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メンバー情報

ID506
名前トド高虎
コメントはじめまして。平成19年12月から百名城めぐりを始め、20年9月7日現在、41城に登城しました。最近、この同好会のHPを知り、いろいろと情報をいただき、とても感謝しております。この際、私もメンバーに加えていただければ幸いです。鉄道乗りつぶしが趣味で全国ほとんどの路線に乗車しましたが、以前は単に通過しただけの街も、城めぐりのために下車してみると、いろいろと発見があるものですね。百名城めぐりは島原鉄道南線廃止前の乗車をかねて、島原城から開始。その後はやみつきに?なり、時間があれば週末になるべく夜行列車(めっきり、少なくなりました!)を使って日本列島あちこちをウロウロしています。現在54歳のオヤジで腹まわりが段々とせり出してきており、寝ているとトドのようだとムスメから言われてます。出身は白鷺城の姫路で今は仕事の関係で多摩川のほとりに住んでいます。
小さい時からの思い出深き姫路城はさて、何番目に訪問しようかと迷いましたが、阪神タイガースの桧山選手(応援してます!)の背番号にちなみ、24番目に訪れました。そんなこんなで、築城の名手藤堂高虎の名を借り、ハンドルネームをトド高虎としました。(藤堂家の子孫の方々、ごめんなさい!。)では、みなさんよろしくお願いいたします。
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
根室半島チャシ跡群
2008年7月13日
29城めです。前日にはやて9号、スーパー白鳥、北斗を乗り継ぎ、札幌1859着。一部未乗だった市電を全区間乗車し、ラーメンとビールを楽しんだ後、2308発まりもB寝台(これに乗るのも主目的)で釧路へ。快速はなさきで根室813着。朝食をと思い観光案内所の方に聞いても、この時間あいてる飲食店は駅近くには無いと。仕方ないので、駅のキオスクでカニ釜飯を買いベンチで食事。タクシーで花咲の歴史と自然の資料館へ。(その前に少し時間があったので、車石と花咲港を回って運転手さんに案内してもらい、開館と同時に資料館へ。車石での荒波、すごかった。タクシー代¥3000。)資料館は根室の歴史、ラックスマン来航の資料、動物の剥製などとても面白く、資金難だろうのにこれだけのものを無料で見せてくれる根室市に敬意を評します。バスで駅前ターミナルに戻ると、ここにもスタンプがあったのにはちょっと拍子ぬけ(苦笑)。
五稜郭
2008年5月3日
21城めです。前夜、松前から函館に到着して宿泊。五稜郭は以前に来たことはありますが、今回はじっくりと見学すべく、市電で向かいました。電停からはけっこう距離があり、徒歩約10分といったところでしょうか。ちなみにJR五稜郭駅からはもっと遠いようです。さてまずは前回行かなかった五稜郭タワーへ。観光客と商売気であふれており、好ましい雰囲気ではありませんでしたが、戊辰戦争の詳細が展示されており、これはとても興味深いものでした。その後、場内へ。桜は散りはじめ。案内の人に博物館五稜郭分館は閉鎖されたと聞き、のけぞりましたが、スタンプは管理事務所に置いてあるとか。行ってみるとずいぶんと目立たない建物で、松代城や佐倉城を思い出しました。ともかくスタンプは無事獲得し、再び市電で函館駅へ。
松前城
2008年5月2日
20城め。はやて、スーパー白鳥で木古内着。函館バスは海岸沿いを松前へ。例年よりも暖かく海風もさわやか。帰路は知内に停車するスーパー白鳥21号で函館へ向かう予定(JRは周遊きっぷにつき加料金なし。この方がバス代が安くつく)なので、知内駅前のバス停はいずこ?と注目。しかし街の中心を通過しても姿なし。ゆうに15分はたって諦めたころ、右手に駅発見!さすが北海道は広いというか、はっきり言って街はずれです。さて、目的の松前(松城前)に到着。復古調に整備された街並。坂道を登って行くと、そこは桜満開の松前城でした。天守閣からは海を見下ろし、もう絶景!!はるばる来た甲斐がありました。日没後の知内駅は北島サブちゃんの看板が目立つ道の駅にひっそり間借りの状態。駅へはどう行けば?と聞くと、真っ暗だったホームへの通路の電気を点灯(エコですな)。乗客は私だけ。本当に特急停まるの?(ちゃんと停まりました、笑。)
弘前城
2008年5月3日
22城めです。白鳥18号で津軽今別下車。ここはJR北海道の駅で高架になっています。屋根つき階段の連絡通路を降りると、津軽線(JR東日本)の津軽二股駅のかわいいプラットフォームへの乗り換えができます。18分の待ち合わせで来た2両編成のディ−ゼルカーに乗り、三厩着。小泊を経て津軽中里へぬけようかと考え、タクシー会社に電話してみたが、予想以上に時間と予算がかかると聞き、断念。折り返しの青森行に乗り、かもしかで弘前に着きました。すでに16時を過ぎていましたが、この季節は弘前城は桜まつりで遅くまで(たしか22時?)OKとのことで安心して入場。三度目の来訪でしたが、何度来ても弘前城は素晴らしいです。桜はかなり散っていましたが、りんごの白い花が咲き始めていました。早めの夕食後、上りあけぼのに乗車。
根城
2008年8月30日
37城めです。全国的に雨模様の予報でしたが、東北地方はくもり時々雨とのことで、せっかくの大人の休日倶楽部パスを使うべく、はやてで八戸へ。昼食に、いかめしとせんべい汁。せんべい汁は初体験。野菜がたっぷりで美味だが、せんべいは無くてよいなあ、という感じでした。でも救荒食だったのでしょうから贅沢を言ってはいけません。南部バス約10分で根城へ。まず、市博物館でスタンプをいただき、南部氏の歴史(発祥は山梨県だったと知る)など、学習。その後小高い丘への気持ちのよい坂道を根城へ。南部の名産の馬の模型、竪穴式工房など、なかなか面白く拝見しました。
盛岡城
2008年10月3日
46城めです。盛岡での所用があり、こまちで日帰り。昼休みの時間を利用して盛岡城へ。石垣が美しく、その上を爽やかな秋風が吹き渡っていました。スタンプのあるプラザおでっては、城からは北上川の川向かいの位置にあり、徒歩約5分です。その方向をさらに3分ほど歩くと左側にバスセンターがあり、県内各地や首都圏へのバスが発着しています。ちょっと中を覗いてみると、うどんそばの店やキャラメル・ガムを並べた売店があり、なかなかレトロでなつかしい雰囲でした。
多賀城
2009年1月25日
65城めです。大人の休日ワンデーパスを購入し、国府多賀城駅へ。駅西側にある案内所でスタンプをいただく。とても親切なおじさんがいろいろ見所を教えてくれました。少し肌寒い天気でしたが晴れており、城址をゆっくり見学の後、駅東側の東北歴史博物館へ。なかなか興味深い展示でした。
仙台城
2008年8月31日
38城めです。昨日よりも天気は悪いとわかっていましたので、山城は避けて一箇所だけということにし、こまちで仙台へ。雨が強かったのに、るーぶる仙台は観光客で満員。見聞館のおじさんにスタンプを出してもらうと、伊達氏とカソリックとの関連など、いろいろと親切に教えてくれました。伊達政宗の銅像(たしか、見るのは2度目)まで歩くと、雨にけぶる仙台市街がみ見下ろせました。新幹線が止まっては大変なので、早めの新幹線で帰宅しました。それにしても、大人の休日倶楽部会員パス、北は函館、西は福井まで3日間乗り放題で¥12000とは、ありがたいきっぷです!
久保田城
2008年6月28日
28城めです。秋田1454着。ホテルハワイ駅前店というなんともレトロなホテルに荷物を置き、急ぎ登城し、スタンプをいただきました。広大な千秋公園をゆっくり見て回りたかったが、またいつの日か、ということにして、1710駅前発の秋田中央交通バス(超満員!)でこまちスタジアムへ。ヤクルト-阪神戦を外野で観戦。なかなか立派な球場でした。
久保田城の名で思い出すのは阪神久保田投手。炎上せずにがんばって!
山形城
2009年6月6日
76城めです。つばさで山形へ。閉館まで時間がなかったのでタクシーで最上義光歴史館へ。霞城公園内の乗馬せる義光の銅像、見事なものです。城内は工事中のところが多く、全貌がよくわかりませんでしたが広大です。徒歩で山形駅へ。
二本松城
2009年9月8日
83城めです。駅でレンタサイクルを借り、歴史資料館でスタンプをいただく。その後、サイクリングロードを約15分ぐるっと通って本丸へ。途中、二階櫓や箕輪門を遠景から見ることができます。本丸の下に自転車を駐輪し、徒歩で本丸跡へ。安達太良山をはじめ、周囲の山々が絶景でした。
会津若松城
2008年5月24日
25城めです。やまびこ、磐越西線で会津若松駅0942着。ループバスはいからさんで鶴ケ城北口で下車し、登城。二回目の来訪です。幕末に会津藩のたどったきびしい運命を思うと粛然とした思いにかられます。三の丸口を通って下城。この後、会津鉄道・野岩鉄道に乗車するため、タクシーを捜していると、近くの駐車場の係の方が電話で呼んでくれました。会津若松駅へもどるのは遠いので、西若松駅へ。それでも意外に距離があり、1200ほどかかりました。途中、中三依で下車し、日帰り温泉に入浴。鬼怒川温泉駅でスペーシアきぬがわ新宿行きに乗りかえました。
白河小峰城
2008年6月28日
27城めです。大人の休日倶楽部会員限定パスを使い、やまびこ205号で新白河、東北本線を乗り継いで白河0918着。線路の下の通路を通って小峰城へ徒歩約5分。見学時間は10時からと表示されていたが、0930に入場させていただけた。スラッとした三十櫓(私的にはSLのC57的イメージです、笑)が美しく復元・維持されています。地元の方の努力に敬意を表します。隣接の集古苑も見学し、戊辰戦争の模様を学習。1100白河発、郡山を経てつぎの目的地、秋田へ移動しました。
水戸城
2008年6月7日
26城めです。スーパーひたちで水戸駅到着。徒歩10分弱で弘道館へ。スタンプをいただいた後、じっくりと見学。歴史ある学問所の雰囲気にあふれ、素晴らしい遺構です。水戸藩、天狗党の歴史を深く知ることができました。さらに徒歩約5分の、水戸一高敷地内には、水戸城のものとしては唯一現存する医薬門があります。同高出身のO氏のためにphoto。その後、勝田へ移動、ひたちなか市民球場のヤクルト-西武戦を観戦(百名城めぐりのついでに自分なりに選んだ50球場めぐりをしてみようかと、笑)。海からの風が強い球場でした。
足利氏館
2008年3月1日
11城めです。青春18きっぷを使い、小山を経て両毛線足利駅へ。街の地理を調べて来なかったし、夕方用事があり急ぐのでタクシーに乗ったら、ほんの5分もかからず到着。
館というだけのことはあって、低い石垣と堀をめぐらせてはいるが城という感じはせず、しかも今はお寺の境内。スタンプは本堂でお借りし、押しました。
ところで栃木県といえば、宇都宮城(本多正純の居城)があったはずですが、今は見るべきものはないのでしょうか?
駅まで歩く帰路、足利学校も見学。由緒ある学問所の雰囲気がよかったです。
箕輪城
2009年1月2日
62城めです。高崎駅西口より、ぐるりんバスで箕郷支所へ。市内のコミュニティセンターなどを本当にぐるぐると回り、所要1時間。ずいぶんと乗りでがあります。しかし、郊外へ出るとほとんどノンストップで箕郷へ向かうのは、群馬バスとの協定でもあるのでしょうか?
さて支所の休日受付でスタンプをいただくと、係りの方が城跡への歩き方をこと細かに教えてくださり、とても助かりました。徒歩約20分で城跡へ。空堀に沿っての遊歩道を通って天守閣跡へ登ると、この城が占める戦略的重要性がわかる気がしました。
帰りは群馬バスで高崎へ。料金はたしか¥350とぐるりんバスよりも高めでしたが、寄り道せずに走るので、所用時間は30分ほどでした。
金山城
2008年11月15日
53城めです。浅草13:10発りょうもうで太田下車、タクシーで登城口まで¥1700ほど。よく整備された道を歩くこと10分ほどで大手虎口に到着、山の地形を巧みに利用した複雑でみごとな石垣、そしてこんな高所にある日ノ池が感動的でした。休憩施設内(無人)のスタンプは幸いに状態良好でした。そばに中島知久平さんという人の銅像があり、中島航空機(たしか、戦闘機”隼”を設計、製作した)の創始者でした。帰りのタクシーの運転手さんの話では、この人なくして太田市の発展はなかった、とのことでした。
城内に民家が2軒あり、そこへ行く車だけが城内の道を通行することが許されているそうで、道路標識にもその旨書かれているのが珍しく感じられました。
鉢形城
2008年4月5日
18城めです。熊谷を経て秩父鉄道で寄居着。観光案内所で道を教えてもらい、ゆっくりと歩き、荒川を橋で渡り、約20分で到着。北条氏の勢力を物語る広大な城跡のすぐそばの八高線(単線、非電化)の踏み切りをディーゼルカーが通りすぎて行き、武蔵野台地にふさわしい景観でした。駅へのバス乗り場があったようですが、本数が少なく、使いづらい印象でした。歴史館の係りのおじさんも、歩いた方が早いよとのことで、結局徒歩で寄居駅にもどりました。寄居駅は秩父鉄道、JR八高線、東武東上線が合流する鉄道の要衝で、古色蒼然たる跨線橋通路が野辺地駅の南部縦貫鉄道乗り場を思い出させ、なんとも魅力的でした。(いつもながら、城よりも鉄道や交通のことを多く書いてしまいすみません、苦笑。)
川越城
2008年9月7日
41城めです。八王子城の後、高麗川経由でJR川越へ。東武バスで本丸御殿前に着いたのは16:30を過ぎており、受付には本日は閉館しましたとの掲示。しかしとりあえず係の方に聞いてみたところ、奥には入れないが、入り口近くだけだったら見てよいです、スタンプもどうぞ、とのこと。以前に来たことがあるので喜んで、はい!それでいいです、ありがとうございます!と返事。しかも入館料を無料にしていただけました。ラッキー!
佐倉城
2008年3月29日
15城めです。青春18きっぷを使ってJR佐倉へ。レンタサイクルを借りて佐倉城跡をめざします。途中かなり、坂道があったり、道がカーブしてるので楽なサイクリングではありませんでしたが、約15分で公園管理センターに到着。といっても、広大な駐車場のわきにポツンとあるプレハブに毛の生えたような建物で、入ってみても誰もいませんでした。でもスタンプはあったので、無事、ゲット(断りを入れる人がいなかったので、なんだか落ち着きませんでしたが)。今年は桜の季節が早く到来し、公園内の木々は早くも五分咲きで多くの花見客がいました。のどかな春の場内の散策でした。歴史博物館に行ってみたかったのですが、時間がなく今回はパス。また今度来てみよう。佐倉駅からは臨時快速”すいごう”で新宿に出ました。
八王子城
2008年9月7日
40城めです。高尾駅前には観光案内所らしきものが見当たらないので、昼食をとった蕎麦屋さんで道を聞くと、途中なにもない道が長いですから、水分は用意していった方がいいですよ、と教えてくれる。けっこう暑かったのでタクシー利用。運転手さんに聞くと、八王子城へ乗せた客はこれで3人めだけど、なにかあるんでしょうかな?と。百名城に選定されていることはご存知なかったようで、到着時に百名城と書かれた幟を見て、へえ、ほんとだ、と感心していました。管理事務所の前の無人スペースにスタンプは置かれていました。虫が多く、あまり長居はせず、帰りは霊園前バス停まで歩きました。本当にお寺や霊園の多いエリアです。
小田原城
2007年12月23日
三城めです。なんとなく、近場の小田原へおなじみ小田急で行くことにしました。
小田原駅から天守閣へ向かうには、東口から線路際を早川方面に歩くのが近道ですが、城下町の雰囲気を味わうには、少し回り道ですがお堀端通りを通って赤い欄干の学橋
を渡って入城するのがおすすめです。途中には(私はまだ行ったことがありませんが)万葉の湯という日帰り温泉もあるので遠来の方には良いかもしれません。。
このルートだと、見聞館を通って天守閣に至るので、まず見聞館で予備知識を得てから登城するとよいでしょう。北条氏興亡の歴史がわかりやすくなると思います。
武田氏館
2008年3月30日
17城めです。甲府城のあと、駅北口よりバスで武田神社へ。参道の両側には桜並木が延々と続いています。八分咲きといった感じで、見ほれる美しさでした。武田氏館は神社そのものになっているようで、宝物殿でスタンプゲット。中の展示は武田氏の興亡、家臣団の構成など、なかなか興味をひくものがありました。見学後、桜をめでながら坂をくだり歩いて駅へ向かいましたが、なんだかヒザが痛くなってきたので途中来あわせたバスに乗りました。トシだなあー(苦笑)。駅前で甲州名物ほうとうをいただき、かぼちゃのビタミンを補給。上りの”ビューやまなし”で帰りました。
甲府城
2008年3月30日
16城めです。青春18きっぷ、ホリデー快速”ビューやまなし”で甲府へ。甲府城へは南口から徒歩3分ほど。交通至便(笑)。稲荷櫓でスタンプをいただき、散策。天主台、石垣、休憩所など、とてもよく整備されています。
下城後は、武田氏館へのバスに乗るため、北口へ。気まぐれで駅構内は通らず、駅東側の跨線橋を渡ってみましたが、不正解。車は多いし、近道でもないし。やはり、構内を取る方が無難のようです。
松代城
2008年2月23日
十城めです。急に思い立って”あさま”で長野へ。バスで川中島古戦場。馬上で刀を振る謙信と、これを軍配で受ける信玄の像、いいです。ワクワクします(笑)。さらにバスで松代駅前へ着いた時はすでに16時前でした。長野電鉄松代駅、戦前の建物でしょうか?すごく懐かしい雰囲気です。観光案内所でスタンプが管理棟窓口にあることを教わり、踏み切りを渡りすぐに城発見。想像してたよりも小さい規模だが、管理棟のありかがわからず、誰もいないので聞けない。そのうち雪、風が強く寒っ!なんでこんなシーズンに信州へ!?自問しながら二周。やっとスタンプ発見!屋外に置いてあるので、状態ははっきり言って不良。しかしそんなことを言ってる場合ではなく退城。駅への途中、竹風堂という和菓子屋さんを見つけたので、お茶と栗ようかんをいただいて暖を取り、生き返った心地でした。またの機会に再訪したいです。
上田城
2008年8月3日
32城めです。小諸城のあと、しなの鉄道で上田へ。上田城は初めて。スタンプは市立博物館にありました。真田氏に関する展示が興味をひきましたが、それにもまして、世界で始めてガンを動物実験で作成するのに成功した山極勝三郎博士が上田出身とのことでその事蹟が展示されていたのは、予想外の発見でした。それにしてもものすごく暑い一日で上田駅前の気温は42℃と表示されていました。篠ノ井からバスで行ったオリンピックスタジアムでは日陰と風を求めて移動しまくりでしたが、暑さに耐えかねて途中で退散しました。二月の松代といい、今回といい、極端に寒い時・暑い時に信州へ来るめぐりあわせなのかな?と自問(笑)。
小諸城
2008年8月3日
31城めです。今日は長野で西武-ロッテ戦があるので、まずはあさま、佐久平より小海線で小諸へ。しかし長野行き新幹線は速いですねー、横川・軽井沢で機関車の付け替えが必要だった在来線の時代を思うとウソのようです。まあその分、風情がなくなったデメリットもありますが。小諸城への来訪は2回目です。暑いし、なんだかまたヒザが痛いし、で短時間で懐古園を観覧、スタンプをゲットして上田城へ移動しました。
松本城
2008年11月8日
52城めです。立川からあずさを使って往復。行きは自由席は満席、勝沼から座れました。松本駅からタウンスニーカーに乗り、黒門前で下車。城内へ。門を通っても正面に天守閣は見えず、あれっ?。左を見ると忽然とその姿が目に入り、おー、という感じでした。スタンプをゲット後、いよいよ登城。城内は本当に階段が狭くて急!でも山々を見はるかす天守閣最上階の眺めは最高でした。
外気は寒くはなかったですが、足からしんしんと冷気が伝わり、みんな、”あし、つめたー!”と叫んでいました。(靴をぬいで登る城では厚めの靴下が必須ですね!)
旧開智学校も見学し、帰りました。
高遠城
2010年5月22日
97城めです。
スーパーあずさ・飯田線と乗り継ぎ、伊那北駅下車。JRバスで高遠へ。不思議です。飯田線はJR東海なのに、バスはJR関東で、しかもバスターミナルの名は高遠駅です。それはともかく、高遠駅から徒歩15分で城址公園へ。桜のシーズンには大にぎわいになるという場内はひっそりして、新緑の芽ばえが目にやわらかでした。スタンプは高遠閣ではなく、歴史博物館に移されています。
帰途に伊那北駅前の中華屋さんで伊那名物のローメンを食べてみました。ラーメンのような、焼きそばのような?ちょっと独特です(笑)。
新発田城
2008年9月6日
39城めです。2週続けて大人の休日パス利用。とき523号、白新線を乗り継いで新発田1533着。タクシー(¥850)で10分弱で到着。本丸表門のおじさん、辰巳櫓のおねえさん、みなさんとても親切にいろいろ教えてくれました。本当に自衛隊敷地が隣なのにはびっくり。秀勝をはじめとする溝口家、江戸時代に一度も転地なく領民に善政を施した由、素晴らしいことです。三階櫓の屋根、見れば見るほど不思議な構造です。鯱鉾を三方に置いた設計は何を意図したのでしょう?内部は非公開ですが、西側に回ってみると外観はかなりよく見えます。帰りは徒歩約25分で駅に戻りました。
春日山城
2009年6月28日
77城めです。天地人の人気で混み合うことが予想されたので早朝のMaxとき、はくたかを乗り継いで直江津へ。タクシーで城跡の駐車場へ。なだらかな坂道を登って天守閣跡へ。さらに毘沙門堂と約15分で帰ってくるとずいぶん車がふえていました。再びタクシーでものがたり館へ移動し、スタンプをゲット。林泉寺におまいりして、直江津の屋台会館で開催中の天地人博をちょっとのぞいてみると、すごい人だかりでした。
高岡城
2009年11月14日
87城めです。
雨のため、高岡駅からタクシーで市立博物館へ(3分で到着)。スタンプを借りて押印した後、展示物を見てまわったところ、高岡出身の偉人のコーナーに、高峰譲吉氏の写真と、詳細な伝記が。タカジアスターゼやアドレナリンの発見・精製で医学に多大な貢献をした方ですが、高岡の出身とは知らなかったなあ!旅はするもんだ(笑)。

さて、高岡城。石垣周辺の紅葉が小雨の降り注ぐ堀に映えて、その優美さに感動した後、万葉線電車に本丸会館前から乗車し、駅に戻りました。
七尾城
2009年5月5日
74城めです。金沢をレンタカーで出発し、一路七尾へ。天守閣跡からの眺望は絶景。歴史資料館、小規模ですがなかなか見ごたえがありました。
金沢城
2009年5月4日
73城めです。はくたかで金沢駅着後、レンタカーで兼六駐車場へ。石川門案内所でスタンプをいただきました。三十三間長屋、壮大です。
丸岡城
2010年2月28日
94城めです。
前夜、上野発のブルートレイン北陸、ソロに飛び乗り早朝に金沢着。北陸・能登は3月中旬で定時運行廃止とあって、カメラを向けている人があちこちに。しらさぎ・各停を乗り継ぎ、丸岡下車。数少ない本丸岡行きの京福バスに乗り継ぐ。乗客は自分だけ。運転手さんが本丸岡営業所から城までの道を親切に教えてくれました。
小ぶりで姿のよい古びた天守閣、すごく急な階段、吹き抜ける風、とても好ましく覚えました。丸岡城前のバス停より、福井行きに乗車。田原町駅前で京福・福井鉄道のこれまた古色蒼然たる駅舎が見えたので、思わず下車し、対照的に真新しい電車を入れて写真。余分な電車賃を払いました(笑)。
一乗谷城
2008年8月29日
36城めです。大人の休日倶楽部会員パス(今日から使える)をあらかじめ買っていたので、大阪から東京へは福井・ほくほく線経由で。サンダーバード1号のきっぷは別に買い求め、まずは福井へ。最初は0810発の朝倉館前までのバスで一乗谷城、その後にできれば丸岡城にも行こうと思っていましたが、バス乗り場が福井鉄道のレールに平行してあるものと一人合点をしていたためバス停がみつけられず、バスをのがしました。(バス停の並ぶ通りは福井駅から見て電車通りのひとつ、右側にあったのです。)この失敗をどうカバーするかでしたが、結局、丸岡城はまたの機会とし、1249の越美南線で一乗谷駅まで行き、あとはてくてくと約30分。山々の嵐気を感じながら歩きました。復元街並み、唐門ともに素晴らしいです。再びテクシーで駅まで歩き、1541発。福井からは会員パスの範囲内。しらさぎ、はくたか、Maxときで帰宅。
岩村城
2009年9月26日
85城めです。
名古屋から”ワイドビューしなの”先頭座席からの景色を堪能した後、恵那から明知鉄道で岩村へ。観光案内所でもあれば道順を聞いて歩いて行こうと思っていたが、みあたらないので駅右裏にある乗り場からタクシーで歴史資料館へ。スタンプを押印した後、いよいよ三大山城の一つ、岩村城にチャレンジ。しかし、思ったほどの苦労なく、本丸へ。これはたぶん、岩村の街自体が高所にあり、城との高低差はさほどではないということなのでしょうか。帰りは古びた町並をみながら、徒歩で駅へ。途中、右書き広告看板をかかげた現役のタバコ屋さんがあり、なんともレトロな雰囲が味わえました。
岐阜城
2008年3月20日
12城めです。このたびはO氏、N氏とともに早朝の”のぞみ”に乗車、名古屋のりかえJR岐阜へ。タクシーで10分少々で金華山ロープウェー山麓駅へ。早い時間なのでゴンドラは貸切状態。それでも、きつい山道を通ってたどりついた天守閣入り口には開門前から7〜8人の人が。この人たちはどうやって来たのか?(歩いて上がって来たのかも)。さて、岐阜城は本当に天険の地。雲海を通して濃尾平野を見下ろす絶景のみごとなこと!さすが斉藤道三が本居とし、信長がさらなる天下取りをこころざした名城であります。下城後はバスで駅へ。名鉄市内線がなくなった岐阜の街の風景にはちょっと違和感がありました。
山中城
2008年5月1日
19城めです。三島駅前からの元箱根港行き東海バスは旧東海道沿いの富士の裾野の小高い道を走る。松並木もあり、なんだか安藤広重の浮世絵を思い出させるよい眺め!約30分で山中城跡に到着。道端にある売店でざるそばをいただき、スタンプをゲットしました。(売店の扉がどこから開けていいのやら、ちょっとまごつきました。)城は山の中腹に広がっており、けっこう広いです。ほとんど人に出会いませんでした。愛鷹山がきれいに見えるスポットがあります。障子堀、みごたえがあります。落っこちないようにしましょう(笑)。山中城から元箱根港へのバスは途中、すごい下り坂を通り、スリルがあります。
駿府城
2009年4月4日
71城めです。静岡駅に着くと、祭りの日だったようで、町には武者行列見物の人があふれていました。時あたかも城内の桜も満開で、二の丸東御門と巽櫓はむしろ少しひっそりしていました。
掛川城
2008年1月4日
四城めです。中四国方面への泊りがけの計画を立てていたのですが、カゼぎみで元気が出ず、こだまで日帰り、掛川へ往復ということに変更しました。駅から掛川城への道をまっすぐ歩くと、右側に落ち着いたいい感じの天ぷら屋さんがあったのでそこで昼食。これからお城に登る、と言うと、場内にはロッカーがないから、荷物はここに置いていきなさい、帰りに取りにくればいいから、と、バッグを預かってくれました。とても助かりました、感謝。
掛川城天守閣は小ぶりながらきれいにまとまった感じで、スタンプはその東側の御殿にありました。体調不良のためか、多分普段ならたいしたことはないと感じる石段がとてもキツい一日でした。
犬山城
2008年12月28日
61城めです。彦根から米原、大垣、岐阜と乗り継ぎ。(なんでこんなに乗客が多いのか?ははあ、青春18族の季節か。)歩道橋を名鉄岐阜へ。駅前にかつて市内線の路面電車が走っていた面影はなく、犬山行き各停に2両編成のパノラマスーパーが使われているのを見るにつけ、時代の流れを感じました。犬山遊園から日本ラインを右に見ながら15分ほど歩いて犬山城到着。小ぶりながら均整のとれた天守閣、とても美しく、古美術品的あじわいを感じました。城門の真上の管理事務所でスタンプを借り、押印。国宝四城スタンプはここで揃ったので、係りの方に申しでると、記念品として、犬山城と犬山祭りの図柄のタオルセットを頂戴できました。天気はすっかり晴れ、彦根で買ったビニ傘をもてあましたので、天守閣入り口の係りのおじさんに事情を話し、寄付させてもらいました。
名古屋城
2008年7月19日
30城めです。暑い日でしたが、元気を出して出発。16時すぎに登城しました。うわさに聞く名古屋城でしたが、訪れるのは初めてです。なるほど豪壮な天守閣です。エレベーターはちょっと興ざめですが、城内の歴史展示は良かったです。近くの愛知県立体育館では大相撲が開かれているようでした。こちらは下城後、地下鉄でナゴヤドームの中日-阪神戦に向かいました。
岡崎城
2008年5月4日
23城めです。こだまで豊橋、名鉄に乗り換え東岡崎へ。乙川を橋で渡って徒歩役15分。天守閣は小ぶりですが眺望がよく、また、三河武士のやかた家康館の展示は素晴らしいです。
たまたまこの日は川原で外車の展示フェアかなんかをやっており、それは見た目に楽しくてよかったのですが、音楽がやかましく、とても迷惑で残念でした。
長篠城
2010年1月9日
92城めです。
豊橋からの飯田線の景色を天竜峡まで堪能した後、折り返し、長篠城駅で下車。駅を出るとすぐに、城址は左方向へ徒歩8分との表示があり、迷うことなく到着。鳥居強右衛門が伝令として夜半に潜入したという寒狭川と宇連川との合流点は本丸からは見えそうで見えませんが、長篠城駅からの上り電車左側の車窓から見ることができました。設楽原の歴史資料館は時間がなく行けませんでしたが、またの機会に、と思います。
伊賀上野城
2008年1月14日
六城めです。松阪城の後、近鉄で伊賀神部へ。伊賀鉄道(最近まで近鉄伊賀線だったのが、経営が変わった)の、2両編成の電車に乗り換え、上野市下車。地下道を通って徒歩約10分で伊賀上野城へ。ちなみに松阪からの別ルートとして、JR名松線一志と近鉄線河合高岡を徒歩(約3分)連絡するのがあり、知る人ぞ知るぬけ道です。以前に一度利用し、なかなか愉快でした。ただし、名松線は本数が超少なく、河合高岡に停車する近鉄電車も30〜60分の運転間隔なので、あらかじめ時刻表のチェックが必要です。
さて、子供連れでにぎわう忍者博物館とは対照的に伊賀上野城は人影まばらでしたが、藤堂高虎の築城のおもかげを残す高石垣、川崎克氏の私財により再建された天守閣など、なかなかにみどころの多い名城でした。
松阪城
2008年1月14日
五城めです。朝ののぞみで名古屋へ。名古屋から鉄道で松阪へ行くには近鉄とJRの二通りがあり近鉄の方が本数が多く運賃も、前者は1230、後者は第三セクターの伊勢鉄道の運賃が加算されるため、1600と割高です。私的好みから言うと、JRの車内からは複線電化の近鉄線を見つけるのが容易で相互の位置関係がわかりやすく興味深いので、今回は快速みえを選択しました。
さて、松阪城は街並みを歩くこと15分。みごとな高石垣がめぐらされており、天主台からの市内をみおろす風景はなかなかみごとでした。松阪ゆかりの人としては本居宣長のことは知ってはいましたが、作家の梶井基次郎もそうであることを碑によって初めて知りました。松阪牛鉄板焼き、一番お手軽コース(笑)をいただいた後、伊賀上野城へ。
小谷城
2009年5月6日
75城めです。長浜で駅レンタカーを借り、戦国歴史資料館へ。意外と近く、20分くらいで到着。館長さんとおぼしき男性が少し漫談ふうに、いろいろと史料の説明をしてくれました。感謝。帰りに寄った国友鉄砲の里も興味深いものでした。
彦根城
2008年12月28日
60城めです。来年2月までの期限がある国宝四城スタンプラリーをすませるため、予定を早めて訪問。列車で通りかかるたびに思うのですが、彦根・米原近辺は北陸地方の天気と同じく曇りや雨が多く、近江八幡あたりまでは快晴だったのが、彦根駅に着いた時は小雨。これぐらいなら大丈夫かな?と城へ向かって歩いていくうちに雨脚が強くなり、ちょうどアーケードが切れるところのコンビニでビニ傘購入。ひこにゃんの登場を待つ人達の間にも傘の花。天守閣へ登る石段が予想よりも長く、傘なしではびしょぬれになるところでした。さて、彦根城。天守閣の姿は破風が多く、個人的には装飾過剰という印象ですが、さすがに立派です。今度また、天気のよい時に来たいものです。
安土城
2008年3月22日
13城めです。近江八幡を観光したいというO氏・N氏とともに駅でレンタサイクルを借り、回る順を検討した結果、まずは安土城へ行くことになり出発。最初は教えられたとおりの国道を走ったのですが、車の交通量や排気ガスが多いため、途中から田んぼの中の道へ(でもちゃんと舗装されてました)。すると一転してのどかな田園で、ヒバリがピーチクパーチク鳴いており、まるで落語の愛宕山。気持ちよくペダルをこぎ、少し道に迷いはしましたが、約30分で安土城跡に到着。受付でスタンプをゲットし、天主台への石段を登りましたが、けっこう苦労しました、452段!。当時は急ぎの使者がご注進!なんて叫びながら登るのも大変だったろうなーなんて思いました。観音寺城へはまた別の機会に、と思います。琵琶湖岸を回って再びサイクリング。近江八幡、落ち着いた良い感じの街でした。
観音寺城
2009年10月10日
86城めです。早朝に東京駅を発ち、まずは関ヶ原へ。駅から徒歩5分の資料館でレンタサイクルを借り、古戦場、ウオーランド(合戦の様子を実物大の人形で再現)を見学。途中にわか雨にあったりしてゆっくりできませんでしたが、関ヶ原、また行きたいです。
さて、電車を乗り継ぎ、能登川駅下車、八日市行きのバスが観音正寺入口というところを通るとの情報を得ていたので、下車。通りすがりの人に道をたずね、神社の参道のわきから観音正寺への古びた遊歩道に分け入りました。しかし、これが大変な山道で、約45分は歩いたでしょうか、お寺に到着した時は、関ヶ原での疲れもあって、足腰ガタガタ。本堂でスタンプをいただいた後はもう歩く元気なく、タクシーで能登川駅に戻りましたが、お寺のせまい駐車場は大混雑。東近江市が管理する皆さんに大不評の有料道路は、市の職員が無線を使って時間交代制の一方通行としていました。
二条城
2009年4月25日
72城めです。西日本は雨模様と聞きつつ、でかけました。市営地下鉄二条城前からすぐですが、入場できるのは16時までなので、要注意です。
小学校の時に修学旅行で行った時以来、ウン十年ぶりです(笑)。その時はたいして歴史に興味なく、天守閣がなくてちっとも城らしくない、などと思ったものでしたが、このたび再訪し、将軍慶喜が大政奉還を告げた間を眺める時は感無量の思いでした。
大阪城
2009年9月21日
84城めです。
森ノ宮駅から徒歩で汗をかきかき、場内へ。もとは関西人でありながら、大阪城そのものへ登るのは初めてかな!?と自問自答しながら。しかし、なんと広い城域!現存しているのは最大規模だった昔よりもずっと狭いはずですから、石山本願寺、そして太閤秀吉の当時の威勢がしのばれました。
天守閣内のエレベーターには興ざめの感をいなめませんが、足の不自由な人でも登城できるのはよいことなのでしょう。
千早城
2008年8月27日
33城めです。鉄仲間のK氏とともに、前夜秋田から乗った”日本海”で大阪駅に1027着。環状線内回りで天王寺。近鉄あべの橋発準急に飛び乗り富田林で下車、1150発金剛バスに間にあいました。バスはけわしい山の中へ。さすが、楠木正成が少数の手勢で多数の北朝方を防いだ天険の地。”まつまさ”は金剛登山口で下車し、後方左への坂道を登ったところにあります。スタンプを出してもらい、”山家うどん”をいただきました。地産の椎茸の天ぷらがとても美味。店の奥さん?が、座敷まで招じて、金剛山周辺の地図の掛軸を見せてくれました。バリバリの河内言葉を予想していたところ、千葉県市川市からお嫁に来たので今でも関西弁を使いこなせない、と苦笑しておられました。千早神社への山道、きつかったですが、ついにここまで来た、という達成感がありました。南海バスで河内長野へ。南海高野線、環状線、阪神を乗り継ぎ、尼崎に投宿。
竹田城
2009年1月11日
63城めです。新横浜でK氏と落ち合い、のぞみ11号(新大阪下車)、明石で寄り道、はまかぜ3号(生野下車、昨日からの雪が残る道を散歩)、播但線普通列車を乗りつぎ竹田駅15:20着。予想していたよりも立派な駅です。隣接する観光案内所で竹田城のスタンプとガイドマップをいただくが、雪で登城は無理でしょう、とのこと。タクシーを呼んで運転手も、途中までは車で行けるが、そこから先は長靴でなければとても歩けない、と。その用意はしていないので、城を遠望できるポイントまで走ってもらい、じっくり目とカメラに収めておきました。今度はぜひ、11月の雲海シーズンにまた来て登城しよう!
そのままタクシーで和田山駅まで運んでもらい、城崎温泉泊。
(12月6日、再訪し、登城。雲海は見えなかったが日の出・雄大な城跡に感動!和田山の有斐軒に宿泊しました。とても親切な宿でおすすめです。)
篠山城
2008年3月22日
14城めです。安土城の後、O氏・N氏と近江八幡で別れ、青春18きっぷを使ってその日に行ける一番遠いところということで篠山城を選択。出生地の姫路と同じ兵庫県とはいえ丹波篠山は遠く、まだ行ったことがありません。大阪から福知山線快速で篠山口駅に15:59着。城のある街の中心は遠く、タクシーで20分ほどかかりました。閉館寸前に大書院到着。内部の展示はなかなか興味深く、篠山城は徳川家康が大坂の豊臣氏の監視のために急遽、諸大名に命じて作らせたこと、31年間老中をつとめた青山忠裕の居城であったことなど、始めて知りました。帰りはバスで駅へ。来たのは、懐かしい塗色、私にとってのおなじみ、神姫バス。おー、ここも勢力範囲か、なかなか手広くやってるなあー(笑)。
明石城
2008年8月28日
35城めです。赤穂城の後、JR新快速で明石駅1620到着。明石城のある公園までは徒歩約5分です。急いでサービスセンター(公園全体の管理施設のようです。)受付でスタンプを出してもらい、押印。その後、東側から登城。二基の三重櫓とその間を結ぶ長大な土塀がみごとです。公園出口の近くに銅像があったので誰か?と見ると、大洋漁業の創始者、中部さんでした。大洋ホエールズ(古いなあー、笑)のオーナー一族が中部さんというのは知っていましたが、明石の出身だったのは初めて知りました。
奇跡的に雨はあがり、山陽電車で甲子園へ。試合は行われ、阪神の勝利だったので、尼崎のホテルニューアルカイックの猛虎プランでの宿泊が半額になりました(笑)。
姫路城
2008年5月18日
24城め。わがふるさとの誇り、白鷺城です。娘を連れて前夜、旧友を交えてなじみの店で夕食を楽しみました。さて西二階町商店街を北へ向かって歩き、大手門に到着。天守閣ももちろんですが、歴史を感じさせる門です。大手改札で入場券を求め、そのちょっと横のスペースにスタンプがありました。天守閣への登城は7回目くらい?です。(小学生のころは、昭和の大改修で黒のトタンで数年間覆われていました。)急な階段、余分な展示のない内部など昔のままですが、そろそろ次の大改修工事の予定とかで、その前に、と思って来ました。下城後、東側より北側(護国神社よこ)の道をぐるっと回り、船場川に沿って歩いていると、川の中州にサギがいるのを娘が発見、大はしゃぎでした。
赤穂城
2008年8月28日
34城めです。ニュースでは九州は豪雨が予想されており、尼崎も雨模様だったので、今日の甲子園の阪神-中日は中止かな、と思いつつ、とりあえず阪神電車で西へ。明日仕事なので18きっぷで東京へ帰るというK氏と三宮で別れ、こちらはJRで播州赤穂へ。駅ビル(岡山寄り)にある、赤穂塩を使った塩ラーメンが美味でした。とりあえず雨はなし。旧国名を冠した駅名は数多くあるけど、○州○○というのは一畑電鉄の雲州平田・上信電鉄の上州富岡くらいで、JRにはたぶん他にないよなー、やっぱし、播州赤穂浪人という成句が行き渡ってるからかなー、と思いながら、レンタサイクルを借りて大石神社参拝の後、赤穂城へ。スタンプは本丸櫓門下にありました。折れを多用した縄張りがユニークです。花岳寺へ回るころにはまた雨が降り出しました。
高取城
2009年12月6日
高取城で88城めです。早朝に和田山の宿を出発し、以前にスタンプはゲットしたが大雪で見学できなかった竹田城に初めて登城。雲海は残念ながら見えなかったが、天守台から見る日の出に感動。その後、電車を乗り継ぎ、12;50に近鉄壷阪山駅到着。案内図によると夢創館は約700mの距離、と知り、歩く。入るなり、案内の女性が”百名城ですか?スタンプはこれですよ”と出してくれたのにはめんくらいましたが、ほかに館内にいた男性二人をふくめ、みんな親切な方々で、一人の男性が、高取城まで歩いて行くのは大変やから車に乗せたげるわ、と城跡まで送ってくれました。女性いわく、お客さん、ものすごうラッキーやわ!と。たしかに(笑)。車で行ける限界(行き止まりでここには駐車場はありません)まで乗せてもらい、あとは山道を約5分登って本丸跡へ。雄大!。ハイキングコースを45分近く歩いて下城、壺阪寺へ。この道は実にハードな下り坂で、途中すべってこけました。
和歌山城
2009年8月18日
81城めです。JR和歌山駅からバスで約5分、公園前より登城。約40年前には南海の軌道線電車が走っており、その当時はJRの駅は東和歌山の名前であったのを思い出しました。
さて、和歌山城、さすが御三家のひとつ、紀州家の居城。堂々の風格です。
下乗後、和歌山ラーメンを食べて再び和歌山駅へ。
鳥取城
2009年1月12日
64城めです。前夜、城崎温泉での酒をK氏と堪能。早朝に、もし雪がやんでいれば昨日のレベンジで竹田城へ登れないものかとほのかな期待をもって目覚めたが、雪はやむどころか次第に強く、山陰本線がちゃんと動くかどうかを心配せねばならぬ様子。とりあえず宿を出て駅へ歩き、着く直前、宿で借りた傘の骨が突風でグニャリ。駅員さんに聞くと、うーん、今のところ大丈夫じゃけど、問題は餘部鉄橋を通れるかどうかじゃなあ、まあこの頃は風が強けりゃすぐ止めるから落っこちることはないけどなあ、との返事。乗車した10:00発下り普通列車は無事に餘部鉄橋(ここから見る日本海の景色は絶景!)を渡り、定時運転。浜坂乗り換え、鳥取12:46着。鳥取城まで雪道を歩き、仁風閣(中の展示で姫路・鳥取・岡山の池田家の関係が少しわかりました)でスタンプ押印。ツルツルすべる石段をエッチラオッチラ上がり、必死の思いで登った二の丸からの雪景色はとても印象的でした。
松江城
2009年3月21日
69城めです。3月20日の阪神なんば線開通初日乗車をはたした後、米子に泊。翌21日に松江での所要を終え、登城。たしか2度目の来訪でした。歴史の重みを感じさせる、文句なしの名城です。
月山富田城
2009年3月21日
70城めです。松江城のあと、電車で荒島へ。そこからイエローバスで安来市立病院(平成の市町村合併前は広瀬町民病院だったようです)下車。運転手さんに歴史資料館への道を尋ねると、道の駅のすぐそばにあると、教えてくれました。飯梨川の堤防に登ると、対岸に資料館が見えますが、約100mほど下流へ行かないと、渡る橋はありません。
尼子氏の盛衰の展示、とても興味深いです。山頂からは中海・島根半島を望むことができ、絶景です。
津和野城
2008年10月13日
48城めです。そらの旅さんからの投稿のとおり、リフトは現在運転されていません!!
駅前でレンタサイクルを借りた時、リフトが動いていないと聞き、困ったなと思いつつリフト乗り場の下に駐輪しました。乗り場にはチェーンがされ、少し先の通路からリフト茶屋へ行ってみると非営業でしたが、工事関係の?おじさんがスタンプを出してくれ、無事ゲットできました。しかし茶屋がいつまであけられるか不明なので、事前に確認すべきと思います。歩いて登城することに決め、道を教わりました。太鼓谷稲成神社駐車場の一隅に中国自然歩道、津和野城跡まで1KMとの標柱があり、そこから幅1Mほどの山道を徒歩約25分で到着。三十間台まではさらにあと5分ほど歩きました。津和野の街の俯瞰は、もう最高!大汗をかいた甲斐がありました。森鴎外記念館と安野光雅美術館を見学し、SLやまぐち、のぞみで帰宅しました。
津山城
2009年3月1日
68城めです。昼間の急行列車として全国で唯一残っていた急行つやまが3月14日のJRダイヤ改正でなくなるのでそれに乗車する目的も兼ね、まずは姫路から姫新線に。竹田城へ行く時に利用した播但線よりもさらにローカル色が強く、沿線のあちこちに見られる竹薮の緑が鮮やかでした。佐用で乗り換え、津山1236着。かつて住んだことのある街なのでレンタサイクルを借り、商店街や職場だったところをひとしきり回って様変わりしたポイントをチェックした後、登城。苔むした石垣、シーズンには大勢の花見客でにぎわう桜並木など、とても懐かしく美しい風景でした。復元された備中櫓は在住の時にはたしかまだ無かったはずで、ちょっと驚きました。
下城後は聚楽園の近くまできつい坂道を登り、散策の後に津山駅に戻り、1546発急行つやまで岡山へ。(停車駅が快速よりも一つ少ないだけで所要時間・車両設備もほとんど変わらない現状では急行として存続できないのも仕方なしか。JRはもっと早く廃止の方針だったのが地元の反対で延びたという話で、プライドの高い津山らしい)と、実感。
鬼ノ城
2010年4月24日
95城めです。
倉敷からレンタカーで砂川公園まで約20分、そこから細い山道を約15分、うねうねと登って到着しました。復元された西門からは総社平野をはるかに見晴るかすことができます。ようやく訪れた春霞に包まれ、絶景でした。
岡山城
2009年7月25日
80城めです。近くを通ることはよくありましたが、登城は初めてです。宇喜多秀家、父の直家が名だたる策謀家であったのに対し、まっすぐな性格だったのですね。若くして五大老の一人に列せられ、その一方で関ヶ原での西軍の敗北で流刑にあった悲運、ため息を誘うものがあります。
城下電停からほど近いラーメン・カツ丼の店 "やまと"、地元の人に人気です。
福山城
2010年5月4日
96城めです。
福山駅前から鞆の浦港行きのボンネットバス(いすずBX341)に乗車。ベテラン車掌さんの解説も楽しく、懐かしい気分に浸りました。鞆の浦では仙酔島への船(龍馬の海難事故にchなみ、その名も平成いろは丸)での往復、古びておちついた街並みの散歩を楽しみ、再びボンネットバスで駅前にもどりました。
さて、福山城。新幹線の車窓からチラ見は何度もしていましたが、来るのは始めて。なかなか優美な天守閣で、最上階からの景観もいい感じでした。場内の展示もわかりやすく、黒船襲来の難局にあたった老中阿部正弘の事蹟をくわしく知ることができました。彼が早逝することがなければ幕末の歴史はかなりちがった形になっていたのでは、との思いを持ちました。
それにしても、これほど駅から近いのは、他には甲府城くらいでしょうね。
郡山城
2008年10月26日
49城め。芸備線吉田口、向原駅と安芸高田市役所前との間の備北交通バスは日曜祝日は運休なので要注意です。
周遊きっぷ(広島・宮島ゾーン)を手に、前夜の”富士”ソロで岩国に定刻より少し遅れて0610着。それでもまだ早すぎるので、山陽線上りで折り返し、横川のりかえ、可部0802着。駅横のバスターミナル0825発吉田行き広電バスに乗ると、国道54号線を走り、大きな交差点を右折してすぐに安芸高田市役所前バス停があり、0914着、下車(バス運賃はたしか、¥750)。吉田歴史民俗資料館の場所がわからなかったので電話で聞いてみると、さきほどの交差点へ戻り、まっすぐに突き抜けて5分ほど歩いた右側にありました。
毛利氏の興隆、尼子氏との争いの歴史の展示があり、以前みた大河ドラマTVはなかなか忠実なものだったのだな、と実感しました。
岩国城
2008年10月26日
ついにというか、50城めです。、郡山城の後、再び可部を経て広島へ。周遊きっぷは新岩国までの新幹線は使えるので、300系こだま・バスに乗って新岩国→錦帯橋・岩国城→岩国駅の行程をとりました。錦帯橋は幼稚園の頃に家族旅行で連れられ、シロヘビを見たおぼろげな記憶がありますが、岩国城は初めてでした。三階よりも四階を大きくした南蛮造り、なかなか小粋な感じですが、はたしてこれに南蛮風という言葉があてはまるのか?少々疑問を感じました。
関が原で西軍にあって家康と内通し、毛利軍を動かなさしめたとされる吉川広家、その先見の明により岩国藩を与えられたわけですが、はたして毛利が積極的に参戦していたら戦いの結果はどうなっていたのか!?天守閣から錦帯橋を見ながらそんなことを考えました(笑)。
萩城
2008年10月13日
47城め。萩・津和野ぐるりんパスを購入し、前日午後、秋芳洞経由、防長バスで萩に到着。萩博物館を見学し、宿泊。まあーるバスで8時すぎに登城。萩の落ち着いた街並み、指月城天守台を吹き渡る風、素晴らしい!別天地でした。前夜、グランドホテル近くの居酒屋で食べたメイボー(ウマズラハギ)、ボテコ(カサゴ)がとても美味だったし、ぜひまた来てみたい街です。下城後まあーるバス西回りで萩駅前へ。東回りに乗り換え、東萩駅前。10:15発津和野行きバスに乗車(ぐるりんパス有効)。(バスセンターでも津和野行きに乗れるけど、時間があれば始発の東萩からの方が席の確保がしやすい。)特急ではなく快速だったので、ローカルな雰囲気たっぷりなバス。途中、次はおおやけ橋というアナウンスがあったので、公橋かな?と思ったら、バス停には大焼橋と記されてました、笑。11:58津和野着、ここで思わぬことがありました。
徳島城
2008年9月23日
45城めです。のぞみで新大阪→新快速で三宮→高速バスで徳島駅へ。車中はほとんど寝てました。下車時、徳島バスの運転手さんが、徳島城への道を教えてくれました。駅に向かって右の道を線路際に5分ほど歩くと、線路をまたぐ歩道橋(かなり年季が入っている)への階段があり、これを通ってディーゼルカーがたくさん留置してある操車場を見下ろして進み、線路の反対側に着くとそこはもう城内でした。市立徳島城博物館受付の女性にスタンプを出してもらい、押印。他の方の記録では徳島城の評判はかんばしくないものがあるようですが、私にはけっこうマルでした。緑色片岩の石垣や庭園が美しいです。
再び高速バスで三宮へ。帰りは寝ずに鳴門海峡の海をしっかり見ました(笑)。
高松城
2009年7月20日
78城めです。琴平からコトデンに乗り、一日フリーきっぷを使ってさぬきうどんの店を3軒めぐった後、高松築港着。雨の中、城東入り口から登城。登城といっても天守台付近は工事中であまり高い建物は目につきませんが、海と通じている堀が印象的でした。
丸亀城
2009年7月25日
79城めです。丸亀駅から徒歩約10分。堀にはその名のとおり、亀がたくさんいます。階段、急!高石垣、すごいです。瀬戸内海の景観、工場の群れがなければ、言うことないのですが、ま、仕方ないですね。途中通る商店街(通町)にある手打ちうどん、"つづみ"、7;30amから営業しています。
今治城
2008年11月22日
54城めです。琴平でレンタカーを借り、Eとやまうち・小縣屋の二軒でさぬきうどんを賞味した後、丸亀よりしおかぜ13号で今治15:40着。駅よりタクシーで今治城へ。美しい姿の天守閣と、瀬戸内海の景観を生かしたみごとな設計は、想像していた以上のものでした。藤堂高虎公の銅像も端正な中に躍動感があふれており、感動しました。素晴らしい名城です。
湯築城
2008年11月24日
57城めです。前日、大洲から松山に着後、伊予鉄市内線電車で大街道近くの坂之上の雲ミュージアムを見学し、道後温泉泊。
湯築城は宿から徒歩5分の道後公園にあり、開館と同時に資料館に入り、河野氏の歴史を興味深く拝見。朝から雨であったため、城の遺構はあまり見ることができなかったのが心残りでした。
松山城
2010年1月16日
93城めです。
前夜に松山到着。朝の伊予鉄坊ちゃん列車で大街道下車。ロープウェーを利用し、登城。天守閣は武骨ではあるが、風格に富んだ形であった。おりから、司馬遼太郎さんの坂の上の雲がNHKで放送されており、市内は同番組の宣伝一色。根っからの司馬・雲ファンを自認している自分としてはもっと落ち着いた時にくるべきだったと、ちょっぴり後悔(笑)。
大洲城
2008年11月23日
56城めです。宇和島城の後、伊予大洲駅13:40着。タクシーで大洲城へ。昨年5月に坂本龍馬脱藩の道をさぐる旅に来た時、ご当地のIさんに案内をしていただいた時に大洲城も車で連れて来てもらいました。しかしその時には百名城スタンプラリーのことなど知らず、夕方だったので城内にも入りませんでした。こうして再訪してみると、肱川の流れを見下ろす眺めはとても素晴らしく、再建された地元の方々の努力に敬意を表します。
帰りのタクシーを呼ぼうと、来がけの時の運転手さんにもらった領収書の電話番号にかけたけれども、誰もでないので、息せききって歩き、14:44発宇和海14号にどうにか間にあい、松山へ。
宇和島城
2008年11月23日
55城めです。前夜、今治郊外の湯の浦温泉に宿泊。いしづち1号、宇和海3号を乗り継ぎ、11:31宇和島着。タクシーでお城へ(3分で着きました)。以前に(35年くらい前?)来たことがあり、一部くずれかけた険しい石段を登りながら、当時を思いだしました。今治城と同じく、海をたくみに取り入れた景観はみごとです。徒歩で駅にもどり、名物じゃこ天を買ってしおかぜ22号に乗り込み、軽めの昼食としました。じゃこのカルシウムがシャリシャリするのが、いかにも小魚の栄養満点を感じさせてくれ、美味です。
高知城
2008年11月2日
51城めです。前夜、坂出駅でバースデーきっぷを購入し、安芸(タイガースのキャンプ地ですが、キャンプは3日からとかで、すれちがい)に投宿。0707発御免行きに乗車、一つ手前の御免町で下車。土佐電鉄の路面電車に乗り換え、約40分、ゴトゴトと走って高知城前に0820着。この日(第一日曜)にかぎり、土電は一回乗車につき、どれだけ長く乗っても100(通常この区間は350)とのことで、予期せぬラッキー!でありました。
高知城はあいにく、外壁の修理工事中で幕やネットで一部が覆われちょっと残念でしたが、高欄で囲まれた天守からの眺め、重厚な石垣など、歴史を感じました。城内展示では山内氏のみでなく、長宗我部氏に関するものもあり、特に一領具足の像には興味をひかれました。下城後は高知駅より再び安芸を通り、奈半利まで土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線を完乗。バスで室戸岬まで往復し、再び御免より南風、のぞみ。
福岡城
2009年8月18日
82城めです。
和歌山城からスーパーくろしお、のぞみを乗り継ぎ、博多へ。地下鉄赤坂駅から徒歩で鴻ろ跡展示館へ。途中、平和台球場跡のプレートを発見。西鉄ライオンズの歴史に触れました。
大野城
2008年9月15日
44城めです。名護屋城見学の後、カーナビを四王寺県民の森管理事務所にセット。九州の道路はよく知らないので、ひたすらナビの命ずるまま走る。ナビはほんま、文明の利器やなあーと一人つぶやく(笑)。ヤフードームの横を通り、高速を下り、しだいに人里はなれた山奥へ。県民の森に1330頃、到着。事務所の入り口すぐのところにスタンプが置いてあり、中の方に一言ことわりを入れて押印。それにしてもどこが城跡なのかよくわからない印象がありましたが、帰り道の左側に百間石垣を発見しました。城というよりも、7世紀の唐・新羅の来襲の怖れを今に伝える遺跡といった方がふさわしい感じでした。博多駅にレンタカーを返してのぞみで帰宅。
名護屋城
2008年9月15日
43城めです。唐津城天守閣を車の窓より垣間見、一路名護屋城へ。9時前に到着。ボランティアの方による40分のガイドツアーがあるとの掲示があり参加できるか聞いてみたところ、前日までの予約が必要とのことで、残念ながら不可でした。県立名護屋城博物館に開館早々に入り、スタンプを押印。この博物館は本当に内容が充実し、素晴らしいです。しかも無料とはなんだか申し訳ない気になり、せめてもの気持ちで維持資金¥100を寄付しました。名護屋城跡、雄大な景観です。文禄・慶長の役は多大な犠牲者を出し、日朝友好をこわした秀吉の暴挙でしたが、それがなければこの城は造られず、自分がこの地に来ることはなかったろうと思うと、複雑な気分でした。
吉野ヶ里
2009年2月11日
66城めです。前夜、名古屋から”はやぶさ”B寝台にて、門司下車。”富士”との分割後、双方の発車を見送った後、小倉から新幹線。博多で”はやぶさ”に再び乗車し、鳥栖で下車、ローカル列車で吉野ヶ里公園駅着。東口でスタンプを押した後、シャトルバス・徒歩で園内を見学。復元された物見櫓も面白かったですが、甕棺があんなにたくさん発掘されていたのには驚きました。西口から、神埼駅(徒歩約15分)への案内表示はないです。まっすぐ西へ向かって歩いて行くと左前方に銀色の駅舎・跨線橋が見えてきますが、園内の係の人に確認しておいた方がよいでしょう。。
佐賀城
2009年2月11日
67城めです。吉野ヶ里見学の後、神埼駅より各駅停車で佐賀到着。佐賀城本丸歴史館、第一級の見ごたえあり、です。他の見学者を引率しているボランティアの方の案内がはたから聞いていても面白く、つかず離れずという感じで聞かせてもらいました。(洞ケ峠の筒井順慶みたい?苦笑。)
博多からひかりレールスターで新大阪へ。3月14日のダイヤ変更からは東京に顔を出さなくなる?500系のぞみに乗り継ぎ、帰宅。
平戸城
2008年9月14日
42城めです。前夜のはやぶさに乗車。できれば平戸城と名護屋城の二つをすませたいと思い、広島で下車、0600発こだま→博多着、筑肥線→唐津到着。駅レンタカーでVITZを借り、まずは約2時間のドライブで平戸城へ。レストハウスの観光案内所で地図をもらい、さっそく登城。天守の格子窓を吹きぬける海風がなんともさわやかでした。下城後、レストハウスで昼食を、と思い鯨肉入りチャンポン(以前はこのあたりで鯨が獲れたのでしょうか?)を頼んだところ、人手不足なのか、30分近く待たされました。味はまずまず。予想外に時間がかかり、このあと急いで名護屋城へ向かってもゆっくり見ることができないので、それは明日に変更。松浦史料博物館(見る価値十分です。隣接のお茶室で抹茶と名物カスドースをいただきました)と観光資料館をゆっくり見学しました。唐津へもどり、宿泊。
島原城
2007年12月8日
百名城めぐりの第一歩です。諫早からバスで加津佐に行き、島原鉄道のディゼルカーキハ20系(来春、ここから島原外港までの南線が廃止になる予定)にゆられ、島原駅着。島原城の表門は駅から島原城へ向かって歩いて行くと、表門はちょうど反対側なので、ぐるっと堀に沿って半周歩きました。表門近くの店でいただいた島原名物の具雑煮、なかなか美味でした。城は空堀・天守閣ともになかなか大きな規模で、これを建てるために松倉重政・勝家が行った苛政・切支丹弾圧を示す史料が心に重く響きましたが、徒歩10分のところにある武家屋敷街を流れる川のせせらぎに救われる思いでした。その後再び島原鉄道に乗り、原城温泉に投宿。翌日、島原の乱の戦場となった原城を見学しました。百名城ではなく石垣が残っているだけですが、口之津から天草方面への海を見下ろす絶景の地でした。
熊本城
2007年12月9日
二城めです。大正時代に三池炭鉱からの石炭輸出でにぎわったという口之津港周辺をタクシーで見学した後、フェリーで天草下島の鬼池港に渡り、バスで本渡へ。熊本行き快速バス(あまくさ号)に乗りつぎ、クルマエビの養殖風景の珍しい眺めを見ながら、熊本交通センター着。熊本城はそこからほど近く、はぜ方門から入城しようとしましたが、ここにはキャリーバッグを預けられる場所がないと教えられて頬当御門へ。大きめのコインロッカーにバッグを預け、ここでスタンプを押しました。多くの城では階段が急で狭いので、車を使わない城めぐりでは荷物をどうするかがこれからの課題、と感じました。
さて、熊本城。高石垣がスゴい!さすが、西南戦争の時、薩軍の猛攻を防いだ名城、と感銘。本丸御殿、完成間近のようでしたが、まだ工事中でした。
人吉城
2008年2月10日
七城めです。3月いっぱいで廃止になる寝台特急”なは”に前夜、京都から乗車。朝、熊本に着き、新八代駅で駅弁"鮎屋三代"を購入(秀逸、美味です!)。”くまがわ1号”で人吉着。球磨川を橋で渡り、徒歩15分で人吉城に着きました。天守閣はありませんが、石垣・櫓などよく整備され、球磨川の対岸から城を眺めると、とても美しいです。歴史館では、上相良氏(多良木・湯前周辺)が南朝方に、下相良氏(人吉周辺)が北朝方に分かれて争った経緯が展示されており、とても興味深く感じられました。
大分府内城
2008年12月27日
59城めです。岡城登城のあと、滝廉太郎記念館を見学し、豊後竹田11:52発普通列車で大分13:11着。駅構内のラーメン屋さんでどんこちゃんぽんを注文。大分名産、肉厚のしいたけ(どんこ)が美味でした。徒歩で府内城へ。他の方の記録でも書かれていますが、正直いってこれが百名城?という疑問がわきました。もちろん、この城が古来、豊後の国の政治の中心であったのはまちがいないのでしょうが。なんとなく、全国の県庁所在地で城下町だったところの城はおおむね百名城に選出されているので、そのバランス上から選ばれた?という感じでした。
この後、別府へ移動。駅から歩いてすぐの公営浴場(その名も高等温泉といい、80年も前から営業しているそうです。古びたタイルがレトロでした。貸しタオルつきで¥300)に入浴。さっぱりした後、再び大分に戻って上りの”富士”に乗車しました。
岡城
2008年12月27日
58城めです。前夜、別府駅前のホテルに投宿。0752発、九州横断特急の先頭席に陣取り、車窓を堪能。
0928豊後竹田着。駅舎は城を模しており、なかなか風情がある。駅窓口でレンタサイクル件を購入、電動機つき自転車を借りる。岡城への道はきつい坂が何箇所もあり、うんうんいいながらこいだが、電動機スイッチを入れると、あらラクチン(笑)。とても助かりました。
岡城はスゴイの一言!登り口から見えるそそりたつ石垣にまず感動。さらに奥へ進み、滝廉太郎の銅像、そしてひろびろとした本丸跡、雄大な久住連山の景観にさらに感動。滝廉太郎が”荒城の月”の舞台として抱いたイメージが初めて具体的にわかった気がしました。
飫肥城
2008年2月11日
九城めです。宮崎0649発の日南線で飫肥駅に8時に到着。二度目の来訪で街の中心は駅から離れているのは既知なので、キャリーバッグを預けるつもりでした。しかしコインロッカーが小さいサイズのみでバッグが入らず困っていると、委託駅員のおばさんが駅舎の中に預かってくれました。料金はもらえないです、と言って無料にしてくれました。感謝!さて、のどかな田園風景を歩くこと約20分で飫肥の中心街へ到着。均整のとれた大手門をくぐり城内の散策をすませ、歴史資料館には9時前に入館させていただきました。すぐ近くに、日露戦争の講和に際して国民の無理解をも敵にまわす状況下で、ロシア側ウィッテの強行姿勢に対抗、奮闘した全権大使、小村寿太郎の記念館があります。尊敬する人の一人です。事蹟を見て感動を新たにしました。帰りは南宮崎で日南線を下車、徒歩3分の宮交シティから高速バスで熊本へ、さらに”はやぶさ”に乗車。
鹿児島城
2008年2月10日
八城めです。人吉城登城の後、”いさぶろう3号”で吉松へ(肥薩線の大畑のループ、矢岳の雄大な車窓風景は何度乗っても素晴らしいです!)、さらに隼人へ、日豊本線に乗り継いで鹿児島駅に16:02に到着。途中の車窓から見る錦江湾越しの桜島の姿が雄大でした。タクシーで急いで歴史資料センター黎明館へ。(隼人方面からは鹿児島中央へは行かずに鹿児島で下車した方が近いです。)薩摩藩といえば明治維新の立役者。資料をもう少し見る時間があればよかったのですが、閉館時間が来てしまいました。徒歩で坂道をくだり、市電に乗って再び鹿児島駅へ戻り、翌朝に飫肥城へ向かうため、宮崎に移動しました。
今帰仁城
2009年12月30日
91城めです。中城城をあとに、高速に乗り、許田インターからは地道をカーナビの言うとおり、今帰仁城へ。曲線を多用した石垣がどこか異国風、かつ壮大で、思わず、おーと声がでました(笑い)。歴史文化センター内の地図で、知人のNさんの名字と同じ地名を発見、ご先祖さまはこのあたりの出身かな?と思ったりしながら、休憩所でソーキそばをいただきました。美味。
さて、これで沖縄の3城の見学終了。せっかくここまで来たので、ちゅら海水族館も見学し、那覇へ戻りました。
中城城
2009年12月30日
90城めです。8時すぎにおもろまち駅そばのDSFでレンタカー(Fit)を借り、330号線を一路北へ。中城城の手前に重要文化財・中村家という標識があり、心ひかれたが、沖縄のドライブは初めてだし、この後今帰路仁城へ行く予定で気がせくのでスルー(後から思えば、時間は十分あったので、寄ってくればよかった)。
中城城、城壁に作られたアーチ型の門が中国風で印象的。あいにく小雨が降ってぬかるみができており、足下が滑りやすく難渋しましたが、東側からは太平洋を望め、気宇壮大でした。
首里城
2009年12月29日
89城め、初めての沖縄です。16:10那覇空港着後すぐに、ゆいレールで首里へ直行。駅から徒歩約15分で首里城公園。歓会門へは左カーブの上り坂になっているのですが、右手に守礼門かな?いやしかし、扁額はないし、少しみすぼらしいなあ、と思わせる門がありました。正殿見学の後に気づいたのですが、やはりそれが守礼門、ただし、裏側からの姿だったのでした。正殿の向かって左半分は漆の塗り直し工事でビニールがかかっていましたが、壮麗さを十分堪能できました。系図座・用物座で押印。受付の女性に、たくさんスタンプが押されてますねえ、いくつめですか?と聞かれ、89城めです、と答えると、わー、すごいすごいと、笑顔で拍手してくれました。沖縄の人はやさしいです(笑)。