ID | 2411 |
名前 | まーにむ |
コメント | |
登城マップ |
福岡城 2011年6月11日 | この6月から、新たな趣味として始めた、日本百名城めぐり。 最初の第1城目は地元福岡の福岡城です。 関ヶ原の戦いの戦功により、筑前52万石を得た黒田長政が築城したお城で、 現在は舞鶴公園として整備されています。 雨がしとしと降る梅雨空で、一瞬別の日にしようかと思いましたが、 意を決して行ってきました。 地下鉄で、赤坂駅を降り、舞鶴公園をぶらぶらと徒歩7〜8分。 まずは1個目のスタンプをゲットしました。 さぁ、100個目のスタンプを押すのは何十年先になるやら。 長い長いスタンプラリーのスタートです。 |
---|---|
鳥取城 2011年6月18日 | 日本百名城の第2城目は鳥取城です。鳥取駅に到着すると、100円循環バス「くる梨」を利用します。仁風閣前で下車すると、真っ先に百名城スタンプのある仁風閣に向かいます。うぉ!白を基調としたなんと素晴らしい洋館だろうか!百名城スタンプを押印後、仁風閣を見学して、ハイ無事終了!さぁ、帰るか!いやいや、これで終わったらただスタンプをゲットしただけだ。鳥取城攻略で、秀吉が行った兵糧攻めの舞台として、往時をしのぶには、久松山山頂にある山上の丸まで行かないとはじまりません。行きますか、久松山山頂(263m)まで。久しぶりにやるぞ、サラリーマン登山!スーツ姿にビジネスシューズ、バッグにビニール傘という登山としては最悪の格好で挑戦します。この日はぐずついた梅雨空で、雨こそ降らなかったがかなりの蒸し暑さ。登ること25分、ヘトヘトになりながらナントカ登り切りました。はぁ!!やっと着いたか!鳥取市街地が一望で、素晴らしい景色だ!往時のロマンを感じるどころか、ただ汗だくで疲れたとしか印象がありません。(笑)けれど、鳥取城を完全な形で訪問できたのと、久松山を登頂できたのとで、二重の喜びとなりました。 |
津山城 2011年6月18日 | 鳥取城登城後、日本百名城めぐり第3城目は岡山県の津山城を目指します。 因美線を使い、鳥取から無事津山に到着しました。 しかしこの因美線…… 超ローカルで制限速度25kmという超低速。 なかなか味がある電車でした。 津山駅に着くと、津山城まで歩いて15分とのこと。 重いコロコロバッグに、重いビジネスバッグに、傘まで持ってと大荷物ですが、 コインロッカーを使うと金がもったいないので、全て持って歩いて行くことにします。 津山城前まで来ると、城下の観光案内所でコロコロバッグをデポし、 天守台を目指して階段を上っていきます。 おっ!城主森忠政公がいらっしゃいましたので、まずはご挨拶します。 入場口で料金を払った後、さらに上に上がっていきます。 汗だくになりながら、備中櫓で無事スタンプをゲットできました。 鳥取城の久松山を登った後だったので、かなり疲れました。 食事をして、今日の宿泊場所の高松まで移動します。 |
高松城 2011年6月19日 | 高松の朝、まずは日本百名城の第4城目となる高松城へ行ってみます。 生駒親正によって築城された高松城は、堀に海水が引き込まれ、お堀には鯛も泳いでいる珍しいお城です。 高松城のある玉藻公園に着くと、少し霧で煙っています。 まずは、月見櫓を目指します。 櫓内部を上がると、霧に煙る玉藻公園が一望です。 今度は披雲閣に行きましたが、ちょうどお茶会をやっていて、 見学させて欲しいと申し出たところ、お茶(有料)を飲んで行って欲しいと言われましたので、面倒臭くなってやめました。(笑) どんなものか、ちょっと見学したかっただけだったんですが、付き合っているヒマも金もありません!(笑) 最後に、水門の所で鯛に餌をあげて、鯛願成就といきます。 帰りに出口でスタンプを押印して、完了となりました。 |
徳島城 2011年6月19日 | るみばぁちゃんの池上製麺所でウマいうどんを食べた後、 猛暑の中、1時間の歩きを行い、高松に戻ってきました。 ここから高速バスに乗って徳島へ移動します。 日本百名城の第5城目は徳島城です。 徳島駅から歩いても全然行ける距離ですが、池上製麺所からの歩きで体力を消費したこともあって、少しラクをします。 以前、徳島駅から日本一低い山として有名な弁天山(6.1m)登山?に行った時にも利用したレンタサイクルを使います。 申込書に記載して、無事にレンタをチャーターできました。 利用料は4時間まで300円と激安です。 ちなみに、電動自転車も同じ料金ということで、当然電動でお願いしました。 さぁ、相棒と一緒に徳島城へ向かいます。 自転車に乗ることわずか数分、あっという間に徳島城鷲の門へ到着しました。 まずは、蜂須賀家政公にご挨拶します。 徳島城博物館でスタンプをゲットした後、 国指定の名勝である、表御殿庭園を散策しました。 この日も、予定通り高松城、徳島城のスタンプを無事ゲットできました。 |
湯築城 2011年6月20日 | 日本百名城めぐりの第6城目は湯築城です。 前日、徳島から松山入りし、朝イチで湯築城を訪問することにします。 天気は雨がシトシト降るあいにくの天気です。 松山はしょっちゅう来れるので、わざわざこんな天気の時に来なくてもと思いますが、 やはり、行ける時に行っておかないと、今後何が起こるか分かりません 河野通盛が築城した湯築城はぐるりと土塁で囲まれ、現在は道後公園として整備されています。 公園内を散策し、中央部の丘陵地を登っていくと、展望台が見えました。 展望台からは、松山市街地はもちろん、松山城もはっきり確認できます。 スタンプを押印して、一丁上がりです。 |
松山城 2011年6月20日 | 湯築城訪問後、日本百名城めぐりの第7城目として松山城を訪問します。 実は百名城めぐりを始めて、城跡ばかりでしたが、今回、天守閣があるお城を訪問するのは初めてです。 特に松山城は江戸時代以前に建造された、全国でも12城しかない現存12天守の一つで、正直、やっとお城らしいお城に訪問できます。(笑) 松山城本丸は、標高132mの城山山頂にあり、20〜30分かけて歩いて登ることもできますが、時間もないのでロープウェイを利用することにしました。 往復ロープウェイと天守閣観覧券を合わせて、1,000円! 高っけーー! 仕方がありません、1,000円を払うことにします。 ロープウェイを降りると、本丸広場まで歩いて行きます。 本丸広場に着きました。 素晴らしい大天守が出迎えてくれます。 さすがは、立派なお城です! 料金所で百名城スタンプをゲットし、天守閣内部を見学することにします。 天守の最上部まで上がってきました。 松山市街地が一望で素晴らしい眺めです。 風が爽やかに吹き抜け、なんとも気持ちいい。 時間をきにせず、ずっとこの眺望を見ていたい気にさせます。 |
丸亀城 2011年6月21日 | 日本百名城めぐりの第8城目は丸亀城です。 丸亀駅から徒歩7〜8分で到着しました。 大手門から見上げる丸亀城、なかなか立派な雰囲気を感じます。 大手門二の門を渡ると、丸亀城内観光所でコロコロバッグを預けて、坂を上って行きます。 この坂は「見返り坂」と呼ばれ、かなりの急坂です。 見返り坂を上りきり、安心していたら、折れ曲がった所で坂が続いていました。 うーー、暑い! 汗も噴き出してきました。 折れ曲がった2つ目の坂を上り、二の丸を通ると、天守閣。 結構カワイイ天守閣ですね。 天守閣入口でスタンプをゲットし、天守閣最上部へと目指します。 おー、素晴らしい景色です。 丸亀市街地はもちろん、瀬戸内海に浮かぶ島々、瀬戸大橋も見渡せます。 いい汗をかいたので、風も実に心地いいです。 帰り際に、大手一の門が公開されていましたので、見学していきました。 |
岡山城 2011年6月21日 | 瀬戸大橋線を渡って、四国から岡山に入ってきました。 今回は第9城目の岡山城へ城攻めといきます。 岡山城に真っすぐ行く前に、まずは後楽園を散策することにします。 後楽園には何回か来てて、今さら感もあるんですが、 百名城塗りつぶし会にアップする写真用に、後楽園から見る岡山城を撮っておきたいと思い、行くことにします。 岡山駅からちんちん電車に乗って、城下電停で下車し、後楽園に向かいます。 歩くこと約10分、もう既に全身汗だくです。 岡山城が見えるベストポジを見つけると、きっちり写真! うんうん、やっぱり後楽園越しに見る岡山城は格別だ。 これで仕事はこなしたので、園内を自由散策します。 散策した後、後楽園南門から出て、旭川にかかる月見橋を渡って、岡山城に着きました。 宇喜多、小早川、池田と変遷を思いながら、城を見上げると、なんかいいっすね。 |
福山城 2011年7月8日 | 仕事で福山にやってきました。 日本百名城めぐりの第10城目は福山城です。 福山駅から目と鼻の先に位置している福山城。 これだけ駅に近いお城も珍しいですね。 江戸時代建築の最後の最も完成された名城ですが、昭和20年の空襲で多くが焼失。 現存の天守は再建されたものとのことです。 まずは城主の水野勝成殿にご挨拶します。 天守閣内部は福山城博物館となっていました。 天守の中の展望台から見る福山市街です。 風が吹き抜けてとても心地いいですね。 登城後、筋鉄御門を抜け、福山駅に戻ることにします。 |
鬼ノ城 2011年7月9日 | 日本百名城めぐり、第11弾は鬼ノ城です。 鬼ノ城……聞いたことねぇなぁ! この鬼ノ城は7世紀に築城された古城のようです。 ガイドブックで位置を確認すると、最寄駅からかなり離れていて、 おまけにこの暑さを考えると歩きはムリ! 鬼ノ城の次に行く備中松山城も駅からかなり離れていることからも、思い切って岡山駅でレンタカーを借りることにしました。 これが正解でした。 細い山道をどんどん登って行きますが、歩きだったら絶対無理! これを歩いたら、はっきり言って死んでしまいます!(笑) 鬼城山ビジターセンターにようやく到着。 ここでスタンプを押印して、西門まで歩いてみます。 ビジターセンターから、急傾斜の坂を登って7〜8分、汗だくになりながら西門に到着。 なるほど確かに古い城だわ。 西門からは総社の街並みが一望です。 古城の雰囲気を味わった後、暑いので早めに退散しました。(笑) |
備中松山城 2011年7月9日 | 日本百名城めぐりの第12城目は、備中松山城です。 岡山からレンタカーを借りて、鬼ノ城を登城した後、行くことにします。 やはりこの備中松山城も最寄り駅からの歩きだと相当厳しい。 金は掛かりましたが、レンタカーにしてよかったと思います。 城に向かう山道を車で上がると、途中で警備員に停められ、 強制的に駐車させられました。 ここから往復代金300円を支払い、バスに乗り換えなければならないとのこと。 マイクロバスで細い坂道を登っていくと、駐車場に停車。 ここから約20分の山道を登っていきます。 アチーーー! これなら、酷暑の中、サラリーマンスタイル登山をやってるのと同じだ。 ようやく城がみえてきました。 もう一踏ん張りです。 汗ダックダクで本丸に到着。 備中高梁名産の無料のお茶をグイグイ飲んで息を整えます。 なかなか味のあるお城ですね。 スタンプを押印して、城内を見学。 これで岡山県内の城は制覇することができました。 |
名古屋城 2011年7月16日 | 三連休、友人と名古屋へ行くことになりました。 名古屋に来るのは2回目。学生時代に札幌〜大阪自転車縦断で訪れて以来、約17年ぶりです。 名古屋駅で合流すると、まずあつた蓬莱軒に行くことにしました。 お店に着くと、なんと2時間半待ち! マジでぇ! 2人して口をあんぐり! よっしゃ、次行こう。 今池にある台湾ラーメンの有名店味仙に到着。 まともや口をあんぐり! オープン17時から……!(爆) もういいや、その辺で何か食おうぜ! 名古屋旅行……出足からつまずきました。(笑) まぁ、なんやかんやで昼飯も食ったので、名古屋城でも見ようとなりました。 というわけで、百名城めぐり第13城目は名古屋城です。 久しぶりの名古屋城、相変わらず金のシャチホコが眩しいです! さすがに立派なお城やなぁ、風格が漂っています。 天守は空襲で焼失されたので、天守内部はエレベーターが設置されて今風の造りです。 天守閣最上部からは、名古屋の市街地が一望です。 天守内部を見学した後、城内をぶらぶら。 この日はとにかく暑く、さっさと車に戻ることにしました。 |
長篠城 2011年7月17日 | 三連休の二日目、今日から一人で愛知県観光といきます。 朝5時半に起床し、眠い目をこすりながら名古屋駅に到着しました。 ここから、愛知県の東の端である豊橋を経由して、日本百城めぐり第14城目として長篠城まで行きます。 名古屋から約2時間、ようやく長篠城駅に到着。 ココから徒歩8分で長篠城址に着きました。 おおーー、ここが有名な長篠か。 最強といわれた武田の騎馬隊も織田信長の鉄砲三段撃ちでもろくも崩れさったという。 長篠城址史跡保存館で長篠の戦いにまつわる資料を見学したあと、 歴史のロマンを感じながら、城内を散策しました。 |
岡崎城 2011年7月17日 | 豊川稲荷をお参りした後は、名鉄に乗り換え、岡崎へ向かいます。 東岡崎駅から徒歩15分の場所に岡崎城はあります。 このクソ暑い中、15分も歩いてらんねぇ。 というわけで、いろいろ調べてみると…… ありました、レンタサイクル! これを使わない手はありません! 東岡崎駅に着くと、駅構内にある観光案内所へ直行。 よかったー!無事レンタゲットできました。 徒歩で15分かかるところを、お陰様で5分程で岡崎城のある岡崎公園に到着です。 徳川家康生誕の地、岡崎城……日本百名城第15城目はこの岡崎城です。 岡崎公園を自転車で走り回ると、三河武士のやかた家康館を発見。 ちょっと見学してみます。 その中で、関ヶ原の戦いを分かりやすくシュミレーションしたコーナーがあり、 これが実に分かりやすい。 なかなか見ごたえがあったなぁ。 公園内には家康の産湯に使用した井戸もあります。 寄り道をしてしまいましたが、岡崎城到着。 家康生誕の城として存分に味わうことができました。 |
犬山城 2011年7月18日 | 一宮市にある2つの一の宮でご朱印を頂いた後、 日本百名城めぐりの第16城目として犬山城に向かいます。 言わずと知れた、姫路城、彦根城、松本城とともに国宝四城の一つです。 名鉄の犬山駅で下車すると、例によって観光案内所に立ち寄り、 レンタサイクルがあるかきいてみると、「ない!」とのこと。 内心、「おいおい、用意しとけよ!」と思いながらも、 「あっ、そんなんですか!」と笑顔で受け答えします。(笑) 仕方がなく、犬山駅から、途中城下町街道を散策しながら、 約15分で犬山城に到着しました。 天守閣を目指す坂を上りきったところに、ありました犬山城が! さすがは、1537年に建てられたという現存する最古の様式。 500年近い歴史を刻んだというお城は、さすがに国宝という威厳を漂わせています。 城の内部はもちろん築城当時の物が残されていて、 中にエレベーターや空調がきいているお城とは一線を画します。 物凄い急勾配の階段を上がり、天守最上部にやってきました。 木曽川の眺めはまさに素晴らしい景観です。 素晴らしいお城でした。 |
大分府内城 2011年8月14日 | 柞原八幡で一の宮めぐりをした後、次は日本百名城めぐりです。 日本百名城めぐりの第17番目は大分府内城です。 私を除く3人の家族は百名城めぐりなんか興味もなく、車内でグースカグースカ寝ています。(笑) 百名城スタンプ帳を持って、向かいます。 大手門をくぐり、城内に入りました。 城内は大分文化会館が建てられていて、お城の雰囲気はイマイチでした! |
津和野城 2011年8月20日 | 日本百名城めぐり、第18弾は津和野城です。 この日は雨が降ったりやんだりのあいにくの天気。 スタンプ帳が濡れる事態は避けるべく、注意してお城めぐりをしようと思います。 津和野駅に着くと、駅前のレンタサイクルをゲットします。 タイミングよく、今のところ雨もあがっており、まっすぐに津和野城へ向かいます。 麓のリフト茶屋に到着。 ズボンに熊防止用の大きな鈴を付けて、リフトに乗ります。 リフトに乗って数分、そこから歩いて20分のところに津和野城があります。 雨が降る前に、得意のスペシャル競歩でお城に向かいます。 汗ダクで到着。 今回はスペシャルを使いましたので、なんと12分で到着。 鎌倉時代に吉見頼行公が30年かけて築城した津和野城。 既に風化して、石垣が残るのみですが、眼下には津和野市街が一望です。 うわっ!雨がポツリポツリ降ってきやがった。 見るもの見たし、さっさと帰ろう! 返りもスペシャル競歩で戻りました。 |
広島城 2011年8月27日 | 広島にやってきました。 当然ながら、目指す場所は第19城目の広島城です。 広島城は繁華街からほど近い場所にあり、アクセスは抜群です。 毛利氏の築城で、国宝にもなった広島城ですが、原爆の投下で、倒壊焼失しましたが、 市民の後押しもあり、今に至るとのことです。 一面焼け野原だった広島が、当時の人々の努力によって、素晴らしい街へと変貌しました。 この景色を見ると、人間の力のすごさを感じさせられます。 |
吉野ヶ里 2011年9月3日 | まずやってきたのが、第20城目の吉野ヶ里。 9時オープンと同時に一番乗りです。 ココは以前にもやってきておりますが、遺跡という認識はあったものの、 お城という意識はありませんでした。 再度来てみると壕をめぐらした環壕集落であることが良く分かります。 なるほど、これがお城のルーツか! 大変勉強になりました。 急ぐ旅路、さっさと次に向かいます。 |
佐賀城 2011年9月3日 | 第21城目は佐賀城です。 鯱の門をくぐって、佐賀城本丸御殿を見学致しました。 立派な施設なのに、無料なのが嬉しい。 無料で運営できるのか、よそ者ながら心配していまいます。 佐賀城を訪問後、唐津方面に向かいます。 |
名護屋城 2011年9月3日 | 唐津、呼子を経由して来たのが第22城目の名護屋城。 大陸侵攻に際しての出兵拠点として築かれた名護屋城。 当時はここに全国の諸大名の陣屋がおかれ、大いに賑わったとか…… 天守台に立つと、海の向こうの大陸を目指した秀吉の大いなる野望を感じることができます。 名護屋城も無事登城。さぁ、次に行ってみようと思います。 |
平戸城 2011年9月3日 | 名護屋城訪問後、平戸を目指します。 九州はほぼ行きつくした感もありましたが、ここ平戸は初めての訪問です。 鎖国を行うまでの90年間、南蛮貿易港として発展、日蘭交流の面影が残る平戸。 まずは、第23城目として平戸城を目指します。 平戸大橋を渡るとそこは平戸です。 平戸城に登ると、そこからは平戸大橋、平戸市街地を見渡せる素晴らしい景色が広がっていました。 |
島原城 2011年9月4日 | 島原に来て、まずは武家屋敷と鯉の泳ぐまちを散策してみました。 水が豊富に湧き出る島原、水の都と呼ばれるにふさわしい光景です。 次に向かったのが島原城。 この島原城が第24城目となります。 ここはなんといっても島原の乱の舞台となった城。 苛烈な年貢、そして島原城築城も一因となり、あの乱が勃発。 城の脇に立つ天草四郎は何を思うのか……。 天守閣に登ると雲仙の山々、反対側は有明海が一望。 素晴らしい景色です。 |
熊本城 2011年9月5日 | 長崎を出発し、向かうは熊本。 フェリーを使い、熊本まで移動します。 熊本に着くと、まず第25城目熊本城にお邪魔します。 加藤清正が1607年に築城、西南戦争の舞台ともなった九州が誇る名城です。 清正公にご挨拶し、正面入り口である頬当御門から入城です。 熊本城は2回目ですが、前回は宇土櫓を見ていなかったので、そこから見ていきます。 宇土櫓は当時のままの状態で残されていて、天守閣よりも雰囲気がありますね。 次に天守閣広場にやってきました。 早速入城します。 熊本城は大小2つの天守があり、小天守、大天守ともに登ります。 特に大天守からの景色は熊本市街を一望できる素晴らしい景色です。 今回見ておきたかったのが熊本城本丸御殿。 前回来た時はまだできていなかったので、今回初訪問。 圧巻の広さの大広間、キンピカの昭君之間は絢爛豪華、とても見ごたえがありました。 |
岡城 2011年9月5日 | 阿蘇で2湯を入湯し、目指すは竹田にある岡城。 日本百名城第26城目は岡城です。 日本の代表的な山城の一つで、滝廉太郎の荒城の月のモチーフとなったお城で、 荒城の月の音楽がうるさいぐらい流れてる。 分かった、分かったって感じ。(笑) このお城はガキがちょろちょろしていると、崖下に真っ逆さま。 柵もないので、油断すると超危険なのであります。 岡城も無事登城しましたので、温泉めぐりに集中したいと思います。 |
二条城 2011年9月18日 | 京都でお昼を食べ、二条城に行くことにします。 京都に来たら寺めぐりばかりしてしまい、二条城は初めてやってきました。 というわけで、日本百城めぐり第27城目は二条城です。 二条城は徳川家康が京都における儀礼施設として築城したお城ですが、 徳川慶喜が諸藩重臣を集めて大政奉還を諮問、宣言した場所としてあまりにも有名です。 二条城に入ると、真っ先にメインの二の丸御殿に向かいます。 二条城は世界遺産に指定され、メインの二の丸御殿内部の撮影は禁止されておりますので、画像はありません。 徳川家康から慶喜まで、江戸時代の移り変わりを見続けた二条城。 特に大政奉還の場所である二の丸御殿大広間には、ここが歴史の大きな舞台となったことを思うと、感慨深いものがあります。 二の丸御殿を見た後、二条城庭園、天守閣跡を見て回り、 入口の東大手門に戻ってきました。 広大な敷地を歩きまわり、暑さと疲れでヘトヘトになってきました。 家族4人全員、気分はかなりサゲサゲです。 |
明石城 2011年9月19日 | 今回明石に来た理由は、前々から家族に本場の明石焼きを食べてもらいたいと思ったからでした。 本家きむらやというお店を訪問することにします。 本家きむらやは大正13年創業、明石焼きの老舗と言われるお店です。 あっつあつの明石焼きをはふはふしながら食べると、これがうまい! 明石焼きは明石では玉子焼きと呼ばれていて、玉子の味が本当に優しい。 大人から子供までみんな好きな味でマジうまい! 基本だしで食べる明石焼きですが、塩で食べてもこれがまたうまい。 一つケチをつけるとすれば、値段的には1枚=800円とかなり高く感じたことぐらいかなぁ。 明石焼きも食べて、最後に第28城目の明石城に寄って、無事帰宅しました。 |
今治城 2011年10月7日 | 日本百名城めぐり第29城目は今治城です。 藤堂高虎によって築城された、日本三大水城の一つです。 水門からは海水が引き込まれ、ボラなどが泳いでいるとのことです。 隠れた釣り場スポットかもしれません。(笑) まずは馬上の勇ましい藤堂高虎をパチリ! 天守に登ると、しまなみ海道を渡す来島海峡大橋がバッチリ見れて、素晴らしい景色が広がっていました。 |
郡山城 2011年10月8日 | 日本百名城めぐり第30城目は郡山城。 郡山城は中国地方の覇者である毛利氏の居城。 毛利氏が広島城へ移るまでここを根城として使っていたのだそう。 郡山城の麓にある安芸高田市歴史民族博物館で百名城スタンプをもらった後、 テクテク山道を歩いていく。 毛利元就をはじめ毛利氏一族が眠るお墓。 凛とした空気に包まれていた。 その後方には「百万一心」の碑があります。 さらにここから、本格的な山道を登ります。 朝早くに起きて、ゴルフで疲れ、その上登山とは、オレを殺す気か! 20分程登って、ようやく本丸跡に到着。 今までの山道が嘘のように開けた場所にある。 城も見たし、飯でも食って帰るか。 |
岩国城 2011年11月18日 | 岩国にやって来ました。 岩国といえば錦帯橋! 前回は桜満開の素晴らしい季節に訪れ、錦帯橋が一番輝く時期に来ましたが、 今回は生憎の雨。ただ、雨にしっとりと濡れる錦帯橋も悪くないなぁ。 錦帯橋を渡って、目的の岩国城を目指します。 ロープウェイを降りて歩くこと約5分。 岩国城に到着しました。 日本百城めぐり、第31城目はこの岩国城です。 早速、窓口で百名城スタンプをゲットし、天守閣の最上階まで登っていきます。 おおーー、素晴らしい景色が広がっているではありませんか!(笑) いやいや、本当にいい時に来たもんだわ!(笑) 城も見終えたので、ロープウェイに乗って下まで降りてきました。 ちょっくらシロヘビでも見ていくか! 入場料100円也。 シロヘビがいた! ただそれだけ! あっという間に終了。(笑) 武家屋敷「旧目加田家住宅」をチラ見した後、錦帯橋まで到着しました。 最後に岩国らしく岩国寿司を食べて帰りました。 |
大洲城 2011年11月23日 | 今回目指すのが、第32城目の大洲城。 大洲城到着。 まずは外観を写真に収めて入城。 忘れちゃいけないのが、百名城スタンプ。 こいつを押し忘れちゃ水の泡。 しっかりとスタンプをゲットした。 1331年に宇都宮豊房によって築城された大洲城ですが、明治に取り壊されたが、2004年に復元。そのため、中はめちゃくちゃ綺麗。 逆に言うと味はない。 天守閣最上階からは、清流肘川が清らかに流れていて、涼しげな景色が見れた。 この肘川は岐阜の長良川、大分県日田の三隈川とともに、日本三大鵜飼の一つ。 天気はあいにくだったが……。 大洲にはもう一つの看板名所「臥龍山荘」があるが、前に行ったので今回はパス。 |
宇和島城 2011年11月23日 | 大洲城攻略後、第33城宇和島城へ向かいます。 通り過ぎたことはあったが、ゆっくり廻るのは初めての宇和島市。 初めてくる町はなんかワクワクしちゃいます。 宇和島城の天守閣を目指し、山道を登っていきます。 宇和島城天守閣に到着。 天守閣は国の重要文化財にも指定されていて、現存12天守の一つ。 よって、天守内部は当時のままの雰囲気が残っていて非常に趣がある。 先程の大洲城とは大違い。 天守閣から景色を見ると、天気も回復していい景色が広がっていた。 一通り見たので帰ろうとすると、受付のおじじが、 「あら、もう帰られるのですか。随分早いお帰りで……」と、軽いシニカルフレーズをぶつけてきた。 「そうですね、確かに少し早かったかもしれませんね……」と、適当にやり過ごす。 「宇和島に来たなら、宇和島城、天赦園、伊達博物館の3点セットは見て行かれてください。」とのこと。 素直な私はちゃんとこの後、天赦園と伊達博物館を見て帰りました。 |
赤穂城 2011年12月17日 | 花岳寺は赤穂藩の歴代藩主浅野家、永井家、森家の菩提寺であり、 赤穂義士ゆかりの地「花岳寺」を参拝し、義士墓所を見て歩きました。 四十七士の墓は東京都港区の泉岳寺が有名ですが、この花岳寺は四十七士の遺髪が納められています。 討ち入りの当時は、四十七士の墓を建てることも幕府から認められていなかったとのことですが、三十七回忌に墓所の建立の許可がでたとのことです。 やって来たのが赤穂城。日本百名城めぐり第34城目です。 周辺には大石内蔵助邸、大石神社があります。 折角なので、大石神社も参拝してみました。 大石神社は元々元禄赤穂事件以後、義士を称揚する人たちによって、赤穂城内の大石邸内に小さな祠が設けられ、密かに祀られていましたが、明治政府から大石神社として創建することが認められたものです。 祭神は大石内蔵助以下四十七士、討ち入り前に忠孝の板挟みにあい自刃した萱野三平、浅野家三代、浅野家の後の森家の先祖で、本能寺の変に散った森蘭丸らが合祀してあります。 義士宝物殿、義士木像館などを見学した後、いよいよ入城、スタンプゲットです! |
人吉城 2012年1月7日 | 日本百名城めぐり第35城目の人吉城。 1198年相良長頼の築城で、西南戦争では西郷隆盛軍の根拠地として戦闘が行われ、この時に城のほとんどが焼失したと云われています。 早速本丸を目指して登っていきます。 途中、球磨川から人吉市街地が一望の景色が堪能できます。 球磨川を天然の外堀にしているのがよく分かります。 二の丸跡。 そして、本丸跡。 登城も完了! ただし、スタンプはここではもらえません。 すぐ近くの人吉城歴史館へ移動します。 無事35個目のスタンプをゲットしました。 日本百名城めぐりをスタートして約7ヶ月。 3分の1のところまできました。 しかし、残っているのは遠いところばかり。 先はまだまだです! |
鹿児島城 2012年1月8日 | 黎明館は、鹿児島県歴史資料センターといい、 薩摩藩の居城鶴丸城の本丸跡に建てられた県の歴史資料センターです ここには、貴重な文化遺産が15万5千点も収蔵されています。 特に幕末から近代日本の時代は、鹿児島県出身の人物が大いに活躍した時代で、 大変見ごたえ がありました。 おっと、この鶴丸城(黎明館)は日本百名城(鹿児島城として)登録されておりますので、スタンプをゲットします。 無事、第36城目の鹿児島城を登城完了です。 |
松前城 2012年1月15日 | 函館から約2時間、松前城に到着。 雪に包まれた松前城、趣がありますね。 冬の間は一般公開していないらしく、中には入れませんでした。 そうこうしている間にまた天気が悪化。 雪がふってきましたので、ここから退散。 目的の百名城スタンプは、冬の間町の体育館に設置されているとのことで、 そこまで行き、無事スタンプをゲットしました。 この松前城で第37城目の登城となりました。 しかし、スタンプのインクは薄いは、スタンプが逆になっているわでスタンプの管理は適当。スタンプ押印には注意を要します。 折角ここまできたのに、少し残念な気がしました。 |
五稜郭 2012年1月15日 | 五稜郭、まずは城の全貌を見ようと五稜郭タワーに登ってみます。 タワーの料金窓口で、百名城スタンプをゲットします。 日本百名城めぐり 第38城目の五稜郭のスタンプをゲットしました! 早速、五稜郭タワーに登ってみましょう。 うぉーーーー! なんと素晴らしい! この城には芸術的な美しさがあります。 昨日の雪で、真っ白に輝く五稜郭。 美しさに華を添えています。 名前の通り綺麗な星型五角形をしているのが分かります。 ちなみに1辺は255mとのことです。 天気も良く、絶好のタイミングでやって来たものです。 まさに素晴らしいという言葉しか見当たりません! 五稜郭から目を転ずると、函館市街地、函館山もバッチリですね。 タワーの内部には箱館戦争の歴史などが勉強できます。 さぁ、次は実際に五稜郭を見に行ってみましょう。 我が国初の洋式城郭である五稜郭、この五稜郭を目にすると、幕末に生きた男たちのロマンを感じることができますね。 奥に進むと、復元された箱館奉行所も見学できます。 |
弘前城 2012年1月16日 | 次の目的地は、日本百名城めぐり第39城目の弘前城です。 弘前城はGWに特に賑やかになりますね。 毎年全国のGWの人出ランキングでは、福岡の「博多どんたく」か、この「弘前さくら祭」かというくらい、GWでは全国で1,2を争うという物凄い数の観光客が押し寄せます。 当然、弘前城は桜の季節に来たかったのですが、 そんな悠長なことを言っていたら、百名城登城ははっきり言ってムリです。 どんな季節であれ、行ける時に行くというのが基本なのです。(笑) まずは大手門でしょうか、大きな門をくぐり、城内に入って行きます。 雪と赤い橋と天守閣! 桜の時期にも負けないぐらい、雪景色のお城も素晴らしいです! なんとかここで百名城スタンプをゲットし、当初の目的の岩木山神社と弘前城をゲットしましたので、これで目的達成となりました。 |
萩城 2012年2月12日 | 道の駅「萩 しーまーと」で昼食を食べた後、レンタサイクルを走らせ、萩城へ向かいます。 日本百名城めぐり 第40城萩城。 萩城は毛利輝元が1604年に指月山山麓に築城。 その後約260年間、毛利藩の拠点として栄え、現在は指月公園として一般開放されています。 橋を渡ると料金所が! 城跡なのに入園料210円も取られた! 無料で開放せーよ! 思わず心の中で叫んでしまいます。 ただし、この後行く「旧厚狭毛利家萩屋敷長屋」と共通券となっています。 料金所で百名城スタンプを無事ゲットし、登城完了しました! |
小田原城 2012年4月15日 | 小田原に着くと、まずは北条早雲が出迎えてくれました。 目的の場所は小田原城! ここのみです。 駅から歩くこと5分、小田原城へ到着しました。 日本百名城めぐり第41城目はこの小田原城です。 戦国大名北条氏の居城として、関東支配の中心拠点として発展したお城です。 早速城攻めといきましょう。 料金所で41個目のスタンプをゲットして、天守閣最上へ登っていきます。 おーーー、相模湾が一望の素晴らしい景色。 春風がなんとも心地いい。 小田原城のまわりを歩くと、枝垂れ桜がとても素晴らしい。 さぁ、小田原駅まで戻ろう。 |
高知城 2012年5月13日 | 高知名物「日曜市」を抜けると、そこには高知城。 日本百名城めぐり 第42城目に登城します。 高知城…… 慶長8年(1603年)に山内一豊によって築城され、弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、備中松山城、松江城、丸亀城、松山城、宇和島城とともに現存12天守の一つです。 全国でも本丸の建物が唯一完全に残っている城として知られ、「南海道随一の名城」と呼ばれています。 追手門の先には見事な天守閣がそびえています。 土佐藩 初代藩主「山内一豊」の銅像。 騎馬像としては、皇居前の楠木正成像を上回る国内最大クラス。 早速追手門から城攻めといきましょう。 板垣退助の銅像。 「板垣死すとも自由は死せず」の名言をあまりにも有名。 階段を上り、天守閣を目指します。 天守閣が迫ってきました。 天守閣到着。 天守閣からの眺望。 高知市街が一望で、素晴らしい景色が広がっていました。 爽やかな5月の風がとても心地いいです。 |
松江城 2012年7月14日 | 日本百名城めぐり第43城目は松江城。 松江城は現存12天守のうち唯一山陰地方にあり、宍道湖に臨む雄姿は実戦を意識した造りとなっている。以前は国宝に指定されたこともある松江城。現在は重要文化財指定とランクダウンしましたが、素晴らしさは国宝級といっても過言ではありません! 早速、城攻めといきましょうか。天守閣広場に到着、天守閣も実にすばらしい! 中の受付で43城目のスタンプをゲット!さらに上へと進んでいきます。 現存12天守ですから、天守閣内部は当時のままというのがいいですね。 天守閣最上部に到着。 宍道湖から松江市内が一望の素晴らしい景色。梅雨空ではありますが、風が吹き抜けて気持ちいいわ! 城も攻略し、塩見縄手の方へ向かって歩いていきます。 途中、遊覧船を発見。 この遊覧船は、松江城を囲む堀川を、船頭の案内で遊覧する「堀川めぐり」。 塩見縄手は松江城北側の堀沿い、明々庵から小泉八雲旧居までの約500メートルの通りで、一帯は江戸時代の侍町だった地域です。実にいい町並みです。 塩見縄手の町並みと、堀川めぐりの遊覧船っていうコラボもまたよろしいようで。 |
飫肥城 2012年8月12日 | 飫肥(おび)に行ってまいりました。 飫肥は天正16年(1588年)の飫肥藩主伊東祐兵(いとうすけたけ)の入城にはじまる5万1000石の小さな城下町。 この飫肥で、日本百名城めぐり 第44城の飫肥城を登城します。 格調高い大手門は実に雰囲気があります。 小村寿太郎記念館、豫章館(よしょうかん)を訪問した後、いよいよ飫肥城の城攻めとまいります。大手門から正面突破しようと思います。 場内は飫肥杉が立ち並び、実に雰囲気がありますね。 飫肥城内部に侵入。 飫肥城本丸跡へと行ってみます。 本丸跡は飫肥杉が立ち並んでおり、特に標識のようなものはありませんでした。 飫肥城内にある飫肥城歴史資料館。 ここで百名城スタンプを無事にゲットです! 飫肥城から続く武家屋敷通り。 ここに小村寿太郎の生家もあります。 |
月山富田城 2012年10月11日 | 9時ピッタリに月山富田城の麓にある安来市立歴史資料館に到着。ここで第45城目の月山富田城のスタンプをゲット。これで中国地方13城制覇!折角来たのだからこれで帰ってはもったいない。月山富田城へ向かいます。 山道を車で行けるところまで行くと、そこからは歩き。歩いてすぐに山中御殿跡に到着。ここは月山のほぼ中腹にあって、三方が石垣によって囲まれている広大な曲輪となっています。 ここから本丸へは歩いて20分。よっしゃ、気合を入れて行くぜ!!! はぁはぁはぁはぁ………… この急斜面はかなりキツイ!汗ダックダックになってやっと三の丸まで到着。さらに石垣階段を上って二の丸へ。 やっと着いたか!ここが本丸。20分のところ15分で着いた! 月山富田城は戦国時代、山陰地方の覇者として君臨した尼子氏が本拠を構えた居城。 本丸から見る眼下の景色。 この本丸跡に立つと、全盛を誇った尼子氏と尼子氏再興を願った鹿之助を感じずにはおられません! 鹿之助もこの景色を見たのだろうか? |
江戸城 2012年10月21日 | 皇居東御苑は、旧江戸城の本丸・二の丸・三の丸の一部を宮殿の造営にあわせて皇居附属庭園として整備されたもので、昭和43年から公開されています。 大手門から入場し、入園票の交付を受け入園 汐見坂を上ると…… 今は広大な芝生が見えてきます。 ここはかつて江戸城本丸があった場所。 さらにすぐそばには天守台。 真っ青な空に東京のビル群が見えます。 これから歩いて皇居外苑へと向かいます。 二重橋と伏見櫓 皇居前広場の一番の観光スポット。 二重橋は花崗岩を使用した石造りアーチ橋で、西欧的建築美と日本の城郭美との融合が素晴らしく、都内随一の観光名所となっています。 実に美しい! 桜田門 桜田門と言えば桜田門外の変! 楠木正成像 私が最も尊敬する武将が楠木正成であります。 南北朝時代には南朝である後醍醐天皇を支え、最後まで忠義を貫き、湊川の戦いで足利軍と戦うが、敗れ自害したとされます。 馬上の正成像はとても勇ましく、ずっと見ていたい気にさせる像でした。 この像の近くにある楠公レストハウスで第46城目の江戸城のスタンプをゲット致しました! |
大野城 2013年1月5日 | 平成23年6月に福岡城を皮切りに、この度この大野城で中四国・九州を完全制覇となりました。 第47城大野城、太宰府天満宮への初詣の時にお邪魔し、スタンプは大宰府政庁跡にある大宰府展示館で無事ゲットしました。 |
大阪城 2013年1月19日 | 大阪市内のホテルをチェックアウトし、やって来たのが大坂城。 日本百名城めぐりの第48城目です。 関西に長く住んでいながら、実は大坂城へは初めて! 外濠から見る天守閣。大阪城ホールを横目に見ながら、いよいよ大坂城本丸を目指し城攻めといきます。 青屋門から進入します。内濠越しに見る天守閣。極楽橋から見る大坂城。ココから見る大坂城はかなり格好イイ! 天守閣が近づいてきました。 さぁ、ここから天守閣へと向かいます。 内部は撮影禁止なので、画像はありませんが、最新式エレベーター完備でお城の風情は全くなし。もっとも、現存12天守以外のお城に風情を求めてもダメか……笑 しかし、天守閣の最上部から見る大阪市街地の風景は素晴らしい。 大阪ビジネスパーク(略称:OBP)もよく見えます。 これでようやく日本三名城を制覇。 さぁて、次はどこに行くのか…… 自分でも分かりません!(笑) |
和歌山城 2013年1月20日 | 和歌山にやってきました。 名物「和歌山ラーメン」を食べ、紀伊国一の宮の2宮を参拝した後、やって来たのは和歌山城。第49城目です。 和歌山城は、天正13年(1585年)に紀州を平定した豊臣秀吉の弟 秀長に築城させたのが始まりで、その築城を担当したのが、築城の名人藤堂高虎であります。 そして、元和5年(1619年)には、徳川家康の第10子・頼宣(よりのぶ)が入城し、紀州55万5千石の城となり、以来、水戸・尾張と並び、徳川御三家のひとつとして、長い歴史を刻んできたのです。 一の橋を渡り、大手門から城攻めです。 天守閣を目指して歩いて行きます。 陽が傾いてきました。 急がねば…… 天守閣に到着。 天守閣の最上部にある展望台からは和歌山市街が一望です。 徳川吉宗も8代将軍になるまでに、この和歌山城で過ごしたのこと。 吉宗もここから和歌山の城下町を見ていたことでしょう。 現在は内堀しかありませんが、当時は紀ノ川を天然の外堀としていたとのことで、規模の大きさが分かりますね。 和歌山散策はこれにて終了。 |
松阪城 2013年3月2日 | 伊勢からJRに乗って松阪へやってきました。 何しに松阪にやってきたのか? 松阪牛? そんなワケないやろ〜!(笑) 冗談やないでぇ!(笑) 松阪と言えば、やっぱり松阪城でしょうが!!! 日本百名城めぐり 記念すべき第50城がこの松阪城なんであります! エッヘン! うん?なんかいい雰囲気。 ここは「御城番屋敷」といって、江戸末期に旧紀州藩士が松坂城警護のため移り住んだ武家屋敷らしく、このように現存する武家の組屋敷は全国でもとても珍しいのだそうな。 松阪城跡に到着。 いや、ここがゴールではない! ゴールは城内にあって、百名城スタンプが置いてある「本居宣長記念館」 タイムアップ寸前でなんとか、50城目「松阪城」のスタンプをゲットできました! めちゃめちゃツカレタ!(疲) 結局、登城した跡、和田金で松阪牛をいただいちゃいました。 |
伊賀上野城 2013年3月3日 | 日本百名城めぐり 第51城目、伊賀上野城に到着。 芭蕉翁記念館を見た後、今度こそ伊賀上野城に向かいます。 白亜三層の優美な姿、大変美しい城です。 受付窓口で無事スタンプをゲットし、早速城攻めといきましょう! 城内には武具・甲冑や藤堂家の遺品、横山大観をはじめ名士の色紙の天井絵がありました。 おーーっと、城内部には忍者が侵入しております。 さすがは伊賀流忍術!(笑) 天守閣最上部から見る景色。 そして、この城もう一つの見どころが、この高石垣。 この高石垣は本丸西側にあり、高さ30m、日本一とも称される高石垣です。 築城の名手高虎の意気込みが感じられます。 このケッタイな建物、「俳聖殿」といって国指定重要文化財だそうです。 松尾芭蕉の生誕300年を記念して、昭和17年(1942年)に建てられたものです。 忍者博物館を見た後、伊賀上野城をあとにしました。 |
松本城 2013年4月13日 | 国宝松本城、日本百名城めぐり 第52城目です。 満開の桜! そう、この日は天気だけでなく、満開の桜が私を迎えてくれていたのです! どこまでついとんねん、オレ!(笑) 国宝の名にふさわしい風格。 現存する日本最古の五重天守です。 早速城の内部に進入致します。 近代的なエレベーター付きの城とは違い、当時のままの状態で残っています。 ようやく天守閣6階の最上部にやってきました。 天井部には二十六夜神という松本城を守る神様が祀られています。 天守閣最上部から見る景色。 松本城を無事登城し、下まで下りてきました。 真っ青な青空に浮かぶ松本城! 立派やなぁ! 赤い埋橋と松本城。 見事としか言いようがありません! しかしいい城やったなぁ!!! 特急あずさに乗って…… 次は松本からいずこへ……? |
高遠城 2013年4月14日 | 伊那市駅から高遠行きの朝一番のバスに乗り込むと、バスに揺られついに高遠城址公園にやって来ました。 天気は昨日同様に抜けるような青空です。 どうですか、これが高遠城址公園の桜です。 まさに満開です。 素晴らしいです! ついに長年の思いを叶えることができました。 これぞ高遠城址公園の天下第一のさくら!!! どこを見ても桜、桜、桜! 圧倒的です! 今頃の説明ですが、この高遠城址公園の桜、ピンク色が濃いことに気付かれましたでしょうか?実はこの高遠城址公園の桜はこの地域しかない「タカトオコヒガンザクラ」という固有種なのです。ソメイヨシノよりやや小ぶりで濃いピンクを呈しているのです。 そして、この高遠城は日本百名城に指定されています。 スタンプ場所はこの高遠歴史博物館。 意識は99%桜でしたが、百名城スタンプを押さないとココに来た意味もありません。 ヤバイヤバイ! 無事53城目のスタンプゲット! |
甲府城 2013年4月14日 | 甲府にやって来ました。 折角やって来ましたので、名物の「ほうとう」と「鳥もつ煮」を食べておなかいっぱい。 次は、甲府観光めぐりといきます。 まずは日本百名城めぐりから。 甲府城甲府駅のすぐ近くにある甲府城、日本百名城めぐり 第54城目です。 武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により、甥の羽柴秀勝、腹心の部下である加藤光泰らによって築城が始められ、浅野長政・幸長父子によって完成をみました。 関東の徳川家康に対抗するための重要な戦略拠点として築かれたものです。 |
武田氏館 2013年4月14日 | 甲府駅北口からバスに乗って、やってきたのがこの武田神社です。 武田神社は武田氏館跡に、武田信玄公をご祭神として祀った神社です。 大正4年、大正天皇のご即位に際し信玄公に従三位追贈が奉告されたのを契機に、武田神社創建の気運が沸き上がり、大正8年には社殿が竣工したものです。 実は何を隠そうこの武田神社、日本百名城に指定されているのです! 百名城ってどこが城やねん? 疑問はもっとも。武田神社としてではなく、武田氏館跡としての登録です。 日本百名城めぐり第55城 武田氏館跡。この武田氏館跡に武田神社が創建されたことで、神社でありながら百名城というかわった形式なのです。 武田氏館跡は別名「躑躅が崎館」(つつじがさきやかた)と呼ばれ、永正16年(1519年)に武田信虎によって築かれた方形の館です。 信虎が最初に築いた館は、堀一重の主城郭のみであったとのことですが、武田氏の勢力拡大とともに施設も増え、その後武田信虎、信玄、勝頼の三代が住んだとされています。 現在も堀、土塁、曲輪などの遺構が残されています。 社務所で55個目のスタンプをゲットしました。 |
中城城 2013年8月3日 | 中城城にやってきました。 日本百名城めぐり第56城中城城。 ちなみにこのお城……世界遺産です! 琉球王国のグスク及び関連遺産群として、平成12年にユネスコの世界遺産に登録されております。 1440年、名築城家の護佐丸が王命により、三の郭と北の郭を増築し完成させたとされており、県内でもっとも原形を残していると言われております。 北東に向かって建てられた裏門から城攻めといきます。 アーチ門が美しいです。 北の廓を歩いていきます。 それにしても石造りの城郭が本当に素晴らしい。 日本式の城郭とはまるで違う造りですね! 城郭のてっぺんからは海だぁーーー! 青い空と青い海! どうですか、この素晴らしさ! 城郭とこの景色のコラボ! うーーーん、見事やなぁ! 素晴らしい! |
今帰仁城 2013年8月4日 | 日本百名城めぐり第57城今帰仁城を目指します。 ちなみにこのお城も昨日登城した中城城と同じく世界遺産です! 琉球王国のグスク及び関連遺産群として、平成12年にユネスコの世界遺産に登録されております。 今帰仁城は本部半島にある歴史的なグスクで、その歴史は古く、13世紀までさかのぼるとされています。 堅牢な城壁に囲まれたその城は、標高約100メートルに位置し、やんばるの地を守る要の城だったとのこと。 今帰仁城の正門である「平郎門」から城攻めです。 「七五三の階段」と呼ばれる階段を上っていきますと…… 大庭(うーみやー)と呼ばれる開けた広場に出てきました。 そして最も高い場所にやってきました 沖縄の青い海と青い空をバッグに、古代城郭とのコントラストが素晴らしい。 ここは風がとっても心地いいんです。 57個目のスタンプも無事ゲットし、次なる場所へ移動します。 |
首里城 2013年8月5日 | 沖縄旅行3日目……認めたくはありませんが、この日が最終日です。 最後に残った沖縄でのミッションが、百名城めぐりの首里城登城です。 早速世界遺産に登録された首里城登城といきます。 坂を上り、首里城正殿内部に入っていきます。 赤と金の装飾は琉球国の独自性を感じますね。 国王の玉座を見て、国王の王冠! 国王が儀式の時に被るもので、絹製で玉(金、銀、水晶、珊瑚、碧玉、ガラス)などで飾られています。 大変見応えのある正殿内部でありました。 城郭を下っていきます。 歓会門…首里城は外郭と内郭により二重に囲まれているが、ここは外郭の最初の門で、首里城の城郭内へ入る第一の正門。 「歓会(かんかい)」とは歓迎するという意味で、往時、首里城へは中国皇帝の使者「冊封使(さっぽうし)」が招かれたが、こうした人々を歓迎するという意味でこの名が付けられたとのこと。 最後は守礼門で記念写真。 無事沖縄最終ミッションの58個目のスタンプを入手しました。 |
根室半島チャシ跡群 2013年8月31日 | 日本百名城めぐり 第59城「根室半島チャシ跡群」です。 ここにあるチャシとは……アイヌ語で「砦」、「館」と表現されていて、基本的に自然地形を利用した高低差の大きい高所に築かれ、堀・崖で区画されています。 そして根室半島には24か所のチャシ跡がありまして、根室半島チャシ跡群として日本百名城として登録されています。 そのチャシ跡群の一つ、「ヲンネモトチャシ跡」に立ち寄ってみます。 草っぱらに看板がありました。 この辺がどうやらチャシ跡のようです。 えーーー? ここ? これがチャシ? これが百名城ですか? なんもないんですけどーーーー! 百名城スタンプは根室駅前の観光施設で押印してもらいました。 これで、北海道の百名城(根室チャシ群跡、五稜郭、松前城)の3城をコンプリートできました。 |
仙台城 2014年4月10日 | この日は社内からの出張者が仙台にやってきます。 時間の合間をみながら仙台城跡にご案内しております。 ちなみにここは私もはじめてなんですけど……笑 どうですか、シルエットに浮かぶ伊達政宗! そしてここからは仙台の市街地が一望なんです。 みんなで城内にある宮城県護国神社に参拝いたしました。 えーーと、この仙台城は日本百名城に指定されておりまして、今回第60城目としてしっかりスタンプ押してまっせ!(笑) |
盛岡城 2014年5月5日 | 5月5日は家族全員揃っての唯一のお休み。 よしみんなで遠出すっか! というわけで、かねてからの奥さんの希望でわんこそばを食べに盛岡へ行くことにしました。 盛岡に到着! まずは手始めに盛岡城へきました。 南部盛岡藩20万石の居城であります。 私以外はみんな興味もなく、一人さびしく城攻めといくかーー。 ちなみにこれが第61城目! 本丸に到着。 そして主なき台座。 この台座の上にはかつて南部利祥(なんぶよしなが)の銅像があったが、太平洋戦争中での金属供出で今は台座のみが残っています。 本丸から見る盛岡市街地。 さぁさぁ前座はこれぐらいにしておいて、いよいよわんこそばを食べに行きまっせ。 |
多賀城 2014年5月6日 | GW最後の5月6日、この日は仙台の隣町の多賀城へとやってきました。 この多賀城は百名城に指定されてまして、これが第62城目となります。 どうですか、この雰囲気! 所謂お城的な感じではなく、ここは太宰府と同じくかつての政庁跡なのです。 多賀城は724年(神亀元年)に大野東人(おおの あずまびと)によって創建され、陸奥国府と鎮守府が置かれました。 約900メートル四方という広大な城内の中央には、重要な政務や儀式を行う政庁がありました。 発掘調査成果をもとに環境整備が行われており、平城宮跡(奈良県)、太宰府跡(福岡県)とともに日本三大史跡に数えられているほか、国の特別史跡に指定されています。 本当に太宰府の政庁跡と雰囲気が似ています。 無事にスタンプゲットです! |
岐阜城 2014年5月15日 | 岐阜にやってきました。 岐阜駅から目指すは岐阜城です。 難攻不落の城としても知られ『美濃を制すものは天下を制す』と言われるほどで、戦国時代には斎藤道三の居城であり、その後、永禄10年(1567年)に織田信長がこの城を攻略し城主となりました。 信長は「井の口」と呼ばれていた地名を「岐阜」に、「稲葉山城」を「岐阜城」に改めたといわれています。 金華山の頂上に聳える建物が岐阜城、これからあそこまで行ってみます。 えーー、頂上までは歩いて行くのではなくて、文明の利器ってヤツを使いますよ。(笑) 雨もパラパラ降ってますし、歩いて行くとしんどいですから、ロープウェイを利用します。(笑) ロープウェイ頂上駅に着きますと、ここから歩きです。 結構しんどい登りがあります。 ようやく天守閣が見えてきました。 城の内部は資料が展示されてます。 岐阜城の天守閣最上部にやってきました。 ここからの岐阜の町並みが素晴らしい。 えーー、ちなみにこの岐阜城で日本百名城めぐり第63城目であります。 |
久保田城 2014年5月28日 | 日本百名城めぐりの第64弾は久保田城です。 久保田城と言われてピンと来る人はあんまりいないかも。 場所は……秋田市内、それも中心部にあります。 そんな久保田城を今回歩いてみますよ。 久保田城は佐竹氏21万石の居城で、高い石垣や天守閣はなく、現在は千秋公園として秋田市民の憩いの場となっています。 二の丸広場には、佐竹史料館がありまして、内部も見学させて頂きました。 御物頭御番所 久保田城内唯一の遺構で、二の門の開閉と城下の警備、火災の消火等を担当する物頭(足軽の組頭)の詰所。 表門をくぐると広場になっていまして、ここが本丸跡のようですね。 秋田藩最後の藩主「佐竹義堯(さたけよしたか)公銅像」 一見天守閣のようですが、櫓であります。 久保田城御隅櫓。 久保田城内には八つの御隅櫓がありましたが、御隅櫓は本丸の北西隅に位置していたもので、復元されたものです。 櫓からみる秋田市街地。 おおおーいい景色や! 天気も晴れ渡り、ホント気持ちええ! |
山形城 2014年6月17日 | 山形城にきています。 ここは桜が満開の時期に訪れてましたが、百名城のスタンプ帳を持っていっておらず、今回改めてやってきたというわけです。 山形城は日本百名城めぐり第65城目です。 山形城は別名「霞城」とも呼ばれてまして、現在も山形城のある公園は霞城公園(かじょうこうえん)と呼ばれています。 山形城は、斯波兼頼が延文2年(1357年)に築城したと伝えられており、兼頼の子孫は、その後最上氏を称して、代々居城しました。 最上氏11代当主義光の代に、関ヶ原合戦の戦功により、57万石の大々名となり、実質100万石の城下町として山形は繁栄したのです。 二の丸東大手門から城攻めです。 馬にまたがる最上義光(もがみよしあき) 現在の山形の基礎を作ったとされていまして、実に勇ましい像です。 霞城公園には「最上義光記念館」がありまして見学しました。 それとここで65個目のスタンプをゲットです! |
根城 2014年8月7日 | さてさて、この日の目的は日本百名城めぐり! 今回は第66城目の根城にやってきました。 私も聞いたことがないお城です。 根城は、建武元年(1334年)に南部師行(なんぶもろゆき)により築城された城で、寛永4年(1627年)に領地替えにより使われなくなるまでの約300年間、八戸地方の中心でありました。 南部師行像を見て城攻めといきます。 実のなる木 城の中には篭城に備え、普段から食糧が蓄えられていたものの、篭城が長引き食糧が尽きた場合に、あらゆる草・木も食べなければならず、城には必ず実のなる木が植えられていたとのこと。 城内は「史跡 根城の広場」として公園化されていて、芝生が美しいです。 さてさて、この門をくぐり本丸へと進んでいきます。 まず主殿。 ここで城主が来客と会ったり、さまざまな儀式を執り行うための建物です。 堅穴式の建物は古代の面影を感じますが、安土桃山時代のお城とのことです。 何はともあれ、根城のスタンプ(66個目)をゲット! |
七尾城 2014年10月18日 | 気多大社から欲張って七尾城の百名城スタンプを狙ってやってきました。 写真の場所は七尾城史資料館でありまして、ここに七尾城のスタンプが置いてあります。 もはや陽も傾いてまして、こちらの資料館も開館時間を過ぎておりますが、事前に電話で問い合わせますと。建物の外にスタンプを置いてるらしく、押印可能とのことでやってきたのです。 第67城目のスタンプをなんとかゲットしました。 えっ、七尾城は? 七尾城は山城で、ここから山道を登っていかなくてはならず、今回はあえなくパス。 次回来た時に登ることといたしました。 |
金沢城 2014年10月19日 | 金沢城……外様大名で最大の石高を誇る加賀藩前田氏の居城で、加賀百万石のシンボルである金沢城は、天正11年(1583年)に前田利家により本格的な建城が行われ、明治2年(1869年)まで前田家14代の居城として置かれました。 右側の櫓が「菱櫓」で、そこから横長に連なる「五十間長屋」 そこにはいかにも歴史を重ねたといわんばかりの建築物がありまして、これが「三十間長屋」です。 安政5年(1858年)に再建された長屋で、金沢城に現存する長屋建築としては唯一のものとのこと。 国の重要文化財に指定されとります。 鶴丸倉庫 幕末の1848年に竣工した武具土蔵で、城郭内に残っている土蔵としては国内最大級の遺構で国の重要文化財に指定されております。 菱櫓にのぼってみますと、金沢市街が一望であります。 いやぁ、かなり広くて見応えありました。 もちろんこちら金沢城は百名城! 68個目のスタンプをゲットしましたよ。 |
新発田城 2014年11月5日 | 今回は新潟県新発田市へとやってきました。 もちろんまずは新発田城へ行ってみます。 これが第69城目となります。 新発田城……別名「菖蒲(あやめ)城」とも呼ばれ、初代藩主溝口秀勝侯が慶長3年(1598年)に築城、3代宣直)侯のときに完成しました。 この時はまだ11月のはじめの時でしたので、紅葉とお城が美しいです! 国の重要文化財に指定されている本丸表門から城攻めです。 門のところにスタンプ台がありまして、無事に69個目のスタンプをゲットです! 城内入ってすぐにある、初代藩主「溝口秀勝」像。 旧二の丸隅櫓内部 復元された辰巳櫓 実はお城のすぐ隣には自衛隊の基地がありまして、史料館もあります。 |
白河小峰城 2015年2月5日 | 白河小峰城にやってきました。 日本百名城めぐり第70城目であります。 白河小峰城は、南北朝時代の1340年に結城親朝が小峰ヶ岡に築城して小峰城と名づけたのが始まりとされております。 早速、城攻めといきますぜーー! 実は白河小峰城は、東日本大震災で崩落した石垣の修復工事を行っておりまして、三重櫓も含め本丸は立入禁止となっております。 というわけで、本丸には行けず、外側から眺めるだけという状態です。 城山公園には「白河集古苑」という結城氏や阿部氏に関する資料が展示されていました。 この「白河集古苑」で無事に70個目のスタンプをゲットしております。 |
箕輪城 2015年4月18日 | 箕輪城へとやってきました。 箕輪城? 初めて聞く名前です。 西暦1512年(永正9年)、長野業尚氏が居城した平山城で、武田信玄の西上野侵攻でこの箕輪城で徹底抗戦しましたが攻め落とされ、その後この箕輪城は武田氏、織田氏、北条氏、徳川氏と主を代え、慶長3年(1598年)に、最後の城主井伊直政のにより、城を高崎に移し、箕輪城は廃城となりました。 さてさて、搦手口から城攻めといきます。 大堀切 本丸をグルリと囲む堀跡がクッキリ。 二の丸広場 さてここが本丸跡です。 天守閣はありませんが、ここで武田信玄と戦ったのを思えば、浪漫が湧きます。 無事71城目のスタンプをゲット。 ちなみにこの箕輪城のスタンプは高崎市役所の箕郷支所で押印してきました。 |
二本松城 2015年5月6日 | 日本百名城の二本松城、別名「霞ヶ城」と呼ばれるお城です。 早速、二本松城、別名霞ヶ城に城攻めします。 まず、箕輪門をくぐっていきます。 結構のぼって行きますよ! ちなみに私、さっきまで山登りしてまして、足疲れてるんですけど……笑 ひえーー、まだ上がるの? ようやくそれらしき石垣が見えてきました。 ようやくここまで上がってきたぜと思って、横に目をやると…… 車が停まってた! 車で来れんのかい!!! クッソーーー!!!!! まぁ下から上がって来ないと、この城の魅力は分からんわな! と、負け惜しみ的発言をブツブツ言いながら…… ようやく本丸跡に到着! ようやく上った本丸跡からの景色! 安達太良山ともう一つ山登りをした感じです。(笑) 72個目のスタンプをゲットできました! |
丸岡城 2015年11月14日 | 福井県には百名城が2つありまして、その2つが丸岡城と一乗谷城! その二つをまとめて一挙に城攻めしたいと思います。 まずは丸岡城から。 この丸岡城は現存する12天守の一つであり、その中でも日本最古のものなのでありまして、国の重要文化財に指定されとります。 さぁ、日本百名城めぐり第73城目の丸岡城にやってきましたよ。 丸岡城は柴田勝家の甥である柴田勝豊によって天正4年(1576年)に一向一揆に備えて築城された平山城で、こじんまりしたお城ですね。 ここは日本さくら名所百選にも選ばれてまして、満開の頃にきたら美しいでしょうね。 この石段を上って城攻めと行くぞーー! ヤァーーー! 城内に入ると二階への階段がありまして、これがメッチャクチャ急勾配! 二階から三階へはさらに急になって、この勾配! メッチャンコ急なんです! 急階段を上るとそこには、天守閣最上階からの素晴らしい眺め! 丸岡の町並みや坂井平野の田園風景が一望です。 吹き抜ける風が気持ちいいです。 さぁ次は一乗谷城及び朝倉氏遺跡へ行ってきます。 |
一乗谷城 2015年11月14日 | 第74城目一乗谷城及び朝倉氏遺跡へとやってきました。 戦国時代、日本有数の大都市として栄華を極めた朝倉氏の城下町である一乗谷。 さぁ早速その一乗谷朝倉氏遺跡を散策してみましょう。 平面復原地区から少し歩くと復原町並にたどり着きました。 こちらが復原された町並み。発掘された塀の石垣や建物礎石をそのまま用いて、当時の町屋や屋敷が200mにもわたってリアルに再現されてます。 復原町並みを出まして、川の対岸を散策します。 諏訪館跡庭園 この諏訪館庭園は一乗谷で最も規模が大きい池泉回遊式庭園で、国の特別名勝に指定されております。 湯殿跡庭園から義景館跡を見下ろします。 義景館跡は5代義景が住んだ領主の館です。 三方が土手と濠で囲まれていて、この朝倉氏遺跡の中心的存在です。 館跡の中にある義景公墓所 義景館跡の唐門と呼ばれる門。 この唐門、義景公の菩提を弔うために建てられたもので、この一乗谷朝倉氏遺跡のシンボル的存在です。 これで福井の二城を落城させり。 特に一乗谷朝倉氏遺跡は見応えありました。 |
水戸城 2017年3月20日 | 偕楽園を見た後、やって来たのは弘道館です。 弘道館は、天保12年(1841年)、徳川斉昭公が創立した日本最大の藩校で、水戸城三の丸にあって、国の特別史跡に指定されております。 江戸時代最後の将軍徳川慶喜は、幼少期にここ弘道館で学び、大政奉還後、この弘道館で謹慎生活を送ったとのことです。 弘道館を見た後、水戸城跡に立ち寄り、75城目の水戸城のスタンプを頂きました |
彦根城 2017年11月21日 | 彦根城登城の日、「国宝・彦根城 築城410年祭」が開催されておりまして、大河ドラマ放映とともに、最高にいいタイミングでやって来れました。 こちらが彦根城の国宝天守です。 天守は3階3重と規模としては小ぶりな部類ですが、屋根には「切妻破風」「入母屋破風」「唐破風」といったさまざまな破風が配されていて、実に優雅な佇まいですね。 天守最上部からは彦根市街地はもちろん、伊吹山を望むことができ、琵琶湖も一望です 彦根城の次にやって来たのが、彦根藩主「井伊家」の大名庭園「玄宮園」と建物部分の「楽々園」です。 楽々園は彦根藩主井伊家の下屋敷として、1677年に4代藩主の井伊直興が造営開始したもので、城域内に大名の下屋敷が現存するのは、ここ彦根城だけとのことで、国の名勝に指定されています。 今回の最高の一枚はこの「玄宮園」からです。 |
駿府城 2018年3月25日 | 長男とともに駿府城にやってきました。 早速入城です。 城内は駿府城公園として、市民の憩いの場となっておりました。 この日は春らしい陽気と桜も見頃で、家族連れやカップルなどでたくさんの人が来ております。 徳川家の家紋「葵の御紋」。 ここ駿府は、家康が今川氏の人質として19歳までの12年間を過ごしたところで、後に戦国大名、そして天下人へと成長していく過程で種々の教えを受けており、家康の人間形成の上で重要な時期を駿府で過ごしたことになります。 その後、家康が駿府の武田勢を攻め、駿河国を領国の一つとした家康は、天正13年(1585年)から居城として駿府城の築城をはじめ、天正17年に完成させました。 この駿府城で77個目のスタンプをゲットしました。 |
会津若松城 2018年8月7日 | 鶴ヶ城(=会津若松城)にやってきました。 戊辰戦争から150年、この城に来るにはピッタリのタイミング。 白虎隊が飯盛山で、煙に包まれる城下を見て、鶴ヶ城は落城したものと思い込み自刃したという説がありますが、実はその時、鶴ヶ城はまだ落城したわけではなかったのです。 薙刀で奮戦した娘子軍や、”八重の桜”の山本八重もスペンサー銃と刀で奮戦しており、一ヵ月もの間、鶴ヶ城で籠城戦が繰り広げられました。 しかし、ついに9月22日に白旗が掲げられ、会津戦争の幕は下りました。 そんな鶴ヶ城にやってきました。 会津戦争後は、政府の命令で明治7年(1874年)に、取り壊されましたが、市民の強い要望により、昭和40年(1965年)に再建され、さらには平成23年(2011年)には、瓦屋根が赤瓦に葺き替えられ、会津戦争以前の姿に蘇りました。 |
八王子城 2018年11月10日 | 高尾駅からバスに乗って霊園前というバス停で降り、そこから結構歩きました。 何気に20分程歩いたかもしれません。 ようやく八王子城跡に到着しましたよ。 百名城のスタンプはこちらの施設に設置されていまして、スタンプを押して終了となります。 ちょっと待ったぁー!!! そんなんで城を攻略したと言えるのかぁ? もちろん本丸まで行きますよ!(笑) 早速、本丸を目指して出発します。 ご覧の通り、完全な山道で、ハッキリ言って高尾山とは比べものにならないくらいにしんどいです。(笑) 登り始めて27分、汗だくになりながら本丸に到着しました。 これで正真正銘、八王子城を征服致しました。 |
松代城 2019年7月7日 | 松代城にやってきました。 日本百名城めぐり第80城目となります。 松代城は永禄3年(1560年)、武田信玄が北信濃を支配するために築城したもので、築城当初は海津城と呼ばれ、川中島の戦いの舞台にもなりました。 元和8年(1622年)には、真田信之が上田城から移ってこの城の城主となり、真田氏三代幸道の時に名を松代城と改められました。 太鼓橋を渡って、早速入城します。 太鼓門をくぐっていきます。 城内は公園のようになっておりました。 80個目のスタンプをゲットです! |
上田城 2019年7月7日 | 松代をあとにした私は、上田市にやってきました。 もちろんここに来た目的は上田城でありまして、日本百名城めぐり第81城目となります。 真田三代の郷「上田城」、3年前の2016年に放映された大河ドラマ「真田丸」の時は随分賑やかだったことでしょう。 真田昌幸によって築城された上田城は、第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退、難攻不落の城として知られています。 早速入城したいと思います。 城内には真田神社がありまして、参拝させていただきました。 櫓からの景色、上田市街地が一望です。 最後に、上田市立博物館を見学して、上田城めぐりは終了です。 |
小諸城 2019年7月7日 | 日本百名城めぐり第82城目小諸城。 小諸城は武田信玄の頃、山本勘助らによって現在の縄張りとし、豊臣秀吉の天下統一の時、小諸城主となった仙石秀久により完成された城です。 城下町より低い位置に城を築いた「穴城」という、全国でもここだけという珍しい城として有名です。 明治時代に廃城となった小諸城は、本丸跡に「懐古神社」を祀り、懐古園という公園として生まれ変わりました。 |
山中城 2019年9月16日 | 次なる目的地は、山中城という城跡です。 ここは日本百名城に指定されておりまして、日本百名城めぐり第83城目となります。 山中城は、戦国時代末期の永禄年間(1560年代)、小田原に本城をおいた北条氏によって築城され、その後、天正17年(1589年)豊臣秀吉と不仲となった北条氏政は、秀吉の小田原攻めに対する西の備えとして、急遽曲輪や堀等の整備・増築を行いました。 しかし、翌天正18年に増築未完成のまま4万の豊臣軍の総攻撃を受け、北条軍4千はわずか半日で落城したという悲劇の城です。 石を使わず土だけで造った山城は全国的に珍しいことから、日本百名城に選定されたとのこと。 早速、城跡散策といきます。 三の丸堀を通って西の丸へ! 西の丸から見える、こちらが見どころ「障子堀」です。 これにて山中城城攻めは終了! 素晴らしき山城を堪能させて頂きました。 |
掛川城 2019年9月28日 | 静岡で行われるラグビーW杯日本対アイルランド戦。 観戦前の時間を使って、掛川城を登城してきました。 おおおー、これが掛川城か。 掛川城は、戦国時代に駿河守護の今川氏親が、臣である朝比奈康煕に命じて築城、その後一時は徳川家康が支配していましたが、天正18年(1590年)に山内一豊が入城、在城した10年間で天守閣の建立や城下の整備がなされ、東海の名城と称されました。 平成6年(1994年)には、日本初の「本格木造天守閣」として美しい姿で復元されております。 おおおーー、掛川城にもアイルランドサポーターが……。 是非是非、折角日本に来られたんですから、日本の素晴らしいところを色々見て頂きたいですね。 天守閣の最上部に到着。 掛川市街地が一望の素晴らしい景色が広がっていました。 掛川城御殿にやってきました。 掛川城御殿は、藩の公的な式典の場・藩主の公邸・藩内の役所という3つの機能があり、現存する城郭御殿としては、「本丸御殿」が高知城と川越城、「二の丸御殿」としては、二条城とこちらの掛川城、これらは現存四御殿といわれ、掛川城御殿は国の重要文化財に指定されております。 |
佐倉城 2019年11月10日 | 国立歴史民俗博物館の見学をしてきました。 歴史関係では国内唯一の国立博物館だけあって、物凄い展示品で、見応え十分でありました。 さぁ、次に佐倉城に行かなくては……。 でも大丈夫。 もう来てるんです。 歴博自体が佐倉城址公園の中にありまして、既に佐倉城に来てました。(笑) というわけで、スタンプ設置場所は歴博の中にありまして、第85城目のスタンプを頂きました。 |
高岡城 2022年10月2日 | 高岡古城公園へとやってきました。 ここに来た目的はもちろん百名城めぐり! 一の宮めぐり同様コロナ禍で百名城めぐりも活動停止中でしたので、この高岡城から高らかに再開宣言です! 高岡城は加賀前田家2代の前田利長の隠居城として、慶長14年(1609年)に築城された城です。 城内には入館無料の高岡市立博物館があり、高岡が生んだ偉人「高峰譲吉記念展」という特別展が開催されておりました。 知らない人でしたが、有名な「アドレナリン」を取り出したり、日米友好の懸け橋としてワシントンに桜の木を贈ったのもこの人とのことでした。 城内には射水神社という神社もありまして…… ちょっと参拝してみます。 実はこの射水神社、何を隠そう越中国の一宮でありまして、全国一の宮めぐりの第86宮となります。 秋らしいキンモクセイのいい香りが漂う中、その後も城内を散策。 これが前田利長像、像の横には満開のキンモクセイがあり、凄い匂いを放っておりました。 第86城目の高岡城のスタンプ、ゲットしました! |
鉢形城 2023年4月23日 | 鉢形城に到着しました。 鉢形城というのは、私も知らないお城でしたが、文明8年(1476年)関東管領であった山内上杉氏の家宰を務めた長尾景春が築城したと伝えられるお城です。 荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上にある天然要害の平山城です。 まずは鉢形城歴史館に立ち寄り、ここで百名城スタンプをゲットしました。 |
金山城 2023年4月24日 | 金山城は文明元年(1469年)、新田一族であった岩松家純によって築城されたお城です。 一般的な城郭とは違い、尾根を中心に金山を利用した山城であることが特徴。 この金山城の城攻めの証であるスタンプは、最上部の南曲輪に設置されており、頂上まで登り切らないといけません。 南曲輪を目指して歩き始めました。 この辺から城の遺構が現れてきました。 馬場下通路……通路の先を行き止まりにし、敵を惑わす効果があります。 物見台からは金山城の周囲全体を見渡せますので、敵の動きを見張ることができます。 そして…… 金山城で最も美しい場所がこちらの「大手虎口」です。 城を防御するための最も重要な場所で、石垣の美しさは秀逸でした。 金山城の頂上部の南曲輪に到着。 ここでスタンプをゲットしました。 |
足利氏館 2023年4月24日 | 国宝の鑁阿寺(ばんなじ)です。 橋を渡り楼門をくぐって参拝します。 楼門は足利幕府13代将軍足利義輝の再建で、両側の仁王像は桃山時代の作とのことです。 真っ正面に国宝の本堂があります。 いよいよ本堂にお参りしますが、実はこの鑁阿寺そのものが「足利氏館」として、百名城に選出されているのです。 鑁阿寺は元々は足利氏の館であり、現在でも、四方に門を設け、土塁と堀がめぐらされており、平安時代後期の武士の館の面影が残されております。 ということで、百名城めぐりとしてここを訪れたというわけです。 スタンプが薄くてヤバかったのですが、新しいスタンプ台を出してもらい足利氏館のスタンプをゲットしました。 |
川越城 2023年10月22日 | 川越城、ここには2年前にもやってきましたが、休館日の月曜に来たため敢え無く退却! ここは私にとって関東屈指の堅牢な城なのであります。 今回、再度の城攻めを行おうとやってきました。 こちらが川越城本丸御殿です。 川越城は長禄元年(1457年)、上杉持朝の命により、家臣の太田道真・道灌親子が築いたといわれています。 江戸時代には江戸の北の守りとして重要視され、代々幕府の重臣が城主となっており、現存する建物は嘉永元年(1848年)に建てられたものです。 本丸御殿には玄関・大広間・家老詰所が残り、川越藩17万石の風格をしのばせております。 早速、入館料100円を支払い、城攻めといきます。 まずこの正面玄関、巨大な唐破風の玄関が印象的で間口は13間(約23m)あるとのこと。 内部に入り、あっという間に城攻めを完了しまして、これで関東10城全てを制圧! 全国制覇まであと10城となりました。 |