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メンバー情報

ID5189
名前アッシー
コメント 高校では日本史を選択しなかったので,一年生の時に確か平安時代くらいまでしか授業を受けていません。日本史初心者ですがぼちぼち勉強しようと思います。
 通っていた高校のすぐ近くにも百名城の一つがあるのですが,石垣が立派とのことでここでも評判がいいのでうれしいです。
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
郡山城
2014年3月15日
時計回りで登山ルートへ 結構傾斜がきつい ここで生活するとしたら水は?食料は? 軍事優先か
篠山城
2014年3月22日
丹波篠山へ 一度訪れてみたかった

加古川北ICを降りてR372を東へ

篠山と昨秋訪れた出石は雰囲気が似ているような・・・・・(自分の中では) こぢんまりとした城下町(お城の意味合いは違うが) 周囲を山に囲まれた盆地 どちらも兵庫県
赤穂城
2014年4月19日
国史跡 庭園は国指定名勝
月山富田城
2014年4月26日
好天に恵まれ順調に登城 二の丸や本丸からの眺めよし 観光客は少ない

登城後ふもとの道の駅食堂「藍」にて割子そば美味だった
千早城
2014年5月4日
 5月4連休2日目 晴れ 絶好の登城日和 3時間半かけて車で「まつまさ」に到着 阪和道美原北ICより約30分 河内長野の市街地を過ぎると急に山道風 冬季には積雪・凍結に注意

 到着して車から降りると少しひんやり 平野部に比べて少し気温が低い 金剛山への登山者が多い 駐車場の車はほとんど大阪府のナンバー 地元の登山者が大半? 「まつまさ」駐車場一日600円 1,000円以上の買い物で1時間まで無料 本丸まで上がって降りて1時間は厳しい 素直に600円払って登城する方が精神衛生上よろしいかと

 金剛山への登山ルートを10分ぐらい進むと千早城への案内掲示あり 右折して山道を登ると三の丸と四の丸の間に出る そこから二の丸・本丸へと進んでいけばよい 城跡一帯が千早神社となっており一見山城跡とは分からない 金剛山から西へ伸びる山の背を削って曲輪を配置した言われればなるほどと思う 下山は金剛山登山口のバス停へ 長い階段が続く

 ゆっくり見て回って一時間ちょいかと 下山後は「まつまさ」にて椎茸うどん600円 椎茸の天ぷら入り 関西風だしで美味
鬼ノ城
2014年5月11日
古代山城鬼ノ城 薫風香る五月晴れ 絶好の登城日和
最寄りのJR西日本吉備線服部駅から約5kmあるため徒歩では厳しい

鬼城山ビジターセンターの展示やビデオで基本知識をインプット後登城
一周2.8kmの城壁に沿って歩き始める
西門までは舗装 車椅子可 西門を過ぎると狭くなりアップダウンあり
城壁内面積なんと約30haとのこと

そもそも鬼ノ城は白村江の戦いに倭国が敗れた後,唐・新羅の侵攻に備え築城したと考えられているらしい つまり「逃げ込み城」
戦国時代の城とはまたちがった趣があっていい

全体的に自治体の管理の下,手入れが行き届いている
ただビジターセンターはもとより周辺に飲食施設,自販機すらなし 要注意

登城の甲斐あり
備中松山城
2014年5月26日
7城目 備中松山城 国史跡 国重要文化財

平日で雨天ということもあり?ふいご峠駐車場(駐車区画10数台分)に待つことなく駐車できる 駐車料金無料 混雑時には麓の城見橋公園駐車場に駐車することになるとのこと 休日にはふいご峠駐車場・城見橋公園駐車場間でシャトルバスが運行されるらしい

日本で標高の最も高い場所に天守の現存する山城 ふいご峠駐車場からは距離700m ふつうに歩いて20分程度か 適度な距離

入場料300円 まず六の平櫓の中に入り 映像コーナーで4タイトルすべて視聴する  備中松山城の理解が深まる 天守は三層に見えるが二層二階 内部にパネルを中心とした展示あり 当日はあいにくの雨天のため視界は今ひとつ

戦国時代は備前の宇喜多との対立に加えて毛利・織田の二大勢力の狭間で翻弄される経緯を知る
岡山城
2014年5月31日
8城目 国重要文化財(月見櫓,西の丸西手櫓) 国史跡

五月にして快晴真夏日 午前中から暑い 観光客ちらほら

不明門前よりボランティアガイドさんにお世話になる 天守前まで小一時間 文字を読んだだけではなかなか頭に入らない知識も実際に説明してもらえるとわかりやすい ありがとうございました

昭和20年6月戦火により天守閣・石山門焼失とのこと 現在の天守は鉄筋コンクリート造り6階建てエレベーター・冷暖房完備 入場料300円 5・6階より北方向には金の鯱越しに後楽園(日本三名園)を望む

宇喜多→小早川→池田という城主の推移の中で戦国の宇喜多・小早川あたりに興味がわく
 宇喜多秀家の正室豪姫は浅井長政の孫にあたることを知る 関ヶ原に秀吉に忠義を尽くして西軍総大将として出陣した秀家の数奇な運命 その後この地に入城したのが小早川秀秋とは何とも皮肉 現代の一般人の人生の中にも類似のことがあるような・・・・
徳島城
2014年6月14日
9城目 国史跡 国名勝(表御殿庭園)

高速を2時間かけて公園東側駐車場に到着 距離的にはJR徳島駅東側のコインパーキングとそう変わらない

石垣が青っぽい 阿波特産の結晶片岩とのこと 石垣と堀沿いに南下すると鷲の門が現れる 昭和20年7月の空襲で焼失したが平成元年復元

まずは徳島城博物館にて予習 ロビーのソファーでガラス越しに表御殿庭園を眺めながらまったりしているとうとうとしかける おっとと思い いざ登城へ

周囲の川と城山といった自然の地形を巧みに利用 現在の博物館のあたりに御殿(表御殿・奥御殿)がひろがり政務と城主の生活空間だったとのこと 背後の城山は標高61m 結構傾斜がきつい 石階段と手すりは整備されているものの息が切れる 二の丸・本丸がある

博物館見学を含め2時間ぐらいかと 市街地中心部でアクセスしやすい
鳥取城
2014年7月12日
10城目 国史跡 百名城 1/10達成! まだ先は長い まあ焦らずにゆっくりいこう

梅雨の合間 鳥取自動車道鳥取ICを降りて市街地に入り鹿野街道を進んでいくと正面眼前に突如,山 久松山(標高263m) 鳥取城跡 車は県庁北P(無料)へ はす向かいに吉川経家公像あり

仁風閣(明治時代の西洋建築)受付にスタンプあり 入館しなくてもスタンプだけは押すことができそうな雰囲気だったけど道義的にどうかと思い150円払い入ってみる ちょうど「甦る鳥取城」と「近隣の城跡」の写真展開催中で登城前の予習になった

三ノ丸方向に歩いて行くと部活動で?登校中の高校生がこの見知らぬ観光客にあいさつをしてくれる 礼儀正しい! 見ると三ノ丸跡地に高等学校がある 鳥取の好感度アップ

三ノ丸・二ノ丸の石垣は想像以上に大きくて立派 天球丸の球面の石垣も珍しい

山上の丸からは360度の眺望 東方向に本陣山 秀吉の兵糧攻めの際の本陣 1.5kmの距離だがお互い人の動きまで見えたとか
福山城
2014年7月24日
11城目 国重要文化財(伏見櫓,筋鉄御門)

午前中,用事があったので福山へ その後,午後より登城 暑い 天守に着くと汗がふき出だしてくる

JR福山駅すぐ北側 市街地中心部にあり,超便利 自分は車だったので西隣の広島県立歴史博物館北側のPに駐車 天守内部が博物館になっており駐車券提示で一時間無料

博物館を含め,ざっと見学で約一時間かと 駅ホームとか南側のビルからの眺めがよさそう 築城主の水野勝成公銅像は見学しそこなってしまいました 残念!
一乗谷城
2014年8月20日
12城目 特別史跡 特別名勝 重要文化財

2泊3日北陸5城巡りの最初 高速道路を5時間走って到着

あいにく一乗谷朝倉氏遺跡資料館は休館 復元町並の開場時間前だったため先に周辺を散策

15・16世紀頃街道から外れたこの山間の地が繁栄したのは少し神秘的 桜の季節や紅葉の時季に再訪したい
丸岡城
2014年8月20日
13城目 重要文化財

2泊3日北陸5城巡り2城目 一乗谷朝倉氏遺跡から車で約30分 一筆啓上茶屋の駐車場

歴史民俗資料館の前をすぎて階段を上るとすぐに天守閣 駐車場から近い

福井大地震により倒壊 震源地に近いためかなりの被害だったのだろう
屋根は石瓦 全国的にも稀とのこと 石垣は野面積 現存最古の天守閣
金沢城
2014年8月21日
14城目 国史跡 国重要文化財

2泊3日北陸5城巡り3城目 芦原温泉の宿から国道8号経由で1時間半くらいで到着 車は石川県兼六駐車場へ 金沢を観光目的で訪れたのは約40年ぶり 懐かしい

紺屋坂を登っていくと左手に兼六園,右に曲がると正面に石川門 入口休憩所でスタンプ 第一印象は広い・手入れが行き届いている! 三ノ丸広場の芝がとてもすばらしい

三十間長屋や菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓(一部工事中)等を見学

細かいことだけど兼六駐車場の駐車料金がやや高額になったのは少し残念だった
七尾城
2014年8月21日
15城目 国史跡

2泊3日北陸5城巡り4城目 金沢城から車で約1時間半 七尾城史資料館でスタンプとお勉強 名歌「古城」(♪松風さわぐ〜)が七尾城をうたった曲だと初めて知る 再び車で城山展望台経由本丸駐車場へ

中心部散策コース(約50分)を歩き始めるとまず桜馬場石垣が目に入る 見事 階段を上ると本丸に出る 北方向に七尾の街並みや日本海がひろがる それから二の丸・三の丸等を散策して駐車場に戻ってくる 適度な距離

案内標識なども多く手入れもしっかりなされている印象を受けた 地元の人たちの七尾城への想いが伝わってくるような気がする
高岡城
2014年8月22日
16城目 県史跡

2泊3日北陸5城巡り最後5城目 和倉温泉の宿から左手に富山湾を眺めながら車で1時間ちょっとで高岡市立博物館Pに到着 城跡一帯は高岡古城公園として整備されており市民の憩いの場となっている

博物館でスタンプ・お勉強の後内濠に沿ってぐるっと一周 本丸跡は現在芝生広場 二の丸から本丸へつながる土橋に築城当時の石垣 大手口に高山右近像あり
明石城
2014年9月13日
17城目 国重要文化財(巽櫓・坤櫓) 国史跡

大阪での所要の帰途立ち寄る 第二神明道路大蔵谷ICより約10分 車は明石公園内野球場南の協会駐車場東側(一番奥)へ サービスセンター(スタンプ設置場所)に近い

芝生広場を抜け石段を登ると二ノ丸 本丸の展望台から明石の街並みや明石海峡の眺めがよい 坤櫓の内部が公開されていた
竹田城
2014年11月23日
18城目 国史跡

2度目の訪問 初回は2012/9/13

午前9時過ぎ到着 すでに数か所の駐車場はほぼ満車 雲海目当てか? 何とかまちなか駐車場に車を入れ情報館へ スタンプはJR竹田駅舎内の観光案内所にあるとのこと 再度情報館に戻りシアター視聴・展示物見学 前回訪問時に比べずいぶん観光客がふえたようだった

画像左2枚は前回訪問時
安土城
2014年12月27日
19城目 国特別史跡

伝羽柴秀吉邸跡と伝前田利家邸跡との間を大手道の階段を上っていく 本丸跡・天守跡までの距離は自分にとっては適当(ちょうどいいくらい) 天守跡から北方向に眺望が開ける 当時はこの安土山の下まで琵琶湖がひろがっていたとか 中山道等の道路交通網,琵琶湖の水運等を勘案しての築城であったろう 

焼失がなかったら,空襲の可能性も少ないと考えられるので現存していたかも・・・・などと琵琶湖やその対岸の山並みを眺めながら妄想がひろがった
観音寺城
2014年12月27日
20城目 国史跡

麓の石寺楽市から長ーーい石段を通って登城 観音寺山(繖山)を南側から一気に駆け上る感じ かなりきつい 観音正寺の境内を通って城跡へ 何日か前の雪が残っていた

本丸・三の丸・平井丸周辺を散策 整備はあまりなされていないような印象 これはまたこれで味わいがある それだけに登城前にアクセスを含めて下調べが必要かも?
彦根城
2014年12月28日
21城目 国宝 国重要文化財 国史跡

朝8時30分の開門に合わせて登城 青いジャンパー姿の係員の方がたくさん城内の清掃等に精を出されていた お疲れ様です

徳川の泰平の世になってからのお城のせいか 素人の目からみてもとても立派なお城で感心した
小谷城
2014年12月28日
22城目 国史跡

前回は戦国歴史資料館のみ 今回は河毛駅コミュティハウス 3回目はぜひ登城したい
和歌山城
2015年2月14日
23城目 国重要文化財(岡口門・続塀) 国史跡 国名勝(西の丸庭園) 市文化財(追廻門)

 九度山町に少し立ち寄り,その後,昼過ぎ,市役所近くの駐車場に到着。さあ登城と歩きかけたその時,車の異常が発覚。走行に関わる異常ではあるし,自宅までは250Kmあるため,そのままにはしてはおけず,対処に時間をとられ,日が西に傾きかけた頃からの登城となった。

 いまさら述べるまでもなく,高名なお城だけあって,立派でもあり見どころも多いお城だった。天守閣内のパネル展示で,阪急ブレーブス等の監督を務められた西本幸雄氏が和歌山県出身ということを初めて知った。
高知城
2015年3月14日
24城目 国重要文化財(天守など15棟) 国史跡

 高知へは公私ともに何度も訪れているが,お城に上がったのは今回が初めて。龍馬の生まれたまち記念館の後,9時半頃高知公園駐車場着。

 山内一豊銅像を右手に見ながら追手門へ。天守閣共に一枚の写真に収められるとのこと。詰門前を右手にとり鉄門跡を通って本丸へ。天守は望楼型四重六階,最上階には高欄がある。

 帰りは井戸跡より城の周りを時計回りにぐるっと一周。長宗我部の遺臣団とのかかわりに興味をもった。
松江城
2015年3月28日
25城目 1/4達成 約一年 国重要文化財(天守) 国史跡

おだやかな好天 午前10時島根県庁駐車場(閉庁日開放)到着

庁舎広場の松平直政像・若槻礼次郎像 内濠脇の岸清一像を少し見学して大手木戸門跡へ
次週予定のお城まつりの準備がなされている

現存12天守の一つ 別名千鳥城 輪郭連郭複合式平山城 複合式望楼型4重5階地下1階

天守5階から東方向に山頂付近に雪をいだいた大山の遠望

松江城を国宝にという市民の声が高まっているだけに市民から愛され整備・管理がきちんとなされている城郭であるという印象を受けた
高取城
2015年4月25日
26城目 国史跡

まず夢創館にて丁寧に車と徒歩の場合のそれぞれのルートについて説明を受ける つぎにCG視聴 徒歩に決心し観光駐車場の車に戻り必要なものだけリュックに詰め出発

高取城址・壺坂寺ウォークのモデルコース 土佐の街並みを過ぎ高取川に沿って上り坂が続く 宗泉寺入口から山登りの始まり 猿石を過ぎ城内の入口である二の門到着 ここまでが約一時間 二時間弱で本丸到着 途中国見櫓に寄ったり写真撮影のために何度も立ち止まったりした それがなければ一時間半程度みておけば十分か

司馬遼太郎氏がこの奥深い山中の高取城跡を著書「街道をゆく」の中で最初にアンコールワットに入った人の気持ちにたとえたそうであるがなるほどうなずける 帰りは五百羅漢・壺坂寺経由 約四時間で戻ってきた

車で城跡近くまでいけるが城跡の全体像が把握できる点でも徒歩で良かった この後飛鳥歴史公園に向かう
人吉城
2015年5月2日
27城目 国史跡

高速道路を7時間走って到着 お城まつり開催のため歴史館周辺には駐車できず大手橋を渡って胸川対岸の保健所に駐車 おまつりのため歴史館の入館料は無料

まず歴史館にてスタンプと予習 球磨川と胸川の合流点近くのシラス台地の突端部に築城されていること 「はね出し石垣」の採用 「御下の乱」のこと 西南の役で戦場になったこと等を知る そして「井戸のある地下室」を見学

つぎに城跡見学 水ノ手門を過ぎ御下門をくぐって二の丸・本丸へと進む 二の丸では杉林の間からのそよ風がとても気持ちよく球磨川越しに見える人吉の市街地や遠くの山々の景色に癒やされた

最後に城跡を後にして水の手橋・大橋経由で球磨川対岸から城跡全体を眺めながら車に戻った
鹿児島城
2015年5月3日
28城目 県史跡

城山展望台・西郷隆盛洞窟見学後黎明館駐車場到着 黎明館開館まで少し時間があったため徒歩で西郷隆盛銅像まで行ってくる

まず本丸跡にたつ黎明館にてスタンプと予習 城跡のみならず鹿児島県全体の歴史や文化の展示が充実 何年か前のNHK大河ドラマ「篤姫」関係の展示もあり

つぎに大手門から出て石垣・水堀を見学 裏山の城山への遊歩道が続いている 雨天でなければ歩いて見たがったが断念

最後にもう一度黎明館に戻り次の目的地へ向かう
飫肥城
2015年5月3日
29城目 市史跡

鹿児島城より車で移動午後着 東九州道を降りてからが長く感じられた 観光駐車場満車のため酒谷川の河川敷駐車場へ行くよう指示される この飫肥城やここが小村寿太郎の生誕地であることは百名城に出合うまでは知らなかった

まず大手門をくぐって本丸跡にある歴史資料館へ 飫肥の歴史・藩・城についての概略を予習 小藩故の苦労・処世があったことを知る

つぎに松尾の丸・旧本丸を見学 飫肥杉の林立する城跡にしっとりとした佇まいを感じた
岡城
2015年5月4日
30城目 国史跡

宮崎の高鍋から移動 まず市立歴史資料館へ 竹田や岡城の概略をインプット 郷土のゆかりの人物として広瀬武夫と滝廉太郎が大きく取り上げられている

つぎに岡城跡へ 惣役所跡が駐車場になっており入場料を支払うと巻物になったパンフレットがもらえる なかなか良心的である 城跡に向かって進んでいくと大手門前が階段になっている 大手門をすぎると平坦になり三の丸・二の丸・本丸と続く 北方向には遠く九重連山を望むが出来る 城跡の南北は深い谷になっており堅固な城であることもうなずける
大分府内城
2015年5月4日
31城目 県文化財(人質櫓,宗門櫓)

岡城より戸次川古戦場跡経由で移動 午後到着 本丸跡が駐車場になっており無料 スタンプは大手門と廊下橋にある

この後大分市街地より少し郊外になるが大分市歴史資料館に立ち寄る
姫路城
2015年5月25日
32城目 国宝 国重要文化財 国特別史跡 ユネスコ世界遺産

「平成の修理」が終了したことを思い出し急に思い立って姫路城へ 白すぎるという評判は屋根まで白く見えることも一因か?

素人の目から見てもたいへん魅力的な城であるが具体的に名城たる所以をこれからゆっくり探りたい 城跡という範疇を超えて日本が誇る世界に通用する史跡ということもあり平日にもかかわらず観光客が多い 洋の東西を問わず外国人も多い  
岐阜城
2015年7月19日
33城目 国史跡

斉藤道三・織田信長と深いかかわりのある岐阜城(稲葉山城) 訪問をとても楽しみにしていた 台風11号のため一日ずらせて訪問したが曇空で時折小雨も降る空模様 天守最上階からの展望もガスがかかっていまいち

登りは七曲道(大手道) 最もなだらということだが蒸し暑さのせいもあり自分にとってはけっこうきつい ロープウェイ山頂駅のそばを通り天守へ 汗びっしょり 下りは瞑想の小径 ルートの約半分はとても「瞑想」できるような登山道ではない 足元とにらめっこ 一歩一歩どこに着地するか緊張の連続(下りのせいもあるかも)

なにはともあれ上り下りとも歩いた ロープウェイだったらどんなに楽だろうと思ったがいい思い出になった 下山後信長公居館跡(一部発掘中)と歴史博物館を訪れて今夜の宿の長浜へ移動  
春日山城
2015年8月16日
34城目 国史跡

百名城巡りも中盤にさしかかってきた 北陸・東北6城巡りの第一番目 高速道路を山陽道→中国道→舞鶴若狭道→北陸道と通って午前8時30分春日山城跡ものがたり館に到着 映像や掲示・展示で登城前の予習 次の土日に行われる謙信公祭のため自家用車は埋蔵文化財センターまでとのこと そこからはシャトルバス

謙信公銅像前のあたりでは盛り上げ隊の方の姿も見られけっこう賑わっている 銅像脇を奥に進み三の丸→二の丸→本丸→毘沙門堂→直江屋敷を巡って春日山神社に降りてきた 城跡を登るにつれて眼下には上越の街並みが開けてくる 時代は違えど謙信公と同じ眺めを経験できたことに満足して春日山城を後にした
新発田城
2015年8月16日
35城目 国重要文化財(表門 二の丸隅櫓)

北陸・東北6城巡り第2番目 春日山城より移動

まず新発田城趾公園隣接の白壁兵舎広報史料館にて登城前の予習 新発田城関連の史料の展示もある

百名城に出合うまでは「新発田」については新潟県の一自治体であるぐらいの知識であり城下町であることさえも知らなかった ましてや赤穂義士堀部安兵衛の出身地であることなど思いもよらなかった

本丸と二ノ丸の約半分が陸上自衛隊の駐屯地になっており城跡と駐屯地が隣接している格好になっている
久保田城
2015年8月17日
36城目 秋田市文化財(御物頭御番所)

北陸・東北6城巡り第3番目 前日新発田城より移動

車で千秋公園の近くまでは来たが佐竹史料館への入口が分からず公園の周りを一周半した

まず史料館で佐竹氏と久保田城について予習 つぎに史料館を出て千秋公園へ 長坂→御物頭御番所→表門→12代藩主佐竹義堯公銅像を経て御隅櫓へ 内部のパネル展示を見た後最上階の展望室へ

石垣はほとんど見当たらず周囲を土塁で固めた城郭構造のようだった 二時間ほど滞在して次の目的地弘前へ
弘前城
2015年8月18日
37城目 国史跡 国重要文化財(天守・辰巳櫓・丑寅櫓・未申櫓・三の丸追手門・三の丸東門・二の丸南門・二の丸東門・北の郭亀甲門)

北陸・東北6城巡り第4番目

追手門→二の丸→本丸→北の郭→緑の相談所(スタンプ)の経路で散策

本丸の石垣修理のため石垣の周りには足場が組んであり天守の建物も天守台から少し持ち上がった状態 これから移動するとのこと

日本桜名所100選だけあって本丸周辺には桜の木が多い 花見の時期には賑わうことだろう
根城
2015年8月19日
38城目 国史跡

北陸・東北6城巡り第5番目

まず八戸市博物館にて予習 玄関前には築城主南部師行公の騎馬像 つぎに旧八戸城東門をくぐって根城の広場へ 広場を進んでいくと正面に柵に囲まれた小高い本丸が目に入ってくる

本丸内には主殿をはじめいくつかの建物が復元されている

全体的に手入れも行き届いており中世城郭の特徴をよくあらわしている
盛岡城
2015年8月20日
39城目 国史跡

北陸・東北6城巡り最後第6番目

岩手公園地下駐車場に車を入れ,まず,もりおか歴史文化館にて盛岡城と南部藩について予習 つぎに盛岡城跡公園(岩手公園)へ 三ノ丸から二の丸へと進み御廊下橋を渡って本丸へ

二ノ丸・三ノ丸の石垣は高さもあり見どころである
津和野城
2015年9月21日
40城目 国史跡

 中国自動車道六日市ICより小一時間で国道9号脇の津和野への入口にあたる赤い鳥居のある交差点に到着。鳥居をくぐって南北に細長い街並みを横断してリフト乗り場の駐車場へ。リフト運行開始直後にもかかわらずかなりの車。県外ナンバーやレンタカーが目立つ。

 リフト券(JAF割引あり)は往復を購入。このリフトは先日訪れた賤ヶ岳リフト(滋賀県)に雰囲気が似ている。

 リフトを降りて出丸(織部丸)を見学後本城へ。二の丸から天守台を経て本丸(三十間台)へ。360度の展望,眼下に津和野の街並みが広がる。兵庫県の竹田城跡からの眺めを思い出した。次は,本丸を後にして,三の丸へ。人質櫓台と本丸の石垣がよく見える。

 リフトのおかげで山城にしてはアクセスがずいぶん楽で,また,好天に恵まれ,木陰に入ると気持ちのよい涼しさだった。ずいぶん快適な津和野城への訪問だった。この後,歴代津和野城主菩提寺の永明寺へ。
萩城
2015年9月22日
41城目 国史跡 国重要文化財(厚狭毛利家長屋)

 指月第一駐車場に車を駐め,二の丸南門・本丸門を経て指月公園受付へ。城跡一帯は公園化されている。大河ドラマや五連休のわりには人が多くない。

 受付でもらった案内図のルートに従って,本丸の雁木(石の階段)→天守台→花江茶亭→志都岐山神社→東園→展望所→二の丸土塀の順に散策する。約一時間か。次回は遊覧船で海から眺めてみたい。
伊賀上野城
2015年10月10日
42城目 国史跡 市指定文化財(天守)

 高速道路と名阪国道を3時間半かけて城跡北側の市営駐車場に到着。まずは近くの牛丼チェーン店の朝定食で腹ごしらえ。

 城跡の北側から西側の内堀に沿って南下。樹木の間から高石垣が見えてくるが,なかなか書籍に載っているような写真は撮影しにくい。それでも何とか数枚撮影。

 高校の敷地沿いに進み本丸広場へ。リズミカルな太鼓の響き。太鼓フェスティバルとのこと。三施設共通券を購入し天守内へ。内部は城関係や歴史資料の展示。三階から城下町を展望。山に囲まれ盆地であることがよく分かる。本丸西側の防御を重視しているのはやはり大坂(豊臣)を意識してか?

 本丸を後にして,筒井城跡→俳聖殿→伊賀流忍者博物館→芭蕉翁記念館→上野歴史民俗資料館→だんじり会館と見学して松阪へ向かう。
松阪城
2015年10月11日
43城目 国史跡

 城址公園隣接の市営駐車場に駐車。小雨の中,表門跡から城跡内へ。まずは,歴史民俗資料館でスタンプ。

 つぎに,ゆるやかな坂を本丸へと上がっていく。本丸の石垣近くまで進むと松阪の街並みが広がる。本丸上段に上がると眼前に天守台。本丸・天守台の辺りをしばらく散策。隠居丸には移設した本居宣長の旧宅や桜松閣がある。

 裏門跡から外へ。裏門の方が広くて見どころも多いような感じ。この後本居宣長記念館へ。
岩国城
2015年11月22日
44城目

 午前9時,錦帯橋南側の河川敷駐車場に到着。駐車料金一日200円。平日は無料らしい。橋の袂の券売所でセット券(錦帯橋・ロープウエー・岩国城)を購入。940円。

 錦帯橋を渡り吉川広嘉公像脇を抜けてロープウエー山麓駅へ。一回待ち。山頂に到着するとからくり時計の正時のメロディーが迎えてくれる。大釣井のそばを通り散策路を数分歩くと旧天守台。ところどころに矢穴の跡が見られる。空堀跡を見て再建天守へ。桃山風南蛮造りとのこと。最上階からは360度の展望。城下町の町割がよく分かる。

 下山後,吉川博物館と岩国徴古館を見学。徴古館の企画展「岩国幕末ものがたり 四境戦争編」につい見入ってしまった。
今治城
2015年12月26日
45城目 県史跡

 伊予5城巡り第1城目。しまなみ海道経由で四国上陸。午前8時前,内堀に面した市営駐車場に到着。城跡南隅櫓方向から太陽が顔を出してくる。

 天守開館時刻までまだ一時間ほどあるため,堀に沿って反時計回りに歩き始める。土橋を過ぎ最初のコーナーを曲がってすぐの所に海水導入口がある。次のコーナーの手前と曲がった辺りが天守と櫓を一つの画面に撮せるため撮影ポイントの一つと思われる。あいにく当日は時刻的に陰になったのは少し残念。この角度からの撮影は太陽がもう少し高くなってからの方が良い。石垣の下の「犬走り」の様子がよく分かる。

 堀に沿って一周した後,土橋を登っていくと正面に再現された野面積石垣と「勘兵衛石」。鉄御門をくぐって藤堂高虎銅像脇を抜けて天守へ。層塔型五重六階模擬天守。最上階からの瀬戸内海とその島々の眺めがよい。海に近いのがよく分かる。

 天守の後は,御金櫓(郷土美術館),山里櫓(古美術館),鉄御門・武具櫓(内部公開)を見学。平成19年に再建されたという鉄御門の内部は小屋組等が再現してあり見応えがある。滞在時間二時間ほどで次の目的地,湯築城へ。
湯築城
2015年12月26日
46城目 国史跡

 伊予5城巡り2城目。今治城よりR317で午前11時到着。

 西口(搦手)より湯築城跡(道後公園)に入り,まず,資料館へ。ボランティアガイドさんの説明を聴きながら展示を一通り見学して,映像視聴。一気に5タイトルすべて視聴する。湯築城と河野氏の歴史,天守のない平山城,復元整備の様子などについて知る。

 資料館の後は,家臣団居住区に復元された武家屋敷や土塁・内堀を見ながら展望台へ登る。東方向の山の上には松山城が見える。つぎに,城跡北側にある石造湯釜を見学して市内電車道後温泉駅へ。
松山城
2015年12月26日
47城目 国重要文化財 国史跡

 一泊二日伊予5城巡り3城目。

 湯築城より移動。市内電車「大街道」電停下車,ロープウェイ乗り場に午後1時40分到着。

 本丸までの通路にそびえる石垣に目が行く。天守を含めて,櫓・門・石垣など見る目があれば見どころ満載で,とても興味深い城郭であるという印象。そういう目を養いたい。が,素人目から見ても素晴らしいと感じられる。

 帰りは徒歩で大手門跡から二之丸史跡庭園へ下っていく。園内の勝山亭より全体が見渡せる。大井戸などをざっと見てまわる。その後,坂の上の雲ミュージアムを見学して道後温泉街の宿へ。
大洲城
2015年12月27日
48城目 国重要文化財 県史跡

 一泊二日伊予5城巡り4城目。

 道後温泉の宿より午前9時観光駐車場到着。小学校の前の道路を南下。南隅櫓・お殿様公園(藩主加藤家住居跡),苧綿櫓を経て本丸へ。

 平成16(2004)年復元四層四階複合連結式層塔型天守。白壁がまだ真新しい。天守最上階からは東から北方向へ蛇行して流れる肱川の流れ。自然の要害。天守内部の心柱の存在と吹き抜け空間は珍しいとのこと。

 城跡の後は,街並みを散策しながら,ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで1ツ星を獲得した臥龍山荘へ。しっとりとした落ち着いた風情に心が和む。

 大洲には,城跡を含めて見どころが多い。少し後ろ髪を引かれる思いを残して,次の目的地宇和島へ。
宇和島城
2015年12月27日
49城目 国重要文化財 国史跡 市文化財

 一泊二日伊予5城巡り5城目。

 午後一時,大洲城より桑折長屋門前の市営駐車場に到着。門をくぐり2・3回折れ曲がると上りの石段の向こうの樹木の中に井戸丸の石垣が見えてくる。さらに二之丸まで登ると宇和島湾とその島々が目に入ってくる。それから180度向きを変えると比較的小ぶりの三重三階独立式層塔型天守。宇和島伊達家二代宗利再建。天守最上階からは宇和島の地形が手に取るように分かる。

 天守を後にして,城山郷土館を見学して,城山南側の搦手道口にある上り立ち門まで下ってみる。薬医門形式としては,最大級・最古の可能性があるとか。

 天赦園や村田蔵六・楠本イネの足跡を訪ねたかったが,時間的にこれらはまたの機会ということになった。
岡崎城
2016年3月19日
50城目 岡崎市指定史跡

転勤が決まって仕事の整理が気になったけど,雨の中,高速道路を4時間走って岡崎公園駐車場に到着。しばらく歩いて国道1号沿いの大手門から公園内へ。大手門すぐそばにも駐車場があるが,バス駐車場ということだったのでここには駐めなかったけど帰りに見たら一般乗用車も駐車していた。ここでもいいの?

大手門をくぐり三河武士のやかた家康館で音声ガイド借用。公園内各所のガイドかと思ったら,天守と家康館のみのガイドだった。少しがっかり。でもまあ無料だから。本多平八郎忠勝公銅像,からくり時計塔,徳川家康公銅像,松平元康の像を経由して天守へ。アジア系外国人が目に付く。鉄筋コンクリート三層五階。内部の展示を一通り見ながら,最上階へ。北方向に大樹寺が見えるとのことだったが,確認できず残念!

天守を後にして東照公産湯の井戸を見て家康館へ。可動式ジオラマ「決戦!関ヶ原」など見応えはあったが,西軍派の自分的には悔しい!

さほど広くないエリアにいろいろな施設が凝縮してある感。購読地方新聞に「家康」が連載中でもあり,興味深く見学できた。正午過ぎ,次の目的地長篠城へ。
長篠城
2016年3月19日
51城目 国史跡

岡崎城より移動13:00史跡保存館着。設楽原歴史資料館との共通券を購入し,まずは保存館内を見学。中は広くはないが歴史的史料がぎっしり詰まっている。磔に散った鳥居強右衛門が大きく取り上げられている。

保存館の後は城址へ。JR飯田線が城址真ん中を突っ切っており,本丸跡と野牛郭を分断している形になっている。野牛郭の先が寒狭川と宇連川の合流点となる。

つぎに,二つの川の合流点近くの橋を渡って設楽原歴史資料館へ。火縄銃コーナーもあり,長篠・設楽原の戦いの概要を知ることができる。屋上からは連吾川をはさんで設楽原の戦いの決戦地や復元した馬防柵を見下ろすことができる。

ここへは長篠・設楽原の戦いについての歴史教科書にある織田・徳川の鉄砲隊による武田騎馬隊の敗北という簡潔な記述の裏にある時代情勢や様々な思惑・駆引等のある程度の知識を仕入れてから訪れる必要があるような気がした。劣勢とは分かりながら宿老らの反対を押し切って決戦に挑んでいった勝頼の思いを想像しながら,宿泊地浜松へ向かった。
掛川城
2016年3月20日
52城目 国重要文化財(二の丸御殿)

浜松より移動,8時30分大手門駐車場着。駐車場斜向かいの大手門をくぐり逆川沿いに歩き掛川城公園へ。

地理的に東からの武田・今川と西からの織田・徳川の勢力争いの接点となり,その攻防の歴史があるとのこと。家康関東移封後は山内一豊が入り,城の拡張や城下の整備を行ったそうだ。撮影ポイントがなかなか分からず,パンフレット等を参考にしたが,なかなかプロのようには撮影できなかった。当たり前ですが・・・。

天守最上階からは富士山も見えるとのことだったが,当日は見えなかった。JR掛川駅をスピードを落とさず通過していく「のぞみ?」はしばしば見えた。

天守の後は二の丸御殿へ。現存する数少ない城郭御殿だそうである。専門的なことはよく分からないが部屋がたくさんあって,藩主の普段の生活が少しわかった。滞在二時間半でまた浜松へ。
吉野ヶ里
2016年5月3日
53城目 国特別遺跡 国重要文化財(墳丘墓出土品)

ゴールデンウィーク後半の三連休に二泊三日の予定で九州方面へ。気象情報によると,初日の五月三日の日の天気がどうも良くないみたいだったけど,その後は天気が回復するということだったので,まあ,どんな雨の降り方かもよく分からなかったけど予定どおり決行した。

予報どおり山口の辺りからぽつぽつ降り出した。九州へと進むにつれて雨脚が激しくなり,吉野ヶ里歴史公園に着いた時にはかなりの雨脚だった。

音声ペンの付いた音声ガイドを借りて歴史公園センター(東口)より「天の浮橋」を渡って園内へ。ゴールデンウィークということで,駐車料金も入園料も無料だった。かなり激しい雨。足元が濡れる。傘を差して写真を撮りながら音声ペンをタッチするのはかなり骨が折れた。それでも南内郭,北内郭,北墳丘墓と主なスポットはまわったと思う。北墳丘墓の内部の展示施設に入った時は雨から解放されほっとした。
佐賀城
2016年5月3日
54城目 国重要文化財(鯱の門及び続櫓) 佐賀県史跡 佐賀市重要文化財(御座の間)

吉野ヶ里から佐賀城跡へ。相変わらず強い雨が降り続いている。到着した頃にはいよいよ強くなって鯱の門の入口辺りが冠水してしばらく通れないぐらいになった。門の扉には二枚とも佐賀の乱の銃弾による穴が開いているのが分かった。

城跡を散策しようと思ったが,あまりに雨が激しいので先に佐賀城本丸歴史館を見学することにした。この歴史館は天保期の佐賀城本丸御殿の遺構を保護しながら一部を復元した建物だということである。内部には佐賀城の変遷や幕末から明治維新にかけての佐賀について人物を中心に展示してあり,なかなか充実している。

歴史館を出るとすっかり雨が上がっていた。鯱の門を出て天守台に上り,西側土塁石垣,南西隅櫓台の脇を抜けてぐるっと一周してみた。
平戸城
2016年5月4日
55城目

午前8時30分の開館時間に合わせて,平戸城へ。昭和52年(1977)に開通したという平戸大橋を渡ってほどなく到着。北虎口門をくぐって天守閣前へ。午前中は逆光になり写真撮影しづらかった。天守閣最上階からは平戸港など平戸の街が一望の下に見渡せる。天守閣を後にして見奏櫓への途中から,東側より天守を撮影した。

つぎに,松浦史料博物館へ。松浦家に伝わる歴史的史料が数多く展示してある。時間をかけてゆっくり見学したい場所である。

最後は,平戸オランダ商館へ。東インド会社のアジアにおける貿易拠点の一つとして設置されたという歴史がある。いくつかあった石造倉庫のうち最大のものを400年近い時を経て復元されたものだそうだ。倉庫の周囲にはオランダ塀やオランダ井戸など日本におけるオランダ貿易の足跡が残っている。
名護屋城
2016年5月4日
56城目 国特別史跡

平戸より移動。ナビのルート案内を最短コースにセットすると伊万里からはずいぶん曲がりくねったアップダウンの多い道を走った。かかった時間は一時間四十分ほどか。

名護屋城博物館の駐車場に車を入れ,タブレットを借りて城跡へ。城跡の建物などをCGで再現される優れものだが,初心者にとっては音声も流れてくれればと思うがそれは技術的に難しいのか? それでも,ずいぶん助かる。

本丸まで上がると360°の視界が開け気持ちがよい。当日はとても風が強く立っているだけで強風で体がふらつくほどだった。

本丸を後にして三の丸まで戻り,馬場を抜けて弾正丸の搦手口まで足を延ばしみた。

博物館の方も展示が充実しており,もっと時間をかけて見学したいところだった。
岩村城
2016年8月16日
57城目 県指定史跡 4泊6日11城巡り1/11

高速道路を5時間弱走り早朝恵那市に到着する。まずは国道19号沿いの牛丼チェーン店の朝定食で腹ごしらえ。お腹が落ち着いたところで国道257号を南下する。途中から明知鉄道と並走し岩村駅前に到着。駅前から古い街並みをゆっくり走って岩村歴史資料館へ。まだ開館前だったので,太鼓櫓や岩村藩校知新館の正門などを観て,登城口へと進む。

途中,下田歌子(実践女子創立者)勉学所などを見学しながら登っていく。石畳が敷いてあり傾斜もさほどきつくなく歩きやすい。本丸までの距離が100mごとに表示してありありがたい。しばらく進むと本丸の六段の石垣のところに到着する。これは石垣の崩落を防ぐために石垣を増設していったものらしい。本丸まで登ると岩村の街並や周囲の山々が見渡せる。本丸のすぐ下の出丸まで車でも来ることができる。

三大山城の中では標高は一番高いが一番楽。下山後歴史資料館を見学する。岩村の三偉人として,佐藤一斎,下田歌子,三好学が取り上げられている。吉田茂が佐藤一斎の孫夫婦の養子であることを初めて知った。この後,高遠城へ。
高遠城
2016年8月16日
58城目 国史跡 4泊6日11城巡り2/11

岩村城より午後一時過ぎ到着する。車を駐め保科正之公とお志津の方の像の前を通り歴史博物館へ。

まず,ここで高遠の歴史を知ったり絵島囲屋敷を見学したりする。

次に,車を城址公園グランドゲート前に移動させる。大手門跡石垣,旧大手門,藩校進徳館を見学しながら北ゲートから二の丸に入り,高遠閣の前を通って桜雲橋を渡って問屋門をくぐって本丸方向へ進む。天気の良い日には本丸から北アルプスが見えるとのことだったがこの日は見えなかった。

その後,太鼓櫓の前を通って南曲輪・法幢院曲輪へと進み,公園内をほぼ一周する。

暑い日だったが,桜の名所らしく樹木が鬱蒼と茂っており日陰が多く助かった。深い空堀や土塁の跡が残っており,河岸段丘上に築かれた平山城の様子がよく分かった。
松本城
2016年8月17日
59城目 国宝(天守) 国史跡 4泊6日11城巡り3/11

午前8時過ぎ,城公園北側の市営開智駐車場に到着。まず,公園内に入り,埋橋の袂を通り内堀に沿って遊歩道を進む。漆黒の天守が朝日に照らされ,また,内堀の水面には天守の影が上下対称に映っている。

一旦,南の門(正門?)から外に出て外堀に沿って進み太鼓門から再入園する。天守見学の待ち時間は無かったが,見学後出てみると待ち時間60分とのこと。天守内部はさすが国宝だけあって昔の様子をよくとどめている。専門的なことはよく分からないが松江城に似ていると思った。急な階段は丸岡城を思い出した。

天守見学後は市立博物館に寄る。松本訪問はお城見学だけではもったいない。できればまたゆっくりと訪れたい。少し後ろ髪を引かれる思いを残しながらつぎの目的地松代へ向かった。
松代城
2016年8月17日
60城目 国史跡 4泊6日11城巡り4/11

松本城を後にして,高速に乗ろうかと散々迷ったが結局は国道19号をひたすら北へ進む。かなりの山岳地帯を抜けて,長野盆地へ出たところで八幡原史跡公園(川中島古戦場)の脇を通って真田邸駐車場に午後1時30分到着。

今年は大河ドラマのこともあり「真田大博覧会」の開催もあってかけっこうな人出。

まず,松代城跡へ。内堀にかかる太鼓門橋を渡って本丸の中へ。本丸散策後は北不明門から二の丸へ出る。復元された堀や土塁のおかげで何となく往時の様子を想像できる。

次に,真田邸へ。幕末に建てられた真田家の御殿だそうだ。縁側に座ってしばらくぼんやりと庭を眺める。

最後に,メイン会場の真田宝物館へ。真田家の歴史を史料から紹介している。

松代周辺には史跡がいろいろとあり,ぜひまた訪れてみたい。
上田城
2016年8月18日
61城目 国史跡 4泊6日11城巡り5/11

学生時代,菅平高原での夏合宿のため幾度となく上田には立ち寄ったが城跡訪問は初めて。旧北国街道沿いのホテルから徒歩で三の丸大手門跡を経て午前8時,二の丸橋到着。

真田丸大河ドラマ館の前まで来ると写真でよく目にする東虎口櫓門が眼前に現れる。門の前には深い堀が横たわっている。真田石の前を通り櫓門をくぐって本丸へ進む。本丸は土塁で囲まれている。

眞田神社境内を抜けて真田井戸へ。Uターンして本丸土塁の隅おとしを見て西櫓脇から尼ヶ淵に下りてみる。当時,この辺りは河川だったそうだ。その後,市立博物館や池波正太郎真田太平記館を見学する。真田太平記館は少し離れているが自分的にはおすすめです。つい長居をしてしまった。

真田の歴史と戦国から徳川への歴史の大きな流れとの密接な関わりを強く感じながら,小諸へ向けて上田を後にした。
小諸城
2016年8月18日
62城目 国重要文化財(大手門 三之門) 4泊6日11城巡り6/11

上田より国道18号経由で午後2時懐古園駐車場に到着。あまりにも有名な藤村の千曲川旅情のうたの一節「小諸なる古城のほとり・・・」がすぐうかぶ。

まず,鉄道を地下通路でくぐって少し離れたところにある大手門へ。仙石秀久によって築かれたという。小諸城の正面玄関。二階櫓内の資料展示室を少し見学。

次に,来た道を戻って三の門をくぐって二の丸へ。北の丸と南の丸の間を進む。南の丸の南側が深い堀になっているのがよく分かる。黒門跡を通って本丸へ。山本勘助愛用の鏡石を見学したり天守台に登ってみたりする。

最後に,藤村記念館や徴古館を見学する。幕末,この小諸に越後長岡藩の河井継之助がやって来て藩政に関与したことを初めて知る。

しっとりと落ち着いた雰囲気の中に歴史の重みを感じる。いろいろと思索にふけりながら散策するにはよい場所だと思った。
箕輪城
2016年8月19日
63城目 国史跡 4泊6日11城巡り7/11

午前8時30分高崎市箕郷支所に到着。ここでスタンプ押印とパンフレット入手。休日は裏口らしい。小学校の前を通り搦手口近くの城跡駐車場へ。まだ真新しくトイレも清潔。

搦手口(城跡東側)から入るとまず二の丸へ出る。ここまで車乗り入れ可能だけど,一般観光客は道義的にも駐車場に止める方がいいと思う。二の丸からは中央見学コースを進む。800mとのことで,ゆっくり丁寧に見て回っても1時間もあれば十分かと。城跡全体を見るなら1日あっても足りないと思う。

次に,本丸へ。南側から北側にかけて深い堀が巡らせてあるのが確認できる。本丸は結構広い。北側に隣接して御前曲輪。御前曲輪から堀に下りて南下してまた二の丸に戻ってくる。二の丸から土橋を経てつながっている広大な郭馬出がはっきりと確認できる。保存工事中でところどころブルーシートで覆われている。

城跡全体にわたって史跡発掘・保存工事の進行中で,数年後には遺構等がより鮮明によみがえってくると思われる。駐車場付近にでもガイダンス施設があるとより魅力度が増すところだ。
金山城
2016年8月19日
64城目 国史跡 4泊6日11城巡り8/11

箕輪城より関越道・北関東道経由で午前11時金山城跡ガイダンス施設に到着。先進的なデザインの建物で,展示も6つのテーマに分けて系統的に金山について解説されている。じっくり滞在すればかなりの理解を図ることができそう。

小一時間ほどの滞在の後,城跡駐車場へ車を移動させる。山の尾根に沿って通路を進む。矢倉台や堀切をいくつか通り過ぎ,物見台虎口に至る。それから大堀切りの辺りから下って月ノ池を左に少しカーブすると正面に写真でよく見る大手虎口が現れる。

大手虎口からの石畳を登ると,日ノ池があり,南曲輪・三ノ丸・二ノ丸・実城(本丸)と続く。南曲輪からは広大な関東平野の眺望が眼下に広がる。時には富士山まで見渡すことができるらしい。

駐車場から南曲輪までは難なく到達することができ,適度なハイキングコースといったところか。史跡・設備の維持管理も適切になされていると感じられた。
足利氏館
2016年8月19日
65城目 国宝(本堂) 国史跡 国重要文化財 4泊6日11城巡り9/11

箕輪城・金山城に続き,当日3城目。午後2時到着。

まず,太鼓橋を渡り山門をくぐって館内へ入る。正面に国宝の本堂が目に入る。鑁阿寺(ばんなじ)は,鎌倉時代初めに源頼朝の従弟にあたる足利義兼が開創した真言宗の古刹とのこと。義兼七世の孫が京都室町に室町幕府を開いた足利尊氏だそうだ。

今まで訪れてきた百名城とはずいぶん様子が違う。経堂や多宝塔など建築物を一通り見て西門から出て水堀に沿って時計回りに周囲を一周してみる。水堀と土塁に囲まれた方形の鎌倉時代の地方武士の館の姿を今にとどめている。

次に,すぐ近くの足利学校を見学して宿に戻った。滞在時間は足利学校の方が長かったような気がする。
鉢形城
2016年8月20日
66城目 国史跡 4泊6日11城巡り10/11

足利より移動。午前9時30分鉢形城歴史館に到着。

まずは,歴史館で鉢形城について知る。なかなか展示が充実しており,中でも「鉢形城ワープステージ」の映像と音声での解説は秀逸だった。

次に,歴史館を出て城跡散策に向かう。遊歩道の階段を下りて深沢川を渡り,しばらく進み,道路を横切って二の曲輪,三の曲輪へと歩を進める。虎口から復元四脚門や石積土塁を見て馬出を経て本曲輪へ。本曲輪の西側は崖になっておりはるか下を荒川が流れているのがよく分かった。

最後に,搦め手まで行って外曲輪をまわって帰ってきた。

今回は2時間ほどの散策だったが,それでもまだまだ広大な城跡の一部分であった。初めて訪れた場合は,最初に歴史館に寄ってある程度概要をつかんでからまわった方が良いであろう。
川越城
2016年8月20日
67城目 県有形文化財(本丸御殿) 県史跡 4泊6日11城巡り11/11

鉢形城より移動。午後1時本丸御殿駐車場に到着。11城巡りもいよいよ最後になった。

玄関から御殿内に入ると正面に広間。36畳の広さがあり2番目に広い部屋らしい。広い廊下を進み家老詰め所の縁側で庭を眺めながらしばらく佇む。御殿内に居たのは実質30分ほどか。人は多くは無かったが,東アジア系とおぼしき外国人の姿がちらほら見られた。

御殿の後は向かいの市立博物館へ。川越の歴史と文化について系統的に展示してある。太田道灌関連の映像をしばらく視聴する。視聴後入口ホールまで出てみると外は大雨。しばらく小ぶりになるまで待って車の所へ。

長かった11城巡りもこれで終了。川越を後にして,坂戸ICから圏央道に入り距離700kmの帰途につく。
津山城
2016年11月19日
68城目 国史跡

お城まつり開催中。石垣探索ツアーに参加。石垣の刻印をたどりながら学芸員さんからの解説を聴く。紅葉も見頃。

ご当地グルメフェスティバルの会場からはいいにおい。「よう来んちゃったなあ(よく来てくださいました),〜しんちゃい(〜してください)・・・」の懐かしい作州弁に心が和む。

備中櫓で地元出身の押阪忍氏のナレーションによるDVD「よみがえる津山城」視聴。森蘭丸(信長の小姓)の弟森忠政により築城。20万石足らずの中堅大名の居城としては規模が大きいとのこと。
島原城
2016年12月23日
69城目 長崎県指定史跡

島原は遠かった。本州から車で行くと体感的には熊本県南部〜霧島の辺りまでと同等の感じ。長崎道を佐賀大和ICで降り,諫早湾干拓堤防道路を通って11:30到着。

まず,姫松屋の貝雑煮で腹ごしらえ。店内はかなりの賑わい。出汁が少し甘いような・・・。万人向きの味付けにしてあるのだろう。でも美味。

次に,菖蒲や蓮が植えてある堀に沿って城の周りを反時計回りに一周。いろいろな角度から城郭を眺める。確かに4万石の領主の居城としては規模が大きいような気がする。大和五条時代には領民から慕われていたという松倉氏二代も将軍家光からのキリシタン統制に関する圧力や大名としての見栄などから領民に対して苛政とならざるをえなくなったのだろう。そして,島原領民のみならず天草のキリシタンを加えての大蜂起を招くことになる。

最後に,城郭の中に入って外から天守閣を眺めたり天守閣内のキリシタン史料を見たりしていろいろと思索にふけりながら,2時間ほどで次の目的地原城へ向けて島原を後にした。
大野城
2016年12月25日
70城目 国特別史跡

宿泊先の長崎より午前8時30分四王寺県民の森センター到着。ナビのおかげで九州道太宰府ICを降りてから難なく辿り着くことができたが,ナビなしではかなり厳しそう。城巡りではナビがとても役立っている。

まず,センターの学習展示館でDVD視聴。大野城の概要を知る。7世紀白村江での敗戦後北部九州の防衛のために築城したこと,尾根に沿った土塁は総延長約8kmにも及ぶ朝鮮式山城であること,・・・。

つぎに,県民の森案内図を頼りに史跡巡りに出発。最初は,来た道路を引き返して百間石垣へ。谷部分は石垣で補強してある。今度はUターンして南下。太宰府口城門跡方面へ行こうとしたが,岩屋城跡まで通り過ぎてしまった。車から降りて遊歩道を進む必要がある。

広大な城跡なので,じっくり見学するためにはそれなりの装備を整え,下調べもしてから訪問する必要がある。今回は2時間ほどの車での訪問ではあったが,雰囲気は感じ取ることはできたと思う。
福岡城
2016年12月25日
71城目 国重要文化財 国史跡 県文化財 市文化財

大野城より移動。正午過ぎ舞鶴公園駐車場到着。

まず,平和台陸上競技場に沿って進み鴻臚館跡展示館へ。古代の迎賓館に相当する施設で平安京や難波にも設置されたらしいが,遺跡が確認されたのはここ筑紫の鴻臚館だけらしい。

つぎに,東御門跡から本丸へ。祈念櫓の脇を抜け鉄御門から天守台へ。眼下には博多湾とその手前には福岡の高層ビル群が広がる。築城当時の海岸線はずっと手前にあったのだろう。福岡藩初代藩主黒田長政が名島城からここに城を移したとのこと。後藤又兵衛との関わりに興味がわく。

天守台を後にして,多聞櫓,名島門,旧母里太兵衛邸長屋門,下之橋御門を見学して駐車場に戻る。約2時間の滞在だった。
犬山城
2017年3月18日
72城目 国宝(天守)

早朝北陸自動車道を米原ICで降り,国道21号をひたすら東へ。普段は混んでいるらしいが土曜の朝ということもあり順調に進む。途中,鵜沼の和食チェーン店で朝食をとり木曽川のほとりへ。対岸の崖の上にやや小ぶりな天守が現れる。東方向なので午前中は逆光になり撮影には不向き。

まず,犬山城下町周遊券を購入し城とまちミュージアムで犬山城の概要を知る。その後からくり展示館のからくり人形の操作実演まで少し間があったのでどんでん館まで行ってくる。

つぎに,お城に向かう。登城口に神社が二つありどこから入るのかよくわからなかったが適当に登っていくと本丸門に到着。本丸門をくぐって本丸広場へ進むと三重四階の天守が眼前に現れる。

天守内部は,専門的なことはよく分からないが丸岡城や松本城に似ていると感じた。天守最上階の廻縁に出てみると,360度の展望が広がる。西方向には木曽川越しに金華山や雪をかぶった伊吹山が確認できた。

犬山城には「国宝」という冠詞が付いているのを強く感じた。犬山には城下を含め3時間ほどの滞在で次の目的地小牧へ向かう。
名古屋城
2017年3月19日
73城目 国特別史跡 国重要文化財(櫓3棟、門3棟)

宿泊先の岐阜県南部より移動。城郭北側の外堀に到着。朝日に浮かび上がった天守上部を望む。期待感で心が弾む。正門前駐車場に移動。まだ開場前だったので反時計回りに外堀沿いに一周,戻ってくるとすでに駐車待ちの車の列は名古屋城前の信号を越えて国道22号にまで達していた。

正門前の券売所付近には外国人団体(主に東アジア系)を含め多数の観光客で混雑。正門をくぐり西之丸に進むと内堀越しに西南隅櫓(未申櫓)と大小天守が眼に飛び込んでくる。

表二之門を抜けて本丸へ。まず,復元工事中の本丸御殿の真新しい部屋の数々を見学。次に,大天守・小天守内部へ。最後に,不明門から出て内堀沿いに進み西側から城郭を眺める。

なるほど天下普請だけあって豪壮で規模も大きい。見どころも多い。日本を代表する城郭の一つであることに間違いはない。ただ,名もない山城を制覇した時のような感動はあまりない。

2時間ほどの滞在で次の目的地清洲に向けて名古屋城を後にした。
駿府城
2017年5月3日
74城目

三泊四日9城巡り(百名城は7城)の最初1/9。午前8時30分市民文化会館地下P到着。二の丸堀沿いに南下。東御門の背後にそびえる静岡県庁の高層ビルが視界に大きく入り込む。東御門をくぐり駿府城公園内へ。

新緑や色鮮やかなツツジが眼にまぶしい。「厭離穢土欣求浄土」の家康公晩年を過ごしたこの地にやって来た実感が沸いてくる。本丸堀などを見学しながら坤櫓へ。西の丸では大々的な商業イベントが開催されていたが,これも致し方がないのか? 個人的にはあまり歓迎しない。

本丸跡の家康公像やお手植えのミカンを見学して天守台発掘調査現場へ。次に,紅葉山公園を見学する。最後に,隣接する県庁の21階展望ロビーより駿府城を見下ろす。東方向には富士山もはっきりと視認できた。好天に恵まれた駿府城訪問だった。
山中城
2017年5月3日
75城目 国史跡

三泊四日9城巡り(百名城は7城)の2/9。駿府城より移動。午後2時,城跡案内所・売店前駐車場到着。訪問をとても楽しみにしていた。

リーフレットによると探訪コースは2つある。その内「戦国山城探訪コース(約2時間)」を選ぶ。国道1号を渡り三ノ丸堀沿いに進み田尻の池に達する。階段を上り二ノ丸(北条丸)の脇を通って二ノ丸橋を渡り西ノ丸へ。西ノ丸の周囲には障子堀が広がる。

障子堀を堪能しながら西櫓に達すると眼下には富士山・駿河湾をはじめとした駿河・伊豆の大パノラマが拡がる。これだけの眺望が得られる城跡は希有である。好天のこの日ここに来ることができたことに感謝する。

すばらしい眺望を左手にしながら北の丸・本丸へと進み,北条方・豊臣方の墓の前を通り岱崎出丸方面へ。増築が未完成のまま四万の豊臣方の総攻撃を受けわずか半日で落城したとか・・・・。

ちょうど2時間の散策。期待通りのすばらしい城跡。保存状態もきわめて良く,後北条流築城術の特徴をよくとどめている。
小田原城
2017年5月4日
76城目 国史跡

三泊四日9城巡り(百名城は7城)の4/9。午前8時30分藤棚臨時駐車場到着。

駐車場を出てすぐの南曲輪を二の丸堀越しに少し見学して,まず,堀沿いに進み正規登城ルートの馬出門を抜けて馬屋曲輪へ。つぎに,銅門をくぐり二の丸へ。二の丸にある歴史見聞館で小田原城の概略をお勉強。

北条五代記を大河ドラマにという掲示が随所に見られたが,大河にするなら,五代を網羅したいという気持ちも分かるが,個人的には早雲の出自から始めて駿河平定,相模へ進出し小田原を拠点として北条の繁栄の礎を築く,というあたりにした方が良いと思う。秀吉による開城で終わっては少し哀しい。

ゴールデンウィーク中でもあり登城ランキング上位のお城だけに人が多い。首都圏に近く周辺観光地とセットで訪れる人が多いのだろう。

少し長い階段を上り常磐木門をくぐって本丸へ。写真でよく目にした三重四階の天守が現れる。最上階の高欄付きの廻廊からは360度の展望。相模湾と伊豆半島の山並みもよく見えた。

関東では天守閣のある数少ない城郭なのだろう。
八王子城
2017年5月4日
77城目 国史跡

三泊四日9城巡り(百名城は7城)の5/9。小田原城より午後1時駐車場到着。

まず,ガイダンス施設で八王子城と城主の北条氏照について知る。比較的新しい施設で八王子城の概略について分かりやすく展示してある。

つぎに,管理棟へ。どのコースを進もうかと思案していたらガイドの方が声をかけてくださったので案内をお願いする。大手門跡から古道を進み曳橋を渡って虎口の階段を上り冠木門をくぐって御主殿跡へ。氏照の館などがあったとされるスペースだそうだ。山際の庭園跡などの感じが越前一乗谷の朝倉氏館跡に似ているように感じた。御主殿の滝にも降りてみる。落城の時三日三晩川の水が血で赤く染まった伝説がある。

最後に,ガイドの方と分かれ,本丸跡へ向かう。途中九合目付近からは都心の高層ビル群も確認することができた。八王子の地名の由来となった八王子権現を祀る八王子神社や松木曲輪を経て本丸跡へ。さらに奥へ進むと詰城,富士見台方面へ。

時候の良い時季にお弁当を持ってハイキングするにはよいコースだ。四百年あまり前の必死の攻防に思いを馳せながらゆっくり進んだ。
江戸城
2017年5月5日
78城目 国の重要文化財(桜田門 田安門 清水門) 特別史跡

三泊四日9城巡り(百名城は7城)の6/9。町田の宿より午前8時30分北の丸公園第2駐車場到着。

まず,北の丸公園を抜けて靖国神社参道へ。大村益次郎像を見る。銅像を一度見てみたかった。

次に,九段下から地下鉄を乗り継いで一気に南下,桜田門から皇居内へ。皇居外苑は広い。(だだっ広い?)楠木正成像の脇を通りぐるっと回って二重橋越しに伏見櫓を見る。富士見櫓・巽櫓を濠越しに見ながら大手門前へ。

最後に,大手門をくぐって東御苑内へ進む。三の丸尚蔵館・百人番所を見学しながら本丸へ。今は芝生広場になっているがここに御殿の建物があったらしい。松の廊下跡を過ぎ天守台前に達する。天守台に上ると本丸が一望の下に見渡せる。この地で歴史を方向付ける数々の出来事があったと思うと感慨深いものがある。

新緑の美しいおだやかなこの日,この地に立つことができたことに感謝するとともに,日本の中心を堪能できた満足感に浸った。
武田氏館
2017年5月6日
79城目 国の史跡

三泊四日9城巡り(百名城は7城)の8/9。午前9時駐車場到着。

まず,ゆるやかな一直線の上り坂を進んでいくと武田神社正門前に達する。「孫子」から引用された「疾如風徐如林侵掠如火不動如山」の幟と神橋の朱塗りの欄干が目に飛び込んでくる。階段を上り参道を進み躑躅ヶ崎館の中曲輪へと進む。正面には拝殿,右手に宝物殿がある。

つぎに,西曲輪へ入り堀に沿っって土塁の上を歩き桝形虎口を見学する。土塁上から見ると武田氏系城郭で特徴的な両袖桝形の食い違いの様子がよく分かる。

最後に,旧大手門から出て大手門東史跡公園を見学する。次回は,要害山城とセットで再訪したい。
甲府城
2017年5月6日
80城目 県史跡

三泊四日9城巡り(百名城は7城)の最後9/9。武田氏館より午前11時やまなしプラザ地下駐車場到着。百名城が複数これほどの近距離にあるのは珍しい?

以前甲府出張の際,特急ふじかわの車窓から天守台が見えた記憶がある。その時はまだ百名城巡りをしていなかった。

まず,鍛冶曲輪門から舞鶴城公園内へ。南斜面の階段状の石垣が目に入る。ピンク色のサツキが美しい。坂下門をくぐり本丸へ進み天守台へ。甲府盆地の360度の展望が広がる。周りを山に囲まれている様子がよく分かる。

つぎに,稲荷曲輪に降りて稲荷櫓を外から見学して中にも入ってみる。映像資料等で甲府城の概略を知る。

最後に,稲荷曲輪門を抜けて再び鍛冶曲輪に降りてくる。

江戸に近いこともあり,将軍家一門が城主となった特別な城だったそうだ。西への備えだったのだろう。幕末,この城をめざして進軍した甲陽鎮撫隊の無念に思いを馳せながら距離600kmの帰路についた。
会津若松城
2017年8月15日
81城目 国史跡

六泊八日8城巡り1/8。高速道路を800km超走行し午前11時到着。訪問は2回目。前回は大河ドラマ「八重の桜」放映の年平成25年。

東北の街は少数の例外を除いてゆったりしているように感じる。高層の建物が少ない。ゆとりのスペースが多い。好感がもてる。 

今回は北出丸から緩やかな椿坂を上って本丸へ。枡形の石垣の上から昭和40年外観復興された層塔型5重5階の天守が姿を現す。

「八重の桜」放映の年のような盛り上がりはないが小雨にもかかわらず人は結構いる。通常の状態に戻ったのか。外国人にはほとんど遭遇しない。

会津若松にはこの鶴ヶ城を含めて見所が多い。自分にとって日本全国の中でも好きな街の一つである。

約2時間余りお城を堪能して次の目的地會津藩校日新館へ向かう。
山形城
2017年8月16日
82城目 国史跡

六泊八日8城巡り2/8。雨の中宿泊先の米沢より北上,午後2時霞城公園到着。

まず,写真でよく目にする最上義光騎馬像を見学する。この騎馬像は馬が二本脚で立つ珍しい形をしていて大変難度の高い技術を用いているとのことである。

次に,二ノ丸東大手門続櫓・北櫓内部へ。展示物や映像で概要を知る。続櫓から外を眺めると堀に沿って鉄道が通っている。

それから,高麗門をくぐって大手橋を渡って最上義光歴史館へ。戦国武将として,また,当時一流の文化人として評価されていた最上義光とやまがたについての展示を観る。最愛の娘駒姫が秀次事件の連座で京三条河原で処刑された事が心に残った。

最後に,復元された本丸一文字門を見学する。櫓台石垣の上に存在していた一文字櫓については,史料が見つかっておらず復元できない状況であることを知る。
多賀城
2017年8月17日
83城目 国特別史跡

六泊八日8城巡り3/8。仙台市内の宿より,午前9時管理事務所前到着。

まず,北側より政庁跡へ入っていく。正殿跡まで行くと南側に展望が開ける。なだらかな丘陵になっているのがよくわかる。

次に,南門跡を過ぎ,しばらく下っていくと多賀城碑に達する。江戸時代の初めに発見され,松尾芭蕉もこの地を訪れ,そのときの感動を「奥の細道」の中に書き記している。

それから,時折後ろを振り返りながら来た道を引き返した。一時間と少しの散策だった。
仙台城
2017年8月17日
84城目 国史跡

六泊八日8城巡り4/8。多賀城より午前11時到着。

最初に仙台市博物館を見学してから登城しようと計画していたが,博物館駐車場への長蛇の駐車待ちの車の列,仕方なく博物館(三の丸)東側の臨時Pへ。

まず,五色沼(日本フィギュアスケート発祥の地)の横を上り,大手門跡へ。脇櫓(再建)を見る。ここに大手門(戦災で焼失)があったらしい。

次に,博物館の建物の脇をすり抜け,政宗胸像,清水門跡を過ぎて,車の通る道路に出る。しばらく上っていくと,眼前に本丸北壁石垣が現れる。石垣に沿って進み,本丸詰門跡から本丸へ。

それから,見聞館でスタンプ押印後,大広間跡や政宗騎馬像を見学する。本丸からは東方向に仙台の街並みが一望の下に見渡せる。

最後に,青葉城資料展示館へ。ハイビジョン新CG映像「仙臺城」を観る。これは,仙台城の概要を視覚的に知ることができ,最初に訪れたなら観ておく価値はあると思う。

3時間ほどの滞在で,次の目的地大崎八幡宮へ向けて仙台城を後にする。
二本松城
2017年8月18日
85城目 国史跡

六泊八日8城巡り5/8。仙台の宿より午前10時二本松市歴史資料館到着。事故による東北自動車道上り通行止のため村田ICより高速に入る。

まず,観覧料100円払い入館,スタンプ押印と館内をぐるっと見学。2階まででコンパクトなので短時間で観覧終了。

次に,箕輪門前へ。資料館からは一つ山を越えて下りる格好になる。徒歩では少し時間がかかりそう。車を降り少し後戻りして「旧二本松藩戒石銘碑」へ。五代藩主丹羽高寛が藩士の戒めとするため命じて刻ませたものだそうだ。

それから,二本松少年隊群像前を通り箕輪門をくぐって三ノ丸へ。観光客とはほとんど出会わない。三ノ丸では菊花展の設営準備をしていた。城内路を通って藩士自刃の碑,日影の井戸を過ぎると本丸大石垣があらわれる。

最後に,本丸へ。360度の展望が拡がる。天気がよければ安達太良山も見えるらしい。南方向に二本松の市街地を見渡すことができた。
白河小峰城
2017年8月18日
86城目 国史跡

六泊八日8城巡り6/8。雨の中東北道を南下,二本松城より午後1時到着。

まず,白河集古苑へ。400年にわたって白河を治めた白河結城氏の古文書と六人の幕府老中を輩出した阿部家の美術工芸品を中心に展示してある。ざっと展示物を観た後,DVD「美しき城 小峰城」視聴。映像と音声の方がすっと頭の中に入る。

次に,城郭へ。東北大震災で壊れた石垣の修復工事が行われており,クレーンや白い工事区域立ち入り禁止の壁が目立つ。西日本の人間には実感は薄いが,震災からもう六年半近くが過ぎたことに思いを新たにする。

最後に,前御門と三重櫓を見学する。櫓の最上階からは白河の街並みを見渡すことができた。2時間ほどの散策で,次の目的地,白河関跡へ向けて小峰城を後にした。
水戸城
2017年8月19日
87城目 県史跡 国特別史跡(弘道館)

六泊八日8城巡り7/8。JR水戸駅南口の宿より徒歩で午前9時薬医門到着。吉村昭や司馬遼太郎の小説で水戸発祥の尊皇攘夷思想が倒幕運動に大きな影響を及ぼしたと紹介されており,幕府瓦解から百数十年たつけれども水戸の風にあたりたく訪問をたいへん楽しみにしていた。

まず,JR水戸駅の2階横断通路を北口に抜けると,水戸黄門と助さん・格さん像がある。子どもの頃祖母と一緒に見ていたTVの記憶がよみがえる。「この紋所が目に入らぬか・・・!」

次に,北口を右に折れ鉄道に沿って進み,水戸一高内にある薬医門へ。傍らのテニスコートでは部活の一高生。

それから,杉山門を過ぎ,見晴台へ。眼下に那珂川。この場所が高台になっているのがよくわかる。彰考館跡近くの二の丸展示館で水戸城について知る。

最後に,工事中の大手橋を渡って弘道館へ。藩校としては全国一の規模だったそうだ。大政奉還後,しばらく慶喜がここで謹慎生活を送った部屋などを見学する。

ところで,倒幕に思想面でも大きな役割を果たした水戸藩出身者が明治新政府にあまり見当たらないのはなぜだろう?
佐倉城
2017年8月20日
88城目 市史跡

六泊八日8城巡り最後8/8。筑波山より午後一時佐倉城址公園センター前駐車場着。西日本の人間としては関東の地理には疎い。佐倉についてはプロ野球巨人軍終身名誉監督長嶋茂雄氏の出身地であることぐらいの知識だった。城下町であることすら知らなかった。つい最近,司馬遼太郎氏らの小説で,佐倉順天堂や堀田正睦公を知った程度だ。

まず,公園センターでスタンプ押印と佐倉城の概要についてのお勉強。

次に,本丸跡方向へ。土塁の上を進み天守閣跡へ。2段の土塁に片側を掛ける造りだったそうだ。本丸跡が土塁で囲まれているのがよくわかる。

最後に,馬出し空堀の脇を過ぎて国立歴史民俗博物館へ。展示資料が膨大でとても1〜2時間では見て回れない。館を出て姥が池の畔を通って駐車場へ戻る。薬医門と清水出丸跡は見ることができなかったのは残念だった。

これで今回の8城巡りはすべて終了。3時間半ほどの滞在で佐倉ICより東関東道に入り距離700km超の帰途につく。
熊本城
2017年12月25日
89城目 国重要文化財 国特別史跡

行幸坂は進入禁止になっており,西側に大きく迂回して午前九時二の丸駐車場到着。

立ち入り禁止の柵に沿って進むと,まず,西大手櫓門と元太鼓櫓の石垣が大きく崩落しているのが目に入る。映像等で目にはしていたが,実際に目の当たりにすると被害のすさまじさを痛感する。

つぎに,本丸北側の加藤神社へ。大天守・小天守・宇土櫓を至近距離から望むことができる。大天守は修復工事の足場で囲まれている。城彩苑での映像で目にしたが,外観以上に内部はダメージを受けているらしい。

それから,東側の高橋公園の谷干城像,維新群像の所へ。

最後に,市役所の展望ホールから城跡全体を眺める。

復旧までには長い年月と莫大な費用がかかると思われるが,日本を代表する近世城郭の一つである熊本城がよみがえる日を気長に待ちたい。