ID | 5098 |
名前 | こっしー |
コメント | メンバー登録は2014年3月22日、塗りつぶしは2013年4月28日から始めました。 100名城は2017年4月22日に制覇しましたので、引き続き続100名城のスタンプラリーにも参戦します。2024年8月18日現在で続100名城は97登城していますが書き込みが追い付いていません。 |
登城マップ |
飫肥城 2013年4月28日 | 塗りつぶし開始。1番目。 熊本→なんぷう号→宮崎→日南線→飫肥駅から徒歩。 飫肥の街自体は3回目だが、登城は初めて。 本当に城跡っぽい場所で晴れ晴れした気分になれます。 この季節の日南地域大好きなんです。2014年も行きます。 →2014年5月3日に再訪しました。 旧本丸で一時間ぼーっとして、もうそれだけで満足です。 小学校の校庭で野球をやっていました。 |
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千早城 2013年5月3日 | 2番目。大阪は実家なので。 近鉄阿部野橋→河内長野→臨時のバス 金剛山へのハイキング客でバスは満員。 石段がきつい。 |
人吉城 2013年5月11日 | 3番目。熊本在住なのに銀杏城を差し置いて訪問。 熊本→ひとよし号→九日町→徒歩 城跡自体は2回目、資料館は初めてです。 記帳所に「前に訪問した城」「次に訪問する予定の城」と書き込む欄がありました。 前後がほとんど「熊本城」「島原城」「鹿児島城」「飫肥城」だったと記憶しているが、自分は「千早城」「竹田城」と書いたような。 資料館で相良氏と津軽藩とのつながりが展示してあり、だいぶ昔に行った弘前城を思い出した。 まぁそのうち行くんでしょうが。 |
佐賀城 2013年5月18日 | 4番目。 熊本→大牟田→西鉄柳川→佐賀駅ゆきのバスで龍谷高校前下車。NHK佐賀局のそば。 小雨決行。 立派な設備と展示で気に入った。 (私は城の建物よりも展示の方が気になる人間) |
岡城 2013年6月1日 | 5番目。天候は雨。 熊本→やまびこ号→竹田温泉花水木(豊後竹田駅すぐ) (この時期、JR豊肥線は宮地=豊後竹田間災害で不通) 豊後竹田駅から徒歩20分ぐらいか。ただし上り坂。道に迷わなければ。 トンネル同士が立体交差してたりして、昔の登城口はどうだったとか想像するなど、道路好きには楽しいかと。 |
平戸城 2013年6月2日 | 6番目。曇天。 熊本→ひのくに号→博多→唐津→伊万里→たびら平戸口→(徒歩)→平戸口桟橋→平戸新町バス停 城跡は猶興館高校前バス停の方が近い。神社を通り抜けた背後に城が存在するので迷った。 平戸小学校で運動会をしていたようだった。 |
江戸城 2013年6月22日 | 7番目。都営三田線日比谷駅から、楠公レストハウス内。 午後5時近くだったからか、無人の受付にスタンプが備え付けてあるだけ。 |
吉野ヶ里 2013年6月30日 | 8番目。天候は曇〜雨 熊本→鳥栖→吉野ヶ里公園駅 東口でスタンプを捺し、東から西に抜ける形で見学、帰りは神埼駅から。 園内シャトルバスが走っており、タイミングが合えば寄り道の片道分、楽ができる。 |
大分府内城 2013年7月15日 | 9番目 前日、津久見の花火大会を観に行き、大分市内に宿泊の翌朝に取得。 スタンプは、荷揚町の大分文化会館の階段2階に上がった外に置いてあったがかなりくたびれていた。 この文化会館は閉鎖のお知らせが貼ってあるため、現在スタンプはどうなっているか分かりません。 →2014年4月30日に再訪しました。 文化会館は解体中で、右写真の門に写っている机にスタンプがありました。 前回のスタンプは左写真←壊れかけたシヤチハタ、今回は→で、普通のゴム印でした。 |
島原城 2013年8月3日 | 10番目。 島鉄島原駅から徒歩。 この日は暑く、登城口にたくさんの置き団扇が用意されていた。 帰りは島原駅→島原外港→船→熊本港 |
月山富田城 2013年8月10日 | 11番目。 福岡からの夜行バスで米子駅前→安来駅→バスで広瀬→徒歩 事務所の向かいに記帳台があり、スタンプが置いてある。 |
竹田城 2013年8月11日 | 12番目。早朝に訪問。雲に浮かぶ城跡の景色には興味なし(恐れ入ります)。 月山富田城訪問後、鳥取城は自己ルールで取れないので次回とし、福知山宿泊。 翌朝に鉄道で福知山=JR播但線竹田間往復。竹田駅窓口の左側にスタンプがあるのでスタンプ取得自体は容易。ただしスタンプ自体がガタが来ていた。 この日の福知山は花火大会のポスターが至る所に貼ってあって皆さん楽しみにしていた風情だったが、大惨事が起きてしまって言葉になりません。 |
一乗谷城 2013年8月11日 | 13番目。この日早朝は竹田城のスタンプを捺している。 福知山→小浜→福井→福井駅前から路線バスで武家屋敷前下車。 バス停の位置は分かりづらいので鉄道からの乗換は時間を見ておいた方が良い。 スタンプは、料金所でお願いしてシャチハタタイプを出してもらう。インクが薄い、とおっしゃっていたが元々そういうものなのだと思う。 訪問は夕方であり、帰りのバスのタイミングを逸したので一乗谷駅まで歩いた。 |
久保田城 2013年8月13日 | 14番目。前日は福井から秋田まで移動。 朝の散歩がてら訪問。 時間がなく開館すぐにスタンプだけもらって退散しようと思っていたが、ご厚意により開館10分前にスタンプを捺させていただき、館内も見学できた。 |
箕輪城 2013年8月16日 | 15番目。高崎駅からバスで四ッ谷にて下車して簑郷支所にて押印。さすがにこれだけでは城に来た気にはなれずまた来ようと思った。 |
熊本城 2013年9月8日 | 16番目。熊本在住(当時)なので路線バス一本。 観光客がいっぱいなのだが城域が広くてそれを感じさせない。見晴らしも良くなるほど名城中の名城と言えるかと。 二の丸では、桜の季節は地元民がお花見をします。 →2014年5月4日夜に再訪しました。 この時点で48城巡ったが、改めてこの熊本城の立派さに感嘆した次第です。 |
小田原城 2013年9月14日 | 17番目。東京の家から小田急で一本、小田原駅から徒歩。 |
名護屋城 2013年9月29日 | 18番目。訪問は2回目。 唐津大手口バスセンターから呼子経由波戸崎国民宿舎ゆき。 1回目は2012年4月7日、桜がちょうど満開で天気も良く(写真参照)、秀吉の無茶振りを偲べる訪問だった。バスも呼子経由で直通。 一方今回は雨、時間もなかったので博物館にも入場せずスタンプだけで退散。バスは呼子で打ち切り、乗り換えなので運賃は実質値上げか?(SUNQパスを使用したため意識しなかった) 呼子のバス待合所に観光案内所があり、タクシーを呼んでもらえます。 |
鹿児島城 2013年10月14日 | 19番目。鹿児島市は何度行っても変わらず灰っぽい面白い街でして(気に入った)。 黎明館の受付で押印したら印影がとてもきれいでした。受付のこれまたきれいなお姉さんにそう言ったところ「つい最近新しいスタンプに変わった」とのことでした。 |
松山城 2013年10月26日 | 20番目。熊本から東京に引っ越す直前に、九州発ならではの行き方として、 前日夕方熊本発→大分→別府→フェリーで翌朝八幡浜港→朝7時頃に松山着。 自己ルールに従い湯築城か伊予松山城かどちらかしか取れない。現物を見て判断しようと考えまず湯築城に行ったが開いておらず、逆に開いていたのは温泉だったため入浴。 湯船で松山城に行く方向で決定。城の東側にあるロープウェイに乗り、帰りは西側の急な階段を駆け下りた。 城郭は大規模ですばらしかった。時間があれば階段で登城しよう。膝が笑うであろうが、帰りは東側から下りて道後温泉へ。 この日は21番目(岡山城)に続きます。 |
岡山城 2013年10月26日 | 21番目。伊予(備中ではない)松山城からJRの特急で岡山まで直行。 岡山電軌の城下から大手門側に徒歩。行き方が少々難しく感じた。 芝生で何だったか忘れたがイベントを行っていた。 城内展示は貧弱でがっかり。イベントの菊花展示の方がまし。ただし最上階からの景色は良い(後楽園のぞき見)。あ、城全体の外観も良いです。 これ幸いと?とんぼ返りで愛媛に戻ります。 |
今治城 2013年10月27日 | 22番目。良い天気。 今治駅から徒歩で登城。すっきりした外観のお城で中に入りたかったが、時間がなくスタンプだけ。 日程作成者 σ^^;) の能力不足が露呈した。 以上が熊本在住時代の訪問となります。23番目からは東京在住になります。 |
甲府城 2013年11月16日 | 23番目。東京へ引っ越してから1番目。 電車で甲府駅→徒歩。 時間がなかったので城跡一周とスタンプだけ。 (2022/1/26追記:要害山城訪問のついでに再訪しました。写真は2021/3/6撮影です) |
山形城 2013年11月17日 | 24番目。前日の甲府城からの続き。天候は晴れ。 前日に春日山城に行くつもりだったのだが、引っ越しだのなんだので下調べ不足。断念。代わりに、山形駅で電車の乗り換え時間(一時間半)で山形城を訪問することにした。 郷土館を見学し、明治維新後含めての県都の発展と苦労を知った。 後世から見ると維新あたりの歴史が一番面白い(まあ城が多数破却された時期でもあるが)と思っているけれども先人の苦労たるや並のものではない。 |
山中城 2013年11月30日 | 25番目。三島駅から箱根行きのバスに乗車。 スタンプは放置?状態に近い。24時間いつでも捺せるの? シヤチハタではないです。 |
鉢形城 2013年11月30日 | 26番目。山中城と同日で夕方訪問。 三島駅→東京駅→西国分寺駅→北朝霞=朝霞台駅→寄居駅、のルートで移動した記録がある(謎)。 次は八王子城 ↓ あ、八王子城はマイルールでNGだった(静岡と東京は隣接県扱い。なぜならば伊豆大島=熱海の船があるから) ↓ 川越城にしよう→ん、鉢形城間に合いそうやん。 と考えたのが迷走の理由か。 当初、なぜこんなところに城が?と疑問に思っていたわけだが、展示によりまあ納得できた。 見学時間が押していたので、行きだけタクシーを利用した。帰りは歩いたが思ったより近かった。車だと大回りすることになるみたいです。 |
駿府城 2013年12月7日 | 27番目。 何となく鉄道で移動したくなり、中央線→身延線→東海道線のルートで大回り乗車(当然きっぷは大回りで発券)、富士駅で静岡駅までの乗車券を購入して静岡駅から歩いて行きました。 繁華街を通り抜け巽櫓を横目に東御門から入場。15分ぐらい。 城域をぐるっと回り、家康公お手植えのミカンとかを見た後にスタンプをゲットしました。 帰りはあえて静鉄に乗り、清水駅から富士駅まで戻った次第。 |
水戸城 2013年12月14日 | 28番目 水戸駅から徒歩。 震災の爪痕が残る中、スタンプだけ捺しに行ったような感じであった。 お堀が道路に転用されているのがよく分かります。 |
掛川城 2013年12月22日 | 29番目。 新幹線からよく見える(のだが通過する)ために前から気になっていたお城。駅から近そうだが思ったより歩く。いややっぱり近い。 城を中心とし周辺の景観がよく調和しています。 ただ、訪問がお昼時だったが食事できる場所が分かりづらかった。 |
篠山城 2014年1月5日 | 30番目。2014年の1番目。 年末年始の旅行に当たり下調べして、(1)行くけどスタンプは捺せなさそう、(2)スタンプを捺せそう、と分類し、(1)は津山城、福岡城、(2)は篠山城、高取城、姫路城 を選定して訪問。 JR篠山口駅からみてお城は東の方にあるのですが、バスは西口からでるのでご注意。 さて、31番目は岡崎城です(あれ?) |
岡崎城 2014年3月15日 | 31番目。 本来31番目は高取城の予定だったのですが、1月5日に行ったら案内所も役場も開いておらず断念。するとマイルールに従って「天空の白鷺城」の予約をしていた姫路城のスタンプは捺せず、1月6日は姫路城訪問したのに・・・と言う次第です。 愛知環状鉄道の中岡崎駅から徒歩。方角にあたりを付けて歩くと着きます。 ちょっと桜には早かったです。お城はこぢんまりしていてスペースがあまりない一方、展示内容は良かった。 お城と全然関係ありませんが、この日はなんか武将の格好をした人が「三河武士のやかた」前で色紙にサインをしていて、それの待ち行列がかなり長かったんですが、あれはなんだったんでしょう? |
彦根城 2014年3月16日 | 32番目。 だいぶ昔に訪問して以来2回目。階段にしがみつくようにして上った記憶がある。 今回は1時間しかなかったので本末転倒ではあるが、押印と博物館見学を行い天守はパスした。スタンプは料金所の左隣に置かれていました。 博物館は古文書が読める状態で展示してあり、そういうのが好きな人にはたまらないかと思います。 この日は次に犬山城を訪問します。 |
犬山城 2014年3月16日 | 33番目。彦根城に続いて訪問。現存天守のはしごだったわけです。 彦根から関ヶ原を通って一旦名古屋に出、名鉄で犬山遊園駅、そこから徒歩。 木曽川がくびれている箇所に存在しているお城は、まさにライン川で通行税を取っていたそれと同じであった。(犬山城よりも先にローレライに行ったことがある) 天守閣に登るのは大変ですが、絶景でした。 この日は人出が多く、懐メロが流れてして猥雑な環境だったので、城を出たらすぐ退散しました。「天使の誘惑」とか「伊勢佐木町ブルース」とか流れていたのでした。 |
二本松城 2014年3月21日 | 34番目 二本松駅のスタンプだけで済ませてしまいました。 |
長篠城 2014年3月29日 | 35番目 JR長篠城駅から徒歩。ちょうど桜の咲き初めであった。 鉄道建設時に線路が城を分断したようで、本来はもっと広かったとのこと。 スタンプは史跡保存館2階の受付で申し出れば貸してくれます。 鳥居強右衛門の件は知っていたけれど、大分県の中津との関わりがあることは知らなかった。 あと、長篠城駅から歩く人にはあまり関係ないですが、第二東名の工事のため、ダンプが多く通るのでご注意。 |
足利氏館 2014年4月5日 | 36番目。 そのまんまお寺です。スタンプは、本堂正面を向いて階段を上った左手の売店のカウンターに置いてあります。 ここも桜の名所。 |
高遠城 2014年4月6日 | 37番目 プロフィールで記載したとおり長野県の5城制覇は困難が伴うがその1城目。 JRバス高遠駅から城跡を右回りに巡り、歴史博物館の入口脇にスタンプが置いてあったので押印。この時期は桜にはまだ早かった。 坂はきついが城ってそんなものですよね。 |
多賀城 2014年4月12日 | 38番目 多賀城から50番目の根城までは、1つの旅程で訪問しました。 この日は強風で電車が遅れたため、もともとは多賀城市の博物館で押印するつもりだったのだが、国府多賀城駅に変更。 改札を出て右側ななめに10歩ほど歩くと公衆電話があり、その隣にスタンプがある。地上に降りる必要もない。 |
松前城 2014年4月13日 | 39番目。 函館バスの定期観光バスに乗車して訪問しました。このツアーはちょっと高く感じるかもしれませんが、定期観光バスに片っ端から乗車している身としてはお勧めします(しかも定期観光バスは法的には路線バスであるため、公共交通機関のみというマイルールに合致)。 観光ガイドはオプションですが、付けることを推奨します。 さてこの日はきわめて天気が良く、城跡から岩木山が見えるほどでした。 桜は「冬桜」という品種のみ咲いていました。これは10月にも咲く品種だそうです。 まだ桜には早い季節だったせいか、砲撃跡の石垣部分は保存工事中でした。 スタンプは入場口でお願いしてお借りしました。 |
上田城 2014年4月14日 | 40番目。長野県の2番目。 前日の北海道から日本海側を南下していく旅程です。 新発田城あたりがちょうど満開だったので、新発田城の方が良かったかなー、と思いつつも夕方に長野に到着。 こちらもちょうど桜が咲いており、祭りも開かれていました。 観光協会の2階でスタンプをお借りしました。 |
佐倉城 2014年4月19日 | 41番目。 前回が上田城で、次回は名古屋城を予定しているのですが、マイルールに従うと上田城→名古屋城は不可であるため、佐倉城でワンクッション置きました。 時間があったので城跡の回りを散歩。結構時間がかかります。 もう一つの目的であった歴史民俗博物館はタイムアップで途中で切り上げました。 スタンプは無人(訪問時)のプレハブに設置で、城の紹介もそのプレハブに集約されています。 |
名古屋城 2014年4月26日 | 42番目。愛知県最後のお城です。 地下鉄の駅を出ると、都会の中のオアシスと言えるような緑の中を歩いていきます。東の料金所でスタンプをお借りしました。状態は良好です。 名古屋城おもてなし武将隊がアトラクションをやっていました。 この日は小谷城に続きます。 |
小谷城 2014年4月26日 | 43番目。 東海道ルートから脇に外れているので、前々から交通至便な名古屋城か大阪城との組み合わせで考えていました。 今回はJR河毛駅からレンタサイクルとしました。 同駅は無人駅なのですが、駅舎相当の位置に観光案内所があり、見学の相談に乗ってもらえます。案内所の閉鎖時刻は17:30なので、レンタサイクル使用の場合はそれまでに返却する必要があります。 城域はとても広いのですが、建物がなくてもどのように陣地を敷き対峙していたのかが想像できます。資料館は狭いけどそれなりでした。 |
和歌山城 2014年4月27日 | 44番目。 2回目の訪問です。前回は小学生だったので四半世紀以上前ですか。 和歌山市駅から徒歩。駐車場使用でもないのに裏口階段を使ってみました。急で危ないです。特に下りに注意。 スタンプはチケット売り場でゲットしました。小さいシヤチハタで、今まで見たことのないタイプでおやっと思いましたが状態は良好。スルッとKANSAIパスを持っていたので100円割引してもらいました。 展示物は(自分的には)面白くはなかったですが、見晴らしは最高です。また、石垣が立派なのも気に入りました。 この日は次に姫路城に行きます。 |
姫路城 2014年4月27日 | 45番目。 2回目です。1回目は2014年1月6日でしたので4ヶ月しか経っていないわけですが、その理由は2014年3月の岡崎城に記載しました。1月の訪問では「天空の白鷺城」の予約までして見学したのです。 でその時スタンプのある管理事務所は有料地域ではないことだけ確認しており、従って今回はスタンプだけもらってすぐ引き揚げました。 写真は、1枚目は1月6日、2枚目が今回です。 (追加)2014年8月17日に姫路駅のホームから撮影しました。3枚目です。なるほど「白すぎる城」と騒がれた理由が納得です。 |
伊賀上野城 2014年4月28日 | 46番目。 2回目です。初回は小学六年生の林間学校。 上野公園に来たと言うことで、まずは犬を連れた西郷さんの銅像を探しました・・・ というのは嘘で、高石垣を上から覗いてみることにしました。覗いた1秒後に後ずさり。 料金所でチケットを買った後、改札でスタンプをお借りします。 展示は歴史物としては不十分ですが、建物自体が木造であることが重要なのです。なお自分は鎧や刀剣よりも陶器が好きなので少し満足。 伊賀者がいっぱいいた(笑)。コスプレすると入場料が安くなったりするのだろうか?(←そんなことはなかった) |
郡山城 2014年4月29日 | 47番目。 九州に行く途中で広島に寄り道。バスで安芸高田市役所下車、徒歩5分。 展示館の受付でまずはスタンプをお借りし、展示物を見て回る。 歴史の展示は2階にあります。1階は風土の展示と言えば良いでしょうか。 歴史に詳しい方は2階の展示は既知なのかもしれませんが、私にとっては興味深いものでした。 |
大野城 2014年5月6日 | 48番目。 スタンプを捺せる場所は4カ所ありますが、今回は西鉄都府楼前駅から徒歩、太宰府展示館の事務所で押印しました。印影は可もなく不可もなくまぁ60点ぐらい。 ボランティアの説明員がいらして、太宰府の成り立ちを説明して頂きました。 大野城は、基肄城、水城とともに太宰府の防衛の一翼を担う施設として登場します。 自分は歴史よりも地理の方が好きで、熊本在住時によく福岡を往復する時に九州道、鹿児島線、西鉄線が集中する辺りの地名/駅名に「城」が付くのに気づいていた。で、理由が何となく分かってはいたが、今回その理解は正しくて、この辺りは交通がくびれる地形なのだ、という認識を新たにした。 |
春日山城 2014年5月16日 | 49番目。 長野から直江津方面に鉄道で移動。北陸新幹線工事の進捗に目を見はりつつ移動していたところが、高田=直江津間線路点検による運転見合わせに巻き込まれてしまい、予定外にも高田駅からタクシーを使うことになってしまいました。 15分ほどの紹介ビデオを見て、その後風景を確認しました。スタンプは美品でした。 これほど堅牢な城を考えた上杉謙信って本当にすごいわ。 帰りはバスです。コミュニティバスということで小さい車体のが来るのかと思いましたが普通でした。この後は直江津駅→長岡駅→栃尾。 |
根城 2014年5月18日 | 50番目。 朝一で訪問しました。といっても午前9時ですけど。 城郭は公園としていつでも入れるようですのでまずは一回りしてみました。 スタンプは3カ所ありますがいずれも午前9時からです。博物館で捺しましたがこれは状態良好でした。 八戸駅は街の中心に存在しないため、中心街との間にバスが20分に一本のペースで出ています。これに乗れば近くに行けます。 八戸市営と南部バスがあり、停留所の時刻表はまとめていたり別だったりで旅行者には優しくないです。 |
武田氏館 2014年7月20日 | 51番目。 夏休みの計画を立てたあと、マイルールに抵触しない近場のお城を選んだ結果こちらになりました。(夏休みの計画は52番目〜57番目までの予定) 甲府駅北口から毎正時と30分にバスが出ています。バスはまっすぐ北に向かって走り、終点が目的地となります。 まぁ神社なので、お札を受ける場所があります。そこにスタンプはありましたがかすれており、点数を付ければ55点ぐらい。さらに宝物館にもスタンプがありますが、こちらはさらに良くなくて50点ぐらい。 帰りは山梨大の停留所までてくてく緩い坂を下りると、バス代90円節約できます。 |
会津若松城 2014年8月9日 | 52番目。 登城3回目です。西若松駅から徒歩で移動。 湿度が高い日で、天守閣最上階の吹き抜ける風は気持ちよかったですね。 展示は前回見たのでスキップ。大河ドラマは全く興味がない(脚色があるだけで拒否)のでこれもスキップ。 スタンプは売店にあります。あまり状態が良くありません。50点ぐらい。 帰りは会津若松駅まで歩きました。その後この日に復旧した磐越西線の「SLばんえつ物語」号に乗車し、新潟に泊まりました。 |
弘前城 2014年8月11日 | 53番目。 登城は2回目です。前回は十年以上前のGWで、さくら祭り中でしたね。 前日の台風を弘前市内でやり過ごした直後、午前8時頃訪問しました。 時間外の入場自体は無料なんですね。雨上がりで蒸し暑かったです。 緑の相談所に設置されているスタンプはきわめて状態がよろしくありません。 あと、(ここに書いても仕方ないですけど)根城でも申し上げたが、何で青森県は路線バスの使い勝手が悪いのだろう?部外者に使わせないようにしているのでは?と勘ぐってしまう。 |
松阪城 2014年8月15日 | 54番目。 この日の松阪市は朝からとても蒸し暑く、松阪駅から歩くだけでとにかく汗が・・・。 冷房でカメラが冷えており、写真がもやがかっています。 やはりここは石垣に目を見はるものがありました。 スタンプは歴史民俗資料館で、ゴム印タイプでした。ただ、最近思うのはゴム印タイプの方がシヤチハタ方式よりも良いのではないか?ということであります。 |
萩城 2014年8月16日 | 55番目。登城は2回目です。 まず謝っておきますと、同じ旅程に会津若松と萩を押し込めてしまいました(笑)。 東萩駅でレンタサイクル(小谷城に続いて2回目)を借りたのですがこれが正解。街のサイズが自転車向きなのですね。 まず松陰神社、伊藤博文公のお宅などを見て回ったあと、市内を横断してお城に行きました。お城の敷地まで自転車乗り入れ可。 スタンプは、1枚目写真のプレハブ?にあります。状態は鶴ヶ城と異なり良好でした。 会津若松も好きな街なのですが、萩も好きな街です。(許されるのか?) この後は、8月10日にやっと復旧した山陰線を東進しました。 |
鳥取城 2014年8月17日 | 56番目。ここも2回目です。 この日は日本海側は前線の影響でひどい天気でした(太平洋側の写真は同日に撮影した姫路城の項を参照)。 鳥取では朝から雷が鳴っていたのですが、自分が行ったタイミングだけたまたま雨が上がっていました。 ここは見上げるばかりのお城で、石垣も立派なのです。もっとも復元ですけど。 見上げた先の雲海(下から)を写真でご堪能下さい。 スタンプの状態は普通でした。 この後鳥取駅から山陰線で京都に向かうはずが、こちらは不通(怒)でしたので急遽智頭急行に振り替えて、姫路経由で移動しました。 |
金沢城 2014年8月18日 | 57番目。 本来は七尾城の予定でしたが、資料館が休館日だと思われることと、それよりも何よりも予定していた七尾線の列車が運休となったため、やむを得ず金沢城を訪問。 事前調査ゼロながら時間はあったため、ゆっくり見て回ることが出来ました。 松山城や熊本城みたいに、広い城域で気持ちが良い場所でした。 スタンプは石川門の休憩所と、二の丸案内所のものの両方を試した結果、石川門のほうがまだましでした。 |
徳島城 2014年11月22日 | 58番目 徳島駅から城山まで徒歩。本当は駅の東側から回るべきだったがあえて西側から回ってみました。 建物は明治初期にほぼ全て取り壊され、残った門も空襲でなくなったそうで、残るはお堀と石垣と庭園のみ、です。 地理的にちょうどいい場所に城山があることが良くわかりますので、眉山から俯瞰することはお勧めです。 |
高取城 2014年11月23日 | 59番目。 山城として有名な高取城、ちょうどお祭りを行っていました。 |
今帰仁城 2014年12月13日 | 60番目。 沖縄についてはマイルール非適用とし、北から順番に日を分けて訪問しました。 今回、今帰仁城は沖縄バスの定期観光Bコースを利用しました。那覇バスの定期観光でも良かったのですが万座毛を見たかったので。 スタンプは発券所の係の方からお借りしました。ゴム印です。 石垣が大規模で、本島からの外敵監視という目的にたがわない立地条件で感心しました。でも薩摩藩の攻撃には耐えられなかったそうです。 |
中城城 2014年12月14日 | 61番目。 これは車で訪問しました。バスマップをひっくり返しても上り坂がきつそうだったので。 その甲斐あって太平洋と東シナ海を同じ位置から望めるんですね。 スタンプは入場券売場にあります。状態は70点ぐらい。 |
首里城 2014年12月15日 | 62番目。訪問は2回目です。 沖縄の主要観光地ですから混んでいますが、平日ですから修学旅行生と、半世紀前に修学旅行をしていた(かも知れない妙齢の)方が多かったです。 最近建てられた(復元された)南殿の木材が芳しかった。 スタンプは、意外にも北殿のショップ内にあるシヤチハタの状態が良かったです。案内係に声をかけると出してくれます。 追記:焼失後の2019年12月に再訪しました…があまりにも悲しかったので遠くから眺めることにしました。3枚目の写真は島添大里城の展望台から望遠で撮影したものです。 |
丸亀城 2014年12月31日 | 63番目。年中無休とのことで訪問しました。 時間がなく、丸亀駅からタクシーで移動。城までの道は短いが急勾配で厳しい。 夕方から天候が大荒れとなり吹き込む風が寒いのなんのって。 石垣がすばらしい。 |
高知城 2015年1月1日 | 64番目。2015年の1番目。 事前にホームページを確認したところ、開いているのか閉まっているのかなんだか良く分からない書き方でしたが、新春無料開放ということで朝9時に行ってみたら開いていました。 お城もかっこよく、展示も良かったのでお勧めです。 |
高岡城 2015年3月7日 | 65番目。 新しいのに新幹線が乗り入れないことになった高岡駅から徒歩。1kmぐらいです。 街中から全然目立たないのはなぜだろう、と思いながら訪問しましたが、高い建物が一切存在しないのですね。実際に1609年築城、1615年廃城とあっては。加賀藩の出張所みたいな扱いになり、一国一城令で破却とのことです。 |
丸岡城 2015年3月7日 | 66番目。高岡城の後に訪問。 こちらは高岡城と逆で、天守閣だけ残っています。一番上まで登ったところ、とても見晴らしのよいところでした。北ノ庄城の北方を守備する役割を担ったようです。 |
金山城 2015年3月14日 | 67番目。 駅から歩くかどうか迷った結果、タクシーを使って行けるとこまで行ってみました。 石畳の復元が忠実すぎて歩きづらいですので、靴は良く選んでください。 帰りは歩きで、思ったより時間はかかりませんでした。 |
七尾城 2015年3月20日 | 68番目。 もともと2014年8月に行くつもりでしたが、金沢城の項に記載した理由でこの日になりました。 七尾駅からコミュニティバスで資料館を訪問。そこで与えられた時間は1時間20分だけだったが本丸までの登城を目指しました。道は丁寧に教えていただきましたがそれなりに難しいルートです。 結局雪解け水で難渋し、本丸の直前で断念しました。でも夏だったら暑くてもっと大変だったでしょう。 |
広島城 2015年3月21日 | 69番目。 街のど真ん中に存在しているためにかえって目立たず、予備知識なしで訪問しました。どの駅からも中途半端な距離。 郡山から出てきた毛利氏が、瀬戸内の海運と太田川との結節点であるこの地に築城しました。明治維新を生き延びた現存天守だったのですが、爆心地から1キロちょっとしか離れておらず、やられてしまったのは残念なことです。 展示は良かったです。特別企画のトイレ事情展も良かった。 |
赤穂城 2015年3月21日 | 70番目。 午前中は広島城訪問、広島から相生に、そして播州赤穂に移動しました。 時間が限られていたため、播州赤穂駅からバスに飛び乗りましたがなんと100円バスでして助かりました。それもこれも資料館などの入場受付終了時刻が早いもので。 長屋門の特別展示含めて、1時間で資料館は一通り見ることはできました。 スタンプはゴム印タイプです。 |
岐阜城 2015年3月22日 | 71番目 岐阜には岐阜城とは別に加納城がありましたが、それとの関係を知らないまま登城しました。 岐阜城の歴代城主は、斎藤道三とか、織田信長とか池田輝政(姫路城を作った人)とか豊臣秀勝とか、有名どころが並んでいます。 関ヶ原の合戦の折に城主だった織田秀信は西軍の石田三成に加勢したため、1601年に廃城、代わりに加納に築城したんだそうです。これで分かりました。 とにかく眼下の長良川含め、とても見晴らしの良いところでした。時間の都合でロープウェイを使いましたが、地元のハイキングコースとして愛されているようで歩きで登り下りしている人も多かったです。 |
新発田城 2015年4月12日 | 72番目。 昨年の今頃、松前城から上田城に向かう途中で新発田を通過したら桜が満開だったので、よし来春に訪問するぞ、と考えていました。 お城のお祭りをやっていました。 江戸時代、新発田城にやってきた溝口氏は、明治維新まで転封することがなかった数少ない外様大名です。解説によれば、それもこれも善政を敷いたからだろうとのことでしたが、善政を敷ける環境であったのも大きかったでしょう。 広い城域は現在自衛隊の駐屯地になっています。 スタンプは、かなり印面が悪化している、という情報をつかんでいましたけど、そんなに悪くはなかったです。 |
根室半島チャシ跡群 2015年5月16日 | 73番目。 遠かったです。根室は4回目なので遠いのは知ってたけど。 実際のチャシを巡ろうとすると路線バスではあまりにも制約が大きかったため、マイルールから逸脱しますがレンタカーを使用しました。 100名城巡りをする前から、根室駅前の観光案内所にスタンプがあるのを知っていましたので、今回はあえて「歴史と自然の資料館」で押印してきました。係りの人が仰るには「今日は100名城のスタンプを押しに来る人が多いですよ」とのことでした。 近くの車石を見てからチャシを巡りました。 |
盛岡城 2015年5月18日 | 74番目 盛岡駅からバスで行きました。スタンプは「プラザおでって」でお借りしました。 その後歴史文化館を見て城址を散歩。ツツジがきれいでした。 |
津和野城 2015年6月8日 | 75番目。 ちょっと行きづらいし、藪蚊は嫌なので、暑くなる前に訪問することにしました。 津和野駅から歩く事20分、観光リフトで登城し、本丸まで行ってきました。リフトは16:30終了でちょっと焦りましたが、本丸まで山のてっぺんに幾重にも重ねられた石垣が素晴らしいお城です。 事情があり平日だったため、近隣の小学生、高校生の下校時刻と重なりました。皆さん「こんにちは」と挨拶してくれるすがすがしい町である津和野でした。 |
宇和島城 2015年6月9日 | 76番目。 石段をかなり登るので、暑い季節は避けようと考え、雨をついて朝一で宇和島駅から歩いて訪問しました。宇和島伊達家の城として有名ですが築城主は藤堂高虎でして、あとから伊達家がお輿入れしました。それからちょうど400年、町のそこかしこに400年祭の幟が立っています。 現存天守閣は今でも木の良い香りがたちこめていました。 |
松代城 2015年8月22日 | 77番目。 長野駅から30分間隔で出ているバスに30分乗車(片道650円)での訪問です。インターチェンジがそばにあり比較的渋滞しやすいようです。 城郭、というより御屋敷・・・でもなく陣地、でしょうか。思ったより狭い所でした。かなり整備されておりかえって現物離れした感もあります。 ほかの方からもご指摘がありますように、100名城スタンプは管理棟ではなくて「真田邸」にあります。美品でした。 |
備中松山城 2015年11月6日 | 78番目。 天空の城として有名になった竹田城跡に引き続き、高所に位置し、現存天守としても、雲海の城としても有名になった備中松山城を訪問。 紅葉の季節、鞴(ふいご)峠の駐車場は混雑による閉鎖で、シャトルバスに乗りました。 ここは階段、坂がきついです。さすが三大山城。若いうちに行った方が良いです。 |
松江城 2015年11月6日 | 79番目。 めでたく国宝に指定された松江城です。午前中に訪問した備中松山城とおなじく現存天守12城のひとつです。 県庁所在地にあるお城は大概広い敷地を持つもので、この松江城も同じく広いです。城下町も風情があります。4年前の夜中に城下町を歩いたわけですが、やはり昼にそぞろ歩きしないと損です。 天気予報によれば日曜日の岡山は雨(珍しい!)とのことだったので、今日は備中松山城と松江城を掛け持ちにしました。 |
大洲城 2015年11月8日 | 80番目。 大洲城に朝いちばんに乗り込みました。建築基準法の適用外として例外的に復元された木造の城です。天守閣は維新時の解体を免れたものの、老朽化により明治初期に解体されてしまいました。しかし、幸いなことに写真技術の普及に間に合ったこと、木組みのモックアップが残っていたため、一世紀以上の間を空けた再建において、これらの資料が役に立ったのだそうです。 |
鬼ノ城 2015年11月8日 | 81番目。 神籠石式山城という分類の古代山城です。いつ出来たのかは不明だそうで、5〜8世紀のいずれかだとか。 鬼ノ城山の山頂周囲を長い城壁がぐるりと囲む構造になっており、その城壁は2.8kmもあるとのこと。東西南北に門があり、西側の遺構が良く残っていたので復元したのが写真の門です。ビジターセンターの建物は新しくて、木の良い香りがしていました。 |
松本城 2016年1月9日 | 82番目。 急に行きたくなって「あずさ」に飛び乗って行ってきました。 お祭りの屋台が並んでいて、しかし何の祭りだったのでしょうか。 国宝である城郭の一覧が、松江城の指定により貼り紙で訂正されていました。仕事が速い。 |
観音寺城 2016年3月20日 | 83番目。 安土城郭資料館で、2つスタンプを並べられたのでつい二つ捺してしまいました。先に観音寺城を捺したため83番目。 [追記]八幡山城跡から観音寺城の山を撮影してみました。2021年8月10日 |
安土城 2016年3月20日 | 84番目。 観音寺城と同じく安土城郭資料館で。 スタンプはきれいでした。 |
明石城 2016年3月20日 | 85番目。 安土駅から一気に明石駅まで移動して訪問。 駐車場からは遠いようですが、明石駅からですとスタンプのある管理棟はすぐそばです。 長い石垣が印象的でした。 あと、春分の日、かつ明石、ということで日時計の写真を撮ってみましたが、なぜかずれているような(撮影は13:30です)。 |
五稜郭 2016年3月26日 | 86番目。 北海道新幹線が開通してから行こうと決めていたところが、諸般の事情から開業当日に訪問することになりまして、かなりの混み具合でした。 訪問自体は17年前に次いで2回目ですが、今回は全体を一周してみました。正面はかっちりしていた石垣が北面では崩れている箇所もあって、予算不足だったとのこと。 |
仙台城 2016年3月27日 | 87番目。 仙台駅から「るーぷる」というバスに乗り仙台城へ。3回目です。 石垣は立派である一方、櫓はありません。作れなかったのではなくて不要だと判断したとのことです。 広瀬川が蛇行している崖の上に位置を占めており、これは攻め方としては苦労するでしょう。 以前るーぷる仙台に乗った時の運転手は普通の路線バスの運転手でしたが、今回は何か「おもてなし」なのか、笑わせるようなトークを連発するようになっていました。 |
岩村城 2016年3月31日 | 88番目。 前日に名古屋に泊まり、恵那から明知鉄道に乗車して一旦終点の明智駅まで行き、ちょっと大正村を見てから岩村駅に戻り、それから歩きました。 緩い登坂の道すがら城下町を見ていたら時間が無くなってしまい、山登りは断念しました。 寿命の短い城が多い中、700年も実用に耐えたとのことで他に例を見ないとのことでした。 |
八王子城 2016年6月11日 | 89番目。 大河ドラマのタイミング的にいいかなと思い、先だって訪問しました。高尾駅からバスで入口まで行き、そこから徒歩です。 八王子城の城主は北条氏政の弟である氏照ですが、彼は小田原城に詰めており不在、留守番の守備方は、前田利家、上杉景勝などの大軍に挟まれて討死、かなり凄惨な結果に終わったそうです。これは小田原方の士気を大いに挫いたようです。 本丸まで行ってみました。山登りに近いハイキングコースです。櫓を置きようのない狭い空間でしたが、ここまで登ると達成感があります。 道中吹き上がってくる風がひんやりとして心地良いし、見晴らしも最高でした。横浜ランドマークが見えるんですね。 |
二条城 2016年6月24日 | 90番目。 まず北大手門を外から眺め(ここからは入場できず)、ちょっと歩いて堀川通りに面する東大手門から600円払って入場。最初「600円って高くないか?」と思っていましたがそれは大間違い。二の丸御殿だけで内容盛りだくさんであり、大政奉還の間とか、狩野流の襖絵とか、おなかいっぱいでした。入場者の半数以上が外国人であり、説明書きの看板が英語と日本語で別々の場所に掲げてあるお陰で、うまく人だかりが分散するシステムになっています。 スタンプをもらって本丸へ。天守閣跡に登って内堀を反時計回りに巡りました。京都の真ん中にこんな緑の空間があるのです。想像よりも広かった。2018年度までにいろいろな改修が完成予定とのことです。また行こう。 |
岩国城 2016年6月25日 | 91番目。 新幹線でなかなか乗り降りする機会のない新岩国駅に行き、そこからバスで錦帯橋に向かいます。道中錦川に沿ってぐるっと半円形に回るとき、その中心に復元城郭が見えます。錦帯橋にて渡橋料と一体化したパスを購入し、ケーブルカーと徒歩。 城郭は復元であるためあまり見るべきものはない(私は刀剣に興味なし)のですがむしろ景色が良くて、景色だけずっと眺めていました。麓に戻り、吉川資料館にお邪魔して歴史資料を見学。この証文がとても興味深く、予定を1時間オーバーさせてしまいました。行く価値があります。 |
川越城 2016年8月27日 | 92番目。 川越駅からバスに乗り、本丸御殿を訪問しました。小雨の中、畳の上で蝉の声を聴きながら、縁側から庭園を眺めてリフレッシュ。 外国からの観光客が多かったです。 帰りは歩いて本川越駅まで。 |
高松城 2016年9月17日 | 93番目 駅すぐ近く、四国の玄関口に位置するお城であります。趣向を変えて城の北側、つまり宇野方面フェリー乗り場のあたりまでぐるっと回り、東側から入ってみました。 石垣の修理で迂回する場所があり、それは堀の上を空中回廊のように渡るようになっていました。普段は見えないようなアングルを楽しめました。 |
福山城 2016年9月17日 | 94番目。 高松城(香川県)訪問後、直に訪問しました。駅近、というよりむしろ「城を壊して駅を作った」のでしょう。 福山の町は瀬戸内海の東と西との潮がぶつかる辺りに位置するとのことで、動力として燃料を使えなかった時代から物流拠点として重要な位置を占めていました。この城は防御もさることながら貿易の観点から重要だったみたいですね。 お祭りの準備をしていました。 |
福岡城 2016年9月21日 | 95番目。 訪問は2回目です。前回は年も押し迫る12月30日の夜であって鴻臚館は閉鎖しておりスタンプを捺せませんでした。真っ暗な中を探検(?)したわけですが広くてなかなか疲れました。 今回は平日の昼間に行ったのでゆっくり見学できました。城跡もさることながら平和台球場跡の形がまだ残っていて、まだ発掘途中で何が出てくるのかわくわくできるように見受けられました。 |
小諸城 2016年9月24日 | 96番目。 ぱっと新幹線に乗って訪問しました。 これも駅近ですけど、福山城と同じで城跡に駅を作ったわけで、線路の東側に門が、線路を挟んで本丸があります。 交通の要衝であったため、戦国時代末期はいろんな武将が奪い合ったお城でした。 でも島崎藤村の印象が強いです。 |
大阪城 2016年11月4日 | 97番目 こんなに歴史上も戦略上も重要、かつ観光スポットである大阪城が97番目とは! 大河ドラマの流行りを考慮すると平日に行くべき、と検討した結果、この日に訪問することになりました。 第3代目の天守なわけですがこれが昭和6年竣工ということで驚きです。 スタンプは天守に入ってすぐ、左手の案内所にお願いすれば出してくれます。ゴム印とシヤチハタがありますけどゴム印の方がマシな感じです。 |
津山城 2017年4月14日 | 98番目。 桜祭りのタイミングに合わせて登城しました。 一週前に行ければよかったのですけどスケジュール上この日になり、散っていく桜吹雪が見事でした。 |
湯築城 2017年4月15日 | 99番目。 中世の城で、江戸時代は打ち捨てられたままだったそうです。しかし、明治時代に道後公園として整備、さらに動物園まで開園したところが施設の老朽化により動物園は砥部へ転出。 んで跡地を掘り起こしたら遺構がわんさか出て来たとのこと。 |
白河小峰城 2017年4月22日 | 100番目。 ラスト。東北三大石垣、白河小峰城です。 スタンプラリーを開始する前、東日本大震災で「石垣が崩れて立ち入り禁止」とのニュースを聞いていて、その後スタンプラリーを開始してからなんとなく「白河小峰城がラストだなー」と考えていました。 現在も修復工事中で、2020年に完成する見込みのとこと。天守台は木造で、本当は人を入れてはいけないという制限で復元したらしいですが、中をのぞくことはできました。 |
若桜鬼ケ城 2018年5月2日 | 続の1番目。 早くもスタンプの設置状況が危ぶまれている若桜鬼ケ城を最初に選びました。 若桜駅から見上げると、確かに籠って様子見するのに良さそうな山があって「お、あそこだな?」てな感じです。今回は天候が怪しかったので車で細い林道を登って、舗装が途切れても気にせず近くまで。旧馬場が駐車場になっており、そこからはかなりガタのきた道を歩いて7分ぐらいで本丸でした。平日朝9時だったからか林道てすれ違う事はありませんでした。 あと、駐車場でSDカードを拾ったので麓の交番に届けました。もし心当たりの方は警察に連絡して下さい。 |
浜田城 2018年5月3日 | 続100名城の2番目 1619年の築城、南方(広島城)、追って西方(萩城)の毛利氏に対する抑えとして、親藩・譜代である松平家が配置されていました。明治維新前の混乱の中、城主自ら櫓に放火したそうなのですが、石垣はある程度残っています。海を監視できる絶景を望める素敵なロケーションでした。 |
大内氏館・高嶺城 2018年5月3日 | 続100名城の3つ目 JR県庁所在地駅で随一の影の薄い駅である(失礼!)山口駅に初めて降車。高嶺城跡を見に行きました。 思ったより客が多く、予定していた2分接続のバスに乗れませんでした。駅前のレンタサイクルでチャチャっと借りて行ってまいりました。 |
新高山城 2018年5月4日 | 続100名城の4つ目 本郷生涯学習センター、5/3〜5は閉館でした。スタンプは問題ありません。 城跡の山は現在山陽新幹線が貫いています。下りの新幹線に乗って三原を通過すると5〜6箇所の短いトンネルに入り、山陽本線と川を跨ぎ再度トンネルに入ります。跨ぐ前のトンネルが高山城、跨いだ次のトンネルが新高山城の山で、川は沼田(ぬた)川です。 |
三原城 2018年5月4日 | 続100名城の5番目 駅を作るときに本丸まで壊された三原城です。本丸跡へ行くには駅コンコース内の専用通路を使います。小早川隆景が築城し、瀬戸内との交通の要所として運用されていました。現在も交通の要衝です。 スタンプは駅の観光案内所にあり、係員にお願いして出してもらいました。 |
脇本城 2018年5月16日 | 続100名城の6番目 男鹿半島の南側にある崖の上に作られた、戦国時代の山城です。 なんか「車で行くべき」「発砲音が聞こえる」という怖い意見が多いようですが、時間も2時間取ったことだし男鹿線プラス徒歩で行って参りました。 車は、健脚なら要らないです。アップダウンは激しくて、海岸沿いの国道から自力で山登りをすることになります。車なら途中まで登れます。 クイズコーナーがあり、応募したところ7月に当選通知とともにイケてるペーパーフォルダが届きました。ありがとうございます。 |
秋田城 2018年5月16日 | 続100名城の7番目 「秋田城って街の真ん中にあるんじゃないの?」…いえいえそれは久保田城。 脇本城訪問後、秋田駅で乗り換え、バスに乗っていきました。 秋田城は奈良・平安時代の拠点であって、それ以降は忘れ去られた存在となっていたそうです。 |
米子城 2018年5月26日 | 続100名城の8番目 当日朝いちばんの飛行機で米子空港に降り、山陰を右往左往したのちに、米子駅から歩けなくもない距離だなぁ、ということに気付いて訪問しました。 遠巻きに石垣を眺め、「やっぱ楽をしよう」と米子市立山陰歴史館でスタンプをお借りしました。 |
岡豊城 2018年8月10日 | 続100名城の9番目 訪問は2回目です。初回は2017年の4月、続100名城に岡豊城が選定された10日ぐらい後でした。今回もレンタカーで訪問しました。前回と違うのは幕があったことぐらいでしょうか。 |
一宮城 2018年8月11日 | 続100名城の10番目 第13番札所「大日寺」の駐車場に駐車して、スタンプを捺してから神社→お寺の順にお参りしました。スタンプは野ざらしという噂を耳にしていましたが、ちゃんとボックスの中にありました。 |
勝瑞城 2018年8月11日 | 続日本100名城の11番目 発掘中ですが、訪問日はお休みだったようです。スタンプはガソリンスタンドにて。ついでに給油をお願いしました。 今回の旅程はレンタカーを4泊5日で借りて四国をおおむね一周し、四国の続100名城を制覇するもので、3回給油しました。いま明細を確認したところ、このガソリンスタンドが一番安かったです。 |
引田城 2018年8月11日 | 続100名城の12番目 11番目の勝瑞城のあと、第一番札所「霊山寺」にお参り後、讃州井筒屋敷を訪問してスタンプを捺しました。「讃州井筒屋敷ってどんなところ?」かと思っていたのですけど、立派なお屋敷でした(まんまですが・・・)。暑かったので和三盆糖がけかき氷でクールダウン。 |
能島城 2018年8月12日 | 続の13番目。 朝一番でホテルを出て、今治から村上水軍ミュージアム(当時)を見学しました。 望遠で写真を撮れれば良かったのですけど。 |
河後森城 2018年8月12日 | 続の14番目。 この日は朝からの能島城訪問後、松山→R378→八幡浜→いったん愛南まで南下して折返し、宇和島からR320→R381で午後6時ごろに訪問しました。ちょうど日没直前でだれもおらず、城跡の雰囲気を堪能しました。 |
宇陀松山城 2018年8月14日 | 続の15番目。 榛原駅からバスに乗り、大宇陀の道の駅から徒歩で訪問。スタンプは伝統的建造物(を模した?)まちづくりセンターで捺しました。 帰りのバスは桜井駅まで。 なお、3か月前に脇本城を訪問した時のクイズが「宇陀松山城のスタンプの番号は?」というものでした。 |
大和郡山城 2018年8月14日 | 続の16番目。 宇陀松山城訪問後、桜井から郡山に移動して訪問。お盆だからなのか、工事だったのかどちらか分かりませんが柳沢文庫館はお休みで、スタンプは城跡近くの「大和郡山市役所の2階で捺せ」(←勿論こんな偉そうな書き方ではありません)と張り紙があったのでそれに従いました。 |
笠間城 2018年8月18日 | 続の17番目。 友部駅から笠間市の周遊バスに乗り、笠間稲荷参拝の後に行ってまいりました。13世紀に築城され、明治まで続いた歴史のあるお城とのことでした。スタンプは交流館とかいう新しい建物でいただきました。 |
佐土原城 2018年12月1日 | 続の18番目。 続日本100名城スタンプラリーを開始するに先立ち、一覧を見てまっさきに気づいたことに: 「これ今回九州きつくない?」 検討の結果、九州は7回(うち1つは沖縄)で計画しました。今回はその1回目で2018年12月1日〜4日で7か所巡ります。これは新田原の航空祭に合わせてこの時期になりました。 まずはその航空自衛隊新田原基地に近い佐土原城に行ってまいりました。朝は航空ショーの予行を見物し、そこから徒歩で佐土原城まで。戦国時代のお城ですが、17世紀初頭に平和が訪れてのちはお城をやめて麓の陣屋に移ったのだそうです。 |
延岡城 2018年12月1日 | 続の19番目。 スタンプは24時間捺せることと、過去に訪問したことがあるので夕飯がてら夜に行ってみました。一つの石を抜けば全部崩れる(と言われる)石垣を背にしつつスタンプをゲットしました。 |
志布志城 2018年12月2日 | 続の20番目。 本来の計画では九州の2回目以降に回すつもりだったのですが、新田原の航空祭が悪天候打ち切りになった時点で「志布志市埋蔵文化財センターに16:30に着ける」と判断して行ってまいりました(到着は16:28でした)。 たくさん資料を頂き、17時に退出しました。でお城の写真を撮るのを忘れました。添付の写真は、国道448号の前川にかかる「権現橋」から赤信号待ちの間に撮ったものです。逆方向を映していたら城山を撮れたのに。 |
佐伯城 2018年12月3日 | 続の21番目。 この日は北上するほど雨脚が強くなり、佐伯ではかなり降っていました。スタンプ設置場所である城下町観光交流館にお邪魔しましたが、この空間だけ非常に落ち着く別世界のような感じでした。 |
角牟礼城 2018年12月4日 | 続の22番目。 ここは期待を上回るお城跡でした。前日からの雨上がりで、峠道では雲海を眺めることができました。 角埋山(つのむれやま)にある本丸跡まで行ってみたところ、ちょうど虹がかかっていました。 スタンプは豊後森藩資料館で。この建物は学校跡?と思っていたところに丁度子供たちの集会が開かれていたのでやっぱりまるで学校みたいでした。 学芸員さんの説明が素晴らしかった。 |
鞠智城 2018年12月4日 | 続の23番目。 角牟礼城から天ヶ瀬→杖立温泉→大観峰(雲の中で何も見えず)→菊池渓谷→隈府城そばを抜けて鞠智城跡に来ました。ここは大野城や基肄城と同じで、白村江の戦いで負けた朝廷が防衛目的で作った古代山城です。 |
八代城 2018年12月4日 | 続の24番目。 今は神社が鎮座しています。時間が無くなってしまい、スタンプ設置個所である博物館の展示で済ませてしまいました。 |
飯盛城 2019年4月30日 | 続の25番目。 最近開通した「おおさか東線」に新大阪から乗り、放出で乗り換えて片町線の野崎駅まで来ました。飯盛城は中世の山城で、生駒山地が「く」の字に折れ曲がったあたりに位置する要衝に位置します。 飯盛山城や野崎城もそうですが、古墳も多い。 |
備中高松城 2019年5月2日 | 続の26番目。 続日本100名城スタンプラリーを開始して1年経ちました。 この日は備中高松駅からちょっと歩いたところにある自転車屋さんのレンタサイクルを利用しました。水攻めで有名ですが周辺は平べったい地形であり、「秀吉はどんな大掛かりな土木工事をしたんだよ」というのが第一印象。 勿論蛙が鼻も行ってきました。 |
上ノ国勝山館 2019年5月17日 | 続の27番目。 ここは2回目で、1回目は2014年4月に松前城のスタンプを捺した当時、函館バス定期観光のコースに組み込まれていたのです。現在は定期観光のコースから外されてしまいました。 15世紀中頃に武田氏、後の蠣崎氏が、日本海を望むここ夷王山(いおうざん)に拠点を作りました。それが勝山館です。和人とアイヌの最前線の地であり、両者の墓が混在しているのですが、和人は北向き、アイヌは東向きに埋葬されたので区別出来るそうです。 |
志苔館 2019年5月18日 | 続の28番目。 四稜郭を見学した後、函館空港から帰る前に見に行きました。 「北海道の城」と聞くとアイヌの見張り及び祭祀場、または内地人の開拓拠点…アイヌから見れば侵略拠点、となると思います。この志苔館は開拓拠点らしく、室町時代にでき、そのご攻め落とされては再建、を繰り返したのち最終的に松前に従属したことで廃城となったそうです。 |
石垣山城 2019年8月5日 | 続の29番目。 この夏休みは「少々行きづらい城」を見に行こうと思います。まずは早朝から秀吉の小田原征伐「石垣山一夜城」です。小田原城を見下ろすことが目的なので随分標高が高くて景色が良いです。 |
興国寺城 2019年8月5日 | 続の30番目。 石垣山城を見学し、前回は時間を取れなかった山中城をじっくり見て、次いで北条早雲のお城、興国寺城に向かいました。 お堀で三方を固めた構造です。時折「コーッ」で騒音が響きます。東海道新幹線が堀跡のすぐ北側を通っているのでした。 |
諏訪原城 2019年8月5日 | 続の31番目。 旅程検討で頭を悩ませた一つの要因に「諏訪原城ビジターセンターが月曜休み」という問題があって色々調べた所、「スタンプは野ざらしらしい」とあったので行ってみました。 野ざらしというより、袖引出しが野ざらしで、その中に入っていました。ビジターセンターを見学したかったですが後程とします。 |
高天神城 2019年8月5日 | 続の32番目。 47都道府県から1箇所以上ずつ選ばれる続100名城、今回静岡県から4つ選定されました。そのうち浜松城は行きやすいような気がするので後回しとし、残る高天神城に行ってきました。ここのスタンプ設置箇所は公民館なのですが月曜休み。ただしスタンプはもう1つ設置場所があり、これが掛川駅の観光案内所です。 従ってスタンプラリー目的なら城跡に行かなくて構わないことになりますが、いやとんでもない。静岡県で山中城と並んで一番行きたい城跡、本来なら最初の100名城に選ばれて全くおかしくないはず。 今川氏→桶狭間を経て徳川氏→武田信玄は「落とせない」と判断して素通り→3年後に武田勝頼が兵糧攻めで落とす→1年後、長篠の戦いで武田勢の補給路である諏訪原城が落ちてピンチ→6年粘ったけど徳川家が奪還、廃城。 という流れらしい。徳川家と武田家のせめぎ合いの舞台だったのです。 |
古宮城 2019年8月5日 | 続の33番目。 日本100名城の長篠城は愛知県新城市にありますが、ここには続100名城もあります。作手(つくで)地区にある古宮城。早朝から出発したのはここの資料館が午後3時閉館、定休は火曜ということで、これは静岡のどれかを諦めないと無理だと判断していました。 ところがスタンプだけならコンビニにある、とのことで捺すだけ捺してきまして、あとは城跡の周りをぐるっと回ってみました。 |
苗木城 2019年8月6日 | 続の34番目。 朝から、ツウの選ぶ山城ナンバー1、苗木城に来ています。 資料館が開くのが9:30と遅く時間を制約したので先に城跡を散策しました。 この後は高島城とか龍岡城とか、途中に位置する続100名城はすっ飛ばして群馬(上野)国に移動します。 |
岩櫃城 2019年8月6日 | 続の35番目。 苗木城訪問後、中央高速を使い、岡谷から和田峠を抜け、上田からR144真田街道を東に走り、鳥居峠を越えて群馬へ。いつの間にか国道の番号が1つ増加してR145となり、試験湛水前の八ッ場ダムを見学し、山に分け入って岩櫃城を訪問しました。 この岩櫃山は吾妻線からも見えるのですが、お城は中腹にあったそうです。 |
名胡桃城 2019年8月6日 | 続の36番目。 この日は群馬県に所在する真田ゆかりの続100名城を3つ連続で訪問しました。惣無事令に反した結果、北条攻めの口実を与えてしまった舞台です。 ずっと利根川に沿って緩やかに標高を上げてきた国道17号線が進退窮まり、利根川左岸から右岸に渡って崖線を駆け上がるその崖の上に位置しています。つまり要所に位置しているといえるわけですね。 |
沼田城 2019年8月6日 | 続の37番目。 ブラタモリでもやっていましたが「河岸段丘」の典型であり、かつ築城するロケーションとしても最適としか言いようのない位置に存在していた沼田城です。でもここほど「もともとお城があったという感覚が消え去った城跡」も珍しく感じました。そもそも便利な土地なのでしょうね。 当日岩櫃で知ったイベント「群馬の真田三名城を巡るとグッズをもらえる」を半日で達成ということで、かっちょいいペーパーフォルダを頂きました。 |
唐沢山城 2019年8月7日 | 続の38番目。 現在は本丸に神社があります。 暑い日でした。みんなぐでっとしていたもののお邪魔が多く、見学が捗りませんでした。どういうこと? |
大多喜城 2019年8月7日 | 続の39番目。 夏休み最後に訪問したのは大多喜城です。今まで「月曜が休みだ」とか「午後3時に閉まる」とか多々制約がある、とか書いていましたが実はここ、「千葉県立中央博物館大多喜城分館」が3日間の全行程を一番制約したのです。もし当館が月曜休みでなければ、逆向きの行程でうまくいくし、午後4時受付終了がもう少し遅ければ余裕があったし、スタンプが館内設置でなければ窮屈なスケジュールを組むこともなかったわけです。 お城の建物は「たぶんこんな感じだっただろう」という史実に合わないものらしく、これが元祖の日本100名城に選定されなかった原因だと思われます。 |
鮫ケ尾城 2019年9月14日 | 続の40番目。 心を決めて、北新井駅から徒歩で登城しました。天気が良く暑かったところにスタンプ設置箇所である管理棟で熱い麦茶を頂き舌をやけどしました(ネコ)。 本丸跡からの眺めは素晴らしかったです。 |
高田城 2019年9月14日 | 続の41番目。 妙高はねうまラインの高田駅から歩いて向かいました。 復元天守があり、設計のもととなった図面が展示してありましたが合っているんですかね? |
富山城 2019年9月14日 | 続の42番目。 この日は鮫ケ尾城→高田城→富山城。新幹線のおかげで1日で回れました。 と言ってもギリギリ入館でした。常設だと思いますが展示は興味深いものだったです。 |
座喜味城 2019年12月8日 | 続の43番目。 15世紀初頭に名将護佐丸(ごさまる)が築いた城で、赤土の上に比較的柔らかい石灰岩の石垣を組んで防御としています。このような石灰岩の石垣は沖縄によくみられるもので内地とはだいぶ趣が異なります。 スケジュールの都合上到着がほぼ17時で、スタンプを捺してから城跡を見学。夕方で見学客も少なく、自分の他は香港かららしい観光客と犬と散歩している地元の人ぐらいでした。「本日18時から忘年会を開催します」という防災無線の案内だけが和風でした。 |
勝連城 2019年12月10日 | 続の44番目。 前日(2019/12/9)に訪問も、スタンプを捺すのを忘れてしまい翌12/10に再訪しました。 今回の沖縄訪問は、首里→三重→保栄茂→浦添→越来→知花→座喜味→山田→名護→シイナ→伊波→安慶名→江洲→我如古→勝連→島添大里→佐敷→斎場御嶽→知念→垣花→玉城→糸数→具志頭→勢理(富盛の石彫大獅子で有名)→豊見城の各グスクを巡るという欲張り旅行だったのですが、まだまだお城はあります。 ここ勝連城は阿麻和利(あまわり)の城で、崖の地形をうまく使って見晴らしの良い、しかも一の曲輪が下から見えないという巧みな構造で建てられています。 近代では打ち捨てられて石垣の石を築港に使ってしまったりしたようです。 写真は勝連半島の根本、県道16号線から写したもので、正面に石垣が見えるので感動的です。 |
出石城・有子山城 2020年1月3日 | 続の45番目。 2020年最初のお城訪問先として出石城・有子山城を選び、福知山から車で訪問しました。この時期はまだ新型コロナが「中国で何かヤバい疫病が」という程度の認識であり人出は多かったです。 出石城は江戸時代の但馬の中心、一方の有子山城は戦国時代末期の城で、築城時期に30年の差があります。北側にはさらに200年遡って「此隅山城」という山名宗全のお城があります。山名宗全といえば応仁の乱。応仁の乱のときはこの此隅山城から出陣したようですね。 で、福知山から行ったのに、2021年4月現在福知山城は未登城のままです。ついでに丹波市春日住民センターにも行きましたが年始の閉館日でした。 |
芥川山城 2020年1月4日 | 続の46番目。 高槻駅のスタンプだけで済ませてしまいました。 |
吉田城 2020年6月27日 | 続の47番目。 豊橋という地名は明治維新前後で改名させられたもので、もともとは吉田と呼ばれていました。なんでも「愛媛の吉田と紛らわしい」とかいう言いがかりレベルの理由で、東海道が豊川を渡る橋の名前を使ったそうです。 肝心の吉田城ですが、そもそも今橋城として16世紀初頭に築城されたものを改名したとのこと。 |
浜松城 2020年6月27日 | 続の48番目。 出世城です。豊橋から新幹線で浜松へ移動、時短のためバスで訪問しました。 浜松は工業都市のイメージですが、浜松城とその周辺の公園は素晴らしい環境でした。 |
九戸城 2020年8月23日 | 続の49番目。 九戸城は中世の築城で、九戸氏が城主でした。豊臣秀吉の奥州仕置に不満を持つ当主政実が立てこもったもののあえなく落城、秀吉の奥州制覇がなされたとのことです。 九戸氏の代わりに蒲生氏郷による改築を経て南部氏が入城、名前を福岡城と改めましたが盛岡城に本城を移転、程なく廃城になりました。 訪問したときのガイダンス施設はプレハブでしたが今はどうなっているかな? |
本佐倉城 2020年9月15日 | 続の50番目。 「もとさくらじょう」なのか「ほんさくらじょう」なのか読み方がはっきりしませんが、大佐倉駅(おおさくら…おおざくらだと思い込んでいた)からちょっと散歩気分で訪問しました。 15世紀末期に築城されたと言われており、千葉氏が移転して本拠とした城だそうです。千葉氏はもともと猪鼻城(千葉市にある。通称千葉城)が本拠であったけれども攻められて佐倉に逃げたのが本佐倉城らしいです。その千葉氏も小田原征伐で改易されてしまい、奥州や九州に離散してしまったとのこと。奥州では末裔は活躍して現在に至る一方、九州では姿を消してしまったようです。 |
土浦城 2020年9月15日 | 続の51番目。 土浦城は水利を生かして防御とした城で、洪水の時でも亀の甲羅のように水面に浮かんでいたことから亀城(きじょう)と呼ばれています。確実な文献によると築城は15世紀中ごろま でさかのぼることが出来るそうです。 訪問は本佐倉城と同日で、本佐倉城から一旦成田の航空科学博物館に移動、見学し、成田空港第2ターミナルで航空便のキャンセルの多さに驚愕しつつ、成田線と常磐線で土浦に移動したのでした。 |
米沢城 2020年9月23日 | 続の52番目。 そういえば米沢市は通ったことはあるけど寄ったことはない。初訪問でした。 もともと米沢という地は特徴が乏しいのか攻められにくい地勢らしく、平べったい地形に堀を巡らせた比較的単純と思える構えになっています。 米沢城の推しは上杉景勝、伊達政宗、そして上杉鷹山、でしょうか?…でしたね。 本登城の翌月に宮崎県の高鍋城を訪問したのですけど、米沢城のポスターが貼ってありました。鷹山つながりですね。 |
向羽黒山城 2020年9月23日 | 続の53番目。 続日本100名城に向羽黒山城が選定されたとき「どうやって訪問しよう」と悩んだものですが、今回は車で行ってしまいました。 整備資料室は閉館していましたが玄関先にスタンプがあり、お城の説明もありました。蘆名盛氏が余生を過ごすために16世紀中ごろに築城、余生を過ごすはずの場所なのに防御が固いことから、戦国大名(伊達、蒲生、上杉)が改築した可能性があるとのことです。 |
浪岡城 2020年9月25日 | 続の54番目。 なぜこんなところに城を築いたのか不明なまま訪問しました。しかも雨だった。 浪岡北畠氏が街道のそば、2本の川が合流する突端に15世紀に築いた広い城です。川を防御に使ったということですが16世紀に津軽統一を進める大浦氏(津軽氏)に攻められて落城したとのこと。 スタンプは青森市中世の館で頂きました。 |
知覧城 2020年10月17日 | 続の55番目。 九州シリーズ第3回は南から日向側を攻め上がりたいと思います。まずは知覧城から。 知覧といえばお茶と特攻隊を連想しますね。ミュージアムもありますが(過去に訪問したことがあるので)今回は(お茶と)お城メインです。 シラス台地の浸食を上手く防御に使った城で、15世紀初頭には築城され、江戸時代初頭に廃城になったそうです。一瞬そうには見えませんが、山城に分類されるそうです。 |
臼杵城 2020年10月18日 | 続の56番目 河口の狭い平野に飛び出した丘の上にあるように見えますが、本来海中の島に作った城、つまり海で囲まれることで防御とした城です。まるでモンサンミッシェルですねぇ。 大友宗麟が居城としていて、島津軍に攻められた時も耐えたのですが、時代は下って西南戦争の時は落城したとのこと。 |
中津城 2020年10月19日 | 続の57番目。 鉄道+レンタサイクルで訪問しました。 荷物を駅のコインロッカーに放り込もうとしたのですが、レンタサイクル4時間+荷物預かりの方が安いことに気づいてそのようにしました。 ゆらゆら自転車を漕いで海のそばに位置する城址に到着。日本三大水城、と呼称していますが櫓は史実に合っていない復元をしてしまったらしい。 展示は奥平家のお話しが中心。従って半分「長篠の戦い」関連です。昔長篠城で観たのと同じポスターが貼ってありました。 |
小倉城 2020年10月19日 | 続の58番目 いきなりですが、北九州市訪問前に地理を理解しておくことをお勧めします。1963年に5つの市が合併してできたこの街は、何の中心がどこなのか、とか、なぜ北九州⇔福岡のバスに「ひきの」「いとうづ」「なかたに」という名前がついているのか、などの疑問を解いてから行くと結構お気に入りの街になります。 話を戻して小倉城です。小倉という大駅があるのでてっきりそのそばかと思ったらそうじゃなくて最寄りは西小倉駅でした。商業/政治という区分ですと政治の町に位置していると言えましょう。 場所だけ調べて下調べなしで訪問した結果、立派な城郭に驚かされました。 一通り城郭を巡ったあとで駅に戻ろうとしたら、ホテルと見紛うばかりの立派な建物に気付きました。これよく見たら警察署。 |
龍岡城 2020年10月31日 | 続の59番目。 小海線臼田駅から歩いて訪問しました。展望台に歩いて登りまして、これがとてもしんどかったです。景色は良かったです。 |
新府城 2020年10月31日 | 続の60番目。 こちらは龍岡城の後、韮崎駅から歩いて韮崎市民俗資料館を訪問しました。バスとかあれば楽をしたかったのですが(レンタサイクルは空いていなかった)。また城跡は訪問していません。 一通り資料を確認してスタンプを頂きました。写真は資料館から見た富士山 |
洲本城 2020年11月6日 | 続の61番目。 舞子バスセンターから洲本バスセンターまで乗り、そこからは徒歩で淡路文化資料館→山頂、というルートです。 スタンプを頂いた資料館を見学、徳島藩に属していた淡路島が兵庫県になった詳細な経緯を興味深く知ったあと、城山に。 |
岸和田城 2020年11月7日 | 続の62番目。 祝鯖復活! ということでサボっていた登城記を再開したいと思います。 この日は南海高野線に乗車、狭山陣屋を見てから九度山に行き、橋本駅から和歌山市駅に抜けて蛸地蔵駅で下車、ちょっと歩いて訪問。岸和田だんじり祭に親に連れられて見に行った以来の登城です。今更ながら蛸地蔵の伝説を知った次第です。 |
忍城 2021年2月23日 | 続の63番目。 結果的に2021年は18登城しましたがその1か所目です。 あまり遠出出来ない状況でしたが、久しぶりに登城したくなり検討の末訪問しました。 行田の街を歩くのは2回目となりますが城郭内に入ったのは初めてでした。水攻めで有名ですけど、ここは埼玉という地名発祥の地です。古墳群もありますし昔から住みやすい土地だったのでしょう。 天気が良くて赤城山を望めました。 |
滝山城 2021年3月6日 | 続の64番目。 東京にある「城らしい城」だと私が勝手に思っている滝山城を訪問しました、京王八王子駅からバスで行ったのですが間違えて創価大学正門ゆきに乗ってしまいそこからだいぶ歩くはめに。 滝山城は2021年に築城500年を迎えるとのことで幟が多数。国道411号(滝山街道)側から本丸まで登って、北側の多摩川崖線の険しさを確認しました。 |
要害山城 2021年3月6日 | 続の65番目。 滝山城訪問後、八王子から「あずさ」に乗って甲府へ移動。 滝山城は築城500年。方や甲府では「武田信玄公生誕500年」の幟がはためいていました。 今回は藤村記念館のスタンプでお終いにしましたが、8年前(2013年)の甲府城登城でもスタンプでお終いにしてしまった罪悪感があったので、代わりに甲府城をじっくり見学しました。 |