ID | 3464 |
名前 | ティルス |
コメント | 最近、100名城のことを知りました。 半分くらいは登城したことあるような... ともかく、コンプリート目指して頑張ります✌ |
登城マップ |
根室半島チャシ跡群 2018年10月13日 | 89城目 釧路から車で2時間。まずは北方領土資料館でスタンプゲット。 今日は天気が良く、隣のタワーからは北方領土が本当に近く見える。こんなに近いとは思わなかった。日本領というのがごく自然ですよ、これは。 次いで、チャシの中で一番整備されているヲンネモトチャシへ。 城跡を歩いてみたが、今一つ実感が湧かなかった。ドローンで上から見たら全貌がよくわかったかもしれない、背景の物語がない(知らない)ため、イマジネーションが不発だったことも原因の一つか。 |
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弘前城 2019年7月27日 | 90城目 石垣の修復のため、天守が従来の場所から本丸中央付近にお引っ越し中。 本当の姿でなく運が悪かったのか、はたまた今しか見られない姿を見ることができたのか。そこは前向きに捉えよう。 スタンプは無造作に天守の中に置かれていたので、よくありがちな百名城とは別の「登城記念スタンプ」かと思い、うっかり見落としそうに... 由緒ある現存天守の城なのだから、ちゃんと有人で管理した方が良いのでは? |
根城 2019年7月28日 | 91城目 歴史好きを自負してるが、恥ずかしながら「根城」は初耳。 聞いたことのない城が百名城に入っていると、例外なく素晴らしい城と相場は決まっているが、ここもご多分に漏れず、かなりの名城である。 中世の雰囲気が漂う堀と土塁、木柵、そして館。 それらがとても丁寧に再建されている。 まるでタイムスリップしたかのように、往時の様子がとても強く感じられた。 |
盛岡城 2018年7月4日 | 88城目 城の建物はほとんど残っておらず、石垣と縄張りで往時の姿を偲ぶ。 城内には、石川啄木、宮沢賢治、新渡戸稲造らの句碑、記念碑があちこちにあり、それらを巡るのも一つの楽しみか。 石川啄木の「不来方の お城の草に寝ころびて 空に吸われし十五の心」には少し感動。青春時代の啄木は、ここら辺に寝転がっていたのかなあ、とか、尾崎の十五の夜と通じるものがあるなあ、とか、いろいろと物思いに耽る。 啄木のお陰で、城の印象もかなりいいものになった。 |
多賀城 2017年7月4日 | 84城目。 国府多賀城駅から、徒歩で登城。 素直に矢印に沿って歩いていったのだが、草むらや未舗装の道を通らされ、いやはや、ショートカットして道なき道を行くのが好きな自分向きの案内だなと、妙に感心する。 あやめが咲く中を歩いて行くと、壺碑と呼ばれる、奈良時代の創建当時の碑が見えてきた。屋根付きの建物でしっかりとガードされていた。 その後、政庁跡をぶらぶら散策した。 奈良・京都から遠く離れ、ここから先は蝦夷の地・・・ 当時の兵士になりきり、お得意の空想に耽っていると、本当に心細い気持ちになってきた。本当に大変だったんだろうな。 |
仙台城 2017年7月4日 | 83城目。 地下鉄の国際センター駅から徒歩で登城。 蒸し暑く小雨も降る中、予想以上にきつい坂道で結構へばってしまった。 20分弱で伊達政宗の騎馬像の前に到着。ここからは仙台市街が一望でき、なかなか気持ちいい場所である。 江戸期の大大名の居城としては、少々山城っぽく意外な感じがした。 江戸、大阪、名古屋、広島、福岡など現在の100万人都市につながる城は、平城か、小高い丘・台地程度のものが多いのだが、唯一、仙台城のみ山城(分類としては平山城かもしれないが)。最後の戦国大名とも言うべき伊達家の武骨さを物語るものであろうか。 |
久保田城 2018年7月4日 | 87城目 駅から徒歩15分ほどで城の入口にある佐竹史料館へ。江戸期の藩主時代の展示品が中心。 もう少し、戦国以前の佐竹氏の説明が欲しかったが、まあ、関ヶ原の前は常陸にいたから仕方ないか。 城郭の一番高いところに御隅櫓が復元されていたので上ってみたが、木々が邪魔で思ったほど景色は良くなかった。 |
山形城 2017年7月4日 | 82城目。 山形駅から徒歩10分程で到着。 城郭はそれなりに残っていたが、城の建物がほとんどなく、堀の内側は、公共施設がいくつか並んでいた。 わずかに、東大手門や本丸大手門が復元されており、東大手門は中へ入ることもできた。 城の規模としては大きいほうだと思われる。 戦国から江戸初期にかけての最上家は50万石以上であり、それにふさわしい規模の城郭を構えたのであろうが、最上家断絶の後は、小大名が続いたようで、分不相応に大きい城を持て余したのではないだろうか。 |
二本松城 2016年7月31日 | 78城目。 駅から徒歩で登城しました。 まず、城の入口の戒石銘碑までひと山越えましたが、真夏の蒸し暑い午後だったのでこれだけで大汗。その後、本丸までの本格登山で、更に倍の大汗。 しかし、本丸からの眺めは最高に素晴らしかったです。惜しむらくは安達太良山が逆光で見にくかったこと。午前中の方が良かったかな? 二本松といえば、「独眼竜政宗」でお父ちゃんの輝宗を拉致したものの、政宗に輝宗もろとも鉄砲で撃ち殺された二本松義継を思い出しました(確か劇中では撃たれて死んだ輝宗を、義継が泣きながら刺してたっけ?)。こんな堅城の主だったんだね。少し見直しました(笑) あと、「八重の桜」で初めて知った「二本松少年隊」の像や碑がたくさんありました。白虎隊と同じく、中学生くらいの少年がここで大勢散っていったと思うと、本当に悲しくなります。 合掌。 |
会津若松城 2020年11月3日 | 97城目。 十数年ぶりの登城。屋根瓦が赤色になっており、少し驚いた。史実どおりに改修したのだろうと感じたが、やはりそうだった。 天守内は、会津の歴史に関する展示が豊富にあり、とても分かりやすかった。 特に、戦国大名の葦名氏が滅び、江戸初期に保科正之が領主となるまでのわずかな間に、有力大名が入れ替わり立ち替わり領主になっているのが、非常に興味深かった(伊達→蒲生→上杉→蒲生→加藤嘉明)。 |
白河小峰城 2016年7月31日 | 77城目。 いよいよ東北へ。 駅前から整備された地下道を通ってお城へ。 石垣が大震災からの修復中で、あちこち立ち入り禁止になっていましたが、三重櫓まで細い通路で行くことができました。 「白河の清き流れ」の松平定信が治めていたんですね。現地を訪れて再認識しました。 |
水戸城 2013年11月3日 | 41城目。1泊2日で、日光〜宇都宮(餃子)〜袋田の滝〜竜神大吊橋と周り、最後に水戸城というか弘道館に寄ってもらいました。 が、下調べが不十分で、弘道館は全面改修中… 外観も内部も全く見れず、辛うじて門があっただけでした。受付でスタンプだけ押して、そのまま帰りました。これで登城と言っていいんすかね? わざわざもう一度行く気にはなれませんが、近くに行くことがあれば、もう一度弘道館や付近の堀などの跡も見てみたいと思いました。 |
足利氏館 2012年4月7日 | 15城目。中世の館。堀はあるものの、石垣などはなく、大軍を防ぐための城ではないようだ。豪族同士の小競り合いを防御する程度のものか。 |
箕輪城 2012年4月7日 | 17城目。扇状地の梅林の中というロケーション。信長の野望で一応名前だけは知っていたが、関東の名城なので楽しみにしていた。巨大な空堀と本丸などのだだっ広い平坦な土地が印象的。 野望では山ノ内上杉家の居城になっていたが、ここはあくまでも上杉家を支え続けた長野氏の本拠地とのこと。勉強になりました。 |
金山城 2012年4月7日 | 16城目。これまでスタンプの良し悪しはあまり気にしていなかったが、ここはひどかった。山城とはいうものの、ハイキング(サイクリング)コースが整備されており、城に興味のない人も大勢訪れていたためか? 日ノ池近くの休憩所(無人)に置かれているスタンプは、はっきり言って壊れていました。 押そうとしてスタンプ帳に近づけた途端、ドサっとスタンプの先が落ちました。 「!!!!????....」 ギリギリ四角の中で上下左右も合っていたのが救いですが、肝心の「金山城」の文字は欠落。 石垣が奇麗に復元されており、良い城だなと満足していたのが、一気にブルーに。 その後すぐに取り替えられたようで、今でも少しもやもやしています。 |
鉢形城 2012年4月7日 | 18城目。こんないい城があったとは知らなかった。大河が急流に渦巻くところの崖の上に立つ要塞。絵になります。いかにも難攻不落っぽいです。登城後、対岸の河原まで降りて行って写真を撮りまくりました。 |
川越城 2012年4月7日 | 19城目。1日で5城は疲れました。駆け足ですが、一つ一つそんなに手は抜いていないつもりです。 戦国の荒々しい城をたくさん見てきたので、この城の本丸御殿には、何だかほんわかさせられます。一応、河越城も激戦を重ねてきた戦国の城なんですけどね。江戸期に大名の居城になったせいか、全然そんな感じはしませんでした。 |
佐倉城 2012年6月26日 | 23城目。石垣がなく土塁のみとのこと。地味だけど味があります。江戸期以降は、戦略上というよりは譜代大名の居城の意味合いが強かったのでしょう。 堀田正睦とハリスの像がありました。「日米修好通商条約」は不平等条約の代名詞として日本史の時間に叩き込まれましたが、ここでは条約締結に尽力した両者ともに称えられています。 当時のあの状況を考えれば、条約締結はやむを得なかったと思います。しかし、銅像(特にハリス)はちょっと..... 少し違和感ありました。 あと、スタンプの設置場所の管理事務所が分かりにくかったです。工事現場のプレハブ小屋かと思いました。 |
江戸城 2015年2月22日 | 59城目。 何の因果か、1年で最も行ってはいけない日に行ってしまいました。東京マラソン!! 二重橋前で内堀通りを渡れず、延々日比谷交差点まで歩いて地下鉄の出入口でやっと反対側に。そこから更に桜田門まで歩き、ようやく二重橋のところへ。疲れ果てました その後は、本丸や天守台を見て、北の丸公園でスタンプをゲット! こんなに苦労したのに、押し方が悪いのか、スタンプが悪いのか、両端が欠けてました(泣) |
八王子城 2015年3月21日 | 63城目 まずは御主殿を見学しましたが、曳橋が崩れていて跡かたもなくなっていました。残念! その後、一旦管理事務所まで戻って、本丸を目指して登山を開始しました。 事務所のおじさんは本丸まで40分と言っていましたが、頑張って20分で到着!まだまだ若いと自信がつきました(笑) ただ、御主殿で見かけた人が、すでに涼しい顔で八王子神社のところにいたのにはショックを受けました。 そういえば御主殿の奥の方へ歩いていっていました。管理事務所の人が険しいからやめておけといった近道を行ったのでしょう。自分も行けばよかったと少し後悔しました。 |
小田原城 2016年4月9日 | 76城目。 東京へ行った帰りに寄りました。 桜が満開で大勢の人が訪れ、大変混みあっていました。 残念ながら天守閣は、4月下旬まで改修中で中に入ることができませんでしたが、足場は完全に取り払われており、外観は普通に見ることができました。 ただ、小田原攻めを視覚的にイメージするには、天守閣から石垣山城の辺りや城下を見たかったな、というのがあり、正直少し物足らなかったです。 また来ることにします。 |
武田氏館 2015年3月21日 | 61城目 躑躅ヶ崎というと、どうしても中井貴一さんを思い出してしまうなあ。 ここに信玄公以下、山県、馬場、内藤、高坂らの武将がいたと思うと、本当にわくわくします。館の跡は工事中でしたが、今後、色々と復元していってほしいと思います。 |
甲府城 2015年3月21日 | 62城目 立派なお城です。 スタンプラリーを始める前は、甲府といえば戦国時代の躑躅ヶ崎館としか思っていませんでしたので、少し意外な感じがしました。 甲斐の国は、幕末は天領でしたが、その前は大名がいたこともあったし、お城がないわけないか。 |
松代城 2012年8月18日 | 27城目。近年復元されたようで、全体的に新しいです。ここでは、真田信之の波乱万丈の人生に思いを巡らすとともに、松代城=海津城なわけでして、川中島の決戦に胸を高鳴らせました。 |
上田城 2012年8月17日 | 25城目。信州上田おもてなし武将隊の歓迎を受けつつ登城。真田人気のためか観光客が多かったが、城そのものは期待したほどではなかった。暑かったので早めに切り上げました。 今更ながら、城の南側に位置する千曲川から城を見上げて、攻める徳川軍の気分を味わえばよかったかなぁと反省。次に登城する時はやってみます。 |
小諸城 2012年8月17日 | 26城目。三の門は立派でした。それ以外は、城というより庭園(懐古園)で、島崎藤村などの歌碑がありました。さすがに動物園や児童遊園は行ってません。 |
松本城 2012年8月16日 | 24城目。登城するのは幼い頃を含めて5度目になるでしょうか。 天守閣へ登ろうとすると、長蛇の列ができていました。30分待ちとのこと。多分建物に入っても、最上階に行くまでにかなり時間がかかりそうです。 これまでこんなことは一度もなかったのに、お盆の時期だから?それとも城(歴史)ブーム? 2年前もじっくり見たので、今回はスタンプがメインということでパスしました。 天守閣には登れませんでしたが、美しい城の外観に癒されました。 |
高遠城 2015年3月21日 | 60城目 桜シーズンの前でしたので、閑散としていました。 城中桜の木だらけであまり城の雰囲気はありませんでしたが、まあ、きれいだし、観光客もたくさん来るからいいか。 自分的には、とにかく武田家の殉じた信玄公の五男の仁科盛信の生き様が、格好良すぎると思いました。 |
新発田城 2020年11月4日 | 98城目。 地図で見て知ってはいたが、城の縄張りの大半を自衛隊駐屯地に取られてしまっており、ちょっと残念な気がした。 辛うじて、大手門と3つの櫓がある一角のみが城址として残されていた。このうち大手門と櫓の一つが江戸時代からの遺構であり、建物内に入ると往時の雰囲気が感じられた。 新発田藩は、丹羽長秀の与力大名であった溝口秀勝が初代藩主で、江戸期を通じてずっと溝口家が治めていたようである。伊達や島津のような大藩ではなく、わずか6万石の小藩なのに、関ヶ原の前から一度の転封もなく、無事に明治維新を迎えたのは、地味にすごいと思ってしまった。 |
春日山城 2015年3月22日 | 64城目 朝の7時半すぎに、春日山神社下に車を停めて登城を開始しました。 朝日がぽかぽかと気持ちいいです。 謙信公の銅像から途中、直江屋敷、毘沙門堂を経由して本丸へ。そこからの眺めは最高でした。 帰りは景勝屋敷から柿崎屋敷の方へ向かいましたが、柿崎屋敷のあたりから雪が残り、足元が悪くなってきました。二の丸、三の丸あたりは特に状態が悪く、靴の中も濡れてしまいました。 豪雪地帯なのだから、この時期に本丸へ行けただけでも良かったと思うことにします。 |
高岡城 2015年3月22日 | 65城目 小藪駐車場に車を停めて登城。正直見どころは少なく、ただの公園のようになっていました。市立博物館でスタンプをゲットした後は、高山右近像、前田利長像や、射水神社近くの唯一の石垣の遺構などを見学しました。 少し厳しい言い方をすると、1県に1城は必ず選ばれているので、だからかな、という感じがしないでもありませんでした。 |
七尾城 2015年3月22日 | 66城目 まずはふもとの博物館を見学しました。畠山氏のことがよくわかりました。自分的には、信長の野望の弱小大名という認識しかなかったのですが、高い文化を持っていたことを知り、勉強になりました。 その後本丸へ向かいましたが、すぐ近くまで車で行けるようになっていました。本丸からの眺めはかなり良かったです。 ただ、駐車場から本丸までの間、杉の巨木が無数にあり、軽い花粉症で無防備だった自分は、目も鼻もかなりひどいことになってしまいました。 この時期は気をつけるべし!! |
金沢城 2015年1月1日 | 58城目。 大雪の中、石川門をくぐって登城。お正月中は無料開放されており、天候の割に人は多かった。 歩きにくく大変だったが、雪の中の城はとても美しかった。いい思い出になったと思う。 |
丸岡城 2011年10月23日 | 3城目。小さいながらも現存の天守閣はやっぱいいです! 町に高い建物がないので、遠くからも天守閣が見えました。 日本一短い手紙で売り出していました。現存天守閣より、そっちの方が有名っぽかったのは少し違和感ありましたけど。 |
一乗谷城 2011年10月23日 | 4城目。ここは地形を見るのが第一の目的(もちろんスタンプもですが)。 確かに細長い盆地になっており、谷の入り口を固めれば守りは万全に思える。が、地形だけでは守り切れない。信玄の人は石垣人は城って言葉を思い出してしまいました。 朝倉氏の悲しい末路に思いを馳せながら、朝倉館跡をしばらく眺めていました。 |
岩村城 2011年12月17日 | 13城目。本丸近くに駐車場があるのは聞いていたが、資料館に車を止めて登城。きついと聞いていたので、相当の覚悟をして登り始めるも、思ったほど大変ではなかった。 本丸の石垣が高く、また、縄張りも複雑でなかなか良かった。 |
岐阜城 2014年7月28日 | 42城目。 家から3番目に近い城だが、行きそびれてしまい、ようやく登城。 行きそびれた原因は、徒歩で登城したいという自分のこだわりのせい。 まだ暑さもそれほどでない朝9時に登城開始。登山道の候補は2つ。なだらかで登りやすいが少し長い七曲登山道と、健脚向きだが、距離が短い百曲登山道。時間を短縮したかったので、無謀にも百曲へ。岩場が多く大変でしたが、普通の大人なら大丈夫なレベルでした。 天気がよく空気も澄んでいて、城からの眺めは最高!濃尾平野や長良川、木曽川が一望できました。関ヶ原方面もよく見えました。しかし、攻める側からすると、天気のいい日は、丸見えですよね。信長さんも桶狭間から8年もかかったわけだ。 |
山中城 2013年9月18日 | 34城目。三島から路線バスで箱根へ向かう途中、山の中腹にありました。 障子堀や曲輪内の草が短く刈り込まれており、緑の絨毯のようでとても美しかった。 また、いたるところから富士山や駿河湾が遠望でき、景色も最高でした。 石垣はありませんでしたが、土手や堀などがきれいに整備されていたので、この城の縄張りが非常によくわかりました。 思っていたよりもいい城でした。 |
駿府城 2013年9月18日 | 35城目。大御所となった徳川家康さんの城ですが、正直、東御門以外は・・・ 城郭内は市民の憩いの公園となっており、遺構らしいものもあまりありませんでした。 |
掛川城 2011年10月19日 | 2城目。新幹線の駅から徒歩で行けるのは良い。平日のため閑散としている。近年整備が進んでいるようで、全体的に新しい感じがする。天守閣も日本初の木造再建だとかでGood!名古屋城や広島城など太平洋戦争まで残っていた天守閣は、今すぐ木造で再建すべし!現存する二の丸御殿もまずまず。 |
犬山城 2011年10月8日 | まずは国宝のお城からスタンプラリーをスタート! 小さい頃から何度も行っているが、天守閣からの木曽川の眺めが素晴らしい!! |
名古屋城 2011年12月14日 | 11城目。地元のお城。毎日のように見ているのに、登城は十数年ぶり。 地元民だからこそ敢えて言おう。鉄筋コンクリートの城は壊して、かつての国宝名古屋城を木造で再建しましょうよ。 子供の頃、エレベーターがあるのを見てがっかりしたのを思い出しました。 |
岡崎城 2011年12月15日 | 12城目。取り立てて感想はないが、木が邪魔でいい写真が取れなかったのが心残り。 |
長篠城 2014年8月11日 | 44城目。 まずは城址・史跡保存館を一通り見て勉強した後、お城を見学。見どころとしては、堀の遺構とだだっ広い本丸跡くらいでした。お得意のイマジネーションも今日は不発で、ちょっと不満・・・ 確かに堅牢な感じの城なのですが、このレベルの城なら、戦国時代に日本全国にたくさんあったのではないでしょうか。100名城に選ばれたのは、背景の長篠の戦いという戦国の一大イベントのおかげですよね。 その後、よく写真に使われている「川が合流する地点の崖の上に建つ城」の構図が見たくて、すぐ下流にある橋へと向かった。川が増水していたこともあって、すごい迫力でした。 前言撤回!100名城にふさわしい城です! |
伊賀上野城 2012年5月5日 | 22城目。忍者のイベントが行われていて、市内は大渋滞。城の周辺は思い思いの忍者コスチュームに身を包んだ大人と子供であふれかえっていました。 全然リサーチしておらず、駐車場を探すのに一苦労。やっとの思いで登城しましたが、高石垣はすごかったです。 登城後は堀を半周ほどして、外からも高石垣を眺めました。やはり藤堂高虎は偉大だ! |
松阪城 2013年11月1日 | 40城目。駅から徒歩12分ほどで、登城口に到着。石垣に囲まれた道を登り始めてすぐに市立歴史民俗博物館があったので、そこでスタンプをゲット。ついでに中の展示も見たが、明治以降のものが多く、城関連は少なかった。 城の方は、建物こそ残っていないものの、石垣はまずまず立派だった。 |
小谷城 2012年4月15日 | 20城目。資料館近くの登山道から登城。小さい虫が大量に発生していて鬱陶しかった。思っていた以上の山道でかなり汗をかいてしまったが、山上からの眺めは素晴らしかった。 ここほど落城の物語が有名な城もないだろう。本丸跡に立てば、歴史にそんなに詳しくない人でも浅井家の悲劇のことを思うのではないか。 実際に来てみると、越前にかなり近く、朝倉を選んだ浅井家の決断もごく自然だったのが分かる。 |
彦根城 2012年8月26日 | 28城目。4、5度目の登城。徳川の世になってからの城だが、西国の抑えというだけあって堅牢である。徳川最強の井伊家を配置したことからも、いかに家康が重視していたかが分かる。 そんな付加価値を噛みしめながらの登城。城に対する思い入れが一層強くなりました。 |
安土城 2011年12月31日 | 14城目。年末は休みの城が多い中、安土城だけはOpenしていたので嬉しかったです。 早速登城。高い石段を登り、山道を少し歩くと、信長公の廟があり、そこにスタンプBoxを発見。 放置状態だったので心配しましたが、割ときれいに押せました。 天守台からの眺めは抜群。近江平野と琵琶湖が見渡せました。 暫し、信長の事を思いながら、風景に見とれていました。 |
観音寺城 2013年9月30日 | 39城目。石寺楽市でスタンプを押してから登城開始。スタンプの真ん中が薄いとの投稿が多くて心配しましたが、割ときれいに押せました。 先日の台風の影響で林道は閉鎖中・・・ ふもとからひたすら階段を登ったため、心臓バクバク、汗ダラダラでした。 観音正寺を過ぎ、細い山道を登ると、何箇所か石垣がありましたが、他の人も書いているとおり、整備されておらず、また、案内もありませんでした。 「大正○○年建立」という大きな石碑と「佐々木城跡」という矢印看板のところまで行ったところでギブアップ。残念ですが引き返すことにしました。奥に何かあったかもしれませんが、何もないかもしれず、限界に近い体力を奮い立たせるような気力は出てきませんでした。 案内看板をちゃんと整備してほしいです。 |
二条城 2014年7月28日 | 43城目。 まずは行ってみての感想から。「日本人ほとんどおらへんやんけ!」 京都はどこも同じでしょうが、欧米人と中国人ばかり。日本人は1割くらい?って感じでした。 小学生の頃、天守閣を探しまわった挙句、ないと知って落胆したことを思い出しました。今だと二の丸御殿の良さも分かるんですけど、当時はひたすら格好いい天守閣を見たかった。 大政奉還が行われた大広間の蝋人形は、微妙でしたね。解説の看板近くに有名な大政奉還の絵を掲示すれば十分なような気もしますが・・・ |
大阪城 2012年11月28日 | 31城目。 子供の頃に行った大阪城400年祭り以来の登城でしょうか(笑) 大阪城ホールには何回か行ったんですけどね。 久々に行った感想は、とにかくでかい、ということ。特に外濠の大きさに圧倒されました!城内に入っても広い広い。谷四〜大阪城〜大阪城公園と歩きましたが、疲れ果てました。 |
千早城 2013年9月25日 | 37城目。まつまさの駐車場に車を止め、まずは店内でスタンプを押しました。ついでにと思い、お土産を買ったら駐車場代が無料に!ラッキー! 平日でしたが、金剛山登山の人が結構いました。金剛山の登山道をしばらく歩き、千早城の看板のところで右に折れて険しい山道を登りました。 山頂は千早神社の境内になっており、遺構らしきものはありませんでしたが、河内の深い山奥の険しい山に登ったということで、千早城の何たるかが、少しは分かったような気がしました。 まあ、イマジネーションの世界で楽しむ城ですかね。 |
竹田城 2015年8月19日 | 68城目。 山城の郷へ行ってみると、天空バスの出発時間まで1時間程あるようで、迷った挙句、徒歩で登城を開始しました。 最初は緩やかな上りの道で、バスの終点までは順調に歩いて行けましたが、そこから城までは、坂が急になり、かなりバテてしまいました。 城から下界の眺めは最高でした。石垣が空に突き出た感じもとてもいいです! 苦労して登った甲斐がありました。 帰りは、15分ほど待てばバスがあったのですが、勢いで歩いて帰ってきてしまいました。 |
篠山城 2012年5月4日 | 21城目。不勉強のため、ここが徳川による天下普請で、名人藤堂高虎が縄張りしたことを知りませんでした。意外です。 登城後は町歩きも楽しみました。とってもいいところでした。 |
明石城 2012年11月27日 | 30城目。 駅前すぐのところに城があって、とても楽でした。城内へ入ると、櫓が二つ並び、その間を長い塀がつないでいる威容のある光景がどーんと現れて、正直期待以上でした。本丸からは明石大橋も見えて、オマケも貰った気分になりました。 |
姫路城 2013年9月12日 | 33城目。当初は工事が終わってから登城するつもりでしたが、工事中は外から間近に天守閣を見ることができると知り、来年の大河が始まって混雑する前にと、急きょ行くことにしました。 4年ぶり4〜5回目の登城です。大天守が大きな箱にすっぽり覆われているような外観で少しびっくりしました。逆にこんな姿も滅多に見られないと思い、パシャパシャ写真を撮りました。 幸い平日のため、待ち時間ゼロで箱の上部の見学施設に行くことができました。エレベーターを降りると、天守閣の最上階の屋根が目の前に現れました。瓦も漆喰できれいに整えられていて、とてもきれいでした。早くこの箱が取っ払われて、その雄姿を眺めたいと強く思いました。スタンプとは別に、工事が終わったらまた行くことにします。 |
赤穂城 2013年9月12日 | 32城目。公私ともに忙しく、10ヶ月ぶりの登城。 赤穂藩5万石にしては、大きな城だなと感じました。ただ、発掘現場のようにだだっ広いだけという感じがしないでもありません。整備途中でしょうか。 大石神社や市立博物館へも行きました。大石神社の中国チックな四十七士の石像より、博物館で見た赤穂の塩の方が興味深かったです。きっと表高の5万石を大きく上回る富を生み出していたのでしょうね。 |
高取城 2013年9月25日 | 38城目。最初に土佐の町の夢創館でスタンプをゲット。そこから車を走らせてお城を目指しました。 壺阪寺の脇を抜け、延々と細い道を進んで行きました。本当にこんなところに城があるのだろうかと心配になってきた頃、ようやく城にたどり着きました。この城、ただもんじゃないな... ふもとの町からの「遠さ」で言えば、備中松山城や岩村城といった名だたる山城も、この城に比べれば足元にも及ばないと感じました。 そんな山奥の城にも関わらず、立派な石垣がかなりしっかりと残っていました。こんな山奥にこれだけのものを造る労力ってすごいよな、と妙に感心してしまいました。 |
和歌山城 2013年9月25日 | 36城目。市街地の真ん中にある平山城でした。駐車場から階段を上っていくと、天守閣のすぐ近くに出ました。再建とは言え、美しい城でした。 |
鳥取城 2015年8月18日 | 67城目。 まずは仁風閣へ。 かみさんと息子が「るろうに剣心」にはまっており、おおはしゃぎしていたが、自分的には、池田候が明治後に建てた洋館で、まあ言ってみれば、スタンプ設置場所...でしかないのだが... スタンプゲット後に登城!! 自分的には鳥取城の石垣の遺構なのだが、かみさんと子供的には、るろうに剣心の舞台を見下ろす絶好のロケーション...でしかないようで... |
松江城 2014年11月2日 | 49城目。 朝8時すぎに大手前の駐車場に停めて登城。チケット売り場は8時半まで閉まっていたので、待つ間に外観を十分に堪能した。現存天守では、姫路城や松本城に匹敵する美しさだと思う。朝一番ということで、内部も落ち着いて見られて良かった。 |
月山富田城 2014年11月2日 | 50城目。 折り返しの50城目は懐かしの戦国の名城。2002年、戦国マニア全開で、「ここ何?」と訝しがる友人を無理矢理連れてきて、大汗かいて本丸まで登った挙句、たいした遺構もない中、一人で空想に浸ったことを思い出す(この上ない迷惑だったと思われる)。 それ以来、12年ぶりの登城。記憶も薄らいでいるが、道や案内板など全体的に整備が進んでいる印象。今回は時間もないため、山中御殿で引き返す。 広瀬の街に「山中鹿之助を大河ドラマに」というのぼりがあった。難しいと思うが頑張ってほしい。 |
津和野城 2014年11月3日 | 55城目。 ここは良かった。あの天空の竹田城に匹敵するのでは。 こちらは江戸期の城だけに石垣もしっかりしている。 紅葉がきれいに色づいていて、季節的にもベストだったと思う。 眼下に広がっている街が津和野ということも、付加価値が高かった。 |
津山城 2014年11月3日 | 57城目。 立派な石垣の城である。街の真ん中にそびえ立つ感じが実にいい。 しかし、冒頭からやらかしてしまった。車で行くと、すぐに有料の駐車場があったので、慌ててそこに停めたのだが、これが大失敗。そこから城の入口へ歩いて行くと、まあまあ広い無料駐車場を発見!「あ〜あ、やっちまった」 しかも、料金は24時間以内500円! そんなに停めへんから、安くしてくれ! せっかくいい城だと思っていたのに、もやもや、もやもや… 何度も言うが、城はとても立派だった。 |
備中松山城 2014年11月2日 | 52城目。 8年前の夏以来の登城。あの時は雷で天守に1時間以上も閉じ込められ、天守直撃(避雷針)が1度、光って1秒以内が近距離弾が10度以上と、生きた心地がしなかった。当然、外観を眺める余裕もなく、登城も下城も大慌てだったので、今回は本当に落ち着いて見ることができた。 天守内部は拍子抜けするほどあっさりしていたが、外観はまずまず。8年越しで堪能できた。 |
鬼ノ城 2014年11月2日 | 51城目。 細い道で苦労した、という感想がたくさんあったので心配したが、運よく行き帰りで車をバックさせたのは1回だけだった。 ここは、とにかくロケーションが素晴らしい。まるで天空から下界を見ているよう。 また、古墳・飛鳥時代の吉備地方の先進性が十分にうかがえた。 正直、期待以上! 必見!! |
岡山城 2014年9月19日 | 45城目 岡山駅から徒歩20分弱で到着。黒をベースに金色がちりばめられた天守閣がとても美しい。本丸へ行き、正面から見ると、下層が広がって少し「どてっ」とした印象。まあ、これはこれで特徴があっていいか。 天守閣内は常設展示のほか、大河ドラマ「官兵衛」にちなんで、備中高松城や黒田官兵衛関係の展示・解説コーナーも。 そういえば、宇喜多 → 池田の間に「小早川秀秋」が2年間だけここにいたことを改めて認識。宇喜多秀家が激怒して「あの野郎、叩き斬ってやる」と叫んだという話も伝わっているが、直後に当の秀秋が入城していたとは・・・ 宇喜多家は悔しかったでしょうし、小早川家もバツが悪かったのでは。 ちなみに、ここも名古屋や広島と同じく、天守閣が第二次世界大戦で焼失したとのこと。立派な城だけに、本当に残念。 |
福山城 2014年11月2日 | 53城目。 高梁から下道(国道313号)で1時間半掛かって到着。新幹線から何度か見たことがあるが、立派な外観の城である。 登城して初めて知ったが、ここも太平洋戦争の空襲で焼けてしまったとのこと。山陽の名城はすべてあの戦争のせいか。京都や奈良を空襲しなかったことは評価するが、正直、お城の方も配慮してほしかった。(城にはよく師団が置かれていたからな・・・) 内部は博物館になっており、甲冑展をやっていて、それなりに見ごたえがあった。 |
郡山城 2014年11月3日 | 56城目。 2011年の夏(このスタンプラリーを始める直前)に登城しており、その時は「おそらくもうここに来ることはあるまい」と… まさか3年後に再訪することになるとは、夢にも思っていなかった。 3年前はふもとの博物館も月曜日で休館していたので、博物館の方は今回が初めてである。毛利家についての展示品や説明もかなりしっかりしており、なかなか質の高い博物館だと感じた。 城跡の方は、3年前に蚊に刺されながら登っているので、今回は入口の鳥居のところまで行くだけにして、パスさせてもらった。 |
広島城 2018年2月15日 | 85城目 登城して思ったのは、ああそうか、毛利家が築城した城なんだということ。 毛利と言えば、元就公の吉田郡山城や、幕末の萩城などが連想されるが、わずか10年とは言え、広島の城下町を整備したのはまぎれもなく毛利(輝元)という事実を再認識。 広島城を改装して改易された猛将福島正則や、250年間も広島を治めた浅野家なんかを全く寄せ付けない、広島県人の毛利「愛」を感じました。 それにしても、輝元が建てた天守が昭和まで残っていた奇跡と、戦争でそれを失ってしまった悲劇を思わずにはいられない。本当に残念! |
岩国城 2018年2月15日 | 86城目 錦帯橋にほど近い山城。ロープウェイで楽々と登城しました。 城からの眺めは最高に素晴らしく、思わず見とれてしまいました。 |
萩城 2014年11月3日 | 54城目。 萩博物館の無料Pに車を停め、8時半の開門と同時に登城。内部はがらんとした印象で、毛利家を祭った神社が中央に鎮座しているのが印象的だった。 指月山に登る時間がなかったので、そのまま神社にお参りしただけで下城。 しかし、ここまで遠かった。幕末に藩も幕府の目を盗んで山口に移ってるし、申し訳ないが、やはりここは不便。 |
徳島城 2014年9月19日 | 48城目 駅前すぐと思いきや、駅の裏手で直接行く事ができず、ぐるっと回ったため、思ったほど近くない。 蜂須賀家の城ということで、「城下町へ行こう」のピエール瀧さんは、もう行ったのかな? 見逃していたのなら、再放送してくれないかな。 博物館でスタンプをゲットした後、城山に登ろうか迷ったが、鬱蒼とした山で薄暗くなりかけだったので、あっさり諦めることに。 結局、石垣が残っている下乗橋近くをうろうろしただけで退散。 |
高松城 2014年9月19日 | 47城目 駅前すぐにあり、城へのアクセスは100名城の中でも抜群に良い。一方、城自体はそれほど期待していなかったが、意外といい城である。この意外性の発見こそ、城巡りの醍醐味か。 浮島のような本丸と、そこへ向かう唯一の道として架けられた屋根付の鞘橋という構造は、これまで見たことがなく、非常に興味深かった。 |
丸亀城 2014年9月19日 | 46城目 周辺に高い建物や山がなく、遠くからでもよく見える。石垣が目立つためか、巨大な岩の上に城が乗っかっているような感じもする。 駅から徒歩10分で大手門に到着。ここから天守閣まで、延々と急坂を登る。途中、美しい石垣に癒されながら、ぜいぜい、はあはあ状態で何とか登り切る。 少し辛口だが、下から見上げた時に比べ、間近で見る天守閣は櫓のように小さい。 但し、街や瀬戸内海の眺めは最高。遠くには瀬戸大橋も見え、言うことなし。 |
今治城 2019年9月14日 | 92城目。 藤堂高虎の築いた名城。堀と海がつながっており、ヒラメとかも生息しているとか。 今でこそ平和そうな平城にしか見えないが、高虎が築いた当時は、村上水軍の本場ということもあり、もう少し荒々しい性格の海城だったのだろうか。 6層の立派な天守だったが、暑い中エレベータもなく辛かった(最上層の風は気持ちよかったが)。 |
湯築城 2019年9月14日 | 93城目。 松山城ができる前、戦国の河野氏の城跡。 河野氏は、源平合戦、蒙古襲来、南北朝と武勇の家として名を上げてきたが、肝心の戦国期に英主が出なかったため、長宗我部と毛利・豊臣の草刈り場になってしまい、弱小大名の烙印を押されてしまっている。 名門なだけに残念。 |
松山城 2019年9月15日 | 94城目。 麓から歩く選択肢もあったが、かなり暑い日だったので、ロープウェイの一択のみ。ロープウェイを降りてからも、そこそこきつい坂が続き汗だくに。10分ほどでようやく山頂とは思えない広大な本丸に到着。 ついに、念願の現存天守の名城に登城!大満足です! |
大洲城 2019年9月16日 | 96城目。 木造再建の堂々とした天守がそびえる。肱川ぞいの小高い丘に建っており、天守からの眺めは最高である。 ここも!藤堂高虎が手を入れた城(伊予は高虎の城の宝庫!)で、その後、賤ケ岳の7本槍の脇坂氏から最終的には加藤氏へと引き継がれたようだ。 加藤氏は加藤清正や加藤嘉明とは別の家とのこと。戦国マニアのつもりだったが、そんな家があったとは知らなんだなあ。 |
宇和島城 2019年9月15日 | 95城目。 ここも暑い中をちょっとした登山。小さいが結構急峻な山である。 山頂に到着し、約20年ぶりに藤堂高虎の名城を拝む。後に、伊達政宗の長男の家系が入り、幕末まで続いたのだが、別に博物館があるようで、城内にそのような展示は何もなかった。 |
高知城 2012年10月29日 | 29城目。 市街から見上げることもできる立派な城です。登城してみると、縄張りもしっかりしていて堅牢な印象を持ちました。 少し離れたところに長曾我部家の岡豊城があり、ここは関ヶ原後に山内家が築いた城なのですが、一体だれがここを攻めると思っていたのでしょうか?熊本城なら島津とかあると思うのですが、失礼ながら、高知に立派な城を造っても、徳川家にとって困るだけのような気も… 長曾我部の残党対策でしょうか? 何はともあれ、堂々とした立派な城で、とても良かったです。 |
福岡城 2011年11月10日 | 6城目。まずはスタンプの設置してある鴻臚館へ。体育館のような建物の中は発掘現場のようでした。 スタンプを押したのはいいけど、ここは福岡城ではなく、太宰府の延長ですよね。 その後、石垣ばかりの広大な福岡城址を見学。多門櫓など一部の遺構が残っていたが、この規模の城にしては、少し物足りなかった。 |
大野城 2011年11月10日 | 5城目。城を見ずにスタンプだけというのは避けたかったのだが、車もない状況で山上の遺構へ行く時間がない! 太宰府跡から背後に広がる山を眺めて(まあ、それで行ったことにして)、太宰府展示館でスタンプを押してクリアしようと思ったら、展示館は閉鎖中・・・ 時間がないと言っているだろっ!! 少しパニクったが、徒歩圏に太宰府市文化ふれあい館というスタンプ設置場所があるようだったので、殆ど小走りでそこへ向かった。 入り組んだ住宅地を「この道で大丈夫か?」と不安を抱えながら急ぎ、何とかたどりついた。 いやぁ、焦った、焦った。城はまた今度時間がある時に行くことにします。 |
名護屋城 2011年11月12日 | 10城目。ここは石垣の遺構と戦国武将オールスターの陣地を遠望しながら、ひたすら空想にふけるのがベストかと。 家康さんも一応ここまで来たんだとか、加藤、黒田、島津など武功を挙げた面々の陣はどこかとか... 天守跡からの眺めも素晴らしかったです。 |
吉野ヶ里 2011年11月11日 | 7城目。ここは弥生時代の遺跡であり、城の原形でもあり、ひょっとしたら邪馬台国の重要拠点でもあるわけでして、100名城でなくとも行きたかったところです。 木柵や堀、見張りの櫓などがあったりして、城と言っても違和感はありません。 背景の物語がないので、想像力で勝負! 私は畿内の邪馬台国に対抗する有力国家という想定で空想にふけってみました。 (北九州説の人スミマセン) |
佐賀城 2011年11月11日 | 8城目。吉野ヶ里に手間取り、着いたのは薄暗くなってからでした。鯱の門をくぐって本丸歴史館へ。滑り込みで何とか入場できました。係の女の人がとても親切で丁寧で良かったです。佐賀の印象が良くなりました。 |
平戸城 2011年11月12日 | 9城目。平戸... ずいぶん遠くまで来てしまいました。沖縄や北海道よりも「遠くへ来た」感があります。 山鹿流の城ということですが、正直、よく分かりません。城から海と教会を眺め、また逆に街から城を遠望し、それで十分に満足しました。 櫓の配置の仕方なども中々良かったです。 |
島原城 2015年11月9日 | 73城目。 天守のすぐ下まで車で行くことができ、とても便利です。こんな城は初めてです。 復元天守は5層(江戸時代は4層)ある立派なものですが、大大名でもない松倉氏の居城としては分不相応過ぎます!!乱が起きるのも当然ですよ。 キリシタン弾圧も大きな要因なんでしょうが、ここまで大規模な反乱になったのは、苛酷な年貢取立てが大きかったのでしょう。 天守内の展示物も、なかなかヘビーで、平静な気持ちで見ることはできなかったです。 松倉勝家が、武士としての死を許されなかったのも当然じゃないでしょうか。 |
熊本城 2015年11月9日 | 72城目。 天下の名城、熊本城。 確か3回目の登城のはずですが、前回が20年以上前ですので、新鮮な気持ちで色々見ることができました。 宇土櫓などは明らかに丸岡城や備中松山城の天守より大きいですよ。丸亀城や彦根城の天守より大きいかもしれない。鉄筋コンクリートで再建した大天守よりも感動しました。 名古屋城では、木造で天守を再建する話が持ち上がっていますが、熊本はどうなんでしょうか?可能ならば是非再建してほしいと思いました。 |
人吉城 2015年11月8日 | 71城目。 ここの城主の相良氏も、鎌倉から明治維新まで続いた名家とのこと。地元では天皇と同じくらい崇拝されていたのでしょうね。 資料館を見て、球磨地方にも島原や天草と同様にキリシタンが多かったことを知り、勉強になりました。 城は、結構規模が大きく、高低差もあったため、歩き回っているうちに、少し疲れてしまいました。予想をはるかに上回るいい城でした。 |
大分府内城 2015年11月10日 | 74城目。 早朝に登城。 スタンプは大手門に置きっぱなしになっていましたが、それほど劣化はしていなかったのでホッとしました。 廊下橋も開いていない時間だったので、本当に見るところがなく、10分程度で一通り見終わってしまいました。 大分城とは関係ありませんが、この後、岡城へ向かう途中に長曾我部信親の墓の近くを通りました。ああ、ここが戸次川の戦いの場所か、信親が生きていれば、長曾我部家も江戸時代まで残ったかもしれない、と思うと、感慨深い気持ちと残念な気持ちがこみ上げてきました。合掌。 |
岡城 2015年11月10日 | 75城目。 紅葉が非常に綺麗な城でした。石垣の美しさとも相まって、優美さを感じました。 「荒城」といった感じは全くしませんでしたね。 違う季節に行くと、また違った感想だったのかもしれませんが。 滝廉太郎の銅像も静かに佇んでいて、穏やかな気持ちにさせられました。 |
飫肥城 2015年11月7日 | 69城目。 最も行きにくい城の一つ、飫肥城にやってきました。 ここの領主は日向の戦国大名の伊東氏ということで、てっきり島津に滅ぼされたと思っていたのですが、領国を追われた後、大友などを頼って放浪した挙句、秀吉に取り立てられ、飫肥の領主として大名に復帰したとのこと。恥ずかしながら今回初めて知りました。一度滅ぼされた大名が旧領に返り咲くのは極めて稀有だったと説明にもありました。 城も町も雰囲気があってかなりよかったです。 |
鹿児島城 2015年11月8日 | 70城目。 言わずと知れた鎌倉以来の名家、島津の本拠です。 城は、堀と石垣が少々あるのみで、これといった見どころはありませんが、背後の城山が天然の要害になっており、シンプルな造りでも存外堅固な城だったのかもしれません。 いずれにせよ、ここで籠城するより、打って出る(もしくは国中でゲリラ戦をやる)方が薩摩隼人といった感じですけどね。 |
今帰仁城 2016年12月31日 | 80城目。 中城城と同じくスケールの大きい石垣が残る城。 中城城と今帰仁城の他に勝連城も行ったが、どれも周囲を見渡せる丘の上に建てられており、共通性を感じる。 主郭からの眺めはとても美しく、特に美ら海の美しさが最高! |
中城城 2016年12月30日 | 79城目。 念願の沖縄旅行のついでにスタンプをゲット、と家族には見せかけて、真実は、スタンプをゲットするために、沖縄旅行を企画。 「世界遺産」と強調しつつ、興味のない家族を引き連れて中城城に登城。 石造りのスケールの大きい城跡。本土の城とは趣が異なり、とても良い。中国・朝鮮の影響が大きいか? |
首里城 2016年12月31日 | 81城目。 琉球王朝の王宮でもある首里城。 中国風のきらびやかな建物が数多く再現されており、往時の雰囲気がとても良く分かった。中国に朝貢し、金印も授けられていたみたいだし、江戸時代以前は日本じゃなかったんだよな。 |