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メンバー情報

ID3834
名前柿姫
コメント千葉県流山市在住。ある日突然、防御施設としての城にハマりました。
コンクリートの天守より、土塁や切り掘り・石垣などから往時の姿を想像できる城跡に萌えます。

スタンプラリー参加前に行った城は「行き直しますかね〜」くらののんびりした構えで。
初心に戻ってゆっくりじっくり百名城を見て回りたいな、と。
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
佐倉城
2013年1月12日
1城目
記念すべき1城目は、毎月1回は近くを通る佐倉城。
佐倉城址公園はこれまで何度か来たことがあるけど、城跡を意識して見に来たのは初めてです。駐車場は自由広場を利用。みなさんの登城記のおかげでプレハブはすぐにわかりました。ありがとうございます。

現存している土塁・空堀に往時の城の姿を思い浮かべながら散歩がてら公園を一周しました。一通り見て約2時間です。歴博は来たことがあるので今回はパス。歴博を含む城址公園をきっちり見ようと思ったら、それこそ1日がかりです。
駐車場・城址公園共に無料。歴博の受付で城址公園のイラストマップをもらえます。これがあると便利ですよ。
帰りに近くにある麻賀多神社を参拝し、御朱印をいただきました。
水戸城
2013年1月19日
2城目
往復とも常磐線を利用。
午後からの用事の前にさくっと見るつもりが、あちこち見ていたら2時間半もかかってしまった。弘道館の中と三の丸の空堀が見れなかったので、そのうち再登城します。

遺構は水戸一高にある薬医門と弘道館、土塁、空堀しかありませんが、その空堀から縄張りを確認できます。水戸駅改札を出た右にある観光案内所で散策マップをもらえるので、ぜひお立ち寄りを。

城郭は元々石垣がなく土塁と空堀だけで構成されていたそうで、徳川御三家にしては質素だなあと思い調べてみたら、同じ御三家でも水戸徳川家は紀州・尾張の徳川家とはちょっと格が違うのですね。
弘道館は震災で受けたダメージが痛々しく、他の方も書いている通り入館できませんでした。もうすぐ修復工事に取り掛かるので外観を覆ってしまうとのこと。

登城前に水戸駅前の「てんまさ」でねばり丼(1050円)をいただきました。このお店、docomo・softbankのwi-fiが使えます。
金山城
2013年1月26日
3城目
佐野藤岡ICから30分ほどでガイダンス施設に到着。ここで金山全体のガイドマップ、金山城跡のガイドマップを貰えます。5分ほどの映像を見せていただきましたが、「なぜこの場所に城を作ったのか」がよくわかる作りになっており、必見です。できれば城跡に行く前に。

ガイダンス施設に車を置き、行きは施設裏から西山ハイキングコースを利用。西城駐車場までゆっくり登って15分くらい。勾配は急ですが木止めの階段なので、休みながら登れば普段運動しない人でも登れます。
帰りは車道を歩いて下山。こちらも所要時間も15分くらい。途中に本城大手口跡があり、カーブをショートカットできる道が2本ありました。
画像を貼っておくので、どんな道か心配という方の参考になれば幸いです。
足利氏館
2013年1月26日
4城目
足利氏一門の氏寺ですが、一門が滅んだあとによくぶっ壊されなかったものだと関心しながら拝見しました。
ただ、「中世武士の城館の最も古い形態を残すものとして貴重」なのはわかりますが、100名城に入っていることには疑問を感じます。

観光駐車場(無料)に駐車して5分ほど歩いて登城して本堂・4つの門を見学、御朱印をいただきました。所要時間は20分くらい。
箕輪城
2013年2月10日
5城目
箕郷支所でスタンプを押印後、搦手口に車を置いて二の丸・本丸・大堀切を見学。みなさんの情報にあった「地元ボランティアの方が作った箕輪城の説明パンフレット」が入っている緑の箱はすぐにわかりました。大変わかりやすい解説書ですね。
先週の雪で道がぬかるんでいたし、二の丸周辺が工事中だったこともあってこれ以上動き回る気がせず、御前曲輪の井戸などを見たあと大堀切の反対側に行くことにしました。

車で大手虎韜門口の駐車場へ移動し、鍛冶曲輪への階段から登城。こちらは鍛冶曲輪の石垣が残っており、二の丸周辺のようにコンクリートがない分古城跡の雰囲気に浸れるのでお勧めです。大堀切へ降りる階段は、大手虎韜門からの階段を登り切った曲輪の突き当り左手にあります。
鍛冶曲輪・倉屋敷・本掘丸の橋台などを見学。底から見る大堀切、やっぱりすごいですね。これだけの土木工事が人力とは、昔の人の苦労が忍ばれます。
鉢形城
2013年2月10日
6城目
花園ICから20分ほどで到着。
鉢形城歴史館でスタンプ押印後、館内を見学。鉢形城の盛衰をまとめたVTRと、それに連動しているジオラマはなかなか見応えがあります。
歴史館見学後は裏手から二の丸へ抜け、道路を下って250分の1スケールの鉢形城地形模型から見学をスタート。歴史館から一通り見て回って1時間半ほどでした。
石垣や土塁などの発掘された遺構は復元されていて発掘結果の説明などもあるのですが”当時この場所がどのように使われていたか”のような具体的な説明があれば、土地の形などからイマジネーションが湧くのではないかと。

とはいえ、城塞として機能していたことは自然の地形を活かした縄張りから思い浮かびます。5万人の軍勢に囲まれても3か月持ち堪えたことを想い周りの山を見渡すと、鬨の声が聞こえてくるような錯覚がした2月の夕暮れでした。
郡山城
2013年3月3日
7城目
本丸の周りにある壇(尾根を利用した廓)を含め、見れる廓はできるだけ見てきました。旧本城は道が危なそうなので取りやめましたが、一人じゃなければ行ったかも。見学時間は博物館30分、城址2時間。

山道は整備されていますが、墓所〜本丸間は滑りやすい石畳や段差が大きい木止めの階段があります。本丸〜清神社の方が比較的緩やか。またこの山は滑りやすい土質なので雨・雪の後はやめた方がいいです、というか無理です。
また、厩の壇あたりの道は足場が悪く、倒れていた木が道を塞いでいたり、階段が崩れて手をついてよじ登らなければならないような箇所がありました。

山の頂上部分(本丸・二の丸・三の丸、それを取り巻く壇)は伐採してほしいなあ。当時は木がなかったはずだし、せめて本丸付近だけでも木がなければ毛利公と同じ視線で城下を見れると思うのですが。

興禅寺そばにある吉田高校は、浦和レッズの柏木・槙野・森脇選手がユース時代に通っていた高校です。浦和サポさんは必見(?)ですね。それと、清(すが)神社は毎年サンフレッツェ広島が必勝祈願に訪れる神社です。以上、博物館で教えてもらいました。
広島城
2013年3月3日
8城目
12年ぶり、2度目の登城。12年前は二の丸の建物はなく、天守のみでした。
今回は木造で復元された表御門・平櫓・多聞櫓・太鼓櫓をメインに登城・・・するはずが、結局天守の展示物もじっくり見学。

二の丸に復元された3つの櫓の中ですが、木の香り・採光など、やはりコンクリート造とは趣が違いますね。警備員さんに聞いたところ写真撮影OKとのことなので、展示してあった郡山城の模型を撮影しました。吉田町歴史博物館では撮影禁止だったので、これはありがたかったです。

「三矢の訓」の元になったと言われる、元就公が3人の息子に宛てた書状(三子教訓状)の模写と現代語訳が展示されていましたが、「毛利という名字を末代まで廃ることがないように心がけよ」の一文に戦国武将の「家督」に対する想いを見たような気がします。
伊賀上野城
2013年3月16日
9城目
夜行バスで早朝に伊賀上野駅前に到着、上野公園駐車場横から上野公園内へ。散歩・ジョギングしている数人とすれ違っただけで、朝もやが煙る幻想的な城内をひとりじめ!しちゃいました。藤堂高虎の石垣は「すごい」のひとこと。下を覗き込むと足がすくみます。
その後駅に戻って城下町を散策し、今度は白鳳門を通って再登城。9時と同時にお城に入り見学。昭和10年に建てられた模擬天守ではありますが、築80年の木造建築は別名「白鳳城」がピッタリの風格。しかも個人が私財を投じて建てたとは。

中の展示物も高虎が秀吉から拝領したという「黒漆塗唐冠形兜」、天守復興を祝って当時の著名人から寄せられた46枚の色紙など見応えがあります。
筒井天守跡の碑は、今の天守が建っている場所より高い位置にあるんですね。わかり辛い場所ですが、興味のある方は探してみてください。城代役所跡の近くにあります。

忍者博物館を見学した後、伊賀鉄道で松阪に移動。
松阪城
2013年3月16日
10城目
丸中本店でコロッケを、松坂牛の老舗・牛銀の洋食部でカツ丼をいただいた後、大手門から登城。
駅前の観光案内所とスタンプが置いてある歴史民族資料館で貰った散策マップより、持参したGoogleマップと縄張り図の方が役立ちました・・・
天守・櫓などの建物は残っていませんが、野面積みの高石垣が見事です。多門櫓跡を歩いたことは、いい思い出になりました。

ちなみに城の名称ですが、「松阪城」は平成23年に国の史跡に指定されたことで「松坂城」に変更されたそうです。このサイトでは名称は修正されていませんが、現在では「松坂城」と表記するのが正しいようです。
長篠城
2013年3月17日
11城目
城としての遺構は土塁・切り堀り・廓跡などしかなく、城跡の一部をJR飯田線が通っているという、何だかトホホな100名城。
しかし、この城が発端になった長篠の合戦は日本の歴史を左右する大事な戦であり、ここで織田・徳川連合軍が武田軍を破らなかったら、本能寺も関が原も徳川幕府も明治維新もなかったかもしれません。そう思うと400年以上たった今、自分が激戦の地に立って武将が見たであろう景色と同じ光景を見ているかと思うと、とても不思議な気持ちになりました。

史跡保存館・本丸周辺だけでなく、線路を渡って野牛郭跡・殿井、戻って弾正郭跡を見学。その後、R151沿いに家老屋敷跡・蟻塚・大手門跡・馬場信房の墓、豊川を越えて鳥居強右衛門の墓所と磔の碑、そして、牛淵橋から長篠城址を見てきました。帰りは鳥居駅を利用しましたが、一通り見てだいたい2時間くらい。

「何もない城跡」と言われがちですが、どうして長篠城を取り合いになったのか、両軍がどう対峙したのか、それと戦にまつわるエピソードをポイントに見て行くと、面白さが倍増するんじゃないかと思います。
江戸城
2013年3月23日
12城目
通勤途中にある一番身近な100名城。
搦め手の半蔵門前からお堀沿いに歩いて大手門から登城する予定を千鳥ヶ淵の桜が満開と聞いて変更。九段下駅で下車し、千鳥ヶ淵→北の丸公園を通って北桔橋門から登城となりました。スタンプは日本武道館前にある北の丸休憩所で。

見学ルートは、天守台→富士見櫓→大手高麗門。一旦出てから再登城し、二の丸付近を通って平川門から下城。
今回は東御苑のみの登城だったけど、皇居一般参観に参加して伏見櫓を間近で見てみたいな。
新発田城
2013年3月30日
13城目
新発田駅から往復徒歩で登城。新発田警察署前の交差点に大手門跡の立札があり、新発田城への案内板に従がって行くと西櫓跡・菅原門跡の立札が見えてきます。さらに進むと新発田城。
表門二丸隅櫓・辰巳櫓・二丸隅櫓などが整備された城内に保存・木造で再建されていますが、いずれも中に入れるのは嬉しいですね。

自衛隊の敷地内にある三階櫓ですが、みなさんの登城記にある「戦国自衛隊」という表記になんか大げさだなあと思っていたら、辰巳櫓前から見た三階櫓周辺の「城+自衛隊車」という光景は、本当に映画・戦国自衛隊のようでした(笑)
城内と三階櫓前のお堀など一通り見て約1時間。帰りにシンガポール食堂で、噂の「オッチャホイ」をいただきました^^
春日山城
2013年3月31日
14城目
新発田から移動して駅近くのホテルに前泊。
駅前の謙信交流館(8:30開館)で荷物を預かってもらい、埋蔵文化財センター前の大手道入口から復元された大手道を通って登城。
番所跡→南三の丸屋敷→景勝屋敷→井戸曲輪→天守→本丸→毘沙門堂→直江屋敷→上杉神社→ものがたり館→春日山駅の順番で見学しました。上杉神社から登るよりも大手道から登った方が勾配が緩やかで、復元された大手道はとても趣があるいい道です。

所要時間は全て徒歩で、くまなく見て5時間ほど。時間と体力がある方、ぜひとも徒歩で登ってください。この山城の巨大さが実感できます。
それにしてもあんな高いところに井戸があるって不思議。立札には「サイフォンの原理」とありましたが、廃城後400年経った今でも満々と水をたたえているそうな。自然の力が水を組み上げるって、ホント不思議。
松代城
2013年3月31日
15城目
春日山登城後、信越本線で長野駅に移動してバスに乗り換え。
川中島バス(2番のりば)「松代行き」で約30分、「松代駅」下車、片道600円です。

川中島合戦の舞台となった場所で、松代城より海津城の方がピンときますね。松代城に名称が変わったのは、真田信之が城主になった元和8年(1622)だそうです。
今回の登城時間は30分弱。さくっと見れちゃうので、周りの真田氏関連施設と併せて見学するといいかも。

着いたのは午後4時過ぎでしたが城址周辺に人影はなく、すぐ横に廃線になった長野電鉄屋代線・松代駅舎もあってもの悲しい雰囲気でした(-_-#)
高取城
2013年4月20日
16城目
夜行バスで早朝奈良着、近鉄で壺坂山駅→タクシーで七ツ井戸下の駐車場まで行き(2080円)、5分程山道を登って午前8時に二の丸付近に到着。
早い時間ということもあって人影はなく、聞こえるのは鶯など鳥のさえずりと木々を揺らす風の音だけ。最高のシチュエーションに興奮しまくり(笑)
高石垣など遺構のすばらしさは予想以上でした。ネットで入手した縄張り図を手に白漆喰塗りの天守や櫓を思い浮かべながら散策しましたが、ここほど「そのままの姿で残っていてほしかった」と思った城跡はありません。

下城は大手道から。国見櫓からの眺めは見事ですね。猿石は興味深かったです。
秋の登城を予定していましたが、奈良産業大の学生さんが作った高取城復元CGをネットで見てどうしても行きたくなり、急きょ登城。その後の予定もあったので行きはタクシーにしましたが、次は大手道から登城したいな。今回は駅to駅で4時間半ほど。
復元CGは夢創舘でも見れますが「高取城CG再現プロジェクト」で検索するとPCでも見れます。ぜひ。
千早城
2013年4月20日
17城目
壺坂山駅→河内長野駅→南海バスに乗り換えて金剛山登山口へ。
降りたバス停前方にある表参道階段から登城開始。神社の階段なんて大したことないネ、なんて軽く考えていたら、階段の次は石段が永遠と(-_-#) 行けども行けども石段石段石段石段・・・

本丸跡は千早神社になっています。城跡に神社を建てるのは珍しくないですが、これほどほったらかしにされている神社はそうはありません。境内はまだしも、参道は灯篭のガラスが割れたままだったり、階段がガタガタだったり。難攻不落と言われた千早城なのに、今の荒み様では楠木正成公が嘆いてますよ・・・

あの石段を降りて帰るのはイヤだなあ、なんて考えていたら右手に降りる道を発見。一か八かで降りてみたら、どうやら裏参道だったようです。こちらの方が(下りは)表参道に比べてだんぜん楽。
まつまさではスタンプを押すだけっていのもナンなので、甘酒をいただきました。生姜付きの、とても旨い甘酒でした。350円。再びバスに乗り河内長野駅→南海線で橋本駅→JR和歌山線で宿泊地の和歌山へ。
和歌山城
2013年4月21日
18城目
追廻門から新裏坂を上り天守閣へ登城。再建されたコンクリート造ですが、和歌山大空襲で炎上する前の姿を忠実に再現しているとのこと。大天守最上階から天守閣を見下すと連立式の様子がはっきりわかります。大天守内部は武家道具など紀州徳川家ゆかりの品々が展示されていますが、まあ博物館ですね。

和歌山城の石垣に2100個以上あるという刻印、時間の許す限り見れるだけ見てきました。一番楽しみにしていたのは大手門近くにあるという「桃の刻印」。桃は古代中国において悪鬼を追い払う魔除けの効果があるとされているそうで、和歌山城の鬼門にあたる一の橋大手門近くの石垣にあります。大手門を背にして正面にある石垣の左手、船着き場あたりです。2m程の高さに8角形のような石に刻印されていますが、行けばすぐにわかります。ぜひ探してみてください。

石段を登る人の形をした根、再建された御橋廊下(足の裏が痛かった!)、二の丸庭園など和歌山城は見どころいっぱい。滞在時間の3時間では見切れなかったので再訪予定です。和歌山らーめんは日曜日で休みだった山為食堂にリベンジだっ!
二条城
2013年4月21日
19城目
和歌山から鉄路で移動。
二条城に来たのは今回で3回目。修学旅行や友達と観光で来たときは「歴史的な建物」くらいにしか思っていなかったけど、歴史好きな大人になった今ではこの城が見てきた出来事を思うと、とても感慨深いものがあります。

東大手門から入場。唐門は工事中で彫刻が見えず残念。二の丸御殿を見学後、本丸櫓門から本丸庭園を通って本丸御殿・天守閣跡を外から見学、清流園を通って再び東大手門へ。
4月中旬だというのに、清流園で「新緑・桜・紅葉」を同時に見れたことに驚き。3色のコントラストがとてもきれい♪一口城主に200円募金してバッヂをいただきました。

帰りの東京駅で新幹線の切符を紛失するというハプニング発生!きっぷを無くすと乗車した駅から乗車券・特急券とも買い直しになります、特例はありますが、気を付けましょう。
七尾城
2013年5月2日
20城目
金沢駅8:11発の七尾線で七尾駅、そこから市内循環バス「まりん号」に乗り、七尾城史資料館に10:20到着。七尾城の歴史などのレクチャーを受け、スタンプ押印後大手道(旧本道)から徒歩で登城。
実は城山駐車場までタクシーで行くか、それとも大手道を歩いて登るか、資料館を出るまで迷っていましたが、昔の人と同じ視線で城を見たくて2.4km登ってきました。道はそれなりの勾配ですが、興味のある方、ぜひ大手道から登ってみてください。七尾城の城としての機能と雄大さを実感できます。

曲輪を一通り見学し、最後に本丸から見た景色は雄大そのもの。ベンチもあるのでお弁当を食べるには最高のシチュエーションですね。
帰りは大手道ではなく(あの道は登れこそすれ下るのはキツすぎ)車道を徒歩で下り、再びまりん号に乗って七尾駅まで。駅前のゴールドカレーで金沢カレーを食し、この日は金沢に宿泊。
金沢城
2013年5月3日
(ここからは2019年11以降に思い出しながら投稿)21城目金沢駅からバスに乗り尾張町下車、ここから徒歩で登城。石垣やなまこ壁の断面が展示されていて、大変勉強になりました。
以前来たときにはなかったいくつかの櫓や五十間長屋が新築されていたり、門が整備されていたり。ひととおり見学した後は石垣の刻印チェック!帰りは近江町市場でお寿司をいただき、金沢駅から高岡へ移動。
高岡城
2013年5月3日
22城目
高岡駅から歩いて登城。大手門を入ったところにある高山市立博物館を見学、スタンプを押して登城開始。この高山市立博物館では、前田利長の鯰尾兜を被ることができます。(2013年当時)城としての遺構はほとんど残っておらず、本丸・二の丸跡や水堀から当時の姿を想像するのみ。イマジネーション力が試される城址ですね。この城も石垣の刻印が間近に見られます。(場所は二の丸と本丸の間)下城後は高岡大仏を見学し、特急はくたが号→越後湯沢でMaxときに乗り換え。これは北陸新幹線がなかった頃の北陸→東京最短ルート。
篠山城
2013年6月22日
23城目
空路で羽田→伊丹、伊丹からは鉄道を乗り継いで篠山口駅へ、そこから篠山城まではバスを利用。
復元された大書院は木造住宅建築物としては国内有数の大きさだそうで、篠山城関係の展示物などがあります。埋門跡付近は高石垣になっていて、たくさんの刻印を見ることができます。大書院より刻印探しの方が楽しかった^^
お昼は三の丸近くある大正ロマン館で。黒豆ビール、まろやかな風味で美味しかった♪
大阪城
2013年6月23日
24城目
天満橋駅から歩いて登城。大手門から場内に進入。大手口枡形の巨石(大手見付石、大手二番石)は必見ですね。
いわずと知れた秀吉の城。立派な水堀と石垣、しかし手を入れたのは家康。こやつが余計なことしなければ・・・来る度に思います。(そのおかげで大坂の町の復興になったといわれていますが)
これまで見た城の中で、一番外国人が多かった。
彦根城
2013年6月24日
25城目
大阪から電車を乗り間違えて湖西線に乗ってしまうというハプニング発生(>_<)予定より45分ほどロスして彦根駅に到着。駅前の井伊直政公の銅像にご挨拶して、いざ登城。
こじんまりとしたお城という印象だったけど、天守・櫓・縄張り・庭など見どころがいっぱいあって、半日では足りなかったくらい。あいにくの雨模様で、ひこにゃんとは彦根城博物館で。ひこにゃん、芸達者ですね〜
掛川城
2013年7月31日
26城目
JR掛川駅から歩いて登城。炎天下、天守までの道のりはしんどかった・・・その分、天守最上階に吹いていた風と景色で生き返りました。
天守は忍者隠し、忍者返し、石落としなどの仕掛けがあり、天守だけでなく門や堀などもよく復元できていますね。
二の丸御殿は江戸後期に建てられた現存四御殿のひとつだそうで、気取ったところがなく、とても居心地が良かった。
岡崎城
2013年8月11日
27城目
名鉄・岡崎公園前から徒歩で登城。途中通った道は「竹千代通り」という名称。まさに家康生誕の地です。
復興された天守は歴史資料館になっていて、そこで実刀を持てるコーナーがあり持ってみましたが、本物の刀は思った以上に重かった!
炎天下、グレート家康公「葵」武将隊のみなさんがパフォーマンスを披露していましたが、熱狂的なファンの方が大勢いらっしゃるのですね。
駿府城
2013年8月25日
28城目
JR静岡駅から徒歩で登城。東御門の手前に弥次さん喜多さん像があり、ココ撮影ポイント。
駿府城は天守や櫓は残っていませんが、駿府城公園での縄張りや水堀、城下町などを見て回るだけでも、ここに大きな城があったことがわかります。
復元された本丸堀と二の丸堀を繋いでいた水路は必見。
佐賀城
2013年11月29日
29城目
羽田→福岡空港→バスでJR佐賀駅→市営バスで佐賀城址まで。本丸歴史館(佐賀城)の正門である鯱の門には明治7年に起こった「佐賀の乱」の銃弾跡があります。
本丸歴史館を見学したあと城址内を一周。佐賀城公園となっている城跡はさほど遺構はありませんが、天守台の石垣が残っています。
登城後は城下町を見学しながら徒歩で佐賀駅まで。
福岡城
2013年12月1日
30城目
地下鉄・大濠公園駅から徒歩で登城。あいにくの雨模様で、城址内の地面はほとんどが土のため、足元ぐちゃぐちゃになってしまいました・・・
天守台や門跡・石垣など多数見所がありますが、城内にある櫓や門などは移築か復元です。福岡城の天守といえば、実在の有無・再建の可否などが話題にのぼることがありますが、この城址は天守だけ作るより想像の域で楽しんだ方がいいのでは?と思っております。
飫肥城
2013年12月13日
31城目
羽田→宮崎空港→宮崎、マリーン号で飫肥駅。駅前でレンタサイクルを借りて、飫肥城へGO。6施設の共通入場券、城下町で飫肥名物飫肥天や厚焼きたまご・お酒・小物etcと交換できる引き換え券がついた地図を1000円で購入。飫肥杉で作った箸をいただいてきました。飫肥天・厚焼きたまごは言わずもがな。
明治6年に廃城された飫肥城ですが、大手門と松尾の丸が復元されています。本丸跡は杉林になっていますが、苔が生えて気持ちのいい一角でした。
他に人がいなかったのをいいことに、城内のパワースポット(?)「しあわせ杉」の中心に長いこと立っていましたが、幸せのパワーをもらえたかどうかは不明です(笑)
飫肥城址、城下町をひととおり見学・食べ歩き後、宮崎経由日南線と日豊本線を乗り継ぎ、この日は都城泊。
人吉城
2013年12月14日
2013.12.14 人吉城
32城目
都城から肥薩線「観光列車 いさぶろう号」で人吉へ。機関車見学・無人駅停車・スイッチバックなど、観光列車って面白いですね。
人吉駅到着後歩いて登城。大手門櫓跡・渋谷家屋敷などを見学し、堀合門から城内へ。石垣がせり出た「武者返し」を興味深く拝見。説明によると「石垣を高くして、その上端にはね出し工法による「武者返し」と呼ばれる突出部をつけた。この工法は、西洋の築城技術で、嘉永6年(1853)に品川台場で初めて導入され、五稜郭や龍岡城等の西洋式城郭で採用されており、旧来の城郭で採用されたのは人吉城のみである」とのこと。
カラスが多くて今にも襲ってきそうで、めちゃめちゃ怖かった・・・