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メンバー情報

ID9517
名前臥龍梅
コメント 時間とお金ができたら出かけよう
(しかし 留守宅が心配 最近空き巣狙いが続発)
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
二条城
2017年6月7日
53 二条城(にじょう)京都府京都市中京区二条通 スタンプ:大休憩所

現存御殿組は 掛川 高知も。土塀築地塀残る。輪郭式。
徳川幕府盛衰の歴史を物語る城。家康が征夷大将軍の祝宴催し 最後の将軍慶喜が大政奉還を発表した。家光が後水尾天皇(中宮和子は家光の妹)の行幸を仰ぐため御殿や天守造築。

豪華な二の丸御殿は現存 国宝の遠侍(表御殿玄関の旧呼び方)/大広間/黒書院(小広間)/白書院(御座の間)。西南に二重二階隅櫓。伏見城から移築の五重層塔式の天守は落雷で焼失 天守台は残る。二の丸御殿大広間上段の間の天井は 二重折上格天井。
信長とルイス・フロイスの再会は築城中の二条城 堀の橋の上。本能寺の変で信長の弟織田長益は織田信忠と共に逃げ延び国宝茶室「如庵」(有楽斎)つくる 愛知県犬山市。
新発田城
2018年3月15日
31 新発田城 (しばた)新潟県新発田市大手町 

 雪国は閉城季節あり 城にてスタンプ押せず。
 前もって電話で確認した方が良い。

 初代溝口秀勝は秀吉の命にて加賀から。
 平成10年秀勝侯入封400年記念として三階櫓と辰巳櫓の復元が平成16年。
 赤穂義士堀部安兵衛像。辰巳櫓の管理責任者 安兵衛の父中山弥次衛門は失火責任負い浪人。家名再興のため18歳で江戸に出て高田馬場で敵討。
壁は瓦張り漆喰で補強の海鼠壁は三階櫓・本丸表門・旧二の丸隅櫓。城下に現存足軽長屋。 近くに「蕗谷虹児記念館」、金襴緞子の帯締めながらの「花嫁人形」は切手のデザインにもなった。「菅谷不動尊」参拝、美人になれるお湯「月岡温泉」清風苑泊。
雪国対策として前もって担当課に問合 登城者に寄添える「模範男性職員」がいた。新潟は良いところ!
岡崎城
2018年4月5日
45 岡崎城(おかざきじょう)  愛知県岡崎市康生町 岡崎公園内 
スタンプ:岡崎城天守閣 1階

徳川家康はこの城で生まれ 後 天下を統一。神君誕生の地。現在岡崎公園。
東海道から城下町に入る道を防ぐため曲げた「27曲り」碑がある。しかみ像。
金沢城
2018年10月23日
35  金沢城 (かなざわ)   石川県金沢市丸の内

金沢城公園
前田利家公居城。石垣の博物館ごとく種類多 穴太衆活躍。戸室石。
開けゴマ!とばかり門が現れる。裏門の重文@現存石川門(内枡形門 二重櫓 菱櫓鉛瓦葺 唐破風出窓石落 海鼠塀)正門A河北門B橋爪門が「金沢城三御門」らしい。学び舎の金沢大学もあった。
50m二重二階多門櫓の重文「現存/三十間長屋」復元橋爪一の門 続櫓 五十間長屋 菱櫓もお見事 カメラはワイドで。現存最長土塀は熊本城 次が石川門。
利家の正室玉泉院(永姫/信長娘 天正9年嫁ぐ)「玉泉院丸庭園」広大。
一向一揆金沢御堂(尾山御坊)跡地に 信長家臣佐久間盛政築 1583年入国利家が金箔瓦天守築くが慶長7/1602落雷で焼失 慶長4年内惣構 慶長15年外惣構が二重に巡る。
兼六園(白河藩主松平定信命名/作庭は五代綱紀)現存最古噴水ことじ灯篭 城・兼六園を世界遺産目指している。
丸岡城
2018年10月23日
36 丸岡城(まるおか) 福井県坂井市丸岡町 別名:霞ケ城

「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」手紙文化発祥地。
家康家臣の本多作左衛門重次が 陣中から妻への手紙
 私は幼いころ お仙とは誰か子どもの名かなと思っていたが、お仙こと仙千代は初代丸岡藩主本多成重。後の福井城主 松平忠直に仕えた仙千代。
一向一揆備え 信長命 柴田勝家の甥(天正4年/1576)柴田勝豊築。古風な外観は安土桃山時代 越前丸岡城 現存12天守 望楼型 本丸と天守 僅かな石垣残る
残念ながら国宝ではない(地震倒壊)最上階の廻縁(高欄の手すりあるが)は外へでられず、防寒で屋根が全部石瓦、天守出窓は白木出格子板葺きの屋根と簡素 排水良く大雨で崩れにくい野面積み6me石垣、石の阿吽の鬼瓦、二層三階こじんまりまとまり愛着感じる良い城。
航空写真で見ると五角形のかつての広い堀が今は道路として残る。天守・御殿が五角形の内堀で囲まれていた。
【階段が!】天守閣へは太いロープで上り下り、ロープが心強い。
しかし 行きは良い良い帰りは恐い 玄関から地上へ降りる石段ご用心!足を滑らさないように。
一乗谷城
2018年10月23日
37 一乗谷城(いちじょうたにじょう) 福井県福井市

城下町が埋もれていた 発見した人は驚いただろう 北陸のポンペイ遺跡。
復元街並リアル。戦国大名朝倉氏の城下町。
兵庫県養父市の豪族朝倉氏が南北朝時代主家に従い越前に、1467年応仁の乱功あり、一乗谷に移り越前平定。5代103年間。1573年刀根坂の戦で信長に敗れる。
館の東側尾根 海抜473mの一乗城山の頂上付近に山城。背後の山に四つの詰め城。小見放城・成願寺城・三峰城配し本拠居館を防備。一乗谷川東岸に館 川西岸には大規模な武家屋敷群・寺院。京や奈良の貴族・僧侶とも交流 北陸の小京都。南陽寺跡庭園は足利義昭も訪れた。
特別史跡・特別名勝・重要文化財と国の三重指定。ロマンかきたてられる。
著名な方々が訪れるが( 有名人の名は忘れた)見所多くたっぷりの時間必要。
以前 福井県巡り・佐々木小次郎「燕返し」一乗滝で 遺跡を通り過ぎたが城跡だったのか。
松代城
2018年10月24日
26 松代城(まつしろじょう) 長野県長野市松代町

海津城址公園、
信玄と謙信の川中島戦い拠点 北信濃狙う武田信玄公が築城 縄張は梯格式 山本勘助。千曲川の流れを外堀とする天然要塞。信玄 織田家臣森長可 上杉景勝 江戸時代真田三代藩主幸道が「松代城」と改名、10万石の城下町、9代幸藩主「文武学校」開校(8代幸貫が水戸の「弘道館」もとに計画)今は新御殿(真田邸)とともに国史跡。
江戸時代の本丸太鼓門・太鼓前橋はこうだったのか、タイムスリップしたかのよう。
二ノ丸土塁に埋門三ヶ所も復元。野面積み戌亥隅櫓台は天守台に等しい。
廃城の際石垣は残るとか買い手つかない。クレーン車でもあれば運べたのに。
本丸北不明門は千曲川に接していた。眺め良好!
小諸城
2018年10月24日
28 小諸城(こもろ)長野県小諸市  別名:酔月城 白鶴城

小諸城址「懐古園」  国重文財・大手門(小諸城正門)   日本桜名所100選
「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ」藤村ロマン漂う信濃名城 
閉門寸前ひっそりと 城も日没前は人気がなく寂しい 大手門は変わらず!
三の丸 二の丸 本丸と低く 城下町より低い「穴城」。
徳川秀忠ゆかりは行けたけど 藤村記念館・小諸義塾記念館などは次回に。(散策券300円で園内散策・動物園入園できる)信濃の秋の日暮れ早い。
信濃守護小笠原氏の流れくむ大井光忠鍋蓋城築く、信玄拡張、豊臣時代に仙石秀久(秀吉の四国・小田原攻め功)忠政親子が三重の天守 大手門 三の門建造 織豊系に改修。仙石氏といえば真田氏が松代城ヘ移封後、上田城(真田城)入封のお殿様でしたね。重文・三の門「懐古園」扁額の文字は徳川家。
かつて夏休みに小諸城・軽井沢を訪れたことがあり 早朝の軽井沢をレンタルサイクルで風をきり走った思い出が甦る。
高岡城
2018年10月24日
33 高岡城(たかおか) 富山県高岡市古城

国史跡・高岡城跡  高岡古城公園
日本の歴史公園100選 日本の都市公園100選 桜名所100選 日本遺産
富山城火災のため加賀藩前田家二代目前田利長公が築く 元和一国一城令で未完成(後隠居で富山城へ)水堀と曲輪はほぼ当時のまま 城域三分の一が水濠。
中心市街地に東京ドーム4.5倍の広大な面積 三つの水濠に囲まれた水濠公園。
二の丸から本丸へ繋がる「土橋」(唯一現存は土橋台の石垣)は富山城に共通。 
築城当時の石垣刻印探しに城だと認識。
高岡万葉まつりのメイン会場では全国から人々が集まってくるそう。
公園内の「芸術の森」には高岡の銅器の技術をいかした日本の代表的な彫刻家の作品を設置しています。勿論前田利長公の銅像もあります。とにかく広いのです。

「越中国一之宮・射水神社」。近くに高岡大仏もあり。
七尾城
2018年10月24日
34 七尾城(ななお) 石川県七尾市

戦国時代前期169年間能登の畠山氏居城、山全体が巨大山城。
初代畠山満慶(足利一門の家臣畠山基国次男)京都にあり 家臣の守護代遊佐氏が能登治めた。
お家一大事には団結し畠山氏を守る家風が、戦国怒涛でお家芸もままならず織田方と上杉方に分かれ越後の謙信に落城。信長が前田利家に与え 利家は七尾城修理と共に麓海際に小丸山城築 完成後は七尾城廃。
標高約300m七尾城跡は石垣の山城 低い野面積石垣が数段積み重ね、資料館脇から150分と本丸駐車場から50分コース。桜馬場西曲輪の温井屋敷九尺石。本丸二ノ丸直線的の連郭式。
畠山文化、城主子孫建てた「七尾城史資料館」出土した天目茶碗や武器・武具や城主直筆書等貴重な資料展示、籠もりの砦で無く日常的な政治活動や生活の拠点城郭 多数の屋敷地終結の山上都市だった。
画家・長谷川等伯が七尾の出身だとか。案内された方が長谷川等伯のご親戚だそう。近くここで詩吟大会が行われ全国から詠み人が集まられるとか。
かつては、多くの文化人が都から七尾に訪れ、和歌や連歌の会が催され多くの作品が詠まれた。
上田城
2018年10月25日
27上田城(うえだ)長野県上田市 別名:尼ケ淵、伊勢崎、松尾、真田城

上田盆地中央 真田昌幸(兄二人「長篠の戦」戦死、上田家継ぐ)築。
 堀と土塁 虎口に石垣城 徳川大軍二度も撃退し天下に名を轟かせた。
関ヶ原合戦後 昌幸の長男藩主真田信之は松代へ。小諸より仙石忠政入封 城大改修。
但馬国出石より松平忠周入城、近世後は松平氏居城。(昌幸の父で信玄家臣真田幸隆/幸綱は真田本城居城)
駐車場から見える現存本丸隅西櫓の外壁は下見板張り、早く訪問したい、気が焦る。再建の東虎口櫓門は左右の南櫓と北櫓で繋がり 人の多さに真田ブームは終わりを告げていないと知る。
本丸東虎口横「真田石」鏡石はでっかい。伝説の真田井戸。当時、城の南側尼ケ淵に千曲川が流れ天然堀だった。
信之移封先の松代城も千曲川に接し真田家は千曲川に縁あり。二の丸堀の橋の下にプラットフォーム跡があるのですよ。藩主屋敷門「古城の門」は地元高校正門。
大河ドラマ放映中 草刈正雄さんが真っ赤なオープンカーで「九度山」をパレードしていた、晩年も魅力ある役者さんですね。
松本城
2018年10月25日
29 松本城(まつもと)長野県松本市 別名:深志城

国宝 木造現存 さすが日本100名城表紙飾るに相応しい。
戦闘の黒堅固天守と平和な時代の辰巳附櫓・月見櫓。
最上階(天守六階)天井中央に 二十六夜神 城守る神様祀る。
ここまで登城でき感激。
武田四天王 築城名人 馬場信房築(天正10年松本城名に改称)石川氏改築。総構ありそうだが無。最初は乾に「小天守」(沢山の丸太柱は築城当時400年以上)そして渡櫓で連結「大天守」増築 最後に辰巳付櫓と月見櫓。一気に現姿にならず。
太鼓門 黒門は復元、本丸御殿跡、二ノ丸御殿跡は幕末迄藩政庁 今は史跡公園。
現存五重大天守は松本城と姫路城の二基。
舞良戸外せば開放感の朱塗り欄干付き月見櫓(家光お出迎用)はススキ飾り秋夜長楽しもう。(国宝裏話・廃藩置県で天守売却され 買戻し成功 )二の丸太鼓櫓玄蕃巨石。
城・市立博物館共通券 博物館入館忘れ残念。
クーポン券背景の雪山連峰は飛騨山脈北アルプスで中央の高山は2857m常念岳 長野百名山。
松本押絵雛は男女でなく帽子被った男性二人の珍しい雛、
めでたい大黒様と恵比寿様でしょうか。
高遠城
2018年10月25日
30 高遠城(たかとおじょう)長野県伊那市高遠町東高遠城跡 別名:兜城

三度目の登城。余裕ありでガイドさんの説明をばっちり耳にとらえる。
藩校進徳館・高遠閣(国・有形文化財)・廃城後の空堀・桜雲橋と問屋門(本丸御門跡/一の門二の門の枡形門あった/城下から移築)・新城藤原神社・太鼓櫓(本丸南隅櫓跡) ここからの中央アルプスの眺めは格別。本丸空堀はよく残っていた。
(三峰川の白山橋・高遠湖。高遠ダムも散策)
高遠頼継攻略の信玄 勝頼弟仁科盛信 信長に落城。仁科五郎盛信が織田軍を迎え撃った壮絶な戦地。
江戸時代は保科氏 鳥居氏 内藤氏 約270年間。保科正之は2代将軍徳川秀忠の子で、高遠から最上(山形)、会津へ、会津松平家の藩祖。
保科正之公を大河ドラマにとの運動に署名したがまだのよう。
桜のないシーズンは何とも言えずもの悲しい、ここはどこだ!
春は桜狙いの旅人がわんさか押し寄せます、又地元の案内人の方はとても親切。
スタンプは伊那市立高遠町歴史博物館。
足利氏館
2018年11月10日
15 足利氏館(あしかがしやかた) 栃木県足利市

四方水堀と土塁で防御 唐破風屋根の太鼓橋渡り八脚楼門(13代将軍足利義輝再建)の山門くぐる。太鼓橋は足利の富豪木村半兵衛発起人で幕末期建。樹齢600年大銀杏眩い。西門は鎌倉期武家造。
代表的な寺院建築。国宝・鎌倉時代「大御堂/本堂」。室町時代重文「経堂」鎌倉時代重文「鐘楼」江戸時代の多宝塔・宝庫(校倉)。建久7/1196足利吉兼持仏堂が起源。吉兼は源義家孫 源氏正統。頼朝の平家追放に応じ 奥州藤原氏征伐功あり 足利一円の支配者。頼朝の妻政子の妹時子と婚姻。吉兼息子の義氏が本堂・塔頭12坊建てる。鎌倉五山「建長寺 円覚寺 寿福寺 浄智寺 浄妙寺(吉兼開基)」思わせる佇まい。足利3代の義氏から5代目が室町幕府将軍足利尊氏。足利氏発祥地 氏寺として保護され中世武士の居館「方形館」堀や土塁遺構残る。何だかここでノート片手室町時代の歴史のお勉強になってしまいましたね。
織物・歴史の町 少し足延ばせば日本最古の総合大学「足利学校」(学徒3000人 ザビエルが「日本最大の坂東の大学」)孔子廟には儒学の祖孔子。小京都足利秋によせて。
佐倉城
2018年11月11日
20 佐倉城(さくらじょう) 千葉県佐倉市  別名:鹿島城
家康 土井利勝(家康・秀忠・家光に仕える)築城命ず。 江戸東要として譜代大名。歴代九人が老中、最多「老中の城」。
佐倉城跡歴史公園、本丸 二の丸 三の丸 その外縁の郭も広大かつ良好に残る。
懸造三重天守あった。石使わず土塁と深い空堀、水堀で守られた土造城。
天守跡 国立歴史民俗博物館前「巨大な復元(草)角馬出」空堀 水堀の南出丸や西出丸必見。 江戸湾海防任では無い。

本丸御家形は家康・秀忠鷹狩御成宿、代々城主は年始・五節句等以外では常用せず二の丸内のご対面所居住。
幕末に老中(2度)首座としてハリスと開国条約締結に奔走の堀田正睦は洋学を取入れ日本初の私立蘭方医院兼医学塾順天堂開設。今や人生100年 医療も大事。
この広大さ緑の世界は散策にもってこい マラソン愛好家にも宜しいのでは。手入れが行き届き綺麗。
江戸城
2018年11月11日
21 江戸城(えど)東京都千代田区千代田

江戸城 (旧本丸・二の丸 皇居東御苑)。
浅野内匠頭殿中でござる松の廊下跡 大奥跡 茶畑。
甲賀・伊賀・根来・25騎馬等鉄砲100人組 百人番所 紀州藩入城には配慮。
春と秋乾通り一般公開は坂下門から。
虎の門は外郭城門 。坂下 清水 田安 平川と門が多いが不浄門は帯曲輪の平川門(山里門)。唯一の土門は喰違御門。桜田門は外枡形 櫓門外にある。地震の間
徳川300諸侯だが 城もたぬ陣屋大名100。
家光は「正保城絵図」(城絵図・郷帳・国絵図と三点セット)を城内の紅葉山文庫に収納重文63城 図書館を見学したい。 

巨大な石垣に圧倒される。各国からの献上石。
築城にはまず礎石や石垣が必要 伊豆からも採石したが 江戸城普請の建造船は藩の家紋入り幟をなびかせ到着 浅野幸長が一番乗り。
一石に1000人から1500人、音頭取りが木遣を歌いながら引いた。 祭騒ぎか 石引き人足のトラブルが「火事と喧嘩は江戸の華」の名物「喧嘩」ともなった。
江戸っ子は気短で威勢が良かったのでしょうか。

写真写せばバックに高層ビル、やはり東京。
鉢形城
2018年11月13日
18 鉢形城(はちがたじょう) 埼玉県大里郡寄居町鉢形

北武蔵 荒川がよく望める、春には北条氏邦にちなんだ江戸彼岸桜の巨木「氏邦桜」が満開 又 かたくりの花も咲く。戦国時代平山城跡は歩け歩けのコース。
城歴史館には250分の1の復元模型もあり、入館していくと 弓と鉄砲をかまえた兵が上からいかにも攻撃してきそうでギョッとし 復元模型で良かったと胸をなでおろす。
小田原北条氏の北関東の支配拠点、三の曲輪虎口に「四脚門/しきゃく・四阿/あずまや」)を復元。巨大な空堀の二の曲輪 三の曲輪が300me 角馬出 横移動防止の障子堀も。(秀吉の小田原攻めで落城)北条氏5代の一族は今川 武田 徳川家と姻戚関係で勢力大にした。山城は土図盤「兵法雄鑑」北条流築城。
川越城
2018年11月13日
19 川越城 (かわごえ) 埼玉県川越市郭町 別名:初雁城
訪れる人の多さに驚く 交通の便利良さそう。天守は持たず。
現存は銅板葺き大唐破風屋根の玄関(車寄)と本丸御殿棟続きに 個人宅から移築復元の家老詰所。広間6部屋見学できる 36畳1025坪。17万石 富士見櫓跡(天守代用)老中7名。
川越城だけでなく この辺は見所が多い。松平信綱小江戸を 再度じっくりと尋ねたい。
扇谷上杉氏の家宰太田道真・道灌親子築城 三大夜戦(河越・北条 厳島・毛利 桶狭間・信長 頼山陽「日本外史」)で後北条氏奪回。
現存御殿は川越、掛川、高知、国宝二条城。
江戸の大手は小田原 搦手は川越 徳川譜代大名が代々藩主。松平信綱は拡張・城下町も整備。水堀もめぐらした。
 
八王子城
2018年11月13日
22 八王子城(はちおうじ) 東京都八王子市

「御主殿」「御主殿虎口」が東京都教育庁のポストカードになっている。
標高460m頂上コースは途中まで 次回は日中明るい時に。
小田原北条 氏康(最盛期) 三男氏照築。 秀吉の関東制圧(前田利家・上杉景勝・真田昌行幸ら/石田三成は不参加)にわずか一日で落城 未完成山城は築城技術到達点 惜しい。本丸の要害地区 山麓の居住地区 外郭の防御施設 後北条氏最大規模の支城。
平山城の滝山城から大城郭山城八王子城に引越したは謎。
発掘調査 最近石垣・虎口・曳橋整備。御主殿跡や入口石段 冠木門復元。御主殿虎口前の石段は三度曲がる。安土城参考に。ベネチアのレースガラスも出土。
曳橋・石垣・虎口の景色が良い、写真映えしそう。模型図でみると頂上に八王子神社があるよう。秋には色づく紅葉にハイキング楽しめる。
箕輪城
2018年11月23日
16 箕輪城(みのわじょう) 群馬県高崎市

榛名山丘陵 長野氏築 信玄に落城 武田氏 織田氏 北条氏 徳川氏の家臣。井伊直政には初めての城主 12万石で入封 高崎に移り廃城。
巨大な堀(水堀が無い)土塁 土造城を石造に大改修。石垣築く初城主。
宮中に参内身分、家康は正室築山殿と同じ井伊家の血を引く直政を長男信康の身代わりとして育て徳川家命運を賭ける。いゃー 井伊直正びいきだ(徳川四天王直政は彦根藩初代藩主となる)。(関東統治取次役の信長の重臣滝川一益は 箕輪城に続き 厩橋城居城)
高崎市は約10年直政期中心に発掘調査 史跡公園に。
で 三の丸石垣 三の丸下層石 本丸西虎口の門跡 郭馬出西虎口等を発掘。
それで二階建て櫓門「郭馬出西虎口門/かくうまだしにしこぐちもん」が平成28年完成(門柱の八礎石や屋根の雨水受の溝が極めて良好に残っていた)
着々と答えを出す。
おかげでスギ ケヤキ マツ香る「郭馬出西虎口門」くぐり抜け 見渡す限り緑の風景を楽しめた。
次のウルトラCも期待!
礎石四石、一階建ての高麗門「本丸西虎口門」が狙い?
金山城
2018年11月23日
17 金山城 (かなやま) 群馬県太田市金山町

新田一族の岩松家純築城 下剋上の由良氏時代が全盛期 上杉謙信や武田勝頼などの攻撃にも落城せず 小田原北条氏の支配期 秀吉の北条征伐で廃城。太田道灌「天下の名城」と褒めし。
金山山頂の実城/みじょう(本丸)から伸びる尾根を削平した曲輪 堀切・土塁で堅固な戦国時代の山城。ハイキングコースにもってこい。
石 石 又 石の出迎え 通路まで石垣 石垣マニアには頂上までの登城がたまらない。両側が脇曲輪 その奥の壁のような土塁石垣、城最大防御点の「大手虎口」が復元整備され 通り過ぎるのが勿体無い。
金山城付近は良石に恵まれたのか。日ノ池から物見台周辺も復元整備
 駐車場までどんな廃城だろうと思い車を降りたが 予想は嬉しい外れ 
流した汗と苦労は報われる 登城してがお楽しみ城。
南曲輪の中島記念公園 関東富士見百景 眺めも乙なもの。
水戸城
2018年11月24日
14 水戸城  茨城県水戸市三の丸 別名:馬場城 国特史跡(弘道館・徳川斉昭)

工事中だった。藥医門や弘道館(藩校)残る。
本丸跡に佐竹義宜氏の現存橋詰門(藥医門)本丸跡の県水戸第一高内へ復元移築。
本丸跡でお勉強できるのです。(藥医門は鏡柱と控柱の上に切妻屋根架けた格式高い城門)鎌倉時代の馬場氏館 江戸氏 秀吉北条征伐後 太田城より佐竹義宜氏大改修
 家康11男頼房入城「御三家城」は本丸に天守無く三重五階の御三階櫓(二の丸)を天守代用 末っ子は控え目。「水戸城実測図」によると堀切設け三の丸二の丸本丸と曲輪直線で本丸を先端におく「連郭式」盛岡・島原城も。西の丸無し。廃城令で御三階櫓(空襲焼失)以外破却 2020年二階建大手門(幅10間)二ノ丸角櫓 450m土塀復元目指す。
2020.2/5 木造大手門完成披露。これで又水戸に行ける。
小倉城
2018年12月12日
181  小倉城 (コクラ)  福岡県北九州市小倉

 関ヶ原合戦後 初代藩主は細川忠興(妻は明智光秀の娘)中津藩主も 細川氏熊本転封後は 明石の小笠原氏が入封。
 天守閣の上層部が下層部よりが大きい「唐造り/南蛮風」 石垣は素朴な「野面積み」

 現在、エレベーター設置工事のため天守閣は来年三月末まで休館、入れず、
隣接の「北九州市立小倉城庭園(小笠原会館)」、ビルに囲まれた都心にありながら小倉城とともに江戸時代の雰囲気を味わえる。
文学に興味のある方は付近の「松本清張館」も訪れるが良い。

「(小倉祇園)八坂神社」神社東側(小倉城の中津口門解体石)の大石は睨み付けると成功するという伝説があり 
明治時代の若者たちには「大石にらみ」「出世石」だったそう。
現代も後利益いただければ嬉しいですね。
中津城
2018年12月12日
191 中津城 (なかつじょう) 大分県中津市二ノ丁本丸  スタンプ:中津城内

豊臣秀吉が黒田孝高(如水)入国させる。後は細川忠興 小笠原長次 奥平昌成。
地形が北より南方に扇状をなしているので別名「扇城」、本丸石垣 内濠は当時のまま 水門より海水が入って汐の満干で濠の水が増減。

天守台石垣(模擬天守)は黒田孝高の「野面積」細川の「打込み積」一目で石垣の積み方がわかる。
カメラにも城全体が綺麗に映り何度もふりかえりながらシャッターを押す、見返り城!。黒田夫婦の像もあり。孝高は天正15年豊前12万石で馬ヶ岳城入城。
「中津城/黒田孝高」「香川高松城/生駒親正」「愛媛今治城/藤堂高虎」と日本三水城。

一万円札肖像・人間皆平等であるの福沢諭吉は中津出身。(最近、慶応初等科の子供たちがこの地を訪れたそう、福沢先生もニッコリです)
第35代横綱「双葉山」は大分県を代表する誇るべき力士。
大分府内城
2018年12月12日
94 大分府内城(おおいたふない)大分県大分市荷揚町 スタンプ:大手門

安土・桃山時代 秀吉城。 別名「荷揚城/白雉城」
大堀に囲まれ、北は大分川と海に接した水城。
福原直高が秀吉の命で築、江戸時代に竹中重利が家康許可を得て改修。熊本(石工)大坂(大工)京都伏見(瓦師)最新技術。人質櫓・西の丸角櫓の両側の白壁・宗門櫓・帯曲輪・廊下橋。海側の本丸を二ノ丸山里丸三の丸がL字型に囲む梯郭式。各曲輪は一つの橋で連結。
重利の四層層塔型天守は火災焼失、野面積み天守台は現存。人質櫓と宗門櫓も現存。
松栄神社所蔵絵図「府内城諸櫓門図帖」によると、
塀や屋根の木製橋、防御・城の威信などを示す「廊下橋」が三箇所、
平成8年には神社へ繋がる廊下橋復元。ぜひ廊下橋を渡ろう。
夕暮れこんな時間に若い娘さんが神社のおみくじをひいていたのが怖い「良縁来る」祈る。
300年前あの大きさで聳えていた「仮想天守イルミネーション」
クリスマスではないけど雰囲気味わえる。点灯待ちで登城した。さあ 今夜は別府温泉で暖まろう。2020.2/9 天守はもう引き上げるそう。
熊本城
2018年12月12日
92 熊本城(くまもと)熊本県熊本市中央区本丸 スタンプ:桜の馬場城彩苑内
天下の名城 美しいの一言!
飯田丸五階櫓は無事 今に見ていろ この傷乗り越え銀杏城は大きく羽ばたく。

熊本城近くに宿 夕暮 厩(うまや)橋から入り「加藤清正神社」参拝 右側天守閣は青シートで覆われ雄姿見えず。 平成28年4月災害後立入禁止区域多い。
翌日早朝「未申櫓」で記念撮影。加藤清正築く名城、織豊系城郭の到達点極めた城。
本丸には大天守と小天守を 各曲輪には宇土櫓など五棟の五階櫓が並んでいた。
西南戦争で西郷隆盛の薩摩軍も退けたが本丸の大部分が消失 櫓12棟と清正流「扇の勾配」高石垣が残る。北東宇土櫓三重五階(地下一階 小西行長の宇土城天守移築でもないらしい 加藤清正築最初からあったか)最古現存宇土櫓。
尾張生まれ清正は27歳で熊本入国 
豊前小倉城主細川忠利、歌道茶道儀礼文武に秀でた忠利は信長秀吉家康に仕え肥後の藩主となる。(忠利の母親は明智光秀の娘、のちのガラシャ夫人)
2019大河ドラマ「いだてん」主人公 日本マラソンの父・箱根駅伝創設「金栗四三」熊本出身。
岡城
2018年12月12日
95 岡城(おか) 大分県竹田市 別名臥牛城
標高325m天神山断崖絶壁、播磨国三木城中川秀成が総石垣近世山城に改築(後に平山城)。
徴収所で絵巻物、杖勧める。広大すぎてどこがどうやら。大手門跡の石塀頂部に扇型のかまぼこ石。最大の見所は三の丸北側の聳え立つ高石垣。崖から雄大な景色を望むが足が竦む。ガイドさんによると今まで誰も落ちたことがないとか、じゃ これで落ちれば一生の不覚 注意せよ!
戦国武将秀成は本丸に天守代りの御三階櫓(三重四階)西の丸に御殿を。確かに櫓台と本丸南側の石垣はある。
版籍奉還後の廃藩置県で中川氏は東京移住、建物は全て破壊。頂上に神社が。「荒城の月」滝廉太郎(実家は日出藩・家老職)は岡城を遊び場にしたのか銅像もあり。最近岡城は人気ダントツ。(18歳志賀親次藩主は島津35000人を3000人で撃退した)
帰り体力に自信のない方は別コースで駐車場まで帰られた。春には桜が綺麗。ポスターの絵になる。2019・8/23サントリー文化財団は竹田市「滝廉太郎記念音楽祭」に第41回サントリー地域文化賞を、登城者増えそう。
臼杵城
2018年12月13日
193 臼杵城(うすき)大分県臼杵市臼杵丹生島 スタンプ:臼杵市観光交流プラザ

豊後の大友義鎮(宗麟)丹生島に築。大友氏 福原氏 太田氏 美濃の稲葉氏へと続く。
大友時代の防御力と都ぶりの巨館施設から 豊臣系大名の小大阪城 稲葉氏の乱世から泰平へ 見せる城へ。島津氏も退けたが 明治維新後に西南戦争で落城。
臼杵川河口の島、海に浮かぶ要塞の城。本丸と二の丸には25の櫓があったそう。
江戸時代から現存する古橋口から土塀が白い帯のように続き、
鎧坂を登り右端奥の「重箱造りの畳櫓」(現存)を通り 左折 中央奥の大門櫓くぐり二の丸に。天守台石垣に昔をしのぶ。大友宗麟レリーフ、複製の国崩しなど。
「グレゴリオ13世伝」(ローマ教皇の業績)天正遺欧少年使節団 日本の布教地点「Xxuqui」臼杵城紹介。今は臼杵公園 庭師が桜剪定を、春への準備。
鞠智城
2018年12月13日
189 鞠智城(きくちじょう)熊本県山鹿市菊鹿町米原 スタンプ:歴史公園鞠智城・温故創生館
国史跡。天智天皇の頃大和朝廷が築く山城、東アジアの政治情勢が緊張していて太宰府を守るため大野城(福岡)金田城(長崎)などが築かれこれらの城に食糧や武器、兵士を補給する支援基地だった。長者原地区に八角形鼓楼、兵舎、米倉などが復元されている。

鞠智城のシンボル「温故創生之碑」温故は調査研究、創生は整備による利活用を表す。
歴史公園のシンボルは「鼓楼・八角形」珍しい!
熊本県産材をたっぷり使い復元整備している。

平成20年10月23日、貯水池跡地から出土した銅像の百済系「菩薩立像」が眩い光を放つ。
高さ9.7p幅3.0pとかなり小型、優美なS字曲線、丸みを帯びた穏やかな表情、これを発見した人は学者、一般人? 像だとわかったのが凄い。
百済の亡命貴族の指導で築かれたと考えられる鞠智城の歴史的背景を物語る貴重な菩薩立像です。今でもキラキラした像が甦る。
島原城
2018年12月14日
91 島原城 (しまばら)長崎県島原市城内 スタンプ:城受付窓口
奈良県五條より松倉重政入封し七年の歳月かけ築城、城下町も整備。高力氏 松平氏。
明治維新で廃城、払下げ・解体、島原市民の取組みで明治39年天守閣(五重五階層塔型)復元。巽三重櫓・丑寅三重櫓再建。天守の外壁は縦横の竹格子を骨組みとし壁土を重ね塗厚さ30a以上「小舞」。石灰と麻混ぜ漆喰でしあげる「塗籠」。石垣の積石背後に小石詰込み安全性高める「裏込石」。石垣の分類荻生徂徠「けん禄」。綺麗な城はどんな工法か興味ありますね。
文化勲章受賞の芸術家北村西望(長崎平和祈念像の作者)の作品、春には梅も楽しめる。
「あの角度からの写真がおすすめ」親切な男性にカメラのシャッター押してくださり良い記念になる。
登閣記念で「島原城と雪」のポストカードいただく。
平戸城
2018年12月14日
90 平戸城(ひらど)長崎県平戸市岩の上町 別名:亀岡城 日の岳城

旅好きな友と長崎を訪れたが平戸湾が大のお気入で「あの城に登りたい」
しかし「あの高さ!廃城ではないか、可能か」「登れるのですよ」と自信たっぷり。
時も移変り 今日登城。江戸時代特別認定城。
天守閣から見下ろす見奏櫓と懐重櫓は感無量、平戸港 赤い平戸大橋 夕日落ち幻想的。
水軍の松浦党城、縄張は軍学者山鹿素行。
現存・北虎口門(唯一木造遺構)から延びる土塀の石狭間(通路)と狸櫓も残る。昭和37年に三重五階の模擬天守(中津、唐津城も模擬天守)建造/本来は櫓だが天守として。
「勝ちに不思議の…負けに不思議なし/常静子剣談」松浦静山居城。
田平より平戸港を望むと左に平戸城・中央に聖フランシスコ・ザビエル記念協会、右に平戸オランダ商館。
(時間に余裕ある方に「甲子夜話・かっしやわ」お勧め 藩主が20年書き溜めた話) 
天守閣から出ると現実に戻り あのオーロラ景色は夢? やはり狸に化かされていた。
現存「狸櫓」は伝説ありそう、守護神が狸だった。
今日の宿は佐賀の唐津。
佐賀城
2018年12月15日
89 佐賀城(さがじょう) 佐賀県佐賀市城内 スタンプ:城本丸歴史館受付
鍋島氏が260年治め「葉隠」生んだ城。二重二階櫓の本丸門の屋根上約20トンの青銅の鯱(しゃち)が出迎えてくれ、南東面の巨大な天守台にはかつて四重五階の天守閣があったと懐かしむ。さぞ見事だったでしょう。
本丸歴史館は10代藩主鍋島直正が再建した本丸御殿(平成16年復元)日本最大級の木造建築。(佐賀県立佐賀城本丸歴史館として公開している。)
そうでしょうね、時代劇の撮影かなと思うような衣装,化粧のお侍達が闊歩していて、
太陽が良く当たる明るい本丸御殿でした。(ハイカラさんが通るの衣装の女性もいるので二人で記念撮影しました。お化粧もドーラン化粧のようでしたよ。)NHKも近くでかなりの中心地です。
吉野ヶ里
2018年12月15日
88 吉野ヶ里(よしのがり)佐賀県神埼郡吉野ヶ里町 スタンプ:吉野ヶ里歴史公園東口・西口  
城起源とされる弥生時代(700年続く)環濠集落 
外敵に備え集落の周囲に二重三重に濠や柵を巡らせた城祖型。
耳をすませば弥生人の声が聞こえてきそう。私の足音がわかりますか。
あまりにも広すぎる。どう回ればよいのか 園内バス運行ルート。
環壕入口ー古代植物館ー北墳丘墓ー北内郭下ー西口が一般的。
子供・孫連れてくれば楽しいだろう。
上にあがれば見晴らしが良く全体が見渡せる。
物見やぐらにあがれば 家族連れも入ってきて 子供はゴロンと寝転ぶ、楽しそう。
沢山の蝋燭並べ何か光のイベントでもあるのか 冬至迎える祝事。
明日から始まる祭典らしく今晩帰る身には残念。もう一泊してみたい。
弥生時代後期後半対象に 物見櫓や主祭殿・竪穴住居などが大規模整備復元。
堀は発見 「石垣」はまだ 出てくるか。圧巻の城柵、掘立柱建物群はぜひとも見る価値あり。こんなに復元できるとは佐賀県は太っ腹ですね。
大野城
2018年12月15日
86 大野城(おおの) 福岡県宇美町四王寺
092-932-7373(県立四王寺県民の森管理事務所) 
天智天皇時代 新羅・唐襲来に備え、665年大宰府守るため北 四王寺410m(大野山)頂上に8km土塁石垣の山城。亡命百済人指導で朝鮮式。(南には基山に 前年664年は水城)現在70棟以上の礎石建物群(高床式倉庫)検出。尾花地区では炭化米が出土し倉庫群は食糧備蓄 武器の検収に利用。発掘調査で国内唯一の遺物「門柱の軸受け金具」。180m「百間石垣」は城内最大の石垣。「大宰府政庁跡」から登れば1時間。山城跡残るものに時代超え文化超え多彩な空想をかきたてる。
こういう山城が好き。四王寺山は花崗岩山地でかつて万葉集・山上憶良「大野山 霧立ち渡る わが嘆く おきその風に霧たちわたる」詠み人偲び自然観察・歴史探訪・ハイキングを楽しみたいものだ。
2019・9月「初春の令月にして 気淑く風和らぎ…」 万葉集選者・大友家持の父 旅人 727年赴任 730年正月「政治家/旅人の梅花の宴」「令和」ゆかりの地。刀持たずとも大和朝廷強し!(万葉集は防人や農民も詠み人)
福岡城
2018年12月15日
85 福岡県福岡市中央区城内 別名:舞鶴城

古代迎賓館「鴻臚館」跡。
切妻屋根「南丸多聞櫓」(国重文現存)高石垣。二の丸梅園より上がる 急坂だよ 本丸表御門は黒田家菩提寺崇福寺山門に移築(花見・月見櫓も)堂々とした石垣遺る。
中津城より黒田親子(関ケ原功 黒田官兵衛長男長政 明治迄)七年かけ博多湾福崎に山城城下町、福岡地名に。三の丸東方、元平和台球場付近は大宰府政庁時代に国家の外交・交易施設で筑紫館の迎賓館が。(蒙古襲来後鎌倉幕府は博多湾に約20q元寇防塁 御家人築く)
両端二層の櫓もつ、腰下見板張り防御・倉庫の南丸多聞櫓あたりでははっきり見えたが日暮 天守台には登らなくては思い残る! 天守不明 眺望。
鬼門封じ祈念櫓 太陽落ち ライトあり、下之橋御門近くの二重櫓は伝潮見櫓?
汗かかない好季節だけど時間切。梅園は見事で梅香る頃お薦めだとか。「養生訓」貝原益軒は黒田家譜の歴史書編纂。47櫓は今4櫓。
富山城
2018年12月24日
134 富山城(とやまじょう)富山県富山市本丸 スタンプ:富山市郷土博物館
JR北陸新幹線「富山駅」15分 
加賀百万石分家 前田利長氏の隠居城。(越中神保 信長家臣佐々成政大改修したが秀吉に降伏破却 )
 
千歳御殿正門「千歳御門」立派(明治維新後払下 寄付で平成20年城址公園内に修復移築) 鐵御門枡形に「鏡石」、昭和29年「富山城模擬天守」彦根城や犬山城を参考に。本丸と西の丸が常時開放の城址公園。本丸南に二の丸東西に出丸これらを三の丸で梯格式/ていかくに

立山の「岩峅いわくら・雄山神社」参拝。日本三霊山(富士山・白山・立山)富山地鉄で岩峅駅下車(片道730円。1500円のフリー乗車券もある)朱印帳1500円「岩峅駅」構内は映画「剣岳」のポスターが。
行きは立山連峰に見守られ「立山線」座席は左側、帰りは「不二越・上滝線」乗車。

年賀状がまだで、富山中央郵便局で書き上げポスト投函。
郵便局前の交差点で白銀の立山連峰が眩い!絵心のある方はキャンバスに、無い者はスマホでガシャリ。
駅前の「立山そば」はカマボコに立山の文字入りでお腹も心も温かくなる。
千早城
2019年1月17日
55 千早城 (ちはや)大阪府南河内郡千早赤阪村大字千早
標高673m金剛山中腹 南北朝時代 後醍醐天皇に応じた楠木正成築 鎌倉幕府の大軍にも互角交戦。別名「金剛山城/楠木詰城」。
城背後から金剛山頂へ 大和側から(奈良県御所市・五條市)へと辿りつける。
平成18年 五稜郭 二条城 大阪城 首里城と並び100城認定され、現在は千原神社、曲輪跡や空堀竪堀堀切などが残る。登山口から20分急な山道を覚悟。上赤坂城が本丸 下赤坂城が出丸 詰が千早城。
スタンプは登山口「まつまさ」様お預かり、金曜休み10時〜14時、電話0721-74-0015。
「南海電鐵河内長野」下車 南海バス金剛山ロープウェイ前行8:55発470円乗換 「金剛山登山口」下車。帰りの「河内長野」行は毎50分ごと。(次の「161岸和田城」登城のため、「河内長野」より天下茶屋経由南海電鉄「蛸地蔵」駅迄720円。)
明日から雪が降りそう 今日ならこの靴なら一時間の登山ができる。前後歩く若いカップル達はいずれも外国人、南海電鉄車内にポスター、金剛山は海外にも人気あり。
岸和田城
2019年1月17日
161 岸和田城 (きしわだじょう)大阪府岸和田市岸城町 別名:千亀利城

紀州街道と大阪湾水上交通の要所、秀吉は天下統一の過程で紀州根来寺などの押さえとした。
江戸時代の構造物は石垣のみ。(本丸東櫓の石垣は手っ取り早く集められる墓石を裏側につかい早く築城工事を終えた。)天守、櫓門など全て近代復興。城内最大級の直線の長さをもつ「百間堀」からのカメラアングルが良い。庭園(八陣の庭)重森三玲作 なるほど綺麗だ。
南海電鐵「蛸地蔵」駅下車、案内板で探していると隣の建物から声がかかり中に入る。だんじり祭りの地図で色々親切に教えてくださる、外に出て看板を見上げると「交番」とても感じの良い方でした。
蛸地蔵駅舎から、大正末期の和風建築「十六軒長屋」蛸地蔵天性寺、だんじり会館も散策。城には紀州街道(大阪高麗橋を起点に住吉・堺・岸和田を経て和歌山に至る江戸時代の幹線道)沿いの観光バス駐車場の階段からが近い。
「今日は沢山の方が押印されましたよ」と城天守閣受付の女性。
南海「岸和田」駅に帰るには城門を右折、堀沿い、岸城神社、図書館、アーケード抜けてくださいと親切。(千早城登城帰り)
吉田城
2019年1月20日
151 吉田城(よしだ) 愛知県豊橋市今橋町 別名「今橋城/豊橋城」

豊川と朝倉川を北背後に「後堅固式」東海道の重要拠点。
今川義元 家康家臣酒井忠次城主 家康関東移封後は秀吉配下池田照政入城。
本丸鉄櫓台・川手櫓台の石垣や堀・水門跡。
天守代用の本丸北西隅 三重層塔鉄櫓(くろがね櫓は昭和29年模擬再建)
本丸北側腰曲輪の石段で石垣をバックに写すのがシャッターチャンス。
豊川対岸から望むも良し。
天下普請の名古屋城で余った石材を転用 刻印が残る。
千姫と照政が結婚したのかと思いきや 照政は家康の娘「督姫とくひめ」を娶り
関ヶ原後は52万石で姫路へ転封、輝政と改名、姫路城築く(千姫は孫)。
秀吉・家康に仕えた池田照政には世界遺産の姫路城が待っていた ステップアップ。
吉田城は江戸時代に歌川広重を初め浮世絵「東海道五拾三次」川や橋、城をテーマに沢山の絵師に描かれた。風光明媚で画家好みだった。
私も素直ですすめられるまま館内の本物能面をつけてみた、鼻の穴から下を見るそう。吉田城といえば能面 この刻印記憶忘れず。
古宮城
2019年1月20日
150  古宮城(ふるみやじょう)愛知県新城市作出清岳古宮

作出盆地比高25mの小高い丘に 武田信玄が対徳川を目的に家臣馬場信春に築かせた戦闘的な城。
南側麓 白鳥神社本殿の石段を登ると右手に主郭下を巡る空堀、左手は主郭大手口には虎口 しかも大きな「両袖型枡形虎口」 二の丸(二の曲輪)を囲む土塁は幅広で人が歩ける(木の根っこにはご注意!)、
外観は樹木林のように見えるが一歩中に入ると「なるほどっ」武田氏の高度な城づくりの技術に感嘆させられる。
百名城認定前は城郭研究者・マニアに好まれたが 認定後は登城者も増加し、地元・全国からの「古宮城が好きな人が集まる整備運動」の方々のご苦労も吹き飛んだ事でしょう。
丘を丸々造りかえた迷路のような幾重の堀を歩くのがとても楽しかった。愛知県の人気城3は名古屋城・犬山城・古宮城だとか。

今は「笑点」の司会者春風亭昇太さんもロケで訪れたそう、先見の明がおありなのでしょうね。勿論千田先生もこられています。
長篠城
2019年1月20日
46 長篠城 (ながしのじょう)愛知県新城市長篠 

 宇連川と豊川が合流する断崖上にあり、武田郡の猛攻を凌いだ要害堅個な城。
当時最強と謳われた武田氏と徳川家の争奪戦の末に奥平氏が守る。
ご当地ヒーロー鳥居強右衛門の働き方がポイント、織田・徳川連合軍の火縄銃に武田軍は敗れた。
城址は見渡す限りあまり残ってはいないが、主郭(本丸)跡、主郭北側の大規模な空堀と土塁が現存。大城郭と違った築城術が垣間見える。
「長篠城址史跡保存館」は貴重な資料が展示されておりたっぷりな観賞時間をとりたいものだ。
入口の展示「亀姫門」は奥平信昌氏に嫁いだ家康の長女「亀姫」(母は築山御前)屋敷門、家康は娘婿の信昌を重用した。
JR飯田線の線路があり 一時間に一本のゴーッという通過音に天下を目指した若武者たちの夢が偲ばれる。(ここの長篠史跡保存館の奥平家の印と、九州191中津城登城記念の印が同じ、同族なのか。天正3年長篠の戦いに持ちこたえ平成31年は九州の城、元号はかわっても鳥居ヒーローの名は永久保存版)
名古屋城
2019年1月21日
44 名古屋城 (なごや) 愛知県名古屋市 国特別
家康が豊臣方備え 加藤清正・福島正則ら西国大名20家天下普請。初代藩主家康九男義直。
昭和に空襲焼失再建天守は(御殿も空襲焼失)木造復元天守閣目指 5重7階地下1階大天守は現存姫路城3倍 解体寸前城を中村陸軍大佐が救う。 石垣に雨樋。
西南の羊申大型隅櫓(外観2重内3階)東南隅櫓 現存は三重三階の巨大西北隅櫓(戌亥櫓・清州櫓 清正石は黒田長政 高知城天守より大)。
鯱「火除」(室町時代シャチは寺院厨子屋根)石垣刻印は諸大名目印。
さて待望の「本丸御殿」復元。
身内立ち入る「対面所」次之間障壁画には義直正室「春姫」(御三家・紀州初代藩主浅野幸長娘)故郷(紀三井寺、塩竃・玉津島神社、製塩風景、片男波、和歌浦天満宮)「風俗画」穏やかな筆致で描かれている。(二の丸御殿は藩主住居と藩政庁)
名古屋豪華結婚式ルーツは豪華調度品で嫁入春姫にあるとも。
興味ある方、時代衣装に身を包み400年前の絢爛豪華なお輿入行列「春姫道中」に応募されませんか。
(再入場は透明スタンプを手の甲に押す)
小牧山城
2019年1月21日
149 小牧山城 (こまきやま) 愛知県小牧市堀の内

美濃攻め目指す織田信長初めての城が濃尾平野標高86m小牧山に。
美濃稲葉山を岐阜城に改名 清州から入城 小牧山城廃城。
後 家康と秀吉の小牧・長久手合戦では家康の改修で堅固な陣城に。
現在の遺構はこの時の姿。
江戸時代に尾張藩、明治時代には尾張徳川家の保護で堀・土塁などの残存状況は非常に良好。昭和5年徳川家から小松町へ寄贈、外のあの賢そうな銅像は寄付者? 小牧市歴史館(小牧城)は名古屋の平松氏が私財投じ京都の西本願寺飛雲閣を参考に建設。
大手道から登る 一直線の石段、左手に尾張藩九代藩主徳川源明公碑、稲荷神社、信長時代の石垣に近づく、信長ストーンに触れパワー頂く、城郭史塗り替える石垣。発掘調査で佐久間名の墨書き石発見 重臣佐久間信盛一族か。

 基礎は信長の「見せる城」その上は家康の「守る城」空堀跡 頂上の小牧山城へ。
展望室からの眺め良し、あの野望はここから飛躍したのか。
マント翻して宝塚の大階段降りてくるのが信長 守りたい家康 野望燃え信長と人質生活の家康の二人。穏やかな日和に市民たちが散策。
犬山城
2019年1月21日
43 犬山城 (いぬやま)愛知県犬山市犬山 別名:白帝城

木曾川に三層名高き国宝天守。信長でなく 信長の叔父信康が標高88mに築、江戸時代は名古屋城支城 明治維新迄付家老成瀬正成城主。平成16年まで成瀬家が自費修理・保存、今は(財)白帝文庫所有。天守付櫓台の野面積石垣が素朴で良い。(天守に付いた櫓は「付櫓」続櫓といわず)
いつもこの付近を旅行の際必ず「犬山城です」と案内入る名城訪れる時がきた。メイン城は最後 二の丸から本丸へ 右に御成櫓 左は小銃櫓 何と華頭窓貼付!登城疲れでクタクタ 天守閣への階段が登りづらい 倒れそう 木造で天井がミシミシと観光客の足音 やっとこさ 回廊へ 眩暈襲う(地下含めれば6階 3重4階地下2階)。
次は「犬山城白帝文庫歴史文化館」江戸時代の小牧・長久手合戦図を鑑賞したい。双曲屏風で長篠合戦図(初代正成の父正一)小牧・長久手の合戦図(初代正成の初陣)に親子の雄姿が描かれているという。 唐詩人/李白。
登城前大石「犬山城」成瀬家御姫様の文字だそう、「白帝城」命名は荻生徂徠。
大和郡山城
2019年1月24日
165 大和郡山城(やまとこおりやまじょう) 奈良県大和郡山市城内山

筒井順慶が筒井から郡山へ築城。後 紀州より秀吉の弟秀長100万石で 甲府より柳沢吉里が入城し6代145年間続く。藤堂高虎。
「近鉄電車で大和の城を巡ろう!」近鉄郡山9:25分着。
駅員さんに尋ねると郡山城跡案内絵図がいただけた。駅から15分 踏切り渡切る。御殿の入口鉄(くろがね)御門跡を右折、真っすぐ歩くと左手に追手向櫓が見えた、追手門も東隅櫓も昭和期に再建。
スタンプは「柳沢文庫」、水堀に沿い坂を上がると毘沙門跡 歴史の宝庫「柳沢文庫」。
天守台の石にご苦労されたらしく転用石を使用とか。北東角石は平城京羅城門の礎石。
(稗田若槻番条集落は戦乱に備え環濠を廻らした)
今は「城址公園」「桜名所100選の地」お城まつり(3月下旬〜4月中旬)伝統の金魚品評会も、郡山の御殿桜は種類も豊富で長く楽しめます。その前に「盆梅展」(2月2日〜3月10日)が城跡、追手門・追手門向櫓・多門櫓で行われ 春の訪れ。
高取城
2019年1月24日
61 高取城(たかとり) 奈良県高市郡高取町高取 別名:芙蓉城
近鉄郡山駅9:34発ー橿原線・神宮前行橿原前ー10:30発近鉄吉野線・吉野行11:05壺阪山着 駅員さんに「土佐街道散策マップ」頂き15分、信号やバス停道は歩かない、右側に下屋敷石川医院見えればOK。
スタンプ「無料休憩所・夢創館」御城印300円。

標高583m明日香盆地の高取山に南北朝時代豪族越智氏「かきあげ城」手掛け、秀吉重臣の本多利久 幕府大番頭植村家政入城後の「芙蓉城」植村家14代228年。
「岐阜美濃岩村城721m/岡山備中松山城」三大山城での比高差はトップ。
大手筋から登り高い山上に残る石垣や石塁に出会える喜びは何物にも代えがたし。本丸天守台の苔むす石垣に感動。猿石に山城には珍しい水堀あり 27櫓 天誅組撃退。
2013年航空レーザー計測「赤色立体地図」では造形や構造がより分かりやすい。

街道で幼児連れヤングママから声掛け頂き、行きも道を尋ねたのは学生風三人の男子、ヤング街道。熟女達は3/1〜31のひな巡り準備で多忙。
宇陀松山城
2019年1月24日
166 宇陀松山城(うだまつやまじょう)奈良県宇陀市 別名:秋山城

「近鉄壺阪山駅」吉野線11:23発「橿原神宮前」乗換「大和八木」乗換大阪線青山町行「近鉄榛原駅」着。榛原駅からバス、大宇陀行き終点「大宇陀/430円」下車。
利用者少なく大宇陀高校のスクールバスかと勘違いしそう。

道の駅でスタンプ設置のまちづくりセンター「千軒舎」を尋ね、ここからは見えないけど分かりやすい位置だ。
標高473m古城山に在地の秋山氏が築く。秀吉の弟 秀長が大和一国を支配すると豊臣配下の大名が入城。本丸・天守郭などの中心郭群を総石垣造りとした巨大山城。城跡の頂上部から大峰山系を望める。

現在旧城下町は国の「重伝建地区」(重要伝統的建造物群保存地区)。
榛原駅では青春映画「フォルトウナの瞳」ロケが行われ2/15から公開。「永遠のゼロ/海賊とよばれた男」の百田尚樹が原作。

本郷の瀧桜「又兵衛桜」が近く、訪れたい。
165大和郡山 61高取 166宇陀松山 近鉄電車での大和3城巡り
座喜味城
2019年2月3日
199 座喜味城(ざきみ)沖縄県中頭郡読谷(ゆんたん)村座喜味

二月【指輪】をユンタンザ・ミュージアムにお預けしました、お心当たりの方はユンタンザ・ミユージアムへ。沖縄県中頭郡読谷村座喜味708-6 電話098-958-3141 午前9:00〜17:30 水曜日休館

 標高127m赤土(他のグスクは殆ど石灰岩)の大地に築城名人読谷山按司護佐丸(ユンタンザあじござまる)築くが中山王に中城城への移転命。

見所は 復元修理の二つの石造アーチ門天井にはめ込まれた くさび石。
昭和19年旧日本軍によって高射砲陣地(発掘調査で当時埋められた階段発見)昭和35年米軍レーダー基地に。

昭和47年日本復帰、
翌年の昭和48年〜60年、文化庁・沖縄県の発掘調査や城壁修理で、歴史と触れる空間としてよみがえった。

平成12年「琉球王国のグスク及び関連遺産群」資産の一つとして世界遺産登録。おめでとうございます! 長〜い道のりでしたね、
二つの郭(かこい) 城壁のシンプルさに最近人気急騰だとか。
城内の松の木が和調です。
今帰仁城
2019年2月4日
98 今帰仁城(なきじん)世界遺産 沖縄県国頭郡今帰仁村

沖縄の城グスクには 城壁や城門に石造アーチ門が多い。
標高100m丘。北山王が中山王尚に滅ぼされ 後 薩摩郡に炎上廃城。
大小10の郭からなる連郭式の山城、死角のない曲線美の石垣「百曲がり」古期石灰岩で堅牢に築かれ城郭を幾重にも取り囲む、城壁1.5` 大隅は兵士の訓練場。
昭和37年琉球政府が左右に銃眼 狭間備えた正門「平郎門」(門の天井は大きな一枚岩)修復,この門をくぐると大庭までの参道は 両側から濃いピンクの寒緋桜(カンヒザクラ)がお出迎えしてくれる至福の時。
日本トランスオーシャン航空の一月のカレンダーはこのカンヒザクラだそうです。今年は第12回の桜まつり。
足元の階段の数を数えたら7・5・3 何だか縁起宜しいですね。

主郭(本丸)から多数の中国製陶器が出土、中国・明との交易があったよう。
城内にはいくつもの聖域・拝所がございまして今も祭祀が行われています、きちんと拝んでから帰りましょう。
次回は今帰仁村歴史文化センターの国宝「金装宝剣拵(千代金丸)」を観賞したい。
中城城
2019年2月4日
99 中城城(なかぐすくじょう)世界遺産 沖縄県中頭郡中城村

優美と堅固を合わせもつ。貿易盛んな時代標高160mの丘陵に先中城按司が手掛け 読谷の座喜味城から移ってきた築城名手・護佐丸が完成。
西向きの正門(櫓門)東向きの裏門があり ペリー探検隊一行がエジプト式と評したアーチの東裏門が美。
沖縄のグスクは本土よりも古く石積技術が発達、南の野面積み 一の郭城壁の布積み(豆腐積み)三の郭にはあいかた積み(亀甲乱れ積み)と様々。
探検隊一行の画家ハイネの「西の郭より正門を望む」スケッチは入場券の絵にもなっており今も当時を偲ばせる。
霊域・南の郭にある聖地久高島への遥拝所、雨乞いの御嶽など八つの拝所あり。
特に二の郭(布積み)の曲線が美、登城時風が強く石垣から吹き飛ばされないよう必死
飛ばされてなるものか、無事に降り立った時 黄色のつわぶきが満面笑顔で迎えてくれた、石灰岩に良く似合う。築城時から咲いていたのか、六つの城郭に幅をきかせて咲く。
それにしてもよく遺構が残されていた、これだけあれば発掘調査ができるというもの。
首里城
2019年2月4日
100 首里城(しゅりじょう)沖縄県那覇市首里
「守礼門」尚清時代1522年ごろ、扁額「守禮之邦」礼節重んずる国を意味。
約500年琉球王国(15世紀から16世紀)シンボル「正殿」1992年本土復帰20周年記念復元。中国使節団・米ペリー提督も訪問。世界遺産「園比屋武御嶽石門」国王の道中安泰祈願、神々しい道祖神でしたか。瑞泉門は内郭櫓門、京の内など10か所の御嶽。300me石畳街道。奉神門はアーチ門違う。「西アザナ」展望台から市内眺望、鉄筋宅多く 赤瓦屋根は固定資産税高い。地下駐車場へ戻るのに迷った。
近くに徒歩で行ける世界遺産「玉陵」もございますが行かれた方はそそうのないように。
24℃南国、巨人3軍キャンプイン歓迎セレモニーが市長のご挨拶も加え那覇空港で、一二軍は宮崎イン 青島神社参拝? 最終的には沖縄で9球団がキャンプイン、城巡り次はプロ野球キャンプ巡りも。2019・10/31大切な木造城郭(73億円復元)が灰塵に ノートルダムも 信じられぬ スタンプは? 熊本城も復興しつつあるが 令和落城 史上5度目。炎11時間で城跡 原因知りたい 6度目の復元待ちたし。
勝連城
2019年2月4日
200 勝連城(かつれんじょう)沖縄県うるま市勝連南風景

最後の十代目城主 阿麻和利(あまわり)の大城郭、海外貿易でも繁栄。
中城湾に沿った勝連半島の丘陵上に位置し遠くからでもわかる琉球石灰岩の白亜の城壁だ、下から見上げた時ヨーロッパの城壁かと見間違う程。防御力と曲線美を兼ね備えた城壁は見事。足に自信のない方は休憩所でお待ちくださいと言われたが登れるところまで登ろう、頂上にたどり着く、健脚でなくてもゴールイン。

広大さ、グスクから眺めるオーシャンビューは最高。一の郭から眺める日の出、夕日も綺麗だろうな。一の郭中央の大きな岩をご神体とする「玉ノミウヂ御嶽」に手をあわす、
勝連城は「御嶽/うたき」が多く存在する聖なる場所、崇拝文化。
「ウタミシガー」は旧正月元旦に水量で作物の出来を占った井戸、ちなみに水が少ないと豊作。五穀豊穣はどこの地方でも同じ思い。少なめの水で良い!縁結びの井戸もあり。

那覇空港の3階に到着 1階のラウンジ「華」でコーヒーブレイク 2階のゲートから帰ります、沖縄よさらば 来年も訪れよう。
松阪城
2019年2月8日
48 松坂城(まつさか) 三重県松阪市殿町 

近鉄電車松阪着 
 秀吉命で蒲生氏郷(がもううじさと)が小牧長久手戦後、出身の近江から松阪へ、四五百森(よいほのもり)高石垣に瓦屋根の櫓や曲輪、安土城系築城(織田信雄の松ヶ島城を廃し瓦転用) 天守あった。城下町整備、楽市楽座 商都松阪の基礎。信長娘冬姫と婚姻。後 42万石で会津へ。最終的には奥州92万石、長州の毛利、加賀の前田に次ぐ大大名。

1619年紀州徳川家祖徳川頼宣領地。それでJR松阪駅観光情報センターから続く道路は紀州街道というのか、紀州殿様ロード。
城跡への道は紀州街道でなく、信号や商店街の広い道路を15分 右側に三井発祥の地ライオン像が見えると近い。スタンプは市立歴史民俗資料館。

枡形虎口や折を多用した堅固な石垣が雄々しい 天守台(正保の台風で天守倒壊)も野頭積。本居宣長記念館、二の丸(紀州陣屋 明治迄)から御城番屋敷見える。
城跡裏門から出、合格祈願「本居宣長ノ宮」(鈴印ご朱印/志きしまの やまと心を 人とはば 朝日に匂ふ 山ざくら花)隣地松阪神社、厄除け観音継松寺も。
伊賀上野城
2019年2月8日
47 伊賀上野城(いがうえの)三重県伊賀市上野 別名:白鳳城
完成していれば日本最後の木造天守だった 高虎整備の碁盤目状城下町小京都。
筒井定次三重天守築くが除封 今治城主藤堂高虎が家康命で秀頼に備え拡張。高虎は津城へ 未完成。五重天守は建造中暴風倒壊。
近鉄松阪より伊賀神戸690円、伊賀鉄道乗換上野市着。駅から見える白亜の城。。植木が変 この木がなければナイスショット。琴の音に導かれ天守受付へ、スタンプ。
天守一階は「唐冠形兜」二階藤堂家資料、高虎公座像絵図、三階天井は横山大観「満月」等46点大色紙。高虎築く天守台に 三重三階木造模擬天守は二重二階の小天守伴う連結式で昭和10年個人私財により復興。
受付にテレビ番組で城案内した篠井さんのサイン入り色紙が飾られている。
見どころは本丸西側(大坂方備え)30m算木積み高石垣、一度はと恐る恐る拝む。
黒沢明監督映画「影武者」ロケ 巨匠好みだった。松尾芭蕉「俳聖殿」奥の細道で関東栃木黒羽城滞在。(上野天神宮、芭蕉「貝おほひ」奉納社 。1/15発行続日本100名城購入734円)
津城
2019年2月12日
152 津城(つ) 三重県津市丸之内  別名:安濃津城
伊勢中川乗換 津新町10:52着。
駅踏切渡り 通行人に尋ねるがどの方も「? 市役所へ行けば」天守閣が無いのだ、城のシンボル天守閣あれば、?マークは消える。
高虎の築城論理いかした「広い内堀が本丸囲む(堀幅80〜100m)」城。
本丸北側の直線的石垣、石垣の安定や防御の犬走、本丸東側三層の昭和33年模擬櫓(本丸多門櫓台)が水面に映える。信長の弟・信包が築、後 家康命にて近江出身藤堂高虎が伊予国今治から、大坂包囲網で各地の天下普請に多忙だったが、津城と伊賀上野城(一国一条令でも2城持つ)大修築し 幕末まで藤堂氏。本丸東西二か所内枡形虎口。
津市ふるさと納税「津城跡整備」寄付募る、本丸北面の復元目指す。高虎公ファン等いかがでしょうか。スタンプは高山神社、市内地図いただく。
梅香る、太平記のふるさと「結城神社」参拝。
津中央郵便局近く三重会館の三重交通バスC乗場から結城神社前バス停下車220円。帰りは同バス停から津駅へ240円観光案内所で登城印200円。東風吹かば 強風でした
大阪城
2019年2月15日
54大阪城(おおさか)大阪府大阪市中央区大阪城1-1 国特史跡 別名:錦城 金城

先日 ○○インターナショナル大阪支部の会がホテルニューオータニであり寄道。

秀吉は大坂城聚楽第石垣山城名護屋城伏見城築 次々と天守建造。全国津々浦々に天守。秀吉城は外壁黒漆喰 下見板張 望楼型五重天守 金箔瓦1583年着工 夏の陣落城。2代秀忠は豊臣遺構を地上に残さず。現姿は徳川時代のもの。本丸正門桜門枡形の巨大蛸石は108d(高5.5幅11.7厚0.7m)岡山藩構築。最多三重櫓 昭和6年三代目 日本初鉄筋造復元天守 国登有文財

二の丸東部梅林に、賤ヶ岳七本槍重臣片桐且元屋敷「市正曲輪」あった 方広寺大仏殿鐘銘事件で豊臣・徳川交渉役だったが強硬派から追放、屋敷も打壊され「冬の陣」始まる。
徳川期の市正曲輪は勤番大名官舎。今は1270本100種類の梅、満開でなかった。馥郁たる香りは嵐の前の静けさか。東風吹かば 梅の香りに遠く想う。

2019 6/19 
消えた秀吉城 しかし大阪市立大調査で秀吉暮らした「詰の丸」石垣の可能性高い遺構発見 発掘調査できずとも地下(地質学)調査技あり。
和歌山城
2019年2月23日
62  和歌山城 (わかやま)和歌山県和歌山市 別名:竹垣城 虎伏城
徳川城だが 秀吉の城 弟秀長に命じ藤堂高虎手掛 秀長大和郡山へ 竹田城(マチュピチュ天空城)から桑山重晴 関ヶ原後甲府より浅野幸長(19年間)大改修 広島へ。家康十男「頼宣」駿府より入国 紀州伊勢合せ「55万5千石」紀州家徳川252年間。旧国宝天守閣は大空襲焼失、昭和33年復元。姫路/松山城とで三大連立城

観光客用・新裏坂から登る。大河ドラマや 「暴れん坊将軍」でお馴染 「享保の改革・八代将軍吉宗」(30年間将軍職)「十四代将軍家茂/皇女和宮と結婚」輩出。御三家筆頭名古屋城と比べては気の毒。平成18年復元「御橋廊下」渡り帰る。

スタンプ押し帰れば…無断駐車責められ。厄払に和歌山城鎮護「八代将軍代吉宗公拾い親・刺田比古神社/さすたひこ)」参拝。拝殿の鈴鳴らせば天使の声 リスの鳴声なり。ご誕生時厄除行事として、吉宗公を「追廻門」付近に捨て 神主が簑と箒で拾親となり家老に預け、神からの贈物とした。秀吉も我子にはそうだった。
(市中央駐90分以内無料 超過は入庫時よりの料金加算 百名城スタンプ無料 天守有料)
赤穂城
2019年3月1日
60 赤穂城(あこうじょう)兵庫県赤穂市上仮屋

JR青春切符(3/1〜4/10 JR全線 11850円 5回 1回2370円) 11:08播州赤穂着。
駅前城通り15分 右手側「花岳寺」浅野家菩提寺で合掌、ご朱印も、千手観音でした。
討入のご加護頂き本懐遂げる。47+1000=1047士 強力!吉良上野介も参った!
境内宝物館は賑わっていた,義士祭りでも。寺門は赤穂城西惣門を和尚が購入移築。

三の丸白亜の二層隅櫓が見え嬉しいが 大石神社に入ってしまい大願成就のご朱印頂く宮司さんに「本丸、スタンプ場所教えて下さい」義士像を通抜け左 常陸から入封した浅野長直が海岸平城を13年費やし改修 縄張は甲州流と山鹿流で横矢掛り 変形輪郭式 塁線に折れ。近代は赤穂義士ファンのため?大幅な復元で綺麗に、今も進行中。天守台の石垣がお見事。(天守は築かれず、事情が事情で)本丸櫓門下のスタンプ良好!綺麗!(城内に井戸なく「城内水筋絵図」によると土管の水道が頼りだった)
それにしても赤穂家は江戸時代の演劇・絵画文化、庶民に大きく同情され今に伝わりましたね。
姫路城
2019年3月1日
59 姫路城(ひめじ)兵庫県姫路市 別名:白鷺城(はくろ)
国宝第一号  国宝8棟 国重文74棟
何度訪れたか スタンプ帳片手に登城。
駅降りれば姫路城が浮かびヨーロッパの夫婦旅行者目立つ、世界に誇るべき遺産。城郭建築技術が最高潮の城。
室町時代の城だが秀吉が姫山に三重天守築 関ヶ原後 家康娘婿池田輝政が8年かけ五重六階地下一階(7階)大天守に三基の小天守結んだ天主群に 本多忠政が西の丸増築。
平成大修理で大天守最上階から窓発見。最大菱門は華頭窓櫓門、最小「ほ」門 水の一門は棟門 天守外壁は塗籠。帯の櫓高石垣23m 油塀 螺旋式 天守に火災被害無い刑部神社

千姫が 朝夕 西の丸長局廊下から遥拝「千姫天満宮」参拝 播州姫路男山鎮座。連立天守閣の白鷺城見え 右にずらせば櫓 あの櫓は西の丸化粧櫓 千姫祈りの延長線にいる、姫路城展望絶景地。父二代将軍 母淀君妹お江 祖父家康 本多忠刻に再嫁の千姫 姫路城での十年は子に恵まれ母としての喜びを享受。
水尾神社「男山八幡宮」「水尾神社」「千姫天満宮」ご朱印。
万歩計は信じられぬ18649歩。
福山城
2019年3月8日
71 福山城(ふくやま)広島県福山市 別名:久松城 葦陽城

薔薇のまち福山駅から見上げていた城へ。JR福山13:52着。
四年間で3割の伐採計画 効果あり城郭がよく見える。
大阪夏の陣5年 徳川譜代水野勝成築 幕府から資金援助、毛利氏ら西国大名防衛。
水野氏5代、松平氏1代、阿部氏10代。 天守は博物館 社会教育文化センター。
空襲焼失天守 五重六階地下一階層塔型 二重三階の付櫓 (東西南壁面は塗籠 北壁は鉄板張 複合式 昭和41年鉄筋再建)(当初五重五階地下一階に四重屋根を檜皮/葺で裳階と見なし四重天守 )
「国重文・伏見櫓」本丸南西隅櫓 三重三階望楼 伏見城松の丸東櫓移築。
「国重文・筋金御門」伏見城から。
昭和41年再建「月見櫓・懸造御湯殿」も秀忠が伏見城より。
伏見城は秀吉隠居終焉城だが 関ケ原前焼失 その後 家康再建。
城ガールズ 学生 学校帰りの幼い生徒 若カップル 老若男女が見受けられ文化ゾーンとして誰もが親しめる場所に築城した藩主に敬礼(山城好きだけど)。
「三蔵稲荷神社」で「石鎚神社/遥拝所」ご朱印、稲荷神社は城築城当時からご鎮座、能舞台も。
郡山城
2019年3月10日
72 郡山城(こおりやま)広島県安芸高田市吉田町吉田字郡山

雨で標高390m郡山へは登れず 「270以上の曲輪」跡や広大な城跡はお預け 
本丸二の丸三の丸にも招待頂けず墓所巡り。山上の曲輪で城主・家臣とも居住。

次男元就は27歳で家督つぎ一代で西日本最大の戦国大名に。
長男の隆元と共に元就は周防の大内氏 出雲の尼子氏を攻略し 郡山を生涯本拠地とし75歳で終える。 火葬場伝承地も有り 土葬でなく火葬です 満願寺。

「毛利隆元墓所」「毛利元就墓所」雨に苔むししっとりとした雰囲気が戦い終えた元就によく似合う。
子供達への教訓状「三本の矢」逸話@長男・毛利隆元 A次男・吉川元春(吉川家に養子)B三男・小早川隆景(小早川家に養子)私も子供時代漫画で読んだが、今やゲーム、アニメで知るという。
元就墓所前に「百万一心碑」 築城の際工事がうまくいかず人柱寸前のところ「大石」を埋めた伝説。こんな城主が好き。次回は本丸まで登城させてください。西の桶狭間は安芸有田城。(スタンプは安芸高田市歴史民俗博物館、玄関花が池坊だった。小倉城庭園、佐賀城床の間も池坊)
津和野城
2019年3月10日
66 津和野城(つわの)島根県鹿足郡津和野町 別名:三本松城

かつて津和野城下町散策で「あの山頂城跡に登れますよ」と見上げた城に初登城。牛馬が通れる大手道もあった。三重天守は落雷焼失再現せず。
蒙古の襲来備え鎌倉幕府命で能登より入国吉見氏が海抜367mに築、日本海に向き14代/319年間、関ヶ原功坂崎氏/1代16年間が総石垣に 亀井氏/11代255年間が整備。

有難いものでリフトで城跡出丸へ、欅や楓並木の中 雨の歩道足元注意歩み 三十間台の本丸へ。何だかマチュピチュを思出す、あの時も石垣から踏み外ぬよう 後の人に怪我させないようそればかりで登った。最高所を本丸 一段下がりを天守台 人質櫓台の石垣が美 細い尾根に築く。
 この山城で一国一城の主になった備前(岡山)宇喜多忠家の子 坂崎出羽守直盛は断絶となるが子孫は平成の今も健在。長州征伐では中立保ち戦火逃れる。
晩秋 津和野盆地は霧海に覆われ全国屈指山城の石垣浮かぶ この季節に訪れよう。
萩城
2019年3月11日
75 萩城(はぎ)山口県萩市 別名:指月城
関ヶ原西軍総大将毛利輝元(元就孫)広島から 慶長1604指月山143m麓に築。
毛利輝元像お出迎 内堀本丸門へ 撮影スポットで動かない鳩現る。入城せずともインスタ映え写真撮れる。 橋渡ると料金所(スタンプ)。半島山頂に詰丸 麓に本丸二の丸三の丸 扇勾配天守高石垣美。最大級雁木石垣上り五重天守台跡で本丸門橋が見える。明治初期解体写真では木造橋。関ヶ原後 長門と周防の二国になった輝元が最後にみせた気骨の城!藩主別邸の移築茶室「花江茶亭」では密談も。
早朝からゴーッと響く…何だろう 日本海波の音。津和野城も日本海に向いていた。藩主御座船や軍船格納の御船倉現存 三の丸船着場 邪横矢 総門復元。
元就五男元秋始祖の国重文「旧厚狭毛利家萩屋敷長屋」。高杉晋作や木戸孝允の旧宅 城下町。宿で萩城跡の一筆箋購入、やはり鳩の居座り場所がスケッチだった。
岩国城
2019年3月11日
74 岩国城(いわくに)山口県岩国市 別名:横山城

岩国?どこ?日本三名橋・錦帯橋から見上げた桃山風南蛮造り天守。三度目の正直でスタンプ帳持参。駐車場は河原。
関ヶ原戦後 毛利輝元(元就孫)家臣の吉川広家が横山山頂に築く。麓居館(御土居)も。一国一条令で山城は廃城だが 麓では幕末まで政庁あり。
錦帯橋・一枚35万円の板を丁寧に歩き(3歩で105万、10歩で350万)リフトで上がる。(錦帯橋・ロープウェイ・岩国城セット補助券がお得)スタンプは城受付窓口。
大井戸の大釣井 平成7年天守台復元。破却の再建天守閣から360度見渡し 錦帯橋中心に写真撮る。からくり時計で下城。帰りの駐車場遠く、吉香公園広い、岩国美術館、国重文旧目加田家住宅を目印に帰る。ここにも佐々木小次郎像 福井一乗谷近くにも像が、武者修行は国を問わず。宮本武蔵像どこに いずれお目見えか?
ここは「宇野千代と錦帯橋」岐阜根尾谷の淡墨桜存続に奔走した女流文学者 淡墨桜は満開の頃?次回は宇野千代生家訪れよう徒歩20分。河原上の「岩国市観光協会」ベテランガイドさんは頼りにできる、前回にもノックインしたら話題豊富で驚く。
広島城
2019年3月11日
73 広島城(ひろしま) 広島県広島市中区 別名:鯉城

城といえば白亜 ここは下見板張黒。漆で耐久性求めたころ。費用がかかりお殿様でなければできませんね。
元就孫 毛利輝元が120万石大名に相応しい五重五階の大天守に小天守連ね 聚楽第参考に築く(地盤弱くかなり苦労) 関ヶ原後 清州城より福島正則完成させるが修築許可不備を咎められ改易。洪水破損の破却石垣を見学 この石垣で正則は泣きをみた。あとは家康三女「振姫」再婚相手が徳川御三家・紀州から浅野長晟。版籍奉還まで約250年間浅野氏12代城主。
昭和33年天守閣は外観復元建造で内部は武家文化中心の歴史博物館 石落としは袴腰型。
天守から川が良く見える。光の祭典か城内に白い気球ごときが沢山。スタンプは一階ミュージアムショップ。
入城前の堀にかかる御門橋・表御門が撮影スポット。平櫓・多聞櫓・太鼓櫓も平成6年までに復元。最多76櫓誇った(二重櫓35 平・多門櫓)太田川中洲の内堀幅100m。
浅野家250年時代ともなれば平和で優雅、奥舞台跡や大奥跡もあった。
岡山城
2019年3月15日
70 岡山城(おかやま)岡山県岡山市北区丸の内 別名:烏城 金烏城
 JR岡山 12:38着
岡山駅バスI12:47「県庁前」100円。交番曲がると目前に城。
後楽園とで何度か訪れ城見上げ友達とベンチで弁当広げたが今日は弁当代わりにスタンプ帳。
金光氏滅ぼした宇喜多直家の実子秀家が信長の安土城模し不等辺五角形天守台に金箔瓦三層六階天守。望楼型に塩櫓付属の複合天守(前身は石山城)秀家は秀吉養子となり57万4000石大大名備前宰相。
金持のシンボル「黒漆塗天守閣」よく映え 梯郭式本丸三段造。

関ヶ原後 小早川秀秋や池田氏。現存国重文月見櫓。五重六階昭和41年再現天守閣(空襲焼失)不明門・六十一雁木上門・廊下門(中段表書院と本段御殿結ぶ渡り廊下 扉付櫓門)再現。石材は犬島の花崗岩に恵まれた。今でも塩は欠かせぬが当時は尚更貴重。スタンプは天守閣入口親切な女性係員。

直家・秀秋に崇敬され岡山城本丸ご鎮座だった「岡山神社」旭川沿い橋渡らず10分。境内天満宮・稲荷社。神社から仰ぐ岡山城は格別。帰り駅まで15分、城跡が駅近まで及ぶ 恐るべし。櫓35棟城門21棟
小谷城
2019年3月19日
49 小谷城(おだに)滋賀県長浜市湖北町

北陸本線新快/米原経由近江塩津行 河毛11:18着
火曜は戦国資料館が休み スタンプはJR「河毛駅」コミュニティハウス。
車がビュンビュン走り 自転車か車でなくては。あの山の向こうに浅井氏三代の居城あったが信長に滅ぼされた。論功行賞で秀吉に与えられ入城したが長浜に新城構え廃城。495b小谷山は浅井三姉妹生誕地。

駅近「泉龍寺」は小谷城浅井長政公の裏門と寺の過去帳に、茅葺が瓦葺に改造とも。大河ドラマ「江〜姫たちの戦国」ロケ地桜馬場跡、黒金御門跡、江が生まれた千畳敷大広間跡、本丸にたどり着けず残念。山王丸が高所曲輪 本丸は山上の居住空間だった。

付近に余呉湖・賤ケ岳、三姉妹の母親お市は柴田勝家と再婚その勝家は賤ケ岳の戦で秀吉に敗れ 茶々・初・江の運命も変わる。映画やドラマにもってこいのストーリー性。(初は関ヶ原で夫京極高次と大津城守る 京極正高は702b伊吹山の弥高寺を陣に 滋賀と岐阜の間)
かつて偶然清須会議日に賤ケ岳・余呉湖ウォーキングしたがガイドさんは江姫の大河ドラマが決まったよと教えてくれた、地獄耳ですね。
彦根城
2019年3月19日
50 彦根城(ひこね)滋賀県彦根市金亀町1-1 国特史 別名:金亀城(こんき)
スタンプ帳に舞う桜を押花にでもと思いはしたが。
JR彦根駅 井伊直政公像 護国神社抜け念願の直弼15年青春館「埋木舎/うもれぎのや」へ。藩主14男井伊直弼「世の中をよそに見つつも埋れ木の埋もれておらむ心なき身は」14男はそう簡単に頭角あらわせぬ。心情わかる。個人所有、ご朱印有。
次はスタンプ「重文・佐和口多門櫓/開国記念館」@京橋口A佐和口入場 A佐和口の方がスタンプ早く押せる。
徳川四天王直政が関ヶ原後軍功で石田三成の佐和山城拝領、嫡子直継代に天下普請で彦根山に築城開始 20年で完成。三重三階現存天守で最多破風。天守は大津城資材 梅鉢懸魚。
幕府大老直弼没後100年記念 市民寄付佐和口多門櫓/外観復元。 
「佐和山御普請 彦根御城廻御修」調査企画展開催中。
三成の佐和山城(岐阜城の信長 京往来に来城)見え感激。
今までは観光バス駐車場から京橋口入 桜吹雪に見舞れキャッスルロードで土産買い帰ったが 今日は一味違い忘れられぬ日となる。
米蔵跡の梅林は3分から5分咲き 東風吹かば国宝年中無休
安土城
2019年3月26日
51 安土城(あづち)滋賀県近江八幡市安土町 国特史跡

JR近江八幡10:53発 JR安土駅10:56着
近江八幡駅で城ファンの少年と出会う。手元にスタンプ帳余分に持っていた。今思えば差し上げれば良かったと後悔。春休に城巡りとは頼もしい。

室町幕府滅亡させ天下統一王手織田信長公城 勝幡城生まれ 小牧山城が最初の築城とも聞くが ここは近世城郭祖型。琵琶湖 安土山に五重七階(六階地下一階)天主は戦国時代終焉を知らしめた。天正4年総奉行丹羽長秀(米五郎左/佐和山城主)築。近江初めての城宇佐山城は森可成。宣教師ルイス・フロイス「日本史」日本最初のキリシタン神学校「セミナリヨ」・城専用瓦・鯱。楽市楽座令13条 家康江雲寺御殿 信長公記 蛇石を天主に。スタンプ駅前「安土城郭資料館」入館料200円 安土城と観音寺押印。

城郭資料館15分 紗紗貴神社へ 佐々木さん姓の発祥地。佐々木大明神ご朱印も。大鳥居「額/佐々木大明神」は源頼朝公書。小谷城登城の際地元の方から滋賀は沢山の城があったと聞く。天皇許可により東大寺・蘭奢待を得た信長公にとって不足のない拠点かも。
観音寺城
2019年3月26日
52 観音寺城(かんのんじ)滋賀県近江八幡市安土町 別名:佐々木城

スタンプだけに留めた方が 身のための五大山城。
西国参りの観音正寺系統ではなかろうか、だとすれば過去に参拝済。
近江源氏戦国大名佐々木六角氏(「太平記」)標高433m繖(きぬがさ)山に最先端の居城築 家臣団曲輪 大規模、南麓は中山道に西麓は琵琶湖に面し水陸交通要衝。
源頼朝挙兵に参加 功で近江支配基礎、守護400年間。佐々木信綱の代に四家に。総石垣巨大山城に整備したが信長攻撃に戦わず逃亡、400年の城放棄。無駄な抵抗はよせですね。信長もこの城を参考に安土城築城か。
本丸、平井丸、池田丸など石垣残る。城内最大規模の平井丸虎口には五月ごろ躑躅が満開。(六角氏の被官層城 佐生/星ヶ?/布施山城)背後尾根を九条堀切切断は鎌刃城。
遠くたどれば佐々木さん姓の発祥地 紗紗貴神社と縁がある?
像に想いを重ねて感情をたかめる その像はなかったが 古城跡は「想像の世界」。
八幡山城
2019年3月26日
157 八幡山城(はちまんやま)滋賀県近江八幡市 別名:八幡城
JR琵琶湖線「近江八幡」近江鉄道バス乗換/北口E長命寺行き「大杉町八幡山ロープウェイ口220円」バス下車 ここから「八幡山ロープウェイ山頂駅」へ 山麓往復乗車券880円。
バス停下車したがロープウェイの影形なく 団体旅行の女性軍に尋ねると「あの木造の鳥居くぐったところ」くぐるとわかった。標高約272m八幡山最頂部 秀吉の姉の子 秀吉の養子 関白ともなった甥の豊臣秀次築くが秀頼誕生により…。本丸跡は京都から「村雲御所 瑞龍寺門跡/秀次の菩提寺」を移築。ここでスタンプ、ロープウェイ山頂駅にもあったのに心が急ぎ目につかなかった、ご朱印、登城印頂き足元に佇む可愛い猫にやっと平静に。汗を拭いつつ西の丸北の丸跡からの琵琶湖や比良山、城下町、又展望館からは安土城址・観音寺見渡す。本丸北東隅の野面積み石垣が写真の撮りどころ。総石垣城の名残。秀次築城時の堀5`運河周辺は現在商家の町「重要伝統的建造物群保存地区」となり歴史的風致豊か。(和菓子・洋菓子店あり平日でも観光客途絶えぬ、日牟禮八幡宮も控える)
人吉城
2019年3月29日
93 人吉城(ひとよしじょう)熊本県人吉市麓町 別名:球磨 三日月 繊月城
地下室と御津賀社跡が思い出せる。急流球磨川も。
鎌倉時代源頼朝命により静岡出身の相良長頼手掛け 明治まで相良氏が700年存続。
於津賀社に興味わく、初代相良氏入国前の人吉城主だった平氏の代官矢瀬主馬祐氏の零社とか、奢る平家は久しからず ただ春の夜の夢のごとし 源平合戦は源700年の実績。(薩摩島津も700年)
武者返し御館「はね出し石垣」が有名、幕末に西洋式採用。船の着く所は文明開化侵入。
発掘調査により井戸のある二つの地下室を検出、本丸護摩堂の湯殿と同じく行水施設か、家老相良清兵衛・内蔵助のお風呂気持ち良さそう。
七箇所も船着場があり「水ノ手門」で年貢米が 沢山年貢届いたか 藩内12ヶ所米蔵。登城門「御下門」石段がシャッターチャンス! 桜が綺麗でした。隠れ里は日本遺産、歴史館には城好きな石原良純さんのサイン色紙が飾られていた。
二の丸のベンチに座り四方の山々や広い野球場を見渡していると青春時代が甦り 生まれ変わったら恋人と訪れてみたい、怪我をしたら足元のヨモギをつみ 救急処置をしてあげる
鹿児島城
2019年3月30日
97 鹿児島城(かごしま)鹿児島県鹿児島市城山町 別名:鶴丸城
 本丸北東隅の石垣は鬼門除けで隅を窪ませた。県は2020/3月目指し 鶴丸城ご楼門(大手門は国内最大級だった/火災焼失)左右に御隅櫓・御兵具所(多聞櫓)を?
西南戦争舞台 館造り大大名島津氏居城も堂々とした鹿児島城になる。
スタンプは本丸跡の総合博物館「黎明館」13代徳川家定に嫁いだ篤姫(天璋院)像。
初代島津公は源頼朝の血をひくともいわれ 版籍奉還まで700年南九州を治めた武将家系。19代光久藩主別邸仙厳園には中国・琉球文化が、28代斉彬は洋式工場群「集成館」 近代化・工業化に取組「明治日本の産業革命遺産」異国交流藩は違う。薩摩支城外城。

以前訪れた時は仙厳園尚古集成館で「薩摩のひなまつり」目の保養をしたが 今回は?つい先日ドラマ「大奥/8代吉宗公」で5代徳川綱吉の養女・竹姫が22代島津継豊への輿入れシーンがあった。館内には竹姫輿入れに持参した将軍家の豪華な逸品がズラリ。受付の女性に尋ねると「テレビ見た皆様方からよく聞かれます」笑顔。さすが薩摩77万石。鶴嶺神社。
飫肥城
2019年3月30日
96 飫肥城(おび)宮崎県日南市飫肥 別名:舞鶴城

あまり馴染みなく 読み方? これで土地 名前読める。
大手門(復元櫓門)内枡形 森林浴空気を思い切り吸込む 飫肥杉効果満点、夏なら避暑地として好適。
桜満開で綺麗 桜の精に導かれ 南北朝時代へ。
ため息でそうな桜並木、クラスメートと散策してみたい。
苔むした城壁 緑の飫肥杉に囲まれた武家屋敷 400年前の世界に忍び込もう。
スタンプは歴史資料館、豊富な資料展示、細川藩の家紋に良く似た家紋あり。
九州沖縄で初めての国重要伝統的建造物群保存地区 九州小京都は納得。
伊東家と島津家の103年の争奪戦で伊東家が取り戻した、まるで高校野球 箕島高と星稜高夏の決戦だ。
伊東裕兵が秀吉の九州平定の功で手中に。以後廃藩置県まで続く。
この粘り強さは 本丸跡飫肥小(旧藩校振徳堂・藩主伊東祐相設立)生徒さん達も影響されるでしょうか。正徳3年大手門修理の記念碑残る。
これでやっと九州完結 伊東氏の城下町として栄えた五万一千石伊東藩が思い出に。
(伊東家は青島神社を厚く崇敬する。「私の耳は貝の殻 青島の波の音を懐かしむ」)
出石城・有子山城
2019年4月3日
162 出石城(いずし)兵庫県豊岡市出石町 別名:石城(せきじょう)

但馬の小京都 国重要伝統的建造物群保存地区 大手門跡の辰鼓楼が浮かぶ。
登城橋を渡ると上段に桜が見え隠れする櫓が嬉しい。
明治元年に建物は全て取り壊されたが本丸に東西の隅櫓、登城門・登城橋建築される。
小出9代 松平1代 仙石7代。(安土桃山時代に有子山城主は山名氏)
(藤堂高虎に築城命じた最初の武将は羽柴秀長、初城は但馬出石 大和郡山)
城下町の基礎は小出2代藩主小出吉英 有子山城主山名氏の菩提寺宗鏡寺(すきょうじ)を沢庵和尚と共に再興、仙石氏の菩提寺ともなる。通称沢庵寺。
散策マップで宗鏡寺はわかりやすい、静寂の中参拝。帰り道にお寺さんの可愛いお子様から会釈とお辞儀いただく、お行儀は抜群でした,将来が楽しみ。
辰の刻(7時から9時)城主の登城知らせていた辰鼓楼は観光客に取り囲まれ人気者。
信州上田城より移封の仙石氏時代 西の曲輪でこうのとりが飼育されていた。
御隠居様のご趣味で西御殿で飼育され 白い翼にどのような思いを託されたか。
それは……秘密。
竹田城
2019年4月3日
56 竹田城(たけだ)兵庫県朝来市和田山町竹田字古城山 別名:虎臥城

気温1℃ 昨日は雪。四月に入っても冬状態。虎は眠っていた、起こしても良いのか。
大手虎口には50名ほどの人しか入れない、これで敵兵を数えた。

近くに生野銀山あり「金に糸目を付けぬ」と大津市坂本町穴太の腕の良い「穴太衆」雇い安土城や姫路城と同じ「穴太(あのう)積」今日まで良好に残り 城郭ファンや一般観光客が城跡詣で。石垣遺構周辺に多くの石切場があり石材にも恵まれた。私も三回目の登城。コウノトリ空港経由が二回、しかし二度とも条件付きの飛行。天候が鬼門。
山名宗全氏が着手 赤松広秀が改修 秀吉の但馬攻め 秀長が城代、秀長が出石・有子山城へ、秀長属将桑山重晴に預ける 重晴が紀伊和歌山城代へ。関ヶ原後廃城。
カメラをダウンロードするがやはり北千畳ー三の丸ー二の丸ー天守台ー花屋敷ー南千畳と全景が入った写真がピカイチ 竹田城跡は見飽きない 空のブルー 石垣のコントラストが見事! 現地も良いが自宅で改めて空と地の素晴らしさに驚く これで雲海あれば。
高島城
2019年4月10日
130 高島城(たかしまじょう)長野県諏訪市高島 別名:諏訪の浮城 島崎城

やはり長野は寒い。しかも21年ぶりの大雪警報日(4月では)これでは近くの桜の名所高遠も雪でお手上げだろう。ダウンコートで良かった。

素朴な野面積みは親しみがもてる。この石垣はどこからきたのだろう、最近石垣の調達が気になる。

本丸、二の丸、三の丸が直線配置の連郭式 諏訪の寒冷に耐えられる瓦が無く檜薄板の柿葺き 昭和期再建の鉄筋三重天守は古写真で復元。一般家庭は断捨離だけど文化的価値の古資料は役に立つ。皆様のお宅には資料残っていないでしょうか、研究者は探しています。(私は単純な物見遊山ですが)
望楼型天守からの雪景色が絶景 諏訪湖が! 当時天守石垣まで諏訪湖が迫っていた。

諏訪氏が家康の関東転封で武蔵野国へ 秀吉の家臣日根野氏が入国 安土城や大阪城にも携わった築城名手 7年で築城。
関ヶ原後日根野氏が返り咲き以後10代藩主まで270年威容を誇る。8代忠恕藩主の時 凶年の窮民救済のための貯米倉庫「常盈倉」を建てた。
百姓一揆対策 この時代は財政も安定し余裕があったのか 
龍岡城
2019年4月11日
129 龍岡城(たつおか)長野県佐久市田口 別名:龍岡城五稜郭

星形の中に学校 田野口陣屋。
現存はお台所、学校として活用中だが 平日に内部見学できた。
殿様は三河(静岡)から。最後の藩主松平のりかた氏は明治後は大給恒(おぎゅうゆずる)と名のりフランス語が堪能。時代は幕末、仏語わかるなら西洋式に目をむけますね。
難工事だった石垣は切込接、亀甲積(砲座下六角形)や 横目地通る布積(大手橋付近)は造形美意識。打込接から野面積(堀外側)。周辺の山の佐久石使用。石工は伊那高遠藩から招く。五稜郭内部の内城は御殿や火薬庫、長屋が、外部の外城は藩士屋敷。
山から遠く離れた平野の真中でこそ機能発揮できる平城。
老中格・陸軍総裁など公務に忙殺され「お金無・時間無」で未完成。(慶応3年西・南西石垣除き完成)佐野常民(華岡青洲の春林軒に入門)と共に日本赤十字社前身「博愛社」に尽力。「松平は日赤の母・佐野は日赤の父」。日本の勲章制度も完成させた。本当に「時間無・日赤の母・勲章の父」ですね。
ここは地域活性化で春夏秋冬と楽しめそう。
甲府城
2019年4月12日
25 甲府城(こうふ)山梨県甲府市丸の内 

朝一番綺麗な空気の中 高さ17mの外壁を歩く、この城壁 どこかの城壁を思い出す。高さ50m厚さ4mの城壁に囲まれた歴史的な中世都市アビィニョンを。
鬼門北東の稲荷櫓から遊亀橋入城で「秀吉の城」今は舞鶴城公園と認識。
羽柴秀勝 加藤光泰 浅野長政・幸長親子が完成(紀伊和歌山へ移封)
関ヶ原後は将軍家光の三男・綱重を家祖として徳川一門 柳沢家が城下町整備。
2013年復元の鉄門(くろがねもん)真新しい。
遊亀門は新たな橋で 当時は銅門(あかがねもん)から出入り、門柱の礎石がよく残っている。天守閣は? 記録なく不明、しかし天守台からの見晴らし良好。
17mの石垣の謎、 城は安山岩の岩山の上にあり 石切場 切出した跡ある、矢穴も残る。愛宕山からも切出。豊富な石材に恵まれ 滋賀県「穴太衆」指導。全て人の力により積まれた。戊辰戦争は無血開城。井戸曲輪なし
柳沢氏は大和郡山へ移封した、観賞用の金魚を甲府城でも飼っていたがうまく育たなかった。やはり甲府はワインですか。城壁のアビィニョンもワイン。
武田氏館
2019年4月12日
24 武田氏館(たけだしやかた)山梨県甲府市 別名:躑躅ケ崎館

昨夜宿のテレビニュースで今日は「武田信玄の命日」と知り胸ワクワク。武田神社(武田氏館跡)からの24将騎馬行列に旗振り歓声わく。
武田信虎が躑躅ヶ崎に館を造、晴信(信玄)勝頼と3代60余年。信玄時代に信濃駿河上野遠江三河など8ヶ国治めたが本拠地は要害山城含む躑躅ヶ崎。武田氏後は織豊系大名が再整備して拠点とした。勝頼は新たに新府城築。(今川氏の詰城は賤機山城)
土橋渡った「西曲輪北枡形虎口」がシャッターポイント飽くなく撮り続けた。
若葉が目に優しい。祭りの喧騒逃れ時を忘れる。
主郭大手虎口 武田氏滅亡後に造られた大手東側の総堀と土塁も見所。
復元整備がすすんでいるそうだが是非とも。
(ここは毎年のように戦争があったとか。奪い奪われたり 武田家は戦のプロ)
先週 神社目前に「信玄ミュージアム/甲府市武田氏館跡歴史館」開館 覗いてみてください。
今から500年前(永正10年/1519年)1519+500は2019 時の流れの偶然が二度も重なり
我ながら驚く。ただの日では無い、武田氏命日に呼ばれたのかも。
秋田城
2019年5月7日
107 秋田城   秋田県秋田市 別名:最北の古代城柵かんが遺跡
 
秋田城と名がつくのだから百名城かと思いきや 続百名城。
奈良時代から平安時代 日本海側(出羽国)の大規模な地方官庁。日本海側北の代表的城柵。ヤマト政権東北開拓拠点「出羽の柵」
標高40m 築地塀(ついじべい)は外郭と中心施設の政庁を囲む二重構造。

「政庁」外郭の「東門」 なんといっても売り物は「古代水洗トイレ」
小走りに復元水洗厠舎まで急いでいると 地元の方に「どこから来られたの? 水洗トイレでしょう? あちらですよ 」案内はお手の物でした。(誰もかしこもトイレ目指しているよ ウフフフ… 自宅帰られても思い出し笑いでしょう)

発掘調査で発見された遺構を現地復元し綺麗な史跡公園に 市民の憩いの場所。
それにしても強風 日本海側は常にこの風なのか。

毎年発掘中でそのうちにあらたな発見もあり。
秋田城は海を通じて大陸の渤海国(中国東北部)と交流しており 目新しい物もお目見えするかも。
思い出し笑いする程の超発見期待。
久保田城
2019年5月8日
9 久保田城(くぼた)秋田県秋田市千秋公園 別名:矢留城

城内早朝ご散歩の秋田犬と出会う 体重35` 名犬です お名前聞くの忘れる。
市政百周年記念 本丸北西隅に三重四階「御隅櫓/新兵具庫」は朱色交じり若葉に守られ鮮やか。
展望室から男鹿半島見えず残念、強風が凄い。
現存は長坂門警備詰所「御物頭御番所」 瓦葺木造櫓門復元「本丸正門」威厳あり。
ガイドさんに 茶園や大奥もあったと聞き これは出羽の江戸城か。
清和源氏名門佐竹義宜は関ヶ原後 常陸から出羽秋田に。久保田の地 今の千秋公園に築。土塁普請得意だが水戸城とは縄張違う。天守なし御出書院代用 腰巻石垣見つけた。
転封直後「院内銀山」発見 最初の年に家康へ「献上銀」。
家康臨終の際は伊達政宗達共に呼び寄せられたとか。大大名だった。(秋田市出身「平田篤胤」は賀茂真淵 本居宣長ら共に国学者)
「国の宝は山なり」そうです、秋田杉は財産 平田篤胤 秋田犬 城内で全部ご拝見
秋田こまち 秋田犬のご主人様は秋田美人。
佐竹義宜氏のお墓の向きは 江戸を向いているのですか。
弘前城
2019年5月8日
4 弘前城(ひろさき)青森県弘前市 別名:鷹岡城

桜祭り終り人並みおさまったが 迷わず帰るには「中央高校口」入下城。
(今は弘前公園 かつて本丸二の丸三の丸四の丸北の郭跡)
現存12屋根は瓦だが ここは「銅瓦」廻縁や高欄無い天守 3重櫓が3棟も現存 5門も。枡形虎口前後に高麗・櫓門無 石垣工事天守80m移動  埋門無
五重天守は落雷焼失 文化7年本丸辰巳櫓を三重に改築 天守代用。水戸違い土手堀。
九代藩主が蝦夷地警備功により江戸時代後期再建「お手柄っ」
(津軽為信計画 二代藩主信枚が築城 以後260年)
太宰治「走れメロス」国語の時間で感想文書かされたのが懐かしい。
弘前高時代彼の学び家「旧藤田家住宅」にはたどり着けず。
弘前市「仲町」は国重要伝統的建造物保存地区 再度じっくりと。
東北・関東では唯一現存12天守 これはお見事 再建藩主とそれを維持してきた歴代藩主や地元民に御座布団10枚 昔から東北の底力には感服するものがあり改めて思う。
日本最古級のソメイヨシノ 世界一太いソメイヨシノと桜様だが 本丸から眺める標高1625m岩木山を忘れてはいけない。
五稜郭
2019年5月9日
2 五稜郭(ごりょうかく)北海道函館市五稜郭町 別名:亀田御役所土塁

二の橋渡り郭の藤棚は5〜6月見ごろには早く 桜も無く寂しい。
(毎年五月の函館五稜郭祭控え 街並み活気溢れる)
函館代表する観光地 文化庁の国有財産 函館市に貸与中。
「函館奉行所」守るため築城 稜堡式。
大手門口の高石垣勾配は刎出 武者返し。
「海国兵談」西洋軍学学ぶ伊予(愛媛県)武田斐三郎/あやさぶろうが フランス将校指導で設計。
外国交戦は無かったが旧幕府脱走軍・新政府軍との函館戦争激戦地。
函館奉行所は パリ骨董市で古写真発見 高度な古写真や瓦(発掘調査)等で復元に至る。瓦屋根に太鼓櫓で御殿風。
築城100年記念の五稜郭タワーは平成18年高さ107mに改築。展望が素晴らしい、桜色に染められたころ 又 真っ白い雪景色も絶景。全館禁煙。
ミシュランガイドでは 「五稜郭跡・眺望」で二つ星。
大手口の半月は金が無く一つ星 一二五で中の三四が抜けている。三は北海道遺産 四は国特別史跡ともなれば国宝級。何だか無理やりにあてはめたかな。
松前城
2019年5月9日
3 松前城(まつまえ)北海道松前郡松前町 別名:福山城

松前の桜は裏切らず満開。
先住民族アイヌの人々の地だった。
秀吉・家康に大名と認められた蠣崎慶広は姓を「松前」改め初代藩主となり福山館の陣屋に福山城築。(蠣崎家始祖は武田信広)米が収穫できず「無石の藩」だが水産・森林資源は豊かで繁栄もたらす、天は二物を与えず。交易船に上方文化も上陸。
国重文「本丸御門」石垣(城近く石切場の緑色石灰岩を夏に切り冬に雪車で運んだ)日本最後の創建天守 7基砲台25大砲 戊辰戦争(旧幕府軍に落城)に天守閣は破壊されずとも昭和24年町役場火災飛火で焼失。鉄筋復元し資料館に 展示面白い。桜の見本園も。
三代家光から拝領の「臥龍梅」存在。
「日英讃桜文化友好親善記念碑」拝見忘れる、見所が多すぎる。
松前桜の父「浅利政俊」氏 イギリスのウインザー王立公園の依頼で苗木を送り 英国の植物園・公立大学で咲いているそう。桜のお・も・て・な・し はウインザーへ。
薔薇と桜の協奏曲か。
根城
2019年5月10日
5 根城(ね)青森県八戸市根城

国道104号線車走音を聞きながら 南北朝から戦国末期の城へ。
薬草園 梅や桃 実のなる木(戦時の食糧用)植えられ かつて本丸周囲は柵と空堀(薬研堀)で守られていた。
甲斐(山梨県南部町・身延町)南部師行築く。北畠顕家に従い 秋田や岩手まで勢力は及んだ。子孫に守られ約300年続く。天正18年/1590 秀吉の諸城破却令で破壊。
中世の城復原は全国でもさきがけ。史跡公園としても整備。(中世には山城多いが珍しく「平城」)見晴らしは抜群。
木橋から本丸へ 本丸跡に主殿復原 上馬屋のお馬さんが愛嬌 鍛冶工房・馬屋・納屋・東門など復原 安土桃山時代が甦る。工房見学注意 入口が低くこっつんと頭打つ。曲屋様の主殿の広間は正月の儀式を人形で再現。
主殿に見事な国宝級の鎧二領展示 青森の国宝三点全て八戸にあり。赤糸威鎧 白糸威褄取鎧 勿論本物は櫛引八幡宮に 武将はみずからの命を託す武具に神々の名を刻んだが 負け知らず根城の武将たちはどのような神の名を。
八幡大神 月山大権現 三島大明神?
盛岡城
2019年5月10日
6 盛岡城(もりおか)岩手県盛岡市 別名:不来方城/こずかた

東京駅の赤レンガ 辰野金吾氏の岩手銀行があった。
著名人は沢山いるが まずお殿様が主役 甲斐源氏一族で南北朝時代は青森を基盤 そして岩手へ。豊臣家臣浅野長政助言あり(築城は秀吉より許可得たとされる)南部信直が親子三代 40年かけ築く。維新まで26代400年続く。(列藩同盟降伏 転封後許され元の藩へ)
高さ12m腰曲輪 白い御影石(花崗岩)が眩いくらい美しい。ご自慢の石垣、助っ人は穴太衆。本丸二の丸三の丸本丸腰曲輪が全て石造り。
会津若松と白河小峰城とともに東北石垣三大名城。
城跡公園には数々の石碑 歴史性豊かなり。
原敬 新渡戸稲造も良いけれど 
「不来方の お城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」石川啄木
(幾つになっても寝ころびたいですよね)
「雨にも負けず 風にも負けず」宮沢賢治の詩が好き。
下の橋のたもとに 「川と銀行 木のみどり…」の「岩手公園」詩碑。
花巻ご出身ですが盛岡中学・盛岡高等農林時代に暮らした。
こんなにも良く見えるのか 標高2038m 聳え立つ白き岩手山
山中城
2019年5月23日
40 山中城(やまなか)静岡県三島市山中 

登り階段に息切れした。 そりゃあ 箱根山麓の尾根だもの。
箱根の山は天下の険 滝廉太郎の歌詞が浮かぶ
「戦国山城探訪と障子堀・畝堀探訪コース」両方挑む。
曲輪周囲には複列型障子堀(障子堀)と単列型(畝堀)空堀で防御力を高め 架橋は直ぐに外せる。
小田原に本城おく後北条氏築くが 戦国末期秀吉軍との激戦に半日で落城もわかる。如何せん 堀と橋だけでは 単に後北条氏の出城。
400年埋もれていたが 昭和48年からの発掘調査で整備復元 城郭ファンやカメラ持つ人々の訪れ地になっている。西ノ丸(藤棚満開)と西櫓の間の障子堀が最高。
岱崎出丸で余裕でき じっくり田方平野 駿河湾 愛鷹山 そして霞む富士山を望む。
それにしても当時この名勝地 尾根上に上手く縄張りした技に感嘆。
(パンフレット少ないですね 三島市へ連絡すれば郵送いただけます。バス停あり。箱根峠や三島に至る道路も アクセス良さそう)

三の丸宗閑寺に眠る松田康長城主 副将 そして豊臣方一柳直末があの激戦を偲ぶ 
もう両軍の将は打ち解けているだろうか。
興国寺城
2019年5月24日
145 興国寺城(こうこくじ)静岡県沼津市根古屋 別名:杜若城/かきつばた

富士山麓 東海道新幹線走る。
草ぼうぼう 蛇出そう 歩道 手すり アップダウンが探検家気取りで楽しかった。スタンプ穂見神社 木箱に保存 パンフ 無料駐車場 仮設トイレあり。
戦国時代の火ぶたを切った北条早雲の旗揚げ城(今川家の家督争い収めた功)。
伊豆の韮山城 相模へも勢力伸ばし三浦氏の新井城攻略。秀吉の武将中村一氏も城主に。
最後の城主「天野康景」は三河三奉行の一人で公平な人格 警備の足軽かばい改易。元奉行という役目ながら保身よりも 家臣の命を大事にした。
愛鷹山(あしたかやま)標高36m尾根に 北から新幹線・北曲輪 本丸 二の丸 三の丸 東に清水曲輪。本丸と北曲輪の間に尾根分断する大空堀が見所。発掘調査で本丸に伝天守台の礎石建物跡発見。
三島・富士線(根方街道)が三の丸・土塁跡 池・堀跡を分断して道路に。バス停あり。
委員会立ち上げ調査中まだこれから 復元整備は長い目で。磨かれざる原石。
夏休み子供連は探検と喜ばれそう、しかし国史跡 親御さんは目を光らせよう。
駿府城
2019年5月24日
41 駿府城(すんぷじょう)静岡市葵区駿府公園

天下普請 立派な中堀 巨大石垣 大掛かりな天守台発掘現場 全て迫力。

650年前 室町時代今川氏が駿河国へ 9代義元時代に徳川家康(松平竹千代12年間19歳迄)人質。10代氏真は甲斐武田信玄に落城 天正10年家康は駿府の武田勢攻略。
将軍職を2代秀忠に譲り再び駿府へ 隠居城だが「大御所」としての黄金時代。
平成時代 二ノ丸東南角「辰巳櫓」「二ノ丸東御門」木造復元、平成26年坤櫓。
展示物珍しく「竹千代の間」興味深い。
県庁や市庁舎に見守られる位置 紀州の城より面積広く輪郭式。秀吉家臣中村一氏10年間時代の大量の金箔瓦・天守台発見(井戸や「焼石」発見) 今川時代の館も出るか。2021年2月迄無料見学4時迄。まず発掘調査から。「日本渡航記」ロンドン匹敵都市は日本一の天守台。左手に鷹の「家康公銅像」竹千代時代から鷹刈好み 天下統一後は鷹売買禁止など独占。
「お手植みかん」は駿府より紀州家へ移封の10男徳川頼宣公献上。ミカンの白い花が咲き終わったのかこんもりと若葉が茂っていた、甘い香りで蜂が蜜を吸いに来る。
諏訪原城
2019年5月24日
146 諏訪原城(すわはら)静岡県島田市菊川 別名:牧之原城 扇城

菊川は茶の産地 茶が飲みたくなった。
「カンカン井戸」のアルプスの恵み 湧水で飲めば一層美味。

武田勝頼は掛川の高神城争奪戦のため 馬場美濃守信房に東海道沿牧之原台地に築かせた。(勝頼母は諏訪氏家系 城内に諏訪大明神祀る)
長篠の戦で織田・徳川軍に敗れ 後 家康が牧野城と改名 高天神落城後は廃。
丘の要塞には武田流技術たっぷり 攻撃のための三日月堀 大きい丸馬出(半円形)殆ど残る 大小7か所。
戦国時代の土木技術に酔ってしまいそう 国指定。
しかし建物跡検出作業で武田氏の堀の上に徳川氏の堀を発見、徳川氏も改修。
2017年 二の曲輪に復元「北馬出 薬医門」。
スタンプは諏訪原城ビジターセンター内(10時から午後4時 無料)外にも 計二箇所。
 大井川を見渡せば何とも爽快。
本曲輪から東に大井川と富士山 北に南アルプス 甲斐信濃へと続く 南は駿河湾 
西は牧之原台地  何といっても東海道沿いが魅力 交通性。
「越すに越せない大井川」と足の便に勝るものはない。
 
高天神城
2019年5月25日
147 高天神城(たかてんじんじょう)静岡県掛川市上土方 別名:鶴舞城 土方城

左右の茶畑を通り過ぎながら どんな城かと想像。
標高132m鶴翁山を小学生なら駆け上がっていくという。
もうこれで階段は終わりか まだまだ続く 汗かきかき 朝一番だから登城できた。
山城は楽しく 下城の際透明な三日月井戸に真っ赤な金魚を発見 こんな所で。
守護大名今川氏の支城 高天神おさえれば遠江制す。
小笠山の東海道を牽制のため 武田 徳川が争う。
河川が堀 三方が断崖絶壁の尾根 一方が尾根続き 見事な天然の要害城。文字通り「難攻不落の高天神城」
搦手門から三日月井戸 的場曲輪 大河内石窟 本丸 御前曲輪 井戸曲輪 かな井戸
二の丸 西ノ丸丹波曲輪の高天神社で遠州灘見渡せば汗もひく。馬場平 甚五郎抜け道
。大河内岩窟が印象に。沢山の兵が命を落とす。
ガイドさんが「駿府城のミカンは?」ミカンを気にしていた。秋には実がなる。
家康公の世界。
パンフがしっかり、今川 武田 徳川氏の名将ぞろい 続百城といえど気は抜かず掛川市は生涯学習の先駆けだとか。
掛川城
2019年5月25日
42 掛川城(かけがわ)静岡県掛川市掛川

近づかなくても空高く貴婦人のような姿を見せてくれる優美な城 秀吉の城。
大手門駐車場に駐車。スタンプは御殿 押印のみも可能だが一度は御殿入場ください。
戦国時代 駿河の今川義忠が家臣朝比奈に築かせた。桶狭間で信長に敗れ 家康の手中に 甲斐の武田にも屈せず。1590年天下統一の秀吉は家康を関東に 秀吉家臣山内一豊が大改修 天守閣つくるが関ヶ原の功で土佐高知へ。以後も目まぐるしく城主交代の城。

やはり木造天守は足元サラサラ気持ちが良い。9割が青森ヒバ。
天守から眺める貴重な現存二ノ丸「御殿」は畳敷き詰め 襖で仕切られ ここも足の裏には優しい。様々な展示 大名行列もあった。「下ぁに 下ぁに」は御三家の特権、水戸は大名行列せずとも良かったので名古屋と紀州が言っていたそう。時を知らせた大「太鼓櫓」も現存。月見櫓なかった。

市民の熱意と資料が残っていたので平成6年高知城参考に木造天守が復元できたが 10憶のところ 5億はあるご婦人のご寄付「寄付文化」半端ない。
浜松城
2019年5月25日
148 浜松城(はままつ)静岡県浜松市

印象に残りしは 右手に羊歯兜前立若き日の家康公像と 妻子犠牲にした家康公(信康二俣上無念) 大河ドラマ「いだてん」浜松出身 寝ても覚めても水泳と五輪「水泳・田畑政治」朝日新聞元記者。

今川氏の曳馬城調略 岡崎から移り 浜松城で17年 駿府城へ 更に江戸城。 
秀吉家臣堀尾吉晴も10年 幕末迄譜代大名。75歳迄43戦は30の勝 10の負 3の引分。
荒々しい野面積 市内の珪岩を浜名湖経由。天守曲輪周囲の石垣屏風折 堀尾時代懐古。天守台地下井戸。最高所狭く御殿建築できず天守曲輪(丸)。大天守台あるが江戸時代天守は東南隅の菱櫓(二重櫓)代用。
天守閣から 北は三方ヶ原古戦場(信玄戦で退散) 南に遠州灘 西に浜名湖 東は富士山(見えず)落下防止で金網。
御遺訓 人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。
「堪忍は無事長久の基 怒りは敵と思え」初詣の久能山東照宮で家康公手形を買い求めたが大事にしまい込む、日々の戒めになるようかけなくては。
赤木城
2019年5月27日
155 赤木城(あかぎじょう)三重県熊野市紀和町赤木

熊野は名勝多く楽しみの地。狭い道の対向車が気になりツァーで。
豊臣秀長の家臣藤堂高虎手が縄張。このような地形に築城とは何か目的が。
地元民の一揆対策、「天正の北山一揆」目的果たせば廃城。

主郭中心に東北西三方の尾根と南山裾に郭。虎口は戦以外は登城通路 主郭への上段虎口は鏡石をつかい権威を示す、コンパクトな縄張はわかりやすい、パンフレットも良し。平成16年度まで発掘調査と整備工事。石垣は崩落石で修復したが赤木川からも採集。新たな石は裏面に補充年度記入。
主郭から赤木 長尾 平谷 と周辺の集落望め 映画のワンシーンにも。
先週田植え終わる「丸山千枚田」一目1340枚。6月には幻想的な虫送り。夏は緑 秋は黄金、日本の原風景。鉱山の技術で水路できた。紀和鉱山から奈良の大仏にも送られたとか。
スタンプは紀和鉱山資料館だが月曜で休み 馬鹿な 旅行会社ともあろうがバス2台で 連絡とっても押せないとの事 すったもんだの末 ガイド側手配。
地元の熱意 保存整備の思いが伝わる、皆様も何とかして登城くだされ。
  
徳島城
2019年6月20日
76 徳島城(とくしまじょう) 徳島県徳島市徳島町 

「阿波の青石」は祖父宅の塀や庭にもつかわれ雨によく映え美しかった。

蜂須賀正勝(小六)の子 家正が 吉野川河口に築。入国から廃藩置県まで286年。
蜂須賀家は関ヶ原の功で阿波国領有を安堵。秀吉よりも家康についたのか。
孫の初代藩主至鎮は関ヶ原・大坂冬の陣で活躍したが35歳で没。
323石段は汗かく 弓櫓の石垣 平成元年再建大手門鷲の門 中央構造線三波川地帯の「緑泥方岩」たっぷり現れる。
城には珍しい桃色の美しい巨石は「紅簾片岩」か。 
山頂は詰の城郭跡(麓は屋敷)護国神社あったが参拝し良いよう移行。「市立徳島城博物館」復元模型で月見櫓 太鼓櫓と当時偲ぶ 天守は?本丸にあったが 下がった東二ノ丸へ。 館隣り御殿跡「旧徳島城表御殿庭園」庭が綺麗。
阿波踊の季節 一度は最前列席をと陣取り トップ入場が「蜂須賀連」 徳島の名門です。おかげでゲストの「世界ふしぎ発見」野々村真 松村邦洋さん達と握手交わせ真夏の夜の夢味わう。

阿波の藍染 ピンクの巨岩 緑の岩石 徳島カラーに染められた一日。
高知城
2019年6月20日
84 高知城(こうち) 高知県高知市 別名:鷹城

本丸遠し 休憩しつつ登る。
石垣に渡櫓のせた追手門は下見板張、門前は桝形 攻めてくる兵を狭間塀から迎撃つ。現存唯一物見窓「板垣死すとも自由は死せず」板垣退助像。
現存12天守 四国には四つ 高知/松山/宇和島/丸亀。 本丸 御殿(懐徳館)の建築群が全て現存は高知城のみ 令和から江戸時代気分に浸れる貴重な城。石垣無の黒鉄櫓門
1603年8/21入場初代藩主は掛川5万石から土佐24万石山内一豊。
「雨仕舞い」石樋 雨の多い土佐に必要。長曾我部時代の石垣展示 水害等で移転したとの事 豊臣時代の建築遺構現る。
本丸と二の丸結ぶ詰門の二階は家老・老中 壁に隠し銃 階下は門「橋廊下」門くぐり本丸へ。
団体客も押し寄せ 床ギシギシ 揺れる部分も、現存の醍醐味。
天守(天守台無 本丸塁線石垣上/複合違う/復古式)階段も一段一段細心注意 後客に粗相無く、現存1/12を傷つける事無く 来場者マナー大事 天守高欄は擬宝珠。
梅雨時 兼山堀の睡蓮が力強く大輪の花を咲かせている このパワーいただこう。
宇和島城
2019年6月21日
83 宇和島城(うわじま) 愛媛県宇和島市丸の内 別名:鶴島城

赤い消防車見ながら 藩老桑折(こおり)氏武家長屋門から登る 三之丸御殿跡。
本丸に着けば宇和島湾視界に、山 海 天守閣と気分爽快。
現存12天守 踊場付階段 「死んでも手すり離すな」ご忠告どおり離さず。
江戸時代の板で竹釘。上立ち門は櫓無しで最大級薬医門。狭間無し。
藤堂高虎はあちこちの城頼まれたが「ここだけは我が城」の思いで初めての城を6年かけ築城、
築城者・初代藩主とも高虎。次藩主は仙台から伊達家長男秀宗、高虎の望楼型を層塔型にチェンジ。
天守玄関の三つの家紋?石段上がってくる時の左右の幟? 笹に雀 東北でよく見かけた。宇和島伊達家の九曜紋は細川家 堅三引両門は頼朝。
高虎氏と伊達氏の石階段の違いも拝見。
帰りの石段に最後までご注意 足元危ないですよ。地上に降り大きく息した。
市立伊達博物館改築事業の予算は確保されていると思いますが、百名城登城者は城壁の雑草が気になる。城壁美化整備にもご予算をいただけないでしょうかね。
(西日本豪雨の応急処置 これからの本格的な復旧工事で大変だと思いますが)
大洲城
2019年6月21日
82 大洲城(おおず)愛媛県大洲市大洲

嵐を呼ぶ男でもないのに急に空掻き曇り雨が 城内に駆込み天守で雨宿。
「伊予の小京都」旗振り歓迎でお出迎えいただく。
木造四重四階の層塔型天守は台所櫓と高欄櫓を多門櫓で連結した「連結型天守」。
一歩中に入れば全て国産の迫力ある木組みに圧倒。
安土城も吹抜の天守閣、信長城は復元していず 大洲城のみ。
ネズミがいたそうだが見つけられなく次回に。高欄・台所・苧綿・三の丸南櫓と4櫓現存。
秀吉四国平定前は伊予宇都宮 後は藤堂高虎 脇坂 鳥取から加藤貞泰入封後世襲。
工費13億 募金目標5億に いい線いったか。
第一級資料の明治時代写真 木造模型「天守雛形」 城絵図など資料に恵まれ
「保存建築」として文化庁も落城。史実と同位置 市制50周年記念平成16年木造再建 これぞ「復元天守」。 地元住民の想いと資料研究の集大成が天守閣。
天下の大洲ですが 何県? パンフには大洲市名の印刷 県名は記載されず。 百名城は 北は北海道 南は沖縄から訪れる、愛媛県の大洲とお札だしては如何 勿体ないですよ
松山城
2019年6月21日
81 松山城(まつやま)愛媛県松山市丸之内1 別名:金亀城 勝山城

久しぶりに「坊ちゃん団子」土産に 道後温泉にも「いい湯だな」
ロープウェイ乗口にマドンナ風女性が案内。晴天で暑し。
現存12天守 21棟重文 山上の本丸 中腹に二ノ丸 麓に三之丸 
スケール大きく 空から眺めたい。天守・小天守・南隅櫓・北櫓が四隅に 渡櫓で結ぶ連立式天守。野原櫓。
門多い「戸無門/本丸入口高麗門」「筒井門/正木城から移建。最大の門」「隠門」不開門無。
スタンプ天守入口 いつも感じるが 入ると空気違う(そうでしょう「米蔵跡」なのです)
天守で武将に変身中の観光客 江戸時代の落書き 床の間も見つけた。
(江戸時代の平和な象徴 月見櫓がない)
見あげる天守の鯱 その下には高らかに葵の御紋章が。。
加藤嘉明20万石(秀吉の子飼い、加藤三人衆)築城、完成直前に会津40万石へ転封。
後は出羽より蒲生氏の孫 伊勢桑名から松平定行入国 明治迄続く。

秀吉子飼い衆だったからかな。でもよくやったと思うよ。
熊本城や姫路城に並び称される名城残した 誇るべき松山城。何度も訪れたい。
湯築城
2019年6月21日
80 湯築城(ゆづきじょう) 愛媛県松山市道後公園 別名:湯月城

夏目漱石も通った道後温泉近い。平山城は整備されている。
南北朝から戦国期まで400年伊予統治の守護河野氏だったが 土佐の長曾我部元親と交戦 秀吉の四国平定 家臣小早川隆景に落城 福島正則入城 後は廃城。上級武士より戦国武士の方が強かった。
内堀や土塁は現存 武家屋敷 土塀 道路 排水溝は立体復元 伊予の歴史や文化を育んだ河野一族の栄華を偲ぶ。松山城築城には湯築の瓦等を流用。鎌倉時代の一遍上人は河野通信の孫。
「土塁展示室/無料」面白い 築造過程がわかる土層の断面は必見。湯築城資料館・武家屋敷1・2も無料。子供や孫連れにもってこい。
(「子規記念博物館」。正岡子規・夏目漱石・南方熊楠は東大のクラスメート)
「湯築城資料館」猫の足跡の皿も面白かった。
猫の足跡が残った土師器(はじき)が展示されていた。
制作過程でついたものであろう 何時の世も猫は愛され 世界の古い瓦や書物にも足跡つけている。「吾輩は猫である」まだお名前はついていないのですね。何と名付ければ宜しいでしょうか、漱石殿にもお伺いたてなければ。
今治城
2019年6月22日
79 今治城(いまばりじょう)愛媛県今治市 別名:吹揚城 美須賀城

チヌ(黒鯛)泳ぎ 釣り師には大歓迎の城。
釣り師でなくとも藤堂高虎は神の手 持技に興味津々。
日本遺産 日本最大の村上海賊のあとに築城。

関ヶ原功で高虎は約5年かけ築城、譜代大名扱いで伊賀へ 後に養子高吉。家康の甥松平(久松)定房入国 明治維新まで。
史上初の層塔型五層天守は高虎移封の際家康へ返上 亀岡城へ移築。現在は五層六階の模擬天守。(家康死去の時枕元に侍る)高虎像の製作者・名の書は文化勲章受章者。
多門櫓で囲む正門の鉄御門(市民の寄付)が見事 強固 冠木も。
現存は石垣と内堀。
八代将軍吉宗公の「領知朱印状」拝見。このお墨付きに安堵しますね。
最上階から眺める今治城は絵に描いたよう 三大水城 高虎は綺麗な城を遺してくれた、名城巡りで城の美に遭遇でき感謝 しまなみ海道 来島海峡大橋望むが、石鎚連峰は見えず。案内板にミナミメダカ/ヒラメ/スズキあったがアジ無。

185aの身体は隙間無く弾傷・槍傷で満身創痍、城づくりだけでなく「戦う男」
朝目覚めたら「今日が最後」の覚悟 モンスター。
丸亀城
2019年6月22日
78 丸亀城 (まるがめ) 香川県丸亀市 別名:亀山城 蓬莱城

60m高石垣群 体気遣いつつ15分急坂 空白はこの子(スタンプ帳)可哀そう。
「平四ツ目結紋」由緒ありげ。
現存木造12天守(元和廃城 後復興) 弘前城と同じく三階櫓天守代用。
「高石垣高さ」大阪城・伊賀上野城共に話題。
扇勾配「見返坂」振向くと誰も引返す者無く いざ天守閣へ。
三階三層小ぶりながら均整 洒落唐破風や千鳥破風豪華 大洲にもある重防備太鼓壁 京極家の四ツ目結瓦。
讃岐富士の飯野山。
(美の城の陰に伝説 能ある鷹は爪隠せ・雨の夜豆腐いただくは合掌)
秀吉家臣生駒親政が高松城支城として築。播州龍野から京極家。

大手門・藩主御殿の玄関先御門現存。資料館付近に藩主御殿あった。
櫓・藩主御殿復元 歴史博物館建設「懸賞金1000万」
お尋者は丸亀城「京極氏時代櫓・藩主御殿古写真」 

京極氏へ浅井三姉妹の次女初嫁ぐ。平四ツ目結家紋は近江佐々木家四男氏信ゆかり、安土の紗紗木神社社殿喪失際は丸亀藩京極家支援。母は信長妹 姉は秀吉に淀殿 妹は徳川将軍秀忠妻。四国で人生50年の織田信長偲ぶ。
高松城
2019年6月22日
77 高松城(たかまつじょう)香川県高松市 別名:玉藻城

水泳に興味ある方には嬉しい城。三大水城
もう6月第一日曜 頼重公追悼遊泳祭は過ぎたが。
秀吉家臣生駒親正(ちかまさ)築くが秋田へ。茨城から家康の孫松平頼重が入封 歴代藩主で74歳の長寿 以後11代228年間。11代頼聰に彦根藩主井伊直弼次女千代姫嫁ぎ 昭和に彦根城と姉妹城縁組。
現存は三重櫓の装飾豊かな重文の月見(着見)櫓・艮櫓(うしとら)。目前に拝見はお得感。海の大手門は現存水手御門 沖で小舟から御座船に乗換。穏やかな瀬戸内海景色 他の城では中々味わえませんね。内堀に浮かぶ本丸は鞘橋で二の丸と連絡 欄干橋。天守台見学可。重文の披雲閣は本日貸切で入れず、陳列館も色々展示、天守解体前の古写真が英国ケンブリッジ大学図書館から許可 天守(南蛮造)再建へ望み繋ぐ。桜御門跡木造復元期待。
藩祖頼重公は武芸として水泳奨励。優雅な煽足「水任流」鎧着用でも頭上は海面に浮かぶ 戦に役立。高松市の指定無形文化財第一号。武士だけでなく一般にも応用可能 地元の皆様方は泳ぎが得意でしょうね。真鯛!玉藻丸乗船したい。
春日山城
2019年7月12日
32 春日山城(かすがやまじょう)新潟県上越市中屋敷春日山

「越後の虎」 毘沙門天の化身に会いに行く。
山裾に長大な堀と土塁の監物堀が見え 上杉謙信公銅像に一礼し 上へ上へと登る。
戦国時代の山城 山上の本丸(実城)へは三郎景虎屋敷 柿崎屋敷 景勝屋敷でたどりつき毘沙門堂 直江屋敷 虎口と下り 春日山神社へ。(謙信の後継者は姉の子景勝。新潟の佐渡島 羽茂城は景勝の佐渡攻めで落城。百名城で無くとも島内には幾つか城址があるよう)
 上杉家重臣 直江兼続(かねつぐ)屋敷跡では足を止め 大河ドラマ「天地人」が甦る 謙信より家臣にスポットライトをあてていた。戦国物は視聴率が良いんだ。率といえば 「越後の龍」は70戦で 2の負け25の引分と高勝率 軍神でもついていたのでしょうね。
謙信は 寝ても覚めても「毘沙門天」七難避け七福与える北方守護神「闘神」信仰、兜の前立てにも仏像装飾 戦中にも仏像離さず。
川中島の戦いの塩送った方はどっちだ これは謙信側から。決して領土拡げる戦いはせず弱者の味方だったそう 越後上布とコシヒカリ 衣食住 懐豊かな領地。
鶴ヶ岡城
2019年7月12日
108 鶴ヶ岡城(つるがおかじょう)山形県鶴岡市 別名:大宝寺城

菖蒲やアヤメも終わり 大手門址大鳥居横の江戸彼岸桜も来年に備えお休み中。
グルグル 外濠内濠まわるが 土塁と濠だけではない。
本丸址に荘内神社 本丸御隅櫓址 御金蔵址 現存は石垣再積近く「御城稲荷神社」全く影形ない状態でなく 羽黒街道に沿う城址公園。
最上義光/よしあき隠居城 徳川四天王の酒井忠次公の子孫忠勝公(初代藩主)入部 明治維新迄。令和4年には 酒井家入部400年。
藤沢周平は我が故郷ここにありと「蝉しぐれ」「たそがれ清兵衛」で郷土愛をご披露。
松竹座舞台で片岡愛之助が蝉しぐれ。 映画館では真田広之が清兵衛を好演 確か監督は山田洋二氏 地方の映画祭にも山田監督は出席され 幕開けに満員の観客に思わず声をあげられていた。海外ロケで来れなかった真田広之氏は肉声メッセージを届けてくださった。
武用の一助として 酒井忠発公奨励の「釣り文化」を忘れてはいけない。
心身の鍛錬「黒鯛釣り」魚拓も始まる。
紀州釣りと並び庄内釣り(春の乗っ込み漁は明治に入ってから)名竿は刀より得難し。
庄内柿も名物です。
山形城
2019年7月12日
10 山形城(やまがたじょう)山形県山形市霞城町 別名:霞ケ城

二の丸堀にゴーッと電車が走りこんできた。通り過ぎてから二ノ丸東大手門より入る。
平成15年本丸一文字の石垣 17年大手橋 26年高麗門と枡形土堀復原。解説板が優しい。「最上義光/よしあき」騎馬像際立つ 上杉家臣直江兼続戦での雄姿。(猫の多い城内 騎馬像に綺麗な猫が陣取動かぬ 殿様の守り役? ニャンとも 家老のつもりか)
国内で五番目の広さ ナンバーファイブ (最上氏時代は土城 鳥居氏が石垣を)
最上氏は関ヶ原の功で57万石大大名 徳川将軍にも信頼され実質100万石の城下町として繁栄した。お家騒動で改易。戊辰戦争では城にての戦闘なかった。
映画「超高速参勤交代」が東大手門で 江戸城に到着するラストーシンを撮影したが
現実は映画のようにめでたしめでたしとならぬ。近く「引っ越し大名」も公開される。どうやって藩おとり潰しを免れたか見てこよう。
藩主が数々交代したが義光公が像となった 実績あり。
スポーツ系男子に後ろから何度も追い越された、若者が育っている。(中年男性は猫の餌やり、動物愛護団体系なのでしょうね)
米沢城
2019年7月13日
109 米沢城(よねざわ)山形県米沢市丸の内 別名:舞鶴、松ヶ岬城

毘と龍の軍旗の下 本丸跡の橋越える。
長井 伊達212年間 蒲生 直江 上杉家272年間 明治迄。
米沢藩上杉家の家祖上杉謙信像 上杉景勝公・直江兼続公主従像 
「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人のなさぬなりけり」米沢藩中興の祖天下の名君・上杉鷹山(ようざん)像 今の米沢は鷹山あってこそ、謙信は春日山城 お山でいらっしゃいました。
景勝は武田信玄娘・菊姫と結婚し越後統一 佐渡・出羽庄内・北信濃合せ90万石 会津120万石 豊臣五大老 関ヶ原後は米沢30万石。
(この城で生まれ育ちしは伊達政宗。)
切手に関心ないが「上杉本洛中洛外図屏風/信長から謙信に贈呈」が切手になっていた。市博物館で「上杉家文書」とこの二点が国宝収蔵。「松岬城図」に御三階櫓あり 輪郭式平城。堀から乱杭。
上杉神社睡蓮も可憐だが冬には雪に包まれよう。
10年前大河ドラマ「天地人」で子役が「わしはこんなところ来とうなかった」物言えば唇寒しだろうに 自分の言葉はけたのは羨ましい限り。
二本松城
2019年7月13日
11 二本松城 (にほんまつじょう) 福島県二本松市郭内 別名:霞ヶ城 

夏空に安達太良山がくっきりと姿見せる。
近世加藤山麓の城 中世畠山山上の城 登り終えたらクタクタ 標高345m阿武隈山系白旗ヶ峰はハードル高し。汗かき枡形虎口より本丸天守台(天守築かれず?)へ メチャ体力消耗 蒲生加藤丹羽氏の石垣が立派。智恵子抄詩碑や悲伝説。
畠山満泰 伊達政宗に落城 会津領として蒲生氏が石垣城郭に 加藤氏近世城郭。 白河藩から丹羽光重二本松藩初代藩主に 山麓に三の丸御殿、箕輪門(御殿表門跡に多聞櫓二階櫓も昭和再建)城下町整備 220有余年居城。慶応4年戊辰戦争奥羽越列藩同盟 隣藩会津に巻込まれ新政府軍に落城。
やはり歴史も知っておかなければ 散らした命が浮かばれない。
丹羽公菩提寺の大隣寺にても合掌 春には枝垂れ桜が彩る。
三の丸御殿の復元に期待。
菊人形会場準備が始まり 藩政時代から菊の愛好家多く千輪菊など魅せる花づくり 今年は「源氏物語」麗しく優雅な世界をご覧あれ、千年の歴史もつ二本松和紙 「陸奥のまゆみ紙」は紫式部や清少納言も愛用しただろうか。
越前大野城
2019年7月16日
138 越前大野 福井
一向一揆の恩賞で信長から3万石。 金森長近が2重3階 大小天守 付櫓の平山城築。
篠山城
2019年7月25日
57 篠山城(ささやま) 兵庫県篠山市 別名:桐ヶ城

デカンショ祭近し 夏祭の季節。駐車場も制限。
高虎の直線的高石垣待っている。
東西南北四つの濠固め まず左の濠が目に入る。春は桜が。
家康が豊臣押さえで 池田輝政や藤堂高虎が腕ふるう 西国大名20人動員天下普請。本丸と二ノ丸は高石垣 外側に内堀三の丸広外堀 二の丸虎口「三か所角馬出」枡形 本丸17m高石垣天守台は天守建てず 北東隅欠く回の字型 現存御殿なく 2000年大書院再建。
名古屋城と相似形。
JR福知山線「丹波篠山口」神姫バス「二階町/290円」五分。 
帰りは一つバス停歩き 何となく「誓願寺」へ 総本山は(京都新京極)桃山時代「豊臣秀吉」画幅を所蔵し 8/25まで京都文化博物館で実物を展示中。
もう一つ驚くのは 国指定史跡「八上城跡/やかみ」波多野秀治公の菩提寺だった。
丹波一円おさめた戦国大名波多野氏だが 明智光秀の丹波攻で落城 459m高城山に山城跡残る。住職夫人がご多忙のところ丁寧に応対くださる。
犬も歩けば棒に当たる ラッキーな歩き。内容の濃い丹波篠山 国重伝建造物保存地区は歩きが勝ち。
明石城
2019年7月25日
58 明石城 (あかし)兵庫県明石市明石公園 別名:喜春城

堀の噴水が何よりの出迎 涼呼ぶ。
松本城から小笠原忠真氏(家康の曾孫) 徳川秀忠の命に明石海峡望む丘に築(姫路城主義父本多忠政助言もあり)。本丸南西隅の巨大天守台は天守築かず 連郭式。

「築城400周年」9/30迄 115m石垣 本丸南面両端 現存2基の重文三重櫓を連夜ライトアップ。400本伐採で 東は巽櫓 西は伏見城から移築の坤(ひつじさる)櫓白漆喰総塗籠壁に映え艶やか 電車内座席から見える(いつも眺めていた 現存12基三重櫓)JR山陽本線「明石」5分。景観美化に力いれた。築城当時宮本武蔵が武芸 庭作の才も披露。

グランドから球児と応援団の元気な声が響く、高校野球の準決勝ぐらいか。
帰りの電車で 全国高校野球選手権「岩手大会決勝」大船渡がぼろ負けと聞き 3年生佐々木朗希投手が可哀そう。浴衣姿 奉納花火5千発 今宵は天神祭の本宮「船渡御」。 8/3 明石商兵庫代表頑張れ 8/11〇16〇18〇ベスト4  20良くやった!
福井城
2019年7月29日
137 福井城(ふくい)福井県福井市大手 別名:北庄城 福居城

真夏 凛と咲く桃色の蓮花に 手入れ行き届き感。
家康二男 結城秀康公の城。JR福井駅5分は助かる 県庁へ 一階食堂でランチしながら(ソースは味噌味)左に「天守台跡と福の井(井戸)」見える。
秀康は秀吉養子 結城晴朝にも養子 関ヶ原後越前一国68万石 旧城大改修 初代藩主は34歳で没す 三代目松平忠昌で北庄城が福井城改名 幕末まで越前松平家居城。 騎馬像は若き日の秀康像。
四重五重の堀 30m四層五階の天守跡 石垣現存。天守閣をつくれた。平成29年復元「山里口御門」(廊下橋御門平成20年)。福井市の足羽山から採掘 笏谷石/しゃくだに。
資料・伝承だった「北ノ庄城址/天正11年焼失/福井城前身」発掘 信長より越前北ノ庄を与えられた藩主柴田勝家公の存在。柴田公園の資料館に日本画平山郁夫氏絵 柴田家末裔。(岡倉天心は福井藩出身で日本美術院創設「院展」)
信長・秀吉・家康公 信長妹勝家公妻お市の方・浅井三姉妹と戦国武将の世界に華を添える、お市の方の銅像 やはり品あり 絵から抜け出てきたよう。
福知山城
2019年8月1日
158 福知山城(ふくちやまじょう)京都府福知山市 別名:横山城 掻上城(かきあげ)

京都だった。
JR「福知山」駅 綺麗に整備された駅 観光案内所で地図 スタンプも。
駅15分なら歩こう しかし道に迷ったか 真っすぐ15分は正面からでなく 駅の右へ15分。90度方向違えば この炎天下での彷徨いは… 駅に引き返そうと三人目の道訪ねで 灯が見えた。城でなく「御霊神社」に向かっていた。御祭神明智日向守光秀公にご挨拶。
天守閣めざす。この天守閣 来訪者には役に立つ優れもの。
市民熱意で昭和61年(1986)3層4階望楼型大天守と2層小天守再建。
丹波平定光秀公は信長に「その名誉は天下に比類なし」と称された。坂上がる途中 熱天下に「桔梗」咲く。現存は本丸内「銅門番所」。東側「豊盤の井」急いだのか石垣は転用石も使用。400年耐え大河ドラマ「麒麟がくる」大舞台にひきあげた野面積の石垣を誉めよう。
藩主時代 治水事業に力入れ 善政施す。民からは良きお殿様。和泉式部の詠みで城名変わる?横山城から福知山城。
「城内禁煙」只今整備中 天守閣は入場可。今は工事の車が主役か。
岐阜城
2019年8月6日
39 岐阜城(ぎふ)岐阜県岐阜市金華山天守閣 別名:稲葉山城

「天下布武」長良川鵜飼で見上た金華山  生涯一度はの城。
織田信長公・斎藤道三公が標高329mに築 真夏日差カンカン 頂から東に恵那山 木曽御岳山 北は乗鞍日本アルプス 西に伊吹養老鈴鹿 南は濃尾大平野。
信長公居館跡牡丹紋金箔瓦発見 麓で生活されていた。(京往来には佐和山城訪れていた佐和山も巡たい)道三の階段は裏門跡。
令和2年1月「市歴史博物館/麒麟がくる大河ドラマ館」予定 これはちとくるのが早かった。
道三三代築き 信長受継ぎ 光秀乱世駆抜る 楽しみだ。
JR米原〜大垣〜JR岐阜駅 駅前からバス「岐阜公園・歴史博物館前」210円 ロープウェイ往復1080円(観光目的で明治最初の復興城)
スタンプ「岐阜城資料館」忘物を追っかけ届けてくださった係員の方 ありがとうございます!
叔父が退職後に信長塾に通い 軌跡をたどり日本各地を飛び回っていた。
海外勤務から帰り 織田信長公に関心もつ。かなり魅せられたのか。
明智光秀の「敵は本能寺にあり」謎は永遠のテーマ。
新宮城
2019年8月9日
167 新宮城(しんぐうじょう)和歌山県新宮市新宮 別名:丹鶴城 沖見城
紀伊半島の夏シャワー浴び 海岸線を縦断。
青春切符 大阪6:06 和歌山 紀伊田辺 新宮13:24着
(帰り 新宮15:30 紀伊田辺 御坊 和歌山 大阪21:44着)
スタンプは世界遺産「阿須賀神社」隣「歴史民俗資料館/入場料210円」。
「新宮駅」15分 精緻な美しい石垣を見よう。1600年紀州藩新宮領地として浅野家 広島へ 1619年水野家(家康10男頼宣の「付家老」)維新迄10代。 水野浅野家の家紋入「御城印」。
水野家入部400年で 11/9・10「水野家と新宮城下町」子孫らのシンポジウム 川舟から城跡を見る。続百名城認定を機に各自治体や ドイツにも交流をと 大きく羽ばたく。お・も・て・な・し は 720万。
城跡と水野家墓所セットは国指定。幕末大老井伊直弼とで 紀州藩主を 14代将軍家茂輩出させた「9代水野忠央藩主」功あり。
佐藤春夫(東京オリンピック賛歌作詞者/文化勲章)「わんぱく時代」で 城跡麓に父の熊野病院あった これ水野氏丹鶴城とうたう。歴史は今の今も脈々と生きている
田丸城
2019年9月16日
154 田丸城(たまるじょう) 三重県渡会郡玉城町 別名:玉丸城

日本城郭史学会のリーダーのもと訪れる。「石垣と堀がメイン」
昨年の台風でどことも被害 指定史跡ともなれば規定あり石垣確保など困難も。
「村山龍平記念館」パンフ沢山 スタンプも。大型車駐車は記念館前 小型は上まで。
大手門跡から右手には「移築現存・旧三の丸御殿奥書院」「移築現存・富士見門(長屋門形式)」。「腰巻石垣」「切岸/曲輪斜面を一定の角度に切土した急勾配」「堀切/曲輪の独立性保つ・屋根筋遮断など」山城では尾根筋や塁線防御の中世「空堀」がここ平山城でもあった。南北朝の北畠 三層天守建立の信長次男信雄/のぶかつ 蒲生氏郷 関ヶ原後稲葉道通 伊勢津藩藤堂家支城 元和5/1619「久野宗成」和歌山城主徳川頼宣の家老入封。明治2/1869田丸城と領地を和歌山藩主徳川茂承に返還。すなわち中世と近世城。
青空広がる天守跡北端に天守台。参宮街道と熊野街道も。三の丸は中学校、御殿跡でお勉強 皆お殿様お姫様でしょうか。龍平記念館には天守模型 何と城址は龍平氏の寄付。夏の高校野球の神様。
北の空堀先では栗拾い、秋待ち遠し。
根室半島チャシ跡群
2019年9月19日
1 根室半島チャシ跡群(ちゃしあとぐん)北海道根室市温根元
直行便で女満別空港着。16℃ 街路樹ナナカマド赤く 秋気配。
チャシはアイヌ語「柵囲い」砦 祭祀 見張り場。道内500 根室市内32(うち24 国指定)16〜18世紀頃。海臨む崖上に半円形や方形の壕「面崖式」。
オホーツク海一望 ノッカマップ湾岬「@ノッカマフ1・2号」半円形の壕。これ以上ない青空 天の恵みで360度パノラマ。風力発電風車2基も。
「北方原生花園」過ぎ 温根元湾西岸岬「Aヲンネモトチャシ跡」 温根元漁港に降り 仰ぎ見ると盛土濠は「お供え餅」に見える。そのまま顔を上 歓迎セレモニーか ロシアからの「大鷲」舞う。近隣迷惑かけぬよう静かに見学。スタンプ「根室市歴史と自然の資料館」。普段鍵管理「釧路の丘Bモシリヤチャシ」強風で帽子飛ばされぬよう足元も注意。釧路市春採湖台地上「C鶴ヶ岳チャランケチャシ」。
国文学者中西進氏「アイスロード」講演(根室市100歳の方がオホーツク文化研究で賞受賞)根室入り。講演殺到依頼の中 快諾されたのはここ根室ゆえ。アイヌ民舞・常呂竪穴式住居体験感動。トロ秋刀魚食べ放題は次回に。
岩村城
2019年10月2日
38 岩村城(いわむら) 岐阜県恵那市岩村町字城山 別名:霧ケ城

近世三大山城 717m 六段石垣お目当て。
明治に焼失したが山麓藩主邸跡に平成2年再建「表御門」「太鼓櫓」。
大手道「藤坂」は 岩村城創築者加藤氏(頼朝家臣)妻輿入れ際 紀州藤城村より持参藤の実が由来。本丸800mへの石畳 登城坂は奥方の故郷坂。畳橋。
長男景朝築 遠山氏を称す。戦国時代信長家臣川尻秀隆 森長可(ながよし) 江戸時代松平・丹羽氏。
本丸北東「六段壁」下から積み上げたのでなく 崩落防止で上から下へ継足す。
「埋門」は野面・打込・切込ハギ。石切場なく川底から引揚げた、城内杉は木造天守再建のため名古屋城へ。頼朝に戴いた八幡様・薬師寺・弁財天あった。(段築工法石垣)
「岩村歴史資料館・スタンプ」の「享保岩村城絵図」等豊富な資料時間足りぬ。丸に二つ引紋は遠山氏最後の城主・景任 信長の叔母を妻に。武田24将の一人秋山虎繁。信長の五男御坊丸。長篠の戦で勢いづいた信長に武田落城、本能寺変 ドラマになりそう 後は作家にお任せ。
商家町並み岩村本通・城下町は国重伝建保存地区、女城主の里いわむらも楽しめる。
苗木城
2019年10月2日
142 苗木城(なえぎ)岐阜県中津川市苗木 別名:霞ヶ・赤壁・高森城

日常 白亜の天守見ながら育った私には これも名城かと「懸造」に恐れ慄く。
「続100名城ガイドブック」写真でも身震する程の衝撃。城内道整備で観光客も。
木曽川432m高森山 天守跡まで170mの山城。山頂露頭巨大な岩盤基礎の本丸天守台跡に復元(3階部分)展望台 眺め良し 爽やかな風 「シンプル イズ ベスト」あの笠置山までが広大な領内。山に向かい笠置/かさぎ物見矢倉 二の丸に遠山家住居・家臣部屋 三の丸に三階大矢倉 帯郭もあり。山城だから空堀も。
遠山氏築 子の景徳居住。森長可に落城 織田・武田氏と姻戚 関ケ原直前家康命で奪還 功ありで一万石大名 初代友政から12代友禄 明治維新まで国替なし。幕末期まで苗木遠山氏だけが陣屋免れ城持ち。徹底的「廃仏毀釈」で廃寺・仏具不要とか。
「苗木遠山資料館」城模型で復習 風吹門の柱と門扉保管。平山郁夫師 画家前田青邨は中津出身 色紙絵色々。
戦国時代の武田・遠山・織田氏 来年大河ドラマ「麒麟がくる」登場しそう 本家岩村 分家苗木 兄弟城の場面楽しみに。
勝瑞城
2019年10月9日
175 勝瑞城(しょうずいじょう) 徳島県板野郡藍住町勝瑞 別名:阿波屋形 下屋形 勝瑞屋形
虫除けスプレーや帽子必携せずとも 体力温存もでき 続百名城四国では唯一の平城。
細川・三好氏の本拠地 天正10年/1582長曾我部元親氏に敗れ廃城。
城館跡は見性寺境内で三好氏四代の墓 現存は水堀と土塁。寺登城だけで帰ることなかれ損しますよ(別名が三つも ただの寺ではないようです) 信号渡った向こうに広大な館跡 発掘現場・展示事務所(スタンプやパンフ)。平成6年度からの公園整備事業発掘調査で一級品の遺構や遺物出土、保存状態も良。こちらでは庭園跡・会所跡発見 丁寧な説明版も 史跡公園としてまだ整備中。
城跡の境内に青々とした「矢竹」矢軸の材料が植えられている 四国・九州の城や武家屋敷でよく見かける。
徳島で宿 何だか見覚えある。三度宿泊した。城巡りの今回で四度目。「二度ある事は三度ある」どころでない 徳島には沢山の宿があると思うが。四国だから四度目?
一宮城
2019年10月9日
176 一宮城(いちのみやじょう)徳島県徳島市一宮町

一宮神社の前 北登山口からです、144me-山城、本丸まで約650m。
南北朝時代小笠原長宗築城 小笠原氏末裔の一宮氏12代244年間 天正7年/1579土佐の長宗我部元親/もとちか(3年間)に落城。秀吉四国平定後蜂須賀氏(2代30年間) 翌年徳島城築き本拠移す 阿波九城・支城の一つになる 元和元年/1615一国一城令で廃城。
嬉しいことに北登山道は階段状に整備。北口(スタンプ)から登るので太陽あたらず暗め 左に切岸、北城の尾根続きの右に明神丸 左の才蔵丸を堀切が分断 やっと本丸現る、何だか宝物発見のようで胸わくわく 後光差し眩しい。(南城の曲輪群は小倉丸・椎の丸・水の手丸)
土造城だが虎口平入の本丸は野面積石垣、蜂須賀氏のものか。急な石階段 脚に自信ない方は左から廻る。お宝石垣 無理してでも這い上がろう。本丸から徳島平野・鳴門海峡・紀伊水道と眺望。(当時平時の御殿居は北東山麓)
下山し 一宮神社参拝、三日前に宮司さんや城保勝会の方々が草刈りしてくださったの事、ありがとうございます!それで後光がかかっていたのか。
引田城
2019年10月10日
177 引田城(ひけたじょう)香川県東かがわ市引田城山

虫除けスプレーあび「いざ出陣」(スタンプ讃州井筒屋敷)
標高82m 「引田港側登山口」ガイド同行。防虫除け意味わかった左右にクモの巣。織豊系城郭イメージしながら登ろう。(秀吉家臣生駒親正入国するが聖通寺城に本拠移す、一国一城令で廃城)
本丸の算木積は旧式 本丸から引田の町並や播磨灘眺望 天守台 化粧池 引田鼻灯台 東の丸 大手門 北二の丸 北曲輪 田の浦キャンプ場側登山口着 約一時間。
御殿あったであろう生駒時代の石垣 ブルーシート下「北二の丸」(足元注意)が見どころ。
北曲輪に石垣見られず親正以前の城主の遺構か。
生駒氏は赤穂から移り 塩産業も普及させ川や海塩も上中下田とある。城下町残り和三盆や醤油産地、はまちの養殖歴史古い。余裕あれば城下町散策。
「西の丸亀・東の引田」秀吉3中老(中村一氏・堀尾吉晴・生駒親正)秀吉の城。
岡豊城
2019年10月10日
180 岡豊城(おこうじょう)高知県南国市岡豊町 

百花繚乱 県立歴史民俗資料館(スタンプ)のロビー玄関花にビビッときた、心身とも癒される。
資料館裏 地図の上・長宗我部元親飛翔之像から標高97mの岡豊山へ。
頂部に主郭部 南「伝家老屋敷曲輪」西「伝厩跡曲輪」の連格式。頂部の主郭「詰」復元 堀切「二の段」「三の段」復元「四の段」虎口付。昭和60年度からの発掘調査で天守の前身かと思われる二層以上の礎石建物跡、三か所復元。
主郭部に「長宗我部氏岡豊城址の碑」。伝厩跡曲輪の展望台で浦戸湾を眺め一息つく。

資料館で「長宗我部氏一族」の様々な展示。「吸江寺/ぎゅうこうじ」展も面白い、夢想疎石が結び 細川氏庇護のもと長宗我部が寺奉行 江戸時代は土佐藩初代藩主山内一豊の二代目 子・湘南が住職 庵から吸江寺の名に。
もうひとつ二代目 仏師運慶の子「湛慶」の作品 鎌倉時代真作「毘沙門天像 吉祥天 童子」(「雪蹊寺」)にお目にかかれたのも嬉しい。この親にしてこの子あり。(親は並大抵の苦労ではなかったでしょうが)土佐の名城にて芸術の秋親しむ。
河後森城
2019年10月11日
179 河後森城(かごもりじょう)愛媛県北宇和郡松野町

登城口は「風呂ヶ谷駐車場」から 「JR松丸駅」20分
ガイドさんが「頂上では五指に入る絶景待っていますよ」楽しみに愛媛と高知の国境171mの本郭目指す。中世山城は栗の実も沢山落ち秋のハイキングコース。
土佐一城から河原淵教忠 長宗我部の攻め 秀吉の四国平定 小早川氏 戸田氏 藤堂氏 富田氏。一国一城令で廃城。しかし江戸時代に伊達氏が宇和島藩入封際 付家老桑折氏居住との事。支城の役目果たしていたのでしょうかね。
平成に西側整備 スタンプは「復元・西第十曲輪の掘立柱建物」隣がお馬さん小屋(馬も171m登下城は命がけ)。
階段状に西第十曲輪から第三曲輪 そして「堀切」第二曲輪 最後は石垣「本郭」。本郭跡から主殿舎や台所発見 切株に腰掛け松丸地区や広見川臨む。西曲輪以外に古城・東第四曲輪群、新城(紅いオンツツジ咲きかけ) いくつ曲輪群があるのか。木の根っこや落葉をどれだけ歩いたやら。無事に下城できた。
藤堂時代に河後森城の天守が板島城(宇和島城)の月見櫓として移築されたとも。
能島城
2019年10月11日
178 野島城(のしまじょう)愛媛県今治市宮窪町能島
こんなに早く「KAIZOKU」能島・鯛崎島に来れるとは、「いつかが今になる」続百名城様様。
上陸できずとも 船は遠くしかも真近まで接近し大満足 船長さんの腕が良かった。
本丸 二の丸 西に三の丸 南に出丸 東に矢櫃の小郭曲輪 船着場の曲輪 海蝕テラス(武者走り)岩礁ピット 鯛崎出丸 大島石 開放的な海城はあまり細かい事は控えた方が良いか。
能島村上氏活動拠点 来島村上氏 因島村上氏。安全確保のため通行料(警固料)徴収した「海の領主」能島村上氏は毛利に協力し本願寺助け1576年第一次木津川の戦では織田信長衆の海賊退け 翌年にはルイス・フロイスの船を警固。1588年秀吉の海賊禁止令で解散 毛利氏の御船手(水軍)に。村上氏の城跡や集落から大名居館匹敵の遺物出土。宣教師ルイス・フロイスに「日本最大の海賊」と称され平成には日本遺産認定。
「今治市村上水軍博物館」で一筆箋土産に、さて誰に届けよう。勿論「村上海賊の娘(和田竜)」景姫に。明日は40年から50年に一度の台風が 平穏無事願う。
名護屋城
2019年10月15日
87佐賀
秀吉の城だが陣城で17万平米 5重の天守もあったという。全てにかなりの想像力要す。
縄張りは黒田孝高 普請奉行は加藤清正・黒田長政・小西行長の3名。肥前名護屋城図屏風では本丸に6基の重層櫓がわかる。潮見櫓は海の見張り 名護屋城では?宇和島・赤穂・福岡はあった。京をも凌ぐ都市は常に約20万人 発掘調査はまだ続くが本丸南西部で300畳敷の建物を発見おそらく対面所であろう。
天守台から玄界灘 快晴なら壱岐も見えよう。
文禄・慶長の役で朝鮮・慶尚南道沿岸に約30の日本式の倭城を築城 勢いがあった。
 
白河小峰城
2019年11月7日
13 白河小峰城(しらかわこみね)福島県白河市郭内 別名:小峰城
 
JR東北本線「白河」駅 白亜の城に希望の光を感ずる。
初代丹羽長重の石垣は 東日本大震災の震度6強に崩れ 8年後今年3月石垣修理完成。結城 蒲生氏郷 上杉景勝 江戸時代丹羽長重(光重は二本松へ) 榊原 本多 松平(奥平結城久松) 阿部六家19代 新政府領。 
八代将軍吉宗の孫「松平定信(幕府老中時代寛政の改革/兼六園の名付親)」残した貴重な実測図「城御櫓絵図」により(几帳面な性格だったのでしょうか)戊辰戦争焼失三重櫓を平成3年木造復元、本丸北東 三層三階 下見板張。平成6年本丸正門櫓門「前御門」復元。三重櫓から前御門・多門櫓・桜之門と櫓と門が連続。北側旧阿武隈川の水堀・蛇頭堀、帯曲輪石垣。瓦紋松平梅鉢目立つ。
震災南側石垣は7000個 石垣の図面はなかった。1から7000迄番号をつけカルテ作成。月に一、二度現場は市民に公開 手のひらサイズの石に復興メッセージ書き石垣に裏込め。市民の取組は熱い。戊辰戦争の大戦闘も乗越えた東北の粘り強さには舌を巻く。復興には強いのです。
三春城
2019年11月8日
110 三春城(みはる)福島県田村郡三春町 別名:舞鶴城

サクサク落葉 ヒラヒラ舞散る紅葉 秋を身に纏ながら大志多山407.8mお城坂上がる。一瞬日本三大桜「三春の滝桜」かと見間違う「浪岡邸の桜」が左手 春なら愛姫さくらまつりで賑わう。「愛姫生誕の碑」中世戦国大名田村義顕一人娘 米沢城の伊達政宗に嫁ぐ(正室)。子は五郎八姫(松平忠輝婚姻)忠宗(仙台藩2代藩主)宗綱(岩ケ崎伊達家初代当主)子孫残した愛姫に軍配上げよう 大名は金の心配よりも跡継無いのが怖いらしい。田村4代 伊達政宗1代 秀吉奥羽仕置き 蒲生氏郷2代(若松城支城) 上杉景勝1代 蒲生3代 加藤明利(加藤嘉明3男)1代 松下1代 秋田家5万5000石(天守代用三重櫓)11代明治維新迄。江戸時代天明大火で全焼 本丸には代々将軍からの朱印状収める三階櫓以外は再建されず。本丸跡(戦国時代には城主居館) 蒲生氏時代の石垣が眩いよくぞ遺っていたものだ 城跡だ。奥羽越列藩同盟脱退で無血開城。
続に選ばれ資料も充実 城下町・桜・伊達政宗支えた「愛姫めごひめ」アピール力あり。三春滝桜に城があったのだ 来れるとは 続百名城に乾杯。
白石城
2019年11月8日
105 白石城(しろいし) 宮城県白石市(益岡公園内)別名:益岡・枡岡城

羽田着 車で向かう。400円払わないとスタンプ押せない怖い関所あり。
(御城印も販売すれば収入アップにつながりますよ)
秀吉の奥羽仕置後伊達氏白石の地は蒲生氏郷に 築城 関ケ原後は伊達氏に 織豊系城。
伊達政宗重臣片倉景綱城主 明治まで存続。
憚り櫓こと天守の「大櫓」は平成7年「白石城本丸屋形図」もとに長期耐え得る木造復元。天守三階は物見櫓 30畳敷広さは何かに活用できそう 階段も幅が広かった。本丸 二の丸 中の丸 西曲輪。本丸大手一之と二之門(本丸大手門)の変則的な枡形。
元和元年1615「一国一城令」仙台藩支城の白石城は存続許され 奥羽31列藩同盟結ぶ舞台ともなるが戊辰戦争の攻防戦無し。大阪夏の陣真田幸村は片倉重長に4児養育頼み 二の丸にて大切に保護されていたそう。
白石城主片倉家(仙台藩家老)16代当主は青葉神社の宮司さんらしい。
東北で同じ白名がつく宮城の白石城と福島の白河小峰城(JR「白河駅」市民参加)が分かりにくかったが 今はわかる。
仙台城
2019年11月8日
8 仙台城(せんだい)宮城県仙台市青葉区 別名:青葉城

最初から天守なく千代城跡に初代仙台藩主伊達政宗築城 本丸に御成門や大広間御殿。
62万石訪れてみれば本丸北壁石垣 本丸大広間跡遺構 埋門・西門の枡形虎口 本丸西の大堀切 三の丸水堀 土塁 仙台城見聞館。

日本遺産「政宗が育んだ伊達な文化」
かつて桃山建築の粋極め「本丸大広間」430畳豪壮華麗な建物存在。東崖際「懸造」(米沢城や清水寺)。明治迄気仙沼に金採掘され財政余裕あったか京や各地から名工を招聘し現在国宝「瑞巌寺」「大崎八幡宮」(羽生結弦選手も訪問)造営。左甚五郎モデルといわれる紀州「刑部左衛門国次おさかべさえもん」(ガイドさんはこの匠名に繰り返し触れた、只者ではないのだろう)紀州藩主浅野幸長仕え 江戸幕府「作事方大棟梁」登用された。日光東照宮も担当可能レベル。
澄み切った青空のもと仙台の街並みを17m高石垣から見渡す満足感。(白石城の当主 青葉神社は ここから車で15分)歌舞伎「伽羅先代萩」モデル。秀宗5ヶ条「貞山公御教諭」
多賀城
2019年11月8日
7 多賀城(たがじょう)宮城県多賀城市市川字城前 国特史跡

奈良・平安時代 1300年前にタイムスリップしよう。神亀元年724年。
三大史跡「奈良の平城京・大宰府市の大宰府跡・宮城の多賀城跡」
陸奥国府 陸奥出羽両国の統括 蝦夷対策。古代東北ヤマト政権の政治文化軍事中心地の城柵。周囲に築地塀や木作柵。
多賀城政庁復元模型にて中央の正殿・東西の脇殿・南門・広場をイメージする。
南門と政庁は300m道路、この道を歩みていにしえ偲ぶ 遮るものなく一面黄金色に染まり秋の実り覚える。正殿跡は基壇を復元整備。貞観地震869年復興
三大古碑「群馬の多胡碑・栃木の那須国造碑・多賀城碑」日本三大にピックアップ。
多賀城碑は藤原氏の城改修記念碑 又都人の憧れ歌枕の地として「壺碑」などあり芭蕉 西行法師 能因法師 多くの歌人・俳人が訪れている。巨匠たちに負けじと現在も「壺の碑全国俳句大会」「大伴家持のつどい短歌大会」開かれ風流を解する人々の心を捉えた北の都。南は九州 北は東北 歌の詠みは変わらず。
まだまだ整備中で見学しても邪魔にならないのかと思う。外郭南門復元が待ち遠しい。
 
会津若松城
2019年11月8日
12 会津若松城(あいづわかまつ)福島県会津若松市追手町 別名:鶴ヶ城

霧にむせぶ城 靄かかり白っぽい。
蘆名直盛家 伊達政宗家 秀吉の命で蒲生氏郷家(黒川城入城 七層天守閣 鶴ヶ城改名 茶室「麟閣」)上杉景勝家(出羽3郡佐渡3郡120万石-米沢へ)蒲生家 伊予松山から加藤喜明 保科家(家光の弟保科正之最上から23万石)松平家(容保京都守護職 戊辰戦争 1868慶応4鶴ヶ城開城)歴代領主はオールスター戦もよう。
昭和40年天守閣復元 五重五階 鉄筋。天守あるとないとで観光客の集り違う。「武者走の石段」本丸帯曲輪から本丸奥御殿への多門櫓門が「表門(鉄門)」干飯櫓から月見櫓へ雁行する石垣。平成13年干飯櫓・南走長屋復元 平成23年全てが赤瓦葺。
カメラ音痴の私に「桜もいれて写すんだよ」と教えてくださった方に感謝。
新島八重の像 やはり銃持っていた。蘆名一族の「天海大僧正」黒川城稲荷曲輪の別当職
「気は長く 努めはかたく 色薄く 食ほそうして 心ひろかれ」107歳長寿のコツ
向羽黒山城
2019年11月9日
111 向羽黒山城(むかいはぐろやま)福島県大沼郡会津美里町 別名:岩崎城 巌館いわたて

昨日は雨降らず 今日も晴天 白鳳山公園絶好の山城日和 鶴ヶ城出城。
可愛い団栗転がっている。これだけあれば熊さんは山里まで降りて来ないよ。
阿賀川を足元に断崖絶壁の岩山が聳え立つ 戦国時代にはもってこいの天然要害。堀切が30mから100m以上。岩崎山・羽黒山・観音山と三山連なる。
二時間半コースだが六時間かければゆっくりと散策できるとの事。車も一部対向できない道路あり注意。
会津盆地南方 408mの岩崎山 初代蘆名氏の隠居城 蒲生氏郷が8年かけ築城。岩崎山頂部に一曲輪(本丸・会津盆地一望) 羽黒山尾根伝いに二曲輪虎口 北曲輪等多数の曲輪配置 長い竪堀がお見事。
これから調査されてゆく 保存状態良し。 観光化されていない良いタイミングだった。無事に降り立った時「熊出没注意」の看板にでくわした。そりゃあ あれだけ団栗あれば寄ってくる。会津美里は瀬戸物の町 「左下り観音堂/鎌倉時代の懸造り」「天海大僧正」蘆名一族 黒川城では稲荷曲輪の別当職。徳川三代まで重用(107歳は三代に仕えた)
延岡城
2019年12月6日
195 延岡城(のべおか)宮崎県延岡市 別名:亀井城 縣あがた城

誰が名付けたか「千人殺し」。
東軍についた功で日向松尾城主高橋元種は所領安堵。東か西かで運命分かれた。
高橋1代 有馬3代 三浦1代 牧野2代 内藤8代明治迄 廃城。有馬氏2代のころ天守代用三階櫓 二階捫櫓 二階櫓 地名も延岡に。今も市民に時を告げる城山の初代鐘も今山八幡宮に寄進。家臣宅から出火で天守代用櫓も焼失。人災では再建しにくいだろう。千人殺しの石垣は残った。直高19m 法長(出角延長)では22m どちらの高さでいえばよいのか。二の丸に千人退散させる魔力の高石垣。西南戦争(西郷隆盛「薩摩軍」につくが熊本城で敗退 延岡城も陥落 新政府軍は艦砲車撃退のため太鼓櫓焼き戦い終了合図としたとか)で城山の太鼓櫓も焼失(城山公園北駐車場 9時 南も有 公園利用者無料)発掘調査や江戸時代の絵図に基づき平成5年に北大手門復元 物騒なネーミングも桜咲く大手門に和やか。延岡城山公園/千葉県/島根県松江市は日本三大ヤブ椿。有馬氏は越前丸岡へ移封 それが縁で延岡と丸岡は姉妹都市「現存12天守・千人殺し」最後の藩主内藤政挙公像あり
佐土原城
2019年12月6日
196 佐土原城(さどわらじょう)宮崎県宮崎市佐土原町 別名:鶴松城 田島之城

何やかや 昨年の台風山崩れで「日本最南端の天守台」に近づけなかった。
南北朝から室町前半 日向伊東氏一族田島氏築。
伊東氏の本拠都於郡城(とのこおり)を支える大事な城。伊東義祐よしすけ「伊東48城」。関ケ原以後は島津以久 2代忠興がが天守 櫓 塀築。山城破却 麓の御殿へ。
二の丸跡の資料館・鶴松館裏から標高70m本丸・南の城・松尾丸に続く大手道は禁止。
平成8年発掘調査で南九州唯一の天守台跡を古地図の位置に確認。島津領では初めての快挙 天守は二重か三重か 金箔鯱瓦も。無傷で山中に残るといわれた遺構の台風被害は深刻 調査の方々か?すれ違う(佐土原は宮崎市と合併 復興は後回しだろう)。猪も現れるとか。佐土原いろは館は物品豊富でお値段も手頃 みかん買いました。佐土原へ向かう途中空に鳥 しかしじっとして動かない 飛行機?旅客機でもない 何機も飛ぶ戦闘機。この12月の2019Airフェスタ航空祭りの予行演習?ブルーインパルスなどでお馴染みですね。西日本の空を強力に守る戦闘機(現存12天守頼むよ)。
志布志城
2019年12月6日
197 志布志城(しぶしじょう)鹿児島県志布志市

何と サンフラワーが見えたぞ フェリーが見えた 曲輪3下段から港を臨む。
内城・松尾城・高城(本丸・二の丸)・新城の四つ 中世山城。
肝付氏 楡井氏 島津一族の新納氏 秀吉九州平定後に廃城。志布志港が海外に開かれ港街は「志布志千軒」と呼ばれるほど繁栄した。
苔むした三宝荒神(城主一族の氏神 守護神の火の神社)の背は大きく深い堀切 こういうのが一二三と続く。柵がないので慎重に歩む。全体に柵がなく当時の様子が手にとるようにわかりやすい。深く切り立った長空堀 複数の曲輪 シラス台地の「南九州型城郭」同標高の独立した曲輪が群れる「群郭式城郭」が特徴。積み上げて造ったのでなく人の手でシラス台地を彫りあげた ハンドメイド。本丸から奥へは行かない(幸い草狩りしてくれているのが有難い)。奥へ行けば行くほど迷う。来たところから戻る。
志布志に来た時は海産物土産に帰っていたが 志布志茶も名物 鹿児島は茶の産地。 チエックアウトで気が付いた「わが胸の燃ゆる思ひにくらぶれば煙はうすし桜島山」この宿は最近宿泊しているよ 近くに大久保利通像
知覧城
2019年12月7日
198 知覧城(ちらんじょう)鹿児島県南九州市知覧町 

鹿児島が好みで毎年知覧に来ていたが続百名城とは知らなかった、スタンプ帳持参。
鎌倉時代知覧氏(南北朝時代は島津氏庶流の佐多氏)佐多氏 1677年16代佐多久達氏は家老努め島津姓許され明治まで(小競り合い有ったが大きな戦無かった)。
本丸・今城・蔵之城・弓場城の四曲輪に東ノ栫 南ノ栫 西ノ栫が取り囲む天険の城。蔵之城跡の発掘調査で掘立柱の建物跡 礎石出て来ず 2階以上の建物は無かった?金銅製の十一面観音菩薩像が出土した。シラス台地の大空堀は深さ30m 四曲輪は独立していて登っては下り 登っては下りの繰り返しで疲労困憊。周囲の土塁崩れ柵ないので足元注意 滑った時は腕で支えず尻もちをつく。危険な際大声だせば聞こえる。トイレ無し。周辺は綺麗に整備されていた。
志布志城・知覧城とも南九州型城郭/群郭式城郭というここでなければお目にかかれない城に巡り合え貴重な体験をした。火山の流出物は黒潮に乗り太平洋側へ流れ着ているだろうか。私も海岸で軽石を手にできようか。地質学興味ある方はご存じですね。
八代城
2019年12月7日
190 八代城(やつしろじょう)熊本県八代市 別名:松江城 白鷺城

黄金色に輝く銀杏の大木 ここは熊本城支城。熊本藩主加藤忠広が城代の加藤正方に築城させた。大小天守も聳えていた。
本丸東 欄干橋入る かつて高麗門・頬当門で防御固め 五層六階(地下含む)天守は落雷焼失。北の丸には裏形舛門 廊下橋門・埋御門。石垣には月見櫓/宝形櫓/磨櫓/舞台櫓 本丸中央に大書院。相撲場跡は能舞台。
元和元年/1815一国一城令でも肥後は熊本・麦島城が認められ 明治迄熊本・八代城存続。加藤氏 豊前小倉藩主細川忠利の父細川忠興(三斎) 四男立孝 筆頭家老松井興永守衛(将軍直臣)松井氏代々。
本丸跡は八代宮 綺麗に整備されている。足元に注意しながら石垣巡り楽しむ。
北の丸は細川三斎の庭園跡 臥龍梅(がりょうばい)植え余生過ごした。銘木に老いてなお風格ある花を咲かせるその姿に先人達の活躍が偲ばれる。松前城にも家光の臥龍梅あった。北海道や九州にも息づくのですね。(九州三大祭 八代妙見祭(もう少し早ければ見られていた。ユネスコ無形文化遺産)・長崎諏訪神社おくんち・福岡筥崎宮)やしろで無くやつしろと読む。
佐伯城
2020年2月15日
194 佐伯城(さいき)大分県佐伯市 別名:鶴屋・鶴ヶ城 塩屋城
佐伯と臼杵は勘違いしそうだが 佐伯は八幡山144mの城山を目指す。
A・B・C・Dのコースあり 三の丸櫓門からAコース独歩碑でスタート。本丸と二の丸には堀切あり 廊下橋は思ったほど規模は大きくなく普段の生活で使われていたのかも。本丸石垣高さ6m 二の丸虎口の渡り櫓跡 本丸天守台跡(三重三階の天守あったそうな)西出丸。よくぞ峻険な山に総石垣の城を築城された。石垣担当を褒めよう。慶長6/1601 日田から初代藩主毛利高政が4年かけ築城。(父は信長 高政は秀吉家臣 織豊系)工事奉行は近江(安土城)市田祐定 石垣は姫路城の羽山勘右衛門を招聘。安土城・姫路城エンジニアが腕ふるった。
登りながら沢山の方々とすれ違う 袖すりあうも多少の縁 地元に愛されている山城。
英語教師国木田独歩は僅か10ヶ月滞在 それでも独歩碑建立。佐伯の地に尽くされたのだろう。
飯盛城
2020年3月14日
160 飯盛城 (いいもり)大阪府大東市・四條畷市 別名:飯盛山城・河内飯盛城

スタンプは大東市立歴史民俗資料館(図書館 火曜休館)2階。コロナ2枚貼紙 コロナ休館で掃除の方だけ。
資料館伝言メモ「飯盛城へ お車で行かれる方へ。キャンピイだいとう(野外活動センター)に 駐車場(※有料)があります。そこから 徒歩(15分程度)で行くことが可能です。※ナビ入力 or 詳しくは 072ー869−0232(キャンピイだいとう)」
電車で行かれる方は。私は電車 大阪環状線「JR京橋」下車 学研都市線乗換「JR野崎」下車 資料館へ徒歩10分。河内と大和の境 飯森山頂 連郭式 曲輪70 近畿地方最大級山城。三好長慶ながよしは高槻の芥川山城より入る。1565永禄8年ルイス・フロイス来訪(長慶公がもう少し長生なら御対面)。宣教師名でてくると次は織田信長名。1575天正3年信長河内の城破却 飯盛城廃城。 今は石垣少し 発掘して埋戻し 一時間半〜二時間のハイキングコース。主君細川春元 将軍足利義輝から政権奪い 戦国時代最初の天下人の肖像画は穏やかな表情 乱世駆抜けたお顔ではなかった。
大垣城
2020年3月20日
144 大垣城(おおがきじょう)岐阜県大垣市郭町 別名:巨鹿城

週末コロナ外出自粛で急遽方角変更。JR「米原」→JR「大垣駅」。
駅から10分位 真っ直ぐ歩くと左に城案内板 右折し細い小道に入ると聳える天守。
関ケ原の戦で石田三成西軍の本拠地となった。スタンプは天守内。
国宝天守は焼失するが昭和に再建 天守あれば人は寄ってくる ご夫婦が多かった。平城となれば奥方も同行する。こんなに身近に白亜の天守(四層四階)に近寄れ満足感に浸る。木造でなくRC造も正解 空襲で人や家そして城も炎に焼けつくされた。復興にあたって炎に強いRCでと願いを込めた。戦争のない時代 今でこそ木造再建の声あがるが。
藩祖は戸田一西 家康の命で近江膳所築城 子の氏鉄(うじかね)は家康の姪を妻 膳所から摂津尼崎へ そして初代大垣藩主 譜代戸田氏11代明治迄。大垣公園内に戸田氏鉄騎馬像 治水事業に手腕を発揮。土産は外堀水門川の八幡神社「大垣の湧水」溢れる名水 ペットボトルに。もう一つ常葉ときわ神社戸田家末裔の宮司さんの名刺 思いもよらず頂戴 大事にする。
鳥取城
2020年3月22日
63 鳥取城(とっとりじょう) 鳥取県鳥取市

遠目から久松山の高石垣が嬉しい。市中毎日眺められる市民はお得だと思う。
コロナ余波なさそう 若者たちのデートスポットだった。西坂下の御門(復元)は搦手。日本十大籠城戦は避けて通れず。我が身保身よりも領民たちを守った吉川経家公。1581天正9年羽柴秀吉が百日間指揮した本陣山 土の「太閤ヶ原」 黒田孝高は平地に陣。
関ケ原は西軍 後は池田長吉(姫路城・池田輝政の弟)鳥取池田家の藩祖光仲の曽祖父は徳川家康 葵紋の瓦葺けた 国内12番目の32万石 池田家12代続く。
JR青春切符で訪れる。JR姫路→JR上郡 上郡駅→智頭駅はJR使えなく 智頭線フリー切符1200円使用(「宮本武蔵駅」もあった) JR智頭→JR鳥取駅。
駅から緑コースの市内循環バス「くる梨」100円 一時間3本が便利。「仁風閣・県立博物館」下車 目の前がスタンプの「仁風閣」。
端正な石垣城にマチュピチュ竹田城をイメージした。雲海はどうでしょうかね。
津山城
2020年3月24日
67 
入場料310円払わないと日本百名城スタンプ押せません。 
入口に幾つもスタンプがあったので間違わないよう係に確認し 押す寸前 日本百名城スタンプではないとわかり危うかった。目指すスタンプは門内 備中櫓内にて。
今まで何気なく押していたけど 各城の御厚意で無料だった。有難うございます。
観光で申込していたが軒並み中止 JRで 姫路→姫新線・播磨新宮→佐用→津山駅。
駅観光案内所では城への道を解りやすく教えて下さり「城見橋」渡り15分。三度目だが桜なく 人もチラホラ ホルモンの屋台見受けず 備中櫓オープンの時の賑わい嘘みたい。
ピッカピカの櫓は畳敷天井張り御殿建築 そろそろと足を浮かせぎみで見学したが今は普通に歩く。
室町は山名氏 関ケ原後 森忠政公13年かけ築城 なんで13年? 江戸・駿府・名古屋・篠山城の普請にかりだされ 大阪の陣参戦もあり多忙だった。おかげで築城技術会得し 名城のエキスたっぷり層塔型天守城郭誕生 当時を想像するだけでもワクワク。
帰り 入城口ではヒラヒラと紙が吹き飛んでいた。青空に風強し。
鬼ノ城
2020年3月27日
69 鬼ノ城(きの)岡山県総社市 別名:鬼城山

鬼退治の伝説が残る古代山城。どんなおどろおどろしさだろう。
鬼城山400m 城壁は2.8q 高さ6mの版築土塁。排水のための水門6 城門4 防御には横から攻撃の角楼も。礎石建物7 倉庫は5棟。築城は7世紀後半か 築城者は大和朝廷か。「日本書紀」など記載なくこの手の城は神籠石(こうごいし)系と難しくよぶ。
メインの西門・角楼がともに復元されている。西門まで整備された道を10分 これでは鬼は出そうで出てこない。木造復元の西門は素晴らしい。正式な記録残らない城をよくぞ復元されたもの。渡来人が物資や人を必要としたかわりに製鉄を教えたテイク&ギブが鬼伝説。
鬼には人を驚かす悪の面 又 福を与え親しまれた両面を持つ。「JR岡山」→「JR服部駅」(無人駅)備北タクシーでスタンプ「鬼城山ビジターセンター」迄2080円 帰りは一時間から一時間半の一本道 十分体力あったが タクシーがユーターンしやすい場所迄歩きつつ車待つ 1840円。五月砂川公園イベントは今年? 城の一筆箋 岡山の婆ちゃんに「ここで初日の出拝みたい」と送ろう。来年? 鬼笑うか。
備中松山城
2020年3月30日
68 備中松山城(びっちゅうまつやま) 岡山県高梁市

鞴峠へ向う途中「志村けんさん」コロナ落城のニュース知る 安らかに 殿様役でお笑いと元気を頂戴した。JR備中高梁駅前からふいご峠8合目迄(前日5時迄観光案内所へ予約 片道600円)12:50発乗合タクシー 帰り14:40発。
登山道400段 700q 20分。山城登やはり辛い 水分補給で休憩しつつ 若いカップルや孫連ファミリー達ともすれ違う。大河ドラマ「真田丸」ロケ地案内に癒されながら 大手門跡岩盤上の石垣に土塀 重文の現存土塀 普請苦労が目に見える 技術者たちは良いお仕事をされた。430m臥牛山 二層二階(外観三階)現存天守聳える。囲炉裏や装束間 二階神棚。大松山に秋庭重信 小堀 水谷勝宗改修 赤穂大石内蔵助も藩主 山陰山陽の街道要地で戦国時代争奪激しく城主交代頻繁。くるっと廻って北側に重文二重櫓。
3月中旬には雪が舞った 桜六分咲 城主猫には天守囲炉裏を拝借し温まってもらいたい お勤めご苦労様です 毛並みも良く健康的でした。3月迄雲海シーズンだけど10月下旬〜12月上旬ベスト。鞴峠休憩所に登城絵図パンフ スタンプ城入口。