ID | 2905 |
名前 | すだっち |
コメント | 尾張国荒子の隣村出身のすだっちです。 先祖は、犬山城主成瀬家のもとで 典医をしていたそうで、 名城を見るとなにか懐かしさを 感じる今日この頃です(笑) もしこの世に、我が国の大人物 織田信長公が転生された時に 素早く天下統一できるよう 百名城を物見しております(笑) 物見としては、まだ初心者ですが よろしくお願いしますm(__)m |
登城マップ |
二本松城 2013年3月5日 | <79城目> 蒲生・加藤氏が築いた総石垣の 山城−二本松城。 戊辰戦争で散った二本松少年隊 の銅像を見て、堅固な石垣に 囲まれた復元の箕輪門をくぐり 新旧入り混じった石垣を見て 山城を登り山頂まで。ちょうど 訪れた時期は、山頂の本丸石垣 が震災からの復旧が終わり、 無事に見る事ができ、山頂から 原発があるであろう方向を眺め 人の小ささと自然の不変さを 感じ、妙な感慨に浸りました。 |
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会津若松城 2012年7月18日 | <57城目> 戊辰戦争を耐え抜いた 奥州屈指の堅城−会津若松城。 幕末当時の姿に近付ける為、 平成23年に葺き替えられた 赤瓦は白壁とのコントラストで 非常に映えて優美で。 来年の大河『八重の桜』もあり 観光客も多かったですね。 城近くで会津名物の ソースカツ丼を食した後、 周遊バス「ハイカラさん」で 松平氏の庭園−御薬園へ行き、 墓所をお参りして、最後に 白虎隊の悲劇の地−飯盛山から 眺める鶴ヶ城も、何とも言えぬ 格別の想いがしますね。 ところで、飯盛山にある さざえ堂は、中が螺旋状で 一方通行で上下して出るという 作りにびっくりしました。 |
白河小峰城 2013年3月4日 | <78城目> 奥州への押さえという重要な地 白河に築かれた白河小峰城。 名古屋から18切符だけ使い 鈍行で約10時間かけて来て、 震災の影響で中に入れず、 石垣の崩れもひどく、外から 三階櫓を眺めるだけでしたが、 復元とはいえ名城としての 佇まいに威厳がありました。 お堀には、越冬する為に白鳥が 数十羽見えて、故郷では見ない のでテンション上がりました。 |
水戸城 2011年8月26日 | <24城目> 今年1月の小田原城に続いて 本格的に関東制覇のために 徳川御三家の水戸城へ(^^) 8月になっても弘道館が入れず 改めて大震災の被害を実感して 高校内の薬医門を見学。 この水戸もそうですが関東は 一部を除いて土塁が多いので 石が少ない地域性を感じますね。 三名園の一つ偕楽園も訪ね ついに三名園を制覇(^O^) ただ、梅の時期から外れた来訪 なので、改めて弘道館と同様 行く必要がありますね。 |
足利氏館 2011年8月27日 | <27城目> 朝に金山城制覇した流れで 足利幕府開いた足利氏の故郷へ。 城というよりは中世武士の館で 今はお寺なので趣は違いますが 中世の流れを感じ面白いですね。 近くに日本最古の学校−足利学校 もあり、孔子廟を参って 勉学の大切さを再認識。 |
箕輪城 2011年10月28日 | <38城目> 甲斐の武田氏、相模の北条氏、 越後の上杉氏の三つ巴の 戦いの舞台−箕輪城。 一見するとただの小高い丘に 見えますが、中に入ると曲輪が 多数、大規模に配置されていて 土塁や空堀、大堀切から戦略的に 構築された城だと分かりますね。 約400年ぶりに発掘されて 調査が終わったのではないので 今後どうなるかに期待ですね。 ただ、その不完全さが想像を よりかきたてられるので このままでも面白いですが(^^) |
金山城 2011年8月27日 | <26城目> 幾多の戦乱をくぐり抜け 外的攻撃では落城しなかった 難攻不落の金山城。 関東では珍しく石垣が多く 大手虎口を中心に見所満載で、 特に、山頂近くの日ノ池と 月ノ池は祭祀的役割もあった為か 独特のパワーを感じました(^^) 行く途中に山頂への道を教えて 頂いたガイダンス施設の方に 帰りにご好意で「金山竹炭」を 頂きました。 前泊した太田市街のホテルが 風俗街で気持ち悪さと低劣さを 感じていたので、是非とも 一掃して全国に金山城下として 売り出して欲しいですね(^^) |
鉢形城 2011年10月27日 | <37城目> 豊臣秀吉の大軍と一ヶ月攻防を 繰り広げた北武蔵における 北条氏の拠点−鉢形城。 歴史館で予習した後、城跡を 廻りましたが、深沢川と荒川に 挟まれ本当に断崖絶壁の上にあり この地が天然の要害で築いた 理由がよく分かりますね(^^) 復元は四脚門ぐらいですが 逆に想像をかき立てられて それはそれで良いですね。 |
川越城 2011年10月27日 | <36城目> 江戸の「搦手」を担う幕府重鎮が 城主を勤める川越城。 東日本唯一の本丸御殿は、幕府の 主要なポストの人が入る為か、 戦場での攻防の城というより 政治の場としての役所という 感じが色濃く出てますね。 八王子から鉢形へ行く途中で 時間が限られたため、 小江戸と呼ばれた川越市街を 散策できなかったのは残念(>_<) |
佐倉城 2011年8月26日 | <25城目> 同日朝の水戸に続いて 一気果敢に佐倉城へ。 ここも土塁が多く、空堀が 綺麗に芝が刈られていて美しく 写真に没頭していると途中から 雨が猛烈に降り雷も(>_<) 城跡に時間がかかった為に 城跡内の国立歴史民俗博物館も 30分で閉園で出るハメに(>_<) 修学旅行でもゆっくり できなかったので、今度は 時間に余裕を持とうと痛感。 |
江戸城 2012年8月3日 | <61城目> 徳川将軍15代の根拠に して日本最大の城郭。 東京駅から行幸通りを抜け 桔梗門から坂下門を見て 皇居といえばで欠かせぬ 伏見櫓をバックに架かる 石橋正門をカメラに収め 今に勇壮に動き出しそうな 楠正成像に感動しました。 幕末の始まりを示す事件の 場所である桜田門から 警視庁、国会議事堂を通り 半蔵門へ廻って、乾門から 日本武道館近くの田安門と 清水門、そして平川門、 大手門と一周しました。 首都東京の真ん中にある為 官公庁や重要施設が 集まっていて、まさに 日本の中心だと再認識。 惜しむらくは、金曜で 東御苑が閉まっていて 天守閣跡に行けなかった のは痛恨でした。 |
八王子城 2011年10月27日 | <35城目> 小田原防備の為に築かれた 最大の支城−八王子城。 ここへ来て始めて、華厳菩薩妙行 が修業中に出会った牛頭大王と 八人の王子から取って「八王子」 となったと知りました(^O^) 御主殿の滝近くの曳橋を見た後、 本格的に本丸を目指したのですが 途中で迷って地蔵だらけの場所に 行ったり、さすが修業の場所でも あるぐらい大変だと思いながら 登りきった先に、関東一円の 景色を一望でき、爽快でした。 |
小田原城 2011年1月3日 | <6城目> 関東への足がかりとして 秀吉公をならって小田原城へ(^^) 銅門から入っての天守は、これぞ 城って感じでワクワクしますね。 歴史見聞館で北条五代に関する 展示があって北条氏側の歴史が 分かりやすく面白かったです。 一つ気になったのが、他の城には あまり無いので気づいたのですが 天守近くに猿の檻があること。 これは、猿と呼ばれた秀吉が 大包囲して落城させたのを 逆に皮肉ってるのかな、と(笑) |
武田氏館 2011年3月2日 | <12城目> 勇猛でならした武田軍団の本拠地 別名「躑躅ヶ崎館」。 織田の岐阜や上杉の春日山、 毛利の郡山に朝倉の一乗谷。 通常この時期、山城や平山城など 戦略的に防御しやすい場所に <自分としては面倒な場所(笑)> 本拠地を構えますが、ここ行くと ある種の絶対的な自信や図太さを 感じますね(^O^) いくら緊急時に逃げ込める 要害城があると言っても。 近くに信玄の墓があり、あまりの 質素さにびっくりしますが これこそが武田たる由縁(^^) |
甲府城 2011年3月2日 | <13城目> 武田氏館へ行った後、そのまま 武田滅亡後の要となった甲府城へ 曲輪で構成された武田氏館と違い 高石垣が特徴的でこれだけで 時代の移り変わりを感じますね。 この100名城を回る内に自分が 変わったのが、天守の勇壮さも それで魅力的ですが、 石垣や曲輪からその当時を 想像するのもまた面白いと。 ところで、武田氏館と甲府城の 片方しか行ってない人いるの? 近いので、自分としては ボーナスステージ(笑) |
松代城 2011年10月28日 | <41城目> 川中島の戦いの武田方の前線基地 として縄張された「海津城」から 引き継いだ真田氏の居城−松代城 今日朝の箕輪城から上信越道を 伝って小諸城、上田城を廻り 4城目ですので、ほぼ時間がなく 真田宝物館と城跡しか廻れず。 ただ、宝物館は真田家の武具など 展示されていてなかなか面白い。 城跡は太鼓門と石垣の感じから して、守る城というよりも 相手へ攻め込む為の基地という 印象が大きかったですね。 真田邸と文武学校は廻れなかった ので、次回に持ち越しですね(^^) |
上田城 2011年10月28日 | <40城目> 関ヶ原の戦に間に合わないように 徳川秀忠軍を足止めしたりして 徳川軍を二度にわたり打ち破った 真田武士の気概を示した上田城。 「日の本一の兵」と恐れられた 真田幸村の人気もあり、是非とも 行きたい城の一つで、実際見たら 地理的にも平城ですし、城壁も もの凄く高い訳でもない。 よくこの城で徳川の大軍と渡り 合えたな、と率直に思いました。 それが逆に、真田武士の戦略的な 凄みに繋がるかも知れませんが。 市立博物館にある、頭が六文銭で 形作られた青い甲冑は、凄く 格好良いので必見ですね(^O^) |
小諸城 2011年10月28日 | <39城目> 武田信玄が佐久統治の為に 山本勘助と馬場信房に命じて 縄張させた「酔月城」−小諸城。 徳川家達の筆で「懐古園」と 書かれて有名な三の門をくぐり 城跡を進むと、戦略的に 断崖絶壁に縄張されているので 谷にある木々が紅葉に染まると 情緒がありますね(^O^) さすが島崎藤村ら文化人に インスピレーションを与える ぐらいの事はありますね。 山本勘助が愛用したと云われる 鏡石も何かパワーを感じる ものがありました。 |
松本城 2012年1月6日 | <50城目> 折り返し記念として、国宝4城の 一つで景観が見事な松本城へ。 姫路城以外は現存していない 五重天守は、西の内堀前からと 東の本丸御殿跡からで全く違った 表情を見せるので感動しますね。 私はどちらかと言うと、内堀の 水に鏡のように写った松本城が 一番美しいと感じました(^^) 再建された太鼓門枡形も格好良く 天守の中の構造も良かった。 帰りに、旧開智学校も廻り 松本城下を満喫しました。 残り半分のほとんどは、尾張から 遠い北海道や東北、四国、九州等 の城ばかりですが、時間が かかっても頑張って廻ろうと 決意を新たにしました。 |
高遠城 2011年12月7日 | <43城目> 武田信玄の築城術による高遠城。 現在は桜の名所になっていて 曲輪から当時を想像するしかなく 遺構が少なく残念な気が。 時期外れだから余計にそう思う のかも知れませんが。 近くの歴史博物館に絵島囲み屋敷 が併設していて、大奥で有名な 絵島生島事件の絵島の配流先が 高遠だと始めて知りました。 車で帰ったのですが、伊那市は 台地で道がくねっていて かなりICまで迷いました(>_<) |
新発田城 2012年7月19日 | <58城目> 周りを湿地で囲まれ、菖蒲が 多く咲いてた菖蒲城−新発田城 城作りの際、一匹の狐が現れ 尾を引いて縄張りを教えたと いう伝説から「狐尾曳ノ城」 とも呼ばれていて、 三匹の鯱を戴く三階櫓が 特徴的ですが、陸上自衛隊の 敷地内にあり、近くで見れない のが残念ですね。 近くにある、藩主溝口氏の庭園 「清水園」は、程良い広さで 綺麗に整備されていて 非常に落ち着く良い心地で。 そこでの「麩饅頭」も 非常に美味しかったですね。 |
春日山城 2011年12月7日 | <42城目> 北を守護する毘沙門天を掲げた 名将−上杉謙信が居城としていた 巨大山城−春日山城。 本丸の東側の春日山神社から登り 直江兼続の直江屋敷跡へ行き 毘沙門堂を廻りましたが 大河ドラマ「天地人」だと 洞窟でしたが、お堂になってた のでイメージって怖いですね。 さらに山頂の本丸へ上がり 反対の西側の景勝屋敷跡へ下り 本丸に戻って南側の景虎屋敷跡を 帰りに廻ってきました。 大河でも謙信の後継者を巡って 御館の乱にて景勝と景虎が先に 本丸を奪うかで争って、景勝が 取りましたが、屋敷が景勝の方が 近いので、景虎は可哀相な気が。 二の丸にあった一本の大きい 銀杏の木が真っ黄色に染まって いて、大河の演出でよく落葉の シーンがありましたが、あまり 間違いではないと感じました。 林泉寺の山門に揮毫したとされる 「第一義」は義を重んじた謙信を よく表していますね。 |
高岡城 2011年8月8日 | <22城目> 築城の名手である高山右近が 縄張した「古御城」高岡城。 行った日が月曜で、市立博物館が 閉まっており、スタンプ押せず シール貼るという痛恨があったが 入口近くの高山右近像と本丸の 前田利長像は勇ましいですね(^^) 水濠公園ということもあって 縄張を囲う水濠が良いですね。 近くの高岡大仏の中に入って 地獄絵図は不気味でした(^^;) |
七尾城 2013年1月22日 | <71城目> 松・梅・竹・菊・亀・虎・龍 七つの尾根から成り、上杉謙信 から「北陸第一の名勝」と称賛 された巨大山城−七尾城。 真冬真っ只中で時期が時期だけ に、城史資料館も閉鎖しており 雨が降りしきる中、雪の山道を 歩くという厳しい状態なので、 七曲がりの登山道を避け、車道 から歩いて2時間かけて登城。 雪の中にも階段状の石垣は、 それはそれで趣深いですね。 ただ、霧も凄く城から七尾湾は とても望めませんでした。 下った後は、市街にある 小丸山城址も合わせて見学。 |
金沢城 2011年3月28日 | <16城目> 隣村の尾張国荒子から大出世した 前田利家の居城−金沢城。 天守は焼失したものの復元された 菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は 素晴らしく写真映えすると カメラ構えたところ、壊れていて 後日に再度訪れるハメに(>_<) また見るきっかけになったので 運が良いのか悪いのか(笑) 日本三名園の一つ「兼六園」あり 水戸城近くの「偕楽園」行くと 三名園も制覇できますね。 「兼六園」の時雨亭での抹茶は 和を感じ良い味でした(^O^) |
丸岡城 2011年12月13日 | <44城目> 国内に現存する12の天守閣のうち 最古の建築様式を有する丸岡城。 建てられたのが古い為か 姫路城などの複雑に入り組んだ 層塔式天守閣と違って 上層に望楼があるだけの単純な 望楼式天守閣で、木材の古さも 相まって趣がありますね。 時期的に、狭間から見える紅葉が 一つの絵のようでした。 戦焼や火災などで天守閣がない 城が多い中、こういった城は 感動しますね。ただ、駅から 1時間歩くので大変ですが。 |
一乗谷城 2011年12月13日 | <45城目> 一時期は征夷大将軍の足利義昭を 庇護する程、権勢を誇った 朝倉氏の本拠地・一乗谷城。 遺跡資料館にて自転車を借りて 下城戸から順に廻りましたが、 城下町が計画的に整備されている ことが伺え、その一部だけ町並が 復元されていて、それが全体に 広がってたかと思うと、かなり 壮大な町並だったと衝撃的で。 義景館跡に残る唐門は、年月の 移り変わりを感じました。 日が沈みかけてたので、本城の 一乗山城に行けなかったので、 今度の機会に。 それにしても、白い犬のお父さん と一乗谷は関係あるの? |
岩村城 2011年6月29日 | <21城目> 敵が奇襲した際、霧が立ち込めて 覆い隠したと云われがある霧ヶ城 日本三大山城の一つ−岩村城。 女城主でも有名な城でもあり、 云われの井戸−霧ヶ井を見た後、 本丸の6段石垣は壮観でした。 百名城の中で一番高い地にある とはいえ、他の山城に比べて 急峻さはあまり感じなくて 車でも本丸まですぐ近くまで 行けるので、比較的に楽ですね。 地元尾張からも近いのに行った 事なかったので、百名城は 日本の景観を見つめ直すのに いいきっかけになりますね(^^) |
岐阜城 2011年3月10日 | <14城目> 天下布武を掲げた織田信長公が 岐山と曲阜を合わせ名づけた岐阜 来てみて分かったんですが この日はロープウェイが改装 一日前で動いておらず、 革靴で山登りするハメに(>_<) 予定がある為、短期間でと 乗り場の人に聞いて登ったら 急峻過ぎて泣きそうに。 下を見ず一気に駆け上がった所は 秀吉公が物見したルートと近く 昔の人の強靭さに感服m(__)m 帰りに、逆のルートを見つけて 降りたら階段ばかりで楽で むしろ早く降りれたので さっきの激しさは何だったんだ? 天守から見る城下の濃尾平野は 絶景なのでオススメ(^^) |
山中城 2011年10月26日 | <34城目> 小田原防備の為に箱根山の西側 斜面に築いた要−山中城。 前回は、毛利氏由縁の城を 回ったので、今回は本格的に 北条氏由縁の城を制覇。 まず手始めに、沼津で港近くしか 腐りやすいので食べられない 生桜海老を堪能して、箱根旧街道 を伝って山中城へ(^^) ここはやっぱり代名詞でもある 障子堀が緑に映えて綺麗ですね。 ただ、スタンプはお店の外にある 為か、薄すぎるのが難点。 |
駿府城 2010年12月15日 | <3城目> 徳川家康公の御隠居の居城へ 行ってきました(^^) 二の丸東御門と巽櫓の連なる姿は 美しい反面、中は公園になって 案内も少ない気がしたので 気持ち残念かなと思いました(^^;) 中で家康公の銅像で写真を撮り その近くみかんの木が植えてあり 紀州と静岡でみかんが盛んなのか 分かるのは良かったですね(^O^) |
掛川城 2011年1月3日 | <7城目> 小田原城の帰りに寄った掛川城。 着いた頃には、タイムオーバーで スタンプは押せましたが じっくり見ること叶わず(>_<) 大河「功名が辻」もレンタルで 借りようとしてもいつも貸出中。 山内一豊と縁遠いですが(苦笑) 掛川は高知城を参考にした天守 のようなので、次回セットで リベンジしたいと思います(^O^) |
犬山城 2011年2月7日 | <9城目> 先祖が犬山城主成瀬家の典医を つとめていたらしいので なにか親しみを感じてしまう城。 非常にこじんまりとした城ですが 国宝で最も古い城でもあるので さすが「白帝城」と言われるだけ 雰囲気がありますね(^^) 天守から見る木曽川の流れは 時間を忘れるぐらい良い眺め(^O^) |
名古屋城 2011年2月10日 | <11城目> 「尾張名古屋は城でもつ」と 謳われ地元が誇る天下の名城。 今や「名古屋おもてなし武将隊」 などで注目浴びるようになったが 名古屋城博の時もあの「金鯱」が 触れるというのに閉幕一ヶ月前に なってようやく列ができるように なったぐらい、地元名古屋人の 尻の重さに辟易します(苦笑) その重さは、万博や落合監督が 退任決まった後のドラゴンズ等で 実証されてますが(>_<) おかげで、自分はゆっくり 心置きなく触れました(^^) コンクリート造で中は残念ですが 外から見る景観はトップクラス。 石垣にある雨樋が隠せればなお 良かったと思います(^O^) 地元民とすれば、名古屋に来たら 「なごやめし」堪能して欲しい。 熱田神宮の蓬莱軒のひつまぶし 矢場町南の矢場とんの味噌カツ、 あとは味噌煮込みや味噌おでん、 天むす、きしめん、あんかけスパ 台湾ラーメンなど豊富なので こちらの制覇も合わせてどうぞ。 |
岡崎城 2011年2月8日 | <10城目> 江戸幕府の聖地である 神君出生の城。 同じ愛知県にありながらはじめて 訪ねた城で、新鮮な気持ちで 「灯台もと暗し」とは正にこの事 戦好きとしては、公園内にある <三河武士のやかた家康館>の 関ヶ原の展示は面白かった。 その隣にある本多忠勝の銅像は 格好良いので必見(^O^) |
長篠城 2012年8月6日 | <62城目> 武田軍の猛攻を耐え抜き 織田・徳川軍の大勝利に つながった堅城−長篠城。 宇連川と寒狭川の合流点で 断崖絶壁に囲まれ、少数で 守りやすい要害と分かり、 なおかつそれだけで耐えれ ないのを、鳥居強右衛門の 決死の働きで持ちこたえ、 設楽原の決戦で大勝利に つながるのは、天の時、 地の利、人の和の全て 合わさった結果だと実感。 保存館の血染めの陣太鼓や 設楽原の馬防柵の再現も 非常に感銘を受けました。 |
伊賀上野城 2011年12月28日 | <48城目> 「忍者の里」と呼ばれた伊賀に 築城の名手である藤堂高虎が 高石垣で築いた伊賀上野城。 忍者博物館でどんでん返しや 刀隠しなどの屋敷を見学した後、 高石垣の上に立ちましたが 卒倒するぐらい高いですね。 高虎が大改修した後で藤堂家が 領国経営しましたが、高石垣が あるとはいえ、忍者に近い人達が 暮らす地域で長年気が 抜けなかったでしょうね(笑) 前回は、忍者博物館で手裏剣を 上手く投げれなかったので、 今回こそはと思いましたが、 やってなかったので残念(>_<) |
松阪城 2011年12月28日 | <49城目> 蒲生氏郷が城下を楽市楽座で 商人の町として発展させた 伊勢統治の拠点−松阪城。 今も名残を残す御城番屋敷を廻り 『古事記伝』にて古事記を広めた 本居宣長の記念館で造詣を深め 城下だけで城としてはあまり見る ものがないかなと思いましたが、 希代丸跡の石垣が綺麗でした。 こういった良い意味での裏切りは 100名城の面白さですね。 帰りに駅で『元祖特撰牛肉弁当』 食べたが、相変わらず美味しい。 |
小谷城 2012年3月26日 | <56城目> 北近江を統治した浅井三代が誇る 戦国有数の巨大山城−小谷城。 清水谷にある戦国歴史資料館から 追手道で金吾丸、番所、桜馬場、 本丸と登りましたが、今でも 雪が残り、革靴ではかなり厳しく 誤った選択で痛恨のミスでした。 特に、長政が自害した赤尾屋敷跡 への道はかなり狭く、雪で滑落の 危険性があった為、断念。 本丸へ登るのでギリギリなので、 その先の京極丸や大嶽城跡は 雪がない季節にリベンジします。 「長浜戦国大河ふるさと博」が 開催されていたので、戦国バスを 使って、浅井歴史民俗資料館や 長浜城を廻りました。 賤ヶ岳や竹生島も開催されてる ようなので、これも次回に。 |
安土城 2012年8月1日 | <60城目> 近世城郭の先駆として初めて 威圧する為に天主(天守閣)を 作り、信長の天下統一への拠点 である幻の城−安土城。 観音寺城を制覇した流れで 考古博物館で予習し、隣の 「信長の館」で再現された 絢爛豪華な天主を、しかと頭に 焼き付け、城跡を登りましたが 礎石が残る天主跡に、黄金と 障壁画に彩られた天主が 確かにあったと想像する だけで感慨深いですね。 外国人が「黄金の国」と 考えても可笑しくないですね。 守るので無く、圧倒する為に 真っ直ぐ広くある大手道も 他の城と比べて独特で。 その両隣に、前田利家邸と 羽柴秀吉邸が控え、直ぐ上に 徳川家康邸があったのも 信長の思いを表している様で 非常に興味深いですね。 帰りに「万吾楼」さんの 『まけずの鍔』は上品で 甘さが程よく美味でした。 |
観音寺城 2012年8月1日 | <59城目> 佐々木六角氏が築いた、戦国 最大級の巨大山城−観音寺城。 安土駅から歩いて、天智天皇の 勅願寺院である桑實寺から 山道を登って、城跡まで行き ましたが、猛暑日で尚且つ 風があまり通らない道で、 汗が滝の如く流れ大変でした。 平井丸虎口の石垣は、長大な 規模を誇り、圧倒されました。 そのまま観音正寺へ抜ける 山道を探し回りましたが、 途中で獣道になる道ばかりで 危険を感じ、あえなく断念。 |
二条城 2011年1月9日 | <8城目> 徳川家康公が征夷大将軍拝賀の 儀式を行なって 約260年経て大政奉還も行なわれた 江戸幕府の始まりと終わりと いう時代を作った城。 京都で世界遺産という事もあり 外国人や修学旅行生が多いので ゆっくり見れないのが厳しいが 狩野派の障壁画の美しさと 独特のうぐいす張りを歩く音には いつ行っても感動しますね(^O^) 一度でいいから貸切して ゆっくり見たいですね(笑) |
大阪城 2010年9月8日 | <2城目> 太閤ゆかりの天下の名城に 前回から約一年経過しましたが ついに制覇っ!! 特に、戦好きの自分としては 天守閣6階にある 《大阪夏の陣図屏風の世界》は 屏風に描かれた人それぞれに 想いをはせることができ 時間を忘れてしまいました(^^) |
千早城 2011年6月8日 | <20城目> 楠木正成が幕府の大軍をひきつけ 撃ち破った城−千早城。 前日に続き、山城2連発で訪れ 実戦的な城らしく高取城と比べて より急峻で、ここで上から 攻められたらひとたまりもないな と思えるぐらい大変(苦笑) 本丸にある千早神社は、 まるで聖域のように荘厳で。 ただ一つ残念なのは、スタンプの ある店が感じが良くなく スタンプの質も悪くて残念。 |
竹田城 2011年8月29日 | <28城目> 「虎臥城」と呼ばれた天空の城。 日本のマチュピチュ−竹田城。 18切符で竹田駅へ来たところ 現地のガイドさんのご好意で、 山頂まで車を乗せて頂きました。 北は因幡の鳥取、南は播磨の姫路 東は丹波の福知山と要衝の地の 山頂にある事が上から望め 本丸から北千畳と南千畳の景色は まさに「虎が臥す」という 例えも実感できるぐらい壮観。 この山頂に石を運んで野面積みを した穴太衆の凄まじさも感じ 悠久の時の流れを感じながら 本丸で1時間程佇んでました。 いつかは、立雲峡から 雲海の上の幻想的な竹田城を 見てみたいですね(^O^) |
篠山城 2011年12月20日 | <47城目> 徳川家康が豊臣家の居城である 大阪城の包囲と、豊臣家ゆかりの 西日本の諸大名を分断する為に 山陽・山陰の要に築いた篠山城。 今は、復元された大書院と 築城の名手である藤堂高虎が 得意とする高石垣が特徴的で。 大書院は、写真と違って木材が 年月で煤けていて、イメージが 違ってましたが、院内は障壁画で 華やかな感じがしました。 高石垣を見て、青山歴史村や 安間家史料館、歴史美術館を廻り 篠山城下を堪能しました。 |
明石城 2010年12月24日 | <5城目> 赤穂城からの帰りに車窓から 気になっていた明石城へ(^^) 2基の三重櫓は車窓からは 壮観に見えたのだが、 後ろは特に何もなく・・・(^^;) 遠くからの眺めの方がこのお城は 良さが分かりますね。 ところで、三重櫓の一つ、 <ひつじさる櫓>って。方角を 表してるとしても凄い名前だ。 |
姫路城 2009年9月17日 | <1城目> はじめて百名城を制覇した城。 さすが世界遺産という事もあり、 見る角度によって天守群が 様々な表情を見せていて まさしく白鷺そのもの!! この後から大規模な改装に 入ったとのことですが 改装後が今からすっごく楽しみ♪ |
赤穂城 2010年12月24日 | <4城目> 正月番組でおなじみ「忠臣蔵」で 出てくる赤穂浪士の故郷に 行ってきました(^^) 城としては、本丸門の枡形石垣の 狭間が三角と四角の並びが ファンタジックで面白い程ですが 赤穂浪士ということで 大石神社へお参りしました。 そこで四十七士の名前が入った 手ぬぐいを購入しましたが よく考えれば、愛知に吉良の故郷 があるので、敵方ですね(笑) 余談ですが、その吉良町も合併で 市町村名として無くなったので 合併も良し悪しですね(苦笑) |
高取城 2011年6月7日 | <19城目> 巽高取 雪かとみれば 雪でござらぬ 土佐の城 日本三大山城の一つ−高取城。 車で途中まで行き、急峻な山道を 1時間歩いて頂上に登って、 こんな寂れた所に城があったの? と驚き《兵が夢の跡》が相応しい 人の世の移り変わりを実感。 途中までは風もなく蒸し暑いのが 頂上では一転、南方からの 吉野山からの風がすごく心地好く 独特のパワーを感じて 1時間ほど時を忘れました(^^) 雪と例えられた芙蓉城を当時に 戻って見てみたかった。 またパワーを感じるために 行きたいですね(^O^) |
和歌山城 2011年4月6日 | <18城目> 春まっ盛りに周りが桜で彩られた 紀伊徳川家の巨城−和歌山城。 地元の桜の名所になっている為か 花見の見物客をかき分けて 桜見ながら連立式天守の本丸へ。 天守と櫓に囲まれた天守にも 桜が白壁に映え見事でした(^^) 岡口門越しに見た天守も立派で 今まで訪れた城も桜の季節に 行くとまた違った顔を見せる のかなと新たな気持ちに。 帰りに寄ったラーメン屋さんで 和歌山ラーメンとともにお寿司を 食べる光景は新鮮でした(^O^) |
鳥取城 2012年12月14日 | <68城目> 久松山の山頂と麓に築かれ、 様々な遺構が残る事から 「城郭の博物館」と称され、 「天から釣りたる」とも 言われた山陰の名城−鳥取城。 高石垣が残り、堅固さを感じ なぜ秀吉が正攻法ではなく、 「渇え殺し」を選んだのか 解りますね。特に、時期だけに 山頂まで至る道は、雪がしかと 残ってて、下山する時は滑って 大変でした。帰りには、 東郷平八郎が命名した仁風閣へ 寄り、映画「るろうに剣心」の 舞台になるほどに、見事な洋風 建築は写真に映えて良かった。 |
津山城 2011年8月12日 | <23城目> 雛壇の如く「一二三段」で築かれ 美作一国を治める津山城。 入口にある森忠政像はなんか ボテッとした印象ですが 高石垣の上に立つ備中櫓は壮観で 櫓からは、津山市街を見下ろせ 鶴山に縄張した事に納得(^^) 名古屋から青春18切符で来て 滞在時間がなかったので ホルモンうどんは敢え無く断念。 |
備中松山城 2012年3月19日 | <55城目> 臥牛山頂に築かれた現存天守で 日本三大山城の一つ−備中松山城 現存天守12城の中で1番小規模 ながらも1番高所にあり、 どの角度から見ても美しく 風格が感じられますね。 途中の大手門付近の石垣は、 人工の石垣と天然の岩盤を上手く 組み合わせていて素晴らしい。 時間の関係で備中高梁駅からの タクシーでふいご峠からの登城で 私らしくなく怠慢でしたが、 それでもしんどかった(苦笑) |
鬼ノ城 2011年9月27日 | <29城目> 吉備の要衝にある大規模な 古代山城−鬼ノ城。 車で総社ICから降りて 鬼ノ城に向かいましたが、途中 すれ違えないぐらい狭い山道で 本当にこの道でいいのか疑って 行った先にまさかの ビジターセンターがありました! 復元された西門が今までの 近世・近代の城と違うと思わせ、 城壁があったとされる所を 一周すると、この鬼城山が すり鉢状でこの場所に構えたか よく分かりますね(^^) こういった時代の違う城も 移り変わりがみえていいですね。 |
岡山城 2011年3月25日 | <15城目> 「備前宰相」宇喜多秀家が築いた 漆黒の居城「烏城」岡山城。 久しぶりに路面電車に乗って 五角形の天守にたどり着いた時 色が違うだけで雰囲気が 全く違い感銘を受けました(^^) 日本三名園の一つ「後楽園」から 見る烏城も風景として素晴らしく 完成当時の時代に戻ったようで。 帰りに買った「むらすずめ」も 美味しく大満足でした(^O^) |
福山城 2012年3月8日 | <54城目> 徳川幕府が西国監視の為に、母方 縁者の水野勝成を置いた福山城。 福山駅すぐ前にあり、アクセス しやすく、鉄筋コンクリート造の 為か、威容を誇っていますが 中は残念な感じが否めません。 当時から現存するのは、伏見城 から移築された伏見櫓だけですが これだけでも見る価値あり。 隣の県立歴史博物館で初めて 草戸千軒という中世の町並が あったことを知りました。 時間がなかった為、坂本龍馬の いろは丸事件で有名な鞆の浦には 行けず。またの機会には。 |
郡山城 2011年9月29日 | <33城目> 中国地方一帯を治めた西国の雄 毛利家の本拠地−郡山城。 さすが中国地方一帯まで勢力を 拡大させたこともあり 山全体を要塞化しており この山城は大規模ですね。 毛利元就墓所は荘厳な雰囲気を 醸し出し、そこから山頂に行き 同じ道から帰ろうとしたら 迷ってしまい反対側に出て 改めて規模の大きさを痛感(^^;) 三矢の訓跡碑があるためか 近くにサンフレッチェの練習場 があり、カープの由来となった 広島城同様、両城がスポーツに 由縁があり、面白いですね。 |
広島城 2011年9月29日 | <31城目> 太田川河口の三角洲に、 毛利輝元が「島普請」で築いた 「鯉城」−広島城。 平櫓・多聞櫓・太鼓櫓と連なる 表御門が気持ちを盛り上げ 五層の天守がそびえる威容は 広島の中心を体現してますね。 広島カープが城から由来してる のも文化の中心だからですよね。 ただ中心なだけに、近くに地下 駐車場しか無く、高いのが難点。 |
岩国城 2011年9月29日 | <32城目> 周防なる いわくに山を こえむ日は たむけよくせよ あらきその道−岩国城。 日本三名橋の一つ−錦帯橋を 渡ってロープウェイ登って 三矢の訓で有名な一家−吉川家が 開いた岩国城へ(^O^) 南蛮造で築かれた城は他と違い 独特ですが、ライト邪魔ですね。 帰りには、始めて知りましたが 天然記念物でご利益ありそうな 白蛇を見て、錦帯橋の対岸の 「平清」さんで飾り寿司の 岩国寿司が美味しかったですね。 |
萩城 2011年9月28日 | <30城目> 明治維新を成し遂げた元勲達が 多く生まれた長州藩の本拠地で、 毛利氏の堅城−萩城。 関ヶ原の戦いで破れた西軍の 総大将の毛利氏が防長二国に 閉じ込められ、本州の端の 山陰側に本拠を強いられた為か 尾張からすごく遠くて うらぶれた感じがしますが、 逆にそれが、吉田松陰をはじめ 桂小五郎、高杉晋作、伊藤博文 など人材を輩出したのは この萩の凄みですね(^O^) もともと自分が幕末好きな為か 日本海と指月山を背後に構えた 萩城から始まり、萩史料館→ 旧厚狭毛利家長屋→鍵曲→ 久坂元瑞誕生地→萩博物館→ 菊屋家住宅→高杉晋作誕生地→ 円政寺→木戸孝允旧宅→ 松陰神社(松下村塾)→ 伊藤博文旧宅・別邸まで来て タイムオーバー(>_<) 東光寺をはじめ時間の関係で 半分も回れず歯痒い思いを したので、次回に持ち越し(^^) ところで、円政寺の和尚さんが 話して下さったのですが、 木戸孝允と高杉晋作など元勲が ご近所さんなので、 「今で言えば町内会レベルで 日本を変えた」って凄い言葉だ! |
徳島城 2013年1月9日 | <70城目> 秀吉より阿波国を与えられた 蜂須賀家が築いた徳島城。 前日夜に土佐国から入り、 徳島ラーメンを堪能した後、 朝に復元された鷲の門をくぐり 博物館にある徳島藩御召鯨船 千山丸を見て、築山泉水と 枯山水の庭がある表御門庭園を 廻り、いざ城郭部の城山へ。 「阿波の青石」と呼ばれる 緑色片岩で築かれた石垣は 独特で、非常に印象的でした。 |
高松城 2011年3月30日 | <17城目> ついに本州を出て渡海して四国の 足掛かりとして高松城に入城。 前回、青春18切符で名古屋から 岡山まで行けたので、今回さらに 足延ばして「うどん県」へ(笑) 往復わずか2300円で瀬戸大橋を 渡れるので青春18切符は凄い(^O^) 海城らしく内堀まで海水が 引き込まれていて、鯛が泳いで いたのはびっくり!! 瀬戸大橋が敵方(天候)に奪われ 本州に帰れないのはまずく(笑) 滞在できる時間が短く、本場の うどんを存分に堪能できず残念。 |
丸亀城 2011年12月15日 | <46城目> 三段に積み重ねられた高石垣から 「扇の勾配」と呼ばれ、現存する 木造天守12城の一つ−丸亀城。 高松城と同様に、18切符で 瀬戸大橋を渡って行きましたが、 亀山を高石垣で形成した城には 圧倒されました。特に、本丸から すぐ下の二の丸北側から下へ 見下ろすと、卒倒するぐらい 高いですね。 南側も「石の城」と形容される ぐらい様々な石垣の幾何学的な 美しさに感動しますね。 |
今治城 2012年11月29日 | <67城目> 築城の名人・藤堂高虎が 瀬戸内の要衝−来島海峡を 抑える為に縄張をした 海城−今治城。 村上水軍の城−能島城跡を 見る為、大島に渡り 村上水軍博物館に行った後 瀬戸内海の海水が流入する 内堀を持った今治城へ。 再現された層塔型の五重 天守や真四角に近い曲輪は シンプルながらも壮観。 B級グルメの宝庫である 今治で、特徴的な今治焼鳥 や「白楽天」の焼豚玉子飯 はなかなか美味しかった。 |
湯築城 2012年11月28日 | <65城目> 家臣団屋敷を城内に取り 込み、二重の堀で囲う 戦国期の代表的な 拠点城郭−湯築城。 日本最古の名湯である 道後温泉の重要文化財− 本館の霊の湯に朝一番に 坊っちゃん気分でつかり 城郭北隣の子規記念館に 行った後、湯築城へ。 長らく竹薮として放置 されていた為か、縄張が しっかりと残っており 土塁断面を観察できる 展示もあり、なかなか 勉強になりました。 |
松山城 2012年11月28日 | <66城目> 勝山山頂に天守を置き、 麓に二の丸と三の丸を 配置し守りに徹した 難攻不落の城−松山城。 城下にある大街道から 坂の上の雲ミュージアムや 萬翠荘、秋山兄弟生誕地を 巡って、東雲口から登城。 一度は本丸に背を向ける 戸無門を通り、隠門から 側面奇襲される筒井門、 少しずつ狭まる中庭を抜け 大天守への道は一つで、 囲まれた天守と櫓の狭間 から立体銃撃を受ける 守りに徹した作りに脱帽。 天守から見える城下と 遠くの瀬戸内の海の景色 にも感銘を受けました。 |
大洲城 2012年11月27日 | <64城目> 肱川を臨む丘に複合的に 連結した櫓を組み合わせた 堅城−大洲城。 古写真や木組模型がしかと 残っていた為か、木造再建 された城はコンクリートと 違い、新しながらも趣きが 感じられ、肱川越しで特に 見ると写真映えしますね。 同じ肱川沿いにある景勝地 「臥龍山荘」は、崖沿いを 巧みに使い絶景でした。 |
宇和島城 2012年11月27日 | <63城目> 築城の名手・藤堂高虎が リアス式海岸の最深部に 山と海を巧みに取り入れた 名城−宇和島城。 小規模ながらも格式の高さ を感じられる現存天守で 「鶴島城」と例えられる のも分かりますね。 城郭の西南の「天赦園」も さすが伊達家の庭園らしく 家紋にちなんだ竹と先祖に ちなんだ藤が綺麗でした。 宇和島は郷土料理が充実 してて、「かどや」さんで 鯛めしやふくめん、さつま じゃこ天と美味しかった。 |
高知城 2013年1月8日 | <69城目> 関ヶ原の戦いの後、土佐一国を 与えられた山内一豊が築いた 南海の名城−高知城。 夜行バスで高知に到着して 坂本龍馬誕生地へおり立ち、 「龍馬の生まれたまち記念館」 を見学し、「さいたに屋」で モーニングして落ち着いた後、 山内神社で宝物資料館へ寄り、 いざ高知城へ。掛川城再建で 参考にしたという事もあり、 外観がそっくりで、廊下詰門に 本丸御殿が繋がった天守閣は、 当時を思い忍ばれた。城内の 山内一豊像や板垣退助像は 動きが感じられるポーズで 写真映えが良かった。登城の後 桂浜で大平洋の大きさを感じ、 坂本竜馬のように、幕末時と 同じく、外国の圧力に晒された 我が日本について思い巡らす 良いきっかけとなった。 |
福岡城 2013年2月19日 | <73城目> 関ヶ原の戦いで戦功があった 黒田長政が筑前一国を与えられ 築城家として名高い父の如水が 縄張をして築いた福岡城。 大野城から直ぐに来て、南の丸 の多聞櫓から見て、規模から 察すると大きい天守台から城下 を見渡し、古代の外交施設で あった鴻臚館跡へ。忘れられて いたかも知れないとはいえ、 鴻臚館という史跡にその昔、 西鉄ライオンズの本拠地で あった平和台球場が作られた のにはビックリ!歴史好きで 野球ファンとしてはどちらも 残せなかったのか、と考えたが 物理的に無理ですね(笑)天神 にて屋台で食べた豚骨拉麺と 焼き拉麺は凄く美味しかった。 |
大野城 2013年2月19日 | <72城目> 太宰府防衛の為に四王寺山に 築かれた古代山城−大野城。 朝一番の「のぞみ」で博多より 九州初上陸し、レンタカー借り まずは、古代律令国家の外交と 軍事の最前線で、九州全体を 統括した太宰府政庁<都府楼> 跡に行き、そこの展示館にて スタンプ押印。その後、 天智天皇が創建した観世音寺、 道真公を祀った太宰府天満宮へ 祈願。それから山へ入って 中腹にある、高橋紹運が五万の 島津軍に対し玉砕した岩屋城へ 行き、都府楼と水城を見下ろし ついに大野城へ。山の殆どが 城域なので、とても廻りきれず 主要な建物礎石群と百間石垣 だけを見学。特に、百間石垣は 険しい所に長い距離を積み上げ られていて、近づくのも厳しい 所が多く、古代の人の凄まじさ を痛感しました。 |
名護屋城 2013年2月20日 | <74城目> 太閤秀吉が大陸への夢を馳せた 巨大な陣城−名護屋城。 虹の松原を通って唐津城へ 行った後、秀吉が中国大陸へ 進出する拠点で、地元の地名と 近いというので選んだ地という 事で、名古屋出身の自分として 是非行ってみたい所でした。 閉館された博物館でスタンプ 押して、城域を探索しましたが 一国一城令があり、一揆や立て 篭もりを防ぐ為に所々が破壊さ れても、広大で強固であった 事は想像できますね。また、 天守台から望む小高い丘一つ 一つ全て大名の陣跡という事で すので当時の威容を考えると、 まさしく「京をしのぐ賑わい」 で、如何に秀吉が物量で戦う 戦略眼の持ち主か分かりますし これを長期に維持できる兵站を 可能にさせた石田三成らの 有能さも同時に感じました。 |
吉野ヶ里 2013年2月21日 | <77城目> 日本の城の起源ともされる最大 規模の環濠集落−吉野ヶ里。 JR吉野ヶ里公園駅で下りて、 レンタサイクルを借り、15分程 佐賀の風を浴びながら心地好く 走って歴史公園へ。中へ入ると 弥生時代の風景が想像でき、 歴史の教科書で出てきた竪穴 住居や高床住居を見て、南内郭 や北内郭で城の起源を知り、 北噴丘墓で古墳時代への流れを 掴みました。やはり歴史の造詣 を深めるには、「百聞は一見に 如かず」で、現地が一番です。 改めて思うに、百名城を廻ると 地理と歴史の知識が深まり、 ますます日本の素晴らしさを 再認識するので良いですね。 |
佐賀城 2013年2月21日 | <76城目> 低湿地帯を生かした広大な堀を 持った鍋島氏の城−佐賀城。 重要文化財の鯱の門をくぐり、 再建された本丸御殿へ。入場料 がなく、満足度による寄付のみ という独特なシステムで運営 されていて、それはそれで常識 ある人にはいいかも知れません が、最近の我が国の民度の低下 (老若関わらずというか、最近 老いた方の低下が一層著しい) を見ていると、平気で払わない (文化財維持に貢献しない)人 が多い気がしてならないです。 それが目につきました。展示は 維新期が中心になっていて、 八賢人は勉強になりました。 |
平戸城 2013年2月20日 | <75城目> 松浦氏が山鹿流築城術に基づき 平戸瀬戸を望む地に築いた城。 名護屋城からレンタカーで 九州西端を平戸大橋で渡って 沖縄除いた最西端の名城へ。 天守閣から望む懐柔櫓と見奏櫓 そして平戸瀬戸の眺めは、大変 素晴らしく、ついにここまで 来たかと感慨深いものでした。 その後、寺院と教会が見える 風景の場所を通って、平戸 ザビエル記念教会を見学し、 松浦史料博物館に行きましたが そこに在った江戸までの道程を 描いた長い絵巻物を見ましたが 約40日はかかるというあまりの 遠さに、当時の参勤交代の 大変さを思い知らされました。 |
今帰仁城 2012年2月21日 | <51城目> 今帰仁の城 しもなりの九年母 志慶真乙樽が ぬぎやいはきやい 北山王の居城−今帰仁城。 ANAフリープランで空越えて 約20年ぶりに沖縄上陸。 レンタカーで本部そば街道の きしもと食堂で沖縄そばを食し 世界遺産の今帰仁城へ。 平郎門から入り、大隅の石垣など 内地にはない、グスク独特の カーブを描いた石垣を見て 改めて文化の違いを確認。 途上で見かけた亀甲墓や 御内原にある御嶽なども 琉球特有の文化を表してました。 帰りは、美ら海水族館で巨大な ジンベエとマンタに感動(^O^) |
中城城 2012年2月22日 | <52城目> ペリー提督も賞賛したといわれ グスクとして最も遺構が残る 南海の古城−中城城。 日本最古のアーチ門が素晴らしい 座喜味城や、世界遺産の中で 最古のグスクである勝連城を経て 芸術的に琉球石灰岩で積まれ 美しいカーブを描いた中城城へ。 特に、新城(ミーグスク)である 三の郭は曲線美が素晴らしく 圧倒されました。 北の郭にある大井戸(ウフガー) は水を湛えていて、グスクは 攻防の場としての城よりも聖域に 近い印象が大きかった。 その後には、琉球王府最高の 聖地である、斎場御嶽(セーファ ウタキ)の三庫理(サングーイ) の大きさと神秘的なパワーに 心が癒されました(^^) |
首里城 2012年2月23日 | <53城目> 中国や日本の文化が混在する 琉球王国の栄華の証−首里城。 朝早く、赤瓦の守礼門をくぐり 国王が外出する時に安全祈願した 園比屋武(ソノヒャン)御嶽石門 <世界遺産>を見て、 歓会門、瑞泉門、漏刻門、広福門 と幾重にも連なる門を抜け 奉神門に8時半に着きました。 そこで、当時の役人の衣装の方が 銅鑼を鳴らし開門をするという 「御開門(ウケージョー)」に 参列できました。 朝一番で誰も写り込まない正殿を 写真に収め、中を見学しましたが 正殿2階「大庫理(ウフグイ)」 の柱や高欄の華やかな彫刻と色彩 には、圧倒されました。 ちなみに、この豪華な正殿は 世界遺産でなく、その地下の 石積みだけがとは衝撃でした。 その後、琉球の王墓である 「玉陵(タマウドゥン)」や 金城町石畳道を通って 琉和中折衷の王家の別邸である 識名園を探索しました。 首里城は、開門1時間もすると 修学旅行生でごった返すので 朝一番に行くのがいいですね。 |