岡山城 2009年9月16日 | 記念すべき登城1城目。 まずは地元から、ということで岡山城を選びました。 現存していた旧国宝天守は戦災で失われ、現在は外観復元天守が聳えていますが、見る角度によって印象が異なる姿が面白いです。本丸中の段の月見櫓は貴重な現存櫓です。また、野面積み、打ち込みハギ、切り込みハギと、3種の石垣が混在しており、変遷が分かりやすく興味深かったです。 スタンプは赤色シャチハタ印。 後楽園へと渡る月見橋と、後楽園の園内からの眺めは最高です! 岡山へお越しの際はぜひ。 画像1枚目:旭川越しに眺める天守。この角度が一番好きです。 画像2枚目:冬はタンチョウ。正月に後楽園で放鳥イベントがあります。 画像3枚目:夏は花火。後楽園からは天守の後ろに、打ちあがる花火が見られます。 |
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姫路城 2009年9月22日 | 登城2城目。 平成大修理前かつシルバーウィークであったため、入場制限がかかるほどのものすごい行列。結局見て回るのに5時間要しました。 さすが世界遺産、ため息が出るほどの絶景でした。壮麗な外観と無骨な内部の対比が面白かったです。何度でも行きたい! ※再訪問(1):2016年9月2日。平成の大改修後、初めての登城。3時間半かけてじっくり見て回ることが出来ました。欧米・アジア系の観光客が多く、時代の移り変わりを感じました。白すぎると話題になっていた大天守も少しなじんできた印象。三国堀、西の丸、百間廊下から眺めた大小天守の美しさは本当に素晴らしいです。 ※再訪問(2):2023年8月29日。世界遺産登録30周年を記念して、乾小天守、東小天守、イの渡櫓、ロの渡櫓、ハの渡櫓、折廻り櫓の6棟が特別公開。ロの渡櫓の400年前から残る床板、乾小天守最上階から眺める迫力の大天守。猛暑の中見学した甲斐がありました。 ※再訪問(3):2024年2月18日。西小天守の特別公開。3階の火頭窓には格子がはめられ、1階石落としからは水五門を通る人がよく見通せます。 |
福山城 2009年10月12日 | 登城3城目。 JR福山駅北口(福山城口)を出ると目の前に石垣が飛び込んできます。木幡伏見城から移築したと伝わる伏見櫓、鉄筋御門など現存建築を眺めつつ、惜しくも戦災で焼失し復元された天守へ。 復興天守内部は老朽化が進んで薄暗く、展示は福山市域の歴史に重点が置かれており(上層階は弥生〜古墳時代!)、なんだかなぁという印象は否めませんでした。 ※再訪問:2023年9月24日。「令和の大普請」を終えてリニューアル。天守は高欄が黒塗りされ北面の鉄板張も相まって引き締まった姿に生まれ変わり、内部の博物館は城の歴史と特徴を分かりやすく解説。敷地内の樹木も整理されて伏見櫓や鉄御門が見やすくなりました。機会があれば伏見櫓の内部も見学したいです。 |
高松城 2009年11月15日 | 登城4城目。 JR高松駅からすぐ。通算2度目の登城でしたが、今回は日曜日だったので、現存する月見櫓(着見櫓)の内部を見学できました。直接瀬戸内海に面した海城で、堀に海水が引き込まれている点が特徴的です。そんな堀を活用して鯛の養殖が実験的に行われていて、「鯛願城就」なるお守りが販売されていました。 珍しい南蛮造だった天守の再建計画が持ち上がっており、訪問当時は天守台の石垣を組みなおす工事が行われていました。今後の復元整備にも期待したいです。 |
丸亀城 2009年11月15日 | 登城5城目。 高松からの帰りに訪問。JR丸亀駅から徒歩15分。 山上にちょこんと残る現存天守と迫力ある大手門の組み合わせと、石材の規格が統一され端正に積まれた日本一の高石垣が見どころで、城が築かれた亀山全体が石垣で覆われ要塞化されています。 現存天守は最小規模だけに、その小ささにはちょっとびっくりしましたが、親切な受付のおじさんと、美しい讃岐富士の姿が印象に残りました。 ※再訪問:2017年8月5日。じっくり見学。蒸し暑い日でしたが、瀬戸内海から吹き込む海風が気持ちよかったです。 |
赤穂城 2010年1月17日 | 登城6城目。 隣接の大石神社は参拝客で賑わっていましたが、こちらはがらがら。当時の建物は残っていませんが、折れを多用した縄張りと石垣の美しさに見とれました。 スタンプは大手門で押しましたが、野ざらし状態のため訪問当時の状態は悪く、何度も試し押しをしても細部が欠けてしまいました。これからの整備に期待。 ※再訪問:2019年8月12日。龍野城と併せて再訪。甲州流軍学に基づき設計された複雑な縄張りを再度実感。復元石垣と現存石垣の見分けがつきにくいです。他に誰もいなかった前回とは違って、炎天下でも訪問客が絶え間なくいて、城人気の高まりも実感しました。 |
鳥取城 2010年3月17日 | 登城7城目。 2010年春の青春18きっぷを使用して山陰へ。 時間の関係で山上ノ丸には行かず、天球丸櫓跡までの訪問。城跡は整備中のため工事車輌が多数出入りしていましたが、立派な石垣が残っていて、往時の姿がイメージできるお城でした。 スタンプは旧鳥取藩主の池田家が大正天皇(当時皇太子)を迎えるために建設した仁風閣で押印。機会があれば山上の丸の訪問をリベンジしたいです。 ※再訪問:2021年11月20日:11年ぶり2回目の登城。天球丸の丸石垣、大手登城路の擬宝珠橋などの整備が進み、魅力アップしていました。また、今回は山上ノ丸の登山にもチャレンジ。午前中に太閤ヶ平に登った疲れがたたったか、ひたすら続く急なつづら折りの登城路がきつく、今までで一番苦しい思いをしましたが、何とかリベンジを達成。山頂の素晴らしい眺望に癒されました。 |
松江城 2010年3月18日 | 登城8城目。 現存する望楼型天守は重厚感たっぷり。内部で展示されていた古い心柱の大きさに驚きました。石落や狭間も見どころだと思います。 天守最上階からは宍道湖と松江の街が一望でき、城の北に位置する塩見縄手の街並みと合わせて、しっとりした城下町の雰囲気が気に入りました。 スタンプは入り口受付にて、訪問当時はインクが少し薄かったです。 国宝登録を目指す署名活動が行われていました。 ※再訪問:2018年3月11日。3月末で廃線となったJR三江線乗車旅の帰りに寄りました。2015年に国宝指定されてからは初の訪問。天守内の展示リニューアルに伴いがらんどうでしたが、ありのままの姿を見られてよかったです。 |
広島城 2010年4月3日 | 登城9城目。 平和記念公園から徒歩。原爆からの復興を目指して広島の人々の熱意によって1954年に再建された天守は、下見板張りが年季が入っていて趣が感じられます。内部の展示は築城した毛利輝元を中心に構成されていました。 スタンプは天守内の事務所で係員に出してもらう方式で、管理状態は良好でした。 ※再訪問:2019年3月9日。馬出になっている二の丸と木造復元されている表門と3つの櫓などをしっかり見学し、内堀をぐるりと一周。北西端にある天守を水堀越しに仰ぎ見たときの風格が素晴らしい。外国人観光客が多かったです。 |
鬼ノ城 2010年4月28日 | 登城10城目。文献資料に記録のない、古代朝鮮式の山城として有名です。 吉備路自転車道をサイクリングした際に立ち寄りました。ふもとの公園に自転車を止め、徒歩で登りましたが、非常にしんどいです!ここは、自家用車で行くのが普通ですね(笑) それだけに、西門からの眺めは達成感のあるものでした。 スタンプは鬼ノ城ビジターセンターにありますが、作りなおしたものでした(通常のものと数字のフォントが異なります)。 |
丸岡城 2010年8月31日 | 登城11城目。 2010年夏の青春18きっぷで北陸→長野→名古屋をぐるっと一人旅。JR丸岡駅からはほぼ貸し切り状態のバスで丸岡バスセンター下車。炎天下の中、丸岡城まで徒歩5分でした。 石瓦が特徴的な現存天守。内部に入って驚いたのは、写真の急階段。ロープをよじ登って2階に上がるのですが、お年寄りや子供には危険だと思います。当時の武士はどのようにしてこの急階段を上っていたのでしょうか…?? スタンプはちょっと濃いめです。 異常な猛暑のためか、JR北陸本線の古い車両(413系)は冷房が効いておらず本当につらかったです。ひっそりした丸岡の町も印象に残りました。 ※再訪問:2023年11月25日。越前大野からレンタカーで福井市内に戻る途中に13年ぶり訪問。丸岡城も老若男女問わずお客さんが増えました。特徴的な杓谷石の屋根瓦や天守台を被せる腰屋根などをじっくり観察。角度65度の急階段ばかり印象に残った前回から、私自身のお城を観る目も変わりました。 |
金沢城 2010年9月1日 | 登城12城目。 漆喰で固めらた姿はとてもまぶしかったです。訪問当時は石川門が工事中でした。近年木造で再建された橋爪一の門、続櫓、五十間長屋、菱櫓は内部も新築の雰囲気たっぷりでしたが、伝統工法の展示は勉強になりました。かつてはここに金沢大学のキャンパスがあったのですね。 残念ながら訪問時はあまりの猛暑で記憶がありません。ぜひ冬に再訪したいです。 ※再訪問:2019年1月1日。有言実行です(笑)。城内の復元整備がさらに進んでおり、初めて来た感覚でした。今回は3時間かけて隅々までゆっくり見学できました。玉泉院丸庭園にある色紙短冊積石垣は優美でした。 |
松本城 2010年9月2日 | 登城13城目。 国宝の現存天守はどっしりした構えが格好良かったです。月見櫓部分が工事中だったのが非常に残念でした。内部の展示は小笠原氏の鉄砲隊メインで、これでもかというくらいの鉄砲コレクションでした。スタンプは事務所入り口にて押印。 さわやかな松本の空に映える素晴らしいお城だと思いました。 ※再訪問:2024年5月3日。14年ぶりの登城。前夜にライトアップを観て、翌朝は8時10分過ぎに乗り込んだら、すでに黒門前から150mも伸びる入場券購入列にびっくりしました。結局、入場券購入に20分、天守入場規制でさらに20分待ち。円安の影響で外国人観光客がかなり多く芋の子を洗う状態でしたが、なんとか一通り見学。乾小天守が耐震性の問題で立ち入り禁止でしたが、今回は快晴の下漆黒の天守群の威容を目に焼き付けることができたので大満足。 |
名古屋城 2010年9月3日 | 登城14城目。 徳川の城だけに、天守の重厚感というか、威圧感はすごいですね。内部は普通の博物館で、それほど面白くはありませんでしたが…。 名古屋開府400周年ということで、「おもてなし武将隊」がいましたが、信長公はコンビニ弁当の食べ過ぎで夏バテされておられるとのことでした(笑) 現在本丸御殿が再建中で、完成の暁には見落としてしまった御深井西北隅櫓とあわせて再訪したいと思います。名古屋城を意識した意匠の愛知県庁(1938年築)も一見の価値ありです。 ※再訪問:2019年2月10日。ついに完成なった本丸御殿を見学。入場料500円が安すぎるくらいの豪華絢爛さは眼福でした。木造再建のため取り壊し予定の天守との2ショットはそう長くないのでしょうね。天守石垣はひび割れ劣化があり、先行きが心配されます。他に現存櫓を見学。外国人観光客がものすごく増えました。 |
彦根城 2010年9月3日 | 登城15城目。 名古屋からの帰りに寄りました。JR彦根駅から徒歩15分。訪問が閉園1時間前だったため、ひこにゃんにも会えず、観光客もまばら。「はよ帰れ」と言わんばかりの悲しげな音楽が流れておりました。 小型ながら破風に飾られた天守はとても個性的で、琵琶湖を望む絶景も素晴らしい。 スタンプは珍しい丸型で写りはまずまず。 近くの高校の生徒が部活動のトレーニングで天守前まで登ってきていました。国宝天守を眺めながらの練習、うらやましい! |
備中松山城 2010年11月23日 | 登城16城目。 大石内蔵助になったつもりでJR備中高梁駅から徒歩で登りました。が、さすがは日本一の山城、麓から40〜50分の山登りはしんどかったです。しかしその分、本丸の立派な石垣群には人一倍の感動を味わえました! 分かりやすい解説VTRの上映、ユーモアあふれる城主の立て札、お茶のサービスなどが、とても嬉しかったです。岩盤の上の天守はもちろん、内部(腹切丸)の囲炉裏も興味深かったです。スタンプの状態も良好。 ※再訪問(1):2014年9月13日。友人らと自動車で。 ※再訪問(2):2021年11月19日。11年ぶりに麓から徒歩で登城。以前はきちんと見ていなかった現存土塀や天守内部の構造を目に焼き付ける。猫城主さんじゅーろーにもやっと会えました。 |
竹田城 2012年9月4日 | 登城17城目。前回の報告から2年近く空いてしまいました。 「天空の城」として有名な竹田城。最近でも高倉健主演の映画のロケが行われたこともあってか、老若男女でにぎわっていました。 本丸天守台から北千畳・南千畳の眺望は「最高」の一言に尽きます。築城当時の土木技術の高さに改めてびっくりしました。 スタンプはJR播但線・竹田駅で押印。状態は良好。 今回は、竹田駅裏の急な登山道からアプローチしました。観光案内所のおばちゃんには「若いから楽勝よ!」とハッパをかけられましたが、急な登山道で汗だくになりながら、途中で雷雨に見舞われるなど、なかなか過酷な経験でした。 |
津山城 2012年9月8日 | 登城18城目。 城跡というより「桜の名所」というイメージしかなく、あまり期待はしていなかったのですが、実際に登城してみると、一二三段と呼ばれる本丸の高石垣や並び立つ櫓跡の迫力に圧倒され、認識を新たにしました。森忠政が13年の歳月をかけて築き、往時は姫路城などをしのぐ77の櫓があったとのことで、間違いなく重要な100名城の一つだと思います。 2005年に木造復元された備中櫓は、内部も津山市内の同時期の建築を参考に丁寧に作りこまれているとのこと。また、津山出身の押坂忍さんナレーションの映像が上映されており、CGによる津山城と城下町の復元が分かりやすかったです。 スタンプは備中櫓内の受付で押印、インクは黒色でやや薄めでした。 ※再訪問(1):2017年7月22日。津山はB'z稲葉浩志さんの地元ですが、この小さな町でライブが開催されました。当日は記念で無料開放でした。野次馬記念に登城。 ※再訪問(2):2018年4月2日。夜桜見物。見事の一言でした。 ※再訪問(3):2020年4月4日。お昼にお花見。コロナ禍でも見事。 |
松山城 2015年9月12日 | 登城19城目。3年ぶりに百名城スタンプラリーに復帰です。友人らとロープウェイ・リフトで登城。 伊予松山城の見どころは多数残る門・櫓群と、日本最後の城郭建築である天守。大・小天守と南・北隅櫓が4隅に配置された天守曲輪は圧巻。また、加工され端正に積まれている石垣からは、幕末期の完成された築城技術を感じました。天守に登れば、眼下に松山の街並みと瀬戸内海が望め、海から吹きこんでくる気持ちいい風に吹かれます。スタンプは写り良好。 街の中心にそびえる山の頂上に、ちょこんと天守が見える松山市街は、いい雰囲気ですね。大満足です。 ※再訪問(1):2015年12月30日。天守には入らず、県庁裏登山口から前回見られなかった登り石垣を見ながら急坂を歩いて登城。地元の高校生たちがトレーニングで走っていました。地元の人々に愛されているお城は素敵です。 ※再訪問(2):2024年10月12日。9年ぶり再訪問。「坂の上の雲」再放送も相まってか、非常に賑わっていました。時代は少しずつ変わっても、瀬戸内海から天守に吹き込む風は、変わらず心地よいものでした。 |
湯築城 2015年9月12日 | 登城20城目。 伊予国の守護だった河野氏の本拠。資料館ではガイドの方が丁寧に湯築城の歴史を説明してくださり、勉強になりました。戦後は動物園の敷地だったそうで、湯築城の存在はすっかり忘れ去られていたようですね。武家屋敷や土塀などが復元されています。スタンプは良好。 見学後、すぐ近くの道後温泉でゆっくりと湯船につかり、リラックスできました。 ※再訪問:2024年10月12日。9年前にはまだ建物のない城郭に対して理解が不十分で、資料館と再現武家屋敷を一瞥しただけで、きちんと城内を探索していませんでした。その反省も込めて、今回は城内をぐるっと一周。ネコの足跡が残る土師器もしっかり見学しました。 |
和歌山城 2015年10月17日 | 登城21城目。今回、初めて和歌山県を訪れました。 ここの見どころはまず、石垣ですね。羽柴秀長、浅野幸長、徳川頼宣それぞれの時代の改築の跡を、紀州青石を使用した古い野面積み、打ち込みハギ、切り込みハギ、それぞれからうかがい知ることができ、興味深かったです。 御三家の居城とあって、縄張りも大きく、破風で装飾された天守はさすがだと思いました(天守は戦災で焼失のため復元、残念…)。 好天に恵まれ、天守最上階からは、淡路島が見えました。 スタンプは緑色のシャチハタ印。状態は良好でした。 紅葉の時期に、西の丸庭園から眺めるのもよさそうですね。 ※再訪問:2021年12月17日。6年前にはきちんと見れていなかった西の丸庭園、御橋廊下や城門などを見学。市役所の隣に新しく出来た「和歌山城ホール」の展望デッキからは連立式天守が一望できます。 |
宇和島城 2015年12月29日 | 登城22城目。 JR四国の特急列車を含めた全列車が誕生日月の3日間乗り放題となる「バースデイきっぷ」を利用した旅行で行きました。宇和島駅から商店街を通り、名物「鯛めし」を食べた後、桑折長屋門から井戸丸の石段を上りました。 伊達秀宗が改築した3層の現存天守は小ぶりですが、入口部分の屋根が唐破風であること、石落としや狭間がないこと、南西角に桃瓦があることなど独特な特徴があります。 宇和島城は宇和海の最奥部に位置していて、かつては直接海と接する海城だったようです。いまも天守からは宇和海を一望することができ、海から気持ちいい風が吹き込んできます。 スタンプは黒色。シャチハタ印ではないので、おそらく一度作り替えたものです。 |
大洲城 2015年12月30日 | 登城23城目。 JR伊予大洲駅から徒歩で15分。 肱川につきだした丘陵にそびえる連結式天守は、2004年に木造復元されたもの。地元の方々の熱意に頭が下がります。一方で台所櫓と高欄櫓は現存建築で、しっかりと時代を感じることができます。 肱川のほとりに立つ苧綿櫓(おわたやぐら)も見逃せません。天守からの肱川の眺めは来てよかったと思わせるすばらしい眺望です。 スタンプはシャチハタ印の赤色。状態は良好です。 |
岩国城 2016年8月12日 | 登城24城目。 久しぶりに青春18きっぷを使用して向かった先は岩国城。 吉川広家が造った南蛮造の天守は一国一城令により築城からわずか7年で破却。現在山上に建つ天守は昭和の再建で、錦帯橋から見えるよう位置を南に50メートルほどずらす改変がなされています。 旧天守台をはじめ所々に石垣が残っていますが、特筆すべきは慶長期の近世城郭には珍しい空堀。天守や石垣といった分かりやすい遺構だけでなく堀もしっかり見なければと反省しました。 スタンプは緑色インクのシャチハタ印で状態は良好でした。 錦帯橋は山口県の一大観光地。炎天下の中でしたが、川遊びする人たちが気持ちよさそうでした。 |
篠山城 2016年8月20日 | 登城25城目。 復元された大書院は特徴的な建物で見ごたえがありますが、藤堂高虎が設計した縄張り(東・南2つの馬出)、諸大名の印が刻まれた野面積みの石垣(埋門には池田輝政の刻印のついた石がある)も必見。 大書院では篠山城が西国の抑えとして家康の命により築城された経緯が分かりやすくまとめられたVTRが上映されており、勉強になりました。あとは南側石垣周辺の見学通路を整備してくれれば…。 スタンプは作り直されたゴム印でした。 登城後に周辺を歩きましたが、茅葺屋根の武家屋敷が複数残っているのには驚きました。篠山の城下町は小さいながらも雰囲気があっていいですね。次は涼しい時期に行ってみたいです。 |
明石城 2016年9月2日 | 登城26城目。 2回目の姫路城登城のあと、いつも素通りしていた明石城にようやく登城となりました。 松本城主・小笠原忠真が幕命により築城した城。平日の坤櫓と巽櫓の内部は公開されていませんでしたが、1層目に千鳥破風、2層目に唐破風をあしらった両櫓は美しいです。JR明石駅の喧噪が聞こえてきますが、公園内はいたって静かで、海風が気持ちよかったです。 30分ほど見学し、名物「玉子焼き」(明石焼き)を食べてから、帰路につきました。 サービスセンター内設置のスタンプは赤色インクのシャチハタ印。少しだけ強めに押したほうがよいかも。 ※再訪問:2020年10月5日。2019年の築城400年記念の関係で、石垣まわりの樹木が伐採されるなど整備が進んだと聞き、再登城しました(画像2・3枚目)。前回は櫓ばかり見ていましたが、石垣がこんなにすごかったとは…。改めて勉強になりました。 |
今治城 2016年9月10日 | 登城27城目。 シンプルな輪郭式の縄張に、幅広の犬走り、強固な桝形の構え、初の層塔型天守と、藤堂高虎の代表作として有名な今治城。再建天守は史実と異なり望楼型ですが、正直格好いいので、高虎も悪い気はしないのではないかと思います。 天守内には鎧兜が数多く展示され、最上階からは来島海峡大橋が見えました。再建された鉄御門と武具櫓は必見です。海水を引き込んだ堀には、エイが泳いでいたので、びっくりしました。 スタンプは黒色シャチハタ印。受付の方が丁寧に指導してくれました。 |
大阪城 2016年10月9日 | 登城28城目にしてようやく登城。 天王寺区の真田丸跡と、大阪歴史博物館での「真田丸展」を鑑賞し、大阪城に向かいました。 秋の3連休の中日であり、「真田丸」関連イベントのため、非常にお客さんが多く、城内の隅々の見学は再訪の折にお預けとしました。スタンプは作り直したものでした。 西の丸庭園では夕方から「真田丸」パブリックビューイングとトークショーがあり、真田昌幸役の草刈正雄さんの登場に沸きました。大阪城天守閣を仰ぎ見ながらの大河ドラマ視聴は、思い出深い体験となりました。 ※再訪問:2018年4月1日。前回訪問できなかった重文櫓(大手口多聞櫓、千貫櫓、焔硝蔵)を特別公開(700円)でじっくり見学しました。多聞櫓の武者走りや江戸期の姿を残す焔硝蔵は特に見ものです。お花見もできて最高でした。 |
月山富田城 2016年11月3日 | 登城29城目。 山陰の雄・尼子氏の盛衰の舞台となった名城です。整備工事のため11月末までは本丸へは立入禁止。本丸へと続く七曲りが樹木の伐採で姿をあらわにしていて、よりいっそう登りたいという欲が湧きましたが、山中御殿までで引き返しました…。(帰り道に米子城に立ち寄り、見事な石垣と眺望で溜飲を下げました。) スタンプは歴史博物館入口の引き出しに収納。青色インクで状態は良好です。 再訪問:2020年11月14日。4年越しのリベンジ登城です(画像2枚目・3枚目)。御子守口からの搦手道を登城して山上へ。山上の郭群もかなり広く、二の丸と本丸の間は深い堀切で仕切られています。また、毛利元就が月山富田城の包囲戦で陣を敷いた勝山城が飯梨川を挟んでちょうど正面に見え、当時の緊迫感を感じました。樹木の伐採など整備がさらに進んだおかげで、月山富田城の広大な城域の全貌が分かりやすくなり、登城者も多かったです。ようやく心残りも解消。 |
二条城 2016年12月10日 | 登城30城目。 2016年冬の青春18きっぷで京都へ。二条城は中学校の研修で来たはずですが、なぜか内部を見学せず素通りした記憶があり、不明を恥じるばかりです。 入口の東大手門と番所は修復工事中だったのが少し残念でしたが、2013年に修復された唐門は圧倒的な威容を誇っていました。大政奉還の現場となった御殿の内部は文化財保護のため写真撮影は一切禁止。しかも、冷え切ったうぐいす張りの廊下を靴下で歩くようになっていましたが、何とかできないものでしょうか。 スタンプは休憩所にて押印。青色インクのゴム印。 二の丸御殿中庭と御台所でたまたまスーパーカーの展示会が開催されていました。世界遺産に世界に数百台しかないアルファロメオ、フェラーリ、ランボルギーニ、ロールスロイスなどの名車の組み合わせは贅沢そのものでした。 |
徳島城 2016年12月23日 | 登城31城目。2016年の登城納めです。 四国東部を治めた蜂須賀家の居城。1989年に徳島市制100周年を記念して復元された鷲の門以外は城内に当時を偲ばせる建築物はありませんが、和歌山城と同様に石垣には付近で産出される緑色片岩(阿波青石)が用いられ、寺島川沿い(JR線路に隣接)には、屏風折の塀とそれを受けた「舌石」と呼ばれる突き出した特徴的な石垣が残っているほか、二の丸に天守が設けられていた(天守台なし)点など、特徴に富んだ城と言えそうです。 スタンプは緑色のゴム印でした。 本場の徳島ラーメンを食べ、阿波踊り会館を見学、眉山ロープウェイを上がって徳島の街を眺め、夜はチームラボのプロジェクションマッピングを見て、JR高徳線経由で帰りました。 |
新高山城 2019年1月5日 | 登城32城目。記念すべき続100名城1城目。 2017年、2018年は事情があって城めぐりができませんでしたが、その間2017年4月6日から続100名城スタンプラリーが開始されているのを知り、「これは面倒なことになった」と思いつつもガイドブックを購入し、続100名城とあわせて城めぐりを再開することになりました。 JR本郷駅近くの本郷生涯学習センターでスタンプ(青色インクのシャチハタ印)を押印してから登城。 ふもとの民家の間の登山口から入り、登山道入口の看板のところで、本郷町観光協会と新高山城跡を守る会が作成したパンフレットを入手。ところどころ残る石垣や郭を確認しながら、本丸・詰の丸まで50分かけて登り切りました。1月といえどもさすがに汗ばみました。 本丸の礎石や石垣、釣井の段の井戸など遺構が多くあり、本格的な山城は初めてでしたが、楽しく登城できました。 |
三原城 2019年1月5日 | 登城33城目(続2城目)。 新高山城からの帰り、岡山方面に1駅東の三原駅で下車。観光案内所で城下町マップを入手して駅コンコースから徒歩0分で登城。スタンプは青色シャチハタ印。 天主台は、アブリ積みの石垣が特徴で、扇の勾配の美しさが印象的。みはら歴史館裏の中門跡から舟入櫓跡まで、本丸の遺構に沿って歩いたことで、小早川隆景の築城した瀬戸内海に浮かぶ「うきしろ」の規模の大きさが実感できました。 |
小牧山城 2019年2月8日 | 登城34城目(続3城目)。名古屋近郊+東美濃3城攻城ツアー。 名鉄小牧駅から徒歩10分少々。 最近の発掘調査で、信長時代の居館跡の礎石が発見され、NHK「歴史秘話ヒストリア」でも取り上げられていたので、さぞ同好の士が多いだろうと思っていましたが、予想に反して地元のウォーキングのお年寄りばかりでした…。 まっすぐな大手道と両サイドに並ぶ曲輪は後の安土城を彷彿とさせ、山麓に復元された帯曲輪の土塁からは家康と秀吉が睨みあった小牧・長久手の戦いの緊張感が覗えます。 主郭にある資料館からの眺望は想像以上によく、南に名古屋城と清洲城、東に長久手古戦場、北に犬山城と岐阜城、さらにこの日は雪をかぶった御嶽山まで見渡せました。濃尾平野のど真ん中のこの場所に拠点を築いた信長の慧眼に感服です。 スタンプは黒色シャチハタ印。 新しい展示館が2019年春オープンで、城内各所には将来の石垣の復元を見据えて裏込め石が大量に陳列されており、今後の丁寧な整備を期待したいところです。 |
犬山城 2019年2月8日 | 登城35城目(正32城目)。 小牧山城から名鉄で移動し、犬山駅から徒歩20分ほど。 城下町をぶらぶらして香ばしい五平餅をつまみ、「城とまちミュージアム」で成瀬家の歴史と城郭模型、2017年の落雷で壊れて取り換えられた鯱を見学し登城。 望楼型現存天守で国宝5城の一つとしてあまりにも有名ですが、2004年まで旧藩主家が個人所有していたとは…。 スタンプは管理事務所のドアを開けて現れたスチール戸棚の上にありました。黒色のシャチハタ印で、綺麗な印影でした。 木曽川から見上げた天守の姿を目に焼き付け、名鉄犬山遊園駅から次の城に移動。これにて国宝5城(犬山、松本、彦根、姫路、松江)をコンプリート。 |
美濃金山城 2019年2月8日 | 登城36城目(続4城目)。 犬山から名鉄広見線・御嵩線で明智駅下車。YAOバスで元役場前バス停下車。 「戦国山城ミュージアム」で斎藤道三の猶子・正義が「烏峰城」として築城してから森可成、長可、蘭丸、忠政と移り、犬山城主・石川氏による破却までわずか60年の濃い歴史を把握。スタンプはその隣の「観光交流館」で。青色シャチハタ印。 すでに日が傾きかけていたため、大手登城口の蘭丸ふる里の森を目指し、小走りで坂道をダッシュ。一気に駐車場のある三の丸まで登ってから、じっくり石垣遺構と縄張りを鑑賞しました。400年前に破城された割には石垣や大手枡形の虎口、門の礎石がよく残存していて、とても楽しめました。 本丸からは搦手の坂を下り、米蔵跡まで回り切り、ちょうど日没を迎えました(所要時間1時間30分)。体力的にきつかったですが、充実したひとときでした。 |
岩村城 2019年2月9日 | 登城37城目(正33城目)。 恵那駅から三セクローカル線・明知鉄道に乗車、25分ほどで岩村駅に到着。NHK「半分、青い」ロケ地となった岩村城下町を散策。途中、チラッと見えた石垣に期待を高めながら徒歩40分で復元太鼓櫓と表御門に到着。スタンプ(緑色シャチハタ印)を資料館で押印。 資料館から本丸までは約800メートル。一之門までの石畳がなかなかハードな急坂ですが、それに負けずに追手門・三重櫓付近まで登ると、素晴らしい遺構群が次々と出現。伝承の残る霧ヶ井を抜けると、夢にまで見た六段壁が目の前に。圧倒的な姿にしばし興奮。その後本丸をぐるっと回って、行き50分、帰り15分の行程となりました。 各所に標高と本丸までの距離、当時の絵図、QRコードが掲載された新しい案内板が整備されており、安心感があります。 本丸裏まで車で上がれますが、やはり岩村城下町の雰囲気を楽しみながら山麓から徒歩で登城すれば、六段壁を見たときの感動が違うと思います。 |
苗木城 2019年2月9日 | 登城38城目(続5城目)。 岩村城から移動。中津川駅からは付知峡温泉行きのバスに乗車し10分。苗木バス停からわずかに残る城下の街並み(旧藩主・遠山家の明治期の屋敷もありました)を歩いて15分で苗木遠山史料館に到着。ここでスタンプ(青色シャチハタ印)を押印し、東美濃三城スタンプラリー(期間限定)のトートバッグをゲットしました。 続100名城のスタート前から興味があった城ですが、実際に登城してみると、花崗岩の巨岩を取り込んだ多種多様な積み方の石垣、懸け造の天守跡、眼下に広がる木曽川の渓谷とそびえる恵那山の眺望にただただ圧倒されました。 石垣の迫力や立地の凄さは「山城ナンバーワン」と呼べそうですが、わずか1万石の小藩ゆえに、建造物は漆喰が塗れず赤壁だったそうで、その対比が面白いところです。 機会があればぜひ再訪したいと思います。 |
郡山城 2019年3月8日 | 登城39城目(正34城目)。 広島バスセンターから広電バス・吉田行きに揺られること1時間45分。歴史民俗博物館でスタンプ(赤色シャチハタ印、印面良好)を押印してからの登城です。 博物館で教わった通りに、元就像(御里屋敷跡)→火葬場→石垣跡→毛利隆元墓所→薬研堀跡→毛利元就・一族墓所、百万一心碑の順に上っていき、御蔵屋敷→釣井の壇→姫の丸壇→釜屋の壇→厩の壇→三の丸→二の丸→本丸→勢溜の壇→満願寺跡→尾崎丸と一周しました(旧本城は日没時間を考慮して断念)。階段状に細分化された郭が山の尾根全体に張り巡らされており、毛利氏の拠点にふさわしい巨大要塞を実感しました。また、杉の高木に覆われ苔むした一族墓所の静謐な雰囲気は、強く印象に残りました。 道中の案内表示が少ないので、博物館でもらったパンフレットを手掛かりに歩かなければなりません。続100名城に手を出して山城には少し慣れてきましたが、途中道が崩れて狭くなっていたり、削れて歩きにくくなっている箇所もあり、正100名城の中では有数のハードな城ではないかと思います。 これにて広島県の正・続5城は登城完了しました。 |
小机城 2019年5月2日 | 登城40城目(続6城目)。 新幹線・新横浜駅→横浜線を1駅・小机駅で下車し、徒歩15分程度。スタンプを途中の城郷小机地域センターで押印。青色シャチハタ印で状態は良好。パンフレットもここで入手。 横浜市郊外の長閑な住宅地の中にある「小机市民の森」。何の変哲もない竹藪の山にしか見えませんが、空堀や根小屋、土塁、二の丸・本丸の郭が良好に残っています。縄張りはコンパクトながら、空堀は大規模なもので、堀底を歩いて体感できます。本丸は小さいながらも野球グラウンドになっており、少年チームが練習していました。 続100名城は本格的な山城が多いですが、気軽に散策しながら楽しめる城もいいですね。 |
江戸城 2019年5月2日 | 登城41城目(正35城目)。 ようやく行くことができた江戸城。 地下鉄日比谷駅を下車し、馬場先門から入って楠公レストハウスでスタンプ押印。赤色シャチハタ印でした。 外桜田門から入りなおし、皇居正門・二重橋→坂下門→桔梗門(内桜田門)を経由して大手門から東御苑に入り、百人番所→松の廊下跡→富士見多聞→天守台跡と見て回り、北桔梗門から出ました。これだけで所要時間3時間、歩き疲れてしまいました。精密に築かれた石垣と規模の巨大さは、他の城郭を凌駕しています。 「令和」改元翌日で警備が物々しいのではと思いましたが、穏やかな休日の雰囲気でした。機会があれば、乾通りの一般公開で富士見多聞を外から眺めてみたいです。 |
品川台場 2019年5月2日 | 登城42城目(続7城目)。 お台場には何度も来ていますが、“台場”に来たのは初めて。どうしても上からの眺めを撮影したかったので、ゆりかもめを芝浦ふ頭駅で下車。芝浦アンカレイジからレインボーブリッジの遊歩道(サウスルート)を歩いて、第六台場と第三台場を順に撮影。そのあと第三台場に上陸して砲台跡や玉置場(砲弾倉庫)跡をチェック。 スタンプはマリーンハウスで押印。所要時間1時間少々。 大都会の真ん中に取り残された産業遺跡みたいな雰囲気ですが、ペリー来航後の幕府が総力を挙げて築いた江戸防衛拠点の姿をとどめるものとして、重要な史跡なのだと理解しました。 |
本佐倉城 2019年5月3日 | 登城43城目(続8城目)。 車で訪れる人が多いかと思いますが、京成佐倉駅で下車して佐倉市観光協会でレンタサイクル(500円)を借りて向かいました。道中の京成・大佐倉駅でスタンプを押印(青色シャチハタ印)。予想以上の田園風景に戸惑いましたが、25分ほどで東山馬場の駐車場に到着。 休日は地元ボランティアの方が受付をしておられるようで、千葉氏の滅亡までの歴史と見どころの説明を受けました。(スタンプ押印とパンフレット入手も可能)東山馬場の月星紋盾→IV郭→城山郭→奥の山→倉跡→セッテイ郭と回り、所要時間2時間。高さが16メートルもあるセッテイ空堀、横矢折れがある強固な東山虎口はかなり見応えがあります。 当時は京成本線から北は印旛沼で、水田は湿地帯だったとのことで、非常に攻めづらい城だったと想像できます。要所要所に案内板があり助かりました。 |
佐倉城 2019年5月3日 | 登城44城目(正36城目)。 幕末の老中・堀田正睦の居城。 本佐倉城から佐倉台地のアップダウンに苦しめられながら、佐倉武家屋敷通りを通って約30分。佐倉城址公園センターで押印したスタンプはシャチハタではなく、作り直されたゴム印でした。建物内外に1つずつ設置されていますが、建物内の方が印影が鮮明なようです。 陸軍佐倉連隊の演習場が置かれていたため、公園内の門跡は案内板のみ、見どころは天守礎石の展示と復元された角馬出の空堀です。出丸や土塁は比較的よく残存しており、空堀も雑草で確認できないくらいの深さがあります。城跡というより広大な公園の雰囲気で、ピクニックの家族連れが多かったです。 この後、国立歴史民俗博物館を見学しましたが、大変充実した展示で時間が足りませんでした。 |
大多喜城 2019年5月4日 | 登城45城目(続9城目)。 房総半島の城めぐりということで、里見氏の拠点だった館山城や久留里城と併せて車で行きました。 秀吉により里見氏から没収された上総国が家康に与えられ、入府した本田忠勝が里見氏の北上を阻むため築城。本丸は明治期に削平されたようで、当時をしのぶ遺構は駐車場から本丸に上る道路沿いの空堀跡くらいです。二の丸跡に位置する大多喜高校の敷地内にある薬医門と、巨大な大井戸を見学して終了。 模擬天守(博物館)のスタンプは2階に移設されたようです。赤色シャチハタ印。 これで千葉県の正・続3城の登城完了です。 |
備中高松城 2019年7月14日 | 登城46城目(続10城目)。 織田(秀吉)の中国攻めのハイライト、備中高松城の戦いの現場です。 方形の三の丸、二の丸、本丸が連なる単純な沼城で、本丸にある城主・清水宗治の首塚、周辺の胴塚と自刃の地、秀吉が築いた蛙ヶ鼻築堤跡など周囲の遺構から、当時に思いを馳せるのが、この城の楽しみ方でしょうか。 地元では7月に咲く蓮の花が有名です。歴史公園として沼地を整備した際に、地中に眠っていた蓮が生えてきたもので、「宗治蓮」と呼ばれています。 資料館に設置されているスタンプは赤色シャチハタ印。新品になっていました。 岡山県の正・続5城の登城完了です。 |
川越城 2019年9月13日 | 登城47城目(正37城目)。 池袋から東武東上線で川越市駅で下車。 小江戸・川越の言葉どおりの蔵造りの街並みを散策&写真撮影しながら、市役所の太田道灌像、中ノ門堀跡を経由して、本丸御殿へ。 現存本丸御殿は、1000坪あった往時の6分の1程度しか残存していないようですが、玄関の唐破風、使者の詰所や別棟の家老部屋など、質実剛健の雰囲気が感じられ、入場料100円ながら大変楽しく見学することができました。 戦後の一時期、中学校の屋内運動場として使用されたそうで、大広間の天井にバレーボールが当たった跡がたくさん残っています。 帰路は富士見櫓跡、田曲輪跡、川越大師喜多院などをめぐりました。 スタンプは黒色シャチハタ印で、受付で丁寧に管理されているようでした。 |
安土城 2019年10月20日 | 登城48城目(正38城目)。 JR安土駅からレンタサイクルで滋賀県立安土城考古博物館→信長の館を経由して登城しました。入山料500円。 スタンプは料金所で押印。作り直したゴム印でしたが、印面の状態は良好でした。 そこから大手道を順に上っていき、黒金門跡→二の丸信長廟→本丸→取付台→天主跡へ、帰りは總見寺三重塔→仁王門を見学しました。 城内の石垣の多くが整備事業で復元されたものですが、大手道や黒金門の食い違い虎口は、圧巻の一言です。 一方で、二の丸・天主跡の石垣は当時の素朴な野面積みの姿をとどめています。特に天主跡の石垣は上部が崩壊し、残った部分も本能寺の変直後の火災でひどく傷んでいますが、実際に現地に立って上を見上げ、信長の煌びやかな天主を想像してみると、信長の求心的な権力への志向の強さを感じられるような気がしました。 直線大手道の解釈や各郭に配置された諸大名の屋敷跡など、まだまだ不明な点が多く、今後のさらなる研究が待たれます。 |
観音寺城 2019年10月21日 | 登城49城目(正39城目)。 前日に続き、JR安土駅からレンタサイクルを借り、20分ほどで繖山南面の石寺集落へ向かい、そこから徒歩で1300段の石段をひたすら登って観音正寺へ行きました。入山料500円を払ってスタンプ押印(ゴム印)し、休憩がてらしばし境内を見学。 城跡へは、境内に鎮座する大仏の背後にあるゲートから入り、約7〜8分で本丸に到達します。以後、伝平井丸→伝落合丸→伝池田丸の主要3曲輪を経て、女郎岩・大石垣→伝木村丸から下っていき、最後に麓の六角氏屋敷跡の順に回って所要時間3.5時間でした。 観音正寺から本丸までのルートは比較的歩きやすいですが、城域北側にある大土塁沿いの各曲輪に通じるルートは薮に覆われ、本丸では巨木が根こそぎ倒れているなど、全体的にかなり荒れており、整備された城跡が多い100名城の中では屈指の過酷な登城と思われます。 本丸北側の食い違い虎口や伝平井丸の巨石石垣など、見どころとなる遺構は良好に残っており、総石垣の城づくりをした六角氏の先進性には心を動かされます。 苦労した分、満足度の高い城歩きとなりました。 |
八幡山城 2019年10月21日 | 登城50城目(続11城目)。ようやく4分の1の登城を達成。 JR近江八幡駅からレンタサイクルを借り、15分ほどで麓に到着。観音寺城を満喫したので、ここはロープウェイ(往復890円)に乗ってらくちん登城としました。 ロープウェイ山頂駅でスタンプ押印(青色シャチハタ印)し、三の丸→西の丸→北の丸→本丸(村雲御所瑞雲寺門跡)→二の丸の順にじっくり1時間で一周。各曲輪はそれほど広くありませんが、野面積みの石垣がしっかり残っています。東西南北の眺望も開けていて、近江八幡の市街地や琵琶湖、安土城・観音寺城が見通せます。 秀次入城から廃城までわずか10年の歴史ですが、城下は商人の街として存続したのが興味深いところです。 余談ですが、西の丸には猫が棲みついているようです。子猫が2匹じゃれ合いながら走り回っていて、癒しのひとときになりました。 |
唐沢山城 2019年11月2日 | 登城51城目(続12城目)。 北関東(群馬・栃木)攻城ツアー。車で三の丸入口まで行けるので、登城には苦労しません。 三の丸→鼓岩→武者だまり→二の丸→本丸と登り、北の丸の二重堀切まで鑑賞して所要時間2時間でした。 秀吉と関係のあった佐野氏が西日本の技術を導入して築いたとされる本丸下の高石垣は見事で、土塁も良好に残っています。 唐沢山南麓は真田信幸と昌幸・信繁が袂を別った「犬伏の別れ」の舞台、西麓は後に老中・田沼意次を輩出した田沼氏の根拠地ということで、周辺地域も歴史を感じさせる場所です。 スタンプは唐沢山神社社務所で押印。縄張り図付きのパンフレットが入ったボックスが武者だまりの案内板付近に設置されているので、入手すると回りやすいです。 廃城され約400年が経過すると、地域猫に占拠されているようで、特に武者だまりは「猫だまり」状態でした。どの猫も無防備にくつろいでいるので、誰でも動物写真家の岩合光昭さんのように触れ合えそうです。 |
箕輪城 2019年11月3日 | 登城52城目(正40城目)。 早朝に前橋市内を出発し気合を入れて向かいました。 長野氏→武田氏→織田氏(滝川一益)→北条氏→徳川(井伊直政)と城主が変わるたびに幾度も作り変えられたとのことで、河原石が積まれた虎韜門(ことうもん)や鍛冶曲輪の石垣、三の丸や二の丸下の巨大な大堀切など、見どころが非常に多いです。 また、2016年11月に完成した郭馬出西虎口門をはじめとして、発掘調査に基づいた復元整備が行き届いていて、非常に気持ちよく見学できました。 圧倒的な土木工事量からは、何としてもこの地を守り抜くという鉄壁の意志を感じます。100名城に選定されたのも納得。 スタンプは現地にはなく、少し離れた高崎市箕郷支所(公民館)にあり、土日は宿直室対応です。パンフレットももらえるので、先にスタンプを押してから現地に行くのをおすすめします。 |
岩櫃城 2019年11月3日 | 登城53城目(続13城目)。 箕輪城から榛名山を山越え。平沢登山口の案内所でスタンプ押印し縄張り図を入手し、勧められたとおりに中城から長い竪堀を通って二の丸・本丸に至る尾根通りを登城しました。 縄張りは東西の尾根伝いに展開されており、本丸下竪堀は長大で、鉤の手状に折れていて防御力の高さがわかります。本丸曲輪は削平地が広く、眺望も開けています。所要時間は1時間半。 今も人気の高い真田氏の拠点で、とりわけ信繁が幼少期を過ごしたとされる地だけに、幅広い年代の登城者(登山者)でにぎわっていました。 少し離れた蜜岩神社から眺める岩櫃山の断崖絶壁は、大河ドラマ「真田丸」オープニングそのままの壮観で、感動しました。 |
名胡桃城 2019年11月3日 | 登城54城目(続14城目)。 岩櫃城から車で40分。沼田氏臣下の名胡桃氏の小さな単廓の城を、真田氏が沼田城奪取の拠点として拡張し、以後も生命線として死守しようとした重要拠点。 大河ドラマ放送に合わせてかなり整備され、喰違い虎口や堀切が見学しやすくなっています。三の廓から本廓、ささ廓までぐるっと見学して所要時間は40分ほどでした。北条氏滅亡のきっかけとなった震源地という点で、非常に興味をそそられました。 スタンプは名胡桃城跡案内所で押印。営業時間は16時までです。 |
沼田城 2019年11月3日 | 登城55城目(続15城目)。 名胡桃城から移動するとすでに16時半過ぎ。スタンプ設置場所の観光案内所の営業時間は17時まで(3〜11月)なので、急いでスタンプを押印し、上州真田三名城達成のクリアファイルを頂きました。 真田信之以降の沼田藩5代の居城で、関東では江戸城とここだけに五層天守があったそうですが、廃城後徹底的に破壊されたため、遺構らしい遺構はほとんど残っていません。 わずかに残る三の丸櫓石垣を目当てに公園内を探索しましたが、日没時間の早いこの時期はすでに真っ暗。残念ながらタイムアップとなってしまいました。 |
金山城 2019年11月4日 | 登城56城目(正41城目)。 新田一族の岩松家純により築城され、下克上により城主となった由良氏が武田や上杉の侵攻から守りぬくも、北条氏の調略に屈し、北条氏滅亡により廃城。 発掘調査に基づいた整備がされており、特に実城へ向かう大手虎口の石垣は圧巻の一言です。その他にも、関東平野を一望できる眺望、堀底が石敷きの通路にされている西矢倉台西堀切、岩盤を人工的に削った物御台下堀切、本丸(新田神社)裏に残った現存石垣も見逃せません。 道中にある市立の無料ガイダンス施設に立ち寄りました。隈研吾さんによる、石垣をモチーフにした斬新な外観デザインにびっくり。 これで群馬県の正・続5城は登城完了。 |
足利氏館 2019年11月4日 | 登城57城目(正42城目)。 足利氏館として100名城に選出されていますが、他の方のレビューどおり、鑁阿寺(ばんなじ)境内を取り囲む方形の土塁が当時の面影を残すのみ。城めぐりというよりお寺めぐりの感が強いです。 当日は地元の七五三参りのお子さんと親御さんがたくさんお参りされており、ほほえましい姿が印象に残りました。 すぐ近くの日本遺産・足利学校も方形土塁に囲まれており、有名な学校門や孔子像を見学して帰りました。 これで栃木県の正・続2城を登城完了。 |
勝連城 2020年2月11日 | 登城58城目(続16城目)。 初めての沖縄、3泊4日で正・続(世界遺産)5城巡りです。 勝連城は5城の中で最も古く12世紀に築かれ、護佐丸を滅ぼした阿麻和利の居城として知られます。 休憩所で出土品の展示を見た後、道路を渡って西原御門から登城。岩盤を取り込みながら絶妙にカーブしている石垣は日本の城にはない独特の美しさ。特に三の廓の隅部が独特な尖り方をしていて、加工技術の高さに驚きます。さらに、四脚門の跡舎殿が置かれた三の廓、首里城のような舎殿跡があった二の廓、そして一の廓の360°の大パノラマに圧倒されます。 カー(井戸)、ガマ(洞窟)のほか、ウタキ(御嶽)という拝所=人々の信仰の場が城内に点在しており、地元の人々の心のよりどころとしての存在に重みを感じながら、じっくり鑑賞することができました。 スタンプ(200番)は休憩所の受付カウンターで押印。黒色シャチハタ印でした。 |
今帰仁城 2020年2月12日 | 登城59城目(正43城目)。3泊4日の2日目。 名護市内から車で30分で到着。正・続5城の中では唯一の北山王朝のグスクです。 この地域に分布する「今帰仁石灰岩」は、アンモナイトがいた古生代(2億3000万年前)のサンゴによりに形成されたもので、今帰仁城も南部のグスクより黒くて固い石垣で築かれているとのことです。 大隅(ウーシミ)の屈曲した石垣、御内原(ウーチバル)の眼下に広がる眺望もとても素晴らしく、最南端の志慶真門郭(しじまじょうかく)から主郭を見上げた光景も大迫力でしばし立ち尽くしました。 2月とは思えない陽気のなか、満開のヒカンザクラとエメラルドグリーンの海に迎えられての登城になり、とても心に残りました。 スタンプは今帰仁村グスク交流センターで押印。四角い緑色シャチハタ印で印影も良好でした。 |
座喜味城 2020年2月12日 | 登城60城目(続17城目)。 今帰仁城から名護の日本ハムキャンプ、国道58号を南下して万座毛、中日2軍キャンプに立ち寄りつつ、読谷村にある座喜味城に向かいました。 座喜味城は北山の今帰仁城攻略のため護佐丸が築城したグスク。護佐丸は中城城に移ってから勝連城の阿麻和利に滅ぼされましたが、このグスクは引き続き使用されていたようです。沖縄戦では日本軍の高射砲台が、さらに戦後には米軍のレーダー基地が設置され、遺構がかなり破壊されたようですが、沖縄復帰後に整備が進み美しい姿を取り戻したとのこと。 規模は小さいながらも、二の廓に入るアーチ門の楔石(これは現存遺構)や、迷路のような複雑な廓など見どころが多く、石垣の美しさだけでいえば、5城の中でナンバーワンだと思いました。眺望のすばらしさも含めて、ひたすら感動しました。 スタンプはユンタンザミュージアムで押印(水曜日休館、玄関で押印可)。黒色シャチハタ印です。 登城後は残波岬に立ち寄って沈む夕日を眺めました。 |
中城城 2020年2月13日 | 登城61城目(正44城目)。3泊4日の3日目。 築城の名手・護佐丸が在城した大変規模の大きいグスクで、幕末にはペリー艦隊が探検した歴史も残っています。沖縄戦でも日本軍の滞在期間が短かったため、米軍の攻撃をあまり受けず、石垣はほとんど当時のまま残っているとのことです。 噂のカートに乗せられ、正門から登城。野面積みや布積みなど時代の異なると思われる石垣が混在しています。迷路のような南の廓を経た一の廓(本丸)には正殿跡が。展望スペースからは太平洋が一望できます。さらに二の廓や三の廓の高石垣は凸状になっており、琉球独特のキュッとしたカーブがたまりません。 2月とは思えない暑さ(最高気温26℃)で大変でしたが、大満足でした。この後、中村家住宅、斎場御嶽、ひめゆりの塔、糸満具志川城など南部をぐるっと回って那覇に泊まりました。 スタンプは管理事務所で押印。青色の六角形のシャチハタ印でした。 |
首里城 2020年2月14日 | 登城62城目(正45城目)。3泊4日の沖縄最終日。 あまりにも衝撃的だった正殿の焼失から3か月。復旧作業のため主要部への立ち入りは制限されていますが、周辺を見学できる「復興モデルコース」が整備されています。今回は90分コースのルート(守礼門〜北城郭〜東のアザナ〜瑞泉門〜広福門前〜奉神門前〜京の内〜西のアザナ)を回りました。 奉神門から京の内に向かう順路から、正殿の様子が覗えましたが、実際に被害の大きさを目の当たりにすると、胸が痛みました。 首里杜館(すいむかん)の受付で押したスタンプは緑色シャチハタ印、状態は良好でした。 これで沖縄県の正・続5城は登城完了。 再建には大変な過程が予想されますが、いつの日か壮麗な姿を取り戻した首里城の姿を見てみたいものです。 |
岸和田城 2020年3月6日 | 登城63城目(続18城目)。 新型コロナウイルスの感染が国内でも徐々に広がり始め、学校が全国一斉休校となるなど、不安な気持ちになる日々ですが、ダイヤ改正で廃止になる近鉄鮮魚列車の撮影のついでに登城しました。 「岸和田」の地名は、楠木正成の一族の和田氏が「岸」と呼ばれていた当地に築城し根拠地としたことに由来し、戦国時代に小出秀政により現在の城郭が整備。5層の天守は1827年に落雷で焼失、その他建物は維新期に破壊されたため、現存遺構は石垣と堀のみです。現在は戦後に建てられた3層の復興天守がそびえていますが、もとは図書館だったため内部も少し趣が違っています。また、本丸南面の石垣には、犬走りが設けられています。崩れやすい和泉砂岩の石垣を補強する目的だそうですが、北面には設けられていないのが不思議です。 スタンプは緑色シャチハタ印。受付で出してもらえます。 今回は、岸和田市内の本徳寺が所蔵している明智光秀の肖像画の原本が特別に城内で展示されており、お得な気分になって帰りました。 |
引田城 2020年10月16日 | 登城64城目(続19城目)。 讃岐国人寒川氏配下の四宮氏→三好氏→仙谷秀久と変遷し、生駒正親の時代に総石垣の織豊系城郭に改築された東四国支配の重要拠点。2020年3月に国指定史跡に指定され、再評価が進んでいる城です。 散策マップに従って引田港側登山口から本丸→化粧池→東の丸→北二の丸→大手門→南二の丸と一周。じっくり回って所要1時間半。 登山道はよく整備されていますが、見どころの化粧池や東の丸の石垣は登山道から少し外れた所にあるようで、生い茂った草でよく確認できませんでした。北二の丸の石垣は、上段が崩落防止のブルーシートに覆われているものの、下段の高石垣は迫力のある姿を見ることが出来ました。噂の「クモの巣」は時期柄か、心配したほどではありませんでした。 スタンプは讃州井筒屋敷で押印。緑色シャチハタ印で丁寧な管理。 本当は併設のレストランで「ブリの漬け丼」を食べたかったのですが、コロナ禍の影響なのか、「当面の間休業」の張り紙が…。 ともあれ、これで香川県の正・続3城を登城完了。 |
洲本城 2020年10月16日 | 登城65城目(続20城目)。 城主は安宅氏→仙石氏→脇坂氏→藤堂氏→池田氏→徳島藩・蜂須賀氏→家老・稲田氏と変遷していますが、現在の姿は脇坂安治時代以降のものです。 昭和天皇即位を記念して建設された小さな模擬天守の印象が強かったですが、三熊山上に広がる城域はかなり広く、本丸をはじめ立派な石垣群が良好に残っており、想像以上に楽しむことが出来ました。この城の特徴は山の斜面に築かれた東西2つの登り石垣。東の登り石垣は、最近樹木が伐採され、東の丸から洲本の街並みと一緒に眺められるようになっています。 スタンプは山麓の淡路文化史料館に設置されていますが、この日は臨時休館のため洲本市役所に行って押印することに。事前のリサーチは大事ですね…。 |
勝瑞城 2020年10月17日 | 登城66城目(続21城目)。 阿波国守護の細川氏と、畿内まで権勢を誇った三好氏の本拠地。三好氏の菩提寺・見性寺の境内となっている方形の城跡と、県道を挟んで南にある広大な城館跡から構成されています。勝瑞城跡は中富川の戦いの詰城として築かれた可能性が指摘されているようですが、水堀、土塁が残っており、三好氏四代の墓と併せて往時の趣をとどめています。一方、勝瑞城館跡は【工事現場】。これから発掘成果に基づいた史跡整備が進むのでしょうが…。 スタンプは土日のため400mほど離れた武田石油(ガソリンスタンド)で押印。 |
一宮城 2020年10月17日 | 登城67城目(続22城目)。 徳島市南西部の鮎喰川右岸にある小笠原氏→一宮氏の山城。蜂須賀家政入城後に大改修され、徳島城に本拠移転後は支城となり、一国一城令で廃城。 見どころは才蔵丸の巨大切岸、才蔵丸と明神丸をつなぐ尾根を切断した堀切と竪堀、そして本丸の石垣。登山口→倉庫跡→明神丸→才蔵丸→本丸→小倉丸→貯水池→蔭滝と一周しましたが、雨が本降りとなり本丸以降は悲惨な散策に…。 スタンプは登山口の案内板に設置されているポスト内にあります。縄張り図の入ったパンフレットもあり、御城印も販売されています。四国霊場13番札所・大日寺の駐車場を利用させてもらいました。 これで徳島県の正・続3城を登城完了。 |
鎌刃城 2020年10月30日 | 登城68城目(続23城目)。北近江・若狭4名城巡り。 米原駅からタクシーで旧中山道の宿場町・番場まで向かい、「源右衛門」でスタンプ押印、トレッキングマップ(100円)を入手。 名神高速彦根43ゲートから登山道を歩いて40分で城内への入り口となる大堀切へ。北曲輪群→西側斜面の大石垣→主郭→南曲輪とまわり所要2時間でした。鎌の刃のように細く長く伸びた尾根上に続く縄張り、主郭の枡形虎口、石灰岩で築かれた石塁、大堀切など見どころは十分でした。 登城コースは整備されているとはいえクマが出るのも納得の鬱蒼とした山道。崖沿いで人が一人通れるくらいの部分もあり、山に不慣れな私はビビりまくりでしたが、小学生の一団と引率の先生&ガイドのおじさんが普通に下りてきてびっくりしました。 |
佐柿国吉城 2020年10月31日 | 登城69城目(続24城目)。 若狭・越前の国境に位置する若狭国主武田氏家臣の粟屋勝久の城。粟屋氏は度重なる朝倉の侵攻を撃退し、信長の朝倉攻めでは三英傑が揃い踏みしたことでも有名です。 城主居館跡から動物よけの柵を開けてつづら折れの登城路を登ること20分。伝二の丸跡の喰い違い虎口と高土塁を経て、佐柿の街並みが眼下に開けると、主郭下の帯曲輪段に到着。 山上の本丸や帯曲輪段は粟屋末期から木村定光期にかけて総石垣の城に改築されていたとみられ、帯曲輪段の北堀切には粟屋期の石垣が、本丸の北西虎口には大きな鏡石が残っています。また、石仏や五輪塔が彫られた人頭大の転用石も所々に転がっています。西の尾根に広がる曲輪からはきれいな若狭湾が望めました。所要時間は1時間半。 スタンプは麓の若狭国吉城歴史博物館で押印。遺構も眺望もよく、コンパクトながら楽しいお城でした。 |
玄蕃尾城 2020年10月31日 | 登城70城目(続25城目)。 「玄蕃尾城」や「内中尾山城」では車のナビに出ないので、「敦賀市刀根」でセットし、国道8号から県道160号に入り、柳ヶ瀬トンネル手前で左折。車が交わせない幅の舗装林道を2km登った行き止まりが登城口になります。路肩の駐車スペースは5台程度で、11月まではスタンプとパンフレットの入ったポストが設置されています。赤色シャチハタ印。 階段の山道を10分ほど進むと久々坂峠(刀根越え)に出て、そこから斜面を登ると、幅広に削平された尾根道に。しばらく歩くと、いきなり蟻地獄のような円錐型の巨大な空堀が現れ、そこからはモコモコの土塁と深い空堀のオンパレード。特に主郭の堀、主郭の北方と南方を守る2つの馬出廓は「圧巻」の一言に尽きます。 主郭櫓台には建物礎石も残っており、陣城にしては相当に入念な作事が行われた様子ですが、けっきょく柴田勝家はこの城を活用することなく盟友の前田利家に見切られ賤ヶ岳の戦いに敗北。悲しい…。 |
小谷城 2020年11月1日 | 登城71城目(正46城目)。 紅葉の季節は戦国ガイドステーションから本丸までのガイド付きバスが運行されていますが、今回は自分の足で登城したかったので、資料館横の追手道から金吾丸→番所跡→御馬屋→赤尾屋敷(長政自刃の地)→黒金御門→大広間→本丸→大堀切→中丸→京極丸→大石垣→山王丸→六坊→大嶽城→六坊→清水谷のルートを選択。 主要部まででもハードな道のりに足が痛くなりましたが、六坊から大嶽城まで(片道50分)は勾配が急な階段が延々と続き、思わず音を上げそうになりました。朝8時半過ぎから登り始めて下山は13時過ぎ。4時間半の攻城戦で、巨大山城の全体像を体感できたように思います。 スタンプは登城後に小谷城戦国歴史資料館で押印。作り直された赤色シャチハタ印でした。 これで滋賀県の正・続6城を登城完了。滋賀県6城のラインナップはすごい。 |
米子城 2020年11月15日 | 登城72城目(続26城目)。 続100名城スタンプラリー開始前の2016年に1回登城していますが、前回は本丸のみの見学だったので、今回はじっくり南側の桝形門から内膳丸を経て本丸を目指しました。 中海に面した標高90メートルの平山城ですが登山道はそこそこ傾斜があります。息を切らしながら登り切ると、大迫力の本丸の三段石垣がお出迎え。そして中海、弓ヶ浜、米子市街地、遠く大山が見渡せる360度の大パノラマ。気分爽快! スタンプは米子市役所向かいの米子市立山陰歴史館の入口の1か所のみ設置されています(本丸東屋のスタンプは撤去)。 五重天守と四重の副天守が聳える往時の姿は間違いなく山陰随一。内膳丸から山上の本丸に続く斜面にある登り石垣も要チェック。100名城の選に漏れたのが不思議なくらいの名城です。 |
若桜鬼ケ城 2021年11月20日 | 登城73城目(続27城目)。 コロナの感染状況が落ち着き始めたので、約1年ぶりにスタンプラリーを再開。行きはJR郡家駅からバスを利用。若桜駅前の観光案内所でスタンプを押印し、八幡広場(旧若桜小グラウンド)の登山口から登城開始です。思ったよりも歩かされる登城路に苦戦しつつ、1時間かけて本丸に到着。三ノ丸桝形虎口の迫力もさることながら、若桜町の眺望や本丸の紅葉がきれいでした。下りは破却されず残っている六角石垣を鑑賞し、草スキー場跡から町民体育館裏登山口へ。 下山後は若桜町内を散策。若桜駅の転車台とSLを見学して、帰りは楽しみにしていた若桜鉄道に乗車しました。 スタンプは二ノ丸の小屋にも設置されていますが、管理がされている若桜駅前の観光案内所の方で押印しました。 鳥取県の正・続3城を登城完了。 |
新宮城 2021年12月18日 | 登城74城目(続28城目)。 JR西日本の近畿エリア+αが2日間1万円で新幹線・特急列車が乗り放題となる「関西どこでもきっぷ」を利用。前日に和歌山城を見学後、特急くろしおで移動して新宮市内で宿泊。 浅野期の石垣の上に水野期の石垣が築かれているのが特徴で、熊野川に面した港跡「水の手」は他に類を見ない施設ということで、最大の見どころとなっています。6mの高さの石垣が築かれ、約20棟の建物跡が発見されたことから、水野家が専売していた備長炭の積み下ろしに使われていたと推定されているようです。 スタンプは、阿須賀神社横にある新宮市立歴史民俗資料館の窓口で押印。資料館に入らなくてもスタンプ押印可のようです。 これで和歌山県の正・続2城を登城完了。 JR新宮駅前の「徐福寿司」で買った新宮名物「さんま姿寿司」は、酸味と塩加減が絶妙で美味でした。 |
赤木城 2021年12月18日 | 登城75城目(続29城目)。 秀吉が北山一揆鎮圧のため藤堂高虎に命じて築城させた総石垣の城。新宮城からはJRの駅レンタカーを利用。紀伊半島の山中の道路は道が狭い割に大型ダンプの通行が多く要注意。小雪の舞う寒さのなか、立ち寄った丸山千枚田の絶景に感動しつつ、新宮市内から1時間で無事到着です。 石垣は野面積みであるものの、東廓から主郭にかけては執拗に喰い違い虎口が、主郭には横矢掛かりが設けられるなど、縄張りが工夫されています。また、峠道から見える南側の石垣は高く積まれているのに対し、北側の石垣は高さが低く、見栄えを相当意識したことが素人の眼から見ても実感できます。 スタンプは3キロも離れた場所にある「道の駅 熊野・板屋九郎兵衛の里」にあります。滅多なことでは行く機会のない紀伊半島の山中、印象深い城の一つになりました。 |
千早城 2022年1月8日 | 登城76城目(正47城目)。 南海河内長野駅から南海バスで「金剛登山口」バス停下車。金剛山登山口からの登城は急坂という事前情報を得ていたため、千早神社参道から登ることにしたところ、約15分で三の丸跡に到着。南北朝時代の臨時の砦であり、目立った遺構はないため足早に見学。千早神社本殿裏(神域のため立入禁止)が本丸跡とのことで、それらしい盛土はあります。 帰り路は楠木正儀の墓に寄り道してから、登山道を下って「山の豆腐 まつまさ」でスタンプを押印しました。 ※以前スタンプが設置されていた「お食事処 まつまさ」は閉店し、2021年秋に「モンベルルーム金剛山麓店」になっています。 帰りは近鉄富田林駅行き金剛バスに乗車し、楠木氏の本城であった上赤坂城(楠木城)に登城しました。こちらは遺構が明瞭に残っており、本丸からの見晴らしもよく、満足感を得ました。 |
飯盛城 2022年1月9日 | 登城77城目(続30城目)。 有名な三好長慶全盛期の居城。JR学研都市線野崎駅で下車し、大東市歴史民俗資料館でスタンプを押印。コロナ対策のためスタンプを自分で押すことはできず、受付係員の方に押してもらう形になっていました。資料館では「飯盛城跡 石垣ガイド」を入手。 今回は大東市の野崎観音から登って四条畷市の北条神社に下りるルートで登城。ハイキングなど多くの人に親しまれているコースですが、標高314mに対し比高260mあり、連続する階段と勾配がきつく、登山口から虎口まで1時間かかりました。城内も広く、行ったり来たりしているうちに1時間半。残存する石垣は曲輪下の斜面に築かれているため間近に見られるものは少ないですが、どれも立派なものでした。 コロナ禍でアウトドア人気が高まっているからか、広い千畳敷廓ではのんびりテントを張ってくつろいでいる方がおられました。まるで築城当時の機能を現代でも活用しているような光景で、面白く感じました。 |
芥川山城 2022年1月9日 | 登城78城目(続31城目)。 飯盛城を攻略後、JR四条畷駅から学研都市線・おおさか東線でJR新大阪駅へ、そこからJR高槻駅まで行き、駅北口の高槻市営バス「塚脇行き」に乗車。高槻駅から約15分で「塚脇」バス停に到着。 そこから徒歩10分ほどの竹藪からの脇道が城跡へのアクセスルート(塚脇ルート)となっています。入口から15分ほどで幾重にも重なる曲輪の平坦面が見え始め、堀切、竪土塁、土橋と遺構が現れます。 大手門石垣は少しルートから外れて旧大手道を下る形になるので、見落とさないように注意が必要です。主郭には三好長慶と松永久秀をまつる小さな祠があり、高槻市内を一望できます。 城跡は私有地で、2019年の台風で大きな被害を受けたようですが、現在では地元の方の努力によりきれいに整備されています。 スタンプはJR高槻駅の観光案内所で押印しました。 これで大阪府の正・続4城を登城完了。 |
大内氏館・高嶺城 2022年4月23日 | 登城79城目(続32城目)。 1泊2日で山口県の2城(大内氏館・高峯城と萩城)をレンタカーで攻略。 まずは高峯城へ。車は安全のため麓の「おとどいやま森林公園駐車場」に停め、舗装林道を徒歩で20分登るとテレビ中継局へ。さらに5分程度登城路を歩けば、平坦な広い曲輪が続き、最奥部の主郭に到着。石垣は主郭南側と北側にあり、高さが低い南側のものは大内義長時代、高さがあり破城の痕跡がある北側の石垣は毛利氏時代のものと考えられているそうです。 高峯城の次に、市街地にある大内氏館跡へ。龍福寺の一部に池泉庭園の一部や土塁が復元されていますが特筆すべきものはありません。 スタンプは山口市立歴史民俗博物館で押印。玄関先にスタンプが設置されており、高峯城のガイドマップが配布されています。 当城は2か所で1スタンプですが、高峯城は見応えがあるのでぜひ登城すべきと思います。ただし国道9号バイパスからの入口は分かりにくいので要注意です。 |
萩城 2022年4月24日 | 登城80城目(正48城目)。 山口市内から秋吉台を経由して萩城へ。到着時点で夕方だったので、1日目は萩城の外周と東側の海に面している汐入門と二の丸銃眼土塀周辺を見学し市内に宿泊。翌日は朝のうち雨が降っていたので、松下村塾、吉田松陰らの墓、萩反射炉などを見学したあと、天気の回復を見計らってお昼に登城。入場料310円。スタンプは入場口で押印。 5層の天守が載っていた天守台は石垣の反りが美しく、長い多聞櫓跡の雁木は必見です。指月山の詰城部分へは約20分の山登りですが、萩の市内が一望でき、矢穴が開いた巨石も見逃せません。 これで山口県の正・続3城を登城完了。 幕末の雰囲気が残る萩城下町は散策にもってこい。ちょうど夏みかんの収穫時期を迎えていました。 |
盛岡城 2022年5月3日 | 登城81城目(正49城目)。 2022年のゴールデンウィークは4泊5日の日程で北東北(青森・秋田・岩手)の8城を攻略。住んでいる地域からは遠方のため、朝に自宅を出発したものの、盛岡市内に到着したころにはすでに夕方になってしまいました。 さっそく向かった盛岡城は、南部信直により築城された、東北地方には珍しい織豊系石垣をもつ城です。本丸、二の丸、三ノ丸、淡路丸に張り巡らされた石垣は、三ノ丸付近が一部積みなおし工事中でしたが、最も高い部分で高さ14メートル、隅部の反りがきれいに整っていて、完成度が高い印象を受けました。スタンプはもりおか歴史文化館で押印。 夕食は盛岡冷麺を食べるため駅周辺をさまよいましたが、とある有名店は夜の19時頃に40組以上待ち。びっくりしました。 |
九戸城 2022年5月4日 | 登城82城目(続33城目)。 4泊5日の城めぐり、2日目は盛岡から九戸城と根城を訪問。盛岡駅9:50発の東北新幹線はやぶさで二戸駅へ。二戸駅からは九戸城まではバスもありますが、本数が少ないので、構内にある二戸市観光協会で荷物を預かってもらい、電動自転車を借りて向かいました。 最後まで秀吉に抵抗した九戸政実の乱の舞台として有名な九戸城ですが、本丸や二の丸など主要な部分は、九戸政実の乱の後に秀吉方の蒲生氏郷によって普請された姿で、それらと離れた石沢舘と若桜舘と呼ばれる高い切岸で囲まれた曲輪のみが九戸氏時代の様子を残しているとのことです。訪問時は本丸は整備工事で立ち入れず、石沢舘では発掘調査が行われており、今後も史跡としての調査や整備が行われていくようです。 スタンプは途中の二戸市埋蔵文化財センターで押印。 これで岩手県の正・続2城を登城完了。 |
根城 2022年5月4日 | 登城83城目(正50城目)。 青天なのに強風が吹き荒れる謎な天候のなか、JR八戸駅から市営バスに乗って「根城博物館前」で下車。根城南部氏の祖・南部師行像がお出迎え。 史跡根城の広場と八戸市博物館の共通券(400円)で両方の施設を見学。本丸部分が有料エリアとなっていて、発掘調査に基づいて主殿や工房、馬屋などたくさんの建物が復元されています。直接目にできる表面遺構はありませんが、中世東北の城館の暮らしがイメージできました。 スタンプは八戸市博物館の玄関横に設置されています。 |
浪岡城 2022年5月5日 | 登城84城目(続34城目)。 4泊5日の北東北城めぐり、3日目は青森駅から出発して浪岡城と弘前城へ。最寄りの浪岡駅からはタクシーを利用(5分、約1300円)。 北畠親房・顕家の子孫と伝わる浪岡(北畠)氏の居城で、8つの館(曲輪)から構成される広大な城です。津軽為信に滅ぼされてからは水田や畑だったということで、土塁や堀などの遺構が明瞭に残っており、なかなか見応えがありました。 スタンプは案内所で押印。スタンプラリーをしなければ立ち寄ることもなかっただろう小さな町を歩くことができるのも醍醐味ですね。 |
弘前城 2022年5月5日 | 登城85城目(正51城目)。 JR弘前駅でさくらまつり期間中実施しているレンタサイクル(500円)を借りて登城。ソメイヨシノは散っていましたが、八重桜はまだ咲いていて、大勢のお客さんでにぎわっていました。 東北唯一の現存天守は、2015年から長期間にわたる石垣修復工事のため、本丸のど真ん中に曳家で移動していますが、実際に生で見てみるとなかなか奇異な姿で、まるでプラモデルのように感じてしまいました。スタンプは天守内で押印。 天守内の柱には昭和の時代と思われる落書きがたくさん残されており、また、木々が生い茂っていて現存門が見えにくい点は残念ですが、本丸から望む岩木山の雄大な姿は贅沢な気持ちになりました。 これで青森県の正・続3城を登城完了。 |
脇本城 2022年5月6日 | 登城86城目(続35城目)。 4泊5日の北東北城めぐり。4日目は秋田市内でレンタカーを借りて秋田県の3城を攻略。まずは男鹿半島の付け根、北東北を広範に支配した安藤愛季の本拠地である脇本城へ。 脇本城は全体の敷地が150万平米、木々が伐採され整備されている主要部の内館地区は全体の5分の1程度の広さでしかないようですが、それでもとにかく広い。一面のモコモコした原っぱに、ただただ圧倒されてしまいました。本丸からは脇本の街と日本海、風力発電の風車が並ぶ風景もきれいでした。 スタンプはプレハブの案内所で押印。建物や石垣はなくても、広さだけで圧倒される経験は今までなかったので、とても印象に残る城になりました。 |
秋田城 2022年5月6日 | 登城87城目(続36城目)。 男鹿市内で食事後、秋田市内へ戻り、最北の古代城柵である秋田城へ。近年オープンした秋田城資料館(入館料210円)は映像資料やサイネージの展示が充実しています。スタンプもこちらで押印。 広大な城内には城門と築地塀、柱跡の復元展示がありますが、興味深かったのは鵜ノ木地区にある古代水洗厠舎でした。古代に建物の構造を持ち、水洗設備が整備されたトイレ遺構は秋田城のこの遺構しか発見されていないものだそうで、沈殿槽の堆積土から発見された寄生虫から、地元東北ではなく畿内から来た人々や、豚食を常食とする大陸からやってきた人々が使用していた可能性が指摘されているそうです。 トイレの遺構から、古代秋田城での外交・交流の様子が読み取れるのか!と感心しました。 |
久保田城 2022年5月6日 | 登城88城目(正52城目)。 4泊5日の北東北城めぐり、最後に秋田藩佐竹氏の居城・久保田城へ。 城内は千秋公園として整備されていますが、明治13年の大火で城内のほとんどの建物が焼失したため、現存遺構は土塁と石垣、表門、御物頭御番所くらいとなっています。シンボルの御隅櫓は1989年に秋田市制100周年を記念して建設されたそうですが、公園の木が生い茂っていて見通せる場所がなかったのはもったいないと感じました。 これで秋田県の正・続3城を登城完了。 |
八代城 2022年9月24日 | 登城89城目(続37城目)。 熊本市内からレンタカーを借りて約1時間で八代城へ。 現在残る城域は本丸のみですが、大小天守台をはじめ石垣はこの地域で産出される石灰岩を用いて築かれた立派なもので、細川忠興の隠居城にふさわしい風格があります。市役所側の欄干橋を渡った本丸正門の桝形虎口に「妙」「法」と刻まれた刻印石がありますが、かなりわかりづらく、見つけるのに難儀しました。 スタンプは八代市立博物館未来の森ミュージアム裏口の警備員室前に設置してあり、博物館に入らず押印できるようです。周辺はくまモンが多いです。 |
人吉城 2022年9月24日 | 登城90城目(正53城目)。 2020年7月に発生した豪雨災害で被害を受け、スタンプ設置場所の人吉城博物館は依然休館中。2022年9月時点では、球磨川に面した水ノ手、多聞櫓や角櫓が立入禁止、相良神社→三の丸→二の丸→本丸の順路での見学ルートに制限されています。 それでも、有名な刎ね出し石垣、二の丸下の石垣や中ノ御門の桝形など、素晴らしい遺構を見ることができました。高い杉の木立が茂る二の丸の雰囲気がよかったです。 復興にはまだまだ時間がかかりそうですが、いつか再訪したいと思います。 |
熊本城 2022年9月25日 | 登城91城目(正54城目)。 2016年の熊本地震からの復旧が少しずつ進んでいますが、唯一の現存五階櫓である宇土櫓が解体修理工事に入ると知り、この機会に訪問しました。 特別見学通路南ルートの入り口でスタンプを押印し、数寄屋丸二階御広間→二様の石垣→連続桝形→本丸御殿大広間と地下の闇り通路→天守閣→宇土櫓→西大手門の順に見学。天守閣の展示は充実した内容でしたが、モルタルで崩壊面を固められた石垣や、本丸御殿など修復を待つ建物も目につき、改めて地震被害の大きさを実感しました。(城郭模型作家島充氏の熊本城被災模型は必見) 姫路城と並んで「西の横綱」と評されるだけに、見ごたえの素晴らしさは言わずもがなですが、熊本の中心市街地を歩いてみると、天守を仰ぎ見れる場所がいくつかあり、地元の人々にシンボルとして親しまれている様子を強く感じました。 |
鮫ケ尾城 2022年10月21日 | 登城92城目(続38城目)。 鉄道150年記念で発売されたJR東日本パス(連続する3日間JR東日本管内乗り放題)を利用して新潟県を攻城。北陸新幹線の上越妙高駅からはレンタカーで鮫ヶ尾城へ。 駐車場からは北登城道が近いものの遺構に乏しいので、少し離れた東登城路から、斐太遺跡矢代山B地区(弥生集落遺跡)→堀切→三の丸→南登城道を少し下って井戸・土塁→戻って二の丸→本丸のコースで登城。三の丸や本丸米蔵跡の地表面には、御館の乱で焼けたコメが今も散乱していて、簡単に見つけられます。400年前の遺物を文字通り手に取ることができて、感動しました。 スタンプは斐太歴史の里総合案内所で押印。ここに有名な「炭化したおにぎり」が展示してあります。 お昼ご飯は上越妙高駅で購入した直江津名物「鱈めし」。棒鱈の甘露煮がとてもおいしかったです。 |
春日山城 2022年10月21日 | 登城93城目(正55城目)。 鮫ヶ尾城攻城後は、上杉謙信・景勝の春日山城へ。 春日山神社からスタートし、謙信公の銅像→三の丸景虎屋敷→二の丸→本丸→大井戸→景勝屋敷→柿崎屋敷→御成街道→護摩堂・毘沙門堂→直江屋敷→千貫門の順にまわって所要1.5時間でした。 体力面・時間面から大手道からの登城はしませんでしたが、謙信とその家臣団の居城にふさわしい城域の広大さがよくわかりました。本丸から眼下に広がる上越・直江津の港の眺望は壮観で、天気もよく楽しく登城できました。 スタンプは春日山城史跡広場ものがたり館で押印。監物堀が復元されています。近くの林泉寺には、春日山城の移築城門とされる山門があります。 |
高田城 2022年10月21日 | 登城94城目(続39城目)。 徳川家康六男の松平忠輝の居城。本丸の大部分は、旧陸軍第13師団の駐屯地司令部として使用するため改変され、遺構は多くありませんが、残っている土塁は天下普請にふさわしく相当な高さがあります。シンボルの三重櫓は、1993年に絵図に基づいて復元されたもので、小さいながらも重厚感があって格好いいです。 スタンプは三重櫓で押印、入館料310円ですが上越市立歴史博物館との共通券もあります。三重櫓内で流されていた上越市内の春日山城、福島城、高田城の3城を解説した映像がよかったです。 |
村上城 2022年10月22日 | 登城95城目(続40城目)。 上越高田から特急しらゆき、上越新幹線、特急いなほと列車を乗り継ぎ村上駅へ。以前は駅前の観光案内所でレンタサイクルが借りられたようですが、現在はなくなってしまい、市内のバスも本数が少ないので、片道2キロを徒歩で向かいました。途中、東北電力ネットワーク村上営業所の玄関でスタンプを押印。 登城口に到着したところで、大雨が降ってきて30分の足止め。その後小ぶりになりましたが山中は薄暗くもやがかかってきたので、中世遺構の見学は諦め、三の丸・二の丸・本丸の近世遺構だけ見て回りました。本丸の桝形と出櫓台の石垣は壮観で、あいにくの天気でしたが、本丸からの日本海の眺望もなんとか楽しめました。 ちなみに、訪問1週間前にはクマ出没情報で登城禁止となっていました(禁止2日後に解除)。遠路はるばる無事登城できてよかったです。 |
新発田城 2022年10月23日 | 登城96城目(正56城目)。 上杉景勝に敗れて滅亡した新発田氏の館跡に、溝口秀勝が築城した平城。現在は大半が陸上自衛隊駐屯地となっており、面影をとどめるのは本丸の一部のみですが、300mも続く立派な石垣、新潟県唯一の現存城郭建築物である表門・旧二の丸隅櫓(昭和に入り本丸鉄砲櫓跡に移築したもの)、平成に入って復元された三階櫓と辰巳櫓があり、最上階の屋根の棟に3匹の鯱を載せた三階櫓はかなり個性的。コンパクトながら見どころは十分でした。 これで新潟県の正・続5城を登城完了。 |
大和郡山城 2022年11月18日 | 登城97城目(続41城目)。 近鉄郡山駅から徒歩5分。追手向櫓・多聞櫓→極楽橋→柳沢神社→天守台→竹林門の順に主要部のみを見学。 石材に乏しい奈良盆地にありながらも、明智光秀や藤堂高虎らによって築かれた高石垣と天守台は必見。有名な伝羅城門礎石や逆さ地蔵だけでなく、素人目にもそれと分かる転用石がたくさん組み込まれていて、石材確保の苦労が想像できます。 西ノ京丘陵の南端にあることから、天守台からは薬師寺や平城宮跡など奈良の市街地の見晴らしがよく、羽柴秀長の大和・紀伊・和泉100万石の支配拠点となったのも納得の立地でした。 天守台の解体修理や極楽橋の復元など整備が進められていますが、2022年11月10日に国指定史跡に指定され、今後さらに調査研究や整備が進んでいくことでしょう。 |
高取城 2022年11月18日 | 登城98城目(正57城目)。 大和郡山城から近鉄で移動し、時間はすでにお昼の12時過ぎ。コインロッカーに荷物を預け、いざ徒歩で登城…と思っていたら、なんと最寄りの壺阪山駅のコインロッカーが撤去されているではありませんか。スタンプ設置場所の夢創舘でダメもとで尋ねてみたところ、快く預かって下さいました。 夢創舘から植村家長屋門を通って砂防公園奥の登城路まで25分、そこから急で長い登城路を登ること40分で猿石まで到着。山城には珍しい水堀、二ノ門、矢場門、国見櫓、松ノ門、宇陀門、千早門を経由して大手門からは素晴らしい遺構の連続。特に本丸天守台の高石垣、そして執拗に屈曲した虎口は本当に見応えがありました。 帰りは壺阪口門から車道を降りて壷阪寺を経由。夢創舘が閉店する16時半までになんとか戻って荷物を回収できました。紅葉の進み具合は木によってまちまちでしたが、秋の高取城、雰囲気は最高でした。 |
宇陀松山城 2022年11月19日 | 登城99城目(続42城目)。 宿泊した橿原市内でレンタカーを借り、45分ほどで到着。すぐ近くの道の駅大宇陀松山に車を停めて登城。 もとは国人領主秋山氏の城が、多賀秀種ら豊臣配下の大名によって総石垣の城に作り替えられ、元禄年間の織田氏改易後に破城。本丸周辺の虎口や天守台には石垣が今も数段残っていて、壮麗な石垣づくりの城があったのだと実感できます。 スタンプは道の駅と松山地区まちづくり交流館の2か所にありますが、交流館の方が印面の状態がよいのでおすすめ。近くの「まちかどラボ」では紹介ビデオや本丸跡から出土した鬼瓦や桃瓦が展示されています。 奈良県の正・続3城を登城完了。 |
多気北畠氏城館 2022年11月19日 | 登城100城目(続43城目)。 宇陀松山城から車で約1時間、北畠神社に到着。スタンプを社務所で押印、浸透印のはずなのにインクは補充されずにスタンプ台を押すようになっていました。 北畠氏の城館の遺構は直接目にできるものはないので、神社に参拝し、細川高国が城館跡に築いた庭園を拝観(300円)。周りを深い山に囲まれているからか冷え込みがきつく、紅葉もちょうど見ごろを迎えていました。 多気(たげ)は、大和と伊勢を結ぶ伊勢本街道沿いで、吉野にも伊勢にも1日で到達できる利便性がありながら、四方を囲まれた要害のような地域。公共交通機関では松阪駅から本数が1日6本しかないJR名松線の終点・伊勢奥津駅からレンタサイクル、車でも三重方面からの国道は対向が難しいくねくね道で、三重県津市にありながら、アクセス難易度はかなり高いです。 |
小倉城 2022年12月30日 | 登城101城目(続44城目)。 2022年最後の登城は数年ぶりに青春18きっぷを使って小倉城へ。小倉駅から15分ほど歩くと見えてきた天守閣の姿は、個性的なリバーウォーク北九州の建物と市役所に挟まれてちょこんと置かれたミニチュアのよう。大手先門跡→大手門跡→槻門跡→天守閣→鉄門跡→井戸跡の順に見学。 現在の復興天守は大きな破風が付いていますが、往時の六層六階の天守は破風がない南蛮造の特徴的な外観で、津山城や高松城の天守に模倣されたとも。 2019年に新しくなった天守閣(入場料350円)の内部では、地元出身の草刈正雄さんがナレーションをした「小倉城ものがたり」が上映され、細川忠興以来の小倉城の歴史と九州の玄関口として栄えた町の成り立ちがわかりやすく紹介されています。 スタンプはしろテラス(土産物店)で押印。 迎春準備でにぎわう旦過市場をぶらり歩いて帰路につきました。 |
津城 2023年1月8日 | 登城102城目(続45城目)。 2023年の登城始め。今回も18きっぷ使用で前日に三重県唯一の現存城郭建築がある伊勢亀山城を見学。翌朝津城に向かい、藤堂高虎を祀る高山(こうざん)神社でスタンプを押印。 築城名人の藤堂高虎の縄張りで、現在は幅の広い堀とともに、本丸と西出丸部分が一体化して残っていますが、現在残る石垣の下部にある犬走りは、模擬的に再現したいわば「模擬犬走り」です。 城内は高虎の騎馬像や日本庭園、藩校の門(入徳門)がありますが、ハトの糞害がかなりひどいので早々に退散。地元自治体には適切な管理をしてほしいものです。 |
松阪城 2023年1月8日 | 登城103城目(正58城目)。 津城からは近鉄で移動。藤堂高虎と並ぶ築城名人の蒲生氏郷が縄張りを築き、氏郷の会津若松転封後は、服部氏、古田氏を経て、徳川頼宣が藩主になった紀州藩領に組み入れられ、以後は寛政年間に二の丸に城番が設置されるまで長らく放置の憂き目にあい、老朽化していた天守も台風で倒壊したのだとか。 二の丸、隠居丸、きたい丸の石垣は紀州藩時代に改築されているようですが、本丸の中心部、天守台などは蒲生時代の野面積みの石垣や土塁がしっかり残っていて、見応えがあります。搦手の御城番屋敷は、現在も住民の方が暮らしておられる「生きた史跡」ということで、必見です。 松阪といえば松阪牛ですが、三井家などの商家や、本居宣長、梶井基次郎、小津安二郎の足跡もあり、文化の香りも感じられる街だと思いました。見学中に地元のセルフガイドおじさんに引っかかってしまったのは余分でしたが…。 |
田丸城 2023年1月9日 | 登城104城目(続46城目)。 松阪からJR参宮線で田丸駅下車。木造で築100年以上の激渋駅舎に少し感動しながらも、電車の関係で滞在時間が1時間少々と限られたので、田丸城へ急行。大手門跡から中学校横の坂を上り、富士見門から本丸、二の丸、北の丸と一巡しました。 北の丸北面の大土塁と空堀、隅部が算木積になっていない古い石垣が素晴らしい。本丸東側の石垣は平成の時代に現代の野面積みの技術で修繕されたようですが、現存遺構とまったく違和感なく溶け込んでいて、いい感じに苔むしています。 スタンプは村山龍平記念館の入口で押印。資料も入手できます。調査に基づき丁寧に整備されている様子で、コンパクトながら見応えがあり、とても満足できました。 |
伊賀上野城 2023年1月9日 | 登城105城目(正59城目)。 田丸城からJRと近鉄、伊賀鉄道を乗り継ぎ、上野市駅(忍者市駅)へ。 高虎時代に五層の天守が建築されたものの、完成を目前に暴風雨によって倒壊したことで有名です。日本一の高さを誇る高石垣は、さすがに大坂城の高石垣に次ぐ高さだけあって、上から堀をのぞき込むとかなり怖さを感じました。 現在建っている木造模擬天守(伊賀文化産業城)は、1935年に地元出身の代議士川崎克が私財を投じて造ったものだそうで、築80年以上経つと風格が感じられ、内部は展示物が所狭しと並べられています。藤堂高虎が秀吉から拝領したといわれる黒漆唐冠形兜も普通のショーケースに展示されています。(複製品かと思いましたが…?) スタンプは天守受付で押印。シャチハタ印できれいに管理されています。 これで三重県の正・続6城を登城完了。 |
金田城 2023年2月4日 | 登城106城目(続47城目)。 福岡空港からANAで対馬空港へ。島内はレンタカー移動とし、美津島公民館でスタンプ押印後、登山口へ。県道からは途中から未舗装になる狭い山道を通ると、登山口に4台分、その先50mに2台程度の駐車スペースがあります。 登山口からは旧軍道を10分ほど歩くと穏やかな黒瀬湾の眺めが目に飛び込んできます。さらに進むと東南角石塁が出現(写真)、圧倒的な風景に感動です。そのあとは先達の方々に従って、南門→東南角石塁横→三の城戸(写真)→二の城戸→一の城戸→大吉戸神社→登ってビングシ山→軍道→山頂のコースをたどりましたが、少し迷って4時間もかかりました(迷わず、山城遺構のみなら2時間半程度?)。 夜は厳原に宿泊し、翌日は対馬博物館、金石城と清水山城、対馬藩お舟江などを見学。対馬=「防人の島」というイメージでしたが、福岡からは意外と近く、西日本に住む人間としては歴史・文化や食事面でもつながりを感じ、学びの多い旅になりました。 |
福岡城 2023年2月6日 | 登城107城目(正60城目)。 対馬からの帰りに立ち寄り登城。東御門跡から梅が咲き始めた二の丸、かつて五重の天守が建っていた天守台、天守台下の埋門を通って裏御門、南多聞櫓とまわって、三の丸の名島門、母里太兵衛邸長屋門、往時の雰囲気を残す下之橋御門・(伝)潮見櫓と、ぐるっと一巡して2時間半。黒田親子の居城に相応しい規模の大きさを実感しました。 スタンプは鴻臚館展示館で押印。遺構展示やイスラム陶器片など国際色豊かな遺物展示は無料とは思えない見応えがあります。福岡城むかし探訪館では縄張り模型や概要展示があり、受付の方に見学ルートを紹介してもらえました。 |
浜田城 2023年5月2日 | 登城108城目(続48城目)。 連休直前、ホテルの空きがあったという理由だけで、急遽島根県の浜田城と津和野城の攻城を計画。広島駅までは新幹線、広島駅北口からは浜田駅行きの高速バス「いさりび号」で約2時間で到着。地元のお寿司屋さんで海鮮丼のランチを食べてから向かいました。 城跡は三の丸から本丸にかけて見ごたえのある石垣が残っており、本丸からは松原湾を望む絶景が広がっています。往時は出入りする北前船から天守代用の三重櫓が見えていたとのことで、海運を抑えつつ権威を示す立地の妙を感じました。 スタンプは浜田護国神社の社務所で押印。第2次長州征伐における「自焼退城」とその後の苦難の歴史も含めて、訪れる価値のあるお城の一つだと納得しました。 |
津和野城 2023年5月3日 | 登城109城目(正61城目)。 前日宿泊した益田から特急スーパーおきに乗車し30分で津和野に到着。駅前でレンタサイクルを借り、まずは山麓に残る藩邸の現存建築2棟(馬場先櫓、物見櫓)をチェック。山上へは津和野高校寄宿舎横の登城口から大手登城道を登ること20分。比高200mの山城ですが、難なく登ることができました。 山上の曲輪は坂崎直盛以降の近世城郭の石垣が良好に残っていて、本丸の最高所に三十間台があり、天守台はその下に配置されているのが特徴的です。人質櫓の石垣と眼下に望む津和野の美しい町並みは必見です。 帰りは近年整備された出丸を経由して観光リフトで下山。スタンプもリフト案内所で押印。きれいに管理されています。その後は殿町通りを散策したり、森鴎外記念館や安野光雅美術館などを見学したりして、津和野の町を一日満喫しました。 これで島根県の正・続4城は登城完了。 |
唐津城 2023年10月6日 | 登城110城目(続49城目)。 今回は3連休を利用して佐賀・長崎北部の3城をゆっくり訪問。 初日は博多経由で唐津へ。唐津駅からは曳山展示場、唐津出身の建築家・辰野金吾が監修した旧唐津銀行などを見学しながら、三の丸辰巳櫓、城内橋を通って本丸へ。近年リニューアルされた模擬天守から玄界灘と虹ノ松原を一望。「石垣の散歩道」を通って二の丸や三の丸に残る石垣を見てまわりました。 登城後は炭鉱主・高取伊好の邸宅「旧高取邸」(国登録有形文化財)を見学。大広間棟の工夫を凝らした能舞台、欄間やふすまなど、一つ一つの調度に絶妙な品と遊び心があって大変素晴らしいです。 夜は市内中心部に宿泊。あちらこちらで子どもたちが唐津くんちのお囃子を練習中で、お祭り当日のように賑やか。唐津の人たちが受け継いでいる熱量を感じました。 |
名護屋城 2023年10月7日 | 登城111城目(正62城目)。 唐津市内からレンタカーで七ツ釜、呼子に立ち寄りながら、今回一番楽しみにしていた肥前名護屋城へ。 大手口→東出丸→三ノ丸→馬場→搦手口→遊撃丸→二ノ丸→本丸→天守台の順に名護屋城博物館で借りられるARタブレットを片手に、往時の姿と目の前に残る破城跡の生々しい遺構とを見比べながら見学しました。登城した日は薄曇りでしたが、天守台から陣跡の点在する名護屋の街並みと呼子大橋、遠くに壱岐の島影がうっすら見え、戦国大名オールスターを動員して最盛期人口20万人の都市を築かせた最晩年秀吉の権力の強大さと儚さを実感しました。 スタンプは県立名護屋城博物館で押印。入館料無料ながら、名護屋城の遺物や城下の模型、秀吉の黄金の茶室(復元)をはじめとして、侵略/被侵略という関係にとどまらない古代以来の朝鮮と日本の交流史について、充実した展示がされています。 |
平戸城 2023年10月8日 | 登城112城目(正63城目)。 前日の名護屋城から連休中のホテル都合で武雄温泉に宿泊。武雄温泉からはレンタカー1時間半で到着。 模擬天守(入場料520円)、平戸瀬戸に突き出す見奏櫓、「城泊」施設の懐柔櫓はそこそこに、お城好きの端くれとして見落とせない木造遺構の北虎口門、唯一の藩政時代遺構の狸櫓(内部がお土産屋さん)、石狭間の3点セットを無事確保。 登城後は平戸市漁協直営のお店で海鮮丼をいただき、平戸オランダ商館、松浦史料博物館(松浦家の「御館」跡)、平戸キリスト教会、「寺院と教会の見える風景」を巡ってお土産に「カスドース」を買って帰路につきました。 あいにくの雨、おまけに海からの風が時折強く吹き付け何度も折り畳み傘がひっくり返るような天気でしたが、異国情緒残る平戸の街の雰囲気は楽しめました。 |
駿府城 2023年11月2日 | 登城113城目(正64城目)。 静岡駅から徒歩10分。「駿府城公園」となっている二ノ丸と本丸は、ちょうど「大道芸エクスポ」が開催されていて連休前の平日にもかかわらず大賑わいでした。 平成の時代に木造復元された二の丸東御門・巽櫓と坤櫓の3つの建物と、家康が築いた本丸天守台の発掘現場を見学。天正期天守台もかなりの規模ですが、隠居城として築城した慶長期天守台は規格外の大きさ。東御門や巽櫓の内部には出土した金箔瓦などの遺物が、今年オープンした静岡市歴史博物館では今川氏時代の道路遺構が露出展示されています。現存遺構は多くはないものの、発掘成果を直接見学できるよう整備されているのは、登城者としてうれしい限りです。 駿府城見学後はバスで市内郊外の久能山東照宮まで足を延ばし、権現造の豪華絢爛な本殿や家康の墓を見学。併設の博物館は家康の舶来時計や日用品、歴代将軍の兜など貴重な品が並んでいます。わざわざ行く価値がありました。 |
諏訪原城 2023年11月3日 | 登城114城目(続50城目)。 午前中は大井川鉄道のSLでレトロな鉄道旅を満喫し、午後からは武田流築城術のシンボル「丸馬出」が残る諏訪原城を攻城。 JR金谷駅から旧東海道の石畳道を登り、牧之原台地の上に出ると一面に広がる茶畑の風景に感動。徒歩15分で到着した「諏訪原城ビジターセンター」でお世話をされている地元の方とお話ししつつ、スタンプを押印。地元高校生が制作した解説模型がとても分かりやすいです。 茶畑になっている大手曲輪から進むと、右手に深い外堀、そして二の曲輪丸馬出へ。土塁で仕切られている広大な二の曲輪、徳川氏が箱堀に改築した内堀を通り、本曲輪から眼下に金谷の街並みと大井川の風景を眺め、二の曲輪の東馬出、南馬出を経由してぐるっと一周。城域はコンパクトでじっくり見ても1時間足らずで見学できましたが、土の城としては遺構の保存状態が非常によく、とても見応えがありました。 春風亭昇太師匠が激賞するように、土の城が好きな人にはたまらない城郭だと思いました。 |
掛川城 2023年11月4日 | 登城115城目(正65城目)。 山内一豊が5万石を得て近世の織豊系城郭として改築。平成に入り木造で復元された天守は、一豊が高知城天守を築城する際に「遠州懸川の天守之とおり」と命じたエピソードをもとに、白漆喰塗籠で高欄付きの姿で復興されているので高知城天守と雰囲気そっくり。二重目の華頭窓の出窓が特徴的です。 幕末に再建され現存する二の丸御殿は7棟20部屋の複雑な構成で、出入口や部屋の床面の高さで身分の違いが厳然と分けられていた様子がうかがえます。 当日は、御殿の大広間で地元の方の結婚式が執り行われていました。全国で2か所しかない現存二の丸御殿での結婚式、とても贅沢でうらやましい限りです。 なお、スタンプは二の丸御殿内部に移されています。 |
高天神城 2023年11月4日 | 登城116城目(続51城目)。 掛川城からレンタカーで20分ほど走らせ、大東北公民館でスタンプを押印し、追手門(南口)から登城。 思いのほかコンパクトな城域で、登城路もよく整備されており、三の丸→的場曲輪→本丸→御前曲輪、鞍部を通って井戸曲輪→西の丸→馬場平とまわって所要時間1時間足らずでした。 城内は明治期以降に神社や日清・日露戦争期の記念碑が建てられていて、かなり改変されていますが、本丸の下には徳川方の大河内政局が7年間幽閉されていた「大河内石窟」が残り、御前曲輪からは第二次高天神城の戦いで徳川方が包囲するため築いた陣城が目と鼻の先に見え、武田・徳川の争奪戦の緊迫感を感じられました。 なお、搦手門(北口)の方が駐車台数が多いためか、カーナビで「諏訪原城」を案内させると搦手門に行き着きます。大手から登城したい方は要注意です。 |
福井城 2023年11月23日 | 登城117城目(続52城目)。 福井2泊3日旅の1日目。北陸新幹線開業を目前に控えたJR福井駅から徒歩5分。 城跡に県庁や市役所が立地するのはよくあることですが、見事なまでに本丸ど真ん中の御殿跡に県庁舎があるのは福井城だけ。城内の石垣は、統一的な規格に揃えられ表面は「はつり」仕上げされていて見事な美しさです。結城秀康の居城として請負普請で築城されただけあって「ミニ駿府城」と呼べそうな雰囲気を感じました。2008年に御廊下橋、2017年に福の井、2018年に山里口御門が福井県により復元整備されています。古絵図と現在の地図を重ね合わせた資料もとても見学に役立ちました。 開庁日は県庁ロビーに設置されているスタンプは、土日祝日は守衛室で押せますが、正面玄関の横の通用口でインターホンを押し、守衛さんにドアのロックを解除してもらう必要があります。 |
一乗谷城 2023年11月24日 | 登城118城目(正66城目)。 福井駅からレンタカーを借り、午前中に永平寺を拝観してから、一乗谷朝倉氏遺跡へ。 まずはスタンプ押印を兼ねて福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館(通称「あさみゅー」)を見学。2022年にオープンしたばかりの博物館は、解説映像がわかりやすく、タイ製土器やベネチアグラスなど出土遺物も多数展示されています。特に、建設時の発掘調査で出土した中世石敷き遺構の屋内展示という新しい試みもなされていて、非常に見ごたえがありました。 詰城の登城はあいにくの天気だったため断念しましたが、復元街並、義景館跡の唐門、特別名勝に指定されている庭園跡など、下城戸から上城戸まで一回りし、平和な一乗谷での暮らしの繁栄ぶりを十二分に感じました。 |
越前大野城 2023年11月25日 | 登城119城目(続53城目)。 一乗谷から車で1時間ほどで越前大野へ。市内に数少ない旅館に宿泊し、翌朝、金森長近が築いた古い町割りがそのまま残る大野の街を散策してから登城しました。 昭和の復興天守がそびえる本丸へは、幕末の藩主・土井利忠を祀る柳廻社を通り、江戸時代唯一の登城路だった「百間坂」を登ります。本丸の石垣は安土城と同時代の野面積でなかなかの見ごたえです。天守内部の博物館では、4代藩主土井利貞所用の「茶糸威鉄錆地五枚胴具足」は必見。前立てに載っているウサギさんが兜らしからぬかわいさです。 街を覆う雲海が出現するのは年10日程度だそうで、この日も雲海は見られませんでした。城内の紅葉が見ごろで、周辺の高い山はうっすらと白い雪をかぶっていました。 帰路は平泉寺白山神社と13年ぶりに丸岡城へ。福井県の正・続4城の登城完了。 |
飫肥城 2024年2月9日 | 登城120城目(正67城目)。 3連休+1日有給を利用して東九州7城を訪問。前日夜に宮崎カーフェリーで神戸を出発し、快適な船旅で、翌朝晴れ渡る宮崎に人生初上陸。宮崎市内でレンタカーを借り、開通間もない東九州自動車道を下って約1時間で飫肥の城下町へ。 戦国期には100年にわたり伊東氏が島津氏と激しい争奪を繰り広げ、秀吉に仕えた伊東祐兵が城主の返り咲き幕末まで治めた地。シラス台地を垂直に断ち切った堀と織豊系城郭由来の石垣遺構がマッチし、飫肥杉がまっすぐ空に向かって林立する旧本丸の静謐な雰囲気がとても印象的です。 スタンプは歴史資料館で押印。旧藩主邸の豫章館や小村寿太郎の生家など城下町を散策し、昼食に名物のおび天と厚焼き玉子(プリンのように甘くて滑らかな食感)をいただいて、次の目的地に向かいました。 |
志布志城 2024年2月9日 | 登城121城目(続54城目)。 飫肥から油津・南郷、都井岬を経由して志布志に着いたら時間はすでに16時半。人生初の鹿児島県上陸の感慨に浸る余裕もなく、志布志市埋蔵文化財センターに急行。なんと展示替えのため休館中でしたが、センターの方の取り計らいで、無事にスタンプの押印と志布志城の模型を見学できました。いざ志布志城の内城へ。 廃屋と雑草で荒れた登城路を進むとシラス台地をがっつり切り開いた大堀切が出現。写真や映像では何度も見聞きしていましたが、実際に堀底を歩いてみると垂直に切り込まれた切岸の高さには圧倒され、圧迫感を感じました。攻略は“無理ゲー”。 本丸→中野久尾を探索し、中野久尾と大野久尾を隔てる堀切を通って大野久尾の曲輪に上がろうとしたら順路がわからなくなり、迫る日没時間に焦って適当に下りたところ、東側の小渕という集落に脱出でき、事なきを得ました。 |
佐土原城 2024年2月10日 | 登城122城目(続55城目)。 東九州7城攻城2日目。当初は都於郡城にも行く予定でしたが、直前に巨人の宮崎キャンプでゴジラ・松井秀喜の臨時コーチ参加が発表され計画変更。小学生の頃からのヒーローの姿を生で拝むことができて感無量。 佐土原城では、二代藩主島津忠興が山上から移した御殿を復元した鶴松館(佐土原歴史資料館)を見学。鶴松館は土日しか開館しておらず要注意です。スタンプ押印を済ませ、鶴松館裏手の登城路を登って、山上の中世山城遺構を見学。本丸まで15分のお手軽な登城でしたが、シラス台地の堀底道となっている登城路が格好いい。本丸天守台にはわずかながら石垣遺構も残っていました。 宮崎市内中心部に戻ってレンタカーを返却し、ここからはJR日豊本線で大分を目指して北上です。 |
延岡城 2024年2月11日 | 登城123城目(続56城目)。 東九州7城攻城3日目。延岡駅から徒歩15分で延岡城の大手口に到着。 北大手門を抜けると眼前に現れる本丸の「千人殺しの石垣」は圧巻。さすがに押し入ってきた敵に対して石垣を崩して応戦するとは考えられませんが、長さ22m、高さ19mの規模で、隅角部が左右に振れていることから、そのような伝説が生まれたのでしょう。 スタンプは二ノ丸の管理事務所で押印。延岡・佐伯間のJR日豊本線(いわゆる「宗太郎越え」)は日中特急列車が2時間に1本しかないため、駆け足の登城となりましたが、当日は「延岡西日本マラソン」と今山八幡宮の「延岡十日えびす」が開催されていて、地元の人たちで賑わっていました。 これで宮崎県の正・続3城は登城完了。 |
佐伯城 2024年2月11日 | 登城124城目(続57城目)。 延岡から特急にちりんで約1時間。人生初の大分県上陸。特急列車の本数から制限時間2時間の攻城戦。JR佐伯駅からは2kmほどの距離があるので、見学時間確保のため往復ともタクシーを利用しました。 佐伯市歴史資料館でスタンプ押印し館内を駆け足で見学し、現存遺構の三の丸櫓門から藩政時代の急な登城路を登ること15分で、山上の二の丸に到着。二の丸虎口、本丸と二の丸をつなぐ廊下橋、本丸の石垣と、山上の遺構は非常に見ごたえがあります。特に天守台跡の石垣は隅部がカーブした特殊仕様。享保19(1734)年に崩れた際に復旧されたもので、治水技術で発達した石垣技術が応用されているそうです。 とても見ごたえがあり、時間があればもっとじっくり見学したいお城でした。 |
臼杵城 2024年2月11日 | 登城125城目(続58城目)。 佐伯から特急にちりんで約30分、臼杵駅で下車。鳥居のある古い商店街を抜けて15分ほどで臼杵城の古橋口に到着。 崖が切り立った島がそのまま要塞化した姿は大友宗麟が築城した(最近はそれ以前から存在していたとする説が有力なようですが)と伝わる丹生島城の面影そのまま。現在の遺構は関ケ原後に入封した稲葉貞通・典通により修築されたもので、畳櫓と卯虎口門脇櫓が現存しています。二の丸・本丸がとても広く、本日3城目の身体には堪えました。 帰りは少しだけ二王座の街並みを散策。「うすき雛めぐり」が開催中でした。天保期の質素倹約令で町人は紙人形しか飾ることを許されなかったため、臼杵の雛人形はかわいらしい紙人形なのだそうです。 |
大分府内城 2024年2月12日 | 登城126城目(正68城目)。 東九州7城攻城最終日は大分府内城をゆっくり見学。 大分といえば大友義統(宗麟)のイメージが強すぎて、私も府内城は義統の城と誤解していましたが、福原直高が築城し、竹中重利が完成させたものです(大友氏は1593年に秀吉により改易)。 北東隅の本丸を、東丸と西丸、山里曲輪が囲み、本丸の人質櫓と西丸の宗門櫓の2棟が現存で、大手門や着到櫓などが復元されています。特に宗門櫓は二階建てであるものの城外側からは平櫓に見えるようになっています。櫓の城内側に石垣がのびていましたが、明治期に石垣が取り壊されたため、二階の扉が“トマソン”のように残っています。 城内はホール跡地で、現在は砂利敷の駐車場とプレハブの案内所がある程度ですが、今後は城址公園として本格的に整備されていくようです。 |
高遠城 2024年5月2日 | 登城127城目(正69城目)。 2024年のゴールデンウイークは信州の名城を3泊4日で攻略。 名古屋から特急しなの、塩尻から中央本線・飯田線直通普通電車に乗りつぎ伊那市駅下車。伊那バスターミナルからJR関東バスで30分、高遠駅(バスターミナル)で下車。 バスターミナルからは高遠城下の街並みを歩き、突き当りの丘陵に上がると大手門跡に到着。大手坂の石垣を見て三の丸の移築大手門、藩校進徳館を通り、中堀を渡って二の丸へ。二の丸と本丸は深い堀で隔てられており、満開の桜の写真で有名な「桜雲橋」のスポットに。移築太鼓櫓、南曲輪を通って最後にスタンプ設置場所の高遠町歴史博物館に到着。 江島生島事件の江島が幽閉されていた「江島囲み屋敷」など博物館をさくっと見学し、城下町に戻って高遠そばをいただきました。 残存遺構としては続100名城レベルかと思いますが、武田信玄五男の仁科信盛の織田信忠との戦いでの壮絶な最期と、桜の名所として地元の人々に大切にされてきたことも評価されての100名城選定なのでしょう。いつか桜の季節に訪問できたらいいなと思いながら、諏訪高島城に向かいました。 |
高島城 2024年5月2日 | 登城128城目(続59城目)。 伊那市駅から岡谷経由で中央東線上諏訪駅で下車。表玄関の霧ヶ峰口とは逆側の諏訪湖口から徒歩15分、唐突に復興天守が眼前に出現します。 もともと諏訪湖に面した「浮城」で、軟弱地盤への築城だったためいかだ状に組んだ木材で支えた上に石垣を構築。現在は本丸が公園として残るのみで、周囲は埋め立てられ市街地となっています。復興天守のすぐ下を車が往来する光景は他にはない珍風景だと思いました。 復興天守内部は古めかしい昭和のコンクリート造の博物館で、最上階からは南東方向に雪をいただく富士山が見え、西に夕日を浴びて輝く諏訪湖が眺められました。 スタンプは博物館内に設置されているにもかかわらず管理が疎かなのか状態が非常に悪いです。 時間があれば近くの片倉館(片倉財閥の旧保養所、登録有形文化財)の千人風呂に入浴するのもよさそうです。今回は上諏訪駅ホーム内にある足湯で疲れを癒し、宿泊地の松本に向かいました。 |
松代城 2024年5月4日 | 登城129城目(正70城目)。 長野駅善光寺口からアルピコ交通「古戦場・松代駅」行きに乗車、約30分で松代駅(旧長野電鉄屋代線駅舎)に到着。 真田宝物館と旧真田邸(新御殿)の共通券を購入し見学。スタンプは旧真田邸前に設営されているテントで押印。 周囲を堀で囲まれた本丸内は、復元された太鼓門のほか、天守台石垣と土塁が残っており、天守台からは北アルプスの山々の絶景が眺められました。真田宝物館には藩祖・信之以来の歴代藩主の愛用の品が展示されています。また、明治の開城後に藩主家が住んだ旧真田邸は、対面所や居室のしつらえや手入れが行き届いた庭園に気品があり、居心地のよい空間でした。 松代の街には矢沢家や小山田家など家老職の家の長屋門が残り、街路灯やタクシー会社のロゴにも、六文銭があしらわれていました。昌幸の知略謀略や信繁の大坂の陣での活躍など「武」のイメージが先行しますが、松代では、幕末までこの地を統治した真田家の「文」の側面、息遣いを感じました。 |
上田城 2024年5月4日 | 登城130城目(正71城目)。 真田家が長年治めた松代から、発祥の地である上田に移動。 JR・しなの鉄道上田駅からは坂道を登って徒歩15分くらいで到着。向かいの上田市観光案内所でスタンプを押印。二の丸にある上田市立博物館では本館に真田に代わって入封した仙石氏以来の上田藩政史にかかわる事物が展示され、真田家関連資料は別館に集約されています。昌幸所用と伝わる兜も展示されていました。 移築復元された南北2つの櫓と平成の時代に復元された櫓門は公開時間が16時半まで。多くのお客さんがいましたが、最終グループだったのでじっくり見学できました。その後は本丸内に鎮座する眞田神社、現存建築である西櫓を通って「尼が淵」と呼ばれる河岸段丘の崖下に下りて西櫓を見上げしばし感動。二の丸の堀底遊歩道を通って再び本丸を囲む堀を一周し、昌幸の自然地形を活かした縄張りを満喫しました。 |
小諸城 2024年5月5日 | 登城131城目(正72城目)。 上田からレンタカーで国道18号を走ること30分で小諸城に到着。 連休中に放送されていたNHK「日本最強の城スペシャル」で紹介されていたからなのか、特別なイベントがあるわけでもないのに駐車場が満車でお客さんがいっぱい。三の門前にある小諸そばの名店「草笛」さんには大行列ができていました。 二の丸と本丸は明治の払下げ以降「懐古園」という公園として親しまれ、「日本さくらの名所100選」にも選ばれる桜の名所のようです。園内の現存遺構は三の門と天守台石垣くらいですが、背後は千曲川が流れ、深く降り積もった浅間山の火山灰が浸食された田切地形を利用した「地獄谷」という城の西を隔てる堀の深さは圧巻でした。 最後に、懐古園から国道としなの鉄道の線路を挟んで150mほど北に離れた場所にある現存大手門に行きました。内部は無料で公開されており、小諸城の縄張りや遺構に関する解説がまとめられていました。大手門の場所から眺めると、三の丸、二の丸、本丸が下に位置する「穴城」の縄張りが一目瞭然でしたので、見学をおすすめします。 |
龍岡城 2024年5月5日 | 登城132城目(続60城目)。 3泊4日の信州攻城旅の最後は「日本に2つしかない五稜郭」へ。小諸城からは中部横断自動車道(無料区間)を利用して30分ほどでガイダンス施設「五稜郭であいの館」に到着。 函館五稜郭が完成した3年後に、三河国奥殿藩主の松平乗謨(のちの大給恒)が飛び地領地に築かせた稜堡式城郭。函館と比べると規模半分、堀も大半が未完成で幅も狭く、土塁も低い。そもそも周囲を山々に囲まれていて、素人目に見ても実戦向きではないですが、造られたこと自体に城郭史上の高い価値があるのでしょう。 旅の最後に、北側の山の中腹にある「五稜郭展望台」から星形城郭の姿を眺めました。展望台へは自動車でもアクセス可能です。「清川」という集落から狭い林道を通って、途中から未舗装路を登ります。けっこうな悪路なので対向車に注意しながら、くれぐれもご安全に! これで長野県の正・続7城を登城完了。 |
岡豊城 2024年10月10日 | 登城133城目(続61城目)。 高知・愛媛2泊3日の城めぐり鉄道旅。今回はJR四国の「四国フリーきっぷ」を利用し、まずは長曾我部氏の居城・岡豊城へ。 高知駅北口からとさでん交通バス領石出張所行に乗り約30分、「学校分岐」バス停で下車。坂を上って5分で高知県立歴史民俗資料館に到着。 配布されている「ふらり散策綴り」を参考に、博物館裏の登り口(長曾我部元親像がお出迎え)から、整備された登城路を二ノ段→三ノ段→詰(主郭)→四ノ段→虎口と一周。全体的に北西方向には高い土塁が築かれており、最上部の詰からは南東方面に広がる高知平野と遠くに太平洋の眺望が開けています。標高97mの丘陵ながら眺望に優れ、戦略拠点としてうってつけの場所だと感じました。 スタンプは資料館で押印。1階は高知県の民俗史料、2階に岡豊城の出土遺物が展示されています。ユーモラスな犬型土製品も必見。 |
高知城 2024年10月10日 | 登城134城目(正73城目)。 本丸曲輪の建物がすべて現存する全国唯一の城郭。個人的にも100名城・続100名城でトップクラスに好きな城です。今回ようやく初登城で、現存12天守を制覇です。 まずは追手門前の高知県立高知城博物館で天守との共通券を購入。山内家の藩政史や明治維新に活躍した土佐人の歴史をおさらい。非常にわかりやすい展示で、2階の展望フロアからは現存追手門と現存天守の貴重な2ショットを少し高い位置から眺めることができます。 現存天守は1749年(寛延2年)に古式の望楼型天守を再興。山内一豊が築いた初代天守を受け継ぐ最上階の高欄、天守台がなく礎石立ちであること、北面の忍び返しの鉄剣など、極めて特徴的な建物です。本丸御殿は質素な分、落ち着いた居心地のよい空間だと感じました。 スタンプは天守窓口で押印。高知にもインバウンドの波が押し寄せているのか、外国人観光客で賑わっていました。 高知県の正・続2城を登城完了。 |
河後森城 2024年10月11日 | 登城135城目(続62城目)。 高知駅8時20分発のJR予土線特急しまんとで窪川駅へ。1時間ほど乗り継ぎ待ちし、1両編成の普通列車に揺られて四万十川を左右の車窓に眺めながらさらに1時間半。 松丸駅からは旧松丸街道の古い町並みを徒歩20分、風呂ヶ谷駐車場の登城口からスタート。5分ほどで、スタンプ設置場所の掘立柱建物がある西第十曲輪に到着。そこから段々状に連なる曲輪を歩きながら、最高所の本廓へ。本廓には発掘調査で城主居所と台所建物跡、大量の瓦が発見され、城主と家臣団が飲食を共にする儀式が行われていたとか。わずかながら石垣も残っており、眼下にのどかな松丸の街並みの眺めが開けていました。本廓からは東に古城第二曲輪まで回り、駅方面へのルートで下山。 松丸駅には地元の人で賑わう温浴施設が併設され、足湯も設けられています。次の宇和島方面の列車まで1時間あったので、足湯で疲れを癒しました。駅には河後森城のジオラマが設置され、わかりやすい「山城登山マップ」も配布されているので、入手して登城するとよいと思います。 |
大垣城 2024年11月23日 | 登城136城目(続63城目)。 JR大垣駅から駅前の商店街が連なる通りを数分歩くと「史跡大垣城跡」の石碑が歩道にあり、路地に入るといきなり再建天守が目の前に現れます。西に三重、東に四重の堀で囲まれ、本丸と二の丸は廊下橋だけでつながっていた守りの堅い城だったようですが、すべて堀は埋め立てられ市街地化しているため、往時の規模を想像するのが難しいのが残念です。 天守は1945年の大垣空襲で焼失。再建コンクリート天守閣は2011年の修理で外観が往時の姿に近づけられ、大垣城に西軍の本拠が置かれた関ケ原の戦いと大垣藩戸田氏の治世に関する解説が展示されています。天守閣最上階からは関ケ原方面がよく見渡せます。 唯一の現存遺構は石灰岩が用いられた石垣。石灰岩の石垣といえばほかに八代城がありますが、大垣城の石垣は郊外の金生山から採掘されたもので、化石を含む石が多いそうです。私も短時間でしたがビカリアやウミユリの化石を見つけることができました。 |
郡上八幡城 2024年11月24日 | 登城137城目(続64城目)。 岐阜から郡上八幡へは高速バス(所要約1時間)が最適経路ですが、乗り鉄のため、往路のみ岐阜駅から高山本線で美濃太田駅を経由し郡上八幡まで長良川鉄道(所要約2時間)を選択。 晩御飯はひつまぶしをいただいて宿で一晩ゆっくり過ごし、翌朝いちばんに登城。城下町プラザ横の大手門跡から登っていくと、千代(築城主・遠藤盛数の娘説あり)と山内一豊の立派すぎる像がある二の丸(金森氏・青山氏時代の本丸跡)の大きな平場に行き当たり、山上の本丸まではアスファルト舗装のつづら折りの坂道をさらに約10分です。 1933年(昭和8年)に当時の町長の決断で大垣城天守をモデルに建設したという日本最古の木造模擬天守は外観はもみじの紅葉に映えてなかなかの見ごたえ。内部は2023年に耐震改修されていますが、やはり築90年モノなのでギシギシきしむ床板の音はすごかったです。 登城後は重伝建に指定されている城下の商人町、風情あるいがわ小径など街並みを一通り散策。紅葉シーズンで内外の観光客も多かったですが、暑い郡上おどりの季節はもっと賑わうのでしょうね。 |
岐阜城 2024年11月24日 | 登城138城目(正74城目)。 JR岐阜駅からバスで15分、岐阜公園・歴史博物館前バス停で下車。金華山ロープウェイに乗車…とのりばに向かったものの、なんと大混雑で40分待ち。先に往復1300円のチケットを買い、博物館と信長時代の山麓居館跡を見学。山麓居館跡は肝心の遺構面がシートで保護されており、これからの整備を期待したいです。 ロープウェイは4分の乗車、あっという間に標高329mの山上に到着したものの、模擬天守へと続く狭い通路は観光客で混雑。チャートの岩盤が削られた山上の曲輪は兵が駐屯するには狭すぎ、籠城戦で何度も落城しているのも納得。 模擬天守(200円)はいわゆる昭和の古い展望台。スタンプはかなり摩耗しており、ゆっくり押してようやく印影が写るような状態ですので、押印時には注意が必要です。 信長と家族はこの隔絶された山上で起居していたようで、眼下に広がる濃尾平野の眺めは素晴らしく格別でした。ほとんどの人は目もくれませんが、一ノ門と二ノ門脇にわずかに残る石垣は信長期にさかのぼる貴重な遺構です。お見逃しなく。 |