ID | 4264 |
名前 | はなみずき |
コメント | 大阪で訪問介護の事業所を営んでおります『はなみずき』と申します。 19城目からの参戦です! 気ままな旅行の ついでに城巡りを楽しんでおります。 夢は、自選 名城100選の編纂です。 新参者ですが、宜しくお願いいたします。 |
登城マップ |
根室半島チャシ跡群 2013年10月19日 | 札幌から釧路まで4時間、そこから根室まで2時間、納沙布岬まで更に30分。休憩を入れて片道7時間半、往復15時間の大遠征を開始しました。 途中、落石港でアフラモシャチを攻略するも蝦夷シカに阻まれて断念。 なんとか納沙布岬で日の出に北方領土を見る事が出来ました。 バス停横のボンモイシャチは、膝まで生茂った夏草に阻まれて写真を撮っただけで撤収。 次に、黄色いコンテナを探してヲンネモトシャチを攻略。最も有名なシャチだけに遊歩道も整備されており、容易に攻略する事ができました。 その後、ヒリカヲタシャチを見つけたものの攻略ルートが見つからず、遠くから写真のみで終了。 2連の巨大風車の手前で見つけたノツカマフ1・2号シャチはよく整備されており、『国後・目梨の乱』の表示版もあって堀跡もはっきり確認できました。 その後は、海岸線まで数百メートルぎっしりと夏草が生茂っており、シャチの表示すら確認できないまま根室市内へ到着しました。 8時過ぎにもかかわらず、『どりあん』に快く迎え入れて頂き、噂のエスカロップを食べて、駅前の観光センターでスタンプを押して、最難関をクリアーです! |
---|---|
五稜郭 2013年10月17日 | 仕事の合間を縫って、札幌を夜中に出発して5時間かけて五稜郭にやってきました。 おかげで7時の開門と同時に城内に入る事が出来たため、誰もいないうちに函館奉行所跡を写真に納め、土塁を隈なく見て回ることができました。 その後、五稜郭タワーに登りましたが、五稜郭を独り占めした気分で最高です! タワーでは、思い切って入った五島軒の『あいがけカレー』が絶品でした。 腹ごしらえを済ませた後は、もうひとつの重要なミッションに向かいました。 函館でどうしても尋ねたかった場所があります。 それは、尊敬する土方歳三の終焉の地です。 最後まで、自分の信じるままに戦い続けた土方歳三という『士』の生き様に接する事が出来て、ここでも、力を貰って帰ることができました。 あと、ガイドさんに聞いた五稜郭トレビアですが、星型城郭は、ヨーロッパを中心に世界19カ国で45郭もあるそうです。 それから、帰りに『四稜郭』にも寄ってきました。 函館は見所満載です! |
松前城 2013年10月14日 | LCCで新千歳空港へ到着し、松前城に向かいました。 10時過ぎにレンタカーを借りて出発したのですが、到着したのは15時半です。 北海道は広いです。 支笏湖、洞爺湖を通って、内海湾に沿って途中230号線を抜けて、日本海側に出ました。 そこからは、松前街道を南下し、松前までやってきました。 沖口の奉行所跡から坂道を登っていくと大手口の虎口跡が見え、津軽海峡に向かって砲台跡が並んでいます。 現在は、五番台場のみが整備されていますが、そこから海峡越しに見える竜飛岬は絶景です。 車を停めて、天神坂門から一旦、城外へ出て、大松前川から馬坂から搦め手二ノ門から本丸に向かいましたが、緑色の凝灰岩で出来た見事な切込み接の石垣が続いており、ここが最果ての地である事をあらためて感じさせられます。 いつまで見ていても飽きない情景ですが、松前神社を参拝した後は、時間に追われて資料館になっている天守閣に登りました。 小さなお城でしたが、松前街道からのすべてが松前城でした。 間違いなく、100名城です。 |
弘前城 2013年9月25日 | 子供の頃持っていた『日本の城』という本を読んで以来、弘前城は、私の憧れの城のひとつになっていました。 ようやく、今日念願が叶うと思うと嬉しくてしょうがありません。 にも拘らず、長躯、朝から仙台を出発して高速道路に乗りましたが、欲張って久保田城を経由したのが間違いでした。 途中、道路工事の連続で秋田から弘前に向かう道路は大渋滞でした。 その上、台風18号の影響により、雨脚はどんどん激しくなってきます。 やっと4時過ぎに到着しましたが、駐車場が見当たらず、門前の観光館に車を停めて、雨の中、大急ぎで本丸を目指しました。 なんとか、間に合い天守閣でスタンプを押すには押せたのですが、用意されたスタンプ台がグラグラしていて、かなり歪んでしまいました。 難関な場所だけに、もう少し配慮が欲しかったです! 天守閣からは、愉しみにしていた岩木山も望めず、雨の中、何とか有料区画だけ見て周りましたが、写真は雨のせいで、すべてピンボケでした。 その上、スタンプが歪んでしまった事で、気力、体力ともに限界に達し、それ以上の探索は断念して撤収しました。 いつの日かリベンジです! |
根城 2013年9月23日 | 東北遠征初日から、痛恨のミスでピーチに搭乗できず! 予定では弘前城を目指すつもりでしたが、新幹線を乗継いで根城へ変更です。 根城へは、八戸駅からタクシー(1,270円)で15分くらいかかりました。 時間が無いので、運転手さんには本丸へ行くようにお願いしていたのですが、八戸博物館の方で降ろされてしまいました。 そのため、連郭式の縄張りを片道で回る予定が、往復かかってしまいました。 おまけに、広場ではお年寄りがゲートボールをされていたので、東善寺館から薬研堀沿いに、中館の土塁に沿って外側から回り込み、本丸に掛かる木橋を渡って東門から本丸へ入らなければなりませんでした。 苦労した甲斐があって、本丸では、本丸の主殿、鍛冶工房、納屋などが、忠実に再現されていて、なかなか面白かったです。 帰りのタクシーは、博物館で快く呼んで貰えました。 金銭的には、かなりの出費となりましたが、これで62城目です。 |
盛岡城 2013年9月23日 | 根城から、新幹線に乗って盛岡で途中下車して、南部氏の居城『盛岡城』へ向かいました。 少し時間があったので、バスで県庁前まで移動しましたが、バスを降りるとコンサートへ向かい人たちで賑わっていました。 嫌な予感が的中し、盛岡城に到着すると、石垣という石垣は人で埋め尽くされ、ゆっくり城めぐりを楽しむ気分ではありません。 その上、至る所に警備員さんが立っていて通行止めになっていました! スタッフの方に頼んで、コンサート会場にカメラを向けないという約束で、写真だけ撮らせていただきましたが、釈然としない思いで腰曲輪を見て回りました。 スタンプ設置場所については、事前に確認するようにしていますが、まさか盛岡城でロック・コンサートが行われているなど、夢にも出てきませんでした。 本丸跡に登った後は、今日はロックを聴きながら、興醒めな思いで外堀を回って帰りました。 |
多賀城 2013年9月24日 | 今日は『多賀城市埋蔵文化財調査センター』が休館日でしたが、事前に調査済みのため慌てずに、多賀城駅の観光案内所に向かいました。 ですが、12:00〜13:00は『休憩中』との看板が掛かっていたのには慌ててしまいました。 1時間も駅で待っているのも勿体無いと、先に多賀城へ向かう事にしました。 センターで資料を入手しようと思っていたため、ノープランのまま、見学する事になりました。車を公民館の前に停めたため、政庁の裏側から回り込むようにして、南門跡に着きました。 振返ってみると、石畳の道が真っ直ぐに伸びているのに驚きです。 施設もよく整備されていて、感心しました。 秋の一日、何時間いても飽きない青空が広がっていました。 時間の許す限り、多賀城碑、東門跡、北門跡と見て回って、17:00前に駅に戻ったにもかかわらず、とっくに観光案内所は閉まった後でした。 こんな事なら13:00まで待てば良かったと後悔しても後の祭りです。 駄目元で、駅員さんに「5時までじゃなかったんですか?!」と抗議すると、「スタンプですか?」と奥から出してきてくれました。」 本当に助かりました。 |
仙台城 2013年9月24日 | ホテルから、山上の政宗候の騎馬像まで4.2?。 4日間の滞在中、早朝ランニングをする事に決めました。 若葉通りから広瀬川を渡って、三ノ丸の堀を迂回し、旧道から沢ノ門跡から大手道に合流します。 ここでも、震災による石垣の崩壊によって一部通行止めを余儀なくされていましたが、本丸北側の高石垣は、朝日を浴びて茜色に輝いていました。 ホテルでは、『仙台城』は残念ながら何も残っていませんと言われましたが、これだけでマニアにとっては十分満足いく光景です。 いつも、閉館間際にスタンプを押印する事が多いので、朝から城廻りをする事は非常に気持ちの良いものです! 詰門の石段を上がり、そのまま直進すると「馬上少年過ぐ」のイメージどおりの政宗候に拝謁できました。 帰りは、大手道をそのまま下って、大手門を抜けて、ホテルに向かいます。 スタンプは、仕事の途中で、見聞館に立ち寄ってゲットしました。 翌日からは、本丸裏の埋門から滝の口渓谷まで足を伸ばして、片道5?余りの道を往復しました。滝の口渓谷まで来れば、青葉城が如何に天然の要害であったが実感できます。 |
久保田城 2013年9月25日 | 今日は、レンタカーを借りて、秋田へ遠征です。 あわよくば、初日の失態を挽回しようと、久保田城を経由して、長躯して弘前城を目指します。 しかしながら、朝から出発が遅れ、おまけに台風が接近している状況で、先が思いやられる展開となってしまいました。 案の定、秋田道に入った途端に、片側規制の連続で、予定より大幅に遅れて久保田城へ到着しました。 時間の無い中、立ち寄った佐竹資料館は、なかなか見応えがありました。 土塀造りの城郭も新鮮でした。 名残は、おしかったのですが、雲行きが怪しくなってきたので、早々に引き上げました。 |
山形城 2013年9月26日 | 二本松から取って返し、17時前に『最上義光記念館』に到着しました。 せめて、スタンプだけと思って、館の前から電話を掛けて見ると、まだ、見学者がおられるのでと言う事で、中に入れてもらいました。 展示室では、ボランティアのおばさんが、歴女のお姉さんに熱心に説明されていました。 邪魔にならないように、こっそり見て回っていると、お姉さんからいっしょに聴かれませんか?と声を掛けて頂きました。 閉館後に入ってきて、スタンプを押したり、足早に見学したりと、さぞかし顰蹙を買っているのではないかと思っていただけに大感激です。 三十八間総覆輪筋兜の銃痕跡の説明や、最上義光候の騎馬像が持っている指揮棒のレプリカを一緒に持たせていただきました。 (ボランティアさんから、指揮棒が長谷堂城を指し示しているというトレビヤもお聞きできました。) その後、JRの線路を渡り、東大手門を見学し、一文字門に向かいましたが、あいにく復元工事中でした。 仕方なく西不明門から外堀を回って、攻城完了といたしました。 |
二本松城 2013年9月26日 | 仙台から白石城をスルーするのも気がとめましたが、スタンプラリーの誘惑には勝てず、二本松城へ向かいました。 歴史資料館では『二本松少年隊』の特別展が開催されていたので立ち寄りましたが、実際の少年隊はドラマで見た印象よりも更に小さく、小学校の高学年くらいの方もおられたようです。 出発前の家族との会話や、戦死したときの様子など、少年隊ひとり、ひとりの人生が記録に残されているのに触れ、身につまされる思いでした。 仕事で九州を旅した時は、各地で西南戦争の遺構を見て回りましたが、東北でも、また戊辰戦争がまだ100年余り前の出来事だったと言う事をあらためて認識させられます。 その後、箕輪門前でお会いした老夫婦を乗せて、山頂まで車で一気に登り切りました。 中腹からは、先達のご案内を信じて、車一台がなんとか通れる砂利道を通って何とか本丸下の駐車場へ辿り着けました。本丸の景色は絶景です。 (あと、本丸のすぐ下には大石垣と日陰の井戸がありますので、車で登られた方はお見逃し無く!) 帰りは、搦め手門を見学して、駅まで老夫婦を送っていきました。 |
会津若松城 2013年11月12日 | 東北新幹線を郡山で下り、レンタカーを借りて会津若松へ向かいました。 75城目にして、いよいよ『八重の桜』が満開の会津若松城です。 車を西出丸に停め、梅坂を登って、松平容保が指揮を執ったという鉄門を通れば、本丸です。 これも、大河ドラマ効果なのかもしれませんが、今まで写真で見ていたイメージが違って天守の瓦が赤瓦に変わっていたのには、戸惑ってしまいました. それでも実物は、圧倒的な存在感です。 天守台は、蒲生氏郷時代の石垣が残っていて、ゆっくり眺めていると直ぐに時間がたってしまいました。 天守閣を出て、月見櫓から隣閣を見学して、御三階跡、廊下橋を横目に見ながら、太鼓門を抜け椿橋を通って、北出丸の大手門を確認て戻りましたが、紅葉が見事でした。 他にも、さざえ堂や白虎隊のお墓にもお参りに行きたかったのですが、仕事の都合で会津での滞在時間は2時間余りしかありません。 お陰で、昼食は『八重の桜アンパン』1つで、仕事に向かう羽目になってしまいました。 そもそも板垣退助が1ヶ月かかった城を、2時間で攻略しようと思ったのが間違いでした! |
白河小峰城 2013年11月12日 | 想像していた以上に、震災の被害は甚大で、三重櫓には近づくことも出来ませんでした。 残念ながら、城攻めを諦め、復旧工事が完成する再来年まで待たなければなりません。 今回は、スタンプのみです。 |
水戸城 2013年6月4日 | 上野から特急スーパーひたち号に乗り、1時間余りを掛けて、水戸駅に着きました。 弘道館は、未だ震災の傷跡が癒えず、今もブルーシートの中で復興工事が行われており、庭園の一部のみが無料公開されている状況です。 それでも、いたる所にパネル写真が設置されており、係りの方の温かい気遣いが感じられました。 受付で、100名城のスタンプを頼めば、「塗りつぶし同好会のHPを見させていただいています。」という嬉しい挨拶を頂きました。 それから、受付けのお姉さんに頼まれて、来年の再開に向けた復興のメッセージを書かせて頂くと弘道館の絵葉書を記念に頂きました。 『また、来ます。復興を楽しみにしています!』 弘道館を出て、大手橋を渡って二の丸へと進む高台は、学校が軒を並べたきれいな町並みが続いていました。 本丸まで行くと、本丸と二の丸を隔てる深い空堀の下に水郡線が通っています。 現在、本丸跡は、水戸第一高校となっており、校門をくぐって、薬医門を写真に撮らせて貰ったところで駅へと引返しました。 あと、偕楽園の隣にある義烈館の陣太鼓は、一見の価値ありです。 |
足利氏館 2013年7月31日 | 昔、歴史の教科書に出てきた足利学校にとうとうやってくる日がきました。 自薦名城百選に入るかどうかは別にして、城巡りの中では絶対に抑えておく必要がある史跡だと思っています。 朝早かった事もあり、比較的空いている時間帯に回ることが出来たのはラッキーでした。 帰りには、宥座之器などは、子供たちが柄杓を取り合うほどの人気になっていました。 夏休みの宿題を抱えた子供たちと入れ替わりに足利学校を後にして、鍐阿寺でスタンプを頂きました。 この寺も、国宝にして、過酷な城巡り中で一瞬のカタルシスを与えてくれました。 |
箕輪城 2013年7月30日 | 朝7:10の群馬バスに乗って、箕輪城に行ってきました。 バスを箕郷本町でおり、観音様口から一旦、大手門跡へ下り、再度大手尾根口を通って、木俣を通って二ノ丸につきました。 実は、そこから本丸までは、あと一歩の距離だったのですが、石垣の遺構を見たくて、進路を西に取って、虎韜門まで下りて行きました。 それから、空堀の底を通って、北側に廻り込み、馬出しから稲荷曲輪を経て、パーキングとなっている搦め手口から、二ノ丸へ戻ってきました。 そこから、本丸までは、本当にあっけなく本丸につきました。 情報では、このあたりにボランティアの方々がおられるそうですが、 朝早かった事もあり、残念ながら、当てにしていたボランティアの方々には、お会いする事ができなかったので、仕方なく、尾根道を引き返して、箕郷支社までスタンプを頂きに行きました。 所要時間は、高崎駅を起点にして約3時間です。 |
金山城 2013年5月15日 | 高崎まで行った帰りに、金山城へ寄ってきました。 駅についた時には3時半を回っていたため、一瞬、麓にある金山城ガイドセンターまでタクシーで行く事を考えましたが、無理しても足利氏館跡まで足を伸ばす余裕はなく、今日一日を金山城に集中して歩く事を選択しました。 何とか4時過ぎに、ガイドセンターに到着しましたが、名城100選のスタンプは、山頂の休憩所にあるとの事。 残り、1.6?。センターで教わった脇道を通って、ほぼ直線で急斜面を駆け上がりました。 途中、太ももが痙攣をおこして休憩せざるを得ませんでしたが、ふと見上げれば、石垣が真近に迫っている事で間に合った事を確認しました。 そこから、ひと踏ん張り。次第に傾斜はゆるくなり、二折、三折したところで、ようやく目的の休憩所に辿り着きました。 今回も、滑り込みでの押印です。 |
鉢形城 2011年6月22日 | 被災地、宮古市からのボランティアの帰り、夜行バスで早朝5時に東京駅に着きました。 そこから大阪へのフライトが夜便しか取れなかったため、一路、鉢形城を目指して、八高線を乗り継いで寄立まで行くことにしました。 この城も、小田原征伐の時に、前田勢、上杉勢と1ヶ月あまり渡り合った堅城です。 よく整備された跡地を巡って、資料館で後北条氏の繁栄の跡を辿りました。 駅前で、ようやく1週間ぶりの暖かい昼食を食べることができ生き返りました。 |
川越城 2013年7月31日 | 足利学校から、東武,JRを乗継いで,閉館5分前に本丸御殿にたどり着きました。 この城も評判の悪い城ですが、それなりに予習をして本丸御殿に臨みました。 御殿を出て、富士見櫓に登り、天神郭跡にある三芳野神社に参れば、本丸のイメージが浮かんできました。 ちなみに、三芳野神社は、童謡『とうりゃんせ』の発祥の地だそうです。 童謡を口ずさみながら、天神様の細道を歩いていると日が暮れてきました。 そこから、北門を出て、博物館となっている二ノ丸を通っていけば、中ノ門跡に冠木門が再建されています。 そこからは八幡曲輪と中曲輪を隔てる中ノ門堀がわすかに残っており、市役所のあたりが追手曲輪があり、交差点に西大手門跡の石碑が立っています。 交差点にある太田道灌の像の前で記念撮影しましたが、当時、かなりの規模であった事がうかがえます。 その後は、『小江戸川越散策マップ』を片手に、時の鐘を見て、かなり暗くなってきましたが、喜多院に向かいました。 喜多院では、家光ゆかりの客殿は見ることができませんでしたが、時間の許す限り鐘楼門や仙波東照宮を見て帰りました。 |
佐倉城 2013年6月5日 | 朝早く起きて、千葉の佐倉城へ行ってきました。 実は、スタンプラリーを始めた頃に一度佐倉城を訪れています。 その時は、民族博物館で時間を使い果たし、閉館時間から公園管理事務所を探しましたが、日没のため断念せざるを得ませんでした。 今日は、同じ轍を踏まないよう民族博物館を後回しにして、角馬出しから真っ直ぐ、姥ヶ池へ下っていくと、山道から一転して視界が広がり、一面に咲いた杜若に目が奪われます。 そこから、再び山道を登りきると、自由広場(ただの駐車場)の外れにプレハブ建ての公園事務所が見えきます。 目的のスタンプは、事務所の外に置かれていました。 平成25年6月5日。リベンジです! それから、関東地方の城の特徴である空掘りと土塀をゆっくり確認しながら、三の丸、二の丸と登って行くと、突然、本丸跡が現れます。 天守台から、不明門を通って北側の斜面を降りていくと出丸跡に至ります。 そこから上り下りを繰り返し、外周を周れば、民族博物館横の角押出しの前まで戻ってきます。 |
江戸城 2009年8月4日 | 何度も、東京を行き来していますが、不思議と皇居を訪れた事がありませんでした。 今回、名城めぐりに当たって、今更ながら、はじめて皇居を『江戸城』として意識しました。 まず、大手町から外苑を横切り、大楠公像に拝謁しましたが、時間に追われていたため、早々に二重橋に向かいました。 二重橋から桜田門を折り返し、桔梗門から城内に入りました。 本丸は、これが徳川幕府300年の中枢かと思えば、ただただその威容に感嘆する。 富士見櫓を巡って松の廊下を渡って天守台に辿り着きましたが、江戸城本丸からの眺めは、まさしく天下を一望する気持ちでした。 その後、皇居の外周を周って、桜田門から半蔵門に到れば、新入社員時代の思い出の地です。 色々な思いを巡らせて、半蔵門から北の丸へ、千鳥ヶ淵伝いに武道館から御三卿の屋敷跡を通って、大手門まで戻ってきました。 そこから、東京駅の新幹線ホームを終着点として、今回の江戸城巡りは終了しました。 真夏の日差しの中、本当に長い一日でした。 |
八王子城 2011年6月15日 | ホテルに荷物を預け、一路、八王子へ、久しぶりに馴染みの古本屋に立ち寄り、数冊購入しました。 その後、八王子城を目指し、高尾駅から約30分かけて、県道を歩きました。 まず、案内所でスタンプを押して、ガイドさんと話を交わした後、尾根伝えに山頂本丸まで。 頂上付近に、武蔵平野を一望できる峠があり、新宿副都心まで見渡せます。 本丸からは、高尾山を前方に見て、縄張りを確認しましたが、上杉勢が一夜で落としたとはいえ、要害堅固の山城です。 下山したところに、大手門跡があり、川を隔てて、御殿丸が復元されていて、北条氏の栄華がしのばれます。 久しぶりの城巡り、目標の一つをクリアしました。 |
小田原城 2013年12月3日 | 小田原城の本丸にはウメ子という象がいました。 再会を楽しみにしていたのですが、既に亡くなっていた事を天守閣の記録映像で知り、この城を後回りにしてしまった事を後悔しました。 非常に残念です! さて、このお城は3回目になるので、今回は ゆっくり見て回ろうと北条早雲像や北条氏政、氏照の墓所を見学したり、わずかに残っている幸田口門跡を見た後、復元された馬出門から銅門、常盤木門を通って真っ直ぐ本丸に向かいました。 天守閣には過去にも登っているが、すぐ目の前に石垣山の一夜城が臨め、秀吉と対峙している臨場感が味わえます。 その後、発掘調査中の御用米曲輪を抜けて、八幡山古郭から、西に向かって小峯御鐘ノ台大堀切まで歩きましたが、やはり小田原城は広いです。 途中で、日が暮れてしまい総構えの攻略は、次回へと持ち越しとなってしまいました。 |
武田氏館 2013年9月12日 | 甲府城から、30分もあれば十分と、多寡を括って出発したのですが、結構な坂道で到着する事には息も絶え絶えになりましたが、武田二十四将と謳われた武将たちの屋敷跡(看板)が立ち並んでいるのを見ているだけで飽きる事はありません。 ここも、お城を目当てにされている同好会の方々からは、『ただの神社』と酷評ですが、なかなかどうして、見所満載です。 まず、神社を右手に進むと、前には躑躅ヶ崎が望めます。 ちょうど、ここが大手口であったところらしく発掘調査が進んでいました。 そこから、散策路になっている北側に回り込めば、詰めの城があったという要害山が姿を現します。 今日の登城はあきらめざるを得ませんでしたが、あちこちに立っている『風林火山』の旗印の中、この山城の跡を臨んでいると、気分が高揚してきます。 そして、この館の遺構を最もよく表しているのが、西曲輪の虎口北門です。 館跡を一回りした頃、ようやく宝物館が開館しました。 こじんまりとした宝物館ですが、武田家ゆかりの品々に圧倒されます。 なかでも、本物の『風林火山』の旗印に対面すると感無量になってしまいました。 |
甲府城 2013年9月12日 | 夜行バスで、朝の6時35分に甲府駅に着きました。 仕事までには十分に時間があるので、駅前の信玄公に挨拶を済ませ、早々に城めぐり開始です。 実は、同好会の投稿でたびたび登場してくる甲府城の『オベリスク』が、ずっと頭の中で気になっていました。 いったい、『オベリスク』って何なんだ!という思いで、昨日から興奮気味です。 そんな気持ちで駅の高架橋に登ると、いきなり甲府城の石垣が目に飛び込んできました。 本丸に登って真っ先に、その正体を確かめに行くと、水害の復興支援のために明治天皇が皇室の山林を提供した事への恩賜塔だったという事がわかりました。 それにしても、巨大です。 それにしても、どうして『オベリスク』になってしまったのでしょうか? 謎は深まるばかりです。 何でも、甲府城の復元工事の邪魔になるという事で『オベリスク』に移転の話があるそうですが、私には、府城には復元された天守閣より、オベリスクの方が似合っているように思いました。 スタンプは、帰りに稲荷櫓立ち寄って押印し、先達ご紹介の『小作』でほうとう(信玄セット)を食べて帰りました。 |
松代城 2013年7月28日 | 無謀にも高遠城から取って返し、松本城をスルーして、松代城へ向かいました。 すでに、長野電鉄・屋代線は廃線となっていて、レンタカーによる登城を余儀なくされました。 長野インターをおり、駐車場から松代城までは直ぐに着きました。 ちょうど搦め手から本丸に向かう形になります。 水堀の土手を登っていくと、古風な北不明門が現われます。 三方を内堀に囲まれた本丸に入れば、謙信を迎えて篭城する武将の心境になることができます。 外堀や三日月堀は埋められていますが、太鼓門を出て、馬出しの土塀に向かえば、当時の規模が目の前に甦ってきました。 それから、二ノ丸を回って、管理事務所に向かいましたが土塀には埋門があって、戦国の風情が感じられました。 今日は時間があったので、ゆっくり真田御殿や宝物館を見学しましたが、『真田宝物館』はお薦めです。 |
上田城 2013年7月29日 | 仕事の関係で上田に宿泊し、雨の中、早朝から上田城へ向かいました。 上田城は、今回で2回目となりますが、残念ながら前回の印象はほとんど残っていませんでしたが、 大阪の人間にとって、徳川軍を2度にわたって撃退した真田親子へはシンパシーは格別です。また、真田十勇士も子供の頃のNHKの人形劇を欠かさず見ていたので、今でも諳んじられるほどです。 誰も居ない駐車場から尼ヶ淵に聳える二つの櫓を見上げると、感無量の気持ちになります。 そのまま遊歩道を通って二ノ丸堀を散策し、東虎口櫓門で真田石を見学しました。 まだ、南櫓が開いていなかったので、隅櫓跡に登って隅落しの土塁を本丸の内側と外側から見学し、東虎口、百間掘跡をみて上田城を一周しました。 そこから、一旦ホテルへ帰ってモーニングを済ませ、再び、南櫓に登ってスタンプを頂き、時間の限り、北櫓で徳川軍との攻城戦のビデオを見て、真田神社へ向かいました。 真田井戸は非常に解かりづらいので要注意です! 帰りは、西の隅櫓から尼ヶ淵に下りて駐車場へ着きました。 |
小諸城 2013年7月30日 | 高崎から新幹線で信州で唯一残っていた小諸城へ向かいました。 『小諸なる古城のほとり』と謳われた城郭は、『懐古園』となって残っていました。 まず、駅を下りて、ボランティアの方々が管理されている広場を通って大手門に向かいました。 大手門の石垣に登れば、確かに懐古園の看板を、しなの鉄道の線路を挟んで見下ろす形に見えます。 二ノ門からは、左右を浅間山の火山灰が侵食した深い谷が取り囲んでいます。 北ノ丸は駐車場へは、二ノ門から侵食谷を回り込まなければなりません。 侵食谷はほぼ垂直の壁となって天然の空堀として本丸を取り囲んでおり、台地の先端には、物見櫓跡、富士見櫓跡があり、眼下に千曲川が流れています。 本丸には、山本勘助ゆかりの鑑石もあり、城のあちらこちらに歌人たちの石碑が立っています。 これを見て回るのもなかなか面白かったです。 最後に忘れてならないのは、本丸から白鶴橋を渡ったところにある小さな動物園です。 小さな動物園ですが、飼育員の方が愛情をもって動物たちを飼育されているのに心のオアシスを感じました。 |
松本城 2013年7月29日 | 昨日、スルーしてしまったため、上田から篠ノ井経由で松本まで引き返しました。 松本城は、今まで雑誌や絵葉書で嫌というほど、見てきましたので、正直、今更という気持ちで気が進みませんでした。 しかし、実物には、圧倒的な存在感がありました。 まさに神の領域です。 夏休みという事もあり、太鼓門も一般公開されていましたので、非常にラッキーでした。 折からの観光客に混じって、国宝の天守閣を見学するのに1時間以上かかりましたが、全く苦になりませんでした。 あいにくの雨模様で、南アルプスは見る事ができませんでしたが、十分満足できました。 |
高遠城 2013年7月28日 | 3泊4日で、信州攻略に向かいました。 まず、最初は松本でレンタカーを借りて高遠城へ向かいました。 甲斐・信濃に土地勘が全く無かったので、予想していた以上に遠かったです。 この城が伊那市にあるという事もナビで知りました。 桜の名所というくらいの予備知識で登城しましたが、城内は葉桜だけでも十分に堪能できる見事さでした。 それから、各曲輪に巡らせた空堀は、ほぼ当時のまま残っており、圧巻です。 小振りの城ではありますが、勘助曲輪に車を停めて、一旦、大手門跡まで戻って三ノ丸から進徳館に立ち寄り、二ノ丸から本丸を目指しました。 途中、ガイドブックには『高遠閣』がスタンプ設置場所として記載してありましたが、2-3年前にスタンプは高遠歴史博物館に移ったとの事でしたので、法幢院曲輪を抜けて、博物館へ向かいました。 博物館は、絵島囲み屋敷が再現されているなど展示品もなかなかのものでした。 |
新発田城 2013年11月13日 | 天候が気になりましたが、高崎から始発の新幹線に乗り、思い切って新発田城へ向かいました。 今日も時間に追われて、駅前からはタクシー(880円)での移動となりましたが、本丸の大半に自衛隊が駐屯しており、見学できるのは、表門、辰巳櫓、旧二ノ丸隅櫓のみ。 しかも12月1日から3月31日までの冬の間は、見学できません。 無理してやって来てよかったです! あいにくの大雪でしたが、それが又、みごとな風情を醸し出していました。 噂の三階櫓も、堀越しに見ることができ、大変満足です。 所要時間も1時間もかかっていません。 帰りもタクシーに来てもらい、無事、昼からの仕事に間に合いました。 |
春日山城 2013年9月19日 | 仕事で、高岡まで来ましたが、あいにく高岡城は登城済みです。 こんな時に限って仕事も早く終わったので、レンタカーを借りて春日山城まで足を伸ばしました。 昔から信玄よりも謙信贔屓だった事もあり、謙信公の菩提寺である『林泉寺』の宝物館を見てまわっていたら、またしてもギリギリの時間になってしまいました。 春日山神社の駐車場に車を停めて、数100段はあろうかという石段を駆け上がり、急な山道を直江兼続の屋敷の方から千貫門跡に寄り道して空堀を確認し、また、そこからノンストップで毘沙門堂を駆け抜けて本丸跡まで走り切りました パンフレットにある1時間30分コースに柿崎屋敷と南三ノ丸を加えて、約50分で攻略しました。 今日は達成感が違います! 帰り道では、少し寄り道して御館の跡を見て帰りました。 |
高岡城 2013年9月7日 | 七尾城から、高岡城へ向かいましたが、山道を選択したため、かなり時間がかかってしまいました。 到着したのは、すでに3時を回っており、しかも博物館の駐車場は、あいにくの満車。 仕方なく、小竹薮の臨時駐車場へと引返したため、ロスタイムは更に増えてしまいました。 結局、高岡市立博物館へ入館したのは、4時過ぎです。 博物館の古地図を確認すると、城の北側は広い沼地になっていた事で、高山右近作と言われる縄張りにようやく合点がいきました。 雨宿りを兼ねて、ゆっくり博物館を見学した後、唯一、石垣の遺構がある本丸への橋から堀端まで下りていき、犬走りに沿って本丸を半周して、本丸橋から本丸へと登りました。 雨もようのせいか、夕暮れの本丸跡は誰一人いませんでした。 貸しきり状態の本丸を、前田利長像などの彫刻を見ながら一回りして、小竹薮に戻りました。 色々と見所もあったと思うのですが、不本意ながら52城目とさせていただきます。 |
七尾城 2013年9月7日 | 金沢でのマラソン大会を明日に控え、前泊して金沢へやってきました。 今日からの北陸遠征で、七尾城、高岡城を攻略し、明日の『金沢城下町ハーフマラソン』出場後、金沢城を目指します。 早速、レンタカーを借り、能登半島を北上し、三橋美智也の『古城』で有名な七尾城へ。 資料館でスタンプを押印し、早々に車で山上の駐車場へ移動しましたが、残念ながら雨が降り出しました。 あの上杉謙信が感嘆したという本丸からの眺めを楽しみにしていましたが、日本海が辛うじて見える程度でガックリです。 それでも、気を取り直して、覚えてきた 謙信の『九月十三夜』を吟じてみました。 そうこうしている間にも雨はひどくなる一方でしたが、本丸だけでは満足できなくなり、二ノ丸、三ノ丸と尾根伝いに山を下って安寧寺跡まで行った所で、駐車場へ引き返してきました。 これでは、ふもとから登山するとかわりません。 後悔しながら山道を登っていくと、ここは長谷川等伯の故郷だったという事と思い出しました。 そう思って回りをみまわせば、景色が『松林図』に見えてきました。 |
金沢城 2013年9月8日 | 土砂降りの雨の中、『金沢城下町ハーフマラソン』を走り終えて、ゴール地点の兼六園を足の痛みに耐えながら一人散策を続けた後、石川門から城内へ入りました。 金沢へは、これで3回目になりますが、石川門の前で写真を撮った程度で、あまり印象に残っていませんでした。 それもそのはず、城内は金沢大学の敷地になっていたため、以前は外からしか見学できなかったからです。 その後、大学の移転を機に急ピッチで整備事業が進んでいるようです。 当時は、石川門しかありませんでしたが、今では再建された菱櫓、橋爪門続櫓、五十間長屋はセットで見学することが出来ます。 石川門や三十間長屋も見学できるようになったとの事ですので、一見の価値在りです。 それから、金沢城にはさまざまな技法の石垣が残っています。 まさに、石垣のワンダーランドです。石垣マニアの私には、堪らない魅力でした。 お陰で、スタンプを押して早々に退散しようと思っていたのですが、お城だけでたっぷり3時間かかってしまいました。 それから、完走のご褒美に近江市場で海鮮丼を食べて、金沢の町を堪能して帰路につきました。 |
丸岡城 2011年10月2日 | この城は、平山城のため、かなり遠くからもその姿を確認できるはずですが、あいにく、この日は霞空のため、市街地に入るまで丸岡城の姿は認められませんでした。 まさしく合戦時に大蛇が現れて城を霞で隠したという『霞ヶ城』の異名どおりの展開となりました。 駐車場に車を止め、本多重次由来の一筆啓上の短冊を読みながら本丸を目指します。 小振りの本丸は、何度も映画のロケで使われていることもあり、なぜか親近感を感じました。 小さな城ではありますが、 幾多の栄枯盛衰を繰り返した歴史の重みを感じさせる城郭です。 |
一乗谷城 2011年4月3日 | 強烈な向かい風の中、春の福井ハーフマラソンを自己ベストの1時間39分11秒で今シーズンを締めくくり、その帰りに、1年ぶりとなる名城めぐりで、一乗谷朝倉遺跡へ向かいました。 下城戸から一乗谷を見渡せば当時の栄華が目に浮かぶ諏訪館跡庭園から湯殿跡庭園を巡り、義景館跡に至りました。 ただ、一乗山城への山道が、雪で閉ざされ断念せざるを得なかったのが心残りです。 最後に足利義昭の仮御所があった安養寺を訪づれ、今回の遠征を終えました。 |
岩村城 2013年8月23日 | 2009年5月17日から始めた日本100名城めぐりも、今日でようやく50城達成です。 事前に天気予報を見て、ここを選んだつもりでしたが、見事に期待が裏切られてしまい、資料館を出た瞬間から記録的な豪雨に見舞われてしまいました。 資料館のおじさんから傘を貸りて、登城を始めたものの、石畳からは滝のような雨が落ちてきます。 何度も心が折れそうになりましたが、大阪から片道300?掛かって辿り着いただけに、簡単に諦めるわけには行きませんでした。 何としてでも本丸まで行こうと悪戦苦闘していると、本丸を目の前にして、奇跡的に雨が止みました。 ここまで来た甲斐があって、6段積みの石垣は見事でした。 更に、本丸に駆け上れば、信長も見たであろうパノラマが広がっています。 本能寺の80日前、どのような思いで、この場所で武田勝頼の自決を知ったのかと思うと感無量の心境です。 もちろん、この大雨の中、後から山城へ登ってくるような物好きもなく、神様からのご褒美で天下人の気分を味わせてもらいました。 |
岐阜城 2013年11月20日 | 本日、2城目、岐阜城です。 最近、トレイルマラソンに参加した事もあり、徒歩で金華山へ登る気満々でやってきました。 しかしながら、到着したのは3時半。 天守閣が4時半で閉館する事を聞き、やむなく登りはロープウェイを利用する事にしました。 先に信長の館跡を見学していると、次のロープウェイは4時(15分間隔)の出発となりました。 山頂に上ってもすぐに閉館になることを告げられましたが、せめて天守閣だけでもと構わずロープウェイに乗込みました。 山頂につくと大慌てで窓口に駆け込んで4時半までに退館するとの約束で登城させてもらいました。 その間に窓口のお姉さんは、歴史資料館から戻ってきたスタンプ用意して待っていてくれたので、本当に助かりました。 その後、せっかくの天下布武の城を1時間で下山するのも勿体ないと思い、搦め手道である(瞑想の小路)を徒歩で下山する事にしましたが、 岩場あり、崖ありで思った以上に険しい上に,真っ暗になった山道を町の明かりを頼りに生還することができました。 |
山中城 2013年9月17日 | 今日は、掛川城から駿府城を回る予定でしたが、掛川城で、試しにナビを山中城へセットすると、無理をすれば行く事が出来る事がわかりましたので、急遽、予定を変更して山中城を目指す事にしました。 掛川城からは、1時間半ほどで到着します。 ただ、残念な事に売店にスタンプはあるものの、山中城に関する資料は、見学者への地図すらない状況です。 お陰で、看板を頼りに 城内を隈なく見て回るのに、2時間を優に越えてしまいました。 それでもはじめて見る北条流の畝堀や障子掘など見所満載です。 特に出丸方面から見える富士山は必見です。 小田原攻めの折には、秀吉軍が半日で攻め落としたという先入観から、城攻めをなめて掛かっていましたが、なかなかどうして非常に見応えがありました。 |
駿府城 2013年9月18日 | もともと、今日は岡崎城のみの予定でしたが、昨日、駿府城を取りこぼしてしまったため、仕方なく、朝から新幹線で反対方向の静岡へ向かいました。 そのため、はじめから城攻めのモチベーションは、最悪で、その上、特に見るべきところはないので、簡単に登城をすませようと思っていたのですが、思いの他、広かったのでそうは行きませんでした。 まず、東御門と巽櫓を見学し、紅葉山庭園を鑑賞しました。 途中、唯一当時の面影を残している二ノ丸水路以外は、ほとんどの内堀が埋め立てられていて、一部だけ発掘された内堀は、プールにしか見えません。 天守台跡も看板がなければ、全くわからない状態ですが、かなり大掛かりな復元計画があるようです。 駿府城での最大のミッションである家康公に拝謁し、清水御門から、現在、再建中の未申櫓の方へ進んでいくと、西ノ丸からは、富士山がとてもよく見えました。 最後に、県庁別館の展望台から駿府城を見下ろしながら、当時の情景を思い浮かべて、早々に岡崎に取って返しました |
掛川城 2013年9月17日 | 何時の頃からか、新幹線から見える天守閣が気になっていましたが、ようやく登城することができました。 ボランティアの方に平成6年に再建された事を聞きました。道理で、私の記憶の中にいきなり出てきたはずです。 掛川城と言えば、何といっても関が原の合戦の折、山内一豊が、城ごと家康に提供した話を思い出します。 一体、どんな城かと心が躍ります。 早々に車を大手門パーキングに停め、大手門と附番所から見上げる天守閣は、車窓から眺めるよりも、遥かに立派なのに驚きました。 掛川城御殿だけでなく、「竹の丸」にも旧家の住宅が有形文化財として残っています。 ここからの掛川城の眺めも素晴らしかったです。 四脚門から太鼓櫓を左に見て、城山を登って仰ぎ見る真っ白な天守閣も、台風一過の青空によく似合いました。 日頃、復元天守など無い方がいいと言っていましたが、この城を見て考えが変わりました。 |
犬山城 2013年11月19日 | 仕事前に犬山城へ立ち寄ろうと岐阜羽島駅を8時に出発しました。 しかし渋滞に巻き込まれてしまい、なんとか9時前に駐車場に車を止める事ができました時には、すでに観光バスが止まっていました。 出遅れたことを知って、石畳を駆け上り、本丸門前で入場券を買い求めて、急いで本丸へ入ってみると、天守閣の付櫓に工事中のため白いシートが被せられていたのに、愕然としてしまいました。。 別に工事に不満があるわけではありませんが、余りにもデリカシーのない対応に憤りを感じました。 その上、スタンプを押しに櫓門の上にある事務所を訪ねたところ、ボランティアの方の心無い対応にも非常に不愉快な思いをしました。 今日は色んな事が残念です。 その後の予定もあり、今日はスタンプだけで済ませて早々にお城を後にしました。 また、工事が終わった頃に、ゆっくり来ようと思います。 |
名古屋城 2013年12月4日 | 以前、名古屋に住んでいた事があったので、仕事帰りに軽い気持ちで立ち寄りました。 県庁を囲む外堀を見るため、地下鉄を一駅手前で降りて歩いて東門から登城しましたが、あらためて攻城に取り掛かると、さすがに名城です。 旧那古屋城跡にある二ノ丸庭園を散策し、青葉山事件の碑を見て本丸へと向かいましたが、、見所がありすぎて、結局、すべて見て回ることができませんでした。 時間がなかったので、今回は、本丸御殿はパスして、大急ぎで天守閣へ駆け上がり、天守閣を出て清正石を見つけた時点で時間切れとなり、御深井丸まで見学することはできず、西ノ丸を通って正門でスタンプをゲットして、城を出ることにしました。 それから時計回りに外堀を一周して、帰りましたが、完全に消化不良です。 次回は、本丸御殿が完成した頃にゆっくり来たいと思っています。 |
岡崎城 2013年9月18日 | JR、名鉄を乗継いで、静岡から岡崎まで移動してきました。 名鉄の岡崎公園前から『五万石でも岡崎様は・・・。』と謳われた城下を通って、菅生川の船着場から天守閣を目指しました。 天守閣では、ボランティアの方から、東海道の防衛のため岡崎城を迂回するように整備された二十七曲がりや八丁味噌の由来などを親切に教えていただきました。 岡崎城は家康の居城というイメージしかありませんでしたが、実際に縄張りを整備したのは、秀吉方の武将・田中政吉であったと言う事も知りました。 とは言っても、お城は徳川家康一色で、田中吉政の業績などどこにも見当たりませんでした。 どう考えても公正さにかける徳川贔屓です。 とは言いながら、『三河武士のやかた家康館』の前では、今流行のおもてなし武将のパフォーマンスがあったり、ちょうど『ゲゲゲの鬼太郎展』も開催されていたりして、なかなか面白く見せていただきました。 常設コーナーは、しっかりと三河武士団の形成過程が学ぶことができて勉強になりました。 |
長篠城 2013年9月16日 | 先達の情報どおり、サークルKで押印して、「長篠城址史跡保存館」に車を停めました。 まず、鳥居強右衛門の看板に感動し、『血染めの太鼓』にテンションは最高潮です! 小さなお城ですが、それでも弾正郭、巴城郭を丹念に見て回ると帯郭から野牛郭へ渡る踏切を見つけました。 台風一過で、かなりぬかるんでいましたが、先端の櫓跡までなんとか行く事ができました。 その後、武田勝頼公の進軍ルートに沿って車を進め、「設楽原歴史資料館」へ向かいました。 資料館の屋上からは、武田軍から織田・徳川連合軍と対峙する格好となります。 資料館で買い求めた地図で、武田方の武将たちの戦没地を確認しながら、復元された馬防柵まで足を伸ばしました。 まさに長篠合戦図屏風が目の前に展開しています。 歴史の教科書で見た合戦の地を訪れるなど、本当に夢のようです。 帰りには、強右衛門の磔地を見て、寒狭川と宇連川の合流地点まで歩いて記念撮影を済ませました。(そこから先は台風の影響で行止まりになっていました。) 城跡だけでなく、ここは設楽原まで足を伸ばされる事をお薦めいたします! |
伊賀上野城 2013年6月27日 | 娘にせがまれて忍者を見に来た時以来、久しぶりに伊賀上野城へやってきました。 小学校の遠足と合わせて、3回目の登城です。 お城の駐車場に車を止め、少し登ると右手に芭蕉記念館の看板が見えてきます。 左手の天守閣近道の看板に従って、更に上るとすぐに井筒定次が築城した旧城跡に着きました。 そこから天守閣は目の前です。 旧城から少し石段を下るとスピーカーから、天守閣を解説する声が聞こえてきました。 天守は、明治に入って個人の方が木造りで再建したというだけあって、チープ感は否めませんが、展示品は、充実していました。 中でも、秀吉より拝領の唐冠形の兜は、逸品です。 高石垣は、先達ご指摘のとおり、安全柵はなく真上から見下ろす眺めはスリリングです。 有名な高石垣を下からも十分堪能した後、俳聖堂に寄った頃には 忍者屋敷も終了しており、5時以降はスピーカーの音も消えて静寂そのものでした。 藤堂高虎が縄張りを行ったとの事ですが、高石垣以外は、特に縄張りの妙は感じられませんでした。 夕暮れ迫る中、少し期待を裏切られた気持ちで、城を後にしました。 |
松阪城 2013年11月4日 | 仕事の帰り、近鉄特急を寄り道して、松坂まで足を伸ばしました。 駅から伊勢街道を通っていくと、三井家をはじめ、旧家の町並みが続いています。 駅からは、少し距離がありますが、色々と見所満載で飽きる事はありません。 お城の方は、大して期待していなかったのですが、威風堂々とした石垣に圧倒されてしまいました。 スタンプは先に歴史民族資料館で押しましたが、本居宣長資料館も、良かったです。 城攻めは、表門から反時計回りに雁行する石垣伝いに進んで、旧本居宣長邸である『鈴屋』を見学し、一旦、城外へ出て、裏門から土戸御門、中御門を経て、本丸下段で月見櫓を見て金ノ間櫓の脇を登って、本丸で着きました。 きたい丸に回ったところで、5時過ぎになり、釣瓶落としの夕暮れに阻まれて、タイムアップです。 縄張りも堅固で、非常に攻め応えのあるお城でした。 蒲生氏郷が治めていたのは、たった2年あまりとの事ですが、みごとな城下町に堪能して帰りました。 |
小谷城 2009年10月11日 | 小谷城戦国歴史資料館を探しながら、小谷城跡を仰ぎ見ると、さすがに名立たる要害です。 車で行ける所までと登って行けば、出丸の後の直ぐ下まで行く事で行く事ができましたが、駐車場と呼べるスペースはなく、四苦八苦して車を止めなければなりませんでした。 そこから、出丸の脇を尾根伝いに金吾丸跡を抜けて更に登って行くと大広間跡に辿りつきました。 そこは、まさに別世界の様相を呈しています。 前方には本丸の石垣があり、その上に天守が聳えていたと思うと、感動に堪えられません。 資料館で見た復元模型をイメージすると当時の威容に驚くばかりです。 更にその先に京極丸、山王丸と野積みの石垣が続いています。 京極丸まで来ると、夜襲を掛ける秀吉軍、此処を死に場所と迎え撃つ久政との合戦絵巻を想像せずには居られませんでした。 帰りは、姉川の合戦跡に立ち寄り、両軍の陣備えを確認しては、夕暮れまで戦国の世に思いをはせていました。 |
彦根城 2013年11月20日 | 早朝に岐阜羽島を出発して、彦根城へ向かいました。 私の城巡りの師匠である坂東三津五郎さん1推しのお城ですので、事前に十分、学習しての登城です。車を佐和山口櫓の前に留め、早々に登城を開始しました。 時間があったので、玄宮園、博物館のセット券を買いましたが、これが正解でした! まず、牛蒡積みで出来た天秤櫓の石垣に目が奪われました。 櫓を正面から見て、左側は、幕末期に落積みで補修された事もあり、コントラストが最高です。 その後、鐘ノ丸ら木橋を渡り、天秤櫓、太鼓櫓を経て本丸へと向かう縄張りは、神の領域です。 小ぶりの天守閣は気品が漂い、まさに国宝のオーラに輝いていました。 中に入れば、また、これぞ国宝の棟木に感嘆です。 それから公開されている西ノ丸の三重櫓を見学し、大堀切を渡って出曲輪から山崎曲輪へと下っていきました。 ちょうど紅葉の真っ只中、玄宮園から望む天守閣は、まさに国の宝です。 佐和山口櫓も埋木舎も必見です。 やはり、師匠が愛してやまないだけの価値はありました。 名城中の名城です。 |
安土城 2010年2月20日 | いよいよ、安土城です。 前日から、遠足前の小学生のような心境で、この日を待ちかねておりました。 思えば、子供の頃は、安土城は『幻の城』で、天守閣の図面すらありませんでした。 城下町から一直線に伸びる大手道や秀吉、家康等の屋敷の発掘など、昨今の研究成果には目を見張るものがあります。 町立安土城天主信長の館では、セビリア万博に日本館として出展した天守が移されています。最上層に上れば、まさに天下人の心境になれます。 今日一日、満ち足りた思いで過ごすことができました。 追記 2013年6月6日。 観音寺城の帰り、スタンプを押しただけで未だ登城していない安土城へ立ち寄りました。 まっすぐに伸びた大手道を登り、二折れ、三折れして本丸へ至ると、いよいよ憧れの天守台です。 風の音しか聞こえない静寂の中で、しばしの間、感傷に浸りました。 その後、総見寺まで石段を駆け下り本堂跡に立ては、目の前に西湖が開けた絶景が広がっています。 さすがに天下一の名城です。 |
観音寺城 2013年6月7日 | 十分な資料もないまま、気ままに繖山に向かいましたが、偶然にも観音正寺前の物産売り場(石寺楽市)でスタンプを押す事ができ、道すがら、林道による登山ルートも発見する幸運に恵まれました。 その林道は、かなりの急勾配といつまで続くのかと思うくらいのカーブを曲がったところにある7台分の区画しかない駐車場が終点です。 そこで車を降りて、400mの石段を登りきると西国三十三ヵ所第32番霊場・観音正寺に到着します。 観音寺城までは、そこから更に300m。 気力を振り絞って、山道を進みます。 途中、けもの道のような脇道を進み、三ノ丸に出、そこからまた急な石段を登って本丸へと到着しました。 中世初期の石垣を備えた山城は、整備されていないため、当時の面影を色濃く残しています。 まさに日本一の山城です。 そこから、林道の入り口でもらった縄張り図?を頼りに、尾根道を伝って鱗状に配置された家臣の屋敷(曲廓)跡を見て周りましたが、途中で道に迷ってしまいました。 なんとか、本丸への道を発見できたものの、かなり時間と体力を浪費してしまいました。 |
二条城 2009年10月3日 | 午前中に、千年来のご開帳となった青蓮院の青不動を拝顔し、江戸城以来、しばらくぶりの名城巡りに向かいました。 行先は、二条城です。 二の丸御殿を黒書院から白書院へと渡っていきましたが、此処で、家康と秀頼が対面した事にも、慶喜が大政を奉還した事にも、特に感慨は沸きませんでした。 その後、御殿を出て、八陣の庭を過ぎ、本丸へと向かいましたが、本丸に至って二条城に天守閣があった事を知り、はじめて最初から二条城を城として見ていなかった事に気づきました。 元離宮という、他とは目的を異にした儀礼施設であったせいでしょうか? そこには「城塞」という言葉は無く、滅びる者の美しさは感じませんでした。 今日は、残念ながらスタンプ帳を埋めるだけの消化試合となってしまいました。 |
大阪城 2009年5月17日 | 平成21年5月16日。雨の中、記念すべき名城巡りの初日を迎えました。 国家資格を目指していた頃、以前勤めていた会社が近くにあったので、よく昼休みに外堀のベンチで勉強していました。 あの頃の気持ちに戻って、どうしても大阪城から出発しようと初めから決めていました。 そう言えば、山里廓から極楽橋に向かう石垣の隙間で暮らしていた捨猫はどうしているだろう? そんな事を考えながら、1城目を終了しました。 試験の方は、なんとか合格することができましたが、ついに捨猫にミルクをやる約束は果たせませんでした。 合格したら、辞めてやる!と思っていた会社も今はありません。 この名城巡りが終わる頃、一体、どんなゴールが待っているのだろうかと不安と期待が入り混じった旅立ちです。 |
千早城 2009年7月11日 | 昼過ぎから、車で千早赤坂村へ向かいました。 心配なのは千早神社横の茶店が店を開けているのかどうか?という点です。 後日、スタンプの押印だけに、再び此処を訪れるのは、なんとも興醒めな思いです。 本丸は標高660m、1時間を要するとガイドブックに記載されていましたが、途中運よく、別の茶屋でスタンプを済ませることができホッと胸を撫で下しました。 石段を登り始めるとそうそうに黒蛇が行く手を阻む前途多難な登頂となりました。 日暮れも近づき、無我夢中で石段を駆け上がれば、30分で千早神社境内に到着しました。 振り返れば、大阪湾に西日が傾く時刻です。 四ノ丸からは、尾根伝いに比較的緩やかな山道となりましたが、城の南北は深く切り立った絶壁です。 縄張りは、そこから本丸まで直線に配置された天然の要害を形成しており、本丸からはそのまま金剛山系へと逃亡できる間道が続いています。 間道を通って、金剛山登山道の合流地点からは、登山道が整備され、登山客がまばらに行きかっていました。 1日かけて、千早・赤坂城を踏破してきました。 |
竹田城 2009年6月4日 | 平成21年6月7日早朝、ようやく、長年の夢、天空の城・竹田城を訪れる事ができました。 車道を探して、竹田駅を迂回し、小学校を左手に折れて搦め手となる北側の物産館から山頂手前の駐車場を目指しました。 駐車場から、一気に千畳敷まで駆け上れば、まさに、そこは桃源郷です。 『赤松広通は、賎ヶ嶽の合戦、四国長宗我部攻めでの功がみとめられ、二十四歳にして念 願の領地を手に入れた。但馬国竹田二万二千石である。』(壮心の夢、火坂雅志:文春文庫) 鳥取城攻めにおいて城下を灰儘に帰したとの讒言により広通が切腹した後、廃城となったという史実が、この城の趣きをいっそう深いものにしています。 天守台に立てば、「川向こうの山の中腹に、立雲峡という桜の名所があります。私はまだ竹田に来たばかりで見たことはないが、春には天狗桜、姥桜、臥竜桜などの名木が咲きそろい、山に霞たなびくがごとしと聞いております。」(前述)という赤松広通の言葉が聞こえてきそうな気がします。 |
篠山城 2014年1月21日 | たまたま近くまで仕事で行った序に篠山城に立ち寄りました。 実は、篠山マラソンに参加したことがあるので、篠山城は大書院を除いてすべてウォーミングアップを兼ねて調査済みです。 ただ、フルマラソンを走った後で、大書院までスタンプを押しにいく体力が残っていなかったため、未登城のままとなっていました。 しかし真相はというと、縄張りがシンプルで何の面白みもない城だと思っていたので、ついつい後回しになっていたというのが正直なところでした。 でも今回大書院のビデオを見て、築城時の緊迫した情勢を知るに及んで、この城の戦略的な価値を再認識させられてから、このお城を見る目が変わってしまいました。 時間があったので、大書院から本丸をゆっくり見学した後、3箇所ある馬出しを車で見て廻りましたが、改めて見回してみると以外と堅城だと言うのに気づかされました。 さすが、築城の名手・藤堂高虎の作品です。 |
明石城 2009年10月25日 | 渋滞に巻き込まれ、駐車場に着いたのが夕方になりました。 いつもは、JRの明石駅から大手門の方角から見ていた城を、今日は明石市立文化博物館に車を停めたため、搦め手からの登城となりました。 城内に入ってみると意外と広いのに驚きました。 本丸の四隅に、『巽』、『坤』、『乾』、『艮』の4つの櫓跡があり、南側の巽と坤の2つの櫓が現存しています。 そこからの眺めは、この地が瀬戸内海の要衝の地であることを実感できます。 夕日が瀬戸内海に向かって傾きはじめたのを見て、ようやくまだスタンプを押していない事に気がつきました。 明石公園サービスセンターを聞けば、来た道と反対方向である事がわかり、大慌てで大手口を目指して、駆け下りました。 剛ノ池を一周して帰り道を急いでいると、途中で大きな亀を見つけました。 リリースしようにも、亀はビジネスカバンほどの大きさで、外堀に投げ込む事もできません。結局、浦島太郎宜しく家まで連れて帰りました。 次の日曜日、亀は無事に木津川の上流まで、送り届けてやりましたが、未だ玉手箱は届いていません。 |
姫路城 2009年10月17日 | 来春からは、5年かけて平成の大改修工事がはじまるとの事を聞き、今回は、たっぷり時間を掛けて、場内を隈なく散策するつもりで姫路城を訪れました。 天守閣を右に見て、西の丸を廻わってみると、千姫ゆかりの化粧櫓にたどり着きます。 化粧櫓の廊下からは、白鷺と称される天守閣が窓ごとに表情を変えて現れます。 まさに、すべてが国宝です。 思えば、初めて姫路城を訪れたのは小学3年の夏に、母の実家へ法事に向かう途中の出来事でした。 あの時、新幹線から見えた姫路城は、まるで異国の城のように思われたものでした。 あれから、数十年の歳月が流れましたが、今も城好きは変わっていません。 |
赤穂城 2013年12月14日 | 今日は『義士祭』のため、赤穂の町は交通規制が始まっていましたが、運よく大石神社に近い東駐車場に車を止めることができました。 西隅櫓台から塩屋門跡を取って、まず大石神社にお参りです。 今日は、露店も出て沿道は賑わっていました。 義士宝物館では、赤穂浪士ゆかりの品々が展示されていて興味は尽きませんでしたが、ゆっくりもしていられません。 急いで大手門脇の近藤源八宅跡でスタンプを押印しましたが、大手門は、お祭りの準備のため通行禁止になっていました。 幸い、ボランティアの方のご好意で、少しだけ通して頂く事ができました。 それから、今日は、赤穂浪士の法被を着て屋形船で二ノ丸庭園を回らせていただく幸運に恵まれました。 その後、ライトアップのための足場が設置された天守台のある本丸を見学し、厩口門から本丸を出て、水之手門から埋め立てられて総合運動公園を塩見櫓から山鹿流の縄張りを外堀に沿って見学しながら『義士祭』を見物しました。 一旦、駐車場に戻って、今後は半時計回りに干潟門から南沖櫓まで、『義士祭』に沸く、赤穂城を堪能して過ごしました。 |
高取城 2010年1月9日 | たかとり観光案内所『夢創館』では、非常に親切にしていただきました。 コーヒーを飲みながら、高取城のCGを見せてもらい、予備知識はバッチリです。 そこから、城跡まではかなり遠いのが気になりましたが、行ける所まで車で上っていきました。 車では、壺坂口のすぐ下まで行く事ができましたが、そこから本丸跡まではかなり時間が掛かります。 さすがに日本三大山城のひとつです。 その威容からは、明治の初めまで、天守はおろか城そのものが『城』として使われていたという事が信じられない気持ちになります。 そこから矢場門を出て、国見櫓跡に立ち寄り、二ノ門から更に下って猿石を見て引返してきましたが、まさに名城巡りの面白さに魅せられた1日でした。 |
和歌山城 2009年7月18日 | 気の向くまま、岬町より淡輪海岸を迂回し、紀州に到りました。 まず、和歌山の風土を知ろうと県立博物館を訪れましたが、歴代の藩主ゆかりの展示品は、どれを取っても教養の高さに驚かされました。 程好く退館し、虎伏城の異名を取る和歌山城へと車を走らせました。 威風堂々とした天守を横目に見ながら不明門に車を止め、本丸を目指しましたが、砂の丸から、鶴の澤へ下って、西の丸へと向かう間、その石垣は高く、堅牢にして品格が漂っていました。 時間の許す限り、西の丸の庭園を散策し、大奥跡となって二の丸に到ります。この間の趣きは、まさに御三家の威信を感じざるを得ませんでした。 いよいよ、表坂の登り口をのぼって、本丸へと進めば、本丸跡は現在、水道局の管轄となっていますが、石垣の上から、天守閣が垣間見えます。 天守閣は、小天守を多聞で結んだ連立式で、展示品も素晴らしく時間を忘れて鑑賞を続けました。 その後、岡公園から、再び和歌山城を望みましたが、夕映えの天守閣は、虎伏城の由来に恥じない絶景でした。 |
鳥取城 2013年7月10日 | 毛利軍との最前線、佐用から、鳥取道を通って一路、鳥取城を目指しました。 またしても、時間が押して仁風閣に到着したのは、4:40でしたが、快く5時まで見学させて頂けました。 大手門から、二ノ丸、天球丸を見学し、上から石巻ノ石垣を見る事ができました。 なかなか、見応えがあります。必見のスポットです。 いくつか山城を制覇してきましたが、最大級の過酷でした。 ほぼ体力の限界かと思われた時に、ようやく本丸の下まで辿りつきました。 更にひと踏ん張りして、本丸に到着です。 そこから、秀吉軍の陣を置いた太閤ヶ平と対峙していると、渇殺しと異名をとった激戦の後に気が引き締まります思いになります。 その後、達成感に後押しされて、天守台に上ってみれば、右手に鳥取砂丘、左手に大山が見えるパノラマの中、夕日が日本海をゆっくり染めていきます。 ここに立てば、今までの苦労が吹き飛んでしまうぐらいの感動が味わえます。 |
松江城 2013年11月29日 | 津和野城から、宍道湖のパーキングで車中泊。 8時半まで、三ノ丸、二ノ丸を回って、時間を潰して開門を待ちましたが、 さすが、現存天守閣です。 国宝に指定されていても何の不思議もない風格があり大満足です。 展示品も、素晴らしい逸品ぞろいで、天守閣からの景色も最高でした。 かなり無理して、山陰までやってきた甲斐がありました。 その後、珍しく時間を掛けて城内を隈なく散策し、小泉八雲の旧邸や武家屋敷、明々庵を見学し、最後に歴史資料館を訪れましたが、天守閣の展示品だけで十分に堪能してしまった後だったので、特にこれ以上、展示品には興味を惹かれませんでした。 ただ、床机山での堀尾吉晴親子の築城エピソードは面白かったです。 ずいぶん、松江城で長居してしまい予定よりかなり遅れで、月山富田城へ向かいました。 |
月山富田城 2013年11月29日 | ずいぶん前に大河ドラマ『毛利元就』で見た難攻不落の月山富田城をいよいよ攻略です。 歴史資料館では例のおじさんが親切に説明してくれました。 まず、尼子興久のお墓にお参りし、通常のルートとは逆の方角から千畳平に上りました。 そこからは道なりに太鼓壇、奥書院、花の壇と進みましたが、その途中で、意外と早く山中鹿之助に対面することができました。 その後、深い堀切を渡って山中御殿に着きましたが、ここまで攻略するだけでもかなりの時間がかかりました。 実は、山中御殿のすぐ傍までは簡単に車で来ることも出来るのですが、このお城は自分の足で攻略する価値はあると思います。 しばらく山中御殿で、大手門跡や軍用井戸を見て回っていると、気がつけば団体の見学者の方たちが登ってこられました。 そこからは、団体さんに混じって、菅谷口の虎口から七曲りの山道を登って、三ノ丸から二ノ丸、本丸へと進みました。 本丸の手前には日本海まで見渡せる絶好の写真スポットがあります。 時間と体力のある方にはお勧めです。 その後、一旦、山を下って御子守神社を見学して、月山富田城の攻略を終了しました。 |
津和野城 2013年11月28日 | 萩城同様、新山口でレンタカーを借りて、津和野城に向かいましたが、あいにくの雪模様で、予定よりかなり遅れて津和野町に到着しました。 リフト乗り場に向かうまでに、馬場先櫓や物見櫓が残っていたのを見学し、リフト乗り場についてみると、リフトが動いていません! 一瞬、悪天候のため、運休かと不安が過ぎりましたが、係りのおじさんが暖かく迎えてくれました。 リフトは、オンデマンドで運転しているようです。 山頂に到着したのは、3時50分。 リフトは、4時半が最終時間との事でしたので40分しかありません。 またしても、大急ぎで織部出丸を見学し、そこから本城までを5分あまりで駆け抜けて、誰も踏み入れていない雪景色の中を、無我夢中で見て回りました。 まず、二ノ丸を通って、三ノ丸から人質櫓を見学し、本丸に入場。 三十間台、太鼓丸を回って、なんとか4時半に、恐縮しながらリフト乗り場に戻ってくると、おじさんに笑顔で迎えてもらいました。 津和野城は、未だに台風の爪痕が癒えず、登山道はすべて閉鎖されていますが、唯一リフトで登城可能です! |
津山城 2013年7月10日 | 吉井川に沿って津山市内に入ると、威風堂々とした一二三段の石垣が姿を現します。 津山観光センターに駐車し、目の前に聳える備中櫓を目指すとガイドの方が汗を拭いながら下りて来られました。 すれ違いに挨拶を交わすと、親切に津山城の解説をしてくださいました。 森蘭丸の末弟、森忠政築城である程度の知識しかありませんでしたが、これだけ見事なお城が未完成であった事など、熱心に教えていただきました。 備中櫓では、受付けのおばさんから、ビデオを見て行くよう進められましたが、時間がなく恐縮しながら、足早に櫓を後にしました。 幸い同じビデオを購入する事ができましたので、家に帰って季節はずれの桜見物を楽しみました。 天守台に回ると、その日は地元の商工会議所の方々が夏祭りのイベントで模擬天守を作られているとの事で上ることはできませんでしたが、 この城も地元の人たちに愛されているんだという思いがヒシヒシと伝わってきました。 帰りは、搦め手から鶴山館に戻ってきました。 名残惜しいお城ではありますが、このまま北上して、鳥取城を目指します。 |
備中松山城 2013年12月10日 | 二日酔いで予定より2時間遅れの出発でしたが、雨模様が幸いして、観光客は疎らだったため、難なくマイカーを鞴峠の駐車場に止める事が出来ました。 途中、城主からの登城心得に心を和ませながら、上太鼓ノ丸に着いた頃には雨も上がりました。 更に大手門から足軽番所へと石段を登っていくと、ついに憧れの天守閣が現れました。 気持ちの高ぶりを押さえつつ、本丸に入ると誰も居ない天守閣を独り占めすることが出来、大感激です。 天守は、石垣の上に築かれているため、二重二階のスケールですが、さすが現存天守です。 コンクリート造りの復元天守とは訳が違います。 しかしながら、この城の本当の面白さはこれからでした。 一旦本丸を下り、天守閣の後ろにある三重櫓を真近に見て、水ノ手門から土橋を渡れば、備中兵乱の古戦場となった相畑城戸跡に至ります。 更に山道を登っていくと天神ノ丸から大松山城に辿り着きます。 今日は時間が十分にあったので、大池や切通堀切、番所跡にも足を伸ばして、大松山つり橋を渡ったところで引き返しました。 最後に駐車場脇の下太鼓ノ丸に登って、攻略を完了しました。 |
鬼ノ城 2013年8月7日 | 寝坊して、朝6:00出発の予定が、1時間遅れの出発となってしまいました。 おまけに阪神高速の渋滞に巻き込まれて、9時半にビジターセンターへ到着です。 駐車場まで約3?の道幅が狭く車で登っていくのが難しいとの先達の書込みがありましたので心配していましたが、幸い対向車はなく、駐車場まで無事に着きました。 夏休み真っ只中という事もあり、既に何台も車が停まっており、後からも何台か登ってこられていました。 それから、以外だったのが、行き帰りを含めると3台のタクシーに遭遇したことでした。 (意外と人気です!) それもそのはず、城郭はすばらしかったです。 角楼、西門から出発して、弟0水門から屏風折れの石垣を目指しました。 その間、水門あり、高石垣ありで退屈することはありません。 そのまま、遊歩道を通って北門まで進み、そこからは礎石建物群を見学、沢伝いにため池を見て、そこから再び鬼城山の山頂を目指して、山登りです。 約2時間のコースを堪能しました。 ゴールの山上展望台では30分程、寝転がって風に吹かれていました。 達成感はひとしおです。 |
岡山城 2013年12月23日 | 昨日は岡山に宿泊し、駅前のホテルを7時に出発して、仕事前に岡山城へ出かけました。 まず、西ノ丸西手櫓を確認しましたが、近づくことが出来ず、そのまま下馬橋を渡って工事中の本丸下ノ段を抜けて旭川に沿って天守閣の真下を通って、8時に開門される後楽園へ向かいました。 子供の頃、祖父に連れられて岡山城には何回も来ているのですが、正直、今まで後楽園の良さが全くわかりませんでしたが、今日、沢の池越し岡山城と対峙すれば後楽園の良さをしみじみと感じる事ができました。 小一時間程、後楽園を散策した後、月見櫓を仰ぎ見て廊下門から城内に入りましたが、ここは、石垣マニアの私にとっては、宇喜多時代から小早川時代を経て池田時代に至り様々な石垣の変遷が楽しめるワンダーランドです。 石垣を堪能した後、不明門から本丸へ入りましたが、漆黒の天守は『烏城』の異名のとおり、重厚な趣にあふれていました。 今年の城めぐりは、岡山城の92城で終了です。 あと、8城。来年中の完成を目指します! |
福山城 2013年11月27日 | 先達ご紹介のとおり、新幹線のホームから福山城を写真に収め、筋鉄御門を通って本丸へ入りました。 天守閣を背にして、鏡櫓、月見櫓、御湯殿、筋鉄御門、伏見櫓、鐘櫓が立ち並ぶ姿は壮観です。 時間があったので、先に北側を散策して巡りました。 本丸を出たところに天守台の礎石があり、さらに進んで、三蔵稲荷神社、備後護国神社、旧内藤家の長屋門と逆時計回りにお城を一回りして、鐘櫓、伏見櫓を外側から眺めて、9時を回ったところで、再び、筋鉄御門から再入場しました。 スタンプを押印して、いよいよ天守閣を攻略しようとしましたが、展示品の入替との事で特別休館日の立て札が立っていました。 十分情報は確認したつもりだったのですが、どうやらHPを見落としていたようです。 もっと早く、立て札を出していてくれれば、再入場しなくて済んだのに、・・・。 自己責任とは言え、がっかりです。 あと、水野勝成像も、阿部正弘像も、非常にわかりにくい所にあります。 コンプリートを目指す方は、事前確認が必要だと思います。 不十分ながら、81城目とさせていただきます。 |
郡山城 2013年7月25日 | 広島からレンタカーを走らせて1時間あまりで、吉田郡山につきました。 最初に博物館で、吉田郡山合戦のビデオを見ておけば、大通院公園から尼子勢の動きが手に取るようにわかりますので、必見です。 元就候の墓所の横にある登山口には、『まむし注意』の立て札があり、覚悟を決めての登城となりました。 なんとか本丸の下まで辿り着いて、釣井ノ壇、姫の丸ノ壇、釜屋ノ壇を回って、その先にある羽子の壇へ進みましたが、赤いテープが巻かれた木の先に深い堀り切りがあって、そこから先へは進めません。 引き返して、三ノ丸に唯一残った石垣を見て、二ノ丸、本丸に辿りつけば、目的の本丸跡の石碑がありました。 しかし本当の苦労はこれからでした。 そこから、一旦、尾崎ノ壇まで下ったあと、南北朝時代の旧城の本丸へ向かうケモノ道を、尾根伝いに進んでいけば、再び深い堀切りがあります。 そこを突破すると、今度は5mほどの崖をよじ登らなければ先には進めません。 何度も足を取られながら崖を登ったところが本丸でした。 ケモノ道を掻き分けて進んでいかなければならず、精神的にも厳しい城攻めとなりました。 |
広島城 2013年6月14日 | 新幹線の始発で、広島までやってきました。 まず、仕事前に市電に乗って、広島城見物です。 市電を下りて、地下道を抜ける途中で、中堀へ抜ける暗渠の遺構を見つける事が出来、 町並みからも毛利輝元が聚楽第を参考に築城した当時の様子を伺う事ができます。 二の丸前からは、本丸掘りに沿って30分程度で一周する事ができます。 北側に廻りこめば、私好みの黒塗りの天守閣が現れます。 しばし、天守閣を眺めながら、ベンチに座って休憩し、二ノ丸まで戻ってきたところから、登城開始です。 平成に入ってから再建されたとは言え、表御門、平櫓、太鼓櫓は迫力十分です。 平櫓では、元就の3本の矢の書状(複製)を見る事ができます。 現代語訳がついていますので、時間を掛けて全文を読み込みましたが、ずいぶん、人間味に溢れた内容に感心しました。 二の丸を後にすれば、すでに本丸下です。 天守閣のショップで、日本100名城のスタンプを出してもらいました。 国宝級の天守閣は、原子爆弾の爆風で崩壊したとの事で残念でなりませんが、たとえそれがコンクリート造りの天守であっても、名城です。 |
岩国城 2013年6月14日 | 広島駅から在来線とバスを乗り継いで、岩国城へ。 錦帯橋に到着したのが、15時40分! 次のロープウェイに乗らなくては山頂にある天守閣の閉館に間に合わない時間です。 係りの人に急き立てられるようにロープウェイへ乗り込みました。 山頂からは歩いて5分程度で本丸に到着します。 現行の天守閣からは、眼下に錦帯橋が見える絶景ですが、これは観光用の模擬天守です。 元の天守台は本丸の後ろに控えています。 理由は、錦帯橋からの景観を考えて移動させたとの事ですが、この点については、はなはだ疑問です。 スタンプ押印後は、天守台を回り込んで、北ノ丸に向かうと、空堀を見ることができます。 そのまま遊歩道を進めば、当時、武器庫として使われていたという大釣井があり、更に下ればロープウェイの駅に戻ってきます。 5時が最終便でしたが、アベックに気兼ねして、帰りは30分掛けてもみじ谷を歩いて下山しました。 |
萩城 2013年10月29日 | 仕事のついでに、山口から萩城を目指しました。 途中、萩往還を通って、まず、吉田松陰、高杉晋作らのお墓に詣でましたが、そこから見える指月山に疲れが吹き飛びました。 松蔭神社、松下村塾と見学した後、いよいよ城攻め開始です。 天守台は非常に美しく、古写真の天守閣が残っていればと悔やまれます。 萩城は、石垣以外特に目に付く遺構はありませんが、日本海を借景にした品格を感じさせるお城でした。 少し判りづらい場所にありますが、洞春寺跡、妙玖寺跡を抜けたところにある展望台からの眺めは、100名城で1、2を争う絶景です。 それから、詰めの城まで登りましたが、こちらは鳥取城と双璧となる登山となりました。 ようやく辿り着いた山頂には、虎口があり、石垣作りの二ノ丸、本丸があり、非常に堅固な縄張りとなっています。 ゆっくりしていると、意外と早く日本海に夕日が沈む時間がやってきました。 大急ぎで、指月山を駆け下りましたが、夕闇にライトアップされた天守台がまた非常に幻想的でした。 もっと城下町をゆっくりしたかったのですが、時間がなくて残念です。 |
徳島城 2014年1月21日 | 仕事が早く終わったので、三田から高速を乗り継いで、徳島城まで足を伸ばしました。 駐車場に車を止め、まずは城山の貝塚を見学して鷲の門を目指しましたが、すぐに噂の「阿波の青石」が目に飛び込んできました。 石自体も珍しかったのですが、石垣の積み方も特徴的でした。 その後、表御殿庭園にも行きましたが、「阿波の青石」がふんだんに使われた枯山水は圧巻でした。 今回は、鷲の門から三木郭に入り、下乗橋を渡って月見櫓、太鼓櫓を見学、舌石を探しましたが、なんとか徳島駅に渡る陸橋の傍で見つけることできました。 非常にわかり辛いです! それから、蜂須賀家正の銅像を見て、天守が置かれていたという東二ノ丸から城山を上っていきました。 本丸からは、吉野川の下流に瀬戸内海が見え隠れし、阿波水軍の本拠地であった片鱗が垣間見ることができました。 そこから一旦、西二ノ丸、三ノ丸を下っていきましたが、そんなに高い山ではなかったので、マラソンの練習を兼ねて裏側の遊歩道から再度山頂を目指して駆け上がりました。 おかげでいい練習ができました。 帰りは〆の「徳島ラーメン」を食べて、大満足です。 |
高松城 2010年2月6日 | 今回の旅の目的は、明日の丸亀国際ハーフマラソンの出場で、高松城へはその序でに立ち寄ったというのが正直なところです。 高松城は、以前、岡山の祖父と来た時の写真が残っています。 まさか、再び、この城にスタンプを押しに来るとは夢にも思っていませんでした。 あの時は、連絡船の時間がなく、駆け足で見て回ったため、時間を掛けて城内を見てまわる余裕はありませんでした。 そのため、鯛の餌が以前から売られていたのかは定かではありませんが、瀬戸内海につながっているお堀に鯛が泳いでいるなどという話は、正直、半信半疑でした。 ものは試しと、堀端から餌を入れると驚くほどの鯛が餌を求めて集まってきます。 これもまた、名城巡りの思い出の1つとなりました。 |
丸亀城 2010年2月7日 | 丸亀城は、日本100名城を知るきっかけになった城郭です。 ちょうど1年前、国際ハーフマラソンに出場した帰りに立ち寄ったのが、名城巡りとのそもそもの出会いでした。 天守閣でお会いした男性に見せてもらったスタンプ帳が、私の心に火を点けました。 大阪に帰って、急いでスタンプ帳を買い求めましたてから、1年ぶりの登頂です。 日本一を誇る石垣は、マラソン帰りの足には堪えましたが、なんとか天守閣に辿りつけば感慨もひとしおです。 石垣は、ただ高いだけではなく、非常に美しい城郭です。 日本一の石垣は、縄張りの妙と相俟って、この城の品格を漂わせています。 |
今治城 2014年3月11日 | 福山から高速バスで今治入り。 駅前でレンタカーを借りて、今治城へ向かいました。 このお城は、何でも有名な建築デザイナーさんの作品の模造天守だそうです。 ボランティアのおじさんの熱いお話とは裏腹に、聞けば、聞くほど、城マニアとしは???でした。どうも古写真とはイメージが違いすぎます。 ただ、割り切って考えれば、天守に続く多聞櫓は自然科学館になっており、これはこれで十分見ごたえがありました。 あと、山里櫓の古美術展示は必見です。 確かに、日本三大海城のひとつで、築城の名人・藤堂高虎公の作として100名城の資格はあるのでしょうが、個人的には?でした。 それでも、御金櫓のボランティアさんには、親切に声を掛けて頂いて大満足で登城を完了しました。 |
湯築城 2014年3月11日 | ここは、道後温泉の前にある小さな公園です。 お城の縄張りの中に正岡子規の記念館もあります。 松山と言えば、坂の上の雲、坂の上の雲と言えば、「松山城」ですが、100名城に選ばれて、この「湯築城」も、かなり整備が進んでいました。 名物おじさんに迎えられて、断りきれずに河野氏興亡のビデオを有難く見せて頂きました。お陰で、正岡子規の記念館には間に合わず(泣)。 石垣のない土塀造りで派手さのないお城でしたが、ボランティアの方々のご尽力により、ここも楽しく見学(=登城)することができました。 その後、ゆっくり道後温泉に浸かって旅の疲れを落とす事が出来てよかったです! |
松山城 2013年12月22日 | 今日は、宇和島城、大洲城の2城を攻略して、電車を乗り継いで岡山泊の予定を立てていましたが、思いがけず3時に松山へ着いたため、急遽、松山城の攻略を思い立って、途中下車しました。 松山城は、過去に何回も登城しているので、スタンプだけでもよかったのですが、いつもはロープウェイで登城していた事もあり、今回は三ノ丸、二ノ丸を見て大手道を歩いて登る事にしました。 家族と一緒の時は、行ったことがなかった紫竹門から本丸の奥へと進み、野原櫓、乾櫓をゆっくりと見て回り、『坂の上の雲』のオープニングカットとして使われた艮門などをチェックして廻りました。 帰りも歩いて、珍しい南登り石垣を見て山を下りました。 再び、三ノ丸から見上げれば、ライトアップされた天守閣が夜空に浮かび上がる時間になっていました。 |
大洲城 2013年12月22日 | 予定より早く10時半に大洲駅に到着したため、肱川からの眺めながら歩いて城下町まで行き、途中、芋綿櫓を見て、軽くお城の周りを一回りしました。 残念ながら、下台所は修理中のため、見学することは出来ませんでしたが、再建したとは言え、木造天守にはとても満足して、城を出ました。 その後、寅さんのロケ地になった殿様公園の中にある南隅櫓を見学しましたが、櫓から見える外堀がそのまま小学校のグランドとして残っていました。 宇和島での貯金があったので、思い切って「おはなはん通り」を抜けて、臥竜山荘を訪れましたが、素晴らしい数寄屋造りの庭園に感動でした。 帰りは、ポコペン通りの青春広場に立ち寄りましたが、これがまた時間の経つのも忘れるくらい興味がそそられました。 お城だけでなく、大洲はワンダーランドです! |
宇和島城 2013年12月22日 | 大阪より夜行バスに乗り、宇和島についた時にはまだ真っ暗で月も出ていました。 まず、立ち上り門まで行ってみましたが、とても登城する時間でもなく、日が昇るまで、ぶらぶらと大村益次郎の住居跡などを見て過ごしました。 午前7時過ぎ、ようやく登城を開始しましたが、あいにく工事中で、式部丸や代右衛門丸へは登れず、仕方なく直進して長門丸に出ましたが、それでもまだ時間を持て余し、一旦、桑折長屋門までおり三ノ丸の辺りを散策してから、再び、井戸丸、藤兵衛丸の山里倉庫跡を見学し、二ノ丸から櫛形門を通って本丸に至りました。 そこからは遠くに宇和島港を見ることが出来ますが、古地図を見ればお城の下まで海が迫っていたようです。 しばらく、本丸をうろうろしていましたが、9時前にもかかわらず、本丸に招き入れて頂く事が出来たため、観光客と入れ違いに9時過ぎには駅に向かって歩き始めることができました。 駅前で「じゃこ天」を買って、予定より1時間も早く、次の目的地・大洲城へ向かうことができました。 |
高知城 2014年3月12日 | 47都道府県で私が訪問する最後の県となった高知県に足を伸ばしました。 仕事前に松山からレンタカーで移動し、7時過ぎに高知城へ到着です。 このお城は、天守閣だけでなく本丸の建築郡のすべて現存する日本唯一のお城だそうです。 追手門から見上げる天守閣は圧巻でした! それから、石垣マニアの私にとっては、ワイルドな野面積みの石垣が堪りません。 9時の開館まで存分に三ノ丸、二ノ丸の石垣を見て過ごしました。 先達方から時間前でも係りの方に入場させてもらえるとの情報を得ていたので、裏口の黒鉄門の前で待っていると、なんと30分も前に開けて頂けました。 久しぶりの一番乗りです。 仕事の都合もあるので、本当に助かります。 朝から高知城を独り占めにする幸運に恵まれて、ちょうど9時から上がってくる団体のお客さんと入れ違いに、優越感に浸りながら天守閣から下りてくる事ができました。 |
福岡城 2013年6月22日 | 前回は、天守台に上がったところで日が暮れ、十分に検分できなかったため、再度、登城となりました。 今回は、前回とは逆に大豪公園で地下鉄を降り、下之橋御門、塩見櫓から『黒田節』で有名な母里太兵衛長屋、名島門を見ながら坂道を登り、二の丸を抜けて南の丸に至りました。 小雨模様の中、南ノ丸から城内から多聞櫓と西隅櫓を回って、天守台南下の顎石を見て大天守台へと登りましたが、朝、早かった事もあり、一人で博多の街を見渡せて幸運でした。 その後、二の丸を時計回りに水ノ手を通って三の丸へ東二の丸越しに記念櫓を眺めて、鴻艫館へ百名城のスタンプを押印するため立ち寄りました。 スタンプだけと思っていたのですが、パネル展示で、鴻艫館と大野城、水城、大宰府との位置関係が確認できるなど、期待以上の成果がありました。 現在、鴻艫館は発掘調査中で、その昔、ここが西鉄ライオンズの本拠地・平和台球場であったことすら、すでに歴史の1ページとなっていました。 |
大野城 2013年6月22日 | 平成24年6月10日 JR二日市駅を降りて大宰府跡を見学しましたが、生憎、大宰府展示館は休館日でした。 仕方なく天満宮から登り始めました。 途中、岩城城、高橋紹運の墓に立ち寄って、第1目標の大宰府門に到着です。 そこから、裏道を上って焼ヶ原駐車場に出る事ができました。 ようやく長かった登り道はここで終わり下り道に変わります。 30度を超える炎天下を2時間掛けて、辿りついた県民の森もゲートを固く閉しています。ここで水分補給を考えていたのに自販機すらありません。 最悪のモチベーションの中、更に百間石垣まで歩きました。 百間石垣は、車道越しに見ることもできますが、石垣の上へ登るには、夏草の繁殖した道なき道を掻き分けてなんとか進む事ができる状況でしたが、登ってみたとことで、それほどの感動はありませんでした。 帰りは当然、来た道をひたすら引返さざるを得ません。 覚悟はしていましたが、往復、5時間を軽く越えてしまいました。 平成24年6月22日 水城跡に立ち寄ったあと、大野城市総合体育館でようやくスタンプを押す事ができました。 |
名護屋城 2013年8月20日 | 博多でレンタカーを借りて、名護屋城へ向かいました。 すぐさま、名護屋城博物館でスタンプをゲット。そのまま、屋外展示となっている木下延俊の陣屋、常設館と見学しましたが、それなりに充実していたように思います。 ロビーでビデオを見ながら、しばらく休憩した後、大手口から登りはじめました。 三ノ丸から馬場を経由して、弾正丸から搦手口、二ノ丸を回って、遊撃丸へ至りました。 遊撃丸からは、天守台を仰ぎ見る事ができますが、現在、水手口は工事中で、来た道を引き返さなくては本丸へ登れません。 この炎天下、引き返す体力はなく、そのまま強行突破し、なんとか本丸北口へ出ることができました。 本丸は広く、中央に東郷元帥が書いた碑が立っています。 天守台からは、武将たちの陣屋跡が一望でき、天下人になった気分で、当時の様子を想像する事ができました。 その後、広沢寺に車を停めて、山里曲郭、台所丸を回りましたが、想像していた以上のスケールに圧倒されてしまいました。 日が暮れるまで、陣屋跡を回りましたが、すべて見て回るのはとても無理でした。 |
吉野ヶ里 2013年5月11日 | 鹿児島に用がありその帰りに、久しぶりの城めぐりに心が躍りました。 時間を考えて、色々なオプションを用意していたのですが、最終的に吉野ヶ里遺跡を目標に定めて、鳥栖で乗り換えて吉野ヶ里公園駅で下車たのは、すでに4:40。 駅から620mを全力で走って、閉館8分前に受付けゲートに辿り着きました。 せっかく来たのでスタンプだけでも押して帰ろうと思っていたのですが、ご好意で閉館時間までの間、少しだけ中へ入れてもらう事ができました。 最後の気力を振り絞って、丘を駆け上って南地区だけはなんとか見て回る事ができました。 その後、駅ではコミュニティセンターのお姉さんから心配そうに声をかけて頂き、間に合わなかった時のためにと用意しておいてくれたDVDを頂きました。 無理して来て吉野ヶ里まで来て本当によかったと思いました。 地元の親切に支えられて、18城目のスタンプをゲットさせていただきました。 |
佐賀城 2013年6月12日 | 本日、2城目。佐賀城です。 台風3号のコースが外れ、予想に反して30度を超える炎天下の中、佐賀駅から歩いて佐賀城を目指しました。 例によって、外周を一回りしましたが、『沈み城』の別名どおり、低い石垣が広大な水堀の中に浮かんでいるように見えます。 外周は散策路として整備されており、水堀で暮している亀や鴫を眺めながら、楽しく歩く事できました。 水堀を半周すれば、本丸御殿が見えてきます。 天守台を写真に収め、本丸御殿の入り口に廻って見ると、 平日のためボランティアのお年寄りにマンツーマンでガイドして頂きました。 ここでも、鍋島直正を筆頭に明治の英雄たちの話を郷土愛にあふれた熱心さで説明いただきました。 天守閣はなくても、この城も自薦名城100選の名城のひとつです。 |
平戸城 2013年6月23日 | 博多からレンタカーを借りる予定でしたが、免許証を忘れてしまうという失態を犯し、急遽、佐世保へ移動して、翌日、駅前のバスセンターから1時間半掛けて平戸へ渡りました。 先達からのご教授どおり猶興館高校前で降りて、亀岡神社の境内を抜けて、天守閣を目指しました。 現在は、境内にあって不案内ですが、大手一ノ門、二ノ門、二ノ大手門の遺構が残っています。 本格的な城攻めを目指す方には、お薦めのコースです。 北虎口門から上は、昭和の再建築ですので、賛否が分かれると思いますが、天守閣からの展望は言うことがありませんし、展示品もなかなかのものです。 十分に平戸城を堪能した後は、松浦氏博物館、オランダ商館を見学しました。 帰り道は、桟橋近くで土砂降りとなりましたが、雨宿りのために飛び込んだプレハブがバスステーションで、その3分後に佐世保行きのバスが到着するという幸運が重なりました。 佐世保から高速バスに乗り換え、平戸の物産館で買ったカスドースを手土産に、博多に戻りました。 |
島原城 2013年7月22日 | いよいよ、今回の九州遠征、最後の城攻めです。 鹿児島から在来線で、大牟田まで移動し、そこからバスで三池港の高速船で有明海を渡りました。 駅から、島原大変で発生した津波を堰き止めたという石垣を見学し、堀端まで来ると、写真で見慣れた島原城が目に飛び込んできました。 凄惨な歴史を知っているだけに、青く晴れ渡った空に向かって真っ白に聳える天守閣は、一層美しく感じました。 内堀に沿って歩いていくと二ノ丸の前に今は空堀となっている堀の下まで降りていく事ができます。 堀の底から真近に見る石垣は、圧倒的な重厚感で迫ってきます。 本丸と二ノ丸を結ぶ通路から、本丸へ登り、民具資料館、西望記念館を見学して、いよいよ天守閣の正面に立ちました。 あいにく、耐震工事中で、天守閣に足場が組まれている状態でしたが、撮影スポットからは、全く気にならずに写真に収める事ができました。 天守閣の入り口には、話題の女武者たちから、元気におもてなしを頂きました。 中の展示品も、キリシタン関係のモノを中心に充実していました。 百名城の中でも印象深い城郭でした。 |
熊本城 2013年6月12日 | 朝8時30分から開門しているという事を聞き、急遽予定になかった熊本城を登城することにしました。 とは言え、その後の予定もあり、熊本駅に遅くとも10時に着かなければなりません。 滞在時間は1時間です。 そのため、まずホテルを7時に出て外堀を埋める事にしました。 櫨方門で開門時間を確認し、長塀に沿って時計回りに進みました。 加藤神社から、宇土櫓越しに天守をカメラに収め、予定通り、開門10分前に櫨方門に戻ってきました。 受付のおばさんに頼み込んで、先にスタンプを押させてもらい、若干、フライング気味にスタート切りました。 五階櫓からは、一旦、右手に折れ、東竹ノ丸から、本丸を目指しました。 闇り御門の廊下を抜けたところで清正公の案内を断り、一番乗りで天守まで駆け上りました。 その勢いで、本丸御殿を見学し、宇土櫓から田原坂を遠望し、ここでも西南の役の激戦地を目に焼き付ける事ができました。 |
人吉城 2013年6月11日 | 九州攻略2日目。 熊本から八代で乗り換えて人吉へ向かいました。 人吉では、まず、国宝の青井阿蘇神社を参詣し、幽霊の掛け軸で有名な永国寺を経て、「人吉歴史館」で押印させていただきました。 時間があったので、今日はゆっくり武者返しの石垣を見物し、水ノ手門から三の丸、二の丸を登って本丸跡に辿りつきました。 八代、人吉では、至る所で西南の役の戦跡を見つける事が出来ました。 司馬遼太郎の『翔ぶが如く』に思いを馳せながらの散策となりました。 唯一の心残りは、先達たちのご推薦の好来ラーメンが閉まっていた事です。 |
大分府内城 2013年7月20日 | 第四回目となる九州遠征です。 今回は、府内城、岡城を攻略した後、バスで熊本に抜け、そこから鹿児島に向かいます。 鹿児島で1泊した跡、鹿児島城からレンタカーを借りて飫肥城を攻め、最終3日目は、三池港から有明海を横断して、島原城を目指します。 新幹線を小倉で降りて、「にちりん シーガイヤ号」に乗って、大分に着きました。 そこから、府内城まではわずかな距離です。 確かに本丸が駐車場になっていたり、スタンプの設置場所がわかりにくかったりと問題はありますが、個人的に好きなお城です。 廊下橋から出丸に抜けから城内を眺めると、石垣マニアの私にとっては、そのワイルドな石垣がたまらなく魅力的に写りました。 そこからは、帯曲輪を回って駅まで戻りましたが、過っては、ここが海に面した貿易港だった事を思えば、なかなかの備えをもった城であった事が伺えます。 あと、先達たちのご指摘にあるように、スタンプがぞんざいに扱われていたのが残念でした。 まぁ100箇所も巡っていると色々な事がありますが、・・・。 |
岡城 2013年7月20日 | 府内城を後にして、豊後竹田に到着しました。 少し時間があったので、滝廉太郎の記念館に立ち寄りました。 そこから岡城は、あの軍神・広瀬中佐の神社の横の道を登りきったところにありました。 受付けでは、おばさんが快く荷物を預かってくれたので、助かりました。 例の巻物を持って、「荒城の月」のメロディーが流れる中、いよいよ登城開始です。 途中、西ノ丸跡を見るために矢印に逆らったため、気が付けば本丸とは反対の尾根に回りこんでしまいました。 慌てて脇道を通って、三ノ丸の前で観光客と合流すれば、すぐ目の前にあの有名な写真スポットが現われます。 少しでも、崖に聳える石垣に迫ろうとしますが、左は断崖絶壁です。 足元を見れば、同じように、先人たちが限界まで足を踏み入れた足跡が残っていたのには、苦笑を禁じえませんでした。 その後は、二ノ丸でおなじみの滝廉太郎と記念撮影し、下原門跡までいって引き返しました。 その先は、去年の天災によって不通になっているため、バスで熊本に向かいました。 |
飫肥城 2013年7月21日 | 伊藤家5万1千石の非常に美しい城下町に、鹿児島から足を伸ばした甲斐がありました。 早々に、無料の駐車場に車を停め、名物の飫肥天に舌鼓を打ちながら、大手門へ続く坂道を登っていきましたが・・・。 飫肥城歴史資料館でスタンプを頂き、一旦、松ノ丸にある御殿を見学して、本丸へ向かいましたが、先達の皆さん、ご指摘のとおり、飫肥杉が自生する杉林でした。 帰り道には、四隅に飫肥杉が立つパワースポットがあります。 豫章館をはじめ、松尾ノ丸御殿などの共通券を買って回りましたが、正直な感想を言わせてもらえば、すべてがテーマパークでした。 成果(生家)としては、小村寿太郎の記念館を訪問して、ドラマになった『ポーツマスの旗』を思い出した事くらいでした。 |
鹿児島城 2013年7月21日 | 黎明館の開館まで時間があったので、先にどうしても行きたかった城山の洞窟から西郷さんの終焉の地までを歩いてきました。 そこから、私学校跡を見学しながら、黎明館に戻りましたが、ここで確認しなければいけない場所は、大手門前の石垣に残る西南戦争の銃痕と、南東角の裏鬼門に施された石垣ぐらいで、あとは、城山に登るかどうかの選択しかありません。 各県から1城というルールがある以上、やむを得ない選択だったんでしょうが、自薦百選入りは、かなり難しいと思っています。 |
今帰仁城 2015年3月17日 | 沖縄初日、那覇空港から2時間近くもかかって今帰仁城へやってきました。 その上、恥ずかしながら、首里城をはじめ今帰仁城が『琉球王国のグスク及び関連遺産群』として、世界遺産に登録されている事も現地に着くまで知りませんでした。 何はともあれ、はじめて見る沖縄の城(グスク)は、ただただ感動でした! グスクの南側にはカーザフと呼ばれる谷があって、今帰仁城は、なかなかの堅城です。 大手門にあたる平郎門という石づくりの門を抜けて、いよいよ攻城開始です。 真っ直ぐに伸びる七五三の階段を登って行くと大庭(ウーミヤー)が現れました。 そこを左手に曲がって行くと御内原と呼ばれる男子禁制の郭に出ます。 ここからは眼下にコバルトブルーの東シナ海が広がっています。 まさに沖縄の城ならではの眺めです! 更に、一段高くなった主郭に登って行くと火之神の祠があり、本土の城とは一味違ったエキゾチックな雰囲気が漂っていました。 このグスクは、薩摩藩の琉球進行があってからも御嶽(ウタキ)として崇拝されていたそうです。 |
中城城 2015年3月18日 | 沖縄2日目。 ペリーも訪れたという中城城に向かいました。 ちょうどイベントが行われるという事で、駐車場から、首里城まで続いていたという公道(ハンタ道)を通って正門まで回り込まなければなりませんでした。 そこから、西の郭から南の郭を抜けて、一の郭、二の郭を通って、新城と呼ばれる三の郭に進みましたが、途中、一の郭は、あいにくクレーン車による工事の真っ最中でした。 しかし、そんな事が一向に気にならない程の雄大なパノラマを目にする事ができました。 城壁も、野面積、布積、合方積とバラエティに富み、石垣マニアの私にとっては垂涎のグスクでした。 名残惜しかったのですが、今日は、『琉球王朝のグスク及びその関連遺産群』である勝連城、座喜味城を梯子する予定だったので、早々に終了です。 |
首里城 2015年3月19日 | 早めに那覇市内のホテルを出て、首里城に急ぎましたが、すでに観光客であふれかえっていました。 駐車場を出ると早速、日本三大ガッカリポイントを賞される『守礼門』が現れましたが、 評判通りの姿でした。 しかし、それ以上にガッカリさせられたのが、関連遺産群のひとつである『園比屋武御獄石門』です。危うく見落として通り過ごしてしまう所でした。 戦前は、正殿などが国宝であったとの事ですが、もちろん、現在は建物や城壁は復元されているので『世界遺産』ではありません! 釈然としないまま、歓会門、瑞泉門、漏刻門を通って広福門を抜けると左側が券売所になっていました。 ここから先が有料施設です! そのまま、帰ってもよかったのですが、折角、入場券を買ったので、奉神門から御庭(ウナー)に入りました。 中に入ると、ここでも昔の冊封使さながらに外国人の観光客が記念撮影を楽しんでおられました。 余りの喧騒に霹靂して、早々に正殿を見学して久慶門から退散して、王陵、識名園、斎場御嶽と世界遺産を巡りましたが、どこも観光客でいっぱいでした。 |