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メンバー情報

ID9553
名前聖隷
コメント日本百名山を制覇した後、次はと思ったとき日本百名城制覇を思いつき定年退職後の生活を楽しんでます。
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
根室半島チャシ跡群
2017年8月7日
見学先として整備されているのはノツカマフ1号・2号チャシ跡とヲンネモトチャシ跡の2ヶ所です。
五稜郭
2017年8月19日
箱館奉行所は、幕末に北辺警備などを担っていた役所です。当時の建築を忠実に再現した建物の内部では、パネルや映像などで歴史を学ぶことができます。「社会科」に興味のあるお子様には、おすすめのスポットですね

あじさい 本店 (五稜郭公園前/ラーメン)の店舗情報は食べログでチェック!五稜郭公園のすぐそばにある、老舗の塩ラーメンが食べられる創業80年以上の人気店。
松前城
2017年8月18日
日本式の最後のお城。1606年に築城された日本最北の城。現在の松前城は、昭和36年に復元されたもので、当時の松前城の建物として現存しているのは本丸御門だけである。また、城内は資料館になっており、松前藩時代の文化財を展示している
弘前城
2017年8月20日
弘前城は、青森県弘前市にある日本の城である。別名・鷹岡城、高岡城。江戸時代に建造された天守や櫓などが現存し国の重要文化財に指定されている。また城跡は国の史跡に指定されている。江戸時代には津軽氏が居城し弘前藩の藩庁が置かれた。
根城
2018年10月19日
昭和16年(1941)に国史跡に指定された根城(ねじょう)。 ここは南北朝時代、南朝方の武将・南部師行(もろゆき)が建武元年(1334)に築城して以来、領地替えまでの約300年間、八戸地方の中心として栄えました。
盛岡城
2018年10月19日
盛岡城は、岩手県盛岡市にあった日本の城。国の史跡に指定されている。別名は不来方城であると一般に理解されているが、厳密には盛岡城の前身であり両者は別の城郭である。
多賀城
2018年10月16日
多賀城市は、宮城県のほぼ中央に位置する都市である。旧宮城郡。市の名称は陸奥国府「多賀城」に因む。 仙台市の北東側に隣接するため、そのベッドタウンとしての性格も持ち合わせている。仙台市への通勤率は43.2%。
仙台城
2018年10月16日
仙台城は、現在の宮城県仙台市青葉区の青葉山にあった日本の城である。雅称は青葉城。「五城楼」との別名もある。2003年8月27日、国の史跡に指定された。
久保田城
2017年8月22日
秋田藩佐竹氏の居城。標高45mの神明山の丘陵上に築かれた平山城。関ヶ原の合戦で西軍石田三成に通じたとして常陸54万石から出羽20万石に転封された佐竹義宣が、1603年(慶長8)に起工。石垣をほとんど用いず、土塁と堀をめぐらして防備を固めた。天守は築かず、8基の2重隅櫓と2階建ての御出書院が置かれた。
山形城
2018年10月15日
山形城は、山形県山形市霞城町にあった日本の城。別名は霞城、霞ヶ城と呼ばれる。また、吉字城とも呼ばれた。国の史跡に指定され、日本100名城に選定されている。
二本松城
2018年10月14日
二本松城は、福島県二本松市郭内にある日本の城。日本100名城の一つ。別名、霞ヶ城・白旗城と呼ばれる。平成19年7月26日、二本松城跡として国の史跡に指定された。「霞ヶ城公園」として日本さくら名所100選に選定されている
会津若松城
2018年11月24日
東北屈指の名城です。白亜五層にそびえ立つ天守閣に映える紅葉は会津観光には欠かせません。遠くには磐梯山を望むことができ、会津の秋を満喫できます。
白河小峰城
2018年10月14日
小峰城跡の城山公園内にあり、重要文化財「白河結城家文書」などを展示している結城家古文書館と、近世大名阿部家に伝来した絵画や漆工品などを展示している阿部家名品館の2つの展示室がある。
水戸城
2018年10月14日
水戸城は、常陸国茨城郡水戸にあった日本の城である。 江戸時代には、徳川御三家の一つ水戸徳川家の居城であった。茨城県指定史跡。三の丸にある藩校・弘道館は国の特別史跡。
足利氏館
2019年9月13日
足利氏館は鑁阿寺(ばんなじ)といい、真言宗大日派の本山です。もともとは足利尊氏の先祖にあたる義兼が築いた館であり、国の史跡や日本100名城に選ばれています。現在でも寺の境内の周囲には土塁と堀がめぐっており、一般的に「方形居館」と呼ばれる
箕輪城
2018年10月26日
箕輪城は、群馬県高崎市箕郷町にあった日本の城で、国の史跡に指定されている。箕輪城(みのわ)は、1512年(又は1526年)に長野尚業が築いた丘城とされますが、長野尚業は鷹留城を築いたので、その子、長野憲業が築いたとも伝わります
金山城
2018年10月27日
新田金山城(にったかなやまじょう)は、群馬県太田市のほぼ中央にそびえる標高235.8 メートルの独立峰、全山アカマツに覆われた金山に築かれた日本の城(山城)である。 別名「金山城」、「太田金山城」。
鉢形城
2018年10月26日
鉢形城は、埼玉県寄居町にある城跡。大きな流れの荒川と、渓谷になっている深沢川との合流部分の小高い丘に築いた平山城だ。最初に鉢形城が築かれたのは1476年で、 山内上杉氏の家臣である長尾景春される。
川越城
2018年10月27日
川越城は、埼玉県川越市にあった日本の城。江戸時代には川越藩の藩庁が置かれた。別名、初雁城、霧隠城。関東七名城・日本100名城。通常、川越城の名称を表記する場合、中世については河越城、近世以降は川越城と表記されることが多い。童謡「とおりゃんせ」は城内にあった三芳野神社を舞台にしたものだといわれている。庶民は気軽に参拝できるものではなく「ご用のないもの通しゃせん」であり、帰りは厳しいチェックが待っていたので「行きはよいよい帰りは怖い」だった。
佐倉城
2018年10月13日
もともと千葉氏が築城していたが未完成のままだったものを、土井利勝が家康の命で築城をはじめ完成させた名城。城址公園内には、当時の地形のまま空堀や土塀が残り、国立歴史民族博物館もある。桜、菖蒲の名所としても有名
江戸城
2018年10月27日
江戸城(えどじょう)は、武蔵国豊嶋郡江戸(現在の東京都千代田区千代田)にあった日本の城である。江戸時代においては江城(こうじょう)という呼び名が一般的だったと言われ、また千代田城(ちよだじょう)とも呼ばれる。日本国内で唯一の現役の城である。
八王子城
2019年7月11日
1590年(天正18年)6月23日。
八王子城は豊臣秀吉の軍勢、上杉景勝・前田利家・真田昌幸らの一万五千の軍に攻められた。
当時、城主の北条氏照と家臣の殆どは小田原の合戦に出ており、城内には僅かな家臣と婦女子しかいなかった。
急遽、領内から農民や職人、その家族らを呼び集め城内に動因したが…
婦女子・農民らを合わせても千人程が籠城したに過ぎなかった。
一万五千の軍勢に対抗する術は無く、僅か一日で八王子城は落城してしまう。
小田原城
2019年7月9日
小田原城の前身は、室町時代に西相模一帯を支配していた大森氏が、現在の県立小田原高等学校付近の高台(八幡山)に築いた山城でした。城の規模や築城年は明らかになっていませんが、15世紀の中頃に造られたのではないかと考えられています。
15世紀末、伊勢宗瑞(後の北条早雲)が小田原に進出し、以後、北条氏が5代約100年にわたって関東での勢力を拡大していきました。小田原城は、関東支配の中心拠点として整備拡張され、豊臣秀吉の来攻に備え城下を囲む総延長9kmに及ぶ総構の出現に至ってその規模は最大に達しました。
しかし、天正18年(1590)、石垣山一夜城の築城をはじめとする秀吉の小田原攻めにより北条氏は滅亡し、戦国時代が終焉を迎えました。
武田氏館
2019年7月11日
甲斐国守護武田氏の本拠である甲府に築かれた館で、守護所が所在した。現在、跡地には武田神社があり、また、「武田氏館跡」として国の史跡に指定されており、県内では甲州市(旧勝沼町)の勝沼氏館と並んで資料価値の高い中世の城館跡である。
戦国時代に築かれた甲斐源氏武田氏の本拠地で、居館と家臣団屋敷地や城下町が一体となっている。信虎、晴信(信玄)、勝頼3代の60年余りにわたって府中として機能し、後に広域城下町としての甲府や、近代以降の甲府市の原型となる。
県中部、甲府盆地の北端、南流する相川扇状地上に位置する。東西を藤川と相川に囲まれ、背に詰城である要害山城を配置した構造になっている。
甲府城
2019年7月11日
武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により築城されました。関東の徳川家康に対抗するための重要な戦略拠点として築かれたといわれ、徳川体制になってからは西側への備えとしての重要性を保ち続けたといわれています。かつては20haほどの広大な城郭でした。
松代城
2019年9月20日
松代城(まつしろじょう)は、長野県長野市松代町松代にある日本の城跡である。元々は海津城(かいづじょう)と呼ばれていたが貝津城とも言われた。また茅津城(かやつじょう)とも言われ茅の生い茂った地であったと伝える説もある。
上田城
2019年9月20日
真田信繁(幸村)の父、真田昌幸によって築城された上田城は第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城として知られています。日本百名城 二十七番・日本夜景遺産に認定されている
上田城には、眞田神社・上田市立博物館などの観光スポットが集まり、
上田城千本桜まつり・上田真田まつり・上田城けやき並木紅葉まつりなどのイベントが開催される
小諸城
2019年9月20日
小諸城は、武田信玄のころ山本勘助らにより現在の縄張りとし、豊臣秀吉天下統一のとき小諸城主となった仙石秀久により完成された城です。城下町より低い位置に城を築いた「穴城」は全国でも珍しい城で「日本百名城」でもあります。仙石秀久が築いた「大手門」や野面石積みの石垣は400年前のまま当時の姿で残されています。
松本城
2019年9月21日
松本城は戦国時代の永正年間に造られた深志城が始まりで、現存する五重六階の天守の中で日本最古の国宝の城です。黒と白のコントラストがアルプスの山々に映えて見事な景観です。
高遠城
2019年10月5日
武田信玄の五男仁科五郎盛信が織田信長の長男信忠と戦い、壮絶な死を遂げた高遠城は、明治4年(1871年)の廃藩置県で、城が取り壊され、明治8年(1875年)に公園となりました。高遠藩の旧藩士達が「桜の馬場」から桜を移植したことにより、今では全国でも有数の桜の名所となりました。本丸の老木はこの時植えられたもので、4月には、130年生以上の古木20本、50年生以上のもの500本などに若木を加えた約1,500本のタカトオコヒガンザクラが、淡紅色で小ぶりの花を枝いっぱいにつけます。
新発田城
2018年10月24日
新発田城は、現在の新潟県新発田市にあった日本の城。別名、菖蒲城。新発田藩の藩庁が置かれていた。新発田城は、別名「あやめ城」とも呼ばれ、初代新発田藩主溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)侯が慶長3年(1598年)に築城し、3代宣直(のぶなお)侯のときに完成しました。 新発田 城は一般に多くある山城とちがって、政治・経済の中心として交通の便利さを考え、平地 ..
春日山城
2019年9月19日
春日山城(かすがやまじょう)は、新潟県上越市にあった中世の山城(日本の城)。主に長尾氏の居城で、戦国武将上杉謙信の城として知られる。春日山城跡は国の史跡に指定されている
高岡城
2019年4月29日
高岡市街地のほぼ中心に位置するこの公園は、加賀前田家2代当主前田利長が築いた高岡城の城跡を、明治以来公園として開放したものです。1615年の一国一城令により廃城となりましたが、美しい水堀や土塁は残され、約21万平方メートルの広大な城跡
七尾城
2019年4月29日
七尾城は標高約300mの山上に築かれた能登守護畠山氏の居城。七尾という地名は、七尾城が築かれた松尾・竹尾・梅尾・菊尾・亀尾・虎尾・龍尾の七つの尾根に由来するといわれ、本丸の置かれた松尾から松尾城、末尾城の別名がある。この城を上杉謙信が10ヶ月におよぶ攻防の末やっと陥落させた。その後、織田信長の侵攻によって能登は征服されて前田利家に与えられ、利家が金沢城へ移った後、七尾城は廃城となる。
金沢城
2019年3月17日
加賀藩前田家の居城だった金沢城は、五十間長屋や菱櫓が復元され、城址全体を公園として開放しています。金沢城公園は21世紀になって藩政期の姿に復元されました。金沢城公園の象徴「菱櫓・ 五十間長屋・橋爪門続櫓」は、二の丸や三の丸など場所によって趣きが変わります。 威厳を感じる石川門、河北門、橋爪門の三御門や、玉泉院丸庭園での抹茶もお奨め ...
丸岡城
2019年3月17日
戦国時代の天正4年(1576)、織田信長の命を受けた柴田勝家が、甥の勝豊に築城させた平山城。別名:霞ケ城。現在は天守閣の一郭を残すのみだが、その二層三階の天守は、入母屋造りの屋形に回縁勾欄付きの望楼を乗せた初期天守の形式を伝えており、城郭建築史上の重要な遺構とされている。
一乗谷城
2019年3月17日
朝倉氏によって当主館の東側背後、西方に福井平野を一望できる標高473メートルの一乗城山に築城された中世山城。15世紀前半には築かれていたと考えられる。 ... 本来の一乗谷城は以下の一の丸・二の丸・三の丸で存在していた。
岩村城
2019年10月5日
岐阜県の東南、日本のほぼ真ん中に位置し、自然豊かで歴史の足跡が色濃く残る恵那市。
市街地から車で約20分の岩村町は、戦国の世に翻弄されながら必死に生きた、おんな城主の逸話が残ります。
築城から800年あまり、日本三大山城の一つで、日本百名城にも選ばれている岩村城は、 織田信長の叔母にあたる、おんな城主「おつや」が善政を敷き、最後まで領民を守ったと伝えられ ていることから「女城主の里」と呼ばれています。 彼女も愛したであろう恵那の山々と岩村のまち。 ここには、古くから伝わる日本の美しさがあります。
岐阜城
2019年7月19日
岐阜城(ぎふじょう)は、岐阜県岐阜市(旧・美濃国井之口)の金華山(稲葉山)にあった日本の城(山城跡)。織田信長が、斎藤龍興から奪取した稲葉山城の縄張りを破却して、新たに造営したものが岐阜城である。城跡は岐阜城跡(ぎふじょうあと)として金華山と、その山塊の2,091,602.74平方メートルが国の史跡に指定されている。その範囲は、現在の国有林の範囲に符合する。
『信長公記』に、「尾張国小真木山より濃州稲葉山へ御越しなり。井口と申すを今度改めて、岐阜と名付けさせられ」と記載されている。稲葉山(井口山)からの続きが瑞龍寺山という。
山中城
2019年7月8日
山中城は、永禄年間(1560年代)小田原城を守る城として、後北条氏により創築され、天正18年(1590年)、天下統一を目指す豊臣秀吉の大軍の前に、わずか半日で落城したと言われる悲劇の城です。
駿府城
2019年7月13日
駿府城で死去した家康が埋葬された神社で、もとは久能城があった。または、北西の賤機山ふもとにある「臨済寺」。今川氏の菩提寺で今川氏輝・義元の墓や位牌があり、 今川氏の軍師だった太原雪斎も深く関係している。
掛川城
2019年7月3日
掛川城から南東に少し歩いたところにあるため、見落とすなかれ。城内最大の門で楼門造りの櫓門。オリジナルは、一度、嘉永の地震で倒壊し、安政5年(1858)に再建され、明治になって民間に払い下げられたが火災に遭って焼失した。本来は約50mほど南で、平成5年の発掘調査で基礎固め石などが確認されたが、道路上だったこともあり、現在の地に平成7年6月に復元された。大手門礎石根固めの石のひとつは、復原された大手門をくぐって左手に展示されている。また、移築されていた大手門番所も戻して大手門の北側に合わせて復元されている。
犬山城
2019年7月19日
国宝犬山城は、室町時代の天文6年(1537)に建てられ、天守は現存する日本最古の様式です。木曽川のほとりの小高い山の上に建てられた天守最上階からの眺めはまさに絶景。周辺には犬山城下町の古い町並みや、多くの観光施設があります。
名古屋城
2019年7月19日
名古屋城は、江戸時代に徳川家康が天下統一の最後の布石として築いた尾張国の城です。1615年に本丸御殿が完成されました。第二次世界大戦の空襲で焼失した本丸御殿は、2009年1月から復元を開始し2018年6月に完成しました
岡崎城
2019年2月10日
岡崎城(おかざきじょう)は、愛知県岡崎市康生町にある日本の城。徳川家康の生地である。別名、龍城。岡崎公園の中にある。 戦国時代から安土桃山時代には松平氏の持ち城、江戸時代には岡崎藩の藩庁であった。 岡崎城は当初、「岡竒城」と記された。城内では、展示室や展望台などを見学できる。城のある岡崎公園には樹々の緑が広がり、季節になれば桜、藤、ツツジが園内を彩る。
長篠城
2019年2月10日
長篠城は、三河設楽郡長篠にあった日本の城。特に天正3年の長篠の戦いに先立つ長篠城をめぐる激しい攻防戦で知られる。 現在は国の史跡に指定され、城跡として整備されている
伊賀上野城
2019年2月24日
藤堂高虎により築城され、現在は当時の内堀と石垣、昭和10年に建てられた天守閣が残っています。三層からなる城内には武具・甲冑や藤堂家の遺品、横山大観をはじめ名士の色紙46点の天井絵があります
松阪城
2019年2月24日
建造物はなく、豪荘な石垣が残るのみですが本居宣長記念館や、歴史民俗資料館、 武家長屋の御城番屋敷があります。桜と藤の名所でもあり、松阪公園として親しまれています。平成23年2月には、国史跡に指定されました。
小谷城
2019年3月16日
小谷城は浅井家の居城であり、信長との激しい攻防戦が行われました。 山城の遺構をよく伝えているだけではなく、激戦の跡が各所に残り、歴史的にはもちろんのこと、長政、 お市夫婦やその娘たち浅井三姉妹など物語的にも見どころがたくさんあります
彦根城
2019年5月21日
彦根城(ひこね じょう)は、日本の滋賀県彦根市金亀町にある城である。江戸時代および1869年(明治2年)の版籍奉還後から1871年(明治4年)の廃藩置県まで彦根藩の役所が置かれた。天守、附櫓及び多聞櫓は国宝、城跡は特別史跡
安土城
2019年3月16日
天下統一のため、3年有余をかけ完成させた信長の夢跡。400年を経た今も、石垣や礎石が往時をしのばせる。八角平からの西の湖が美しい。標高約200mの安土山山上にあり、400年を経た今も石垣や礎石が往時をしのばせてくれる。
安土城は、織田信長が、天正4年(1576年)から3年有余をかけ完成した五層七重の、わが国最初の天主閣を有する城。本能寺の変で信長が倒れたのち、城下町とともに焼き払われ、天下の名城をわずか3年にして灰燼と化した。
当時は四方を琵琶湖と沼に囲まれていたが、今は大中の湖干拓地として田園が広がり、そう見寺跡から見る西の湖が美しく、わずかに二の丸跡の信長墓所や、秀吉、前田利家などの屋敷跡が戦国の世を語り伝えている。
観音寺城
2019年5月21日
築城時期は定かではないが、南北朝時代の建武二(1335)年に佐々木氏頼が北畠顕家の軍を迎え撃つために整備したと「太平記」にあることから、この時期に原型となる砦が築かれていたと考えられる
二条城
2019年5月21日
二条城は1603年に徳川家康が宿泊所として造営、その後3代将軍家光が伏見城の遺構を移すなどして1626年に完成しました。1867年に15代将軍慶喜が大政奉還をした城としても有名です。
大阪城
2018年6月12日
大坂城/大阪城(おおさかじょう)は、安土桃山時代に摂津国東成郡生玉荘大坂に築かれ、江戸時代に修築された日本の城。別称は錦城(きんじょう/金城とも表記)。「大坂城跡」として国の特別史跡に指定されている。
千早城
2018年12月10日
千早城は、大阪府南河内郡千早赤阪村大字千早にある日本の城。国の史跡に指定されている。鎌倉時代末期より南北朝時代に存在した楠木正成の城である。四方を絶壁に囲まれ要塞堅固を誇ったといわれる連郭式山城である。楠木七城の一つ
竹田城
2019年5月8日
天空の城竹田城跡は、山城遺跡として全国でもまれな完存する遺構であり、虎が臥せているように見えることから「虎臥城(とらふすじょう・こがじょう)」とも呼ばれています。
篠山城
2019年5月8日
篠山城(ささやまじょう)は、兵庫県丹波篠山市北新町にある日本の城跡(近世城郭)。 篠山盆地の中央部、笹山とよばれる小丘陵に築かれた平山城で、篠山藩の藩庁であった。国の史跡に指定されている。
明石城
2018年6月11日
城のほとんどが明治維新後に取り壊されたが巽櫓、坤櫓は当時のまま残る。現在、元文墨書と合わせて国の重要文化財に指定されている。
姫路城
2018年6月11日
白壁の美しさと裾広がりの優雅な姿から「白鷺の城」とも呼ばれている。世界に誇る木造城郭建築で、天守閣には甲冑、生活用品などを展示。
赤穂城
2018年6月10日
赤穂城は、兵庫県赤穂市にある日本の城。江戸時代は赤穂藩主の居城。国の史跡に指定され、本丸庭園と二の丸庭園は名勝に指定されている。別名・加里屋城、大鷹城。
高取城
2018年12月10日
城は、高取町から4キロメートル程南東にある、標高583メートル、比高350メートルの高取山山上に築かれた山城である。山上に白漆喰塗りの天守や櫓が29棟建て並べられ、城下町より望む姿は「巽高取雪かと見れば、雪ではござらぬ土佐の城」と謡われた。なお、土佐とは高取の旧名である。
和歌山城
2018年12月24日
徳川家居城。大手門、一ノ橋も復元されている。天守閣は郷土資料館で徳川家の家宝なども展示。園内の紅葉渓庭園は名高く、風雅な趣
鳥取城
2019年5月9日
戦国時代から江戸時代にかけて様々な時期の遺構が残り「城郭の博物館」とも称される鳥取城。球型に積み上げられた巻石垣や、片山東熊が手がけた洋風建築、仁風閣など、みどころが多い鳥取城。
松江城
2019年5月15日
松江城(まつえじょう)は、現在の島根県松江市殿町に築かれた江戸時代の日本の城。 別名・千鳥城。現存天守は国宝、城跡は国の史跡に指定されている。この他に日本さくら名所100選や都市景観100選に選ばれている。天守が国宝指定された5城
月山富田城
2019年5月15日
島根県安来市広瀬の月山に築かれた中世から近世初頭にかけての山城。富田(とだ)城・月山富田城ともいう。戦国大名尼子(あまこ)氏の居城で,平安末期に平景清(かげきよ)が築いたとの伝承がある
津和野城
2018年6月8日
津和野城は町の南端に位置する標高370mの山上にあった。別名を三本松(さんぼんまつ)城、蕗(ふき)城、山の名を霊亀山という。南北3kmにのびる丘陵上にあり、中世には全山が城塞として使用された。城跡は国の史跡に指定されている
津山城
2019年5月20日
美作・津山城(つやまじょう)は、岡山県津山市山下にある梯郭式平山城で、日本三大平山城のひとつです。別名は鶴山城(かくざんじょう)
備中松山城
2018年6月9日
松山城は岡山県高梁市内山下にあった日本の城である。別名、高梁城。「備中松山城跡」として国の史跡に指定されている。日本100名城。四国の愛媛県松山市にあった松山城を初め、各地の松山城との混同を避けるために、一般的には「備中松山城」と呼ぶ。
鬼ノ城
2019年6月5日
鬼ノ城は、古代の正規の歴史書には登場しないが、後世の文献である鬼ノ城縁起などにでてくる。それによると「異国の鬼神が吉備国にやって来た。彼は百済の王子で名を温羅(うら)という。彼はやがて備中国の新山(にいやま)に居城を構え、しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり、婦女子を掠奪したので、人々は恐れおののいて「鬼ノ城」と呼び、都へ行ってその暴状を訴えた・・・」。これが、一般に温羅伝承と呼ばれる説話で、地名もこれに由来している。
岡山城
2018年6月10日
1573年築城後、豊臣秀吉や池田氏の入城で整備された。再現された天守閣は古い築城法を用いた為外観が黒く、「金烏城」とも呼ばれている。
福山城
2018年6月9日
福山城は広島県福山市丸之内1丁目にあった日本の城で、城跡は国の史跡に指定されている。久松城、葦陽城とも呼ばれる。日本における近世城郭円熟期の代表的な遺構であり、2006年2月13日、日本100名城に選定された。
郡山城
2019年5月19日
吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)は、広島県安芸高田市吉田町吉田にあった日本の城。安芸国の戦国大名毛利氏の居城であった。城跡は「毛利氏城跡 郡山城跡」として国の史跡に指定されている。
広島城
2018年6月8日
復元された5層の天守閣に桃山時代の様子がうかがえる内部は武家文化を中心に紹介する歴史資料館で、美術工芸品などを常設展示している。
岩国城
2018年6月8日
桃山風の南蛮造りの天守閣は昭和37年に再建されたもので、3階までは武具甲冑類が展示されている。展望台からは市街が一望できる。
萩城
2019年5月16日
萩城は指月山(標高143m)の麓にあり、指月山頂にも要害である詰丸が設けらていた。阿武川デルタの根元を横断し外堀とし、その内が城域となり、外が城下町であった。外堀の内に三の丸、中堀の内が二の丸、内堀の内に本丸が設けられた
徳島城
2018年5月27日
吉野川の河口にある中州に、標高61.7mの渭山(いのやま)(猪山)があり、徳島城が築かれています。
高松城
2018年5月26日
香川県高松市玉藻町にあった日本の城である。別名・玉藻城(たまもじょう)。国の史跡に指定されている。水陸の攻防と水運を考慮して建造された全国でも珍しい水城。敷地内には松平家家宝の一部を展示した玉藻公園陳列館がある。
丸亀城
2018年5月25日
小山を利用した平山城で、扇の勾配と呼ばれる曲線の石垣をもつ。天守閣も優美で、風格ある名城。国の重要文化財に指定されている。
今治城
2018年5月23日
城造りの名人藤堂高虎が築城、堀に海水を取り込んだ代表的な平城。五層六階の天守閣は昭和55年の再建。旧本丸跡には吹揚神社がある
湯築城
2018年5月23日
湯築城は、愛媛県松山市道後町にある城跡。堀や土塁が現存する。国の史跡に指定されている。
松山城
2018年5月23日
松山藩15万石の巨城。慶長8年に築城当時から残る乾櫓や一の門がある。安政元年に再建された天守閣は重要文化財であり、桜の名所でもある。
大洲城
2018年5月25日
肱川に沿って築かれた景勝の城跡で、1595年に藤堂氏が城主になったときに改築され、近代的な城郭となった。現在は石塁、台所櫓などが残されている。
宇和島城
2018年5月25日
現在の地に初めて天守が建造されたのは慶長6年(1601)藤堂高虎(とうどうたかとら) 築城のときとされています。城の外郭は上から見ると不等辺5角形をしており、随所に築城の名手と言われた高虎ならではの工夫が見受けられます。 藤堂高虎の築城後、伊達家歴代の居城になった。比翼の千鳥破風を組み合わせた外観が美しい名城。国の重要文化財。
高知城
2018年5月28日
三層六階の天守閣から市街を見下ろし、五台山などを遠望できる。本丸の一角は歴史参考資料等を展示した懐徳館になっている。高知城(こうちじょう)は、高知県高知市(土佐国土佐郡高知)にある日本の城。別名鷹城(たかじょう)。 江戸時代には土佐藩の藩庁が置かれた。江戸時代に建造された天守や本丸御殿(なお、天守と本丸御殿が両方現存しているのは高知城のみである。
福岡城
2018年6月6日
福岡城は黒田孝高(官兵衛)・長政父子によって築いた城で、江戸時代を通じて福岡藩黒田氏の居城として知られています。城の規模としては九州一の巨城で、築城の名手と謳われる加藤清正もこの城を評価しています。現在、城跡の大半は舞鶴公園として、当時の外堀が大濠公園として整備されています。また、重要文化財に指定されている多聞櫓のほか、祈念櫓や名島門などの遺構が残っており、当時の様子をうかがうことができます。
大野城
2018年6月6日
越前大野城は、天正4年頃(1576)、織田信長より大野郡の3分の2を与えられた金森長近により、4年の歳月をかけて築城されました。大野城は2層3階建の大天守、2層2階の小天守、二の丸、三の丸があり、外堀・内堀をめぐらし城を守っていました
名護屋城
2018年6月6日
名護屋城(なごやじょう)は、肥前国松浦郡名護屋(現在の佐賀県唐津市(旧東松浦郡鎮西町・呼子町)、東松浦郡玄海町)にあった日本の城。太閤豊臣秀吉が文禄の役を始める前に築かせた。現在、国の特別史跡に指定されている。
吉野ヶ里
2018年6月6日
V字形に掘削された総延長約2.5kmの外環濠の内外に土塁、逆茂木などを築き、物見やぐらを複数配置し、さらに北内郭、南内郭が設けられた「城のルーツ」ともいうべき環濠集落である。
佐賀城
2018年6月6日
外堀と水路に囲まれた自然豊かな美しい城跡「佐賀城」。 天守閣は佐賀の乱の際に焼失したと言われています。 現在は、鯱の門と続櫓のみが残っており、国の重要文化財に指定されています。
平戸城
2018年6月5日
日本でも珍しい海城。山鹿素行が設計した。現在、旧二の丸一体は亀岡公園になっており、桜の名所として知られ、また、マキ並木や五色椿なども美しい。
島原城
2018年6月2日
徳川幕府の一国一城制により、松倉重政が1618年から7年3ヶ月かけて築いた。キリシタン史料館や民俗史料館などがある。平成8年5月観光復興記念館開館。
熊本城
2018年6月1日
熊本城は、現在の熊本県熊本市中央区に築かれた安土桃山時代から江戸時代の日本の城。別名「銀杏城」。 加藤清正が中世城郭を取り込み改築した平山城で、加藤氏改易後の江戸時代の大半は熊本藩細川家の居城。明治の西南戦争の戦場となった。
人吉城
2019年10月28日
熊本県人吉市麓町にある日本の城(平山城跡)。相良氏が鎌倉時代に地頭として人吉荘に赴任して以来35代670年の長きにわたり在城し、江戸時代には人吉藩の藩庁であった。国の史跡に指定されている。
大分府内城
2019年10月26日
大分市荷揚町に所在する「府内城」(荷揚城)は、府内藩主の居館および武家屋敷により構成された、近世城郭の特徴を色濃く残す城です。大分川と住吉川に挟まれ、かつて海辺に面した府内城は、白土の塀と、まるで水上に浮かぶその姿から、「白雉(はくち)城」とも呼ばれています。
府内城は、大友氏が国を去った後、豊後を治めていた早川氏に続き、府内に入った福原直高により、築城が行われ、その後竹中重利により、現在の府内城の形が出来ました。府内城下町も同じ時期に形成され、今の大分市街地のおおよその形は、この頃に作られました。
岡城
2018年5月31日
岡城は、豊後国直入郡竹田にあった日本の城である。「臥牛城」、「豊後竹田城」とも呼ばれる。
飫肥城
2019年10月26日
飫肥城(おびじょう)は、日向国南部(現在の宮崎県日南市飫肥)にある日本の城である。江戸時代は伊東氏飫肥藩の藩庁として繁栄した。飫肥市街北部の丘陵に曲輪を幾つも並べた群郭式の平山城である。
鹿児島城
2019年10月28日
昭和28年9月7日に県の史跡に指定されました。鹿児島(鶴丸)城は、慶長6年(1601年)頃に、のちに島津家第18代当主・初代藩主となる家久が建設に着手した島津氏の居城で、背後の山城(城山)と麓の居館からなる城。正面中央には、鶴丸城の御楼門がありましたが、明治6年(1873年)の火災で焼失。
今帰仁城
2019年10月30日
今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう、別名:北山城(ほくざんじょう、ほくざんぐすく))は、沖縄県国頭郡今帰仁村に位置する城跡である。
14世紀、琉球王国成立以前に存在した北山の国王・北山王の居城であった。国の史跡に指定されている。
中城城
2019年10月30日
中城城跡は、中城村と北中城村にまたがり東北から南西にほぼ一直線に伸びた標高150m〜170mの石灰岩丘陵上の縁辺部に立地する山城で、南東側は15m以上の切り立った断崖、北西側は勾配のきつい傾斜面となっているため城内に至るには正門や裏門に面している南北の丘陵尾根沿いしかなく、守りやすく攻めにくい地に築かれています。
城は6つの郭からなり、城壁は琉球石灰岩で積まれ、自然の岩石と地形的条件を巧みに生かしながら美しい曲線で構成されています。
首里城
2019年10月30日
首里城は、琉球王国の幾多の興亡を伝える歴史の証人。 琉球の島々を治め、中国、 日本、朝鮮、東南アジアの国々と外交、貿易を展開した首里王府の司令塔として、王とその家族等が住み、華麗な王朝文化に彩られた空間でした。その首里城を訪ねて百名城制覇達成でしたが、翌日に炎上消失という悲しい出来事に遭遇してしまいました。
洲本城
2019年1月27日
洲本市街を望む三熊山の山上一帯に築かれた山城。その歴史は、戦国時代の安宅氏の築城に始まり、その後仙石氏、脇坂氏が城主になった。現在見られる石垣の城にしたのは脇坂氏とされている。当時の建物は残ってない...