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メンバー情報

ID7485
名前おん。
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登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
丸岡城
2015年3月28日
スタンプラリー初参加の記念すべき1城目だった城。
かつては広大な内堀に囲まれていたらしいが今は天守と天守台石垣が残るのみ。
古風な造りが質実剛健でとても好きだ。
名護屋城
2015年4月11日
初登城。押印2城目。気付けばもう1年前か。
スタンプラリーを勧めてくれた仲間らと肥前の城ツアー。
呼子のイカを暴食した後に登城。
今までは文禄・慶長の役の際の後方基地で、戦時仮設的なものと思っていたが、大阪城にも劣らない広大な縄張りの恒久的な城と知り驚嘆。
本丸跡からの壱岐・対馬方面の眺めが忘れられない。
あちこちに残る石垣、曲輪跡を見ると、諸将の陣所も見たくなったが、時間の都合により断念。
佐賀城へ。
佐賀城
2015年4月11日
名護屋城に引き続き。
クリークが広がる佐賀平野の中、大きな堀と土塁に囲まれた縄張りの中に、今は官公庁、学校、美術館、放送局などが整然と区画されている。
現存する鯱の門・続櫓は風格があり、さすがは三十六万石。
本丸御殿前のアームストロング砲のレプリカがいかにも佐賀藩らしくて良かった。
平戸城
2015年4月12日
肥前の城ツアー2日目。宿泊地の嬉野から到着。平戸大橋から見える天守が模擬天守ながら雰囲気がよい。
駐車場の関係から搦手、北虎口門から入城。
天守から一望できる平戸瀬戸が絶景。
JAF優待施設。
二条城
2015年5月3日
GWに急に思い立ち、初登城。
京都だけに外国人観光客が多く、彼らは城とは思ってないだろうなぁと勝手に誤解しながら見学。自身は歴史の舞台として認識しているが城とは思っていなかった。
しかし、天守台、堀、櫓を見るとやはり城で^^;百聞は一見に、だなぁと反省。
その罰か、スタンプの摩耗が激しく、綺麗に押せなかった涙
高知城
2015年7月18日
十度目くらいの登城。
高知はよく家族と訪れるので姫路城に次ぐ登城頻度。
野面積の中でもひときわ野趣あふれる石垣と、南国ならでは?の長く突き出た石樋が好きだ。
ひろめ市場に駐車して、暑い中、娘を連れて天守まで辿り着き、天守に登って四方を眺める。風がとても心地よかった。
熊本城
2015年10月30日
初登城。
熊本駅から市電で向かう。うまや橋を渡り須戸口門から入城。途中で見えた軍服の銅像は谷干城か。重要文化財の櫓群、二様の石垣を眺め、闇り御門をくぐり、大小天守に。
本丸御殿を見学した後、一番見たかった宇土櫓を見学。やはり現存建物の凄みは違う。しかし5階の櫓なんて!その他も見所が多すぎて記録出来ないとんでもない城だった笑
見たりないのでまた必ず再来したい。
岡城
2015年10月31日
初登城。
宿泊地の阿蘇からレンタカーにて。
とにかく高石垣が大迫力。三の丸北側に立つと身震いが。そして眺望が素晴らしい。
二ノ丸では滝廉太郎の銅像も。
城の南側、川向いの国道502号はメロディロードで、車で通過すると荒城の月の旋律が。
大洲城
2015年12月25日
初登城。
車にて9時に現着。台所櫓、天守、高欄櫓を見学。
肱川を見下ろす絶景。暖冬で良かった。苧綿櫓や三の丸南隅櫓も外観見学して、宇和島へ。
臥龍山荘は次回に。
宇和島城
2015年12月25日
伊予大洲から続いて。
宇和島に来たのは3度目だが登城は初めて。
三の丸側桑折長屋門から登城。長門丸、藤兵衛丸を経て二の丸、本丸に。
天守にて、スタンプ押印するも、状態があまり良くなく力を入れすぎ、綺麗に押せなかった。
娘がお腹が空いたとぐずるので、代右衛門丸や上り立ち門には行かず、井戸丸から三の丸側へもどり、駅前のかどやさんにて、目当ての名物鯛めしにありつく。
見学出来なかった場所はまた鯛めしとセットで来よう。
高松城
2016年1月9日
3度目の登城。
艮櫓、月見櫓・水手御門・渡櫓のほか、鞘橋、天守台が良かった。
披雲閣も雰囲気が良い。
篠山城
2016年1月17日
初登城。
JR篠山口駅から走って現地へ。城の北西角からぐるりと周囲を一周し、南・東の馬出し跡を見て、大手口から入城。大書院にてスタンプ押印。
綺麗な方形の城は急いで普請するための合理的縄張りだろうか?と思いながら、土塁ではないところは天下普請の凄さか、と妙に納得。
明石城
2016年1月23日
実質的に初登城。
これまでは電車の窓から見える範囲しか立ち入ってなかったが、先週の篠山城で大阪城を包囲する城に興味が湧き、旧縄張をたどって明石公園周囲を一周。
坤・巽櫓は季節的にまだ公開されていなかったが、また夏に球場に行く際に来ようと思った。
高取城
2016年1月31日
初登城。
近鉄壺阪山駅から土佐街道散策マップを頼りに徒歩で向かう。
夢創館にてスタンプ押印、貰った資料の裏に詳しい縄張図があり、これが城域内に入った時に非常に参考になった。
登城は猿石から二ノ門、国見櫓、矢場門などを通り、大手門、二ノ丸、本丸遺構をつぶさに見た後、七つ井戸に降り、このまま帰るのはもったいなく思い、再び二ノ丸に登り、吉野口を巡り、また大手門に戻って、壺阪口門から壺阪寺を経て帰途に。全ての登り口を歩いた、4時間の行程。
大阪城
2016年2月6日
千早城に続き。
4度目の登城か。あらためて、その規模の大きさに驚嘆する。
多聞櫓、千貫櫓、焔硝蔵が有料公開中で、喜んで見学。
ただしスタンプは天守閣1階インフォメーションということで天守閣に向かったが、そこには外国語の飛びかう長蛇の列。入れなかったらどうしよう、と心配したが、エレベーター待ちの列と知り、一安心。押印を済ませ、階段で、と思った所で、千早城の疲れが出て、もういいか、と下城。
千早城
2016年2月6日
初登城。
河内長野からバスにて金剛登山口まで。
まずは、まつまささんでスタンプ押印、すると縄張実測図を貰えたので、これを携えて大手より登城。藁人形に迎えられて急階段を登り難攻不落さ加減を体験。二の丸、本丸を見た後、楠正儀の墓に参り、金剛登山道から下城。と思いきや、途中に三の丸への登り口があったので、再び登城。
帰りはまつまささんで椎茸そばを食べて、大阪城へ。
観音寺城
2016年2月11日
安土駅より走って観音正寺方面へ。
駅前の城郭資料館で貰った地図、縄張り図が役に立つ。
繖山全山をくまなく歩き、本丸跡や平井丸の石垣、北側の大土塁や、布施淡路丸など
縄張り図に記載されている場所は全て見た。
安土城に向かおうと本丸北側の小径を降りようとすると、その一帯は桑実寺の境内だそうで、降り切ると同寺の裏口に。休憩がてら拝観させて貰った。
安土城
2016年2月11日
観音寺城から走ったり歩いたりしながら到着。
3時間観音寺城を歩いた後の安土城大手道は辛かった^^;
それでも天主台からの眺めは抜群。しかし総石垣の普請とは、、さぞや豪壮な城だったことだろう。
帰りは安土駅まで走り、城郭資料館の時間内に間に合う。観音寺城とあわせてスタンプ押印。
江戸城
2016年2月18日
初めて堀端を一周。広大な縄張りに驚嘆。
丸亀城
2016年2月21日
初登城。
大手一の門・ニの門の枡形のほか、三重と小規模ながらも高石垣の上にそびえる天守が印象的。
うどんで釣って連れて来た娘と石垣の上下とも周回、十分に堪能。
小谷城
2016年2月28日
戦国歴史資料館で貰った資料がとても良かった。
小谷山を出丸跡から反時計回りに、本丸跡、京極丸、大嶽城、山崎丸まで全て走破。
地形を巧みに利用した戦国の山城を体感。
おかげで虎御前山へ行く体力は無くなった^^;
彦根城
2016年2月28日
小谷城に引き続き。
2度目の登城。今回は外回り中心に。と思ったが、誘惑に?負け、指定文化財の佐和口多聞櫓、太鼓門櫓、天守、西の丸三重櫓も、じっくり。各文化財にある市教育委員会文化財課発行のシートが◎。裏面には縄張り図があり、パンフより重宝した。
小諸城
2016年3月5日
三の門の佇まいと野面積の石垣、そして圧巻は本丸北の空堀。
千曲川の川音が轟々と聞こえる、小諸なる古城の畔です。
上田城
2016年3月5日
小諸城に引き続き。
大河ドラマに沸く上田城、駐車場の都合から旧尼ヶ淵側から西櫓への変則的な登城に。
尼ヶ淵側の崖の、浸食や湿り具合がかつての地形を偲ばせる。
南・北・西櫓の中をギリギリ時間内に見学。時間がない中、本丸周りの堀・土塁、二の丸堀跡も歩く。次は縄張跡のほか、砥石城や真田旧本城をぐるりと回ってみたい。
小諸城でも感じたが縄張り実測図が手元資料(パンフ)として欲しい所。
松代城
2016年3月6日
昨日の小諸、上田に引き続き。
本丸戌亥隅櫓台が印象的。
北側にある堀、土塁が、いかにも急造された戦国時代の海津城を偲ばせる。
この後、妻女山の上杉本陣跡、八幡原と、川中島合戦関連を回った。
しかし、上田城でも書いたが、ここも城の縄張り図が手元資料としてあればよかったのに。
一乗谷城
2016年3月20日
スタンプラリーを始めた昨年、来たかったが時間の都合で来られなかった。
一年越しにその願いが。
家族連れなので、山城はあきらめ、上下城戸跡、館跡をメインに。復元町並も雰囲気がよい。
史跡公園センターに、山城の詳細な図面があり、大興奮。
次回は山城に必ず行く!
川越城
2016年3月25日
本丸御殿はともかく、富士見櫓跡、中ノ門掘跡など、かつての名残が街の中に点々と埋もれていて、それを見て行くのが楽しかった。しかし、かつての城郭が本当にわからん街だ^_^;
縄張図と現況地図との重ね図が手元資料(パンフ)としてあれば、川越夜戦などに思いを馳せて楽しむことができるのだが。
福山城
2016年3月26日
初登城。
駅近で便利。伏見櫓と筋鉄御門が本丸の石垣が素晴らしい。
鉄筋コンクリートの復元天守も登って眺望を楽しめるし在りし日のイメージがわかるので悪くはないと納得。
岡山城
2016年3月26日
福山城に続いて。
15年ぶり2度目の登城。
初めての時には知らなかった、西の丸西手櫓や旭川沿いの石垣をじっくり見ることが出来た。
竹田城
2016年4月2日
35年ぶり2度目の登城。車で鳥取に行く途中に立ち寄る。
今回は山城の郷から。朝8時というのに沢山の人達がいて感心する。天気も良く、そびえる石垣と咲き始めの桜と絶景を楽しんだ。
すっかり有名な観光地になってしまったが、地元の人たちに大切に守られているなあと感じた。
鳥取城
2016年4月2日
初登城。
朝の竹田城に続いて昼過ぎに到着。
桜が満開で花見客でいっぱいなので市役所に駐車し、徒歩で向かう。
北之御門前のボランティア詰所で貰った資料に縄張り図があり、重宝する。
二の丸、天球丸を見て、出来れば山上の丸へも行きたかったが、同行の娘には道が険しく危険なので五合目で断念。またいつか、挑戦したい。
鬼ノ城
2016年4月3日
備中松山城に行くつもりが、花見客で混雑しているので急遽鬼ノ城に。
古代山城は初めて見るが、楼閣、西門、版築土塁の復元に驚嘆。せっかくなので娘を半分騙して誘い、一周。絶景と太古の石垣を堪能した。
しかし、ここまで来るのは車でも大変だったが、最寄駅から歩きではもっと大変だろうなあ笑
高岡城
2016年4月9日
高岡駅から走って到着。
桜が満開で水堀にとても映える。
市立博物館でスタンプ押印。城郭の図面を貰い、これを参考に各曲輪を巡る。
郭の形状や水堀のほぼ全てが残っているなんて素晴らしい!
金沢城
2016年4月9日
高岡城に引き続き。初登城。
天気も良く、散り初めの桜の中、五十間長屋で着物総選挙・茶会が行われていて着物を着た人達が沢山。加賀百万石らしいなあと。
石川門・三十間長屋が見学出来るとは思ってなかったので嬉しい誤算。
兼六園は入場無料だったが時間が無いので断念。次回に。
小田原城
2016年4月12日
初登城。
小田原駅から城に向かう途中、偶然に、謙信や信玄が攻め寄せたらしい幸田門跡を発見。土塁跡を辿り、細い階段から郵便局の裏手に降りて国道1号に出た。
大手門跡の鐘楼を見て、馬出門〜馬屋曲輪〜銅門から二ノ丸に入城し、小田原城歴史見聞館でスタンプ押印。
天守は工事中と知っていたが、足場はもう撤去されており、外観は十分楽しめた。
天守に登れなかったのは少し残念だったが、代わりに城の西方、八幡山古郭東曲輪に登って、城と小田原の街と相模湾を眺める。この日は天気が今一つだったが、いい眺めだ。晴れていたら最高だろう。
名古屋城
2016年4月21日
36城目。初登城。
地下鉄市役所駅から反時計回りに内堀を巡り、旧外堀方面へ南下しようとしたが、天気が崩れそうなので、名古屋能楽堂前の清正公像の脇から正門方面へ。正門前の案内地図を見て、まずは重文・二ノ丸西二ノ門を鑑賞。そこから正門(西ノ丸)へ戻り、入城。正門奥の総合案内所でスタンプ押印。
案内所でもらった見学コース地図に沿って、西南隅櫓などの重文を眺めながら、本丸御殿、天守閣を鑑賞。その後、御深井丸の清洲櫓から再度 西ノ丸に戻り、二ノ丸東門から下城。所要時間2時間、見応えのある、さすが御三家筆頭の天下普請の城!
今治城
2016年4月30日
37城目。初登城。
まずは内堀の外周を巡り、高虎流の高石垣を鑑賞。
北西から山里櫓とともに見上げた天守閣が模擬ながらも雰囲気があって意外に良かった。
東側の鉄御門から入城、案内通り天守閣へ行き、スタンプ押印して内部を見物。最上階からの景色は素晴らしい。
その後、本丸の吹揚神社の外側、西隅櫓跡〜南隅櫓跡〜月見櫓跡を辿りながら御金櫓を経て山里櫓、武具櫓・鉄御門を見学。屈指の海城を十分に堪能。
松阪城
2016年5月2日
38城目。初登城。
松阪駅から走って表門に到着。このまま反時計回りに史跡区域界外周を走り崖や野面積みを見ながら一周。再度表門から入城し、地元の小学生の遠足で賑わう中、二ノ丸、隠居丸を経て本居宣長記念館でスタンプ押印。ここで係の人にもらった教育委員会発行の「史跡 松阪城」というパンフレットには、かつての縄張りと都市計画図の重ね図等が記載されていて、とても参考になった。
その後、きたい丸、本丸の石垣を上下からじっくり鑑賞。野面積みでありながら粒揃いというか綺麗な石垣を堪能した。
帰りは搦め手から下城し御城番長屋を見学。とても雰囲気のいい城下町だった。
伊賀上野城
2016年5月2日
39城目。26年ぶり二回目。
松阪城に引き続き。伊賀神戸から伊賀鉄道にて上野市駅下車。田園風景と市街地の軒下を走るとても牧歌的な伊賀鉄道にまずは魅せられてしまう^^;
観光案内所でもらった絵地図をもとに、まずは筒井城跡へ。城代屋敷跡から見た天守は、昭和の模擬天守ながら堂々たる上野盆地のランドマークぶりで、とても良かった。
かわいいちびっこ忍者たちが走り回る中、天守台下を反時計回りに巡り、天守台北西の栗石の山を見たり、高石垣を上から見たり(石垣の端には近寄れないので注意)した後、天守に登る。初夏の上野盆地の光景に癒された。
下城し、上野高校側から再度、高石垣を鑑賞、その後俳聖殿へ。この時、同校内の手当蔵に気付かず痛恨の極み。また、忍者博物館の北隅に現存するという永倉も見残してしまった。次回は鍵屋の辻もあわせて見学しよう。
和歌山城
2016年5月4日
40城目。8年ぶり3度目の登城。
南海和歌山市駅から走って西の丸に到着。わかやま歴史館で天守閣入場共通券を購入(といいつつ、天守閣に入場すれば同館は無料で見学出来るらしい)して、城のあらましをミニシアターで事前学習。その後、いつものように西の丸〜砂の丸〜南の丸〜二の丸の外周・堀端を一周。五月晴れの中、野面・打込み接・切込み接の混在する石垣を鑑賞しながらの爽快なランニングだった。ノボリを見ると今年は吉宗公将軍宣下から300年だそうな。
そして各丸・各門跡と石垣天端までくまなく踏査し、二の丸・西の丸庭園も見学していざ天守へ!今日も岡口門からのルートだ。8年前は幼かった娘を肩に乗せて登ったなぁ。
さて、天守閣(郭)に入るのは22年ぶり。この城は天守郭まわりを見るだけで十分満足なのだが、記念すべき40城目だし紀伊半島最後の塗りつぶしということで前述のとおり入場券を買っており、本日の仕上げに入場。紀州の山河を堪能して下城した。
本日はじっくり3時間かけて見学。しかも無料の場所が殆ど。いやぁ、さすが紀州様は太っ腹^ ^
津山城
2016年5月7日
41城目。初登城。
観光センターに駐車し、大手門だった京橋御門跡からスタート。入場券を購入し表門から三の丸〜二の丸〜本丸へ。何段にも積まれた石垣をくまなく鑑賞する。備中櫓でスタンプ押印し、櫓内部を見学した後、天守台、粟積櫓台へ。全山総石垣、見応え十分な城だった!
松江城
2016年6月4日
42城目。2回目の登城。
朝に大手前駐車場に到着。まずは堀尾吉晴公の像の前を失礼して、県庁前、松平直政公初陣像あたりから、二の丸の櫓群と天守を眺める。いい城だ。
再度、堀尾吉晴公像前に戻り、大手門跡〜三の門跡から入城。二の丸の太鼓櫓、中櫓、南櫓を見た後、南口門〜千鳥橋から一旦旧三の丸(現県庁)に出て堀を見、もう一度千鳥橋を戻って二の丸西側の椿谷を北上。亀田橋から東に入って、馬洗池、中曲輪〜二の門跡を経て、いよいよ本丸へ。一の門脇で手続(JAF優待施設なので20%割引)をして一気に天守登閣。うーむ。山陰唯一の現存天守、部材一つ一つに宿る、本物の持つ凄味に圧倒される。昨年に国宝に指定されたとのことだが、遅すぎたと思う。宍道湖、大山など最上階からの眺望は素晴らしかった。
天守のあとは、北の門〜脇虎口門へ。北惣門橋を渡り、大手前から堀川遊覧船にてかつての城域をのんびり一周。しかもJAF割引で千円ちょっとで三ヶ所で乗降り自由、1日乗り放題!
内濠から見上げる松江城もとても良かった。
赤穂城
2016年6月5日
43城目。28年ぶり2度目の登城。
昔来た時と全く違う風景に戸惑いながら大手門から入城。赤穂城って、こんなに広かったのか。大石神社の周辺昔は民家があったような、、。
さっそく本丸門へ。なんと、この日は櫓門の内部が公開されていた。何たる幸運^ ^
本丸は外は石垣、内は土塁となっている。以前は本丸内に県立赤穂高校があったそうな。
今は、本丸御殿の間取復元のほか庭園が整備されている。天守台も立派だ。幕府に遠慮して天守は建てられなかったようだが。天守台から四方を眺める。城の東・南・西は、昔は河口もしくは海だったそうで。
その後、厩口門より東に出て二の丸を南下。水手門から場外に出て、西側から北上。かつての海側から海城の名残を楽しんだ。
しかし、まあ、山鹿素行さんはじめ当時の城マニアが金に糸目をつけず、理想の城を築いたのだが、赤穂藩、五万石ちょいの石高でこんな規模の城をよく築いたなぁ!と驚嘆。ほんと、塩って儲かるんだなーと感心。そりゃ、確かに幕府(柳澤さん)に狙われるわ^_^;
広島城
2016年6月18日
44城目。初登城。
これまで広島という都市は第二次大戦の悲惨な出来事のせいか、自分の感覚では城と結びつくイメージがなかったが、今回は純粋に城のある都市・広島を訪れた。
アストラムライン城北駅から天守を北西〜西から眺めながら、二の丸表御門から入城し、二の丸平櫓多聞櫓太鼓櫓を見学。中御門跡から本丸へ入り、大本営跡を経て、天守へ。
図面を見ると、とても広大な縄張りだったようだが、本丸二の丸周り以外は高層のビルや公営住宅が並んでおり、天守からの眺望はさほどではない。
帰りは再び、天守が最も美しく見える城北から、アストラムラインの駅へ。
あの大戦の後、RC造とはいえ天守が復興された時、広島の人々はどんなに元気づけられたのだろう。
岩国城
2016年6月18日
45城目。初登城。
広島城に続いて。
まずは錦帯橋にて、定番のアングルで楽しむ。模擬天守だが、絵になる風景だ。
橋とロープウェイと天守入場料がセットになった券を買い、城へ。
城郭図を参考に、反時計回りに二の丸跡石垣、本丸跡石垣、空堀、天守台跡を鑑賞して天守に登る。眺めがよく、風が涼しい。
全く別の場所に建てられたRC造の模擬天守だが、この位置は下からの眺めが良いので良しとしよう^ ^
松山城
2016年6月19日
46城目。初登城。
昨夜は松山に泊まり、朝から。
生憎の雨だったが、坂の上の雲ミュージアムを見学している間に雨が止んだ。
ロープウェイで本丸へ。
戸無門から、天守周りの21棟の重文のうち19棟を、30棟の復元建造物のうち26棟を見て回る。全てが見られなかったのは天壇の北東部が工事中で立ち入りが出来なかったため。残念。それにしても見所が多い。足元が悪くなければ登り石垣や二の丸、三の丸をじっくり見たかったところ。
15万石のお城、優美で凛としていてとても気に入ってしまった。また来よう。
湯築城
2016年6月19日
47城目。初登城。
松山城に続き。怪しい空模様の中、伊予鉄道にて道後公園へ。堀と土塁に囲まれ、木が繁った小高い丘を見ながら搦手門から入城する。資料館にてスタンプ押印後、いざ武家屋敷跡から見学。
資料館で貰った子供向けスタンプラリー台紙に遺構と地形図が掲載してあり、重宝。パンフと合わせて参照すれば便利だ。土塁展示室に入ってから、郭内を一周して本丸へ。地形図を見ると急な斜面なのでやはり城なんだなぁと実感。本檀には展望台があり、松山城が見渡せた。
駿府城
2016年7月11日
48城目。初登城。
朝8:30頃、南側の旧三の丸の堀を見ながら到着。さっそく大手御門跡から旧三の丸へ。とんでもない暑さだ。県庁脇の切込接と打込接の混在する石垣を見ながら二の丸堀・東御門へ。巽櫓の前には弥次さん喜多さんの像が^_^;
残念ながら本日は月曜、定休日で櫓・二の丸庭園には入れなかったが、本丸堀跡、二の丸・本丸跡を歩き、家康公の像や手植えミカン、北御門跡、草深御門、清水門跡、北〜西の三の丸堀、坤櫓を見る。天守台跡は調査中だった。
スタンプは静岡市役所7階の公園整備課で押せるとの情報を得ていたので行ってみると、17階の歴史文化課に所管が変わったとの事。同課にて無事押印。今度は月曜以外に訪れたい。
水戸城
2016年7月15日
49城目。初登城。
水戸駅に着くと、黄門様御一行が迎えてくれた。
駅の観光インフォメーションで貰った「弘道館散策マップ」の案内の通り三の丸を時計回りに歩いて行く。三の丸の西側空堀・土塁を見て、弘道館でスタンプ押印。
二の丸・本丸跡には文教施設が集積し、水戸藩らしい感じ。彰考館跡の碑の横、二の丸展示館では親切に色々と教えて貰い話が弾んで楽しかった。また、古地図と現在の市街地形図を重ねた資料も貰えた。
本丸と二の丸の間の堀切を見て県立水戸一高内に移設された薬医門を見学。国道に降りて、那珂川に向かって歩き、跨線橋の上から城を振り返る。なるほど、天然の要害だ。
石垣もなく天守もないが、会津、白河とともに奥州伊達への備えとなった、質素ながら凄みを持つ城だと感じた。
徳島城
2016年7月23日
50城目。漸く折り返しに。
徳島には何度も来ているが初登城。
8:30過ぎに助任川畔の中央公園東駐車場に車を停め、堀川を右手に見ながら鷲の門へ。既に暑い。
下乗橋から入城し、太鼓櫓跡、舌石を見てから蜂須賀家政公の像の前を通り、日影を求めるように東二の丸経由で本丸への登城口へ。本丸はそう高くはないが急峻な山上にある。東石垣、弓櫓石垣など所々に高い石垣が残る。西二の丸から山を降り、丁度、市立徳島城博物館の開館時刻9:30に。スタンプ押印ついでに休憩のため入館^_^;しばし涼んでから表御殿庭園を見学。
これにて四国制覇完了。
高遠城
2016年8月27日
51城目。初登城。
桜で有名な場所だが、生憎の雨と季節の為か人影があまりない。
勘助曲輪の駐車場から管理小屋に置いてある城址公園案内図を片手に三ノ丸楼門跡、進徳館を見ながら、二ノ丸へ。
桜の葉が生い茂っている中、空堀、土塁で囲まれた各曲輪を踏査。見所の問屋門と桜雲橋も草叢の中から眺める^_^;
本丸跡からは、晴れた日にはアルプスが見えるらしいが、残念ながら雲がかかっていて見えず。また花見の季節に訪れたい。
スタンプは歴史博物館入口にて。城の絵図のクリアファイルを見つけ、購入。先にこっちに来るべきだったか笑
松本城
2016年8月27日
52城目。初登城。
高遠から続いて。
さすが国宝。15時過ぎだったが凄い人出だ。大手前の市営駐車場に車を停め、急ぎ本丸内に。管理事務所にてスタンプを押印し、天守前で入場待ち。意外とすぐに入れたが、中で大渋滞。猛暑日で無かったのが幸いだった笑。何とか4階まで登ったものの狭くて暗い場所に人がいっぱいなので娘がむずかり出し、また時間的にも遅くなって来たので残念ながら月見櫓経由で途中下城。しかし、天守内の展示物(鉄砲や長篠合戦屏風など)こんなに詳しく見たことは無かったな笑
娘のご機嫌も直ぐに治り、まだ辺りが明るいうちに、太鼓門や北側の堀からの二ノ丸土塁などを楽しく見学。天守はまた後日登ろう。
一応、信濃の各城は全て攻略。
足利氏館
2016年9月12日
53城目。初登城。
9月とはいえ、まだまだ残暑の中を東武足利市駅から徒歩で。
渡良瀬川を渡り、昼前の長閑な足利の街の中を10分位歩くと、森が見えた。
まずは堀周辺を歩いて土塁を観察した後、南側の太鼓橋を渡り、楼門をくぐる。城のイメージとはほど遠いが、鎌倉時代の坂東武者の屋敷はこういう趣だったのか。境内(城内)は蝉の声しかせず、天然記念物の大イチョウが静かに佇んでいた。
スタンプは大御堂(国宝)にて押印。
大御堂は、鐘楼、経堂などの重文ともに創建当時は最新の建築様式であった禅宗様だそうで、さすがは有力御家人・足利氏!
甲府城
2016年9月13日
54城目。初登城
7時ちょうどのスーパーあずさ1号で新宿を立ち、8時半頃到着。
まずは稲荷曲輪〜数寄屋曲輪〜鍛冶曲輪の高石垣・折れを眺めながら時計回りに南側の堀へ。遊亀橋脇の公園管理事務所で押印。鍛冶曲輪門を見て旧二ノ丸・武徳殿の脇を通り、内松陰門から銅門跡経由で本丸へ入る。なるほど、天守台はとても見晴らしがいい。晴れた日には富士が見えるらしいが、本日は生憎の雨。残念。
急ぎ足で鉄門から天守曲輪〜稲荷曲輪広場〜数寄屋曲輪を歩き、稲荷曲輪門を見てから、稲荷櫓へ。
しかし、さすが将軍家一門の城、堂々たるもの。残っているのは半分くらいで、
今の甲府駅北側の駅前広場から山梨県庁の敷地までもが、縄張内であったとか。
見応え十分。また晴れた日に訪れたい。
武田氏館
2016年9月13日
55城目。4年ぶり2度目の登城。
甲府城に続き、雨なので駅北からタクシーで。1000円。
ついた途端に雨足が激しくなり、心が折れそうになる中、まずは東側の大手門前の史跡広場を踏査。そして主郭東曲輪の空堀を眺めながら北東の御隠居曲輪跡へ。前回は気づかなかったが堀は結構深い。また、城郭側の土塁が高い。昨日見た足利氏館とは趣が全く違い、殺気がある。築城者武田信虎の置かれた状況がそうだったのだろうか。
北側の御隠居曲輪、無名曲輪、味噌曲輪は草ぼうぼうの野原で、お屋形様の散歩道なる小径をこの雨の中歩いていると、ますます心が折れそうになるが、馬出しや、西曲輪北側の桝形虎口跡を確認して辛うじて耐えた。
西曲輪外周をぐるっと回って南の桝形虎口を通り、主郭へ。
宝物殿で押印。さすがに入場する気力はもうなかった。
備中松山城
2016年9月24日
56城目。初登城。
桜の季節にあまりにも車が多くて諦めた城。今日は湯原の宿泊先から立ち寄る。土曜の昼前にしては人出が少ない。
5合目の駐車場からシャトルバスでふいご峠へ。登城歩道を通り、上太鼓櫓〜大手門跡まで、汗にまみれて一気に登る。
NHK大河・真田丸のオープニングに使用された、岩盤上に現存する土塀を見上げ、わずかに一息つく。真夏でなくて助かった^_^;
二の丸に到着してからは本丸南御門を素通りし、東側御門、搦手門跡、水の手門跡を探索。二重櫓の外観が趣深い。
天守はそう大きくないが、現存の渋さが十分にありとてもいい。
本丸を出ると、名残惜しく感じられ、同行している娘も行く、と言うので、土橋と堀切を越えて、奥の天神の丸跡〜大松山城跡へ。各郭跡と臥牛山へ向かう謎の吊り橋まで渡る。
中秋だと言うのに塩を吹くまで汗をかき、名山城を堪能した。
岡崎城
2016年11月10日
57城目。初登城。
名鉄東岡崎駅より歩いて向かう。
乙川に架かる殿橋から天守を眺めながら川沿いに城に近づく。なるほど南側は乙川が天然の外堀なのだろう。矢作川と菅生川の合流地点の小高い丘というのが岡崎の由来なのかと考えながら歩く。
水堀を見学しながら城の西側に回り、伊賀川沿を坂谷門前を北上し遠回りして大手門へ。
この大手門、立派なのに何だか違和感が…と思ってると、傍の石碑には、本物は200m北東にあったとか。今は岡崎公園の門として云々、、なるほど、、、そういうことか^_^;
気を取り直し、復元東櫓とその東側の切り通しを見に行く。狭い切り通しや櫓回りの土塁を見ると戦国の城の面影があるなぁと思う。
旧二の丸にて三河武士のやかた家康館を見学後、持仏堂曲輪、隠居曲輪を経て本丸へ。その間の空堀がこの城一番の圧巻で、実際には戦火に巻き込まれてないものの質実剛健で凄みある眺めだ。こういう見所を城のパンフに掲載すればいいのになぁ。
本丸内の神社では七五三の家族がちらほら。子供の将来を祈るのに、これ程ふさわしい場所はないだろう。
スタンプは天守1階にて押印。
長篠城
2016年12月24日
58城目。初登城。
長篠城駅から民家の間を抜け、瓢郭跡に、そして大土塁を右に眺めながら野牛郭跡をまず辿る。寒狭川、宇連川の何と深いことか!岸から見上げた本丸や、飯田線の橋梁の高さに思わずうーんと唸ってしまう。昔はこの合流点から扇形に10haもの範囲が城であったらしい。長篠城址史保存館でスタンプ押印してから、弾正郭跡〜馬場美濃守の墓、大手門跡を見て、いよいよ対岸へ。ぐるっと西から遠回りして、鳥居強右衛門磔死跡を見て牛渕橋に。渡合から城の全景が見渡せた。時間があれば戦場跡や、飯田線の途中の野田城も行って見たかった。今年はこれにて登城納め。
なお、長篠城のスタンプは、長篠城址史跡保存館が休館の際は、長篠城駅北側のサークルKサンクスにて押印可能とのことらしい。
岩村城
2017年3月4日
59城目。初登城。漸く今年初めての城攻め。今回は、三大山城制覇を狙う。
恵那から明智鉄道に乗り換え、牧歌的光景の中、一路岩村へ。
城下町は、こちらも女城主なので控え目に盛り上がっており、また風情のある民家に雛人形が飾られ、とても上品な印象。
藩主邸太鼓櫓から入城し、岩村歴史資料館でスタンプ押印。
急な坂を登り、資料館で貰った絵図を片手に探索開始。久しぶりの山城、標高は日本一だが麓との比高はそんなにない。
山中?のポイントポイントにQRがありグラフィックで再現出来るとの事。
よしよし見てみよう、とスマホを出すと、バッテリー残量が30%!なぜ⁈
泣く泣く諦め、思いを馳せるのみ、とした。(畳橋〜追手門〜三重櫓、見てみたかった涙)
本丸の六段石垣や埋門を鑑賞したあと、帯曲輪〜出丸跡を。何だ、こんなとこまで車で入れるのか笑
でも、まあ、山城は自分の身をもって体験しないとなあ、と自分に言い聞かせ元来た道を引き返し、下城。好天に恵まれた、いい城攻めだった。
次は岐阜城、歩いて登ってみよう。出来たら。極力。笑。
犬山城
2017年3月18日
60城目の節目に国宝^ ^
これまで遠くから眺めたことはあったが、初登城である。以前、ライン大橋から見た木曽川の崖の上の小洒落た天守はとても牧歌的で、荻生徂徠も上手いこと言ったもんだなと感心したものだ。
さて、本日は車にて、ライン大橋から丸の内緑地前の第一駐車場(1回500円)に。城前広場でゆるキャラ、わん丸くんの歓迎を受けながら、元は空堀かなんかだったであろう細道に掛かる橋を渡り、いざ入城。多分稲荷神社が二の丸で、針綱神社が桐ノ丸か。改札所の門をくぐると本丸。スタンプは、門の上、渡櫓内の管理事務所で押印。
入城券を買わないと押せないのか^ ^;
天守はさすが国宝。柱や梁はもちろん、唐破風の内側の木組みなんてなかなか見られないので、一々見ていると他の入城者にどんどん抜かされる笑。でも素通りは勿体無いし笑。しかしながら、成瀬さんはよく個人で管理してたものだ。敬服の至り。
    最上階からの景色は期待通り。来て良かった。
帰りに、文化資料館、城とまちミュージアムにて、城の絵図を購入。先に来ておくべきだった!と後悔。次来る時は二の丸、三の丸の遺構だけを探索しよう。
岐阜城
2017年3月19日
61城目。18年ぶり2度目の登城。
昨日、犬山から岐阜に入り宿泊したが、夕方に散策がてら信長公居館跡や河原町を探索しておいた。居館跡は前回も発掘調査をしていたような気がするが、さらに範囲を広げ、かつさらに深く実施されているようだ。この城は山上の天守の姿が印象的だが、山の険しさを見ると、麓こそが領国政治の中心であり心臓部であったことに納得する。
さて、今年は信長公入城・岐阜命名450周年だそうで、本日は三連休の中日ということもあり、かなりの人出だったが、満車の第一駐車場に迷わず並ぶ。昨日の事前調査でキャパも大きく回転が早いと分かっていたので5分と待たずに入庫できた。
家族と一緒なので登山道から登るのは諦め、ロープウェイにて山頂へ。(JAFならば往復で100円引)
今回は乗り場にあった「国史跡 岐阜城跡」という岐阜市教委のA4三つ折りのパンフを片手に山上部を探索。門の跡、堀切や切岸、竪堀を詳しく見学した。
なお、本日は天守は子供連れ入城無料だそうで、最上階から霞がかる濃尾平野を目のかゆみと鼻水に耐えながら家族と楽しんだ。スタンプは岐阜城資料館にて押印。次は必ず登山道から攻めたい。
月山富田城
2017年4月29日
62城目。初登城。
道の駅・広瀬富田城をめざして飯梨川右岸を走行中、遠くに確認。山頂部の伐採など整備工事が行われたと聞いていたが、なるほど、遠くからでもよくわかる。
まずは資料館にて押印。隣接の観光協会の案内所にある地形図ベースの図面を片手に、御子守口から登城開始。
千畳平〜太鼓壇付近は整備工事中だが、祝日なので見学はできた。山中鹿介の銅像を見て奥書院、花の壇を経て山中御殿へ。石垣の色はこの辺りの民家の瓦に多い赤茶系で、何か鉄とか成分に関係あるのか?と考えながら、ふと本丸方面を見上げると伐採されて露わになった山の急斜面に整備されたばかりの七曲りが天に向かってつづら折れに。まだあれを登るのか!と思ったが案外軽く登り切って三ノ丸〜二ノ丸〜本丸へ。天気も申し分なく、絶好の山城日和だった。
根室半島チャシ跡群
2017年5月28日
63城目。初登城。
仲間たちと百名城きっての難関、根室半島チャシ群に遠征。
新千歳からレンタカーにて、ひたすら平原を走り抜け根室を目指す。まずは根室駅前の観光インフォメーションセンターに立ち寄り、資料収集とスタンプ押印。
因みに同行のE氏は念願の100城目達成!係員さんによればここが達成の地になる場合が多いらしい。さて、現地。根室半島の海岸線を時計回りに走行し、まずは資料に掲載のノツカマフ1・2号チャシを踏査。このチャシは見張用なのだろうか?空堀の遺構がなければ海崖上の草原だ^ ^;
ヲンネモトチャシも同じような感じ。クナシリ・メナシの和人との戦いにおいて築かれたということだが、城砦の類にしては規模が小さい。ただ、半島内にも32箇所あるらしいので、松前藩やアイヌの動員兵力や、ゲリラ戦を仕掛けるならこんなものか?あれこれ実物を見て思索するのが楽しい。
天気晴朗なれど、沖合はオホーツク特有の海霧で国後や歯舞群島が覆われ、見えない。納沙布岬に到着した頃には辺りは霧の中。太平洋とオホーツクの海鳴を聴きながら、見えぬ四島に思いを馳せた。
鉢形城
2017年6月13日
64城目。初登城。
東武東上線に乗り、寄居駅か玉淀駅か迷った挙句、駅名を見て、どちらでもない鉢形駅より歩いて向かう。
小雨の中、殿原小路に入り、変則ながら新小路手前の外曲輪から城域に進入。長大な土塁に心が躍る。鉢形城歴史館に進んでまずは押印。
鉢形城公園フィールドマップのコピーを貰い、いざ、泉水坂から大手方面へ、踏査開始。
八高線の踏切付近の外曲輪、深い空堀を見て大手の虎口に回り込み、馬出から三の曲輪へ。復元四脚門〜石積土塁〜伝秩父曲輪〜伝御金蔵曲輪の馬出し〜空堀の中の畝〜ニの曲輪と雨の中巡る。
しかし自然の地形を巧みに利用した、惚れ惚れする遺構だ。まさに城は土から成るんだなぁと感心してしまった。足元が悪いので草の少ない細道を選び、樹木の隙間から懸命に各曲輪を覗いて歩く。
伝御殿曲輪の上の崖を登り、本丸跡から荒川を見下ろす。なるほど、要害の地である。
それにしても広い。晴れていたら深沢川沿い等含めもっと隅々まで見たかったなあ。
箕輪城
2017年11月3日
65城目。初登城。
久しぶりの城攻めは、初めて訪れた上州にて。
榛名山の麓、まずは高崎市箕郷支所・休日用出入口にて押印。窓口にて教育委員会発行の資料「箕輪城跡」を入手し、これを携えて駐車場のある搦手口から入場。外堀の遺構を見ながら二の丸〜郭馬出下の大堀切をぐるりと回り、最近復元された郭馬出西虎口の二階建ての櫓門から二の丸〜本丸〜御前曲輪と歩く。全山に巡らされた大堀切を楽しみながらの調査となった。
関東の諸城は石垣が少なく、そのかわり土構造の妙を見せてくれるものが多いが、ここも例外ではなかった。なお、三の丸にある石垣遺構は玉石積といった感じで戦国初期の頃のものだろうか、と考えた。
最後に、資料中に霊置山の曲輪の東側に丸馬出と三日月堀の様な図があり、気になったので北側の新曲輪付近に足を踏み入れた。図には記載がないが、新曲輪が造成されるまでは馬出だったのかもしれない。
福岡城
2017年11月11日
66城目。初登城。
地下鉄赤坂駅から歩く。堀が見えた所で、明治通にある土日祝日しか開いてない堀外壁石垣(地下)から踏査開始。そして上之橋から入城。草茫々の上之橋御門跡石垣を見たのち、旧平和台球場のホーム側からセンター方向へ。西鉄、平和台事件、黒い霧、遺恨試合など明暗入り混じった思いで歩く笑。
流れ上、鴻臚館跡展示室で押印。ただし城の資料がここにはなかったので福岡城むかし探訪館にて収集。A4カラーの「福岡城跡」という図を片手に東御門跡から二の丸〜本丸へ。表御門跡〜祈念櫓〜武具櫓跡〜裏御門と時計回りに、三の丸や二の丸で見た布積の打込接ではなく野面積でしかもだんだん粗くなる石垣を楽しく鑑賞しながら鉄御門から天守台へ。博多湾の方向を見るとかつて海だったあたりはビル群で見えないが、気分がよい。南丸の多聞櫓は補修工事中だったが、南下からの鑑賞はできた。しかし、石垣はいっそう粗くなる。如水も長政も城の裏側なので目を瞑ったか笑。最後は名島門、三の丸スクエア、旧母里太兵衛邸長屋門、伝潮見櫓をみて、下之橋御門から下城。急いで回ったが2時間かかった。さすが52万石。
大野城
2017年11月11日
67城目。初登城。
福岡城からレンタカーにて30分、まずは県民の森センターにて、押印と資料取得(大野城市発行の「古代山城 大野城」)。その広大さから、外縁部尾根筋の土塁と城門などに絞って踏査する方針とし、林道を車で走り、外縁土塁付近で停車して土塁沿いに歩いて近くの遺構を見ていく。まずはクロガネ城門口跡〜屯水へ。そして林道を再び宇美方面へ、来る時に見落としていた百間石垣を鑑賞。しかる後は焼米ヶ原付近の駐車場へ。原口城門跡(シート養生中?)〜遠見所〜尾花礎石群、そして太宰府口城門跡を陥す。それにしても広い。百済の扶蘇山城がモデルらしいが、通常我々が想像する城のイメージではなく、有事の際に太宰府ごと一切合切を収容する、複数の山の尾根を繋いだ城塞都市の様なものか。
2時間程の踏査のあと、太宰府政庁跡へ。さっきまでいた山上を見上げながら展示館で太宰府や水城の資料を収集。博多へ帰る途中、水城の東門跡付近にも立ち寄った。白村江での大敗の1年後に水城完成、その翌年に大野城完成との事だが、これだけのものを短期間に造るのにどれほどの国家予算と労働力を費やしたのだろうか!
山中城
2018年2月10日
68城目。初登城。
新東名・長泉沼津ICから伊豆縦貫道〜国道1号を経て三ノ丸堀横広場に到着。売店でスタンプを押印しパンフを入手し、記載の「戦国山城コース」を一部参考に北条橋〜三ノ丸堀〜西ノ丸〜西櫓へ。所々、残雪を踏みしめて、勾配のきつい切岸・土塁のほか見所の畝堀や障子堀を観察する。その後、外周遊歩道を周り、本丸堀を右手に見ながら北ノ丸〜本丸〜二ノ丸へ。ここでも各曲輪の間に念入りに施された障子堀を見る。そして二ノ丸から伊豆方面の山々を眺め、公民館・宗閑寺のある旧三ノ丸に下りて岱崎出丸へ向かう。
岱崎出丸は、本城の東側を南北に向かって走る旧街道に沿って、関白秀吉の軍勢を本城の南側で迎撃するため急いで整備されたらしい。
西側を眺めると、一ノ堀という長い畝堀と、快晴の中、山頂に雲を被った富士が見えた。
掛川城
2018年2月11日
69城目。初登城。これで東海地方は終了。
まずは大手門から入城。現存の大手門番所が門に近すぎるなぁと思ったら大手門自体はもっと南側(今の道路上か?)にあったようだ。
とりあえず資料が欲しいので四足門〜太鼓櫓から天守へ向かう。天守東側腰曲輪に行き天守台を見上げると、その石垣、本来は打込み接ぎのはずが、あれれ、見慣れた石積擁壁だ。天守最上階にいた学芸員さんに尋ねると、残念そうに「天守復元工事の際、気がついたら施工されてた」。なんじゃそりゃ笑。予算とか工期とか事情があったんだろうな。三角形の石落としが面白かった。
御殿は二条城、川越城、高知城とともに現存する貴重なもの。しかも廊下だけでなく部屋の中に入ってじっくりと見学できるとは得した気分だ。
城周辺には竹之丸、古城、蕗の門、掛川西高敷地、道路、北門交差点などそこここに、色々な城郭遺構を感じさせる。天守下にある模型やパンフ掲載の正保城絵図を見ると、本丸南側の逆川の線形が変わっているほか、三ノ丸と二ノ丸が入れ替わっている?ここは現在の地図に重ねた城郭図が欲しい所だ。掛川市教委には御殿や天守だけに偏重せず、是非とも一考願いたいもの。
人吉城
2018年2月17日
70城目。初登城。
仲間達と鹿児島遠征の途上、鹿児島空港からレンタカーにて一旦北上。ひとまず人吉歴史資料館にて押印と資料収集。資料館の方のご厚意で、教育委員会作成の現況図をもらう。
さて、攻略開始。大手橋から場外に出て川向かいから復元多聞櫓と角櫓を鑑賞。然る後、大手門跡を踏査して球磨川沿いに東へ進み、水の手門跡から武者返し石垣を見上げる。堀合門から入ると武者返しの上に登ることができた。御館跡、相良神社を通り過ぎ、林鹿寺で勝海舟の筆による西南戦争戦死の碑を見てから、南側から三ノ丸に登り、ついで、二ノ丸〜本丸へ。二ノ丸から見た人吉市街は140年前の激戦などまるで無かったかのようで、日本三急流・球磨川の瀬音が今にも聞こえてきそうな光景だった。
鹿児島城
2018年2月18日
71城目。初登城。
昨日の人吉城から引き続き。
宿営地は指宿で、朝から開聞岳〜知覧特攻平和会館〜知覧武家屋敷跡と回り、漸く西郷どんに沸く鹿児島に。
まずは黎明館駐車場に車を止め、黎明館に入館しようと思ったが、駐車場から本丸跡と旧二ノ丸跡の間の石垣が見えたので、県立図書館のある旧二ノ丸に降りて鑑賞。そして国道10号に出て同国道沿の濠端を行ったり来たりして歩き、切込接の見事な石垣と鬼門の隅欠、そして、さらに北東に進んで、医療センターのある御厩跡を見ていく。
私学校跡の近くや御楼門跡の石垣に残る日本最後の内戦の痕跡に目も心も釘付けになる。
黎明館でのスタンプ押印時、係員さんに尋ねたが残念ながら城自体の資料が全く無いとのこと。ただし館自体は物凄く広大で薩摩・大隅の歴史が詳しく勉強でき十分見応え有り。
最後は城山展望台へ。桜島が美しく圧倒的な存在感だ。はるか南方には薩摩富士・開聞岳も見えた。
津和野城
2018年3月16日
72城目。津和野は23年ぶりに訪れたが、前回は城に登らなかったので23年を経ての初登城。小雨の中、リフトを利用して山上へ。山上では、出丸石垣補修工事のため一部仮通路を通る。仮通路から見た出丸東側の斜面は無数の瓦のかけら…文字通り瓦礫で覆われており、こういう機会でなければ見られなかっただろうと思いながら、本城へ向かった。程なく着いた本城では東門櫓石垣の足元から腰曲輪にかけて仮設の階段が設置されており、それを昇って三ノ丸則ち馬立櫓・台所櫓・海老櫓、西門櫓、南門櫓跡のある曲輪と石垣を鑑賞。特に三ノ丸南側から見上げた本丸三十間台と人質櫓石垣が壮観だった。立入制限の関係から、天守台〜二ノ丸(腰曲輪〜太鼓丸)〜本丸(三十間台)のルートで、山上を歩く。太鼓丸からの埋門らしき石垣の間を抜けて津和野の町を見下ろすと、その頃には小雨もやんでいた。
津和野は昔から小京都としての街並推しで、城の資料自体は皆無だったが、下城後に立ち寄った津和野町日本遺産センターでは幕末頃の光景を描いたという古図が展示してあり、城下の様子をハンガリー人(!)の学芸員さんの詳しい解説付きで楽しむ事が出来た。
萩城
2018年3月17日
73城目。津和野に引き続き、ここも23年越しの登城。
萩入りした前日、たまたま通りかかった外堀沿い北の総門付近に土塁の遺構を発見。古図と現在の状況を考慮するとこれは難敵だと感じ、前日夕に三ノ丸、当日早朝に二ノ丸、そして当日昼に本丸〜詰丸の3段階で城攻めを行なった。
三ノ丸南側にあたる平安古門付近では平安橋という石橋が今も現役で残っていた。
二ノ丸では、輝元公の銅像のある南門の付近の長い石垣前、土産物屋やレンタサイクルや夏みかん畑は全て堀だったようだ。また、西側の住宅や石彫公園は海だったらしい。
本丸は、通常「萩城跡」として案内されている範囲を見たが、崩れた土塀、石垣、どれをとっても楽しかった。そして、詰丸も、そこまでやるか、といった感がある。あと、、
関ヶ原の後、毛利は防長二州に押し込められ城も瀬戸内ではなく日本海側に築いて徳川に恭順の意を…と思っていたが、こんな百万石レベルでも中々あり得ない規模の城(しかも立派な天守付き)を築くなど、恭順どころか!徳川に対してこんなに凄みのある備えをしておきながら幕末まで上手くやっていた強かさに舌を巻いた!
郡山城
2018年4月7日
74城目。初登城。安芸高田市歴史博物館で押印して館内見学後、小雨・花冷えの中、貰った八つ折り資料(地形図)を携帯しいざ出陣。大通院谷の薬研堀を皮切りに元就墓所・百万一心碑の脇から山道を登る事20分、三の丸下の御蔵屋敷・釣井の壇に。ここから姫の丸〜釜屋の壇・羽子の丸堀切と時計回りに踏査する。昨夜からの雨にも拘らず、足元は比較的良好。しかし道幅は狭く、本丸を見上げ、そして谷を見下ろすとかなりな急斜面。まさに要害だ。このサイトの諸先輩方も投稿されていたが、厩の壇に登る時は甚だ苦労した。この後、三の丸・石塁〜二の丸〜本丸へ。この時点で出発から1時間。僅かに立石が残る三の丸下通路石垣跡、勢留の壇・満願寺跡を見て、さあ後は尾崎丸経由で本城へ行きルート通りに下山だな、と思っていたら尾崎丸〜本城への道が分かりにくくとても不安に。周りの地形と資料の地形図を見較べながら注意深く尾根筋を降りていくと本城堀切と案内板を発見。だが本城本丸には崖をよじ登らなければならなかった(要注意。)
西日本最大規模の山城、整備は輝元の代らしいが異常に用心深い元就の思想が強烈に感じられた150分だった。
岡豊城
2018年4月28日
続1城目。家族で高知に来たついでに。歴史民俗資料館とあわせ何度も来ているので勝手知ったる状態。昨年あたりから明らかに復元ではない、仮設仕様の櫓?みたいなのが山の中に出現したので行って登ってみようと思っていた。(どうやら「詰の櫓」というらしい。)
今回は、資料館の元親像の脇からニノ段〜詰下段〜詰へ。スタンプは詰の櫓内で、スタッフが押印してくれた。櫓に登ると土佐の田園風景が見渡せた。なお、この櫓は来年2月末で撤去されるらしい。その後は三ノ段から四ノ段南部〜虎口〜から下城。
貰った図では、あちこちに畝状竪堀が記載されているが、伝厩跡曲輪と四ノ段南部下の間のものが比較的わかりやすかった。
七尾城
2018年5月1日
75城目。初登城。仲間と北陸方面へ遠征、本日は車で高岡から能登に。当サイトほかの先輩達の情報から本丸付近まで車で行くつもりだったが、七尾城史資料館にて再現CG動画を鑑賞した後の軍議で、パンフ記載の「A.制覇コース」で行くべし、となり、我が軍勢、徒士立ちにていざ出陣!案内図に従って高屋敷〜長坂〜時鐘跡〜七曲り〜番所跡〜沓掛までの細い1本道を両サイドの険しい谷に慄きながら登り、寺屋敷〜調度丸経由で桜馬場・遊佐屋敷下へ40分程で辿り着くと、有名な段状の石垣が我々を迎えてくれた。本丸から能登島、七尾湾を見下ろすと、晴天に恵まれとてもよい眺望だ。帰りに通った二の丸〜三の丸の堀切や切岸がとても急で、さすが要害、痛めつけてくる笑。資料館から登って降りて所要時間は約90分。山城は歩いて登ってこそなのだが、やはり疲れた笑。
春日山城
2018年5月2日
76城目。初登城。北陸遠征2日目。まずは春日山城跡ものがたり館にて押印後、資料映像を見て軍議。結果、このまま徒士立ちにて史跡広場内を横切り、御館川の赤橋を渡って大手道から攻め登ることに。(昨日の七尾でもそうだったが我が軍勢、徹底してドMである笑。)
ものがたり館横の東城砦と番小屋間の薬研堀をしっかり押さえた後、楼門から入城、総構え土塁の天端を監物堀を見ながら南側へ大きく回り込み、整備された大手道から南三の丸経由で登ること約1時間、本丸に到着。日本海から上越の穀倉地帯が一望できた。本丸からは毘沙門堂〜直江屋敷〜千貫門から春日山神社へ。謙信公像を拝んでからさらに御屋敷〜黒金門〜蓮池〜林泉寺を経て史跡広場・ものがたり館に。所要時間2時間30分。さすが謙信公の城、難攻不落!今日も疲れた笑!
勝瑞城
2018年7月14日
続2城目
初登城。松茂PAのスマートICから西の方へ車を走らせて行くと森があり、近づくと堀が見えてきた。朝7時過ぎなのに蝉が盛んに鳴く暑い中を約100m四方の堀の外周を歩く。堀の水面は高く深そうで、西〜北面に残る土塁は意外と高い。曲輪内には城らしく矢竹が群生していた。
東〜南面に歩いてみると、RC造の寺院・付属建物と、堀の向かいには民家と撤去しきれず残ったコンクリートの残骸があり、その荒み様が何となく三好氏を象徴しているようで(あくまでも私見)と思わず苦笑してしまう。
そのあとに訪れた広大な館跡は、発掘調査中・公園整備中だった。
島原城
2018年8月4日
77城目。初登城。
福岡からレンタカーにて。市内に入ると天守がよく見え、ナビに導かれるまま近づくと本丸の石垣と西櫓の前に。4万石にしてはたいした城構えだ。
まずは駐車場横の看板、史跡範囲図を写真に納め、本丸〜二ノ丸の堀の外周を一周。しかし立ちくらみしそうな猛暑。こんな日に城攻めするもんではないな^ ^ ;南西側の振興局前に冷たい湧き水があり、手拭いを浸して頭に巻き、気を取り直して再度二ノ丸の土橋へ歩く。二ノ丸内の島原文化会館を通り抜け、鏡石を見ながら本丸に。RC造の天守は外観再現に一役。最上階から街の向こうに見える有明海を眺めるととても穏やかで時が止まったようだった。しかし、暑くてたまらない。
一つ不満なのは城の資料。博物館としての天守の案内だけでなく、縄張図が欲しい。町なかにも色々な痕跡があり、とても興味深いのに残念。
原城
2018年8月4日
続3城目。
島原城に続いて。余りの暑さに行くのをやめようかと思いながらも来てしまった。国道251号を南下すること約40分、海沿いの高台に原城の看板を確認、三の丸から進入する。大手門跡に立ち、二ノ丸、本丸方面を臨むと、ただただ炎天下の広大な草原だ。時刻は14時、夏でなければ歩いて探索するのだが、自重。二ノ丸は車を徐行させながら探索し、本丸手前の駐車場に車を停め、本丸跡を探索する。二ノ丸と本丸間の堀切を確認したのち、本丸正門跡に立つ。何という虎口の規模だろう。有馬領は石高こそ少ないが貿易で巨額の利益を得ていたのだろう。凄まじい城だ。島原の乱の遠因は有馬晴信にあるのかもしれない。本丸跡から見える青い海原、そして天草諸島の光景が美しすぎて、かつてこの場所で起こった凄惨な出来事が信じられない。
一宮城
2018年8月25日
続4城目。
四国に来たついでに、全くの予備知識なしで初登城。
このサイトの先達の方々の投稿を参考に、一ノ宮神社入り口の案内板横にてスタンプを押印し、まずは順路のとおり倉庫跡、曲輪跡、才蔵丸、明神丸経由で本丸目指して登る。山道の途中、ふと見上げた才蔵丸の切岸がとても急で、ここは城だということを思い知らせてくれる。
本丸石垣の埋門?の急な石段を這うように登ると北東の方向、眉山と鮎喰川の狭間に徳島平野が見える。
本丸の後は小倉丸、椎丸、水の手丸に向かう。この辺りは道というか細い筋を辿って登るのが精一杯だ。椎丸らしき場所までは何とか辿り着いたが、水の手丸はわからずじまいだ。
その後は一昨日の台風が嘘のような猛残暑の中、貯水池〜陰滝の道なき道をつたって下城。広大な城域に降参!
引田城
2018年9月15日
続5城目。初登城。
今回も予備知識なし。押印と資料の入手の為、まずは讃州井筒屋敷に。
駐車場のあるオートキャンプ場側から入城する。ほどなく北ニノ丸に到着し、藪蚊の猛攻の中、一番の見所である下の石垣を鑑賞。
上の石垣は今年の豪雨や台風で崩れたのかシート養生中だった。その横を通り過ぎ、東ニノ丸に向かう。天気は曇り空で今一つだが、穏やかな瀬戸の海を見ながら一息。その後は本丸石垣、天守台に。台風の影響で小枝が散乱しているのと藪蚊のせいで大手門跡など確認出来ず十分に踏査が出来なかったが、バテバテなので、今日はこの辺りで終了。
八幡山城
2018年10月28日
続6城目。4年ぶり2回目の登城。
晴天で、街中でビエンナーレも開催されておりJR近江八幡駅にはバス待ちの人だかりが。最寄りのバス停で降り、ロケ地で有名な堀端を歩きながらロープウェイに乗るかどうか迷うが、どうも記憶より山が高いので、ここは無理せずに乗る。降り口でスタンプ押印し、ニの丸から西の丸〜北の丸へ、野面積の石垣を眺めながら歩いて行く。西の丸の先の出丸跡へは、相次ぐ災害のせいかどうか不明だが立入禁止だった。本丸天守跡にある瑞龍寺の山門は、寺院様式でありながらも普請が枡形虎口になっており、紛れも無く城郭のものだ。
山を降りた後は、西側の秀次館跡を訪ね図書館脇の通路から八幡公園へ。区域の半分くらいが民有地なのと、災害による倒竹木の関係で立入禁止になっているが、鬱蒼とした竹林の中に石垣や堀切や土塁らしきものが、公園内から窺うことができた。
不満としては、配布モノとしての資料が皆無であることか。スタンプ押印場所には城の推定図が申し訳程度に掲示はされているが、続百名城選定を機に資料が作製されることを期待したい。
金山城
2018年11月23日
78城目。初登城。
家族旅行で上州に。
行楽日和で途中渋滞に遭遇しながらも何とか昼過ぎに太田桐生で高速を降りる。新田山の麓からまずは金山城ガイダンス施設にて資料を入手。1人ならここから徒歩で登るところだが、家族も一緒なので西城駐車場へ。西城の堀切と土塁を確認してから、実城への緩やかな通路を登る。大手虎口までの見所、西矢倉台西・下の深い堀切や通行禁止になった桟道、物見台下の岩盤の堀切や虎口、竪堀、馬場下通路を押さえ、いよいよ実城へ。大堀切と月の池を左手に大手虎口を三面が石で覆われた空間を進む。日の池を囲む各曲輪をへて三ノ丸〜本丸の腰曲輪〜残存石垣〜二ノ丸堀切〜本丸へ。南曲輪にてスタンプ押印後は西城駐車場に戻り、更に下方の見附出丸を調査。坂東武者が走り回っていそうな上州の野を眺め、この城の難攻不落さを感じた。
名胡桃城
2018年11月24日
続7城目。昨年に続き2度目の登城。
国道17号月夜野バイパスが、利根川右岸の河岸段丘を登り切った場所にまさに名胡桃城址前という交差点があり、案内所の駐車場に入ると、見るからに険しい地形を活かした切岸、堀切を備えた郭群が目に入る。想像していた以上に広く、凄味のある城で、岩櫃や上田への街道を背後に三国街道を眼下に扼し、沼田を攻略する際には強力な橋頭堡であり、沼田を防衛する際には強力な支城であったことが容易に想像できる。天正壬午の乱直後では、北条氏にとって目障りな城この上なかっただろう。
沼田城
2018年11月24日
続8城目。名胡桃城から。これまた昨年に続き2度目の登城。
見るからに難攻不落そうな河岸段丘を登って沼田公園へ。管理棟で市教委発行の資料を入手し模型を確認。利根川と支流の薄根川に挟まれた断崖全部が城域で、江戸期は石高3万石にも満たないくせに不相応な広大な城で凄い天守があったとか。現地はかつての城の姿が全くわからないが、乾櫓跡の石垣、本丸堀跡や、今は民家がある二ノ丸と捨曲輪間の堀切などが辛うじてその断片を残している。
岩櫃城
2018年11月24日
続9城目。沼田城から再度名胡桃前を経て、R145吾妻方面へ向かう。
まだまだ晩秋の気配が漂う中、まずは山の全景を対岸から見る。信州街道を完全に制する要害だ。
平沢登山口の駐車場まで進入し、案内所でスタンプ押印。この時点で15時前。日没までに山頂まで行き、戻ってこれるか??
ここから、東の木戸〜出浦渕まで坂を下り戻って40分。うーむ、日が山影に入り、少しずつ暗くなってくる。夕方の山城攻め、ここからは時間との勝負だ。
昼でも薄暗い山中が一層不気味に感じる。山向こうはまだかなり明るいのに、不思議な気分だ。中城をくるりと一回りし、足早に郭を確認して登城路を二ノ丸めがけ駆け上がる。深い堀切や聳え立つ本丸や二ノ丸の郭の切岸の状態がよく視認できるように整備されていて嬉しい。本丸から遥か下方に人里?が見える。真田の兵士たちはこの下の街道を通って上田から沼田まで往来していたのだろう。
日没時刻を考慮し岩櫃山に登るのは断念。ここから信州方面を経由して帰路につくことに。何時間かかることやら^ ^;
福井城
2018年12月15日
続10城目。
初登城。仲間うちの旅行時、現地集合場所の金沢に向かう途中に単独で立ち寄る。駅前の観光案内所で入手した観光マップと、街中の案内板にある現況・城域の重ね図を参考に調査ポイントを検討したが、さすが、築城時の版図が67万石なだけに現存の本丸部分だけではなく街中に見所がありそうだ。まずはスタンプ取得のため、南側の瓦御門から本丸の県庁通用口へ。その後は本丸東側の石垣内部の土塁〜本丸堀の外周〜廊下橋・山里口櫓門〜天守台を踏査後、中央公園から反時計回りに曲輪、堀の痕跡を辿る。養浩館と郷土歴史博物館北側の堀や舎人門、はては天然の外堀であったであろう足羽川まで足を伸ばし、最後は北ノ庄城跡・柴田神社も訪ねた2時間15分、とても楽しかった。
洲本城
2019年3月2日
続11城目。
十数年ぶり2度目の登城。淡路文化資料館で押印の際、洲本市発行の三熊山ガイドマップと淡路島観光協会の洲本城パンフを資料館窓口にて入手し、徒士立ちにて出立。八幡神社内の金天閣を見た後に裁判所横から三熊山に入り、西の登り石垣の遺構を確認しながら急峻な坂を登って搦手口へ。
搦手口からは、まずは広大な西の丸へ。途中の残念石から本丸を眺望すると、青い空に模擬天守が映える。この天守には昔から違和感を覚えていたが、展望台としてここに建てられて90年以上になるらしいので、それはそれでもう立派な歴史的建造物といえるかもしれない。それよりも本丸の北西部の石垣の崩落寸前の孕み出しが気になるなぁ。
再び搦手に戻り、馬屋〜大手口〜腰曲輪〜日月井戸・池から、東の丸を踏査。東一の門、武者溜、高石垣など、前回は全く足を踏み入れていない所を探索する。東の丸二段の曲輪からは、東の登り石垣と思しき遺構が遠くからだが確認できた。
   前回はここまで整備されていなかったし、生後間もない娘を片手に抱いての登城だったので、続百名城に選定されていなければこんなに凄い城だとは気づかず仕舞だっただろう。
玄蕃尾城
2019年3月9日
続12城目。初登城。熊が本格的に活動する前に、と18切符にて。JR余呉駅のスタンプ押印場所で資料を入手し余呉バスに乗ること15分足らずで最寄りの柳ヶ瀬に到着。集落の北の外れ、北国街道と倉坂峠(刀根越)への分岐点から林道のような道を進み、すぐに右折して杉の葉で覆われた九十九折の細く険しい道を登る。倒木や謎の野生動物の糞に心細くなりながら約25分、倉坂(久々坂)峠に。この地点から500m尾根筋を登って進むと土塁、空堀、郭の虎口が出現。先達の皆様が仰る通り、完璧な形で残っている。また管理も行き届いていて東側の張出郭からは北国街道を見下ろせるほか、木之本方面を望むことができた。おかげで、予定戦場近くの仮設の砦・陣として、また境目の城として北国街道や刀根越えを扼するという築城意図を強く実感できたような気がした。
帰路。敦賀方面へは峠から200mの所に駐車場があるそうで道も整備されているとの事だが、徒歩だと敦賀行きのバス停まで1時間と次バス(16:22)には微妙なので来た道を柳ヶ瀬へ戻った。
天候もよく明るくて無事に下山完了(しかしながら近江側からの単独登城は注意が必要かも)。
黒井城
2019年3月17日
続13城目
初登城。JR黒井駅よりまずは春日文化ホール会館に向かう。図書館入口近くの階段前で、押印と資料を取得。先程までの雨を忘れたかのような晴れ間の中、城下の桝形だったであろう辻々を楽しみながら下館跡の興禅寺に。
さて、登山口では迷わず急坂コースを選ぶ(雨上がりは下りが急な方が滑りそうで怖いので^ ^)。辛かったが三段曲輪から太鼓段に登り、椿の群生の中幅10cmほどの小径を伝って東出丸へ。ここから北の丸へ行こうと試みたが道がわからず、再び降り始めた雨と遠雷のため深追いせずに諦め、北側からとにかく山頂(本城)を目指す。すると二の丸北側の帯曲輪に着いた。
風雨が少し激しくなってきたので用心しながら、三ノ丸〜二ノ丸〜本丸を探索。帰路は本丸西曲輪から西ノ丸方向への崖を降り、千丈寺砦や百間馬場へ行こうとしたが、風が強くなってきたので断念。本丸〜二の丸南側の帯曲輪から三ノ丸に戻って石踏み段から緩やかコースにて下山した。ちなみに石踏みの段から西の丸への道があるらしいが、天候の関係か、暗くて全く分からなかった。残念。
鎌刃城
2019年3月24日
続14城目
初登城。米原駅より湖国バスで番場停留所下車。Cafe源右衛門さんの軒下で押印・資料取得(100円)。
大手口から登城する事にし、名神高速道路の交差部・彦根43のボックスカルバートをくぐり抜けて進むこと30分、大堀切に到着。北郭の櫓跡から北近江の眺望を満喫する。
北・主郭の虎口や石垣跡、土塁、切岸などを観察しながら、南郭へ。鎌刃の由来という尾根ルートを辿り南端の堀切に到達。ここまで来たらついでに青龍の滝へ足を伸ばした。滝からは再度、本郭に戻り、見残した西郭へ。
切岸を滑り降り(落ち)、ロープを伝って尾根沿いに下る。本郭から西郭にかけては法高が高く勾配が急なのであまりお薦め出来ない。
帰路は西郭を尾根伝いに降りると、彦根42に続く林道に出た。ここから米原駅まで約1時間。久しぶりに足にきた3時間40分。疲れた。
河後森城
2019年3月29日
続15城目
初登城。家族旅行の途中に。
JR予土線の松丸駅にて模型を確認し、資料を入手。風呂ヶ谷の駐車場から、まずはweb掲載マップの推奨コース通り西第十曲輪へ。門をくぐり、厩でスタンプを押印した後は、堀切、土塁を観察しながら本郭方面へ登る。
ここ何週間か連続の山城調査のおかげで、登城路が全く苦にならない。
曲輪の配置は南に向かってのU字型で、土佐方面(東もしくは南東側)を意識した縄張かと勝手に想像する。
本郭からの眺望を楽しんだ後は、東曲輪〜古城〜新城と五〜七分咲きの桜の中を巡る。古城や新城の先にまだいくつか曲輪があるようだったが、まだ未整備のようなので、ここは自重。なお、城内は伐採、下草刈りが行き届き、とても見学しやすかった。最近訪ねた山城は全てそうだったが、自治体や地元の方の愛着や誇りがとても伝わってくる。ありがたい。
佐柿国吉城
2019年4月6日
続16城目
初登城。
敦賀から小浜線で美浜駅に。駅からは最短距離を徒歩にて向かう。約30分ほどで国吉城資料館到着。難攻不落の旗が誇らしげに並んでいる。資料館でのスタンプ押印後、一頻り城主館跡をあちこちと足早に見てから、気合を入れて急な登城路を一気に山上へ。途中、二ノ丸ではガイド本推奨の虎口跡、土塁跡が分かりやすく残っていたので休憩がてら踏査する。
本丸登城前に堀切から北西に伸びた6つの曲輪群を一つずつ見て行く。IIと?の間の切岸が急だ。越前方面を眺めると小山があり一つは支城、一つは朝倉方の付城だったそうだ。なるほど、この要害なら朝倉勢も攻めあぐねただろう。
飯盛城
2019年4月13日
続17城目
初登城。入学式帰りの親子連れの多いJR四条畷駅から、まずは四條畷歴史資料館へ。スタンプ押印後、当会先達の方々がお薦めの資料を受領し出発。
四條畷神社の境内を抜けて登山道から、分かれ道を適当に選んで30分程登ると二ノ丸史跡碑に到着。そして見所の御体塚曲輪下の大堀切を確認した後、本丸東側の腰曲輪沿いの石垣群を探索していく。高石垣跡は昨年の台風のせいで崩落したのか、はたまたその危険性があるためか、バリケードで覆われていた。
再度本丸北側に戻り、三本松曲輪〜蔵屋敷曲輪〜展望台曲輪へ。良い眺めだ。高櫓曲輪ではこの地所縁の小楠公像が凛々しく立つ。成る程、旧国旗掲揚台とセットなのか。
土橋を渡ってNHK通信塔のある千畳敷曲輪〜南丸曲輪の土塁、虎口を確認。あとは東側の畝状竪堀群を探して藪に分け入り、馬場跡の楠公寺から八大龍王堂になっている曲輪群から再び南丸に登り、虎口から野崎方面に降りて行った。南北に懐が深くてまだ普通に踏み込めない場所も多々ある凄い城だった!
能島城
2019年4月27日
続18城目
初登城。しまなみ海道は四国へ行く際に幾度も通っており、この地は「あれが能島か」という程度で通過していたが、続百名城のおかげでようやく目的地にすることができた。今回、上陸はできないのはわかっていたが連休初日で家族で出かける予定でもあったので訪れることに。
まずは村上水軍博物館にてスタンプ押印し、レストラン・能島水軍さんの潮流体験(毎時正刻発)までの時間、同館を見学。とても興味深く、潮流体験を一つ遅らせるはめに。(これが今回の旅程が大きく狂うきっかけになるのだがその時は知る由も無かった笑)
潮流体験は潮止まりの時間帯で船が折れるような10ノットの潮流を体験できなかったが、能島をじっくりと観察することが出来た。島の規模が小さいので詰めの城かと思い込んでいたが、生活の痕跡が多々あるとの事なので常設の緊急出動用の泊地だったようだ。
その後、当会先達がお薦めだったカレイ山展望台にて、能島を、瀬戸の多島美を満喫。この後、行程回復の為近道をとったつもりが四国山脈に迷い込むとはつゆ知らず…。
村上城
2019年5月1日
続19城目
初登城。天皇陛下の即位される日、皇后様ゆかりのこの地に。高速道路では新潟を越えたあたりから遅咲きの桜吹雪が北国情緒豊かに舞う中、10時過ぎにおしゃぎり会館に到着。押印と資料を収集する。会館では新しい時代の到来を寿ぎ隣接の武家屋敷と合わせて入場無料。しかも今夜は山車が街を巡行するそうで、街は品の良い高揚感に覆われている。
会館で聞けば、最近城の近くに駐車場が整備され、近くにある保存会の建物にもスタンプがあるとか。すぐに現地に向かい、公園付近の藩主屋敷跡から七曲り大手道を登る。程なく四ツ門跡に。三の丸〜二の丸〜本丸の順に見て行く。二の丸御鐘門跡下の東門跡などの搦手は石垣が崩れており、また出櫓台下の黒門跡は補修中の為、遠望するのみとなったが、また整備された後に踏査したいものだ。
   本丸に到着した頃には日本海側は霧に包まれたような曇り空。期待していた佐渡が見えず少し残念。東側は裏磐梯なのだろうか、ここ数日の冷え込みで冠雪している。天守台を見た後は帯曲輪に降り、竪堀、中世虎口、坂中門、千貫井戸を押さえて下城。令和初に相応しい登城だった。
新発田城
2019年5月2日
79城目
初登城。村上からの帰路に高速を降りて蒲原平野を走る。白壁兵舎の横、三階櫓の前の駐車場に駐車して本丸西側の堀端から三階櫓、旧二ノ丸隅櫓を鑑賞しつつ土橋門の方へ歩く。土橋門付近の二ノ丸の南部分は明らかに最近更地化されたような空き地が広がっていた。大手中ノ門があった場所から南が三ノ丸だそうで、二ノ丸と三ノ丸は梯郭式の南北に長い縄張りになっているようだ。この辺りを歩けば色々な痕跡がありそうだが今回は大人しく本丸表門へ。スタンプ押印の後、辰巳櫓、表門、旧二ノ丸隅櫓(旧鉄砲櫓移築)の内部を見学。再建辰巳櫓には海鼠壁がないが、旧二ノ丸隅櫓はどうだったのだろうか。その後は白壁兵舎に入館し、新発田城関係は勿論、歩兵第十六、第百十六連隊関係の資料を見学。越後遠征は以上で終了した。
水城
2019年5月18日
続20城目
2年ぶり2回目の登城。
前回は続百名城指定前、大野城登城時に東門跡付近を踏査したが、今回は西側を起点にJR水城駅から巡る。駅で押印可能だが、残念ながら配布資料等がなく、看板を頼りに行軍スタート。まずは駅前のふるさと水城跡公園から土塁断面広場へ。軟弱地盤対策として粗朶工法が採用されていた事を初めて知った。JRを西へ渡り、長大な土塁に肉薄して西門跡へ。そして西の果て、丘陵跡の水城ゆめ広場から東へ折り返す。再びJRを越えて再度土塁沿いに御笠川方面へ。西鉄の橋梁越しに国道3号沿に見える東側の土塁跡を眺めていると東門跡まで行きたくなり、小雨の中、畦道から御笠川沿いをつたって九州自動車道・国道3号を横断し堤体の太宰府側を歩いて水城館へ。館の裏の堤体の上に登って長大な全景を見渡しながら、白村江の敗戦の翌年、こんな大工事を短期間で行うため、どれだけの人々が太宰府に集められ作業に従事したのだろうかと思った。
吉野ヶ里
2019年5月18日
80城目。
水城から鳥栖で長崎本線に乗り換え、長崎に向かう途中に吉野ヶ里公園駅で下車し立寄る。有名な遺跡だが初めての訪問である。雨が強くなってきたので駅で傘を借り、徒歩にて吉野ヶ里歴史公園に向かう。主祭殿の屋根を遠くに確認しながら麦畑の中を歩くこと数分で東口正門に到着。環濠入口から、南内郭〜北内郭〜甕棺墓列〜北墳丘墓〜倉と市〜南のムラと、ほぼ外環濠の内側を歩きに歩いた。南内郭で物見櫓に登って周囲を眺めていると、この城塞(敢えてそう呼ぶが)の仮想敵は何処なのか?と不思議に思った。環濠内で1200人、吉野ヶ里一帯で5000人程の人口が想定されているとの事だが、この規模の集落はそこここに数多く存在しており、それぞれしのぎを削っていたのか?それとも筑後川の向こうや有明海を挟んだもっと遠方の敵に備え、近くの小高い山や丘からの狼煙などを見張るためなのか⁇厳重な二重の環濠に囲われた北内郭も曰くありそうで、興味が尽きない。いずれにせよ、全域を踏査することは不可能だったので、また再訪したいと思う。
福江城
2019年5月19日
続21城目
初登城。昨夜は水城〜吉野ヶ里から長崎に到着、各々自由行動していた仲間達と無事合流。本日は、(やはり)長崎は今日も雨だったが、有志にて8:05のフェリーで福江島へ渡航。190分の航海の後、福江港に到着。滞在時間は2時間強の予定なので、まずは五島観光歴史資料館がそびえる外濠端を目掛けて歩く。表門らしき場所から入城、見所の舟入跡を資料館隣の図書館の一階から観察。資料館で少し五島の勉強をし、学芸員さんから貰った福江城の見取図付資料を片手に文化会館裏の本丸(現在は県立五島高校)内堀、石垣などを足早に確認しながら、本城で最も城らしい佇まいの搦手門へ。ここから進入して五島氏隠殿屋敷庭園受付にて押印する(庭園に入場せずとも押印可能)。クラブ活動帰りらしい五島高生たちが元気に挨拶をしてくれる中、同校正門である裏門から少しだけ本丸を見せて貰う。内堀にかかる眼鏡橋も間近で確認できた。外堀を反時計回りに巡る形で終了。いい城だった。願わくば城関連資料の早期整備を。
米子城
2019年6月22日
続22城目
初登城。市役所に車を止め、山陰歴史館にて資料収集と押印を行った後、小雨の中、米子市文化振興課発行の米子城跡ガイドマップという冊子を参考に国道9号を歩いて城に向かう。
内堀通りと言われている通りを越え、野球場の横の通りに面する枡形から二の丸に入る。旧二の丸跡の石垣を観察しながら庭球場横を通り抜け、裏御門跡を確認の後、登城路から登り石垣、内膳丸を調査してそして本丸へ。番所跡から聳え立つ見事な石垣を見ながら腰郭を回り、四重櫓下から鉄門跡経由で天守台に立つ。いつの間にか雨が上がり、大山は見えなかったが、城下の様子と中海、島根半島〜美保湾360°のパノラマを大いに楽しむことができた。飯山の采女丸と御船手郭跡は今回は断念。
赤木城
2019年9月14日
続23城目
初登城。熊野への旅は9年ぶりで、かつて紀和鉱山資料館にも訪れたことがあり、スタンプついでに久しぶりに入館。マニアックな展示とリアルな人形たちを再見できた。なお同館では「スタンプの場所提供だけ」と微妙な言い方の割に2階の城の展示はかなりの力作だった笑。因みに学芸員さんに城の資料がないか尋ねると、現地もしくは近くの道の駅にあるとの事。資料も置いておくか、スタンプごと道の駅に置いとけばいいのに笑。後で資料を確認すると、史跡や鉱山資料館の管理は教育委員会でパンフ発行は観光スポーツ交流課。なるほど。組織横断体制の構築に今後期待したい笑。さて、資料館から現地へは車で10分程度。県道765号経由で田平子峠の北山一揆の供養塔下を左折する。所々幅員が狭い場所があるが、道路状態はよい。現地では東郭〜虎口〜主郭〜北郭〜西郭〜南郭の順に巡る。よく整備されていてとても見やすく、ゆっくり見ても30分ほど。うっかり北郭の先の堀切を見逃していたが、あとですぐ見に行けたのでよかった。帰りは県道40号から城の全景を眺める。こんな所に築城が必要だったなんて、一揆という地侍のゲリラ戦に余程手を焼いたのだろうか。
新宮城
2019年9月15日
続24城目。初登城。新宮市立歴史民俗資料館にて押印の後、城址西側の観光用駐車場に駐車し、まずは見事な石垣を見上げる。旧二ノ丸、正明保育園の石垣の算木積と石樋を確認してから、おそらく復元ではない冠木門がある大手への登城口から攻略開始。鐘ノ丸の物凄い石垣にただただ圧倒される。松ノ丸から水の手への通路があるが、崖崩れのため通行止め。現地に掲示されていた仮案内図の通り、水の手には後ほど駐車場から熊野川沿いの経路で踏査した。
本丸から眺めた熊野川は青く優美で、熊野灘はこれぞ黒潮と言わんばかりに沖の方が黒く見える。なお出丸および本丸搦手から先へは立ち入り禁止となっており、東側(天理教南海大教会あり)や北側(JR紀勢本線熊野川橋梁付近)には行くことが出来なかった。帰りは天守台下の旧ケーブルカーの遺構を見て南東側の公園駐車場に降りる。近くに本丸の真下を貫通するJR紀勢本線丹鶴トンネルの入口があった。平地の少ない紀伊半島で熊野川を可能な限り最短で渡河する地点といえばここしかなかったか笑。さすが交通の要衝・要害の地である。
唐沢山城
2019年11月2日
続25城目。初登城。行楽日和で圏央道や東北道の渋滞が凄まじく16時前に到着。日没までにはまだ時間があり、有名な懐こい猫たちは西陽で日向ぼっこをしている。家族の世話?は猫たちに任せ、自分は蔵屋敷跡の駐車場から虎口を潜り入城。大炊の井の前で山頂周辺縄張図が掲載されている資料を得て、四つ目堀から大手道経由で南城〜二の丸〜本丸と回り、東国では珍しい高石垣を見る。縄張図に載っている部分はごく一部であり、この足尾山地の南外れの山全体を一つ一つ見たい所ではあったが、日没間近でもあり、その後は北城までの郭群を順に辿って残照の中を東の二重堀切まで行くのが精一杯だった。下城する頃には日はとっぷりと暮れ落ち、家族がすやすやと眠る中、宿までの120kmの道程を必死のパッチで眠気と闘いながら車を走らせた。
備中高松城
2020年2月2日
続26城目。初登城。冬だというのに穏やかな日差しの中、舟橋のある大手から入城。長閑な田園と小さな集落の中にあり、とても城とは思えない佇まいだ。資料館で水攻めに関する資料を貰い、細かな地物の変化を探して図面と見比べながらかつての曲輪跡を辿る。周囲の広大な沼、深田、湿地帯を防禦施設として最大限に利用し、寄手の騎馬や鉄砲を全く寄せ付けなかったという事だが、それに加え、周辺の六城の中心に位置し、5千の兵と共に境目の城全体で連携する事でこの城は力を発揮したのだろう。ただし、それは中世から近世への過渡期、圧倒的な兵力動員と天才的な(あるいは近代的というべきか)工兵戦術の前では通用しなかった、という事になるのだろうか。
蛙ヶ鼻の築堤遺構を、あるいは足守川の水取口跡あたりを見ながらそんな風に考えた。
金田城
2023年6月18日
続27城目 初登城。
3年4ヶ月ぶりに再開。仲間とともに訪れたのは、国境の島。前日に博多からジェットフォイルにて上陸し、一泊した後の払暁、宿より出動。5:17に攻略開始する。
登山口から軍道を通り、分岐点からは迷わず東側へ下って東南角石塁〜三の城戸〜ビングシ土塁〜ニノ城戸〜一の城戸へ。絶景の数々に感動しながら、ここまで43分といいペースで巡る。ここまで来ると、「折角来たのだから」と勢いで石塁沿いに城山山頂方面への踏査に挑戦。急勾配の険しい道を這うようにして登り、右手に浅茅湾を見ながら西へ回り込んで城山砲台跡〜城山山頂へ。(ここまででさらに所要42分。かなり消耗する。)
苦労の甲斐あって、かつて防人も見たであろう浅茅湾の景色を瞼に納めることができた。
ここからは軍道を通って南西部石塁を経て下山。所要2時間15分、久々の攻略はとてもハードなものとなった。