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メンバー情報

ID6728
名前kyon
コメント埼玉から全国制覇
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
広島城
2009年8月18日
1城目
100名城の存在を知る
岩国城
2009年8月19日
2城目
ロープウェイで
白い蛇を見た
会津若松城
2009年12月30日
3城目
修学旅行やスキーで3回訪問しました
赤穂城
2010年3月21日
4城目
赤穂浪士

2021/12/27再訪
07:21岡山(赤穂線)08:37播州赤穂
姫路城
2010年3月22日
5城目
また行きたい

2019/9/18再訪
明石まで出張だったので夜に行きました
前回行ったのは天守の大規模な工事が行われる前だったので
真っ白になった姫路城は初めてです
三の丸までしか入れず天守までは行けなかった
天守はライトアップで写真がとれないほど反射していた
明石城
2010年3月22日
6城目
駅から2つ櫓が見えた

2019/9/19再訪
出張帰りに
社会人になって最初の出張が築城400年記念の年の明石だったのも不思議な縁です
櫓2つと天守台が残っている
高石垣の上に三階櫓がそびえていて立派でした
中学生のときに訪れたときは2つの櫓が現存の貴重な建物だということも知らなかったので
たくさん城巡りしたおかげで昔に比べたら詳しくなれたようです
櫓内部に入れる時間は12〜13時などと極めて限定的なので今回も中には入れませんでした
出張帰りだったので17時くらいから登城でしたが50分で一通り見れました
18時に城内のからくり人形が太鼓を叩いて時間を教えてくれました
大阪城
2010年3月22日
7城目
石山本願寺の跡地
小田原城
2010年5月4日
8城目
石垣山城の帰りに寄った2019/4/21再訪

色々な城を見ていて、博物館としての天守閣はいまいちだと思っていたが
近くまでいくとそれでも綺麗だと思って写真撮ってしまう
忍者の館のようなものが新設されていて、9年前に比べて城跡というよりテーマパークに近づいてる気がした
今回はお堀の外や東海道沿いから城を見れた
現存する建物はほとんど残っていないが関東大震災で崩れた石垣や土塁や本丸の大きな杉は見応えあるかも
ういろう発祥店など城下に色々と伝統あるものが残っていて街並みが良い
山中城
2010年5月4日
9城目
空堀が大きく障子堀も確認できた
駿府城
2010年8月13日
10城目
掛川城
2010年8月13日
11城目
山内氏の城で高知城とそっくり
長篠城
2010年8月13日
12城目
飯田線の切符がレシートみたいだった
岐阜城
2010年8月14日
13城目
犬山城
2010年8月14日
14城目
見る角度によって全然印象の異なるお城でした

2020/2/22再訪
城下町が賑わっていて、前回行ったときよりも観光地化が進んでいるようでした
城下町の博物館には、宝暦時代の鯱が展示されています
2017年の落雷で破損したときに宝暦時代の鯱に似せて再建されたようです
焼く前の粘土のときは1.6倍あったそうです
天守閣は附櫓や石落としなど実戦的な備えが見られた
唐破風は南北の2面についていて、3階の唐破風の間から輪郭がわかります
南北と東西では天守閣の印象が全然違います
天守最上階からの木曽川の眺めは壮観でした

近いうちに値上げするらしいです
名古屋城
2010年8月15日
15城目
愛知万博以来二度目
岡崎城
2010年8月15日
16城目
青っぽいお城
佐倉城
2016年5月5日
17城目
久しぶりの登城
城跡管理センターで詳しい地図を貰えました
佐倉城に関するお土産がなかったのが残念
歴博はとても広大で5時間も滞在してしまった…
江戸城
2016年5月18日
18城目
何度か行ったことはあるがようやくスタンプ押しました
大手町駅ならD1出口から楠公像の所のスタンプ設置所に行くのが最短かな
天守閣を復元してほしい
金山城
2016年6月2日
19城目
太田駅から徒歩で登城
行きの登り坂がキツイ
駅からスタンプ設置場所まで徒歩80分くらい
物見台からの眺めは最高でした!
足利氏館
2016年6月2日
20城目
寺でした
足利學校の方が見応えあり
渡良瀬川に映える夕日は圧巻でした!
二本松城
2016年8月16日
21城目
起伏が激しい
天守台にたどり着いたときはとても達成感がありました
戒石銘が麓に残っていました

2020/10/24
4年ぶり再訪
出張の延泊で福島駅前泊、8:36に二本松駅着
今回は城下をじっくり見ました
まず、二本松少年隊と歴代藩主の墓がある丹羽家菩提寺の大隣寺を訪問
歴代藩主の墓の燈籠にはX字型の家紋が装飾されていました
大隣寺の次は戊辰戦争の激戦地だった大壇口に行きました
小高い丘の上にあり、ここで少年隊を含む多くの藩士が戦死したそうです
次いで、二本松神社で御朱印を貰い、博物館に行った後、城跡に行きました
今回は搦手から本丸に行きました
搦手門と天守台下の石垣は立派ですが、目立たないため前回は見落としていました
また発掘調査中の二の丸は、湿地のため木材が多く出土し、家臣邸の跡地から竹を使った上水道が見つかったそうです

再訪ですが、新しい発見は尽きません
白河小峰城
2016年8月16日
22城目
壮大な三階櫓でした
集古苑では白河地方の古い文書がたくさん見られました
武田氏館
2016年8月17日
23城目
日帰り18きっぷの旅
甲州金のお守り500円
信玄のお墓行くのに迷子になりました
敷地は大きくないのですぐに周れました

2021/2/13再訪
要害山城の帰りに寄りました
信玄ミュージアムが新設され、特別展に入ると御城印を貰えます
西曲輪の馬出で見つかった馬の全身骨格の復元が展示されていました
主郭は本殿や天守台が非公開のため見どころが少ないです
信虎の嫡男が増設した西曲輪は、南北に大規模な枡形虎口を見ることができます
館は水堀と空堀で囲まれていますが、武田家独特の三日月堀や馬出は復元されていません
甲府城
2016年8月17日
24城目
ボランティアのおじさんから城内の地図をもらえました
スタンプは稲荷櫓のは汚いので管理センターの建物の方のスタンプがおすすめ
ポケモンGOやっている人が多かった

2020/1/5
新府城と高島城に行った帰りに再訪
高尾行きに乗り継ぐまでのわずか30分
ライトアップされた稲荷櫓、鉄門、内松陰門を見て来ました
天守台の石垣も見事です
次は要害山城に行った際にじっくり見たい

2021/2/13
要害山城のバス待ちで再訪
今回は北口の山手御門や公園内の稲荷櫓の展示を見ました
武田時代から一条小山に砦はあったものの、甲府城が整備されたのは江戸時代だそうです
そのため、武田氏館一帯が古府という地名になりました
柳沢家が大和郡山に移ると直轄地になり城主不在だったそうです
帰京前に近くのほうとう小作で牡蠣ほうとうを頂きました
新発田城
2016年9月2日
25城目
駅から表示が分かりやすくて迷子にならなかった
城としての範囲は広くないので見学に時間はあまりかからない感じです
堀の外に出ると有名な三階櫓に接近できます
城下の足軽長屋と大きな庭園はとても綺麗でしたが蜂がたくさんいて怖かった
山形城
2016年9月3日
26城目
堀が二重なのがはっきりわかる
石垣はほとんど現存しているものとのことですがとても精巧でした
最上義光歴史館や城内の済生館も無料ですがとても充実していて見に行く価値があります
多賀城
2016年9月3日
27城目
東北歴史博物館に詳しく多賀城について展示されている
建物はなかったけど石段などはありました
博物館の再現を見ないとイメージしにくいかな
駅までボランティアガイドの方に車で送ってもらって助かりました
仙台城
2016年9月3日
28城目
本丸には建物らしきものはない
見聞館は行けたが仙台市博物館は間に合わず。。
写真によくでる隅櫓は本丸を降りたところにあります
写真よりだいぶひっそりとしていました
水戸城
2016年9月8日
29城目
土塁は多く見られたけど建物は薬医門しか残ってないようです
水戸城より弘道館がメインといった感じでした
弘道館は建物、庭園ともに素晴らしく展示もとても充実していました
水戸城に関する展示が少ないのが少し残念
薬医門は弘道館から10分弱一本道を進むとありました

2019/9/1土浦城と笠間城の帰りに再訪
水戸学の道という散策ルートが整備されていた
また坂下門や杉山門などが新しく復元されていました
大手門は復元工事中でした
3年前よりかなり充実していました
品川台場
2018年9月19日
続1城目
通学定期内の田町駅から徒歩で30分くらい
レインボーブリッジはすぐ隣が車道で空気が悪くて騒音も凄いのでモノレールで行くべきだった
第三台場に砲台跡が2つありました
小さいので30分あれば十分
レインボーブリッジから綺麗な写真が取れる
唐沢山城
2018年9月24日
続2城目
佐野線田沼駅から徒歩で
田沼意次ゆかりの地でもある
駅前の建物で資料を貰えた
太田金山城のような車道を歩く
山頂からの景色は綺麗で達成感がある
城内はよく整備されていた
本丸の高石垣は迫力があった
城を攻めるつもりで本丸まで登ってみると面白いです
往復の移動2時間と滞在2時間くらい
本佐倉城
2018年10月7日
続3城目
千葉フリー切符1日目
JR酒々井駅改札口の地図と道中の案内が分かりやすく迷わず着けた
酒々井駅からの誘導だと東山馬場に着く
公民館に資料が何種類もあったが、「城跡全体図」というのが便利
唐沢山城や金山城と違って
城の中枢に至る道があまり整備されておらず、ジャングル状態
この時期危険なキイロスズメバチの死骸もあってゾッとした
規模が大きくて内郭のみでヘトヘト
地名の由来となった酒の井も巡りました
大多喜城
2018年10月8日
続4城目
千葉フリー切符2日目←いすみ鉄道もフリー圏内なのでお得
昨日の本佐倉城でヘトヘトな中、駅近コンパクトで助かった
大多喜高校にある薬医門と井戸を見学してから登城
城内は博物館で城の歴史と大多喜の産業がテーマだった
その後駅の反対側の街道を散策
古い街並みは良かった
街道は戦略上の名残で敵が直進できないように曲がりくねっていた
3時間あれば城跡も城下も一通り見れる
鉢形城
2018年11月14日
30城目
県民の日で県内の東武線が470円で乗り放題
東武線寄居駅から徒歩
途中で荒川を渡る
街並みが昭和って感じ
鉢形城歴史館で詳しい地図を貰える
北条氏邦の開城後も廃城せず、徳川方の成瀬氏が使った痕跡が確認されたとか
二の曲輪、三の曲輪は復元があったりして目立つが本丸が見つけにくい
三の曲輪の石積土塁は関東では希少だそうです
本丸の断崖も迫力がありました
天然の要塞に守られているのがよくわかる
菅谷館
2018年11月14日
続5城目
本日2城目
武蔵嵐山から徒歩
途中ラーメン屋五月で辛モツ焼きそばで昼食
県民の日なので県立博物館がタダで入れた
鎌倉時代の畠山重忠の居館ではなく戦国時代の防衛施設の遺構が残る
散策マップに従って30分くらいで一通り見学できる
本郭の大規模な出枡形土塁や堀がしっかり残っていた
その他にも蔀土塁が確認できたりして戦国時代の実戦的な構造をしていると分かる
杉山城
2018年11月14日
続6城目
本日3城目
菅谷館から徒歩45分ほど
前方に山があり杉山城かと思いきや嵐山町役場
スタンプのために急斜面を登りました
そして城までの誘導がなく分かりにくい
何とかたどり着いたもののパンフレットのケースは空だし日没寸前
ただ意外にも城跡がコンパクトで一通り見学できた
本郭〜南二、三の郭は食い違い虎口含めはっきり残っていた
井戸跡も確認できた
北の郭と東三は案内なく不明
再度時間を取って巡ろうと思います
帰路は日没後、街灯がなく怖かった

折角の名城なのにバスやレンタサイクルがなくアクセスが悪い上に管理や案内もいい加減で
観光資源を活用しきれてなく勿体ないと思った
東にも嵐山があるとか言ってるんだから改善して欲しい
県民の日にダサイタマの片鱗を見せつけられた気分‥‥
小机城
2018年12月2日
続7城目
主郭が2つあり、公式ガイドブックでは、どちらが本丸か定かでないと書いてあったが、現地の地図では西曲輪が本丸で東曲輪が二ノ丸になっていた。
現存部だけなら、本丸の防衛が不十分だと感じる。
帯曲輪も広く残っていました。
穴場スポットで亀之甲山陣城跡の石碑が鶴見川を渡った所にあった。太田道灌が小机城を攻略した時に陣取った場所で、石碑があるだけで、当時の面影はないけれど、小机城がよく見える。
忍城
2019年1月20日
続8城目
埼玉古墳群3時間、忍城1.5時間
東行田駅前で無料で自転車を借りれるので移動が楽々でとても助かりました
古墳群の丸墓山古墳に石田三成が陣取っていて周辺に石田堤という盛り土の道がありました
忍城については御三階櫓と博物館が繋がっていて展示物は多かった
展示は行田市の古代〜近代と産業が中心でした
今日は学芸員の人が忍藩の廃藩の過程について講演していた
周辺を散策すると、かつては忍城の要塞だった水城公園が残っていて、忍城は小田原平定の際に最後まで北条方で落とされずに残っていた防衛力が高い水城だったのがよく分かります
国内の足袋の85%が忍城のある行田市で作られているようです
帰りは今日からリニューアルオープンだった名店で名物のゼリーフライを食べました
水城
2019年2月16日
続9城目 九州初
1日目に水城と福岡城、2日目に小倉城と大野城を巡ります。
水城駅から徒歩で登城
途中に水城らぁめんという地元で有名な店で昼食。ちゃんぽんの量が凄くて歩きがつらかった。

史跡の殆どが水城館のある東門跡周辺に集まっており、とてもコンパクトだったが、水城が山と山の間を防御しているという姿を見るには展望台まで行く必要あり。展望台までは山登りだった。展望台から見ると水城館の図解と同じ様子が目下に広がっていてとてもよい。
水城は単に土を盛ったのではなく、底に草木をいれて滑りにくくして作ったみたいです。(発掘された木の実から初夏に作られたと考えられている。)
この地域だけ高速道路が低いのは景観保存のためで、地元の人に大切にされてきたんだなぁと実感。
また、水城館でアンケートに答えたら貴重な水城グッズが貰える。
水城駅の近くにある西門跡にも行ったがこちらは史跡というより公園のようになっていた。

水城の後は大野城の南側にある大宰府政庁跡に行きました。
福岡城
2019年2月16日
31城目
水城、大宰府政庁の後、西鉄で天神まで行き徒歩で登城。
水城に比べて敷地が広く疲れた。二ノ丸の梅園がとてもきれいだった。
石垣は圧巻で、特に天守台の入り口は攻めにくいように極端に狭く、天守の中に複数門があったりと工夫が凝らされていて築城技術の高さが伝わってくる。
櫓は62もあったが今は1つか2つしか残っていない模様。復元はたくさんあった。城下にも長屋門が移築されていたり見るものは多い。
城内で唯一現存する多聞櫓は時間に数分間に合わず、見れなかったのでまた見に行きたいです。
小倉城
2019年2月17日
続10城目(41城目)
今日が北九州マラソンの日で城周辺が騒がしかった。
天守閣はバランスが絶妙で緑色に見える鯱がとても似合っていて復元だけどとてもよい。
天守閣には入れず、スタンプ設置所の庭園に行きました。
常設展が日本の習慣や礼儀についてで、特別展は江戸時代の女性についてだった。常設はいまいち印象に残らなかったが、特別はたくさん浮世絵が見れて満足。常設も特別も城の歴史とは関係なかった。小倉藩主の小笠原氏流礼儀作法については常設に1つあった。
ただ、小倉城の絶景スポットがあり、松の木の背後に映える小倉城はとても綺麗でたくさん写真をとった。
庭園は江戸時代の一般的な大名の庭園のレイアウトらしい。小さかったのですぐに見終わった。
こちらも工事終わったら天守閣に行きたいです。

次は特急ソニックで大野城へ

2020/12/26再訪
前回は工事中で入れず、天守閣は初登城
城下町の模型や、細川家・小笠原家の人物紹介が展示されていました
巌流島が小倉藩領で、武蔵・小次郎ともに小倉藩に関係がある人物というのは初めて知りました
大野城
2019年2月17日
32城目
百名城初タクシー宇美駅〜百間石垣1280円。今までの山城よりずっとハードな山だった。
百間石垣は唐沢山城のようだった。1350年も前に急峻な山を切りさいて高石垣を築いた技術に感心。
その後、北石垣に行こうとするも案内がなく迷う。
北石垣への道は急で滑落しそうになった。離れた位置からしか石垣を見れず。
この時点で当初の計画から遅れ、小石垣は北石垣よりもちっぽけそうなのでパス。
主城原礎石群を通り県民の森センターに向かう。主城原が城のメインっぽいので見てまわったが、全ては見れなかった。
センターでは瓦などが展示されていた。帰路に寄った大石垣は百間ほどではないが見応えあり。

結局、石垣は5つ中、百間・北・大石垣の3つ、礎石群は7つ中、主城原・増長天の2つしか行けず。
地図の100mでも実際は急斜面100mなので要注意。
因みに城のある四王寺山という名前から4つ天という名前の付く礎石群があります。

百間石垣から大石垣、国分寺経由で水城駅まで帰る。大野城で10km、2日間で15kmは歩いたはず。
中城城
2019年3月12日
33城目
沖縄旅行1日目最初の城
羽田〜那覇
9:20到着後観光タクシーで登城
石垣が頑丈過ぎて日本軍が陣地を作れず、戦禍を免れた城で、野面積と布積とあいかた積の全てを見られる希少な城でもある
西の郭の階段は左右で段差が意図的に食い違っており、他に例がなく目的も不明だそうです
一の郭は石垣の積直しをしていた
二の郭は曲線美のある立派な石垣が見られる
石垣の上から東シナ海と太平洋が見られ、軍事上重要な拠点なのも納得した
三の郭の下にある裏門付近は布積とあいかた積が同時に見られ、ガイドさんが最も芸術性が高い所と言っていた
北の郭は水源が豊富で護佐丸が新築した場所だそうです
また、至るところで見られるアーチ状の門は黄金比に近似しているそうです
ペリーの使節が描いた絵画と一致する場所が残っていて面白い
勝連城
2019年3月12日
続11城目
沖縄旅行1日目中城城の登城後
本日2城目
小高い山全体がお城となっており迫力がある
麓から三の曲輪への道が急斜面だった
廃城後も信仰の対象となっていたこともあり、一の曲輪や二の曲輪には礎石や拝所も多く残っている
琉球王朝の城は宗教施設としての側面も強いと実感しました
座喜味城
2019年3月12日
続12城目
沖縄旅行1日目勝連城登城後
本日3城目
`続`百名城ということもあり、残っている郭は2つほどでかなり小規模だった
それでもアーチ状の門や石垣は立派で新郎新婦の写真撮影が行われていた
二の郭に敵を陥れるための行き止まりの空間が作られていて軍事上の工夫がわかった
今帰仁城
2019年3月13日
34城目
沖縄旅行2日目
美ら海水族館の後に登城
この城でも綺麗な曲線の石垣を見ることができた
中城城と同じように御内原と呼ばれる男性の立ち入りが禁止された高貴な女性の居住区がある
至るところに拝所や男性禁止の区域があるのが本土の城と違う所だと感じました
郭がたくさんあり、城壁も1.5kmにも及ぶ
御内原から見た大隅(ウーシミ)の城壁は万里の長城に似ていた
首里城
2019年3月14日
35城目
沖縄旅行3日目
これまでの4城は石垣のみで建物はなかったが首里城は建物が多く復元されている
曲線の石垣と建物が上手く組合わさって調和していて綺麗だった
鯱の代わりに龍が屋根にいる
備中高松城
2019年3月19日
続13城目
岡山旅行1日目
小雨の中で登城
スタンプがある博物館に行くと水攻めの様子がよく分かる模型があった
3kmの堤防を築き足守川の水で高松城を囲った様子がわかった
水田の区画が曲がっているのも堤防の名残だそうです
堤防跡も見に行ったが高かった
城跡公園は蓮の枯れ草がたくさんある湿地帯で小雨で水攻めって感じがしました
秀吉が腰かけたという太閤岩は山の上だったので行く時間がなかった
鬼ノ城
2019年3月19日
36城目
旅行1日目の2城目
総社駅前のレンタサイクルを利用
非電動だとビジターセンターまで1.5kmほど急斜面を押して歩かなければならない
城内はフルコースで2.5時間くらいかかった
景色がとても良かった
排水施設の水門から水が流れていたり西門が復原されていたりして当時の様子がよくわかる
屏風折れの石垣など城内は巨岩がたくさんある
1500年近く前にこんなところによく築城したなと感心しました
夕焼けに照らされている西門はとても綺麗でした
福山城
2019年3月20日
37城目
旅行2日目の1城目
天守閣などいくつか建物があるが現存は伏見櫓と筋鉄御門で、伏見城から移築されたこともあり、他の建物と雰囲気が違うと感じる
安土桃山の壮麗という感じがした
天守閣内は博物館で上の階に行くほど時代が遡るので上から見た方が良かったかも
福山藩は水野家と阿部家が治めていた歴史があり、日米和親条約締結に携わった阿部正弘の展示が多かった
新幹線のホームから見える城の南側はたくさん建物があるが、北側は天守の礎石と水野勝成像があるくらいだった
三原城と新高山城に行った帰りに寄ったらライトアップされていて綺麗でした
次回行く時は草戸千軒町を復原した隣の県立博物館に行きたい
三原城
2019年3月20日
続14城目
本日2城目
三原駅の目の前が港で風が強かった
みはら歴史館でスタンプと地図を貰い、市立歴史民俗資料館にも行った
江戸時代の三原の復元模型では海城の様子がよくわかる
浅野家が江戸時代殆どの期間三原を治めてていたけれど、歴史館の展示は三原の基礎を作った小早川隆景関連のものばかりだった
小田原(湯河原)の早川荘出身であることから小早川を名乗ったことが分かりました
続百名城の石垣山城最寄り駅の早川(小田原駅の隣)辺りなんでしょう
三原城内が開発されたため、歩いていると色々なところで高石垣に遭遇しました
本丸中門跡の石垣は公民館と、船入櫓跡石垣はアパートとくっついていました
駅の下まで石垣があり、天守台はとても大きかったが、一度も天守閣は建築されなかったとか
天守台のお堀にカピバラみたいなのがいて雑草食べてた
新高山城
2019年3月20日
続15城目
本日3城目
登山口から10分歩くと鐘の段や番所跡に着く
番所の先の匡真寺は隆景が父母のために建てた寺で瓦がたくさん残っていた
貴重な文化財をこんなに無造作に扱って良いものなのか‥‥
本丸跡は数段あり礎石が残っていた
一番の見所は、詰の丸で、沼田川対岸の高山城が見えて景色も良い
また、音声ガイドがあり、石像物や矢穴のある巨石も多く残っている
釣井の段には井戸跡が6つくらい残っていた
中の丸を挟んで本丸の反対にある西の丸などは広くてどこまで縄張りなのかよく分からなかった
岡山城
2019年3月21日
38城目
旅行3日目1城目
駅から旭川沿いに歩くと見えてくる
北と東が旭川、南と西に堀があって防衛力高い
天守閣は見る方向によって印象が全く異なるが後楽園から見る天守閣がどっしり構えていて良い
建物では月見櫓が現存するのみ
宇喜多秀家が築いた石垣は地下に降りて見れる
天守閣内は博物館で宇喜多家の展示が多かった
五大老の一人であることぐらいしか知らなかったが、その後流刑で長生きしていたことなど色々知れた


2019/11/21
出張の際に2回目の登場で再発見がありました
後楽園側に橋で渡るとライトアップされた天守が川面にくっきり映り幻想的だった
ホテルに戻る際に駐車場の奥に西手櫓があり、道路に石山門跡の大きな石垣がありました
大きな城は複数回訪れないと見つけられないスポットがたくさんあると思いました。
備中松山城
2019年3月21日
39城目
本日2城目
駅の電動レンタサイクルならシャトルバス乗り場まで行けます
非電動だと無理
高梁郷土資料館に寄り道したら松山城の模型や江戸時代の商家と農家の復元が見れた
高梁市は煙草生産が盛んだったらしい
天守閣に行くまでにも現存の土塀や高い石垣など見所がたくさんあった
天守閣は小さいが中には補修で取り替えた部品などが展示されていた
天守閣の裏にも門や櫓があった
有名な野良猫にも会えた
川越城
2019年3月31日
40城目
現存する2つの本丸御殿のうちの1つ
10分で一通り見れる
長い廊下があり、いくつかの部屋に分けられていて、学校として利用されていたことから天井にはバレーボールの跡が何ヵ所もあった
隣に移築された家老詰所から庭園が見える
道路の反対にある市立博物館は川越の歴史が原始から展示されている
石垣山城
2019年4月21日
続16城目
小田原駅から運動不足解消のため徒歩で50分
鎧塚ファームにたくさんミカンの試食があったため水分補給に使えた
鎧塚の駐車場には矢穴や刻印がある石垣が置いてあった
城の遺構部分の範囲は大きくなく、すぐに本丸まで行ける
展望台からは小田原城が見えました
本丸からの帰り道は南曲輪の下を通ってみたが、高石垣が20メートル程連なっていて城内でも一番綺麗に残っている
観音寺城
2019年5月4日
41城目
パンフレットなかったので300円のガイドブックを買って登城
ひたすら石段を上がって寺に着くと通行料300円取られた
寺の本堂は南北朝時代から現存しているらしく質素な雰囲気だった

ルートは木村丸行き、観音正寺行き、目賀田丸行きの3つがあり全部回ると1日かかりそうだったので今回は木村丸をゴールとするルートにしました

最初に喰い違い虎口の本丸裏に着きます
江戸時代の絵図によれば本丸とされているが更に上に郭があるため本丸か疑わしいため伝本丸と呼ばれている
本丸から平井丸に行く途中にも石垣が残っていた
平井氏の屋敷があったらしいが墓がいくつもあった
平井丸の虎口は100名城のガイドブックに載っている立派な石垣が残っている
信長がいた頃に作られたままの姿を残していると思うと感慨深くてしばらく眺めていました
池田丸を抜けると眺めの良い断崖の上に出ます
大きな岩や石垣がたくさんで迫力がありました
更に先に進むと木村丸という曲輪に着きます
ここには埋門というトンネルが残っていました

戦国時代最大規模の山城とあって全体を巡るのは困難だった
安土城
2019年5月5日
42城目
信長の館と考古博物館に行ってから登城
信長の館には博覧会で出した原寸の天主閣があった
展示から南蛮文化の要素が感じられる
城跡の方は豊臣や前田など凄まじいメンツの屋敷が大手道沿いにあって信長の権威が伝わってくる
大手道の石段には石仏も使われていた
門跡の石垣や本丸跡の礎石の大きさは圧巻でした
八幡山城
2019年5月5日
続17城目
一周30分程度のハイキングコース
城跡の見所はよく残っている高石垣と景色
西の丸から琵琶湖が一望でき、北の丸からは観音寺山と安土山が見える
城跡の中核に瑞龍寺があり、御城印300円でゲット
鬼に金棒という感じで急峻な山に高石垣まで作っているがそこまで高石垣が必要なんだろうか
彦根城
2019年5月5日
43城目
GWで天守閣は60分待ちなので周りから攻めることに
開国記念館はガラガラだったがスタンプ押せてお城カードも販売しているので必須
修築前の本物の鯱も展示されていた
玄宮園にも行ったが天守閣が庭園と組み合わさり写真映えする
西の丸三重櫓は小谷城の天守を移したものだそうです
また、長浜城の大手門だった天秤櫓は左右対称で高石垣でとても見ごたえがありました
石垣は左と右で積んだ時代が異なり工法も異なる
天守も大津城のものだったらしい
唐破風が象徴的でした
開国記念館の隣の多聞櫓や駐車場脇の馬屋も現存してるものであり価値のある文化財がたくさんありました
八王子城
2019年6月25日
44城目
行きは登りなのでバス使うべし
ガイダンス施設で地図とスタンプとポストカードを入手
管理センターを下ると居館、上ると要塞になっている
居館には当時から残る石垣が見られたりスタンプのモチーフの曳橋がある(史実とは関係ない模様)
石垣の先の虎口を抜けると御主殿の滝まで見に行ける
関東屈指の心霊スポットらしいがバードウォッチングの人が結構いて騒がしかった
居館の方はゆっくり見て50分ほどだった
要塞はほぼ山登りで本丸まで40分ほど、途中に3つ曲輪があった
本丸、松木曲輪(二ノ曲輪)、小宮曲輪(三ノ曲輪)は他の山城よりも規模が小さいことからも、少数での籠城に備えた構造なのがよくわかった
麓に氏邦の墓がありました
沼田城
2019年8月11日
続18城目
日帰り18きっぷ1回目
11:30沼田着
駅からは滝坂という短縮ルートがあり段丘を実感できるのでおすすめです
日本一美しい河岸段丘の城と宣伝してるだけあって駅から城まで段丘の急な坂がはっきりわかる
沼田城に行くことで初めて段丘というものを実感できた
城内で石垣が残ってるのは2箇所しかなく建物は一つも残ってない
本丸堀跡の石垣と西櫓跡地の石垣は真田時代のものらしいが綺麗に残っていた
鐘楼は近年建てられたものだが中の鐘は真田時代からあったらしい
リニューアルした沼田歴史資料館は時間がなくて行けなかった(沼田城の案内所に割引券がある210円→100円)
11:30沼田着からの13:55沼田発で名胡桃城へ
名胡桃城
2019年8月11日
続19城目
14:00後閑着
行きは休みながら50分近くかかった
ガイダンス施設で7分半のDVDを見て、展示はガイドさんに説明して貰った
短期間の勢力分布の変化が図示されていて、武田上杉北条真田が奪い合う重要な地域なのがよくわかった
史跡もガイドさんから説明を受けた
真田丸に合わせて整備されたそうで連郭式の端から端まで容易に行ける(15分ほど)
二郭では排水設備や枡形虎口の原型である喰違虎口がわかりやすく再現されていた
ガイドさん曰く、
二・三郭はもともと農地だったが
本郭、ささ郭は深い空堀で隔離され、農地整備されなかったことで往時の姿がよく残っているとのこと
ささ郭は土塁が綺麗に残っていた
本郭の名胡桃城の石碑は徳富蘇峰の筆跡で近くの富士山という山の岩を使って作られたそうです
根室半島チャシ跡群
2019年8月14日
45城目
北海道・北東北4泊5日の初日
羽田8:00〜釧路9:40〜釧路湿原
釧路13:25〜根室15:56
駅から観光タクシーで根室半島を1周案内して貰いました
見学可能なチャシはノツカマフとヲンネモトの2箇所のみ
そもそもチャシは岬や海岸段丘等の先端に壕を巡らす程度の簡素な構造で見学時間はほとんどかからない
ノツカマフ1号は深い壕、未完成(?)の2号は浅い壕になっている
草が繁っていて分かりにくいが壕は綺麗に残っていた
ヲンネモトは盛土がなされ、人工的に造られたとはっきりわかる地形になっている
半円状の壕が2つ組み合わされており、深く急斜面だが先端まで登って行ける
宗教的な目的もあったとのことで展望はとてもよかった
帰りに納沙布岬を見学
北方領土が見えた

100名城で最難関と言われるチャシですが根室駅で観光タクシーを使うと他の名所と共に効率よく巡れて良いです
上ノ国勝山館
2019年8月15日
続20城目
2日目1城目
木古内から観光タクシー
ガイダンス施設のある搦め手の山上から麓まで散策路があり周りやすい
ガイダンス施設は7世紀の中国銭などの発掘物や蛎崎家関連の展示が中心だった
施設を出るとすぐに夷王山墳墓群という和人とアイヌの墓が大量にあった
勝山館では祭祀関係の(?)アイヌと和人が共同生活していたことを示す貴重な遺跡だそうです
本丸に相当する曲輪は深い堀に囲まれていた
曲輪内には住居がある一方で鍛冶工房や馬屋や櫓門などの跡があり生活兼要塞の役目があったことが伺える
大手空堀は大規模で防衛力が高いことが分かる
二の曲輪では山麓に広がる海がとても綺麗に見える
20分ほどで山麓に着き、次は松前城へ
松前城
2019年8月15日
46城目
2日目2城目
上ノ国勝山館から移動
駐車場付近に砲台跡があった
最北の天守は博物館になっており、思ったより小さかった
天守の石垣は綺麗に加工されている布積だったが、戊辰戦争の砲弾跡がいくつも残っていた
天守と本丸御門がセットでバランスよく撮影できます
本丸の隅にある本丸御殿の玄関は寛永の火事の後に伏見城から移築されたもので昭和中期まで松城小学校の玄関として使われていたらしいです
五稜郭
2019年8月16日
47城目
旅行3日目
五稜郭付近のホテルで宿泊
函館朝市の後に登城
タワーに登らないと星形はわからない
戊辰戦争150周年のイベントをタワーでやっていた
展示で築城から箱館戦争終結まで学べるのでおすすめです
スタンプは城内の箱館奉行所付近の喫茶店で押しました
建物では奉行所と唯一現存してる兵糧庫が見所
兵糧庫は大正時代から博物館だったようで、小さく目立たないが展示が充実しているのでおすすめです
幕末の欧米から来たJAPANと記されている酒瓶や新政府軍の戦艦朝陽の一部が置いてあった
五稜郭の地中に埋められた木製の上水道も展示してあり興味深い
城内への侵入を防ぐための半月堡や三方面に石垣がある隠れ土塁など特殊な設備もあって国の特別史跡の凄さを感じた
志苔館
2019年8月16日
続21城目
五稜郭の後に登城
志海苔バス停から3分ほど
郭外に大きな空堀があり
土塁に囲まれた郭内には井戸と建物跡3〜4つと柵跡2つの礎石が並んでいる
三方向が空堀に囲まれ一方向は海に面している
郭内は整備されておらず草の丈が長いため虫が足について気持ち悪かった
郭内を囲う土塁の上を一周すると函館の港や外堀が見渡せる
眺めは良く短時間で見学できるが物足りない
一見すると草野球場のようだった
せっかく大雨の中行ったが期待外れ
弘前城
2019年8月17日
48城目
旅行4日目(弘前泊)
三の丸追手門から入って二の丸南門→北の郭→本丸というルートで巡りました
三の丸外の水堀は石垣ではなく土塁で囲まれていて中世っぽかった
三の丸の弘前市立博物館にねぷたの展示がありました
起源は眠気覚ましだったらしいです
また、当初は人形を用いていたのが明治維新の弘前藩解体によって藩士が貧しくなったため
節約で明治時代から今の団扇に変わったらしいです
天守に加えて3つの櫓と5つの門が現存しているようです
櫓は南門の両サイドと二の丸北側にあり3階建で外見もほとんど同じでした
方角によって辰巳、未申、丑寅と呼ばれています
城門は追手門に加えて北と南、東門×2が現存していてどれも装飾が少なく質素な感じだった
雪国なので本瓦から銅瓦に葺き替えたらしい
北門は参勤交代が始まる前の大手門だったこともあり一番大きい
天守は石垣の補強のため100年ぶりに場所を移動している
天守内で土台から切り離して移動する工事の展示があった
本来の場所に天守がない弘前城を見れるのは今だけなのである意味ラッキーだったかも

次は奥羽線で浪岡城へ
浪岡城
2019年8月17日
続22城目
駅前あぴねすで無料レンタサイクルを利用
中世の館という博物館で南部氏の歴史を知る
博物館も城も誰もおらず貸切状態だった
散策マップが置いてあり散策コースが決まっているので迷うことなく30分ほどで1周できる
休憩所から猿楽館の脇を通って散策開始しました
東館から屋敷のある北館への通路は両脇が堀になっており侵入者を攻撃できる仕組みになっている
北館は無数の屋敷跡や井戸があり生活の場でもあったことがわかる
また、西館の脇の通路から内館に渡る木橋は坂虎口になっていた
城主がいた内館は高地で眺望よく家臣のいる北館などがよく見える
城というより、武士の生活場所兼防御施設であり中世の砦という感じでよかった
道路の向こうの新館はトラックが入っていてセメントの発掘場所みたいになっていた
たまたま浪岡のねぷた祭のねぷたを駅前で見れてラッキーだった
根城
2019年8月18日
49城目
5日目
根城に直接行くバスは少ないので根城大橋を通るバスを使うと良いです
八戸市立博物館でスタンプ押印
八戸の歴史と南部氏の展示が中心で南部氏は甲斐源氏の末裔だとわかりました
博物館から本丸に向かうときに八戸城の移築門をくぐれます
根城にあったものを八戸城に移した門らしいです
門から本丸までの通路は建物などが残っていませんが、V字堀が見所でした
後世に整備されたものでしょうが空堀水堀などの規模が大きかったです
本丸は主殿を中心にいろいろな建物が復元されていました
中世城郭の復元は珍しく当初は話題になったらしいです
主殿は2つの最終候補から選出され、漏れた方の模型もありました
本丸には執政のための主殿に加えて生活場所の常御殿、奥殿がありました
また来客用、昼用、夜用の馬屋があったり鍛冶工房、衣類倉庫の板蔵など、当時の生活の様子が想像できる設備がたくさんありました
帰りはバスを逃して30分歩きました
新幹線で二戸へ
九戸城
2019年8月18日
続23城目
八戸から新幹線
300円で自転車を借り埋蔵文化財センターに行きました
入館料50円で解説ビデオが見れてとても良い
全国統一した秀吉に対し九戸政実が蜂起したが、難攻不落のため5万の大軍でも鎮圧できず、秀吉が和睦と騙して九戸方の兵士を二の丸に集めて皆殺しにした舞台らしい
沼田城のような急峻な河岸段丘上に位置している
三の丸のガイドハウスから石沢館を経由して搦め手側から入りました
二の丸搦め手のところに荒城の月の石碑がありました
土井晩翠がりんご狩りで立ちよったらしいです
二の丸から本丸への通路には喰い違いの枡形虎口が急な堀とともに綺麗に残っており
本丸の石垣に登ることができ、そこから喰い違い虎口の様子がはっきり見えます
若狭館と松の丸は本丸群から離れていて入口がわからなかった
なお本丸と二の丸と松の丸の現在の姿は蒲生氏郷に改築された福岡城だそうです

次は新幹線で盛岡へ
盛岡城
2019年8月18日
50城目
5日目の3城目
300円で歴史博物館に入りスタンプゲット
ここで19時まで荷物を預かってもらえる
妖怪の企画展は面白かった

登城ルートで神社脇の三の丸から行くと烏帽子岩という巨大な岩があった
二の丸や本丸は高石垣に囲まれていて見事でした
石垣が崩れないように二重に石垣を配置してる場所もあった
建物は残っていないが改築時期ごとに異なる高石垣が綺麗な城でした
土浦城
2019年9月1日
続24城目
18きっぷ5回目
8:41土浦着
始めに市立博物館に行きました
城までの道は城下町特有の直進できない道が残っていました
土浦藩は250年くらい土屋家が治めていて、その家宝が展示の中心でした
将軍などから寄贈された刀や茶道具がたくさんありました
かつては東櫓に保管されていたそうです
2階は霞ヶ浦地方の展示でした
土浦では世界地理の研究をする学者がいたようで江戸時代の世界地図がありました
亜弗利加(アフリカ)などの当て字だらけで見ていて面白かった

東櫓は博物館の付属施設として入ることができ、台風で取り壊される前の西櫓の鯱が展示されていた
西櫓と東櫓の礎石は当時のものを使用しており、むき出しになっていました
太鼓櫓とも呼ばれる櫓門は現存しており本瓦葺きで素朴な感じだった
石垣はなかったが土塁や水堀で囲まれていて亀や鯉がたくさんいた
笠間城
2019年9月1日
続25城目
12:26笠間着
駅前に電動レンタサイクルを借りました
結果的に借りて大正解でした
大手道と天守台の2ヵ所が倒木で通行できないとのことでしたが普通に通行できました
本丸は巨大な土塁があり、天守台は巨石を組んで石垣としています
関東では少ない石垣でしたが見ごたえのある石垣です
城内は遺構が少なく、見所は天守台と土塁くらいだと思います
大手道には大黒石という巨石があったり大手門裏に石垣が残っているので、こちらのルートがおすすめです
建物は八幡台櫓と城門2つが現存しています
八幡台櫓はガソリンスタンド裏の寺にあります
櫓がそのまま寺院に転用されているのは初めて見ました
石段を登って接近でき、屋根瓦までよく見れます
城門は個人宅に点在していました
2つとも瓜二つです
家の門ですが市指定文化財の石碑が隣に置いてあります
帰りは笠間稲荷に参拝しました

大手道ルートは坂道なので電動で大正解でした
また城門は城から離れたところにあるので自転車が必須です(城門の場所は井筒屋で教えて貰えます)
引田城
2019年10月10日
続26城目
サンライズで東京から高松まで行き特急を乗り継ぐ
公民館で地図を入手し海岸線に沿って行くと風が心地よい
よく書かれていますが、とにかく蜘蛛の巣が多い
散策路の低いところには少ないが身長170を越えている人は頭上要注意です
港側登山口から攻めると最初に本丸の石垣にたどり着く(ここが2番目に目玉の場所である)
案内には天守台とあるが跡はなかった
本丸から下ったところの湿地が化粧池で、下に高石垣があるが道が整備されてなく滑落しそうなので注意
最大の見所は北二の丸で唐沢山城のような高石垣が広がっている
上段は崩落のためブルーシートで覆われていたが下段は見れる
東の丸や大手門は大きな岩がゴロゴロしてるだけで石垣は散策路では確認できない
誉田神社や古い街並みなど城下にも見所は多い
かめびし屋という醤油店は江戸時代から続く製法を唯一受け継いでるらしく試食もたくさんできた
勝瑞城
2019年10月10日
続27城目
引田から高徳線にて
阿波三好氏の本拠
城跡と館跡があり、規模としては館跡の方が圧倒的に大きい
館跡にスタンプ設置の展示施設がある
100万点も発掘物が見つかっており勝瑞が阿波の中心地であったことがよくわかった
館跡は製鉄関連の工場があった場所で今は公園みたいになっている
当時のものとして枯山水庭園の景石が12個見ることができた
調査のために国有化されたらしくまだまだ調査段階であった
城跡は見性寺の境内になっていて三好家の供養塔があった
土塁と水堀が部分的に残っており城跡の面影はある
一宮城
2019年10月11日
続28城目
徳島駅でのバス乗り場は案内所の小屋の目の前でした
バスを降りると目の前が登城口になっています
暫く石段を登ると倉庫跡と地図にない曲輪がありました
本丸に行くまでに2つ曲輪があります
1つ目は才蔵丸と呼ばれ虎口前の堀切が見事です
曲輪内は屋根付の広いテーブルがあるのみでした
もう1つは明神丸と呼ばれ展望台があり鮎喰川や徳島市街地を見ることができ周辺の地形がよくわかる眺望の良い場所でした
本丸の天守台は突然現れます
野面積で阿波地方独特の岩のようです
天守台の奥に行くと道もかなり悪くなって来ます
小倉丸は土塁と櫓台が残っていますが足元が枯れ草だらけで歩くのが大変でした
椎ノ丸と水ノ手丸は大量の枯れ草が残るのみでした
蔭の滝は鎖伝いに歩くとすぐに見えて来ますが滝というほど大したものではありませんでした
滝の周辺は貯水池や堤の跡もあり湿地が広がっていました
バス待ちで重文の一宮神社の本殿を見ました
また城の管理団体の方に城内と麓で会えました
今年で7000部もパンフレットを作ったそうです
徳島城
2019年10月11日
51城目
一宮城の後いのたにという有名な徳島ラーメンを食べてから登城
徳島城博物館に入ると表御殿の庭園にも入れる
全長10mの巨大な青石(緑泥片岩)が橋として使用されていたりと見事だった
城は建物こそ残っていないものの鷲の門が復元されていた
石垣は蜂須賀家が一宮城から移ってきて築いた城らしく一宮城と似ていた
阿波独特の青みがかった石垣が特徴的です
また見つけるのに苦労しましたが、全国的に珍しい舌岩も残っていました
城の壁面に登ってきた敵を撃つための構築物を支える石垣です
東ノ丸と西ノ丸と本丸まで登ると大規模な石垣や巨大な岩を見ることができます
西ノ丸の岩は特に大きなものがつかわれていました
天守は本丸ではなく東二の丸に碑がありました
平地部分だと見るところが少ないので、ぜひ本丸まで登ってみるのが良いと思います
丸亀城
2019年10月12日
52城目
高松泊で朝に電車移動
駅前の大通りから歩いて行くと正面に三重の高石垣の上にそびえる天守が現れるのが圧巻です
丸亀城は現存天守を有するだけでなく石垣の名城と呼ばれているだけある
一の門と二の門を越え、見返り坂という急坂を登ると三の丸に着く
三の丸からは瀬戸内海と高石垣を同時に見ることができる
二の丸は草むらの状態だがいわくつきの井戸が残っている
大手道の裏に行くと天守を綺麗に撮れる穴場がありました
二の丸と本丸の間の石垣には◯の刻印が見える
天守閣は3階まであって小さかったが3階からは城下と瀬戸内海を一望できた
市立資料館の常設展は丸亀城と藩の展示が中心で無料で入れました
丸亀と言えばうどんですが、港の近くの綿谷が一番人気のようです
安くて量が多く美味しいのでたくさん人がいました
高松城
2019年10月12日
53城目
丸亀より移動
公園のようになっており300円払わないと城内を散策できない
見どころの建物は月見櫓と艮櫓です
月見櫓は船が着いたのを見る櫓であったため海岸に面しています
今は道路が櫓と海岸の間を通ているが昔は海に直接面していたようです
城外の道路から見ると水手御門と渡櫓と連結した姿を至近距離で見ることができおすすめです
艮櫓は琴電の線路に近く電車とセットで撮影できました
天守台は他の曲輪から独立して存在し鞘橋を渡っていきました
天守台からの眺めはよかったです
このほかにも城内では昭和天皇が植えた松が残る庭園や取り壊されるまで使用されていた鯱のある資料館などの施設があったり、布積の高石垣や埋門、鯛の餌やり場などがあり見どころの多かったです
岸和田城
2019年10月13日
続29城目
東岸和田から徒歩で
岸と呼ばれた場所に和田氏が土着して岸和田になったそうです
駅から歩くとだんじりの山車がある岸城神社に着きます
天守は博物館になっていてボランティアのお年寄りの方が解説してくれました
昔の岸和田城の屏風があり、天守は望楼型になっており現在の姿とは違っています
藩主岡部家の統治は明治まで続き学徒出陣を決定した文部大臣になったそうです
本丸には八陣の庭という石の庭園が造られています
地上で見ると綺麗だが天守から見ると日本庭園という感じではないです
築城時から打込接ぎの石垣は残っており
本丸と二ノ丸を囲む百間堀と呼ばれるお堀は広くて立派でした
帰りの東岸和田駅前でもだんじり祭やってました
紀州路快速で和歌山へ
和歌山城
2019年10月13日
54城目
城下の井手商店という一番人気のラーメン店に行ってから和歌山市駅まで電車で移動して歴史館からスタート
ここの1階は本丸の売店より品揃え良くおすすめです
天守の入城券があれば歴史館に入ることができますが、歴史館でも天守閣入城券は買えます
展示は簡潔で分かりやすく、紀伊は1585年に秀吉に制圧されるまで雑賀衆の自治が続いていたなどと大まかな地元の歴史がわかりました
歴史館の近くの西ノ丸庭園は広くて立派でした
庭園から急な裏坂を登ると連立式天守閣が現れます
本丸御殿跡から綺麗に天守閣を撮れます
天守閣の中は史料館になっていて戦国期の武具から幕末の鉄砲まで貴重な史料が多くあったが、時代や家ごとに分けることなく1階から3階までバラバラに展示されていて分かりにくい
天守閣最上階は外を周ることができ、縁が青緑色に装飾された屋根が近くで見れます
連立式で渡櫓が長く出口までが遠かったです
本丸以外での見所は赤い追廻門と大手門と唯一現存する岡口門です
岡口門はかつての大手門だったこともあり天守閣が正面に見えて綺麗な写真が撮れます
大垣城
2019年10月14日
続30城目
建物の遺構はないが焼失前の姿にそっくりな天守閣と櫓×2がある
天守閣の中は関ヶ原の戦いの展示が秀吉死去から決着がつくまでの説明がわかりやすくてよかった
4は不吉な数字だったので4階建て天守というのも珍しいそうです
家康の作戦に引っかからずに関ヶ原の野戦ではなく福島家の清洲を西軍が攻撃していたらもう少し勝機はあったらしい
城跡は本丸しか残ってなくて小さいが東西南の総門の場所をまわってみたら相当大きな規模であったことがわかる
城下には奥の細道の結びの地を記念した博物館があったり文久創業の和菓子屋餅惣があったり見所が多い
また水の都をキャッチフレーズにしてるらしく、郷土館に飲める湧水があったり船の燈台が残っていた
竹田城
2019年11月23日
55城目
和田山で延泊し、5:20始発で竹田へ

まだ真っ暗で駅裏登城道は危なかったが、料金所についた時には明るくなっていた
6:20頃に料金所に着いたが、大勢の人がいました
北千畳から、三の丸、二の丸、本丸、南二の丸、南千畳と巡回路があります
幸運にも雲海がたくさん出ていて立雲峡の山の頂上が雲海から出ていて幻想的でした
北千畳からの眺めがよかったです
また天守台にはたくさん人がいて日の出の瞬間を撮影していました
6:55頃、日の出の瞬間を撮影に成功
天守台から南千畳側を見ると、雲海の中で階段状に高石垣の曲輪が位置し綺麗でした

下山した後は、山城の郷、天空の城情報館、寺町通りなどを巡りました
山城の郷は車で来た人向け、情報館は電車で来た人向けのようで、竹田城グッズはどちらも同じものばかりです

なお利用した和田山のビジネスホテル好日(夕方に出石から戻った際、預けた荷物を駅まで届けてくれる神対応をして頂きました)では、2000円で5:05ホテル発の竹田城タクシーツアーを始めたようです
次回は立雲峡から見てみたいと思います

10:28竹田発で出石へ
出石城・有子山城
2019年11月23日
続31城目
11:12江原駅着からバス
バス停の近くに大きな石垣(西門跡)がありますが、看板が立てられ、史跡とは気づきませんでした

観光協会で押印後、地図を入手し登城開始
出石城は階段状に南北に曲輪が巡らされ、二の丸の東西に櫓があります
高石垣は見事です

続いて有子山城へ
クマ注意の看板がありましたが、人が多く安心しました

最初の500mは壁を登っているようでした
中間に達するとなだらかになり、井戸曲輪が現れます
7段の石垣からなり全国的に珍しいようです
どうして急斜面に造ったのか分かりませんが

主郭も階段状からなり本丸の石垣は高かったです
鯉のぼりがあり、出石の街をパノラマのように見れます

千畳敷に行く途中には但馬最大という大堀切がありました
経路は分かりにくく迷いましたが、広大な郭でした
広さも但馬最大らしい
住居跡の礎石などが多く残っているとのこと

下山の際には斜面で滑りました(行き45分帰り35分)
そのあと蜃気楼と内堀の見える、湖月堂というそば屋で出石そばを食べました

15:52発のバスで八鹿駅に向かい、帰京
米子城
2019年12月23日
続32城目
サンライズ出雲9:03米子

徒歩で山陰歴史館まで移動
戦国時代の伯耆の展示がわかりやすかった
ここで無料で荷物を預かってもらえた

城跡は三の丸が野球場、二の丸がテニスコートになっている
二の丸の裏御門跡(かつての大手門)から坂を上ると10分ほどで本丸まで着きます

天守台のすぐ下に巨大な四重櫓台跡もあり、天守と四重櫓があったころはたいそう立派なものだったのだろうと偲ばれます
四重櫓の石垣は江戸後期に改修されたようで、一部が江戸城天守台のように精巧な作りになっていた

また特殊な遺構として、尾根に沿って登り石垣という石垣が残っていました
朝鮮出兵のときに伝わったようです


12:39米子発のバスにて月山富田城前へ(200)
月山富田城
2019年12月23日
56城目
米子よりバス移動
城跡の最寄市立病院前には、米子・安来・荒島の3駅からバスが出ている
日中は荒島がバスと電車の接続がよい

博物館裏の登城口より攻城開始
山中鹿之助像のある太鼓壇やスタンプモチーフの花の壇、山中御殿までは難なく行ける
山中御殿は山麓の中心地だったようで、大手口、塩谷口、菅谷口の3経路が結集していた

山中御殿の先に本丸へ行く七曲坂があるが勾配が急でとてもきつい
一度も攻略されなかった山頂に着くと二の丸には鳥居、本丸には神社が建っていた
山頂の石垣も当時のまま現存しているようです
こんな急峻な山の山頂に立派な石垣を建設した当時の技術には驚きました

帰りには大土塁を見ながら堀尾吉晴の墓を訪問
松江城
2019年12月24日
57城目

松江駅から市バスで県庁前170円
城の北側に武家屋敷などがあるためそちらを見学してから本丸へ

お堀の内側には神社だけでなく普通の民家などもありました
天守はjaf割引で460円で入れます
ガラガラでした

戦略的な附櫓から地階に至り5階まであります
月山富田城から堀尾氏が転用したとされる「富」の字が刻まれた柱が展示されていました
天守の高さは姫路、松本に続き3番目の高さのようです

重さが分散するように柱が配置されていることが望楼型の高い天守を可能にしたことがわかり2015年に国宝指定されたようです
鳥取城
2019年12月24日
58城目

松江より18切符で移動し、ホテルで自転車を借りて山麓まで行きました
駅から山頂の石垣が見えます

山麓と山頂に史跡が分散しており、山麓は簡単ですが山頂まで行くのは大変でした
山麓には球状石垣の天球丸、幕末に築かれた登石垣などの珍しい史跡が残っています
また天守の役目を果たしたとされる二の丸三階櫓跡もありました

山頂までは中坂コースで30分強かかりました
三の丸、二の丸、本丸があり、本丸から日本海側を見ると鳥取砂丘が見えました
若桜鬼ケ城
2019年12月25日
続33城目

鳥取駅から若桜鉄道にて
若桜鉄道利用者は駅前の案内所で無料でレンタサイクルを借りられる

第一体育館裏の登山道より攻城開始
30分ほどで三の丸まで到着しました
三の丸入り口には石垣の枡形虎口が確認できます
階段状に二の丸、本丸と登っていくと天守台があります
天守台からは但馬への街道と播磨への街道の分かれ道をはっきりと見ることができ
この場所が交通の要衝であったことがよくわかります

馬場跡まで見に行き、帰りに六角石垣を見ました
六角石垣は他の石垣に比べて古い時代に作られ、破却されることなく完存しているため見どころでもあります
実際に六角形をしているかは確認できませんが、それでも大きな石垣でした

帰りの電車まで時間があるため、城下の百間石垣や資料館まで見てきました
福知山城
2019年12月26日
続34城目

明智光秀の居城だが堀などは残っておらず、敷地はとても小さかった
見どころは天守台石垣の転用石と本丸井戸
墓石など色んな人工物が石垣に組み込まれていた
井戸は50mの深さがある巨大なものです

建物としては銅門番所が天守前に移築されている
天守内は博物館になっていて明智の展示が中心だった
本能寺の変の原因説が無数に書かれていた

大河ドラマの主人公なのに城内はほぼ貸切状態だった
60分もあれば一通り見れる
天守は市役所駐車場からきれいに撮れます
篠山城
2019年12月26日
59城目
福知山から丹波路快速、篠山口からバス
二階町バス停の目の前に大手口と大書院の三角屋根が見えます
水堀を渡ると大書院のある二の丸と天守台のある本丸に入れます
藤堂高虎の築いた城で立派な石垣でした
天守台には天守が建つことはなく小さな隅櫓が建つだけだったようです
天守台からは猪肉で有名な丹波の山々がよく見えます
お堀の外には方形上の馬出が南と東に綺麗に残っていました

22/2/6再訪
4館共通券を利用
大書院:八上城の波多野氏が明智光秀により滅ぼされ、山陰道の要衝として家康の命で笠間の松平氏が築城。桓武朝で遷都の候補地であり、王地山という地名が付けられた
青山歴史村:港区の地名の由来である藩主青山氏の邸宅を資料館としていて、家紋の由来やデカンショ踊りについて展示されていた。藩校教育を重視しており、教科書の版木が沢山残っている
武家屋敷:通りと家門の間の犬走は、大火の後に火除けとして作られた
美術館:明治時代の木造裁判所を利用し、王地山焼や五街道の絵図が展示されていた
城下:築城時に移転した春日神社、青山家菩提寺の蟠龍庵、白壁の商家群など
岩村城
2019年12月27日
60城目(94城目)
名古屋から明智鉄道を乗り継ぎ
駅から続く古い街並みを見ながら太鼓櫓まで行けます
資料館を見学後、登山口より攻城開始
大手一ノ門からVRによる建物再現をスマホで見ることができ
VRを見ながら本丸までゆっくりと登ることができました
六段壁は補強のために下段まで石垣を追加した結果、現在の姿になったようです
本丸の数々の門跡や出丸まで色々なところにVR再現がありイメージを膨らませながら周遊できました
岩村藩医が長崎で学んだ製法で作られたカステーラ店や豪商の屋敷跡が城下町に多数ありました
城下町も見どころが多く、また行ってみたいと思います
吉田城
2019年12月28日
続35城目(95城目)
豊橋駅から徒歩で
三の丸、二の丸は野球場やテニスコートや美術館になっています
本丸付近には空堀や石垣も残っています
石垣には刻印も多く残っていました
本丸もかつては軍部の管轄下にあったようで陸軍の門跡などがありました
城跡の建物としては再建の鉄櫓があるのみです
鉄櫓のなかは博物館になっていて無料でしたが展示は充実しています
牧野氏が今橋を吉田と改めたことやかつての城の模型などが展示されています
また、櫓のすぐ隣を要塞として豊川が流れています
鉄櫓については、豊川を吉田大橋で渡り、河川敷に降りたところが良い撮影スポットになっています
浜松城
2019年12月28日
続36城目(96城目)
豊橋から東海道線で移動
駅から徒歩25分
お堀や土塁は残っていなかったが、小高い丘の上に高石垣と天守、天守門がある
天守に向かう途中の坂のところに2014年に発見された野面積みの石垣が当時のままでむき出しになっていた
また、天守門の鏡石や天守閣地下階の井戸など意外と史跡が残っている
天守の中は博物館になっていて火縄銃などが展示されていた
城主はめまぐるしく変わり、譜代の出世の登竜門でもあったらしい
新府城
2020年1月5日
続37城目(97城目)
18きっぷ5回目
9時過ぎに韮崎到着
ニコリで普通自転車200円を利用
韮崎駅から城跡までずっと登坂なので電動の方が絶対良いです
民俗資料館は1階に新府城の模型が2つあり、2階は古代の土器などが中心でした
資料館の外には朝ドラのロケ地の旧商家屋敷があります

城跡は散策路が整備されていて周りやすかったです
すり鉢状の井戸跡や大手馬出の三日月堀のような武田流城郭の特徴を確認できます
大手馬出では三日月堀の先に富士山が見えます
地元の有名な心霊スポットとあって、本丸は神社や長篠の合戦の慰霊碑が建っており、閑散としていました
釜無川の断崖絶壁や北側に広がる水堀も見事でした
二の丸の枡形虎口や東西の出構までゆっくりみて1時間半くらいです
帰路は、下り坂なのでペダルをほとんどこがずに済みます
勝頼に処刑された木曽義昌の墓がある光明寺が途中にあるので寄りました
帰りは進行方向正面に富士山が見えます
次は高島城のある上諏訪へ

2021/2/12
松本行きバスで通過した際、地名の由来通り、韮の葉のような舌状台地なのがよく見えた
高島城
2020年1月5日
続38城目(98城目)
韮崎から移動
駅の観光案内所で地図と城のパンフレットをもらえます
徒歩で15分ほど、途中にはお湯が沸き出ている場所がいくつもあります
スタンプは天守に入らないと押せません
300円のところ、JAF割で200円になります
高島は諏訪大社の神主でもある諏訪家が幕末まで治めていたこと、
屋敷を二の丸に置く一派と三の丸に置く一派との権力争いが絶えなかったことなど地元の歴史を知れて面白かったです
天守は寒さに弱い瓦葺きではなく&柿葺きになっていたようですが、今は瓦があります
城跡は公園になっていて庭園や護国神社や復元門が同じ敷地にあります
唯一現存する建物は、三の丸御殿裏門で、かつて諏訪湖と直結していた御川渡門の跡地に移築されている
諏訪の浮城とよばれるだけあって、昔は諏訪湖が天守の目の前に迫っていたのがよくわかりました
天守、冠木門、冠木橋をセットで撮れるスポットから綺麗な写真が撮れます
帰りは諏訪名物の味噌天丼を駅前で食べました
味が良くてとても高級感があって980円でした
都内のぼったくり飲食店とは大違いです
郡上八幡城
2020年2月22日
続39城目(99城目)
長良川鉄道と100円バスを乗り継ぎ登城
麓の山内一豊夫妻の銅像の上に天守がそびえています
城内には撮影スポットの看板があり良い写真がとれます
天守閣は大垣城をモチーフに戦前に建てられ、歩くとギシギシ鳴ります
内部は博物館で郡上一揆など郷土の展示が中心でした
本丸からは城下を一望でき、霧がかかっていて幻想的でした
人柱の供養塔や凌霜隊の慰霊碑があります
郡上の青山藩が会津の白虎隊とともに若松城で戦ったというのは知りませんでした
宝暦騒動や戊辰戦争など色々な場面で郡上八幡が関わっているのがよくわかりました
水の都とあって城下には水路が引かれて鯉が泳いでいました
美濃金山城
2020年2月23日
続40城目(100城目)
名鉄犬山8:22〜明智8:49
バス明智8:51〜城戸坂9:01
すぐに山城ミュージアムに着きます
評判通り森蘭丸推しが強い
東美濃、可児市、金山城の歴史が展示されており、展示量も多すぎず、よかったです
犬山城天守閣は金山城から移築されたという説は今では否定されていますが、金山城の復元模型では犬山城天守閣が本丸にあります

破城の痕跡と枡形虎口が見学ポイントとのことでそれを意識していざ城跡へ
急な坂を行くとまず出丸に着きます
大手道を逸れたところにある物見台からの景色や大堀切の断崖絶壁は見事です
大手道を進むと三の丸には破却された石垣が残っていました
算木積の角が崩れているそうだが崩れている程度にしかわかりません
二の丸と本丸の間には綺麗な大手枡形虎口が残っていました
右利きの防御が手薄になる左側を攻撃できるように右折になっているとのこと
本丸は天守台の石垣や礎石が残っており景色もとてもよかったです
本丸虎口は礎石から巨大な建物で覆われていたことがわかっているそうです
帰りは搦手道から下山し、途中でカモシカに遭遇しました
小牧山城
2020年2月23日
続41城目(101城目)
明智から移動
駅前大通りの正面に小牧山が見えます
山麓と山頂に博物館がありJAF割で60円でした
山麓の方は昨年新設され、博物館というより家族連れ向けのテーマパークという感じです
墨書きされた石垣が展示されていました
山頂本丸にある方は小牧・長久手の戦いの展示が充実していてとても面白い
原野だった小牧地方を信長が本拠とするために開発し(東美濃を攻略し岐阜を本拠としたため実現せず)、その後、小牧の戦いで徳川の陣地となり、江戸時代には宿場町として栄えたという地域の歴史がよく分かりました
信長が全国に先駆けて築城した初めての本格的な石垣を持つ城郭という点で歴史的価値は高いそうです
本丸には巨石がたくさんあり大規模な石垣が想像できます
観音洞、小牧神社など小牧山を一周して大手道を経由して下山しました
安土城と同様に大手道が直線で、道路向かいの市役所内まで大手道跡の直線が床に引かれているようです
搦手側には土塁の断面が展示されていました
近年、市役所や中学校が城跡から移転され発掘調査が進展しているそうで今後の発見に期待です
龍岡城
2020年8月20日
続42城目(102城目)
東信濃1日目
龍岡城駅から
途中に枡形虎口が現れる
西洋式郭と日本式虎口が融合しているのが感じられます
であいの館は築城者の松平乗謨の展示が多いです
展望台ルートの地図が置いてありました
城跡の見どころは、現存する御台所と石垣
大きさは体育館ほどで、太い柱が突き出ていた
石垣は武者返し、亀甲積み、排水口などが見事でした
この後、龍岡藩高札場、民家に移築された薬医門、重要文化財である新海神社の三重塔、蕃松院を見学し17時頃から展望台に向かう
登り序盤は月山富田城並みにハードだったが、無事に展望台から星型を見れて達成感がありました
帰りは田口城の石垣を見て下山

城下に文化財が沢山あるのに観光地化されておらず、自分以外に観光客がいなかった
独り占めできて大満足でした

参考)行動実績
9:01大宮ー10:57横川
荻野屋本店で昼食+碓氷関所見学
12:05横川ー14:10龍岡城
18:09龍岡城ー18:51小諸
→小諸泊

*在来線のため、横川で途中下車を満喫しつつ、安く済みました
上田城
2020年8月21日
61城目(103城目)
東信濃2日目
8:30から開いている上田城を先に攻城
開館前に城下の移築穀蔵と北国街道柳町通りを訪問
宿場町らしく古い町並みが見れました

二の丸の博物館の別館は立派なVRシネマがあるのでオススメです
続いて真田石のある東虎口門を通り眞田神社のある本丸へ
神社の横から現存の西櫓を間近で見れます
東虎口門の南北の櫓は遊郭に移築したものを再移築したもので、中から見学可能です
石落としがある実戦的遺構でした

3方を水堀で囲まれた本丸を一周した後、二の丸の北虎口に向かうと、堀を埋立てた競技場があり、百間堀と呼ばれた堀の規模がよく分かります
石樋も写真よりかなり大きいです
城南側の尼ケ淵は当時川が流れていた断崖絶壁で、防御力の高さを感じました
ここから断崖にそびえる西櫓と南櫓を撮影できます
二の丸空堀は、昔線路として使われており、駅跡もあります
続いて小諸へ

07:49小諸→08:10上田
13:15上田→13:32小諸
小諸城
2020年8月21日
62城目(104城目)
上田から移動
まず、駅北口の本陣跡と大手門を見学
街道は古い町並みで北国街道の宿場町の面影を感じられます
大手門は中も見学可能で、懐古園の割引券もあります
瓦葺屋根の先駆けで、小諸義塾や料亭として使われた歴史もあるようです
遊歩道で駅南口に向かうと三の門が現れます
門脇の草笛という有名な信州蕎麦屋で藤村蕎麦を頂きました

城跡は全域が懐古園になっており、400円で博物館4つに入れます
本丸へと大手道を上がると、道脇に門や曲輪の跡がいくつかありました
本丸と二の丸の間に大堀切があり、橋を外せば守れる態勢になっているようです
本丸は懐古神社があり、裏に天守台があります
野面積みの高石垣で眺望は良かったです
その後は鹿嶋神社や馬場、展望台など園内を一周しました
城や藩の展示をしている徴古館や小諸義塾の本館は面白かったが、島崎藤村と小山敬三の記念館は馴染みがなくイマイチでした
穴城と言っても、低い所にあると分かるのは三の丸の辺りだけです

17:30小諸発の終電でバスと在来線を乗り継ぎ、碓氷峠を越え、埼玉まで帰って来ました
米沢城
2020年10月24日
続43城目(105城目)
二本松から電車で移動
上杉博物館は370円で入れました(展示は充実しています)
景勝が会津から大量の家臣や職人を連れて米沢に移った結果、宅地不足になり、直江兼続の指揮で城下が急遽整備されたと分かりました
米沢城がテーマの企画展では、財政難で大手門が再建できなかったり、土塁の修繕費節約のため、お堀の鯉釣りを禁止する法令があったとか書いてありました
謙信の棺を掘り起こして春日山から米沢城に移して祀ったというのは知りませんでした

天守は設計されず、三階櫓2つと謙信公の霊廟があったようですが、今残っているのは堀と土塁くらいです
神社参拝後、謙信と藩主が埋葬されている上杉家廟所に行きました
余裕があったので、林泉寺と三の丸土塁が残る西條天満公園も見て米沢牛丼を食べて帰りました
本丸よりも西條公園や上杉家廟所、林泉寺がオススメです

インクが薄いので強く押さないと「毘」の旗が見えません
白石城
2020年11月28日
続44城目(106城目)
駅前にある唯一のホテルで前泊
部屋からライトアップされた天守が見れて、割引券もあるのでオススメです

現存建築は、城下の寺にある城門2つだけです
窓枠が独特で、二階が空洞なのは、鐘の音を遠くまで響かせるためだそうです
天守は窓枠などが現存城門と同じ基調で、復元の忠実さを感じました
城内には、石垣や土塁、復元門があります
帰りに片倉家の菩提寺と、真田幸村が戦死する前日に片倉家に託したという遺児の暮らした寺を巡りました
他にも白石川の対岸にある、伊達家の白石城攻めの陣屋跡や、地名の由来となった白い神石、政宗の乳母の墓所など、見どころが多いです
片倉家の菩提寺には、旧臣で開拓使となった人の墓があり、札幌市白石区の地名の由来となったことが分かりました
また、道に屈折箇所が多く城下町の面影を感じられます
名物のうーめんをGoToの共通券で頂きました
佐賀城
2020年12月23日
63城目(107城目)
羽田〜佐賀の早朝便+送迎バスで10時過ぎに到着
800m四方の巨大な水堀に囲まれ、本丸と二の丸の一部以外は殆どが市街化されています
現存建築は、鯱の門と本丸御殿の御座間です
鯱の門は、佐賀の乱での弾痕が残っていました
本丸御殿は、大正まで使われていましたが、御座間以外は解体されて平成に復元されたようです
本丸御殿の一部を復元しただけですが、それでもかなり広かったです
中は無料の博物館で、薩長土"肥"と呼ばれた幕末雄藩の展示が中心です
直正公の藩主就任により、財政再建、西洋文明の研究が進んで雄藩になれたといった展示でした
負担の大きい長崎港管理を受け持つことで、西洋技術を吸収し幕府に先んじて反射炉製鉄に成功したのは初めて知りました
元々は龍造寺家の城ですが、直正公を祀った佐嘉神社が創建されたように、鍋島家推しがとても強いです
天守台:本丸ではなく、二の丸の犬走からしか登れない特殊な構造でした
城下:反射炉跡(築地・多布施)が見れます
県立博物館や歴史民俗館も無料で、全部周っていたら一日かかってしまいました
吉野ヶ里
2020年12月24日
64城目(108城目)
吉野ヶ里公園駅より徒歩
遺跡は4パート(南のムラ・南内郭・北内郭・北墳丘墓)に分かれています
ムラは平民集落、南内郭は支配層の集落、北内郭は祭祀の場と目的別に区分されています
1世紀の中国古銭が見つかったり、夏至の日の出・冬至の日の入りを結んだ直線上に神聖な建物が…といったマヤ文明のような習慣や、神聖な建物を北側に配置するという古代中国の習慣が反映されていて、当時の大陸交流がよく分かって面白かったです
北墳丘墓は本物の甕棺が出土状況のまま展示されています
管玉が通常の10倍近い79個も入った棺が見つかるなど、強大な権力の中心地だったことが分かりました
櫓や堀や虎口など、城の原型も確認できました
礎石跡に基づき忠実に復元しているので、本物の弥生集落にタイムスリップした気分になれます

13:56吉野ヶ里公園→14:28久留米
久留米城
2020年12月24日
続45城目(109城目)
二の丸、三の丸は市街化され、堀跡の石碑が何箇所かに建っているのみです
本丸は、北西に筑後川が面し、大きな堀と高石垣で囲まれ立派な要塞として残っています 
スタンプ設置所の有馬記念館は小さいけれど、有馬家入城までの史料が展示されていました
特別展のテーマは、毛利(小早川)秀包→田中家→有馬家という領主の変遷についてでした
今も残る市内の高良大社の宗教勢力と争っていて、城主が宗教勢力のトップを宴会に招待して暗殺したという史料があったりと久留米の戦国時代の歴史についても学べました
また、2021年の400周年を記念して、有馬家の久留米入城400年記念グッズが販売されていました

日田まで夜のうちに移動して明日の角牟礼城登城に備えます
角牟礼城
2020年12月25日
続46城目(110城目)
日田で前泊、始発で8時前に到着
駅前の転車台には、鬼滅のSLがありました
城下町の町並みを歩き、9時前に麓に到着
スタンプ設置所の豊後森藩資料館では、ガイドのお年寄りから詳しくお話を聞けました
関ヶ原で西軍だった村上水軍の来島家が、親族の福島正則のコネで領主に復帰できたものの、幕府への配慮で天守を持たず、麓に陣屋を構えたそうです(内陸に配置されたのは、水軍を削ぐため)
また、城の見どころは、九州初とされる織豊期の穴太積み石垣とのことでした
城へは短距離の登山道を使いましたが、20分強の急斜でキツかったです
三の丸は、岩盤で囲まれた広くて強固な要塞でした
大手道は、二の丸から高石垣が何十メートルも伸びていて迫力があります
本丸は角埋神社や展望台がありました
現存建物はないですが、竪堀や門の礎石跡や土塁は確認できます
また、本丸崖下に行くと祠があり、戦国期の仏像を見れます
麓には陣屋跡があり、天守代用の小さな建物(栖鳳楼)や石垣、門×2などが残っています
帰りは駅まで循環バス
のどかで良い街でした
14:29豊後森→17:01大分
大分府内城
2020年12月25日
65城目(111城目)
豊後森→大分17:01
17:55中津行きまでの50分間で散策
PCR会場で、敷地に入れず、お堀周りを1周しました
現存建物は宗門櫓と人質櫓の2つです
復元櫓が4つありますが、外見はそっくりで現存か復元か、見ただけで区別が付きませんでした
また、天守台は高いので、外から見れます
スタンプ設置所の廊下橋にパンフレットがあり助かりました
博物館などはないため、敷地に入っても1時間あれば十分と思われる
岡城、臼杵城の攻城の際に大分駅を利用予定なので、敷地に入れるようになったら、再度訪問したい
中津城
2020年12月26日
続47城目(112城目)
中津駅前の格安ホテルで前泊
中津城→福沢記念館→歴史博物館→自性寺(奥平家菩提寺)の順に周りました
城近くの南部小の入口には、大手門の石垣と生田門(藩士宅の門で、慶應義塾の兄弟校の中津市学校の正門だった)が現存しています
本丸以外の敷地は、開発が進んで面影はないですが、西門の石垣のように宅地に遺構が点在しています
天守は奥平家の博物館で、ガイドの方からお話を聞けました
奥平家は、長篠合戦で長篠城に籠城した武将の末裔だそうです
本丸の石垣は、黒田時代に上流の古代山城から運んで加工して利用した部分と、細川時代の部分の継ぎ目がよく分かります
小国川に掛かる北門橋から臨む天守は綺麗でした
福沢記念館は、留学中のメモや、リハビリの練習帳、渋沢栄一に宛てた手紙などが見れました
福沢先生は、英蘭語は得意なものの、漢詩は苦手だったみたいです
二の丸の歴史博物館は、古代から現代までの中津の史料が展示されています
14:15中津→15:19西小倉
洲本城
2020年12月27日
続48城目(113城目)
門司→神戸フェリー
二条城閉鎖のため、予定変更
高速バスは三宮から10-15分間隔です
バス停から海沿いを歩くと山頂に天守が見えました
政庁があった麓には石垣が残り、検察庁など公共施設になっています
隣の神社に唯一の現存建築である御殿(迎賓館)が移築されています
徳島藩領だったので、須賀家の家紋でした
博物館では淡路島の歴史や自然が展示されています
希少生物や化石の宝庫だったり、重要文化財が多いことが分かりました
また、日本神話で最初に生まれた島で、古くから朝廷に食料を貢いでいて御食国と言うそうです
幕末以降、台場が築かれたり、鉄道が敷設されたり、鐘紡の工場もあったそうです
登山道には脇坂家が朝鮮出兵で学んだ登り石垣が見れます
国内に数例しかなく、最大の見どころです
枡形虎口から本丸に上がると、海辺や山々を一望できました
最古の模擬天守は、空洞で下をくぐれます
山全体に縄張りがあり、本丸北に断崖、東西南に曲輪が配置され、井戸や籾蔵跡もあります
一通り見て3時間強かかりました
残念石がある地点からの天守の眺めが一番良かったです
松本城
2021年2月12日
66城目(114城目)
新宿からバスで10時半到着
平日で貸切状態
天守群は乾小天守以外は入れました
関ヶ原以前の築城のため、天守内の下層は武者走があり、石落しや狭間も多いです
鉄砲や大砲、改修前の破風なども展示されていました
天守・乾小天守は軍事設備が多い一方、寛永期に増設された月見櫓・辰巳附櫓は朱色の欄干や花頭窓があり、優雅です
月見櫓には改修前の天守の古写真がありましたが、昔とそっくりです
城内には枡形門や二の丸御殿跡や博物館があります
筑摩県庁のあった二の丸御殿が焼失したことで、合併後の県庁が長野市に確定したそうです
また、寒くて桃の花が咲くのが遅いため、節句が1ヶ月遅かったり、七夕に人形を吊るす独自の風習があることも博物館で学べました
城下は土塁や水堀が何か所も残っており、縄手通りは、大手枡形虎口の名残で道が屈折しているなど、城域の広さがよく分かりました
カプセルに泊まり早朝に甲府へ
要害山城
2021年2月13日
続49城目(115城目)
1519年躑躅ヶ崎館築城、20年要害山城築城、21年信玄公誕生と500周年ラッシュで甲府駅に展示ブースがありました
スタンプと地図は、駅前の藤村記念館(明治時代の学校)で貰えます
これから登りに行くと伝えたら、受付の人が要害山城の論文のコピーを2種類くれました
論文には城の縄張図があります
武田氏滅亡後に改築されたため、武田時代の遺構は少ないそうです
甲府城で時間を潰し、唯一の日中便である11時半甲府駅発に乗り、終点で降りると信玄公が生まれた積翠寺があり、産湯の井も残っていました
寺から本丸までは70分くらいで、途中に堀切、土塁、曲輪、門礎石などがいくつも残っていました
江戸後期に作られた武田不動尊のある不動曲輪や井戸曲輪など曲輪が多いです
井戸曲輪へは藪を掻き分けて行きましたが、本丸は藪もなく広々としていました
甲府の市街地まで見えて眺めも良いです
支城の熊城は案内がなく行けませんでした
帰りは躑躅ヶ崎館まで歩きました
今治城
2021年12月24日
67城目(116城目)
湯築城
2021年12月24日
68城目(117城目)
搦手に近い道後公園駅で下車
二重の堀で囲まれた円形の公園で、中世の土塁・土塀・武家屋敷が復元されていました
資料館には猫の足跡がついた土器があり、御城印にも載っています
展望台からは松山城の天守閣が見えました
大手門は遊具のある公園になっていて跡形もありませんでした
宇和島城
2021年12月25日
69城目(118城目)
駅前ホテルから自転車、三ノ丸の長屋門より登城
途中の井戸丸には井戸石に修復した記録が刻まれていました
中腹の郷土館は、幕末の武器庫を使用しており、シーボルトの娘など、地元の偉人について展示されています
城主の伊達氏は、政宗の養子が祖先だそうです
本丸への道中、藤堂高虎が築城した高石垣が藤兵衛丸・代右衛門丸・長門丸で見ることができます
最大で15mの高さがあるそうです
天守閣は独立式の3階建と小さいですが、1666年に改築した姿のままです
帰りは南側登城口で最古の薬医門をくぐりました
城下では、伊達家菩提寺の等覚寺や、戦前国宝で空襲により焼失した追手門跡を巡りました

予土線で河後森城のある松丸駅へ
河後森城
2021年12月25日
続50城目(119城目)
12:18宇和島⇒13:01松丸
松丸駅から徒歩20分で風呂ヶ谷登山口に到着し、井戸跡と城門を通ると、スタンプのある西第十曲輪に着きました。
城全体が地形に沿ってU字になっており、中心で頂上にある本郭の西に10、東に4つ棚田のように曲輪が展開しています。
各曲輪には土塁や堀切があり、本郭には主殿舎の舞台が復元されていました。宇和島城の天守は、ここの本郭から移築されたという伝承もあるそうです。
石垣は、本郭の虎口にだけ残っているようです。
新城という帯曲輪と本郭からは、各曲輪や城下を見下ろすごとができ、防衛機能を実感できます。
帰りは河後森城の移築城門と言われる永昌寺登山道から下山しました。
山と川の自然に恵まれていて、道の駅では地元の川でとれた蟹が売っていました。
16:36松丸⇒17:23宇和島
大洲城
2021年12月26日
70城目(120城目)
松山城
2021年12月26日
71城目(121城目)
浜田城
2022年2月27日
続51城目(122城目)
駅からレンタサイクル
博物館:御便殿という大正天皇の宿泊施設が使われ、旗の絵図が載った御客船帳など、北前船の寄港地だった外ノ浦の船問屋の史料が展示されています。駅南にも郷土資料館があり、古代からの史料が展示されていました。
城山:津和野から移築された浜田県庁門をくぐり、出丸・二の丸・二ノ門枡形虎口を抜けると、本丸に着きます。日本遺産である外ノ浦の絶景が一望できます。
中ノ門:登山道から外れた場所にあり、解説版の古絵図に乗っている大きな石垣が、山麓の集落の中に絵図のまま残っています。
外ノ浦:天候予測に使った日和山方角石からは日本海の絶景が見られます。日和山への道中では、庶民のために密輸して処刑された商人の碑や神社、古民家、静かな入り江など、見所が多いです。
城下:大手門跡、藩校跡、高札跡、出雲大社の石見分祠、藩主の菩提寺(古田家の宝珠院、本多家の西岸寺、松平家の長安院・妙智寺)
名産:すし蔵というローカルチェーン店で、LINE友達登録すると初回特典で浜田港産”のどぐろ”1皿を無料で頂けた。

16:44発まつかぜ12号で松江へ