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メンバー情報

ID9717
名前一丁目一番地
コメント訪れるごと 城は様々な表情をみせてくれ 興味は尽きない。
仏さまも 十一面観音菩薩では十一のお顔をお持ちになられている
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
中城城
2018年1月13日
99/沖縄
今帰仁城
2018年1月14日
98/沖縄
曲がりくねった長大な城壁「大曲」世界遺産。
首里城
2018年1月15日
100/沖縄
2019年10月31日 
これが首里城の見納めか 瞼に確りと焼き付けよう メラメラと紅蓮の炎に包まれる姿に涙が零れ落ちる 城とはこういうふうに焼け崩れるのか 戦国時代でなくとも落城は訪れる。「現存12天守」というが 地元民達が親子何代かで守り続けてきた価値を改めて感じさせる。
最近暖かさ求め 年明けに毎年「沖縄の城巡り」楽しんでいた(スタンプ関係なく)。来年も三度目を予定だったが 南国の青い空と朱色鮮やかな守礼の門 今暫らくは控えよう。
2019年11月6日
昨日より首里城公園の無料区域の開放 世界遺産「園比屋御嶽石門」観光可能。
二条城
2018年2月24日
53 二条城 京都 国宝6棟
現存隅櫓二つ 二の丸@西南隅櫓(二重二階 石落とし付 重文)と 東大手門近くのA東南隅櫓との違い 西面に洒落た向唐破風 江戸城桜田巽櫓よりも大 江戸よりも勇壮。
彦根城
2018年3月3日
50 滋賀

天守国宝1 重文5 天守/附櫓・多門櫓 (付櫓の複合式天守 直接天守に入城)
解体寸前が尽力あり現存。
琵琶湖周辺廃城より資材調達 天守は大津城から 近辺に良城あった。
珍しい重文現存「馬屋」は21頭収容 猿の飾り 犬猿の仲と聞くけれど馬と猿は相性が良いのかな。
天守最上階に洒落た華頭窓(唐様の高貴な山形窓)をその下にも使用。最多18か所とは煌びやかです 現存天守最多破風 懸魚梅鉢。天秤櫓右石垣牛蒡積「鉢巻腰巻石垣」。
5人ぐらい隠れる入母屋造「破風の間」戦国ドッキリの部屋。「現存・旧西郷屋敷長屋門」
彦根城・松山城に登り石垣(それで登り息苦しいのか 未登城の洲本城にもあるという)
2019/9/3
世界遺産 200年以上平和な江戸時代 世界でも稀な安定した社会維持統治期(姫路城は木造建造物傑作、城郭建築最高)「江戸時代」強調で世界遺産登録推進室は登録最短5年後を目指す。我々は忘れた頃だけど旨くアピールあれ。
江戸城
2018年3月7日
21 
地震の間があるそうですが拝見したい。
国立歴史民俗博物館所蔵「江戸図屏風」の天守は寛永天守。
天守は明暦の大火で1667焼失。外枡形の桜田門は空襲逃れた。櫓(伏見櫓 桜田巽櫓)城門(外桜田門 清水門 田安門)。
現存唯一三重櫓「富士見櫓」は天守代用。石垣には「鉢巻石垣」が多いようです。
大地と谷の縄張 内堀で最高所は半蔵堀。
岡山城
2018年3月13日
70
宇喜多氏築 秀秋改修 更に池田氏も改修。
守りの要 櫓が多かった。51基で堂々の2位。「岡山城正保城絵図」(国立公文書館内閣文庫蔵)やはり有力大名。ちなみに1位は毛利氏築 福島正則改修 安芸広島城所絵図で76基(二重櫓35)。3位は水野氏の備後福山城絵図で45基。
昭和20.6/29岡山空襲で旧国宝天守・旧国宝石山門焼失。免れた「月見櫓」は現存国重文(本丸北西 元和・寛永に4代池田忠勝築)。もう一つ現存国重文「西の丸西手櫓」(一二階同じ大きさの「重箱櫓」)は岡山城から西300m内山下に 慶長8年1603藩主代行池田利隆(姫路城主池田輝政の子)建てた。51基のうち2基が生き残った(現存畳櫓は臼杵城)
天守内に「城主の生活の間」遺構再現。
大阪城桜門枡形「蛸石」は池田忠雄岡山藩主担当で備前の花崗岩 畳36畳分だとか。
岩国城
2018年3月23日
74
石垣と塀に狭間ある二重狭間塀。
津山城
2018年4月3日
67 /岡山
スタンプはいかなる場合も「縦」に置くこと。
係りの方が注意深く観察されています。横置きするなどもってのほか。
なぜなら横の部分が摩耗するから。

総石垣 平成17年築城400年記念「本丸備中櫓」木造復元。層塔型の天守には破風なく攻防戦では銃が撃ちやすかった。
そういえば何度訪れても「もう退散しよう」モードがおこる。
城下町から眺める備中櫓を心にとどめよう これが落ち着く。
岡崎城
2018年4月13日
45/
岡崎城下町築いた田中吉政は関ヶ原功で筑後柳川城へ。
柳川舟下りで侍の像を見かけたが田中吉政だったのかな。岡崎から九州へ。
姫路城
2018年5月10日
59
文化財保護法の国宝指定第一号
世界遺産は@姫路城A二条城B琉球王国の城 まだ増えるかな彦根城どうだろうか。
姫山の天守は池田輝政 鷺山の西の丸は本多忠政。歴代の合作ワンチームで名城となる。
中村重遠陸軍大佐は(同時に名古屋城も)破壊から2城救う。「城文化遺産の父」有難い。
門が沢山あるが見学者は二の丸 安土桃山様式の「菱の門」冠木の花菱楼門から入る。
現存二重二階門は「ぬ」門。
根室半島チャシ跡群
2018年5月15日
1北海道

最後にと思ったが チャンスあり 行ってみよう。
同じ道内でも 「根室チャシ」 松前城 五稜郭と様々。ここは「チャシ跡」。
「アイヌの聖地」 写真映しても後で見分けがつきにくい。説明版で助かる。
「ノッカマ1・2号」整備されているが 風吹きすさぶ日は危険 崖に面し 時を選びそうな城跡 空から眺めてみたい 縄文・弥生時代の城 。
温根元チャシ跡も面崖式 小高い丘と漁港から 両方臨む 私有地には配慮。古墳・飛鳥・奈良・平安時代を思い起こそう。納沙布岬も近い。
せっかくだから開拓使根室牧畜場跡「明治公園」にも イギリスを思わせる。
スタンプ「根室市歴史と自然の博物館」。

釧路にもあるのです。釧路市内見渡せる丘に「モシリヤ チャシ」。春採湖「チャランケ チャシ」。釧路史跡北斗遺跡展示館。
(根室の宿 料理は美味しい 目玉は花咲ガニ)
根室良し 今年の歳暮は根室の鮭送ろう。
松山城
2018年5月21日
81/愛媛 
「春や昔十五万石の城下かな 正岡子規」
愛媛に松山・湯築・今治・大洲・宇和島と百名城が5城。 
しかも現存12天守は愛媛松山・宇和島 高松丸亀 高知と四つ 城の宝庫。
車でしまなみ海道から全日空ホテル泊。城も近い。車は城駐車場に。
東雲口から ロープウェイが便利。帰りはリフトにしよう(これで平山城とは)。
まず大手門跡から写真移す。登り石垣は彦根/洲本城も。
迷路のような城 時間は多めにとってください、帰りは迷いますよ。
スタンプは天守入口 靴は土足箱へ。時代劇にでてきそうなカッコイイ城。山の高さ姫路城三倍。夜空のライトアップ見逃せぬ 桜の時期良し。
楽しみ与えてくれる城 又 来よう。(松山・姫路・和歌山城は三大連立平山城)
やはり 帰り迷い 駐車場に行けず。ロープウェイ駅から左へ出てしまう、そのまま真っすぐ横断歩道渡り 右へ 角を左 次の角左 ややこしいですね。本丸正面は筒井門。
駐車場は近い。
堂々の現存12天守入り これには語るも涙聞くも涙の 歴代殿様のご苦労があったそう(26年かけた五重天守焼失 幕末に三層三階地下一階再建)
金沢城
2018年6月11日
35
見逃してはいけない江戸時代からの現存門・石川門二重櫓は菱櫓(平面歪む台形)。
江戸期の現存最大土蔵「鶴丸倉庫」も。
石積み技術の秘伝「後藤家文書」。
鶴ヶ岡城
2018年7月10日
108 山形
本丸 二ノ丸 三の丸 輪郭式。
二本松城
2018年8月15日
11 福島
刃持つ少年たちの像が痛々しい。ここは激戦名残の城。
登りも健脚向きとそうでない2コースあり。健脚コース選んだが本丸まで夏場には心臓破り やはり山城は酷暑避けたい。天守台で背伸びすれば夏空に手が届きそう。
会津若松城
2018年11月7日
12 福島
雪対策の赤瓦はいつ眺めても美しい。白銀に煌くころも良し。
会津120万石上杉景勝が伊達対策として 直江兼続に 会津若松城より大な「神指城」を築かせたが米沢転封で幻の城。
松江城
2018年11月23日
64/島根 
2015/平成27年 63年ぶり国宝は慶長16年の祈祷札再発見が大。
「望楼型天守」4重5階 二階建ての入母屋造の上に 二階建て建物。
平成29年2017 松江市で家康築城頃の「江戸城最古級絵図」発見。
天守付櫓内に入り口を狙う仕掛けは「狭間」何だかドキッ。
座喜味城
2019年1月27日
199/沖縄
松が珍しい
勝連城
2019年1月27日
200/沖縄
高いところに城があった
鳥取城
2019年3月4日
63
戦国時代は山頂 山上の丸 本丸に天守が聳えていた(落雷焼失)。近世では麓の山下の丸に三階櫓。久松公園から容易に想像できる。この堀の向こうは城下町だろう。

城主吉川経家公や 陣城太閤ヶ平の羽柴秀吉も見た風景。

東大の「赤門」は加賀藩前田家の江戸屋敷御守殿門だが 東博(「東京国立博物館」)の「黒門」は鳥取藩池田家の江戸屋敷表門。共に重文。そういえば 最近「東博」に行ったが立派な門があったようです。今度機会あればとくと拝見させていただきます。共に名門の藩は東京に「黒門・赤門」と名門がございます。もっと早く知っていれば。
鹿児島城
2019年3月8日
火災焼失の国内最大級の御楼門は2020年復元予定。
一乗谷城
2019年3月10日
37/福井
よく整備をしている、背後に四つの山城もあった。
岸和田城
2019年3月16日
161/大阪府
昭和20年代 市民の寄付で天守復興。
熊本城
2019年3月29日
92/熊本

水戸岡鋭次氏デザイン路面電車【cocoro】と遭遇。
熊本城壁イメージの濃茶メタリック。「心 浮き浮き!」
城内は桜見たけなわ お弁当美味しそう ひとつ下さいな これは冗談。
加藤神社境内からの天守 ズームアップ写真が。
選挙立候補者の出陣式が賑やか「いざ出陣!」
「賤ヶ岳の戦い」では「七本槍」の一人 加藤清正築く名城。
佐々成正の後に小西行長と入城 小倉から細川忠利が、11代240年。明治に新政府軍が籠城したが西郷軍に持ち堪えた茶臼山の堅城。
(清正「扇の勾配/武者返し」と忠利の二様なる石垣に注目)
荻生徂徠の「鈴録外書」では 築城名手加藤清正・藤堂高虎普請による城の三名城(三大名城ではあらず)は熊本城・大坂城・名古屋城。
天守全体は21年春公開目指す(復旧計画は20年)。
奇跡の一本石垣は飯田丸五階櫓と戌亥隅。
晩年の宮本武蔵は細川忠利公(母はガラシャ夫人/明智光秀の娘)お抱えの武術家で 武蔵塚公園には武蔵像 日本庭園奥に武蔵が眠る武蔵塚。熊本に年貢納めたか。
岡城
2019年3月31日
95/大分

雄大な阿蘇 九重連峰にふさわしい城である。
石垣を上り詰めると二の丸に朝倉文夫作・滝廉太郎像も九重連山を背景にしている。
中川覚左衛門屋敷跡の遺構で少し遊べた。
ここは頼朝に追われた義経を迎えるため 郷土の武将緒方三郎惟栄が築城したとも。
近く友達が「能と謡の会」で「田村/屋島」の舞台を踏む 今頃はねじり鉢巻きで猛練習しているだろう。
プログラムに「船弁慶」が、船で西国(博多方面)へ落ち延びる義経一行に平知盛の亡霊あらわれ義経が海に沈められそうになる、弁慶が数珠を鳴らし祈祷続けると悪霊は遠ざかり、再び一行は頼朝から逃れる旅に、これはあくまでも物語ですが。やはり九州目指した。
4/7日曜は第71回「岡城桜まつり」、
大名行列が岡城本丸下から出発 武者行列が岡城中川但見屋敷跡から出陣 シャトルバスや臨時駐車場も設けられますが交通規制も入ります。
71回も続いていらっしゃる 誇るべき ようこそ春薫る町へ。
大分府内城
2019年3月31日
94/大分

石田三成の妹婿 福原尚孝てがけ臼杵城移封後は竹中重利が。
お堀の外をぐるり廻ったが 現存は人質櫓と宗門櫓だけ。
西之丸と北之丸を結ぶ橋はただの橋で無く「廊下橋」という。
小舟で渡る緊急避難路(水手口)は寛保の大火では幕府より拝領した大切な書類ご朱印を舟で運び出せた。(昭和20年の戦災では着到櫓を焼失)
海を背に水で守られた堅城。
石垣に沿い細い道がある、一見「犬走り」かと思うがこれは間違い。
当時の絵図には残っておらず 石垣補修に明治以後築かれた。これをご存知な方はかなりのお城通です。
しかしこの陽気に猫が散策している、犬走りに猫の闊歩とは 愉快でたまらない。
ここはお犬様の通り道です。
桜桜桜が満開で シート広げた花見客が所狭しと楽しんでいる。
人と猫 弥生の空に映える桜とのコラボレーション。
中津城
2019年3月31日
191/大分
城内の砂ぼこりが春風に舞い上がる。
まず城外にて 鳥居の外側堀へ 何でもないようなこの石垣が「黒田氏の貴重な残存石垣」。

黒田孝高が秀吉から12万石拝領し築城。関ヶ原後 細川忠興 小倉城と並行し中津城大改築 完成後は三男忠利に小倉城譲り中津城隠居。後 徳川の小笠原氏 奥平氏入封。
天守建てられなく 昭和39年に奥平昌信が本丸北東隅に模擬五重天守 南側に復興二重櫓。ご先祖様の思いは昭和に叶えられ良きご子孫をお持ち。

城内にやたらと神社ある、中津大神宮 中津神社 城井神社。
城井谷の宇都宮家は鎌倉時代より400年豊前国を統治していたが 鎮房公は黒田親子に敗れた。弱き者汝の名は その後黒田長政は思うところがあり境内に城井大明神祀る。現在は「城井神社」。弱いものを倒しお殿様になる、これが戦国時代の方程式。長政の支城は豊前側にあるが麻底良城だけが豊後側に。黒田節母里友信は黒田六端城の高取城。

毎年5/21「たにし祭」。
避けて通れぬ「長篠の戦」奥平の軍勢はタニシで食を持ちこたえた。
北門の山国川に水位測る測水標設置 日本量水標の初め。三大水城。
小倉城
2019年3月31日
181/福岡

昨日天守オープン 土曜で桜祭りもあり飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ状態。
手元に「小倉城天守観覧記念」350円の入場券がそのまま残っている。入館4時半までのギリギリに飛び込んだので係の人も忘れたのだろう。
2階は細川家や姻戚の小笠原家、 3階には舟島「巌流島の戦い」の宮本武蔵・佐々木小次郎を紹介。細川藩時代の剣術指南役は佐々木小次郎で、小笠原藩の家老伊織が武蔵の養子だった。
「吾家は小笠原家に遺し 吾技は細川家に遺す」と7年間小倉で過ごす。案外処世術にたけていたのかも。九州で骨を埋めた晩年九州男児。
エイヤーと木刀を振りかざしていた方がいたが、私最近目が悪くなったのか、うら若き乙女でした。別に女性が木刀を手にしてもおかしくないのだけど、ストレス発散に良いかも。南蛮造天守は高松城も。

毛利氏が築城 石垣は切り石を使わず城東の足立山からの自然石(野面石) これが堂々たる風格で細川忠興公のご自慢だったとか。新年号の足音が聞こえる今もよく調和しております。
山中城
2019年4月10日
40 静岡
障子堀といえば山中城 綺麗に復元されている。小田原北条氏の城を思い浮かべるが他にも発見されていた。平成15年/2003 豊臣大坂城の発掘調査で発見。

 
松代城
2019年4月11日
26/長野

川中島決戦で誕生した武田信玄の城 
綺麗に太鼓門 北不明門 土塁が復元されている。
長大な土塁の上を歩いてみたくなった。しかし歩かない。遺構は大事にしなくては。
遮るものは無く見晴らしは良い、「海津城」名の石碑は信玄の意地か。
本丸戌亥隅櫓台の野面積み石垣は大きさ色々で 初期のころか。
信玄後、織田・上杉・豊臣・徳川家臣。
1582年には信長家臣森長可(森蘭丸兄)しかし本能寺の変で60日で退却。
1600年家康は森忠政(森蘭丸弟)。海津城を待城(まつしろ)に改名。
1622年真田昌幸長男・信之、明治維新まで250年続く。スタンプは真田邸。
映画に出てくるような白い長土塀続く。殿様姫様が歩いていてもおかしくない。
旧樋口家住宅(無料入場)前の道路あたりでよく時代劇ロケがあるそう。
佐久間象山、この辺は堅固な地質で昔に地下壕がつくられかけていた。
日本の重要な土地になりかけていたとか。
近代の中心はまつしろから長野市へと移り 駅も廃駅となっている。
千曲川の流れは変わらず。
上田城
2019年4月11日
27/長野

江戸時代本丸に七つの櫓あったが 現存西隅櫓見上げ 橋へ上がる。
「二の丸橋標柱」の顔文字 暗号のようですが「2のマルハシ」と読んでください。
上田城跡公園は「上田城千本桜まつり」で賑わう。
堀からの城と桜風景 特に「東虎口櫓門」は人だかり 咲き誇る桜が主役のよう。
歴代のお殿様も知名度高き主役です。
真田昌幸(関ヶ原後 上田城破却される)長男真田信之松代へ移封 小諸より仙石忠政(城を復興)仙石政明出石へ 出石から松平が明治維新まで。
昌幸・次男幸村(信繁)父子は高野山へ蟄居命じられたが麓の九度山で生活をしていた。その屋敷跡は今「善名称院・真田庵」となり観光客が。
令和元年5月4日土曜・5日日耀「紀州九度山真田まつり」
真田信繁の遺児を育てたのは白石城伊達藩片倉小十郎信綱。
秋田城
2019年4月20日
107 秋田
史跡公園の正殿・脇殿に多賀城が思い浮かぶ。
復元東門・築地塀は瓦葺。土塁や石垣以前の塀は粘土で防御 隅櫓もない。古代水洗トイレは知恵の結晶。天平5年/733 築城者は律令国家 軍事行政の地 名だたる武将も登場せず。
しかし「強風」は古代から変らずだろう。久保田城の三重櫓からの展望で体が飛ばされそうになった。秋田城でも風が痛い。城巡りで風に危険を感じた。たまたま強風だったのか。
日本海に面した男鹿半島。年平均風速が7m以上 これは地域の大切な資源ともなる。陸上風力の風車基が全国トップだそう。原発から風力発電への期待。
大阪城
2019年4月25日
54
城のエレベーターは。
天守に二基あり 1931年再建。一基が97年完工「平成の大改修」で8階の最上階まで延長 最上階までとは助かる。
小倉城も満開の桜咲き誇る季節に エレベータ付きでオープン。
最近 世界遺産などでもバリアフリー化。
秀吉は二重堀の大坂城を。京洛支配に聚楽第 隠居城の伏見城 朝鮮出兵の名護屋城。
豊臣滅亡後も北政所の甥/木下家は足守藩陣屋大名として明治まで存続。
幕末 英国公使パークスは徳川慶喜を大坂城で表敬訪問した。
家光は大坂優遇策として寛永11年1634 地子銀(宅地税)免除。
かつての15基二重櫓は 今 現存4基。出枡の青屋門 二の丸乾櫓平面L字型。
大手門には超巨大な枡形。馬だしはあったのだろうか。
赤木城
2019年5月10日
155 三重
新発田城
2019年7月11日
31/新潟

菖蒲咲き終わり 堀にカルガモ親子が泳いでいた、時には道路闊歩タイムも。
国重文・本丸表門と旧二の丸隅櫓は県内唯一の現存城郭。足軽長屋現存。
腰壁は瓦張で白と黒の海鼠壁(雪国の寒冷対策・木造辰巳櫓の屋根瓦も二重瓦) この美的感覚 何だか加賀風です、溝口秀勝は加賀から。堀によく映える切込接の長い石垣は江戸からの石工職人が腕ふるう。
甦った「木造御三階櫓」の屋根の棟は丁字型 それぞれの隅に鯱 合計3匹の鯱 珍しいですね。ご遠慮されていますが事実上の天守閣。明治まで12代 274年移封なかった。控え目天守も効き目があったのか。辰巳櫓には入れ サラサラの床が気持ちよい、通柱は吉野 床は高知と国産の大木を惜しげもなくつかい 柱には地震対策も。
阿吽の鯱は 牙4本が雄 牙2本が雌 牙と尾のしなりで雌雄を判別。

新発田氏が上杉景勝に敗れ 愛知県出身の溝口秀勝が入国し 「馬足不叶/ばそくかなわず」の未開墾地を歴代藩主が新田開発に力を注ぎ美田の蒲原平野に。
昔は「コンッ」と狐でもでそうなところかも。化かすよりも導きのお狐様でしょう。今は「特養ホーム・二の丸」もある。
大洲城
2019年8月23日
82愛媛
城や城下町を残したく来年から名城が活用される。
四層四階の天守 明治に破壊されたが2004年木造復元。我々にも「城泊」できます。
一組につき100万円から。春秋限定 年間30組。
天守内は国産の木材 吹き抜け ヘルシーな感じです。二の丸に入浴施設予定。
天守屋根の火除け・鯱も見守ってくれると思うが 防火対策に重点を 勿論徹底した「禁煙」。夜間は常駐のスタッフ見回り。(肱川の苧綿櫓の下見板張石落、三の丸南櫓櫓の袴腰石落と防御の石落が目についた)
宇都宮豊房の地蔵ケ嶽城が 藤堂高虎が 脇坂安治(天守造) 加藤貞泰がまさかと驚いているだろうな 宿泊城主に。市民の協力・ご寄付 天守連結江戸時代の「台所櫓」「高欄櫓」4基現存櫓の価値が大な名城です。(鼠のいる船は沈まないと験かつぎに 4階天守の梁に木彫りの鼠がいる 棟梁も鼠に託し見守り 来年は子年)
能島城
2019年8月30日
178 愛媛
大野城
2019年9月3日
86 福岡
「大宰府政庁跡」から大野城を見上げる。大友旅人や大友家持も眺め 万葉集にも歌われた。九州の統治拠点だからスケール違う。
白村江の戦で新羅・唐に敗れ来襲恐れ 665年天智天皇 大宰府防衛のため 北の守り410m四王子山(大野山)頂に築。宇美町・大宰府市・大野城市と2市1町に跨る古代山城。
いざというとき官民とも城内逃込も想定した 8つの建物礎石群 全周8kmの城壁 百間石垣。平成7年から復元整備も行われ登城可能。70棟の倉庫跡礎石 石垣も発見。
昭和28年1953 大野城跡・大宰府跡・水城跡は国特別史跡。古代からのお勤めが認められた。
スタンプ「大宰府展示館」といえば令和ゆかり「梅花の宴」。
中国由来の高貴な花「梅」テーマに 遠の朝廷/とおのみかど こと大宰帥/だざいのそち 『大友旅人(万葉集撰者大友家持の父)』が32首の歌を詠んだ序文(博多人形 唯一女性の名は児島)。
日本遺産「筑紫万葉歌壇」山上憶良の名も浮ぶ。政庁跡周辺に6基の万葉歌碑。
坂本神社の御朱印 天満宮から宮司さんが来られている時はいただけそう。(出雲空港着 車で九州へ 福岡空港発…座席運有り)
松阪城
2019年9月16日
48/三重
車を走らせていると 天守無いが 高石垣で松坂城だとわかった。
丸っこい野面積。大風で本丸の三層天守崩壊 そのまま 再建なし。
本丸 二ノ丸は折れを利用した蒲生時代の石垣  三ノ丸は紀州藩の野面積。(昭和63/1988から平成15/2003に石垣修復)
三の丸は内堀までの平坦地。天守脇に二層櫓の敵見櫓 前に金ノ間櫓 本丸下段枡形虎口(表一の門 二の門)遠見櫓 月見櫓 太鼓櫓(裏二ノ門脇)をイメージすると守りは堅固。
慶長5/1600 関ヶ原の功で古田重勝 元和5/1619石見浜田へ 紀州藩勢州領統治拠点の支城となる。城代大久保四郎右衛門 明治まで大久保家。寛文12/1672三ノ丸に城代屋敷。寛政6/1764二ノ丸に徳川陣屋。

石畳両側に槇垣の「国重文・御城番屋敷」も忘れずに。城警備に40石取り20人の紀州藩士(祖先は家康先鋒隊の横須賀党 頼宣家臣「紀州藩田辺与力」)とその家族が住んだ。今は市が一戸を借り無料一般公開 松阪工高発祥地。隠居ノ丸の米蔵・道具蔵の土蔵を移築 西に紀州藩祖徳川頼宣(南龍公)神社存在。残暑厳しく 桜咲くころ本居宣長ゆかりも訪れたい。
仙台城
2019年9月20日
8 宮城
正門の国宝大手門(二の丸正門)は脇櫓と共に仙台空襲で焼失。名護屋城の大手門を移築か 模したのか 現存していれば豪壮な巨大櫓門だろうに残念。(江戸城桜田門は空襲焼失せず)
春日山城
2019年10月3日
32/新潟
中世巨大山城だが築城者不明 長尾二代・景勝で戦国時代は難攻不落 武者姿の謙信公像が見張りに立つ。上杉謙信公の霊棺は春日山城→会津若松城ー米沢城本丸ー米沢市内上杉家廟所で永眠されている。(上杉景勝会津入封の際城内に安置「写真/上杉謙信公仮廟所跡」景勝米沢入封も本丸に安置)
2020.2/3
謙信・景勝愛用した国宝「無銘一文字」が岡山県瀬戸内市へ。「山鳥毛さんちょうもう」山野が燃えるよう鳥の羽が躍るような名刀はあの春日山によく似合うが。鎌倉時代に鍛造された備前へおさまった。景勝直筆の目録もあるという やはり一筆が効いた。岡山に上杉家ファンが多いのかな 文化財保護には大口寄付がある。
白河小峰城
2019年10月3日
13福島
文化庁基準の木造復元第一号 余程優秀な資料が残っていたのか。平山城 梯郭式 
武家諸法度で制限されたが10万石でと丹羽長重は築城できた。戊辰戦争で鉄砲玉跡残る木材で三重櫓再建。
名護屋城
2019年10月15日
87佐賀
秀吉の城だが陣城で17万平米 5重の天守もあったという。全てにかなりの想像力要す。
縄張りは黒田孝高 普請奉行は加藤清正・黒田長政・小西行長の3名。肥前名護屋城図屏風では本丸に6基の重層櫓がわかる。潮見櫓は海の見張り 名護屋城では?宇和島・赤穂・福岡はあった。京をも凌ぐ都市は常に約20万人 発掘調査はまだ続くが本丸南西部で300畳敷の建物を発見おそらく対面所であろう。
天守台から玄界灘 快晴なら壱岐も見えよう。
 
福知山城
2019年10月22日
158 京都
坂が苦しかった、日頃運動しているかどうか しておらず。
攻防のおりは役にたちそう。敵は攻めにくい。城マニアでなさそうな母親と関心有りそうな息子 女性軍と一般の訪れが目立つ。スタンプはJR駅で。
2020.7/9 福知山市の長安寺へ 用明天皇の第三皇子麻呂子親王(聖徳太子実弟)ゆかり丹波の国。明智光秀公からバトンタッチされた二代城主杉原家次公の菩提寺 重森作庭の枯山水も。薬師如来 光秀公も医学の心得おありらしい。
武田氏館
2019年10月28日
24 山梨
苗木城
2019年10月30日
142 岐阜
雑木70本の伐採(南西側)で城跡がクッキリ浮かび上がり皆に一層の感動をもたらした。
景観美化の賜物。マイナス マイナス 余白の美。
八代城
2019年11月1日
190/熊本
スタンプは八代市立博物館。八代海臨む球磨川河口にある。
館内「宮本武蔵自筆書状」に心を奪われた。真作との事。
島原乱後 細川家家老松井興長に目通り願う手紙(結果寛永17年/1640年肥後細川藩に仕官が実現)
歳つもりて六十…の「五輪書」では13〜29歳60余度無敗。
大阪の陣でも徳川方にて参戦。養子の伊織を小笠原家家老にした。熊本城隣接の千葉城屋敷では鷹狩も許された。
数々の名言も残す。「千日の稽古をもって鍛となり 万日の稽古をもって錬となす」石の上にも3年から30年お座りなさいですか。
掛軸に興味ない私に知人から「これが良いよ」とすすめられ 手にしたのが「枯木鳴鵙図/こぼくめいげきず」本物は国重文。宮本武蔵作。明石城作庭も武蔵。剣術家・兵法家・芸術家として「一芸に秀でる者は多芸に通ずる」。吉川英治「宮本武蔵」で全国区だが 八代城代・加藤正方に仕えた連歌・俳諧師「西山宗因像」も館内名品。「ながむとて花にもいたしくびの骨 野梅」一筆箋土産に購入(歌僧・西行名句を”花を眺めすぎて首を痛めた”と滑稽に詠んだ。 東京浅草三匠句碑 宗因/芭蕉/其角)
久保田城
2019年11月5日
9/秋田
旧秋田藩主・佐竹家には国宝級のお宝が伝来していた。
現在京都国立博物館で「流転100年 佐竹本36歌仙絵と王朝の美」(10/12〜11/24迄)開催中。画は藤原信実。上巻(巻頭には玉津島明神か下鴨神社の景観が描かれていたが今は失われている)下巻(和歌の神様住吉明神現存)。
明治維新後佐竹家は 財産の山林(秋田杉)を政府に献納し国有林となり 実録失う。
ご事情あり手放された。時は100年流れ 今回京都で「佐竹本」断簡31点が一堂に会する。又とないチャンス。どこで入手されたのか 太田城 常陸水戸 出羽秋田? 昔から久保田は火事多くよくぞ保管されていましたね。火災消火物頭の詰所「御物頭御番所」お役目勤め上げ今は貴重な現存建物。多くの人に守られてきた絵巻物 足軽は茶人の世界に華を添えた。久保田城登城記念は御城印等でなくビールに決めた。今年の歳暮は狩野探幽新36歌仙図帖のビールを贈ろう。
新宮城
2019年11月24日
167/和歌山
熊野川丘 本丸から城下町・太平洋が望め気分爽快。波のきらめきも温かい。
本丸入口枡形の端正な切込接石垣にかつての総石垣城を偲ぶ。
熊野川沿いでは炭納屋跡・船着場跡の水の手曲輪もあった。水上交通で発達しただろう。
地元の方と話したが何だかアクセントが関西よりも江戸っ子 東方面寄りかなと感じた。時間が許せば来年も訪れたし。

「徳川御三家付家老サミット」
徳川家康に御三家の補佐役として付けられた「付家老/つけかろう」城下町5市。
紀伊藩付家老だった安藤家田辺入城400年記念の城下町・田辺市で。
尾張藩・愛知県犬山市 岐阜県・海津市 紀伊藩の田辺市 勿論続百名城の「新宮市」も 水戸藩・茨城県高萩市。
テーマは防災対策。昨今の異常気象 自然災害 熊本城や首里城で思い知らされたましたね。城は石垣や建物で防御力強化で要塞化したが今は優れた文化財・史跡 歴史上の舞台 時代や「地域の代表」の象徴。 地方自治体にも被災時の素早い対応 復旧も考えて頂ければ城郭ファンには力強い味方ですね。
川越城
2019年11月26日
19 埼玉
江戸の搦手門 重要なポストだと 本丸御殿が物語っている。
譜代大名が守りについた。代々藩主 なかでも「柳沢吉保」元禄7年/1694年川越に入封 (館林にて16歳で綱吉小姓役 このころから綱吉・吉保コンビ)5代将軍綱吉側用人。川越時代では「三富新田さんとめしんでん(上富/所沢市 中富 下富/三芳市)」開拓した。
東京都立文化財9庭園の一つ「六義園りくぎえん」和歌の心息づく優雅なこの大名庭園も柳沢吉保が今に残した。都心の日常に溶け込み 一歩門くぐれば名園を散策できる。
綱吉お気に入りで58回の御成だとか(日本遺産 絶景の宝庫「和歌の浦」をイメージされている。「わかの浦に 潮満ちくれば 潟をなみ 芦辺をさして 鶴鳴きわたる」)(吉保は甲府へ 吉里は大和郡山に移封)
農民のための新田開拓 城下町整備は今日に残る。蔵造 時の鐘 菓子屋横丁 氷川神社など小江戸・小京都 情緒ある町並み。
八王子城
2019年11月27日
22 東京都
保存状態良く 江戸城とともに選ばれた名誉ある城。
(599m高尾山から影信山への尾根北側独立峰頂上450m山上に要害地区 山麓居館地区(御主殿跡)に砦や堅堀で防御)
中世の八王子城(慈護寺城)城主後北条氏康・氏照親子が「本山の竹木伐採禁止」と保護。薬王院の「氏照」文書によると氏照(氏政の弟)が高尾山一帯の捫田郷を寄進。江戸時代も幕府地 明治は国有林 小田原北条氏・紀州徳川家の高尾山信仰厚く 常に守られてきた。
秋には落葉踏み鳴らし曳橋渡りたく 冠木門の石垣 復元整備の御主殿跡まで 小田原支城を巡るのだが災害情報もあり八王子頂上まで登らず。高尾山山頂・一丁平・城山・景信山経由で陣馬高原下へ下る高尾山〜陣馬山コースは15.3`5時間20分これも無理。
日暮れの杉木立天狗が出そう さらわれるかも 現代のおとぎ話。終電のケーブルカーまで急ごう。展望台近くで東京都の水をペットボトルに詰め替えゴクゴクと飲み干し天国気分。600mのお山で飲めるとは凄いです。(関東三大本山 高尾山・川崎大師・成田山新勝寺)
備中松山城
2019年12月5日
68 岡山
堀のお出迎えは無かった。水堀や空堀見当たらず 臥牛山は白い土塀のお出迎え。
縄張は四つの峰 標高430m小松山の本丸に現存天守聳える。
平成9年 五の平櫓 六の平櫓 本丸南御門再建で近代三代山城(美濃岩村・大和高取)のメンバーとして威光保つ。
山城としては唯一の現存天守。重文@天守A二重櫓B土塀 この三つは見逃さない。
水谷家は跡継ぎなく三代までなのが残念。 今は近世に相応しく? 癒し猫が城主 健康でご長寿されてください 平和モードのお顔。
大松山城跡へ向おうか迷ったが下山する。

「備中高梁」駅前の像 誰だろう「山田方谷ほうこく」大政奉還の際 立合いした藩主板倉勝静の家臣で漢学者の像だった。世に出ること拒んだ藩政改革大成功の立役者。城巡りは歴史のお勉強もさせられる。
諏訪原城
2019年12月9日
146 静岡
六つの馬出が虎口の前に陣取っていた。それが今も見受けられる貴重な現存馬出。
二の曲輪前に2か所の巨大な丸い馬出 中馬出の三日月堀は100m 100とは凄い。深さ9m。
大井川背景に牧ノ原台地 武田流の技術を余すことなく発揮。(北に二重 南に三重 二の曲輪に巨大馬出二つ 計七つ 現存は六つも 馬出がよく残りましたね)
中世の門が初めて復元された。文化庁許可で平成29/2017年二の曲輪北馬出の門(家康も天正8/1580年ごろ築いた)まだ新しい。
名古屋城
2019年12月9日
44 愛知
復元本丸御殿待ち時間覚悟したが案外早く入れた。次は天守の木造復元も進めている。「金城温古録」「昭和実測図」「ガラス乾板写真」など資料豊富。
嫌でも目に入る鯱 創建時慶長大判が1940枚。黄金水は地下の井戸。信長の那古野城は西の丸にあった。眺めるが華頭窓は見当たらない 伏見櫓も見つからない ここは装飾窓は必要ない。
宇和島城
2019年12月10日
83 愛媛
古絵図では周囲五方が海に面する海城だった。80m頂上の今は平山城。
中世城郭板島丸串城の地に築城名人・藤堂高虎が望楼型天守築く。一国一城の主。
(高虎は江戸城縄張も担当している)
現存12天守の高さでは7番目で犬山城と彦根城の間。(姫路・松本・松江・松山・高知・犬山・宇和島・彦根・丸亀・弘前・丸岡・備中松山城が12番目)
2代目天守は三重三階 唐破風造玄関 一重目は比翼千鳥破風 二重目に千鳥破風 三重目に軒唐破風と層塔型(狭間や石落としも消え) 随分洒落た伊達天守だ。
登城直に城全体の「華麗な宇和島城」が余すところなく目に入り切るのが魅力。
(宇和島空襲に旧国宝追手門焼失したが天守は免れ 現存12天守の仲間入りが嬉しい)
多賀城
2019年12月20日
7 宮城
遠く奈良平安時代より陸奥国に築かれた城柵。守りは地の守護人でなく国府。
政庁復元模型で遥か彼方を偲ぶ。想像力の世界。
東北の城柵 多賀城724年(神亀元年)や秋田城733年(天平5年)よりも早いのは新潟・越後の「淳足の柵・ぬたりのき」647年(大化3年)しかし遺構発見されていない。翌年新潟村上市付近 磐舟柵いわふねのき。 宮城や秋田にあるのなら新潟にも設置しただろう。多賀城は特別史跡で国宝クラス。
掛川城
2020年1月1日
42 静岡
御前岬灯台から初日の出 日輪にはオレンジのオーラがかかっていた。 
初詣は今川・秀吉・家康に庇護された尊永寺。

掛川古城は駿河今川氏が遠江支配拠点として築。武田 秀吉 家康。山之内一豊が天守築 一階二階に比べ四階が小さいのは物見望楼名残。日本初の木造再建天守。
東海道ど真ん中 袋井市「法多山ハッタサン尊永寺」にて家内安全・無病息災の厄除祈願。国重文・仁王門くぐり長階段まで来たところロープが 脇道から穏やかに上る。ロープはお正月の混雑避け安全のため。新年早々救急車呼びたくないですね(厄除団子は長蛇の列 開運祈願の巻煎餅500円を購入)遠州三山「尊永寺/萬松院可睡斎/医大山油山寺」可睡斎といえば和尚が 武田軍に追われた幼き家康匿い 後 家康会見時に居眠していたという寺(3/31まで雛祭)。ドラマ「家康 江戸を建てる」(秀吉天下で家康は荒野の関東移封 謀反だと誤解されぬように江戸造り)見ながら 土産掛川茶の封を切り開運煎餅をボリボリ。
家康は小判造の若者に謙遜すべからずと叱咤激励していた。今年は謙遜抜きでいこう。
丸亀城
2020年1月3日
78 香川
本丸から瀬戸内海や瀬戸大橋がみわたせる。
麓から4段重ねの石垣が螺旋階段状に廻り 亀山66m頂上に三重三階の天守 京極氏が完成。現存12天守高さでは9番目 彦根城と弘前城の間 丸岡城 備中松山城。小振りながら全体のバランスが実に絶妙。城下町の人々には自慢の城。四国現存天守では最古。
あの高石垣(扇の勾配)は築城名手藤堂高虎かと思うが 直線的高虎高石垣はここで発揮せず。石垣高さで色々 三の丸22m 四段の石垣合計60m 総高では丸亀城が日本一。(単体の石垣では大阪城そして伊賀上野城)明治6/1873年廃城令 存城は江戸城など43城・1要害。亀山城も旧藩士嘆願で天守と大手門は破却免れた。汗と涙の奔走者がいた。
登城の際資料館で頂いた「丸亀城木図」(城改修時 幕府へ提出した木型立体模型図)絵葉書を何気なく玄関に飾っていたら お正月に丸亀市から年賀状届く。はて?友達が丸亀市にお引越ししたのです。偶然か電波が伝わったのかともかく嬉しい。
駿府城
2020年1月8日
41 静岡
過去に天守台から井戸発見で驚いたが
今も発掘調査が行われており 何か新発見でもと期待していたら 秀吉時代の小天守台の石垣らしきものが。渡り廊下らしき石垣も。しかし埋め立てて広場にでもの予定らしい。
立派な東御門と巽櫓も両方復元済み坤櫓も。ここは駿府だから大御所徳川家康公がメイン。

続百名城でないが家康公鷹狩り地 田中城 史跡「田中城下屋敷」鯛の天ぷらのエピソード。食したのは駿府城か田中城か諸説。家康は慶長12年 駿府城へ移ってから田中城を20回以上訪れている。(遠江国諏訪原城・高天神城・駿河国久能城・持舟城などを結ぶ重要な城で今川・武田・徳川の攻防戦があった)威厳ある冠木門「本丸櫓」に入城可能 木造2階建 銅板葺 窓を開け放てば風通し良く夏は随分と涼しそう 茶室・仲間部屋・厩・長楽寺村郷蔵移築の史跡公園。方形本丸4重堀 百・続百名城どの名城にもあてはまらない 唯一の円郭式縄張。
引田城
2020年1月11日
177 香川
秀吉ブランドが国指定になった。
2019年11/16 幅30 高さ5m 高石垣等豊臣政権時代の造りがよくわかると。
ブルーシートあたりだろうか。足元すべりそうで必死に歩いた。地元の熱意が実ったのか。
同じく和歌山の白浜町「安宅あたぎ城館群」も国指定に。続百名城でないが城郭ファンとしては心広く百名城以外も巡りたい。安宅氏一族は鎌倉時代北条氏により熊野海賊抑えのため 阿波国(徳島)より派遣された。
@安宅氏居館跡A八幡山城跡B土井城跡C中山城跡D要害山城跡の五ヶ所認定。八幡山城跡(本城の詰城)・安宅大野城跡を探訪する 城跡荒らさぬように注意。八幡山城跡の虎口内側にこぶし大の川原石あり。敵に投げ攻防 石だから再利用できる 岩盤掘りぬいた巨大堀切見事。3月までは最高の山城歩き。草も虫も木々も生い茂らない 軍手持参 荷物は最小限。大野城跡徒歩5分長寿寺には「備前焼大甕」暦応5年南北朝時代1342年ごろの焼物が出土 岡山県以外で出土した備前焼では最古だそう。再来年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」山城巡りの心地良い疲れは白浜温泉で癒そう 久しぶりにパンダにも会いたい。
松本城
2020年1月14日
29 長野
松本城の魅力の一つは誰でもが訪れやすい平城。
武士の居館・山城・平山城・平城・海城(水城)と色々(現存12天守は殆ど平山城だが唯一の平城)老若男女問わず。
三大平城「松本城・二条城・広島城」
城堀から乱杭発見 米沢城でも防御のため乱杭があった。杭が不足すれば色々な物も使う。
城主が制札つくり保護したという城下町の「源智の井戸」一度飲んでみたい。
千早城
2020年1月17日
55 大阪
楠木七城の一つ。
鎌倉時代楠木正成が後醍醐天皇に忠義を尽くし皇居前には像もある 日比谷公園寄り南東の一角。この騎馬像は隠岐の島から帰還された後醍醐天皇をお迎えの際の雄姿。大阪唯一の村とお江戸皇居がつながっている(何度か皇居訪れ外苑でキーホルダーを土産に買ったが今思えば正成公の騎馬像)。上赤坂が本丸 下赤坂が出丸 金剛山中腹の千早城が詰。二の丸跡に神社。
近くに続百名城でないが 南朝忠臣で楠木公の後胤弘川城主隅屋与市正高卿が大阪府南河内郡河南町「弘川寺ひろかわでら」(近鉄富田林駅より河内行バス終点下車100m)近くに築城。境内桜下にて奮戦虚しく討死、河内名所絵図にてもその一本の枝垂桜「隅屋桜」が伝えられる。ご住職が色々御存じのよう。古城跡も寺の上。
ここは歌聖西行法師の終焉地「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」西行法師古墳もあり春は狙い目。スタンプ設置のない城巡りも又楽し。案外身近な所にあるのです。百名城マップ塗りつぶせなく残念だが。
岡豊城
2020年1月23日
180 高知
国分川を天然の水堀。詰(本丸)は岡豊山頂部 曲輪は螺旋状に配置 詰や三ノ段・詰下段から礎石建物跡発見 四ノ段北部で喰違虎口。副郭部の西に伝厩跡曲輪 南斜面に伝家老屋敷曲輪 畝状竪堀群も見所。
発掘調査に基づき平面復元 歴史公園(伝厩跡曲輪等)としてよく整備されている。

奈良国立博物館で2/4〜3/22迄「毘沙門天・北方鎮護のカミ」最強武神の特別展を開催。スタンプの資料館で展示されていた毘沙門天像(運慶の子・湛慶作 雪蹊寺)あの像が奈良に現れる。(京鞍馬の毘沙門天像 浄瑠璃寺からもお目見え。)
安土桃山時代 長宗我部元親後援 慶長4年1599年没後 雪蹊寺と称し菩提寺に。戸次川戦元親の長男22歳信親墓もあり。南学発祥 土佐藩家老野中兼山儒学者も輩出。寺前で倒れていた紀州の若者が大玄和尚の跡継(後の18代玄峰和尚)昭和の傑僧 挿話沢山。山之内一豊入国の際には70石拝領。土佐藩主にも庇護され跡継ぎにも恵まれた。高知城兼山堀のスイレン今年も咲くだろう。
徳島城
2020年1月25日
76 徳島
徳島城 天守無かったが岩石 本丸周囲の北高石垣 特に「紅簾片岩」が美しかった。

この美石がみられるという古城尋ね南海電車で和歌山市駅着。
「太平記」の名城「和佐山城」。(続百名城ではないが百名城に拘り持たぬ)
麓の高積神社にご挨拶。急坂登り 頂上の高積神社にも再礼拝。ここであの紅簾片岩が。中央構造線南三波川周辺に見られる岩石があった。
さて 城はここから500m南方 海抜255m 和佐山連峰の最高峰・城ケ峰を目指す。中世城郭で曲輪・土塁(後世の集落との境界のための土塁もあった)石垣・大きい堀切・切岸に積まれた石垣・水を湛えた井戸らしきものも。北朝の畠山義深の陣地 10m四方の櫓台跡・東に二段の曲輪・北西に畝状竪堀・堀切挟んだ西側の土塁・秀吉軍も陣かまえたとか。見晴らし良し。 中世城郭の山城は足を滑らさないよう格闘しながら? 落葉と共に歩く。やはりこの季節の山城歩きは最高。快晴にも恵まれた。
高松城
2020年1月29日
77 香川
廊下橋? 欄干橋? 鞘橋? 何橋というのだろうか。興味ある。
本丸と二の丸をつなぐ橋。
最初は露天の欄干橋 文政6/1823年「讃岐国高松城石垣破損堀之覚」には屋根付。
そりゃ お殿様がお通りだから屋根や壁を備える。防備のためにも。
細かいことは別によかろう。
(空襲で失われた三の丸桜御門の復元待たれし)
高松城と彦根城は姉妹城都市。
彦根城のひこにゃんから2020年賀状が届きました。彦根城招待券2020.12/31迄有効。
博物館・玄宮園も含み 一枚で2名入城できます。
年賀状出せば? と聞いていたので出したらいただけました。ありがとうございます。
河後森城
2020年2月11日
179 愛媛
スタンプは ドンドン登り 掘立柱建物(馬屋)に。
子供たちの案内板が楽しかった。城郭文化についてこんな頃から触れさせている地元の取組が頼もしい。将来他府県へ出た場合にもきっと何らかの形で役に立つ。

続百名城以外の城郭に訪れるチャンスあった。室町時代 畠山氏の標高304m「鳥屋城」。大野城跡 広城跡 「鳥屋城」へ。畠山氏一族の城郭は「一城別郭」。この城は今までのどの城をイメージさせるのかこれが面白い。落葉踏み踏みの最初は三春城(桜祭りで活気溢れるだろう)向羽黒山城(竪堀が見事)太陽遮る場所では志布志城 崖っぷちあたりで牧之原の諏訪原城(大井川の眺めが絶景)着地点が河後森城。二峰以上に山城を配置する「一城別郭」でこれだけの続百名城を彷彿させた。県指定だが国指定目指す。熊野古道と万葉の道 昼は「JR湯浅駅」かどや食堂の刺身とシラス丼定食が美味 日本遺産「醤油」も味わう ヘルシー 重伝建地区 車で往復 健康に感謝。
臼杵城
2020年2月15日
193 大分
観光化され 気がつけば三度訪れている。梅が満開。
現存の石橋の古橋・畳櫓。天守台石垣 国崩しは曲がった釘も使い威力示した。
二の丸跡 本丸跡歩くが広くて疲れた。織豊系で7基の櫓門 31基の櫓もあった 各櫓跡には石碑あり分りやすい。着見櫓跡もあり臼杵湾に浮かぶ島だった。
丹生島城攻防の戦は大友宗麟・島津家久・龍造寺隆信の三武将。島津にも落城せず。
大友宗麟は大分府内から臼杵に移り 明やポルトガルと交流し国際都市をつくった。
何でも手に入る。武器の鉄砲も。
スタンプは市観光交流プラザ。美濃の稲葉氏が15代続く。稲葉家下屋敷では鯉の寄付を受付けていて綺麗な水に鯉が泳ぐ。龍源寺の三重塔。昼食が美味 鰻違う 穴子か 何? 醤油たれ 太刀重もう一度食したい。
水野忠邦天保の改革で臼杵藩は紙の雛推奨 雛の原型 古文書に基づき和紙の立ち雛が3000体 城と雛巡りが楽しめた。
岐阜城
2020年3月3日
39 岐阜
年明けに信長期の天守台発見か 日本最古。
隙間に「間詰石」あり 信長時代の石垣と一致。愛知那古野城・天下統一第一歩愛知清洲城・小牧山城「天下布武の岐阜城」集大成の滋賀安土城。(岐阜城落・廃城で天守櫓等は加納城に移す)
岐阜公園からリス村まで金華山ロープウェイ(クレジットカードも可)で行けるのが楽。 しかし先には石段待つ 戦国時代の砦。市中バスの吊手は信長公の御紋 この時期コロナウイルスで見つめるだけ。
友達から謡と舞の案内状が届く。プログラムにあったよ「敦盛」。源平合戦 平清盛の甥 16歳の平敦盛 源氏の熊谷直実。
人生五十年 化天のうち比ぶれば 夢幻の如くなり。 本能寺の変炎上で信長公が謡舞うあの名場面。別の世界ではこの世の50年は僅か一日と謡う かつての儚さは今人生100年で二日分。 姫路城もロケした007の映画 「ノー・タイム・トゥ・ダイ」春公開が秋に延期(予告編では白い能面も登場していた)。コロナウイルスに注意し家族共々命を大事にしたい。
津城
2020年4月15日
152 三重
幕末まで藤堂藩の城だった。藩祖藤堂高虎お気に入りの本丸広い内堀と直線的高石垣残る。本丸に三層模擬櫓 輪郭式 藩校正門「入徳門」が西の丸跡に。

造幣局「桜の通り抜け」がコロナで中止。南門(天満橋)から北門(桜宮橋)へ一方通行で毎年約60万人が桜を愛でた。昔 幕府の御破損奉行(大坂城管理など)役宅 又 津藩(藤堂藩)の「大坂蔵屋敷」跡で 桜は藤堂藩がルーツのよう。水上交通盛んな頃は色々な物資を蔵に運んだだろう。今は川沿いには帝国ホテル大阪もあり 築城名人高虎は60万人の人出を誘い 城郭と桜は良く似合う。来年からは 津藩蔵屋敷跡地 藤堂藩の桜だと思い起こしながら通り抜けよう。 
観音寺城
2020年9月10日
52 滋賀
都に近く 人や物資運搬に便利な地で 滋賀県には約1300城 多さでは全国4番目の城があったそう。百認定には小谷・彦根・安土・観音寺城の四城。
山城好きには コースかえ 桑實寺から城跡の本丸跡へも登れる(スタンプも桑實寺で)。覚悟の階段だったがふらっと眩暈してきたので休憩しながらマイペースで行く。
(写真の石碑は 右が「観音正寺」や「桑實寺」へ  左がJR「安土驛」や「長命寺」の案内 )桑實寺には足利12代将軍義晴が3年間仮幕府を開き 最後の将軍15代義昭も滞在されていた。繖山(きぬがさやま)へ 下剋上の戦国時代にはこういうところへ避難されていたのか。後に繖山の麓へ信長の城 天守もつ安土城が築かれる。ここから天守聳える城郭へとつながる貴重な城だと思う。美しい天守群の姫路城は世界に誇れる遺産。
和歌山城
2020年9月24日
62
八代将軍吉宗公 十四代将軍家茂公輩出。 石垣に堪能 御橋廊下。

百・続百名城に埋もれた 城跡「城ノ峰」「沖ノ城」を週末に探索。
幕府が藩に命じた「紀伊続風土記」に「寺(医徳寺)の東に城の峰という何の代の城跡なる事を知らず」の記録ある城ノ峰。近くにこんもりした段丘 市街地を見下ろせる。「医徳寺」の上人の宝塔院塔も存在 納得性あり。

同じく「紀伊続風土記」に「村の巽にあり 誰の城か詳ならず」と記録残る「沖ノ城」。作家有吉佐和子「助左衛門四代記」にも 建武1336年ごろ沖の城の城主湯浅権守名が(平治の乱に平家に味方した 湯浅城主湯浅宗重)。平安時代末期から鎌倉初期となれば当時の資料や城跡は皆無。それでも有吉佐和子のネームバリューで模索しよう。城郭と文芸が一体化。もう住宅地 写真撮影は禁止。地元の児童遊園ここら辺だろう。
〆は 駅にこの春オープンのコーヒー飲みながら読書できる図書館へ。そういえば現存12天守猫城主の備中松山城の駅にもこういう図書館があった。ここは南向きで冬には太陽サンサン降り注ぐ。有吉佐和子コーナーで「助左衛門四代記」ひも解こう。