ID | 5564 |
名前 | カルマン・フィッシュ |
コメント | 静岡市在住、駿河者です。 ゆっくり内側から塗りつぶして行くつもりです。 |
登城マップ |
駿府城 2014年8月15日 | 第1城=塗りつぶし開始\(^o^)/・・・・残り99城 地元から攻めることにしました。 巽櫓(たつみやぐら)の中にあった天守閣の復元模型がスタイリッシュで素敵でした。 家康公の鎧の展示もありました。 大御所様は胴回り100cmだったとのことで、メタボな印象しかないのですが、鎧は意外や意外(@_@)、小さめでした。 坤櫓(ひつじさるやぐら)の「今昔スコープ」(3Dメガネ)は修理中で体験できませんでした。 楽しみにしてたのにぃ〜(-_-;) 「今月いっぱいは無理かも?」とのことです。 この写真は、東御門の二の丸から三の丸へ抜ける辺りです→ スタンプはシャチハタ式の青インクでした。では(^.^)/~~~ |
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掛川城 2014年9月14日 | 第2城=掛川城 登城\(^o^)/・・・・残り98城 さて、お隣り遠州を攻めることにしました。 現存しているのは太鼓櫓と二の丸御殿。趣のある太鼓櫓には近づけませんでしたが、書院造でみごとな御殿は拝見できました。天守は平成になってから復元されたものですが、これがあるのとないのとでは大違い。「登城」の意気込みが増して参ります。 二の丸裏を抜けると名所満載。「竹の丸」旧松本家は江戸から大正にかけての豪商の財を尽くした邸宅ですが、無駄な造りのない様式美を留めています。 さらに向かうは家康が陣を敷いた掛川古城跡。大堀切の残存は規格外の深さです。 この写真は、二の丸御殿脇から見上げた天守閣です→ スタンプはシャチハタ式の緑インクでした。では(^.^)/~~~ |
山中城 2014年11月15日 | 第3城=山中城 登城\(^o^)/・・・・残り97城 山中城址に登城いたしました。その名の通り、山の中にある戦闘を目的とした山城です。すり鉢曲輪や障子堀、畝堀などユニークな遺構が満載でした。石垣や櫓はありませんが、その尾根を足で踏みしめながら歴史を感じることができます。秀吉の小田原攻めの前哨戦となった舞台ですが、半日で落城したとのこと(涙) この写真は、西の丸の物見台から眺めた障子彫りです→ スタンプはゴム版式の緑インクでした。では(^.^)/~~~ |
小田原城 2015年1月17日 | 第4城=小田原城 登城\(^o^)/・・・・残り96城 小田原駅より徒歩10分もかからない所にある小田原城に登城いたしました。 平山城と言われていますが、とにかく平らな感じです。 大久保氏になってから城郭整備され、明治時期には建物が殆ど解体されたため、過去に武田や上杉が懸念した「難攻不落の城]という面影はありません。 石垣が非常にきれいに積まれています。天守は三重四階でそびえ立ち、最上層まで上がると、三浦半島が見えます。 この写真は、昭和35年に再建された天守です。→ スタンプはシャチハタ式の黒インクでした。では(^.^)/~~~ |
名古屋城 2015年4月24日 | 第5城=名古屋城 登城\(^o^)/・・・・残り95城 静岡から日帰りで行けます。名駅より地下鉄を乗り継ぎ、15分かからないかな? 市役所前で下車して地上に出ると石垣がすぐに目に入りました。 かつて万博に出展して話題になった「金の鯱」で有名な名古屋城、徳川御三家である尾張藩のお城です。創建時は鯱に慶長小判1940枚分の金が貼られたそうです。 天守台の石垣は加藤清正が担当したとのことで清正像も城内にあります。 現在本丸御殿を復元中ですが、出来上がった部分は一般公開しております。 この写真はかなり引いて撮影しておりますが、天守です。→ スタンプはシャチハタ式の赤インクでした。では(^.^)/~~ |
岡崎城 2015年5月30日 | 第6城=岡崎城 登城\(^o^)/・・・・残り94城 東岡崎駅より徒歩10分くらいかな? 平山城ですが、天守に辿り着くには結構な勾配の坂を登らねばなりません。本丸の北側には青海堀という深〜い堀がございます。 この城は、家康の長男、聡明で快活であった松平信康が若き城主として着任したものの、謀反の嫌疑で追い出され、自刃したという悲しい物語を持ちますが、城内は家康400年祭で「関ヶ原万歳」一色です。三河武士を讃える展示ばかりで、信康は思い出させるものは何一つありませんでした。仕方ないですね。 この写真は、昭和34年に再建された天守です。→ スタンプはスタンプ台式の黒インクでした。では(^.^)/~~~ |
武田氏館 2015年9月20日 | 第7城=武田氏館 登城\(^o^)/・・・・残り93城 静岡から特急「ふじかわ」に乗り、日帰りで行きました。 今回は甲府城とセット登城なのですが、先に「武田氏館」に登城しました。 甲斐源氏の流れを組む、武田信虎・晴信(信玄)・勝頼の三代に渡る居館(躑躅ケ崎館)があったとのことですが、今はその姿もなく、武田神社として甲斐の守り神となっております。わずかな石垣と深く掘られた堀に面影をみることができます。 この写真は趣のある方形の堀です。→ スタンプはシャチハタ式の赤インクでした。では(^.^)/~~ |
甲府城 2015年9月20日 | 第8城=甲府城 登城\(^o^)/・・・・残り92城 甲府城は関ヶ原以降のお城で、徳川家によって整えられました。城主としては柳沢吉保が有名ですが、彼も甲斐源氏の流れを組み、武田家をリスペクトしており、その思いを物語るように恵林寺の武田信玄の墓の少し離れた後方に柳沢吉保の墓があります。 甲府城は明治政府により城中に鉄道(中央線)を敷かれ、北と南に城の遺構が分断されていました(涙)。 この写真は線路の北側にある天守台です。→ スタンプはゴム版式の青インクでした。では(^.^)/~~ |
川越城 2015年11月7日 | 第9城=川越城 登城\(^o^)/・・・・残り91城 江戸を見たければ川越に行けと言われる「小江戸」、川越に行って参りました。 珍しいことに本丸御殿が残っているんですね。御殿の玄関の広さにまず驚きです。 さすが本丸、風格がありました。 町の人の努力もあるのでしょうが、城下町(蔵づくりの街並み)も観光できるように整備され、新旧共存で志を受け継いでいるご様子でした。 名所「時の鐘」は想像していた以上に高い塔でした。 この写真は「時の鐘」です。→ スタンプはゴム版式の黒インクでした。では(^.^)/~~~ |
江戸城 2016年5月4日 | 第10城=江戸城 登城\(^o^)/・・・・残り90城 お久しぶりの東京、江戸城に行って参りました。 丸ビルの裏手から出ると、もう辺りは皇居ワールドでして、前日までの雨でお堀の水嵩が増し、なみなみとした水面にお日様の光が照り返し、キラキラとした情景でした。 和田倉門から大手門方向に歩いて東御苑入りましたが、石垣、堀、門、櫓、番所の全てがシンプルだけどカッコいい! 安普請ではなく、きっちり造ってあるからだと思います。 天守は焼失して現存していませんが、天守台の大きさから想像するに、かなり高さと大きさのモノがそびえ建っていたのでは? それにしても規格外に広い。歩き疲れてしまい、北の丸まで足を伸ばせませんでした。 この写真は忠臣蔵で有名な「松之廊下」跡の石碑です。→ スタンプはシャチハタ式の黒インクでした。では(^.^)/~~~ |
長篠城 2016年9月10日 | 第11城=長篠城 登城\(^o^)/・・・・残り89城 奥三河は晴天。長篠城址と大通寺に行きました。 ダダっ広い本丸跡と隣接した「長篠城址史跡保存館」、断崖と深く掘られた堀、土塁などがあり、本丸からは陣を張った武田軍の5つ砦の位置がなんとなく確認できました。 本物の火縄銃や甲冑が展示された資料館から徒歩10程度の所に大通寺があります。 決戦前夜に勝利が難しいと悟った馬場信春、土屋昌次、内藤昌豊、山県昌景が大通寺に集まり、「明日は討死しよう」と水杯を交わした「盃井戸」もございます。 勝頼は高天神城を落とした時に変に自信がついちゃったのかな? 織田・徳川軍の火縄3段連隊は想定外だったにしても・・・ この写真は本丸脇の堀です。→ スタンプはシャチハタ式の赤インクでした。では(^.^)/~~~ |
岐阜城 2018年10月13日 | 晴れて、絶好の城日和でした。 山城なので石段がちょっときつかったです。 (膝に水がたまっているので・・・) 抜けると・・・ タイムスリップしてしまいそうな 「切り通し」が気に入りました。 |