ID | 12229 |
名前 | ay |
コメント | 2021年から日本100名城・続日本100名城を回っています。2024年時点で、半分の100城を越えました。 |
登城マップ |
江戸城 2021年4月13日 | 長禄元(1457)年に太田道灌が築き、徳川家康が天下普請で大拡張した。天守は明暦3(1657)年の明暦の大火で焼失して再建されず、現存する富士見櫓が天守代用とされた。 |
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八王子城 2021年6月5日 | 北条氏で武蔵西部を担当した北条氏照が、守備に不安のある滝山城から本拠を移した城。しかし、小田原征伐の際には1日で落城した。山城の麓に居館の跡が発掘されている。 |
駿府城 2021年10月22日 | 徳川家康が天正13(1585)年から築城を始め、江戸への移封を経て、慶長12(1607)年からは大御所として改築した。平成になって巽櫓・東御門・坤櫓が復元されている。 |
掛川城 2021年11月6日 | 永禄11(1568)年、掛川城に立てこもった今川氏真を徳川家康が開城させた。幕末に建てられた二の丸御殿が現存し、天守も木造で再建された。 |
川越城 2021年11月23日 | 長禄元(1457)年に扇谷上杉氏家宰の太田道真・道灌親子が築城し、天文6(1537)年に北条氏の城となる。江戸時代には譜代大名が入った。本丸御殿の一部が残る。 |
津山城 2022年1月2日 | 森蘭丸の弟の忠政が慶長8(1603)年に築城。三の丸・二の丸・本丸と壮大な石垣が連なり、その上に備中櫓が復元されている。 |
岡山城 2022年1月2日 | 天正18(1590)年、宇喜多秀家が安土城にならって築城したという。下見板に黒漆を塗った天守は戦災で焼失し、1966(昭和41)年に再建された。 |
白河小峰城 2022年3月9日 | 南北朝時代に結城親朝が築く。東日本大震災で石垣が崩れ、その後修復された。戊辰戦争で焼失した三重櫓と前御門は、松平定信が作らせた実測図をもとに木造で復元された。 |
水戸城 2022年3月19日 | 御三家の城だった水戸城には御三階櫓が残っていたが、戦災で焼失。薬医門と三の丸の藩校弘道館が残り、大手門や二の丸角櫓が復元された。 |
足利氏館 2022年3月27日 | 平安末期から鎌倉初期に足利義兼が築いたとされ、館内の持仏堂が鑁阿寺となった。堀、土塁などが残る。鎌倉時代に建てられた本堂は国宝 |
金山城 2022年3月27日 | 新田一族の岩松氏の城で、後には家宰の横瀬(由良)氏が実権を握る。天正11(1583)年には、北条氏が入って、石垣が整備されたが、北条氏の滅亡により廃城となる。 |
小田原城 2022年4月16日 | 伊勢盛時(いわゆる北条早雲)が大森氏から奪い、北条氏の居城となった。上杉謙信や武田信玄の来襲にも耐えたが、豊臣秀吉に包囲され開城した。 |
鉢形城 2022年4月23日 | 文明8(1476)年ごろに長尾景春が築いた。北条氏の時代には、上州方面の前進基地として北条氏邦が城主を務めた。小田原征伐の際、1ヶ月余りの攻城戦を経て落城 |
松阪城 2022年6月7日 | 天正16(1585)年に蒲生氏郷が築城した。大手口から本丸まで、野面積みなどの石垣が続く。江戸時代には紀州藩領となり、城代が置かれた。 |
盛岡城 2022年7月15日 | 三戸城・福岡城(元の九戸城)に代わる南部氏の居城として、慶長3(1598)年築城。城内で産出する花崗岩を用いて、高石垣が築かれる。建造物は破却されたが、彦蔵が残存 |
五稜郭 2022年7月16日 | 箱館奉行所の所在地として、元治元(1864)年建設された星型要塞。蘭学者・武田斐三郎が設計。箱館戦争で榎本武揚らが占拠するも、明治2(1869)年開城降伏 |
山中城 2022年8月10日 | 北条氏政の大改修により、畝堀や障子堀が張り巡らされた城だったが、天正18(1590)年、豊臣秀吉の7万の大軍勢により、わずか数時間で落城した。 |
多賀城 2022年8月20日 | 神亀元(724)年、陸奥国府や鎮守府の所在地として創建。約900m四方の敷地の中央部に政庁が置かれていた。創建1300年を記念し、外郭南門などが復元工事中 |
仙台城 2022年8月20日 | 慶長5(1600)年に伊達政宗が築城し、岩出山城から本拠を移す。大手門と脇櫓が戦災で焼失し、脇櫓だけが復元されている。大手門についても復元計画がある。 |
二本松城 2022年8月20日 | 奥州管領畠山氏の城を伊達氏が奪い、会津の支城を経て、丹羽氏10万石の居城となる。室町時代から450年にわたって存続し、戊辰戦争で落城した。箕輪門が復元されている。 |
久保田城 2022年10月21日 | 関ヶ原の戦い後に常陸国から出羽国に転封となった佐竹氏が居城として築いた。石垣や天守はなく、土塁で築かれていた。表門と御隅櫓が復元されている。 |
福山城 2023年1月9日 | 西国外様大名への抑えとして、徳川家康のいとこの水野勝成が築城。江戸後期には、老中などを務めた阿部氏の居城となった。北側に鉄板を張った天守などが復元されている。 |
名古屋城 2023年1月10日 | 慶長14(1609)年、徳川家康が建設を命じた。空襲で焼失した本丸御殿は2018(平成30)年までに復元され、天守も木造で再建される予定となっている。 |
佐倉城 2023年1月21日 | 石垣を用いず、土塁と堀で構成された城。江戸城の防衛拠点として、土井利勝が拡張した。大老を輩出した堀田氏など、主に譜代の重鎮が歴代の城主を務めた。 |
甲府城 2023年2月5日 | 徳川義直・忠長・綱重・綱豊など、徳川一門の城だったが、宝永元(1704)年に柳沢吉保が入って大修築した。柳沢氏の大和郡山転封以降は、幕府直轄の城となった。 |
武田氏館 2023年2月18日 | 武田信虎・晴信(信玄)・勝頼三代の城。主郭は信玄を祀る武田神社となっている。勝頼が新府城に移った際に廃城となったが、武田氏滅亡後も豊臣系大名により改修された。 |
根城 2023年3月11日 | 南部氏の分家の八戸南部氏が建武元(1334)年に築城。寛永4(1627)年、八戸南部氏が遠野に移されて廃城となる。主殿など安土桃山時代の建物が復元されている。 |
山形城 2023年3月12日 | 57万石を領した最上義光の居城として、文禄年間に大修築された。最上氏改易以降は、譜代大名の城となった。二の丸東大手門や本丸一文字門が復元されている。 |
春日山城 2023年3月14日 | 越後守護代・長尾為景が修築し、その子の景虎(上杉謙信)が拡張した。上杉氏が慶長3(1598)年に会津に移った後、越後に入った堀氏は福島城を築き、春日山城を廃した。 |
大阪城 2023年5月3日 | 天正11(1583)年、石山本願寺の跡地に豊臣秀吉が築城。大坂夏の陣を経て、徳川秀忠が再建した。天守は寛文5(1665)年に落雷で焼失し、1931(昭和6)年に復興された。 |
名護屋城 2023年5月3日 | 天正20(1592)年、豊臣秀吉が朝鮮出兵の基地としてわずか9ヶ月間で築き、諸大名も周辺に陣屋を構築した。秀吉の死後に廃城となり、用材は唐津城の築城に用いられた。 |
吉野ヶ里 2023年5月3日 | 国内最大級の環壕集落。3層の主祭殿をはじめ、物見台、高床建物、竪穴建物など数多くの建物が復元されている。 |
佐賀城 2023年5月3日 | 龍造寺氏の佐賀龍造寺城を鍋島直茂、勝茂親子が改修。天保年間に建てられた鯱の門が残っているほか、本丸御殿が復元され、本丸歴史館として公開されている。 |
箕輪城 2023年6月1日 | 長野氏の城だったが、武田氏・北条氏などの後、徳川四天王の一人・井伊直政が入った。慶長3(1598)年に直政が高崎に移り、廃城となった。郭馬出西虎口門が復元された。 |
新発田城 2023年6月4日 | 揚北衆の新発田氏が築き、慶長3(1598)年以降、幕末まで溝口氏が城主を務めた。本丸表門と二の丸隅櫓が現存し、天守代用の三階櫓と辰巳櫓が復元されている。 |
松代城 2023年6月19日 | 武田信玄が築いた海津城が前身で、元和8(1622)年以降、真田氏の居城となった。本丸は石垣で構築されており、太鼓門・北不明門が復元されている。 |
上田城 2023年6月19日 | 真田昌幸が築き、徳川家康・秀忠の攻撃を防いだ。関ヶ原の戦いの後、破却され、仙石氏が再興したが未完成に終わった。本丸の西櫓・南櫓・北櫓が現存する。 |
岐阜城 2023年7月30日 | 斎藤道三などが居城とした稲葉山城を、織田信長が改築し、城下町の井ノ口を岐阜と改名した。のちに城主となった信長の孫の秀信が関ケ原の戦いで西軍について廃城となる。 |
犬山城 2023年7月31日 | 天文6(1537)年、織田信長の叔父・信康が築城。元和3(1617)年以降は、尾張藩附家老の成瀬氏の居城となる。天守が現存し、国宝に指定されている。 |
伊賀上野城 2023年8月19日 | 大坂の陣に備え、藤堂高虎が高石垣を築いて本丸を拡張した。5重の天守は、完成直前に台風で倒壊し、昭和になってから、木造の復興天守が建てられた。 |
高遠城 2023年9月10日 | 室町時代に高遠氏が築いたとされる。武田氏・保科氏などを経て、元禄4(1691)年からは内藤氏が城主となった。今では、桜の名所として知られている。 |
高松城 2024年1月6日 | 生駒親正が築城し、後に徳川光圀の兄の松平頼重が城主となった。月見櫓・水手御門・渡櫓と東の丸艮櫓が残存し、重要文化財に指定されている。 |
徳島城 2024年1月7日 | 天正14(1586)年に蜂須賀家政が渭山城を改修して徳島城とし、以来幕末まで蜂須賀氏の居城となった。表御殿の庭園が残っている。 |
中城城 2024年2月2日 | 琉球王・尚泰久の岳父だった護佐丸の居城だったが、勝連城主・阿麻和利の讒言により護佐丸は滅ぼされた。ペリー提督派遣の探検隊が称賛した石垣が残る。世界文化遺産 |
今帰仁城 2024年2月3日 | 琉球北部を支配した北山王の拠点だったが、北山王が中山王・尚巴志に滅ぼされた後、北山守護・護佐丸の居城となった。世界文化遺産 |
首里城 2024年2月4日 | 14世紀に創建された琉球王国の王城。沖縄戦で焼失し、1992(平成4)年に復元されたが、2019(令和元)年に火災で失われ、再度復元中。世界文化遺産 |
弘前城 2024年3月7日 | 慶長16(1611)年、津軽信枚による築城。五重の天守は寛永4(1627)年に落雷で焼失し、現存する三重天守が文化7(1810)年に建てられた。 |
岡崎城 2024年6月29日 | 徳川家康の祖父・松平清康が本拠とし、家康も岡崎城で誕生した。江戸時代には譜代大名の城となった。1959(昭和34)年には復興天守が建てられた。 |
長篠城 2024年7月6日 | 天正3(1575)年に武田勝頼に攻められたが、城主の奥平貞昌(信昌)は、織田信長・徳川家康の連合軍が救援に来るまでもちこたえた(長篠・設楽原の戦い)。 |
彦根城 2024年8月15日 | 関ケ原の戦い後に、井伊直政が石田三成の居城・佐和山城を与えられ、直政の嫡子・直継が彦根山に城を移した。現存する国宝の天守は、大津城から移されたと伝えられる。 |
松本城 2024年8月16日 | 文禄年間から石川吉輝(数正)・康長父子が築城し、その当時の天守が現存して国宝となっている。天守は、黒漆で塗られた下見板張で、廻縁の付いた月見櫓が付いている。 |
岩村城 2024年9月16日 | 標高721mの城山を本丸とし、多くの曲輪が連なる山城。山上には、六段壁と呼ばれる石垣が残る。麓の藩主邸部分には、太鼓櫓と表御門などが復元されている。 |
高岡城 2024年9月21日 | 慶長14(1609)年、前田利長が隠居城として築いた。利長の死後、一国一城令で廃城となったが、水堀などはそのまま残された。 |
金沢城 2024年9月21日 | 天正11(1583)年、尾山御坊の跡地に前田利家が築城。石川門・三十間長屋などが現存するほか、菱櫓・五十間長屋など、建物の復元が続いている。 |
安土城 2024年10月12日 | 天正7(1579)年、織田信長により築城。5重6階地下1階の天守は本能寺の変後に焼失したが、石段の続く大手道や天守台の遺構などが残る。 |
観音寺城 2024年10月12日 | 六角氏歴代の城。繖(きぬがさ)山に多数の曲輪が配置され、安土城より20年早く石垣造りの城となった。六角承禎・義治親子が織田信長に攻められて退去し、廃城となった。 |
小諸城 2024年10月13日 | 大井氏の築いた城を武田信玄が攻略し、その後、仙石秀久が整備した。本丸が城下町より低い位置にあり「穴城」と呼ばれる。三の門・大手門が現存する。 |
二条城 2024年12月1日 | 慶長8(1603)年、徳川家康が造営し、寛永年間に拡張される。徳川慶喜が大政奉還を発表した二の丸御殿が現存し、世界文化遺産・国宝に指定されている。 |
湯築城 2025年1月4日 | 道後温泉の近くに築かれ、伊予守護の河野氏が代々居城とした。二重の堀と二重の土塁で囲まれていた。上級武士や家臣団の居住区が発掘され、武家屋敷が復元された。 |
今治城 2025年1月5日 | 慶長7(1602)年、藤堂高虎が築いた海城。初の層塔式天守が建てられたと言われる。北隅櫓跡に復興天守が建てられ、御金櫓、山里櫓、武具櫓が復元されている。 |
小谷城 2025年1月25日 | 大永年間に浅井氏初代の亮政が築いた山城。天正元(1573)年、織田信長に攻められて落城するまで、浅井氏3代の居城だった。居館は麓の清水谷にあった。![]() ![]() ![]() |
丸岡城 2025年2月9日 | ![]() |