ID | 4295 |
名前 | かんぱっち |
コメント | 観光好きで実は100名城の内76城を訪れてましたが、スタンプラリーは2013年6月のスタート。10年計画のつもりでじっくり完登を目指します。 |
登城マップ |
江戸城 2013年6月16日 | 百名城ラリーの初回は、徳川300年の幕府の中枢・江戸城へ。東京都内で生まれ育った自分には馴染みの城ですが、改めて地下鉄二重橋前駅より、まず楠公像そばのレストハウスで21番のスタンプ押印後、外国人客ばかりの二重橋から伏見櫓を眺め、巽櫓を堀越しに観察後、大手門より旧本丸の皇居東御苑へ。石垣の巨石に感心し、花菖蒲満開の庭園から天守台へ登り往時の雄姿を想像後、松の廊下跡で忠臣蔵のシーンを連想、富士見櫓は地方の天守並みの規模と感じ、大奥跡ではドラマの女の確執を想像し、1回目の来訪を終えました。 |
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小田原城 2013年6月22日 | 2城目は、小田急線沿線に生まれ育った自分には、終点駅間近で7〜8回は登城している馴染みの名城。ロマンスカーで小田原へ着き、駅前などの案内図に載る登城ルートで、近年整備された馬出門・銅門を経て、城内へ。ちょうどアジサイとアヤメの花の祭りの開催中で、満開の花々を巡りつつ、昭和30年代復元の天守閣へ。最上階はネットが張られ一部遮られながらも、城下町、相模湾、箱根の山、そして北条方を驚愕させた石垣山一夜城の当時の姿を想像しつつ展望を楽しみました。元は野球場になっていた敷地に御用米曲輪の発掘作業も進み、今後の復元も期待できそう。 |
山中城 2013年6月22日 | 3城目。小田原城より、箱根登山線の電車、路線バスと乗り継ぎ、箱根関所跡で復元された関所と資料館を見学後、三島行きの東海バスで山中城跡バス停へ。城跡入り口前の駐車場にある売店で、スタンプ押印。城域は三島市が立派に整備を進め、西の丸周辺の畝堀、障子堀はよく原形を再現したもので、これは攻略方も落ち込んで攻めあぐねると想像できるもの。最高所からの三島市街、駿河湾、愛鷹山、富士山の展望も素晴らしく、本丸、二の丸、北の丸と美しい芝の敷き詰められた空間でかつての建造物を空想し、国道1号線へ戻った山中バス停から三島市街へ下りました。行政の史跡整備に力が入っているのには感心。今後にも期待したいです。 |
武田氏館 2013年6月23日 | 4城目。前日に続いての日帰りの名城紀行は、甲府市内の2城へ。町田駅より横浜から中央本線へ直通の特急「はまかいじ号」に乗り甲府駅へ。北口へ出て、かつて武田氏館(武田神社)の敷地内にあって最近移設された明治の洋風建築「藤村記念館」を見学後、バスで武田神社へ。かつての武田氏館(躑躅ヶ崎館)は、核心部分は武田信玄を祀る神社となり、お宮参りの子を連れた家族などでなかなかの賑わい。参拝後本社の右側の宝物館の受付でスタンプ押印。核心部分はすっかり神社ですが、西側に進むと、北に面した虎口が復元され、さらに北側を回ってでた東面の大手口側は、ここは神社域を外れたのか行政による土塁や馬出跡などの整備が進み、この部分では城郭の面影に想像を膨らませられきました。 |
甲府城 2013年6月23日 | 武田氏館より、甲府駅へバスで戻り、駅北口に最近造られた蔵造りのショップ街「甲州夢小路」を回った後、立派に復元された甲府城山手御門を見学。甲府駅をオーバークロスする道路から甲府城の本丸へ。明治期に御料林を山梨県へ下賜された記念の謝恩碑は、異彩を放つが不思議に違和感は余りない。天守台からは甲府市街の大展望がみられるも、若干雲があり富士山・南アルプス、奥秩父の山は完全には見えず。本丸は整備工事のため行き止まりで、一回下った後、近年復元の稲荷櫓の事務室でスタンプを借り押印。中の展示はシンプルですが、櫓に面して壁の塗り方の図解もあり、各城門や塀、石垣など行政による整備は着実に、今も進行中で、今後にも期待が持てそう。下城後は駅前の「奥藤」で鳥もつ煮とそばのセットで遅い昼食後、今度は中央高速バスで帰路についたら、世界遺産になった富士山の帰り車の影響か、大月から渋滞ひどく、中央道日野まで予定の倍の3時間かかっての帰還となりました。 |
川越城 2013年6月30日 | 6城目。 小田急で新宿へ。さらに高田馬場より西武の特急「小江戸」で本川越駅へ。川越の町へは10回以上は観光に行っていて、川越城の本丸御殿も4〜5回登城していましたが、今回は改めて100名城目指しての城下町めぐり。駅より東に進み、門が補修中の仙波東照宮から、喜多院に入り、徳川時代には、江戸の北の守りの要として重視された町に、初期将軍三代に重用されたブレーン、天海僧正が整えた大寺の、江戸城から移設された御殿を見学。家光生誕の間や、春日局化粧の間など見学後、五百羅漢のユーモラスな石仏を巡り、 その後は北へ進み、今は木の生い茂った小山となった富士見櫓跡に登り、メインの本丸御殿へ。ここは数少ない城の御殿建築の現物で、受付でスタンプ押印後、御殿各部屋と、後から移設で戻った家老詰所を見学。なかなかの広さも存在当時は7〜8倍はあった印象で、江戸の北の要の壮大さをパンフや館内の航空写真を使った想像図で空想しました。隣接する高校等に城域の大半が変わったのが残念な所。 |
佐倉城 2013年7月5日 | 7城目。 京成線の特急で京成駅へ着。そこからは駅構内にあった、国立歴史民族博物館発行の、佐倉城址公園のガイドマップを参考に佐倉城跡へ。京成線に並行する幹線道から旧成田街道へ進み、水を蓄えた堀と土塁を過ぎると歴博のゲートへ。歴博を右手に眺めつつまずは城址公園内へ向かい、下り坂を降りた所に姥が池。この辺りは菖蒲園で、今花盛りのアジサイを絵に描いている方々が多くいてのどかなムード。底から登り返すと自由広場前で、そこの園内案内板の「←100名城のスタンプはこちら」の張り紙に従い、ついた公園管理センターでスタンプ押印。そこから改めて城址公園に向かうと、ここは土塁、空堀など要所要所に園内地図を添えた立派な案内板があり、行政が城址のハードとともにソフト面でも力を入れていると感じました。幕末の日米修好条約の関わった佐倉藩主・堀田正睦や米国側のハリスの銅像を眺めつつ本丸跡へ入って広大な敷地に往時を想像しつつ、その後は歴博の展示鑑賞をと行きましたが、その時午後3時半ごろで時間が足りず、一部はしょって、駆け足での退館。歴博前発のバスでJR佐倉駅に出、総武線快速を使っての帰還になりました。 |
鉢形城 2013年7月15日 | 8城目。 池袋から東上線の電車を3本乗り継ぎ終点寄居駅へ。猛暑が不安でしたが幸い当日は30度前後と余り苦にならず。そこからはまっすぐ南下し正喜橋で荒川を渡るが、ここで川面からそびえ立つ断崖の上に立つ城域が見渡せ、天然の要害を実感しました。本曲輪に入り、最上部の田山花袋の詩碑あたりから荒川を見降ろした後、車道と深沢川を渡り鉢形城歴史館へ。受付前でスタンプ押印後、地階で城の歴史とバーチャルツアーの映像鑑賞後、城域に戻り長い土塁や、再び川、車道を渡って二の曲輪、三の曲輪に入り、立派に復元された虎口、馬出、御殿を模した四阿、復元四脚門、そして独特の石積土塁などじっくり鑑賞。天然の堀となる南北の川とともに、堅固な防備で、名だたる名将を相手に1月以上も持ちこたえたのかと想像を巡らしました。 |
松本城 2013年7月21日 | 9城目。 夜行快速「ムーンライト信州」で早朝に松本駅着。駅前のマックや、タクシーで美ヶ原温泉に日帰り施設「白糸の湯」を訪れ時間を過ごした後、バスで松本城最寄りの「市役所前」バス停へ着。それでも天守閣の開館まで間があり、内堀を囲む公園をしばし散策後、9時になってやっと城内へ。スタンプラリー開始後初の現存天守は、すでに5回以上登った馴染みの場所ながら、改めて戦国期に竣工の実戦装備を実感し、上層のきつい階段を登りつめ最上層より松本の城下町を展望。下って江戸期創設の優雅な月見櫓を鑑賞しつつ、下城後は改めて勇壮な天守一帯を見上げ国宝にふさわしいと思いつつ、隣の市立博物館で充実した展示鑑賞後、松本駅へ向かいました。 |
松代城 2013年7月21日 | 10城目。 松本より特急「しなの」で長野へ、姨捨からの善光寺平の展望を楽しみつつ、長野駅到着後はアルピコ交通の松代バスに乗り換え、松代には直行せず川中島古戦場で下車。信玄・謙信の一騎討ち像や、第4次合戦の軍勢配置図、各種石碑はあるものの、狭いスペースで古戦場全体の空間把握は難しい印象で、そばの長野市立博物館も鑑賞しましたが、戦国期の展示は一部で、川中島に力点を置いてないなと感じつつ、再び同方向のバスで松代市街へ移動。かつて長野電鉄が走っていた「松代駅」跡で下車。レールが撤去され構内は更地になるも大正期作の古風な駅舎は現存。すぐ駅裏の松代城へ。管理事務所外側でスタンプ押印。城域は近年になっての城門、土塁、堀などの復元が素晴らしく、その中で石垣が往時をとどめる天守台から千曲川・北信五岳等の展望を眺め、また開城300年の石碑の記載からは山本晴幸(勘助)の設計や真田信之の移封の事実を読み取り、城を後に。あとは5時近く慌ただしいなか、真田邸や文武学校を鑑賞。再びバスで長野市街へ戻りました。 |
上田城 2013年7月22日 | 11城目。 宿泊した長野からしなの鉄道で上田駅着。猛暑厳しき中徒歩で上田城へ。東側二の丸より入城。かつての堀、後は線路になった遊歩道を見下ろしつつ城内へ赴くと櫓門へ。明治以降遊郭になって移転していた南・北の櫓も違和感なく元の位置に復元され勇壮さを実感。 櫓は見学出来てそこの受付でスタンプ押印、じっくり内部展示を見ているうちに眼下の門前には真田幸村や忍者に扮したもてなし隊が登場。「じゅーゆーし!」の掛け声で観光客の記念写真に応じていました。本丸内では赤備えの兜が目立つ真田神社や真田井戸、西櫓 、内堀を見下ろす各櫓跡などを鑑賞。明治後の改修が進み徳川軍を二度退けた堅城の面影は今一つ実感できずながら、千曲川に向けての標高差は大きく、自然の要害を垣間見ることはできました。城内の上田市立博物館で真田親子の「犬伏の別れ」の絵など資料を鑑賞し、門を出た後は今は高校の入口となった藩主屋敷門など見た後上田駅へ、駅の照明は夜には六文銭が輝く形で、町中にも六文銭ののぼり旗多数、十勇士の肖像の看板など、真田家への愛情は日本一と感じられる上田の町でした。さらにしなの鉄道で小諸へ。 |
小諸城 2013年7月22日 | 12城目。 しなの鉄道で小諸駅着。駅前広場に出てすぐの陸橋を渡るとすぐに、小諸城跡、今は懐古園の門前で、上部に櫓を乗せら三の門から城内へ。この城は城下町より位置が低く、「穴城」呼ばれたのを実感させます。まずはゲート前の徴古館でスタンプ押印。4時近く時間も少なくなり、共通入場券で行ける美術館・博物館は割愛し、徳川秀忠が滞在した二の丸跡(この後上田城の惨敗)や、黒門跡、紅葉ヶ丘を巡り、天守台跡に登って城域を展望。その中で小諸で教員生活を送った島崎藤村の記念館、懐古神社も訪れ、山本勘助ゆかりの鏡石も鑑賞、水の手展望台に登ると、千曲川が断崖の下に望め、さらに城域を幾つにも分ける天然の深い谷間など、地形の利を見事に生かした堅城を実感しました。さらに馬場跡を巡って谷間を橋で渡り動物園へ。ライオンやペンギン、川上犬など、100名城でもこんな動物がいるのはここだけかと感じましたが、この頃には天候悪化し、空は真っ黒な雲、雷鳴も聞こえ、早めに撤収をと思い、徴古館で改めて鑑賞後、跨線橋を渡って、線路北側の復元された大手門を鑑賞後慌ただしく小諸駅へ戻り帰宅しました。 |
二条城 2013年7月28日 | 13城目。 3週連続の夜行快速「ムーンライト」と青春18きっぷ利用の名城めぐりで、今回は「ムーンライトながら」を利用し関西圏のビッグネームを回る。小田原より乗車、大垣から東海道線を乗り継ぎ京都駅へ。さらに山陰線と地下鉄で二条城前着。ここも4〜5回目の訪問ながら、名城として改めて見学。外堀を渡っての二の丸御殿は、徳川家の首都管理の拠点、そして幕府開設や大政奉還など重要儀式の舞台として、豪壮な外観、内装を見せてくれますが、破風に掲げられた菊の御紋は、維新後離宮として活用された変遷を感じさせました。炎暑厳しく、日曜で観光客も多い中、二の丸庭園、本丸御殿、天守台と、清流園と全域を巡り、この城は朝廷監視の役割を持ちながらも、やはり軍事施設よりも儀礼の場の役割が強いと実感しました。世界遺産認定もふさわしいと思います。最後に大休憩所でスタンプを押印し、今回は京都はこの城のみの訪問で、次の大阪城へ。 |
大阪城 2013年7月28日 | 14城目。 二条城前より、市営地下鉄で三条京阪、そこから京阪電車で天満橋へ。この頃は正午も近くとにかく暑い。そのなか大阪城大手口へ向かうと、外堀に行き着くが、さすがは日本の三名城、堀の広さや石垣の高さなどスケールの大きさに改めて感激。ほどなく着いた大手門からすぐの多門櫓、千貫櫓はそれだけで地方の天守波のスケールで、さらにこの両櫓周辺や天守前の蛸石など、運搬はどうやって?と思わせる巨石も多く、やはり天下人の城は雄大と思いつつ本丸へ入り天守へ。戦前期に、徳川時代の城域に豊臣時代の天守を復元したという城の1階でスタンプ押印。内部はエレベーターで登れる展望台+博物館の形ながら、この時期は冷房も効いて、登りの苦労もなく有り難い。最上階から大阪の町を見渡し、以下の階の展示を鑑賞後下城。金の鯱に金の装飾など、おそらく100名城では一番派手な城と思いつつ、どこか大坂の町には似合ってると感じました。本日3城目の姫路城の予約時間が迫ってきたので、豊国神社参拝後急ぎ森の宮駅へ。 |
姫路城 2013年7月28日 | 15城目。 大阪城で時間を使い、姫路城での「天空の白鷺」の予約時間に間に合わせるため、地下鉄を乗り継ぎ新大阪へ出て、新幹線で姫路駅へ。そこからタクシーで姫路城入口へ。ここも5〜6回目の登場か。しかし現在は平成の大修理中で、大天守は巨大な覆いに包まれそこの天守の絵が描写。今回はこの中の仮設ビルから工事現場をのぞける「天空の白鷺」を15時〜16時で予約し、何とか16時に間に合いました。日曜ながらそれほどの混雑はなく、エレベーターで最上階の補修現場前へ上がり、パネルや映像での大修理の解説を参考にしつつ、修理の進行状況を直に鑑賞しました。当日は作業休みながら瓦の葺き替え、壁の補修などの工事は順調で、2015年3月には新たな天守の姿を見せられるということで、その日の再訪を期待しつつ、西の丸の長大な渡櫓を巡って千姫の生活再現を見た後、城を後にしました。 |
彦根城 2013年7月29日 | 16城目。 前夜宿泊の姫路市より、JRの新快速で2時間半、彦根駅へ到着。激しい雨の中、徒歩で彦根城へ向かう。駅前を直進、護国神社を左に回り込むと、幅も石垣も規模が大きい中堀に達し、そこには連なるいろは松。城門の多聞櫓と、厩が見学可で、中を鑑賞した後、内堀を渡り有料区域へ。ゲート前の券売所外側にスタンプがあり押印。まずは彦根城博物館を見学。さすが譜代大名筆頭の井伊家と思わせる宝物も多く、真ん中に収まった能舞台や、隣接の復元屋敷などゆっくり見学後、荒削りの岩を敷いて勾配、カーブなど登りづらい登城路を進み本丸へ。 途中では天秤櫓も内部見学。空堀を前衛に堅固な守りで、さらに進むと太鼓櫓、ここも中を見学してやっと天守閣。大津城からの移設で小ぶりながらも風格ある国宝天守へ登り、城域と街並みを見下ろし、やっと核心部まで行ったと思いつつも、さらに下って玄宮園へ。西ノ丸にも見学可の櫓あるが割愛。この辺りで雨は非常に激しく、下りにえらく難儀の後やっと玄宮園に入るが、城を借景の池泉回遊庭園は素晴らしいと思いながらも、雨で落ち着けず早々に撤退。井伊直弼像を見た後、元来た道を彦根駅へ帰還。 |
名古屋城 2013年7月29日 | 17城目。 彦根城で時間がかかり、米原から新幹線で名古屋駅着。地下鉄2本乗り継ぎ市役所前駅へ。地上に出ると名古屋城の外堀(空堀)で、進むと東口門へ。このゲートに券売所でスタンプを借りて押印。3時を過ぎて時間厳しくまずは天守閣へ、二の丸を右に内堀(空堀)に達すると、幅や石垣の高さ、上にそびえる辰巳櫓など、御三家の城らしく、規模の大きさを感じつつ本丸内へ。ここも大阪城と同じ昭和期再建の鉄筋天守ながら、「城で持つ」名古屋の象徴として再建された姿は勇壮で、金の鯱の輝きは美しい。小天守を経て大天守へ入ると、ここも大阪城と同じエレベーターありで、まずは最上部に上がり200万の大都市を展望。以降は1階ずつ下って城の歴史の展示、出身の太閤秀吉の伝記など懸賞し、降りると改めて、復元途上に本丸御殿へ。今は表玄関と導入部のみの部分公開ですが、新しい木の匂い漂う御殿はは外装、内部の柱・梁の骨組み、金箔を施した壁、襖の絵画など、戦前の旧御殿の資料があったとは言え見事な復元で、全貌が公開されたら再訪を期待させるに十分でした。二ノ丸庭園を帰りに巡った後、地下鉄で名古屋駅。東海道線の普通電車を数本乗り継ぎ帰宅。 |
新発田城 2013年8月5日 | 18城目。 3週連続の「ムーンライト」での100名城、今回は新宿から「ムーンライトえちご」で 早朝に新潟駅へ着。朝は新潟の市内観光を行い、正午近く新潟駅へ戻り、白新線で午後から新発田駅へ。新発田城へ徒歩で、市街地を抜け、市の文化会館を過ぎると、赤穂浪士堀部安兵衛の記念碑があり、この人は赤穂浪士とともに新発田浪士(父が辰巳櫓の焼失の責任取り辞職)でもあるのを知りました。間もなく城跡へ着。ここだけ残った堀を渡ると本丸表門で、ボランティアガイドが控え、門の下のテーブルにスタンプがあり押印。以降は再建の白木が新しい辰巳櫓で、復元工事の経緯、新発田藩主溝口氏の、一揆が一度もなかったという善政を知りました。狭い城域ながら、現存の本丸表門、旧二ノ丸隅櫓と内部見学し、展望もしましたが、ここは旧城郭が、今は自衛隊基地で継承される形で、自衛官訓練の号令が聞けました。堀沿いに奥へ進むと見事再建の、鯱を三つ掲げて三階櫓で、残念ながら基地内に所在で見学不可。以降は城主の名庭園・清水園を訪れるも、列車の時刻が迫り途中で引き返し、新発田駅より新潟、新幹線で長岡、快速くびき野を乗り継ぎ、高田へ。ここで泊。 |
春日山城 2013年8月6日 | 19城目。前夜宿泊の高田駅近くのホテルを出て、本町6丁目バス停から直江津行きバスで「春日山下」で下車、春日山神社へ直進すると、埋蔵文化財センターがあり、「謙信公と春日山城展」開催中も開館前で、謙信の騎馬像のみ撮ってさらに進む。途中大手道を分ける所で無料の春日山城のガイドマップを取り、さらに急坂を登ると春日山神社。ここの謙信像は立派だが石垣に上でそばに寄れず撮影もしづらい。神社を参拝後、本丸へ。千貫門では、登城路に見えながらその先が断崖という、敵撃退の巧妙な仕掛けに感心し、さらに登り直江家の屋敷跡、往年の名軍師をしのび、謙信の信仰篤い毘沙門堂を過ぎてやっと本丸へ。上越市街や日本海、周辺の山々の展望素晴らしく、十分眺めた後は、景勝屋敷、景虎屋敷と巡って後館の乱の悲劇を思い起こし、春日山神社へ戻り、以降は林泉寺を参拝し上杉家の宝物を鑑賞、暑さ厳しい中春日山城史跡広場へ着。ここでは山城の前衛として築かれた水堀や砦跡など壮大な防備を実感し、ここにあるものがたり館でスタンプ押印。以降は高田市街へ戻り、高田城を復元三階櫓など見学後、ほくほく線、上越、高崎線の普通を乗り継ぎ帰還しました。 |
駿府城 2013年8月13日 | 20城目。5分の1制覇。 |
掛川城 2013年8月13日 | 21城目。 |
岡崎城 2013年8月13日 | 22城目。 |
白河小峰城 2013年8月19日 | 23城目 |
二本松城 2013年8月19日 | 24城目 |
岩村城 2013年8月25日 | 25城目。 |
高遠城 2013年9月3日 | 26城目。 |
仙台城 2013年9月9日 | 27城目。 |
多賀城 2013年9月9日 | 28城目。 |
盛岡城 2013年9月10日 | 29城目。 |
根城 2013年9月10日 | 30城目。 |
弘前城 2013年9月11日 | 31城目。 |
久保田城 2013年9月12日 | 32城目。 |
山形城 2013年9月12日 | 33城目。 |
水戸城 2013年9月14日 | 34城目。 |
足利氏館 2013年9月14日 | 35城目。 |
金山城 2013年9月17日 | 36城目。 |
箕輪城 2013年9月17日 | 37城目。 |
会津若松城 2013年9月22日 | 38城目。 |
八王子城 2013年10月13日 | 39城目。 |
長篠城 2013年10月20日 | 40城目。 |
犬山城 2013年10月20日 | 41城目。 |
岐阜城 2013年10月21日 | 42城目。 |
高岡城 2013年11月8日 | 43城目。 |
七尾城 2013年11月9日 | 44城目。 |
金沢城 2013年11月9日 | 45城目。 |
丸岡城 2013年11月10日 | 46城目。 |
一乗谷城 2013年11月10日 | 47城目。 |
小谷城 2013年11月11日 | 48城目。 |
伊賀上野城 2013年11月26日 | 50城目。半数登城達成。 |
松阪城 2013年11月26日 | 49城目。 |
高取城 2013年12月23日 | 51城目。 |
千早城 2013年12月24日 | 52城目。 |
和歌山城 2013年12月24日 | 53城目。 |
明石城 2013年12月25日 | 54城目。 |
赤穂城 2013年12月25日 | 55城目。 |
観音寺城 2013年12月26日 | 56城目。 |
安土城 2013年12月26日 | 57城目。 |
篠山城 2014年1月4日 | 58城目。 |
津山城 2014年2月28日 | 59城目。 |
岡山城 2014年2月28日 | 60城目。 |
備中松山城 2014年3月1日 | 61城目。 |
鬼ノ城 2014年3月1日 | 62城目。 |
福山城 2014年3月2日 | 63城目。 |
郡山城 2014年3月2日 | 64城目。 |
岩国城 2014年3月3日 | 65城目。 |
広島城 2014年3月3日 | 66城目。 |
高松城 2014年6月20日 | 67城目。 |
徳島城 2014年6月20日 | 68城目。 |
高知城 2014年6月21日 | 69城目。 |
宇和島城 2014年6月21日 | 70城目。 |
大洲城 2014年6月22日 | 71城目。 |
松山城 2014年6月22日 | 72城目。 |
湯築城 2014年6月22日 | 73城目。 |
今治城 2014年6月23日 | 74城目。 |
丸亀城 2014年6月23日 | 75城目。 |
松前城 2014年7月20日 | 76城目。 |
五稜郭 2014年7月21日 | 77城目。 |
根室半島チャシ跡群 2014年7月23日 | 78城目。 |
津和野城 2014年12月14日 | 79城目。 |
萩城 2014年12月15日 | 80城目。 |
松江城 2014年12月16日 | 81城目。 |
月山富田城 2014年12月16日 | 82城目。 |
鳥取城 2014年12月17日 | 83城目。 |
竹田城 2015年4月26日 | 84城目。 |
吉野ヶ里 2015年9月11日 | 85城目。 |
佐賀城 2015年9月11日 | 86城目。 |
島原城 2015年9月12日 | 87城目。 |
平戸城 2015年9月14日 | 88城目。 |
名護屋城 2015年9月15日 | 89城目。 |
福岡城 2015年9月15日 | 90城目。 |