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メンバー情報

ID5919
名前ごっちゃん・けんけん
コメント歴史好き・城好きの42歳です。去年から100名城巡りを始めました。小学校2年生の息子も父の影響か城めぐりには興味を持ってくれています。現在40城を制覇しています。
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
掛川城
2013年5月6日
実家が愛知県の豊橋でGWの帰省から戻る際に寄りました。掛川駅から徒歩で行ける距離です。平成に入って木造で立て直した天守は本当に高知城ににています。この日はGWだったからか忍者姿の職員?(ボランティアの人か)の人も歓待してくれて息子は大喜びでした。
八王子城
2013年6月2日
後北条氏の拠点の城の一つ八王子城に上りました。復元された遺構から山頂の本丸までの距離が結構ありましたね。しかし山頂付近から見た東京側の風景は壮観でした。都内のこんな近くにこんな自然にあふれている所があったんですね。それにしても戦国時代の人はよくこんな急峻な山岳に城をきずいたものだと感心しますね。
上田城
2013年6月29日
真田幸村と昌幸、そして信之ゆかりの上田城に来ました。お城に来て見て昌幸・幸村親子が関ヶ原の時徳川秀忠を苦しめた上田城は戦後徹底的に破壊されていまの城郭は1620年代に作られたものだと聞いて少し興ざめしました。しかし城内には真田神社が設けられるなど上田の人は本当に真田家が好きなんだなと実感しました。あとそばの美味しい店が沢山ありますね。特に駅前にある「刀屋」は地元でもお勧めの店です。池波正太郎も通ったという話があるそうです。
小諸城
2013年6月29日
「小諸なる古城のほとりで」で有名な懐古園(小諸城)に行ってきました。このお城は20年前に一度訪れたほか10年ほど前にも仕事の道すがら寄ったことがありますが3回目にしても飽きません。街全体が江戸時代の中山道の面影を深く残していることが一つの理由でしょうね。今回は子どもと本丸だけでなく二の丸なども隈なく散策しましたがこの城は戦国時代の名軍師の山本勘助の縄張りだという言い伝えがあるそうですね。丁度お昼時でしたから城に隣接する蕎麦屋「草笛」でそばとクルミのお萩を食べました。ことのほか美味でした。
松代城
2013年6月29日
夕刻ギリギリで松代城に到着しました。復元された太鼓門櫓は屋根が萱ぶきで瓦を用いられておらずなんとなく江戸時代の城というよりも中世の城郭の雰囲気を色濃く残していますね。
松本城
2013年6月30日
暑かったですが大勢の観光客の人がいました。濠に囲まれた松本城の光景は均整がとれているというか映えますね。あと寛永年間に増築されたという月見櫓は風情があります。実際ここで秋の夜長に月見ができたら最高だろうなと思いました。
岡崎城
2013年8月11日
愛知県出身の自分(妻の実家はこの岡崎市です)としてはこれまで何度もこの城には登城していましたが今回はスタンプを押す目的で登城しました。それにしても暑いさなかの途上になりました。やはり岡崎城は年越し・新年のイベントで家康の祖先のころから行われていたというしきたり“ウサギ汁”をふるまってくれます。三河独特の味噌仕立ての雑煮の様なものですがウサギの肉が若干微量ですが入っています。松平家では代々正月は“ウサギ汁”を食していたという事で徳川将軍家もその慣習にしたがっていたそうです。徳川四天王に扮した武将隊も様々な趣向でおもてなししてくれます。
犬山城
2013年8月11日
天守閣から望む木曽川の風景が涼しさを醸し出してくれました。城下町もいい雰囲気でした。
岐阜城
2013年8月11日
汗みずくになって登城しました。流石にロープウェーなしではきついと思います。城の麓の信長の御殿跡はいまも発掘調査をしているようですが新たな発見を期待しています。
長篠城
2013年8月14日
地元の有名な火祭“火おんどり”を見学するため訪れました。もともとこの“火おんどり”は1575年の長篠の戦いで亡くなった戦士達を慰霊するために始まったものだと言う事です。城跡は当時の遺構をしのばせるものはありませんが周囲を囲む川の流れや周りに生い茂る草木は昔のままだろうなと松尾芭蕉の俳句をふと思い出しました。「夏草や兵どもが夢のあと」
水戸城
2013年9月1日
青春18切符を利用して東京から一人で水戸へ水戸城と言えばやはり弘道館。しかし東日本大震災で建物が大きく破損したため未だ修復中でした。スタンプをそこで押して偕楽園に足をのばしました。好文亭と呼ばれる建物が素晴らしかった。その二階部分から眺める風景もよかったです。前が大きな池になっていて壮観でした。
金山城
2013年10月12日
車で金山城に行ってきました。復元整備された石垣が整然と迎えてくれました。また日の池もなんとなく厳かというか・・・上手く表現できませんが中世の城郭ならではの遺構ですね。
二本松城
2013年10月13日
菊人形展が行われていました。NHK大河の「八重の桜」の登場人物などをかたどった菊人形が沢山ありました。
白河小峰城
2013年10月13日
東日本大震災の影響でまだ城の櫓内部には入れませんでした。少し残念です。
川越城
2013年10月19日
川越城と言えばやはり本丸御殿ですね。100名城では静岡・掛川城の二の丸御殿は拝観しましたがやはり規模という意味では川越のほうが立派かなと思いました。川越は“知恵伊豆”で有名な老中・松平伊豆守信綱や“犬公坊”で有名な5代将軍綱吉の側用人柳沢吉保が居城とした所ですね。静岡・浜松城のことを出世城(家康や幕末の老中水野忠邦が居城としたため)と呼びますが川越城もそれに匹敵するなあと思いました。因みにこの日は山車がぶつかり合う事で有名な「川越祭り」が開催されていました。豪壮なお祭りですね。小江戸川越の町並みを堪能しました。
箕輪城
2013年11月3日
箕輪城は家康の四天王の筆頭格である井伊直政の居城であることからどんな遺構が残っているのか楽しみにしていましたが何となく普通の公園の様でした。しかし城を取り囲んだ田園風景は穏やかで400年前にここに城があったのだと言う事がにわかに信じがたい気持です。この日は休日だったので支所の裏口でスタンプを頂きました。
足利氏館
2013年11月4日
足利尊氏に昔から関心があったのでその尊氏が生まれた足利は是非行きたい街でした。丁度ばん阿寺(足利氏館の跡)が国宝に指定された直後だったので、観光客は多数いました。隣接する「足利学校」もいいですね。
小田原城
2013年12月15日
小田原城は好きな戦国武将北条早雲ゆかりの地。もちろん現存する石垣などは勿論江戸時代の遺構ですがこの空間に後北条氏の5代(早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直)が本拠を構え信玄や謙信、秀吉と対峙したのだと想像すると感慨深いですね。せっかく小田原城に行ったのなら3キロほど東にある秀吉が築いた一夜城も必見ですね。石垣が残っているにすぎませんがその規模の大きさには驚嘆します。一夜ではないにしろ天下人を目前に控えた秀吉が最後の一戦と気合を入れた意気込みが伝わってくるようです。
彦根城
2013年12月26日
彦根城から望む琵琶湖は良かったです。年末という事もあってか「埋木舎」が休館だったのは少し残念でした。
伊賀上野城
2013年12月27日
昭和の時代(1935年/2・26事件の前の年)に復元した城ですが木造建築なんですね。やはりこの城の特徴は石垣ですね。築城の名人と呼ばれた藤堂高虎ならではなのでしょうね。あとウチの子どもは忍者屋敷で手裏剣を試せたことをことの他喜んでいました。
安土城
2013年12月27日
安土城を子どもと2人で登城しました。石垣だけの城跡ですが天主に向かう道すがら羽柴秀吉や前田利家、徳川家康の屋敷跡などの表示が散見されて往時を想像するだけでも楽しいひと時でした。しかし子どもにとってはあまり刺激がなかったようで天主台からの琵琶湖の眺望だけが彼の退屈を紛らせたようでした。
観音寺城
2013年12月27日
時間がなかったので登城はできませんでした。駅前の観光案内所でスタンプを押しました。
名古屋城
2013年12月28日
清州櫓は必見ですね。なんでも高知城とか宇和島城の天守閣よりも大きいという事です。
本丸御殿の建設も着々と進んでいるようで、建設途中の現場も見学することができました。
仙台城
2014年1月11日
10数年ぶりに仙台城を訪れました。お城の麓にある仙台市博物館が資料などのしっかり整理・公開されていた事、瑞凰殿の絢爛豪華さを改めて実感しました。
山形城
2014年1月11日
復元された大手門が見事でした。最上家の最盛期をしのばせますね。
多賀城
2014年1月12日
歴史博物館を見たあと多賀城の埋蔵文化財調査センターでスタンプをゲット。多賀城跡地には夕方だったためすこし散策した程度でしたが、例の石碑をじっくり見たいと思いました。
駿府城
2014年2月22日
久しぶりに駿府城を訪れました。櫓の中はちょっとした資料館の様になっていて駿府城の天守閣の模型や家康が今川の人質時代に通った臨済寺での勉強部屋が再現されているなど少ないスペースですが充実した展示となっています。
山中城
2014年2月23日
雪が残る中の山中城訪問。障子堀の跡も雪に埋もれていたのが少し残念です。
武田氏館
2014年3月22日
「ひとは石垣ひとは城」こう語ったという信玄の本拠に行ってみました。たしかに規模で言えば城というよりも「御所」あるいは屋敷といった方が的確なのかも知れません。いまは神社となっていて当時をしのぶものはありませんが一角にある能舞台などは少し武田氏の館跡の雰囲気を醸し出していると思います。
甲府城
2014年3月22日
甲府城の印象は何と言っても天守台から見た風景ですね。山並みが壮観でした。稲荷櫓ではビデオコーナーが設けられていてこの城を拡充させた功労者は5代将軍綱吉の側用人だった柳沢吉保だったと説明がありました。吉保は東京駒込にある六義園をつくったり100名城の一つ川越城を整備したのも吉保だと言われています。なんとなく独裁者綱吉の茶坊主というイメージの強い吉保ですが実は地元領民からはその善政を慕われていて名君と愛されていた大名だったようですね。
高遠城
2014年3月23日
桜で有名な高遠に来ましたが桜はまだつぼみの状態で人気もまばらです。4月の中旬が見頃だそうです。城郭の隣には江戸時代の大奥スキャンダル「絵島生島事件」の一方の主人公である絵島の座敷牢を復元したものが展示されていました。簡素なつくりで部屋は確か2間ぐらいかと記憶していますが外部との接触もかなり厳しい制限が設けられていたようです。この事件実は当時の大奥の月光院(7代将軍家継の実母)と天英院(6代将軍家宣の正妻)の勢力争いが背景にあったと言われおり、絵島は実際は政治的紛争の犠牲者ではなかったとも言われています。何となく小説の主人公になりそうですよね。
岩村城
2014年5月4日
早朝午前7時前に到着しました。山城特有の鳥のさえずりを聞きながら息子と一緒に本丸まで登城しました。所要時間は20分くらいでしょうか。その途中に地元が生んだ女性教育者である下田歌子の勉強所が保存されていました。下田歌子は昭憲皇后(明治天皇の妃)に気に入られ、学習院などでも教鞭をとった学者です。しかし当時の政府高官と何度も浮名を流すなど奔放な女性でもあったようです。林真理子の「ミカドの淑女」の主人公です。
鉢形城
2014年5月12日
「寄居北条祭り」を見学するついでに鉢形城を訪れました。お祭り自体が城に隣接した部分で行われたため当時の郭の様子などが良く分かりました。因みに北条祭りですが秀吉と後北条氏がたたかった戦を再現するのが一番の売りとなっています。かなり暑かったのですが地元関係者だけでなく各地域(東海地方や長野・山梨などから)から信玄や幸村に扮した地元武将隊の皆さんが参加していました。
佐倉城
2014年7月6日
石垣のない城って言われて確かに関東地域では珍しくないですが佐倉城もそうなんですね。「管理センター」に幕末にハリスと修好通商条約の交渉を行った責任者の
老中堀田正よしの肖像や城の模型はありましたがもう少し知りたかったなと思います。
二条城
2014年7月27日
やはり京都の夏は暑いですね。汗みずくになっての登城となりました。しかし二条城は特に二の丸御殿は江戸幕府創建当時から存在しており最期の幕引きとなる大政奉還を慶喜が公にしたのも二の丸御殿と江戸幕府の初めと終わりの舞台になった所だと言う事を実感しました。
明石城
2014年8月12日
ひつじさる櫓と巽櫓共にマジかで見ることができました。とくに「ひつじさる櫓」は必見です。三層部分の入母屋破風が赤く塗られた木材使用し、タテ・ヨコで組み合わせた格子となっています。秀吉の伏見城から移築されてきたということですが桃山時代の風雅な面影を止めています。
姫路城
2014年8月12日
天守閣は平成の大修理のため登れませんでしたが西の丸から見た姿は壮観でした。
大阪城
2014年8月12日
大阪城は何度も来ていましたが、久しぶりに来て石垣の巨大さを実感しました。確か司馬遼太郎の本に大阪の陣を題材にした作品で「城塞」というものがありましたが・・・現存する石垣は徳川時代のモノですが、地下に眠る秀吉大阪城も城塞のような威容を誇ったのだなと思います。
松阪城
2014年8月13日
江戸時代後期の国学者本居宣長の居宅「鈴の屋」とセットで訪問しました。このお城は蒲生氏郷がきずいた名城ですがやはり石垣のたたずまいからしてタダモノではありません。蒲生氏郷は会津若松への国替えを秀吉より指示された時、京から離れることを嘆いたという事ですが、松阪城の縄張りを見る限りこの城への氏郷の思い入れが良く伝わってくるようです。
会津若松城
2014年8月31日
子どもと二人で青春18きっぷを使って東京から日帰り旅行でした。会津若松駅から東周り西回りの二系統で運行しているシャトルバスを有効に利用して西郷頼母の邸跡や飯盛山なども回る事ができました。
鬼ノ城
2014年12月26日
久しぶりに100名城の塗りつぶしに参加しました。26日から2泊3日で岡山→兵庫→鳥取の7城を攻略です。最初はこの鬼ノ城です。岡山空港からレンタカーで出発しました。
同好会の先達の皆さんからもご指摘がありましたがビジターセンターまでの道は確かに
狭かったです。何度か対向車とすれ違いましたが慎重の上にも慎重に運転する必要がありますね。特に行きは傾斜を上って行く関係もあり難義でした。ビジターセンターでスタンプを押し展望台から西門等を拝見しました。
備中松山城
2014年12月26日
鬼ノ城を後にして続いては備中松山城を訪れました。この城は100名城に挑戦する前から一度は訪れたい山城でした。当日は平日で8合目まで車で登城できましたが、鬼ノ城
同様に道が狭くさらにガードレールが備え付けられていない箇所も散見されました。こちらの方が車でのアクセスは難所だったかなと思います。それはさておき8合目から
約700メートルを歩いて天守閣までたどり着きましたが想像していた通りの小さいながらも堅実かつ凛々しいたたずまいの城でした。ここには「忠臣蔵」で有名な大石内蔵助が主君浅野内匠頭の代理で城受取りに来た歴史があったそうです(松の廊下の刃傷の確か7年前の1694年)。丁度その頃に天守は完成した(1683年ごろ)そうなので内蔵助ゆかりの建築物だと思いながら眺めました。そして寒いさ中でしたが地元で作られたほうじ茶が本丸の平櫓の前で振る舞われていたのは助かりました。一つ心残りはその後の日程の為麓にある頼久寺の庭園を見ることができなかった事です。
岡山城
2014年12月26日
岡山城はおよそ10年ぶりに訪れましたが城壁を黒で塗り固め、破風の縁や鯱鉾を金で彩る辺りは秀吉の桃山文化がいまに続いている感じがしましたが残念ながら岡山城は太平洋戦争の際空襲で焼失しているのですよね。名古屋城・和歌山城・広島城もしかりですが本当に残念です。今回は夕方という事もあり時間は少なかったですがお決まり後楽園から天守を眺めましたが本当に絵になる光景です。借景とはこういう事を言うのかなと思いました。
赤穂城
2014年12月27日
赤穂城を訪れたのはほぼ20年ぶりでした。当時は復元された隅櫓と大石内蔵助の旧宅の長屋門ぐらいしかなかったと思いましたが、いまは本丸門や庭園などの整備かなり力を入れられています。傍らにある歴史資料館も城郭・堀に面している側は土蔵の様なデザインで当時の雰囲気を大切にしようという努力が感じられました。また車で移動を考えておられる方は内蔵助が城明け渡しの後、赤穂を離れる際に瀬戸内沿いの温暖な気候や藩の特産だった塩田に別れを告げたとされる「赤穂御崎」が城のすぐ近くにありますが高台から瀬戸内海を見降ろすような格好でとても絶景が堪能できました。お勧めです。
竹田城
2014年12月27日
いまやお城ファンの聖地ともなりつつある竹田城を訪れました。皆さんご存知のように
この期間は城への通行は禁止されています。スタンプだけでもと思い播但道を使って北上しました。目的地の和田山ICに差し掛かった時にふと見上げると真上にあの城郭のフォルムが・・・かなりの驚きです。その後竹田駅内の「山城の郷」でスタンプをお借りしてさらにその隣にある「天空の城」という施設で竹田城の四季のDVDや歴史年表をなどを見せていただきました。町全体が城と共にあるという感じで調和がとれていてとても雰囲気のいい街でした。今度は泊って日がな城を眺めてみてもいいなと思いました。
鳥取城
2014年12月28日
鳥取城は7、8年前に一度登った事がありますが、今回改めて登ってみて本当に幾重にも重なった石垣の勾配が見事だなと思いました。整然とした幾何学的な美しさを感じました。またスタンプが置かれている「仁風閣」も明治時代の様式を今に伝えていていい建物だなと思いましたが設計者は有名な片山東熊だとしってうなずけました。
津山城
2014年12月28日
今回最後の訪問城となりました津山城です。以前に訪れたことがありましたが今回は備中櫓が復元されていました。美作の国なのになぜ備中なのか?と不思議に思いましたが当時の藩主だった森家の殿様の舅殿(鳥取藩の池田候)の官名が備中守で舅殿をもてなすために作った櫓だったそうです。復元だと少しさめた感じで中に入りましたが、さにあらず。
当時の装いのままで木造建築でさらに畳敷きで櫓の2階部分には殿様など高貴な人が座る上段の間が設けられている本格的な御殿作りでした。2階からの眺めも素晴らしくこんな住環境で日常を過ごせたらどんなに素敵な事だろうと少し羨ましくなりました。またその横にある天守台も立派なものです。津山城の天守閣は建物部分の高さが22メートルあったそうで、この石垣の高さからさらに20メートル以上も高みから睥睨(へいげい)する天守というのは当時の人々からすれば見上げる摩天楼の様な存在だったのではないでしょうか?
福山城
2015年2月7日
今年最初の城攻めは福山城でした。広島空港からレンタカーを借りて高速を通り(河内→福山西)一時間ぐらいです。福山城と言えば広島方面へ出張の際には新幹線のホームから何度も天守閣を目にしてきましたが実際天守に登るのは初めてでした。伏見城の遺構を移したとされる「伏見櫓」やそれに隣接する「筋鉄御門」などは400年以上の時を経て今も健在で当時の面影を十分伝えていますし、天守閣も太平洋戦争で焼失する前は福山市内を睥睨しており、当時の古写真がいつくも城内に掲載されていました。見学後城内の庭園「福寿会館」にあるレストランで地元の名物「うずみめし」なるものを食しました。里芋や魚、かまぼこなどを上から白いご飯で覆った料理です。一見すると白米だけかと勘違いするのですが、昔庶民が藩の役人が倹約をうるさく言うのを嫌がり美味しいご馳走は飯で隠して食べたことが起源だと言う事です。庶民のささやかな知恵が創作した料理ということでしょうか…
広島城
2015年2月8日
広島城を訪れました。このお城はこれまで何回も来ていますが城壁が桧皮を連想させる褐色の望楼型天守はいつ見ても立派ですね。さすが豊臣政権五大老で120万石を誇った毛利輝元の全盛期に作られた城ですね。熊本城と双璧とも言える桃山時代の名城ですね。ただ、街の中心部に所在するためか駐車スペースがないのは少し困りました。
郡山城
2015年2月8日
広島城を訪れたあと毛利元就の居城だった郡山城に行きました。広島市内から国道を北へ1時間とちょっとの時間で到着しました。あいにく雪交じりの雨で天候には恵まれませんでしたが安芸高田市歴史民俗資料館にお邪魔して、スタンプを押しました。この資料館には子ども用ですが本格的なつくりの甲冑がありました。館長さんがとても親切な方でウチの歴史好きの長男に甲冑を着させてくれました。8歳になったばかりの長男も滅多に出来ない経験をしてとても喜んでいました。旅で巡り合えたちょっとした幸せでした。その後山を登り毛利元就をはじめとする一族の御墓をお参りしました。
小谷城
2015年3月28日
愛知県から車で小谷城跡へ歴史資料館でスタンプをゲットしました。資料館はイメージしていたものよりかなりこじんまりしていました。ブースも2部屋で浅井氏三代の歴史について説明がありました。その後100名城とは関係ありませんが天下分け目の関ヶ原合戦場付近にある「ウォーランド」に行きました。
高岡城
2015年8月1日
土曜未明の(午前2時過ぎ)高速を使って 東京→高岡へ。北陸道小杉ICで降りて高岡古城公園には午前8時過ぎにつきました。お城自体は石垣以外に当時をしのばせるものはありませんでしたが、車で10分ほどのところにある国宝・瑞龍寺は二代目・前田利長公を祀った由緒ある古刹で本堂・山門などの遺構がほぼそろっていて見ごたえがありました。
あと高岡は前田氏が治めていた土地ゆえか金沢と同じく美味しい和菓子が沢山ありました。
七尾城
2015年8月1日
高岡城から氷見漁港を経由して午後に七尾城址を訪れました。資料館でスタンプを押してそのまま車で本丸跡を訪れました。駐車場から本丸は徒歩で15分程度でしょうか?暑い最中の登城で汗みずくになってしまいましたが、本丸からの眺めは七尾の街並みや富山湾を一望できます。七尾城を制圧したかの上杉謙信も本丸からの風景はいたく気に入ったとも聞きましたが、頷ける景色でした。
春日山城
2015年8月2日
春日山城は城好きとしては一度は登ってみたい城でした。駐車場から本丸まで徒歩で20分ぐらいかかりました。毘沙門堂も後世作られたもので謙信時代をしのばせるものはせいぜい山のふもとの林泉寺の惣門しかありませんでしたが、本丸に上って護摩堂や直江屋敷、などを歩き、かつて謙信・景勝・兼続らが屋敷を構え営みを送っていたのかと想像すると400数十年前の空間に浸れる気がしました。また本丸からの景色もよかったです。七尾城もそうですが、山城の利点は本丸からの景観ですね。天下統一を目指した戦国大名にとっては気宇壮大な気持ちにさせてくれる景色だったのでしょう。
篠山城
2015年9月21日
シルバーウィークの大型連休を利用して兵庫・四国の100名城を制圧すべく出発です。
まず最初に訪れたのは丹波篠山城。2000年に復元された大書院(おおしょいん)を訪ねました。やはり圧巻なのは映画やテレビドラマで何度もロケに使用された「上段の間」
殿様が普段政務などで使用した部屋と推測されますが障壁画の素晴らしいこと。二条城の二の丸御殿を新しくしたようなたたずまいでした。また石垣も壮大で素晴らしかったです。縄張り奉行を務めたのが築城の名手と呼ばれた藤堂高虎だったそうです。高虎は関ヶ原以前は四国に領土を持っていたためこれから行く四国の数々の名城の建設にも携わっています。戦国大名の中でも比較的“地味キャラ”だと思うのですが奥の深い人物のようです。さらにグルメ情報としては篠山はイノシシ料理が名物として知られています。ウチの家族は朝から城のすぐそばの料理屋で「イノシシ丼」を購入し舌鼓みをうっていました。
高松城
2015年9月22日
日本三大水城の一つ高松城を訪れました。私は自家用車でお邪魔しましたがJR高松駅のすぐそばにあり、交通の便は大変いい立地です。天守台から北を望めば瀬戸内海がまさにすぐそこに、指呼の間にあります。さすが日本三大水城。艮櫓・月見櫓ともに見ごたえはあるのですが明治中期に解体された天守閣を拝めれば良かったなと天守台から眺望しながらふと感じました。あと高松城に来たのであれば栗林公園は必見です。池と樹木、そして中之島と橋の配置が何とも絶妙です。個人的感想として後楽園・兼六園・偕楽園の三大名園よりも庭の完成度は高いのではないかと素人ながら感じました。
丸亀城
2015年9月22日
今回の旅行で私が一番訪れたかったのがこの丸亀城でした。自家用車で市内に入って初めて目にした時、ようやく巡り合えたぐらい感動しました。何がいいかってやはりあの小さな天守閣を大要塞と見紛うばかりに仕立て上げる石垣の素晴らしさですかね。しかしあの石垣の美しい勾配は私達見学人にも一定の負担を求めるようです。二の丸に向かう坂道の急なこと…この日はお日柄もよく汗みずくになってしまいました。しかし、ようやく天守に到着して天守閣3階から眺める景色はさすが天下の名城でした。高松城同様瀬戸内海が翌一望できました。さらに“讃岐富士”と呼ばれる飯野山も趣がありました。小さくともきらりと光る名城そんな印象を受けた丸亀城でした。
今治城
2015年9月22日
高松・丸亀の香川の2名城を訪れたあと、急いでやってきたのは愛媛の今治城です。私達は高速道路・松山道を使い所要1時間40分程度で到着できました。余談ですが道すがらの新居浜辺りの高台からの瀬戸内海が一望できる景色が格別でした。さて今治城ですがこの城はかの築城の名手藤堂高虎が手掛けた城です。城内には高虎を顕彰する銅像が設置されています。城は復元された鉄筋コンクリートですが資料に基づいて作られているようです。さすが高虎の城だけあってスラっとしたスタイリッシュないでたちの天守でした。ただ城内の資料館で知ったのですが、天守閣が置かれていたのはわずか数年だったようで高虎が転封され伊賀上野に移った後は取り壊されその資材は丹波の亀岡城に移築されたという事です。ここも高松・丸亀同様に瀬戸内海沿いに作られており、高松城と共に三大水城の一つとされています。夜間はライトアップされるようです。さぞ映えるだろうなと思いましたがこの日の宿は松山市内にとっていたため日が沈むのを待つこともできず後ろ髪をひかれる思いで今治を後にしました。
松山城
2015年9月23日
13年ぶりに松山城を訪れました。ロープウェーを使うか徒歩にするか少し迷いましたが結局県庁の裏手から徒歩で登りました。しかし思ったよりはかどり15分ぐらいで登れました。この城は天守閣を中心に櫓を長屋門でつなぐ連立的天守と呼ばれています。登城して気付いたのですがこの四角に繋がった城の空間を有効に利用して城や城主に関係する資料などが上手く陳列されており、さながら歴史資料館のようになっています。見学する側にとっては遺構を見るだけでなく当時の関係者の息遣いも伺える意匠になっており大変良かったです。
湯築城
2015年9月23日
湯築城はほとんど事前の知識を持たずにお邪魔しましたがかの有名な河野水軍の居城だったんですね。中世の武家屋敷や庭園などが再現されており、大規模な公園になっていました。特に印象に残ったのは岩肌をむき出しにして、池と配合した庭園跡です。なんとなく海賊の大将だった河野氏の威勢を伺わせるような壮大な庭園でした。あと追加情報としてはこの公園内には正岡子規記念館が併設されています。入場料大人400円ですが子規子規が生きた時代の「坂の上の雲」等に関心のある人は立ち寄ってもいいかもしれません。
大洲城
2015年9月23日
大洲城はイメージしていた通りの城でした。街並みもしかりで田舎の穏やかな雰囲気に包まれた静かな名城とでもいいましょうか、戦乱とは一線を画す泰平の時代の城という印象を受けました。天守は平成に入ってからのものですが現存する4つの櫓との連続性を維持するためか木造で正確に復元されたため資材が新しいという点を除くと全く違和感なく調和がとれています。このお城は肱川と呼ばれる清流に囲まれた縄張りとなっていますが以前この城を紹介する雑誌で地元の学生が川で水泳の練習をしている様子を目にしました。まさにそんな風景が似合う穏やかな城でした。
宇和島城
2015年9月23日
大洲城からさらに道を南下して高速を伝って到着したのが宇和島城です。ここも四国の城に共通する点かもしれませんが小柄ながらいい味を出している城だなと思います。天守閣に到達するには駐車場から2つのルートがあります。一つは急な坂道を上って行くものもう一つは若干時間はかかりますが緩やかな坂道を登るルートです。私達は早く天守閣に登りたいことから急な坂道を選びましたが小学校3年生の息子も平気でした。さて天守閣は高さ15メートルあるかどうかですが安定感のある天守だなと思いました。小高い丘に立つこの平山城は眺望も良く宇和島の海や山も手に取るように見ることができました。宇和島藩と言えば伊達政宗の長男秀宗が初代藩主としていますが今年は秀宗が宇和島に来てから400年だそうで様々なイベントが年末まで用意されているそうです。あとグルメ情報としては鯛茶漬けなどの鯛料理は食べておいた方がいいかもしれません。
高知城
2015年9月25日
高知城のまず最初の印象は追手門の荘厳さでした。よく追手門越しに天守を移した写真を見ますが確かにいい構図の絵がとれます。また高知城は角度によっていろいろな表情を見せてくれる城です。追手門からはスラっとした細長い印象を受けますが二の丸方向から見た天守は重心が低いどちらかと言うと安定感のある雰囲気があります。あと城内に入りますとまずは本丸御殿から…本丸御殿が残っているのは天守閣が残る12の城のうち高知城だけだそうです。小ぶりですが当時の雰囲気を充分にたたえたものでした。さらに追加情報としては時間にゆとりのある方はやはり桂浜に足を延ばすのがいいのではないでしょうか。龍馬記念館は必見です。展示物もさることながら高台に建つ記念館から見た桂浜の雄姿はなかなか言葉では表現できませんがここだったら日がな一日ぼーっとしていてもいいかなと思える場所です。桂浜の景色が龍馬の精神形成の上でかなり影響を与えていたのではないかと思いました。
徳島城
2015年9月25日
高知城・桂浜を後にして高速(高知道〜徳島道)で2時間ほどかけて徳島城跡に到着しました。ここは残念ながら遺構が残っておらず復元された城門が残っているにすぎません。他の四国の城と比べると少し物足りなさを感じましたが、その代わりに城内にあった大名庭園は見事な物でした。
新発田城
2015年10月11日
11日未明に東京を出てSAで休憩をとりつつ早朝、新発田城に到着しました。午前9時前にもかかわらず、三連休の中日という日取りのためか観光客の方が何人も訪れていました。入場は無料で受付案内の方も親切でした。現存する本丸表門と二の丸隅櫓は中を拝観することができました。表門の中は歴代藩主である溝口家の当主の画像や新発田に関する資料を展示していました。驚いたのは新発田藩は表高5万石だそうですが実質は江戸の半ばには13万7千石にも達していたということと、幕末の人口は19万人もいたそうです。これはいまの新潟市も含まれているそうですが米の生産だけでなく港の整備が整っていたことから港町として反映した一つの証左なのでしょうか。なお復元された辰巳櫓は拝観できましたが3つのシャチの三層櫓は100名城ガイドにあるように自衛隊の敷地のため堀越しから眺めました。堀と櫓の雰囲気がうまくマッチングした感じの良い城下町という印象を受けました。
高取城
2016年1月10日
三大山城の一つ。高取城に登城しました。実家のある愛知県から車で伊勢湾岸自動車道→国道25号線(三重亀山→天理)で高取まで到着。高取は聖徳太子や中大兄皇子が活躍した飛鳥時代の舞台明日香村から車で15分程度のところにありました。まずは「夢創館」でスタンプを押印。その後風情のある町並みを抜けて一躍高取城へ…お城の麓まで車はアクセスできました。山頂の本丸までは歩いて30分強かかったでしょうか?妻と子供三人で歩きましたが結構斜面がきつく家に帰ってから太ももなどが筋肉痛になっていました。
石垣のつくりが見事でした。きっと秋の紅葉の盛りにはきれいな錦繍に彩られるのだろうと思います。さすが三大山城。
千早城
2016年1月10日
高取城に上って引き続き千早城に向かいました。車で1時間弱走ると千早赤坂村に到着しました。高取城ほどではありませんが、勾配が急で上るのに少々苦労しました。千早城の石碑を訪れさらにその頂にある「千早神社」でお参りしました。この日は寒く何か温かいものがほしかったので駐車した「まつまさ」で昼食をとりました。店の名物であるしいたけ料理をおいしくいただきました。(椎茸のてんぷらが入ったうどん他)ここの椎茸は名物と銘打つだけあり肉厚で食べ応えがありました。しょうゆをサッとかけてあぶると酒の肴にいいと思い。お土産に買いました。ご参考です。
盛岡城
2016年3月20日
盛岡市内の中心に位置しており建物などの遺構は残っていませんが石垣の立派なお城でした。ここは桜・花見の名所ですが桜の季節は石垣のたたずまいとともに壮観なことだと創造します。