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メンバー情報

ID11756
名前おやぐま2号。
コメント2週め。
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
中城城
2023年9月21日
(仮文)1城め。1年間の休止期間を経て2週め開始。15時過ぎ登城、曇り小雨。2泊3日家族旅行中、家族を車に残し30分ほどで一巡り。本郭まで、ゴルフカートで送り届けてもらう。以前はあったかな?のサービス。ペリー来航時、測量目的で登城した一行が、精緻な石垣に驚いたとの逸話をどこかで、読んだ記憶が。しかし、文明(文化?)は生まれるべくして生まれる気もする。石垣に適した材料、保管に適した気候、余剰労働力を養いうる食料事情など。前回来訪時に痛切に感じたのは、琉球は平和だったのか、と。紛争の有無に関わらず、これだけの石垣を築くにはどれだけの搾取があったろうか。この中城城を築いた護佐丸も、それはさておき、太平洋と東シナ海、見渡す、沖縄島のくびれた5キロくらいのポイント 艦砲射撃も、中世のそれでは届かず。
ヨーロッパ風の攻城兵器も、気候風土、地形的には陸送し辛いかと。
迷っていた御城印は、首里城ゴジラコラボと、琉球世界遺産五城セットを購入。
勝連城
2023年9月22日
(仮文)2城め。沖縄旅行中にちいかわ購買にイオンモールへと走る家族を留置し。晴れ、10時過ぎ、30分ほど。2021時点から、施設充実。中山の歴史視点では、首里城いがいは常駐されおらず(祭祀の記録はあり、オガミ系は20数台記録あり。行政庁くらいはあったかも)、ただし中国歴史記載には勝連には、1200年代から拠点ありとの記載があるようで、もっとも古くから築城されていた可能性あり。最下部は泥田との掲示があり。割りと標高ありそうだが、近くに池?川?もあり納得。
石垣高く威容あるが、城域規模的にはさほどでない気がする。行き交う交易船への示威か。琉球の攻城兵器は?
攻城戦は敵味方とも、兵を逃さないのが大事。この狭さでは、十重二十重に攻囲された際に、守兵はメンタルが持たない。見晴らしの良さも、諸刃となりそう。
今帰仁城
2023年9月22日
3城め。パイナップルランド後、晴れ小雨。14じすぎ。他の城同様、数年前より整備。
岩盤を徐々に整地して100年単位で。規模は大きく、とうじょう正面からの構えの大きさは、月山富田城のような雰囲気も。
ただ整備されたとうじょう路は、近代のもので、実際はその脇にある、小道が。当時の実態と、イメージの乖離。
はいじょうご基本、城機能としては停止。首里城いごいは450年停止。その後太平洋戦争、復帰後整備、2000年世界遺産での整備。薄い金属版が敷いてあるのが目印?
座喜味城
2023年9月22日
4城め。やちむんあいまに、17時すぎ。
護佐丸、中城城へ。1420に北山制圧、中城城配点、1458敗死、忙しない、人物像は?あと、グスクノ場合、主要な廓まで自家用車かカートでいけるが、麓あたりからの総構えはあったのか?首里城いがいのグスクの総構え、気になる。
そして、築城に際しての護佐丸さんの動員令(座間味&奄美)。島津が来て、日本軍が来て、米軍が来たのは事実。ただし、琉球政府(この表現が正確ではない)がpeacefulではなかろうと。搾取の
琉球?中華の交易に回数制限がなかった理由を知りたい
首里城
2023年9月23日
5城め。やちむん行き2人と分離。
かなり精緻、石垣も高い。
ただし、他のグスク同様、むしろ太平洋戦争の戦禍はひときわであったはず。、オリジナルの城域はどれほどであったか?オリジナル/整備後の石敷きが並列された箇所を見るに、往時の首里城とはどれほどであったのか?ただし、尚氏政権は450年間と聞いた。ならばその治世の間の積み増しは有り得るかもしれない。ひたすら威容を、為政者の尊厳を積み増した可能性はある。ただやはり、返還後と世界遺産登録後の復旧時に、多少のデフォルメがあったのではなかろうか。。。どうも、西洋いや、中華風な佇まいを感じる。
岡山城
2023年9月26日
6城め。岡山出張終わりに登城。リニューアルオープンまもなくのため、新しい。小柄な武将が、逆に怖い。池田輝政、宇喜多秀家、小早川秀秋、ゆかりの3人。旭川氾濫しても、広大な平野が必要。
五角形の天守台、昭和2年の実測図が残る。が、昭和の鉄筋コンクリートによる復旧だと、そこまでのリアルさは求められていなかった?
拡張に際して、従来の石垣を埋めていったようだが、再利用と埋立廃棄のボーダーは?
戦前に国宝指定された名古屋城、岡山城、広島城、福山城は、1945年に次々と焼失。姫路城のみ
塩蔵。
二条城
2023年9月29日
7城め。京都出張翌日自腹延泊にて。2016いらい2度目の登城。快晴、ぐるり一周から始めて、1時間半ほど。修学旅行シーズン、近隣学校施設は運動会。
天守台、1700年代に焼失。
外郭入れたらかなりの規模。
福知山城
2023年9月29日
8城め。前回はコロナ真っ最中で、閉鎖されているところも多かった。京都から電車で2時間。晴れ14時半。天守閣内資料館含め1時間半ほどじっくり。転用石、大天守閣付櫓小天守閣、野面積みの危うさ?計算づく?真ん中あたりの膨らみ歪み?藤井聡太七冠の対座記念あり
広島城
2023年9月30日
9城め。8時半薄曇り、2時間
城北からぐるり。奥まで回ると、福島正則の改易の遠因となった石垣。そもそも福島正則の治世は20年近い。
京都太宰府を結ぶ旧山陽道は、かなり迂回路、府中から戸坂、東原、アストラムライン古市〜広域公園
カワノウチシュウ水運、石垣の材料は海辺の石を。
城域の広さは大阪城、姫路城、名古屋城以上?聚楽第を似せたとか、じゃあ聚楽第はどれくらいでかい?
寺町、寺は防御拠点になると
郡山城
2023年9月30日
10城め。12時過ぎから2時間。晴れ。市内の銀山城あたりから、54号線沿いには似たような山が幾つもあるが、何故ここに?もとからの本拠地でもあるが、2つの河川が交差する交通の要衝と聞くと納得もするが。。。本城から何故、本丸まで城域進展したのか。尼子氏との籠城戦は、従来考えられていたものとは違い、積極的に出撃、尼子氏の兵站をきっていたと。領民を収容はしていたとして、
ただ毛利元就30年で領国は、何倍増にも。となると家臣団を収容するにも、城域の拡張はマストか。というより人質倉庫のような、様相を。。城域は広いが堅いという雰囲気はない、出戦する人であったのでは。
大分府内城
2023年10月3日
11城め。15時過ぎから30分ほど、秋晴れ。
御城印がこの10/1から開始されたと、100名城押印後はじめて認識。
思ったより天守台が立派。造成した帯曲輪により、最終防衛ラインは強度を増したど想像する。ただ、今となっては内郭のみしか見れず、外郭までトータルでないと城の規模、迫力はイメージし辛い。そういう意味では、山城は分かり易い。
石垣周りに常設状態の犬走りは復旧時のものと思われるが、もともとはどのような形態だったのか?
備中高松城
2023年10月6日
12城め。秋晴れ、出張合間に岡山駅から桃太郎線で20分ほどで備中高松駅。13時半から
2019/12/26いらい2回目
吉備平野の豊かさ。宇喜多氏の戦力。
城兵5000は本当か?城域としては1000くらい、あとは遊軍ではないか?
水攻めはグルリ堤防とうより、水の流れを変えることが大事かも。昭和50年の水害で、秀吉の水攻めエリアは再現されているようだ。