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メンバー情報

ID9968
名前百栗ケポ
コメント名城訪問をただの観光に終わらせることのないよう、もらったパンフレットにきちんと目を通し、自分なりに調べもし、印象に残ったことを記しておこうと思う。
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
山形城
2017年5月14日
本丸、二ノ丸、三ノ丸を持つ輪郭式の大きな平城。現在霞城公園となっているのは二ノ丸までだが三ノ丸まで含めた城全体では江戸城、豊臣大坂城、小田原城、名古屋城に次ぐ全国でも5番目の広さとのこと。すごい。本丸一文字門や二ノ丸東大手門の復原は気合が入っている。二ノ丸を囲む堀のすぐ横を山形新幹線が疾走して行くのも見ごたえがある。城内にある最上義光の騎馬像はとてもりりしい。山形鋳物でつくられているらしい。茶道で使われる茶の湯釜のほとんどは山形産の鋳物だという。
新発田城
2017年5月15日
本丸を二ノ丸が取り囲み、三ノ丸が南方につきだしたちょっと変わった縄張。輪郭・梯郭式併用型といい、これには地質が関係しているらしい。
このお城の特徴はなんといっても三階櫓。三匹の鯱が載る丁字型屋根。ユニーク。海鼠壁も美しい。
むかし、辰巳櫓で火事があってその失火の責任を問われて浪人となったのがあの堀部安兵衛のお父上なんだとか。
新発田城にはたくさんの古写真があるとのこと、それらをてがかりにしてさらに復元が進んだらまた訪れたい。
春日山城
2017年5月15日
中世〜近世の山城。石垣は用いられず自然の起伏を活かした空堀・土塁で多くの曲輪を守っていたらしい。天守はなく、周囲に山々に砦や屋敷を築いて巨大な城としての機能を持たせていたとか。これが当時の山城の特徴とのこと。当時として日本一の要害だったとはさすが謙信公。
城内にある春日山神社は上杉謙信がご祭神で、謙信公を深く敬愛していた小川澄晴さんなるひとが明治時代に創建した。その長男が小川未明さんという有名な童話作家で『赤いろうそくと人魚』はよく知られている。
江戸城
2017年5月19日
輪郭式平城または平山城。その大きさというか広さというか、調べてみると群を抜いている。大阪城公園の2倍の広さ、しかしこれは内郭だけの話。外堀まで含めた外郭を地図で見てみると、またの名を千代田城というのがうなずけるまさに千代田区そのまんま。
楠公レストハウスでスタンプを押すといやでも目にはいる楠木正成像は上野の西郷隆盛像、靖国神社の大村益次郎像とともに東京の三大銅像とのこと。
久保田城
2017年7月20日
築城者の佐竹義宣さんは常陸国から転封されて秋田に来たということで水戸城のほうにも名前がある。そんなわけでどちらも土造りのお城という共通点がある。ほかのお城は城主がころころ変わって覚えるのがたいへんだがここは佐竹さんだけ。わかりやすい。ちなみに秋田県知事さんも佐竹さん。
城内に立派な銅像があって、一瞬義宣公かと思ったが、実は義堯公なる人物。久保田藩最後の藩主。侯爵。そういえば武士のいでたちではなかった。
弘前城
2017年7月21日
東北地方唯一の現存天守。現存天守ということで最初に造ってそのまんま、と勝手にイメージしていたがそうではなくて、1611年に五層の天守が造られたが1627年に焼失してしまい、現在の天守は1810年に再建に着手されたものでしかも隅櫓を改築したものだったという。つまり最初の立派なのが16年でなくなっちゃって、つぎの質素な天守を再び得るまでなんと200年近い執念。感服する。おかげでこうして絵になる風景を楽しむことができる。
根城
2017年7月21日
百名城の中のひとつと知らなければこれがお城とは思えなかったろう。時代もこれまで訪れたお城の中でもっとも古い。築城は1334年。城としての役割を終えたのが1627年。パンフレットに「この間300年、ただの一度も落城することのなかった名城です」とある。さらに「昭和53年度から11年間に及ぶ発掘調査とその成果に基づく9年間の復原整備によって完成しました」とある。南部氏も八戸市もすばらしいと思う。
盛岡城
2017年7月22日
不来方のお城の草に寝ころびて空にすはれし十五の心。啄木。
連郭式平山城。「東北ではめずらしく」というフレーズで語られる総石垣造のお城。盛岡は花崗岩の街。盛岡地方裁判所構内にある石割桜も巨大な花崗岩の割れ目からどーんと伸びて見事な花を咲かせる。その前の大通りでくりひろげられる世界一の太鼓パレード「盛岡さんさ踊り」発祥の地とされる三ツ石神社の花崗岩もこれまた見上げるくらい大きくて見事だ。
七尾城
2017年8月11日
守護職や管領の地位にもついた畠山氏の流れをくむ能登畠山氏が16世紀はじめに築いた山城。上杉謙信との戦いによって落城するまでの約170年のあいだには多くの文化人が城を訪れ和歌や連歌の会が催されたという。このことからもわかるように七尾城は単なる立てこもりの砦ではなかった。多数の屋敷が建ち日常的な政治活動や生活の拠点でもある「山上都市」だった。
ダイナミックな石積みは驚嘆に値する。城からの眺めの良さに謙信が「絵像に写し難き景勝」と感想をもらしたとか。
小谷城、観音寺城、月山富田城、春日山城と並ぶ日本五大山城のひとつでもある。ちなみに三大山城で検索すると岩村城、高取城、備中松山城となる。山城は難攻不落である。
高岡城
2017年8月11日
築城は前田利長。利家の長男。数々の戦功を立て富山に隠居。富山大火のあと射水郡関野に城を造り地名を高岡と改めた。1609年に築城し1615年の一国一城令によって廃城。みじかい…。しかし城跡は残り、町民から「古御城(ふるおしろ)」と呼ばれ親しまれたという。加賀藩が保全を図り、明治になったときも服部嘉十郎(江戸明治期の役人・政治家)らの保存活動のおかげで、今もこうして市の中心部にこれだけ広大で緑豊かな公園が存在している。人工的な手が加えられていないため当時の水堀がそのまま満々と水をたたえたまま残されている。
松本城
2017年8月26日
西側、二の丸から内堀越しの眺めが最も有名。大天守に辰巳附櫓と月見櫓が複合し、渡櫓で乾小天守が連結する。この5棟すべてが現存で国宝。本物の黒漆塗。年間維持費は5億とも。姫路城とおなじ五階建ての層塔型天守。しかし戦国時代にあっては珍しいとされる平城。縄張りは本丸を中心に二の丸、三の丸が周囲を取り囲む「輪郭式+梯郭式」。枡形門と三重の水堀で防御を固める。内堀の幅は最大60メートルありこれは火縄銃の有効射程距離を考慮したものだそう。現在の姿への普請と城下町づくりを始めた石川数正から6家23人の譜代大名が明治維新までこの地を治めたという。
丸岡城
2017年10月21日
望楼型二重三階の独立式現存天守。寒い地方なので凍結して割れたりすることのないよう屋根瓦として地元特産の笏谷石製の瓦を使用した。福井市の足羽山で採れるが現在はもう採掘されていない。この石は青緑色だが濡れると深い青色に変化するので城郭ライターの萩原さちこさんは「雨の日に行きたい天守ナンバーワン」とおっしゃっている。
一乗谷城
2017年10月21日
国指定特別史跡。中世から戦国時代にかけての大名の館には共通した様式がみられる。洛中洛外図屏風にみられる花の御所のような方形館だ。ここ一乗谷を治めた朝倉氏の館にも広場や主殿、会所などがあった。そして有事の際のために山城が4つあったという。15世紀後半に築かれ16世紀後半に織田信長に滅ぼされるまで約100年にわたって栄えた。
ほかに方形館といえば武田氏館や足利氏館があげられる。
金沢城
2017年10月22日
梯郭式。平山城。自然石積み、粗加工石積み、切石積みなど多種多様な石垣が現存し「石垣の博物館」といわれる。なぜこのようにさまざまな石垣がみられるようになったかというと、前田利家から始まって3代利常、5代綱紀と改修するたびに最新の技術を取り込んでいったからだそう。
三十間長屋や石川門、鶴丸倉庫が現存している。
菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓が復元されており現代の木造城郭建築物としては国内最大規模とのこと!
松阪城
2017年12月3日
築城の名手といわれる蒲生氏郷が築いた。氏郷は近江国蒲生郡日野で守護大名六角氏の重臣の三男として生まれた。観音寺城の戦いで六角氏が敗れると織田家に仕えるようになり数多くの戦いに参戦しのちに羽柴秀吉のもとでも働いた。
野面積がダイナミックな松阪城。蒲生家に吉祥をもたらす「松」の字と秀吉の本拠地「大坂」の「坂」の字をあわせて「松坂」と名づけたという。
氏郷が手がけた二本松城でも豪快な石積がみられる。氏郷が最後に城主になったのは会津若松城だった。
ちなみに「築城の名手」で検索すると藤堂高虎や加藤清正、黒田官兵衛の名が出てくるが個人的にはこの蒲生さんが気に入っている。
伊賀上野城
2017年12月4日
忍者の里伊賀国の中心地上野城下町。はじめ筒井定次が城を構えていたが徳川家康の時代になると今治から藤堂高虎が移ってきて30メートルの高石垣をつくるなど大改修を行った。豊臣秀頼にそなえるため五層の大天守も計画されていたが暴風雨で倒壊、そうこうするうちに大坂夏の陣で豊臣家が滅びたので城普請は中止された。以後城代家老が執政を行った。
現在の復興天守は地元の名士川崎克氏が私財を投じてつくった。伊賀文化産業城と称する。
周囲は上野公園として整備されておりこの地出身の松尾芭蕉をまつる俳聖殿がある。
千早城
2017年12月15日
楠木正成の城。元寇後、鎌倉幕府の力が弱まると西国を中心に悪党勢力が強大になっていった。彼らの本拠は山中で、ゲリラ戦を得意とした。山城が生活の場とも戦時の拠点ともなった。幕府転覆をはかった後醍醐天皇は悪党勢力の統率者であった正成を重用した。正成は幕府の大軍を相手に山上から矢を射、巨石や巨木を落とし夜襲をしかけるなどして善戦した。
千早赤阪村は大阪府にある村。周辺の自治体との間で何度か合併話があったようだがまとまらなかった。府内初の過疎地域に指定されてもいる。
あの大阪に村?と驚いたが逆に誇っていいと思った。事実「大阪府唯一の村」と胸を張っているし「身近な秘境」「感動に出会える風景」と銘打っている。足を運んでみるとまさにその通りである。
高取城
2017年12月15日
古代において都があった飛鳥と離宮のあった吉野とを最短で結ぶ交通の要衝を抑えるため地元の土豪越智氏が拠点にしていた。最初は支城にすぎなかったが織田信長による城割の命により大和国では高取城が残された。大和国を治める筒井順慶が、のちに羽柴秀長が、その後本多氏が大改修を行った。本多氏が断絶したあとを継いだ植村氏は将軍家光から必要なときにはいつでも勝手に城の修理を行ってよいという特別待遇を得、明治維新まで十四代にわたって植村氏による高取藩が存続した。
廃藩置県により廃城となったが明治20年頃までは天守など主要構造物は残っていたらしい。しかし人里離れた山頂にあったため管理されず自然崩壊したとのこと。
和歌山城
2017年12月16日
羽柴秀長が創建し、関ヶ原で功績をあげた浅野幸長が大改築を行い、その後徳川頼宣が御三家にふさわしい大改修を行った。石垣として秀長は緑泥片岩を、幸長と頼宣は和泉砂岩を、のちの徳川吉宗は花崗岩を使ったため城内には3種類の石があり、また積み方も野面積、打込接、切込接と入り交じっている。
緑泥片岩の石垣は徳島城も有名。
津山城
2018年3月19日
築城者「森忠政」。そんな名前は知らなかった。しかし森蘭丸という名前は知っていた。このひとは蘭丸の弟なのだそうだ。
本能寺の変のあとずっと秀吉方だったが関ヶ原の戦いでは東軍として戦功をあげた。それでここに城を建てた。当時は五重の層塔型天守があり70棟以上の櫓がひしめき建っていたらしい。この数は広島城や姫路城より多いとか。
このお城の見どころである備中櫓、なぜ美作国なのに備中なのか、忠政の娘が嫁いだのが鳥取藩主池田備中守長幸で長幸が津山城を訪れたのを機に建造されたから、なのだそうだ。
復元されたのがなぜ天守ではなく櫓だったのか。シンプルだった天守より生活空間として活用されていた櫓のほうが面白そうだからか、それとも資料の関係か、あるいは予算の都合か、よくわからない。
B'zの稲葉浩志氏は津山市市民栄誉賞第一号。
街なかを歩いていて時々河童のオブジェを見かけた。市内を流れる吉井川によく河童が出没するのだそう。市内循環バスのことを「ごんごバス」というのは津山では河童のことを「ごんご」と言うかららしい。
福山城
2018年3月19日
天守は層塔型。重要文化財として伏見櫓や筋鉄御門あり。市制50周年記念事業として天守、御湯殿、月見櫓を建造。こういうことは公式ガイドブックやパンフレットに書いてある。
福山城、福山市と聞いてもそれがどこにあるのか知らなかった。新幹線駅があると聞きそれならそこそこ大きい都市なのだと思った。調べたらすごかった。人口で広島県内第二位。中国四国地方でも第五位。備後都市圏の中心地。たしかに福山は安芸国ではない。
高速道路で緑と赤のラインが入った「福山通運」のトラックを見たことがあったがあれはやはり福山市に本社を置く運送会社なのだった。
ガイドブックに福山が載っていないなと思ったがでんと載っている「鞆の浦」は実は福山なのだった。
ゆかりの有名人を調べたら宮澤喜一、井伏鱒二、小林克也、世良公則などなど多数いた。
おお、ぜんぜんお城と関係ない…。
備中松山城
2018年3月20日
「大松山」「天神の丸」「小松山」「前山」の四つの峰からなる臥牛山全域に建てられた備中松山城。鎌倉時代に始まる歴史を持つ。それゆえ中世の山城に近世の天守をいただくユニークなお城になった。
明治の廃城令後、何度も競売にかけられ7円(現在の5万円)で落札。取り壊す費用もなく放置されひっそり荒廃していった。
おかげでこうして残りました。
築城者の中に小堀遠州という人物がいる。風流な名前だと思ったら茶人、書家、作庭家としても有名な文化人らしい。二条城には遠州が手がけた庭園が残っているとか。
鬼ノ城
2018年3月20日
7世紀後半の白村江の戦いで倭国が敗れたあとその防衛のために古代山城は築かれましたと大野城や基肄城などの説明があり、それらと同様の文脈のなかにこの鬼ノ城も載っていると、ここもそうなのかと思いそうになるが実際に訪れてみるとこんなところで唐・新羅連合軍を防衛できるのかなと首をかしげる。
別な説としてヤマト政権が地域支配を目的に築いたとの見方があるという。そっちかもねと思う。吉備地方はむかし、かなり強い国だったみたいだし。