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メンバー情報

ID88
名前figaro
コメント史跡・城郭巡りが趣味で、休日ともなれば必ず車に乗って出掛けてしまいます。城郭巡りは3年ほど前から病み付きになっていますが、史跡巡りの道中に「道の駅」に寄る事が多く”道の駅塗りつぶし”に参加していたところ、この”百名城塗りつぶし”を発見してしまいました。
このスタンプラリーが始まる前に、すでに50城近くは訪城してしまっていますが、訪城記録として過去に訪城した城も含めて感想等を記載していきたいと思っています。
どうぞ宜しくお願いします。
ちなみにスタンプには全く興味が有りませんので、スタンプラリー期間に訪城した城もスタンプは押していません。
お許しを・・・
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
小田原城
2008年5月2日
後北条氏歴代の拠点となった城郭です。秀吉に攻められ落城した後、徳川幕府によって城域を狭めた状態で再建された為、現在の小田原城自体には北条氏の痕跡はありません。北条時代の小田原城は総構を持った広大なもので、天守は現在の八幡城山公園であったと言われています。博物館となった現在の天守を見た後、部分的に残る総構を見学に行きました。一部分ではありますが土塁・空堀等が良く残っている部分があり、往時を偲ばせてくれました。
秀吉の小田原攻めで築城された石垣山城も足を運び、崩れてはいるものの壮大な石垣を見ることが出来て、大満足です。
武田氏館
2007年8月18日
館と呼ばれているが、内容は立派な城郭!武田家の力を感じさせるに十分でした。
甲府城
2007年8月18日
直接の戦闘が行われていない事もあり、石垣等の遺構がよく残されています。最初に築かれた石垣を後に修復した為、一つの石垣に2種類の積方が混在している部分など、興味深く見学できました。
松代城
2009年5月9日
訪城日:2006年5月3日
武田信玄が上杉の侵攻に備える為、築城した「海津城」が原型ですが、現状の松代城は周囲に石垣を用いた近世城郭の形で復元されています。
有名な川中島の合戦は、この城に本陣を置いた"武田信玄"と直ぐ西側にある妻女山に本陣を置いた"上杉謙信"との間で行われ、松代城から北に3Kmほどのところにある「八幡原史跡公園付近で激戦が繰り広げられた様です。現在のお城には武田時代を連想させてくれる遺構は少ないものの、八幡原方面とセットにして見学すれば、合戦で戦死した信玄の弟信繁を祀った典厩寺や山本勘助・諸角豊後守等の墓標もあり、武田時代に思いを馳せる事も出来るかもしれません。
上田城
2009年6月25日
訪城日:2006年5月5日
戦国の知将「真田昌幸」の築城による城郭です。千曲川を背に本丸を構え、南から北へ向けた梯郭式の縄張りになっています。昌幸はこの城で徳川の大軍を2回迎え撃ち、いずれも勝利を収めており、特に1600年の関ヶ原に向かう徳川秀忠軍約3万を僅か2千の兵で足止めした籠城戦は有名です。しかし残念なことに関ヶ原合戦は徳川方が勝利、昌幸父子は九度山に流され城は破却されてしまいます。後に仙石氏が城の再建を行いますが、それほど大規模なものではなく、現在残る縄張り構造は真田築城当時の状態に近いと言われています。
丸岡城
2007年12月10日
訪城日:2005年5月3日
天正4年柴田勝家の甥、柴田勝豊が築城したと言われています。現存12天守の中では最も古い時代の天守として有名ですが、昭和23年の福井地震で倒壊して元の材木を使用して再建されています。現在残る遺構としては、天守と周辺の石垣・郭のみとなっていますが、往年の丸岡城は本丸・二の丸の周りを最大幅約90メートルの五角形堀で囲み、更にその外側に三ノ丸等が配置された大規模なものだったそうです。もう少し遺構が残っていればと思うと残念な気がします。
一乗谷城
2007年8月26日
朝倉氏5代の栄華を極めた一乗谷。館跡に残る庭園の遺構が少し物悲しく感じます。一乗山城も訪問しましたが、本丸と言われている千畳敷付近の郭には、土塁・虎口等の遺構も良く残り見ごたえがあります。一から三の郭は、連郭式で配置されており堀切・土塁・空堀などハッキリとした遺構が多数残っています。しかし真夏の登山はこたえます・・・
岩村城
2008年5月6日
信長の叔母「お艶の方」が城主を努めた時期があるとされ「女城主の城」として有名です。お艶の方は後に武田氏重臣の秋山信友と結婚し信長と対立した為、信長に攻められ城は落城、信友と共に処刑されてしまいました。
城の遺構は、石垣、井戸跡、曲輪等が良く残っています。また本丸南側の山林には近世城郭として改修される前の、中世遺構である堀切・土橋・曲輪等も確認できました。
見所は、本丸の埋門周辺の石垣で部分毎に構築年代が異なっているらしく、複数の積み方が混在しており、非常に興味深く見学できました。
岐阜城
2007年11月30日
訪城日:2001年6月23日
織田信長が天下に狙いを定めた事を明確にし、有名な「天下布武」を打ち出した城です。急峻な金華山の山頂に築城されたこの城は、まさに難攻不落であったと思われます。現在コンクリートで造られた復興天守が建っていますが、その最上層より下界を見下ろすと、ここで信長が天下を目指すことを改めて誓った気持ちも解る様な気がします。
麓には、信長の居館跡が発掘整備されており、付近には道三塚や斉藤家の菩提寺などの旧跡もあり、一日楽しめる城郭です。
掛川城
2007年12月7日
訪城日:2006年8月26日
関東に封ぜられた徳川家康を抑える為、秀吉の命により山内一豊が掛川に配置された際に築城した城郭です。天守は慶長の大地震で倒壊、その後再建されるも元和年間に再度地震に見舞われ倒壊してしまい、その後再建されなかったようです。しかし平成6年に、同じく一豊の築城と言われる高知城天守を参考に木造建築で復元され、原型通りかどうかは別として、国内初の木造による天守復元で有名になりました。
遺構としては、二の丸御殿・太鼓櫓・大手番所等の建築物が現存しており、石垣や堀等の現存部分と合わせて、往年の姿を偲ばせてくれます。
犬山城
2007年11月30日
訪城日:2001年6月24日
国宝天守4城の内の1城です。梅雨時期であった為、訪城の直前まで雨が降っていました。本丸に向かう登城道の雨に濡れた石段と、それに添えられた周囲の木々の緑が、古城の落ち着いた雰囲気を醸し出していました。天守は五層三階の望楼型天守で最上層から見る木曽川の風景は晴れていれば素晴らしい眺めでしょう!この城、驚いた事に城主であった成瀬家の子孫の方の個人所有との事。維持管理のご苦労に頭が下がります。
名古屋城
2007年11月30日
訪城日:2006年7月16日
金の鯱で有名なお城です。太平洋戦争までは天守・御殿が現存していたのですが、戦争の空襲で焼失してしまいました。残念・・・現在の天守は昭和34年に外観復元されたコンクリート製ですが、江戸時代に徳川御三家尾張藩の居城であっただけあり堂々たるものです。現在本丸御殿の復元計画があるようで、楽しみです。
岡崎城
2007年11月30日
訪城日:2005年7月17日
覇者「徳川家康」誕生の城であるこの城は、現在周辺が岡崎公園として整備され、観光名所となっています。三層五階の天守はコンクリートによる復元ですが、石垣や空堀等は往時の姿を良く残しており、在りし日の岡崎城を偲ばせてくれます。
長篠城
2008年5月5日
のぼり祭りの真っ最中に訪城してしまいました。本丸跡では火縄銃の実演が行われており雨のも関わらず結構な人出でした。城跡のいたるところが祭りのために立入禁止となっており、本丸・二の丸・弾正曲輪程度しか見られませんでしたが、駐車場横に残る空堀跡は圧巻でした。主要な曲輪の周辺に腰曲輪等の遺構もあるようなので、再度訪城したいと思います。・・・火縄銃の実演は始めてみましたが、鼓膜が破れそうな轟音ですごい迫力です。
伊賀上野城
2007年11月30日
訪城日:2005年6月19日
築城名人「藤堂高虎」の作品です。内堀沿いの遊歩道を歩きながら見る、高石垣が圧巻でなんと約30メートルもの高さがあるとの事です。天守は三層の木造天守ですが、昭和10年に再建されたもので、元の天守は築城時に完成間近で倒壊したとの事で、その後再建され無かったようです。しかし、この城は石垣の遺構を見るだけで大満足できました。
松阪城
2007年7月1日
大変規模の大きな城でした。近江出身の蒲生氏郷が築いた野面の石垣は高く威厳に満ちており、とても美しいです。
観音寺城
2007年10月7日
名門佐々木六角氏の居城跡。城域は繖山山上部全域に広がっていた様で、全体を見学するには少なくとも半日以上掛かりそうです。今回は観音正寺より本丸や井戸跡等を見学しましたが、石垣等の遺構も多数残っており見応えがありそうでした。再度一日がかりで探索したいと思います。尾根続きの安土山にある安土城が小さく感じる程の大城郭です。
大阪城
2007年12月6日
訪城日:2001年5月20日・2006年8月20日
太閤秀吉が築城した大城郭ですが、現在の大阪城は豊臣氏滅亡後、徳川幕府の手で築城されたものです。外堀・内堀・石垣・櫓(千貫櫓)等の遺構が残っていますが、豊臣大坂城の石垣遺構も地下で発掘されており、その一部が公開されています。
天守はコンクリートで再建されていますが、その外観のモデルは豊臣時代の天守だと言うことです。
千早城
2008年5月18日
楠木正成が立て籠もり鎌倉幕府軍と戦い、後醍醐天皇の建武新政のきっかけをつくった城です。非常に有名ではありますが、城の遺構自体は非常に判りにくい状態です。
本丸であったとされている千早神社の本殿裏の小山周辺に、明確に曲輪であったと判る遺構がありますが、現状は神社の規制により立ち入りが禁止されています。
駐車場から上っていく500段余りの急な階段は、大変登り堪えがあり往時の堅城振りを想像させます。
竹田城
2008年4月5日
訪城日:2002年8月15日/2003年8月16日/2004年11月28日/2006年12月24日/2008年3月20日
天空にそびえる壮大な総石垣の城跡です。但馬守護であった山名氏の築城で、当初は土塁等で造られた土の城であった様です。その後秀吉の但馬征討で落城し、羽柴秀長・桑山重晴・赤松広家と豊臣系の城主が入城、赤松氏による大改修が加えられ現在の姿と成ったようです。遺構としては石垣はもちろん、土の城時代の竪堀等も明瞭に残っています。また北側の中腹には珍しい登り石垣も現存し、山城ファンには堪らない城跡です。また、尾根続きの観音寺山には、出城跡も残っています。私はこのお城が非常に好きで機会があれば足を運んでしまいます。今回の登城で6回目に成ってしまいました。
松江城
2007年11月24日
紅葉の中にそびえ建つ天守。信長・秀吉・家康に仕え数々の戦で武功を上げてきた堀尾吉晴の築城による城郭です。現存12天守に数えられている天守は、近世城郭に区分されますが、望楼型複合天守で、数多くの狭間・地階に設けられた井戸・貯蔵庫、そして天守入口を固める付櫓と、非常に戦闘的な造りになっています。さすが戦国武将の城!と言う感じです。大手付近の堀越しに見る復元櫓群は、美しい景観で絶好の撮影ポイントだと思います。
月山富田城
2007年11月23日
来年の1月に訪城する計画を建てていましたが、雪など降って行けなくなっては困るので前倒ししてしまいました。山陰・中国に一大勢力を持った尼子氏の居城だけあって、大規模な城郭です。主郭部への入口を固める為に配置された山中御殿は、近世城郭をも感じさせる様な造りで壮観です。山中御殿より主郭部へ向かう七曲りが少し疲れますが、主郭よりの眺望はそれも吹き飛ばしてくれるでしょう!山中御殿とは打って変わって中世城郭そのものの主郭部一帯には、郭・切岸・堀切等の遺構が多く残っており、見所満載です。ただ城郭全体が余りにも整備され過ぎているのが、山城ファンの私にとってはうれしいような・悲しいような・・・。
高松城
2008年8月24日
三大水城の一つと言われており、海辺に築城され、その堀には海水が引き込まれています。この城は、天正15年秀吉の部将として着任した生駒親正よって築城され、その後徳川政権下では松平氏が入城。瀬戸内の要衝として重要視されていました。
遺構は、石垣・堀・曲輪の他建造物として、松平氏の改築時に建てられた"月見櫓""水の手門""渡り櫓"等が残存しています。現在天守台石垣は修復工事中で立入禁止ですが、修復後天守閣の復元計画も有るそうなので、楽しみです。
丸亀城
2007年11月15日
訪城日:2007年5月2日
大手門から天守に至るまで、各所で見られる高石垣の美しさ、荘厳さには圧倒されます。特に扇勾配の高石垣は訪れる人を魅了するでしょう!
今治城
2007年11月15日
訪城日:2006年8月16日
1604年宇和島より転封された築城の名人”藤堂高虎”によって築かれた海城です。築城当時は3重の堀に海水を引き込んだ壮大な城であったといわれています。
訪城した時は、鉄御門の再建工事中でしたが、今はもう完成していると思います。
内堀と本丸程度しか残っていませんが、内堀西側より眺める天守はとても美しいです。
写真はこの方向かな?
湯築城
2007年11月15日
訪城日:2007年5月2日
外堀沿いに残されている土塁は非常に立派です。手入れも良くされているので全貌が良く判ります。山城等でも土塁は良く見ますが、風化が進んで低くなってしまっているものが殆どで、想像するしかありません。築城当時は恐らくこれ位の高さはあったと思うのですが・・・
松山城
2007年11月15日
訪城日:2006年8月17日
加藤嘉明の築城で日本最後の城郭建築と言われています。当初の天守は5層であったらしいのですが、途中で3層に改築されています。しかしその天守は落雷で焼失し、現存天守は安政年間に松平氏によって再築されたものだそうです。天守をはじめ多くの櫓や門が重要文化財に指定されている城で全体を見学するのに約4時間程掛かりました。見応えはたっぷり!
大洲城
2007年11月15日
訪城日:2007年5月3日
2004年に天守が復元されました。地元住民が行政を巻き込んでの復元工事だったとのことで、地元の方々の熱意には頭が下がります。築城時の天守模型や古写真等豊富な資料が残っていた為ほぼ原型に近いものが復元されているとのことです。地元の方の案内で天守内を見せて頂きましたが、見事な城郭建築でした。訪城されたら天守内部を是非見てください。