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メンバー情報

ID11733
名前じっちゃん
コメント関東地区の山城愛好者で作る「関東古城址探究会」のメンバーです。石垣よりも天守閣よりも土塁と空堀が好きです。
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
佐倉城
2018年9月18日
佐倉城址の東端にある旧大手門。その手前の市民体育館の駐車場に車を止め登城しました。
スタンプは大手門から入って数分歩いた左手、公園管理センターにて押印。
石垣を用いない土造りの城で、堀の深さや大規模な角馬出など見どころがいっぱいです。西側の下には大きな出丸があって、その周りの水堀と相まって風情があります。本丸南西端には天守台が残っていますが、建物はありません。本丸、二の丸、三の丸といった城の中心部は往時の縄張りのまま残し、角馬出の外の、ある意味どうでもよい惣曲輪に、国立歴史民俗博物館を建築したセンスに脱帽します。
明治期になってできた陸軍の連帯跡には、当時の石造りのトイレがそのまま残っています。城巡りの後、近くの武家屋敷を散策して往時の生活を偲びました。。
本佐倉城
2018年9月18日
私の地元中の地元で、何度も訪問した城です。
スタンプは城からだいぶ離れた酒々井町中央公民館の1階で押印しました。
車は本佐倉城入口付近に駐車場があり、ここに停めて登城します。続100名城に登録される前は、車が数台駐車できるスペースしかありませんでしたが、今は10台以上余裕で駐車できます。城内もあちらこちらに説明板が立てられ、またヤブもなく、よく整備されています。
名門千葉氏の最後の本拠地です。江戸時代以降干拓や埋め立てで狭くなった印旛沼や香取海が城の北側眼下に迫って、船着き場もあったとのことですが、そこは今、京成電車が走っています。
小田原城
2018年12月22日
伊豆へ行く途中で時間をつくって登城しました。
スタンプは天守閣1階のところで押印。
本丸周辺は何度も来ているので、ささっと済ませ、今回は小田原城総構の小峯の大堀切へ行き、堀底道を歩きました。堀の深さと規模は圧巻です。ここを歩いていると小田原城が戦国時代最大級の城だったことが実感されます。
小田原城総構の西の端にある早川口遺構にも足を延ばしてみましたが、ここは大きく改変されていて、ちょっとした窪みが残る程度の空堀になっていました。
山中城
2018年12月22日
小田原城、石垣山城と車を走らせた次に、箱根の山を越えて寄りました。
スタンプは駐車場のわきにある小さなお店、うどんや蕎麦等も食べられますが、そこで押印しました。
有名な西の丸西側の障子堀はもちろん見事ですが、道路を挟んで南側に位置する岱崎出丸下の一ノ堀という畝堀も迫力があって素晴らしいです。
いずれにしても後北条氏の城郭構造の典型を見させてもらいました。
石垣山城
2018年12月22日
2度目の登城です。小田原城から車で向かいました。
城内入口の駐車場にて車を停め、トイレの近くにてスタンプを押印しました。
南曲輪の石垣、馬屋曲輪の石垣、これらの野面積みの石垣は見ごたえ十分です。そして、展望台から見る小田原城下と相模湾。しばし430年前の秀吉と家康の気持ちに浸りました。もちろん、事前にトイレで用は済ませております。
一方、井戸曲輪の底にある大きな井戸。様々な城址の水の手遺構を見てきましたが、石垣山のこの井戸が最高ですね。
興国寺城
2018年12月23日
伊豆長岡温泉に行った帰りに訪れました。国道1号線沼津バイパスを西に走り、根方街道に入って6kmほど進みます。東根古屋のバス停を右折するとすぐのところに広い駐車場がありました。
駐車場付近は三の丸で、それからなだらかに登っていくと二の丸、本丸へと続きます。本丸の北側の土塁は素晴らしく、まさに城壁のようになっています。その後ろの大堀切は深さが15mほどもあって、迫力抜群です。往時はこの先も城が続いていたのでしょうが、今では城を横切って新幹線が走っています。
スタンプは本丸中心部分にある穂見神社境内で押印しました。
関東に一大勢力を誇った後北条氏のスタートの場所と思うと、感慨ひとしおです。
八王子城
2019年1月30日
八王子城跡ガイダンス施設の向こう側の駐車場に車を止め登城しました。
スタンプは駐車場から100mほど先の管理棟前で押印。
石垣、土塁、空堀など見どころが多い巨大な山城です。
復元されたとはいえ、北条氏照の居館があったとされる御主殿曲輪は大規模なものでした。
滝山城
2019年1月30日
八王子城から車で向かいました。滝山街道の丹木町三丁目交差点の角に、30台ほど駐車スペースのある滝山観光駐車場があり、無料で停めることが出来ました。そこから50mほど八王子市街方向に歩くと、滝山城入口があります。そこから緩い坂道を登っていきます。
スタンプは城内の中の丸にて押印しました。
桝形虎口、大規模な土塁や空堀、千畳敷という大きな曲輪。どれをとっても北条氏照の居城らしく見ごたえがありました。北側の多摩川が天然の外堀になっているのがよくわかります。
福山城
2019年3月20日
故郷が福山から福塩線で山奥に入った上下宿なので、その帰郷時に新幹線からの乗換電車を待つ間に登城しました。
スタンプは天守閣の入口で押印できました。
私が子供のころは(まだ新幹線も開通していない頃)、福山駅の山陽線のホームから見る福山城は、ただ大きな石垣があるだけの寂しいところでした。
戦前国宝指定だった建物群はは1945年8月の福山大空襲ですべて焼失しています。
それがこんなにも立派な建物となって復活するとは、感慨ひとしおです。
三原城
2019年3月21日
新高山城から車で向かいました。三原駅近くのコインパーキングに停め、駅構内にある三原観光協会でスタンプを押印しました。
三原城はかつては巨大な海城であったのでしょうが、今は本丸の一部が残るのみです。ただ残っている天主台の石垣は反りがあって、なかなか見ごたえがあります。周りの水堀も大きく、小早川家の力を誇示しています。
新高山城
2019年3月21日
吉田郡山城から車で向かいました。山道を通るルートで、あちらこちらで昨年夏の豪雨災害の爪痕を残しています。
JR本郷駅近くの本郷生涯学習センターでスタンプを押印しました。
本来であればこれから登城したかったところですが、三原城にも行かねばならず、また本日中に千葉に帰らねばならず、断腸の思いでスタンプ押印のみとなりました。
必ずやいつか時間を見つけて登城します。
江戸城
2019年3月28日
東京駅丸の内側から出てまっすぐ歩き、和田倉門のところにある休憩所でスタンプを押印しました。江戸城、千代田城、皇居。日本史上最大の城郭をどう巡ればいいのか、そしてどこをどう表現してよいのか、その術を知りません。
品川台場
2019年3月28日
ゆりかもめのお台場海浜公園で下車し、公園内のマリンハウスでスタンプを押印しました。
今回は時間がなかったので、ちらっと眺めただけで、お台場内には入らずそのまま帰りました。
大多喜城
2019年4月2日
大多喜町内に入ると、どこからでも模擬天守の大多喜城の白い建物が見えるので、そこを目指して車を走らせます。お城の西側に広い駐車場があります。
スタンプはこの模擬天守となっている中央博物館大多喜分室1階奥におかれています。押印をするには入館料が必要でした。
さて、上総の名城を五つ上げろと言われれば、東から万木城、大多喜城、久留里城、小糸城、佐貫城でしょう。偶然かもしれませんが、この五城は東西にほぼ一直線に並んでいます。つまり同じ緯度上に築かれているのです。
私の個人的な意見ですが、下総の続100名城である本佐倉城に匹敵する上総の城は久留里城だと思うのですが。八犬伝の里見より徳川四天王の本多のほうがメジャーということでしょうか。
鉢形城
2019年4月4日
鉢形城公園の駐車場に車を停めて訪問しました。
スタンプは復元された四脚門近くの歴史館受付にて押印できます。
後北条氏の北関東の拠点だけに大規模で複雑な縄張りです。障子堀や馬出跡がきれいに整備されています。北側の曲輪の土塁から下を流れる荒川を眺めますと、ここが天然の堀となって、確かに防御しやすい位置にあることがはっきりとわかります。
川越城
2019年4月4日
車で時間がなかったので本丸御殿のみ訪問しました。
スタンプは本丸御殿受付で押印。入館料が必要です。
ただ受付の男性が「スタンプだけならいただくのは気が引けますね。」と。私は「決まりですし、例外はだめですよね。それに御殿の維持管理に必要ですものね。」と言って、当然ながら入館料を払って押印させてもらいました。
土浦城
2019年4月4日
車で訪問しました。土浦市立博物館第二駐車場に駐車。無料です。
そこから本丸に登城しました。(といっても平城ですが)
櫓門としては関東地方で唯一現存しているという本丸表門は重厚です。
スタンプは復元された東櫓内で押印しました。土の城なので石垣はなく土塁のみです。二重櫓が土塁の上に立っている光景も、少し珍しく感じました。
こじんまりとした城跡ですが、それなりに見ごたえはあります。
忍城
2019年4月4日
加須方面から車で訪れました。
高麗門横の駐車場に停め、本丸へ。すぐ現れる郷土博物館でスタンプを押印しました。
再建された御三階櫓の下の水堀を見ていると、「浮き城」と呼ばれていたことが、なんとなくわかるような気がします。
殆どが市街地化されていますが、少しずつ残っている石垣や曲輪、土塁や堀が往時をしのばせてくれます。
杉山城
2019年4月4日
車で忍城を見た後訪問しました。
スタンプは嵐山町役場の玄関ホールで押印しました。役場から北西方向に数分走ると玉ノ岡中学校があり、その横の駐車場に停めました。
そこから徒歩で100mばかり行くと大手口になります。
横矢が掛かった虎口があらゆるところにあり、帯郭や空堀が複雑に入り組んでいます。「築城の教科書」と呼ばれるにふさわしい複雑な縄張りになっています。
堀底道を通って攻撃側として進むと、何度倒されることやら。
菅谷館
2019年4月4日
同じ嵐山町の杉山城跡から目と鼻の先です。車は嵐山史跡の博物館駐車場に停めました。
続100名城スタンプは、この史跡の博物館で押印しました。
鎌倉の御家人畠山重忠の館跡ですが、とても広くてすべては巡ることが出来ませんでした。二の郭内に大きな重忠の銅像が立っています。平城ですが、空堀や土塁の遺構が整備されてよく残っています。
白河小峰城
2019年6月8日
会津の温泉へ行く途中で登城しました。
スタンプは戊辰戦争で焼失し、その後木造復元されたという三重櫓内で押印。こういった場所でのスタンプ押印には時々拝観料を取られることがありますが、ここは無料。
二の丸から水堀を渡って本丸に入るところの清水門は、石垣の配置も見事で、風情がありました。
会津若松城
2019年6月9日
猪苗代湖畔の温泉宿に泊まった翌日に登城。日曜日ということもあり小雨混じりながら観光客が多数訪れています。
スタンプは天守閣内売店入口のところで押印しました。
美しい勾配を見せる本丸東側の打込みハギの高石垣、珍しいV字型をした武者走り、そして天守閣の野面積みの石垣、やはり天下に名高い名城に違いありません。
向羽黒山城
2019年6月9日
会津観光の帰りに車で寄りました。
スタンプは麓の整備資料室で押印しました。無人の建物かと思いましたが、年配の男性が出てきて気軽に挨拶してくださいました。そして駐車場の位置や城の説明をしていただき、パンフレットも頂戴しました。
二の曲輪の駐車場に停めて登城。本丸である実城を中心に複雑な縄張りを誇る山城です。あまりに規模が大きすぎて説明もはばかられます。いずれにしても東日本屈指の山城に違いありません。
二本松城
2019年10月26日
温泉旅行の帰りに車で訪問し登城。スランプは歴史資料館受付にて押印しました。
中腹の回遊式庭園内の「洗心亭」は、城内に唯一残る江戸時代の建造物とのことです。茅葺屋根の質素な建物は、風情があります。
最上部の本丸跡の石垣は、それはそれは迫力があって見事なものです。多くは修復の繰り返しとのことですが、一部には穴太衆の石積みの痕跡も残っているとのことです。
戊辰の二本松少年隊の悲劇に思いをはせつつ、広い平山城を堪能させていただきました。
三春城
2019年10月26日
福島猪苗代湖畔の温泉宿に行く前に立ち寄りました。車で中腹の駐車場まで行き登城。
三春城は伊達政宗の正室愛姫の生誕地ですね。各曲輪跡や竪堀がよく残っています。
スタンプは本丸にポストボックスがあって、そこで押印できました。
米沢城
2019年10月27日
米沢市内にある民法学の権威、故我妻栄先生の生家を訪問した後、米沢城跡に伺いました。城のすぐ横の「おまつり広場駐車場」に車を停めていざ入城。
米沢城は現在は上杉神社になっており、水堀くらいが往時を偲ばせます。上杉鷹山公の像の前で観光客の紳士が足を止め「為せば成る、なさねばならぬ・・・」のあの名文句を口ずさんでおられました。
スタンプは敷地内の観光案内所で押印。
訪問後はすぐ近くの東光酒造の酒蔵に行き、酒造見学と大好きな純米大吟醸を購入して帰途につきました。
白石城
2019年10月28日
米沢城から車で向かいました。国道113号羽州街道はとても景色の良い道で紅葉も楽しめました。白石市街のいたるところから復興天守の白亜の建物が見えます。
白石市役所横の無料駐車場に停めて登城。
スタンプは400円を払って復興天守にて押印しました。
片倉小十郎のことを偲びながら石垣や土塁や堀を巡りました。
下城して北側のお堀端にある片倉家中の小関家の武家屋敷を眺めたりしていると、隣の高校の体育館から剣道の稽古の元気な声が聞こえてきます。城跡と水堀と武家屋敷に竹刀の響き、なかなか風情がありました。
水戸城
2020年2月25日
偕楽園の梅見をした後に訪問しました。
スタンプは旧三の丸にある弘道館の料金所窓口にて押印。弘道館に入館しなければ無料で押印できます。
石垣のない全て土造りの大規模な城址です。唯一残る重厚な薬医門が元本丸内の水戸一高の敷地内に建っています。そこに向かう途中で、一日の授業を終えて校舎から出てきた秀才君たちが、大きな声であいさつをしてくれました。元本丸内のこの水戸一高をはじめ、二の丸には水戸三高、水戸二中、茨城大付属小。
水戸城は三の丸の弘道館の歴史を引き継ぐように、文教地区となっています。
小机城
2020年3月7日
JR横浜線の小机駅から徒歩で向かいました。
駅南口すぐそばの城郷小机地区センターにてスタンプを押印し、そこから城址を目指しました。畑や住宅街を500mほど西のほうへ歩くと入口があり、坂を上っていきます。比高は20mくらいでしょうか。本丸までの間には腰曲輪や竪堀が散見されました。。本丸は広場になっていて、子供たちが野球の練習をしていて、大きな声が飛び交っていました。
堀底道を通ると堀の深さや規模の大きさがわかります。しかも第三京浜国道に分断されているものの、道路の向こうにも遺構がありました。公園として整備も行き届いた城跡です。
笠間城
2021年4月17日
復興した水戸城の大手門を見学した後に車で訪問しました。
麓の笠間歴史交流館井筒屋でスタンプを押印しました。ここの駐車場がわかりずらく、しかも狭く細長いため、高速Pのように駐車枠が斜めに仕切られていました。10台くらいしか駐車できないスペースでした。
さてそこから笠間城方面に車を走ららせ、千人溜跡の駐車場に到着し登城しました。途中途中での空堀や土塁は見ごたえがあります。山上の総石垣造り天守曲輪まで来ると、山城にしてこの石垣か、と驚かされます。
足利氏館
2021年4月18日
国道293号線沿いの無料駐車場に止めて訪問しました。広い駐車場で日曜日でも十分停められます。
スタンプは足利氏館内の鑁阿寺本堂前にて押印。
室町期の館跡であり、いわゆる城址とは言い難いのですが、周りを囲む土塁や水堀もあって、見どころも少なからずあります。
金山城
2021年4月18日
山道を車を走らせ城址近くの専用駐車場に停め登城しました。日曜日のせいもありますが、駐車場はほぼ満杯でした。
スタンプは南曲輪内の休憩施設内での押印です。
有名な石造りの大手虎口のあたりでは、数組のカップルが写真撮影をしていました。確かにバエる場所ではあります。
唐沢山城
2022年4月16日
北関東道の佐野田沼インターチェンジで降りて約10分車を走らせ、唐沢山神社下の駐車場にに到着しました。そこからは徒歩ですぐです。
スタンプは唐沢山神社社務所にて押印できました。
この城は何といっても本丸の周囲にある、高さ8mものの高石垣。それはそれは迫力満点です。また山頂の天狗岩からの関東平野が一望できる眺め。上杉謙信が何度攻めても落ちなかったという堅城ぶりを彷彿とさせる、守りの固い山城です。
箕輪城
2022年7月16日
高崎市内から車で北上して訪問しました。
スタンプ設置場所は箕輪城から相当離れた市役所の箕郷支所と言うところでした。場所がわかりずらかったこともありますが、できれば城址近くに設置してもらいたいと思います。
以前何度か訪れた時は建物は一切なく、大堀切や土塁の遺構ばかりを巡っていたのですが、今回の訪問時には、「郭馬出西虎口門」という城門が復元されていました。
岩櫃城
2022年7月16日
箕輪城から車で榛名の山道を抜けて訪問しました。国道145号から山道を登って少し行くと割と広い駐車場がありました。そこから少し歩いて観光案内所へ。
スタンプは、この平沢登山口観光案内所で押印しました。
前日までの雨のせいもあって、本丸まで行く元気がなく、すぐそばの岩櫃神社参拝でお茶を濁し、そそくさと下山しました。次回訪問時は完全登城を目指します。
その後四万温泉でのんびり過ごさせてもらいました。
名胡桃城
2022年7月17日
前日泊まった四万温泉から車で訪問。国道17号線沿いの名胡桃城址案内所横の駐車場に停めました。数年前の大河ドラマ「真田丸」放映時に訪れた時は、観光客でごった返していましたが、日曜日だというのに閑散としています。
スタンプはこの城址案内所で押印しました。
城域に入るとすぐ「馬出し」があるのですが、どうも本来の丸馬出しと形が違うように見えます。削られてしまったのでしょうか。三の郭、二の郭、本丸と遺構はよく整備されていますが、どうもそれぞれの虎口が平凡すぎて工夫が足りなく見えるのは私だけでしょうか。防備力が非常に薄いと感じてしまいます。後世の改変のせいでしょうか。
沼田城
2022年7月17日
名胡桃城を訪問した後に車でやってきました。
沼田市観光案内所の駐車場に入り、この案内所でスタンプを押印しました。
そこから本丸を巡りますが、動物公園のようになっていて、往時の巨大城郭を偲ぶことはできません。ただ有名な「平八石」のある捨曲輪跡からは名胡桃城や詰の丸山砦をくっきりと見ることが出来ました。
北関東の要衝の地であることに疑う余地はありません。
盛岡城
2022年9月11日
夕方の18時に訪問。盛岡駅から10分程歩いて登城しました。もりおか歴史文化館は19時まで開いていて、そこでスタンプを押印しました。
だんだんと薄暗くなる中で石垣を中心に写真撮影を行いましたが、秋の夕暮れはつるべ落とし。何が何だかわからない写真となってしまいました。夕刻の城内はカップルの巣窟で、フラッシュをたいて写真を撮っている自分が変態オヤジに見られやしないか、気が気ではありませんでした。そんな暗闇の中でも、現存する石垣群はなかなか迫力があります。
多賀城
2022年9月11日
仙台駅から東北本線で国府多賀城駅に到着。この駅構内でスタンプを押印しました。
駅から約15分程の徒歩で多賀城跡へ向かいました。多賀城南門をはじめ敷地内ではいろいろと工事をしていました。
律令国家時代の遺構なので、あっと驚くような城址ではありませんが、曲輪や土塁がよく整備されていました。
仙台城
2022年9月11日
仙台駅から地下鉄に乗り国際センター前駅で下車。そこから登城。旧三の丸から清水門を通り美しい反りを持つ本丸北側の高石垣を眺めながら本丸へと向かいます。道は整備されているのですが、上り坂の勾配はかなりきついです。本丸に入るとすぐの見聞館展示コーナーでスタンプ押印。
有名な伊達政宗騎馬像は覆いがかぶされていて全く見えませんでした。修復中なのです。一方、建物跡の礎石がある本丸御殿跡からは、仙台市街の素晴らしい眺望が開けます。
テレビの旅関連のバラエティー番組の撮影でしょうか、お笑い芸人と若手女優が仙台城址碑の前でにこやかにポーズをとっていました。
山形城
2022年9月11日
仙台から仙山線で山形へ。山形駅から徒歩10分で南大手門に到着し登城しました。スタンプは最上義光歴史館で押印。ヨシミツとばかり読むのだと思っていましたが、ヨシアキが正しいということを今回初めて知りました。
復元された本丸一文字門のところで写真を撮っていると、地元の中学生と思しき男の子が「僕も写真を撮ってください。」とポーズを決めながら言います。「撮ってもいいけど、撮った写真はどうすればいい?」と撮影後尋ねると、「あっそうか、どうしようもないですね。」と。山形の少年はすこぶる明るく純朴です。
さて、城内の見どころは本丸を巡る空堀です。その北側の二の丸跡は整備工事中でした。その後二の丸東大手門を抜けて駅に向かったのですが、堀底道を山形新幹線の線路が走っていて、なかなか見ごたえがありました。
弘前城
2022年9月12日
天守閣工事中、また東側の石垣も大々的な修復中でした。
スタンプは弘前城情報館で押印しました。
弘前城は御三階櫓の天守が有名ですが、私は江戸初期に作られた現存する櫓門が、その重厚さといい、質朴さといい素晴らしいと感じました。
北の端の亀甲門、二の丸東門と南門、三の丸東門と追手門、これら5つの門を見るだけでも訪れた甲斐があります。
根城
2022年9月12日
八戸駅からレンタカーで約10分走り到着しました。
博物館は月曜日で休館ですが、スタンプは入口外側にあり、いつでも押せるようです。
残念ながら根城本丸跡は工事中で、中に入ることが出来ませんでした。
早朝のほとんど人のいない広い根城広場をぶらぶらと歩いて終了しました。ただ空堀や曲輪跡はよく整備されていて、とても見やすかったです。
浪岡城
2022年9月12日
弘前城から車で向かいました。
スタンプは浪岡城の南西500mくらいのところにある青森市中世の館にて押印。
その中世の館の駐車場に車を置いて徒歩で登城。
登城といっても高低差はほとんどなく、平城といった感じでした。ただ土塁や堀、井戸跡などがよく整備されていて、なかなか見ごたえがありました。
平日の夕方というせいもあるでしょうが、人影はなく、なんだか寂しい気持ちになりました。
九戸城
2022年9月12日
八戸の根城からレンタカーで向かいました。二戸市街の幹道から九戸城に入っていく道が細くて、対向車とすれ違うのに苦労しました。駐車するところが見つからず、やむをえず、二の丸大手を過ぎたあたりの若干広いところに路駐しました。
城内は重機が入って色々な整備中でしたが、土塁や堀、館の遺構などがよく残っており、戦国末期の南部の城址を満喫しました。
スタンプがある九戸城ガイダンスを探すもどうしても見つからず、市街に戻って二戸市総合福祉センターの2階にある「二戸市埋蔵文化財センター」へ向いました。部屋の中が暗いのでどうしたのかと通りかかった職員さんに聞くと、月曜日は休館とのこと。何とかスタンプだけ押せませんか、と懇願すると、親切に部屋の中からスタンプを持ち出していただき、押印完了。感謝感謝です。
久保田城
2022年9月13日
秋田駅から徒歩で10分余り。スタンプは城内の佐竹資料館で押印しました。
城内は千秋公園となっており、平日にもかかわらず多くの人が訪れていました。
久保田城は、常陸の国から移った佐竹義宣が築城した石垣のない土造りの城です。しかし当時の縄張りから相当改変されているとのことです。
3重4階の模擬櫓が有名ですが、中には入らず、ひたすら周りの曲輪の遺構を見て回りました。
脇本城
2022年9月13日
秋田駅から男鹿線に乗り、無人の脇本駅で下車。そこから30分ほど歩いて脇本城登り口に到着しました。駅から徒歩20分くらいはのどかな田園風景が続きますが、その後急に視界が開けて眼下に雄大な日本海が見えてくるのです。
さて海に面した城入口から5分ほど登ったところにプレハブの小さな無人案内所があり、そこでスタンプ押印とパンフレットをいただきました。もちろん登城ノート記入も忘れずに。
案内所からさらに数分登ると脇本城の全景が見えてきます。この広大さ、土塁の高さ、曲輪の配置の見事さ。山城好きの私としては大満足の時間でした。滞在40分の間、平日のせいもありますが、私以外の人間には出くわしませんでした。
下山後は、またてくてく歩いて駅へ。次は安東3城の残る二つ、檜山城や湊城を訪問してみたいものです。
秋田城
2022年9月13日
秋田駅西口から秋田中央バスに乗り、歴史資料館前で下車しました。
すぐにスタンプを押そうと資料館に寄ると、入館料が必要とのこと。私が躊躇していると、受付のお嬢さんが「無料で押せるところありますよ。城内を入って公園管理棟というのがありますから、そこでどうぞ。」と丁寧に地図をも見せて教えていただきました。秋田美人は心も素晴らしい。
さて秋田城内は土塁や建物跡がきれいに整備されていました。しばし出羽の国の国府の古代城郭の趣に浸りました。
新発田城
2022年9月14日
村上城のある村上駅から羽越本線の列車に乗って新発田駅に着きました。
新発田市街を約20分歩き、新発田城表門に到着しました。
スタンプはこの表門に入ってすぐのところで押印。この表門は江戸時代末期に建てられた現存建築物とのことです。なかなか重厚な櫓門でした。周りの水堀も広くて満面に水をたたえています。
本来はもっと大きな城だったのでしょうが、二の丸や三の丸は宅地化されたり運動広場になっており、往時の面影はありません。本丸のみを残していますが、現在は本丸の北側がすぐ自衛隊の広い敷地になっていました。
鶴ヶ岡城
2022年9月14日
鶴岡駅からバスに乗って市役所前バス停にて下車。時刻は8時を少し過ぎたばかり。
お堀端をぐるっと歩き、水堀を渡って、今は荘内神社境内になっている本丸の中に。本丸内には藤沢周平記念館や、満州事変の首謀者石原莞爾の記念碑などがありました。そういえば東条英機のライバル石原は鶴岡の人だったことを思い出しました。
大正末期の建築物「大寶館」や市役所前にある藩校致道館など歴史的な建造物も趣がありました。
さて荘内神社社務所前では、神主さんや巫女さんが集まって朝礼をしていました。それが終わって各自お仕事を始められたので、開所30分前ではありましたがスタンプ押印をねだると、快く応じていただきました。
村上城
2022年9月14日
JR村上駅から市内循環バスで二之町というバス停で降りました。そこから100mほど歩いて村上市郷土資料館へ。そこの1階ロビーにてスタンプを押印しました。
その郷土資料館の方に道順を聞き、5分程歩いて村上城登城口に到着しました。
ここから比高100mくらいの本丸までの七曲り道という登城道は、思っていた以上にきつかったです。
15分後に二の丸に通じる御鐘門虎口に到着。その虎口を入って左側の広い三の丸、それから二の丸、本丸と進んでいきました。本丸の石垣は江戸時代のものらしいですが、こんな山の頂上によくぞ築き上げたものだと感心しました。その本丸からは村上市街、その先の日本海までよく見通せます。
帰りは東側のけもの道のようなところを通りました。ここは戦国時代の遺構が数多く残っており、特に竪堀は見事でした。
富山城
2023年3月23日
雨が降りしきる中、富山駅から路面電車に乗り、丸の内という電停で降りました。そこから富山城の南側のお堀端を傘をさして歩き、大手口から登城しました。この大手口の食違い虎口を抜けて右側に模擬天守閣があり、そこが郷土資料館になっていました。
スタンプはこの郷土資料館の1階ロビーにて押印しました。
本丸内の広場には、様々な屋台が出ていたものの、お客さんはまばらで、皆さん手持無沙汰といった感じで、雨の空を恨めしそうに見つめていました。
本丸鉄門の通路の石垣には5個の巨大な鏡石が埋め込まれています。前田家の財力というか、大名の力を誇示しているように思えました。
高岡城
2023年3月26日
金沢城を終えて電車で高岡駅へ。そこから徒歩で10分ほどで登城しましたん。朝から雨が降り続き、城巡りには最悪の日でした。
大手口を入ってすぐ右手が鍛冶丸跡です。ここに建っている高岡市立博物館入口でスタンプを押印しました。
今は射水神社になっている本丸を巡りました。水堀は結構規模が大きいです。
金沢城
2023年3月26日
新幹線で金沢駅に9時48分着の新幹線で到着。金沢駅東口6番バス乗場から金沢周遊バスの右回りに乗り、兼六園下で降りました。そこから石川門経由で登城。
スタンプは石川門入口案内所で押印しました。
あいにくの強い雨で城巡りには最悪の天候でしたが、石垣や土塁を色々と見ることが出来ました。特に有名な五十間長屋の規模には驚かされました。
帰りは散々でした。バス乗場を間違えてあらぬ方向へ。どこかわからないところで降りて、やむなくタクシーで駅まで向かうことになってしまいました。
福井城
2023年3月26日
終日雨の中、金沢城、高岡城、富山城を回って、本日の最終目的地の福井城についたのは夕方5時を回っていました。福井城内の県庁舎1階受付にスタンプがあるとの情報から、そこを目指したのですが、間違って県警本部の受付へ。対応していただいた警察官の方はいやな顔ひとつせず県庁受付の場所を教えてくれました。そして無事押印完了。
翌朝、ホテルを早めに出て、まずは北庄城址とその後再び福井城へ。北庄城址では、お市の方と三人姉妹の像が寂しく私を迎えてくれました。昨日と打って変わって晴天に恵まれた福井城は、今では県庁の敷地となった本丸を残すのみ。しかしながら天守台や石垣、大規模な水堀などの遺構がきれいに残っており、結城秀康の時代から幕末の四賢侯のひとり松平春嶽のころまでの越前松平家の栄華を彷彿とさせてくれます。
満開の桜並木が水堀によく映えていました。
丸岡城
2023年3月27日
福井駅を9時19分発の電車に乗り、丸岡駅に9時30分に到着。そこから丸岡春江ルートの町中巡回バスで丸岡本町で下車。親切な運転手さんに「丸岡城に行くなら、その道を左に曲がって道なりですよ。」と教えてもらい、バス停から徒歩3分で城の西の入口に到着しました。因みに運賃は200円でした。
現存天守を上に見つめながら、つづら折りの道を40mの高さ歩くと天守閣に到着します。
スタンプは、天守閣から一段低いところにある霞ヶ城公園管理事務所で押印しました。
帰りは反対側の東のほうに下り、広い駐車場の一か所から出る11時15分発のバスに乗って、12時15分着で福井駅まで行きました。バス賃は670円でした。次の越前大野城に行くのにこのコースが最も早かったからです。
一乗谷城
2023年3月27日
JR九頭竜線は本数が少ないのでスケジュールを立てるのに苦労します。
越前大野駅から電車に乗って15時45分に一乗谷駅に着きました。そこから田舎道を通って25分後に一乗谷の入口に到達しました。
スタンプは復元街並み入口で押印。従業員の方に「街並みを見ていきませんか?」と強く誘われましたが、丁重にお断りしました。
本当ならば山の詰城まで登りたかったのですが、時間との勝負で、一乗谷の平場の館跡だけで済ませてしまいました。
帰りは駅までまたてくてく歩いて、17時45分発の電車に乗りました。あたりはすっかり暗くなっていました。
越前大野城
2023年3月27日
福井駅前から京福バスの大野線に乗りました。約1時間ほどの走行で、大野六間というバス停で降りました。下車後振り向くと、小高い山の上に越前大野城の復興天守が青空に聳え立っています。
結ステーションを過ぎ、百間堀跡を越え、神社の裏手の搦手のほうから登城していきます。だらだらとした坂を15分程登ると、大野城の天守にたどり着きます。スタンプはこの天守の一階にて押印しました。天守台の石垣は現存の遺構で、なかなか見ごたえがありました。
帰途は北東の大手道にて下山しました。下山後は旧田村家や市街を散策しながらJR大野駅に到着。ここから九頭竜線で次の目的地の一乗谷に向かいます。大野の街並みには昔ながらの風情があり、どの街角からも大野城の天守が見えます。
駅構内には、その名も駅清水と呼ばれる場所があります。越前大野の街のあちこちで清らかな地下水が湧き出ているとのことです。
佐柿国吉城
2023年3月28日
敦賀駅からJR小浜線に乗り、美浜駅で降りました。駅前から福井鉄道バスの敦賀行きに乗り、佐柿口バス停で降りました。美浜駅前は大々的に工事中で、出発のバス停を見つけるのにひと苦労しました。
佐柿口バス停から歩いて5分ほどで佐柿国吉城の入口にある歴史資料館に到着。ここでスタンプを押印しました。
登城口からひたすら急坂を登っていきます。途中金網の柵を開けて閉めて、という作業もしながら息を切らしての登城です。この城は典型的な山城でありながら、石垣の城とも言えます。本丸までのあちらこちらに石垣や堀切、櫓などの遺構が残っています。
本丸に到達すると、そこからの眺めは抜群です。若狭湾が一望に見渡せます。美浜原発も見えます。そういえばこの美しい若狭湾沿岸に4か所もの原子力発電所が集中しているのですね。帰りはバスの適当な便がなく、美浜駅まで30分程田園風景の中を歩きました。
七尾城
2023年3月29日
和倉温泉の宿を午前8時に車で出発しました。七尾城の麓にある七尾城史資料館でスタンプを押印。開館前でしたが、スタンプは外に置いてあって、問題なく押印できました。
そこから県道の山道を登り本丸近くの駐車場に到着し、登城。
野面積みの石垣が残る本丸からの眺望は最高です。七尾湾の群青色がはっきりと見えます。また本丸と長屋敷との間の大堀切の規模も圧巻でした。
帰りはそのまま車で富山湾方面へ抜けました。海に出るのに結構な道のりでした。
増山城
2023年3月29日
七尾城から車で向かいました。
砺波市立正東小学校敷地内にある、埋蔵文化財センターにてスタンプの押印をしました。「登城記録帳に記入してください。」と話してきた男性の人が面白い話をしていました。城好きで有名な春風亭昇太が、増山城は山城の最高傑作だと。複雑な縄張りで防御力は抜群で日本一だと。昇太さん、それ、上杉謙信の受け売りでは。そこまで太鼓判を押された増山城、大いに楽しみが膨らんできたのでした。
さて、このセンターから増山城までは5kmほどあります。田舎の道を抜けて和田川ダムの横の駐車場に停めていざ登城。
増山城域は広大でしかも見どころ満載で、どこもかしこも素晴らしい遺構続きでした。特に二の丸と安室屋敷との間の大堀切、三の丸の鋭い城壁と規模の大きな横堀、畝状になっている竪堀、等々。
もっとゆっくりと見たかったのですが、一の丸に到達したところで、目の前に大きなカモシカが・・・私をじっと見つめています。危害は加えないだろうと思いつつも、少し怖くなって下山しました。
鳥越城
2023年3月29日
金沢駅からレンタカーを借りて白山市に向かいました。鳥越城へはバスの便が悪く、車を使うしか手はありませんでした。
スタンプは鳥越一向一揆歴史館にて押印。
しかしながら昨年の大雨で、肝心の鳥越城は登城できないとのこと。近くまで行ってみましたが、やはり入口は「立入禁止」の大きな看板がありました。
今度いつ来られるか。残念ですが引き返します。
志苔館
2023年6月25日
東京から新幹線一本で北の終点函館北斗駅そして函館へ。函館駅から志海苔館方面へのバスに乗ろうとしたのですが、いくら待っても来ません。バス会社に問い合わせると本日は臨時運休とのこと。なんでも函館マラソンのコースに当たっており、再開は数時間後になるとのことでした。次の五稜郭の予定もあるのでやむなくタクシーを拾いました。タクシーの運転手さんも事情を話すと気の毒がって、到着地2kmくらい手前でメーターを落としてくれました。感謝。
さてスタンプは志海苔館の休憩小屋のようなところで押印。規模は小さいですが、建物跡や井戸跡、そして土塁と空堀がめぐらされています。とても整備の行き届いた館跡でした。帰りは函館市内に向けて左手に津軽海峡を眺めながら、30分ほど歩きました。そして路面電車線区の東の端の電停にたどり着き、五稜郭へと向かったのでした。
五稜郭
2023年6月25日
日曜日だったせいもあって、函館戦争の舞台は人人人・・・
五稜郭タワーは長蛇の列ができていたので断念しました。ここは高いところから見ないとその良さが判らないのですが、根性がありませんでした。
五稜郭内の函館奉行所跡の前にある売店のようなところでスタンプを押印できました。五稜郭タワーチケット売場でのスタンプ押印は中止となったらしいです。
城巡りは土塁上をぐるっと廻って簡単に終了しました。
帰りの函館駅方面行き路面電車は、途中の電停からは乗りきれないほどの超満員でした。
上ノ国勝山館
2023年6月26日
北海道攻略2日目。函館駅近くからレンタカーに乗って上ノ国勝山館と松前城をめぐるコースへ。
約1時間の走行で上ノ国勝山館の駐車場へ。本日は月曜日の為スタンプが置いてある勝山館跡ガイダンス施設は休館。帰りに総合福祉センター内の教育委員会で押印させてもらいました。
さて、上ノ国勝山館は山側から正面の日本海に向かって連格式的に郭が構成してあり、ちょうど沼津の興国寺城址を思い出させます。空堀の規模などはだいぶ違いますが。蝦夷地でもこのような戦国の山城があったのかと少し驚かされました。遺構整備もよくなされており、とても見やすい城跡でした。
松前城
2023年6月26日
上ノ国勝山館から車で日本海沿いを南下して、約50分で松前城へ。
スタンプは復興天守の松前城資料館受付にて押印。私の次に押印した年配の男性が「フー、やっと終わった。」と言ったので「どうかしましたか?」と聞くと、「いや100名城訪問がここで完結なんですよ。」と感慨深げでした。この会話を聞きつけた受付の女性が出てきて、「おめでとうございます。松前城では100名城登城完了の方には記念写真を撮らせていただくことになっているのですが、時間ありますか?」と聞いていました。その男性は躊躇なく「はい、大丈夫です。」と誇らしげに答えておられました。
さて、江戸末期に建てられた松前城には本丸御門が遺構として残っています。そのほかの建物は近年復興復活のものですが、外堀や石垣がなかなか見ごたえがあります。
根室半島チャシ跡群
2023年6月27日
根室駅のバスターミナルにある観光インフォメーションセンターでスタンプ押印。その後バスに乗り終点の納沙布岬に到着。そのバス停から徒歩約30分で温根元チャシへ。風が強くて飛ばされそうでした。晴れていればおそらく右手に国後島が見えるのでしょうが、あいにくの曇り空です。帰りはバスを待つ間入館無料の北方館という資料館で北方領土の勉強をしました。肝心のチャシ跡は、アイヌの城郭知識に疎い私にとっては、ただののっぱらって感じでした。
松代城
2023年9月10日
長野駅からバスに乗って松代駅というバス停へ向かいました。昔電車が通っていた名残りの駅舎の前で降りてすぐそばの松代城址に登城しました。
正面の太鼓門からは修復工事中で入れませんでした。そこで東側の不明門から入り、本丸跡を散策しました。遺構としてはこじんまりとした土塁や堀があるのみです。
一方松代の町並みは歴史を感じられて風情があります。真田邸や文武学校、佐久間象山記念館など散策が出来て見どころがいっぱいでした。
スタンプは松代城から徒歩で5分程の真田邸受付前のテーブルの上にありました。その横には真田信之の像も設置されています。
城址だけよりも松代城を含めた松代の街全体を巡るのがおすすめです。
上田城
2023年9月10日
日曜日のお昼前、上田駅から徒歩で向かいました。「二の丸通り」という道は思っていた以上に急坂になっており、上田城が平山城であったことを身体で感じます。その二の丸通りを登りきったところ左手に二の丸橋があり、それを渡って上田城二の丸跡に入ります。その橋の上から見る眼下の空堀は迫力抜群でした。
さて二の丸から本丸に入るときに復元された東虎口櫓門を通り、そこを抜けると移築された南櫓があります。その櫓の入場券を販売している場所の外に100名城スタンプが設置されていました。当日は日曜日で団体の方が手に手にスタンプ帳を持って並んでいました。
上田城は本丸内も見どころはあるものの、それ以上に南側の本丸下の尼が淵から見上げる石垣や、その上の南櫓という構図がおすすめです。今は完全に埋め立てられている尼が淵は、往時は千曲川の水が流れ込んでいたところで、天然の堀となっています。
小諸城
2023年9月10日
小諸駅を出てすぐ左側の階段を上り、線路の向こう側に行くと、すぐ小諸城入口となります。徒歩で5分くらいでしょうか。その穴城として有名な三の門をくぐってすぐ左側の徴古館の入り口付近に100名城スタンプが設置されています。
スタンプ押印を終えると券売所で300円を払って懐古園の中に入ります。黒門跡や天守台跡、野面積みの高石垣など見どころはたくさんあります。私が散策していると、武器庫跡の休憩所のところで、10名くらいの有志で草笛の演奏がなされていました。小諸城と草笛の音色はやけに似合いますね。
さて懐古園から線路を渡って向こう側に国の重要文化財の小諸城大手門がありました。えっこんなところに・・・と思うような場所でした。それだけ往時の小諸城の規模の大きさがわかります。
龍岡城
2023年9月10日
小梅線の臼田駅から徒歩で向かいました。田園風景の中、約20分程で到着しました。
スタンプは大手口隣の「五稜郭であいの館」にて押印しました。館の中で説明をしていただいた女性の方が、城跡にある小学校の統合後の廃校、ということを嘆いておられました。
さて城内にある広場の中には、築城時の建物はほとんどないのですが、唯一「台所櫓」であったという建造物が残されていました。函館の五稜郭に比べればその規模は小さいけれど、水堀も土塁もちゃんとあって、フランス式の要塞の形は残っています。
ただ、どうして信州のこの地に、幕末になって築城したのかが、いまだによくわかりません。
春日山城
2023年9月11日
春日山駅から市内巡回バスに乗り春日山下で降りました。そこから西へ200mほど行くと上越市埋蔵文化財センターがあり、ここでスタンプ押印をしました。武者姿の男性が「ようおいでなされました。」と武者言葉で声をかけてくださいました。色々と丁寧に説明を受け、いざ城を目指して出発。
ここから500mほど登ると左に折れる道があり、これが本来の大手道だと記されていたのでそちらに進みました。途中で狸に遇ったりしました。汗だく、藪蚊の大群と闘いながらひたすら登り続け、番所跡、南三の丸、景勝屋敷跡等を過ぎてついに本丸へ到達。汗びっしょりとなりましたが、ここから眺める景色は素晴らしかったです。
帰りはバスのめぐり合わせが悪く、春日山駅までひたすら歩きました。途中休み休みで40分ほどかかりました。疲れました。
高田城
2023年9月11日
上越市のJR高田駅から徒歩で向かいました。駅前通りをほぼまっすぐ東に向かうと高田城にぶつかります。時間は約15分です。
スタンプは高田城の二の丸にある上越市立総合博物館で押印しました。本日は月曜日で休館日ですが、入口のところに「続100名城スタンプは左手のドアのところにあります。」と親切に書かれており、すぐにわかりました。
再建された三重櫓はとても重厚で、写真映えがします。本丸はとても広いのですが北側の半分が学校の敷地になっていました。水堀の規模は大きいです。
鮫ケ尾城
2023年9月11日
JR北新井駅から徒歩で向かいました。駅の待合室に鮫ヶ尾城までの徒歩ルート地図が置いてあり、とてもスムーズに進むことが出来ました。それでも田園風景の中を30分程歩きました。今朝も猛暑。汗びっしょりの道中となりました。
斐太神社の脇の上り坂を進むと「斐太歴史の里総合案内所」があって、ここでスタンプを押印しました。案内所の女性の方と色々と話し込んで、「何とか駅からバスを走らせられないか、市に要望を出しているのですがねえ。徒歩は大変ですよね。」と言っていました。
鮫ヶ尾城本丸へのルートは北コースと南コースがあって、その女性の方は「北コースは近いけれど、南コースのほうが見るところがたくさんあっていいですよ。」と教えてくれて、当然そのコースで臨みました。途中で大堀切等を見ながら約20分で本丸到着。
景虎が自刃して果てた場所にて往時に思いをはせました。帰りは北ルートで下山したのですが、最近できた登山道らしく、遺構は全く見ることはできませんでした。
松本城
2023年9月12日
松本城近くのホテルを午前8時過ぎに出発して城に向かいました。今日も朝から暑い。
大手道から、つまり南側から入り、二の丸を左回りに巡っていきました。今回の目的が松本城の天守と乾小天守、辰巳附櫓、月見櫓の四つの建物が角度によってどう見えるかを写真に収めるというものです。場所によってくっきり4つが見えるときもあり、すべて一直線に並んで一つの建物に見えるときもありました。いずれにしても朝日に映える漆黒の城は格別です。修繕中なのか、月見櫓に覆いがかかっていたのが残念でしたが。
一度城の水堀を抜け、北西にある二の丸御門橋を渡って再度二の丸に入ると、そこは二の丸御殿跡になっています。建物の名称が細かく明示されていて、往時の面影をしのぶことが出来ます。
さてスタンプは9時に開店する松本市観光情報センターで押印しました。年金生活者にとって松本城入館料700円は馬鹿にならず、無料でスタンプが押せるここを選択しました。松本城本丸には何回も若い頃入っていることも今回パスした理由です。
高遠城
2023年9月12日
JR飯田線の伊那市駅近くのバスセンターから高遠駅行きのバスに乗って終点で降りました。そこから徒歩で高遠城に向かいます。約15分歩き大手門跡にたどり着きました。その後は藩校であった進徳館、勘助曲輪跡、三の丸、二の丸、本丸と巡ります。
桜の季節だったらさぞきれいだろうなと思いました。
スタンプは高遠ダム近くの歴史博物館入口前で押印しました。
帰りは高遠ダムの橋を渡り、高遠高校前を通って再び高遠駅へたどり着きました。
高島城
2023年9月12日
下諏訪駅から徒歩で向かいました。途中、今は市街地化された三の丸の手前の水堀、三の丸と二の丸との間の水堀などに立ち止まりながら、本丸に向かいました。本丸の周りを巡る水堀にかかる冠木橋を渡って、その先の冠木門から入ります。駅から15分程です。
スタンプは本丸に入って右手にある復興天守にて押印できました。なぜか入館料が310円という半端な金額でした。
本丸内は小さな公園のようになっています。一番奥は護国神社になっており、その手前に旧陸軍統制派のホープといわれ、相沢中佐に暗殺された永田鉄山の胸像が立っていました。なぜここに永田中将の銅像があるのでしょう。諏訪が地元なのでしょうか。像の周りに説明板などはありませんでした。
武田氏館
2023年9月13日
甲府駅でレンタカーを手配し北へ向う。武田神社の前の駐車場に停めて登城。
訪れた人のほとんどが神社目当ての為であろう、正面の朱塗りの橋から入っていったが、私は東端の躑躅が崎館時代の大手口から入った。堀の東側は大手口の発掘がなされ、大手口公園としてとてもきれいに整備されていた。
スタンプは神社本殿に向って右側の宝物殿にて押印。お守り等を販売していた巫女さんが丁寧に場所を教えてくれた。
そこから神社には目もくれず西曲輪に入り、北側の枡形虎口や南側の虎口を見る。特に北側の枡形虎口は大規模な土塁で囲まれており横矢がかかっていた。
水堀をはさんで南西側には梅翁曲輪というのが住宅街にあって、虎口や松木堀といった遺構が残っているのを確認した。ただ説明によるとこの曲輪は武田家滅亡後の遺構とのことだ。
甲府城
2023年9月13日
水曜日の朝一番で訪れる。今日も朝から猛暑だ。少し歩くだけで汗びっしょりになる。城の清掃をされている男性から「おはようございます。暑いのに大変ですね。」と声をかけられる。「ナンノ、ナンノ、私のほうは趣味ですから。それこそ暑いのにお城の清掃ありがとうございます。」と応えた。
スタンプは南側の入口から入ってすぐ右の管理事務所で押印。
甲府城はどの方もおっしゃるように石垣、石垣、石垣である。特に巨大でいびつな形をした天守台跡の石垣は圧巻だ。櫓などの建物はすべて復元や模擬であるが、石垣を見ているだけで十分満足できる城である。
新府城
2023年9月13日
車で甲府から韮崎に入り、韮崎市民俗資料館でスタンプの押印をしました。
そこから七里岩ルートといわれる道路を北上し、10分程で新府城駐車場につきました。新府城入口を過ぎて200m位のところにあり、着いた時刻は午後3時ころ。工事中で、ダンプカーが駐車場内を何台も出入りしていました。
新府城の看板から上は長い階段があり、神社が見えます。それより100m先にはなだらかに登っていく道があるのですが、進入禁止だと言わんばかりに鎖止めをしているので、神社のほうから登っていきました。これがきつくてきつくて。後でわかったことですが、入城の正解はなだらかな道のほうだったようです。
さて、本丸や二の丸の規模もすごいですが、大手口の丸馬出し、桝形虎口は、武田築城術の典型のようで、見ごたえ十分でした。三の丸や馬出がヤブ化で見えなかったのが残念です。
要害山城
2023年9月13日
武田氏館から車で向かいました。ひたすら上り坂を走り、15分程で要害山下の駐車場に到着。10台ほどのスペースにすでに6台ほど駐車していました。
そこからすぐ城への登り口なのですが、いやはや猛暑の中ということもあり、汗だくだくで登っていきました。地面も少しぬかるんでおり、登山用の靴でないと滑りそうです。途中の井戸跡、何か所もの竪堀や門跡を通って頂上の本丸についたのは40分後でした。この間、人間に一人も会わず。あの駐車していた車の数は何だったのでしょう。
いずれにしても、戦国の人たちはよくもまあこんな厳しいところに築城したものだと、改めて感心しました。
下山しているときに一人の男性とすれ違いました。結局1時間強の間に登城者は2名ということになります。
鎌刃城
2023年10月22日
日曜日の午前10時に米原駅からレンタカーで向かいました。番場宿入口の交差点を左折して旧中山道に入り、500m先右手の駐車場に車を停めて歩きます。100m先左手に重厚な黒塀の源右衛門カフェがあり、その店頭でスタンプ押印。パンフも頂戴したので100円の寄付をしました。
そこから50mほど歩いて左手の細い道を名神高速のほうに向かうと登城口があります。今日はやけに黄色いジャンパーを着た男性が多いなと思ったら、その登城口にも一人。今日は500mもの高低差を走るグレート霊仙マウントレースの日でその誘導をしているとのこと。その方から「これから登城ですか。今年すでに2名が滑落死しているので町はピリピリしています。」との忠告を受けました。70歳代の年配の方だったらしいです。
少し恐怖心を覚えましたが気を取り直して登城開始。山道を駆け降りる元気なランナーと何度もすれ違いながら登ると、北近江の景色もさることながら、大堀切、大石垣、複数の曲輪への石積み虎口など迫力ある遺構に出会えました。
小谷城
2023年10月22日
鎌刃城から車で向かいました。スタンプ設置場所の小谷城戦国歴史資料館前の広い駐車場に停めて、そのわきの追手道入口から徒歩で登ります。獣防ぎの金網の鍵を開けて入っていきます。思っていた以上にきつい登りです。特に石ころが多くて注意しないと足をひねりそうです。500mほど歩いたところに望笙峠という展望所があり、ここで一息つけたのは有難かった。そこから400m進むと番所跡。ここからは楽な道のりになってきます。御茶屋、御馬屋、首据石、黒鉄御門と続き、最も広い曲輪の大広間へと至ります。追手道ではほとんど人には出会いませんでしたが、このあたりでは多くの観光客と行き交います。おそらく番所跡近くの駐車場まで車で登った方々でしょう。
さて、遺構はとても素敵なものばかりですが、特に本丸と中丸との間の大堀切は大変規模が大きくて感動しました。そしてどの曲輪にも野面積みの石垣が組み込まれています。関東の北条氏の城址ばかり巡ってきた身としては、こんな山の上にこんな石垣を組んでいることに驚きを隠せません。やはり戦国期は西のほうが強いし、進んでいたのを実感しました。
玄蕃尾城
2023年10月22日
小谷城から車で向かいました。国道365号等で約40分で到着しました。登城口にある駐車場には車が5台くらい停められるでしょうか。日曜日の15時。私のほかに1台の車が停まっていました。スタンプはその駐車場の端のポスト内にあります。「一人1枚にしてください。」と注意書きのあるパンフレットも入っていました。アンケートノートもあり、本日の欄には一人だけ「神奈川から来ました。素晴らしい城跡でした。」との記載がありました。
さて、登城口から10分程登ると視界が開け、尾根を削り取った幅20m、長さ200mくらいの平場が表れます。ここがパンフに記載された郭1なのかと思いましたが、郭1はもっと先に登場します。いったいこの平場は何なのか、いまだに不明です。それはさておき、虎口郭の折れ、主郭の前後の二つの馬出し、各所の大規模な空堀や高い土塁、どの遺構も技巧的で迫力があります。しかも地元の方の整備が行き届いているのでしょう、とても見やすく、久々に素晴らしい土の城に感動しました。
彦根城
2023年10月23日
月曜日の朝8時前、彦根駅近くのホテルから徒歩で向かいました。初めに旧三の丸に位置する埋木舎や池田屋敷の長屋門を見ます。その後いろは松のほうに向かうと、大勢の高校生が私と同じ方向に歩き、二の丸に入る佐和口門からお城の中に吸い込まれて行きます。そう、彦根東高校は二の丸にあった家老長野伊豆屋敷跡に立地しているのでした。このあたりから見る本丸の腰巻石垣、鉢巻石垣のコントラストは美しい。
二の丸には西郷屋敷の巨大な長屋門、三の丸と南西側で結ぶ京橋御門もあります。特に京橋御門の桝形虎口は迫力抜群で、この中を現代では馬ではなく車が通っているのです。さすが彦根城。二の丸から本丸への西の入口の大手門橋を渡ったところの桝形も負けず劣らず大規模でした。
もう一つ、彦根城入場受付所の後ろにある登り石垣、石垣もこんな使い方が出来るのかとびっくりさせられました。
スタンプは開館の午前8時半を待って、開国記念館で押印しました。国宝の天守には目もくれない彦根城巡りでした。
安土城
2023年10月23日
彦根城から車で向かいました。多くの方がそうしているように、安土城城郭資料館で安土城と観音寺城のスタンプをまず押印してからのんびり登城しようと考えましたが、これが大失敗。本日は月曜日で休館日。外にもスタンプ台が置いている気配なし。約40分の時間のロスをして安土城に向かいました。
城下の駐車場に車を停めて、すぐそばの受付で700円の入山料の支払いとスタンプ押印。有名な大手道の石段を登っていきます。最初に羽柴秀吉邸、その隣の前田利家邸が現れます。この広さの違い。秀吉邸のほうが5倍くらいあるでしょうか。その上の家康邸は工事中の為かよくわかりませんでした。それにしても戦国期の城址の石段はなぜにこのように高さがあるのでしょう。というか、昔の人のほうが足が長かったのではないかと思えて仕方ありません。
さて、有名な天守閣跡はきれいに建物の礎石が残っていて、往時の栄華が偲ばれます。黒鉄門の桝形もよかったです。
帰り道は、案内通りに総見寺の三重塔や仁王門を見ながら下山しました。三重塔は重厚です。
観音寺城
2023年10月23日
安土城を終えて車で向かいました。通行料を600円支払って到着した駐車場は、多くの方がきついと言われた観音正寺に向かう長い石段下でした。覚悟をもって石段を登りましたが、思ったほどのこともなくて10分程で観音正寺境内に到着しました。受付で500円の入山料を支払い、城でも寺のパンフレットでもなく「寄進のお願い」の説明書と振込用紙をもらいました。
スタンプは受付から20m奥の右側の護摩堂入口に置いてありました。
本堂に向かって手前左側、高さ4mほどの大仏の横の細い道から観音寺城本丸を目指します。10分程で本丸に到着。その後下っていく感じで、二の丸、平井丸、池田丸とめぐっていきます。特に写真でもよく紹介される平井丸の虎口石垣は見事でした。
さて池田丸からさらに下ると、観音寺城で最も有名な女郎岩と大石垣が見えてきます。ただ高所恐怖症の私としては大石垣の撮影場所に建っていると足がガタガタ震えてどうしようもありませんでした。新幹線から見るほうがよっぽど気が楽です。大石垣から追手道をどんどん下っていくと20分程で車道に出ます。上り坂のこの車道を300mほど歩くと駐車場に戻ってきます。
八幡山城
2023年10月23日
観音寺城から車で訪問しました。日牟礼八幡の無料駐車場は混みあっていましたが何とか停められました。安土、観音寺ときつい徒歩が続いたので、文明の利器ロープーウエイで楽な登城を行いました。往復料金890円は割と安いのでは。それにしても月曜日の午後というのに観光客がいっぱい。大型バスも何台も停車していて、外国人にも人気のスポットのようです。ロープウエイを降りたところに続100名城のスタンプがありました。
さて肝心の城跡は二の丸は展望館になり、本丸は瑞龍寺という寺になっています。北の丸、西の丸、出丸というこじんまりとした三つの郭は、琵琶湖方面の眺望が抜群です。すべてが観光地化されていますが、唯一本丸を囲む石垣は見ごたえがありました。
一方、私が一番訪れたかった麓の大手道と秀次屋敷跡。なんと大手道自体が通行禁止となっており、鬱蒼とした竹藪をぼーっと眺めるしかありませんでした。何とか近江八幡の礎を作った関白豊臣秀次の居館跡くらい偲ばせていただけないものでしょうか。
伊賀上野城
2023年10月23日
八幡山城を15時前に車で出発して16時20分に到着しました。丸之内の交差点をお城方向に曲がり、観光案内所近くの駐車場に入ろうとすると、係員の方に呼び止められました。「もう終わりの時間ですよ。」「天主閣で100名城のスタンプを押したいんですが。」「ああそれなら16時45分までやっていますからギリギリ間に合いますね。駐車料金は無料にしておきますからね。」という会話があって、ほっとして登城。
まっすぐに復興天守まで行き、スタンプを押印しました。
伊賀上野城といえば何といっても高石垣。本丸の端から石垣を見ようとしても、水堀しか見えません。やはり城外西側の水堀の外に場所を移さなくては高石垣の迫力は拝めません。南側の大手門を出て西に回ろうとすると、ここに大きな壁出現。県立上野高校の広い敷地が行く手を阻みます。やむをえず、高校をぐるっと一周するような遠回りをしてお城の西側の撮影スポットに出ました。できれば城の南の端と高校との間に道があれば、高石垣の最高の撮影スポットにもなるのに、というような不純な気持ちを持ったのでありました。
新宮城
2023年10月24日
新宮市内のホテルから午前8時過ぎに訪れました。石畳の細い急坂を登り、10台ほどのスペースがある駐車場に停めて横の階段を上がります。
新宮城は石垣の城といってよいでしょう。石垣の屏風折れが随所に見られ横矢がかりの防御体制が整っています。松の丸から鐘の丸に入る桝形虎口もなかなかですし、雄大な熊野川を使った船便による荷下ろしをした、という水の手曲輪も貴重な遺構です。
ひと通り城巡りを終えて、車で5分程の阿須賀神社境内にある歴史民俗資料館に行き、スタンプを押印しました。入館料として220円が必要です。駐車は阿須賀神社の砂利敷に5台分ほどスペースがありました。私が新宮城の石垣はいいですね、というと資料館の受付の年配の男性がこんな話をしていました。「私は長年旅行代理店に勤めていて日本中廻りましたが、新宮城ほどの石垣を持った続100名城はないですよ。続の中では一番ですね。」と。同感ですね。
赤木城
2023年10月24日
新宮から車で向かいました。スタンプのある道の駅熊野・板屋九郎兵衛の里まで約50分の道のりでした。スタンプは道の駅正面を入って一番奥においてあり、その横にA4判の赤木城パンフも置いてあります。そこから赤木城跡まで約5km。林道の細い道を登っていきましたが、対向車は全くありませんでした。10分程で到着しました。城の駐車場は砂利敷ですが広くて和式のトイレ完備です。
さて、赤木城は石垣の城です。こんな山奥でも立派な石垣で、こじんまりとした中にも桝形や折れで工夫が凝らされています。主郭の北側は崖になっており、南側に向かって3つの曲輪群を配置して防備を強固にしています。そうはいっても一万の軍勢が押し寄せたらひとたまりもなさそうな規模です。しかしそんな敵が攻めて来るような場所ではない立地でもあります。
帰りに有名な丸山千枚田に寄ろうとしたのですが、カーブの細い下り道に集中して運転していたら、いつの間にか通り過ぎていました。
田丸城
2023年10月24日
赤木城から高速も使って2時間かかって到着しました。玉城インターを降りて市街地方向に走るとすぐ目の前に緑のこんもりとした丘が見え、立派な石垣と白い模擬天守のようなものが見えました。おかしい、ここには天守は存在しないはずなのに。
駐車は玉城町役場の駐車場を使用させていただきました。そして道路を挟んで北側隣にある村山龍平記念館でスタンプを押印しました。
さて、田丸城は意外に規模が大きい城です。現在は本丸、二の丸、そして稲荷神社となっている北の丸が残っているのみですが、御殿跡は玉城中学校に、代官屋敷等の場所は町役場になっています。石垣の規模も大きく、特に二の丸と本丸との間の空堀から見た石垣は圧巻です。
一方、私が特に注目したのは北の丸の北側の大堀切です。深さが10m、幅も10mほどあり、なかなかの規模です。しかもその外側にもう一つ堀が(今は遊歩道になっています)あり、二重堀となっているのです。
いやはや、さすが織田信雄の城だなあと感動いたしました。
松阪城
2023年10月24日
田丸城から車で向かいました。約30分の道のりです。ナビで松坂城駐車場で検索するとお城の北側の広大な市営駐車場に案内されます。もちろん無料です。そこから150mほど歩いて表門跡から登城しました。スタンプはこの表門を入ってすぐ右側の歴史民俗資料館で押印しました。入館料として150円支払いましたが、スタンプだけの方は無料とのことでした。二階は東京深川生まれで松坂育ちの小津安二郎の記念館になっていました。東京物語は何度見ても泣けますね。
さて、松坂城はさすがに蒲生氏郷の城。石垣や虎口の折れが素晴らしい。しかも野面積みもあれば打込ハギ、算木積みもあります。蒲生時代もあれば江戸期に入っての改修の石垣も混在しているのでしょう。
一方、多くの方のご指摘のように、本丸に入るところの白いバリアフリー意識の手すりは何とも・・・。桝形虎口で敵の侵入を阻止することとバリアフリーとがどうも相いれない気がします。歴史を無視していいのなら、いっそのこと石段ではなくスロープにすべきでしょう。
津城
2023年10月24日
松坂城から車で50分ほど走って向かいました。スタンプは高山神社の狭い駐車場に停めて社務所前で押印しました。駐車スペースには「参拝者用」と書かれているため、押印後はすぐに出て隣の市役所駐車場に停めなおし、城巡りを開始しました。最初から市役所駐車場に停めて、高山神社から城巡り、というパターンをお勧めします。
築城の名手藤堂高虎の手による津城は、かつては二の丸、三の丸を含めて広大な城郭だったようです。いまは本丸とそれを囲む水堀しか残っていません。しかも本丸の中は完全に公園化されて、犬の散歩がよく似合う憩いの場になっています。模擬の三重櫓がありますが、従来のものとは違うようです。
ただこの本丸を囲む高石垣は、幅の広い水堀にも生えて迫力があります。石垣下には幅1mほどの犬走りも設置されていました。さすが高虎の石垣です。
現存の城跡はこじんまりとはしていますが、本丸の端には埋み門跡もあり、そこここに往時を偲ばせてくれます。
多気北畠氏城館
2023年10月25日
津市内のホテルを午前8時に出発して車で向かいました。約1時間の道のりです。少なからぬ方々から道が厳しいとのご意見がありましたが、私のルートは道幅も広くスムーズでした。特に国道165号の大三(おおみつ)の交差点から県道15号に入っていくと、そこから20分程JR名松線と雲出川の清流と並行して走ることになり、カーブは多いものの、のんびりとした景色に癒されます。
さて到着すると北畠神社隣りのJA駐車場に停めさせてもらいました。社務所でスタンプを押し、庭園の入館料として300円を払います。その後北畠氏館跡庭園を散策し、その後ろの比高80mのところにある詰城跡を往復しました。山城の霧山城登城は根性がなくて、今回は遠慮いたしました。私には池泉鑑賞の知識は全くないのですが、約850坪の北畠氏館庭園は、越前一乗谷の朝倉館庭園、近江朽木の旧秀隣寺庭園と並んで「日本三大武将庭園」とのことです。
宇陀松山城
2023年10月25日
多気北畠氏館から車で50分の道のりで、道の駅宇陀路大宇陀の駐車場に到着しました。そこから100mほど歩いてまちかどラボでスタンプ押印とパンフレットをもらいます。また街並みの様子やお城への道順等の丁寧な説明を受けました。
この建物の裏口から登城道に入ります。車も通れるような広い道が400mくらい続き、そこから山道を少し上ると南西虎口の雀門に到着します。その手前左側の空堀は迫力がありました。本丸虎口の馬出もなかなか見ごたえがあります。最高地点で最大の郭である本丸の東の端には天守跡も存在します。ところどころに石垣も残っていました。本丸の南側を腰曲輪が巡り、東下には大御殿跡、南東には二の丸も見えます。それらと本丸との間には深い横堀が設置されています。
残念なことに、城巡りが出来るのは本丸のみで、その一段下の腰曲輪や二の丸へは「立入禁止」となっていて、消化不良での下山となってしまいました。ただ、宇陀の町並みは歴史的な景観を残しており、お城と城下町の両方を巡ると、腹の虫も収まりました。
高取城
2023年10月25日
宇陀松山城から約40分の道のり、途中飛鳥寺、高松塚古墳、キトラ古墳といった超メジャーな観光地を横目で見ながら、スタンプ押印場所の夢創館に到着しました。駐車場は隣にありますが、満車の場合80m先左側の伊勢屋屋敷駐車場にも停められます。この道は一方通行です。押印後ナビを壷阪寺に設定し高取城に向かいます。壺阪寺を通過してさらに2kmほどきつい上り坂を走った行き止まりに、5台ほどのスペースの駐車場がありました。ただ5台が全て綺麗に駐車しないと下の崖に落ちそうです。
ここから徒歩で山道を登ること15分、壺阪門跡に到着します。大手門跡、十五間多門跡、太鼓櫓跡を通りながら本丸に入っていきます。門の多くが桝形構造になっており、本丸までには何度も道に迷いそうになります。さすがに日本最大級の近世山城の異名に相応しい威容を誇ります。
残念ながら城巡りに1時間しか与えられなかった私には、高取城を満喫するにはあと何倍もの時間が必要です。次は城下から七曲りや一升坂といった大手道をゆっくりと登ってみたいものです。
大和郡山城
2023年10月25日
高取城から車で1時間強の道のりで到着しました。駐車場がよくわからず、迷った挙句、お城の南西にある市役所の駐車場に停めさせてもらいました。駐車券が発券されましたが、結局2時間までなら無料とのことでした。この市役所敷地内にも、柳御門跡、五軒長屋跡、百寿橋といった大和郡山城の遺構があります。
秋の夕方の15時過ぎ、さてこれから登城と思った矢先、土砂降りの雨が降り出し、なかなか車から出ることが出来ません。やっと小康状態になって、傘をさしての城巡りとなりました。そのようなわけで大きな時間ロスと傘を片手のカメラ撮影の不便さに閉口して、20分程の滞在で終わってしまいました。そのために肝心の追手門、隅櫓や多門櫓などを見ることが出来ず残念です。しかしながら大石垣と広大な水堀は圧巻でした。さすが大和大納言豊臣秀長の城です。
尚、スタンプは城内本丸にある柳沢文庫で押印できました。
駿府城
2023年11月12日
日曜日の午前8時過ぎに新幹線で静岡駅に着き、そこからまっすぐ北に向かって徒歩で向かいました。ゆっくり歩いて15分くらいです。二の丸橋を渡って中に入ります。本丸は犬の散歩が似つかわしい公園になっており、晩年の家康公像もそびえていました。その横には家康公手植のみかんの木もあります。紀州みかんの一種らしく県指定天然記念物となっているそうです。一方、北西端の天守台発掘調査現場は大規模で、5層7階の勇壮な天守がここにあったのだと思うと感慨ひとしおです。東側の本丸と二の丸をつなぐ二の丸水路は折れになっていてなかなか珍しい水路でした。
100名城スタンプは東御門を入ってすぐのところにテーブルの上に無造作に置かれていました。この東御門とその外側の水堀はとても良い眺めです。冷え冷えとした秋の朝、まだ観光客もまばらで、お城の堀の周りを歩くのはとても気持ちの良いものです。
諏訪原城
2023年11月12日
レンタカーにて諏訪原城ビジターセンターに到着。こじんまりとした建物の前の駐車場は約10台ほど停められますが、日曜日の午前10時、ほぼ満車状態でした。男性一人で管理しているこのビジターセンターで、スタンプの押印とパンフレットもいただきました。このパンフレットがとても分かりやすくできています。城の全面図があって番号が振ってあり、この番号通りに進むと、諏訪原城の魅力が満喫できます。
まず最初に現れる迫力抜群の外堀。その次の三日月堀を伴った二の曲輪中馬出。武田特有のこの丸馬出は、そのほかにも4か所ほどに設置されています。本曲輪から眼下に広がる島田市街を眺めると、車で来たために気がつかなかったのですが、相当な高さに築かれた城だと実感します。「武田流築城術を駆使した壮大な山城」という冠に相応しい縄張りでした。加えて、登城通路に敷き詰めてある木片の柔らかさが、諏訪原城を管理する方々の暖かさを感じます。
掛川城
2023年11月12日
諏訪原城からレンタカーで向かいました。30分程で到着しましたが、城の周りの駐車場は日曜日のお昼ということもあって満車状態。やむなく少し離れたお城南側の大手門駐車場に停めました。40分間程で駐車料金は200円でした。
掛川城の南を東西に流れる逆川にかかる大手橋手前に大手門跡がありました。川沿いを歩いていよいよ城内へ。掛川城といえば何といっても現存する二の丸御殿。スタンプはこの中にあるとのこと。410円の入館料を受付の若い男性に支払って、スタンプはどこでしょう、と尋ねます。「順路通りに行けばありますよ。」というそっけない返事。畳敷きの部屋をいくつも超え、やっとスタンプのある場所にたどりつたと思ったら、そこはもうすぐ入口近く。川越城の本丸御殿も最終段階にスタンプはありましたが、係の人がスタンプだけならどうぞ、と差し出してくれたのに・・・。いやいや掛川城のスタッフの男性はそれほど二の丸御殿を堪能してほしかったのでしょう。
高天神城
2023年11月12日
掛川城から車で向かいました。まずはスタンプ押印の為に大東北公民館へ。約20分の道のりです。左右家並みが続く県道を大きな動物が横切ります。なんとカモシカでした。えっ、ここは掛川市内ですぞ。
大東北公民館でスタンプ押印と白黒の高天神城縄張り図、それに「掛川三城ものがたり」というパンフレットをいただき、いよいよ高天神城へ。掛川方面に数百メートル戻った左手細い道に入って、道なりに5分ほど走ると搦手門口の駐車場に到着します。この駐車場が段々畑のように数多くあって、合計で100台は優に停められます。
搦手口門の少しきつい階段を10分程登り井戸曲輪に到着。左に行けば一城別郭構造の本丸のある東峰、右に行けば高天神社等のある西峰。どちらも見どころ満載です。
下城後、浜松城に向かう途中で玉石積みで有名な掛川三城のひとつ横須賀城にも寄りました。
浜松城
2023年11月12日
掛川三城のひとつ横須賀城から海沿いを車で走って向かいました。約50分の道のりで城北東側の浜松城公園駐車場に停めます。ここは90分までは無料です。
日曜日の午後3時。城内は家康人気なのでしょう、人人人。特に団体の観光客が目立ちます。
スタンプは天主門受付で押印できました。靴を脱いで入り、見学料は200円なのですが、「スタンプだけです。」というと料金は徴収されません。天守門内は小さな部屋であり、目立たないので、ここに見学に来る人はあまりいませんでした。
このお城は何といっても様々な色合いを出している野面積みの石垣です。二段三段となっている構造も見栄えがします。復興天守閣には入りませんでしたが、外から見てもなかなか風情がありました。
吉田城
2023年11月13日
近くのホテルを午前7時半に出発し徒歩で向かいました。
本丸の石垣を修復中で、一部通行止めのところもありましたが、二の丸から本丸への土橋から見る空堀と、その先の桝形虎口がなかなか魅力的です。
本丸を巡る空堀は幅といい深さといい迫力抜群でした。本丸から北方向を見ると、城の北を流れる豊川が天然の堀をなしているのがよくわかります。
月曜日の朝、近くの市役所や中学校に向かう人たちが場内を足早に通っていきます。
月曜日はスタンプが設置してある鉄櫓が休館日となっていることもあり、お城のすぐ隣の豊橋市役所東館に入り、13階の展望室でスタンプを押印しました。ここでは午前8時から午後9時までいつでもスタンプが設置されています。
午前8時10分、この13階に私の他に人はいません。この展望室からは、豊川や吉田城全景、豊橋市内がよく見渡せます。
長篠城
2023年11月13日
吉田城から車で向かいました。国道151号を中心に約50分で到着しました。月曜日の午前9時半、長篠城址史跡保存館の駐車場には大型バスが3台も止まっており、小学生や年配の方等の団体客が大勢訪れていました。整列した小学生40人くらいを前に引率の先生でしょうか、こんな発言をしていました。「何年か前まではここに来る人なんか全然いなかった。テレビの影響だろうね。」と。
スタンプはこの保存館の東側の自動販売機横にありました。スタンプ押印は無料です。
長篠城は入口、つまり二の丸から本丸に入る土橋から見る横堀、そして本丸土塁から見るこの空堀は、なかなか迫力があります。本丸南西端から川向うに、有名な鳥居強右衛門の碑がかすかに見えます。
全体的にこじんまりとした城跡で、見学はあっという間に終わってしまいます。
古宮城
2023年11月13日
長篠城から車で向かいました。直線距離では12km強くらいなのに、50分かかりました。間に山が続いているので遠回りが必要だからでしょう。
まず作手(つくで)歴史民俗資料館でスタンプを押印しました。受付の70歳前後の男性スタッフの方がとても親切に、古宮城の行き方と魅力を話してくださいました。ついでに近くの亀山城へも寄ってくれとも。
古宮城の駐車場は神社の入口向こう側に5台分くらいのスペースですが、本日月曜日午前11時過ぎは、私の車のみでした。
神社の階段からが登城口です。少し上ると現れる両袖桝形、その後一城別郭を印象付ける大堀切、主郭や西曲輪にある仕切土塁、西側の丸馬出、等々。どの遺構をとっても技巧的であり迫力があります。いい気になって歩いていると出口がわからなくなってしまいました。方向感覚を失わせる城です。
岡崎城
2023年11月13日
古宮城から車で山道をどんどん下っていく感じで向かいました。約1時間かかりました。
お城の西側の岡崎公園駐車場に停めます。駐車料金は50分間で200円でした。
家康が誕生したという城だけに、平日とはいえ観光客でいっぱいです。
スタンプは天守閣1階のトイレの横にありました。この天守閣の入口が3列に分けられていて、一番左から「スタンプを押すだけの人」「入場券を購入する人」「すでに入場券を持っている人」というように仕切られています。なかなかのアイデアだと感心するとともに、私のように天守閣内部に興味のない人間にとっては、少し差別されている気にもなりました。単なる僻みですが。
さて岡崎城も遺構は少ないのですが、本丸の周りが二重の空堀になっていてしかも規模が大きいのにびっくりしました。水堀の風情もいいですね。
名古屋城
2023年11月13日
岡崎城から車で下道にて向かいました。月曜日の午後ということもあり1時間半かかりました。駐車場は二の丸駐車場へ。70分間の駐車で540円です。30分180円単位です。
スタンプは東門受付にて押印しました。受付のお嬢さんに「スタンプを押したいのですが。」と言うと、「今日は中には入られないのですか。それではスタンプをお貸ししますから、そのあたりの他のお客さんの邪魔にならないようにお願いします。」と言ってスタンプを手渡されました。いやぁ、さすがに天下の名城、御三家の城、受付嬢まで上から目線です。
というわけで名古屋城を外から眺めるわけですが、中に入らなくとも十分この城の魅力が伝わります。東口御門や大手二の門の桝形虎口、正門の櫓門もいいです。東側と北側の境の空堀と水堀のコントラストも素晴らしい。
風の強い一日でした。
大垣城
2023年11月14日
城近くのホテルを午前7時半に出て徒歩で向かいました。
街中の城で、どことなく茨城の土浦城を思い起こさせます。
往時は現在の何倍もの広さの総構えがあったわけですが、今はこじんまりとしています。関ヶ原の戦い前夜に石田三成が入城したころの城の規模は、どれほどのものがあったのでしょうか。
それでも復興天守、東門として移築された櫓門、城西広場にある土塁跡など、魅力的なところも残っています。
スタンプは本来は天守閣1階にあるのですが、今日は休館日の火曜日。8時半開庁を待ってすぐ南にある市役所の6階、文化振興課の前まで行き押印しました。
岐阜城
2023年11月14日
大垣城から車で向かいました。15kmほどの道のりですが、50分ほどかかりました。駐車場は岐阜公園堤外駐車場に停めました。料金は310円です。
そこからロープウエイ乗場まで徒歩3分程。1,100円の往復乗車券を購入し乗車。約4分で到着します。金華山の山頂の展望台からは関ケ原方面、名古屋方面などがよく見渡せます。しかしながら山上の遺構は、これといったものは特に見当たりません。ところどころに石垣が残っている程度でしょうか。
スタンプは模擬天守の1階で200円を支払って押印しました。
一方、ロープウェイで麓に戻ってからのほうが見るべきものがあります。信長居館跡はだいぶ改変はあるものの往時を偲ぶことが出来ます。また北側の道路わきにある長さ100mほどの土塁跡も魅力的でした。
郡上八幡城
2023年11月14日
岐阜城から車で向かいました。下道で1時間半ほどかかりましたが、国道156号を北上すると、蛇行する長良川とそれに沿うように走る長良川鉄道、色づき始めた山々の景色などがとても素晴らしくて、時間の経過も忘れてしまいます。
郡上市内に入ると道はどんどん狭くなり、街中を歩く観光客に注意しながらの走行です。車は40台ほどのスペースのある城山公園駐車場に停め、そこから8分程急坂を登ります。車道を歩くこともできますが、車との接触も気を付けなくてはならないので、近道の急坂がおすすめです。
スタンプは400円の入城料を支払って、天守1階で押印しました。チケット売場の男性スタッフが「ほかでもスタンプを押すのに料金を取っているところありますか?」と聞いてこられたので、「そうですね。区々ですね。観光地化されているところは料金が必要な場合が多いですね。」と応えました。
犬山城
2023年11月14日
郡上八幡城から車で下道を南下して向かいました。約1時間半かかりました。色づき始めた長良川沿いの山々の景色が美しい。
その長良川にかかる犬山市内のライン大橋を渡ってすぐのところにある第一駐車場に車を停めました。駐車料金は300円。
その駐車場の脇の観光案内所でスタンプを押印しました。スタッフの女性の方が親切で、「少し濃いかもしれませんので、この紙を使って試し押ししてみてください。」と言って小さな紙を手渡されました。今までのスタンプラリーの中でこんな対応をされたのは初めてです。国宝犬山城天守閣以上に国宝級の女性スタッフに感動しました。
さて肝心の犬山城。いつものように天守閣のほうには入らず、鉄門でチケットの確認をしている男性スタッフに少しどいてもらって、門の外から天守閣の威容を撮影させてもらったのでした。
小牧山城
2023年11月14日
犬山城から車で向かいました。直線距離は約10kmですが、平日の名古屋方面への幹線道路なので渋滞が激しく、45分を要しました。
駐車場は小牧山城の南に隣接する市役所駐車場へ。もちろん無料です。市役所広報でも駐車を勧めているので堂々と駐車できるのがありがたい。
スタンプは頂上の模擬天守のような歴史館1階で押印しました。ここは本来16時半までですが、当日は訪れる人が少なかったせいか16時15分で閉館となりました。
さて、城跡の見どころは南面の二重土塁ですが、現存ではなく作り直しとか、少し残念です。しかし大手道から頂上に向かって、各所に虎口や空堀が発見できて楽しめます。北側の搦手口まで降りて西側を回る通路は、横堀になっています。ただ旧陸軍がだいぶ埋め立てたとかで往時そのままというわけにはいかないようです。戦国期も近代も戦争に翻弄された城跡でした。
美濃金山城
2023年11月15日
平日の朝7時50分に蘭丸ふるさとの森第1駐車場に車を停めました。30台くらい停められそうなスペースに私1台のみ。もちろん無料。その後、脇の大手道を登城。
10分程で出丸へ。ここも駐車スペースが15台分くらいあります。出丸を過ぎると本丸方面へ向かう分かれ道に小さなボックスがあって、案内パンフレットが入っています。是非これを参考に城巡りをしましょう。
三の丸、二の丸を過ぎてからの桝形虎口がいいですね。本丸まで登る間の石垣群も素晴らしい。ひと通り巡り終わって出丸まで戻る手前、先ほどのパンフ設置のところの車道を左に150mほど歩くと、大堀切があります。この規模は大きい。
帰りは出丸を通らず、蘭丸ふるさとの森公園経由で。色ずき始めた紅葉と人工のせせらぎが清々しかったです。
スタンプはその後、街中の観光交流館で押印しました。
苗木城
2023年11月15日
美濃金山城から車で下道(国道19号)を通って向かいました。1時間20分かかりました。苗木遠山資料館玄関前でスタンプ押印とパンフレットをもらい、もう少し上のお城に最も近い駐車場に停めました。20台くらいのスペースです。もちろん無料。
「続」でもあり、家康ブームとも直接結びつかないのに、観光客でいっぱいです。平日にもかかわらず・・・。
入口すぐの足軽長屋跡からが絶景ポイントということで、皆さんお城に向かってシャッターを切っていました。実は地元の方だろうと思いますが、私に「高森神社のほうへ行かれたらいいですよ。そこからのほうが絶景だよ。」とのアドバイスがあり、細い山道を通って向かいました。足軽長屋からは斜の苗木城、高森神社からは真正面の苗木城、という構図です。
天主展望台からの眺め、馬洗い岩の大きさ、大矢倉の石垣等々、見どころは尽きません。
岩村城
2023年11月15日
苗木城から車で向かいました。麓の岩村歴史資料館に着いたのは30分後でした。ここの駐車場は広々としていて何台でも停められそうです。入館料300円を支払ってスタンプを押印しました。
ここから急坂を25分程登ります。本丸下の出丸まで車で行けますが、ほとんどの方がこの急坂を徒歩で登っていました。
本丸の有名な六段壁は写真映えがします。その周りに複数ある埋門、桝形虎口も素晴らしい。麓の歴史館そばにある太鼓櫓も威厳があります。
しかしながら少し気になる点が。隣の苗木城に比べて訪れる人の少なさ。どちらが100名城なのか、どちらが日本三大山城なのか。私個人的には、じっくりと巡ることが出来てありがたいのですが。
もう少し時間があれば、岩村の城下町も散策したかったなあ。
広島城
2023年12月1日
JR広島駅から徒歩で向かいました。25分ほどの道のりです。私の出身高校がお城の堀を隔てたすぐ北側に隣接しているのですが、高校時代は一度も城内に入ったことはありませんでした。あまりにも近すぎて逆に遠い存在になっていたのでした。
さて今回は南側の二の丸に向かう表御門から入城。この二の丸、二の丸と言う呼び方ながら、位置といい形といい、「馬出し」そのものですね。
この二の丸を過ぎると中御門の桝形虎口を通って本丸に入ります。この桝形の両脇の石垣は何か所も赤くただれていて、原爆の爆風によるものと説明がありました。広島城の他の石垣群も数多く赤茶けたところが見られ、原爆の恐ろしさを改めて実感します。
スタンプは天守閣入口手前のよくわかる場所にポツンと置かれていました。もちろん無料で押印できます。この天守閣はコンクリート製復興天守ですが、落ち着いた色合いで重厚さを感じます。また高校時代はそれほどとは思わなかった水堀の幅にも驚かされます。長いところで80mくらいあります。
岩国城
2023年12月1日
広島城から徒歩数分のところにある広島バスセンターから高速バスに乗って約50分。岩国錦帯橋バスターミナルで降りました。このバスは海抜80mほどの海沿いの山陽道を西に向かうのですが、車窓から見える宮島やカキ筏が浮かぶ初冬の瀬戸内海が美しい。
錦帯橋バスターミナルの切符売り場で「錦帯橋」「ロープウエイ」「岩国城天守入城」の3点セットを970円で購入しました。
私の経験したロープウエイ利用の岐阜城や八幡山城に比しても、この岩国城の3点セット970円はとても良心的な価格設定です。
スタンプは岩国城天守閣入口で押印するのですが、どこにも見当たりません。受付の方に聞くと、「これです。」と窓口で手渡され、「あちらのテーブルで押印して、その後お返しください。」と。窓口内に保管されているとは・・・とても大切に扱って戴いているようです。
岩国城の魅力は何といっても本丸と北の丸との間の日本最大級の空堀と、麓のお土居といわれる屋敷跡でした。
二条城
2023年12月17日
日曜日の午前10時前、地下鉄東西線二条城前駅1番出口を出て横断歩道を渡るとすぐに入城口です。この東大手門の券売所で十数名の列ができていましたが、事前にWEBチケットを購入していた私は、即刻入城できました。入城料は二の丸御殿内に入らなければ800円です。
東大手門を入って左手にある総合事務所のカウンターに、100名城スタンプが置いてあります。
唐門から入って時計回りに二の丸御殿、二の丸庭園、本丸櫓門を抜けて本丸庭園、天守閣跡と、順路に従って巡っていきます。二の丸御殿は内部はもちろん素晴らしいのですが、外から眺める建物も重厚で、堂々とした佇まいを楽しませてくれます。本丸西端の西橋手前の外桝形もしっかり残っており、守りの構築も十分です。
12月中旬の日曜日。東及び東南アジア系と思われる外国人の団体客が多いのですが、私の前を、昭和の名曲「女ひとり」よろしく、物憂げに歩を進める若い美女に目が止まりました。二条城には恋に疲れた女がよく似合う。
大阪城
2023年12月17日
日曜日のお昼前、地下鉄谷町線谷町四丁目駅下車。NHKと大阪府警本部の間の道を歩いて大手門から入城しました。この大手門前の土橋のだだっ広いこと、そこから眺める屏風折の高石垣と水堀、日本一の広さを誇る大手門桝形虎口、そこにある巨大な多門櫓。どれをとっても規模の大きさに圧倒されます。
その後桜門を通って幅20m以上もある空堀を渡り、蛸石のバカでかさに驚いて本丸天守閣へと向かいます。
長蛇の列の券売所を横に見ながら、WEBで600円で購入ししたQRコードを提示して天守閣内に入ります。ここでもまた左側に長蛇の列。これはエレベーター乗車を待つ人たちの列でした。数人の若者が「階段で行こう」と右手を通り抜けていきました。
天守閣内に興味のないひねくれ者の私は、列を横切ってインフォメンションセンターに行き、カウンターに置いてある100名城スタンプを押印して、あっという間にその場を立ち去りました。いやはや天守閣の周りの人だかりは有名神社仏閣の初詣を思わせます。
天守閣裏の山里曲輪から極楽橋、青屋門と抜けて大阪城公園駅へと帰途につきました。
岸和田城
2023年12月17日
南海電鉄岸和田駅南口を出て徒歩10分ほどで入城しました。駅から城までの道が曲がりくねっていてなかなか複雑で、敵を撹乱するような縄張りになっていたことを偲ばせます。
現在は本丸と二の丸のみ残されていますが、往時は相当な広さだったようです。
100名城スタンプは天守閣1階の奥のほうにありました。天守閣への入館料は300円ですが、スタッフの方から「スタンプ押印だけなら無料ですよ。」と良心的です。
この復興天守閣は本来は5層だったはずですが、復興天守は3層になっています。正確さということでは復興ではなく模擬天守の部類に入りますが、どうしてどうして重厚で威厳に満ちた天守閣のたたずまいを見せています。
大手櫓門や本丸隅櫓、幅の広い水堀と石垣下の犬走り、本丸内の御殿跡に作られた八陣の庭の珍しい造り。こじんまりとした中にも色々と工夫を凝らした風情のある城址でした。
和歌山城
2023年12月17日
粉雪の舞う日曜日の16時前、南海電鉄和歌山市駅から徒歩15分ほどで到着しました。
北東側の大手門から入ります。二の丸から本丸に上がるには坂道が緩やかな「表坂」と、急な「裏坂」とがあります。本日だけで4登城目になる私としては、もちろん表坂で登って裏坂で帰る選択をしました。
スタンプは天守閣入口の入館券売所に置いてありました。天守閣入館料は410円ですが、入館しなければ無料で押印できます。
この天守閣下の広場に忍者姿をした若い女性が、「写真を撮りましょうか。」と声をかけてきました。色々聞いてみると和歌山市の委託事業で行っており、無料で城の説明や撮影の手助けをしているそうです。「外国の方が時々チップを渡そうとするので、断るのにひと苦労します。」とそのアルバイトの女性は笑顔で話していました。
和歌山城は大天守と小天守が多門櫓でつながれている連立式天守が魅力的ですが、それ以上に様々な積まれ方が見られる石垣の城という一面も持っています。
洲本城
2023年12月18日
平日の朝6時55分発、高速舞子駅から高速バスに乗り、約50分で洲本バスセンターに到着しました。バスを降りて南東方向に目をやると山の頂上に洲本城の模擬天守が見えます。そこを目指して10分ほど歩くと城下の淡路文化資料館に到着。本来であればここで100名城スタンプ押印ということになるのですが、本日月曜日は休館日。帰りにバスセンター近くの市役所4階の生涯学習課でお借りしました。
さて、洲本城の登り口はこの城下の水堀が切れたあたりの、八幡神社手前の道を登っていきます。途中夢海遊ホテルのほうからくる道とぶつかり、右に行くと西の丸や西の登り石垣方向に行けるのですが、「石垣補修工事の為通行止め、そのまま上に登れ」との看板がありました。でも工事はもっと先のほうなので、20mほど進んで西の登り石垣を確認できました。そこからまた戻って急峻な坂道を10分程登ると八王子神社を抜けて東の丸に到着します。
ここからは武者溜からの東の登り石垣を見たり、各門の桝形虎口を確認したり、日本最古の模擬天守に感動したり、様々な石垣に見とれたり。大満足の城巡りでした。
明石城
2023年12月18日
月曜日の午前11時ころに登城しました。JR明石駅北口を出てすぐのところに明石公園の入口があります。
100名城スタンプは、公園入口の桝形虎口を抜けて右側のサービスセンター入口入って左側に置いてあります。もちろん無料で押印できます。
さて、本丸にまっすぐに行かず、東の端の東の丸方向から巡りました。明石城は平城と思っていましたが、東の丸、二の丸、本丸ともに比高20mはあり、平山城といってもいいくらいの起伏がありました。
東の丸入口の桝形は2か所あり、どちらがメインなのか悩みます。そこから西に向かうと二の丸があります。東の丸と二の丸はちょっとした石垣で仕切られているだけで、わざわざ区別する意味があるのかと疑問が残りました。二の丸から本丸に向けては深い空堀があって、これは納得できます。
現存の三重櫓の坤櫓と巽櫓の景色はとてもいいですね。
隣の姫路城と違って人影はまばらで、のんびりと散策が出来る城跡でした。
姫路城
2023年12月18日
姫路駅から大手通りをまっすぐ15分ほど歩いて入城しました。月曜日の昼過ぎとはいえ、大手前通りを行き交う大勢の観光客、そのほとんどが外国人のように思えました。
大手前通りの途中に中の門の石垣が残っており、中堀跡も確認できました。
さて姫路城は何度訪れたでしょうか。そこで今回は本丸や西の丸には行かずに周りの石垣やら堀やらを見て回りました。
ということで、入城口で本来ならば1,000円を払うのですが、スタンプだけを押印しました。100名城スタンプは入城口の向かって左手の管理事務所に置いてあります。スタッフの女性が親切に応対をしてくださり、パンフレットもいただきました。
本日のメインは黒田官兵衛普請の石垣でしょうか。山里曲輪の石垣にその野面積みが残っています。そこから城の東側を回って途中の水堀や修復後の石垣を確認。天守閣を色々な角度から見てゆくのも楽しいものです。東の端の喜斎門を出て駅に戻ります。
駅までの帰り路は大手前通りの1本東のアーケード商店街。この通りは年末商戦で、外国の方はほとんど見当たらず姫路市民の生活の匂いが感じられました。
赤穂城
2023年12月18日
平日の15時過ぎにJR播州赤穂駅から徒歩で向かいました。駅からまっすぐに伸びるお城通りを10分ほど歩くと旧三の丸への入口大手門に到着します。複雑な折れのある桝形虎口を抜けると大石内蔵助宅、近藤源八宅の長屋門があり、その先は大石神社に行きつきます。その後二の丸に入ってきれいに復元された二の丸庭園、本丸に入って本丸御殿跡の間取復元を巡ります。
多くの建物遺構が現存ではありませんが、本当によく整備されていて、とても楽しくそして興味深くお城巡りが出来ます。特に二の丸南橋の水の手門は水堀自体が桝形になっており、とても珍しい形状をしていました。
また本丸及び二の丸を巡る石垣は複雑な折れが見られ、さすがに山鹿素行の設計で防備が行き届いているなと思いました。
100名城スタンプは本丸門を入ってすぐ左に置いてあります。もちろん無料で押印できますが、16時までに入る必要があるようです。
いずれにしても赤穂城はとてもよく整備された規模の大きな平城であり、赤穂市民の城への強い思い入れが感じられました。
岡山城
2023年12月19日
平日の午前9時ころ、JR岡山駅前から出ている岡電の路面電車に乗って向かいました。3駅目の城下という駅で降ります。乗っている時間は5分ほどでした。下車後徒歩数分で登城口の目安橋に着きますが、その間ビル群の中に埋もれてあちこちに石垣が残っています。宇喜多氏以前の本丸跡の石柱や案内板もありました。
100名城スタンプは本丸に入ってすぐの場所にあります。ほとんどの方が入館チケットを買って本丸内の見学をしていました。「スタンプを押したいだけのですが。」と言うと、女性スタッフが「どうぞこちらへ」と言ってスタンプ設置場所まで案内してくれました。教育が行き届いています。
さて岡山城のピカピカの復元天守閣もとてもいいのですが、国宝月見櫓の渋さ、入口付近のバカでかい鏡石を含めて石垣の素晴らしさも魅力的です。特に、天守閣下の六十一雁木門を支える石垣が、ちょっとした登り石垣のように見えて興味深いです。
多くがビル群の中に埋もれてしまった城跡ですが、残っている本丸周辺だけでも魅力はいっぱいです。
丸亀城
2023年12月19日
平日のお昼前、丸亀駅から徒歩で向かいました。駅に着いた頃から冷たい雨が降り出して、傘をさしての城巡りです。右手に一眼レフを持ち、左手に傘をさして、背中のリュックも濡らさないように行動するのはとてもつらい。ただ、お城の大手門までの10分強の約7割をアーケード街を通れるので、この点は助かりました。
大手の二つの門をくぐって見返り坂を登ります。皆様の投稿ほどには私にはきつくは感じられませんでした。二日前に淡路島の洲本城登城で息を切らしたせいもあるでしょう。
見返り坂終了後は「最短ルート」で二の丸に入り本丸へ。帰りは二の丸から「石垣満喫ルート」を通って下城しました。
天気が良ければ搦手口方向にもゆきたかったのですが、雨には負けてしまいました。
100名城スタンプは天守閣入口で押印しました。200円の入城料を払おうとすると、「スタンプだけなら頂戴しません。」とスタッフの男性が紳士的な対応をしてくれました。
現存天守は貴重ですが、丸亀城はやはり石垣の高さが魅力的です。
冷たい雨の平日が理由でしょうが、滞在50分の間に、10名くらいの登城者にしか会いませんでした。
高松城
2023年12月19日
雨の日の午後2時ころ、JR高松駅東口から徒歩で向かいました。駅から3分ほどで西門に着きます。
この西門で200円の入園料を支払って、同時に100名城スタンプを押印。パンフレットもいただきました。
西門のある二の丸から南に向かうと天守台のある本丸です。二の丸と本丸を結ぶ鞘橋から西を見ると、水堀の向こうに琴電のホームが眺められます。何ともこのコントラストがいい。
さて、天守台の展望デッキから眺めると、城地よりも水面の面積のほうが広くて、日本三大海城と言われる理由がよくわかります。水門が城内にあるのもこの城ならではの特徴ですね。
一方、城内で最も広い面積を有する藩主の住居跡に建てられた披雲閣。大正時代の重厚な木造建築です。それ以上に「高松」というだけあって枯山水の披雲閣庭園の松が素晴らしい。
雨の中、訪れる人はまばらでした。
芥川山城
2024年5月14日
平日の午前10時過ぎにJR高槻駅北口2番乗場から発車する塚脇循環バスで向かいました。スタンプは駅改札口を出て右に10mほど歩いたところにある観光案内所で押印しました。バス乗り場とは逆の方向です。宝くじ売場のような小さなブースで、女性スタッフの方に一声かけて押印しました。
15分ほどの乗車後、塚脇バス停で降りて住宅街を妙力寺方向に向かいます。黄金の里ホームの三叉路を左方向に少し歩くと【三好山へ40分】の案内板が出てきて、そこから登っていきます。この往時搦手口であった塚脇ルートというなだらかな登り道を縄張り図を見ながら行くと、本丸までの間に様々な郭や石垣や土塁、土橋などが現れてきます。芥川山城が3つの大きな山稜に築かれていることが実感できます。案内板通りバス停から約40分ほどで山頂の本丸に到着しました。
帰り道は急坂の大手ルートを選んだのですが、昨日までの雨の影響もあってか、路面が沢のようになっているところが多々あり、そろりそろりの下山でした。
飯盛城
2024年5月14日
JR四条畷駅から四条畷神社に向かい、その裏手から登っていきます。いやはや体力の衰えが隠せない老人にはこの上り坂はきついです。途中で涼しい顔で降りてくる数名の若者に「野崎観音のほうから登ったほうが幾分かはなだらかですよ。」と教えられました。そう言われても今となっては遅い。何度も休憩を取りつつ神社から約1時間をかけて山頂に辿り着きました。汗びっしょりになりました。途中に石垣や堀切や虎口の見どころはたくさんあったのですが、予定より時間がかかってしまい、満足な鑑賞ができませんでした。ただ主郭からの眺望は素晴らしかったです。
さて少しは楽だろうと思われた野崎観音ルートの帰路ですが、下山道を間違えて「竹林ルート」という獣道のようなところを通ってしまい、沢続きで靴がびしょぬれになりながら降りたのでした。
スタンプは大東市歴史民俗資料館で押印しました。野崎観音の下の白い4階建ての立派な建物の中にありました。
スタートから終了まで3時間を要してしまいました。
千早城
2024年5月15日
平日の早朝、河内長野駅前のバス停に出発20分前に着いたのですが、すでに10名以上の列ができていました。皆さん千早城跡ではなく金剛山登山のようです。
金剛山登山口バス停のすぐ先の千早城登城口。600段の階段は決して楽ではなかったものの、15分で千早神社に到着しました。案内板には25分と書いてあったのですが。
見どころは4郭と3郭との間の堀切でしょうか。だいぶ改変されているようですが。それにしても1郭から4郭のとても狭い敷地にどれくらいの兵がいたのか。おそらく数百人でしょうか。戦国時代の城と違ってこじんまり感が拭えません。
帰路は神社手前右手の道から茶宴台経由で金剛山登山道に出て、その道を下っていきます。これから上を目指す何人もの登山者とあいさつを交わし健闘を祈ります。新緑の5月。河鹿の鳴き声が喧しい。
スタンプは終着の山の豆腐店の店先に置いてありました。山城に行くとどうしても靴が汚れてしまいます。この山の豆腐店横に靴の洗い場があるのは何よりも嬉しかったです。
篠山城
2024年5月15日
JR大阪駅を平日の12時7分発、篠山口駅13時23分着。大阪からの電車は有料特急を除くと1時間に1本くらいです。篠山口駅からこちらも1時間に1本のバスに乗り、二階町で下車。乗車賃300円はICカードが使えます。バスが篠山中心地に入ると細い道がクランクしはじめ、城下町の風情が否応なく漂ってきます。
この城の象徴である大書院でスタンプ押印。「スタンプだけなら入館料はいただきませんよ。」とのスタッフの女性の優しい言葉に感謝です。
大手を入ったところの枡形虎口、そして本丸石垣下をめぐる犬走の大きいこと。搦手口の埋門跡。見どころはたくさんありますが、私にとっての一番の魅力は南側と東側の端に残る規模の大きな馬出しです。いざと言うときには相当数の兵力を蓄えられる規模でした。両方とも周りを広い水掘で固めています。
城下町は古民家風の土産物店が賑わっていました。
黒井城
2024年5月15日
JR黒井駅を出て右方向へ。徒歩5分ほどのところにある春日住民センターにてスタンプ押印。スタンプ台の横に並べてあったパンフレットは重厚で、情熱とお金がかかっているなと感じました。「春日」という地名は、この地に生を受けた春日局の名前の由来になったとのことです。
そこから徒歩で8分。小学校の裏手が登城口です。夕方の5時。もちろん熊鈴をチリンチリン鳴らしながら緩やかコースで登り始めました。休み休みで登城すること40分、頂上の本丸に到着。本丸からの眺めは最高です。福知山方面、丹波篠山方面がくっきりと眺望出来て、丹波平定の総大将明智光秀が黒井を最重要視したことが納得できます。三の丸から二の丸へ、二の丸から本丸へと鉄製の階段が作られていました。崩れかかる虎口の保護のためとのこと。地元の関係者のお城愛と誠意に感謝します。
平日の夕刻、頂上でも、登りも下りにおいても誰とも会わず、素敵な山城を独り占めしました。
福知山城
2024年5月16日
平日の朝の8時過ぎに福知山駅から徒歩で5分。市役所裏の現在は公園になっている伯耆丸へ。三の丸とも呼べるところです。この伯耆丸と本丸の間には二の丸があったわけですが、すっかり削られて宅地化され、見る影もありません。しかし伯耆丸に立ってみると、さすが明智光秀の居城、往時の規模の大きさが実感できます。
開城前の福知山城は犬を連れた散歩の人がちらほらといった感じ。落ち葉を丁寧に掃除するお城スタッフの方と朝の挨拶を交わします。城の維持に欠かせない皆様の地道な活動に感謝しなくては。
本丸の周りの石垣は転用石が多いとか。確かに所々に墓石のような文字が刻まれたものも発見できました。コンクリート製とはいえ、全国で9城ある外観復元天守も重厚で、写真映えがします。
スタンプは9時から始まる福知山駅正面の観光案内所で押印できました。
竹田城
2024年5月16日
平日のお昼前、JR竹田駅到着後、荷物を400円コインロッカーへ。平日でも半分以上使用中です。横の観光案内所の女性スタッフからスタンプが押せる場所や登城道の入り口への行き方を丁寧に教えていただき、いざスタート。
竹田駅から駅裏登山道まで8分。そしてそこから25分で城跡入口に辿り着きました。スタンプ押印と自動販売機で500円の入場券を購入します。女性スタッフに「今日は頂上は風が強いので帽子を飛ばされないようにしてくださいね。」との優しいご忠告。確かにここから数分登った頂上は強風でした。
山頂部に石垣を持つ城跡は全国に点在しますが、やはり竹田城を凌ぐことはできません。規模にしろ、美しさにしろ。しかも写真だけでは気付かなかった複数箇所の枡形虎口も技巧的で、守りを固めた城であることがわかります。
いつの間にか時間も忘れて写真撮影をしていたら、頂上に50分も滞在をしていました。
帰路は急坂のある表米神社登山道で降りていきます。確かにここを登っていくには大変だなと感じました。頂上から15分程で竹田駅に戻ってこられました。
出石城・有子山城
2024年5月16日
平日の午後3時前、JR豊岡駅から全但バスで約40分、590円の乗車賃で終点出石に到着しました。支払にICカードが使えないのは辛いです。車内の両替機操作に手間取ってしまいました。
バスを降りてから出石城方向に歩いていくと大きな駐車場があり、その奥に賑わいを見せる観光センターがあります。入口を入ってすぐ右のところにスタンプがありました。
旧三の丸にある辰鼓楼付近は観光客でにぎわっています。私は登城門から入って二の丸、本丸、稲荷門と登っていきましたが、この出石城内では誰とも出くわしません。
稲荷丸先の有子山城登城口までやってきました。雨がポツリポツリと降ってきます。ここ数日連続しての山城登城で疲れのピークを迎えた私は、有子山城登城断念の止むなきに至ったのであります。情けないです。
予定を早めた帰路のバスのため、豊岡駅での電車の待ち時間が1時間余り。バス停近くのたこ焼き屋に入ってかけつけ生ビール3杯。慣れない薄味の関西風のたこ焼きに思いっきりソースをかけてもらったのでした。
鳥取城
2024年5月17日
平日の午前7時25分、JR鳥取駅前3番バス乗場から日交バスに乗車しました。目指す鳥取城のそばには二つのの高校があるので、さぞやこの時間帯は混雑するだろうと覚悟していたのですが、車内はガラガラ。車窓から多くの高校生たちが徒歩で向かっている姿に触れ、わが身のふがいなさを実感したのでした。約10分後170円の乗車賃を支払って西町バス停で下車し、鳥取城北ノ御門跡から登城開始。
体力の衰えを理由に山上の丸登城を最初から諦めていた私は、山下の丸を1時間半をかけてじっくり見て回りました。
戦中の鳥取地震以降修復に修復を重ねられてきた石垣は、どこもかしこも素晴らしい。特に二の丸下の高石垣、北の端の登り石垣は迫力がありました。天球丸下の有名な巻き石垣は、下から見ても上から見ても素敵です。
旧三の丸にある鳥取西高の体育館から高校生の朝の元気な声が響いてきます。
スタンプは仁風閣敷地内のプレハブ施設の中で、開城時刻の9時に押印。
帰路は仁風閣バス停から運賃100円の可愛らしい「くる梨緑コースバス」に乗車しました。
若桜鬼ケ城
2024年5月17日
鳥取駅前7番バス乗場から10時5分発の日交バスで約1時間、730円のバス代を現金で支払って(ICカードは使用できません)若桜駅前で下車しました。
駅前の観光センターでスタンプを押させてもらいました。「荷物を預かってもらえると伺ったのですが。」と尋ねると、若い女性スタッフの方がとても親切に対応をしていただきました。もちろん無料です。こちらが感謝しなくてはならないのに、何度も「ありがとうございます。」と頭を下げられたのには恐縮しました。
「山に登られるのでしたら音の出るものを持っておられますか。」との忠告に従い、熊鈴をつけて八幡広場登城口からスタート。頂上までの40分の間には所々に郭跡の平地があって足を休めることができ、予想していたほどきつくはありませんでした。ただ途中狭い道に左は崖、という状態も多く、足を滑らせないように注意して歩かなくてはなりません。
天守台からの眺望は素晴らしい。三の丸の枡形虎口も技巧的です。
帰路は六角石垣を見る下山コースです。城下町に面した南側以上に、帰路の苔むした北側の石垣群も見ごたえがありました。
帰りは約20分で体育館横に出てきました。
備中高松城
2024年9月8日
日曜日のお昼前、岡山駅西口からレンタカーを借りて向かいました。下道を約30分走って高松城跡駐車場に到着。車は20台くらい停められるスペースに13台か14台ほど埋まっていました。大型バスも1台停車しています。
駐車場からすぐのところに歴史資料館があり、窓口前にスタンプが設置されています。押印していると、係りの方が「どうぞどうぞ、ゆっくりしていってください。」と声をかけてこられます。館内では暑いせいもあって、高松城水攻めのビデオを8人の観光客が真剣に見ていました。私の今いるところは水の中なのか。
高松城跡は思っていた以上に狭い。城跡というより散策公園のようになっています。往時の面影を偲ぶことはできませんが、周りを見渡すと水が溜まりやすい地形だなということは感じられます。
9月とはいえ最高気温34℃の猛暑の中、20分くらいの散策で早々に切り上げました。
鬼ノ城
2024年9月8日
日曜日の13時頃、備中高松城から車で向かいました。細い道の山登りが3kmほど続きます。途中に何か所も待避スペースがあるので問題ありません。下る車が3台、いずれの車も上りの私の車に道を譲っていただきました。
鬼ノ城ビジターセンターの駐車場は2段構えで50台か60台は駐車できそうです。本日は15台くらいが停まっていました。
ビジターセンターの入口でスタンプを押印します。
登城は予定通り西門からスタート。そこから反時計回りに巡っていきます。ごつごつした石が多くて歩きづらいのですが、高低差はあまりありません。あちらこちらの石積みがいい。南門、東門、北門ともに素晴らしい遺構です。有名な屏風折れの石垣は夏草が生い茂っていたせいか、あるいは見る位置を間違えたのか、うまく写真が撮れなかったのが残念です。しかし今から千数百年以上も昔に、このような山の頂上に城壁を作り上げていたとは。古代人の底知れぬ力強さが感じられます。
一周1時間20分ほどかかりました。ただとても整備されていて気持ちの良い疲れでした。関係者のこの整備に感謝して、帰りに200円の寄付でパンフレットを持ち帰らせていただきました。
備中松山城
2024年9月8日
日曜日の午後、鬼ノ城から車で向かいました。下道50分後、城見坂駐車場に到着しました。
駐車場入口で「今日は日曜日なので、車はここまでです。シャトルバスで行くか、歩いていくか決めてください。歩くと40分くらいかかります。」という男性スタッフの説明があり、必然的に往復500円バスチケットを購入して乗り込みました。私の他に夫婦連れ一組。9人乗りのワンボックスカーです。
ふいご峠で下車してきつい坂を15分程歩いて大手門跡に到着しました。枡形虎口と石垣、土塀、三の丸のこの景色はいいですね。
そこから厩曲輪、二ノ丸と登り、本丸手前の受付に到着です。スタンプはこの券売所兼受付の棚の上に置いてあります。本丸内に入らなければ無料で押印できます。猫アレルギーの私は本丸に入らず、少ししゃがんで有名な二層二階の現存天守を撮影します。
二ノ丸に降りて裏に回ると、天守の北側、二重櫓の威容が現れます。
帰りのバス乗り場はすでに10名ほどの列ができていました。1台で回しているので20分程待ちました。
帰りのバスの車窓から野生の猿が数匹道端で動きまわっているのが見え、車内は大騒ぎでした。
津山城
2024年9月8日
備中松山城から車で向かって到着したのは17時50分でした。お城前の今夜宿泊するホテルの駐車場に停めて登城しました。
日曜日とはいえ薄暗くなり始めた場内は人影はまばらです。備中櫓も16時30分で閉館のため、スタンプは受付券売所で押印させていただきました。城内は19時まで。310円の登城料を払って入ります。受付の女性スタッフは「備中櫓も閉まって、それにもうすぐ暗くなるのであまり見学できませんね。」と申し訳なさそうでした。
さすがに日本三大平山城(他は姫路城と松山城)だけに、迫力ある石垣と輪郭式の縄張の規模の大きさに圧倒されます。あちらこちらに配置されている枡形虎口のでかいこと、でかいこと・・・建物は復元された備中櫓のみですが、ほかの建物は必要ありません。春の桜と秋のもみじさえあれば何も加えることはないと思いました。
模擬天守など作らず、備中櫓の復活だけにとどめていただいた関係者のセンスに頭が下がります。
もう一つありがたいのは、我々現代人が登りやすいように石段の横に半分幅の木製の階段を設置してあることです。それにしても昔の階段はどうしてこんなに一段一段が高く作られているのでしょう。
松江城
2024年9月9日
月曜日の午後、月山富田城から車で向かいました。お城近くの県民会館駐車場から徒歩3分で大手門に到着し登城。大手前駐車場は料金が高いと聞いていたので200円の当該駐車場にしました。
月曜日というのに観光客が大勢訪れています。本丸の券売所で680円の入城券を購入して天守閣に入りました。建物内部にあまり興味のない私は、入ってすぐのところに設置してあるスタンプだけ押して退出しました。すると「スタンプだけなら券を買う必要ないのに」と案内のスタッフの方に教えられました。まあ寄付のつもり、ということで。
国宝松江城天守閣は正面からの雄姿もいいのですが、東側の二の丸から屏風折れの石垣越しに見る天守も格別です。また松江神社横の興雲閣という明治期の洋風建築がいいですね。漆黒の和と白亜の洋とのコントラストに魅了される空間でした。
9月なのに今日も猛暑で汗びっしょりで歩きましたが、内堀を行き交う遊覧船は涼味を誘います。乗ってる人は本当は暑いでしょうに。
米子城
2024年9月9日
月曜日の午前10時に車で向かいました。50台くらいは止められそうな米子城三の丸番所跡の駐車場に停めます。もちろん駐車料金無料。この番所の建物内でスタンプ押印とトイレを済ませていざ登城。
通常コースの三の丸から長屋門をくぐって登ります。右手の内膳丸に行く途中の登り石垣は、夏草がぼうぼうでかろうじて形状がわかるといった感じでした。内膳丸を一回りして本丸へ。本丸からの眺望は素晴らしい。ただ大山には雲がかかっていたのが残念でした。
平山城の部類に入るのでしょうが、他の平山城に比してと比高が高いように思われました。本丸までの高さは50mくらいあるのではないでしょうか。
帰りは水手御門から降りていきます。米子城をぐるりと一周した感じで約1時間後に駐車場まで戻りました。途中あちこちに石仏があります。これらをめぐると八十八か所巡りとなってとても御利益がありそうでした。
月山富田城
2024年9月9日
米子城から車で向かいました。約30分で安来市立歴史資料館に到着します。この資料館に入ってすぐのところにスタンプは置いてあります。色々なパンフも頂戴しました。スタッフの方に聞くと2階は有料だけど1階の見学は無料とのことでした。
千畳平、太鼓壇、花の壇、山中御殿、親子観音と順路通りに登っていきます。親子観音の先から急勾配の七曲りに進みます。この七曲りはきついことはきついのですが、綺麗に舗装して階段状になっているので登りやすい道でした。
七曲りを登りきると三ノ丸、二ノ丸、本丸と規模の大きな郭が現れてきます。頂上の本丸まで1時間を要しました。そしてここからの眺めは絶景です。景色を堪能するというより、なんだか自分がこの山陰道を押さえているような錯覚を覚えたのでした。さすが難攻不落の名城です。
帰りは大土塁を見て、その脇から空堀を抜けて、昼間でもほの暗い鬱蒼とした中を降りていきます。あまりこの道は通る人がいないのか、堀尾吉晴の墓までの道のりは薮化されているところも散見されました。御子守口の赤門前に降りてきて歴史資料館の裏手から戻りました。
浜田城
2024年9月10日
江戸期南御殿があったところに建つ、その名も浜田キャッスルホテルに宿泊し、車をここに停めたまま朝一番で向かいました。7時45分に護国神社社務所に着きました。本来であれば8時からなのですが、巫女のような方が「どうぞスタンプ用意していますよ」と親切に誘っていただき押印しました。以前押印された当同好会員の方が不備を指摘されていたスタンプですが、本日は陰影も鮮やかで綺麗なスタンプになっていました。
この護国神社の境内が二の丸です。そこから本丸に行く途中、移築された浜田県庁の門の手前にある司馬遼太郎の「追懐の碑」を読んで少し感傷に浸ります。「花神」という小説は何度読んだことか。
本丸に行く手前に三丸、二丸という帯郭のようなこじんまりとした平場があり、三丸の脇には本丸と同じくらいの広さの焔硝蔵跡がありました。連格式の縄張ですが、出丸などもあって少し複雑です。
帰りは素晴らしい石垣が残る中ノ門を通って大手門跡に出ました。ここが往時の大手道なのですが、薄暗くて寂しいところでした。
津和野城
2024年9月10日
平日の午前中、浜田城から有料道路回避ナビで向かいました。ちょうど100分後に太鼓谷稲荷神社の駐車場に到着。この駐車場は50台くらいのスペースがありました。
そこから50mほど戻ると、登城道入口です。そこから15分程きつい登り道を行くと、リフト降り場と本丸を結ぶ尾根上に到着します。この登城道の途中には出城の織部丸東下に配置された竪堀や帯郭を見ることができます。徒歩は辛いのですが、これを見たくて観光リフトは回避したのでした。
この尾根上道の北の端が織部丸。なかなか広い郭です。その後南側に向かうと大きな堀切を通って三の丸、二ノ丸、三十間台と呼ばれる本丸へと辿り着きます。そして本丸からの眺望は最高です。このような高いところにこれ程の石垣を築く土木力に感心します。郭は本丸を中心に北、西、南へと放射線状に広がっているのがわかります。
同じ天空の城の但馬の竹田城を彷彿とさせます。
9月とはいえ、まだまだ猛暑です。虫よけスプレーをしても何匹ものやぶ蚊が終始私の顔の周りを飛び回っていました。
下山後観光リフト乗場でスタンプ押印。その際、国道9号線上の絶景撮影スポットを教えてもらいました。
萩城
2024年9月10日
平日の火曜日午後、津和野城から下道を通って車で向かいました。70分程の走行時間でした。
萩城旧三の丸にある指月第1駐車場に停めます。40台くらいのスペースに10台ほど駐車していました。
そこから北に歩き始めてすぐに南門があって二の丸に入ります。この南門跡の桝形虎口がばかでかい。しかも石垣のひとつひとつの石の大きいこと。さすが江戸期おとなしくなったとはいえ、外様の雄、毛利家本拠地の城です。
二ノ丸から内堀を渡って本丸跡に入ります。スタンプ押印は入ってすぐの受付兼券売所で行います。ここの受付で220円の入城料を支払って本丸内へ。本丸に入らずスタンプだけなら無料です。
左手に明治初期まで現存していた5層の天守を偲ぶ天守台があります。天守台と堀に映る指月山、なかなかの景色です。
本丸をぐるりと巡った後は、詰城の指月山に登りました。登り口に「頂上展望台なし」という看板があったので眺めを期待しなかったのですが、何と頂上の3つの展望スポットは絶景でした。特に萩の街の地形がよくわかります。
詰城までの往復の40分間で、すれ違った人はひとりだけでした。
大内氏館・高嶺城
2024年9月10日
平日の火曜日、萩城から向かいました。大内氏館跡のある龍福寺の駐車場まで約1時間の道のりでした。駐車場は龍福寺参道とその西の大殿地域交流センターという白い建物との間にあります。15台くらいは停められそうです。
寺域の中にある池泉庭園、石組みのかまど跡などをめぐりました。
ざっと10分程で切り上げ、200mほど西にある大路ロビーに向かいました。ここでスタンプ押印をしようとしたら、小さな張り紙があり、「火曜日は定休日です。続100名城スタンプは歴史資料館で押せます。」とのこと。私の事前の調査では大路ロビーでいつでも押せると思っていたのに。やむなくナビに山口市歴史民俗資料館を設定して出発。10分足らずの走行で目的地周辺に来たものの入口不明。ナビ通りに行くと変な方向に。Uターンを繰り返しながらやっと国道9号からの入口を見つけて到着。スタンプは玄関の外に置いてありました。
なんだかひどく疲れてしまって、しかも寄る年波で、山城めぐりのしっぺ返しが足にもきていて、高嶺城への挑戦は断念したのでした。
郡山城
2024年9月11日
安芸高田市歴史民俗資料館の駐車場に車を停めました。
スタンプはこの資料館で押印できます。
コロナ前にスタンプだけ押しに来ていたので、今回は登城しようと計画を組んだのですが、前日まで月山富田城、津和野城、萩城の詰城である指月城などを登って、相当に疲れがたまっています。しかも9月だというのに30℃超えの猛暑の毎日。
前日宿泊した山口市の湯田温泉の宿で心も体も腑抜けになってしまいました。
山を見つめながら考えた
夏の山路はヤブ蚊が多い
汗を流せば体がくさい
意地を通せば足腰にくる
とかくに山城登りは難しい
というわけで吉田郡山城の登城は取りやめにしました。
引田城
2024年11月4日
祝日のお昼過ぎ、JR引田駅から徒歩で向かいます。本来であれば10分弱で到着する讃州井筒屋敷まで20分近くを要してしまいました。城下町のなごりか駅からの道のりは細い道が入り組んでいて、方向感覚を失って遠回りをしてしまいました。入口右手にスタンプと立派なパンフレットが置いてあります。
井筒屋敷から5分程で引田港側登城口に到着し、遊歩道を登って10分後に本丸石垣にたどり着きます。そこから右手方向へ、本丸、天守台跡、化粧池、引田鼻灯台へとめぐっていきます。引田鼻灯台からの眺望は素晴らしい。遊歩道は岩肌の箇所も多く歩きやすいです。東の丸を過ぎて南二の丸へ向かう途中に大手門跡があります。標識は見当たらなかったものの西下につながる大手道も確認できました。圧巻は北二の丸の高石垣。高さ5m以上の野面積みの石垣が20mほど続きます。最後の北曲輪を通って田ノ浦キャンプ場側登城口に降りていきました。ぐるっと回って50分。
引田城は山城と海城を兼ね備えた城跡でした。
勝瑞城
2024年11月4日
JR勝瑞駅を降りて30分後にまた電車に飛び乗るという無茶な計画を組んでしまったので、スタンプを押すだけのための訪問になってしまいました。
駅から勝瑞城館跡展示室まで片道10分。館跡は祝日だというのに建機が入って池泉庭園跡あたりの整備が行われていました。
2階の入口を入ってすぐのところでスタンプ押印をし、A4判のパンフレットも頂きました。
館の道を隔ててすぐ隣にある見性寺の敷地内の勝瑞城跡には行けずじまいです。後ろ髪を引かれる思いで駅までの道を引き返したのでした。
徳島城
2024年11月4日
祝日の16時過ぎ、徳島駅から徒歩で向かいました。線路わきを歩いて向かっていると、天然の堀をなす寺島川を埋め立てて鉄路を敷いたことがはっきりわかります。5分程で鷲の門に到着し、ここから下乗橋を渡って入城。今は公園になっている広い表御殿跡の中央に徳島城博物館があります。玄関を入ってすぐのところにスタンプが置いてありました。
その後弁天池の後ろから本丸へと向かいます。比高60mくらいとのことですが、石段が連続していて老体には少々きつい。徳島城特有の本丸より低い位置に据えられた東三の丸の天守台を確認して本丸まで登っていきます。この本丸は往時様々な屋敷が備えられていたことを物語るように広大な面積を誇ります。
そこここに残る阿波の青石の渋みがかった石垣がいいですね。本丸の東石垣も素晴らしいですが、西側の弓櫓の石垣も迫力があります。
途中で、散歩中の年配の男性に呼び止められ「我々地元の人間は何とも思わないけど全国から城好きの人がたくさん来てますね。」と。私もそのひとりです。
城内ひとめぐりで1時間ほどでした。
一宮城
2024年11月5日
徳島駅前バス乗り場1番線より6時35分始発のバスに乗って向かいました。運賃は510円。一宮札所前バス停で降りてすぐ先の左手に登城口があります。ここにある赤いポスト内のスタンプを拝借押印。散策用のパンフも頂き登城道を進んでいきました。
比高120mとのことできついことはきついのですが、遊歩道に設置してある階段の幅が狭くとても登りやすい。管理者の方々の思いやりに感謝です。途中途中に曲輪、竪堀、堀切、虎口といった標札があり、写真撮影の手助けになります。それらの撮影スポットに立ち止まりながら15分後に本丸に到着です。
よく写真で見る階段付きの本丸石垣もよいのですが、その右側にそびえる阿波青石の高石垣がまた素晴らしい。
本丸の裏手にまわり、小倉丸手前の鉄塔のある少し開けた場所で私の10m先に野生の鹿が一匹。写真撮影を試みるも逃げ足速く、カメラに収まりませんでした。
小倉丸と椎の丸の間を下っていくと有名な陰滝。数日前の大雨のせいか滝は勢いよく落ちていました。そのまま下って一宮神社の裏手に着いたのは登城開始から50分後でした。
高知城
2024年11月5日
JR高知駅から徒歩で向かいました。約20分の道のり。11月だというのに日中の気温は20℃を優に超え、暑くて上着を脱いで半袖ポロシャツになりました。
追手門を入り、杉の段を北に向かいます。反時計回りに左手に見える石垣群は見事です。三の丸をぐるりと強固な野面積み石垣が巡っています。特に北側のそれは苔むした感じがいい。雨の多い高知では水はけのよい野面積みを採用したとのことです。
らせん状にくるりと回って本丸へ。本丸御殿の受付で100名城のスタンプを頼むとスタッフの女性が出してくれます。天守閣内の見学をしなければ無料です。親切に試し押し用の白い紙片も渡してくれました。
高知城は現存の天守閣や本丸御殿といった建物ももちろん素晴らしいのですが、思っていた以上に石垣の規模と迫力に圧倒されます。
少し時間があったので城を出て南の鏡川方向へ。山内家下屋敷跡の長屋門、板垣退助や後藤象二郎の生誕地、武市半平太受難の地などを見て回りました。高知城の南の街中には幕末の歴史を作った人たちが眠っています。
岡豊城
2024年11月5日
高知城近くの堺町バス停から領石出張所行きのとさでんバスに乗り、南国市の学校分岐バス停で降ります。料金は数日前に値上されて670円でした。しかも渋滞で本来30分のところ45分もかかってしまいました。
バス停から少し上り坂をゆくと高知県立歴史民俗資料館の立派な建物が見えてきます。建物の横には颯爽としすぎてている感の長曾我部元親像が迎えてくれます。資料館を入ってすぐのところにスタンプが置いてありますが、これは別のスタンプで、続100名城スタンプは受付のところで頼んで出してもらうことになります。スタンプ押印後スタッフの女性は私にパンフレットを渡し、まわり方を親切に教えてくれました。「南側のJRの駅のほうにも行けますか。」と尋ねると、伝厩跡曲輪から降りる道を地図を開いて詳細に説明していただきました。
岡豊城は長曾我部の本拠地にしてはこじんまりしていますが、とても整備されていて巡りやすいです。約20分でひと通り見て回れました。
バスの時間遅れが怖い私は、伝厩跡曲輪から徒歩で40分かけてJR土佐大津駅に辿り着いたのでした。
河後森城
2024年11月6日
平日の午前8時前、JR予土線松森駅から徒歩で向かいました。駅の待合室の河後森城ジオラマの下にパンフレットが置いてあり、その中の地図の徒歩ルートに沿って進みます。本来の登城ルートは松野小学校の裏を通るのですが、へそ曲がりの私は小学校を左に折れて永昌寺登城口から登りました。この道は下山ルートと呼ばれるだけに登りはかなりきついです。しかし10分もするとなんと本郭と東第三曲輪の間の虎口に到着してしまいました。U字型の城郭配置のちょうど真ん中あたりにやってきたことになります。ここから本郭を通ってスタンプのある西第十曲輪行きます。スタンプは堀立柱建物の軒下においてありました。
それからまた引き返して本郭を通って東第三曲輪、古城、新城と巡っていきます。
山城とはいえ比高もあまりなく、尾根を削っての曲輪群なので、巡り歩くのに疲れることはありません。本郭、古城、新城の各曲輪からの眺望はいい。土佐方面からの道と宇和島方面からの道がよくわかります。地理的に見ても要衝の地であることがが認識されます。
新城から本来の登城口である風呂ヶ谷駐車場に降りて駅に向かいました。所要50分でした。
宇和島城
2024年11月6日
河後森城のある予土線松丸駅前バス停から宇和島バスに乗って終点の宇和島東高校前に到着しました。因みに運賃は540円。所要時間は約1時間です。予土線の本数が極端に少ないため仕方なくバスを選んだのでした。
宇和島東高校のバス停からすぐのところに搦手口があります。この上り立ち門のところにボランティアと思われる年配のスタッフの男性がいて、私を呼び止めやおら説明を始めました。この門は国内最古の藥医門であること、現在の天守は藤堂高虎時代ではなく伊達家2代藩主宗利が築いたものであること、天守の建物の幅が天守台の石垣より小さい珍しいつくりをしている等々の解説をしていただきました。
さて多くの登城者が駐車場のある北側登城口からきつい坂を登られますが、この南側の搦手からの登城は途中にいろいろな曲輪があるのでとても楽でした。
スタンプは天守の受付で押印できます。「決まりなのでスタンプだけでも200円を頂戴します。」と男性スタッフ。「もちろん、維持費等大変ですからね。」と私。
帰りは急坂が続く北側登城口に降りてJR宇和島駅に向かいました。城内散策で50分、駅まで徒歩で12分でした。
大洲城
2024年11月6日
列車移動の都合で大洲での滞在時間が50分程に限られていたため、JR伊予大洲駅からタクシーで向かいました。本丸のすぐ下まで860円の料金で7分で到着しました。
本丸に連結して右側にある台所櫓入館受付でスタンプを押印。受付の女性スタッフに丁寧に応対していただきました。「入館料が必要ですか」と尋ねると「スタンプだけならもちろん頂戴しません」との返答でした。
台所櫓、復原天守、高欄櫓という連立式建物群は、信州松本城を彷彿とさせます。
帰りは徒歩で駅に向かいました。どうしても肱川対岸から臨んだ全景の写真を撮りたかったので。
やはり川を隔てると、木曽川のそばに立つ犬山城が思い出されます。ただ連立櫓がある分大洲城のほうが見栄えが良いような気がしました。
立ち止まって撮影をしながらだったので、徒歩で伊予大洲駅までは25分かかりました。肝心の城内の滞在時間は15分程でした。
松山城
2024年11月6日
JR松山駅から徒歩で向かいました。南堀端まで約15分。そこからNHKなどがある旧三の丸に入り、黒門口から登城していきます。この道が大手道とのこと。二の丸を過ぎて本丸まで15分くらいの道のりでした。立冬前日の15時過ぎ、半袖ポロシャツでも汗をびっしょりかいてしまいました。
有名な戸無し門、筒井門、その向こうの隠し門を通り、クランクを繰り返しながら本丸に入ります。
本丸の天守入場券売場の横の軒下にスタンプが置かれていました。無料で自由に誰でも押せるような配慮がしてありました。
その後天守の左の乾門方面へ。散歩中の地元の方から「乾門下から見る石垣がいいですよ。」と教えていただきました。
帰りは登り石垣が見たくて県庁方面に降りるなだらかな坂道を下ります。彦根城や洲本城のそれに比べても桁違いの規模の登り石垣でした。
それにしても外国人観光客の多いこと。私の一眼レフが目につくのか、本丸では天守閣をバックに2組の外国人にスマホ撮影を依頼されました。
三の丸からスタートして1時間半の滞在でした。
湯築城
2024年11月7日
松山城下のホテルを午前8時半に徒歩で出発しました。漱石の坊ちゃんの旧制松山中学校(現松山東高校)の横を通りながら9時前に西側の搦手口に到着しました。入ってすぐのところにある湯築城資料館にスタンプがあります。珍しく靴を脱いでスリッパに履き替える資料館です。館の男性スタッフはとても気さくで、私が千葉から来たというと、伊予の守護河野氏の末裔は千葉にもたくさんいますよ、と地名もあげながら教えてくれました。スタンプを押して退出しようとすると、職員が作ったといって兜の折り紙をお土産にいただきました。
城内はこじんまりとしていて、20分もあればひと通り回れるくらいですが、なかなか興味深い施設があります。特に土塁の内部構造をくりぬいて見せているところは勉強になって素晴らしい。
城内で最高地点の本郭の展望台から松山城がはっきり見えます。加藤嘉明が伊予入封時に、新城築城の地を当時は廃城になっていたこの地ではなく松山城の場所にした理由がよくわかります。湯築城は土塁や堀も規模が大きくて立派ですが、何せ山が低すぎます。
帰りは城前の電停から路面電車に乗って松山駅へ。ICカード利用で210円でした。
能島城
2024年11月7日
今治駅前東口バス停から瀬戸内交通バスの大三島線に乗ります。しまなみ海道を通って宮窪町の大島営業所前で降りました。運賃は840円で30分強の乗車です。
ここから漁港の道沿いを20分ほど歩きます。磯の香り、磯野風が心地よい。
到着した村上海賊ミュージアムの受付にて入館料を支払いスタンプを押印しました。入館料は310円ですがイオンカード使用で250円になります。
平日でもあり能島城へは到底渡れるわけもなく、また渡る気もない私は海沿いを歩いて能島城の撮影スポットを探しまくりました。
ところで本丸はこんなにはげ山のようになっていましたか。それとも整備が進んで綺麗になっているのでしょうか。
帰りも大島営業所バス停から路線バスに乗り終点の今治桟橋で降りました。次の目的地今治城に最も近いバス停だったので。
今治城
2024年11月7日
今治桟橋のバス停から昔の舟入あたりを通って徒歩で向かいました。10分弱で今治城の東の入口高麗門跡に辿り着きます。その先の枡形、鉄御門を抜けて二の丸へ入ります。水掘の幅が異様なほど広い。
この二の丸では今夜行われる市川團十郎歌舞伎の準備が行われていました。藤堂高虎とお城と歌舞伎の組み合わせが何とも興をそそります。
天守の観覧受付場所のちょっとした空間の真ん中にスタンプが置かれており、そこで勝手に押させていただきました。受付のスタッフは発券に忙しそうだったので、声をかけられませんでした。多分大丈夫でしょう。
今治城はこじんまりとしてはいますが、水掘りを隔てた天守や山里櫓などの建造物の景色は魅力的です。石垣もその下をめぐる犬走もいい雰囲気です。
30分程城内をめぐり、北西側の山里櫓から今治駅に向かって歩いて戻りました。駅まで15分程の道のりでした。
小倉城
2024年12月9日
師走12月の月曜日のお昼過ぎ、JR小倉駅から徒歩で向かいました。小倉の街は碁盤の目になっているので方向がつかみやすく、約10分ほどで鴎外橋に到着。天然の堀のような紫川を渡って多くの人は左手大手門方向に向かいますが、私は右に折れ、虎ノ門口から入城しました。この枡形虎口の石垣は、ひとつひとつの石がとても大きくて、城主の力を感じさせます。さすが関ヶ原後に40万石で入った細川忠興が手を加えただけあります。
虎ノ門口から北口門、北の丸にある八坂神社から堀端をぐるっと回って西の口門へ。鉄門から本丸模擬天守閣へ。そして帰りながら槻門跡、大手門跡を見ていきます。ゆっくりぐるっと回って30分程の所要時間でした。
スタンプは天守閣近くの土産物店「しろテラス」の入口すぐ左にぽつんと置いてありました。
こじんまりとした城跡ですが、各所の門跡が豪壮で見ごたえがありました。
福岡城
2024年12月9日
市営地下鉄赤坂駅から徒歩で向かいました。改札口を出て地上に出るまでの階段の方向が何回か変わり、車道に出てどちらに行けばよいのかわからなくなってしまいました。あたりを見渡すと、「福岡城方向」というほんの小さな標識がありホッとしました。多くの訪問者はひと駅先の大濠公園駅で降りるのでしょう。
水掘横をしばらく歩き、ここにかかる上の橋を渡ります。上の橋御門跡を通り過ぎて三の丸に入ると、「神様、仏様、稲尾様」の時代が懐かしい平和台球場跡地の広場となります。ここを突っ切って鴻臚館展示館へ。
受付でどこから来たかを記入してスタンプ押印。展示館は年末年始を除いて無休で9時から17時までの営業。入場無料です。
鴻臚館は大河ドラマ「光る君へ」にも刀伊の入寇の回で話題に上っていました。
展示館を出ると広い城内を本丸天守台跡地に向かって歩を進めました。現存する多門櫓はなかなか見ごたえがあります。
本丸を出てからも下の橋に向かって黒田如水の隠居地や黒田節の母里太兵衛屋敷長屋門、名島門、潮見櫓などが点在しています。最後の下の橋御門の桝形虎口は必見です。
帰りは西端の大濠公園駅からの地下鉄に乗りました。
久留米城
2024年12月9日
JR久留米駅から徒歩で向かいました。左手にだだっ広いブリジストンの工場を見ながら歩きます。その名もブリジストン通りには「三の丸跡地」「二の丸跡地」という石碑が建っていました。15分程で本丸大手虎口の冠木門跡に到着します。
17時近くになっていたので、まずは篠山神社社務所にてスタンプを押印しました。マナーの悪い人がいたのか、スタンプは箱の中に見えないように仕舞ってあり、このままではスタンプラリーが続けられないかも、というような注意書きがありました。スタンプを無料で押印させていただいている身としては、少し暗い気持ちになりました。
その後、旧本丸をぐるっと一周します。月見櫓跡、艮櫓跡、乾櫓跡、太鼓櫓跡などを反時計回りに巡りました。
城跡は本丸だけしか残っていないので、ゆっくり回っても30分程で終了です。ただ天保年間の城下町絵図を見ると、大手門が現在の久留米駅あたりにあったことがわかり、徒歩での訪問ゆえか、往時の城域の広さに驚かされます。
鞠智城
2024年12月10日
平日の朝、熊本城近くの通町筋バス停から7時36分発の熊電バス菊池温泉行きに乗り、8時58分に菊池プラザに到着しました。車内は数名の高校生と数名の勤め人で、のんびりとした雰囲気です。
菊池プラザからキクチ観光タクシーを呼ぶと3分もしないうちに来てくれます。「土日は待つかもしれないが、平日はすぐ来れますよ。」との返答でした。帰りのバスに合わせて約1時間後の迎えも頼んでおきました。
約4kmの登り道を5分で到着。9時半開館の温故創生館はまだ閉まったまま。城域を時計と反対周りに歩を進めました。
鞠智城は歴史公園として整備されており、とても歩きやすいです。もちろん建物は近年復元されたものですが、往時のたたずまいを偲ぶことができます。
一方、西の土塁、南の土塁はなかなかの迫力で、防備がしっかりした縄張であることが感じられました。最高地の灰塚からの眺めは素晴らしい。
約1時間の城めぐり後、温故創生館でスタンプ押印。
帰りのタクシーも時間通りに来てくれました。タクシー代は往復2,800円でした。
熊本城
2024年12月10日
鞠智城跡のある菊池プラザからバスに乗って、熊本城・市役所前で降りました。そこからまず市役所14階展望室に行き、熊本城全景を眺めました。あちらこちらにブルーシートや重機が散見されて、復興にはまだまだ時間がかかることが実感させられます。
市役所から堀端に出て、右手に長塀を眺めながら行幸橋を渡ります。渡ってすぐ左手にある城彩苑の一番奥のわくわく座に行き、スタンプを押印しました。スタンプだけなら無料です。
さて、修復途中の臨時通路を大勢の観光客とぞろぞろ歩きたくない私。その旨をスタンプ置き場におられたベテランスタッフに話すと、この城彩苑裏を左手に行き、二ノ丸駐車場から加藤神社を回るコースを教えていただきました。
残念ながら宇土櫓は修理中で写真になっていたし、北十八間櫓や東十八間櫓といった現存建築物は石垣修理のため取り外されていました。
しかし加藤神社から眺める黒塗りの復元大天守・小天守の姿は雄大です。
ぐるっと時計回りに人影もまばらな城巡りをし、最終的には厩橋を渡って路面電車の通りに戻りました。
吉野ヶ里
2024年12月10日
JR吉野ヶ里公園駅から徒歩12分で吉野ヶ里歴史公園センターに到着しました。とても立派な建物の入場券売場の横にスタンプ台があります。
スタンプ押印後460円の入城券を購入して中に入ります。
吉野ヶ里はなんだかちょっとしたテーマパークのようでした。
平日の火曜日の午後2時過ぎ、修学旅行と思われるにぎやかな高校生の団体とも出くわしました。
戦国時代の城跡巡り中心の小生としては、このような弥生時代の環濠集落は残念ながらよくわかりません。
広々とした公園内の南側の南内郭、南のムラ、水田等をぐるっと見て西口ゲートから退出。JR神崎駅へと向かいました。入口の東口ゲート、出口の西口ゲートともに案内のスタッフの方はとても親切で好感が持てました。
神崎駅ロータリーには、吉野ヶ里方向を指さす卑弥呼の像が異彩を放っていました。
佐賀城
2024年12月10日
JR佐賀駅のすぐ隣の佐賀駅バスセンター3番乗場から佐賀城行きのバスに乗り、15分後に到着しました。全国交通系ICカード利用可能で160円です。
鍋島直正公像、現存の鯱の門の弾痕なども見ながら本丸御殿へ向かいます。
現在、佐賀城歴史館になっている本丸御殿跡は外観修理中でした。玄関で靴を脱いで上がり、スタッフの方にスタンプ置き場を聞くと、その場所まで丁寧に案内をしていただきました。入館料は無料です。
歴史館の中は往時の本丸御殿の広い畳廊下や書院などが再現されていました。入場無料なのが申し訳なく感じてしまいます。
本丸しか残っていない佐賀城は30分もあればぐるっと一周できます。南西側櫓門跡に立って南に見える水掘の幅の広いこと。80mくらいはありそうです。
冬の日の夕暮れは早いけれど、何とか色々と写真が撮れました。
名護屋城
2024年12月11日
唐津駅近くのホテルから大手口バスセンターまで歩き、昭和バスの朝6時30分発波戸岬国民宿舎行きに乗りました。7時24分、終点近くの名護屋城博物館前で降ります。料金は960円。全国共通交通系ICカードが使えます。
12月の西九州の地は、やっと陽が昇ったばかりです。
バス停から徒歩3分程で名護屋城博物館前の広場に着きます。
スタンプのある博物館は9時開館。入口の左手に守衛室があり、時間外であればここでスタンプを出していただけます。帰り9時6分発のバスに乗りたい私は、博物館に寄る余裕がないため、守衛室で押印させていただきました。
大手から東出丸、山里丸、水手曲輪、三の丸から本丸へ。本丸の天守台から見る多くの武将たちの陣跡。起伏にとんだ地形は陣を構えるのに最適な場所であることが実感できます。本丸を降りて幅の広い馬道を通って二の丸、弾正丸へ。弾正丸の搦手口から戻って行きました。
総石垣づくりの巨大城郭の名残が今でも十分に堪能できました。
平日早朝の7時半から9時までの間、小鳥のさえずりだけが聞こえる静けさ。誰ひとりとも会わない独り占めの城巡りでした。
唐津城
2024年12月11日
平日の午前10時過ぎ、大手口バスセンターから徒歩で向かいました。
途中、復元された三の丸辰巳櫓や辰野金吾記念館を通りながら、10分程で松浦川を渡る城内橋に辿り着きます。ここを渡って広い駐車場を抜けると登城口にあたる坂口門跡となります。
多くの人がエレベーターではなく石段での登城を選択していました。
小生も紅葉が美しいこの階段を登って二の曲輪への桝形虎口へ、それから本丸櫓門を通って模擬天守へと向かいました。
本丸から眺める虹の松原は最高。
天守閣の1階は無料見学スペースです。スタッフの方にスタンプ場所を訪ねて押印しました。数名の女性スタッフたちの対応はとてもいいし、トイレもすこぶる綺麗です。しかも驚いたことに、トイレの温水洗浄便座の脇に国旗マークの付いた5個のボタンがありました。外国の方向けに使用法が5か国語の音声で流れるボタンでした。
城跡自体も素敵なのですが、唐津駅までの道すがら、石垣をちゃんと保存してある「石垣の道」や、色々な歴史的建物がよく保存されていることに感動しました。
全部で1時間半ほどの滞在でした。
平戸城
2024年12月11日
平日の15時、日本最西端の駅であるたびら平戸口駅、その駅前から西肥バスの「平戸高校行き」に乗車しました。乗客は私ひとり。運転手さんに「平戸城へ行くにはどこで降りるのがおすすめですか?」と尋ねると、「猶興館高校入口で降りてください。」との返答でした。13分後の降車時、その運転手さんに降りた後の登城口の場所まで細かく教えていただきました。片道310円。全国交通系ICカード利用できます。
バス停から斜め向かいの登城口の階段を登っていきます。大手御門、二の大手御門と続く門跡は規模の大きな枡形虎口です。亀岡神社の境内を進み、左へ回って現存する北虎口門へ。この門の近くの石垣に作られた石挟間は珍しくて貴重な遺構でした。
スタンプは天守閣入口の券売機横に置いてあり、無料で押せます。
天守閣の裏側から見奏櫓、懐柔櫓といった復元建物を見ながら下って行き、再び神社境内を突っ切って西口登城口へ降りていきました。
ざっと1時間弱の城巡りです。
帰りは平戸市役所バス停から乗車。
バスを待つ間の40分程、商店街の小さなお茶屋さんでコーヒーや玄米茶を飲みながら、女主人と平戸海の話で盛り上がりました。
基肄城
2024年12月12日
電車とバス利用中心の100名城巡りの小生ですが、大宰府を守る大野城、水城、基肄城の三城巡りだけはレンタカーを活用しました。徒歩で巡る自信がありません。
JR春日駅近くからレンタカーにて8時30分に出発。9時に基山町町民会館にてスタンプを押印しました。スタンプ台の周りには、持ち帰り自由の各種パンフレットが置いてありました。
町民会館から地図を見ながらひたすら登り続け、草スキー場の駐車場に到着。駐車場裏の山道を頂上に向かって歩き始めます。
15分程登ると、タマタマ石や天智天皇欽仰之碑、イモノガンギと呼ばれる空堀群の場所に到達します。このあたりは戦国時代の木山城跡とのことです。そこから北に向かって大礎石群や北の御門を回って戻ってきました。1時間強の道のりでした。
朝の山の天気は変わりやすい。登城はじめは素晴らしい晴天でしたが、徐々に灰色の空になって、雲に浮かぶ天空の城のようになりました。
広大な基肄城跡の山上での滞在に時間を費やしたため、有名な南水門のほうまでは行くことが出来ず終了しました。
水城
2024年12月12日
基肄城跡からレンタカーで向かいました。水城館手前の駐車場に車を停めて館内でスタンプ押印をさせていただきました。
男性スタッフの方が「5分間くらいですので是非紹介ビデオを見ていってください。」と勧められるので、一人で鑑賞し、その後裏山の展望台に登りました。
目の前の道路は車が数珠繋ぎになっています。その向こうは九州縦貫自動車道をトラックが行き交っています。それらを突き抜けるように水城の緑の帯がまっすぐに伸びています。ある意味、近代化された街中で水城遺跡は存在感を示していました。
滞在はほんの10分程でした。
これから大宰府政庁に向かうのには、一方通行の旧日田街道沿いの水城館駐車場からはすぐそばの水城3丁目交差点を左後方に曲がらなくてはなりません。この複雑な五差路の交差点の信号機がわかりづらいので、注意を要します。
大野城
2024年12月12日
水城からレンタカーで向かいました。太宰府天満宮の先を左に曲がり、四王寺林道をひたすら登るコースで進んで行きます。
途中「岩屋城本丸跡」という標識が見えたので、車1台が駐車できるスペースに停めて訪問しました。高橋紹運で有名なこの城、本丸跡の「嗚呼壮烈岩屋城跡」という石碑を拝ませてもらいました。途中の堀切もはっきり残っています。本丸からは眼下に大宰府政庁跡や水城がはっきりと見えます。
その後車を進めると、県民の森センターがあります。平日なのに広い駐車場はほぼ満車です。スタンプはここで押印しました。
ここから北に向かって道は下っていきます。有名な百間石垣のそばには車3台ほどの駐車スペースがありました。百間石垣の道路を挟んで「北石垣へ」という標識が見えたので、きつい山道に歩を進めるも、15分後に見つかったのはほんの少しの石垣群でした。
早朝の降雨のせいか、車に戻った時は靴とズボンのすそは泥だらけになっていました。
この場所を最後に北方向に下って行き、春日市内に戻りました。
古代の大野城より、近世山城の岩屋城のほうが印象に残った城巡りでした。
中津城
2025年3月17日
JR中津駅から12分ほど歩いたところにある西門跡から見学をスタートしました。ここは三の丸の西端にあたり、内枡形になっていました。そこから本丸へと向かいます。模擬天守のほうに向かって歩いていると、そこで作業をしている方から「工事中で入れませんよ」と大きく両腕でバツの合図をされました。残念。仕方なくぐるっと回って川沿いから天守を撮影。黒田時代と細川時代の石垣の違いも確認できました。本来天守にあるはずのスタンプのありかが不明なので悩んでいたところ、この塗りつぶし同好会の投稿記事を見て中津駅南口の観光案内所で押印をしました。
中津の街はあちらこちらに「中津の偉人」というプレートがあって、街自体が活躍してきた出身者に敬意を払っていることがひしひしと伝わってきます。福沢諭吉の生家も含めて約40分の滞在でした。
 
大分府内城
2025年3月17日
JR大分駅から徒歩で向かいました。街中を歩くので信号も多く15分程かかりました。城跡は本丸と二の丸とその周りの水掘りを残すのみで、こじんまりとしています。二の丸は西と東に分かれていて、西の丸のほうでは重機が入って工事がなされていました。これからここに何か施設が建つのでしょうか。
大手門から旧二の丸に入り、天守台跡に登り、その後廊下橋を渡って松栄神社から退出しました。城の北側の旧山里丸にあたる松栄神社から堀を隔てて、現存する人質櫓越しに天守台跡を見る景色は、なかなか趣があります。
100名城スタンプは大手門の門下わきに無造作に置かれていました。
小規模ながらも現存と復元相混じった櫓が点在していて、なかなか見ごたえのある城跡なので、もう少し観光客が訪れてもいいような気がしました。
臼杵城
2025年3月17日
JR臼杵駅に着いたのが17時38分。スタンプ設置場所である観光交流プラザの閉館時刻が18時のため、速歩で向かいました。閉館10分前に着き、スタンプ押印と立派なA4サイズのパンフレットも頂きました。
臼杵城は思っていた以上に規模の大きな城跡でした。西端の古橋を渡って大門櫓から城域に入ります。東端の卯寅口門脇櫓まで直線距離で300m強もありました。本丸手前の深さ10mほどもある空堀や天守台など見どころもたくさんあります。しかも丹生島がかつて海に浮かんでいたということが実感できます。本丸奥の亀首櫓跡から臼杵湾がはっきりと見えます。
お彼岸前でしたが、豊後地方の日の入りは遅い。18時30分くらいまで写真撮影が可能でした。
帰りは卯寅口脇門跡の稲荷神社を下って駅に向かいました。
岡城
2025年3月18日
大分駅前でレンタカーを借りて8時20分に出発。国道442号を約40kmくらい走ります。国道とはいいながら、ほとんど対向車がいないような山道も通って80分後に岡城駐車場に到着しました。
駐車場横の券売所で300円を支払い、パンフと紙の登城手形をいただきました。そしてスタンプを探していると、「これですね。いつも仕舞ってあるんですよ。」と机上から手渡されました。パンフレットには本丸コース40分、西の丸・家老屋敷コース1時間の2コースが記載されていて、私は迷わず後者を選んで歩を進めました。
大手門跡から一番奥の旧大手門の下原門跡までじっくり巡って1時間半を要してしまいました。いやはやひとつひとつの曲輪や石垣の見事なこと。このような城跡を残していただいて、綺麗に整備されている関係者の方に頭が下がります。
別名を舞鶴城や臥牛城というそうですが、確かに俯瞰すると鶴が羽ばたいているような形なので舞鶴は理解できますが、牛が寝そべっているようには見えないですね。もしかして城下から見るとそう見えたのかも。
佐伯城
2025年3月18日
佐伯市歴史資料館の広い駐車場に車を停め、館内でスタンプ押印とA4判の立派なパンフレットをいただきました。パンフ内の地図を見ながら、有名な三の丸櫓門の裏から左手へ、本来の大手道であったであろう「登城の道」を進みます。約15分きつい上り坂を行くと二の丸虎口に到着。そこから西出丸、本丸帯曲輪、本丸、北出丸と遺構が現れてきます、こじんまりとした城域ですが、本丸の石垣や、本丸北側のひな壇の石垣など山頂に構築された石垣群は見る価値があります。特にひな壇石垣は美濃の岩村城を彷彿とさせました。
帰りは、近代に新しく作られたであろう、独歩碑の道を下って行きました。この道は舗装されていて、とてもなだらかです。平日のお昼頃ですが、この道を登る多くの人たちとすれ違いました。
下りは10分程で駐車場に戻ってこられました。スタートから終了まで45分程の城巡りでした。
延岡城
2025年3月18日
3月下旬の平日、16時頃に車で訪れました。コメダ珈琲の後ろに城址公園見学者用の広い駐車場があり、そこに停めて登城開始。駐車場のすぐわきに石垣が残っていて、帯曲輪のような平場がありました。ここは北曲輪跡とのことです。
復元大門櫓から二の丸に入ります。正面に延岡城の象徴である巨大な千人殺しの石垣が見えてきます。この二の丸ではあちこちにテントが張られていました。これからの時期、花見のイベントの準備なのでしょう。全国どこでも街中の城跡とお花見は切っても切れない間柄のようです。
この二の丸のトイレ横の管理事務所前にスタンプがぽつんと置かれていました。
城内の色々な櫓跡をめぐりながら本丸、そしてその上の天守台へと向かいました。天守台は独立した造りになっていて、しかも驚くばかりの広さです。
天守台の先、一段下がった場所に位置する三の丸に寄って、ぐるり場内を一周する感じで駐車場まで戻ってきました。40分程の滞在でした。
佐土原城
2025年3月19日
3月下旬の平日の午前10時に車で訪れました。鶴松館の広い駐車場に停めましたが、館は平日は閉館中。スタンプは向かいの城の駅いろは館内レジ左横に置いてありました。この店は地元野菜が安い。東京のスーパーでは同時期200円以上するレタスが100円で売られていました。
さて、登城は鶴松館の裏手を左のほうに向かって登って行きます。山城にしてはなだらかな登り道で息は切れません。尾根を割って削ったという珍しい大手道を12分歩くと本丸や天守台跡が現れてきます。ただ台風被害の影響で南の曲輪や松尾丸へは通行止めになっているのが残念でした。
帰りは天守台の先から「中の道」で下って行きました。行き帰り所要40分程です。

さて、佐土原城から車で10分程のところに伊東マンショで有名な都於郡城があります。私の個人的意見ですが、なぜこのような城跡が100名城に選定されないのか不思議です。浮舟城の別名を持つ巨大な空堀と曲輪の組み合わせ。
右の写真が都於郡城の本丸と二の丸の間の空堀です。
飫肥城
2025年3月19日
3月の平日お昼前に車で向かいました。飫肥市内の大手門交差点を過ぎてすぐ左手の飫肥城観光駐車場に停めます。駐車場入り口のおび天蔵という天ぷら屋から昼時の香ばしい匂いが漂ってきます。
右手に小村寿太郎記念館、左手に豫章館を見て復元大手門から城内に入りました。この大手門手前の空堀はなかなか見ごたえがあります。枡形虎口を抜けて一段高いところにある歴史資料館でスタンプを押印しました。入館料が必要です。私の前でスタンプを押していた男性は6館共通券を600円で購入していました。私はスタンプ押印が目的なので300円のみ。
広い本丸跡は小学校のグランドになっていました。その奥の旧本丸は深閑としていて気持ちが落ち着きます。その先は鬱蒼とした林となっていて遺構は発見できませんでした。
本来は飫肥市内の歴史巡りをすべきなのでしょうが、天気も良くないし、30分程の滞在で飫肥の街をあとにしたのでした。
志布志城
2025年3月19日
スタンプは志布志城から車で5分程西に位置する志布志市埋蔵文化財センターの玄関入ってすぐのところにあります。
その後、志布志小学校横の麓地区駐車場に停めて登城開始です。この駐車場に到着するまで1本の川なのに2本の橋を渡り、細い道がクランクを繰り返し、いかにも敵をかく乱する造りであるかが実感できます。
さて、大手入口にA4判1枚の紙を小さく折りたたんだ散策マップが置いてあります。これがあるとないとでは大違い。内城は想像以上に規模が大きくて複雑な縄張の城でした。大手口から入って右側の矢倉場という曲輪から東ルートで攻めましたが、その後どんどん奥に入っていくにつれて方角がよくわからなくなって、昨日までの雨でぬかるんでいることもあり、久しぶりに城巡りで怖い思いをしました。途中途中に掲示してある案内図で現在地を確認しながらでないと本当に迷いそうです。
一番奥の大野久尾の曲輪から西側ルートで折り返して本丸を通って戻ってきました。途中の中野久野の曲輪の西側の大堀切には圧倒されます。
4つの城の総称が志布志城とのことで、他の城にも行ってみたかったのですが、内城だけで大満足の城巡りでした。
人吉城
2025年3月19日
3月下旬の平日の夕刻、車で訪問しました。城郭の西側の平場にある武家屋敷跡の歴史館駐車場に停めました。閉館中のその歴史館わきのボックス内に置かれているスタンプを押印。ボックス内には立派なパンフレットもありました。
武家屋敷跡の西の端に復元された角櫓、多門櫓、大手門櫓を見て、平山城に向かいました。建物遺構は何も残っていませんが、水の手門跡、御下門跡、中御門跡などの強固な石垣群は迫力があります。
特に御下門の石垣の上に載っていたであろう櫓門は、さぞや大きかったであろうとの思いがめぐります。
二の丸も三ノ丸もとても広く、護摩堂が設置されていたという最頂部の本丸もよく整備されていました。
想像していた以上に人吉城の遺構には圧倒されました。
何度も大雨で氾濫した球磨川は、今日はとても穏やかで、地元の高校生がボート競技の練習をしていました。
八代城
2025年3月20日
春分の日の朝7時50分、人吉のホテルを出発して車で向かいました。八代までの高速道は、下道が災害復旧工事のため、無料区間になっていました。
到着した8時40分は城の西側にあるでんでん館はまだ開館前です。しかし玄関前にスタンプが置かれてあり、押印させていただきました。
朝陽の逆光を浴びながら本丸をぐるっと一周します。現在市役所になっている旧二の丸から本丸に入る枡形の規模は大きい。しかも石垣のひとつひとつがバカでかくて、城主の威厳が垣間見えます。江戸初期の普請とのことですが、ほとんどが野面積みなのも趣があります。
道路を隔てた旧北の丸にある松井神社横の石垣も素晴らしい。神社の境内は庭園になっていました。
大天守台、小天守台の石垣も迫力があります。
八代城というのは、戦国期の古麓城、織豊期の麦島城、そしてこの松江城との三城の総称とのことです。
三代目の八代城である松江城は石垣が素敵な城でした。
角牟礼城
2025年3月20日
春分の日のお昼ごろに車で訪問しました。駐車場はわらべの館駐車場をお借りしました。スタンプは、このわらべの館のと同じ建物の2階にある豊後森藩資料館で押印できました。
久留島氏庭園を見て、その右奥の末広神社脇の登城道から角牟礼城を目指します。資料館で頂いたマップには、登城道が赤く一直線で描かれています。嘘だろうと思いながらいざ登り始めると、確かに山頂に向かって一直線のきつい登り道が存在しました。これが大手道だったのでしょうか。
3月も終わりに近づいているというのに、まだまだあちらこちらに雪が残っています。二の丸下の穴太積みの石垣がとてもいいです。本丸手前には大手門跡の桝形もありましたが、登り道と逆に向いているので、方角からして少し不思議な感じがしました。
何人かの登城者に出会いましたが、皆さん旧三の丸の駐車場を利用されていました。
往時の武士の健脚ぶりを味わいたい私は、登りに25分、下りに15分をかけて、角牟礼城巡りを堪能したのでした。