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メンバー情報

ID4950
名前尾張小牧
コメント犬山城の近くで生まれ育ったこともあり、ただなんとなくお城に興味があった程度でしたが、歳を重ねると日本再発見の旅をしたいと思うようになりました。そこで、100名城巡りを兼ねて行うことを思いつき、ちょうど車の買い替え時期に来ていたこともあり、走りのいいちょっと高めの新車を購入し実行に移すことを決心しました。
あせらずじっくり天下統一していきたいと思っています。
最後の最後、記念すべき100城目はやっぱり犬山城かな。
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
水戸城
2014年3月15日
9城目。
東京在住も残りわずかとなり、関東制覇を目指しています。偕楽園の梅祭り開催中でもあり、息子の自動車運転を兼ねて水戸城に向かいました。弘道館の駐車場にすぐ止めることができラッキーでした。弘道館の受付では、おじさんがスタンプ帳を出す前に、スタンプを出してくれました。聞くと、90%は名城巡りの人かどうかわかるということでした。弘道館は、修復中で館内に入ることが出来ず残念。弘道館を写真に納め、梅林を眺めて退出。城跡通りと道案内があり薬医門も歩けばそのうちあるだろうとタカをくくり、歩いても見つからず、水戸第三高まで歩く。ガイドブックを見ると、水戸第一高にあると書いてある。第三高から第一高までかなりあると思い、車まで引き返し、ナビで確認するとなんと隣合わせの高校。何でこんなに近くに第一高と第三高があるのと思いつつ、もう少し下調べしておけばよかったと後悔しました。車移動で、薬医門と現在水郡線が通る堀を見学し、偕楽園に向かいました。
足利氏館
2014年3月23日
10城目。
1日で足利氏館、金山城、箕輪城の順で登城しようと、東京から車で出発。先ずは鑁阿寺の境内に車を停めて、太鼓橋と山門にまわり、水堀と土塁をみて、山門正面から本堂に向かいました。本堂横の受付でスタンプ押下。ついでに銀杏の実でできた厄除身代りお守りを妻へのお土産として購入。(後日、すぐに割れてしまい大したご利益もなく残念)お城の雰囲気というより、お寺にお参りといった感じでした。
すぐお隣にある足利学校でお勉強した後、次なる目的地、金山城に向かいました。
箕輪城
2014年3月23日
12城目。
本日3城目です。先ずは箕郷支所でスタンプを押下。アプローチがわかり難く、係の人にお城へのルートを親切に教えていただきました。こんもりとした丘の上にある駐車場に車を停め、本丸から御前曲輪、鍛冶曲輪、大堀切と廻りました。途中鍛冶曲輪の石垣も見て往時を偲ぶことができました。この城はやはり縄張りのすごさを堪能できます。
金山城
2014年3月23日
11城目。
本日2城目です。いくつもある山城でも、これだけの石垣で造られたお城は圧巻でした。通路までが石敷きであり土塁といっても石垣なのには驚嘆しました。大手虎口、南曲輪が復元されていますが、訪れる者を心引き付ける景観でした。スタンプは真ん中がかすれており、何とかしてほしいものです。
鉢形城
2014年2月23日
7城目。
1週間前の大雪で、城跡全体が雪景色のままでした。
まず、歴史館でビデオとジオラマを鑑賞し、案内図をもとに深沢川を渡り、二の曲輪〜四脚門〜三の曲輪〜伝秩父曲輪〜伝逸見曲輪〜大手、さらに本曲輪に引き返し、断崖の上からの荒川の流れを堪能しました。
一人くらいの足跡を頼りに雪原の中を歩き回った感じです。
川越城
2014年2月23日
8城目。
本日2城目の川越城本丸御殿です。
掛川城の二の丸御殿の方が、何となくですが施政を行う場所としての雰囲気とかが良かったように思ったのは私だけでしょうか。ただ、展示してあった絵図によればこの御殿は、ほんの一部でありスケールの大きさに驚いた次第です。かつては小江戸と称された城下町を形成した川越城の数少ない遺構ですが、現存御殿(2つしかない)としてはとっても貴重だそうです。
佐倉城
2014年1月19日
4城目。
東京に持ってきた尾張小牧ナンバーの車で佐倉城にやってきました。

角馬出の日陰になったところには、前夜降った雪が残っており、趣のある風情を感じました。
天守が無くとも幾多の幕閣を輩出してきたお城らしい威厳さを感じることが出来ます。
天守跡の土塁上からは、東京スカイツリーと富士山も見ることができました。
国立歴史民俗博物館側の駐車場に車を止めて、ぐるっと一回りしたあとに、スタンプを押して帰ろうとしましたが、管理センターがわからず、博物館の警備員さんに聞いてやっとわかりました。ちょっと判りずらいです。(結構歩く羽目になりました)
江戸城
2014年4月2日
13城目。
やはり江戸城に行くなら、千鳥ヶ淵の桜の季節をはずせません。ちょっと遅めに家を出てしまったこと、桜を満喫していたために北詰橋門に着いたのは、もう4時前でした。あせった。そそくさと天守台から富士見櫓、百人番所、大手門と廻り御苑を抜け出て、ぎりぎりで和田倉休憩所でスタンプ押下に間に合いました。30年前丸の内本社にいた時、和田倉噴水公園で同僚の女性と一緒にお昼のお弁当を食べた記憶がよみがえってきました。その後は、歩をゆるめ過去を懐かしみながら桔梗門、坂下門、二重橋、桜田門、楠正成像と皇居外苑を廻りました。皇居には、中学校の修学旅行、結婚してから子供たちと、また名古屋から甥が来たときと何度も訪れていましたが、江戸城として訪れたのはこれが初めてだったことに驚くばかりでした。
八王子城
2014年4月5日
14城目。
先ずはガイダンス施設でビデオを見てスタンプ押下し本丸跡を目指しました。今まで高尾山には何度も行きましたが、高尾山よりもキツイ感じでした。しかし、人でごった返す高尾山よりもこちらのほうが、歴史を偲びながらのハイキングには適しているのかも知れません。馬冷やしの堀切まで足をのばしたため、戻るのに2時間は費やしました。御主殿の滝から御主殿跡、虎口、曳橋を見て管理棟に戻りました。管理棟の方と話をしましたが、馬冷やしの堀切まで行く人は少ないそうです。北条氏の支城で最大規模のものであることが実感できました。
小田原城
2014年1月26日
5城目。
日帰りで、小田原城攻めを実施しました。
明るいうちに家に帰らなければならず、じっくり見ることができず残念でしたが、馬出門、銅門、常盤木門から天守へと向かいました。天守からは、「小田原評定」を思い浮かべながら石垣山を望みました。相模湾の景色もとてもすばらしいものがありました。
武田氏館
2014年4月10日
15城目。
東京から犬山へ車で引越す途中で武田氏館、甲府城に寄ることにした。武田神社の正面の参道は、桜が散る真っ最中で桜吹雪がすごかった。
水堀を渡り、階段上の大きな鳥居をくぐり、宝物殿で武田氏ゆかりの品々を鑑賞した。以前読んだことのある孫子の兵法に出てきた「風林火山」の旗を見て、いかに中国の古代兵法が日本の戦国時代までも影響を及ぼしていることかと思うと、歴史の悠久さと深みを感じずにはいられない。復元された大手東側の土塁、西曲輪の枡形虎口を見て、武田氏館の鑑賞を終え甲府城に向かうことにした。
甲府城
2014年4月10日
16城目。
1590年秀吉が天下統一を遂げると、それまで城主であった徳川家康が秀吉のイジメにあい江戸の寒村に移封された。関ヶ原の戦い後、再び徳川氏一門の城となったが、徳川氏に関連する城(江戸城はもとより、岡崎城、駿府城など)は石垣が見事であり、威風堂々としている。本丸天守台に登ると、江戸城の天守台を思い起こさずにはいられなかった。ここ甲府城もそんな徳川氏の巨大権力者の城であることが見て取れる。再建された稲荷櫓の前には「甲斐府中城」の横断幕があり、「甲府」とはそういうことなのかと今更ながら納得する。鉄門、天守曲輪と廻り、犬山への帰路に着いた。(謝恩碑は城内に建てることはなかろうと思ったのは私だけでしょうか)
高遠城
2014年4月15日
17城目。
高遠城に行くなら、絶対桜の季節にと思っていたので、愛車を駆っていざ出陣となった。土日は混むというので平日に出かけたが、駐車場は城から結構離れたところに停めざるをえなかった。三の丸、旧藩校あたりは、近くの小学生の遠足コースにもなっているようだ。城址公園内に入ると、相当の人数でごったがえしており平日でもこの季節は大層な混雑に驚いた。コヒガンザクラが満開で、とてもすばらしき光景であったが、かつての古い時代のお城を偲ぶことは難しいのかもしれない。深い空堀に降りて、お弁当を広げている人たちをみると、平和な時代だなぁと感じてしまう。南ゲートから一旦外へ出て、歴史博物館、ついでに絵島囲み屋敷をみ見て昼食。その後、また園内に戻り、太鼓櫓、桜雲橋を渡り満開の桜を後にして、高遠城の訪問を終えた。見事な桜についつられて、ハナカイドウの幼木を購入してしまい、庭に植え換え毎日眺めて過ごしている。
岩村城
2014年5月8日
18城目。
当然歴史資料館に行くつもりがあったので、歴史資料館の入館券が必要との貼り紙があったのを無視して民俗資料館に立ち寄る。(館内鑑賞していたら歴史資料館の係員さんが有料ですよと来てしまった)歴史資料館には、歴史読本に写真がよく掲載されている目安箱がありました。歴史資料館でスタンプを押下した後、岩村城に登る。ちょっとしたハイキングでまさに登城である。山道を登っていき視界が開けて6段の石垣がパっと現れた時は、こちらに迫ってくるような迫力を感じた。本丸跡から見る恵那山の姿を見ると、結構高い所にある(日本一)城であることを感じることができる。
岐阜城
2014年2月9日
6城目。
一時帰省した折に、近くにあるのに生まれてこの方行った記憶も無い岐阜城に行ってきました。1週間前に降った雪が残り、ロープウェイを利用しました。
金華山に聳え立つ天守を見ると、山城での水や食料の確保、人間ですから排泄物はどうしていたのだろうと考えてしまいます。水については、天守への途中に貯水用堀がありなんとなく理解できました。天守からの眺望もすばらしく、長良川の流れが昔も今も変わらず人間の営みを支えているのがよくわかります。
山中城
2013年12月23日
2城目。
駿府城登城の翌日、妻と別れ、山中城に一人で行きました。
北条氏の小田原城西の守りとして、しっかりとした築城技術が駆使されたいるところは見ごたえがありました。
ただし、豊臣秀吉の小田原征伐では兵7万人に対し、北条氏側兵4千人で、半日で落とされたそうです。いくら防御に技術を費やしても多勢にはかないません。うら悲しいものがありますね。
駿府城
2013年12月22日
記念すべき1城目。
東京に単身赴任している私と、犬山城の近くに住んでいる妻との再会場所として静岡(双方の中間地点)を選び駿府城に登城しました。
さすが天下の徳川家康の隠居の城であり、広大な敷地に天下普請の城の姿を思い浮かべると、所詮無理とはわかってもいつかは我も住んでみたいと勝手な思いにかられました。
復元された巽櫓では、ガイドさん(歴女)の説明もしっかり聞きました。
関連場所として、「清見寺」がお薦めです。清見寺は家康が今川家に人質になっているときにいた場所で、三畳の勉強部屋(英語でSchooling Roomと案内してあった)が現存しているのですが、駿府城巽櫓の模擬勉強部屋は四畳半でした。(歴女さん。どうなっているの?)
掛川城
2014年1月13日
3城目。
一時帰省していた犬山から東京へ車移動の途中で掛川城に寄りました。
コンクリート復元の天守が多い中、木造復元の天守だということで、多少ワクワクしながら登城しました。遠方から見る天守の威容は、すばらしい。天守から遠くに富士山が見えるらしいのですが、晴れてはいたものの残念ながら確認できませんでした。
二の丸御殿では、最近テレビで見た江戸城再現CGで将軍に謁見するための二の間、三の間を思い浮かべました。