ID | 3469 |
名前 | 単身赴任12年目 |
コメント | 昔から城大好きで、100名城に限らずテーマを持っていろいろ巡っています。スタンプ集めではなく、ペースは遅くてもひとつひとつの城をじっくり調べて、何度も訪問して、城の全貌と城主、家臣・領民とのドラマが感じられたら良いなと思っています。 |
登城マップ |
川越城 2012年8月4日 | スタンプラリーでは川越城が初めての登城です。 関東の英雄、太田道灌が手掛けた城ですが、江戸期は徳川幕府の老中が住んだ城という事で、関東の譜代共通の質素な土の城です。 博物館でジオラマ見たら、これは最初から大規模な戦闘は想定して造って居ませんね。 例えば復元の中ノ門掘も旧来の弓矢仕様で、土塁は攻め手側の方が高かったりします。 太平の世に、見栄で頑強な城を造るより、用水を引いて領地を拓き、運河を掘って、近郷の物資を集め、江戸への供給拠点として城下が繁栄すれば、民心も治まる… ん? 藩主は? 松平伊豆守信綱… なるほどね、納得。 平和時の城の在り方の代表で100名城ですね。 |
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鉢形城 2012年8月25日 | 2城目は同じ埼玉の鉢形城、北条の猛将氏邦の拠城です。 寄居駅から歩いても近いのですが、寄居は城下ではないので、クルマにしました。 猛暑の土曜日、貸切かなと思いきや、家族連れがワンサカいました。 子供の頃から地元の古城に親しむのはとても良い事ですね。 さて城。 荒川と支流の深沢川が刻んだ段丘上にあって、まさに天然の要害です。 山内上杉時代の弓矢の頃はそれだけで良かったんでしょうが、北条の代に武田信玄や上杉謙信に攻められ、弱点の南と西側に相当アタマ使って曲輪を配置しています。 石垣を重ねて高低差を挽回した西向きの高土塁や幾重にも水掘を配した南西部の曲輪群。 南外曲輪の土塁も壇上の幅が異様に広くて、鉄砲の連射もできそうです。 馬出しの配置は絶妙で、大軍で総掛りに力攻めしたら、逆に相当損害出すでしょうね。 北条征伐の時も、前田利家、上杉景勝、真田昌幸、本多忠勝らの名だたる猛将が、10倍の大軍で一ヶ月囲んで落とせず、秀吉にド叱られてます。 長い戦国時代のノウハウを集大成した感じの実戦的な名城と言えるんじゃないかな。 |
金山城 2012年9月15日 | 4城目、金山城は初登城です。 関東平野の北の端にボコンと突き出た独立峰にある山城だけど、山上の尾根に駐車場があって、誰でも手軽に登れます。 まず麓のガイダンス施設に寄って展示から基礎知識を得て、職員のお姉さん(ここ大事!)にパンフレットを戴いてから登城です。 駐車場から徒歩で登り始めると、ボランティアガイドのおじさんが声を掛けてくれて、いろいろ説明してくれました。新田一族の城という事で、渡良瀬川の向こうの足利氏との関係を尋ねたら、手作りの系図を出して詳しく教えてくれましたよ。 城は鎌倉時代からの歴史があり、山全体に曲輪を配してて完成度高い城です。 最終的には北条氏が手を加えてて、工夫の跡が伺えます。 ガイダンス施設も城内も、すべて無料です。職員もガイドさんも多く、整備も行き届いてるのに…。太田市のみなさんが先人の遺産を誇りにして、大切にされてるんですね。 歴史の舞台で大きな役割は果たしてないんだけど、景色もイイし、家族連れやカップルが多く集まってて、ほのぼのしました。 ある意味現代になお活きてる城です。 |
佐倉城 2012年9月29日 | 5城目は千葉の佐倉城。 徳川秀忠の片腕だった土井利勝の城です。 創業期の幕府の基礎固めをした、高名な大名だと思うのだけど、銅像は最後の藩主堀田氏(正睦)なんですねw 江戸にほど近い、譜代の城という事で、あまり期待せずに登城したのですが、なかなかどうして、14万2千石の石高にふさわしい、堂々とした広大な縄張りです。 お約束の土塁+空堀主体の城なのですが、木々に覆われて見えにくいけど、本丸周辺の空堀の深さはハンパじゃないですよ。 城跡全体が散歩コースとしてよく整備されているのですが、もう少し城の遺構も力を入れて整備して貰えたら、城としての格が上がるのにと思い残念です。 古写真を入れた、門や櫓跡の看板は往時をイメージしやすくてgoodです。欲を言えば、お城だけのパンフレットも作って、単品でもPRして欲しいものですね。 敷地内にある国立歴史博物館は「なぜここに有るの?」と思う様な、本格的な博物館で、たっぷり2時間費やしました。 子供も楽しめる展示と、値段も大人¥450と安いので、絶対オススメです。 |
武田氏館 2012年10月20日 | 今日は甲州遠征です。 まず7城目になるのは、武田氏館。 中世の豪族の居館を大きくした構えで、名門甲斐源氏の武田氏が代々住んで、時代に合わせて拡張・強化して来た感じが伝わって来ます。 本丸周囲の堀の深さなんか、なかなかのモノですよ。 御殿跡に立派な武田神社があり、地域と密着してるので、本丸遺構の復元・整備は難しそうですね。 大手口のの土塁などを復元してますが、武田?徳川?どのタイミングでの復元遺構なのか、単なる市民公園なのか、狙うテーマがハッキリしません。 北側は手付かづなのか、ひどく荒れてます。 甲府市のみなさん、甲府といえば信玄でしょう? 宝物殿は小さいながらも、さすがに展示物の質がイイです。 特に武将の甲冑には特有のオーラがあって、武田軍団に勝るモノはありませんね。 贔屓の高坂弾正や討死にした時に着てた山本勘助の甲冑の前では、しばし時間を忘れてしまいました。 |
甲府城 2012年10月20日 | 続いて8城目は、当然甲府城。 こちらは城歴としては新しい城で、戦闘で血を吸ってないし、気軽な登城です。 ほぼ徳川以降の甲斐国の中心だけあって、一二三段の本格的な石の城でした。 武田氏滅亡のあと、何人かが築城に取り組んで、最終的に完成させたのは浅野長政なんですね。 寧々さんの義弟だけど存在感薄くて、分家の内匠頭長矩以外は特に目立つ事も無かったけど、イイ仕事してます。 城は洋風建築等の余分な物も有りますが、門や塀はよく復元されてて、当時の城内を歩いてる雰囲気を味わえる、数少ない貴重な城です。 ガイドのお姉さんお奨めの関東一の高石垣も見所です。 石垣は打ち込み接ぎとはいえ、やけに小石が多い気はしますが、盛んに補修をしてる最中で、これが建物の復元につながれば良いのですが…楽しみに待ちましょう。 でもあの山、気になるなぁ…。 |
小諸城 2012年10月27日 | 今回は1泊2日の4城ツアーで、まずは9城目、小諸城です。 山本勘助による、千曲川沿いの段丘で垂直に深く削られた谷を上手く堀に利用した、絶妙な縄張りです。 低い土地にあるから「穴城」と呼ばれてたらしいけど、門を開いて討って出ない限り絶対負けないから「穴城」なのでは? って感じがします。 武田氏滅亡後に、それを今の様な石垣の城に完成させたのは、仙石秀久です。 権兵衛さんは豊臣時代の人だから、基本は野面積みだけど、苔むして孕みも酷い何とも味わいのある石垣群であります。 入り口の徴古館は、最後の藩主牧野家の展示が主だったけど、遺品が豊富です。 城内には小諸に住んだ島崎藤村の記念館があり、本丸横の広場では菊の展覧会なども催されていました。 小諸なる古城…の静寂を背景に、文化の香りが濃くて、落ち着いた大人の散策が楽しめます。 お気に入りの城がまたひとつ増えました。 |
上田城 2012年10月27日 | 続いて10城目は上田城。 何か地域のイベントで観光駐車場に停められずテンション下がりました。 観光客の多い休日にやらなくても…ね。 ここは真田親子の奮戦の城として知られる通りですが、案の定、おもてなし隊は幸村+真田十勇士の演出でした。 史実の舞台で、ミーハーな架空のヒーロー設定とは… また幸村さんのキャラが今風で、チャラいこと…幸村さんが化けて出てブッタ斬られるよw 城はといえば、第二次上田合戦のあと徹底的に破壊されたので、真田の縄張りではありません。 少し後に小諸から仙石氏が入って、石垣を積んで櫓を建てて、再建・整備したんですね。 武家諸法度後の外様の築城だから、こんなもんかなぁ…。 真田昌幸特有の、条件反射の隙を衝くような高度な遺構は何もなく、変哲の無い直線基調の平城です。 しかし、仙石氏はすぐにまた丹後の出石に転封になります。 秀吉に近い大名とはいえ、なんだか、城造りだけに活用された不遇な大名ですね。 |
松代城 2012年10月27日 | 11城目は松代城。 真田氏の終の城ですが、個人的な想いでは高坂弾正昌信の海津城です。 周囲は開発が進み、往時の水の城の雰囲気は損なわれてるものの、土塁や石塁の復元はイイ感じを保って、櫓台に立ってほど近い妻女山を見上げると、「鞭声粛々…」の頼山陽の七語絶句が聴こえてきそうです。 城をぬけて、城下に脚を運んでみると、真田時代の良い雰囲気の武家屋敷が広がります。 ここのテーマは、やっと出てきた信之さんw 兄弟でも名声を残して討死にした幸村に対し、敢えて家を守った信之さん… もっと評価されて良い武将です。 文武学校では観光ではない、地元の人達による槍術教室と弓術の練習が行われていました。そういえば硫黄島玉砕の栗林中将も松代の人だったな…。 変に観光地ナイズさせず、歴史と文化に振った街づくりには好感が持てます。 駐車場に向かうため城に戻ると、夕日が妻女山に沈みかけていました。 敬愛する信玄を亡くし、長篠で同僚にも先立たれ、名門武田家を一身に支えてた晩年の高坂昌信は、どんな思いでこの夕日を眺めてたんでしょうね。 |
春日山城 2012年10月28日 | 12城目は日本海に出て、春日山城。言わずと知れた上杉謙信の本拠地です。 あいにくの小雨まじりの強風が吹く悪条件の中、強行登城です。 登山が大変だというカキコミが多かったので、八王子城並の重装備ですw 最初の目標の直江兼続邸跡まではかなりの急坂で、「こんな日にこんな所に来とうはなかった…」とギャグ言いながらの登城でしたが、その後は意外に平坦で、すぐ上の毘沙門堂に続いてその上が本丸という感じで、なんだか拍子抜けw 八王子の半分以下の難度だけど、本丸からは頚城平野から日本海まで一望でき、今まで訪れた城の中では最高の眺望が疲れを忘れさせてくれます。 資料では根小屋を持たず、家臣の屋敷が本丸を中心に郭として配され、まさに全山城郭の大きな山城だけど、変な手の加え方をしてないので、いろいろ妄想を膨らませながら楽しく歩けますよ。 紅葉には少し早かったけど、これから降雪までの期間、山歩きには最高でしょうね。 ともかく一部しか見れなかったので、再訪の要ありです。 |
箕輪城 2012年11月18日 | 木の葉が落ち、蛇や蜂も眠りについて、いよいよ山城シーズン到来です♪ 13城目は群馬の箕輪城にしました。 関東管領上杉憲政の臣で、憲政が越後に逃げた後も上州で頑張った、長野業正の城です。 武田信玄が何度も攻めて落とせず、ついに上洛タイミングを逸した原因とか。 業正は死に際して、外部に秘すように厳命して逝き、信玄も五年も気付かなかったそうです。 「おのれ業正、五年の長きにわたりこの信玄を謀りおって!」…と怒ったかどうか、すぐに攻め落としていますね。 さて、城ですが、 当時としては未曾有の土木工事ですね。 堀の幅と深さは規格外でもうビックリします。 縄張りとしては、長野氏の後にも北条氏邦や井伊直政が入ってるから、どの時代の遺構かは定かではありません。 堀底をじっくり歩いて見ましたが、スケールのデカさを体感できます。 重機が入ってどんどん整備が進んでて、全貌が現れる今後が楽しみです。 今は全体が杉木立に覆われてて、風が吹くと杉枝の爆撃を受けますから、帽子かぶって行きましょう。 |
足利氏館 2012年11月18日 | 14城目。 足利氏の祖、源義国が築いた館の跡だけど、早い時期に邸宅は移転され、お寺を勧進して七百年くらいで、今もお寺で続いています。 国の史跡指定され、対象になる外郭の堀も土塁も懸命に維持してるんでしょうが、コンクリートで固めた石垣にはガッカリです。 お寺自体は歴史のある貴重な建造物なんですが、武田氏館以上に、これは城跡として親しむのはちょっと難しいですね…。 百名城のメリット、愛好家にもお寺にも何も無いんじゃないかな? 少なくとも、お寺側に熱さは感じられませんでした。 因みに、お寺になったのは足利尊氏の七代前で、父祖の地とはいえ、尊氏は鎌倉の屋敷で生まれ育ったから、足利の地は踏んだ事が無いそうです。 立派なお寺で、境内の伽藍と大銀杏はほんとに見事でした。 |
山中城 2012年12月29日 | 年末の帰省ついでに登城しました。 築城名人の北条氏が秀吉の来襲に備えて、持てる技術の粋を集めて完成させた城です。 秀吉の大軍の前に鎧袖一触で破られたイメージだったのですが、実際に城跡に立ってみると、急坂を登って来る東海道を鶴翼に包む立地も縄張りも100名城に相応しく巧妙かつ堅固で、その闘いの激しさが伺われます。 城側が全滅したのはもとより、秀吉側先鋒の一柳直末も討死にしたんですね…。 4千対7万の闘いで数時間での落城ですが、内実はよほど犠牲を厭わない力押しの攻めだったんでしょうね。 山中城といえば、綺麗に復元された障子掘が有名ですが、全体に戦国の山城の特徴がふんだんに盛り込まれていて、それがほぼすべて復元されています。極端な話、土塁に柵を結い逆茂木を並べたら、すぐにでも戦闘できる状態です。 他の埋もれた山城で妄想ふくらます時のモノサシとして、こんな城があるのは有難い。 とても学習価値の高い城です。 |
長篠城 2012年12月29日 | メチャ混みの新東名を避けて、山越えで新城に出たら、国道沿いに長篠城がありました。 徳川の家臣奥平貞昌が僅か500の兵で、一万五千の武田軍の攻撃から守りきった堅城です。 年末と言う事で資料館は休館で、パンフ貰えなかったけど、ある程度の基礎知識があれば、城内至る所に看板があって、そう不便さは感じませんでした。 無敵の野戦に比べ、攻城戦の下手な武田軍というのは定評?ですが、豊川と宇蓮川の断崖にある長篠城は、まさに難攻不落の要塞の感アリアリです。 実際の攻め口となる、平坦な地続きの北側は市街化が進み、遺構もハッキリしませんが、総構えのすぐ外に小高い山があるし、どんな仕掛けで攻撃を防いだのか、興味津々です。 たぶん、織田軍との直接対決を前に、損耗を避ける戦術だったのでしょうね。 誰も行かない様ですが、二ノ丸から線路の踏み切りを越えて下って行くと、野牛郭と突端の断崖に行けて、足のすくむ景色が見れます。 足元は悪いし柵も何も無いから、子供連れや年配の方はやめた方が良いですが。 |
岡崎城 2013年1月5日 | 新年初登城は徳川家康が生まれ育った岡崎城です。 何度か来た事のある城ですが、毎回確実に整備が進んでいて、武将隊も10名以上の豪華版で、観光客の人気を集めてました。 空堀の底も雑木の類がきれいに刈り取られてて、往時の城の姿が垣間見えました。 神君の威光なのか、江戸期の中小の大名の城としては立派な良い城で、縄張りの遺構もよく残っています。 何より岡崎市民に愛されて、シッカリ整備されてるんがイイですね。 今後は櫓や門、塀などの復元に力を入れてもらえば、東海随一の名城になるかも。 |
掛川城 2013年1月5日 | 出張族〜単身赴任になって10数年、東海道新幹線からいつも見える掛川城の姿は、何回見た事か…いつの間にか代表的な城として脳裏に焼付けられた感があります。 ボコンと突き出た小山の上にある、小ぶりで優美な天守は、浮世絵風でもあり、温暖な遠州の田園風景とマッチして、まさになごみの風景です。 なんだかあんみつ姫が住んでそうですよねw 本丸北側の石垣には絶句しますが、他は綺麗に整備されてて、係員の方々の応対も丁寧で、訪れる者にとって気持ちの良い城です。 展示物に「山内家寄贈」の物がたくさん有りました。 土佐に国替えになっても、掛川は特別な地だったんですね。 |
小田原城 2013年2月16日 | 北条氏シリーズのトリで、小田原城に行って来ました。 関東の百名城では唯一、天守建築があるお城です。 しかし… 遠目には立派でも、復興天守の構造は全然ダメですね。 何より、天守を見下ろす無防備な裏山がある城って熱海城並みですw 北条の巨城をミニマイズしたのは仕方ないけど、本丸の位置が違うでしょう…。 これを城と評価するには、大きな違和感というか抵抗があります。 城下から見ると立派な堅城に見える、平和な時代の御殿…という事かな。 ちょうど御用米曲輪の発掘調査の見学会で賑わってたので、参加して観ました。 こうゆうの、昔は年配者ばかりだったのに、今は若者が多くて人数も凄くて、嬉しいですね。 江戸期の城の地下に北条氏の『戦国一の難攻不落の巨城』の主要な郭が眠ってるみたいで、今までの説が覆るかも… という説明でした。 やっぱり小田原の人達にとっても、小田原=北条氏ですねw |
高遠城 2013年4月27日 | 久しぶりの百名城です。 中央道で桜がまだ残る伊那路に高遠城を訪ねました。 高遠の桜はもう終わってましたが、桜の名所らしく広大な駐車場が用意されてて、楽に駐車できました。 高遠城主といえばまず武田の名声を守った仁科五郎盛信ですが、今は会津の藩祖保科正之のほうが著名ですね。 内藤氏の頃には、役者の生島を大奥に連れ込んだ疑惑で、絵島が軟禁された囲い屋敷もあって、時代毎にエピソードは盛り沢山です。 城は河岸の要害にありますが、水堀やさしたる石組みもなく、戦国の平山城をあまり改造せずに使った感じで、山上の平坦地を空堀で区切った様な比較的単調な構造です。 城としてより公園整備が進んでて、遺構の建物は殆んど無く、沢山植えられた桜の枝葉で見通しも悪く、城好きにはちょっと残念な整備かな。 |
駿府城 2013年5月6日 | 家康の隠居城として知られる駿府城ですが、さすがに天下普請だけあって広大です。 大阪、名古屋に続く東海道の要の城として、かつては偉容を誇ってたんでしょうね。 現在は中堀の内側が駿府城公園として保存され、堀幅と石垣の高さは劣るものの、権力者の城の雰囲気は十分窺えます。 惜しいのは旧陸軍が駐屯する際に内堀と本丸を破却して更地にしてしまった為、天守台を含め本丸の遺構はありません。 それでも内堀の一部が発掘されてて、ただの広場でも妄想できるのは有り難い事です。 西端の未申櫓の復元工事が進められてます。 二ノ丸御門あたりの石垣の孕みがひどく、こちらも修理が必要に見受けられます。 立派な城は維持も大変ですね。 駿府といえば、今川氏の館の上に建てられてる筈ですが、今川氏については何も触れられていません。 小田原の北条氏とは対照的ですね。 |
八王子城 2013年5月11日 | 再登城したので、書き直します。 今回は城の規模を感じるために、外郭の尾根から本丸に至るルートです。 御主殿の下から城山林道を遡って行くと、30分ほどで総構えの西端の尾根道に出ます。 昔はここから甲州街道を見張ったそうですが、現在は樹木が邪魔して見通しは利きませんが…。 そこから尾根を北上して、富士見台を過ぎるとすぐ、詰城に行く分岐があります。 詰城へは下り坂主体の嶮しい道ですが、15分で大堀切に到着。 大堀切を通って反対側に登れば「天守跡」と呼ばれてる詰城の主郭部分でした。 ここは本丸以上に手付かずで、殆どの遺構は山林に埋もれてますが、それだけに落城時の状態にタイムスリップした感じです。 尾根道に沿った北斜面には兵舎の曲輪跡が点在し、南斜面には綺麗な竪堀も確認できます。 絶望的な戦況のなか、防御用に急いで積まれたであろう石積みからは、篭城兵達の汗と息使いが感じられますね。 登山装備になりますが、最後まで戦い抜いた山城の醍醐味満喫です。 |
白河小峰城 2013年5月18日 | 今週は福島3城めぐりです。 最初の白河小峰城、 初の登城ですが、石垣の惨状は想像以上ですね…。 小ぶりな城ですが、品良くきれいな三層天守を持つバランスの良い平山城だと思います。 堀の幅もあり、石垣も高くて、百名城の名に恥じない立派な縄張りです。 ぜひ城内に入ってじっくり見たいものです。 堀端をグルリと一周歩いて見ましたが、崩れた石を一時保管してる場所があり、壮観でした。 崩れてなくても、解体修理が必要な石垣も目立ちますね。 大変な仕事になりますが、頑張ってください。 おもてなし武将隊ではありませんが、集古苑で甲冑姿の丹羽長重公と松平定信公に遭いました。 二人だけでしたが、年齢は他の城の八人分くらいありそうで、少し気の毒でしたwww 暑いなか奮戦お疲れさまです。 内堀の風情は田沼の様で、魚がたくさん居ましたよ(爆) |
二本松城 2013年5月18日 | 白河に続き二本松。どちらも会津の支城的な役割が多かったのですが、二本松城は歴史上によく名の出る堅固な城…のイメージで登城です。 ところが、標識や看板の標記はすべて「霞ヶ城」なんで迷います。 なんとか駐車場に着いて、新築の箕輪門をくぐり天守台めざして登り始めましたが、暑いくらいの好天なので飲料水を買おうと、売店をを探すものの全く見当たらず、結局また城外のかなり下の市街地まで降りて自販機を見つけました。 立派な公園だけど無人で何も売ってないので、これから登城をする方は脱水症にならぬ様、事前に準備ください。 はるばる訪れる者の身になれば、こんな整備は無いんだけどね…。 折れそうな気持ちを押さえ、また登り始めます。 戦国期からの幾重にも重なる土塁や堀切など、興味深く見ながら登るとテンションも戻り始め、30分くらいで本丸の石垣が見えました。 予想以上に大きく、高い立派な石垣がきれいに積んでありますが…。 復元のはずが真新しい石材ばかりで、これって平成の城ですか??? 歴史を感じない城の石垣って…。 テンション下がるので、早々に会津に向かいます。 |
会津若松城 2013年5月19日 | 前日は西郷頼母邸を見て郊外の東山温泉で一泊して、やって来ました会津若松城。 混み合う事を前提に、朝の開城時間に合わせて登城です。 自身2度目ですが、西の姫路や熊本に対する東日本の城の雄ですね。 松平氏23万石の城と思いがちですが、その前に蒲生氏郷が大改築して、上杉景勝が整備した120万石の城ですから、規模も格式も風格もそれなりのモノを感じさせます。 堀は広く、石垣も高く、赤瓦が似合う6層天守もキレイですが、この城が人の心を強く惹きつけるのは何と言っても数々のドラマを抱えてるから…じゃないでしょうか。 ハイライトはやはり戊辰戦争です。 名城がコケ脅しに終わらず、持てる機能を100%発揮した数少ない例で、武士の尊厳を賭けたたくさんの生死を厭わぬドラマが生まれ、極限の人間史として語り継がれます。 今もたくさんの人達が絶えずここに立って、それぞれに想いを馳せる所以でしょうね。 堀にアロワナみたいな魚が泳いでました。何だろうこれ? |
名古屋城 2013年6月2日 | 名古屋城。子供の頃に一番好きだった城です。 覆い被さって来る様な巨大な大天守と軍資金の象徴の金鯱はもとより、広大な城域は大砲戦を想定して縄張りされ、広い水堀は鉄砲の有効射程を外す距離を持ち、渡って来る敵は高い石垣上から狙い撃ち…。この後には築城技術の発達が無かった事を考えると、日本の城の最終完成形で、徳川大坂城と並ぶ最強の城じゃないでしょうか。 この城に二万の兵力は、西国の外様雄藩にとってさぞかし脅威だった事でしょう。 しかし、惜しい事にこの城にはドラマが無いんですね。 家康が天下普請で造らせ、愛息の義直にポンと与えた城。 藩士や領民の血と汗の結晶でもなければ、命を賭した戦いがあったわけでも無く、微妙な存在の巨城です。 唯一の戦いの機会は幕末にやって来ますが、尾張藩に戦意も徳川の意地も御三家の誇りも最初から無く、愛着の無い城は自らの保身の為に、金鯱ともども新政府軍にポンと差し出されたのです。 主に恵まれなかった最強の巨城の悲哀ですが、現在は市民の宝として見事に復活し、観光地としてたいへん賑わってましたw |
江戸城 2013年7月13日 | 追加登城の書き直しです。 江戸城の全貌を体感するため、三十六見附を三日がかりで踏破しました。 江戸城は、本丸を中心にのノ字形に堀が巡る縄張りです。 堀を渡らずに攻め込むには、大名や旗本の屋敷が並ぶ郭を幾つも撃破して行かなければなりません。 堀には日常の便のために橋が架かり、内側を門で固めてありますが、枡形を持つ主要な門だけで36在ったそうで、俗に江戸城三十六見附と呼ばれています。 さて、歩いて見た現状の姿ですが、主郭部(皇居)の門として健在で機能している門もあれば、跡形なく撤去されてる門まで様々です。 牛込(飯田橋)から赤坂にかけては、土塁も含め石積み遺構が比較的残ってますが、海側は痕跡すら無いのが殆どですね…。 そんなエリアでも、首都高のガード下に常盤橋見附を発見したのは嬉しかったw よく遺してくれてました。 |
熊本城 2013年7月18日 | 仕事のついでに登城して来ました。 3回目なのですが、本丸御殿や飯田丸五階櫓など建物の作事が進んでて、なんか凄い勢いを感じますね。 石垣の豪壮さと造形美は周知の事ですが、復興再建のコンクリート天守も木造時の外観を忠実に再現してて、石落しや鉄砲挟間の角度など、随所にコダワリの仕上げがなされてるのは嬉しい限りです。 これも宇土櫓が大切に維持されてるのが大きいのかも知れませんね。 建物にはもれなく案内の職員が居て、気軽に質問に答えて貰えます。 ボランティアガイドに有りがちな、過剰な自慢や知識をひけらかす事もなく、丁寧に判りやすく教えてくれるのには好感が持てます。 さすがに洗練されてますね。 日本を代表する名城だから観光客は多いけど、夏休みだからか、歴女比率も高くて、華を添えてましたw |
松江城 2013年8月13日 | お盆休みに家族旅行で訪問しました。 二度目ですが、木造での櫓や門の整備が進んでて、堀には渡船風の遊覧船が行き交い、松江市も力を入れてますね。 『松江城を国宝に』との幟旗がたくさん有りましたが、茂助さん以来の戦国の現存天守は規模といい、特異な柱構造といい、間違いなく国宝級の価値を感じます。 復元建物も正統な造り方で、文化財としての整備ですね。 修復した石垣に新しい石材が多いのは、明治以降に何かに転用したからかな? 違和感といえばそれくらいなので、粘り強い活動で国宝認定を勝ち取って欲しいものです。 |
月山富田城 2013年8月14日 | 翌日は山陰の雄、尼子氏の拠城月山富田城、松江からクルマで30分くらいで到着します。 難攻不落の天然の要害…とは良く使ってしまうフレーズですが、ひと目で度肝を抜かれるくらいの城は、岩殿山とここくらいではないかなぁ。 月山山頂の本丸に籠られたら、長期の兵糧攻めしか打つ手は無さそうですね。 尼子といえば義の武将 山中鹿之助ですが、やはり立派な銅像がありましたw こちらは『鹿之助を大河ドラマに』らしいです。 キャラ的によく似た、上杉家の直江兼続が採り上げられてますからね…どうなる事やら。 折からの酷暑で、家族連れでもあり、後の事を考えて、今回は山中御殿までとしました。 ここまでの根小屋エリアって、吉川元春と茂助さんの時代に整備された遺構といわれてるから、尼子氏の遺構は次回にお預けです。 |
水戸城 2013年10月27日 | 久々に百名城に戻って、水戸城に行って来ました。 城らしくない…と評判の芳しくない水戸城ですが、まずは弘道館の受付でスタンプ押して、売店のおばちゃんとしばし水戸藩の人材談義をしてから、お城見学です。 那珂川と仙波湖に挟まれた台地を空堀で区切った、戦国期の匂いの濃い城構造ですが、比高差15mくらいかな? かなり堀が深く感じ、幅もあり、完全に鉄砲仕様です。 また土塁にしては角度が急で、特に本丸西土塁なんか断崖で、こんなもん登るの絶対無理だし、石垣が無い(要らない)のもうなづけますね。 再度、弘道館に戻って、ガイドのおじさんからいろいろ情報収集。 家光将軍の時期には一度石垣を積む計画があったそうです。 見映えから城門周りを石造りにするつもりだったのかな? しかし水戸は地勢上、攻めて来る相手が思い浮かびませんよねw 建物はあまり現存せず、跡地も学校が幾つも建ってて、城らしさは薄いかも知れませんが、地形はほぼ手付かずで残ってるので、妄想族には見どころ満載でした。 規模の大きさ、土塁の高さ、嶮しさで現存する土の城の王者だと思います。 |
多賀城 2013年11月9日 | 次は東北本線で多賀城に登城です。 平安期の城跡で、国府などの政庁の機能ですが、登城のテーマは蝦夷との戦いの拠点としての多賀城です。 広大で遺構の少ない城跡ですが、百名城ツアーの団体も居て、意外な賑わいでした。 戦闘の機能は地形から見て政庁跡なのかな…と思います。 比高差のある台地を築地塀で囲ったエリアですが、北側はほぼフラットな地形で、しばらく探しても、防御の遺構の痕跡は残念ながら確認できませんでした。 大和朝廷と蝦夷の戦いも多くのドラマが有りとても深いので、脚が抜ける間にサラリと終わりにしますw 国府多賀城駅の隣りに歴史博物館があり、此処は原始から近代までの総合博物館ですが、ガラリ視点を変えて、敷地内にある今野家住宅を訪ねました。 江戸期の庄屋の住宅を北上から移築したものですが、気さくで親切なガイドさんに当時の農家の暮らしを、囲炉裏にあたりながら教えて頂き、貴重な時間を持てましたw |
仙台城 2013年11月9日 | 今回はJRの週末パスで東北の4城+αを巡ります。 秋晴れに恵まれた土曜日、最初の登城は仙台城です。 要害地形を利用した平山城で、二方を断崖の谷が走り、なだらかな大手側には堅固な高石垣と水堀を配し、尾根続きの北側は大きな堀切で遮断しています。 本丸からの眺望は絶景で、規模も含め東北の雄伊達氏の拠城として申し分ない縄張りです。 残念なのは前田、島津同様に天守が無い事。 現存の名城が織豊期の遺産で、50万石クラスの大名の作品だと思うと、まともな城を持てない譜代の小大名が実権を握った背景が有るとはいえ、更に大大名の三家に頑張って貰えたら、江戸城に匹敵する凄い天守が見れただろうな…という気持ちになってしまいますねw ちょうど昼時になったので、城内の店で牛タンをいただきました。 名物に旨いものナシと言うけれど、仙台の牛タンだけは絶品ですねw |
新発田城 2013年11月10日 | 最後は米坂線で新潟に出て、新発田城に登城しました。 本降りの日暮れ時の登城で散々なコンディションでしたが、新発田城は山形同様、廃城後すぐに軍隊が駐屯した城跡で、外郭が綺麗に残ってるのが有難い城です。 特に復元の三重櫓はバランスの良い美しい櫓で、新発田の見所です。 隠れた見所としては、辰巳櫓から自衛隊の軍用車両の駐車場が見えて、マニアには嬉しいかもしれませんねw 新発田城は江戸期を通して転封なく溝口家が守った貴重な城ですが、溝口家の扱いが少なくて残念に思いました。 浪人した家臣の息子で、他家の養子になった堀部安兵衛が売りというのも寂しい気がします。 この後は新潟に移動して、名物へぎそばを食べて、上越新幹線で帰宅しました。 |
山形城 2013年11月10日 | 二日目は山形城がスタートです。 途中で雨になってしまいましたが、最上氏57万石(実高100万石?)の城だけに広大です。 最上氏が三代で廃絶となった後は半減の転封が続き、最後の水野家は5万石ですから、遺構の維持を求めるのは気の毒ですねw 近年復元の東門が綺麗ですが、なぜ鉄砲挟間が無いんでしょうね??? ともかく、個人的に最上義光という武将に惹かれるところが少ないので、米沢に向かいます。 米沢城は遺構自体は堀と土塁だけですが、上杉家の宝物は春日山でも会津でもなく、すべてここに有るんですね。 戦国武将を極めると、信玄と謙信に行き着く(…と思ってる)訳ですが、武田氏館と同様に、城内の上杉神社に宝物殿があり、毘と龍の旗印も謙信の頭巾も直江兼続の愛の甲冑も、すべて此処で見れますから、山形に来たら番外ながら是非寄って欲しい城です。 米沢から移動する駅のホームに干し柿が吊るしてありました。 おなかが空いたら取って食べれるのか、とても人間味のあるローカル色ですねw |
松本城 2013年12月28日 | 年末の皆が忙しくしてる隙をねらって、国宝:松本城に行って来ました。 俄かな城ブームで、なかなか近寄れない名城ですが、狙いが的中して、じっくり見る事ができました。 北アルプスに雪雲が掛かり、背景はイマイチでしたが、秀麗な複合天守の立ち姿はさすがに美しく、指折りの絵になる天守です。 中に入ってみると、槍鉋で仕上げた柱や梁が縦横に走り、鉄砲挟間も小さくて、コンクリート天守に無い、すべてホンモノの空間に感動します。 天守は特級品間違いなしですが、立派な平山城をたくさん見て来ると、どうしても高低差の少ない石垣や掘割に物足りなさを覚えてしまいます…。 武田家の信濃統治の中心だった深志城の頃から、大軍勢を容れて出入りをしやすくした城だから、平城の防御力とはこういうものなのかも知れませんね。 その辺の事をガイドさんに聞きたかったのだけど、迎春準備に多忙なのか見当たらなくて、階段の整理をしてたオジサンに聞いたら、松本城で攻防戦があった記録は無いそうです。 |
岩村城 2014年4月29日 | 新緑に包まれた岩村城に行ってきました。 日本三大山城のひとつで、標高の高さが一番だそうです。 戦国〜豊織〜江戸と現役で生き抜いた山城は山上に立派な石垣があるのが特徴で、ここもそう、石の運び上げの労を思うと凄い工事ですよね。 山上の本丸から山裾まで階段状に武家屋敷跡が続く、規模の大きな城ですが、詰め城となる本丸以外は江戸時代には放棄されてたのかなぁ? だいぶ荒れていますね。 百名城だから、自然に還すのも勿体無い気がします。 ここの前に寄った苗木城がキチンと整備されて活況を呈していたので、余計にそう感じます。 |
高取城 2014年5月3日 | GWのさ中、大和の高取城に行って来ました。 この城との付き合いは20年に及び、今回が6回目の登城です。 大和盆地から紀伊山地に入った、辺鄙な地にある山城ですが、初登城の時、“獣道”のような登城路を延々と登り、辿りついた果てに、草木に覆われた巨大遺跡が現れた時のインディージョーンズの様な感動と驚き。 『なんでこんな所にこんな城が…』という素朴な疑問からハマりました。 交通の要衝でもない地に、それも高い山の上に総石垣の巨城… 考えただけでもコスパ悪すぎです。 それを敢えて築いた豊臣秀長と、継承して管理人大名を置き、大切に維持管理した徳川幕府。 何かとてつもない戦略的価値がこの城には有りそうです。 まだまだ謎だらけですが、大和盆地が見渡せ、遠く大坂・京都も見えたこの地は山深い紀州山地を背負い、その山を抜けると太平洋の大海原…。中間仮説としては“大切なモノ(人)”を安全に保護して隠し、逃がす…という事かなと思っています。 三大山城と言われますが、断トツに巨大で価値のある城です。 |
盛岡城 2014年5月10日 | 土日を利用して、緑と赤の新幹線で北東北の4名城を巡りました。 まず盛岡で下車して『盛岡城』。 古くから東北を支配した南部氏の居城で、この地域では珍しい総石垣の城です。 岩手県のほぼ全域と青森県東部の広大な領地なのに、石高“10万石”にはちょっと驚き。米作には厳しい土地だったのでしょうね。 城は、北上川と中津川に囲まれた低丘を使って、梯郭式に石垣が築かれています。 石垣は打ち込み接ぎが基本ですが、どこか西国の大名が手伝ったのかな? 立派な石垣です。 南部氏が源氏の名族だから、協力する大名は多かったでしょうが…。 角石の算木積みの部分がはみ出して来てるのは気になりますね。 城内の植栽と整備もとてもキレイで、気持ちよく散歩できる城です。 |
根城 2014年5月10日 | 続いては、八戸で降りて『根城』に行きました。 南部氏の一族“八戸南部氏”の居城です。 江戸時代にも使われた城だけど、城として観ると、ずいぶん時代を遡る感じがします。 段丘を削って造った“崖端城”ですが、丘側の土塁や堀の状態がイマイチ不完全で、戦国時代の中規模な城といった感じですね。 戦いの部分はともかく、本丸に主要な建物が復元されてて、平時の生活の様子が見られる様になっているので、興味深く拝見しました。 逆に、それが無ければ、遠路はるばる行って見る価値を感じる城ではありません。 防御機能をしっかり復元してくれたら…と思います。 |
弘前城 2014年5月11日 | 夜に弘前に着いて、美味しいホタテ料理と地酒をいただいて、翌日は朝駆けで弘前城に登城しました。 この城の本丸は有料なのですが、7時に券売所が開いてる訳もなく、しかしゲートは開いてます。 しばし悩んだけど、“後払い”と決めて先行入場しますw お金を取るだけあって、この城の整備は素晴らしいものです。 観光地としての質は東北一じゃないかな? しばらく散策してから、チケット買って再入場。 岩木山の写真を撮ろうと、本丸北西の櫓台に向かったら、石垣ででかい“アオダイショウ”が日光浴中でした。 櫓台の東屋では地元のおばさん達が集会中だったので、見つけて驚かない様に教えたら、大パニックの大騒ぎになってしまいましたw 朝の静寂を愉しんでた方々、『ごめんなさい』 |
久保田城 2014年5月11日 | 弘前から特急“つがる”に揺られて、最後は秋田の久保田城です。 駅前の“竿灯”に対応した高いアーケドに圧倒されながら、歩いて向かいます。 水戸から転封した佐竹氏の城だから、関東人には親近感あるかもw まず訪ねた佐竹資料館では、しこたま買い込んだ名産品(主に酒のつまみ)で重くなったリュックを秋田美人の係員の方が快く預かって下さり、とても助かりました。 この城は“城址公園”ですが、遺構も少ないけれど復元され、一ノ門は新しいけど雰囲気ありますね。隅櫓は気の毒なので言及を避けますが、植栽が素晴らしく、花木を眺めながら気持ちよく城址めぐりが出来ます。 桜は終わってましたがツツジが満開で、沢山の人出で賑わっていました。 県外からの観光客が多かったかもw |
松阪城 2015年4月18日 | 蒲生氏郷の力作の松阪城です。 氏郷が会津若松に転出した後は豊臣の小大名がつないで、江戸時代は紀州徳川家の支城として明治維新まで残りました。 長い歴史があるから、いろんな時代の石垣を見る事が出来ます。 でもやっぱり氏郷の“野面積み”の天守台が一番すごいですね。 |
伊賀上野城 2015年4月29日 | 藤堂高虎の傑作のひとつ、伊賀上野城です。 西側の本丸高石垣が有名ですが、他の部分は意外と石垣が少なく、大坂の陣終結のタイミングではかなりの部分が未完成だった事が判ります。 ちょうど『忍者フェスタ』というイベントと重なって、そこらじゅう忍者だらけでした。 |
岐阜城 2015年5月17日 | 近場なのに行けてなかった岐阜城に登城しました。 城というより“宮殿”に近いメージイを持っていましたが、山のエリアはかなり堅牢です。 嶮しい分、籠もる兵士の数も限られ、水の手の弱点もあるから、囲まれたら降伏するしかない城です。 支城や他の連携する勢力の動きが戦いの成否を決める感じですね…。 ロープウェーで一気に登り、下りは“馬の背口”を歩きました。 これは凄かった! |
大阪城 2015年8月2日 | 猛暑の中の登城でした。 大坂城といえば太閤さんですが、現在あるのは徳川の大坂城です。 けど、日本の城の中で最後に造られた徳川大坂城。 しかも金に糸目はつけない天下普請ですから、最高の技術が見られます。 しかし、ここは日本か? |
一乗谷城 2015年8月8日 | 一乗谷城は正確には山上の詰め城の事で、著名なのは麓の常御殿跡と城下の武家屋敷街跡ですね。 こうした戦国武士の日常の生活の場が復元されてるのは珍しく、とても良い試みと思います。 観光客も多く訪れてるので、も少し大々的に… 例えば戦国食を食べさせる店とかやったらいいのに。 |
丸岡城 2015年8月8日 | 石瓦の城 丸岡城 野面積みの石垣と相まって、無骨な戦国の城を見せてくれます。 ただ現存天守とはいえ、国宝五城を観た眼には、やはり部材や加工の技には物足りなさを感じてしまいます。 素性が柴田勝家の一族が建てたもので、江戸時代も小規模な大名の城でした。 そうした真実に近いところを維持しているが故かも知れませんね。 天守以外は急ごしらえ感があるので、時間をかけてしっかり整備復元して欲しいものです。 |
金沢城 2015年8月8日 | 江戸時代最大の大名、加賀百万石前田家の居城:金沢城。 …にしては何もかもがショボイ。 一見、豪華な御殿の佇まいにも見えるのだけど、城を枕に闘うには、堀も石垣もすべてに小じんまりし過ぎです。 大大名なりの処世術なのかも知れませんが、気概の様なものを感じられない城でした。 |
七尾城 2015年8月9日 | 前田利家が居た事で知られる七尾城ですが、実際の遺構は少し前の能登守護職:畠山氏の城そのものですね。 前田氏の在城したのは4年で、入府後すぐに海に近い平地に小丸山城を築いていますし、 殆ど手は付けなかったのが史実でしょうね。 中世山城としては見応えのある名城です。 |
犬山城 2016年1月23日 | 寒い日の登城になりましたが、観光客はたくさん居ました。 さすが国宝の城ですね。 外国人(中国系)もたくさん居ましたが、彼等にこの城 解るんかね〜? |
彦根城 2016年6月30日 | 国宝の彦根城 城下に観光施設がたくさん出来てますが、場内はキチンと歴史復元がされつつあります。 文化財と観光が両立していますね。 |
津山城 2016年8月14日 | 巨大な石の要塞津山城。 城門は大きく、馬出しも広く…超攻撃的な縄張りが特徴です。 壮絶な戦働きで家を守った森家の家風を強く感じます。 |
観音寺城 2017年4月2日 | 高い山の上だから、車で登りました。 高い場所に石垣積みの小郭が密集する様は“ナチュピチュ”です。 城とは言いながら、虎口の防御施設や馬出し機能もなく、目的が違う気もしますね。 |
今帰仁城 2018年7月23日 | 広大な石積みの要塞。 本土の城がまだ土の城だった頃に造られた技術力に感嘆。 |
中城城 2018年7月24日 | 沖縄の英雄:護佐丸の傑作。 琉球の人達の想いとドラマを感じます。 |
首里城 2018年7月25日 | 琉球国の王府だった首里城。 石垣の完成度も高く綺麗ですが、観光地化され過ぎて城というよりも宮殿ですね。 |
明石城 2018年12月17日 | 明石海峡に面した海城 一国一城令のタイミングで新築された城で、廃城となった城の遺構を集めて造られました。 伏見城から移築の伏見櫓がイイ感じ。 |
姫路城 2018年12月17日 | 池田輝政渾身の姫路城。 大手門からの景観は大迫力です。 平成大改修後の混雑もやっと落ち着いて、行列もなくじっくりと見学できました。 |
赤穂城 2018年12月17日 | 浅野家の“赤穂浪士”一色の赤穂城。 5万石の規模に似合わず城域は広く、総石垣の立派な城です。 歴代大名にとって城が経済的な負担になったのは間違いない様で、近年に復元された遺構が殆どでした。 |
鬼ノ城 2018年12月18日 | 天平の昔の城址鬼ノ城。 日本の城の原型ですが、此処から規模の適正化や、構造の工夫が為されて行った訳で、感慨に浸れました。 |
岡山城 2018年12月18日 | 後楽園から見る立ち姿がとても美しい岡山城天守。 安土城や豊臣大阪城が無い今、望楼型天守の代表と言っても良い傑作です。 しかし、至近で見ると復元の手法を間違っているのは歴然で、金鯱の使い過ぎや、アルミサイディングの外壁にはゲンナリしてしまいます。 |
福山城 2018年12月18日 | 徳川譜代の城らしくない福山城、ここも廃城の遺構を集めた移築城です。 正統派の立派な城ですが、大手門周辺が駅になって潰されてるのは残念。 |
湯築城 2018年12月19日 | 鎌倉時代から伊予守護だった河野氏の居城。 道後温泉に隣接したこの地を選んだのは、当主が部類の温泉好きだったからだそうです。 |
松山城 2018年12月19日 | 松江城に続く国宝候補の松山城。 見所満載で満足度の高い城ですが、直登できる大手口の駐車場が閉鎖され、観光客は一般のパーキングに停めて、ロープウェイで登る様に仕向けられていました。 商業主義がはびこってるかも…。 |
高松城 2018年12月20日 | まだ新しい復元石垣とコンクリート建造物ばかりの高松城。 五感に訴えて来るモノを感じません。 門番や売店、公園管理の人達にも活気がありませんね。 木造天守の復元計画がある様ですが、その前にやる事がたくさんありそう。 |
丸亀城 2018年12月20日 | 石垣日本一を自負する丸亀城。 急激に立ち上がる高石垣の連続には圧倒されます。 今年10月の豪雨で石垣の一部が崩落し、立入禁止のエリアがありますが、芸術的な石垣を堪能しました。 |
今治城 2018年12月20日 | 一目で藤堂高虎作と判る石垣と掘割。 しかし、天守をはじめ建物には違和感があります。 職員にあれこれ聞いても、自信なさそうです。 |
徳島城 2018年12月21日 | 徳島城といえば蜂須賀小六。 しかし銅像は子の家政像で、普通の真面目なオッサン顔でした。残念。 独特な風合いの石垣が見どころ。 |