性美との相関が予感されるが、気のせいだろうか(勿論、今帰仁城以外のグスクは、加工が容易な琉球石灰岩ということもあろうが)。 数多くの礎石の遺構がみられる。 |
中城城 2016年4月24日 | 朝一番、近くの中村家訪問前に攻城。 特徴のある琉球石灰岩にての石垣積みは、中村家や近隣古民家にもみられる。 加工し易いため、亀甲や曲線美の石垣積みをスピーディーに行えたであろう。 布積みあり、亀甲積みあり、琉球ならではの石門あり。 あとに訪問した勝連城跡では一雨降られ、この琉球石灰岩が本当にツルツル滑り易くて危なくって難儀した。 沖縄北端近くの大石林山は、琉球石灰岩が億年単位で侵食された圧倒的な迫力の石林景勝地であるため、是非ともおススメする。 |
根室半島チャシ跡群 2016年7月21日 | 高田屋嘉兵衛像のおわす金刀比羅神社参拝の後、ノツカマフ1号2号経由で、登城。 誰も居らず、貸切状態。 法面など、保存整備を検討せねば、遺構としての面影は破損が進行してしまうのが心配。管理が全く為されなければ、多くの来訪者や風雨・植物繁茂のため、起伏が失われるであろうことは明らか。ただでさえ、平地に見えてしまう状態に置かれているのに。 その後、友知湾の浜辺の草叢ですっかり廃墟化した、旧日本軍のトーチカ2基の遺構を探索後、喫茶ドリアンのエスカロップを堪能した。 |
松前城 2017年4月21日 | とうとう100城目の登城となりました。 月並みですが、感慨深い。 来週より桜祭り。 城域には、夥しい桜が植わっている。 多種多様な桜が、約一ヶ月の間に、次々と咲き乱れる。 早咲きの桜は、もう葉桜だ。 根元には、ワタシの好物のフキノトウもたくさん。 |