ID | 4698 |
名前 | kyuroro |
コメント | 66歳と63歳の夫婦です。 二年前より始めました。 現在35城登城していますが、100城まではるか遠い道のりです。 夫婦とも病持ちですが、登城目標があれば元気になるような感じがします。 |
登城マップ |
安土城 2011年3月20日 | 一度登城しているので今回は信長の館にてスタンプゲット。 前回登城した時、天守跡の近くで美しいけど寂しげな花が群生しており、なんとなく神秘的な印象を受けました。 |
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観音寺城 2011年3月20日 | 桑実寺を通過して観音生寺にてスタンプゲット。 高石垣の元祖を見たかったけれどタイムリミットにて断念。 |
二条城 2011年8月13日 | 百名城のスタンプの存在を知っての初スタンプです。 教科書で習った大政奉還の絵はここの大広間だったのですね。 |
明石城 2011年9月11日 | 思いの外広大でびっくり。 お城に上がる手前の兜の日時計が楽しい。 左右対称の櫓が印象的で、たまたま公開されていた坤櫓は往時を偲ばせ、説明していただいたボランティアの方がとても親切でした。 |
大阪城 2011年11月6日 | 観光客の多いこと!中国語が飛び交い天守のエレベーターは大渋滞。 ラッキーにも天守閣復興80周年ということで、多門櫓、千貫櫓が特別公開されており往時が偲ばれ感動でした。 |
伊賀上野城 2011年11月13日 | 何度来ても、見上げても見下ろしてもあの高石垣は素晴らしい。 伊賀の忍者屋敷が近いせいか、ちびっこ忍者の可愛いこと!!! |
岡崎城 2011年11月20日 | 城内に家康公のからくり時計が面白い。 家康公ゆかりのお城ですから、鉄筋コンクリートより木造で再建してもらいたかった。 しかし、八丁味噌のおでんは最高の美味でしたよ。 |
名古屋城 2011年11月20日 | 岡崎城の帰り道立ち寄りました。 さすが尾張徳川家、その偉容に圧倒されました。 本丸御殿が完成したらまた来たいと思いました。 |
篠山城 2011年11月23日 | 思っていた以上に敷地が広く立派なお城です。 再建された大書院も立派です。 |
彦根城 2011年11月27日 | 何度も来ているお城ですが、紅葉が美しくまた二季桜が咲いておりラッキーでした。 ゆるキャラひこにゃんには時間が合わず残念ながら会えませんでした。 城内の茶店の甘酒は薄すぎてお勧めできません。 お城はさすがに素晴らしい。天守はこじんまりとしていますが。 |
千早城 2011年12月18日 | 金剛山登山口になっているため登山客で賑わっていました。 さて千早城へと勇んで出発したのはいいけれど、登れども登れどもどれが千早城なのかさっぱりわからず、息を切らしながらとりあえず上へ上へ。千早神社の境内は何もないけれどなんとなく神聖な雰囲気がありました。 金剛山は樹氷に覆われ美しく、改めて下山しロープウェイで金剛山へ。到着した時には樹氷はなくなっており残念でした。 |
竹田城 2012年2月19日 | 十年前に来た時は誰にも会わなかったのですが、今回、真冬で大雪にも関わらず、大勢の人がいました。そちらにビックリです。 竹田城を遠望出来る立雲峡へ行きましたが、積雪多く上まで行けませんでした。 中途からでも竹田城の雪景色は素晴らしいものでした。 |
備中松山城 2012年3月11日 | シャトルバスを降りて急な坂を20分ほど登ります。 途中いろいろな案内があり楽しませてくれます。 自然の岩盤の上に石垣を積み重ねてありその技に驚嘆。 天守には火鉢が備えてあり、やはり山の上、寒かったのでしょうね。 |
和歌山城 2012年3月25日 | 二度目の登城。前回には気が付かなかった石垣の美しさに感心しました。 コスプレのお姉さんには興醒めですが、歴史に興味を持ってくれるようになればと思います。 |
松阪城 2012年4月25日 | 意外と広いお城でした。お堀はどこにあるのかわかりませんでしたが。 まだ桜が残っており人まばらでゆっくりと散策できました。 本居宣長の旧宅では説明のおじさんが面白かった。 楽しみにしていた松坂肉は店を間違え残念な結果でした。 |
岐阜城 2012年5月13日 | 急坂に息が切れました。昔の人々は足腰が達者だったのですね。 岐阜城からの長良川の眺めは美しい。 武将に扮している人たちの愛想のいいこと。 |
犬山城 2012年5月13日 | やはり現存天守はいいですね。 急階段の踏板のすり減りに時代を感じます。 なんとなく女性的なお城と感じるのは私だけでしょうか? 何度も来ていますが、私の大好きなお城の一つです。 |
津山城 2012年6月10日 | 大阪を出て2時間、以前なかった備中櫓が完成しており、なかなかの偉容をみせてくれました。 |
赤穂城 2012年6月10日 | 津山城から一時間、十数年ぶりに来ました。 随分観光化され綺麗に整備されていました。 大手門では大石内蔵助さんと記念撮影。恰幅のいいお侍さんです。 巴屋の塩最中がとても美味しかったです。 |
丸岡城 2012年10月21日 | 最古の現存天守、何とも言えない味がありますね。 屋根が瓦ではなく、石で出来てたとは! 主人の私への一筆啓上 「一日でも長くママの傍にいたいから煙草やめます」 |
一乗谷城 2012年10月21日 | 谷というので、もっと狭い所かと想像していましたが、意外と広くまた神秘的で雰囲気のある所です。 ちょうど福井農林高校郷土演芸部の皆さんの太鼓演奏があり、一乗谷に殷殷と響きわたり 感動でした。 |
小谷城 2012年10月21日 | この日丸岡城、一乗谷城そして小谷城に来ましたが、疲れ果て登る気力体力なく、遠望のみ。 |
姫路城 2012年12月16日 | 平成の大改修中にて天守内部は見学出来ませんでしたが、足場をエレベーターにて上がり 職人さんたちの仕事ぶりを見ることができ、これはなかなか経験できないことです。 |
駿府城 2013年1月13日 | 家康公のお城にしては、少し寂しいかな? 案内所の方から教えて頂いたのですが、 近くの静岡県警のビル最上階からの富士の姿は感動でした。 そして警察官の皆様がとても親切だったのが印象的でした。 |
掛川城 2013年1月13日 | 映画、小川の辺 のロケ地とは知りませんでした。 二の丸御殿は趣きがありましたが、将棋の対局があり、十分に見れませんでした。 天守は復元ですが鉄筋コンクリートではなく木造なのは良かった。 |
金沢城 2013年4月11日 | さすが前田加賀100万石ですね。 幕府から疑惑を持たれないように努力もしたのでしょうが、この広大な城郭は前田家の覚悟も窺えますね。 美しい石垣が雨によりますます美しく映えていました。 |
高取城 2013年5月19日 | ふもとの夢想館で車でどこまでいけるかと聞きましたが、お店の女性が親切に説明してくださいました。 案内どうり行きましたが、車一台人っ子ひとり会わず、ウグイスが行も帰りも道案内してくれました。 城跡は、想像以上に草生しており、まさに荒城でした。 夏は、マムシ、スズメバチに注意が必要でしょうね。 |
岩国城 2013年10月12日 | お城からの錦帯橋は絶景でした。 幸運の白蛇にびっくり。 |
徳島城 2013年10月13日 | 今までに見たことのない石垣でした |
岩村城 2013年11月17日 | 自宅(大阪府枚方市)を朝8時に出発、一度の休憩もなく岩村城址へ、221kmを2時間30分で走破。出丸駐車場までの路肩崩落により、10分ほど下の臨時駐車場に停めました。 それほど勾配のきつくない坂を登り城址へ。石垣の高さは、高取城や備中松山城に比べると小規模でしたが、六段の石垣は圧巻でした。六段の石垣の左側の真っ赤なもみじが印象的。登城の人が意外と多いのにはびっくりしました。 帰りに岩村歴史資料館でスタンプをゲット。受付のおじさんとちょっとおしゃべり。おっとりとした素朴な方でした。資料館のなかで、日本最初の英和辞典に感動してしまいました。できることならば手に取ってみたいほどのものです。完成までどれほどの時間を費やしたのか当時の技術に脱帽です。 それにしても、機械のなかった時代によくもまーこんな高い所に石垣を積み上げたものですね。 |
鳥取城 2014年2月16日 | 雪の全く無い城崎温泉を発ち、山陰海岸の絶景を眺めながら2時間で雪の無い鳥取城跡に到着。(前々日大阪は珍しく終日雪だった) 久松山南麓に長細く石垣を配する城跡で、崩れた石垣の修復工事が多く見られました。 工事はいつまで続くのかわかりませんが、完成すれば見ごたえのある立派なものになるでしょう。石垣の中にはめ込まれた、「お左近」の手水鉢が見所です。 スタンプは仁風閣にありました。 ただ、城跡に洋風の館はどうも相応しくないように感じました。 久松山山頂の山上ノ丸まではしんどそうで登ることは断念しました。 |
今治城 2014年3月16日 | 京都駅より山陽新幹線で福山駅下車、レンタカーでしまなみ海道を走り今治へ、思ったより早く3時間半で今治城に到着。失礼ながら三万石にしては立派なお城でした。鉄筋コンクリートの模擬天守ですので内部は趣きはありませんが、外観はなかなかのものでした。 ボランティアの方々や天守受付のおじさんが親切ですよ。 海に近いせいか、風が強く、そんな中お堀でカッター訓練をしていましたが、初めての光景でした。 強風で中国からのPM2.5と花粉の為か、花粉症が悪化してしまいました。 |
郡山城 2014年6月15日 | 安芸高田資料館のおじさんがとても親切でした。郡山城へ登城の予定でしたが、夫婦ともに体調不良で断念し、麓より往時を偲びました。 こんな田舎から(失礼!)120万石の大大名へ成り上がったのは、いかに毛利元就が偉大だったからなのでしょうね。 小生の祖先は長府藩の御典医であったらしいいこと、また青春時代、小早川隆景の居城の広島県三原市で過ごしたことで、毛利家には特別の思いがあります。 またの機会に体調を整えて郡山城を巡りたいと思います。 |