ID | 11888 |
名前 | MIKI |
コメント | 3年余りをかけ100名城達成!現在続100名城に挑戦中! |
登城マップ |
松代城 2020年1月25日 | 規模はそれほど大きくなく江戸時代の門などが再建されている。ここは戦国時代海津城と呼ばれ、第四次川中島の戦いの兵站基地となった場所。妻女山にいた上杉輝虎(謙信)は、この城から上がる煮炊きの煙を見て武田軍の奇襲を見破ったという。川中島の戦いに想いを馳せる。 |
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上田城 2020年1月25日 | 駅前からゆるい坂を上がり左に折れてしばらく行くと大手門に着く。真田の頃の城は徳川に破却されたため残ってはいない。ただ当時の面影を残している尼ケ淵の石垣を見ていると、上田合戦で徳川軍を2度も退けたことが納得できる。 |
小諸城 2020年1月25日 | 懐古園の額が掛かる三の門が有名だが、大手門も質実剛健という言葉が似合う素晴らしい門だ。また、門もさることながら苔むした野面積みの石垣に時間の永さを感じる。 |
松本城 2020年1月26日 | ここは僕が城好きになるきっかけとなった城。公園の南西、お堀に映った城が上下左右対称に見える場所が好きだ。桝形門など防御の作りも見えるが、どちらかと言うと戦いのためではない統治のための城。特に赤い欄干が印象的な月見櫓がそれを物語っている。 |
高遠城 2020年11月3日 | 高遠城は武田家滅亡の時に信玄の五男仁科盛信が奮戦し、武田家と共に滅亡したお城。江戸時代は高遠藩として明治までつづいた。 この日は、紅葉祭りでコロナ禍の中、体温チェックなど対策した上で開催されていた。本丸からの眺めがきれいだった。 |
高岡城 2020年2月22日 | 現在古城公園として整備されており、春は桜の名所となっている。また城内には博物館や体育館などもある。この城は前田家2代藩主利長の隠居所として建設されたとのことで、堀を複雑に配し、馬出しなどを設けるなど凝った縄張りとなっている。前田家の客将高山右近の縄張りとの説もあり銅像が建てられている。 |
七尾城 2020年2月21日 | 七尾は七つの尾根からそう呼ばれるという説があるほど山がちなところ。本丸駐車場から段々に曲輪がいくつも造られており、能登畠山氏の繁栄が窺える。石垣が組まれているところがあちらこちらにあり、崩れることなく現在も整備されていた。本丸からは七尾市街地さらには七尾湾が一望できた。 |
金沢城 2020年2月22日 | 加賀百万石前田家の居城。この城は初代利家から増築が進められその時代その時代の石垣を見ることができ石垣の博物館という異名を持つ。特に玉泉院丸庭園にある短冊石は、石を縦に配置し眺めを楽しむために置かれたと言われており、殿様の風流さを感じる。戦後、金沢大学の敷地として使われていたが、平成5年に大学が移転、その後現在も再建が進められている。 |
丸岡城 2020年2月23日 | 二層三階の望楼式という古い型式の天守、野面積みのという天然石をそのまま積んだ石垣、この城には多くの古い要素を持ち以前は「現存最古の天守」と言われていたが、最近の調査ではそれほど古くないことが報告されたという。しかし、外から見るフォルムは調査結果にかかわらず素朴で好感を持てる。 |
一乗谷城 2020年2月23日 | 朝倉氏5代130年にわたり城下町として栄えた一乗谷。その城下町の一角に朝倉氏の館跡がある。入り口の唐門をくぐると広大な屋敷跡地が広がっており、奥には石が組まれた庭園跡がある。さらにその庭園跡を抜け諏訪館跡、湯殿跡へ道は登っているのだが、それぞれの館跡にも庭園がある。特に諏訪館跡庭園は苔むした大きな石が多く見られ、朝倉氏の当時の繁栄の名残が見える。 |
岩村城 2020年11月3日 | その立地から武田・織田に翻弄された城、岩村城。たぶん現在の石垣は、江戸時代岩村藩成立後に積まれたものだろう。多くの石垣が残り、威風堂々とした姿を現在に伝えている。 |
岐阜城 2020年10月31日 | 織田信長が拠点とした岐阜城。旧稲葉山城を岐阜城と改め、天下布武を目指した。天守閣は昭和に建てられた模擬天守だが、谷を埋めて築いた石垣など信長時代の遺構も見ることができる。 城からは360度見渡すことができ、すでに天下布武を果たせたような気持ちになる。 |
山中城 2021年2月20日 | この城の特徴は、畝堀(写真2枚目)や障子堀(写真3枚目)といった独特の空堀。向かう敵は堀の中に一旦入ってしまうと動きを制限され攻撃を受けてしまう。結果的には豊臣秀吉軍5万とも言われる兵に1日で落城してしまうのだが、この峠の中腹にある城に自分が実際登ってみると、攻撃側の大変さを実感する |
駿府城 2021年2月20日 | 徳川家康が今川人質時代、江戸転封前、大御所時代を過ごした駿府城。現在は公園になっており当時の建築物などは残っていない。東御門・巽櫓・坤櫓を木造で再建している(今回東御門・巽櫓はリニューアル工事中のため近づくことができなかった) |
掛川城 2021年2月23日 | ここのお城の見どころは、御殿。元々城主などが住む場所だが、天守閣に較べ地味な存在なのか明治以降次々取り壊され、現存している御殿はここ掛川城をはじめ、二条城、高知城、川越城と4箇所しかない。 大広間では城主が政務をとるなど掛川の政庁としての役割を果たしていた。 実際の御殿を見ることによって、江戸時代をよりリアルに感じることができた。 |
犬山城 2020年2月8日 | 駅前の通りを歩き、右に曲がると古い街並みが城の下まで続く。突き当たりの神社脇から天守に向かう。小さな天守閣だが、正面の唐破風が気品あり印象的だ。内部は太い梁がいくつも渡されており重厚な作りとなっており創建当時の様子を今に伝えている。最上階からは名古屋方面、岐阜方面を望むことができ地理的に重要な場所であったことがわかる。 |
名古屋城 2020年2月1日 | 日本三名城、尾張名古屋は城で持つ、と言われる通り戦前までは創建当時の天守閣を始め本丸御殿などが立ち並ぶ壮大な城郭であったことが当時の写真から窺える。再建の天守閣などがそびえ立つが昔の写真を見るたびに残念に思えてならない。現在、その再建天守閣も建て替え工事の許可を待っている状態。しばらくしたら今の天守閣も見られなくなるのだろうか? |
岡崎城 2020年2月8日 | 徳川家康生誕の地として有名な岡崎城。当時は天守閣も石垣もない土塁で囲まれた城だったのだろう。この家康生誕の地というのがその後、この城を大きく変えた。5万石にしては大き過ぎる城郭や櫓は今っとなってはほとんど見ることができないが、場内にある城の模型が昔の様子を伝えていた。 |
長篠城 2020年2月9日 | 駅前の道を南に進むと搦手門跡の小さな石碑があり、さらに進むと土塁や空堀に着く。空堀を超えたところに本丸跡の広場ある。今は本丸を分割するようにJR飯田線が走っているがそれにしても小さく感じる。ここは長篠の戦いの前哨戦となった場所。武田好きな自分としては、武田家没落のきっかけとなった場所に立ち心が締め付けられる想いだった。 |
伊賀上野城 2020年2月2日 | 天守閣は昭和初期、地元名士により再建されたもの。この城で1番の見所と言ってもいいのが、城西側に築かれている高石垣。築城の名手藤堂高虎によるもので大阪方の守りのために築かれたという。高石垣は上から見ることができるが足がすくむ。 |
松阪城 2020年2月2日 | 城門跡から天守まで続く石垣は、綺麗に積まれており、冬の太陽に照らされ輝いている。当時の建築物は残っていないが、石垣から当時の堅牢な作りが想像できる。本丸跡には梅がほころび始めていた。 |
小谷城 2021年3月19日 | 麓の小谷戦国資料館横の登山口から1時間程度で登れるとのことだったが、今回は車で番所跡まで登る。道が狭くカーブの多い坂道、脱輪しないか神経を使う。番所跡近くの駐車場に停め登山開始。 本丸へ続く道の途中には、時々見晴らしのいいところがある。山の手前には姉川が見られる。 遠くに竹生島と手前に虎御前山が見える。織田軍は最後虎御前山を陣を敷き囲んだとのこと。怖いほど近い。 石垣の向こうは本丸で、浅井長政とお市たちが暮らし、最後まで戦った場所だという。近くには長政が自刃した赤尾屋敷跡もある。さぞ無念だったことだろう。 城はさらに京極丸、大嶽城と続くが小谷城の戦いの主戦場の本丸だったので今回はここで引き返した。 |
彦根城 2021年3月19日 | 譜代大名最大の井伊家が治めた彦根。城の周りは江戸時代の遺構を多く残している。ゆっくり見たら1日ではとても見きれない。 廊下橋や天秤櫓などここでしか見られない遺構も多い。 天守閣は三層三階と小さいが、唐破風が特徴的な気品がある。金の飾りにも目を引く。西の丸三重櫓は小谷城の遺構とも言われている。歴史の重なりを感じる。 天守閣の下には玄宮園と呼ばれる庭園がある。金沢の兼六園や岡山の後楽園などと同じくお殿様の庭園だったのだろう。「彦根には江戸の全てがある」みたいなポスターを見たが、たしかに江戸時代の趣をアチラコチラで感じることができる。 |
安土城 2021年1月31日 | 織田信長の居城としてあまりにも有名な安土城。この城は信長が権威を見せつけたこれまでにない斬新な城とも言われている。それを物語るのがこの大手道。通常敵の侵入を防ぐため折れ曲がっていたり枡形などが存在するが、かなり上まで一直線の道。守りよりも政庁としての役割を重視したためと言われている。 |
観音寺城 2021年1月31日 | この城の注目するところは、広大な山城ということももちろんだが、1530年代から石垣を整備していたということ。 |
二条城 2020年10月18日 | 二条城の見所はなんと言っても二ノ丸御殿。後水尾天皇の行幸も行われたということもあり、造りは絢爛豪華。日本に残る唯一の御殿は、天守閣や石垣を見る城巡りとは全く異なる。御殿の庭も緻密に造られており、迎賓館的役割を果たしたいたことが窺える。 |
大阪城 2022年3月21日 | 日本三名城の一つでもある大坂城。大坂城と言えば豊臣秀吉だが、現在残されている石垣などの遺構は、大坂夏の陣後徳川秀忠が7m埋めた上に再建されたものとのこと。 |
千早城 2022年3月21日 | 千早城。太平記でも有名で、楠木正成が籠城し鎌倉幕府滅亡のきっかけとなったところ。 城というと戦国時代をイメージしがちだが、その時代より200年以上古い。 河内長野駅からバスでおよそ20分。金剛山登山口から出発。 |
竹田城 2022年4月10日 | 竹田城を目指すルートはいくつかあるが、一般的なのは「山城の郷」まで車もしくはバスで行き、そこから歩くというもの。ただ、そこから林道を40分近く登らなければならずキツイ。今回はその先、一部のバスとタクシーしか入ることのできないバス・タクシー乗降所までタクシーをお願いすることにした。桜が綺麗。 |
篠山城 2022年4月9日 | 兵庫県丹波篠山市にある平山城。徳川家康が山陰や大坂への抑えとして建築したとのこと。 ここ城の見どころは大書院(おおしょいん)。明治維新後も取り壊されることがなかった。しかし、太平洋戦争中に失火から焼失してしまった。現在は当時の大書院の一部を再現し見学することができる。 |
明石城 2021年3月30日 | JR神戸線の明石駅から巽櫓(南東)と坤櫓(南西)の2つの櫓を見ることができる明石城。駅前の道に沿って水堀があり、堀を渡ると現在公園となっている広場がある。その先に駅から見えた2つの櫓があるのだが、坤櫓が伏見城から、巽櫓が船上(ふなげ)城から移築されたものだという。姫路城とともに西国の守りの重要な城ということで各地の城を解体して移築されたのではないだろうか? |
姫路城 2021年3月30日 | 世界遺産にも登録されており、天守閣等が国宝に指定されている姫路城。今回は桜が満開になる時期を選んで訪れたが、「桜に城」はまさに“The 日本の風景”。 多くの建造物が残り、近世城郭を体感することができる。 |
赤穂城 2022年5月4日 | 47番目 おっと、赤穂城が偶然にも47番目! |
高取城 2020年11月1日 | 日本三大山城のひとつ。近鉄壺阪山駅から車で登ること15分。道は行き止まりになり、そこから歩く。他にも登り口があるが今回は省エネということで。 とはいうものの、急登が続く。丸太や石の階段もあるが辛い。登ること30分ほど。本丸に到着。 石垣が迷路のように張り巡らされている。石垣の石は山まで持ち上げたのか、山にあったものを使ったのか、どちらにしてもすごい労力だ。山の上からは眺めが良かった。 |
和歌山城 2022年4月2日 | 和歌山から海を渡り徳島、香川、愛媛にある日本100名城をめぐる旅。最初は和歌山城。 |
鳥取城 2022年5月31日 | 鳥取城は秀吉に兵糧攻めされたお城です。その後、江戸時代は池田家が入り幕末まで。鳥取城といえば天球丸 |
松江城 2020年10月25日 | 松江駅前からバスに乗って10分ほどで堀の近くに到着。そこから天守閣を目指して歩く。左手には近年再建された櫓が見える。 しばらくすると天守閣が間近に迫る。秋空に黒い天守が映える。 中の階段は急だが、最上階からは宍道湖、大山を望むことができる。城の存在を引き立ててくれる。 松江城は2015年に天守閣として全国で5番目に国宝に指定された。理由は近年建築の時期が判明したことや梁から柱を立ち上げて支える構造などが評価されたとのことだった。 |
月山富田城 2022年6月1日 | 尼子難攻不落の名城月山富田城。2度目の登城。よく歩いたぁ |
津山城 2022年5月4日 | 赤穂城から足を伸ばして津山城へ。 天気も良いから気持ちいい |
備中松山城 2020年10月25日 | 日本三大山城のひとつ備中松山城。朝、雲海を見に城を望む展望台に登った。この日は条件がよく、雲海に浮かぶ備中松山城の絶景を見ることができた。 |
福山城 2022年5月1日 | 知ってはいたけどこの時天守改修中。工事が終わってから再度訪問(2022年10月21日)黒い鉄板が綺麗に貼られていた |
徳島城 2022年4月2日 | 残念ながら、城の遺構としては、正門として明治以降も唯一破却を免れながら空襲で焼け、戦後再建された鷲の門、石垣などそれほど多くはない。当時のことは頭の中で想像するよりほかない。 |
高松城 2022年4月3日 | 夕方徳島を経ち高松に向かう。高松駅近くのホテルに入る。ホテルからは玉藻公園と呼ばれる高松城跡も近くよく見える。夕食後、桜もきれいだから玉藻公園に夜桜を見に行こうと出かけたが、玉藻公園の城門は閉まっていた。翌日判明することなのだが、高松城内にほとんど桜の木はなく、松などの常緑樹に覆われたお城だった。 |
丸亀城 2022年4月3日 | 桜が綺麗だ。出店も立ち並んでいる。高さ日本一という石垣を見上げながら天守を目指す。 |
今治城 2022年4月30日 | 宇和島→大洲→今治 藤堂高虎築城の城3連発。ライトアップがきれい |
湯築城 2022年4月4日 | ゆづきじょう、正直、今回日本百名城巡りをするまで知らなかった。温泉の近くのお城みたいな名前だな、最初にそう思った。そしたらナント道後温泉にあり、道後公園として整備されていたのだ。 |
松山城 2022年4月4日 | 行った時は桜が満開 |
大洲城 2022年4月30日 | 宇和島で1泊し、大洲城へ。宇和島城に続き藤戸高虎築城の城 |
宇和島城 2022年4月29日 | 雨の高知から予土線で宇和島に移動。雨はすっかり上がっていた。 |
高知城 2022年4月29日 | 翌日雨予報のため、ライトアップの高知城に行く。 |
鎌刃城 2024年2月23日 | ここの城は難所と聞いていたため念入りに調査。滑落の危険もあり1人で登ることはお勧めしないとのことで、岐阜に住む大学の後輩を連れて登城することに。 旧中山道沿いにある資料館の駐車場に車を停める。少し歩いたところに源右衛門というカフェがありここでスタンプ押印。名神高速道路の下を抜ける。だんだん勾配が増し辛くなってくる。さらに一方が谷底。ノロノロ登る(安全のために)通常主郭と呼ばれる城の中心までは40分ぐらいなのだが、時間をかけて登る。大堀切。深いね、谷の部分が。上までは6mぐらいあるのかな?道幅も狭く緊張する。登りきった主郭部分にには、石積みの立派な虎口が復元されている。とにかくここは、幾つもの曲輪と堀切が存在する。今回、南の郭や西の郭は上級者向けということで行かなかったが、曇り空ながらも琵琶湖や遠く比叡山も見ることができた。主郭の南には、尾根を分断するように堀切が設けられている。尾根傳に攻めてくる敵の防御ラインだったのだろう。帰りも基本同じ道を帰る。 |