ID | 2928 |
名前 | 半ちゃん |
コメント | 歴史大好きな人種です(笑) 人間は世代を繋いで、歴史を築いてきました。 城は多くの戦いの舞台になり、さらに人間ドラマの舞台にもなりました。 先人が築いてきた文化を振り返ることで、自分が生きる時間の大切さも良く分かります。 このサイトでメンバーの方と多くの登城記録を残せていけたら良いなと思います。 |
登城マップ |
江戸城 2009年9月20日 | ![]() 大田道灌が基礎を練り、徳川家康が本城として築いた江戸城。 天守跡に登ると、かつてはこの場所に大阪城を上回る大天守が聳えていたことをイメージするとワクワクします♪ 江戸城の隠れた名所と言えば、やはり各門でしょうか。 桜田門に半蔵門。 それと二重橋を後ろに見る伏見櫓。 将軍の城だけあって、やはり壮大です。 本当に歩き疲れました(笑) |
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小田原城 2012年3月25日 | 関東遠征2日目。 北条家の本城、小田原城へ向かいました。 天守閣内部の資料は充実しており、歴史資料館には早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直と北条五代100年の歴史が紙芝居や展示物で紹介されていました。 武田信玄・上杉謙信に攻められても落城しなかった天下の名城も 天下統一を見定めた豊臣秀吉の20〜25万と言われる大軍には抗えず開城に至りました。 関東の覇者ながら、滅亡に至った北条家の栄枯盛衰に想いを馳せることができる場所でした。 ![]() ![]() ![]() |
武田氏館 2012年3月24日 | 3月にして、今年初の城攻めです。 武田信玄の本拠(躑躅ヶ崎)に向かいました。 内部はすっかり神社になっています。 しかし、堀沿いにぐるりと周囲を回れば、土塁が残り、 戦国時代に想いを馳せることができました。 甲斐の虎と恐れられた武将の本城としては、簡素な造りです。 しかし、人材こそが自分を守る城と公言していた武田信玄らしい城と感じました。 見学所要時間は、1時間もあれば十分と思います。 風の強い日でしたので、神社の前で風に揺れる風林火山の旗が絵になりました。 記念品は、ライバル上杉謙信との川中島一騎打ち絵図の扇子を購入しました。 ![]() ![]() |
甲府城 2012年3月24日 | 武田氏館(躑躅ヶ崎)の帰りに立ち寄りました。 城址を南北に分断するように、JRが通っています。 熱心なボランティアの方に、甲府城の歴史を語っていただきました。 歴代の城主は、徳川縁戚が代々務め、後に幕府直轄地となったそうです。 かつては、現在の甲府駅の半分までが城の敷地だったそうなので、 相当規模の城だったようです。 余談ですが、同行している友達がスタンプ帳を置いたままに帰宅してしまい、 南国からの遠征だった私達としては、ダメ元で忘れものを確認しました。 『遠方からありがとう』の言葉、しかも指定の住所まで発送してくれるとのこと(^o^) 旅先での人の優しさに感動しました。 ボランティアガイドの方々、お世話になりました。 ![]() ![]() |
上田城 2011年4月29日 | ![]() 日の本一の兵 真田一族の城。 ガイドさんの話を伺っていると、地元の人は今でも、真田幸隆・昌幸・幸村を誇りに思っているんだな…と、感慨深い思いになりました。 徳川の大軍を食い止めた小城に思いを馳せながら、松本城へ向かいました。 |
松本城 2011年4月29日 | ![]() 大遠征で善光寺参り〜松本城登城〜飛騨高山と巡りました。 登城日はGWとは言え、信州は未だ北風が冷たく、城内を吹き抜ける風に凍えるほどでした。 白雪残るアルプスを背に、黒く聳える現存天守は本当に美しかったです。 見る角度によって同じ城なのに、全く違った顔を見せる…。 本当に素晴らしい城です。 |
岐阜城 2010年5月1日 | ![]() 自分のハンドルネームは、大好きな半兵衛から貰いました。 岐阜城は今でこそ、ロープウェイがあるので、簡単に近付けますが、足で登るのは相当な山です。 半兵衛が若干の家臣と示し合わせて、この城を落とした時、信長さえも驚嘆したと言います。 その後、岐阜城を制圧した信長はここから天下布武を宣言し、日本統一に動き始めました。 大好きな半兵衛が辿り、戦国の革命児が信長が天下統一の足がかりとした、岐阜城への登城はとても感慨深いものでした♪ 建造物としての遺構はがあまり無いのが、少し残念ですが、岐阜市街の眺めは最高です! |
犬山城 2012年7月15日 | 最古の現存天守と言われる国宝犬山城に初登城。 すぐ傍を木曽川が流れており、後堅固の城と言われています。 にも関わらず、6回も落城しているそうです。 油断大敵を絵に描いたような城です。 美濃・尾張の境界線に立地し、戦国最激戦地域であることも要因なのでしょうが、 この城を落とすには、相当に苦心が必要だと思うのですが。。。 戦いの世にイメージを膨らませながら登城すると、目に映る景色も特別でした。 スタンプの管理もしっかりされており、綺麗に押印できました。 ![]() ![]() ![]() |
名古屋城 2012年7月14日 | 尾張名古屋に久しぶりの登城。 徳川御三家の筆頭が歴代治めてきただけあって、流石の規模です。 しかも本丸御殿を復元中。見所いっぱいです。 戦災で焼失しなければ、姫路城を上回る規模の城郭だっただけに残念でなりません。 金鯱も名古屋の独自性が出ていて良いです。 残念なのは、16:30までしか入場できないこと。 それとスタンプがインク量が多すぎて滲みます。 失敗が嫌な方は、別紙に張替用を押印してから、スタンプ帳に押印することをお勧めします。 ![]() ![]() ![]() |
岡崎城 2012年7月14日 | 徳川家康生誕の地、岡崎城にいよいよ登城。 三河武士のやかた家康館は、戦闘時に実際使用したサイズ・重量感のある武器を手に取ることができ、戦国時代の過酷さを体感できました。 決戦関ヶ原と銘打ったジオラマは、関ヶ原の流れが細かく再現されており、 分かっているストーリーでありながら、初めから終わりまで見入っていました。 公園として整備されているので、歴史的遺構は少ないですが、展示物はさすがと感じました。 スタンプも良好です。 ![]() ![]() |
彦根城 2010年5月2日 | 通算四度目の登城です。 100名城・100名城以外の城問わず、いろんな城を巡りましたが、日本一好きな城です! 姫路城や松本城のような壮大さは無いですが、コンパクトで破風に飾られた外観がとても美しい城です。 玄宮園から見る彦根城は、一日中でも見ていられます。 季節ごとに訪れてみたい城です。 これが大津城などのリサイクル材で築かれた話を知った時には、本当に驚きました。 今、話題のひこにゃんのパフォーマンスも可愛いです。 ![]() ![]() |
大阪城 2010年3月25日 | ![]() 春の嵐で天守へ辿り付くまでに、びしょ濡れになりました(笑) せっかくの登城も雨のため、天守からの眺めは残念でしたが、雨に煙る大阪市街もまた良かったです♪ 栄華を極めた豊臣家の大阪城。 夏の陣で滅亡後、徳川家により、豊臣大阪城は埋められたそうですが、今でも名残は残っているそうなので、今度はそんな部分も見に行きたいです。 |
竹田城 2011年11月26日 | 地元の方でも、年に数回しか見えないと言うほどの見事な雲海を 初登城で目にすることが叶いました。 立雲峡は早朝から多くのカメラマンの方で、混雑していましたが、 幸いにして良いポジションをキープできました。 前日までの雨から快晴となったことも手伝い、まさに絶景でした! 天空に浮かぶ要塞、日本のマチュピチュと呼ばれる景色に 何度も足を伸ばす方がいることに納得です。 絶景鑑賞後、立雲峡から竹田城跡へ移動し、登城開始。 大手門跡の階段は、まるで澄み渡る天に登るようでした。 天守跡から櫓跡、二の丸、三の丸を見下ろすと、まさに日本番マチュピチュ。 あの絶景にまた出会いたい!と心から思えるお城でした。 ![]() ![]() ![]() |
篠山城 2011年11月26日 | ![]() 再建された大書院も見事でした。 天守台から、明智光秀が丹波攻略の拠点としていた 亀山城跡も望むことができました。 町並みの整備も行き届いており、 昔懐かしい風情いっぱいの城下町でした。 |
姫路城 2012年6月13日 | 人生の師匠、竹中半兵衛殿の眠る平井山にお墓参りに行った後、のんびり登城しました。 姫路城には10回以上、訪れていますが、平成の修理期間に入ってからは初登城。 土日は予約しないと大天守修理の見学は、長時間待ちとなるようですが、平日に登城できたので、待たずにゆっくりと見学することができました。 大天守内には何度も登ったのに、外から同じ目線で見ると改めて、職人さんの技術の素晴らしさを感じます。 ましてや機械もない時代、これだけの規模の天守が築かれたことていたことは日本の誇りです。 1クール(25城)の締め括りは、姫路城と決めていたので、予定通り達成できました♪ スタンプ状態も最高に良く、晴々とした気持ちで後にしました。 ![]() ![]() ![]() |
松江城 2012年4月28日 | GW真っ只中で大勢の方が、登城していました。 現存天守に水掘、天守から見える湖(宍道湖)が、彦根城に似た雰囲気を醸し出していました。 城下町の雰囲気もよく残っていて、山陰の古都と称えられる町並みは素晴らしかったです。 スタンプも滲まず、薄すぎず良い状態でした。 ![]() ![]() ![]() |
月山富田城 2012年4月28日 | 松江城に登城の後、登城しました。 天気も良く、山城攻略には暑いくらいでした。 大好きな信義に厚い武将、山中鹿之助の銅像で記念撮影後に 山中御殿〜七曲り〜三の丸〜二の丸〜本丸まで登りました。 二の丸からは、宍道湖中海まで見通せるほど、空気が澄んでいて最高でした。 大好きな武将に縁のある場所を訪れると、自然と高揚感が湧いてきます。 城など建造物も良いですが、お気に入りの武将がいると名城登城に+αの楽しみができます。 スタンプ状態は最高に良かったです。 ![]() ![]() ![]() |
備中松山城 2010年11月27日 | ![]() 霧の中、登城を開始しました。 霧が晴れて来たと思うと、雲海を下に見るような感じになりました。 山城ならではの景色に感動しました。 天守は、城下町から全く見えないほどに小さく、登城中も一本道なのに方向が正しいのか分からなくなりました(笑) 本当に真近まで行かないと、天守が見えません。 天守に行くまでの石垣は壮観でした。 また時間を見つけて、登城したいと感じる城でした。 |
岡山城 2010年11月27日 | ![]() 黒の外観は美しいと感じましたが、季節的に後楽園の芝が枯れていたので、天守からの眺めは少し残念なものとなりました。 今度は春に登城をしてみたいと思います。 |
広島城 2009年6月20日 | ![]() 岡山城と同じく、黒の外観が美しかったです。 |
徳島城 2009年8月7日 | 真夏の登城で暑かったです(汗) 川の流れを巧みに利用した水堀が今でも残っています。 今は、市民の憩いの場になっている城山にかつては、御殿や天守があったそうです。 昨今の再建ブームで、鷲の門に続き、月見櫓などの再建も検討されているそうです。 雰囲気が変われば、また訪れてみたいと思います。 |
高松城 2011年6月18日 | ![]() 高松駅のすぐ側で、瀬戸内海にも面しているので、晴れていれば景色が良いと思います。 残念ながら訪れたタイミングは雨でした(汗) 天守台も石垣補修のため、立ち入ることができませんでした。 次は天守台工事が終わり、晴れているタイミングで行ってみたいと思います。 |
丸亀城 2011年6月18日 | ![]() この一言に尽きるお城でした。 どちらかと言えば、コンパクトな天守が好きな私にとっては、小さな天守をしっかり支える壮観な石垣とのコラボが堪りませんでした♪ |
湯築城 2011年10月8日 | 道後温泉のすぐ側にありました。 道後温泉付近は何度も訪れていましたが、湯築城跡には一度も立ち寄ったことがありませんでした。 天守や石垣など、ザ・城と言った外観はありませんが、河野氏が治めていた時代の面影を残す土塁や内堀が現存しています。 松山駅から、道後温泉行きの路面電車で簡単に行けるので、アクセスも便利でした。 |
松山城 2010年2月20日 | ![]() 天守はどちらかと言えば小さいですが、加藤嘉明が20年以上の歳月をかけて築いたと言われる城は壮観です。 リフトが整備されているため、登城は苦になりません。 しかし足で登城すると、この城が迷路のようになっていて、難攻不落と言われる由縁を確かめられるので楽しいです。 |
大洲城 2011年10月8日 | ![]() 最近は、どこのお城も観光する方が多くなりましたが、松山方面から少し足を伸ばさないといけないためか、人は少なかったです。 城下町もしっかり残っていて、レトロな雰囲気を味わえる街でした。 |
高知城 2010年10月9日 | ![]() 見所は多いですが、コンパクトなお城なので、二時間くらいで満喫できました。 室戸岬や足摺岬、桂浜に坂本龍馬記念館など観光名所が多いので、次回は+@で高知県を満喫したいと思いました。 |
熊本城 2011年7月15日 | 築城の名手、加藤清正が手掛けた言わずとしれた天下の名城です。 今でも櫓を含めて再建計画が継続されているそうです。 特に現存している宇土櫓には感動しました。 櫓と銘打ってますが、他のお城であれば絶対に天守です。 徳川家康が天下取りのため、豊臣家と戦を構えた際には、 秀頼を熊本城に匿い、家康と一戦交えるつもりだったそうです。 秀頼を招いた時のために作ったという、本丸御殿は見事の一言です。 結局、大阪の陣の前に加藤清正が亡くなって、豊臣家は大阪で滅びますが…。 この城であれば、徳川家が攻めても落城には苦労しただろうな…と想定できます。 明治期には西南戦争の舞台となり、西郷隆盛が新政府軍の拠点となっていた この城を攻めましたが、落城させることはできませんでした。 『政府に負けたのではなく、清正公に負けた』と言ったとか…。 熊本城の強さを物語る名言です。 一口城主制度にも迷わず賛同しました(笑) 九州の顔として、これからも輝く城であり続けてもらいたいです。 ![]() ![]() ![]() |