ID | 2318 |
名前 | クバード |
コメント | |
登城マップ |
五稜郭 2019年6月22日 | 五稜郭タワーから全体像を確認した後、登城。復元した函館奉行所(1/3程度のようですが)もまだ新しく、意外に楽しめました。 ただ、あの規模感や当時の武器の射程距離を考えると、城郭というより少し防御の堅い行政施設といった感じかもしれませんね。 |
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松前城 2019年6月23日 | 函館市街から単調な道を焼く2時間。幕末に異国船対策として海岸寄りに新たに新造・拡張したとの由。残念ながら天守(三階櫓)はないものの、木造で再建する予定とかで、楽しみです。 松前藩は施政に難ありと幕府から一度領地を召し上げられていた(その後、運動して復帰)歴史があるとは知りませんでした。 |
弘前城 2019年8月22日 | 天守石垣の工事のため、天守も移動中。復旧後の桜の季節にまた来たいものです。残っている部分は比較的こじんまりとしているものの、風情があってとてもいい城だと思ったな。 |
根城 2019年8月22日 | 博物館から一番奥にある天守の建物群はとてもよく復元している。馬小屋も大きく、産地でもあったろうことが実感できる。それにしても、南北朝の時代にこんなところから京や大坂方面へよく遠征できたものだと感心する。 |
盛岡城 2011年4月11日 | 魅力的な建造物は殆どなかった。 |
多賀城 2019年8月21日 | 平安時代の行政府ということで、建物等を想像しながら楽しむ感じでしょうか。ただ、まだまだ復元工事中であり、今後ますます整備されていくでしょうね。 |
仙台城 2019年8月21日 | 本丸跡は観光地化していますが、流石のスケール感でした。本丸には清水寺の舞台のような建物があったんですね。 |
久保田城 2011年4月12日 | 規模もなかなか、意外に魅力的だった。 |
山形城 2022年5月12日 | 予想外のスケール感で、今後の復元なども楽しみです。 |
二本松城 2019年6月15日 | 小雨の中、箕輪門を見た後は車で本丸近くまで行こうとするも、道が分からず中途半端な場所から登城。復元された本丸石垣や天守台は見事なもので、意外にもなかなかの城郭だった。 |
会津若松城 2019年6月16日 | 赤瓦が東北の空によく似合う。奥州屈指の名城かと。 |
白河小峰城 2019年6月14日 | いろいろな積み方の石垣が楽しめる。東北で総石垣は珍しいと思っていたら、丹羽長重が改修者と知り納得。 |
鉢形城 2018年1月5日 | 川沿いの断崖を生かした、意外と言っては失礼な大きな縄張りに感動。 |
川越城 2018年1月6日 | 本丸御殿や堀のそれぞれ一部しか残っておらず残念。 近くの喜多院書院等も正月休みで、また来ることになりそうな予感。 |
江戸城 2018年1月5日 | 壮大なスケール、流石です。 次回は隅々まで見学したいと思う。 |
小田原城 2019年8月18日 | 天守最上階からは、石垣山城がよく見えたことでしょう。何か作っているとは分かったでしょうが、あんな大規模に石垣を備えた城とはさぞ驚いたでしょうね。 あと、本丸に将軍用の御殿があったことや、秀忠の隠居城とする計画もあったこと等徳川幕府との関係性も知りませんでした。 |
武田氏館 2017年1月5日 | 城址の片鱗はそこかしこにあるものの、今では神社ですね。 |
甲府城 2018年1月6日 | なかなか立派な石垣群が残っている。建物も明治の初頭まではかなり残っていたようで、線路が分断していることと合わせ、残念な感じ。 |
松代城 2018年12月27日 | 城址は整備はされているものの、本丸に土塁等のみと少し寂しい。宝物館でのジオラマを見ると面白い造りだったようで、もう少し残っていればというところ。それより、宝物館や真田邸、城下の武家屋敷のほうが見応えがある。 |
上田城 2018年12月27日 | 城の南側が断崖かつ千曲川が流れていたとのことで、流石は徳川勢を二度も撃退した堅い守りというところ。ただ、同時に大水で崖が削られることに苦労したのも宜なるかな。真田石や櫓など見所もあるが、江戸時代は仙石氏→松平氏で真田関係ないじゃない。 |
小諸城 2020年3月20日 | 天然の切り立った崖等をうまく利用した縄張りなことがよくわかる。穴城という印象は弱いかな。 |
松本城 2017年2月18日 | さすが国宝、素晴らしい複合連結式天守です。また、二の丸御殿も間取りがわかるような展示があり、興味深いですね。 |
高遠城 2018年11月25日 | 大したものは残っていないものの、最後まで武田の意地を見せた信盛の戦いがあったのだと感慨深いものがありました。他にも、保科正之が成長したことや絵島生島事件の絵島が流されてここで没した等意外な歴史を知りました。 |
新発田城 2022年5月13日 | 自衛隊の駐屯地が置かれてごく一部しか残っていないが、当時の写真や図面などから面白い形をした本丸等があったことを知った。 |
高岡城 2018年8月17日 | 城として機能したのは隠居後の利長がいた数年のみなので、縄張りや水堀以外に残っていないのはやむなしか。 |
七尾城 2018年8月18日 | 資料館での再現CGどおりなら、かなり壮大な山城だったようですね。攻め落とした謙信はさすが、というところですが、畠山家中の内紛がなければ相当苦労したのでは? 本丸跡からの七尾湾の眺めは素晴らしいですね。 |
金沢城 2018年8月18日 | 流石加賀前田家の居城、スケール感あり。櫓や門などの再建にも熱心な様子なので、数年したら見どころも増えそうです。 実際は数度あった大火の度に(金沢は落雷が多いそうなので、原因はそれですかね?)建物等はスケールダウン&質素になったようですが・・・。 |
丸岡城 2019年12月28日 | 現在は小さな城域しか残っていないものの、そこは現存12天守の一つで味があります、(まあ、ここまで急な階段はあまりないですが・・) |
一乗谷城 2019年12月28日 | 資料館でスタンプ押印したあと、朝倉氏館跡等を散策。谷の細い部分に城門(特に下城戸は石垣や虎口等結構立派だったんだな、と)を設けた様はまさに穴熊で、これが朝倉氏の限界だったなと感じたところ。地面が泥濘だったりしたので、山城部分はまた来たい。 |
岩村城 2019年1月6日 | よくもまあこんな高い山上に見事な石垣を作ったもんです。6段壁をはじめ、石垣群が凄い。案内板のQRコードを読ませると往時の姿がCG再現されるなど、魅せる工夫もあります。 |
岐阜城 2016年12月30日 | 天守や石垣等遺構はあまりないが、城下町など周囲の見晴らしが非常に良い。 |
山中城 2018年11月11日 | 見所の障子堀、畝堀は非常に見事なものでした。一部の築城が間に合わなかったようですが、半日で落ちたのは防御力には難があったということか? |
駿府城 2017年1月5日 | 天守台の発掘工事をしていたが、内堀も掘り返して往時の姿を取り戻してはいかが? |
掛川城 2017年1月5日 | 天守は本気の木造復興でした。また、御殿も残っていて素晴らしいですね。 |
犬山城 2011年8月18日 | 天守は小ぶりですが、高台にあることと最上階の欄干が低いことで、落ちそうな気分になった。 |
名古屋城 2011年8月18日 | さすがは天下普請の城という感じ。本丸御殿再建後が楽しみです。(暫く時間がかかりますが・・・) |
岡崎城 2011年8月18日 | あまりこれといったものはありませんが、なかなか立派な石垣があります。 |
長篠城 2019年1月4日 | 城跡自体はほぼ残っていないに等しく、長篠の戦いの知名度のみで100名城指定ですね。資料館は小さいながら工夫していると思います。 城跡の周辺の木々をもう少し切ると、五つの砦跡等見やすくなるのでは? |
伊賀上野城 2020年8月16日 | 見所は高石垣くらいなものですが、兎に角高い!よく築いたもんですよ、これ。 |
松阪城 2022年8月16日 | 往時はあの高石垣の上に多聞櫓が連なっていたのかと想像すると、さぞや壮観だったんでしょうね。素晴らしい石垣群と多くの虎口跡で堪能しました。 ところで、こんなところまで紀州藩領だったとは知りませんでした。 |
彦根城 2017年1月4日 | 地形を利用した縄張りやリサイクル天守、修理によって積み方の違う天秤櫓の石垣などなど、今となってはこじんまりしてはいるもののなかなか趣のある城でした。 |
安土城 2017年1月4日 | 正面にある真っ直ぐな大手道の奥にある縄張りが、王者の居城に相応しい規模感あり。 |
観音寺城 2017年1月4日 | ただの山道と化しているなど整備しようという気がない城址だが、本来の規模感は相当なものと思われる。こんな山奥に巨石の石積みがあり、説明板等もうちょっと何とかならないものか。非常に勿体ない。 |
二条城 2011年8月19日 | 何度行っても、大政奉還の行われた大広間など「生きた歴史」があります。 |
大阪城 2014年8月14日 | やっぱりスケール感が凄いですね。歩き疲れました。 |
明石城 2011年8月19日 | たかだか8万石にしては立派な城だと思いますが、観光資源としての活用度が低すぎるのでは・・。荒れるに任せている感じ。 |
姫路城 2019年5月2日 | よくもこれだけのものが残ってくれたと感謝です。現存ではNo,1ではないかと思います。(観光客数もですが・・) |
赤穂城 2011年8月19日 | 二の丸庭園は再建する気はあるんですかね?(工事が全く進んでいないような?) |
和歌山城 2020年8月29日 | 石垣や御橋廊下・・・流石徳川御三家の居城で見ごたえあり。 |
松江城 2014年1月4日 | さすが現存天守、石垣とともに素晴らしいです。 |
月山富田城 2014年1月4日 | 山中御殿跡まで車で行ってしまいましたが、その後の天守までの山道はなかなか堪えました。尼子氏の夢の跡、ですか。 |
備中松山城 2013年1月5日 | こんな山奥に作らなくてもいいのでは・・・ |
岡山城 2012年2月19日 | 宇喜多家時代、池田家時代の縄張りの変化など興味深いですね。 |
福山城 2012年3月25日 | 立地はいいんですが、市民に愛されていないですね。 |
広島城 2013年1月3日 | 城内にある神社の初詣客が多かったが、天守方面は空いていた。 |
徳島城 2013年1月4日 | 天守が本丸ではなく東二の丸にあったのはなぜなんでしょうね? |
高松城 2013年1月5日 | 建物があまり残ってないと寂しいですよね。 |
丸亀城 2013年1月5日 | 石高に比して不釣り合いな立派な石垣を堪能。(天守はかわいいですが・・・) |
今治城 2012年3月25日 | あるのは本丸エリアのみですが、海水を引き入れた堀などなかなかでした。 |
湯築城 2010年8月15日 | こういうのも名城か、という感じ。 |
松山城 2012年6月12日 | 連立式天守の他、櫓・石垣・縄張りなど見所満載の素晴らしい名城です。 |
大洲城 2012年6月17日 | 再建と舐めていましたが、本気の木造天守でした。川向こうからの眺めも素晴らしい。 |
宇和島城 2012年6月17日 | 小ぶりの天守以外は目ぼしいものはなく、寂しい限りです。が、今も昔もあの天守最上階から、同じ海を眺めていたんでしょうかねぇ。 |
高知城 2013年1月4日 | 小ぶりながら本丸御殿も残っており、なかなか見どころの多い名城。 |
福岡城 2020年8月22日 | 福岡城むかし探訪館でスタンプを押し、鴻臚館展示館に寄ってから登城。大きな石垣群とともにその規模感に驚いた。また上記2館ともスタッフの方が親切でした。 |
大野城 2020年8月22日 | 百間石垣などあの時代によく作ったなと感心するが、もっと駐車場等のインフラを整備してほしい。その価値はある遺構だと思う。 |
名護屋城 2020年8月23日 | ただの陣城なのにあの巨大な城域や石垣群、秀吉の権力の程が窺い知れます。また、周辺に構えた各武将の陣もかなりの建物群や構えをしていたようで、もっと時間をかけて見て廻るべきだったと思う。 |
吉野ヶ里 2020年8月21日 | 東口駐車場から入場。思ったより遥かに広大なエリアに多くの復元建物群がある。また城的な防御遺構もあり、弥生時代を代表する名城と言えるのではないかと思う。もっと時間の余裕を見ていればよかった。 |
佐賀城 2020年8月21日 | 門や石垣などなかなか立派だった面影あり。一部復元した本丸御殿では、かつての部材を使ったり等工夫の跡が見える。佐賀藩は幕末の直正公時代が一番輝いた藩ですね。 |
熊本城 2020年8月21日 | 震災から4年が経過していますが、復興はまだまだな様子。ただ、好きな城なので、ピッチを上げて往時の姿を取り戻して欲しいものです。微力ながら復興城主にもならせて頂きました。 |
飫肥城 2020年8月19日 | 新しい方の本丸が小学校の校庭になってるようですね。城下町の雰囲気も残されており、城跡がもう少し残っていればなあと思う。 |
鹿児島城 2020年8月19日 | 再建された御楼門や黎明館の展示物など見所はあったが、基本的には(特に三州統一以降は)敵に攻められるという発想がなかっただろうと、石高に見合わない(貧相な?)城構えを見て思った。 |
志苔館 2019年6月22日 | 綺麗に整備されているが、在りし日をもう少し思い起こさせるような工夫があればなおよいが・・・。15分もあれば見廻れます。 |
上ノ国勝山館 2019年8月23日 | 海岸線から見晴らしがよく、城主の館が出入り口から近いことから、どちらかというと行政府的な要素が強いと感じる。背後の墓群は、墓のある所から攻めることがタブーだったために配置したのだろうか? |
浪岡城 2019年8月22日 | 北畠氏の末裔で貴種とされていたものの、下剋上の津軽為信にはそんなの関係ねえ、ということだったのだろう。城館では防御力も大したことなく攻め滅ぼされただろうと予想がつく。 |
九戸城 2019年8月22日 | 九戸政実の乱後に蒲生氏郷が改修したものが現在ある城跡の元のようだが、草も刈りこまれて整備されている様子。政実も最後はだまし討ちで無念だったろうな。 |
白石城 2019年8月21日 | 三階櫓は木造で復元したのはよかったですね。それにしても、奥羽越列藩同盟のいわば本拠が置かれたことがいまでも影響しているんでしょうかね? |
脇本城 2019年8月24日 | 結構高低差もあり、またかなりうねっていて汗だくになった。以外に広い縄張りだと感心。ただ男鹿半島の付け根にある立地から、風が吹くと気持ちよかった。 |
秋田城 2019年8月24日 | 城というより、奈良時代にできた、水洗トイレもあった行政府というイメージ。ただ、こんな前の時代のものでも、木棺だの文書だのが残っていればよく分かるもんですね。ボランティアガイドさんの話を聞いて観て回ればより理解が進むと実感。 |
鶴ヶ岡城 2019年8月24日 | 水堀に囲まれた、少々土塁のある神社という感じ。戊辰戦争でなまじ頑張ったから、結構な献金もしたのに何も残らせてもらえなかったのかな。 |
米沢城 2022年5月12日 | いまや本丸跡と水堀しか残っていないので、ただの神社といったところですが、近隣の上杉博物館で上杉本洛中洛外図屏風の本物が見れたのは良かった。 |
三春城 2019年6月16日 | 伊達政宗の正室愛姫の実家だが、殆ど何も残っておらず。パンフ記載の内容と実地があっているのか疑問。 |
向羽黒山城 2019年6月15日 | 蘆名盛氏の隠居城というレベルではなさそう。今回は林道が閉鎖中だったのでスタンプのみであり、再登城したい。 |
忍城 2019年7月21日 | 今は市街地で当時の縄張りは見る影もないが、城跡内の資料館の展示によると、沼地に郭が浮かんでいるような印象。水攻め使用という気になるかな。 |
杉山城 2019年7月21日 | 隣接の中学校敷地から登城。空堀と土塁が複雑に配置され、戦国期城郭の最高傑作の一つかどうかは別にして、意外と見ごたえのある城跡だった。が、この規模感では防衛能力自体は高くなかったのではと思われる。 |
菅谷館 2019年7月21日 | 現在の姿は戦国期に拡大されたものだが、鎌倉期からこの地に館があったのは歴史のロマンを感じる。甲斐躑躅が崎館より規模は大きそう。 |
品川台場 2018年12月16日 | あの時代によく作ったなと感心するものの、名城の定義から外れているのではと思うのですが。 |
小机城 2018年12月16日 | 空堀をふんだんに使い、工夫した縄張りなんでしょうが、如何せん小規模過ぎて防御力は難ありと見ました。あと、地区センターで貰った地図は、城内分が雑過ぎません?あまり参考にならない。 |
石垣山城 2019年8月18日 | 対北条戦用だけのためにしては大規模な石垣の城。井戸曲輪が9月まで工事中で、上からしか観れなかったのが残念でした。 |
新府城 2018年11月17日 | 1年弱で築城して、数か月で捨てられた城。果たしてまともな建物はあったのでしょうか?ただし、天然の要害の地に、武田流の築城術を施していたようなので、守りは堅かったのではと思うが。 |
要害山城 2018年11月17日 | 雑草類をかき分け登城。看板はあるものの、もうちょっと整備していただけませんかね。兎に角登りがきつかった印象。 |
龍岡城 2020年3月20日 | であいの館は3/31まで閉館中のため、外にあったスタンプ押印。幕末にこの中途半端な規模かつ備えでは防御的に弱かったとは思うものの、よくぞ残ってくれたという印象。展望台は時間の関係で断念したが、行きたかったところ。 |
高島城 2018年11月24日 | 昔は御川渡門跡あたりから諏訪湖だったんですね。だいぶ埋め立てたな、という感じ。 |
村上城 2019年8月24日 | 暑い中七曲の登りはきつかった。石垣は見事なものでした。 |
高田城 2019年8月25日 | 築城時は天下普請で壮麗だったのでしょうが、その後の自然災害等の連発で最後の方は罰ゲームの様相で榊原氏が入城。止めで陸軍が縄張りをだいぶ変えてしまい、現在に至るというところ。埋めすぎだろ。 |
鮫ケ尾城 2019年8月25日 | 名物おばちゃんの言うとおり、東→北ルートで登城。そこそこきつい登りだったが、本丸跡の見晴らしは気持ち良かった。 |
富山城 2018年8月17日 | 見所づくりという観点でしょうが、あまり史実に基づかない演出は意味ないと思いますがねぇ。 |
増山城 2018年8月19日 | 案内版の数が少ないので獣道のような跡を伝っていくという感じだった。もう少し整備が何とかならないものですかね。 |
鳥越城 2018年8月18日 | 規模感といい、追い詰められた一向一揆勢の最後の拠点らしい雰囲気を醸し出している。が、そこかしこに工夫の跡が見え、流石は百姓の持ちたる国という気がした。 |
福井城 2019年12月28日 | 極一部しか残っていない、かつ城域に県庁や県警本部があるものの、往時は雄大な巨城だったであろうことが想像できますね。福井地震による天守跡石垣のずれや廊下橋など見所も少しありました。 |
越前大野城 2021年7月24日 | 天守自体は昭和の復元ですが、最上階からの眺めは素晴らしいですね。歩道も整備され、帰りに百?坂を下りながら、江戸時代もこの道を通っていたのかと感慨にふけりました。 |
佐柿国吉城 2021年7月24日 | 段差不揃いの道に疲れたが、本丸からの若狭湾や城下の眺めがよかった。小ぶりな典型的山城だが、これで朝倉の侵攻などによく耐えたものだ。 |
玄蕃尾城 2019年12月28日 | 林道への入り口看板が偶然目に入ったので登城。20分位で割と平坦な所に行きつき、主郭などが良好に残っていました。スタンプは余呉駅で。 |
郡上八幡城 2019年11月23日 | 最も古い木造再建天守ということか、床の軋む音が凄い。 スタンプのインクが非常に薄く、やる気のなさを感じた。 |
苗木城 2019年1月6日 | 麓の橋上からは砦?という感じでしたが、登ってみると天然の巨石を利用した凄い城でした。あのエリアを長年支配してきた遠山氏が、長い年月をかけてこつこつ築城した歴史が石積み方式の変遷で分かりますね。天守跡に作られている展望台からの景色は絶景です。 |
美濃金山城 2019年1月5日 | 破城の跡がよく分かる事例ですね。織豊系城郭の特徴がよく出ています。また、本丸からの見晴らしがとてもいい。 |
大垣城 2019年1月4日 | 戦前の旧国宝天守に戻そうと修復するなど努力していますね。本丸以外も残っていれば、なかなか凄い城だったと思いますね。 |
興国寺城 2018年11月11日 | 見所は少ないものの、本丸後ろの大堀切はなかなか見事なものでした。もう少し遺構なり残っていればいいですけどね。北条早雲の初めての持ち城という歴史的な価値が大きいかな。 |
諏訪原城 2019年1月5日 | 高天神城を落とすために武田側が築いた城。甲州流の丸馬出しがいくつも残っていて楽しいですね。高天神城の廃城に伴いこちらも廃城と、まさに高天神城ありき。 |
高天神城 2019年1月5日 | 地形を利用した縄張りが面白いですね。もう少し説明板等あれば、より楽しめる素材かと。 |
浜松城 2019年1月5日 | 自然石を利用した石垣、ということになるのでしょうが、復興した天守門やその他の整備計画を進行中で、往時を少しでも再現してほしいですね。 |
小牧山城 2019年1月4日 | 往時も犬山城や岐阜城などが見えたんでしょうね。 真っ直ぐな大手道は安土城と同じ発想であり、この時期にはもう信長にとって城とは攻防のためのものではなかったんでしょうね。やっぱり発想が凄い! |
古宮城 2019年1月4日 | 確かに土塁・空堀・堀切など縄張りは凄いのですが、この規模感では防御的に厳しいのでは?信玄の死がなくとも、長期間持ちこたえられなかったのではと思います。 あと、もう少し案内板等あればいいのですが。 |
吉田城 2019年1月4日 | 本丸エリアの石垣はなかなか見応えがあります。二の丸や三の丸等もう少し残っていればと思います。あまり知らなかったのですが、意外に面白い城だったのでは。 浮世絵の東海道五十三次にも度々取り上げられていたようで、そちらにも興味がわきました。 |
津城 2022年8月15日 | 各地に築城普請をしまくった藤堂高虎公の居城にしては、草ぼうぼうで案内板もほぼなしと残念な整備状況です。津駅前の観光協会でパンフ等を入手後に訪問するのがいいですね。 |
多気北畠氏城館 2022年8月15日 | 神社と日本庭園(+詰城)があるだけですが、資料館の親切なおじさんの説明で、なぜこんな山奥に北畠氏が拠点の一つを置いたかが分かりました。南朝方の吉野?伊勢ルートの抑えに必要だったようですね。 |
田丸城 2022年8月15日 | 南北朝時代からあったものを北畠氏に養子入りした織田信雄が大改修したとか。いい感じの石垣が残っています。天守台遺構は安土城のイメージなんですが、関係あるんですかね(こっちが先か)。 |
赤木城 2022年8月15日 | こじんまりとした山城ですが、見晴らしのいい要所に築かれていたようですね。石垣や虎口等も残ってて得した気分です。 |
八幡山城 2018年10月28日 | 山上の石垣跡や本丸・西の丸・北の丸の眺望は素晴らしいものですね。 ただ、あの恋人たちの聖地とかいう仕掛けは、中途半端で不要では? |
岸和田城 2022年8月14日 | 本丸部分の石垣や堀しか残っていませんが、平城の雰囲気がいいですね。他の曲輪も残っていればいい感じなんですけどね。 |
洲本城 2023年8月18日 | 想像以上の立派な石垣群などポテンシャルはありそうですが、脇坂氏時代以降はあまり活用されていなさそうで(従って話を拡げようにもできない)、行政サイドも力が入らないのも止む無しか。(整備中で登り石垣も見られず) |
新宮城 2022年8月15日 | 見事な石垣や曲輪の縄張りなんか残っていますね。付家老の城にしては立派だったんでそうね。 |
備中高松城 2023年8月14日 | 見たところ、あの地形から水攻めをしようという発想が浮かびにくいのですが、当時は沼地が多いとかその攻めがベストと思える状況だったのでしょうね。 ただ、毛利の後詰めはなぜ攻めなかったのか? |
三原城 2023年8月15日 | 城域を新幹線が貫通しており風情もないが、あの高石垣の上に建物があったとは、往時は映えたでしょう。 |
勝瑞城 2023年8月17日 | あまり見どころのない城跡よりも、発掘作業中の館跡の整備に期待というところでしょうか。信長の前に京大阪を席巻していた三好氏の根拠地ですから、さぞや相応しい構えだったのではないかと思われます。 |
一宮城 2023年8月18日 | 苔むしたようなコンクリートの登山口から次第に山城らしい雰囲気となり、突然本丸跡の想定外の石垣と面白い展開ですが、その奥から道がわかりにくくなります。 |
引田城 2023年8月18日 | 登山口の駐車場に停めて山登り。港の出入りや瀬戸内の状況も一望でき、要衝ということはわかりました。ちなみに、天守台跡等の行き先案内はわかりやすいものの、その天守台跡の表示がないのはなんででしょうね。(地図を見ないとただ石が転がってる所という感じで・・・) |
能島城 2023年8月15日 | 村上海賊ミュージアムにて村上3家の勉強になりました。ただ能島城上陸クルーズにはいくべきですね。次回は実現したい。 |
河後森城 2023年8月16日 | 郭がこんなに段々畑のようになっているのも珍しいのでは。本郭の主殿跡の規模感から常駐はしていなかったんでしょうけどね。THE山城って感じでしょうか。 |
小倉城 2020年8月23日 | かなり大きな天守だったそうですが、今は昔。展示は宮本武蔵推しですが、もう少し藩政時代の展示物(城域のジオラマ等)はないんでしょうかね? |
水城 2020年8月22日 | 城というより堤防あるいは土塁ですが、大宰府政庁の守りとして大野城や基肄城らとともに機能していたのが分かりました。白村江の敗戦で大和朝廷も相当びびってたんですね。 |
久留米城 2020年8月22日 | 本丸の高石垣はとにかく凄い!が、あとは神社ですね。 |
基肄城 2020年8月22日 | 草スキー場駐車場から登城するも、草ぼうぼうの中人が踏みしめた跡を掻き分けながら進んだが、途中の遺跡はよくわからず頂上までは到達。 |
唐津城 2020年8月23日 | 海沿いの小高い丘に小ぶりの復興天守あり。行きは登り石垣のように進むエレベーターで登城し、見晴らしを楽しんだ後、帰りは階段で。 |
鞠智城 2020年8月21日 | 温故創生館でスタンプと予備知識を得て、さあという時に激しい雨で断念。復元された遺構(八角形の塔他)など面白そうだったが残念。ただ、ここといい大宰府政庁周辺の山城群といい、白村江での大敗後の大和朝廷のビビり様は大変なものがありますね。 |
八代城 2020年8月20日 | 細川忠興の隠居城だった経緯からか、一国二城だったにもかかわらず石垣の立派なこと!中はただの神社ですが、往時の姿が垣間見られた。 |
佐土原城 2020年8月19日 | 災害のため登城できず。早く復旧していただきたいものです。城の駅佐土原いろは館にてスタンプ押印、鶴松館はコロナの影響で8月末まで休館中でした。残念。 |
志布志城 2020年8月19日 | 埋蔵文化財センターでスタンプを押し、城域全体のジオラマを楽しむ。実際の城跡は一部しか廻る時間がなく残念だった。 |
知覧城 2020年8月20日 | ミュージアム知覧で本丸と蔵之城のみ登城。今回の九州遠征のメインだった特攻平和会館で時間がかかってしまったが、4時間位は必要だったと思う。ぜひまた来たい。 |