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メンバー情報

ID3973
名前やままゆ
コメント戦国時代大好きです。
あぁ、日本人でよかった。
武将たち、職人たちが残してくれた痕跡が
過去と現代を繋いでくれる。
石垣を見ると、その時代に一気に飛ぶ事ができる
という特殊な能力(?)を持っています。
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
根室半島チャシ跡群
2017年2月20日
63城め
仕事で札幌に来たので、電車で6時間かけて根室まで来ました。車窓を楽しみながらやって来ました。海沿いの氷加減。エゾシカがいるので電車が止まります、など北海道らしい。
五稜郭
2018年5月2日
79城め
タワーから星形の稜堡式城郭の全貌を一望。桜が満開で美しい。
大手口の半月堡は、予定では5角全てに作る予定が、予算の都合で大手口一ヶ所のみで終了。
ここは箱館戦争の舞台になった場所。戊辰最後の戦い。
松前城
2018年5月3日
80城め
緑の石垣が珍しい。江戸幕府になってから建立。層塔型のシンプルな城。戊辰戦争で落城。大戦を経て残っていた天守が昭和24年火事で焼失。資料館の中に焼失前の写真があります。
さくら祭りで沢山の人でした。
弘前城
2019年9月8日
99城め。
東北唯一の現存天守。
妻子を人質として次々と南部を攻め津軽統一を
成し遂げた津軽為信によって計画され二代目藩主
信枚(のぶひら)が1611年に完成させたが、落雷で焼失。
1810年武家諸法度で天守の新築が出来ないため
辰巳櫓を改修して天守とした。正面と裏側か違う顔。
裏側はとても質素。雪国なので瓦でなく銅葺きで対策。
現在は石垣修理の為、曳家でお引越し中。なので、後ろに岩木山を望む弘前城は今しか撮れません。
石垣の隅石に使ってあった「いかすみ石」が可愛い。
明治6年(1873年)の廃城令で本丸御殿や武芸所などが取り壊されたが、旧藩主津軽氏が城跡を市民公園として一般開放するため、城地の貸与を願い出て許可されたので現存している。
太閤秀吉の木像を御神体に安置した館神跡がある。
根城
2019年9月7日
98城め。
1334年、南部師行(もろゆき)築城。
堀と土塁に囲まれた広大な城。
家紋の鶴の口は阿吽になっている。
盛岡城
2019年9月7日
97城め。
別名「不来方(こずかた)城」誰も来ない所。
現在の名は「盛上り栄える岡」
山梨は甲斐源氏からやってきた南部氏の城。
南部殿様♪南部の民謡が頭の中でぐるぐる。
土塁の多い東北には珍しい総石垣の城。
東北三大石垣の会津若松城、白河小峰城と盛岡城。
城が花崗岩の丘上に建っているせいか御影石の石垣。
巨大な烏帽子岩と曲輪の石垣が特徴的。
植えた木の根のせいで石垣がたわんでいるのが残念。
野面積みから始まって色々な時代の積み方が見られます。
奉行の名前が刻まれている珍しい石垣もあります。
多賀城
2011年1月30日
2城め。
雪景色・・・・・。誰もいない城跡を満喫しました。
仙台城
2011年1月29日
記念すべき1城め。
仙台城からのSTARTです。
伊達正宗様にお会いしました。むすび丸様にも。
ここは石積の内側が見られるのがGOOD!!
久保田城
2019年9月8日
100城め。日本百名城 制覇達成!
2011年1月から始めて、2019年9月まで8年8か月かかりました。
その為に購入したセレナもよく頑張って走ってくれました。
登城認定証の登録順位は3229番目です。

関ヶ原後、常陸から入封された佐竹氏が1604年に築城。
現在は復元城。佐竹氏は一国一城令の例外的に
久保田城の他、横手城、大館城の3つの城を許された。
常陸から入封する際に美人を皆連れて来たため
秋田には美人が多く、水戸にはブスが多いとか?
連郭に輪郭を加えた複合式。
材料となる石がない地方のため僅か三段程度の石垣に
土塁を積んだ「土の城」。
扇は佐竹の家紋です。
山形城
2015年8月26日
46城め。
復元された東大手門を見学。堂々と反立っています。鉄道が真横にある大手橋も趣がありました。
二本松城
2015年8月27日
47城め。
戊辰戦争で散った二本松少年隊が守備についていた城。
ずっと行きたいと思っていた城にようやく行けました。
会津若松城
2015年8月27日
48城め。
何度も来ている鶴ヶ城。いつきても感動するのは、やはり戊辰戦争と白虎隊。ここで籠城戦をしたと思うと感慨深いものがあります。
飯盛山からお城を見るのも忘れてはなりません。
白河小峰城
2015年9月20日
50城め。
震災時に崩れた石垣も大部分修復されていました。
切り出しの高石垣が美しい。
戊辰戦争はこの城が落ちてから一気に攻められたのかと思うと胸が痛くなります。
水戸城
2015年9月19日
49城め。
弘道館が思いの外興味深くて楽しかった。
空堀が道路として再利用されているのがよくわかる。
足利氏館
2013年6月2日
38城め。
掘りによって囲まれている館。今は完全な神社となっています。
箕輪城
2013年6月2日
36城め。
箕郷支所から北上した所に城跡があります。石垣は素朴なものです。
金山城
2013年6月2日
37城め。
ここは、城跡としてのマイナンバーワンです。少し登って、パッと視界が開けたら、そこに素晴らしい石垣が現れる。まるでマチュピチュへ行った時のような感動です。更に行くと、月の池、日の池。チェチェンイツァの生け贄の泉を思い出しました。
階段状の石垣と建物跡は、アンデネス?
大好きです、この山城。
鉢形城
2013年6月2日
39城め。
キレイに整備されていました。スタンプは歴史館受付に設置されていますが、入館は16時までなので、要注意。
川越城
2013年5月19日
30城め。
珍しい本丸が現存。とはいえ、現存は全体の5分の1。どんだけ広かったのだろう。ふすまに竹の絵もかろうじて残っています。
ここは、観光地なので散策も楽しめます。
喜多院では、五百羅漢と、徳川家光公御生誕の間が見学できますよ。「我は、生まれながらに将軍である。」天海和尚の像もあります。天海の呪術で守られた徳川家かぁ、すごいな。そういえば、天海和尚=明智光秀説なんていうのもあったな---と、想いに耽けながら見学しました。
佐倉城
2013年5月21日
31城め。
とにかく広い。分かりにくい。
城としての見所はあまりないが、武家屋敷は、キレイに保存されていました。
江戸城
2011年9月1日
7城め。
出張の合間にちょっと寄りました。東京駅に近いからこそできる技。現在も人が住んでいる唯一の城。中に入れない城。警察の方の目が・・・・写真撮るのも緊張します。
八王子城
2013年2月16日
14城め。
なかなかたどり着けませんでした。まぼろしの城かと思っちゃいました。
小田原城
2013年5月18日
28城め。
小田原城、長い籠城戦、秀吉軍が一夜にして築いた石垣山の城に命運尽きたと悔しかったろう。次々寝返りされて、ついに100年続いた北条家も滅亡。
真田家の地元民としては、北条には散々やられた思いもあるが、北条家が民に慕われていたことは、さすがと思う。
武田氏館
2013年3月30日
20城め。
かつてあった武田氏の館を彷彿させます。掘りも残っていて、いい。全体が凄くいい。孫子の旗が特別公開中でした。どこもかしこも武田菱だらけで、わくわく。
甲府城
2013年3月30日
21城め。
この城は、石垣のカーブ具合が絶妙です。側面、平面がそれぞれカーブしていて美しい。居城でありながら、山城の趣を持っています。天気がよければ、富士も眺められますが、今日は曇りで残念でした。でも、桜は満開でした。石垣が美しい!
松代城
2011年7月30日
4城め。
真田信之の城。復元される前は、ただの空き地でしたが、きれいになったものです。確かここと太平洋戦争時に掘った大本営は繋がっていて出口があると、松代の友人が言っていました。近いので大本営にも是非足をのばしてほしいです。
H25年4月恒例のさくら祭りの野外ステージで津軽三味線を弾き民謡を唄ってきたときの桜と城門写真です。
上田城
2012年4月30日
12城め。
第一次上田戦・第二次上田戦をここで戦ったのか・・・・とおもいを馳せてまいりました。あの大軍徳川を2度も破ったのですよ。地元なのでやはり真田には格別の思い入れがあります。この場所に築城した昌幸の先見の明はすごいです。日本一の兵、真田家バンザイ!!
小諸城
2012年4月30日
13城め。
じっくり見て回るとあちこちの石積から色々と連想できます。
今日は18歳になる息子が運転してくれるというので乗せて来てもらいました。車の運転がしたくてたまらないようで。フフ
松本城
2011年8月20日
6城め。
城の王道。さすが国宝。黒漆は毎年塗りなおしているので美しいまま。
天守は連結式天守(大天守と乾小天守と渡櫓)と複合式天守(大天守と辰巳附櫓と月見櫓)の2つの形式を合わせた連結複合式天守で、連結複合式層塔型五重六階。
現存する五重天守の中では日本最古(現存する五重天守は松本城、姫路城の2基のみ)。
天守までの階段は傾斜が50〜55度。かなりきつい。
天守の梁の上には二十六夜神伝説の神様が祀られている。1727年の本丸御殿の火事の際に天守が焼けなかったのはこの守り神のおかげだと伝えられている。
1504年小笠原氏一族の島立貞永が築いた深志城を武田信玄が大規模な改修を行い要衝とした。1582年小笠原貞義が松本城に改称。次に石川数正が城主になり近世城郭の普請を行い、後の城主、松平直正が天守に辰巳附櫓、月見櫓を増築した。よって戦国時代と江戸時代の建築物が繋がっている造り。月見櫓は平和の象徴のよう。
1873年の廃城令で競売にかけられたが、地元民により天守だけは廃却を免れた。
アルプスを背景にお堀に逆さに映る城を合わせて撮影すると本当に美しい。
あ〜美しい。本当美しい。
高遠城
2011年6月5日
3城め。
広い、とにかく広い。桜の頃はもう人だかりですので、シ−ズンオフを狙って行きました。大奥絵島の屋敷も近くにあるので是非。
新発田城
2013年5月4日
27城め。
珍しい。シャチが3つある櫓。ここにしかありません。全体的にとてもキレイな城です。石垣も美観重視の美しい城です。礎石や、敵を攻撃するための石落としが見られますよ。こういうのって見るとワクワクします。
春日山城
2011年8月19日
5城め。
一番好きな武将:上杉謙信。ちなみに謙信検定「義の
級」持っています。上杉景勝 直江兼続が幼少期を過ごした林泉寺も近くにあるので是非。
高岡城
2015年8月14日
44城め。
お堀の遊覧船に驚きです。
大分広く神社もあり参詣してきました。
七尾城
2015年8月14日
45城め。
親愛なる謙信さまが包囲した際、絶景とおっしゃったとおり。
この城はなかなか落とせないでしょう。
金沢城
2013年6月30日
41城め。
菱櫓は必見。日本人の技術力って、素晴らしい!なにもかも菱形。トリックアートのような櫓です。石垣も雄大。楽しめる城です。
丸岡城
2013年3月20日
17城め。
小さい城ですが、趣があります。豊臣時代の黒漆や徳川時代の白漆喰の城と比べ、木のままの色が残っていて素朴な感じです。
天守の瓦が石瓦だそうです。福井産の緑色凝灰岩の笏谷(しゃくだに)石が材料で、寒く強い風雨の地域で天守が耐えてこれたのは石瓦のおかげだということです。城内に石瓦も展示されていました。屋根東西の鬼瓦も笏谷石で東側の鬼は開口、西側の鬼は閉口で阿吽の対になっています。石瓦も鬼瓦も丸岡城固有のものだそうです。
日本最古の現存天守。1576年、柴田勝家の甥、勝豊による建立。天守の構造分析から1624年頃の建造という説もあるそう。
築城時にお静という女性が人柱になったという、人柱伝説も残るとか・・・。
明治6年(1873年)の廃城令で天守以外はすべて解体され、その後、天守は町民の奔走により丸岡町に買い戻され、公会堂として利用され、解体を免れたとのこと。
昭和23年の福井地震の際に崩れかけたこともある。
天守までの階段は65度。最上階は67度だそう。かなりのキツさです。
石段と城のバランスが特徴的です。
一乗谷城
2013年3月20日
16城め。
武家屋敷、楽しまさせていただきました。いい写真がとれますよ。
岩村城
2013年5月31日
35城め。
登山の覚悟が必要です。石垣が草に埋もれていたり、苔むしていたりで、兵どもが夢の跡。6段積みの石垣があります。
岐阜城
2013年3月23日
18城め。
駐車場がなくてグルグルしちゃいましたが、山の上に城が見える絶景を何度も眺められたから、まぁいいか。さすが信長。安土城と同じく庶民を楽しませてくれますね。
山中城
2013年5月18日
29城め。
北条氏築城の、まさに山の中の城跡。秀吉に落とされた。見所は、障子堀や畝堀、すり鉢曲輪。敵の攻撃を阻害する北条流の築城。戦う為の城立ったんだなぁ。城跡からも充分感じとれます。
駿府城
2014年6月23日
42城め。
さすが駿府は広い。公園になっていて整備されていますが、当時の面影は一部のみ。月曜で休みでしたが、近くの静岡市役所の7F公園整備課へ行ってスタンプをもらいました。
掛川城
2014年6月23日
43城め。
木造の天守閣、急な階段ではありますが登りました。堀も残っています。
犬山城
2013年3月23日
19城め。
やはり国宝は趣が違います。天守閣からの眺めは感動もの。真下に木曽川が流れていて立地がいい。川と丘と城の佇まいに品格があります。
織田信長の叔父信康が1537年、木曽川沿いの丘陵上に築城したのが始まり。城主はめまぐるしく交代し、1617年に尾張徳川家の付家老の成瀬氏が城主になった。
戦国時代に建設された天守。天守台の石垣は野面積み。天守南北の大きな唐破風が格調高い顔つきの城。地階にある穴倉が印象的でした。
なんとこの城2004年まで個人所有でした。1873年の廃城令で、天守を除いて櫓、城門などが取り壊され、明治24年(1891年)の濃尾地震で天守の東南角の付櫓が壊れたため、城の修復を条件に旧犬山藩主成瀬正肥に無償で譲渡され個人所有となり、2004年に公益財団法人「犬山城白帝文庫」の所有となったそうです。
城下町も古きよき時代を感じる素敵な城です。
名古屋城
2013年4月28日
24城め。
さすが名古屋城。金のシャチ。なんて派手な城。これは既に城の形をしたテーマパーク。
岡崎城
2013年4月28日
25城め。
徳川家康の生まれた城。となれば、当然、出世の御利益が。観光地としても楽しめます。空堀の苔むした感じが趣がありました。
長篠城
2013年4月28日
26城め。
武田勝頼が攻め、織田、徳川連合軍が援軍を出して 死守した城。城主奥平貞昌の命を受け、使いとして城を脱出。岡崎へ行き援軍を依頼し帰路武田軍に捕らえられ、味方に援軍が来るから、持ちこたえろと叫び、磔刑となった、鳥居強右衛門の話はあまりに有名。
伊賀上野城
2013年4月27日
22城め。
高い石垣が素晴らしい。これだけ高い石垣は他にない。城中、忍者に扮した子達がいっぱい。忍者の里らしくていいですね。城内の資料も充実しています。甲冑の数が多くて楽しめます。組紐が有名とのことで、舞台に映えそうな帯締めを記念に購入しました。
松阪城
2013年4月27日
23城め。
石垣が多い。かなり高さのある、切り立った石垣は見所がありますよ。ほぼ直角。
すれ違うおじいちゃん達がとてもいい人。三重の人、いいなぁ。そういえば、私の愛するバタヤンも三重の松阪出身。悲しくも没して2日後にバタヤンも眺めただろうこの古城に来られて良かった。今年8月、私名取になります、お客様に愛される民謡の歌い手になれるように頑張るよ、バタヤン!
小谷城
2013年3月20日
15城め。
山登りは結構きついですが、是非登ってみてください。市たちの会話が聞こえてきそうです。
彦根城
2012年4月15日
9城め。
国宝城の中でも戦国時代の戦いの城です。
関ヶ原の戦いの後、実戦を想定して築かれたお城です。表向きは、破風や花頭窓など装飾の美しい城ですが、その裏顔は恐ろしい戦いの城。
坂道は歩幅がとれない設計になっているわ、広場では一網打尽だわ、空堀に架けられた廊下橋ごと落とされるわ、壁に狭間なんてどこにもなかったのに?実は隠してあり、イザというときにはぶち破って狭間にできたり。城の内部には隠れ部屋に敵はひそんでいるわ。
外見と違う内面っていうのがまた彦根城の魅力ですね。
関ヶ原の戦いで武功のあった井伊直正が、1601年に石田光成の旧城であった佐和山城に入城し、直正没後、直正の遺志を継いだ直継が彦根山を城地と定め築城したのが彦根城の始まりです。 築城は徳川家康の支援を得て天下普請で行われたが、大坂夏の陣で工事が中断したこともあり1622年の完成までに20年の年月を要したといいます。
攻める気持ちで登城するのに適した城ですね。
1873年の廃城令では軍用地として残す存城処分となり現在に至ります。

ちなみにカメラが城を顔認証しました。
安土城
2012年4月15日
11城め。
ここは楽しめます。とにかく戦国時代にタイムスリップしたような錯覚に陥ります。近くにある信長の館もあわせてご覧あれ。ほーらもう気分は・・・。信長の館ってうちの大学の・・・知らなかった。
観音寺城
2012年4月15日
10城め。
霊験あらたか・・・・。苦労して登った分、御利益があるような気持ちに。ましてや魚籃観音なんてものまで祀られていました。なんだか引き寄せられてここに来たような気がします。ありがたや。合掌。
二条城
2012年4月14日
8城め。
修学旅行で来た以来です。ん十年ぶり?わくわくしちゃいました。そして、ここまで自分で運転してきたこともね。自画自賛。
二条城といえば大政奉還。
当時は葵紋だった装飾も菊紋に変えたことがわかったそうで。
全て奉還したんですね。
大阪城
2013年5月30日
34城め。
名古屋城と同じく城の形をしたテーマパーク。しかし、さすが大阪城。堀の大きさと石垣は、見応えあり。この堀を埋められたら、そりゃ負ける。冬の陣、夏の陣、真田丸、妄想が止まらない。和議じゃ、和議じゃと叫ぶ淀の声か聞こえてきました。
千早城
2013年5月30日
33城め。
鎌倉幕府の大軍を楠木正成が籠城戦で迎え撃ったという、この山城を全て見るには、鍛えた足が必要です。どちらかというと、城というよりかは金剛山。ハイカーが多かった。『まつまさ』でスタンプを押せます。椎茸が肉厚で美味しかった。
竹田城
2016年3月21日
61城め。
やっと願いがかなって、やってきました。竹田城。
17時からの登城。この時間帯の竹田城はまた赴きあり。
登って登ってようやく見えた時の感動は格別です。
マチュピチュに例えられるのも納得。
崖ギリギリの石垣、城の全体的な構成、本当にマチュピチュを思い出しました。
今度は絶対11月の霧の季節に来ます。
マイナンバー1は、竹田城になりました。
篠山城
2016年3月18日
51城め。
石垣の刻印が印象的。映画や歴史ドラマの撮影がいっぱい行われていたんですね。
「女信長」とか。
明石城
2016年3月22日
62城め。
白漆喰の櫓は美しい。両方の櫓を結ぶ土塀が復元されているので、当時の壮大さが偲ばれる。
しかし、とても広いのに案内が不充分なので、迷う。
姫路城
2016年3月18日
52城め。
わー白い。2015年の大改修を終え、屋根まで真っ白です。30年前に来た時と比較しながら、思い出しながら登りました。
この白漆喰で塗られた城壁の美しさから、白鷺城と呼ばれているのも納得です。
1346年、姫山に築城された姫山城が姫路城の始まり。その後、安土桃山時代に羽柴秀吉が三重の天守を築いて近世城郭とし姫路城と改称しました。現在の形は徳川家康の娘婿・池田輝政によるもので、1609年の築城です。
姫路城も攻める気持ちで登城すると面白いです。螺旋状の堀。天守に向かって登っているはずなのに道は下っている。この敵を惑わす仕掛けはワクワクします。
大天守と小天守の連立式で大天守は五重六階望楼型。豪華で荘厳な完璧な城です。
お菊井戸は深くて大きくて「1枚、2枚」と数える声が聴こえそうな怖さ!
1873年の廃城令で軍用地として残す存城処分となりましたが、太平洋戦争では米軍の空襲を2度にわたって受けました。しかし、奇跡的に焼失を免れたという幸運の城でもあります。
国宝というだけでなく、1993年には世界遺産登録されました。
人気投票堂々第一位の城。脱帽です。
赤穂城
2016年3月18日
53城め。
赤穂といえばあの浅野家。忠臣蔵。大石神社がありました。
高取城
2013年5月30日
32城め。
街並み、土佐街道がきれいでした。山城なので、相当あ
るかなければなりません。吉野山、壺阪寺と他にも見所があります。途中、缶ビールでできた城オブジェがありました。
和歌山城
2013年6月29日
40城め。
大きな城だなぁ!城らしい城だわ。石垣フェチの私からするとこの城の石垣は素材が違うのが珍しく感じました。頁岩のような石が多く産出する地域なのかな?全体的によく残っている城でした。
鳥取城
2016年3月21日
60城め。
石垣と堀が素晴らしい。何段にも重なる石垣と背後の山が融合して、とても絵になる。
秀吉が兵糧攻めした城。
仁風閣に展示されていた石垣の模型が欲しかった。映画「るろうに剣士」の撮影場所だったんだね。
松江城
2016年3月20日
59城め。
2015年7月8日国宝となった。指定に至った大きな理由は、2012年5月に「慶長十六年」と記された祈祷札2枚が再発見され、その後の研究により天守が慶長16(1611)年完成であることが明確になったこと、2階分の通し柱や包板の技法を用いた特徴的な柱構造が解明され、天守建築に優れた技法を用いた事例であることが判明したためだそうです。地階の通し柱に祈祷札が打ち付けられていたそうで、その跡もありました。その祈祷札2枚は隣の松江神社にあったとか。
1607年横尾忠晴とその祖父吉春により宍道湖畔の亀田山に築城したのが始まりで1611年に京極忠高が三の丸を造営し全容が出来あがったそう。
天守台の石垣は牛蒡積みで、色味が茶色。その上に黒を基調にした天守。コントラストが美しい。三角形をした千鳥破風天守なので千鳥城とも呼ばれている。小さいながらも風格があります。石落としもいたるところに設けられています。大きな堀も残っていて当時を偲ぶことができます。堀では遊覧船が出ていました。
1873年の廃城令で天守も売却される予定だったが地元有志により買い戻されたそうです。
月山富田城
2016年3月20日
58城め。
尼子一族の城。毛利元就に攻められて落城。山中鹿介が滅亡後の再興をかけて上月城で戦うも落城し、夢は叶わず…。
津和野城
2017年3月31日
78城め
リフトに乗って、さらに歩いてようやく石垣が。
朝、霧がかかっていて、これは竹田城なみの天空の城が見られると思いきや、どんどん雨が強くなり、もはや雨登山。小さいながらも趣あり。
よくここまで建築資材を運んだものだ、と偉業に敬礼。
津山城
2016年3月19日
57城め。
一二三段に築かれた石垣群の眺めは見応えがあります。石垣っていいなぁ。
備中松山城
2016年3月19日
56城め。
駐車場からシャトルバスに乗り、更に約20分登山。バスの幅ギリギリの道幅。怖っ。という感じと、ようやく城が見えたときの感動はマチュピチュを彷彿させます。
天然の岩盤と融合させた石垣は圧巻!
現存する天守の中では日本一標高が高い山城。城のある臥牛山は430mだそうです。
11月の霧のなかの松山城も見てみたい。
秋葉重信が延応2年(1240年)に築城したのが始まりで毛利家などの城塞として機能していたそう。
1873年の廃城令で廃城処分となり商家に売却されたが、不便な場所にあったので解体されずに放置されていた。その後1940年に修築のため町内各学校の児童・生徒が山頂まで瓦を担ぎ上げたそうです。城への思いが感じられますね。
NHK大河ドラマ「真田丸」のオープニング映像に使われたそうです。
鬼ノ城
2016年3月19日
55城め。
総社平野を見下ろす標高400メートルの山城。凄く狭い山道ですので気をつけて。
岡山城
2016年3月19日
54城め。
とにかく巨石が多い。まるでサクサイワマンのよう。城はコンクリートで中はミュージアムです。
宇喜多秀家時代は金箔瓦を使用していたという。真っ黒な「烏城」に金箔は豊臣政権の大大名らしい。関ヶ原後裏切りの小早川秀秋に譲られてしまうというのも皮肉だなぁとしみじみしながら登城しました。
福山城
2017年3月28日
73城め
再建の城。伏見城から移築したといわれる伏見樓と筋鉄御門が現存している。
郡山城
2017年3月28日
74城め
毛利元就の城跡。山頂に城があったことを想像しながら
山を見てみた。
毛利元就といえば、三本の矢の話で有名。姉妹喧嘩すると父親にこの話をされたものだ。
広島城
2017年3月29日
75城め
資料館、原爆ドームを見てからの広島城。
原爆投下により焼失し、再建の城。
岩国城
2017年3月29日
76城め
吉川広家の城。
山頂の城までロープウェイで行き、そこから更に8分ほど登ると城が見えてくる。
登ってからの城って、大好物です。
町並みが綺麗な場所でした。
萩城
2017年3月30日
77城め
天守閣の石垣しか残っていませんが、城跡周辺の立地を考えると、背後に海があり、指月山があり、お堀が情緒的で、当時はさぞかし美しい城だったろうと思います。
お堀に錦鯉や亀が沢山泳いでいます。
徳島城
2017年3月25日
64城め
蜂須賀さまのお城。石垣がとても特徴的。緑色片岩の石が細長く、規律があるのかないのかわからない、自由な並び。本当に珍しい! 角が円にカーブしている粋な石垣もあった
高松城
2017年3月26日
65城め
お堀が海水の海城。お堀にトラフグがいっぱい泳いでいました。月見樓がとても美しい城です。
丸亀城
2017年3月26日
66城め
生駒親正・一正が、慶長2年(1597年)、丸亀平野の亀山に築城。元和元年(1615年)の一国一城令で廃城になり、その後山崎家治が再建に取りかかり、京極氏が完成させた。亀山(標高66m)に築城したことから亀山城(かめやまじょう)とも呼ばれている。
高く長い扇の勾配の高石垣は圧巻の見ごたえ。正に「石の城」。天守は3段の石垣の上にあり、高い、高い。天守台の石垣は打込ハギ。
天守自体は日本一小さいが、内堀から四層に積み重なった石垣の高さは約60mあり日本一高い。
算木積み、野面積み、打ち込みハギや切り込みハギなど、さまざまな技術を用いている。各地から石工を呼んだので家紋が刻印されている石材もある。
この石垣には悲しい物語がある。丸亀城の石垣を完成させた功労者、羽坂重三郎が「空飛ぶ鳥以外にこの城壁を乗り越えるものはあるまい」とご満悦の城主に対し「私に尺余りの鉄棒を下されば、容易に登ることができます。」と言って登ってしまったため、敵に通じた場合を恐れた城主に殺された。その伝説の井戸が二の丸井戸。
1873年廃城令では軍用地として存城処分となる。
今治城
2017年3月28日
72城め
藤堂高虎が築城。彼は身長180cm体重100kgの大男だったそう。
高虎の作る城には犬走りがあることが多く、石垣も反り返りがなく直接的なのが特徴。マルチカラーの石垣。
海水をお堀に取り込んでいる。
海賊の城だね。
湯築城
2017年3月27日
71城め
月曜日で湯築城資料館は休みでしたが、外にスタンプが設置してありました。
松山城
2017年3月27日
70城め
各地の松山城と区別するため伊予松山城とも呼ばれている。勝山(標高132m)に築城したことから勝山城(かつやまじょう)、堀に金の亀がいたという伝説から金亀城(きんきじょう)とも呼ぶ。
関ヶ原の戦いの功績により伊予を与えられた加藤嘉明が、慶長7年(1602年)に築城したが加藤氏の時代には完成しなかった。その後蒲生氏を経て松平の時代に完成した。
層塔型現存天守。天守は連立式層塔型三重三階地下一階。城郭構造は連郭式平山城。
天守、小天守、連立式で四隅に樓がある。完璧に城を楽しめる城です。
ロープウェイで山を登り、その後天守まで徒歩10分。城攻めを考えながら登ると10倍楽しい。
石垣の反り、途中歪みながらも反りかえる美しさは石垣フェチにはたまりません。
城の構造が完璧。
1873年廃城令で廃城処分となり、城門、櫓、御殿等が解体されたが、後に本丸一帯は聚楽園という公園になり現在に至る。
大洲城
2017年3月27日
69城め
肱川が天然のお堀のよう。台所樓は現存。
天守は復元だが、木造造り。
宇和島城
2017年3月27日
68城め
藤堂高虎が1601年築城。その後富田氏を経て伊達正宗の庶長子秀宗が入り明治まで続いた。
海を望む山頂に三重の現存天守がある。苔むした野面積みの石垣が幽玄の美そのもの。
縄張りは五角形。一辺が空角になる「空角の終始(あきかくのなわ)」で、四角形と錯覚させる縄張りになっているのが特徴。よく考えたものだ。敵に四角形と錯覚させ、死角をつくる高虎の設計意図は見事大成功を収め、徳川幕府の隠密が四角形だと見誤った記録があるそう。東側の堀は海水を引き込んだ水堀、西側半分が海に接している「海城」でもある。
天守は層塔型三層三階。藤堂高虎が造った天守は三重三階の望楼型だったそうだが、現存しているのは伊達宗利が建てた層塔型。
小ぶりだが唐破風と千鳥破風が融合した美しい顔立ち。障子戸がある唯一の天守でもある。
1873年廃城令で廃城となるも軍事施設として活用されたが、1889年民間への払い下げが決定。しかし市民の願いを受けたかつての藩主伊達宗城の申し出により伊達家のもとに戻った宇和島城は、昭和に入って市に寄与されるまで守られ。
城はいいし、宇和島の鯛めしは最高に旨いし、来て良かった。
高知城
2017年3月26日
67城め
関ヶ原の戦いの後、慶長6年(1601年)山内一豊が南北朝時代の大高坂松王丸の居城があった大高坂山に新たに近世城郭として高知城を築いた。城郭構造は梯郭式平山城。
屋根瓦のグレーと白漆喰壁の白が鷹の色合いに似ていることから別名、鷹城。
それから幕末までこの城で色々なドラマがあったんだなぁ、なんて気持ちにさせてくれる城です。
現存追手門から現存天守を見上げられるのは、この高知城だけだそうです。
追手門は重厚で、そこから見上げると廻縁の天守が見える、本当に綺麗な城。
本丸の建物が完全に残る唯一の城でもある。
戦闘のための仕掛けも、たくさん設けられている高知城。天守の1階には敵を撃退する忍び返しがあり、これまた現存しているのは高知城だけ。
873年廃城令で廃城処分となり、天守など本丸周辺建造物と追手門を残し城郭建造物が取り払われたが、その後、高知公園として一般に開放されて現在に至る。
高知城はいくつもの唯一があり、現存することを感謝します。
福岡城
2019年6月12日
84城め。
黒田官兵衛、長政親子の城。
多聞櫓が現存しています。本丸表御門も残っています。
石垣は大きな丸い石(かまぼこのような・・・)
が多い印象。
「酒は飲め飲め飲むならば、日の本一のこの槍を♪・・・」
の黒田節で有名な母里太兵衛の長屋門もあります。
爺さん達が酔うと唄い出していたな〜。
今なら三味線で伴奏してあげられるのに・・・。
官兵衛が幽閉されていたときに眺めては希望を持った
という藤の花もありました。
大野城
2019年6月12日
85城め。
尾根に沿って土塁が8kmに渡って築かれています。
665年に築城された朝鮮式山城だそうです。
名護屋城
2019年6月13日
88城め。
来てみたかった城跡。。
秀吉が朝鮮出兵の為国内拠点としてわずか5ケ月で築城。
全国から参集した大名の陣屋が130以上も建てられた。
それぞれの大名がそれぞれ担当したせいで場所によって
石垣の特徴が違う。
1615年一国一城令により算木積み部分が壊されている。
吉野ヶ里
2019年6月12日
86城め。
弥生時代の巨大集落跡地。
20年前に来た時より比べものにならない
くらい整備されていてビックリ。
甕棺墓を資料館で見られる。
佐賀城
2019年6月12日
87城め。
10代藩主鍋島直正が再建した本丸御殿が復元されている。
320畳の大広間は見応えある大きさ。
「石垣張り」の障子が印象的。紙と紙の繋ぎ目が
石垣のように重なっている。
平戸城
2019年6月13日
89城め。
松浦家26代鎮信が日の岳城築城。
秀吉と親交が深かったことから家康に疑われ
これを払拭するために自ら焼却し民を守ったという。
海に浮かぶ城でした。
島原城
2019年6月14日
90城め。
築城以来250年にわたる島原藩の歴史遺産や
キリシタン史の資料が展示されています。
S39年に天守閣が復元。同い年だわ。
1階がキリシタン展になっていて、踏み絵や
マリア観音、十字架が現れるハサミやかんざし等
が展示されています。
かぐや姫のように竹の中に鎮座するマリア様
は初めてみました。

信仰って簡単に捨てられるものではないのです。
キリスト教の歴史は迫害の歴史でもあり、
クリスチャンの私とすれば、自分の信仰と
大好きな城がリンクしているこの地域は
ちょっと思い入れが強くなります。
ましてや復元年が誕生年となれば
なおのこと・・・・・。
熊本城
2019年6月14日
91城め。
修学旅行に来て以来。地震のあとが痛々しくも
逞しく感じました。
熊本の皆さんの城への愛情を感じます。
熊本城のしつこい防御、徹底したクランク(枡形)を
みることができないのは残念ですが、
それはブラタモリの「熊本城」の録画を観て
我慢します。
20年後見事に復活する事を楽しみにしています。
人吉城
2019年6月14日
92城め。
西洋式の「はね出し石垣」が採用されています。
「武者返し」とも呼ばれています。
五稜郭のような、そもそも西洋式ではなく
古典的城郭に採用されているのはここが唯一。
屋敷に井戸のある地下室が二つ発見されています。
湯殿(行水)に使われていたらしいです。
大分府内城
2019年6月15日
96城め。
水に浮かぶように作られた城。堀は海水。
熊本から石工を招いて積ませた石垣。
廊下橋がある。打って出る事も侵入を防ぐ事も可能。
帯曲輪は鬼門除けにもなっている。
期間限定の天守閣(大きさ確認用)がありました。
岡城
2019年6月15日
95城め。
豊後竹田城とも呼ばれています。
兵庫の竹田城と同じく山頂に石垣だけが残る城。
石垣が素晴らしくて泣けてきます。
あー、なんだこの幸せ感。
マチュピチュ感のある山城跡。
大手門参道の「かまぼこ石」はここのみ。
曲線石垣がお出迎え。厄除けの鏡石。三の丸の高石垣。
阿蘇の火砕流を石垣の材料にしているのがいいね。
何度でも来たくなる城です。
パンフレットが掛軸のような巻物なのも面白い。
ここから荒城の月を眺めたい。
地元の人が羨ましい。
飫肥城
2019年6月15日
94城め。
伊東家5万1千石の城下町として栄えた「九州の小京都」。
80年に渡って伊東家と島津家で飫肥城の覇権をめぐって合戦。
伊東義祐は島津忠親を打ち破り、念願の飫肥城を奪うものの、
すぐに島津氏の手に戻る。その後、1588年豊臣秀吉の命により、
義祐の子・祐兵(すけたけ)が伊東家の居城として入城し
初代藩主となったそう。
大手門を入ったところからワクワクが止まらない。
大手門を通過して振り返ると・・・・
おぉ、これは「枡形虎口」。一見すると美しいのに
なんと恐ろしい構造。
「美しくて怖い」これが城の魅力なのよね〜〜〜。
苔むし過ぎて石垣なのかもわからない場所もあるのが少々残念。
石垣で扇のように丸く半円に積まれている箇所があるのが印象的。
城内には小学校が。佐久の龍岡城と同じで羨ましい。
「しあわせ杉」では4本の杉の対角線中心に立ち(往復で2回も)
しあわせパワー、、、頂きました。
鹿児島城
2019年6月14日
93城め。
鬼門除けの隅欠け石垣があります。
西南戦争時の弾痕が石垣に残っています。
石垣の中には金属反応があるそうで
不発弾がまだ残っているそうです。
今帰仁城
2018年5月27日
81城め
万里の長城を彷彿とさせる。平郎門はマチュピチュのような窓がある。旧道をのぼっていく途中、在来種のカタツムリがいた。
城ガイドのおじさんに、沖縄の母音は、ア、イ、ウの3音で、エ、オはイ、ウになると説明を受けた。
なるほど、だから『オキナワ』が『ウチナン』なのね。
中城城
2018年5月28日
82城め。
この城跡も、石垣フェチにはたまらない石積が3種類見られる貴重なグスクです。ひとつの側面に野面積、アーチ門の周りには布積(豆腐積ともいう)、上部には相方積(亀甲乱積ともいう)に積まれています。
角は丸く、美しい曲線に積まれ、頂上部には、隅角という飾りの角が積まれています。
この曲線、メキシコのウシュマル遺跡を彷彿とさせます。
ニの郭も美しい曲線。正殿も一際美しく配置されていて、海外の遺跡にひけをとりません。
大好きな城になりました。一推しです。
首里城
2018年5月28日
83城め。
首里城は中国が意識された城。紫禁城を思い出します。
正殿の龍柱は右が阿形、左が吽形。
但し、途中にある狛犬は阿吽が逆に設置されています。
間違えちゃったそうです。
龍の泉は若返りの水ということで、お顔にピチャピチャしてきましたよ。
正殿には当時の礎石が見られる場所があります。
首里城の石垣も角は曲線。城ガイドさんが、沖縄の人は争いを嫌うので境界線をハッキリさせない、角を立てない、丸くおさめると仰っておりました。
唐沢山城
2020年11月15日
続37城め。
佐野氏の居城。上杉謙信の侵略で何度か落城している。くい違い虎口、四つ目堀など防備を固めている。
現在高石垣が残る本丸には唐澤山神社が建っている。
築城時に涌き出た「大炊の井」という池は今もこんこんと水が涌き出ているという。
山城には水の確保ができるかどうかが重要。あこがれの山城だ。

四方八方の方位を守護し悪事災難を免れるように祈願したという方位除御守りを娘に購入。

真田家が親兄弟で豊臣と徳川に別れることを決めた犬伏の別れの地、犬伏薬師堂が近くにあるので立ち寄る。途中佐野ラーメンを食しました。美味しかったぁ。
名胡桃城
2020年9月20日
続14城め。
名胡桃城は真田昌幸が「沼田は渡しても名胡桃は墓所があるから渡せない」
と訴えた城。まぁ墓所は無いんですけどね。「名胡桃城事件」で失ってしまいますが・・・。
小説「真田太平記」原作のNHKドラマで
昌幸役の丹波哲郎が涙を堪えていたシーンを思い出しながら見学しました。
案内所で六文銭シール頂きました。
沼田城
2020年9月20日
続15城め。
利根川と坂道と景色。あの有名な河岸段丘を楽しみながら沼田城へ。
案内所で岩櫃、名胡桃、沼田のスタンプを見せて
オリジナル「上州真田三名城クリアファイル」を頂きました。
更に六文銭ポケットティッシュと登城記念御城印ハガキも頂きました。
城址公園には、本丸西の櫓の石垣が残っています。
大満足の1日でした。
岩櫃城
2020年9月20日
続13城め。
今日は真田の3城巡りということで六文銭ポロシャツでイザ。
岩櫃城は上田城と沼田城の中間地点重要視された城。
上杉、北条、徳川の勢力に挟まれた譲れない城。
岩櫃山と吾妻川という天然の要害。真田幸隆も2度失敗後、
得意の超略と奇襲で落とした。
急勾配と蚊の襲撃とイガ栗と戦いながら本丸へ。
竪堀がワクワクします。堀を二重三重に連ねた畝状竪堀。
防衛効果は高かったろうなぁ。
案内所でボールペンを頂きました。
忍城
2020年11月15日
続38城め。
「のぼうの城」のモデルの城。成田氏の築城。
湿地帯に建つ。沼地の島々曲輪にして橋を渡して築いた浮城。難攻不落の城として上杉や北条の侵略から守っている。
1590年の小田原征伐では石田三成の2万3千の軍に水攻めにされるも小田原城開城まで持ちこたえた。最後まで落ちなかったのは忍城だけ。
城は行田市郷土博物館になっている。コスプレイヤーがあちこちで撮影していた。鬼滅の刃の富岡義勇と煉獄杏寿郎がいた。柱合会議があるのかな?
杉山城
2020年11月15日
続40城め。
築城については不明。山内上杉氏が扇谷上杉氏に対抗して築城したという説が有力。
菅谷館
2020年11月15日
続39城め。
鎌倉時代の御家人、畠山重忠の居館。
土塁は高いし、空堀は深くて広い。
滝山城
2020年11月9日
続36城め。
武田信玄が2万の軍勢で攻めるものの1/10の2千の兵力で持ちこたえたという。北条氏康の三男の氏照が大石氏の婿養子となり入場し、後に八王子城に本拠を移して廃城となった。
堀切に木橋がかかっています。
鬱蒼とした山城です。夕方近くだったためちょっと怖かった。
石垣山城
2020年11月9日
続35城め。
1590年の小田原攻めで豊臣秀吉が築かせた一夜城。
北条が小田原評定を繰り返している間に、笠懸山の山頂に小田原城から見えないように80日間で築き、完成後に山の木を切り一夜で出現したように見せて北条の戦意を失意させた。
本丸から小田原城が見えます。
秀吉の一夜城といえば岐阜の大垣市に墨俣一夜城があります。木下藤吉郎時代に築いたという。偶然にも前日に墨俣一夜城に登城しました。。秀吉の馬印の瓢箪が至るところに飾られていました。日本百にも続日本百にも入っていない城なので御城印と小っちゃい瓢箪を購入したところでした。
この石垣山城にも瓢箪の石碑がありました。
新府城
2020年9月19日
続11城め。
韮崎にある新府城。武田勝頼の本拠地として築城。1581年の暮れに入城するも翌年3月には北条徳川連合軍が迫り、更に織田軍も迫り、そこに浅間山の不吉な噴火も重なり、自ら城に火を放ち逃亡。家臣の小山田信茂の居城である岩殿城に逃げるものの、信茂は織田投降に方針を転換。これにより、進路をふさがれ、後方からは滝川一益の追手に追われ、終に妻子と共に自害し、甲斐武田氏は滅亡。新府城の在城は僅か68日。
真田昌幸の進言どおり岩櫃城に逃げていれば…。
明日は岩櫃に行ってみよう。
要害山城
2020年9月19日
続12城め。
武田信虎が躑躅ケ崎館を居城とし、詰城として要害山城を築く。
嫡男武田信玄公はこの城で生まれたという。
躑躅ケ崎館との間にある積翠寺で産湯を汲んだという。
遊歩道の入口が、狭くて傾斜が急で途中から獣道のようだった。
虎口に石垣が残っています。
龍岡城
2018年8月16日
続4城め。
函館の他に日本にはこの佐久にある
龍岡城の二つのみの五稜郭。
石垣の一部が残っています。
星形の真ん中は現在小学校になっています。
なんて贅沢。
堀には佐久名物の鯉が泳いでいました。
高島城
2018年8月16日
続5城め。
諏訪湖の水が際までせまり、諏訪湖に浮くように
見えたことから「諏訪の浮城」と呼ばれた。
城は復元だが石垣は残っている。
高田城
2018年8月11日
続3城め。
徳川家康の六男、松平忠輝の居城。
信州川中島から移る。築上期間が4か月という短さ。
今は復元された三重櫓が残るのみ。
ちょうど上越蓮祭りで、お堀一面に見事な
蓮の花が咲いていた。朱塗りの橋に一面の蓮の花。
極楽はこんな感じ?あちらの世に渡って行くような
気になってしまった。
鮫ケ尾城
2020年10月3日
続26城め。
上杉謙信の死去後、生涯独身だった謙信の養子の景虎と景勝が後継者争いで戦った御館の乱で、追い詰められた景虎が鮫ケ尾城で妻子とともに自刃した。
普段御城印を集めているわけではないのだが、ここの御城印は「上杉景虎終焉の地」と書かれていて、上杉ファンの私としては思わず購入。前日隣山で熊が出没したとのことで、(それでパトカーがいたのか)案内所で熊鈴とスキーストックを借りて東側から登った。
長い大掘切が山をグルっと取り巻いていて、整備されていないところは、兵の気持ちでアップダウンしながら登りました。
大池があるせいか蚊の襲撃を交わしながら急勾配を汗だくで登る。
大分整備されているので比較的登りやすいのでは?
まぁ山城ですから簡単に登られちゃダメですよね。
山頂の主郭の端には米蔵跡もありました。
麓の斐太神社はこの山城の鬼門鎮守の為のものだそう。
竪穴式住居が復元されている斐太遺跡もあります。
富山城
2020年10月3日
続27城め。
周囲を河川と水堀で囲まれた平城。
富山市の中心にあるため、駐車場探しで城を一周しながら外観を眺めました。
城は彦根城や犬山城を参考に建造されたそうで、確かに似ている。
城が郷土博物館になっていて館内途中から天守に登る入口がありました。
鉄御門の枡形には巨石の鏡石がありました。
増山城
2020年10月3日
続28城め。
1560年から上杉謙信が三度攻めてようやく1576年落城。
遺構がほぼ完全に残る「山城の教科書」とも言われている。
和田川が天然の水堀になっている天然要塞。
戦上手で勝ち戦ばかりの謙信を手こずらせ、3回も攻めさせたのはここのみ。
鳥越城
2020年10月3日
続29城め。
ここに来る途中手取川を渡るとき上杉謙信が織田信長を撃破した「手取川の戦い」を思い出しました。
鳥越城は、加賀一向一揆の軍事拠点の一つとして築城されたという。
謙信の助けをかりて一揆勢は織田信長軍と対峙するも1580年落城、1582年鎮圧される。加賀一向一揆の最後の抵抗拠点になった城。
車で山頂付近まで行かれます。駐車場もあります。
標高312mの山頂に築かれた山城です。堀を抜けると、枡形門から櫓門があり、厳重な守り。
本丸には建物跡や井戸跡もありました。
本丸からの眺めは絶景です。石垣に鏡石がいくつか嵌め込まれていました。
随所に山城設備の遺構が残るいい城でした。
お勧めです。
福井城
2020年10月25日
続31城め。
城内に福井県庁がある。本丸と西三の丸を繋ぐ藩主の登城用の屋根付きの御廊下橋が復元されている。
青緑の笏谷石で石垣が積まれている。石垣の撓みは昭和23年の福井地震が原因だそう。近くにある丸岡城も福井地震で崩れかけたという。
城内三ヶ所のスタンプラリー&クイズをやっていました。クイズ正解で立派な作りのノートをもらいました。
越前大野城
2020年10月25日
続30城め。
天空の城として知られる城。
山頂までどんな苦行かと思われる心臓破りな階段が続く。
天守台に着いた後でも野面積みの何度も折れ曲がった武者登りと言われる石段を登らなければ天守に着かない。
向かいの山に霧がたっていて、なるほど天空の城だと感じられる。苔むした石垣も趣あり。
郡上八幡城
2020年9月28日
続21城め。
山の上に城がある。城下から眺める(見上げる)天守がとても美しい。
天守から眺める城下も情緒的で美しい。長良川の豊かで清んだ水とその景色。
古い城下の街並みも美しい。
今日はまるで真夏の日射しで肌がジリジリ。
自力で山に登るのは諦め、山頂まで車で。車でも困難な急カーブの連続。
駐車場の横の井戸がクビ洗いの井戸。
昭和8年(1933年)に築造された日本最古の木造。
登城者が歩くたび、キシミがすごい反響する。
苗木城
2020年9月30日
続25城め。
苗木城は太田金山城、竹田城、備中松山城、岡城と同質の感動に胸が震えました。
備中松山城のように元々ある巨岩を利用した石垣です。天然の岩山の山頂に築かれています。
ペルーのサクサイワマンのような巨岩。
大矢倉、二の丸、武器蔵、帯郭、千石井戸と同時の暮らしを思わせる跡が沢山残されています。
天守展望台からは木曽川と中津川の絶景が望めます。この天守は山頂の二つの巨石を跨ぐように築かれています。巨石には柱穴が確認できます。
高森山全域を利用して築城されています。木曽川を渡る時、そそり立つように城跡が見えました。
1532〜1955年に遠山一族によって築城されたとのことなので、上杉謙信が生まれてイヤイヤ期から青年期の頃。そう思うと益々感無量。凄い技術です。
この城跡は最高に感動です。
美濃金山城
2020年9月28日
続20城め。
標高276mの山頂に作られた山城。左右になだらかに広がる。
石垣が残っています。
大垣城
2020年9月27日
続17城め。
復元城ではあるが、石垣が残っている。
お堀もしっかり残っている。
水がきれいな掘。
興国寺城
2020年11月9日
続34城め。
今川と北条と武田と城主が変わる。
尾根を生かした土作りの城から石垣作りへと変化したそうで、石垣も残っています。
諏訪原城
2020年11月9日
続33城め。
武田勝頼築城。母が諏訪氏の為、諏訪神社を祀った。
諏訪湖の神官だった諏訪氏。名前も諏訪原。
武田流の山城です。
高天神城
2020年11月9日
続32城め。
武田信玄の攻撃に持ちこたえたものの、勝頼により落城した。その後徳川により包囲され落城、廃城となる。
浜松城
2020年9月29日
続24城め。
家康が遠江進出の拠点にした城。1570年に岡崎から本拠を移して築城。
なので今年は築城450年。記念の御城印を購入してみた。
野面積の石垣は浜名湖で産出する桂岩を使用している。
石垣の見応えは充分です。城内で三方ケ原のしかみ像の手拭いを購入。
小牧山城
2020年9月27日
続16城め
織田信長の城。
信長の死後に羽柴秀吉と家康が直接対決した小牧長久手の戦いで
織田信雄と家康は小牧山を本陣とした。土塁が残っている。
小規模だけどしっかりした構造。
古宮城
2020年9月29日
続22城め。
武田氏が徳川攻略のために築いた城とのこと。
周辺の看板に「徳川家康生誕の地」と書いてありました。
吉田城
2020年9月29日
続23城め。
豊橋市役所の展望台からは木に隠れて一部しか城が見えなかった。
市役所の東館を出るとすぐに城内になります。
堀や石垣が見応えがあります。
結婚式の前撮りをしているカップルがいました。
お城で撮影っていいね。
鎌刃城
2020年9月27日
続18城め。
山ヒルにやられました。高速の下を通って、怖い道を2キロ。
倒木が…怖い。
八幡山城
2020年9月27日
続19城め。
近江八幡宮の横。ロープウェイで行きました。
総石垣で構成されています。大小様々な石の野面積み。
西の丸からは琵琶湖が一望できます。
洲本城
2019年6月23日
続10城め。
脇坂安治が城主として入城した頃から石垣竪城に改修された。
本丸への大石段は堂々として壮観。
本丸虎口は内枡形で視界全部が石垣に。美しい。本当に美しい。
腰曲輪の二段積みの石垣は珍しい。高く見せる為の初期の頃の積み方。
東の丸には初期の頃の素朴な石垣も。山の地形にあわせた鎬積みも。
初期の頃から様々な時代の様々な様式の石垣が見られます。
ワクワクウキウキか止まらない。
1日居ても飽きない。石垣好きには大興奮の城でした。
勝瑞城
2019年6月23日
続9城め。
発掘中。堀の跡くらいしか。
三好氏の城。三好といえば信長より早く鉄砲を使ったり、
キリスト教を保護したり貿易したりした、あの阿波の
三好長慶の一族。
現在三好氏墓所の見性寺に城があったそうです。
一宮城
2019年6月22日
続7城め。
1585年蜂須賀家政が阿波支配の拠点として入城し、
大改修を開始。1615年(元和元年)の一国一城令により廃城。
本丸の石垣は素朴な美。徳島城と同じ石材で出来ています。
ちょっと珍しい直角でなく少しカーブしたような鈍角の
鎬積み(しのぎつみ)が見られます。
引田城
2019年6月23日
続8城め。
生駒親正が秀吉から讃岐を与えられ
入城後石垣を整備。
自然石で積まれた野面積みが魅力的。
特に本丸の石垣は魅了されます。
山城ではあるが、海に囲まれた海城でもあり
頂上から見える海は絶景。
地元の人の話では、街の河川工事等の材料に
引田城の石垣を使っちゃった・・・
なんていきさつが過去にはあったようです。
この手の話・・・わりとよく聞きます。
そう思うと益々現存するお城が愛おしい。
岡豊城
2019年6月22日
続6城め。
長宗我部氏の居城跡。15世紀ねか山城です。
曲輪、堀、堀切、土橋、切岸、土塁、虎口(小口)
といった中世山城の構造が残っています。
…が、しかし草がスゴくて竪堀は全くわからない。残念。
礎石建物跡と経筒が出土した場所もあります。
初期の頃の素朴な野面積みがそそられます。
耐久性は隙間の多い野面積みの方が高いので、
今でもよく残っています。
座喜味城
2018年5月27日
続1城め
座喜味城からのスタートです。
アーチ門が美しい。
戦いの為の城として星形のように曲線に城壁が作られている。石積も、野面、布積、相方積の3つの積方が見られる。
勝連城
2018年5月28日
続2城め。
沖縄の英雄、阿麻和利の居城。
海岸沿いに建つ。
石垣の曲線が本当に美しい。
あちらこちらに御嶽がある。神々と共に暮らしていたんですね。ティオティワカン遺跡のように頂上で願い事をしてきました。フフ。